てやんでい!!こちとら湘南ボーイでい!!

映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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私的ベストアルバム邦楽編 30-1

      2020/04/16

60番から31番はこちら

30 サニーデイ・サービス/東京(1996)

経験してもいない昭和的な風景。
たしか細野晴臣さんが、サニーデイとかせきさいだあについて「アルミサッシ越しに見る畳部屋のアパート」みたいなことを言っていて、「表現うまっ」と思いました。
この時期、フォークに寄った音楽性から、バンドははっぴいえんどフォロワーとはよく言われていたようだが、曽我部恵一さんの創作意欲はそこに留まらなかった。
それにしても、最初のEP二枚での明らかなフリッパーズ・フォロワーぶりを見せつけておいて、この音楽的若年寄ぶりはどうなっているのだろう。
アルバム一枚を通して心地よく聞くことができるという点で、曽我部恵一さんの作品で一番好きだ。
少し気取ったような歌い方が鼻につくものの、録音も最高。
ロック感はないが、ブレイクの作り方、曲の構成などは聴き手を飽きさせない作りになっていて、かなりシンプル。
レノンの「日記を書くように曲を作る」という言葉に感銘を受けて音楽創作を続けているようだけど、このアルバムのように、かつてあったであろう現実の空間を空想するような作品はこの先ではあまり見られなくなるので、キャリアの中でも少し変わったアルバムのように思う。
それにしても『きれいだね』に「ひとつの物語りが 終わってはまた始まって ぼくはといえば 道端に放り出されたまま」なんて歌詞もあるように、90年代は大きな物語の喪失というファクターが大きな位置を占めている。
とは言いつつもそこには絶望や諦観はあまりなく、まだ「どうしよっかな」という程度ののほほんとした感覚。
一枚のレコードの中に、「かつてどこかにあったように思われる世界」が存在している稀有なレコード。
曽我部さんの弾き語りによる再現ライブCDも、いいです。


29 岡村靖幸/DATE(デート)(1988)

なんというエッチ……。
おい!
みんな聴いてみろよ!
エッチだぞこれ!
すでに作曲家としては「若いのにすごい曲を書く子」として認知されていた岡村さんが、編曲家としての才能の開花が始まったアルバム。
それはおそらく、楽曲が成果を出すようになったことで、活動の主導権を握り始めたということでもあるはず。
このアルバムについては、友人のホームページにコラムを載せてもらっているので、興味のある方はそちらも覗いてみてください。
なので、ここには、このアルバムをここにランクインさせた理由のみを書きます。
冒頭の『19』におけるパーカッシヴかつリズミカルなアコギの演奏や、『いじわる』でのファンキーなエレキギターの粘液が滴るようなねちっこさと、そんな楽曲に自然と乗る言葉を編み出す言語センスは天才的としか言いようがない。
特に後者では、曲を自作自演するエッチなソロ・ファンク・シンガーとして金字塔を打ち立てている。
ビート面でも、巨人が足踏みするかのような『DATE』という大発明がある。
そして完璧なアレンジを持つラヴ・バラッド『ライオン・ハート』と『イケナイコトカイ』。
笑ってしまうくらいに青い『生徒会長』や、尾崎豊ファンを模写したような『不良少女』のような小品的トラックもあるが、それにしても絶妙なバランスで構成されたアルバムだ。
そしてなにより、岡村さんのラブソングで僕が最も好きな『ライオン・ハート』が収録されている。
こんな歌、ないですよ。
『スーパー・ガール』は有名な曲だけど、特に曲としての面白みはない……とはいえ、こうして外に出す曲を作る時にはちゃんとコマーシャルな要素も入れられるのが岡村さんのよいところ。
それに、「歌」として、絶対に耳から離れない超絶フックも組まれている。
「本当のダンス チャンス ロマンスは自分次第だぜ」のパートにおける濁音の配置に注目してもらいたい。
文字にすると伝わりにくいのだが、この「じっぶんしだーいだっぜっ」の部分を、濁音を抜いた「しっふんしたいったっせっ」と発音してみれば、前者のアクセントがどれほど絶妙に設計にされているかがわかるだろう。
若干23歳にして、こんなアイデアが出てくるというのは、はっきり言って異常。
俺が岡村靖幸さんをこんなにも愛していることが異常なのではなく、岡村靖幸という異常な天才に対する思いとしては平常だと言える。
マジで天才。
いつまでも愛してるよ……靖幸。

28 中村一義/太陽(1998)

このジャケットと、アルバムのタイトル、最高でしょう?
中村一義さんの初期の楽曲はどれも、ぎこちなくて暖かい。
生を全力で肯定する音と言葉。
思春期の最中にしか持ちえない熱を、確かな知識と才能で表現している、なかなかない音楽。
(当時は七尾旅人さんとよく比較されたそうだ)
中村さんは自伝本『魂の本』に詳しいが、かなりヘヴィな環境で育ってきたようである。
(そういえばこの本、読み終える前に恋人に貸して、そのまま別れて返ってきていない。絶版本なんだ……今からでも遅くはないから、返してください)
そのせいか、音楽を作ること自体が彼にとって「救い」だったのだろう、こんなにストレートに、「明るい」ことが約束されたタイトルとジャケットもなかなかない。
ランキングでも何度も言及しているが、優れたソングライターがこの時代に作った曲は、どれも、強い閉塞感が漂うものが多い。
そんな中で中村さんは、変革しない現状への諦念を歌うことはあっても、閉塞感はないどころか、かならず開放的なフィーリングを放つ。
それは彼がそのヘヴィな出自を持つこと、そして音楽によって救いを得たことから、全てを祝福するような表現に向かって行ったのではないだろうか。
雑な知識で申し訳ないが、70年代から80年代にかけて、ポップミュージックが新しい表現の模索を続けていた時代には、ビートルズをはじめ、古い音楽はダサイものとされていた。
それが、英国からオアシスが登場してきたことを機に、急速的に再評価されるようになったのだという。
中村さんは祖父からの影響で幼いころからビートルズに親しんできたというが、この人の登場は、そんな流れが日本にも波及してきたことを知らせるよう。
次作の『ERA』から、同時代のギターロックと共振するようになるが、それでも、この初期の二枚と、一枚のシングルは、いつになっても色あせることのない魅力がある。
というかあらかじめ、いつの時代に作られたのか判別するのが困難な色褪せかたをしている。
「渋谷系フォロワー」と安易なくくりをするべきでない、すべての命を永遠に照らし続ける音楽。
『主題歌』が入っていたら、もっと上にいきます……。
主題歌、本当にいい歌ですよね。
たしか本人も、曲が強すぎるためにアルバムに組み込むことができなかったと語っていたはず。
全てのラインが名言。
完璧です。


27 平沢進/時空の水(1989)

