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『また会おね』というおかしなうた

      2020/03/17

矢野顕子さんが毎年12月後半に行っている、鎌倉芸術会館のソロコンサートに行くんです。
今年はクリスマスイブ開催。
僕は3年前の2011年が初観賞だったので、今年で4回目の参加ということになる。
矢野顕子さんは、毎年8月の中旬に東京・名古屋・大阪のブルーノートで公演をするブルーノートツアー、そして秋から冬にかけてはさとがえるツアーと題された公演を開催、そしてその合間を縫ってピアノ弾き語りの公演を開いている。
さとがえるツアーでは、毎年一組のゲストミュージシャンを招いてバンドを構成して講演を行う。
今年のゲストはなんと、ティンパンアレイ。
細野晴臣、林立夫、鈴木茂の三名をバックに従えての矢野顕子コンサートなのだ。
福岡、大阪、名古屋、東京の会場で行われたのだが、各会場で一度ずつしか開催していないのである。
この面子ですよ?
過去にも上原ひろみさんや、森山良子さんなど、ソロとしても人気の高いミュージシャンとのコラボレーションが行われてきたが、今回のこの面子ははっきり言ってレジェンドクラスだろう。

とまぁ、これは愚痴になってしまった。
僕は矢野さんとティンパンアレイのコラボレーションを目撃できなかった。
一生後悔するだろう、と思う出来事である。
しかし、このライブのもようはCDとして発売することが決まったようである。
まぁ、これだけのメンバーを集めてしまったなら、それくらいは当たり前のように思えるのだが……。
というかこの面子だったら武道館でライブやってもチケットは完売するのではないかと思う。
まぁ、こうしてどれだけ不満を並べても、もう何も意味はないのだけれど……。

本当に話したいのは、矢野顕子さんの『また会おね』という曲についてだ。
僕が毎年矢野顕子さんのソロコンサートに足を運ぶのは、この曲を一度だけでも生で聴いてみたいと願っているからなのだ。
この曲は、1980年に発表された『ごはんができたよ』というアルバムに収録されている。
矢野顕子さんファンと話したことってないんだけど、多分これが最高傑作のひとつであるということに異論がある人はいないんじゃないだろうか。
スヌーザー誌の「日本のロック/ポップアルバム究極の150枚」の企画でも、このアルバムは130位にランクインしている。(僕が矢野さんを聴くようになったきっかけはこれ)
矢野さんの作品に触れたことのない人にとっての矢野さんのイメージというのは、TVCMでたまに流れてくる変わった声のおばさん、なんか童謡なんかをやたら歌ってるおばさん、という感じではないだろうか?僕はそんなイメージだった。
しかし80年当時の矢野さんはYMOの活動に参加していたり、自分の楽曲をYMOと共作していたりするので、このアルバムはけっこう尖がった音も使われているように思う。
まぁ、初期の矢野さんは音楽面でも非常に先鋭的な表現をしているのだが、音楽性の話について書き出すとまたキリがなくなってしまうのでここまで。

矢野さんの楽曲はアイポッドに150曲以上入れているが、この曲は特に思い入れが強い。
というのも、この『ごはんができたよ』というアルバムがそもそも、かなり特殊な状況下で制作されたものなのだ。

矢野顕子さんはそもそも、『ザリバ』というバンドを組んで活動していたのだが、楽曲をプロデュースした矢野誠さんという音楽家と結婚。(当時19歳)
そして妊娠、出産を経て本格的にソロ活動を開始し、21歳の時に『ジャパニーズガール』でデビューする。

その後、詳しい経緯は知らないのだけれど、79年に矢野誠さんと離婚。
その翌年に、もともとセッションを通じて知り合いだった坂本龍一さんと結婚、長女の美雨さんを出産したのだという。
坂本さんと矢野さんの発言を照らし合わせて考えると、矢野さんが子育てに専念するために音楽活動から身を引こうとしていたことがあり、彼女の才能に嫉妬するほど惚れ込んでいた坂本さんが家庭から引っ張り出して結婚した、とのことだった。
また、坂本さんは、あわせて「矢野誠さんというひとはとても変わった人だった」とも発言しているので、その辺りに離婚理由があったのではないかと推測できる。

美雨さんが誕生したのが5月のこと。
そして『ごはんができたよ』というアルバムが発売されたのが、同年の10月。

このアルバムは、おそらく「愛」をテーマとした作品だと言える。
もはやスタンダードナンバーと化した「ひとつだけ」、夫である坂本龍一さん作曲のYMO曲のカバー「東風」(しかもYMOとレコーディング)、20代半ばにして強烈な母性を宿した表題曲「ごはんができたよ」、そしてひとつだけのそのまま英訳「You’re the one」はおそらく生まれたばかりの美雨さんにささげられていたりと、語りたい曲ばかりなのだが、今回はこの一曲だけ。
「また会おね」はそんなアルバムの後半に収録されている。

