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映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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君たちはどう生きるか考察 Aパート

      2024/03/11

・君たちはどう生きるか、全体

君たちはどう生きるかについて細かく考察したりします。
台詞が説明的ではなく、意味がわからない場面や展開が多いと思われるので、映画の時系列順に各シーンで描かれていることを考察したり、資料から意味がわかるようになっているものは資料を引用したりして解説します。

まず、パートごとの考察とは別として、作品全体に見られる特徴やこれまでの宮崎作品と異なる部分についてざっくり記載します。

・何の映画なのか
宮崎さんはかねてより「可愛かった頃の母親に会いたかった」という願望を語っていたことがあります。
また、2003年には上条恒彦さんに『お母さんの写真』という曲を作詞として提供していますが、お母さんの昔の写真を見ることをテーマにしたそのものズバリなものでした(制作はもうちょっと前かも)。
そんな宮崎さんが、少年主人公に自分と同年代の母親に会うという目的を果たさせる物語だと思います。
これまでも、『ポニョ』の制作中に母親を作品に投影していることが伺える発言をドキュメンタリーでしてましたし、リサやトキさんには母親の面影が垣間見えたりしていました。
しかし本作では、よりストレートな形で、主人公が実際に、若い母親と対面し抱擁するという展開を見せました。

また、エディプスコンプレックス(オディプスとも表記される)に向き合った作品であるとも、宮崎さん本人によって語られています。
男の子の赤ちゃんは、自分と母親だけの世界に割って入ってくる異性としての父親という存在をどう受け入れるかという課題がある、といったようなコンプレックスだったと思います。
多くの場合は、そもそもの話として母親と父親が先に出会っており、母親は父親の妻であるという現実を知って息子は虚勢されていくものだと思うのですが、この映画では、眞人が時空のゆがみを利用して、母が父親よりも先に息子たる自分と出会うという現実では起こりえないトリックを使うことによって、「母は自分を産みたいから父と結ばれた」という既成事実を作ってしまいます。
つまり父から母を寝取る物語を作ってしまう、究極のマザコン映画だと思います。
息子がタイムスリップで若き日の母親と出会い、母に惚れられてしまうという展開は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』等でも見られるものですが、「母は自分を産むために父と結婚した」ってことまでやっちゃった映画はそうそうないのではないでしょうか。

また当然、各所で語られているとおり、これまでのジブリ作品と似ている場面や設定が多く見受けられます。
結構意図的に、これまでのジブリ作品から多くの要素を引用しているように私は思います。
特に『千と千尋の神隠し』と『猫の恩返し』を踏襲しているのではないかと思います。
また、『思い出のマーニー』『毛虫のボロ』とも共通点が多いです。
猫の恩返しっぽさについてはあまり触れられている人がいない印象なので、考察の中では多めに触れます。

・美術
美術背景が印象派っぽくなったと言うか、線が見えなくて色で塗りつぶすような描き方になっているなと思いました。
特に現実パートは暗い色使いをしているところが多く、なおさら、これまでのジブリであった明るい色が強い色が多用されているのに調和が取れているといった画面にはなっていないように思われました。
これによって、どこか重厚感のある画面になっていると思います。
長年ジブリで美術の仕事をしていた武重洋二さんが本作にも携わっていますが、宮崎さんから、「これまでと違う緑色にして欲しい」というオーダーを受けていたそうです。

私は本作品とこれまでの宮崎作品の大きな違いとして、色彩設計をしていた保田道世さんが参加していないことが挙げられると思います。
保田さんは風立ちぬ完成後に他界していますが、宮崎さんと高畑さんと東映動画時代からの仕事仲間で、宮崎さんの作品に長年関わり続けてきました。
宮崎さんと保田さんが画面の色彩を決めるためにあれこれと話し合っている姿は数多くのドキュメンタリーに収められていますが、宮崎アニメの画面の面白さを作り出してきた立役者のような存在であることがよくわかります。
保田さんが逝去しており、当然君どうに参加していないことは前々からわかっていたのですが、これまでの宮崎アニメと「何か違うかも」と思う要因として、色の使い方もあるんじゃないかなーと思いました。
宮崎さんが企画段階から保田さんがいないことを念頭に置いて画面を作っていたのか、保田さんがいないことで思うような画面作りができなかったのかはわかりませんが……。

・音楽
音楽は変わらず久石譲さんが手がけていますが、何か感情を動かそうとする楽曲にはなっていないように思いました。
これまではメロディを主体にして楽曲を構築していたが、本作ではミニマルなアレンジで貫いているもようです。
久石さんのインタビューを読むと、完成した映像に音楽を合わせるように作られたとのことなので、感動しない感じの音楽になっているのは意図的なものなのだと思います。
久石さんは長年、宮崎さんの誕生日に楽曲をプレゼントする習慣があり、そこで制作した音源を流用しているとのことでした。
久石さんはどれだけ宮崎さんのことを好きなのでしょうか……。

また、音楽以外の声の演技についても、普段であったら何十テイクも重ねることがある宮崎さんにしては、今回はリテイクがあまりなく役者に任せるようなスタンスだったそうです。
物語が重かったりわかりにくかったりする分、音は力が抜けた軽いものになるよう計算しているのでしょうか……。

とは言え、SEの入れ方はやはり隙の無い作り方で、眞人が庭を歩くだけのシーンでも歩く場所によって足音が違うなど、映画のリアリティ向上には大きく貢献しています。
ジブリ美術館の常設展示で「音に時間をかけるんだ!」と宮崎さんが書いているところがありますが、ジブリ作品の良さはこの音へのこだわりにもあると言えるでしょう。
本作でもそのこだわりは健在です。

・アクションがない
鈴木敏夫プロデューサーが映画公開前に「冒険活劇映画になっている」と語っており、『風立ちぬ』『ポニョ』と、胸が躍るような冒険がない作品が続いていた分、多くのファンがラピュタやもののけのような予想の付かない冒険を期待したことでしょう。
映画は予告編も公開されなかったため、多くの人が実際に劇場に足を運んでから鈴木さんが紹介していた内容との落差に驚かされたと思います。
そうです、全然ワクワクするような冒険が展開されないのです。
それどころかどこか不気味なシーンが多く、主人公が不器用で友だちに頼ってばかりの地味な展開が続きます。
まぁこれについては意図的に構成されたものではありますが、アクションや魔法、または宮崎さんが最も得意とする飛行シーンを期待した人はがっかりするしかない作品かもしれません。
とは言えこの映画を、「なんかよくわからない地味な映画」として記憶するだけなのはもったいないと思われるので、この映画の優れたところを紹介したいです。
本作は意図的にカタルシスのない構成、冗長と思われるようなゆったりとしたカット、進展しない物語などの特徴がありますが、むしろそれは今のアニメーション映画にはないがかつては多く存在していたものであり、それをあえてやろうとしているのだと思います。
主人公の相棒青鷺が全然可愛くないのも、可愛いキャラクターを作り巨万の富を築き上げた実績がある宮崎さんだからこそできる荒技だと思います(笑)

大きな部分としてはこのぐらいだと思うので、あとは追々書いていきます

・サイレン音から始まる
映画は、おなじみのトトロロゴが出た後、暗転したまま大きなサイレン音を鳴り響かせて幕を開けます。(最後に書きますが、このトトロのロゴは、宮崎さんの映画にとって、「昔話であることを知らせる枠組み(額縁)」の役割を果たしていると思われます)
かなりヒヤヒヤしたのは私だけではないでしょう。
また、最初に鑑賞した時には全く前情報がなかったので、このサイレンは宮崎監督が、映画を観る者に警鐘を鳴らしているようにも思えました。
相応の覚悟を持って観なければならない作品になっているぞ、的な。
ただ、映画全体としては観たくないものや、目にしてはならないものってそんなになかったなーというのが感想です。

・真っ暗な街並み
サイレンが響き渡る街並みが映りますが、家に灯りはともっておらず、真っ暗です。
サイレンの音に目を覚まし、通りに出てきている住民がいますが、真っ暗なので輪郭しか見えません。
これは「灯火管制」が敷かれていたため、家の灯りが外に漏れないように、灯りを使用しないか、家の中の電灯に布を被せて明るさを抑えるといった対応が家々で行われているからだそうです。
映画のこの後のシーンでも、現実世界では屋内の電灯に布がかぶせてある描写が徹底されますが、それはこの灯火管制によるものです。
そもそも灯火管制というのは、敵の軍からの発見を免れるために、灯りが漏れないようにすることです。
敵軍の飛行機が斥候として上空から索敵を試みた際に、灯りが点いていなければ発見を免れることがあるので、夜間は明るくするなよ、という令が出ていたというわけです。
映画の夜のシーンでは、ランプや電灯に布がかけられている描写が徹底しているのはこういう背景があります。
ただ、これは第二次大戦以前は有効だったようなのですが、第二次大戦時には飛行機のレーダーの性能も上がっており、灯りが点いていようがいなかろうが発見されてしまっていたようです。
人々の努力も虚しく、米軍は易々と標的を発見していたわけです……まぁ電力なりガスなりも不足しうる状況だろうし、明るくしないことを徹底していたことは無駄ではなかっただろうし、管制によって人々が困っているといった描かれ方ではないにしても、時代に遅れている日本の空回り感があって切ないですね。

・主人公は目を覚ますシーンで登場する
これは前作『風立ちぬ』と対をなす作品であることを示していると思います。
別のエントリで書きましたが、風立ちぬでは主人公が見る夢を描くことで、主人公の将来目指すべきところと、目的達成を阻む障壁があることを明示していました。
それに対して、君どうで眞人が見ている夢を見せないのは、戦争によって殺伐とした世の中に明るい展望を見いだせなかったり、そもそも母の喪失という深い心の傷があって将来のことを考えられるような余裕の無い少年だからなのではないか、というのが私の見立てです。
母の死以前の眞人が描かれないので、どのような男の子なのか、あんまりわからないようになっているんですよね。
多分父親は仕事ばかりで火宅の人、母は入院していて眞人と一緒にいられない期間が多く、寂しく塞ぎ込んだ少年だったのではないかと推察しますが。
宮崎さんは眞人を内向的で陰を抱えた少年であるとしています。
宮崎駿さん自身の幼少期については、身体が弱く病気がちで、母と父に面倒をかけてしまうことについて申し訳なく思っていたそうなのですが、そういった背景があるなら内向的になることも飲み込めるのですが、眞人が内向的になる背景はあんまりわからないんですよね。
もちろんこの作品において、眞人の人格形成の過程がわからなければ楽しめないなんてことはないので、全然よいです。

