私的ベストアルバム邦楽編 60-31
90番から61番はこちら
60 PUFFY(パフィー)/THE VERY BEST OF PUFFY(ベリー・ベスト・オブ・パフィー)(2000)
初期のベストアルバム。
オリジナルアルバムの『JET CD』でもよかったのだけど、『アジアの純真』が収録されていないので、こちらのアルバムを選出した。
ビートルズとエレクトリック・ライト・オーケストラからの引用の嵐。
日本が誇るニヒリストでありシュールレアリストの井上陽水の力も借りつつ、世界のどこにも存在しなかったガールズ・ポップを打ち出した。
これ以降もパフィーの仕事は面白いものがあるのはわかるのだけど、ここに収められている初期の作品が燦然と輝きすぎているので、パフィーを聴く時はこの時期のものばかり聴いてしまう。
で、このアルバムを聴く時も、すごく好きな曲ばかり聴いてしまいます。
具体的に言うと1曲目から6曲目……『これが私の生きる道』『渚にまつわるエトセトラ』『アジアの純真』『サーキットの娘』『海へと』『愛のしるし』です。
中でも好きなのが『アジアの純真』で、サビの辺りの宇宙を浮遊しているかのような不思議な感覚は、ELOを聴いていても味わえないものがある。
『海へと』が収録されている点も○。
それにしても奥田民生や井上陽水は、女心をわかっているとは言わないまでも、女がどのように見られているのかをよく理解して詞を書いているように思う。
59 Syrup 16g(シロップ16g)/ HELL−SEE(ヘルシー)(2003)
鬱ロックの帝王による、15曲入り1500円のフルアルバム。
制作費を抑えるためにレコード会社の倉庫で録音された。
メジャーデビュー作『クーデター』はリスナーからも批評家からも(日本には批評家って呼べる人はほとんどいないけど)絶賛され、それから半年もたたずにリリースされた既存曲の新録音集『ディレイド』も『リボーン』でカルト的な熱狂を生んでいた。
本作ではイギリスのパンク~ニューウェーブ期に活躍したポリスから多数のアイデアを引用しており、五十嵐さんは彼らの最終作に感じる「行くところまで行きついてしまった感じ」に影響を受けたと語る。
五十嵐さんは遅咲きでデビューした自分たちのことを「ディレイド≒遅れてくる」と揶揄するが、90年代半ばからのロックシーンに渦巻いていた「出口のない感覚」を明瞭かつ鋭利に言語化したソングライターだった。
『不眠症』『月になって』『ex.人間』など、どこか五十嵐さんの実生活を直接的に感じさせる歌も増えているが、それにしても歌とメロディを作るセンスはずば抜けている。
『吐く血』などは、00年代の下北系インディーロック好きを記録した歌曲として面白い。
アルバムの中で最もダークな歌なのに、イントロから陽性なギターが鳴り、歌声も跳ねるようで明るい。
なのに、サビに入ると、歌声が一気にドーンと低音になる……という意地悪さ満点の構造。
アルバムとしてのよくまとまっている辺り、五十嵐さんはポップミュージックをアルバム単位で聴いてきたリスナーだということも伝わってくる。
58 キセル/窓に地球(2004)
日本最強のチルミュージックだと思う。
キセルを聴くと、いつかどこかで見たことのあるような風景が浮かび上がってくる。
夜に見る夢というより、白昼夢のような世界観・音像である。
どこか整合性が取れていないところも不思議。
そして彼らにしか作り出せない、幻想的な世界が広がっている。
音が不思議ならメロディも地に足がついていないし、歌詞も歌声もどうしてこう成るのか全くわからない。
それなのに完全に、一つの音楽として強固な響きを持っている。
しかも『エノラ』のような反戦(反核)の曲もある。
やはり、一見しても意味がわからないものであっても、人を惹きつけるような作品というのは、アーティストの思想的なバックボーンが実は通っている場合が多い。
キセルはその好例だと思う。
57 平沢進/ Sim City(シム・シティ)(1995)
平沢先生、齢40を迎えての大傑作。
前作の『オーロラ』が、僕にはどこかシンセを前面に出した楽曲制作における習作のようなポジションに思えてならないのだが、本作では完全に全盛期が蘇っている。
というか、生まれ変わっている。
アルバムジャケットにも採用されているが、タイのニューハーフ達と接触を持ったことが大きな要因となったとのこと。
なんでも、彼女たちの在り方(「美しく、親切であり、その衝撃的な存在感で平沢を魅了」と本人のコメントあり)に大きな感銘を受けたのだと言い、アルバム全体が神秘的なムードを湛えている。
冒頭の『アーキタイプ・エンジン』など、音の数が少ないというのに、なんという神々しさだろう。
『ロータス』『キャラバン』のような、多幸感に満ちた祝祭的な曲も素敵。
特に『キングダム』は『スイッチト・オン・ロータス』でもカバーされており、そのバージョンをいたく気に入った今敏さんが妄想代理人の重要なシーンで使ったりしていた。
妄想代理人、知っている人が少ないけれど、今敏さんの作品の中でも一番好きです。
平沢先生が全編BGMを手がけたTV番組って珍しいし、是非見てほしいです。
「変わらない人を訪ね 道にまようよりも」という歌詞があるが、平沢先生は、遠く会えないところにいる誰かを想う歌が多い。
なんとなく、それは、Pモデルが瓦解してメンバーが離れていってしまったことも影響しているのかなと思う。
平沢先生が「MTF(Male to Female)のカトゥーイ(性同一性障害)」という言葉で表す彼女たちからの影響は、次作『セイレーン』にも色濃いが、強い生命力を感じるこちらを推したい。
