君たちはどう生きるか考察 Dパート
2024/07/25
君たちはどう生きるか考察、Dパートです。
山狩りをしているシーンから、眞人とヒミが電撃を喰らって失神するところまでがDパートになっています。
Cパートのエントリはこちらです。
・山狩りしているシーン
男達が暗い林の中を山狩りしているシーンから始まります。
彼らは夏子と眞人を探しているようです。
屋敷の庭の池を竹竿でさらっている男達もいます。
絵コンテでは特に指示されていないのですが、おばあちゃんの一人が池の畔で男達の捜索を見守っています。
気になるのが、おばあちゃんが、夏子が冒頭で差していたピンク色の日傘を使っているところです。
多分この時代にピンク色の傘は珍しいので、夏子の所有物を持ち出していると思われるのですが、お嬢様の物だから勝手に使ったりしてはいかん、ということにはならないんでしょうか……。
それとも、夏子が屋敷の中では、みんなとのヒエラルキーが同じくらいの位置だから、日傘などはみんなで共有するものだという認識の現れなのでしょうか……。
でも、みんなで使うことを前提にしているなら、ハデなピンク色ではなくてもうちょっと使いやすい色にするような気がしますが……そもそも日傘を差すという行為がこの時代には一般的ではないと思うし、日傘に使われる色なんて現代ほどバリエーション多くはなさそうではある。
正直これについては考察しようがないです……ただ、ご主人の持ち物を勝手に使う使用人が描かれていて、そこに何も意味がないとは考えにくいですよね……?
日差しが強い時期になっており、屋外で長時間活動することはおばあちゃんの体力的には厳しいため、仕方なく夏子の私物を使っているといったところですかね。
このおばあちゃんは前掛けもピンク色で、かわいらしい物を好んでいそうなので、その辺も理由かもしれません。
ところでこのように田舎の山の中で行方不明者を捜索する場面があると、となりのトトロの終盤を思い起こしますね。
確か宮崎さんはインタビューで、「子どもが行方不明になって神隠しかと思ったらひょっこり出てきたなんてことが住んでいる場所の近くで起こった」なんて話していた気がします。
また、パンダコパンダを観たことがあると、そもそもパンダのパンちゃんが迷子になってしまってみんなで懸命に探すシーンを彷彿とします。
トトロはパンダコパンダがだいぶ下敷きにされていますよね。
・勝一意気消沈
縁側で険しい表情を浮かべながら座る勝一に、メガネをかけていがぐりあたまの真面目そうな男の人が背筋をビビンと伸ばしながら「何人か残してお手伝いさせます!」と言いますが、勝一は「工場を止めるわけにはいかない みんな仕事に戻ってくれ」と指示を出します。
彼らの背後では、先日座敷に置かれていたキャノピーの撤収作業が行われています。
勝一が、良くも悪くも職務遂行意識が強く、家族よりも仕事を優先させる人間であることが伺えるといった考察を別エントリで書きました。
そんな勝一に、おばあちゃんあいこさんが、この屋敷では妙なことが起こるし、奥の庭にある塔ではあやしいことがあると説明し始めます。
また、ここで塔が、隕石を中心に据えて建てられたことが明かされます。
あいこさんのモノローグに合わせて、隕石が落下してくる場面が描かれますが、ハウルなんかで描かれる星が降る場面に似ていますね。
また、『君の名は』っぽさを感じたりもしますが、君の名が宮崎さんのアニメーションに影響を受けていると思われるので、宮崎さんのイメージソースが共通しているだけであって、宮崎さんが新海さんの影響を受けているとは考えにくいですよね。
落下した隕石(絵コンテでは石としてではなく、「物体」「塔」と説明されているので、材質は石ですらないかもしれないです……)に誰も近寄らなかったが、大叔父が見に行ったところ貴重なものなので、建物で覆うことに決めたこと、工事中に足場が倒れてけが人死人が大勢出たことが語られます。
また、大叔父が塔の中で消えたこと、眞人の母久子も姿が見えなくなったが、一年ほど経ったら消えたときままの姿で戻ってきたこと、姿を消している間のことは何も覚えていなかったことが語られました。
ここで語られる時系列からも、久子が生まれたのは恐らく大叔父が消えてからではないかと思うんですよね……。
また、久子が塔の中に入ったときには、すでに久子も母を亡くしているはずなので、時系列的には夏子も誕生していたことがわかります。
久子が行方不明になっていたことを夏子は知らない風なので(知ってるかも知らんけど)、久子失踪時は夏子がだいぶ小さかったんじゃないかと思います…邪推かもしれませんが。そうなるとやはり、尚子と夏子は7、8歳ぐらい離れてるんじゃないかなぁ…。
あと、久子は帰還時にニコニコしていたとのことなのですが、本編のエンディングで眞人と別れたあとの余韻でニコニコしていたんだろうなと思われる。
本当ならこの台詞、別に必要では無い気がするんですが、ただそれでも、宮崎さんは、「母親は自分の今の姿を受け入れてくれて、自分を産むことを全力で肯定する道を自ら選択した」ってことにしたいんだと思うんですよね……。
また、久子は何も覚えていなかったとおばあちゃん達は語っているし、ヒミはあっちの世界の物を持って帰らなかったので覚えているためのよすががないのですが、少なくとも断片的には記憶したまま帰ってきているのではないかと思います。
そのように思われる箇所がいくつかあるので、随時記述していきますが、自分としてはここからのシーンのいくつかが、「ヒミに眞人を産むための手がかりを見せる」ために描かれているように思われるんですよね。
おばあちゃんの話しを聞いた勝一は塔に何かがあると考えて、あいこさんに塔の鍵があるか尋ねます。
あいこさんが「へぇ、たしか」と答えると、「すぐ行ってみる」と勝一は大股で歩み出します。
勝一がズボンのベルトに刀を差し、カンテラやら水筒やらナイフ、ローソク、マッチ、チョコレートをポケットに詰め込むシークエンスが挿入されます。
やたらと素早い動きで演出されているので、子と妻が山狩りをしても見つからなかったが、塔にいる可能性があることに希望を感じていることがわかります。
チョコレートはすぐに吸収できてカロリーも高いので、遭難者を探索するときの必需品なのだと聞くような気がします
しかしこの時代、お菓子は高級品だったわけで、そういったものが常備してあることからも、この家が裕福すぎることがわかりますね。
よく考えてみると、眞人が青鷺と初めて対峙する前に洗面所の物入れから木刀を取り出す際、日本刀も立ててありました。
武器を必要としているなら、木刀ではなく日本刀を持ち出した方が目的には沿うはずですが、眞人は木刀を持ちだし、結果としてそれは青鷺にへし折られてしまいました。
木刀と一緒に日本刀が映る画面造りになっていた以上、眞人には「日本刀を取る」という選択肢もあったはず。
ですが眞人は、日本刀を取ろうとする素振りすらなく木刀を取りました。
日本刀も重いものなので、眞人は自分の腕力ではそれを振るえないと自覚していたので木刀を選んだのかも。
あるいは、日本刀は父の所有物であると思ったため、触れてはいけないと判断したのか。
「刀を抜く(兵器を手にする)」ことは、大人の男に許される行為であるため、眞人が成長を留保した、あるいは、大叔父から仕事を受け継がないことを決断するように、選択的に殺傷能力のある武器を手にしないことにしたとも考えられますね。
実情的な理由、象徴的な理由どちらもありそうですが、「眞人が日本刀を取らなかった」ことと、「勝一が躊躇なくインコに刀を振るう」ことが劇中で描かれるため、意味がないとは思えません。
・バディのその後
眞人と青サギが密林を昇って行きます。
前のシーンの、青サギ屋敷近辺の裏山が山狩りされているシーンと絵の構図がとても似ているので、被せられているのでしょう。
密林には昆虫はいるし、キノコが生えているので、それらを食べる生きものも生態系的には存在していそうです。
絵コンテでも「あやしい食虫植物」があると指示されているので、やはり、食物連鎖があることが伺えるような情報提示がされているはずです。
見たことがないチョウチョが飛んでいるので、現実世界から連れてこられたインコやペリカンがこの食物連鎖の中にいるかはわかりませんが……。
そういえば、インコとペリカンと青鷺以外の動物を見かけないですよね。
草食動物とかがいてもおかしくない気がするので、この世界には持ち込まれていないんですかね……。(ただ牛の頭蓋骨はあるので、野性の草食動物はいないが、家畜はいるのかもしれない)(キリコがいた「箱舟」がノアの方舟だったのだとしたら、さまざまな生き物が乗せられていたはずです)
大叔父がこの世界に連れてくる生きものを選定しているのだとすると、どうして食物連鎖が成り立つような構成にしなかったのでしょう……考え出しても答えはなさそうな気はするのですけど、作中ではここ以外にも昆虫は描かれているので、描かれる生態系には何かしら意味はあるはず。
それにしても、宮崎さんはこういう生態系が垣間見えるような場面を描くのが好きですよね。
ナウシカの腐海などはその最たるものですが。
苔むした大木の根元でバテて倒れ込む青サギと、辺りを警戒し見回している眞人。