初ソロ作。
一気に無国籍風サウンドを展開されており、リアルタイムで聴いていたらこの変化には腰を抜かしたと思う。
そう考えると、平沢先生以外のオリジナルメンバーが残っていなくとも、P-MODELというバンドにはP-MODELたらしめる何かがあったということなのだろう。
どの曲も本当にいい曲ばかり。
ほとんど平沢先生の単独作業で作られたらしいが、アルバム全体が開放的で肉体性を帯び、活き活きとしている。
どの曲も、珠玉のメロディが満載で、先生の歌声も伸びやか。
歌詞面も「現代」「日本」とは結び付きにくいものが増えていて、そこも無国籍風。
特にアルバムラストの『金星』、最高。
平沢先生にしては珍しい、生の演奏だけで聴かせる牧歌的なトラック。
歌もささやくように、決して盛り上げようとはしないままに存在感のあるコーラスを重ねる。
こんな曲を作り上げてしまったら、似た方向性の曲を作るなんて難しいだろう。
本当に、なんでこんな素晴らしい曲が作れるのだろうと思う。
『金星』には個人的に思い入れ深い話がある。
ニ十歳の時に初めて彼女ができたのだけど、シューマッハもびっくりの早さで振られてしまった。
それから長らく、僕の思考の大部分はその子への未練に支配されていた。
メールを送っても、ほとんどの場合は返信がなかった。(いや、送るなよですよね(笑))
そもそもその子と出会う前から、僕は、人生があんまりいい方向に行きそうにないと判断していたのでかなり自殺したい性質だった。
その別れから四年が経った。
付き合っている時にその子に紹介したミュージシャンが、特別なライブ公演を行うことになった。
僕はチケットを二枚取って、その子を誘ってみた。
すると、同行してくれるという。
ライブの前にお茶をしながら話をしていると、彼女は平沢先生やP-MODELをかじる程度に聴いていると話していた。
ライブが終わって、
「平沢進さんの『金星』という曲がすごくいいんです。聴いてみてください」
とメールを送った。
返信とかないかもなって思ったんだけど、
「今、ちょうど金星を聴きながら帰ってました」
ってメールが来た。
なんか、運命っぽくないですか?
でもその子とはその後、一回だけ会ったきりでした。
人生よ……嗚呼。
僕、頑張れ。
うん、頑張る!
おすすめ ウィーザー/ピンカートン

26  andymori/宇宙の果てはこの目の前に(2013)

バンドのラストアルバム。
こちらも、詳細は下記に書いてあるので、興味のある方は参照ください。
https://quishin.com/104/
ドラマーが交代してから、佳作『革命』、凡作『光』と、俺を落胆させ続けたアンディモリだが、ここに来て傑作をドロップ。
そしてフロントマンの小山田壮平さんも橋から河へドロップ。
人類史上まれに見るメロディメイカー、ソングライター、そしてシンガーの天才的能力がここに結実している。
前二作にあったような、歯切れが悪く抽象的な詞はほとんどなく、社会の一場面をくっきりと切り出して、最高の切れ味を持つ言葉で表現してみせる。
そしてその社会に住む、一人のやせっぽちの青年の裸がある。
なにはなくとも、小山田さんが十九歳の頃に書いたという『ティーンズ』である。
「セカイ系」へのアンチテーゼとして見事に機能するこの曲を十代が書けるものでしょうか……いくら早稲田に現役合格する人とは言え、本当に本当に天才だと思います。
小山田さんの、性欲の薄そうなところがいいですね。
あと恋愛に過剰な意味を負わせないところも。
ブルーハーツとスピッツの間を往くような存在。
アンディモリは、日本から出てきた本物の……そして最後のロックンロールバンドだった。
小山田さんの肩の力の抜けたような楽曲も好きではあるのだけれど、それでも、ニヒルで皮肉を織り交ぜている歌ももっと聴きたいというのが本音。
最近出たEPでも、尖った曲は収録されていないし……。
おすすめ1 ジ・アロウズ/ガイダンス・フォー・ザ・ラヴァーズ
おすすめ2 ジョン・レノン/ジョンの魂
おすすめ3 小沢健二/刹那

25 くるり/図鑑(2000)

くるりのことを、「なんかいろんな楽器のアプローチをしたりしている、良い感じのしっとりした歌を作るバンド」くらいにしか思っていない若者よ、とにかくこれを聴け。
ズカーンと来るぜ。
サニーデイサービスや中村一義さんばりに、60~70年代のシンガーソングライターっぽい曲調をもつ1stから一転して、エモーショナルな演奏と音、そしてアバンギャルドな音楽実験が展開される。
この、エモいのに、音楽実験も聴けるというのは、くるりの活動において継続されていく。
それは岸田さんが交響楽を手がける作曲・編曲家にまで発展していったことを考えると、作品一つ一つが偉業の軌跡だ。
ここまで多様なジャンルに分派しながらも枯れない人って、他にいない。
くるりの、安定を求めないスタンスというのは他のミュージシャンにはあまり見られないものだろう。
くるりはこの後も、若者の生活を悲哀や苦悩をポップスの中に込める曲を多く作っていくが、ミニマル音楽のように音を少しずつ足して引いてを繰り返しながら、ある場面においてピークを迎えるという構成が多い。
その点、このアルバムのいくつかの曲では感情の爆発が見て取れる。
アルバムの冒頭はインストだが、曲の入りは前作に収録されているシングル曲『虹』のイントロが鳴る。
それがブツリと断絶されて、不穏なシンセの音がしばらく続いてから始まる、二曲目の『マーチ』……最高にカッコイイです。
1stで作った曲はすでに過去のものであり、自分たちはそこからさらに突き進んでいくことを表明する演出。
いかれてるでしょ。
制作当時、フロントマンの岸田さんはいろいろ苛立っていて、ベースの佐藤さんが考えてきたベースラインを全ボツにしたこともあったという。
後のくるりでも叫び声は使われているが、本作の収録曲ではマジでシャウトをしているように聴こえるのは、そんな尖った時期に制作されたものだからかもしれない。

24 ローザ・ルクセンブルグ/ローザ・ルクセンブルグⅡ(1988)

ロックンロールアルバムとしてこれ以上の完成度を誇るものが、世の中にはいくつあるだろうか。
『かかしの王様ボン』では天皇制への懐疑心を、『テレビ28』では人々がTVにかじりつくように暮らしていることとTVの在り方を、『まったくいかしたやつらだぜ』ではフライデーとフォーカス(ダブルF)を筆頭とするゲスな記者を(と同時に、マスメディアの権限が肥大化を続ける状況を)を告発。
どれも完璧な筆致で歌い上げている。
『さいあいあい』や『デリックさん物語』では、自分たちがアウトローもしくは落伍者であるこることを自覚し、その生きざまをマニフェストのように刻印する。
サイケデリックフォーク・アンセム的な『橋の下』は、大麻が世の中をクリーンにするというユートピアが歌われる、マリファナ・ソングの金字塔。
どんとさんは日本では数少ない、ヒッピーイズムの体現者だった。
前作ではポスト・パンクやニューウェーブ的なアプローチが多かったものの、本作では大文字のロックンロールを堂々とかき鳴らしている。
本当にうっとりします……サウンドプロダクションも完ぺき。
当時の日本社会は、苛立ちを抱えていた。
日本の社会が進んでいく方向が正しいのかと。
僕が産まれてきた頃にはおそらく、多くのものはすでに失われていて、それらが欠落した状態であることを知るすべもないまま育ってきていて、それが当たり前になってしまっている。
ように思う。