56 KOHH/DRIT(ダート)(2015)
10年代最重要日本語ラッパー。
最初のミックステープを出した2012年から、2016年までに8枚もアルバムを出した。
そのうえ客演も多数こなし、ライブもまぁまぁの本数行うという化物じみたワーカホリックぶりだった。
ラップの内容は生活の中で思ったことを、喋り言葉のままで伝えるというもの。
同じネタを何度もラップしてしまう点はご愛敬。
この人の凄いところは、自分をストーリーとして見せていく構成が長けているところ。
この作品では「スターになった自分」の視点から歌い、ドレイクやジャスティン・ビーバーのようなセレブに自分を重ね合わせている。
そして『俺らの生活』では「金持ちじゃないけど贅沢してる俺らの生活」と、自分たちを客観視する鋭い視点も見せつける。
何はなくとも、KOHHのメロディセンスが遺憾なく発揮されたアンセム『ダート・ボーイズ』収録。
ボォ↑ーイズ。
55 REI HARAKAMI(レイ・ハラカミ)/lust(ラスト)(2005)
ハラカミさんの作品はどのアルバムも最高なのだけど、自分が初めて彼の音楽に触れたこのアルバムが最も思い入れが強い。
大学時代に手に入れたシンセを使い込んで制作を続けたという、かなり職人気質の強い京都の音楽家。
フィールドレコーディングの多用や、日常生活をそのまま音に置き換えるようなアイデアなどからは、コーネリアス以降の存在であることもうかがわせる。
シンセの音ばかりなのに温もりがあり、遊び心に満ちた珍奇なビートを量産した人だった。
キセルやくるりもそうだけど、京都にルーツを持つ音楽家が作る「なぜか懐かしい」感覚を持つ曲って不思議だ。
独特の音色は海外にも多くのファンを持つ、とても穏やかな音楽。
54 国府達也/ロック転生(2003)
タイトルからしてすごい。
国府さん自身が仏教系宗教を信仰していことも、関係しているだろう。
「転生」という概念は西洋宗教には存在しない。
それにしてもこの人のギタリストとしての才覚は、過小評価されすぎな気がする。
一曲目の『発シャク顕ポン』を聴いた時に、脳天を貫かれるような衝撃を受けた。
東洋的な音階、ギターのみのアンサンブル。
ビートは中盤に「ドン」と太鼓がなるのみ。
それにしても、この真っ白なサウンドスケープと、「開けていく」感は強烈だ。
二曲目以降の歌にしても、演歌的ともいえる、こぶしをきかせたのびやかな声。
「仏教ロック」とでも呼べる「発明」だと思う。
国府さんはロックブッダを名乗って活動を再開させているが、リズムセクションの実験を推し進めている。
一人プログレのような状態。
ちなみにソロ活動の音沙汰がなかった時も音楽制作は続けていたようで、サリュウに楽曲提供などを行っている。
(一時期本人のツイッタープロフィールには「サリュウのブレイン」と記載されていた)
この作品が出た03年前後は七尾旅人さんと親交が深かったようで、互いの楽曲に参加し合っている。
53 ユニコーン/ヒゲとボイン(1991)
曲として一番好きなのは『すばらしい日々』なのだけど、アルバム単位で見るとすでに枯れ始めているような気がするので、ひとつのアルバムとして優れているこちらを挙げる。
奥田民生さんがユニコーンを通して頻繁に取り上げていたテーマ「仕事を取るか女を取るか」は、表題曲においてさらに突き詰められた形で提示される。
ヴォコーダーボイスで「ヒゲとボイン 僕はボインの方が好きです はい」と歌われるが……そんなことを言いつつも、この直後のソロ作では20代の男とは思えないほどの父性を帯びるようになる。
いや、ボインの方が好きだと開き直っているからこそ、あの父性を帯びているのかもしれない。
『看護婦ロック』ではタイトル通りにロックンロール初期のアーティストをパロディしながら、ロックバンド然とした態度を茶化してみせたりもする。
ユニコーンの洒落のセンスは本当に、他のアーティスト達よりも頭一つ抜けている。
ユーモラスな方に傾きすぎるとシリアスなメッセージが伝わりにくかったりもするが、このアルバムでは、ユーモラスな姿勢のまま、笑わせながらも感じさせられるところがあり、ユニコーンっぽさは完成されている。
52 松田聖子/Seiko_Box(1985)
ひとえに、『制服』と『スウィート・メモリーズ』が大好きなのである。
この二曲が収録されていて、かつ、アルバム『風立ちぬ』からの収録も多いので、このアルバムをピックアップした。
ボックスセットなので、当然名曲多数。
作詞とプロデュースを務めていた松本隆さんは、「女性が開放的になってきたという風潮がある時代だったが、松田聖子に清純なイメージの曲をたくさん書いたけど、女性たちから支持を受けていた」というようなことを言っていた。
ジブリ作品も女性が神秘的に描かれることが多いけど、そこに憧れる女性もいれば、理想を押しつけられているようで嫌がる女性もいる。
それはおそらく、長渕剛っぽさに憧れる男もいれば、「男がむさくるしいってイメージを振りまかないでほしい」と思う男もいるという話だろう。
昭和のポップスは音楽的なクオリティが高い。
そんな中でも松田聖子さんの楽曲は群を抜いて素晴らしい。
松田聖子さんという希代の演出力と演技力を持つぶりっ子の歌が入ることで、アートフォームとして完成された。
それにしても、『制服』の主人公は、なぜ「でもこのままでいいの」などという決断をするのだ?
僕はこの曲がめちゃくちゃトラウマです。
松本隆さんは『木綿のハンカチーフ』でも、地方に残る女と東京へ出て行く男というモチーフを用いているが、そういうフェチなのか?
いや、そこは、お手紙を送って文通とか初めてくれよ……!