青サギは、自分の足は歩行用ではないため山歩きには向かないことと、くちばしの穴が塞がれば飛行できるのでこれほど疲労せずに済むことを眞人に訴えます。
眞人はからかうように「棒でも突っ込んでおけば?」と言いますが、絵コンテでは、自分のせいだとつめたいと指示が書かれています。
「自分のせい」というのが、青鷺のせいだと言いたいのか、真人が自分が射抜いた責任を感じているのかよくわからないです…でも冷たげだということは、青鷺の自己責任であろうと言いたいのでしょう。
絵コンテではからかうような表情はしていないので、完成版では、眞人が青サギと犬猿の仲であることを強調しているように思われます。
二人が衝突し合いながらも打ち解けてゆく様が描かれている感じがしますね。
そんな眞人に、青サギは「穴をあけた者が埋めないとききめがないんです」と切り返します。
この言葉は、やはり、眞人自身が付けた頭の傷にも言えることでしょう。
眞人は頭の傷が自傷であることを人に打ち明けることができていない。
だから、自傷するに至った心の問題も解決できずにいる。
眞人は自分の悪意のしるしであることを受け入れ、そんな自分を人に晒すことができて、はじめて先に進むことができるのだと思います。
眞人は頭を傷つけた張本人である自らによって、穴の存在を認めて、受け入れる必要があるって話だと思います。(そしてそれは恐らく、君どうを読んで得た「友だちを大事にする」という教訓から来た成長ではなく、会いたかったお母さんに会えたという欠落を埋めることで、外に世界に対して能動的な行動を起こせるようになるという変化なのだとも思います)
しかし眞人は「そのウソは本当か?」と意地悪く言い、青サギは「おいらはウソはつかないぜ」と言い返す。
眞人は手に持っていた木の棒を、眺めて、庇護の守りで先端を削り始めます。
青サギのくちばしの穴に突っ込んだり、器用に削ったりを繰り返す眞人と、眞人の後ろから「もっとこうせい」とリクエストを出す眞人。
眞人は「うるさいなぁ……」と言いますが、この様って多分、制作に集中している宮崎駿さんと、あれこれ口を出す鈴木敏夫さんなんじゃないかなという気がします(笑)。
作っている側の苦労も知らないで、あれこれと注文したり文句を付けたりしてくる鈴木氏をあしらおうとしつつも意見を取り入れてしまう宮崎さん、という構図に見えます。
そしていったんは完成を見るくちばしの栓を無理矢理突っ込む青サギと、「無理するとくちばしが割れちゃうよ」と心配する眞人。
鈴木敏夫さんがあれこれ無理矢理仕事を進めるような様の揶揄なんですかね……。(とはいえ、プロデューサー側の苦悩ももちろん大変大きなものだとは思います)
青サギはくちばしの穴が塞ぎ、オジサンを中に飲み込んで、サギバージョンに変化します。
青サギは「なんと美しい力あふれる姿だろう」と自分に見惚れますが、絵コンテでは「自己愛がつよいのです」と書かれています。
嫌だな、自己愛の強いサギおじさん……。
鈴木さんもちょっと自己愛強めな感じがあって、たまに苦手です…笑
眞人が「飛べるようになった?」と純粋そうなリアクションをするも、青サギは「オイラはお前の友達でも仲間でもないんだ」と言います。
眞人は、そういう展開も想定していたというようにその言葉を受け止め、「あばよ。夏子を助けるのもここから脱出するのもてめえひとりでやるんだな……」と続ける青サギは、くちばしの栓がずいぶんゴロゴロと動いてしまうようで、ベロでいじったりしています。
元気がなくなり、足でくちばしをいじろうとしていると、眞人は「とれちゃった?」と心配してやる。
青サギは「ここが気になって……」と口を大きく広げて眞人に気になる箇所を示します。
そんで、先ほどと同じ構図で、栓を調整する眞人と、細かいリクエストを出す青サギが描かれます。
このシーンはちょっと面白いですよね。
ここでよくわかるのが、青サギが鷺モードになった途端眞人を突き放すのも、形態によって態度を使い分けているからだと思われます。
中身のオッサンはお人好しで、青サギモード時は職務に忠実な企業人的な態度。
とはいえ、青サギモードだと眞人を突き放したり翻弄したりするのは、なぜなんでしょう……大叔父的は青サギに「案内者になるがよい」と命令しているので、眞人を地下の世界に連れてきたかったはず。
その案内が「夏子の元へ」なのか「ヒミと引き合わせること」を指すのかがわからないんですよね……。
しかも夏子の元への「案内」なのだとしたら、石が怒ることは大叔父もわかっているはずなので、そのような命令を出すとは考えづらい。(ただ、大叔父は、石や自分が作った世界を破壊してくれる存在を欲しているとも考えられるので、眞人が夏子を連れ帰ろうとして石や世界を引っかき回してくれることをも期待している可能性はある)
で、青サギはここで眞人を見捨てるようなことを言っているので、もしかしたら眞人が地下に来た時点で案内は完了しているってことなんでしょうか。
わからーん。
青サギが眞人に意地悪なことを言う部分について、考察というか、妄想のような深読みをします。
鈴木敏夫って結構、人前では偽悪的なことを言うことが多い人です。
高畑勲さんが亡くなった後に行われた「見送る会」で、マスコミの囲み取材を受けていた際に「高畑さんにもう一度会いたいと思いますか?」という質問に対して、「いや、思わないんですよね」と回答したりしてました。
その回答の後に「もう頭の中にいるんですよねぇ」と続けたけど、多分本音は、後年目の上のたんこぶっぽくなっていた高畑さんに対しての率直な思いだったんじゃないかなと……。
『かぐや姫の物語』の制作ドキュメンタリーでは、高畑さんは鈴木さんに「僕は今鈴木さんい喧嘩を売っているんですよ」とすげーやばいことを言っていたりしたので、鈴木さんが嫌がるのも無理はないと思うのですが笑
もともと、宮崎駿さんが風立ちぬ後に引退宣言した後は、鈴木さんもプロデューサーの仕事を控えて、自分で表舞台で喋ったり、そんなに興味の惹かれないジブリの名を冠した変な本をいっぱい出したりしていたし、宮崎さんと距離を置いていた感があるんですよね。
宮崎駿さんが君たちはどう生きるかの企画書を提出した際も、「自分には自分でやりたいこともあったので迷った。でも宮崎さんに付き合うことにした」的なことを語っていたので、自分が引退宣言したら鈴木さんが外で飛び回るようになってしまった状況は、宮崎さんから見たら「お前の友だちでもなんでもないんだ」と言われているように映ったのかもなー、と思ったりなどします。
それとか、鈴木さんは実際に「仕事だから付き合っているのだ」と公言してたりするのかもしれない。
で、結局、自分という物作りができる人間に頼らなきゃいけなくなったら、頭をぽりぽりかきながら仕事を依頼しに来るところまでがセットなのが鈴木さんなんじゃないかなー、というところまで妄想したりします。
根拠のない妄想なんですが、あのシーンはやや唐突だったように感じなくもないので……。
・鍛冶屋の家に到着する
二人は鍛冶屋の家の前に到着し、石垣の前にかがみ込んで様子をうかがいます。
鍛冶屋の家の前には畑があり、なんとなく、自給自足しているのかなという雰囲気が伺えます。
宮崎さんが昔書いていたことによると、鍛冶屋なんかは人里を離れた郊外にあることが多いようなので、人と交流しなくても生きていけるようにしているのかもしれないですね。
石垣はフンにまみれていて、インコに蹂躙されたあとであることが伺えます。
鍛冶屋を食った後に排泄されたウンコかと思うと、ちょっとグロいものにも見えますね……。
眞人は鍛冶屋の塔にいる見張りインコを見つけて「大きなインコだね」と言いますが、あれをインコと思えるのは何でなんでしょうね……。
青サギは「なんであいつらがここにいるんだ まさか鍛冶屋を食っちまったのか」と言い、眞人は「人間を食べるの!?」と驚く。
青サギは平然と「象でも食いますよ」と続ける。
青サギは「やつらペリカンと同じですよ 大ダンナがもちこんだのがふえたんです」と言う。
ペリカンはペリカンのままの形態でしたけど、インコは本来のインコではないが……その説明はありません。
パンフレットによると、インコは「大衆の戯画」だそうですけど、ペリカンはペリカンなんだよなぁ。
鳥を漫画化するにあたって、デフォルメの仕方に違いがあるのは高畑勲さんの「ぽんぽこ」っぽいかもしれないですね。
あちらは、リアルな動物としてのたぬき、人間のような文明を持っている知的生物としてのたぬき、冒頭の合戦シーンに見られる漫画っぽいたぬきなど、たぬきの描写方法にレイヤーがありました。
また、それぞれのレイヤーに合わせて言動や知能レベルも異なっているような演出だったかと思います。
君どうで言うと、リアルな動物モード(青サギ、ペリカン、インコ)、知的生物としての鳥(インコ、青サギ)、中に人間が入ってるのが丸わかりなモードの青サギ、同族を支配して人間を追い出そうとすらするインコ大王と、いろいろレイヤーが別れている気がします。
インコについて言うと、文明社会を持っているデフォルメ形態でも言語を使う者と、言語を持たない者とにも別れている描き分けが気になるところです。
とは言え、この辺についても考察しても仕方がないような気はしますね……自分で言っておいてなんなんですけど……。