・眞人の隣の布団は空っぽ
サイレンの音と、使用人が廊下を行き来する音で目を覚ます眞人。
眞人の隣に空になった布団がありますが、これは使用人が寝ていたものだそうです。「屋敷には使用人が多い」ため、眞人は使用人と一緒の部屋で寝ているもよう。
お父さんと一緒の部屋で寝るというわけにはいかないんですかね……眞人は父の不在をさみしがっているフシがありますが、小学校高学年の男の子が父親と同じ部屋で寝るというのは一般的ではないことなのだろうか。

ちなみにこのシーンで、使用人が「旦那様は」と言っていますが、絵コンテでは「奥様の病院じゃないかって」と、すでに病院に言及する台詞が書き込まれていました。
二階に昇ってから、父の口から聞かされる方がショッキングになる気がするので、使用人がこれを言わない変更はよい効果を生んでいるように思います。

・起き出す眞人
屋敷の中や外が騒がしいことに気づいた眞人は、窓から外の様子を見ようとするが、雲に反射した赤い灯りが見えるだけです。
この映画では、眞人が「見上げる」仕草を頻繁にしますが、「下からでは何も見えない」ってことを差しているのだと思います。
このすぐ後のシーンでも眞人は子ども扱いされるし、大人は眞人に様々な事情を伝えなずにいます。
つまり、眞人は恐らくそのことにもどかしさを感じ、大人に自分を認めてもらおうとします。

・父親登場
父が階段を駆け上がっていくのを眞人は付いて行きます。
父・勝一の左腕には腕時計が巻かれています。
勝一は寝間着スタイルの時には、必ず腕時計を巻いています。
現代人はスマホがあるし、就寝時に腕時計を付けているのはかなり珍しい習慣だと思うのですが、この当時はそういったスタイルが流行していたのでしょうか……。
私は、勝一が「時間に囚われている」ことの象徴として腕時計を巻いていると考えています。
宮崎監督自身が、「自分には残された時間が少ない」とポニョを制作している辺りから頻繁に発言していることから、やりたい仕事がいっぱいあるのに時間が足りないと感じている人間を作中に出すようになっているのかなと思ったりしています……。
千と千尋の釜爺なんかは宮崎駿さん自身を投影していると庵野秀明さんは考察していました。
腕が何本あっても足りない、仕事が次々に降ってきてそれを捌くのに精一杯なおじいさんというのが、宮崎さんそのものだということでした。
確かに眼鏡(サングラス?)をかけた男性を作中に出すことが多い宮崎さんですが、釜爺もそうだよなーと思います。
ただこの時期はまだ、「仕事が忙しい」をコミカルに描けていたと思うのですが、時間のなさに追い立てられて徐々に切迫していっているな、という印象があります。
2006年にジブリ美術館で公開された短編作品『星をかった日』で宮崎さんは監督を務めていますが、冒頭からして「僕は時間に追われている」という語りから始まります。
ジブリ美術館の短編を作り、長編作品も作らなければいけないという過密なスケジュールなので、まぁ60歳を過ぎたとは思えないハードワーカーぶりですよね……。
宮崎さんは週6日出勤して仕事をするのが常だそうです。

そんな感じなので、父のハードワーカーぶりが、この腕時計には現れているのではないかと思っております。

父が階段を昇っていく姿を後ろから見る眞人。
父が眞人のことはあまり見ずに、最速で突っ走っていこうとする性質が見えてるような気がします。
そんで眞人は黙って父の後に付いていこうとするのが常なのかなと。
他のエントリでも書きましたが、自分の中で、現実の日本を舞台にした宮崎さんの作品で腕時計を巻いている人物として印象的なのは、千尋の父親です。
あの人物も子である千尋のことは意に介さず、自分で勝手に決めてガンガン突き進んでいくタイプですよね。
他にも風立ちぬの二郎とかは時間を常に気にしているキャラでもおかしくなさそうなのですが、確か腕時計はしていないはず…腕時計をしているかどうかに着目してきませんでしたが、他の作品も観返してみて、腕時計をしている人がいたらここに追記したりするかもしれないです。
ただ、宮崎さんが、他の作品と共通したイメージを持ってくることが多いのは誰もが認めるところであり、共通したイメージがあるということは何か理由があるはずなので、その辺の考察はしていくことになります。

また、階段を昇っていく父親の必死な姿を見ると、父も妻・久子には相当な愛着があると考えられます。
使用人が勝一に火事のことを知らせた際には、久子の病院が火事になっている可能性があると伝えたと思われるので、それを自分が何もできないと知りながら一刻も早く確認に行こうとするのはやはり愛があるからかと考えるのが自然。
考察の中には、父は久子存命中から夏子と関係を持っていたのではないかとするものがありますが、私的にはそれはないかな……と思ったりしています。
夏子がそういった関係を許さなそうだなとも思いますし。

あとは階段の急な日本家屋、手を使ってどたどた昇って行こうとする様はトトロのお家みたいだなと思うなど。

・眞人は窓を閉める
眞人が二階に上がった時には、すでに父は「母さんの病院が火事だ」と、火の出どころの確認を終えています。
勝一たちはすぐに一回に戻り、おそらく身支度を進める。
眞人は自分の目でも確かめようとして、父たちがいた場所から外を眺める。
遠くで大きな火が上がっていて、火の粉がゆらゆらと漂っている。
この火の粉の表現はこだわって作られているっぽく、かなり印象的ですね…。
眞人は「母さん!」と叫び、自分もすぐに病院に向かわなければいけないと思うものの、ちゃんと窓を閉めてから一階へ戻ります。
このシーン、絵コンテでは描かれておらず、眞人は「母さん!」と叫んですぐに一階に降りていくようになっていました。
火の粉が家の中に入ってきてしまえば障子などに火が付き、火災にも繋がりかねないので、眞人はしっかりと閉めていったのだと思われます。(あるいは、眞人がモタモタしていたせいで母の死に目に遭えなかったという悔恨を眞人に負わせたかったのかもしれない)
そうなると気になるのは、勝一が窓を閉めて行かないことなんですよね…勝一はガサツというか、多分家の中では後片付けなんかは一切やらないタイプの関白亭主、使用人にすべてを任せればよいと考えているタイプなんじゃないかと推察します…。
良くも悪くも、自分が次にすることにすでに意識が向いていて、後始末なんかは人任せって感じなんじゃないかと。
靴の脱ぎ方がめっちゃガサツなところにもそれが現れているように私は思います。

・「眞人は家にいなさい」
眞人が一階に戻ると、父と使用人(運転手らしい)はすでに着替えて玄関にいる。
「僕も行く」と言う眞人に、父は「眞人は家にいなさい」とぴしゃりとはねのけて、そのまま家を出ていく。
眞人は小学生なので、夜間の、しかも大きな火事の現場を見に行くのに連れていくわけにはいきません。
家にはほかに女中など使用人がおり、眞人を家に一人で残すことになるわけでもないので火事場泥棒が出るような危険性もないので、「眞人を連れて行っても仕方がない」と判断された結果でしょう。
ただ、眞人は自分をそれほど子どもだと思っていないし、何より、母の安否を確認したい、母に会いたいという切実な気持ちがあることを勝一は一顧谷していないように見えます。
眞人が「子ども扱いされている」ことが現れている最初のシーンがここです。
絵コンテでは、眞人が目を覚ましたシーンですでに女中が「奥様の病院じゃないかって」と廊下で話す台詞が入っていたようなのですが、これが削除されたのは、「坊ちゃんの耳には入れないようにしよう」というのが使用人間での了解だったんじゃなかなと思います。
なんとなく思うのは、大人は子どもの前で大人同士の話をしないように避けたり、あるいは「子どもだからまだわからないだろう」と高を括って大人の話をしたりするけど、小学校も中学年ぐらいになると、なんとなくどんな話をしているかわかるんですよね。
でも自分がその輪に入れてもらえていないという感覚もあるので、ちょっと大人たちに対して、不信感ではないけど、自分が正当に扱われていないような気もしてきたりする。
この映画は眞人が自分が確立された個人であるということを大人に証明しようとする話なのかなと思います。

・眞人の支度
眞人は父に勝手についていこうとするけれど、寝間着のままだということに気づいたのか、玄関に戻ってきて、下駄を脱ごうとするも、うまく脱げずにもたつく。
寝室に戻ってきてから、ズボンを脱いでベルトを巻き…とするところをじれったいぐらい丁寧に描写していきます。
このシーンも絵コンテからちょっと変わっていて、眞人は寝間着の上からズボンをはいたり、上着とシャツは着こむ前に駆け出して走りながら着るなど、とにかく急いで出て行こうとする描写になっていたようです。
変更が加えられたことで、眞人の生真面目感や、結果として「もたもたしてしまっている」感が協調されたと思います。
しかし最初に映画を観た際は、「こんな描写に時間を使っていたら、お話の展開も遅くなる一方だよ…どうするんだ宮崎さん、もっとパパっと描いて話をサクサク進めてくれよ!」と思わざるを得ませんでした…。

・女中は眞人を止めない
眞人が家から描け出ていく場面では、女中が火タタキを持って、飛んでくる火の粉を消そうと奮闘しています。
火タタキは先端がワラナワになっていて、それを水に浸して、火を消すための道具であるもようです。絵コンテで宮崎さんが描いておられます。
一般家庭にも火消し用具があるもんなんですね…。
この女中は、眞人が出ていくのを目視するも、特に咎めず。
絵コンテには「戦時中はこんなもんです」という注釈が入っていました。
火を消すという仕事を任されているだろうとは言え、「いけませんよ」ぐらいの声をかけてもいいとは思うのですが…もしかしたら女中さんも、普段から眞人が自分の言うことをきかない子だと知っているから放置なのかなーとかちょっと思いました。
宮崎さんの体験談として、お母さんが病に伏せっていたから、若い女中さんが家に出入りしていたけど、宮崎兄弟と歳もそう大きく変わらないから、兄弟があんまり言うことを聞かなかったというものがあったはずです…。

