syrup16g全曲考察 覚え書き
全局考察を書きながら、思いついたことをメモしていたのですが、使うところがなかったものがたくさんあります……。
パソコンの中で寝かせておいても仕方がないので、当エントリにザザザッと載せます。
メモしたはいいものの、どういう文脈でそれを言いたかったのか思い出せないものもあるのですが、それはそれでそのまま載せてしまうことにいたします……。
・DVDのジャケットが十字架
解散公演『ラストワルツ』を収録したDVDのジャケットが、暗闇の中に白い十字架が浮かび上がっているデザインでしたね。
「白」というよりも、「光」が十字型になっているととるべきか。
五十嵐さんの(特に一期)キリスト教モチーフ大好きぶりがうかがえますね。
・男っぽさがない
五十嵐さんの作る曲って、男っぽさが一切ないな……。
なんとなく、シロップが女性からも支持される理由ってここにもあるような気がする。
男視点っていうのがない感じ。
とはいえ、五十嵐さんは長渕剛の『泣いてチンピラ』をラジオでかけたりしていたと聞いたことがあります。
長渕剛ってゴリゴリマッチョのスタジアムロッカーのイメージがありますが、最初はフォークシンガーとして出てきていますからね。
その後、空手をやって体を鍛えるようになりますが、そもそも空手を始めた理由も、当時の妻にDVをしたところ、空手経験者の妻から返り討ちにあったことがきっかけだそう。
貧弱だったんですね笑
この曲も、チンピラに「なりたい」と言っているので、要は半端者の悲哀を歌ったものです。
そういえば、長渕剛が主演したTVドラマ『とんぼ』は一世を風靡しましたが、主人公はだいぶ悲しい目にあったりするもので、最後のほうの展開などは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『列車に乗った男』が大好きな五十嵐さんが大好きそうな感じだったみたいですね。
主人公が刺されてしまい、生死をさまようところで終わるとか……ネタバレを避けようかと思ったけど、ネタバレしちゃった……。
五十嵐さんが作品名を挙げる映画って、死にオチのものがめちゃくちゃ多いんですよね……。
五十嵐さんも『とんぼ』観ていたのでしょうか。
・シロップが英語で歌われていたら
別に海外を目指す必要なんてないですけど、五十嵐さんの心がつらそうなのって、「日本」って磁場にとらわれてしまってるところにある気がするんですよね。
「日本社会」とか「日本の国民性」という意味でもそうだし、「日本の音楽業界」という意味でもそう。
だから、シロップが、イギリスとかフランスみたいな国で「発見」されて、海外でも活動できるようになっていたら、もうちょっと楽しく音楽活動できそうだなって気はします。
シロップは曲の中で英語が使われる比率がまぁまぁ高いと思うんですけど、本格的に英語で歌ったりしていたら、海外でも評価されてたんじゃないかなと思いました。
音楽性だけで見ても、一期は本当にクオリティ高いし、歌の内容まではわからなくても感情は伝わりそう。
しかしやはり、英語圏で暮らす人が、英語以外の言語で歌われる音楽を聴こうと思うことってあんまりないでしょうからねぇ……。
・五十嵐出涸らし
前のエントリでも書きましたけど、五十嵐さんが出涸らしみたいになっているのって、若い人のことを知ろうとしていないってところにあるような気もする……。
まぁ五十嵐さんの精神が、まだまだ若いつもり……とまではいかなくても、二十代のまま変化が止まっているような気はしないでもない。
社会って、若い人が生きやすいようにはなってない気がします。
特に日本……。
それに、若い人は単に多感なので、いろんな問題を抱えているように思います。
五十嵐さんが二十代の頃には、自分が社会で立場が弱いし多感だったので、いろんな問題が目について、それを歌っていたと思うのですが、社会で立場が弱くはなくなって(不労所得で生活できるし)、心の感度が落ちたら、そら歌うことなくなるわな……という。
宮崎駿さんが、知人の子どもを観察して、その子たちのことを考えながら『千と千尋の神隠し』を作ったといいますが、そんな風に、若い子……別に五歳の子でも、十九歳の子でもいいから、若い子ともっと接してみたらいい感じにインスピレーションが湧くのでは?と思いました。
・男シロップリスナーと女シロップリスナー
女性シロップファンって、ずっとシロップを応援している印象があります。
対して男シロップファンは、離れていっている気がします。
なんか、僕が書いたシロップ記事が拡散された時に、「シロップ好きだったけど、だからこそいつまでもそこにいちゃいけない気もする」とツイートしている男性がいて、それってすごく象徴的だなと思いました。
なんだかんだ言っても、働いていると男性の方が責任や地位を負わされることが多い社会なので、男はいつまでもモラトリアム的なシロップに浸っているわけにはいかないのですかね……。
バリキャリの女性はもともとシロップ聴かなそうだしな。
でも、シロップでなくても、女の人って一度好きになったものを長く好きでいる傾向って強いと思います。
自分が付き合ってきた人を見ていても、一期からシロップ好きだった人は、まだ好きですもの。
「アーティスト」を「キャラ」として消費する人が多いよなって気はしています。
それって、五十嵐さんがこだわっていた「リアル」「ファンタジー」とは別の問題として、「幻想化」している気がする……。
僕はそういうノリ、見ていてちょっときついっす……。
現実にいる人間の二次創作化、みたいなやつですかね。
妄想力たくましいなぁ……。
それは、五十嵐さん自身が、若かりし頃に望みつつも手に入らなかったものだったのではなかったのだろうか。
僕は、排除された側だった。
五十嵐さんが語る。
“ユア・アイズ・クローズド”を語る際に、オアシスのB面曲“レッツ・オール・メイク・ビリーヴ”を引き合いに出す。
いわく、これは「わかり合ったフリをしよう」っていう曲。
、オアシスを未だに抱え続けるファンや、関係者に向けて歌ってるんじゃないの?)