と聴くたびに思う。
百回ぐらい聞いているのだから、一回ぐらいはハッピーエンドになってほしいのだけど、未だにそうはならないので聴くたびに切なさに胸が締め付けられる。
作曲はユーミン、編曲は旦那の松任谷正隆さん。
「失う時眩しかった時を知るの」の「うし」のところが、音程が急に下がってるところが、この曲における「上がったと思ったら落とされる」というモチーフともつながってくる感じがして、とてもよい。
耳に残るフレーズの代表格。
51 エレファントカシマシ/浮世の夢(1989)
エレカシは名曲が多いし、未だに良い曲をたくさん作っていることは理解しているのだけど、アルバムとして一番好きなのはこれってことになってしまう。
『珍奇男』を中心に、ちょっと頭がおかしい青年の視線から、頭のおかしい語り口のままで歌われるので、非常にユーモラスである。
「俺も花見に入れてくれ」
いや、入りたいんかい! と思うのだけど、コミュニティを嫌悪しながらも惹かれてしまう感覚って、ありますよね。
アルバム全編が、そんな変な男の主観から語られる短編小説のようなまとまりがある。
エレカシは語りかける系(二人称や三人称)の名曲が多いと思うのだけど、このアルバムでは独白が多くて、そこが日本のロックではなかなか珍しいところ。
しかし、ベストアルバムであれば、もう一枚くらい挙げてもよかったような気がしてきます。
ほんとにいつまでもカッコイイバンドですね。
50 ゆるふわギャング/Mars Ice House(マーズ・アイス・ハウス)(2017)
田舎育ちのヤンキー青年と、品川育ちのシティガールが出会ってヒップホップグループになり、あっと言う間に世界中から注目を集める存在になってしまった。
「ゆるふわ」という、00年代から女性ファッション誌で定番的に使われ続けているワードに、「ギャング」というヒップホップ界隈で定番の枕詞を組み合わせるというグループ名のセンスが最高。
「ゆるふわ」という言葉を若干バカにしつつ、「ギャング」というヒップホップ界隈で多用されるワードを組み合わせることで、「ギャングタラップ」的な、強迫観念的にワル自慢を繰り返すハードコアなヒップホップ界隈との距離感も示してみせた。
10年代にあらわれたラッパーたちの特徴として、とにかく、深い意味やテクニカルな押韻、
ラッパーに求められがちなドープな体験の提示といったモノを破棄し、ただただ気持ちのいい音(韻)をラップし続けるというものがある。
めちゃめちゃくだんねーなって思うリリックも多いのだが、そんなことは関係がないのだ。
意味なんてなくても、音が気持ち良ければそれでいい。
そして時折こぼれ出してくる切なさや虚無感……抒情とはこんな風に表現されるべきだ。
ところで「トゥルー・ロマンス」「ボニーとクライド」など、映画や実在の犯罪者が歌詞に出てくるが……KOHHくんもそうなので、若いラッパーの人たちは意外と映画とかを観ているんですかね。
意外。
49 スピッツ/名前をつけてやる(1991)
何度も何度も聴いているけど、上手く言語化できずにいる。
音的には80年代のジーザス&メアリーチェインやマイブラからの影響を感じさせるシューゲイザー的な音だが、それにとどまらないサイケデリアをまとった分厚い音が鳴る。
草野さんは英国のバンドにちなみ「ライド歌謡」を自称していたが、まさにそんな音。
そんな風に、クリエイション・レコードのラインナップに入っていてもそん色のないような演奏に、すでに完成されている草野さんの日本語詞が乗ってくる。
そこへメンバーが愛好するパンクやハードロックも混ぜ込んでくる。
このアルバムのセールスが振るわなかったことを機に、スピッツは売れることを目指すようになる。
そのことで得たものもあれば失われたものもある。
言語化しにくいが、初期のスピッツには魔法のようなものがあったけど、それを感じなくなった気はする。
ところで、この前年に岡村さんが放った『家庭教師』は、それまでのエロエロ童貞の妄想っぽいにおいが払しょくされていて、やっと筆おろしをしてもらったのかな? という感じがする。
しかしそれは、自身の童貞性を恥じる精神……男たるもの男らしく、童貞は早いところ破ってもらうものである! という九州男児的なメンタリティの裏返しでもあったのだと思う。
そこにくるとスピッツは、「軟弱ですがなにか?」というスタンスがはじめから露わである。
94年にウィーザーがデビューしてくると爆発的に増殖する「泣き虫ロック」的なメンタリティを当たり前のように備え、自らを守る繭や要塞のように轟音をかき鳴らすバンドだった。ここまでは。
ちなみに草野さんからはあんまり童貞臭がしない。
48 WINO(ワイノー)/THE BEST OF WINO-Volume 1(ベスト・オブ・ワイノー – ヴォリューム1)(2003)
バンドの解散が決まってからリリースされたベスト盤。
ヴォリューム1と銘打たれてはいるが、再結成の話が出たことはない。
ヴォーカルをはじめ、全ての楽器からフックを雪崩のように繰り出すバンドであった。
ある種の「歌心」が備わっていれば、確実に天下を取ったバンドだと思う。
しかしそんなワイノーだが、『トゥモロー』では「解き放て 昨日の影 動き出した夜明けの街」「僕だけの明日を探そう それだけでいい」と、バブル崩壊を受け入れられない日本と、大きな物語が崩壊した世界を歩んでいこうとする意志を感じさせる歌を書いた。
やはり90年代は、大きな物語の消失が大きなテーマだったとあらためて痛感する。
