君たちはどう生きるか考察 Eパート
2024/07/26
物語の終幕、Eパートです。
ついに存在を匂わせ続けていた大叔父登場です。
ほとんど物語に収集がつかないところも、この作品の愛すべきポイントになっていると言えるでしょう。
Dパートの考察はこちらです。
・脱がされた状態で目覚める眞人
上着を剥ぎ取られ、ボロボロになった眞人がうつ伏せで腕を広げた状態で横たわっています。
絵コンテでは、床には血痕があるように指示されていますが、完成版でそうなっていたかは記憶にありません……。
眞人が目覚めると、顔に光が差してきます。
立ち上がった眞人の後方は、絵コンテでは「星雲のように石がかすかに発光している」と指示されていますが、完成版では石の光りというかまさに宇宙のような背景になっていたように記憶しています。
眞人の正面の壁には、カクカクとした形の通路ができていて、黄色っぽい色で発光しています。
眞人は通路を見据えてから、通路の中に歩き出します。
絵コンテでは、「水中のあるき」と描かれていますが、完成版ではちょっと服や髪に浮力を感じるものの、歩行は普通にできていたように見えます。
しかし左右の壁に眞人の反射のように光がゆらめく様は、水中の光っぽい描かれ方に見えなくないです。
光は眞人が進むとそれにそって移動しますが、絵コンテでは「カベのゴーストゆらめきつつ、眞人より先行する感じでさきにinn」と指示されているように見えます。
「ゴースト」の部分は消しゴムをかけた後が見えます。
ゴーストというと、攻殻機動隊で云うところのゴーストを思い起こさずにはいられません……私だけではないですよね?
通路を抜けて、大きな広間のような何もない立体物に出てくる眞人。
絵コンテでは「抽象的な空間、たそがれの光さしこみ 長いカゲをひく中 ひとり歩いていくマヒト」と書かれています。
たしかに淡い光が差していて、なんだかぼんやりした印象になっていますね。
・積み木ツンツン男、大叔父との対面
空間を進んでいくと、黒くて長い服を着た、逆立つ白髪の男性の姿が見えます。
この絵も、ネルフを創設したあたりのゲンドウに見えたりして、エヴァっぽさを感じたりしました。
男性は円卓に積み木を乗せて、小さな塔を作っています。
男性は振り返り「きたようだね 子孫よ」と眞人に言います。
絵コンテによると、大叔父の眼は白内障で白く濁っているとのことです。
前述したかと思いますが、老ペリカンの瞳も同様であったし、肌のシワやシミの具合も大叔父とペリカンは似ています。
「子孫よ」という言い方が微妙に気になります……眞人って大叔父の子孫と言えるのでしょうか……。
この言い方からすると、やはり大叔父は眞人を、自分の仕事を継がせることができる人間と認識していることがわかります。
眞人は大叔父に小さく頭を下げて、名前を名乗ります。
しかし大叔父は名乗り返すことをせず、眞人も「あなたは塔の主の大叔父さまですか?」と名前を確認しようとはしません。
大叔父は、自分が大叔父であるとの回答もせずに「まちなさい しずかに」と言い、顔を積み木の方に戻します。
そして真剣そうな表情で、テーブルの上に積んだ「7つ」の積み木を木の棒でツーンツンとして、SNSにアップして炎上します。(ウソです)
何度か突っつくと塔はグラつき、大叔父は額から汗を流して緊張しながら見守りますが、結局塔はバランスが取れたようで崩落しません。
それを見て大叔父は一息つき、そーっと身を起こして、大きく安堵の息をつきます。
大叔父は木の棒を置いて、「これで世界は一日は大丈夫だよ」とつぶやきます。
眞人は「なんだか判らないが」、「一日……? たった一日しかもたないんですか?」と大叔父に尋ねる。
大叔父はまたも眞人の問いを無視して、部屋の外に連れ出していきます。
眞人は大叔父についていくことをためらいますが、結局後を追うのでした。
ちなみに絵コンテでは、この時大叔父は積み木を8つ積んでいますが、完成版では7つとなっています。
大叔父の積み木についてはこっちのエントリで考察しておりますので、よければ読んで欲しいです。
・大叔父のイメージ
ガイドブックとかには大叔父のイメージボードが掲載されているのですが、大叔父が椅子に座っている姿の石像? にインコがいっぱい乗っているという構図のものでした。
眞人と青サギがその像の脇に立っているのですが、彼らは像の膝よりも低い位置に頭があるのでだいぶ大きなものです。
彼らはただ大きさの対比として描かれているのか、物語の中で実際に大叔父像の元を訪れる設定があったのかは不明です。
また、大叔父像の足の間にはインコ大王が座しているように見えます……はっきりとは描かれていませんが。
この大叔父像が、アメリカの有名なリンカーン像に似ているように見えるのですよね。
なので、この異世界では大叔父は大統領的な地位にいるのか、もしくは過去に偉業を成し遂げたけれど、今は引退していて権力は形骸化しているために、インコが像に留まったりインコ大王が椅子を乗っ取ろうとしているように描かれているのかもしれません。