青サギは「あそこを通らねえと夏子さまのいらっしゃる塔には行けませんぜ おいらがひきつけるから そのスキにいけますかね」と挑発するようににやっと笑いますが、眞人は「やってみる」と、ひるまずに答えます。
青サギは青サギで、眞人のことを試して成長させようとしているんですかね。
・囮になる青サギ
囮になることを選んだ青サギは、石垣の上に躍り出て、大げさに具合の悪そうなジェスチャーをします。
この「怪我をしたフリをして捕食者の視線を集めて、子どもを守る」という習性は、実際鳥類にも見られるもので、卵や雛がいる巣に捕食者が接近した際に、親鳥は怪我をしているフリをして捕食者の気を引き、自分を追わせることで子孫を守る習性があるのだそうです。
ただ自分に視線を集めるのではなく、怪我を負って逃走能力が低くなっているように見せかけることで、捕まえやすそうだと思わせるのは高等なテクニックだと思うのですが、ある種の鳥はそういった演技をする本能が組み込まれているのです。
恐らく宮崎さんはそれを知っていて、青サギにそういう行動を取らせるわけですが、「親鳥が雛鳥を守るための習性」をしているということは、青サギはある種眞人にとって親のような存在になっているのだと思います。
また、先ほど青鷺がキリコに言った「私たちの生きる知恵」の一つがこの芝居なのだろうと思われます。
最終的には「友だち」と眞人自身に評されるわけですが、その際に「ヒミ」「キリコ」も挙げていることから、この映画では友だちとか親とかの属性の壁が融解しているような印象を受けます。
なぜそういう作りなのかというと、宮崎さんが自身の親が死去した年齢を超えてしまったこととか、高畑さんや保田さんのように仕事の先輩であり自分にいろいろなことを教えてくれた人が亡くなっていって、その人達との関係を振り返った時に師であり友でもあったといった感慨になったんじゃないかなぁ、というのが私の思うところです。
あと、宮崎さん自身が、どこか、主人公が親になる展開を描くことを避けてきたように思うし、登場人物の親が親であることを避けたり、親としての能力や機能が不完全であったり、またポニョのリサのように自分を名前で呼ばせる友だちのような距離感の親を描いてきていることから、親の側からしても、親という重責を負うのではなく友だちぐらいの感覚で接していたかったという願望がちょっと出ているんじゃないかなと思ったりします。
インコは青サギを発見し、仲間を呼んで、一斉に青サギを捕獲するために飛び立ちます。
青サギはそんなインコたちをちらっと確認してほくそ笑み、走るスピードを上げます。
しかし青鷺は、石垣に蹴躓いてしまう……これも含めて演技なのかな、と思いそうにもなったのですが、多分本当に蹴躓いている。
眞人と青サギはでこぼこコンビかつ二人ともおっちょこちょいなんですよね……どっちかがしっかり者だったりしたらよいのですが。
でも現実ってそういうもんですよね、ミスしない人なんていないし。
ピシッとした完璧人間がいない……ヒミとキリコは欠点は特にないように描かれているように見えるけど。
また、このシーンで描かれる「積乱雲」は、雄大な夏の終わりのものとして描くよう指示が入れられています。
現実世界の方では、まだ夏の終わりなんて時期ではなかったはずなので、やや時期にずれがあります。
2024年現在よりも夏の終わりの訪れが実際に早かったのか、現実世界とこの世界の季節がずれているのか、実際に作中の現実世界も夏の終わり頃まで時間が進んでいたのか、ちょっとよくわからないですね……。
・鍛冶屋の扉を開ける眞人
青サギを追ったインコが飛び去ったことを確認した眞人は、石垣を跳び越えて、前庭を突っ切って鍛冶屋の家の扉の前に立ちます。
玄関ドアには馬の蹄鉄がかけられています。
西洋では魔除けのお守りとして、馬の蹄鉄をドアにかける習慣があるのだそうです。
しかし魔除けをしていても、インコには食われてしまうなんて皮肉です……。
ただ、西洋の魔除けの習慣を取り入れているとするなら、この鍛冶屋は一体どんな人物だったんでしょうか。
この世界にいる人間であるヒミとキリコはどちらも日本人なので、屋敷の離れから入ってきたと推察できますが、「西洋の魔除けの風習」を知っている鍛冶屋って、果たしてどうやってこの世界にやって来たのでしょうか……。
ヒミが離れから迷い込んだのだとすると、あの石の中に入ることがこの世界に辿りつく条件なんだと思うのですが
大叔父が洋行帰りという設定がありましたけど、かと言ってあの離れまで西洋人を連れ込めるとは考えにくいし……。
鍛冶屋とは言っているが、その人物像には触れられないので、人間ではない可能性もあるのですが、それにしても世界観が意味不明です……。
眞人は鍛冶屋の玄関をノックしようとしますが、思いとどまって、ノックせずにドアを開けます。
眞人が部屋に入ると、ドアの外から綠インコが現れて眞人の後方を塞ぎす。
ドアを開けるまでほんの数秒しかないし、両脇まで接近されて初めてインコの存在に気づいた風なので、まぁ眞人は警戒心が薄かったと言わざるを得ないでしょう……。
青サギは眞人を試すように単独行動をさせましたが、眞人は見事にそれに失敗したと言えます。
この映画に通底するところですが、眞人も青サギも、ちょっとした変化はするものの、「アクションヒーロー」としての成長はしないんですよね。
それが映画のセオリーから外れていると思うし、これまでの宮崎さん作品とも外れていて面白い気はします。
・インコだらけの家
家の中はインコだらけで、綠インコが一列に並んでいます。
ここでインコは手にお皿を持っていますが、このお皿には「色センを加えて中華風に」という指示が書き込まれています。
宮崎さん、食器の装飾の地域ごとの特徴を把握しているってことですよね……ほんまにすごい。
このお皿は鍛冶屋の家にあったものをそのまま使っていると思われるので、家の外には西洋の魔除けのお守り、家の中では中華風の食器を使っているということになり、ますますこの鍛冶屋の出自がわからなくなります……。
インコのボスが「お待ちしておりました」と恭しく眞人を迎える。
待っていたということは、眞人がここにやってくることをインコ達は知っていたということですね。
眞人がこの世界にやって来たということは夏子を探しに来ている可能性が高く、夏子のいる場所に行くためには鍛冶屋の家を通るだろうと察知され、待ち伏せされていたということなんですかね。(鍛冶屋の家から夏子のいる場所に、どう繋がっているのかがよくわからないのですが……)
まぁ、ただ食材が自分からやってきてくれたから「待ってたぜ」と言っているだけかもしれませんが、その後夏子に関するやりとりができているので、本当に眞人を待っていたのかなーという感じはします。
眞人は「夏子という人がいませんか 探しているんです」と落ち着いてインコに尋ねますが、ボスは「こちらへどうぞ」と、眞人を奥へ誘導します。
なお、絵コンテでは、ボスが眞人にお辞儀をする際に「まわりのみどりインコも親しげに会釈する」と指示されていますが、そこに対して「これやめる 止めておく」と、演出を変更する指示が書き加えられていました。
その理由の考察なのですが、なんとなく、インコは色ごとに社会階級を分けて描こうとしていたように思うんですよね。
途中から全部ぐっちゃぐちゃになっちゃった気がするのですが、最初のほうは綠のインコが多く、綠は言語の使い方も不十分で単純な作業に従事しているような印象でした。
なので、ここで挨拶をするとしたら、ボスが挨拶しているのに合わせてとりあえず頭を下げているといった感じだったのでしょうか。
でも「親しげ」という演技の理由がよくわからないです……久しぶりに肉にありつけるから、その喜びがにじみ出ちゃってるといった感じでしょうか。
しかし会釈の演出事態をやめるとなったところを考えると、綠インコは眞人をただの肉としてしか見ていないから、会釈する必要性を感じないといったところでしょうか。
また、黒い人は眞人に会釈するものとしないものとがいたので、挨拶することは何かしら魂の接触のような意味合いがあると思われるので、綠インコと眞人は完全に相容れないといったことにしようとしたのかもしれないです。
わからん。
ただ、このような細かな演出の変更があるくらいなので、「挨拶をしないこと」に意味があることは確実ですね。
インコたちは鼻息がふんふんうるさいです。
おそらくここで眞人の匂いを覚えた綠インコが、後々眞人とヒミを追い詰めることになっているはずです。
眞人がボスインコの後について進み始めると、綠インコはしっかりと後ろを塞いでついて行きます。
家の中はめちゃくちゃにされており、インコが鍛冶屋を食った後も荒らし回っていることが伺えます。
カメラが少し引いたところからボスインコと眞人を映すようになると、列に並ぶインコが後ろ手に斧や包丁を手にしていることがわかります。
それらは刃こぼれしている様が伺えるので、この刃物は使い込まれた≒いろんな肉や骨を切ってきたことがわかり、また、鍛冶屋にいるはずなのにそれらを研がない≒研ぐ技術がここのインコにはないことが伺えます。
奥まで辿り着くと、ボスは眞人に汚れたテーブルに載るように促します。
鍛冶屋の床には骨や肉片が散らばっており、惨劇が起きたことが伺えます。
また、家は食べ物がないかとインコが荒らしているためごちゃごちゃになっているようでした。