そしてその消失を誰もが感じていて、共有していたのだろう。
ロックバンドとしては2ndのセルフタイトルアルバムで完成を見た感があるが、そこに続く3rdは、バンドがロールモデルとしていたであろうオアシスよろしく、大仰なアルバムを作ろうとしてまとまりを欠いた仕上がりに。
その後はオアシス的なサッカースタジアム・アンセムを志していくつかの佳曲をレコーディングし、『エヴァーラスト』を残して解散。
セルフタイトル曲は「終わりなき日常」を肯定的に歌った、非常に優れた出来。
しかしアニメ『ハンター×ハンター』のテーマ曲に採用された『太陽は夜も輝く』というバンド史上最大のアンセムは、暗く重たい3rdに収録されている。
そんなわけで、このベスト盤を挙げます。
大好きなバンド。
47 SKY-HI(スカイ・ハイ)/ JAPRISON(ジャプリズン)(2018)
この人の、政治や社会に対する明確に批判的な視線と、そこを楽曲に落とし込む感性ってめちゃくちゃすごい。
しかしそれはYouTubeのアカウントで発表される時に発揮されるのみで、アルバムとなるとアイドルの側面を魅せてバランスを取っていくところには、もう一歩ドープに寄ってほしい想いがあった。
それは本人にとって重々承知していることだろうし、そんな想いを歌詞にもしているところだが、本領が発揮されていないように感じたし、僕自身が暗い人間なので、鋭くて深いものを求めてしまうのだろう。
けど、なぜそれをこの人に求めるのかと言えば、この人がやろうと思ったらもっとやばいものが作れそうだと感じたからに他ならない。
そこへ来て、ヒッポホップアーティストとしての矜持を見せつける無料配信アルバム『フリー・トウキョウ』のリリースである。
SKY-HIにしか作れない傑作曲『マーブル』も収録。
この人が書くラブソングなどは、深い慈愛の精神があるが、この曲は十年に一度クラスの名曲だ。
ただ、ケチを付けるなら、『ダイヴァーズ・ハイ』と『スナッチ・アウェイ』は曲としてはめちゃくちゃ好きなのだけど、シングルでも同じ並びで収録されていたので、なんか……もうちょっと、こう……違う感じにしてほしかったです。
もう一歩……とは言わないけど、もう半歩ほど深い所に突っ込んできてくれる曲があったら、もっとヤバかったと思う。
とは言え、二十代前半くらいでこんなものを聴いていたら、手放しで絶賛していたに違いない。
アルバムとしてまとまっているのは本作と『カタルシス』だが、もちろんそれ以外の二作も良い曲ばっかりです。
この人は本当に天才だと思う。
46 CHAGE&ASKA(チャゲアス)/ VERY BEST ROLL OVER 20TH(1999)
誰が何と言おうとASKAさんは天才作曲家である。
なにも、『SAY YES』と『YAH YAH YAH』……二曲のド級ヒットを生んだだけけでそう言っているわけではない。
チャゲアスの曲で僕がよく聴くのは、『LOVE SONG』と『プライド』の二曲。
『プライド』は、ASKA氏が音楽に向かう情熱を直接的に歌っているし、『LOVE SONG』も異性愛についての歌のようではあるが、おそらくは音楽や敬愛する音楽家への想いを言葉にしている。
「君が思うよりも 僕は君が好き」。
(そう言えば、電気グルーヴが「嫌いなアーティスト」にチャゲアスの名を挙げている古い動画を見た。これだけ売れていればディスの対象になるのも仕方なしか)
どちらもアルバム『プライド』に収録されているので、そちらを挙げることも考えてみたのだけど、やはり『SAY YES』は捨てがたい魅力を持っていたので、ベスト盤を選んだ。
あの曲も音楽のことを歌っているのだろうと思うフレーズが節々にある。
このグループの凄いところは、信じられないくらいに壮大なサビなのに、全く不自然さがないところ。
やっぱり天才ですよ。
45 矢野顕子/ JAPANESE GIRL(ジャパニーズガール)(1976)
天才少女として世に出てきた矢野さん、21歳のデビュー作。
この時すでに一児の母。
レコードでA面を、アメリカのロックバンド、リトル・フィートとレコーディング。
このレコーディング時の逸話として、バンドのメンバーローウェル・ジョージが「自分たちのテクニックでは彼女のサポートをしきることができなかった」と、泣きながらギャラの受け取りを辞したというものがある。
矢野顕子はそれほどまでのプレイヤーだったのである。
そりゃあ、20~21歳のママさんのレコーディングに参加して『電話線』のようなピアノを弾かれてしまったら、誰だって腰が抜けるというもの。
泥くさく、匍匐前進するかのようにじりじりと重たいテンポ感は、桑田佳祐さんも認めざるを得ない南部ロックとして成立している。
(のちに、このアルバムのファンであったT.ボーン・バーネットのプロデュースで同様の路線を再生させる)
個人的なベストトラックは『津軽ツアー』で、そのイントロの女帝感たるや壮絶。
太鼓の音が凄まじい。
3rdの『ト・キ・メ・キ』も、太鼓の音が凄まじい鳴りをしており、こちらも海外のミュージシャンを多数起用して作られたもの。
矢野さんの、ビートメイカーとしての一面が最近はあんまり堪能できていないので寂しくもある。
正直なところ、B面の日本でレコーディングしたパートはあんまり聞き返すことがない。
44 くるり/ワルツを踊れ Tanz Walzer(2007)
発売した時の衝撃が今でも忘れられない。