ノエルも、リアムという稀代のやんちゃ坊主のお兄ちゃん役をやらなくちゃいけなくて苦労していたみたいだから……。
僕も、兄に対して、「お兄ちゃん大変そう」って思ったことがあります。
小沢健二さんも、自身の兄に対してそんな述懐をしていたなぁ……。
お兄ちゃんという役割を背負わされてしまうことのつらさ。
これについてはトトロの感想ブログにちょっと書いたので、興味があったら読んでみてください。
“パープルムカデ”
「反戦ソングとかじゃないんで」とインタビューで明言しているにもかかわらず、ウィキペディアには「シロップ初の反戦ソング」などと描かれてしまうわけだ。
もちろん、作った本人の捉え方が正しいかどうかは分からないが、どこが反戦なのか全くわからない。
あと落堕が、坂口安吾さんの堕落論から取られているとか書いてあるけど、「ツァラトゥストラかく語りき」における、ラクダ、ライオン、人間の中のラクダじゃないの?
そして、このラクダ段階というのは、キリスト教などないはずの日本で、貪欲に傷を負いたがるあんたらのような人間のことを言ってるんだよ。
リボーン。
昨日より今日が素晴らしい日なんて……。高度経済成長の熱に浮かされた根拠のない夢物語。
けれど、それを「当り前のことさ」って?
宮台真司さんの言うところの、「まったり」を体現して見せた楽曲である。
宮台さんの、他人に迷惑を掛けない限りはどんなことにでもトライしてみるべきである、といった言葉も込められている。
けれど、五十嵐さんは、宮台さんの言葉から赦しの感覚を得ることができるほど柔軟ではなかったのかもしれない。
そもそも、「小林よしのりとか、石原慎太郎みたいなマッチョ的なものにも惹かれちゃうところがあって……」と語っている。
「田中さんは嫌いだと思うけど」という前置きをしながらそのようなことを語っている辺り、五十嵐さんにとって田中宗一郎と言う存在は相当大きかったことが窺える。
でなければ、アドラブルの話をする時に「タナソウさんもライナー書いてましたよね?」などという言葉は出てこないだろう。
雑誌の往復書簡で
「あなたを日本のモリッシーと例える向きがありますが、それについてはどう思われますか?」
という質問に対して
「1光栄です。2僕にはジョニー・マーはいませんでした。3僕はゲイではありません」
と、五十嵐さんらしいユーモアをのぞかせる回答をしているが……。
確かに五十嵐さんに、完璧な作曲をしてくれる相棒と呼べる存在はいなかった。
そもそもは、五十嵐さんはギターに徹していたらしいが、バンドのボーカリストが脱退したため仕方なしに唄も担当するようになったという経緯があるにはあるらしいが……。
だが、五十嵐さんは、ギタリストとしても、アレンジャーとしても、作詞家としても、ボーカリストとしても、やってみたら人を引き付けることが出来てしまったわけだ。
なので、ジョニーマーがいなかったことは、まったくもって不運ではないだろう。
……というか、他のメンバーとの関係を見てみると、ジョニーマーに相当するような素晴らしい友好関係があるではないか、と思ってしまうのだけど……。
思うに、五十嵐さんにとっての不運は……不運などと言う言葉で憐れむのは本当に失礼だと思うけど……むしろ、母親の不在だろう。
モリッシーにあり、五十嵐さんに無いのは、むしろそこだったのだと思う。
同じ片親家庭でも、方や自分を溺愛する母親と共に過ごし、方や(五十嵐さんの父親像を)。
五十嵐さんがマッチョ的なものに……昭和の終わりまでに人格形成を終えなければ成立しえないような価値観を持った強き父性像に惹かれてしまうのは、五十嵐さんの父親が立派な人であったからではないだろうか。
その意味で、五十嵐さんは、宮台さんの行ったまったり革命に、心の底から乗っていくことができなかったのだろう。
自己を引き裂かれながら、それでもなんとか生き抜き、音楽を通して表現していくことを続けたのが五十嵐隆さんだ。
そしてマッチョなものに惹かれている自分ではなく、「まったり」を受け入れながら、意味はなくともその時々に濃密さを見いだしていこう……そんな自分の乗りきれない流れを歌ってみたら、絶大な支持を得てしまった。
想像するしかないけれど、それは本当に辛いことだと思う。
宮台真司さん自身が、自分の言動に賛同し、憧れていたはずの少年が自殺してしまったことをきっかけに、うつ状態に陥ったことがあると語っている。