・病院へ向かう眞人
ここからはとても個性的な絵を描くアニメーターが、自身の特異な絵柄で描いているユニークな絵が続きます。
この場面では初見時、「宮崎さんは『まだやってないことがある』と語っていたが、こういうやばい絵がこの映画ではいっぱい出てくるのか!」と思わされたのですが、このシーンだけ特異でしたね。

野次馬が外に出てきていて、黒くてうにょうにょした影のように表現されていますが、「千尋の夜の町のカゲ参照」と書かれているので、千尋がこわい街で両親を豚にされてしまったシーンあたりを再現しようとしていることがわかります。
千尋にとって頼れるはずの親が、自らの罪によって豚と化してしまい行き場をなくす恐ろしいシーンでしたが、眞人は親が死ぬかもしれない、行かなければならないという強い意志を持っているので、主人公の動機自体は異なりますが、やっぱり千尋と眞人はちょっと共通点があるものとして意識的に描かれているんだろうなと思います。

住民たちがバケツリレーで水を運んでいる描写がありますが、戦時下なのでバケツリレーをする訓練を受けていたとのことです。

途中で消防車が消防士が描かれ、「離れなさい」といった声が聞こえますが、眞人の視点のカメラはぐんぐんと前に進んでいきます。
そしてぐにゃぐにゃの映像が終わり、病院と思しき大きな建物が炎の中で崩落します。
遺体の確認ができたのかはわかりませんが、久子の生還は絶望的と思うしかありません。

眞人の回想を除き、母久子は劇中で姿を見せることはありません。

・戦争の3年目に母が死んだ。4年目に僕は父と東京をはなれた。
君たちはどう生きるかの作中の出来事の年表は別のエントリに書いてあるので、よければ読んでみてください。
宮崎アニメにしては珍しく、時代を特定できるような出来事の発生時期説明が多くあるのも、この作品の一つの特徴だと思います。

母が死んだことが静かにモノローグで説明されます。
眞人は感情をあまり表に出さないし、説明も淡々としているものですが、心に深い傷を負っていることはこの後の描写から明らかです。

ここで、道路を走行する装甲車の列を住民が押し黙ったまま見送っている図が何を表すものなのか、正直わかりません。
しかし宮崎さんは実際にこのような隊列を見かけたことがあり、「こんな豆タンクで戦うのか」と思ったと語っています。
私も最初に映画を観た時、戦車が自分の想像していたものより小さいので、日本っぽいけれど架空の世界を舞台にした映画なのかと思いました(笑)。
あと、タンクがまっすぐ走れていないので、日本軍の軍備のポンコツっぷりを表しているのかなとも思いました。

眞人と勝一の疎開先は明示されませんが、おそらく実際に宮崎駿さん一家が疎開していた栃木県の鹿沼市近辺へ移動するものと思われます。
機関車が山のすそ野を走っている絵とモノローグが合わさることで、どこか田舎の方へ移動しているんだなということが観客にすぐに伝わります。効果的なショットです。

・田舎に降り立つ
降り立ったのは「鷺沼駅」で、町はずれの田舎駅であるそうです。
「鷺沼」という駅は神奈川の川崎にあるようなのですが、東京からの疎開先として川崎は選ばれないと思うので、おそらくは架空の地名と思われます。
宮崎監督は、戦時中に栃木県宇都宮や「鹿沼」に疎開していたようなので、おそらくですが、鹿を鷺に変えた地名を創作したのではないかと思います。

千尋が「引っ越し」から始まるところや、マーニーが「静養のために田舎へ行く」ところから始まるところと共通していますね。

ちなみに、駅員さんや駅にいる男性、チャリンコリヤカーの運転士など、年を取っているような見た目の男性が多いのですが、「若い男は戦争に取られている」ためだそうです。
特に言葉では説明されませんが、夏子の住む屋敷に若い男手がいないのも同様の理由で、それゆえに屋敷の手入れが行き届いていないのだそうです。

駅の周りはそもそも人がぽつぽつとしかおらず、にぎわっていないのですが、和服を着ているが多いので、眞人と父の服装は目立つ気がします。

眞人が自分の持った切符で改札を通過するところは「この物語の主人公」っぽさを見せようとしているようです。
また、「内向的」な性格だという情報も込められているもようです。

・夏子登場
夏子はピンク色の日傘を差していますが、絵コンテでは「黄色いパラソル」となっています。
変更の理由がわからないです…着物が黄色っぽい色地だから、目立つようにするためにピンクにしたということなのかな…でもこの時代にピンク色の傘って、なんか珍しそうですけどね。勝手なイメージですが…。

夏子は「矢柄」の着物を着ています…後に夏子が弓矢を使うために刷り込みをするかのようなデザインですね。
他の人物の着物デザインにも意味があるのかと思ったりはするのですが、キリコさんの着物や眞人の布団や枕の柄が何を意味するのか、私にはわかりません…(笑)。

眞人は夏子を一目見て、お母さんにそっくりであると感じます。
しかし眞人は表情を変えないし、夏子が挨拶をしても言葉を返さず頭を下げるだけです。
眞人はこの後、夏子と現実世界では二回しか言葉を交わしません。
悪く言えば「あなたのことを母として受け入れることはできない」ことを、沈黙を貫くことでアピールしているのだと思います。
まぁ、無理もないことですよね…想像になりますが、多分勝一は久子が亡くなっても仕事に没頭していただろうし、おそらく鷺沼に新工場を設立するために東京の家を空けて眞人を一人にさせるような時間が長かったのだろうし、かと思えば、「母さんの妹と結婚することにした」「一緒に住むから栃木に疎開するぞ」なんてこともおそらくは事前に相談なんかもなく父が勝手に決めてきてしまったのだろうなと思います…母の死から立ち直れていない少年がそのような事態に直面したら、こういう反応にもなるというものです。

今の時代からすると、眞人がぞんざいな扱いを受けすぎているように感じますが、この時代って多分、「子どもの意思を尊重する」って意識はあんまり広く浸透していなかったのだろうなー、と思ったりなどします。
眞人に限らず、多くの子どもは親から何もかもを決められ、自分の意思が通るようなことってなかったし、それが当たり前のことだったのだと思います。

夏子が、勝一と眞人の到着後に駅にやってきたことを、車のパンクが原因だと話します。
細かい点ですけど、おそらく車の手入れをできる人間が不足している、パーツが不足している、劣化しているタイヤを交換したくともタイヤが手に入らないなどの背景があると考えられます。

夏子から勝一に「あなたは工場へ?」と聞き、勝一は「ああ、夕飯には間に合わせるよ」と返す。
夏子からそう聞いてくるあたり、勝一が常に仕事のスケジュールがパンパンに詰まっているのが当たり前になっているのだろうと推察できます。
内向的な息子一人が、新しい母となる女性との初対面のタイミングなのだから、一緒に家まで行って間を取り持とうとするのが父の仕事である気がしますが、勝一はそうはしない人物だということですね。
なんとなく父親業を放棄しているというか、父であることの自覚が薄いように感じます…。

駅の出入り口の前で、バスの前に溜まっている人々が描かれますが、制服を着た男性がバスの排気口をのぞき込んでいるのがわかります。
その直後、バスにエンジンがかかる音がするので、おそらくバスの調子が悪く、出発が遅れているのだということでしょう。

勝一は、自分の持つトランクを「重いぜぇ」と言い、夏子に渡します。
受け取った夏子は表情は変えないものの、肩が目に見えて落ちるので、トランクは相当重いはずです。
ここで気になるのは、眞人が「自分が持つ」といった申し出をしないというところ。
もちろん眞人は自分の荷物もそこそこ重いし、まだ小学生なので「重いものを大人の代わりに持ってやる」といった発想はしにくいです。
ただ、この後もトランクが重いということを強調して描いているので、身重の夏子に代わって一度くらいはトランクを持つことを提案してもよいような気がするんですよね…。
あるいは、勝一が眞人にトランクを渡そうとしないのは、眞人をやはり「子ども」として扱っていることの表れであるようにも思います。

勝一はバスに乗ろうとしますが、バスはすでに乗客がパンパンに乗っています。
勝一よりも乗降口から数歩離れたところから、風呂敷を背負った女性が小走りでやってきて、背伸びをしながらバスの中を覗き込んでいます。
おそらく、バスにまだ乗れるようなスペースがあるかを気にしているはず。
私は、勝一はこの女性を優先させて自分が一本バスを見送るようなことはしないと思います。
早く職場に行って仕事をしたいから。
そんでおそらく女性は、満員ということでバスには乗れないのだろうな、というのが私の考察です。
何も理由がなければ、このような行動を取る女性モブキャラを描く必要がないんですよね…。
その辺の考察は「君たちはどう生きるかの「仕事」と「継ぐ」ことの描き方、あと「美しくも残酷な夢」」のエントリにも書いたので、よければぜひ読んでみてください。

眞人はリヤカーに先に乗り込んでいきますが、眞人がすでにリヤカーに足をのせているところに、夏子が「先に乗ってください」と言う。
お行儀的には、「先に乗っていいのよ」とか言われてから、初めて先に乗ろうとするものじゃないかと思うのですが、眞人は夏子の言うことなど気にせず勝手に先に乗っていってしまう。
また、この運転士が屋敷の使用人なのか臨時のお手伝い的な人なのかはわからないのですが、眞人はこの人に会釈なんかをしていなかったと思うんですよね…。
ここから先、眞人は初めて会う人には会釈をしっかりするシーンが多数描かれるのですが、眞人はこの状況に不機嫌になっていたため無視してしまうのか、それとも運転士なんかは対等な人間ではなく自分が上位にいるという認識がすでに確立されているのかがわからないです…。

夏子は運転士に勝一のトランクを渡しますが、運転士の肩もガクンと下がり、運転士は持ち直すためなのか、一度トランクを地面に降ろします。
そして眞人の前にトランクを置くと、トランクの重みでリヤカーは眞人の方に少し傾きます。
トランクが重い、という描写が周到に積み重ねられていきます。
そして運転士は夏子に手を添えて介助し、夏子もリヤカーに乗り込むのでした。
眞人も本来子どもではない立場を気取りたいのであれば、女性が乗り込むのを助けてやってもよいのではないかなー、と思うなどします…もちろん小学生の男の子にそれを求める必要はないし、眞人はこの時点では夏子が身ごもっていることを知らない可能性もあるので無理もないのですが…。