家の前に畑があるのだから、純粋に食糧探しであれば野菜を食べればよいと思うのですが、まだ子どもで小さい眞人の肉を食うことを列成して待つあたり、インコにとって肉を食べるという行為は何か特別な意味を持っていると思われます。エヴァみたいに、食った相手の能力を取り込むといったことはないだろうし……。
でも、人間のような知性を得たいから人間を食おうとする、という発想はあり得そうですね。
眞人は「おまえたち こうやって夏子さんを食べちゃったのか!」と言います。
ボスインコとは別の声で
A「夏子さまは赤ちゃんがいる」
B「赤ちゃんは食べない」
C「お前は赤ちゃんがいない」
一同「クエル クエル」
とささやかれます。
絵コンテで、ロジカルシンキングであるかのように変な理論が展開されるように指示されています。
キリコが「全ての青サギは嘘つきであると青サギが言った。それはウソか本当か」と有名なパラドックスを引用していましたが、それと同じように、ロジックが成り立っているのか破綻しているのかよくわからんという面白さを狙っているのでしょうか。
インコたちが眞人に押し寄せると、テーブルの上に炎が吹き上がります。
・モデル立ちするヒミ
絵コンテによると「火の粉やねばり気のある溶岩のような火」が周囲に降り注ぎます。
普通に炎を出すだけの人かと思ったら、花火を放ったり粘り気を出したりと、ヒミが使う炎にもいろんなパターンがあるのですかね……。
炎が吹き出た時点でインコ達はヒミが現れたことを察して「ヒミだ」と言いながらパニックになります。
インコ達は出口に向かい、カットは家の外に切り替わります。
ドアが内側からメキメキと音を立てながら膨らみ、やがてインコと炎がドアを押し破ります。
絵コンテでは「ドアが(内開きなので)中から押しやぶれ」と指示されています。
玄関ドアは内開きに作られているのですが、インコがパニックになったのか、ドアを内側から開こうとしなかったか、もしくは開く間もなく押し寄せてしまい開かなくなったため、結局破れることになってしまったと思われます。
細かいところまでよく考えて演出されていますねぇ……普通だったら、パニック状態だとは言ってもインコがドアを開いて出て行くことを考えそうだけど、パニックなのでそれができないし、また、恐らく絵としても「扉を破って火と炎が吹き出す」のほうが面白いからこういう演出になったのでしょう。
また、私としては、この映画が「扉の開け閉め」を多く描いているとも思っているので、このように扉の開閉や人物の出入りについては細かく演出されているのかなと思ったりします。
インコが「呆れるほどの大人数」飛び出してきて、最後の一匹はちゃっかり皿やナベを下げて通過していきます。
この絵はコミカルで、インコが不気味なのに、ちょっとアホで憎めない可愛げがあることがよくわかります。
かわええ。
インコが退散していくことから、ヒミの存在はインコの間でも知られていると思われます。
部屋の中にインコが残っていないことを考えると、ヒミはインコを駆除する意図はなく、追い払っただけのようです。
でもなぜ眞人のピンチを察知できたのかわからないです……。
ヒミは、インコが人間の領域を侵すと探知してやってくるのだろうか……それなら鍛冶屋が襲われる前に助けてやってもよさそう。
インコとヒミの関係や、ヒミが眞人のピンチを察知した仕組みはわからないですね……。
カットが荒れた部屋と眞人に戻り、眞人が乗せられそうになっていたテーブルの上では炎が燃え上がっています。
炎の中には腰をくねらせて立つ人間のような形が見え、段々と炎が収束し始めます。
眞人が炎に顔を近づけると、炎の中から少女の顔が出てきます。
この時、絵コンテでは「ドッと風が眞人に吹く」と指示されています。
炎の熱で起きる風とかではなく、強い風のようなので、青サギが池の前で母のことを眞人に伝えた時を彷彿とさせます。
「眞人に正面から吹く風」は、眞人を強く誘引するような存在なのかなーという解釈をします。
キリコは「オマエマヌケだね インコにシチューにされるよ」と眞人に告げる。
キリコは眞人という存在を認知しておらず、ただ、インコに食われそうな人間がいたから助けようとしたのかなと思われます。
眞人は「君はヒミ? たすけてくれてありがとう」とお礼を言います。
眞人、ちゃんとお礼を言えるようになっています。
また、昨日の夜に遠くに見ただけだったはずのヒミだとわかるのは、恐らく炎を使う少女という印象と一致したためでしょう。
ヒミは「キリコのところで生意気を言っていたのはお前だね」と返します。
生意気、と言っているあたりは眞人が言うような「ワラワラを燃すな」という事情については、ヒミもやむなくやっていることって示唆なのだと思われます。
自分がやっていることは生態系を守るために仕方の無いことだって話なんだろうか……でもそれで言うなら、ワラワラは食われる一方でも仕方が無いってことになる気もしますけど……そもそもキリコがワラワラの世話をしてあげなかったら、ワラワラは食糧調達をどうするんだろうっていう話にもなるし……考えれば考えるほど意味がわからん……😭。
大叔父が連れてきたペリカンがワラワラを食い漁る、ワラワラを守らなければワラワラは滅びる……でもヒミは、ペリカンを連れてきた大叔父のことを崇拝していそうな雰囲気だし……考えれば考えるほどわけがわかりません。
そもそもキリコがワラワラの世話をしていますが、キリコが現れる前は誰がワラワラの世話をしていたんだろう……他に誰かそういう人間がいたのでしょうか……まぁ多分いたのでしょうね。
でもそんな存在は劇中では示唆されません。
もう考えるのをやめます!
ヒミから「お前」と二度も言われたからか、眞人は「ぼくはマヒトだ 夏子という人を探しているんだ」とヒミに尋ねます。眞人が自分から名乗るのは劇中で初めてのはずです。
夏子のことはシカトしていたし、学校で挨拶させられる時もおそらく先生がみんなに紹介してあげただけで、自分からは名乗っていない。
打ち解けることになるキリコに対しても、聞かれて初めて名乗っていました。
なので、こうして眞人が自分から名前を明かすということは、彼が変化してきている証左でしょう。
ヒミは興味をそそられたのか、身を乗り出して「なつこ……いもうとか?」返事をする。
眞人はヒミが自分の母である可能性を感じて、「いもうと……?!」とリアクションする。
ヒミは少し身体を引っ込めて、眞人に手を差し出し「来い」と言う。
ヒミの手に炎がまとわりついていて、眞人はちょっとためらいますが、ヒミは「はやくしろ」と急かします。
眞人は意を決して手を伸ばすと、ヒミは彼の手を取って持ち上げます。
ヒミの腕力はそんなにないはずなので、何かすごいパワーが働いているものと考えられます。
ところで、眞人はこの映画の中で、あんまり人に触れません。
実際に手を握るのは、海から引き上げようとするキリコと、この時に引っ張ってくれるヒミと、映画の最後で夏子と手を繋ぐくらいです。
ヒミとはこの先頻繁に手を繋ぎますが、まぁ、この後一生彼女に触れることができないので、一生分触れあっていると考えられるかと思います……悲しい。
ヒミが炎の中から出てこない理由があんまりわからないのですが、ヒミは炎の中から出てこれないという設定があるのでしょうか。
ワープの能力があるわけではなく、自分から離れたところに炎を現出させることができて、その炎の中から遠隔地を覗いたりすることができるなどの能力であるとかですかね。
あと自宅の暖炉に戻っていくようなので、暖炉から「釜」の近くに炎だけ出せるとか……鍛冶屋の釜の前に現れていたので。
わからん……。
あと、火や竈は子宮の象徴とされることが多いのだそう。
もののけ姫の解説で、タタラ場をそのように解説している文章があったのですが、詳細失念してしまいました。
眞人は釜と炎の通り道と暖炉を通ることになるので、この辺りで、眞人は「産まれ直す」事になったのかと思われます。
そういえば前に書いたか忘れてしまったのですが、眞人はキリコから温かい水の流れる場所から送り出されていたので、おそらく、キリコという庇護者がいる母胎を出る道を進み出しているはずです。
ここでまた、炎の炉からヒミによって連れ出されるので、二人の女性によって、眞人は一人立ちをしていくことになっていると思われます。
普通、母胎から出たら戻っていくことはないと思うのですが、この映画では二度それが描かれるのでちょっと変わった構成な気がします……まぁ、実際の人生においては、依存したり甘えたりする対象を見つけては離れることを繰り返すのが常である気はするので、物語のセオリー的なものとは外れていてもよいなとは思います。
・ワープするヒミと眞人
謎のピシピシと亀裂が入るトンネルを抜けていくヒミと眞人。
絵コンテによると、地中の闇の中を、火のヒビ割れがのたうつように走って行くようなイメージとのことです。
この場面は「5秒欲しいので」と指示されているので、それなりに大事なシーンかと思われます。
また、二人の姿は「ハレー彗星のように……」と指示されています。
宮崎さん、星とか彗星が好きですよね……。
ハレー彗星は75.32年周期で地球に接近する彗星です。
1910年に地球に接近した記録があるようなので、何かストーリーに関係している可能性もありますが、詳細不明なのでわからんです……。