はじける光 わたしの指で
編んであげるわ へたっぴいだけど
わたしがここにいたことさえも
色褪せるでしょう かなしいけれど

忘れない忘れない この家この街
忘れない忘れない あの目をあの手をあの日を

あふれる想い あなたの前へ
置いてきたのよ だれも見てない

鏡の前でほほえんえみる
ほっぺたがちょっぴりひきつるけど
さよならを言う練習中に
もう涙がとまらない ヤだわ

忘れない忘れない この家この街
忘れない忘れない あの目をあの手を

あふれる想い あなたの前へ
置いてきたのよ だれも見てない

サヨナラサヨナラ

歌詞、好きな部分だけ引用しようとしたのだけど、どこも削れる場所が無かった……。
↑に書いた、矢野さんの実生活の事情って、かなりドラマチックだとは思わないだろうか。
悪趣味だとは思いつつ、僕は矢野さんと坂本さんの著書などを読んでみたりしたのだけれど、この離婚&結婚についてはなかなか語られていなかった。
もしかしたら僕が見逃しているだけで、どこかでガッツリ語られているのかもしれないけれど……。
また会おねという明確な別れの歌が、そういった出来事の直後に作られたとなると、少し見え方が変わってくる。
矢野顕子さんが矢野誠さんについて語っている文などはついぞ発見できていないのだけれど、子どもまでもうけた相手なのだから、当然愛情はあっただろう。
その後の経緯は詳しく知ることができていないが、離婚する時に、スムーズに話が進んだとは思わない。
今よりも離婚率は低かっただろうし、世間の注目も集まるだろう。
それに当人同士の感情の問題もあったはずだ。
こういった形の離別では、憎しみや悲しみが生まれないほうがおかしいとすら思う。
しかし、矢野さんが歌に込めた感情は、「ありがとう」だった。
もしかしたら、事情を知っている人たちが聴いたら「綺麗ごと」になっているかもしれない。
けれど楽曲として世に出し、残したいと思った感情は、こういった感謝の気持ちだったのだということではないだろうか。
つまり、めっちゃドロドロな状態を抜けた後に出した曲がこんなにも純粋な感謝の気持ちにあふれたポップな曲だから、良いという話だ。
それに、曲の終わりが「サヨナラサヨナラ」と、もう二度と相手と会うことができないことを予期しているのにもかかわらず、タイトルは「また会おね」なのだ。
また会えないってしっているけど、また会おね、と少しいう呼びかけなのだ。
会おねではなく、会おね、となっているところにはにかみが感じられる。
なぜ自分にとってこの楽曲が特別なのかといえば、初めて付き合った女の子に一方的に別れを突き付けられて、そのことを長きにわたって引きずっていたからだ。
自分はその人に、とても感謝していたのだけど、突然フラれてしまったことで、感情をどう持って行けばいいのかわからなくなってしまった。
さんざん悩んだのだけど、けっきょくもうその相手に自分の感情を受け入れてもらうことはできないし、かと言って他の相手とセックスしたり傷付けたりしても心が満たされることはない。
物って代えがきくけど、人間相手だとそういうわけにはいかない。
その相手だからこそ芽生える感情があるし、一緒に過ごした時間の記憶を共有できるのは、その相手しかいないからだ。
この「記憶の共有」というのは、恋愛において重要なことであるように思う。
だからこそ、ウディ・アレンは『アニー・ホール』において、元カノと一緒にロブスター料理をした時のことが忘れられず、新しいガールフレンドと一緒に、同じくロブスターを調理しようとするも、あの時のような感情が芽生えないことに落胆するシーンを入れたのだろう。
そしてあのシーンは映画の中でもひときわ痛々しく、しかし切実に胸を打つのだと思う。(あのシーンがあの映画で一番好きっていうの、僕だけじゃないよね?)

話が少しズレてしまったのだけど、結局はどんな形での「失恋」も、受け入れることでしか解決しないのだと思う。
この歌は恋についてというより、愛についての歌なのだとは思うが、愛は関係が解消されても消えるものではない。
というより、厳密に言えば、関係とは解消されるものではなく変化するものなのだと思う。
その相手との恋愛を通して、良くも悪くも自分にはいくつもの変化が訪れたはずなのである。
その恋愛を経験しなかった自分なんて、想像することができるだろうか?
要するに、僕は自分を振った相手のことを「忘れなければいけない」「ふっきれなければいけない」と思っていた。
しかしこの曲を聴いて、考え方が少し変わった。
相手が自分のことを拒絶したからと言って、その相手への感情を握りつぶさなければならないわけではない、ということ。
相手に伝えることができないとしても、その相手に感謝するのをやめなくてもいいのだ、ということ。
それは、この曲のコーラスが「忘れない」という言葉が繰り返し歌われるものだからかもしれない。
「忘れられない」ではなく、「忘れない」という決意、約束なのだ。
それがちょっと、この楽曲を「失恋」というありふれたテーマではなく、強烈な普遍性の宿った愛についての歌として成立させているように思う。
「失恋ソング」とも言えないし、愛の崇高さを歌っているわけでもないし、既に離別した相手に対してこんなにも前向きで暖かな気持ちを届けようとする歌を、僕は他に知らない。
という意味で、非常に特殊な歌だ。
まぁ、それでも、一つの曲から得たフィーリングが一生涯に渡って消えないものなのかといえば、そうではないと思う。
結局その後も、後悔したり、また会いたくなったりと、みじめな感情が何度も湧き起ってくるようになった。
毎年、「きょう『また会おね』を聴けたら、もうあの子のことは忘れよう」と思ったりはするのだけど、結局これまで一度も聞くことができていない。
と思っていたら、その相手と直接会って話すことができたので、それからはけっこうふっきれた。
人生ってそういうもんなのかもしれないと思う。
はたして今年は、『また会おね』は披露されるのだろうか。

 - ラブソング, 音楽

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