そのことに関する著書に目を通したり、他の書籍での発言を見てみると、「自分の言葉が及ぼす影響については、責任を負いきることはできない」という趣旨のことを述べている。
五十嵐さんは知識を多く持った人だと思う。
「すごく不安で、貪るように読んでいましたね」
と語る。
そうして、自分の生きていく道の選択肢を増やしていった中で、「これだ」と思える道を選んできたのだろう。
貫き通そうとすることは、とてもかっこいいことだ。
けれど……それで五十嵐さんが辛く苦しい想いをしているというなら……もういいじゃないですか。
昨年、自身が編集長を務めたスヌーザーという音楽雑誌を“終刊”した田中宗一郎。
大学を卒業後に、広告代理店に勤めたのち、ロッキングオン社に入った。
現在のロッキングオンの基盤を築いたのは、意外にも田中さんなのである。
ネット上のアンチの書き込みとかを読んでいると、本当に面白い人たちなのだなあという印象がある。
わざわざ田中さんの原稿を目を皿のようにして探し出し、田中さんが意図的に頭いっちゃってる風に書いたものだけを抜粋してネットに広めるという活動をしている……よっぽど時間に余裕のある人でなければ、そんなことをして楽しめるとは思えないのだが。
田中宗一郎さんは、稚拙な創作を許容しないタイプの人だ。
宮台さん、震災以降に震災以降を反映させたモノづくりをしないアーティストはレベルが低い、というようなことを話していたのですが、『ハート』はそのハードルを乗り越えてた気がする。
いいアルバムやわぁ。
野獣に負ける、という怖さがすごくある。
グリーン・ヒルを思い浮かべてほしいのだけど……ギャルをイケイケな男に持っていかれるのでは、という怖さをどこかに抱えちゃうんですよね。
古谷実も、90年代的閉塞感を描き出したアーティストだったよな。
そして彼も00年代後半からは、過去の自分の焼き増しを繰り返すようになる。
「作る」って難しいことなんでしょうね。
特に「自分と向き合いながら作る」ということは。
それをちゃんとやる人ってなかなかいない。
だから信仰の対象にすらなるのだろうけど。
もちろん、向き合いながら作るだけじゃだめですよ、アートとしての強度を担保する知識と技術がなければ意味はないから。
あとテーマ性と言えば、「性嫌悪」な部分も似ているな。
五十嵐さんは直接的に「嫌悪」という言葉を使っているが、古谷実さんの作品も、女性を強く求めているのに、いざ肉体関係を結ぼうとすると、男は引いていく。
稲中卓球部と僕と一緒では、登場人物が脱童貞することはない。
自身の性欲に対して「汚らわしい」といった感覚を持ってたってことなんじゃないかなぁ……。
90年代ってそういう時代だったのかもしれないっすね。
性への抑圧が強かったから、反動として援交や渋谷のギャルなんかが出てきたってことを宮台さんは語っていた気がするっす。
でも、マッチョな志向を持っていたなら、今の政権を見てどう思うのだろう。
社会がそっちに舵を切ったことで生まれた様々な異常事態をどう思うのだろう。
歌うトピックって山ほどあるようには思うんだけどなぁ……。
ただ、人との関係とか繋がり方っていう部分では、00年代初頭と比べてだいぶ変わってしまったよなぁ。SNSが当たり前の世界だし。2ちゃんねる的な世界観が顕在化してしまっている。
今の若い子には、00年代の閉塞感・行き詰まり感ってあんまり伝わらないよね……。
僕もあんまりちゃんとは思い出せないし。
日本は内省的な作品が受け入れられない文化。
快楽原則に則った作品が多い。
欧米ではエンターテインメントとアートのどちらも存在している。
「暗い」ものも、ちゃんと評価を受ける環境がある。
一言で説明できないのだけど……
罪の文化
であるからこそ、韓国の映画は欧州でも高い評価を得てきたのではないか、と思う。
イギリスやアメリカの、暗い内容でも大々的なヒットを飛ばす文化の洗礼を受けて育ってきたとしたら、その感覚も、わかる。
バンプだってゲームオタク的な感性があるから売れてきたんだろうな、とも思うし……
なんか歳食ってからシロップをまともに聴いたことってなかったんですけど、当時よりも「たかしちゃん、しっかりして!」「たかしちゃん、大丈夫?」という、視点になってしまうことに気付いた……。
そういう意味では、僕は、変わったのかもしれない。
叶姉妹かジャニーズJrくらいのもんですよ、こんなに胸元明けた服を着ていい日本人って!
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