カットが田舎風の暖炉に切り替わり、そこにブワッと炎が燃え上がって、ヒミと眞人が手を繋いで出てきます。
どうやらヒミの家の暖炉だったようです。
ヒミの家は決して片付いているわけではないそうです。
ヒミの鍋が煮たぎるが、鍋をさじでかき回して、さじはそのまま元の場所にかけ直されます。
一応食品をかき混ぜたので、さじを洗うとか拭くとかしてもよい気がしますが……。
ちなみに絵コンテによると、鍋の中は豆とのことです。
すすも掃除されていない様子ですが、不衛生というほどではないように見えます。
ワープの震動で、暖炉の前にある椅子の上から本がばらばらと落ちますが、眞人はそれを戻しつつ立ち上がります。
他の場所にも本が置かれているので、ヒサコの読書好きはこのくらいの年齢の頃から見られる傾向だと言える。
眞人とヒミの間で本にかんする会話が交わされることはありませんが、久子が生前読書する習慣を持っていたことがこうして示されます。
ちなみにキリコの家にも本は置かれていました。
本があると言うことは、本を製本する人、本を書く人もいるはずなんですよねぇ……
現実世界から持ち込まれたものと考えればよいのだろうか……。
ヒミが黙って家の外に歩き出して、眞人は彼女についていきます。
絵コンテでは「うんと日常的にやってください。マヒトはそのヒミのあとについていく気分です」と指示されています。
二人が初対面だけど、何か通じ合っているところがある感じや、二人でいることが特別ではない感じを演出したいのですかね。
・ヒミの家
ヒミの家が引きで映されますが、家の前には野菜畑があり、家の後ろは帆船の浮かぶ海になっています。
家の脇には船着き場へ行く階段があるようです。
おそらくは、そこから船に乗って、ペリカン駆除に向かうようですね……。
家のドアが開いて、ヒミと眞人が現れます。
ドアの開閉シーンをやたら描くこの映画ですが、このシーンでは開け閉め両方描かれます。
二人が外を眺めていると、カメラも家の正面を映すように切り替わります。
菜園の先には荒れた庭園があり、その先に糸杉と桜並木があり、さらに先に塔が立っています。
絵コンテでは「サギ屋敷にあるものより大きくなっても仕方ありません」と指示されています。
観客も「なんか眞人の家にある塔よりデカくね?」と思っていたと思うのですが、宮崎さんにも自覚はあったようです……。
また、ここで、家の壁にはバラが咲いているように見えます。
また、家の中ではバラのような花がたくさん飾られています。
バラなのであれば、大叔父がバラを投げたのはタキシード仮面様ごっこではなく、久子=ヒミの存在を匂わせるものだったという解釈ができます。
とはいえ物語ではこれ以降バラが出てこないので、その辺の意味は正直不明です……。
眞人は屋敷のそばにある塔と同じと気づき、ヒミが「あの塔は色んな世界にまたがって建っているんだよ」と教えてやります。
そして「おいで」と再度眞人を家に招き、眞人は塔を見やりながら中に入ります。
そしてドアが閉まりシーンが切り替わります。
ここで絵コンテでは「ヒミがドアをしめたらしい」と、ドアを閉めるという行動者の名前も指定されています。
わざわざ中から閉めてあげるということは、ヒミは眞人に世話を焼いているのだろうと思われます。
・ヒミとの食事
絵コンテでは、ヒミがパンとまな板? を用意するシーンが描かれていますが、「ナシ」として欠番になっています。
ヒミはまな板にデカイパンの乗せ、ナイフでザクザクと思い切り切っていきます。
令和に流行った(そしてあっという間に廃れた)生食パンなんて甘ったるいものは食いません……ザクザクの堅いパンです。
そしてなんかの葉っぱに包んだバターを取り出し、大きく切り取ってパンに塗り込みます。
バターは「井戸の中でひやしておいた」ものだそうで、葉っぱは「巾広の葉」と説明されています。
「巾広」のところは消しゴムをかけた後があるので、実在の植物名などが描かれていたのでしょうか……。
バターは「黄金色」と指定されているので、美味しく映るように工夫がこらされていることが伺えます。
ヒミはジャムをたっぷりかけ、眞人に「食べな」と差し出します。
眞人は絵コンテによると驚いているようなのですが、観客と同じように、「バターとジャム塗りすぎじゃね?」と思っていると思われます。
ヒミは「いそいで ジャムがたれるよ」と眞人を急かし、眞人は驚きと喜びを混在させながらパンを受け取って、大きく口を開けて食べ始めます。
ジャムは表面張力でギリギリこぼれずにいたくらい盛られていたので、眞人の口周りはジャムでべっちょべちょになります。
眞人は一口食べると美味しさで食べるのに夢中になり、むしゃぶりつきはじめます。
なんだかめいちゃんとかポニョを思い出します……美味しさで目がきらきらになる子ども。
ヒミはそんな眞人を見て「キリコもあたしのやくパンが好きだよ」と言うのですが、ここでキリコの名前を出す意味があんまりわかんないんですよね……。
キリコはヒミを様付けで呼ぶけど、ヒミはその辺の上下関係を気にせず食事を振る舞ってあげることもあるって描写なのでしょうか。
自分としては、唐突に他者の名を口にするものだと、風立ちぬで、菜穂子が二郎と再会した時に、二郎が好きだったであろうお絹が「あの人はもうお嫁に行って子どもがいる」と告げて、失恋感を味わわせて自分に目を向けさせようとするという恐ろしい策略を思い出します。
それとは別の感想になるのですが、女性って、男性に対して、「自分はこのような男性から好かれている、アプローチを受けている」ってことを示して、自分は競争率が高く市場価値があるというアピールをしませんか……?
なんかそういうのに似たものをこのヒミからは感じたのですが……私の気のせいでしょうか。
眞人は口の周りをジャムだらけにしながら、「とてもおいしい ずっとせんに母さんがやいてくれたパンみたいだ」と言います。
年頃の男の子って、お母さんに甘やかされていることを恥ずかしいと思うようになると言いますが、ここでの眞人はあけすけです。
ポニョで宗助が「ぼくもお母さんのおっぱいを飲んでたんだよ」とあけすけに語るシーンについて、大塚英志さんがマザコン感の強い作風であることを指摘していましたが、それと同様のことをこのシーンにも感じます。
眞人が美味しそうに食事するのはこのシーンが初めてです。
もしかすると、この言葉を聞いたことで、ヒミは将来眞人にパンを焼くことを誓ったのかもしれません。
でも冷静に考えると、ヒミのこのパン焼きスキルはどこで身に付いたんだ? という感じではあります。
久子が育ったサギ屋敷は日本家屋だったので、パンを焼く設備はないです。
離れの洋館にはそういった設備があったのでしょうか……それとも設備はないけど頑張って焼いたのでしょうか。
この世界に辿り着いてから学んだのですかね……本がいっぱいあるから本で知識を得たか、あるいは洋行帰りの大叔父から教わったのか……いずれにしても、明治終期から昭和初期に育ったであろうヒミがパンを焼けるのは、自然なことではありません。
ヒミは「夏子はマヒトの母さんか?」と尋ね、眞人は少し目をそらしながら「ちがうよ 夏子さんは父さんがすきな人だよ ぼくの母さんは死んじゃったんだ」と答える。
ヒミは「わたしと同じだ」と言い、久子と夏子の母は、ヒミがこの歳の頃には亡くなっていることが明かされます。
眞人はその言葉に少し衝撃を受ける。
ヒミと眞人が座るテーブルの向こうの窓から、沖を船が通っている様が見えます。
ヒミは眞人に「沢山食べな うんと奥へ行くんだからね」と言います。
ここで眞人は、自分の母親は久子という名であることや、自分の母は夏子の姉であることは名言しませんが、恐らくヒミは眞人との関係を察しています。
「変な方法で自分の親に会う」という展開は、思い出のマーニーとも同じです。
あちらは直接の親ではありませんが……。
あと、「エヴァ」とも同じなんですよね。
この映画はちょっとエヴァっぽいと言われるし、宮崎駿さん自身も冗談半分でそうほのめかしますが、共通点は実際に多い。
そもそもこのジャムパンですが、「美味しそう」という感想と、「美味しそうに見えない」という感想に別れています。
自分としては、そんなに美味しそうには見えなかったりしました。
また、眞人が自傷で流した血とジャムの色が被っているように見えてちょっとグロく感じるという意見もありました。
眞人が失った血を、ヒミがたっぷりとジャムを食わせることで取り戻していくというイメージなのかもしれないですね。
・変なところにいくヒミ眞人
荒れた庭園を進んでいく眞人とヒミ。
ヒミは「この庭で迷うと出られなくなるよ」と言いますが、どういう原理なのかは不明です……。
なんか、出られなくなっちゃいそうな面白魔法仕掛けが見えるとよかった気もしますが、そういったものは特にありません。
沈床園の階段を降りていくと、ブルーのインコが槍?を持って見張りをしています。
また、ここでヒミと眞人が隠れている壁にはインコのレリーフが彫ってあります。
このレリーフが古い(コケが付いたりヒビが入っていたり)ものではなく、新しく掘られたものなのであれば、インコが人間からこの土地を奪還して、自分たちを誇示するために作ったものと考えられます。