・車上の眞人と夏子
夏子は「新しいお母さんになるの、知ってた?」と眞人に聞き、眞人は黙って頷きます。
新しいお母さんができることすら知らされていないとしたら、眞人がかわいそすぎる気がするのですが…時代が時代なので、子どもの意思を尊重するような風潮がない可能性もあると思うのですが、こんな質問をするということは、夏子は勝一が眞人とあまりコミュニケーションを取らないということを事前に知っていたということなんですかね…それとも、勝一が「眞人にこのことを伝えづらい」と相談をしてたとか…? でもこれは考えにくいな。
夏子は眞人に手を出すように言うけど、眞人は動かずにいると、夏子が強引に手を取って自分の腹部に眞人の手をあてがう。
赤ちゃんが動くことを知らせたがったらしいのですが、眞人は言葉には出さないものの「あ、動く」と、すでに自分の異母兄弟の命が宿っていることを突き付けられた格好です。
この時の眞人の感情は絵コンテには描いていないのですが、映画では何かに耐えるように、目元が帽子で隠れて、歯を食いしばっているような口元が描かれていたかと思います。
自分と歳の近い女性の身体に触れているという状況に対応できていないことや、そもそもすでに父が母とは別の女性と愛を育んでいるという既成事実があることに動揺しているのではないかと思いました。
眞人からしたら立派に異性の女の人なので、恥ずかしいという感情があるんじゃないかと思うが、それ以上に、この表情は何かをこらえるものであるように思う。
理由として、眞人は新しい母ができることは「決定事項」として聞かされてはいるが、心境としてはそれを受け入れることができていないため、事実を突きつけてくるこの行為が許せないものだったのではないでしょうか。
母親ができるとは聞いていたけど、もうえちえち済みなんかい……!という。
父親が新しい相手を見つけていることへのショックや、そもそも母の死をまだ受け入れることができていないのに、新しい母親なんてほしくないよ! お母さんが死んだことを認めることになってしまう、という感覚なのではないでしょうか。

また、この時は夏子とひさこが姉妹であるという関係性が不明瞭だったので、「継母ものか」と思いました。
昔話、おとぎ話では、継母は子どもをいびり、時には家から追い出します。
まぁ遺伝子的に考えれば、継母継父からすれば、「自分と同じDNAを持たない個体」をかわいがることによるメリットはないと考えられるため、血の繋がらない子どもをかわいがるよりは、これから生まれる、自分のDNAを継ぐ個体にリソースを割くべきと判断する可能性があるというわけです。
でも夏子の場合、眞人は自分の姉である久子のDNAを継いでいるので、同じDNAを持っている可能性が高い。
そんな生物の本能からの観点を覗いても、シンデレラしかり、白雪姫しかり、継母は子(特に娘)を疎み、追い出そうとするか殺そうとするかするのです。
なので厳密には継母でもないのかもなー、と思ったりしたのですが、結局こういった継母定番の動きを夏子はしないのでした。
おそらくですが、夏子自身、まだ子どもなんだろうなとも思うんですよね。
このことはこの後ちょこちょこ書いていくことになります。

ただ、このシーンは、夏子が「あなたのお父さんはもう私の旦那様」であることを強調して、眞人に先制攻撃を仕掛けたというニュアンスなのかと思ったんですよね。
というのも、宮崎さんは風立ちぬで、菜穂子をそういう「温和でおしとやかなお嬢様と見せかけて、したたかな戦略で男を籠絡しようとする女性」として描いたので、今回もそのように、言葉の意味をストレートに取ったら悪い人じゃないけど裏には戦略がある系女性なんかなと思ったのでした。
(菜穂子の悪行……二郎が本当は自分ではなくお絹のことが好きだったのを知りながら、「お絹は結婚して赤ちゃんを産んだの」と告げて二郎に寝取られ感を味わわせたり、二郎と二人っきりになりたくて森の泉の入り口の傘を立てかけておいて興味を惹いて誘い出したり、二郎を「来て」と誘ってえっちをしたりなど)
この点について、夏子は序盤で見せる温和なお嬢様モード以外にも、人には見せない複雑な心情があるような気がするので、このこともちょいちょい書きます。

だって、10代前半ぐらいの男の子って、いわばもう思春期じゃないですか。
多分だけどなつこさんも20代半ばくらいの年齢だと思うので、自分が彼に取っては十分「女性」なんだってことを意識できていないのはどうなんだろうと思いませんか?
まぁ2020年代の感覚と、当時の感覚では全然違うのですが、少なくとも、やられた眞人はぐっ歯を噛み締めてしまうような出来事だというのは確か。
また、ここでの夏子は絵コンテでは「コケティッシュ」と形容されています。
あまり最近は使わなくなっている言葉ではありますが、女性が男を魅了するような状態を指す言葉です。
宮崎さんがどのような意図でコケティッシュという言葉を選んだかはわかりませんが、夏子が、どこか眞人の中に男性性を見出しているのか、うぶな少年をからかうような考えがあったとも取れるようになっている気がします。
また、「お腹の中に勝一の子がいる。とても嬉しい」と語っていることから、そのコケティッシュさを武器に勝一を籠絡したと考えることもできると思います。
ただ私としては、夏子が「コケティッシュ」なのはこのシーンに限られていて、ここ以降はだいぶ「連れ子との関係を築こうと頑張る女の人」になっていくように思うんですよね。
むしろこのシーンの、コケティッシュで眞人にずけずけと踏み込んでくる夏子に違和感があります。
一つの事実として、本作の企画草案では「腹違いの弟が生まれてから眞人の異変はひどくなる」と書かれているのですが、完成版では、弟は年数が経過したラストシーンに登場するのみです。
これは本作の種本である『失われたものたちの本』が、疎開先の家で腹違いの弟が産まれ、継母と目に見えてギスギスした関係になる主人公に寄せた展開が検討されていたためであると思われます。
継母との関係性も『失われたものたちの本』に寄せようとしていたけど、何らかの理由で、夏子の性格がマイルドに改変されていったという経緯があるのではないかと推察します。
ボディタッチが多すぎる継母がエロすぎるからかもしれませんし、宮崎さんお得意の「悪役として出した女性キャラがどんどんかわいらしくていい人になってしまう」が発言した結果かもしれません。

・出征兵士を見送る
夏子が前方の何かに気づき、運転士に車を止めるように指示します。
出征する兵士の行進です、
傍には自分まで勇ましい気分になっている子どもがいます…どや顔っています。
この子はどんな悲惨な戦争が行われているか、周囲の大人たちの話でしかを知らないのだろうなぁ…と思ったりします。
宮崎さんも空襲に遭った経験があるとのことなので、ここら一体は火の海になるのでしょうけど、この子は無事でいられるんでしょうか。

眞人は車を降りて気を付けをし、夏子も車から降りて回り込んでお辞儀をします。運転士は自転車から降りずにお辞儀のみ…運転士はもしかしたら、この戦争を肯定的に見ていないために、自転車から降りないことで反抗をしているのかもしれません。
もしくは、そういった礼儀作法が身に付いておらず、何かをするべきという発想がないのかもしれない。

行進は「片山一良」の名が書かれた旗が掲げられています。(絵コンテには名入りの旗は書かれていません)
これ二回鑑賞した人は、この映画の助監督として「片山一良」という名前がクレジットされているので、おやっと思ったはずです。
なんかしらの偶然なのか…? と思っていたのですが、宮崎駿さんがドキュメンタリーの中で「片山も死ねばいいんです(笑)」とぽろっと語るシーンが挿入されておりました。
自分がそろそろ死期を迎えそうだからって、若い後輩を道連れにしようとしているのでしょうか…片山氏と宮崎さんの間柄についてはあんまりわからないし、ドキュメンタリーでの発言の文脈も不明なので詳細はわかりませんが、片山氏がかわいそうです。

劇中の片山さんは40くらいの男性で、「老兵」と書かれています。
若く、兵士としての活躍を期待できる年齢を過ぎた人が召集されているということで、日本軍が求める戦果に対して兵士が不足しているということがわかりますね。
また、この行進についても、絵コンテには「昭和19年にはしょぼいものになっている」と書かれているので、開戦当初はもっと華々しくパレードが行われていたのでしょう。

お辞儀をする夏子に対して、見送りの在郷軍人会の男が視線を送りますが、絵コンテには「夏子は有力者なのだ」と書かれています。
夏子の家が力を持っていたことと併せて、夏子自身が力を持っているという設定のようですね。

思えば、駅前でも、手を繋いだ親子連れが夏子を見ていたような気がします。
駅の方を見ていただけかもしれないので、特に気にかけはしなかったのですが、もしかしたら夏子は地元で名の知れた人物なのかもしれないですね。

行進を三人が見送る場面で終わりますが、複数の人物が背を向けて歩き続けます。
宮崎さんは絵コンテに「大変ですが描くしかありません」と書き添えています…宮崎さんは群衆を描くことを好みますが、今日日、こういう人がいっぱい出てきて各々動いているシーンを手書きで作るのは途方もない労力が必要になるでしょう…
絵コンテを見ていると、「大変だけどやるしかない」などの書き込みが見受けられます。
もちろん大変だからといってやる価値があるわけではありませんが、人をいっぱい書かなければいけないシーンというのはやはり存在しているんですよねぇ。

・夏子の屋敷は駅から遠い
運転士が駅から随分と長い間漕ぎ続けている描写が続きます。
静かなピアノのBGMが流れていて、なんかいい感じですね…。(なんかこのBGM、ジブリ美術館のアニメ技術を知ることができる部屋でリピート放送されている館内アニメーションのBGMに似てるんですよね…)
昔話では、主人公が周囲から孤立している環境を好んで作る「孤立性」というものがあります。(他に似たものがないという意味での「孤立」のあります)
森の中にいたり、あるいは城の中にいても隔絶された環境にいたり。
宮崎さんは主人公が孤立した環境を設定することが多いのですが、君どうの舞台は何重にも孤立しているんですよね…人里離れた屋敷、その屋敷から隔絶された塔など。