23  THA BLUE HARB/ STILLING STILL DREAMING(スティリング,スティル・ドリーミング)(1999)

ヒップホップ原理主義者が首謀するレジスタンスによる、東京(業界人)への宣戦布告。
完全自主制作、自らのレーベルからのリリース。
全曲全ラインが名曲。
誰も扱わなかったモチーフが、研ぎ澄まされた最小限の言葉で語られる。
どこまでもストイックで、力強い言葉の応酬。
打ち倒すべき標的を明確に持ち、ヒップホップを軽々しく薄めて商売道具にしようとする人々を脅かす。
個人的に、ポエトリーリーディング曲『孤憤』、札幌という地から起こすヒップホップ革命のマニフェスト的な『コースト・2・コースト・2』、過去との決別と奮起を叙情的に語る『あの夜だけが』が好きだ。
もちろん、それ以外もすべて超名曲。
未だに、ブルーハーブのようなグループは出てこない。
ヒップホップの外でのミュージシャンとの共演も多い。
啓発力の非常に強い、激烈なエナジー・ドリンクのような音楽なので、ヒップホップに興味のない人にも聴いてほしいところ。
名盤中の名盤。
ライブもぶっちぎりに面白いので、参加をおすすめしたい。

22  CERO/ My Lost City(マイ・ロスト・シティ)(2012)

セロで一番好きな作品、これですね……。
引用元などがまだ自分の知っているロックやポップスが多いので、親しみやすい。
けれど好きな理由はそこではなくて、アルバム全体が祝祭的な曲が多いところ。
『マウンテン・マウンテン』と『さん!』がぶっちぎりで好きなんです。
聴いていると涙が出そうになります。
歌詞はやっぱりほとんど意味が理解できないです。
歓喜の音楽。
そこに尽きますね。
レコーディング前にドラマーが脱退したというトピックがあるが、むしろそれが奏功して様々なリズムパターンが生まれるようになっている。
前作にあった、細野晴臣さんフォロワーな感じがあまり肌に合わなかったのだけど、セロ節って本作からが本領な気がする。
おすすめ1 ルー・リード/トランスフォーマー
おすすめ2 小沢健二/刹那

21 山下達郎/ SPACY (スペイシー)(1977)

日本のポップ史に残るド傑作。
ここ数年で山下達郎さんの再評価は進み切ったとは思うが、念のため強調して書いておく……ファンク・グルーヴ・R&Bの求道者として山下さんの右に出る者はいない。
一曲目『ラヴ・スペース』の冒頭を聴けばはっきりわかるはず。
山下達郎さんのレコーディングに駄作はないのだけど、この作品が突出して素晴らしい出来だと思う。
それは、本作のセルフライナーノーツにも「譜面を書き込んであったが、みんなほとんど言うことを聞いてくれずにフレーズをどんどん変えてしまう」と書かれていたが、有能なミュージシャン達のアイデアをどんどん取り入れていった結果なのだろう。
昭和のニュー・ミュージックは海外からも発掘作業が続いているが、山下さんのグルーヴはこれからもターンテーブルで回され続けるだろう。
ここから数作の間、山下達郎さんは野心的なグルーヴ創作を続けるが、アルバムとしての最高傑作を選ぶなら、これを挙げざるを得ない。
おすすめ1 ザ・グルーヴァーズ/
おすすめ2 シロップ16g/ディレイド
おすすめ3 マーヴィン・ゲイ/ワッツ・ゴーイング・オン

20 フィッシュマンズ(Fishmans)/ ORANGE(オレンジ)(1994)

音がめちゃくちゃヤバイ。
一曲目のインストトラックにおけるドラムとベースの音を聴いただけで昇天もの。
こんな音像、なかなかないよ。
この後フィッシュマンズの音はさらに発展を続けるが、エッジーなギターが全編を支配するこのアルバムはロックバンドとしての強靭なポテンシャルを証明する。
レコーディングエンジニアにも恵まれた素晴らしいバンド。
『感謝(驚)』の「なぐさめもなく やさしさもなく そっと過ぎてく季節を はしゃがないで見守ってた あの人に感謝込めて」
「正しくもない ウソつきじゃないよ そう全部 指切りしない 近道しないよ そう全部」
佐藤さんは本当に歌詞を書くのが上手いです。
ところで佐藤さんはインタビューで、「学生はだめだね。あいつら自分の生活に責任持ってないもん」とバッサリ斬っていたことがあって、責任という概念がこの人の中には強くあるのかもしれないなと思ったりした。
だからこういう歌詞になるのかなと。
小山田壮平さん、佐藤伸治さん、どんとさんの三人はフーテン系ロックンローラーとして近いものがあると思う。
小山田さんはフィッシュマンズ好きだったみたいだしね。
セロをフィッシュマンズに喩える人が多いのだけど、僕はそこにはいまいち乗れていなくて、それは佐藤さんが曲に乗せる「良い言葉」に感化される性質だからなのだろう。
もちろんセロの音楽的な冒険への野心は日本のポップ史に類例がないレベルなのです。

19 P-MODEL/ Perspective(パースペクティヴ)(1982)

前作の時点でサイコな歌詞は増えていたが、猟奇殺人犯の手記でも読んでいるかのような錯覚に陥る4th。
前作ではかろうじてユーモアが残っていたり、ポップな音使いがあったので面白がって聴くことができたが、英国のポスト・パンクに呼応するようにサウンドも凶暴化。
それでも録音においての実験精神は維持されていて、ロック史上でも類例のない空間設計がなされている。
ドラムの音は様々な場所で、マイクとの位置を調整(階段の一階にマイクを、二階にドラムを置いて録ったりもしたとか)したという話があるので、それも納得の音。
しかしベースとギターの音も良いので、そこはどんな工夫が凝らされているのか不明です……。
主要メンバーの脱退によって平沢先生にかかる負担が増し、大いに疲弊していた模様で、病んだ歌詞が多い。
「愛なんぞじゃありゃしない まして正義なんぞじゃありゃしない」
「うそなんかじゃありゃしない ましてほんとうなんかじゃありゃしない」
なんて、歌謡曲の世界観を真っ向から否定するかのように吐き捨てる。
そんな状態でも音の仕上がりは非常にユニークなので、やっぱりミュージシャンが天職だと思わされる。
ちなみに、現在入手できる音源はどれも、同じ曲が二曲ずつ収録されているが、これは発売当初にレコードとカセットで別音源が使われていたものを併録しているからである。
アレンジやミックス、歌のメロディが異なるものがあるので、どちらも必聴。
おすすめ1 ギャング・オブ・フォー/エンターテインメント
おすすめ2 シロップ16g/ディレイド
おすすめ3 フランツ・フェルディナンド/トゥナイト

18 KOHH/MONOCHROME(モノクローム)(2014)

ヤリチン・トリックスターのペルソナを剥ぎ取り、どろりとしたネガティヴィティを発露させたカウンターパンチ。
そもそも12年に最初のミックステープをリリースして以降、その端正な容姿とカリスマ的なラップスタイル、斬新すぎるリリックで人気を博していたKOHHが、満を持してリリースしたフルアルバムである。
すでに二枚リリースしていたミクステと客演では、簡単な単語を用いて、女の子と遊ぶことばかりをラップしていた彼は、同じ路線で『梔子』の制作を開始していた。
しかし「このままだと女の子ネタばっかりのラッパーでイメージが定着する」と考えて、アルバムの制作を中止。
ミクステ発表以降の自分を取り巻く環境への反発や、人間関係への「本音」も含めたネガティヴな部分も吐き出して完成させたのが本作である。(『梔子』はその後、1stアルバムとして発表された)
こういう「魅せ方」「自分を主人公にしたストーリーテリング」の上手さでは、KOHHの右に出るミュージシャンはいない。
アルバム冒頭から「結局見た目より中身」「すぐにバレる」と歌う『Fuck Swag』、嫌いなものをぶっちゃけまくる『ぶっちゃけ』、「嘘つきクソ」というシンプルなメッセージを繰り返す『嘘つき』など、強烈かつストレートなアンチテーゼ的なメッセージが続く。
しかしKOHHの根底にあるのは肯定的なメッセージであり、それは中盤の『貧乏なんて気にしない』『I’m Dreamin’』で頂点に達する。
「貧乏なんて気にしない」というコーラスを持つアンセムを作ってしまったことは偉大な功績。
貧乏でも、助け合いながら生きていく……これはくしくも、宮台真司さんのような社会学者がこれからの社会について提唱している内容とも合致。
そんなアルバムの最後を『LOVE』で飾るところからも、KOHHのミュージシャンとしての勘の鋭さを物語る。
やっぱり天才中の天才です。