岸田さんがクラシック音楽愛好家であることはつとに知られていたが、まさかウィーンに乗り込んでフルオーケストラでアルバムを作るなんてこと起こるとは。
しかしそれにしても、くるりの歌がそこにまったく違和感なく乗っていることに驚いた。
アルバム全体が非常に穏やかなムードと手触りで仕上がっており、前作で『ロックンロール』なんてタイトルの曲を作ったバンドとはとても思えない。
『アナーキー・イン・ザ・ムジーク』では、くるりの鳴らすロックに、弦楽が投入されて、スリリングに展開していく。
アルバムリリース後に発売した『フィルハーモニック・オア・ダイ』は、オーケストラとの共演したディスク1と、ロックバンド形態でのライブ録音のディスク2があるが、2の方が好きっすね……。
43 岡村靖幸/靖幸(1989)
パーティの、はじまりだ。
『全てのプロデュース、アレンジ、作詞、作曲、演奏は岡村靖幸によるものです。』というプリンスをマルパクリしたクレジットの載る3rdアルバム。
CDのパッケージ裏には曲名が書かれておらず、本人による現代消費社会を風刺するかのような詩が書かれているのみ。
岡村さんの曲は思い入れが強すぎるし、名曲ばかりなので、一曲一曲について解説するわけにもいかないのだけど、どの曲も最高。
どんだけ高クオリティな曲しか作らん人間なんですか、20代前半の岡村さんってやつは……。
前作『DATE』はジャケットの岡村さんの表情からも読み取れるように、どこか張り詰めたムードがあり、青春時代の雪辱を晴らすかのように学校を舞台にした楽曲が多かった。
しかしこちらは打って変わって軽妙な楽曲が増え、都会的な人物たちが織り成す歌も増えている。
世紀のラブソング『だいすき』収録。
アルバムのクライマックスには、強烈なファンクチューン『パンチアップ』が収録されている。
何回聴いても、クッソ痺れます……。
そしてそこからの、『バスケットボール』というミドルバラッドでアルバムを締めくくる。
「いつも大人たちにふられつづけてた パパとママの涙など見たくなかった」
と、悲しいトラウマから歌い始める。
サビの終わりには「友だちのままでいたいだなんて そんなこと言わないで こんなこんな夜に」と歌っていることからも、岡村さんはきっと、自分の悲しみや弱いところを女性に受けとめられたがっていたのだろう。
僕もそういう人間です。
「ウー……ラーララ、ウー……ラーララ、オー(オー)(オーッ)、こんなこんな夜に」
のところの多重コーラスの入れ方……ほんとうにうっとりします。
岡村さんの多重コーラス芸は、次作『家庭教師』で極まるが、今作においてすでに音の差し引きの計算高さはプロフェッショナルレベルでは収まらない魅力を発揮している。
そう、岡村さんの10年代に入ってからの作品に物足りなさを感じるのは、コーラスが弱いところ。(あと、音を常に入れ過ぎているところ……)
本人も、自身の歌声の変化に戸惑うところもあるのかもしれないが、コーラスの力をもっと発揮してほしいです……。
アルバムの構成からして、プリンス的(パープルレイン的)だが、岡村さんがプリンスの掌の上でデェーンスに興じるのはここまで。
この先は道しるべのない音楽領域へ突っ込んでいく。
聴かずに死ぬな。
42 戸川純/玉姫様(1984)
元祖メンヘラ系歌姫。
曲ごとにキャラを変えるシンガーや、イッちゃってる曲調や歌い方をするシンガーも増えたけど、戸川さんはそれを自作自演でやっていて、本当に芸達者な人だとつくづく思わされる。
教養の違いを見せつけられるよう。
この時期の戸川さんは、完全に陽性な世界観を展開していた矢野顕子さんとは陰と陽のような存在であったと思う。
ちょうど、YMO関係者はどちらとも近しいところにもいたわけで、彼女たち自身がどれほど面識があったのかはわからないが、戸川さんはこのアルバムで生理の歌も披露しており、社会から押しつけられる女性性や母性像に対するアンチテーゼのような存在でもあったのでは。
戸川さんは音に対する嗅覚も確かなものを持っていて、ソロ活動前に参加していたゲルニカでは、後に坂本龍一さんに『ラスト・エンペラー』制作のアシスタントに抜擢される上野耕路さんと組んだりしていた。
当然このアルバムも(80年代っぽい打ち込み感はあるにせよ)どの楽曲も隙のないサウンドが敷き詰められていて、曲の構成もしっかり歌とマッチしながら展開していく。
『隣りの印度人』とか本当にすごいですよ。
41 電気グルーヴ(DENKI GROOVE)/ ORANGE(オレンジ)(1996)
どのアルバムも好きなのだけど、『Tシャツで雪まつりincluding燃えよドラゴンのテーマ』にとてつもない衝撃を受けた。
岡村靖幸さん信者としては、『VIVA! アジア丸出し』における天才的なスキャットも外せないポイント。
ダンスミュージックに日本語を乗せる上手さにおいては天下一品な電気の、セールス的絶頂期を迎える直前の一枚。
レコード会社との軋轢が強かったようで、強いフラストレーションがそのままアグレッシヴの強い音に現れている。
怒りのテクノミュージック。
40 髭(HIGE)/ Thank you, Beatles(サンキュービートルズ)(2005)
日本のロックンロールバンドの真打。
ユーモアかつシュールであり、はぐらかしに次ぐはぐららかしの歌詞も含めて完璧。
ビートルズのサイケデリアと、ニルヴァーナのエッジを掛け合わせて、ペイヴメントのようなローファイさも持ち合わせている。
そしてそれらのバンドと同じくポップス志向もある。
日本における理想的なロックバンドとは?