また、この当りの自然の描写を見ていると、やはり背景の色の塗り方がこれまえのジブリとは異なっていることがわかります。
明るい色が少なく、木々の色が塗りつぶされている。

・青鷺屋敷に到着
夏子は「トランクは裏に回しておくれ」と車夫に指示をし、何かを手渡すような動きをするのですが、絵コンテによるとお金を渡しているようです。
最初私は裏口の鍵とかを渡しているのかと思ったのですが、そうではなかった。
おそらくこの車夫は、屋敷の使用人ではなく、遠方に出かける用事がある時に呼び出しているものと思われます。
宮崎さんが描いた屋敷のイメージボードでは、敷地内に運転士の家がありますが「今はいない」と書かれているので、屋敷が雇っている運転士は戦争に取られているのかなぁと思います。
なので屋敷の外の人間を雇って送迎させていたのかな、と推察します。

眞人は屋敷の鬼瓦の上にとまる青鷺を見上げていますが、夏子に呼ばれて屋敷への階段を上っていきます。
途中で夏子は、「眞人さんは初めてだから表から入りましょうね」と言います。
このセリフを聞いた眞人は、一瞬「?」って顔をして、足を止めるんですよね。
僕も大いに含みを感じました。
というのも、風立ちぬで、菜穂子に会いに行った二郎が裏口から入り込んで、菜穂子に会うや否やキッスしまくったシーンを思い出したのです。
めっちゃあけすけな言い方をすると、「あなたのお父さんは裏口から入ってきて私との逢瀬を重ねた」ってことだと解釈できるんですよね。
こういうところが、最初は、夏子が「含みを持たせた意味深なことを言う女の人」なんじゃないかと思ったゆえんですよね。
もしかしたら、当初は『失われたものたちの本』のように、継母と主人公が相容れずに次第に衝突するようになるってテイストだったのかもしれないですよね……。
ただ、後から考えると、裏口はもっと低い位置にあるから石階段をこんなに登らなくっていいって意味なんだろうとは思う。
ただ、眞人が「ん?」となって立ち止まる描写を入れているので、眞人が夏子の発言の意味を汲み取りかねていることは間違いないはずです。

ちなみにこの正門側は「男坂」、緩やかな傾斜だけで入れる裏門は「女坂」と呼んでいるそうです。
神社なんかでも、急な階段を男坂、ゆるやかな傾斜で行ける道を女坂と呼びますね。

・お父さんの新しい工場
夏子は階段の途中で、「あの白い建物がお父さんの新しい工場よ」と指さしますが、指さしている先は画面に収まっていないように見えます…私だけですか?
画面内に建物が見えるのですが、工場っぽくなく見えるんですよね…。

別項でも書きましたが、宮崎監督の父が営んでいた飛行機部品工場は、戦中は宇都宮に移転されていたそうです。
ただ、妻の実家の近くに工場を作ったのは、偶然なのか何かの利便性のためなのかわからないんですよね。
そもそも、夏子の言う「お父さんの工場」というのは、勝一が起業して大きくしていったものなのか、
なんならなつことひさこの家が家業として営んでいた工場を、父親が婿入りして引き継いだって可能性もあるんじゃないかと思ったんですよね…でないと、働きに出ている人間がいないのに、なつこの家がでっかいことの説明がつかない。
眞人の苗字が「牧」なのは明かされているから、それが父方の苗字なのか母方の苗字なのかでちょっとわかりそうではありますが。
まぁ、その辺は設定があるのかもしれませんが、少なくともこの物語では断片も提示されないので、多分描こうとしていないのだと思われます。

・屋敷の中へ
夏子は「あら、誰もいないのね」と言います。
後に出てくるおばあちゃんたち、眞人が初めて屋敷にやってくることがわかっているなら、出迎えの準備ぐらいしていてもいいという意味なんですかね…。
このあたりの描写から、夏子はおばあちゃんたちの仕事ぶりにとやかく言わなそうな感じで、おばあちゃんたちもそれに甘んじてきっちりと仕事をこなす感じではない感じが伝わってきますね。

夏子は下駄から泥を払うけど、眞人はそうしません。
夏子が目の前で下駄から泥を払っているのを見ているので、靴がばっちいから泥を払ったほうがいいと学習しそうなものですが、多分、勝一に似て、靴は脱いだら脱ぎっぱなしのマインドが眞人に根付いているのかなと思います。
流石に、「泥でばっちいのは知ってるけど、汚れてなんぼだろ、タタキなんて!」とまでは思っていないとは思うのですが…。

夏子は「行きましょう眞人さん」と言いますが、そのまま歩いていきます。
絵コンテではその様を「夏子はやたらに待ったりしない」と書き添えてあります。

二人は屋敷を行きますが、やっぱり屋敷の中はがらんとしています。
屋敷には本当はもっと使用人がいるけれど、若い男は徴兵されているため不在にしているとのことでした。

青鷺が、廊下を歩く眞人と夏子の側を飛ぶシーンですが、青鷺が「何か普通ではなく、動物的ではない知性や意思を持っていそう」な存在であることを示すために配置されているのかなと思いました。
青鷺が近くを飛んだだけで、夏子は着物をはたいているので、まぁ野鳥なのでばっちそうなんでしょうね…臭いもしそうです…。

青鷺が羽ばたいたり、歩いたりしている絵はやたら印象に残りますよね。
宮崎さんの作品の絵って、本当に印象的なものばかりなんですよね…一度観たら忘れられない絵ばっかり。

大きな吹き抜けのある階段を下りていく場面もありますが、一度階段を上って入り口までやってきたのに、そこから下りていかなければいけないんかい…と思ったりなどしますね…。
この吹き抜けですが、後々のシーンで本来はまた描かれるはずだったのに、カットされている経緯があるようです。
なんか意味ありげですもんね、この構図…。
また、やたらとボロボロになっているように見受けるので、屋敷の歴史の古さも感じさせますね。
他にも、この日本家屋はもっと描かれるはずだったのですが、大幅な変更があり、ほぼ池と洋館が舞台になっていることからも、本作のシナリオがいかに当初の構想から離れたものになっているかもうかがえます。

・おばあちゃんたち
おばあちゃんたちが裏口で勝一のトランクに群がっている場面ですが、絵コンテでは「眞人瞠目」としか描かれていないのですが、完成した作品ではおばあちゃんたちにむっとしているような表情になっていると思います。
使用人に厳しい…。

おばあちゃん達は7人おり、7人の小人と一緒の人数です。
昔話では7という数字は縁起がよいもようです。

夏子は「また勝一さんのカバンを開けたのね」と言い、「また」、というところが、やはり、これまでも何度も食料を持ってきたりしていたことを匂わせるし、その度におばあちゃん達が勝手に開けているんだろうなと示唆していますね。

夏子が「勝一さんの息子さんですよ。眞人さん」と紹介すると、眞人は頭を下げるが、おばあちゃんたちはみんな各々のタイミングで浅くお辞儀をするのみです。
プロ意識にはやや欠けているように見えますね…(笑)。

廊下を歩くおばあちゃん達…ばあちゃんの歩き方が特に面白くなく、なんかCGっぽくも見えました。
おばあちゃん達それぞれ歩き方が違うなどが面白ポイントなのかなとも思うんですけど、初見時は「こんなことで時間を使わないでもっと早く展開させて俺に色んな世界を見せてくれ!!!!」と思ってしまいました…。
当時の私は、宮崎駿最後の劇場長編映画になると思っていたし、宮崎さんも最後だと思って作っているのだからとんでもないものを作ってきたに違いないと思っていたんですよね…。

また、身重の夏子に重い荷物を持たせている時点で、ばあや達のお手伝いさんとしての資質に疑問がなくはない…けれど、あのおばあちゃん達に重たいトランクを持たせないというのは夏子の配慮なのかなぁ。
途中で、キリコが階段に座っているおじいさんに手で合図する場面がありますが、これは「あんた達の分も取ってくるよ」のサインなのだそうです。
ところでここに座っているお祖父さんは「階段じい」と呼称されているようで、いつも階段にいるのだそう。
しかし作中ではこれ以降登場しません。
もともとのアイデアでは、屋敷の屋根付き登楼を舞台にした展開が考えられていたそうなので、そこに向かう道の門番のような役割を果たす予定だったのかなというのが私の推察です。
登楼は金色に塗られていて、目立つようになっているのでちらりと映る時にも目が惹かれるようになっていますね。
惹かれるようになっているのに、ほぼ触れられないので謎の要素になっちゃっております。
ちなみに、イメージボードでは、この登楼の絵の側に、斜視がかった鎧姿の射手のような人のイラストが描かれていますが、どのようなキャラクターなのかの説明は特にありません…。
兜に大きな羽のような飾りがいくつもついていて、作監の本田さんいわく「インコマンを登場させることになったのでなくなった」とのこと…。
異世界で、インコではなく鎧姿のおじさんが敵として登場してきていたら、だいぶ怖いことになりそう…。
それとも、眞人に弓の射方を指南してくれるような役割だったのだろうか。

あと、キリコさんはここでもわかるように、いつもおばあちゃん達の一番後ろにいますが、これは仕事をさぼるためであると考えられます。
なお、おばあちゃんたちの名前は「あいうえおかき」で付けられております…「あいこ」「いずみ」「うたこ」「えりこ」「おゆき」「かずこ」「きりこ」。
きりこさんはお名前の順番でも最後になっていますね。

・台所
絵コンテでは「ススで黒光りしている部屋」と書かれた部屋に到着。
おばあちゃん達は夏子の周りに群がり、トランク開封の儀を楽しみにしている様子。

炉端のそばで寝たきりのおじいちゃんと、そのそばで薄ら笑いを浮かべている別のおじいちゃんがいます。
眞人はおじいちゃんと目が合うと「ドキッとして」頭を下げます。
この辺の描写があんまり意味わからないのですが、屋敷におじいちゃんおばあちゃんしかいないし、なんかみんな挨拶もそこそこだし、仕事もしていなさそうだなぁ…という感じで見ているのでしょうか。
イメージボードではおじいちゃん達について、「みんなリタイアしている」と書かれているので、仕事はないんですかね…でも仕事をしなくなった使用人って、どうするんだろう…住み込みの人とかだと、もう家もない、家族もいないってことになるのか…そうなると、寝たきりになっちゃってる人たちは屋敷の主人が面倒を見る責任があるんでしょうか…制度がわからん…。