17 小沢健二/刹那(2003)

喪失についての歌曲集。
流星ビバップが最高だ。
他のトラックも、一つ一つが凄まじいのだが、小沢健二さんの曲の中でぶっちぎりのベストがこの曲。
ぶっちぎりである。
この曲は太鼓の音が使われていない。
代わりに荒々しく、ぶっ叩いているかのようなピアノがビートを刻む。
このトラックの時点ですでにJポップ史上最高峰であることは誰もが確信するわけだが、そこに乗る歌詞と、小沢さんの歌唱もすさまじい。
小沢さんの曲は、実際に歌おうとすると息つく間もないくらいに、ずっと歌い続けていることがあって大変だったりするが、この曲などその最たるもの。
一曲で喪失と再生を描き切っている。
「真夏の果実をもぎとるように 僕らは何度もキスをした やがて種を吐き出すような 固い固い心のカタマリ」と、子孫繁栄をもくてきとしない性愛についての鋭すぎるラインなど、小沢さんにしか書けない。
しかもそれと同時に、自分の敬愛するミュージシャンの引用をし、『愛し愛されて生きるのさ』でも引用された自分たちの世代が強く胸打たれたTVドラマとも繋げてみせる。
この冴えぶりは尋常ではない。
『ライフ』では、明るくポップに仕上げることに注力していた様子だが、本作では陰りや憂いのあるモチーフを、つくろわずに歌う場面も多い。
映画・音楽ジャーナリストの宇野維正さんの著書『小沢健二の帰還』に詳しいが、本作はライフと表裏一体の作品という位置づけのようだ。
僕としては流星ビバップという必殺トラックを、もっといろんな人に聴いてもらいたい。
何回聴いても涙があふれる曲です。
消費し、消費されていきるのさ。
『恋しくて』が収録されていたら、アルバムとしての軍配もこちらに上げたくなる。
「永すぎる春と知りながら 僕らは何度も会い酒を飲んで」
「お互いのことを知りすぎたけれど 嫌じゃないよ 今そう思う」
モラトリアムの全ては、この人が語りきってしまっている。

16 桑田佳祐/孤独の太陽(1994)

アルバムとしては桑田さん史上最高傑作。
詳しくはアルバム紹介のエントリも書いたのでそちらを読んでほしい。
アルバム制作にあたって桑田さんが「(サザンで)いつまでも百貨店をやってるわけにもいかない」と語った通り、基本はフォークやブルーズの弾き語りや、シンプルなロックバンド構成で録音に臨んでいる。
社会的なメッセージもサザンより強く打ち出されており、あちらの活動に対して薄さを感じている人にもおすすめしたいアルバム。
また、制作中に自身の実母が亡くなったこともあってか、喪失のムードも色濃い。
キラーフレーズが機関銃のように連発される。
やはりソングライターとしては、日本の音楽シーンで比肩する者のいない存在である。
(暗に、アレンジャーとしては、面白くない時もあるよね……と言っています)
17年リリースの『がらくた』も、一枚のアルバムとして高い完成度に達している。
考えてみるとこの作品からは、「大きな物語の喪失」のムードは感じられない。
しかしこのアルバムを製作している時点で36~38歳の桑田さん。
このアルバムでは自分の幼少期や出自についての歌が多く、好転していきそうにはない現状を前にして、幼児退行に近い状態だったのかもしれない。
桑田さんが敬愛しているレノンも、オノヨーコさんに出て行かれた時期などは、アルバムジャケットに自分が子どもの頃に書いた水彩画を使ったりしていたものだ。
いわゆる「中年の危機」と「母の喪失」がメインの作品。
アルバム最終曲『ジャーニー』は、桑田さん史上でも出色の出来である。

15 andymori(アンディモリ)/andymori(2009)

アルバムの内容について、詳しいことはくいしんさんという友人のホームページに書きまくりました。
ぶっちぎりの大天才。
詞、曲、アレンジ、歌声、時代性、全てが完璧すぎる。
後に小山田さんが穏やかな境地に至るなんてこと想像できないほど、閉塞感と性急感に満ちた荒々しい演奏が聴ける。
天才が作ったアルバムなので、当然のことながら曲順と曲数も完ぺき。
それ以上言うことがないっすね……。
完璧という言葉も色あせるほどの完璧さ。
衝動と計算を両立させた、日本最後にして最強のロックンロールバンドのレコード。
ここで鳴らされる音は、エレキギターとベースとドラムと声のみ。
最高。
おすすめ1 スーパーグラス/アイ・シュド・ココ
おすすめ2 レイザーライト/アップ・オールナイト
おすすめ3 ザ・ヴュー/

14 岡村靖幸/早熟(1990)

ベリー・ピンク乳首・イズ・ヒア。
デビューアルバムから3rdまでの曲をまとめたベストアルバム。
「パブリック・イメージの中の岡村靖幸」像をわかりやすく体現する『ピーチ・タイム』、童貞青年のひと夏の恋愛悲喜交々譚『ドッグ・デイズ』などオリジナルアルバム未収録曲が聴ける。
『シャイニング』も、岡村さんのマッド・ビート・プロフェッサー的な側面がよくわかる仕上がりだ。
この時期の岡村さんが、もっと、狂ったビートのポップスを作り続けてくれていたら、音楽史は違った形になっているかもしれないと、しょっちゅう思う。
岡村靖幸さんのことは好きすぎてちょっと語りつくせないです……。
以下のページに、早熟について解説したものがあるので参照されたし。

https://quishin.com/35/

『ハレンチ』『真夜中のサイクリング』という超激烈大名曲が収録されているため『OH! ベスト!』を挙げようかと思ったが、僕がそのアルバムを持っていないので挙げられませんでした。
『エチケット』の両アルバムもすごくいいのだけど、あのアルバムにはライブでは披露されている『ステップアップ』と『ハレンチ』のリアレンジバージョンが入っていないので、悔しくてランクインさせていません。
イケズですね、岡村さん。

13 平沢進/ヴァーチュアル・ラビット(1991)