古いものだったとしたら、この館を建てた人間に愛されていたので掘られたとかなんですかね……。
あと、提案にはみかんのように見える果物がなった木があります。
やっぱり、純粋に食物はたくさんある世界なんですよね…なのでインコは肉を食うのは贅沢として楽しもうとしていると思われる。
キリコも無理して沖まで怪魚を捕りに行かなくても、食うだけならやっていけそうではありますが…。
ヒミは見張りインコを見つけると、別のルートで行くことにするのかトンネルに戻り、手から火を出します。
変な地下道を通っていきますが、インコが眞人とヒミの匂いを嗅ぎながらやってきます。
インコが鼻をふんふん言わせているので、多分鍛冶屋で眞人を食おうとしたインコと思われる。
顔も汚れているので、ヒミの襲撃を受けてすすにまみれた状態であると思われます。
肉を食い損ねた恨みは怖いですね……。
薄暗い廊下に場面が映り、壁の腰板がゴトッと外されると、外からヒミと眞人が入ってきます。
ここで映る壺は「中国の磁器」とされています。
インコが持っていたお皿と言い、中国製の磁器が多く出ますね……。
ヒミは「ここでは私の力は制限される」と、よくわからない理屈を眞人に告げます。
現実の世界に繋がる場所だから、魔法パワーは使えなくなっちゃうってことなのでしょうか。
ところでヒミが出てくると、クワイアっぽい女性コーラスが聞こえてきてなんだか神秘的に感じますね。
恐らく久石譲さんの娘である麻衣さんの声です。
・変な回廊
ヒミと眞人は、変な数字が描かれた扉だらけの回廊を進みます。
数字は絵コンテでも「乱数」として指示されていて、数字は飛び飛びです。
眞人が「このドアは?」と尋ねますが、ヒミは「口をきくな まちがえる」と真人を振り返りもしない。
回廊はとんでもなく長く続いていて、天井には彗星など宇宙の絵が描かれている。
ヒミは「132」と描かれたドアの前で立ち止まり、ドアの真ん中にある小窓を引き開けます。
外は眞人が住む世界に繋がっており、勝一がおばあちゃん達を連れて坂を登ってくるところが見えます。
眞人は「父さん!?」と驚き、ヒミは「あれがお前の父親か」と冷静に言います。
ヒミは小窓を閉じて、「帰りたければこのドアをあければすぐ帰れる」と言いますが、眞人は「夏子さんは? ぼくだけでは帰れない」と答えます。
この時、ヒミはドアを開けようとしていますが、「夏子は帰りたくないといっている 赤ちゃんを産むんだ」と言い、ドアを開けるのをやめます。
赤ちゃんを産むためにはここにいなければいけないという理屈がわかりません……。
また、眞人は夏子を探しに来ていると最初から言っているのに、元の世界に帰れる扉に案内してくるあたり、ヒミは眞人にこの世界に深入りしてほしくなく、帰らせたかったのだと思われます。
しかし元の世界に帰れる扉を前にしても、夏子を探そうとする意志を見せたので、ドアを開けることをやめたのかなぁと思います。
また、実際のところ、このシーンって存在する意味がないんですよね……もともと眞人の元へ夏子を案内すればよいだけの話なので。
しかしこのシーンのために2分ほど使っているので、宮崎さんはこれを描かなければならなかったはず。
推測でしかありませんが、ここで、「ヒミが勝一のことを知る」ということを描きたかったものと思われます。
ヒミからしたら、将来の伴侶となる男を確認したわけですから、もっと驚いたり、子どもらしいというか少女らしい反応をしてもよいと思うんです。
タイムスリップものとかでもよく描かれると思うのですが、「自分が将来付き合う、結婚する相手を見る」ってネタは、キャラクターのリアクションを描ける面白いものなんですよね。
落胆もありえるし。
でもヒミは無反応に近いです。
これって私のこじつけかもしれませんが、ヒミは勝一の姿を確認したから、勝一と出会った時に結婚を自然と受け入れたんじゃないかなと思うんですよね。
もっと言うと、「眞人を産みたいから、勝一と結ばれることを選んだ」ってことにしたいんじゃないかと思いました。
もちろんこの時代の結婚なので、女性に選択権はなくて、ただただ男性が決めた結婚を受け入れるしかなかったのかもしれないですが。
ただ、この時のヒミの勝一への関心のなさは一考に値するものだと思います。
これについて一つ考察というか、思うことがあるのですが、宮崎さんはこの作品でオディプスコンプレックスの解消方法として、「母は自分を産むために父と結ばれることを選んだ」ということにしようとしていないかなと…。
これについてはある程度まとまった段階で書きます。
つまり、ヒミは将来眞人を産むという目的のためだけに勝一と結婚したということにしたいんじゃないかなと…ある意味、母を父からNTRすることを描いているように思えるのです。
究極のマザコン映画だという感じです。
シナリオのプロット的には、正直この、ヒミと眞人がどこでもドアで現実世界に行くシーンって必要ないと思うんですよ。
だってそもそも、眞人は現実の世界に戻りたいなんて言っていないのだから、あの変な部屋に行く必要がないではないですか。
で、現実の世界の現状を見たからと言って、眞人とヒミの心理に変化はないわけです。
なので、私としては、「ヒミが勝一を視認する」経験をさせるためにこのシーンが作られたんじゃないかと思うんですよね…。
だって、何にもなっていないじゃないですか…。
回廊の向こうから、インコの大群が行進しながらやって来る影が見えます。
反対側からもやってきており、また、インコ達が武器を携えていることが影に映ります。
やむなくヒミはいったんドアの向こうに退避することにし、眞人にドアを強く握って絶対に放さないように指示します。
ドアを開くと雪山のようなところに出ますが、ドアを閉めると、内側から見えていたような眞人の住む世界に戻ります。(絵コンテでは、火山の噴火口を一時的に通過するよう描かれているが、完成版では雪山のみになっています)
眞人が「ここは?」とうっかり手を放しそうになると、「一度離すと外からはみつけらない」とノブを握ったままでいるように指示します。
眞人が足音に振り返ると、草の丘の向こうから、おばあちゃん達を引き連れた勝一がやって来ます。
眞人が屋敷の中に入ってから一晩経ったと思うのですが、現実世界でも同様に一日しか経過していないように見えます。
絵コンテでは、勝一はスタスタと歩けなく、一歩一歩踏みしめてゆっくり来ると指示されています。
荷物を沢山背負っているからなのか、湿地なので滑らないようにしているのか、勝一が普段からドカドカと歩く癖があるのかはわからないです……。
勝一が眞人とヒミに気づくと、勝一目線のカメラに切り替わります。
この時、勝一は「マヒトだ!」と叫びますが、カメラにはヒミも入っています。
マヒトに集中しすぎていてヒミに気づいていないのかもしれませんが、自分の前妻なので、幼少期の久子の写真くらいは見たことがありそうだし、大人になった久子しか見たことがないのだとしても面影くらいはありそうだよな……と思うのですが。
これは意地悪な見方になっちゃうかもしれませんが、勝一も久子にそんなに関心がないから、幼い頃の前妻が一緒にいるのに、眞人にしか目が行かないんじゃないかと思うんですよね……。
でないと、眞人にしか言及しないようにする意図がわからん。
勝一は眞人に気づくと、ずっこけたりしつつ猛然と眞人に駆け寄っていきます。
ヒミは「かえるか? 手をはなせばかえれるぞ?」と言いますが、眞人は「だめだ、夏子さんがまだだ」と言い、ドアのノブを開けてしまいます。
扉の向こうで二人を待ち伏せするインコたちがいて、インコがドドッとドアに押し寄せてきます。
眞人とヒミはドアを閉めようとするが、インコがすごい圧力でぶつかってきたため、ドアが開放されてしまいます。
インコたちはなだれ込んできますが、眞人とヒミはドアの裏側にいるため彼らには捕まらない。
その様を見ていた勝一は「おのれー 化け物―!」と刀を抜きながら走ってきます。
「まったくためらいなし」と指示されているので、勝一はそこそこ勇敢な男なようです。(そういえば勝一は徴兵されていないんですよね。軍事関係の仕事をしているから戦争に行かなくて済んでいるのかもしれませんが、通常、徴兵される年齢には見えます)
インコの群れに突入して刀を振り回しますが、インコ達は異世界でのデカデカ形態から、普通の鳥サイズにメタモルフォーゼします。
なので勝一の刀は空を切るばかり……。
絵コンテによると、インコたちはノブをつかんでないので、異世界から普通の世界にきてしまうのだそう。
勝一はやがて、自分が相手にしているのがただのインコであることに気づくと、「ん?」と拍子抜けする。
その勝一にウンコをブリブリと落としていくアホいんこたち。
絵コンテによると、インコたちは「ワーイ自由だ 外だーっ」と歩いて行くとのころです。
となると、インコたちも異世界にいるのはちょっと嫌なんですかね……。
自由を感じるということは、何かに服従させられていると考えるべきなのでしょうか。
ここに来たインコは兵士だったので、眞人とヒミを捕らえられなかったのであれば元の世界に戻るべきでしょうが、そのまま塔に背を向けて飛び去っていきます。
インコもインコで、あちらの世界ではとらわれの身であり自由を奪われているという実感があるってことになりますよね……ますます謎です