トランク開封の際、キリコだけがトランクの中身と、夏子の視線を気にしている風に描かれています。
トランクから煙草をくすねようとしているのでしょう…盗ったっぽい決定的瞬間は見えませんが、夏子がみんなに缶詰を渡しているすきに煙草を取ったのでしょう。

みんなに食料品を渡し終えると、夏子は軽くなったトランクを持って眞人の方へ行き、二人は洋館へと向かいます。
おばあちゃんが「お母さまそっくりだね」「綺麗なお子だよ」と言いますが、私はここが少しだけ気になったりしました…。
宮崎さんはこれまで開いてこなかった、暗いものの蓋を開けるのだとしてこの作品を企画したようなのですが、「主人公が美しくない」作品はついぞ描かないんだな、ということが気になったのです。
残酷なことに、宮崎さんはルッキズムが強い方なんだろうなと思ったりするんですよね。
なので、そのルッキズムにも向き合うか、ルッキズムから解放された作品になるか? と思ったりしていたので、眞人がこうして作中で「美しい」存在として描かれることにちょっとした落胆があったのでした。
まぁ、宮崎さんは最後まで宮崎さんらしい作品を作ったんだなー、という感じです。

・洋館へ
眞人は夏子に連れられて、離れの洋館に行きます。
洋館の入り口には、勝一のものと思しきハットがかかっていたり、ステッキが置かれたりしています。
すでにこの空間で、勝一は普通に生活していることがわかります。

眞人が通される部屋ですが、絵コンテだとちょっと赤かピンクっぽい色に塗られているように見えるんですよね…。
完成作品だと薄緑っぽい色になっていると思うのですが…。
もしかしたら、夏子か久子が幼い頃に使っていた部屋だったりするのかな、と思ったりしますが、邪推かもしれません。
ただ、ベッドのそばにかかっている写真があのですが、絵コンテでは「壁の写真は設定を作ります(重要)」と書き添えてあるので、この部屋そのものが重要な要素だったと考えて間違いありません。
ただ、作中では眞人の部屋の壁の写真がちゃんと見えることがないので、なんだったんだろう…と思ったりはするのですが…。
イメージボードによると、ここには大叔父の写真と、「早く亡くなった若いおばさん」の写真が飾られているそうです。
この「おばさん」が、誰から見たおばさんなのかがわかりません…大叔父から見たおばさんなのか、眞人から見たおばさんなのか…。
ただ、そのそばには「明治時代の家族写真」も貼られているようなので、大叔父から見たおばさんということでしょうか。
そのおばさんの写真が強調されているように思うので、大叔父の人格形成に、このおばさんとその早逝は強く影響を及ぼしているということかと思われます。
もしかすると、宮崎さんが敬愛している宮沢賢治は、妹を亡くして世に絶望していたという話があったと思うのですが、このおばさんが亡くなったことが大叔父の心に大きな影を落としたといったエピソードがあったのかなぁとか思ったりしました。
眞人の部屋のイメージボード写真は、大叔父の写真は塔の中で飾られているものと同じなので、眞人の部屋の写真は写さなくてもよいとの判断でカットになっているのでしょう。

そもそも、完成作品には登場しませんが、眞人の隣の部屋は大叔父の図書室になっていて、屋敷で暮らして孤独感を覚えた眞人は図書室に通う展開を当初想定していたのだそうです。
ただ完成版ではその図書室は塔の中になり、眞人の部屋の隣は勝一と夏子の寝室が配置されることとなりました。
下世話な話ですが、夜の営みの物音とか声とかが聞こえてきそうで、ちょっと嫌ですね…わしの考えすぎですかね…私がスケベすぎますか…?

夏子が「お茶を入れましょうね」といい部屋を出ていくと、眞人はベッドに倒れ込んでそのまま眠り込んでしまいます。
長旅の疲れもあるでしょうし、緊張して張りつめていたのでしょう…。

青鷺が窓の外にやってきて、眞人の姿を認めるとニッと笑います…ここでやはり、この青鷺はただの動物ではないだろうということがわかります。
そして夏子が部屋をノックする音を聞くと、青鷺は飛び去って行きます…青鷺はちょっとぎょっとしたような表情をするのですが、人が来たことに驚いているのか、「夏子」の存在におびえているのか、ちょっと判断が付かないです…。

夏子はお茶とシベリア(風立ちぬにも出てきたお菓子ですな)をベッドのそばのボードに起きますが、眞人は熟睡しており、夏子は彼を起こそうとはしません。
絵コンテによると、眞人の寝顔は「幼くなっている」とのこと。
初見時には、眞人のことを中学生ぐらいかなーと思っていたのですが、普段の立ち振る舞いは年寄りは大人びたものになっていると考えられるでしょう。
あとなんか、宮崎さんの、「自分の寝顔を女性に見守ってほしいフェチ」がちょっと出ているように思ったりします…風立ちぬで、眠りに落ちた二郎を見守る菜穂子が、メガネを外してあげるシーンを彷彿とさせるといいますか…。

眞人を見る夏子は、哀れんでいるようにも見えるし、複雑そうな面持ちです。
おばあちゃん達が言うように「母親にそっくり」な眞人の姿から姉を思い出しているのかもしれない。
夏子も夏子で、姉の死で胸を痛めているのは間違いないだろうし。
そういえば、夏子は現世で二度しか姉のことを口にしないですね…久子の死を見舞うような言葉を誰も眞人にかけない。
今の時代よりも、死というものが重みを持っておらず、やたらに死人のことは口にしないようなもんだったんですかね。

夏子は結局眞人を起こさずに部屋を出ていき、眞人はそのまま母の夢を見ます。

・母の死の夢
眞人は火事の病院へと走っていく夢を見ます。
そこでは、母が炎に包まれて天に昇っていく様が描かれていますが、物理的にあり得ない現象なので、眞人の悪夢のイメージです。
絵コンテでは「まひと、母さんはここよ」と台詞がありますが、完成版では「まひと、さようなら」となっています。
あと、母の名前が「陽子」になっていますね…完成版では久子です。なんでこの変更があったんでしょう…。炎使い少女だから太陽からあやかって陽子なのでしょうか。でも宮崎さんはこういうオタクっぽい連想ゲームでのネーミングはやらなそうですね。謎。

・青鷺に引き寄せられて
目を覚ました眞人は涙を流しており、それを袖でぐっと拭います。
手慣れた様子から見ると、眞人がこの悪夢にうなされるのはこれが初めてのことではなさそうかなーと。

部屋を出て下の階に降りたものの、洋館には誰もいない様子。
そのままくつを履いて外に出て、池のほとりまで歩いていきます。
BGMもなく、虫の音がかすかに聞こえるのと、眞人の足音が草を踏む音になったり、砂利を踏む音になったり、土をこする音になったりと、ジブリ作品の音の良さを満喫できる良いシーンになっていると思います。
しかし初見時には「早くなんか展開を見せてくれ!」と思いました…(笑)。
初夏の夕暮れ時の空気感を切り取った面白くて印象的なシーンだと、今になったらわかるんですけどね(笑)。

眞人は池の中に立つ青鷺を見つけて、青鷺の方へ歩いていきます。
すると青鷺は飛び立っていく。
そこかしこに鳥のフンがこびりついていますが、青鷺がそこらで脱糞しているけれども、庭や屋敷の手入れが行き届いていないため放置されているものと思われます。

青鷺はゆっくりと飛行していき、森の中にある塔の屋根に降り立ちます。
絵コンテでは、青鷺は足を滑らせて屋根からずり落ちそうになるものの、態勢をなんとか立て直すシーンが描かれていましたが、完成版ではカットされています。
おそらく、青鷺は眞人と同じでおっちょこちょいなキャラクターとして設定されていると思うので、そんな側面を表現するためのシーンだったのかなと思います。
ただこの時点では、青鷺の正体がわからないようにしてある方が、後に中からおじさんが出てきた時のギャップがあって面白いので、ずっこけないほうが良いと思われますね(笑)。
また、私としては、「鳥が飛んでいくシーンに10秒ぐらい使ってる…マジか…この映画はこんなノロノロで描かれるのかよ…もっとポンポン進めないと、俺の人生変えるようなとんでもない展開にならんのじゃないか!?」と思ってしまったと言います。
しかし、不思議な塔の存在に眞人を誘導していく、とても優れた流れが構築されていると思います。今なら。
あと、この後の、青鷺が勢いをつけて塔の窓に身体を突っ込むシーンも、何か異様なものを感じさせて素晴らしいですよね。
逆にこのシーンは絵コンテにはなく、青鷺は塔の上から「ぐげー」っと鳴き、眞人はそれに惹かれて塔へと歩みを進めていくことになるのでした。

・眞人、塔へ向かう
池の水辺に沿って進んで行きます。
眞人の足は泥に沈み込み、深い足跡がつくことから、地面の湿りっぷりがわかるというもの。
この足跡があったからおばあちゃんたちもこっちに来るのかな…。
なにか足跡が付くことに意味があるかと思ったのですが、私には何度も解読できません…。

眞人が近くにいる全体像で映されるので、とても大きな建物であることが伺えます。
しかし蔦に覆われていて、壁が崩れているところなどもあることから、人が近寄っていない状態と推察できる状態。
家からすぐそこの場所になぜこんなものがあるのか、という疑問も湧いてきますね。
マーニーに出てくる「サイロ」みたいだなという感想も多く見受けられました。
マーニーと君どうで言うと、確かに母親の不在により塞ぎ込んでいる少女と、その母的な存在と幻の中で再開するところなどはそれっぽいかもしれない。
義母を「お母さん」として受け入れるというところも似てますね。