平沢先生は「映画のエンディングテーマのようだと言われることがある」と、自分の曲について語ったことがあるが、このアルバムに収録されている曲などはその最たるものではないか。
アルバム冒頭に、ぶっちぎりの曲を寄せすぎている気はするが、『嵐の海』からの『バンディリア旅行団』の流れは、何度聴いても鳥肌が立つ。
後者は実際に、平沢先生が劇伴を手がけたデトネイター・オーガンというビデオアニメーションでも使われた曲だ。
そちらで使われているバージョンと、ここに収められたものは曲の構成が大きく異なるが、平沢先生の曲の中でも感動的で壮大な曲はこれだろう。
歌詞もほんとにいいんですよね……「思い出せば 君に触れるよ 今も 遥か ここに」。
SF的な世界観ではあるが、君は今ここにいるけど、いないという話なのだろうか。
表題曲のギターなど、誰が聴いても度肝を抜かすに違いない。
すごくうろ覚えだが、平沢先生のこの時期のファンクラブ限定の映像化なにかで、「人と一緒に音楽を作りたいと思った」といったことを語っていた。
人と一緒に音楽を鳴らすことへの歓喜があったのではないかと思う。
そのうち平沢先生は、一人で曲を作る時でも、自分が過去に作った曲のフレーズを持ってきて、そこに新たなフレーズを組み合わせようと考えることで新たなものを生み出していくという手法と取るようになる。
そういうのも嫌いではないのだけど、この頃の、コントロール不能な衝動にかられたような曲も、もっと聴いてみたいなと思ったりもする。
(そう、僕は、作家の「衝動」を感じさせる音楽に強く惹かれる。錯覚かもしれないが)
ところでこのアルバム、「鷲」「月」「静かの海」「太陽」など、僕がぱっと思いつくだけでも月や月面着陸に関する言葉がタイトルに冠されているのだけど、そういうコンセプトアルバムなのでしょうか……。

12 奥田民生/股旅(1998)

メインストリームの外縁をつかず離れず周回し続けているイメージの奥田民生さんソロ作。
ロックンロールリズムの求道者としては世界でも類例を見ない高みに到達しつつあるが、衝動性や、言葉と音の合わせ方という点ではこのアルバムが最高ですね。
何かを伝えようという意志が、このアルバム以降は途絶えていく。
と書くと、僕は、わかりやすく言葉による感動を求めているのだろう。
『さすらい』って最強じゃないですか……?
カラオケで歌うのは主に編集盤に収録されているシングルバージョンだが、日本におけるロッカーを自称する輩が忘れ去ってしまったことを、奥田民生は一人で復元作業に勤しんでいる。
本当に孤独な闘いだと思うが、本人はきわめてマイペースに活動している。

11 大瀧詠一/ A LONG VACATION(ロングバケーション)(1981)

10年代に興隆したシティポップによって若いファンが激増した山下達郎さん。
その師匠筋にあたるポップマエストロが大瀧さんである。
こんなに美しい声を操る人はそうそういない。
そして歌がうまく、どんな歌でも表情豊かに歌いこなす、シンガーとしての才能もいかんなく発揮されている。
自身でコミック・ソングも多く作っており、プレスリーのものまねなんかも披露しているので、桑田圭祐さんと同じく、英米の歌手の歌マネをしまくっていた人なのではないだろうか。
本作でははっぴいえんど時代からの盟友である松本隆と組んだことで、圧倒的なポピュラリティと普遍性を獲得、死ぬほど売れた。
(大滝さん本人は否定するが)フィル・スペクターからの影響を隠さず、ガールズポップの中に英米のポップスからの引用を散りばめ尽くしたモザイク状のアート。
実際にこれを聴く前は、キムタク主演のドラマにタイトルを奪われたこともあってか、この世の春を謳歌するようなアルバムをイメージしていた。
しかし実際にはどこか満たされない歌が続く。
昭和という時代は、悲哀の方が広く親しまれていたのではないだろうか。
そういった時代の分岐点は、多分、バブル景気の頃なのだろう。
(音楽的には89年と90年に分水量があったように思う)
90年代は「浮かれすぎ」。
ポップスの桃源郷のような、並び立つもののない金字塔アルバム。
このアルバムがランクインしない日本のポップ・ロックのランキングなどありえないだろう。
スタジオにこもり、CM音楽や、趣味趣味音楽を膨大に作り、実験を繰り返したことでたどりついた「ベタ」。
金太郎あめのように、どこを切ってもフック。フック。フック。
どの曲をシングルカットしても、歌い継がれていくだろう。
途方もない傑作。
到達点。結実した。
どこを聴いても「天才の仕事」しかない、天才金太郎飴アルバム。

10 UVERworld(ウーバーワールド)/ PROGLUTION(プログリューション)(2008)

このアルバムはとにかく聴きまくった。
フジファブリックの航路にも似るが、失恋(喪失)をモチベーションにしていた人間が、離れていった相手に言葉を届けるために音楽を作り続けた軌跡の最終章である。
アデルの大ヒットアルバム『21』が、彼女が大きな失恋を経験した直後に作られたものだと言えば、なんとなく伝わるだろうか。
ボーカルにしてメインソングライターのタクヤ∞は、デビュー当時から、恋がかなわなかったり、昔の恋人を忘れられない歌ばかり歌っていた。
しかしこのアルバムは「いつだって愛に救われた事実を 人は忘れられないんだ」という彼の声から始まる。
それは『ごはんができたよ』のように、たとえ相手に恋心が戻らなくても、自分をリフトアップしてくれた存在であることは変わらないという事実に気付いたことから生まれるものだろう。
そしてこのバンドのすごいところは、自分の話を「人は」という主語にできてしまうところ。
日本のロック史上最後のスタジアム・ロックバンドが、頭一つ抜けることになった最初の一歩。
ボーカル以外の底力を見せつけるソロパートを繋いだインスト『expod-digital』から『神集め』までの五曲は、まるで一つの曲であるかのように見事な流れで編まれている。
思ったことがそのまま出ているような歌詞も魅力の一つ。
惜しむらくは、アルバム全体の曲が多すぎることだろう……あと三曲は削れるはず。
『シャカビーチ』とかすごく好きなんだけど、歌がチャラいので(そこが実生活の彼らに近いのだろうけど)、アルバムは「愛」をテーマに焦点を絞ってほしかった。
で、『endscape』で終わってくれていれば、ほんとに完璧。
このあと、迷子のような中途半端ぶりに困惑するしかないアルバムを一枚出したあと、
バンドは腹をくくったようにスタジアム・ロック仕様の大仰なバラードの量産体制に入り、アルバムとしての完成度を追及する流れは潰える。
また、本作である種吹っ切れたのか、うじうじした独りよがりのような曲の流れは途絶えて、かわりにブルーハーブのボスさんから影響されたと思しき強気でストイックなカリスマキャラをまとうようになる。
実際酷似したリリックも多い。
今のウーバーも一応聴くけど、すげーなと思うのは『ザ・ラスト』のアルバム辺りまでです。
あと、この当時 「なんでロッキングオンみたいな邦ロック誌はウーバーを載せねぇんだ!」と憤っていたのだけど、2012~13年ごろから、唐突にロック雑誌への露出が激増しはじめる。
お金の流れがわかりやすすぎる気はするが……。
おすすめ 正直、あんまり思いつかないです……笑。ルナシーとかミスタービッグとかが近いのだろうか。

9 マキシマム ザ ホルモン(maximum the hormone)/予襲復讐(2013)