ローザ・ルクセンブルグ、髭、そしてアンディモリだ。
39 井上陽水/氷の世界(1973)
百万枚以上売れたアルバム。
優れた作品は、アレンジとメロディと歌に統一感があるものだが、このアルバムでの陽水さんはさえ渡っている。
冒頭の二曲もぶっ通しで繋がっているような構成で、アルバムとしての構成が優れている(1~3曲目)。
突き抜ける青空のような爽やかさなのに、歌っている内容は「綺麗だな 震えそう 今夜は誰でも 愛せそう」である。
なによりもキラーチューンの中のキラーチューンであるタイトルトラックが収録されている。
すべてのラインが上質なナイフのように、あらゆるものを切りつけてゆくような、ニヒリズムの極致。
「その優しさをひそかに 胸に抱いてる人は いつかノーベル賞でももらうつもりで頑張ってるんじゃないのか」
「僕のテレビは寒さで画期的な色になりとても醜いあの子をぐっと魅力的な子にしてすぐ消えた」
何度聞いても凄まじい言葉だ。
そんな長台詞のような詞を、スティーヴィー・ワンダーの『迷信』のようなものを作ろうとしたというトラックに、いとも軽々とグルーヴィに乗せてしまう。
誰もが一度は聴いたことのある名曲を多数持つ作家なので、もちろんベスト盤から入るのもありだが、陽水さんを『少年時代』や『コーヒールンバ』のヒットでしか知らない人にはこのアルバムを聴いてほしい。
トばされます。
38 THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)/SUPER BEST(スーパーベスト)(1995)
アルバム単位でいえば、ファーストかセカンドが好きなのだが、どちらにも『人にやさしく』が収録されていないので、このバンドもベスト盤を挙げるしかないのである……。
曽我部恵一さんが「「気が狂いそう」から始まる歌なんて聴いたことがなかった」と、この曲から受けた衝撃を語っていたが、まさにそう。
どんな歌やねん。
草野正宗さんも「日本語じゃなきゃできないロックを初めて聴いた気がした」と、この曲を語る。
ブルーハーツは今でもすごく優れた表現として機能している。
それはつまり、パンクやロックに日本語を乗せる際の天才的な計算能力を継ぐような存在が出てきていないということでもある。
耳で聴くだけで内容を理解できる言葉で構成し、聞き取りやすい発音で聴かせる。
パンクバンドに軸足を持ちつつも、『君のために』のようなバラッドも作ったりしていて、最初からレンジの広い作曲家たちなのだと思う。
(『君のために』はこのアルバムに未収録。イントロは矢沢永吉の『時間よ止まれ』か?)
真島さんも甲本さんも、この頃から今に至るまで何十年も、良い曲を書くことにおいてつばぜり合いを続けているところもよいところ。
二人とも本当に巨大な才能だ。
少年のような住んだ眼で世界の欺瞞を見つめる『青空』。
「世界が歪んでいるのは 僕のしわざかもしれない」という、世界を知らない子どもが引き起こしがちな、良いことも悪いこともすべて自分の行いに起因しているのではないかという思い込みを歌った『チェインギャング』も収録。
どちらも、ブルーハーツの魅力がシャウトにあるというイメージを刷り込まれている人にこそ聞いてほしい。
このアルバムは最高の歌の宝庫だ。
「愛じゃなくても 恋じゃなくても 君を放しはしない」。
そんな歌は、若者が恋愛に対して奥手になっていると言われる、今のような世の中を生きやすくするための重要な鍵じゃないだろうか。
37 CORNELIUS(コーネリアス)/POINT(ポイント)(2001)
コーネリアスの作品では一番好きです……。
海外への影響も大きく、ディアハンターのフロントマンも愛聴しているという。
多分、一番売れたのはファンタズマなのだろうけど、影響の射程圏の広さという点ではこの作品に軍配が上がるのでは。
前作の、おもちゃ箱をひっくり返したかのような多様なジャンルと、音を重ねることを純粋にエンジョイしていることがわかるところも魅力的だけれど、そこから一転して最小限の音で構成している無国籍・無機的でソリッドな音は唯一無二。
力が抜けているような音でいて、妥協を許さないストイシズムが貫かれている。
音の差し引き……音を抜くという計算の妙においては、ポップミュージック史でも最高の出来栄えなのでは。
また、音の重ね方という点で、本人による一人アカペラも他の追随を許さぬ美しさを発揮。
完全に天才による仕事。
36 小沢健二/犬は吠えるがキャラバンは進む(DOGS)(1993)
セルフ・ライナーノーツで書かれていることがすべてであろう。
というか東大生が自分で自分のことを書いてしまっている以上、非東大生である僕が、いったい何を語ることができるというのだろう。
また、田中宗一郎さんも、日本のロック/ポップアルバム究極の150枚のランキングにおいて、28位にこのアルバムを挙げている。
「無数の記号と戯れ、知的なはぐらかしによって自分自身の虚無さえもけむに巻いた、無邪気な時代への決別。それゆ、何度も象徴的に使われる「神様」という言葉。夜明け前の暗闇に静かに歩みを進める、つたない足取りのような淡々としたリズム。それは、大いなる物語が失われた時代に、新たな物語の始まりを目論むという自らの暴挙に対する武者震いを思わせる。相対化の時代と絶対化の時代は交互に訪れるが、両者の間で揺れるこの作品は、今だからこそ、一つの指針になるだろう。」
これは2007年に書かれた文章。
完璧ではないですか。
やっぱり田中さんの文章ってほんとにすごい。
田中さんは喋りも文章もすごいです。
小沢健二さんも、岡村靖幸さんも、「消費」についてしばしば歌詞にするが、最近のミュージシャンが直接的に「消費」について歌うことはほとんどない。
大きな物語の喪失というものも、それが当たり前の感覚として受け入れられていったということなのだろう。
また、次作では恋愛や恋人についての歌が増えるけれど、今作では純粋に「人との繋がり」「仲間たち≒共同体」について歌われているものが多い。
大きな物語の次にくるコミュニティの在り方について考えを巡らせている優れた経過報告のようでもある。