というか、ヒミは世界の主たる大叔父の肉親なので、あちらの世界でも重要人物であるはず。
そう考えると、インコにとってヒミは手を出してはならない高貴な存在なのかと思っていたのですが、ここでは襲ってきます。
襲ってくる理由はというと、塔の中ではヒミの力が制限されており、抵抗されにくいからだろうと思われます。
抵抗されにくければ普通に襲ってくるのは、別にヒミは庇護下にあるというわけではないってことなのか、インコが人を食うことに見境がなくなっているという意味合いなのか、ちょっと判断着かないですね……見境がなくなっているって説が私的には濃厚かと考察します。
勝一は「眞人がセキセイインコになっちまった」と落胆します。
このシーンはちょっと笑いが起きていましたね。
眞人は「父さんごめん」と言い、勝一に声も掛けずに異世界に戻っていく。
冷静に考えると、勝一も異世界に連れて行ったほうが戦力にはなりそうだし、協力を仰がないとしても「ちょっとしたら帰れると思うよ」とか言うだけでもよさそうですが、そうはしないようです。
やがておばあちゃん達が勝一に追いつきますが、デカインコとか眞人の姿を見ていないので、おばあちゃん達は「旦那様が狂ってしまった」とか思っているかもしれない……。
・チョコレートと勝一がずっこける様について、蛇足というか考察。
宮崎駿さんは長らく父との間に確執があったことをさまざまな場で告白しています。
というか多分、父親世代全体が、「愚かな戦争を起こした」責任があるのに、その責任を感じていないように見えるといった話をよくしています。
特に宮崎さんの一族は戦闘機を作ることで儲けていたので、なおさら宮崎さんはその負い目があったのだと思われます。
親族の集まりでは「南京で何人斬った」なんて自慢話をしていた親族もいたとのこと。
思春期には、父と戦争責任について議論をして食ってかかることもあったそうです。
宮崎さん自身、空襲に遭った経験があり、家族でトラックに乗って逃げようとしていると、小さな子どもを背負った女性が「乗せてください」と請うたけれど、家族を乗せるので一杯だったので、お父さんはその人たちを乗せずにトラックを走らせたとのこと。
この時に親子を救えなかったことは、宮崎さんの心に大きな傷を残したもよう。
もちろん宮崎さんには何も責任がないし、お父さんの選択も誤ったものとは言えないし、その親子が空襲を免れて助かった可能性もありますが…。
しかし心の中では、「お父さんがその冷酷な決断をした」という印象が強く残っているようです。
そんなお父様について、『風立ちぬ』制作時に、疎開先の近所に住んでいた方から手紙を受け取るシーンがあります。
曰くその方は、空襲で家が焼けて行くところがなく、宮崎家のたたきに上がって勝手に休ませてもらっていたそうです。
そこへ宮崎さんのお父さんが帰宅し、事情を説明したところ「いていいですよ」と承諾してくれた。
しかし宮崎さんのお父さんは家を出なくてはならず、台所を漁ってチョコレートを持ってきて「食べてください」と差し出してくれたのだそうです。
手紙の主はそのことをずっと宮崎さんに伝えたかったのだと書き添えていました。
それを読んだ宮崎さんは、嬉しさを隠せない表情をして、お父さんの思い出をぽつぽつと語るというシーンがドキュメントに収録されておりました。
そこで一緒に語られたエピソードとして、宮崎さんのお父さんは空襲があった際、土手を登ろうとして、当時4歳ぐらいの宮崎さんをおぶったまま登ろうとして、何度も足を滑らせてずり落ちてしまったとのことがありますのだそうです。
幼い宮崎さんは「自分も一人で登れるから下ろしたほうが早い」と感じつつも、必死だったお父さんの姿が忘れられないそうです。
なんか、私には、この眞人の元へ駆け寄ろうとして何度もこける勝一の姿が、宮崎さんのお父さんの必死さを反映させたものに見えるのです。
あと、チョコレートをひっつかんでポケットに忍ばせるところも。
なんかこのシーンがあるから、勝一が、どこか憎めない人間に仕上がってるのかなと思ったりなどするんですよね。
ちなみに宮崎さんはそのお手紙の主へのお返事に、父を許すことができた旨を書いたようでした。
・産屋に向かうヒミと眞人
シーンは突然切り替わり、ヒミと眞人はぬるっとした壁に囲まれた階段を駆け下りていきます。
耳をすませばの空想シーンみたいな絵ですね。
こうして考えると、やっぱり宮崎駿さんは、作品の中で一度見たら忘れられない印象的な絵をたくさん残してきているんですよねぇ。
あっぱれ。
またカットが変わり、石の中にあるインコの生活風景が描かれます。
インコはアホすぎるぐらいにアホな生態として描いてほしいというのが宮崎監督からのオーダーだったようです。
まぁ、アホですよねぇ…。
インコが畑?を持っていたり、フライパンで目玉焼きを作っていたり、タマゴが管理されている部屋などがあったりします。
しかしよく考えると、目玉焼きって鶏の卵が一般的に使われていますが、インコが作る目玉焼きは何の卵なんだろう……鶏の卵なのだとしたら、同族食いでちょっとグロいですね。
絵コンテでは「商店街や卵の保育園やらいろいろあります」と指示されています。
卵の保育園ってかわいすぎでは……。
ほか、「滝や生活排水もある」「農園もある!」と描かれています。
生活排水については高い技術が求められると思うので、インコが自力で作ったというよりは、やはり人間が残したものの名残ではないかと思うのですが……。
ほか、「行進するみどり色」「料理インコは黄色」と指示されているので、やはりインコは色ごとに特性がありそうです。
ここから見えるインコの生態としては、「農業をしている(プランターがあるので)」「卵を管理する部屋がある(それこそ産屋のような)」おそらく他の種族の卵ではない
なんかラブラブしているインコの部屋がある 一夫一婦制っぽい
謎のロープの上を前ならえするように闊歩している
などでしょうか…。
インコが生活する石の下の方に、階段を駆け下りていくヒミと眞人が映ります。
・産屋へ
眞人は階段を降りる中、つかえを求めて脇の石に触れると、石から鋭い音と共にスパークが走ります。
眞人は衝撃で手を引っ込めますが、身体に帯電しているようなスパークが飛びます。
ヒミは「手で石にさわるな 石が私達がきたのを喜んでいない」と言います。
そんな注意事項は先に言ってほしいものですが……これまで「気をつけろ」と、なんでも先んじて警告してくれていたヒミらしくないと言えば、ヒミらしくありません。
彼女も危険な領域に踏み込んでいて緊張しているのでしょうか。
また、この石が、墓石などと同様な「石」であり、石には意志(だじゃれではない)があることも示唆されます。
分厚いカーテンがはためくカットに切り替わります。
絵コンテで「火の怪物らしき模様(本当は刺繍でしょうが……)」と指定される、印象的なカーテンの柄です……描くのは相当難しかったことでしょう……。
ヒミと眞人が画面に入ってきて、ヒミが「この中が産屋だ 夏子はここにいる」」と告げます。
眞人の髪が逆立つように作画されているようなので、カーテンの外からも超常的なパワーが働いていることがわかります。
ヒミの顔にも火花が散り、ヒミは珍しく顔をしかめます。
「石が気づいてざわめいている 私なら入らない」と忠告しますが、眞人は「ぼくはいかなきゃ」と告げます。
ヒミは眞人の答えににっと口角を上げるものの、「ここで待っている」と、眞人が一人で行かなければならないことを告げます。
眞人はうんと言って頷き、カーテンの中に手を入れ、奥へと進んでいきます。
眞人が身を入れると途端にスパークは激しくなっていきます。
産屋の中は、変な形の紙が回転式の傘に吊るされてぱたぱたとはためいています。
傘は二重になっており、上が右回転、下が左に回転していて、円陣のようになっています。
その下にはベッドがあり、夏子が寝ています。
その奥には、墓石と同じような形状の石が積まれていて、その石の奥は深い闇です。
変な形の紙がずらずらっと並んでいると、千と千尋でハクが紙人形に襲われているところを思い起こしますね
まぁあっちは人型で、こっちは下に切れ目が入って二股になっているだけの短冊なので、全然違うんですけど。
ハウルといい、千と千尋といい、宮崎さんの魔術・呪術の描写って群を抜いて面白いんですよね…。
もちろん宮崎さんのオリジナルというより、宮崎さんが民俗学や伝承に通じているから出てくるものだと思うんですけど、それにしてもアニメーションの表現としても面白すぎますよね…もっと見たいです。
この紙は絵コンテでは「御幣」と書かれています。
調べてみると、御幣は神道の祀りで使われるアイテムのようです……夏子を守っているのは神道の儀式で使われるアイテムだと考えると、西洋由来ではないし、具体的な宗教名が出てくるところが不思議というか不可解です……。
まさか宮崎さんが意味を知らずにそのような言葉を選ぶとは思えないし。
夏子が日本人だから、その夏子にまじないをかけるためには本人になじみのある宗教アイテムを使うのが最も効果的であるとは、そういう設定なのでしょうか…正直私にはわかりません……。