常に「最新作が最高傑作」の突然変異的ミュータントバンド。
自分自身について歌いながら煙に巻くという、異形のリリックスキルが頂点に達している。
「エゴ 自由 ww(ワラワラ) 反吐臭 禍々 「Why don’t you…?」 我が儘
いつか売れて生産増やす計算(亮のニーズでニーズで)」
「ねっチョリナポリタン むさぼり ニタニタ 笑ったマリア「ガバス」がマネーや!」
こんな言葉が乗る音楽など、普通の人間には想像できないだろう。
しかも音楽面でも、彼らのこだわりはこれ以上ないレベルで表現されている。
バンド編成で再現可能な範囲内で、これだけ多彩なアレンジのパターンを作るというのは至難の業。
本作がこれまでの作品より秀でている点は、凝りに凝りまくった構成だろう。
曲調がガンガン変わっていきながらも、楽曲のクライマックスではとんでもない盛り上がりを用意している。
「うるさい音楽」と思われがちだが、音の差し引きが絶妙なので、楽器ごとのフックが絶対に被らない。
こんなに計算された音楽、他にないですよ。
亮君本人はバンドのテクニックの低さを嘆いてはいるが、それにしてもリズム面での挑戦も大きな成果を上げている。
いわばフェイク・プログレッシヴといえるような曲も多い。
フェイク・トゥールやフェイク・システム・オブ・ア・ダウンとしてはこれ以上ないような音楽を作り上げてしまったわけで……ホルモンはこのあと、いったいどこへ行くのだろう。
これ以上すごい音楽というものが、僕にはちょっと想像できない。

8 Syrup 16g(シロップ16g)/coup d’Etat(クーデター)(2002)

後の「鬱ロック」台頭を予見するバンド。
ザ・ピーズよりも深刻で、フィッシュマンズよりも具体的に日本社会が抱える闇を体現していた。
フィッシュマンズの場合は抽象的な詩を書き、音楽によってカタルシスを作るという非常に感動的な音楽を作り上げていたと思うが、シロップのこのアルバムはスッキリしないままどん底で終わってしまう。
ソングライターの五十嵐さんは、社会学者の宮台真司さんの言説や、社会と音楽の関連性も語る評論家の田中宗一郎さんの書く文章を読み漁っていたという。
そんな五十嵐さんがあるインタビューで答えるには、
「日本という国はあらゆる意味で終わっている」
「スタジオでむかつくバンドマンなんかがいると殴りかかっていた」
とのこと。
『バリで死す』では、二つの異なる歌を同時に流すという実験をしているが、離婚して自分を引き取らなかった母との思い出を歌ったりしている。
この後に流行る鬱ロックでは、トラウマ自慢合戦の様相を呈するが、五十嵐さんは自分の傷を隠しながら、同時に癒す方法を探していた。
良いミュージシャンって、やっぱり、自分のことを早々さらけ出そうとはしません。
その代わりに、直接言葉にしないままで表現する方法を模索する。
楽曲的にはニルヴァーナやパールジャムなどのグランジと、ポリスやキュアーなどのニューウェイヴやポストパンクを織り交ぜたもの。
ドゥルッティ・コラムをパロったようなインストも収録されている。
ウィキペディアによるとバービーボーイズにも影響を受けているらしい……たしかにあのバンドのギタープレイは目を見張るものがある。
このアルバムの後に、自分が否定していた「ありがちな幸せ」によって自分が満たされてしまうことを発見することになるので、一人の人間のドキュメントとして聴いても面白い。
ここまで自分に対して嫌悪や憎悪を向ける人というのもなかなか珍しい。
言葉のマシンガンを乱射しているようなアルバム。
この日本社会に生きる誰をも傷つけるし、誰よりも五十嵐さん自身が最もハートブレイクしていることが伺える。
その血反吐で描いた繊細なアート。

7 矢野顕子/ごはんができたよ(1980)

普遍性を帯びたレコードである。
ひとえに、「愛」に焦点を当てた歌詞と、慈愛に満ちた穏やかなムードがそう感じさせる。
愛と言っても、恋愛に限らず、友だちへの愛、親への愛、子どもへの愛……ひいては自分自身を愛するということなど、このアルバムで描かれるのは様々な形の愛だ。
一曲目の『ひとつだけ』は様々なミュージシャンにカバーされているのが、それはパートナーに向けているとも、自分の子どもに向けているともとれるような抽象性の獲得に成功しているからだ。
また、アルバムの中盤のハイライトに配されている『またあおね』は、このアルバムの中で最も恋愛の要素を強く感じさせる歌だ。
だがそれは恋愛関係において、高揚感のピークにある状態を描いたものではない。
二人は別々の道を歩むことを決めたあとの歌だ。
だが曲の主人公は、相手のことを「忘れない」と高らかに宣言する。
邪推になるが……矢野さんは19歳で、矢野誠さんという音楽プロデューサーと結婚し、男の子をもうけている。
そしてその後矢野誠さんと離婚、すぐに坂本龍一さんと再婚したという経緯がある。
このアルバムが作られたのは、坂本さんと子どもを出産した直後。(その時に誕生したのが美雨さんである)
そんな背景を知っていると、この歌は、どうにも、矢野誠さんとの離婚劇がバックボーンにあるのではないかと思ってしまう。
そうだとすると、その離婚劇について、傍から見ていると、どう聞いても泥沼の修羅場しか想像できない。
なのに、曲の主人公は、かつてのパートナーのことを忘れないことを誓う。
そのうえ感謝までする。
恋愛関係が終焉し、離別することを選んだ相手に対して感謝をするという考えを、当時の自分は持っていなかったので、えらく衝撃を受けた記憶がある。(そう考えると、二十代前半の僕ってめちゃくちゃ馬鹿だったんだな)
そんな風に矢野さんは今作で、誰よりも深い形の愛を描こうとしている。
それは矢野顕子さんがクリスチャンであることとも無縁ではないはず。
最終曲『You’re The One』はおそらく、赤ちゃんをだっこしている母親の歌だ。
輪郭のぼやけたビートは、抱いている相手の心音を模しているはず。
「あなたの名前が好き」という歌詞があるが、それは、このアルバムの制作開始前に誕生した長女の坂本美雨さんのことだろう。
この名前は、当時の伴侶であるの坂本龍一さんが「ミュータント」を由来にして名付けたものだという。
正直、「生まれてくる娘の名前は美雨にしよう。由来はミュータントだよ」と言われた時の心中など全く想像できないが、矢野さんは美雨さんをだっこしながら「あなたの名前が好き」と思えたのだろう。
素敵なエピソード過ぎて羨ましい限り。
また、このように、アルバムの一曲目と最終曲を同じタイトルにしている辺りも、矢野さんが本作を一つのレコードとして完成させることを強く意識していたことがわかる。
ほとんどすっぴんでの満面の笑みをアップで収めたジャケットが全てを表している。
あらゆることをひっくるめて、自然と笑顔が溢れてきていたのだ。
日本の女性アーティストが作ったアルバムの中で最もすさまじい一枚。
この時期の矢野さんはYMOを従えており、『ごはんができたよ』という曲では細野さんのベースが様々な音色を響かせる。
YMOの、ポップスのアレンジャーとしての最良の仕事はこのアルバムで間違いない。
傑作中の傑作。

6 フィッシュマンズ(Fishmans)/空中キャンプ(1996)