この辺の展開、不思議の国のアリスっぽいのですが、そもそも千と千尋もかなり不思議の国のアリスなんですよね。

夏子がおばあちゃんを二人連れて、池のほとりで眞人を呼んでいます。
眞人はその声に気づいたけれど、無視して塔に近づいていきます。

眞人は塔の中へ入れそうな穴を見つけて潜っていき、そこで青鷺の羽が落ちているのを見つけます。
どういう構造なのかわからないのですが、無理やり中に入ろうとして頭をねじ込んでいきます。
絵コンテでは、塔の入り口から、奥の階段近くまで進むシーンも描かれていましたが、カットされており若干省略されていますね。

・おばあちゃんに連れ戻される
眞人は無理やり奥に入ろうとしていましたが、塔の入り口からおばあちゃんたちの声がしたことで、諦めて戻っていきます。
おばあちゃんたちは「埋めといたのによぉ」「連れ込まれるぞな」と、この塔が曰く付きであることをにおわせます。

眞人はおばあちゃんたちに「この塔はなに」と尋ねますが「さぁ」「戻らんとよ」とごまかされます。
このおばあちゃんの対応も、「眞人はまだ子どもだから何も知らなくていい」という考えからくるはぐらかしだと思います。

眞人は手に持っていたはずの青鷺の羽が消えていることに気づき、不思議がります。
なんで羽が消えてるんでしょう…塔の中で取ったもので、塔の入り口とは世界が隔絶されていて、持ち帰れないってこと?
なんとなく、映画の最後で眞人が「覚えている」ことへの伏線的なものなのかなーとも思うのですが、機能していない伏線のような気もします(笑)。

・食後のお茶タイム
夏子は眞人に「塔のことを話すのは眞人さんがここでの暮らしに慣れてからにしようと思っていた」と釈明のようなセリフを言います。
眞人は特に反応しませんが、夏子は塔を建てたのがとても頭のいい男性で、その人物は「私たちの(つまり夏子と久子の)母の大叔父」であるとの関係性を説明します。
大叔父は本を読みすぎて変になってしまったらしく、ある日突然足跡一つ残さずに消えてしまったと語ります。
屋敷の内部が映像に映し出されていますが、図書館のように大きな吹き抜けの空間であることがわかります。
内装も豪著…いったいどれほどのお金があったらこうなるんでしょうか…。
映像的にも、館内に舞う埃が光に照らされてキラキラしていて美しく、幻想的な空気感が醸し出されていますね。
また、もともとは母屋と回廊で繋がっていたけれど、それが大水によって崩落してしまったこと、それを機に塔内を探索すると地下に迷路のような空間が作られていたことがわかったので、夏子と久子の祖父がそれを埋めて塔に入れなくしたとの経緯が明かされます。

そもそも塔が結構な費用を投じて建造されたものだろうし、そこに収められた本は価値がありそうなものですが、それでも封印されたのには理由があると思うんですよね…。
それは勝一のように(おそらく)祖父が書物に価値があると思っていないため、ただ封じることにしたのか、大叔父が消息を絶った場所ということで不吉に感じたか、といったところではないでしょうか。
でもそもそも、取り壊すって選択肢が出てこなかった理由があんまりよくわかんない…まぁ本筋ではないので、無視します!

ここで大叔父の写真がいくつまぼかした加工で映されますが、大叔父が顔の堀が深くアンニュイな表情をしている男性であることがわかります。
西欧人の血が入っているのか、と思えなくもないのですが、そういった描写はない。
イメージボードによると、「シベリウス肖像画参照」と書き添えてあります。
私は詳しくないのでググるしかないのですが、「ジャン(ヨハン)・シベリウス」という作曲家がたくさんヒットしますし、この人の肖像画を見ると大叔父の絵に似たものがあるため、この人をモデルにしているのかなと思います。
モデルとして名前を挙げているからには理由があると思うのですが、今ググって存在を知ったばかりなので、関連性を見出すことができません…面目ない…。
ただ、キャリアの途中までは多作家であったものの、大きな楽曲を完成させて以降は30年近く沈黙を保ち、プライベートではちょこちょこっと創作を試みることはある、といった程度の活動になっていったとの記述があります。
とすると、それを、寡作家となっていった高畑勲さんに重ね合わせている可能性はあるかなと思います。
図書館に籠っていたとか、頭が良すぎて変になってしまったとか、まぁ高畑勲を思わせるような説明台詞が多いよなとは思うんですよね。

ただ「洋行帰り」であることは絵コンテでもたびたび言及されており、外国風の服を身にまとっているのもわかります。
そして着物を着た女性との2ショット写真もあり、これは「大叔父夫婦」であると絵コンテでは明記されています。
嫁さんもいたであろうに、大叔父はなぜ変な世界に行っちゃったんですかね…。

・眞人、絶対に塔に行ってみようと思っている
夏子は眞人に「眞人さんも危ないから近づいてはいけませんよ」と促し、眞人は威勢よく「はい! ご馳走様でした!」と返事をします。
物語の定番ですが、大人が「やってはだめ」と言ったことは、子どもは絶対に破ります。
そして禁忌を破った先で、大人が隠そうとする大きな秘密を知ることになります。
また、眞人は「ご馳走様でした」と言いつつ、お茶には手を付けていないように見えます。
おそらく食事は摂ったとは思うのですが、夏子が部屋に運んだお茶とシベリアには手を付けていないと思われるので、夏子に心を許していないことがよくわかる絵になっています。

眞人は居間? を出て夏子におやすみなさいと声をかけ、夏子もそれに返して「朝方寒くなるよ」と言い、眞人は「はい!」と威勢よく返します。
この威勢のよさは、他人行儀感を強調するように思いますね…。
眞人達が住む洋館の構造は観た人の頭の中に何となく残るようになっていると思うのですが、宮崎さんの建物の内部設計とか画面のレイアウトの上手さによるものだなと思います。

・のぞき見眞人
眞人は寝間着に着替えてベッドの上でごろごろしているようですが、寝付けないようです。
絵コンテによれば「父を待っている」のだそうで、やはり、新しい環境に身を置いた眞人は心細く、父に頼りたいんだろうなという感じですね。
時計の針から、午後九時を過ぎていることがわかりますが、勝一はこの時間になっても帰宅していません。
シャカリキに働いているおやじであることがわかります。
また、夕飯には全然間に合っていないこともわかります…身重の夏子が居間で健気に勝一を待っているので、もうちょい早く家に帰って来いよ…と思うのですが、勝一からすると仕事が第一なのでしょう。

眞人は寝付けないまま、寝室を出て階段に座り込みます。
後ろに椅子が置かれているのだから椅子に座ればいいのではないか…とも思うのですが、この家の家具に慣れていないから座るのが嫌なんですかね。
それとも木の床にお尻をつけたほうがひやっとして気持ちがいいのかもしれません。
居間から明かりが漏れていることから、夏子がまだ今にいることはわかるけれど、居間に行き彼女と同じ空間で過ごすことは避けたいと考えているのでしょう。
眞人は玄関を見つめ、眞人の靴と夏子のゲタの間には空間があることが強調されています。
この絵には、家主である勝一が帰宅した時のために真ん中を開けておくという意味があると思うのですが、眞人と夏子の心理的な距離感と、それを取り持つべき立場なのに家を空けている勝一にいかんともしがたい思いを眞人が抱えていることを示していると思います。

眞人は玄関から炎が踊りこんできて、「眞人 助けて」という久子の声が聞こえる幻影を見ます。
絵コンテによると、眞人は「寝ていたらしい」なので、幻覚ではなくて眞人の夢の映像ですね。

やがて帰宅する勝一。
出迎える夏子が、階段から見て左手から出てきたということは、眞人がさっきまでなつことお茶を飲んでいた部屋で待ち続けていたということになるのだろう。
そういう位置関係がすぐに見るものに読み取れるように、レイアウトされ、画面で示されるあたり、宮崎さんの一級品のレイアウト術が衰えていないことを示しています。
勝一はがさつに靴を脱いで放りっぱなしにし、出迎えた夏子の肩を持ってキッスを始めます。
眞人はぎょっとした顔をしながら、気まずくなり、音を立てないように部屋に退却していきます。
おそらく、勝一は帰宅後に眞人の様子を見に行ったりはしないでしょう。
すでに二人はラブラブカップルであり、勝一は自分に関心がなさそうだということを感じ取ったのだと思われます…眞人かわいそう…。

ちなみに、この「実父と継母のキッスを階段の上から目撃してしまう」というシーンは、君どうのベースになった『失われたものたちの本』にそのまんま同じシーンが収録されております。
この本との関連性については別のエントリで書いたので、よければ読んでみてください。

あと、勝一は靴を脱ぐときに、手で靴をすっぽ抜かせるようにしていますけど、その手で夏子の肩をつかんでいるんですよね…青鷺が近くを飛んだだけではたいていたような潔癖夏子からしたら、泥が付いているかもしれない靴に触れた手で肩を持たれるの、けっこう嫌なんじゃないかと思うですよね…考えすぎでしょうか…。

あと蛇足ですが、宮崎さんは、未来少年コナンで、「追っ手に気づかれないように窓を閉め切っていたのに、ふとした弾みに窓を開け放ってしまい、そこから漏れる光で追っ手に探知される」場面を描いているので、灯火管制下の生活で伝統と遮断幕を徹底して描いているのも当然意識的なものだなぁと思われます。

・他人の不幸で飯が美味い勝一
翌日の朝なのか、数日後の朝なのか、勝一はサイパンの戦局悪化と、威張っていた軍人への揶揄と、そのおかげで工場が大忙しになっていることを語ります。
白飯をがつがつかっ込んで、飲み込まないうちから喋りちらしています…。
勝一は悪い人ではないのだけれど、食い方は汚いもよう。千と千尋のオヤジさんに、ここも似ている。
夏子は「亡くなった方たちかわいそう」と悲しそうな目をしています…。
ただ日本に蹂躙されている国や地域があることを、彼女は知っているのであろうか…と思ったりなどもします。
あと、「サイパンは一年もつって威張っていた」とのことなんですけど、一年経ったら陥落することが分かっていたってことなんですかね…その一年持ちこたえた後はどうするつもりだったんだろう…。