そういう意味では、大きな物語無き時代の訪れと、先進国の優位性が失われていくことへの恐れの結果が、「キミとボクの世界」といった母胎回帰にも似る概念の発生源だったのかもしれない。
35 フジファブリック/TEENAGER(ティーンエイジャー)(2008)
傑作アルバムは耳に残る印象的な音で始まらなければならない。
とは言うものの、それを意識しすぎて、無駄に壮大なアレンジを施してしまうと、後がつらくもなる。
フジファブリックは良いアルバムを作るポテンシャルを得たことに自覚的で、そんな罠にはハマらずに、ひらりと優雅に滑空するような一曲目を作り上げた。
「何軒か向こうの家の犬がじゃれついてくるのが面倒だったり」
めんどくせーバンドマンたちが絡んでくることについて歌ってるのかな? とは思う。
志村さんのインタビューは一つくらいしか読んだことがないので、私の意見はエビデンス不足だが。
ただ、こういう毒気のある言葉をもさらりと歌うのが志村さんの個性だった。
そしてフジファブリックの個性の80%は、志村さんの個性だったのだと思う。
志村さんについて、しばしば「変態的」と評されているが、それだけでまとめてしまうのは大変惜しいことだ。
くるりの岸田さんは、00年代の若者の感性をくすぐる曲を多く作っていたし、本人も時代性に対して意識的であったように思うが、志村さんは時代性をあまり感じさせない。
本人も、昭和の本や音楽に触れる機会が多かったと語っていたような記憶がある。
そして、もう一つ思うのは、志村さんが書いたいくつかの曲は、伝えようとする相手が明確に存在しているかのようなものだということ。
失恋とか、相手と接触を持てない状況についての楽曲が多かったですよね。
山崎まさよしさんや、ウーバーワールド等……おそらくデビュー前に経験した「喪失」を、アルバム何枚分も掛けて歌い続けるミュージシャンたちと似た部分があると思う。
そして彼らはおそらく、創作のインスピレーション源(ミューズ)たる相手に、自分の言葉を伝えるために曲を作っていたのではないかと思う。
(山崎さんや志村さんなどは、相手がすでにこの世を去っているように思わせる言葉も多いが……)
デビュー当時から、そんな楽曲の中で積み重ねられたストーリーが、このアルバムにおけるクライマックス『星降る夜になったら』で結末を迎える。
僕がフジファブリックで一番好きな曲が、これ。
一つの小説を読んでいるかのような読後感。
バンド史上、最もアグレッシヴでな楽曲だ。
それでいて、フジらしいひねくれたコードや、
志村さんは、サビで盛り上げるというJポップマナーにも通じる人だったが、アルバムのクライマックスにおけるこの曲では、敢えてサビの音を上げずに歌っている。
ラスト前に大サビを作るということもしない。
それは、バンドでの演奏による高揚感を演出するという意図があってのことではないだろうか。
この曲においても、作曲は金澤さんとの共同名義である。
一人では到達できない高みがあることを理解していたのだ。
志村さん信者は、志村さんのことしか考えたがらないようなのだけど、金澤さんはアジカンのツアーに参加した際に「彼がいなかったら成り立たなかった」と後藤さんから褒められていたし、山内さんもくるりのツアーで絶賛されていて、岸田さんから「彼は引く手数多。うちにもぜひ(笑)」なんて言われていたような凄腕ミュージシャンなんですよ。
「そして気付いたんだ 僕は駆けだしてた」
「バスに飛び乗って 迎えに行くとするよ」
会いに行くんだね! 志村さん!!!
僕は泣いたわ……。
僕は二十代の初めに、大きな失恋を経験していたので、この曲を聴いた時の突き刺さり具合といったら凄まじいものがあった。
本作のあと、パワーポップよりもヘヴィ&ラウドなアルバム『クロニクル』を発表。
詳しいことはわからないのだが、クロニクルではアレンジを志村さん単独で施したという。
そして「失恋相手に伝えたい歌シリーズ」はまだ継続していて、かなり弱気な歌がまた増えた。
そして志村さんはこの世を去る。
34 岡村靖幸/me-imi(ミー・イミ)(2004)
健在とは言い難いが、異能ぶりを見せつけた9年ぶり六枚目のアルバム。
開店休業中にクラブミュージックに開眼していたようであり、打ち込み音源が多用されている。
このアルバムの「音の良さ」は、同時代で肩を並べる存在が見当たらないくらいのレベルにある。
さすが天才。
しかし、曲のモチーフはというと、二十代の半ばまでに使ったものの再利用ばかり。
変わった点と言えば、どの曲からも「自信のなさ」「現状へのお手上げ感」を隠そうとすらしなくなっていることか。
唯一、『ミラクルジャンプ』だけは、「いわばシャイで 引きこもりの日常を返上したい だってそうさ そうさ そう」と自分に言い聞かせるような歌を、陽性なアレンジで、早歩きのようなテンポで歌う。
岡村さんの得意とする、一息の間で声色が変化していく唱法も効果的に聴かせる。
そしてその後に来る、アコギとドラムが煽り立てる間奏部分。
ジャムセッションを経るでもなく、こんなアレンジを思いつくというのは、やはり天才なのだとしか言えない。
この一分半のためだけにでも、3000円払ってアルバムを買う価値がある。
この曲と同クラスの曲がもう一曲でもあれば、もう少しアルバムとしての完成度も上がったのではないかと思うのだが……。
たとえば、オリジナル・アルバムには収録されなかった『ハレンチ』と『真夜中のサイクリング』のようなキラーチューンである。
自らが苦手なジャンルとして挙げていたグランジに挑戦した『軽蔑のイメージ』といった曲もあるが、今一つ、面白みに欠ける感がある。
クオリティは、アルバムの中の一曲としては申し分ないのだが……。
こうして考えると、僕は岡村靖幸さんには、ただクオリティが高いだけの曲を求めていないのだろう。
スランプに陥っていた本人もきっと、ただクオリティの高いだけではなくて、とんでもない素晴らしさを持ち、かつ、「岡村ちゃ~ん!」と黄色い声援を浴びせてもらえるものを作ろうとしていたのだろう。