エレクトリック・トリップ・エクスペリエンスな『オレンジ』から一転し、角が取れてつるりとした極上のグルーヴを聴かせる一枚。
何はなくとも、フィッシュマンズの最高傑作はこれ。
ドラムとベースの音だけでも一生聴けるダブのマスターピースに違いないのだが、佐藤さんの優しい声とギターのうねりも脂がのりきっている。
当然、サウンドプロダクションも最高。
『ずっと前』のイントロを聴いただけでも、最高のアルバムに仕上がっていることが確信できる。
このアルバムはいつまでも聴かれ続けるに違いない。
それにしても、90年代はまだドラッギーな香りが嗅ぎ取れる音楽も普通に存在していたんですね。
全てが名曲なのはもちろんなのだけど、『ナイトクルージング』以降の、深く重く沈んでいく展開は、寂しすぎて泣きそうになる。
心細い。
「意味なんかないね 意味なんかない 今にも僕は 泣きそうだよ」
虚無感と、音楽による高揚とに、音と歌で迫ってみせる。
90年代に青年時代を過ごしていたミュージシャンは、とてもつらそうですね……。
このアルバムを最後まで聴くと、めちゃくちゃバッドトリップに陥る。
バンドの行く末を表すようで、怖い。
そのせいで、なかなかアルバム丸ごとを聴き返すことができずにいる。

5 THA BLUE HARB(ブルー・ハーブ)/ Sell Our Soul(セル・アワー・ソウル)(2002)

リスナーとの対話を試みるレコードである。
1stアルバムを発表後、どん底から一躍シーンのど真ん中に躍り出るというヒップホップドリームを叶えた彼ら自身のストーリーそのまま綴られており、聴きごたえがある。
どうにもブルー・ハーブの楽曲というのは、晴れ晴れとした青空の下というよりも、分厚い雲が太陽を遮っているような空気がある。
あるいは、このレコードのように、真夜中に一人で観賞するのに向く音楽だ。
フィルムノワールの筋書きとして秀逸な『路上』のあと、ハッパのケムリが充満するスタジオで録ったに違いない『S.S.B』以降、ボスさんのリリックはどんどん内省的・個人的になり、ラップはポエトリーリーディングの趣を増してくる。
それにつられるように、ビートもどんどん重く、キックは少なくなっていく。
「魂を売る」のタイトルに偽りがない、語りかけてくる展開が訪れる。
僕は、こんなにも直接的な言葉を用いて、人間の心に深く潜って来ようと試みてくる音楽を他に知らない。
「詩人の名言集とあるライターは名付けた」というリリックもあるが、このアルバムに詰まっているすべての言葉は、名言だ。
ボスさん自身も「舌の上に百科事典を隠し持つ男」とラップしたことがあるが、一人の男からこれだけの密度の言葉が、文脈を寸分も逸れずに発し続ることが信じがたい。
ここで『座頭市』の引用があり、また、後のソロアルバムではコーエン兄弟『ミラーズ・クロッシング』からの引用があるように、ボスさんは仁侠映画とマフィア映画からの影響が強いのだろう。
ヒップホップは「啓発力」の高さが重要視される傾向があるが、ブルー・ハーブはその最たるものではないだろうか。
ブルー・ハーブはシングルに収録した曲はアルバムには入れないことで有名だが、このアルバムをリリースする前に出した『フロント・アクト・CD』も必聴。
彼らは今のところサブスクリプションには曲を上げていない。
入手しづらい曲もあるだろうが、今の時代にもフィジカルにお金を払う価値は十二分にある。

4 七尾旅人/ヘヴンリィ・パンク ~アダージョ~(2002)

デビューアルバムから3年の歳月を経て完成した二枚組の巨編アルバム。
後のインタビューで、このアルバムは、制作当時一緒に住んでいた援交少女のために作ったアルバムなのだそう。
感情的も、音楽への探求心も、自身でコントロールできないことを自覚していたようで、かなり取っ散らかっている。
基調となるのはエレクトロやダンスミュージック的なプロダクションだが、そこへジャズや南米音楽など様々なジャンルからの影響が放り込まれる。
だが、小難しく考える必要はない。
全ての音が快楽的であり、くぐもったビートが優しく包み込むように鳴る。
盟友の国府達也さんが参加し、シューゲイジングなギターを鳴らす『耳うちせずにいられないことが』。
七尾さんはあんまり歌の中で叫ぶことはないが、『これは花びらかな、そうじゃないかも。』の歌声では声を枯らさんばかりに歌っている。
キースムーンのような高速ドラム『ハーシーズ・ムーンシャイン』でも「僕に何かできることありますか あの子のためで」と歌ってて、このアルバムには慈愛に満ちた言葉がおても多くて、聴いているとどうかしてしまいそうになる。
マッシヴ・アタックの『ティアドロップ』に、聖歌風のアレンジを加えた『天使が降りたつまえに』なども最高の曲。
アコギ弾き語り曲『ヒタ・リーを聴きながら』も「なにひとつ うまくできなくて ごめんね ごめんね ごめんね ごめんね ごめんね いっぱい考えたんだけど」ですよ。嗚呼……。
ボサノヴァの巨匠、ジョアン・ジルベルトにも心酔していた時期だったということで、優しいギタープレイが聴ける。
石野卓球さん参加の、モロ・ゲイ・ディスコの『ラストシーン』も収録。
そしてアルバムが幕引きへと向かう、ディスク2の15曲目『完璧な朝』からの流れは本当に完璧。
全35曲もあるので、どうしても取っ散らかった印象は否めないが、終わり良ければ総て良し、である。
僕が人生で一番死にたかった18歳~21歳頃は、このアルバムを聴きまくった。
そんな風に、一つのアルバムばかりを繰り返し聴くことで、自分と向き合うような時期は、きっと誰にでもあるんじゃないかと思う。
このアルバムの優しい音の海は、僕にとって繭のような、母胎のようなものだったのだと思う。
そんな聴き方をしていたのは、七尾さんが一人の相手に向けて慈愛の限りを尽くして作ったアルバムだったからこそできたことなのだと思う。
名作中の名作。
蛇足だが、シングル盤『ナイト・オブ・ザ・ヘディング・ヘッド』収録の『振動の国』は、七尾さんのシューゲイザー解釈としてはトップレベルのバンドアレンジ曲なので、必聴です。最高……。
(追記:田中宗一郎さんのポッドキャストにおいて、このアルバムの登場人物はほとんどスヌーザー編集部の編集者であることが語られていましたね。『大きなベイベ』は、田中さんが七尾さんの部屋で語り明かした夜のことなのだとか……)
おすすめ1 ジョアン・ジルベルト/3月の水
おすすめ2 コリン・ブランストーン/一年間

3 小沢健二/LIFE(ライフ)(1994)