絵コンテによると、ここで食べているご飯は麦入りだそうです。

勝一は夏子の入れたお茶を一息で飲み、「眞人、学校までダットサンで送るぞ。車で乗り付ける転校生なんてかっこいいだろうが」と言って画面外にはけていきます。

眞人は父の話を聞きながらぶすっとしていますが、絵コンテによると「学校に行きたくない 父の話も気に入らない」のだそうです。
眞人が父の仕事や、日本が行っている戦争についてどんな思いを持っているかはわからないのですが、子どもも目線で見ても、それらが良いことのようには思えていないということなのかなぁと思います。

夏子はそんな眞人の心情を知ってか知らずか、明るく送り出すのでした。

勝一に木村拓哉が起用されているのって、「細かいことを全然気にせず前向きであることが唯一の正義」と思って疑ってなさそうなところが似てるのかなって思ったりします…。
もちろん宮崎さんも、木村拓哉の活動をつぶさに追っているわけではないけれど、なんかイメージが共通するところがあって起用しているはずではないですか。
私は、この映画公開後に、ジャニーズ事務所が、ジャニー喜多川の過去の性加害が明らかになって崩落していく騒動があった中で、木村拓哉が「show must go on!」とInstagramに投稿したことを思い出します。
このフレーズは英語の慣用句ではありますが、ジャニー喜多川が生前好んで使っていたものだそうです。
このため、木村拓哉のこの投稿はジャニー喜多川を肯定するものと捉えられて批判が集まり、木村拓哉は投稿を削除するに至りました。
木村拓哉のことをあまりよく知らないし、ジャニー喜多川の功績すべてを否定的に見ているわけではないのですけど、だっせー…と思わざるをえませんでした。
そして、戦争が悲劇的な局面に突き進んでいるのに「おかげで大忙し!」と飯が進みまくっている勝一と、大勢の男性の心に深い傷を負わせた男を擁護しようとする姿勢を見せる木村拓哉がどこか被って見えました…。
勝一は「豪放な性格」であるとのことなのですけど、陽キャであることに全振りしている人間の無神経さを感じずにいられません…。

・車で乗り付ける眞人と勝一
勝一は眞人を乗せて小学校に車で行きます。
眞人は大人びて見えるけれど、登校先は小学校になっていますね。
車がやけにがたがたしながら走っていくのは、道が舗装されていないからでしょう…
ガタガタ道に入る手前で眞人を登校させてやればいいと思うのですが、そうしないのは、勝一が「車で子どもを送り届けるかっこいいお父さん」として見られたいからなんじゃないかなーって気もするんですよね…。

校庭には草刈りの準備をしている子どもたちがいますが、「援農」に行くのだそうです。
立派に労働力として駆り出されているんですねぇ…。

教室内でも眞人はぶすっとしており、男子たちは「なんだこいつすかしやがって」と思っているもよう。
絵コンテでは女の子たちをアップにしたシーンが描かれていないのですが、特にほっぺを赤らめている子なんかがいないので、「きゃあかっこいいわぁ」という歓待でもなく、都会っ子が珍しいというぐらいにとどまっているのかなと思われます。

その後、眞人は学校を後にしますが、同級生たちは援農に駆り出されているため、「早退」をしているのだそうです。
同級生たちもいやいややらされているのだろうに、帰ろうとする転校生がいたらまぁ怒るのも無理はないかなという感じ…。
ただ、これは同調圧力で、本来であれば子どもが労働に駆り出される環境がよろしくはなかったりするのですが、まぁそんな現代人の想いはこの時代の子どもたちには関係のないことですね…。

あっという間に取っ組み合いになり、眞人は負けじとやりかえしますが、果たして一対一のケンカで終わるのかはわからないですね…。

・致死量出血眞人
服がボロボロになっている眞人、路上でやおら立ち止まると意思を拾い上げて、帽子を脱いだと思うと、石の尖ったところで側頭部を打ち付けます。
このシーン、劇場でも「えっ」と声が上がっておりましたね…。
また、めちゃくちゃ血が噴き出します。
絵コンテでは普通に血が流れている程度で、当初はそのくらいで作画をしていたのに、宮崎さんが「もっと血を出せ!」と修正を指示。
指示に従い血の量を増やしたところ、それを見た宮崎さんは「これじゃ死んじゃいますね」となぜかトーンダウンしたといいます…しかし採用されているのは、この血ドバドババージョンですね。
この血の色と、後にヒミが出してくれるジャムパンのジャムの色が似ていますが、多分意図的に似せているのだと思います。

この眞人の自傷行為について、明確に言葉では示されませんが、「父の気を引きたい」「自分は正常な精神状態ではないとアピールしたい」といったところなのかなぁと思います。
あとは、母を救えなかった自分を罰するような気持ちもあったのかもしれない。
なりふり構わず駆けつければ、母の死に目には会えたのかもしれない。

そもそも、宮崎さんによる企画説明には「リストカットをする少年・少女をどうしたらいいかわからない」という話が盛り込まれていました。
なので、多分、眞人のこの行動も、宮崎さん自身説明が付けられない少年の行動として描かれているのかなとも思います。
これまでの宮崎作品にはない、自分で自分を傷つける衝動的な行動を取る主人公なので、このシーンには衝撃を受けました。
そして終盤の重要な展開にもつながってくるので、なお驚かされます。

眞人は痛がりながらも、身を起こして前を向き、歩き出します。
なんかこの時の眞人の、懸命に毅然とした表情を作ろうとする姿が、なんか泣けてきます。
周りに人がいるのに、心を開けなくて孤独になっていってしまっている感じが、なんかひたむきで、でももうちょっと人に頼ろうやと思えるというか。

・おばあちゃん達あたふた
大けがを負った眞人が帰宅したためか、おばあちゃん達は慌てふためいて廊下を右往左往しています。
絵コンテで「ただし遅い」と書かれているとおり、おばあちゃんたちはこんな時でも物理的に動くが遅いです。
そんで、こんな一大事でも、キリコさんは一番後ろでノロノロしています…他の人が仕事をこなすのを待っているんですよね。

で、結局応急処置は夏子の手で行われます。

・勝一帰宅
明るいように見えるけど、夕方の時間帯に勝一は自慢のダットサンを走らせて帰宅してきます。
ここで勝一が使う道が「女坂」で、青鷺屋敷の裏口にあたる場所ですね。
小さい車をガタガタ走らせるシーンを観ると、『カリオストロの城』のカーチェイスを連想する方も多いでしょう…。
あの作品で作画監督を務めた、武器と車を描かせたら天下一の大塚康生さんも、2021年には鬼籍に入ってしまわれましたね…。

勝一の車のナンバープレートは「3.161」と描かれていますが、特に意味はないと思われます。

勝一は眞人に「本当のことを言いなさい。誰にやられたんだ!」「安心しなさい、お父さんが必ず仇を討ってやるから、本当のことを言ってごらん」と詰め寄ります。
この時の勝一、目がガン開きで怖いんですよね…。
眞人はケガの熱でぼーっとしているようですが、そうでなくても「転んだだけさ」と嘘をついく姿勢と考えられます。
この時の眞人の心情があんまりよくわからないんですよね…父親は眞人のことを心配しているというより、自分の見栄のために怒っているように思えるのですが、それを眞人も察しており興覚めしているといった具合なのだろうか。
あるいは後先考えず衝動的に自傷をしたが、思ったよりも大事になっているため、事実を言い出せないのでしょうか。

夏子が勝一を制止するけれど、勝一は「大事な息子をこんな目に遭わせて、許せないよ!」とまくしたて、学校へ行ってくるといい部屋を出ていきます。
夏子も一緒に出て行っているもよう。
制止に入る夏子は、絵コンテではキッとした表情をしていますが、完成版ではどこか心配そうな表情のニュアンスが強いように思われます。

台詞の通りに考えると、勝一は眞人にけがを負わせた人物に「敵を討つ」と言っているので、眞人が自傷したと事実を話せば、眞人を罰するということになるでしょう。
また、「大事な息子をこんな目に遭わせた奴を許せない」と言っているので、眞人が自傷した原因が自分にあると知ったら、勝一は眞人と勝一自身を罰することになってしまう。
この勝一の攻撃的で他罰的な性格があるから、眞人は勝一に頼れないし、しかしそんな勝一しか頼れる相手がいない今の状況にも大きな不満を抱くことになっているのでしょうね…。かわいそす。

・眞人の名を呼ぶ青鷺
一人になった部屋でため息をつく眞人。
しかしそれもつかの間、眞人の背後から「マヒト」と呼ぶ声がします。
驚いて振り返ると、窓に足をかけた青鷺が「マヒト」と人語を話しています。
ただ青鷺が人間の言葉を話しているのに、眞人はそれを驚かず、「しーっ、しーっ」と追い払うのみ。
これは一次元性という昔話の法則性を反映させたものです。
普通、言葉を話さないはずの生きものが話し始めたら驚き、信じられないはずだけれど、眞人の反応は「しーっ」と、同じ言葉を話すし知能もあることを当然のことのように受け入れている。
昔話では、そのような境界線があるという意識が希薄であるため、何が起きても主人公は受け入れるのだそうです。

眞人が立ち上がろうとすると、青鷺は羽を散らして飛び去っていきます。
窓辺にはフンが落ちています…脱糞のシーンは描かれていないものの、青鷺はウンコしまくりなのでしょう。

眞人は痛む頭を抑えながら立ち上がり、窓を閉めようとする。
部屋に戻ってきた夏子は驚くものの、眞人は「ここ閉めて」と窓閉めを手伝わせます。
眞人が窓を閉めようとするシーンが多いですね…結界を作るためなんでしょうか…なんか意味があると思うのですが、私には読み解けません…。
また、眞人の部屋に入ってきた夏子の芝居については「どたばたさせない」と書き添えられているので、楚々とした大和撫子感が崩れないように注意して作られているのだと思われます。

・青鷺は変
青鷺が池の鯉を丸飲みにし、「オカアサン」と人語を発するシーンでAパートは終了します。
起承転結の「起」で言うと、実際に映画の時間が1/4を迎えるのは青鷺に「母君は生きておられますぞ」と言われるあたりです。
個人的にはもっとテンポを上げて、1/4の時点で異世界に突入しているぐらいにしてほしかったのですが…。
まぁ、不気味な絵ですよね、鯉を丸飲みにする青鷺。

Aパートの考察は以上です。
Bパート編に続きます。

 - ジブリ作品, 君たちはどう生きるか, 映画

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