自分のような人間のプレッシャーは岡村さんにとってもつらいだろう。
でも、岡村さんの初期の作品は、そんな想いを捨てられないぐらい、素晴らしいよ。
いつ聴いても鳥肌が立って涙があふれる。
あんな音楽、他にはないよ。
もう帰ってこないことは知ってる。
十年待ち続けて、今でも愛しているなんて、おかしいって、自分でも痛いほどわかっている。
けれど、あなたが残した絶頂期のアルバムはそれほどヤバイ。
33 NUMBER GIRL(ナンバーガール)/SAPPUKEI(2000)
ナンバーガールの最高傑作がどれか、という話になると悩む。
しかし音と言葉の鋭さの両立を達成しているという点では、この作品がベストではないかと。
最高なプロデューサーがついたことで、音響実験も進んでいく。
BPMも下がり、ニューウェーブ・ポストパンク的なアプローチが増え、ヒップホップからの影響を感じさせる押韻も目立つ。
向井さんの中には猟奇的な文学青年と、黒目がちな透明少女が同居しているようなところがある。
東京という街を女の子の視点から眺めているようなところがある。
援交少女や、メンヘラ女子の走りもバンドマン界隈にはいたのだろう。
それにしても、99年の前作『スクール・ガール・ディストーショナル・アディクト』からわずか一年しか経っていないというのに、いったいなぜこんなことになったのだろう。
宮台真司さんの活躍により、氏がフィールドワーク(およびナンパ)で培った援交女子高生の生の意見が社会に届けられるようになった。
さらに氏が伝える「日本社会の終わりっぷり」も大きな影響を与えていた時期であった。
東京での生活や、ブルー・ハーブとの出会いだけで、人ってこんなに変わるものなのかね。
前作の『裸足の季節』では「終わりの季節」や「風都市」といったワードで、また『日常に生きる少女』ではですます調を用いてはっぴぃえんどへのオマージュをにおわせて、無邪気に東京への敬愛を示していたが、本作では急激に深刻さが出ている。
前二作は、曲名に映画やミュージシャン名を冠していたり、ポップなブレイクが多かったりしたけれど、本作は重い。
ジャケットも漆黒である。
向井さんと岸田さんは親交が深いようだけれど、二人とも、活動の初期の段階で、若者の心を打つタイプの歌詞を書かなくなるところなど興味深い。
それほど、状況が深刻だったのだろうし、自分たちが何を歌っても変化を生むことができないことに打ちのめされたのかもしれない。
「知らん オレは知らん 傍観者」と聴くと、そんな風に思ってしまったりもする。
こう考えると、90年代後半から00年前後にかけての「閉塞感」って、とんでもないものがありますね。
謎の多いミュージシャンです……向井秀徳さん。
スヌーザーのバックナンバーを読み返してみてから、あらためていろいろ書きたい存在。
32 イエロー・マジック・オーケストラ(YELLOW MAGIC ORCHESTRA )/イエロー・マジック・オーケストラ(YELLOW MAGIC ORCHESTRA)(1978)
P-MODELの平沢進は後年になり、YMOを「テクノ・ポップではなくフュージョン・バンドと思う」と語った。
確かにバンドの成り立ちからすると、日本のポップス史上類を見ない「スーパーバンド」だ。
(考えてみると日本ってこういう、すでに名を成しているミュージシャンがバンドを結成するってパターンが少ない気がする)
このアルバムの収録曲で、僕のような2019年のアラサー世代が耳にしたことのある曲って、フュージョンバンドの証ともいえる『ファイアクラッカー』のカバーくらいかもしれない。
次作の『ソリッド・ステイト・サバイバー』の方が有名な曲は多いのだろうけど、『東風』『中国女』が死ぬほど好きなので、このアルバムを挙げるしかありません……。
どちらも、ゴダールの映画をイメージして作られたとのことで、東風は坂本龍一さん作、中国女は高橋さん作。細野さん作の『マッド・ピエロ』もあるけど、あんまり聴かないです……。
どちらも曲の構成が上手くて、最後の最後まで楽しいので大好きです。
東風は婦人の矢野顕子さんもカバーしており、『ごはんができたよ』においてYMOがバックバンドに参加してのカバーを披露している。超豪華。
しかし『出前コンサート』における、矢野さんのソロピアノ弾語りバージョンの方が強烈……。
もっと言うなら、坂本龍一さんを追ったフランスのTVドキュメンタリーで流れた、坂本さんと矢野さんの自宅で連弾をしているものが最高……。
坂本さんがソロに入ってから、何度かリメイクしているけれど、これに匹敵するものって無いと思う。
後に『公的抑圧』なんてタイトルのアルバムを作ることになるとは思えないほど、奔放に実験を繰り広げている。
YMOがスターにならずに、三人でスタジオにこもって楽しくセッションしながら活動を続けていたら、もう少しポップスの地図は今とは違ったものになっていたかもしれない。
31 SAKANA(さかな)/(BLIND MOON)ブラインド・ムーン(2000)
歌声、ギターの音、広々とした空間を感じさせる音響。
それらはまるで、米国のブライト・アイズの『アイム・ワイド・アウェイク・イッツ・モーニング』のように、自分のすぐ傍らで演奏されているかのような錯覚を引き起こす素晴らしい音だ。
すべてがさえ渡っている。
基本はブルーズやフォーク、カントリーなど、ロックンロール以前の音楽。
しかしボーカルのPOKOPENさんの、性別年齢不詳的な声と、詞の世界観と、歌声の組み合わせは唯一無二である。
本作において最もエモーショナルな『19』では、悲痛な叫び声を聴かせるが、基本的には静かに語りかけるように歌う。
高潔で美しい音楽で、静かに、しかし確かな力で、社会の辺境の際の人生を肯定する。
アルバムにおいて、音楽的なカタルシスはないかもしれない。
しかし、カタルシスを作ってしまうことで逃してしまいがちな深みや静謐さを湛えている。
熟練の技が光る。
他にも優れたアルバム多数。
30番から1番はこちら
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