繰り返し聴いているけど、全然飽きない。
わかりやすい言葉で、聞き取りやすい発音で、人生の真理を明かそうとする。
そう、非東大卒の僕でも感動できるくらいにわかりやすい。
歌の内容はほぼ1stと変わりはないのだが、暗い内容も明るくポップに歌われる。
歌声も、メディアから王子様扱いされるのも納得なかわいらしさ。
本作の制作前後の本人の発言として、
「言いたいことを一曲の中で全部言おうと思う。曲が長くなるけど、それでもいい」
というものがある。
実際に長い曲は多いのだけど、でも確かに全然関係ないですね。
悲しみや苦しみを潜り抜けて、そこからとても明るい光が差し込んできたことを歓喜するようなアルバム。
楽曲はモータウンをはじめ、様々な黒人ミュージシャンからの盗用がメイン。
ポール・サイモンからもフレーズを盗んできているが、それもアフリカのミュージシャン達と共作されたものだ。
このサンプリングの意図はわからないが、それにしてもこんなポップな曲になってしまうのだから、アイデアがオリジナルか否かなど問題ではないだろう。
小沢さんの父親が、昔話研究家の小澤俊夫さんであることは有名な話。
小沢さんの曲において、楽曲の中で展開するストーリー構成が秀でているのは、俊夫さんからの影響もあるのではないかと思っています。
物語には(というか、あらゆる事柄には)人の心が受け止めやすい情報配列の順序がある。
小沢さんの歌の、言葉の並べ方には、そういった非との心に届きやすい構成力を感じる。
自分の人生にとって非常に大事な言葉と知見が詰まったアルバムです……。
この言葉の精度って、やはり尋常ではないです。
バブルの残滓に酔いどれている社会の、ど真ん中に突っ込んでいった男の記録。
音楽に限らず様々な分野に、多くのフォロワーを生み出した。

2 岡村靖幸/家庭教師(1990)

ドスケベナルシスト童貞ファンク歌謡のゴッドファーザーによる、すべての童貞が一度は聴くべきレコード。
童貞なのにこのレコードを聴いたことがないというあなた、それって童貞の資格ありませんよ?
あるいは、あらゆる「ここ半年ぐらいセックスしていない」二十代から三十代の男女に捧げる、「あなたのためのラブソング」集。
一度そのタイトルを目にした者の心から決して離れることのない、世紀の名曲『あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう』収録。
このアルバムのことも、こちらのサイトに書いています。

鳴っている全ての音がとてつもない面白さである。
いつ聴いても、斬新すぎるサウンドにはぶっ飛ばされる。
一曲目の『どぉなっちゃってんだよ』から、強烈なファンクサウンドを鳴らす。
異形のバラッド『カルアミルク』、いつでも女にはひれ伏してしまう無様さを実験的かつ軽快なビートで歌う『(E)na』、めくるめく淫行チューン『家庭教師』……どれをとっても完璧である。
というか、こんなに凄まじい音楽が存在することなど予想できる人間はいないので、完璧という言葉すら当てはまらない。
岡村さんが連載していた対談において、「岡村さんは黒人をリスペクトしようとしつつも、超えようとしている」という話が出ていたが、まさにそうで、この人はブラックミュージックからの影響を全く隠そうとしない。
それでいて、ブラックミュージックを越えた表現を志しつつ、歌謡曲との最良の融合形を模索していた。
その完成形が、これ。
「寂しくて 悲しくて つらいことばかりならば あきらめてかまわない 大事なことはそんなんじゃない」
こんなに優しくて美しくて力強い音楽、他にないぜ。
切ない残り香を漂わせるソウル『ペンション』でレコードは終わる。
とにかくこれを聴け。
岡村靖幸を聴いたことがないクセして日本のポップスを語っている奴がいたとしたら、そいつの口の中に家庭教師をぶち込んでやるべきだ。
そのためにも、このアルバムを二三枚常備しておくことをおすすめする。
それだけの価値があることは保証しよう。
一人のアーティストが、自分の思っていることを全て表現してくれることがある。
自分が感じていたことにも気づかずにいた感覚を、言葉や音にして教えてくれることがある。
このレコードがリリースされてから30年近い年月が経過していて、当時と今では時代は違う。
しかし、ポストモダンという大きな時代の枠でくくった時に、モラトリアムや、社会のシステムへの違和感を持つ心といったモチーフは似たものがあるのだ。
そんな我々の心の奥に、大人ぶって封じてしまった感情を揺すぶり起こす音がここにはある。
おそらく最初のうちは、この衝撃的なサウンドに意識を奪われて、歌の内容は頭に入ってこないだろう。
いくつかのトラックの、あけすけにエッチなさまに大いに笑わされるだろう。
だが、ふとした時に、岡村さんの熱量高い歌を思い出す時があるに違いない。
このレコードは、あなたの中の「青春」をねっちょりとかき回す。

1 andymori/ファンファーレと熱狂(2010)

出現した時代性が完璧だった。
大卒バンドマンばかりで、しかも抽象的かつ稚拙な自己分析・関係性の描写・視野の狭すぎる社会批判に終始する鬱ロック的なバンドが跋扈していた当時、僕は日本のロックに辟易していた。
そんな時に出会ったアンディモリには、僕がロックンロールに望むすべてがあった。
破壊衝動をそのまま楽器に叩きつけているかのようなアグレッシヴな演奏、喉が裂けることを厭わないようなシャウト、ネガティヴな表現を避けず、それでいて必要以上に乱暴な態度にも陥らないモチーフのチョイス、口ずさむといつでも最高の気分になれるメロディ……。
作詞のセンスなんて、十年に一人出るか出ないかというレベルの天才ぶり。
特にキース・ムーンに喩えられることもある後藤さんのドラミングが、とにかくカッコよかった。
そして小山田さんの中世的な美しい顔立ちと、性的なことを歌わないところも素敵。
(僕自身が性欲強いほうであることや、ラッドとか銀杏が仮想敵だったので彼らのような下ネタを丸出しにするスタンスが嫌いだったのです)
楽曲については、くいしんさんのサイトで書いたレビューを読んでほしいです。
一曲で自分たちの世代を歌いきってしまう『1984』、完璧なロックンロール『CITY LIGHTS』、東京の少女を歌いきるフォークソング『16』など、収録曲の大半はソングライターに筆を折らせるような天才的な仕事ばかりでほれぼれする。
特に凄まじいのはアルバムのハイライト『SAWASDEECLAP YOUR HANDS』。
笑い、泣きながらも踊らされてしまう最高の曲。
涙でぐしゃぐしゃになりながらも、頬が緩んでしまうような感覚。
これは全ての生を祝福するレコードだ。
どんな青年にも、こんな風に、守護神のようなレコードがあればいいと思う。
僕にとっての守護神は岡村さん、平沢先生、七尾旅人さん、五十嵐隆さん、そして小山田壮平さん。
そんな中でこのレコードにひときわ大きな愛着があるのは、僕が十代を過ごしたのはこんな時代だったんだ……そんな風に思える言葉が敷き詰められているからだ。
集合知や集合的無意識というのは本当にある。
それはスピリチュアルな話ではなく、同じ時代に生きている限り、その時代に起こった出来事を共通の経験として持つことになる。
同じ出来事から刺激を受け、思いを巡らせている限り、考えることは必然的に近くなるものだろう。
ミュージシャンに限らず、優れたクリエイターというのは、そのように「みんなが感じているであろうこと」を探り当てる能力に秀でているということ。
そして天才は、「みんなが感じていること」のさらに先をの道しるべを描いてみせる。
自分のことを知らない人が作った言葉なのに、自分のことをズバリと言い当てられてしまったように思える……そんな経験は誰にでもあるはず。
僕にとってアンディモリは、僕はずっと思っていたけど、日本の作家たちが言わなかったことを(鳴らさなかった音を)、これ以上ないという形で表現してくれた。
このアルバムでは、SFという形式を使って、僕が想像したことすらない音と言葉を叩きつけてきた。
最高っす。

 - 私的ベスト150, 音楽

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