それにしても、宮崎さんは新作をまた作り始めているそうですけど、それでもまだまだ、宮崎さんの中には未だ誰も手をつけていない映像表現のアイデアがたくさん詰まっているはずなので、それを全部出し切ることができるかわからないのかと思うと、普通に芸術や文化史における損失が計り知れんと思うんですよね…。
眞人は夏子の元へと歩み寄っていきます。
夏子は眠っていますが,その顔は少しやつれて描かれているようです。
眞人は夏子の名前を呼びますが、夏子は目を覚ましません。
頭上をはためく御幣の回転は速まっていきます。
眞人が夏子に近づくことを嫌がっているようですね。
「のたうつ蛇のようにみえるものもある。ちぎれたり」と絵コンテで指示されています。
眞人は驚いて頭上を見上げると、御幣が眞人に張り付く攻撃が始まります。
絵コンテによると「ガムテープなみの接着力」だそうです。
眞人は紙を剥がすと、紙が付いた後には赤い線が走っています。
これは火傷のようなものなのか、擦り傷のようになっているのか、ちょっと画面や眞人の反応からは判断できません。
眞人がまとわりつく御幣を振り払っていると、夏子が目を覚まします。
この時点では「御幣は夏子にははりつかないらしい」と指示されています。
眞人は夏子に「夏子さん 眞人です むかえに来ました 夏子さん 帰りましょう」と呼びかけます。
夏子は眞人に気づくと、「あなた なぜこんなところへ来たの!」と鬼女のような形相で問います。
驚いた眞人に、「帰りなさい はやく」と叫び続ける夏子。
しかし吐き気を催し「ウッ……」となる。
眞人は「いっしょに帰りましょう」と言いますが、夏子は「燃えるような眼」で「あなたなんか大キライ 出て行って!」と叫びます。
ここは「狂女の叫び(本心)」と描かれているので、夏子は本当に眞人が嫌いなようです。
眞人が後じさりすると、「かえりなさい はやく!」と追撃が入ります。
この辺りから、紙が夏子にも引っ付き始めるように演出されています。
眞人は体中を紙にまとわりつかれるものの、手を差しのばし、「かあさん 夏子かあさん」と、夏子を母として認めます。
これまで、女の人に手を引っ張ってもらってばかりだった眞人が、ここで初めて人に手を伸ばして触れようとすると考えると、彼はおそらく夏子を本当に母として受け入れようとしているのだと思われます。
感動ですね……。
正直、夏子のことを母として認めることができるようになる要因が明示されていないように思えるのですが、母であるヒミに再会できたことで蟠りがとけたとか、キリコやペリカンやヒミに触れることで、みんないろんな辛いことを抱えながら生きているという事実を受け入れることができたのかなと思います。
もののけで言うところの「さかしらに自分の不幸を振りかざすな」みたいなことなのかなぁと…。
特に、ヒミが母を亡くしていることを知り、夏子が自分よりも早くに母と死別していることを知ったのは大きいんじゃないかなと思います。
また、継母を「お母さん」と呼ぶことをクライマックスの一つにするところなど、思い出のマーニーにも似てるかなと思います。
眞人がダメ押しに「母さん帰ろう!」と叫ぶと、夏子もハッとしたようで、顔が正気に戻ります。
しかし紙の束が二人を覆い尽くしており、夏子は必死のていで「マヒトさん逃げて!」と叫びます。
「あなた」と呼んでいたのが、二人称が眞人に戻っていることからも、夏子が正常に戻ったことが伺えます。
眞人は「夏子母さん!」と叫びますが、「耐えきれずよろめきつつ出口へむかう」とのことです。
紙に追われながら、手探りで出口に向かい、カーテンの外にいるヒミに受け止められます。
ヒミはずいぶん変な格好の眞人を抱き留めます。
ここで逃げるんかい……と、ちょっと思わなくないです。
また、ここで変な格好で抱き留められるのは、後にまっすぐ正面から抱き合うシーンを感動させるための前段として機能させるためではないでしょうか。
ポニョでの、宗助とおトキさんの抱擁もそうだけど、多分まっすぐ抱き合うことに照れがあるんじゃないかと思うんですよね。
また、奈津子が怖い顔をしているのは劇中でここだけです。
この夏子の反応が、本心から出たものなのか、眞人を追い返すために言っているものなのかは不明ですね…。
ただ自分としては、眞人が「夏子母さん」と、母として認める言葉を聞いた時にはっとするところから、だいっきらいという本心があったんじゃないかと思います
まぁ、夏子からしても、「連れ子だから仲良くしないといけないのに、返事すらしない男の子」だからやりづらいですよねぇ……。
眞人も、ここで「大キッライ」と言われて、自分がどれだけ夏子にひどい接し方をしていたか思い知ったので「お母さんって呼べば仲直りできるかもしらん」と思ったのかもなぁと思います。
なんかここ、付き合っている人とケンカをしていて、相手がブチギレているのを見て、あぁ自分は相手に酷いことしていたんだなとかえって冷静になったり、なんか愛情を逆説的に覚えてしまったりするような様と似てるような気がします。
なので怖いです笑
・ヒミ負ける(わからせ)
眞人を抱き留めたヒミにも紙は襲いかかり、紙はヒミを「きりさこうとする」のだそうです。
ヒミは「カッ」と、めっちゃ「カッ」とわかる発音で気合いを発して、紙はどんんどん燃え上がっていきます。
焼けた紙は、穴に戻ろうとしてひらひらと漂っていきます。
紙にも強い意志があるようですね。
紙の燃えかすも映りますが、燃えたものもまだ動いていたりと、生きもののようです。
ヒミは産屋には踏み入らず、夏子に声をかけます。
変な口語なので、文字にすると、「大いなる石の主よ わが願いをかなえたまえ そこにふすわが妹を ここなる 息子となる者の元へかえしたまえ」
まだ幼いヒミがこのような言葉を使うことがなんかすごいですが、自分の息子が、自分の妹の子になることを受け入れていることもすごいですよね。
親にすらなっていないし、現実味がないだけかもしれませんが……。
ヒミは「夏子 ここへおいで さあ立ちな」と促すと、夏子は表情は見えないけど、自分で立ちあがろうとする。
このシーン、絵コンテに「大谷さんにポーズをとってもらいましょう!」と描かれているので、夏子のモデルになっているようなスタッフさんが社内にいるのかもしれませんね……笑
ヒミはそんな夏子を「そうだ いい子だね」と励まします。
年齢は夏子の方が上だろうに、ヒミは現実世界での夏子の歳ぐらいの感じで接していることがわかります。
しかし夏子の奥の闇が赤くチリチリっと光ったかと思うと、閃光が走ってヒミのところまで到達、ヒミは構える間もなくショックを与えられて失神してしまいます。
ヒミが倒れ込むところには、絵コンテでは「眞人をかばうように 二人折り重なって倒れる」とあります。
眞人をかばってあげたんですかね……押しつぶしているようにもみえますが……。
そしてカーテンが閉まり、倒れたヒミと眞人を俯瞰で捉えるショットに変わります。
侵入者を捜索していたのか、赤色のインコがたくさんやってきます。
包丁を持っている者もいますが、ただ捉えるだけのようです。
インコごとに役割があるのかと思ったのですが、私が見ただけでは判断がつきません…。
緑色が兵士っぽい役割をしがちなのかなと思うのですが、青鷺を追いかけたインコは多様なカラーだったし。
インコが走ってくる動作について、絵コンテでは「片山はこうだと云いますが 気にしません」と、二種類描かれています。
どちらでもよしとするようです笑
実際の動物の動き方を無視して、自分の思い込みで描くことで有名な宮崎さんですが、わざわざ正しいとされる指摘を無視してもよいと指示するのは面白いですよね……。
結局、夏子が自分の意思でここに来たのかどうか、眞人がここに来くると何が起こるのかがわかりませんでした
大叔父は自分の後継を求めてはいるけれど、まさか夏子が産む赤ちゃんを自分の後継にしようと思ってはいないでしょう
いや、もしかしたら夏子は後継者にできないけど、夏子の産む子どもが男児であれば後継者にできるから、それを目当てにしているのかもしれないですね。
石との契約で、大叔父の後継者は血を継いでいるものでなければならないから。
また、この後の大叔父のリアクションでは「産屋に入ったのはまずかったな」と笑いながら語っていたので、多分産屋に眞人が行ったのは大叔父にとって誤算や望ましくないことではないんじゃないかと思うんですよね。
なんなら、眞人がそのような根性のある者だと判別できてかえってよかったのかもしれません。
まぁ、産屋の夏子に会われたら困るが、眞人やヒミではその奪還が叶わないと確信しているから一笑に付すくらいで済んでいるのかもしれませんが。
なんかむしろ、「石」「墓の主」がむしろ怒って眞人とヒミを攻撃しているように見えるんですよね。
まぁ石とか墓の主の正体はわからないのですが、大叔父が「契約」をしたことがわかるので、この世界の主のような存在なんだろうなーとは思うのですが…しかしなぜ夏子がそこへ行くのかは不明です…。
大叔父が自分で探そうとしていることとは別に、石が後継探しをしようとして夏子を呼び寄せてたとかかなぁ。
全然わかんないっす。考察力高めたいです…。
以上がDパートです。
パートとしては若干短く、次のEパートが最終となり、比率的には長いです。
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