なお、さすがにこのイメージボードではインコたちの糞は描かれていませんでした。
大叔父にはさまざまな人物が投影されているとは思いますが、やはりモデルとして一番色濃く残っているのは宮崎さんの師匠であり無心の友であった高畑勲さんだと思います。
大叔父の積み木の数7個は高畑さんが監督した長編映画の数と一致しているし、眞人が渡される13個の悪意に染まっていない石は宮崎監督が監督した長編アニメーション映画の数と一致しているのです。
おでんつんつん男ならぬ、積み木ツンツン大叔父です
積みやすそうな石探したりしろよ、とも思うんですけど、積みやすさを考えて創作してられるかよ、その時作らなきゃいけないものを作るんだよ!という意志な気もします
でも側から見て「そんなに慎重にならんでもいいやろ」と思ってしまうのは、多分どんどん制作に邁進する宮崎さんから見て、高畑さんが全然製作しないように見える…なんてことを示唆している気もします。
宮崎さんは実際に、高畑さんを「ナマケモノの子孫」と呼んだりしていますね。
あれ、「子孫」って言葉が被ってくるな。
まぁいいや…深読みしすぎない…。
・積み木つんつんの後継者に指名される眞人
部屋の端のアーチをくぐっていく大叔父と眞人。
ここの二人で歩くシーンすごく好きなんですよね…音楽の音色が、なんか新しさに開けるような印象です。
アーチをくぐると、満点の星がきらめく夜の世界が広がっています。
眞人はあたりを見回しますが、大叔父はそのまま突き進んでいきます。
意外と宇宙のシーンを描くことが少ない宮崎さんですが、ここでは、ハウルがサリマン先生と対決する時になぜか星空になるシーンを思い起こさせますね。
少し小高い丘を登っていくと、絵コンテによると「昼と夜とのさかい目へ」とあるように、地平はうっすらと明るくなっていて空に色のグラデーションができています。
流れ星も飛んでいっていて、とても美しい光景です。
絵コンテでは「長いカットにさせてください」とあるので、宮崎さん的にはこだわったシーンなのだと思います。
なぜ長くしたいのかはわからないのですが、大叔父と眞人が一緒にいるシーンは短いので、ちょっと印象づけたいのかもしれないですね。
宮崎さん自身、どこか高畑さんと重ね合わせている分、大切にしたかったのかもしれないです……と思うのは感傷的すぎますかね。
大叔父と眞人は草原を抜けて、海の近くにある丘にやってきます。
海から突き出る岩には鳥のフンがこびり付いているので、ここはおそらくペリカンがやってこれる場所にあるのでしょう。多分インコではないんじゃなかろうか……。
草原には夕陽を浴びた石が浮いています。
絵コンテによると積層岩で、黒くつややかな石だそうです。
この石が何なのかの考察をすると、
「空から降ってきた石のコア的なもの」
「墓石と同じもの」
であるかと思います。
空から降ってきた石がそのまま墓石と同じ存在と考えてもよいかとは思いますが……。
この石の映像素材を作った高谷法子さんが宮崎さんに聞くと、「自分も見たことがないからわからない、自分で考えて」とめちゃくちゃな回答があったそうです(笑)。
その後、「中ではマグマのようなものがうごめいていて、それでいて触るとものすごく冷たい、溶岩石のような、ガラスが溶けてできたような……」という説明があったそうです。
動かし方としては、「眞人のほうにずっとにじり寄るようにしてくれ」という指示だったとのことなので、
ただ、墓石は眞人を嫌っているはずなので、墓石とは似て非なるものなのかなという感じがします。
大叔父はこの石が自分の力の源であると語ります。
長いのですが、石と大叔父についての説明として重要なので、絵コンテからそのまま台詞を引用します。
大叔父は「わたしの世界 わたしの力はすべてこの石がもたらしてくれたものだ」と語り始め、眞人は「この石がこの海の世界をつくったのですか?」と問います。
大叔父はまたしても眞人の問いへの答えを避けるように、「まだ道なかばだよ 世界はいきものだ。カビもはえるし虫もわく わたしもまた老いた あとを継ぐ者を求めている マヒト わたしの仕事をついでくれぬか」と続けます。
まぁ、石から力を与えられた大叔父が世界作りに奔走したという意味合いなのですかね……。
眞人は「ぼくが……」と、提案を受け入れられずにいますが、眞人を横から烈風が吹き付け、海は波立ち草花は揺れます。
大叔父は「仕事をつぐ者はわたしの血をひく者でなければならない それが石との契約なのだ この世界が美しい世界になるか みにくい世界になるかは すべて君にかかるんだ」と眞人に投げかけます。
この二人の語らいの絵コンテには、「石 わーずかにひく」と指示されているので、これまで石が眞人に近づいていたのは威圧感を与えるためだったか、もしくは眞人を品定めするような意図があったのかもしれないです。
そこへ大叔父がズイズイいくので、石は引いたのかもしれないなぁと。
眞人は「あの積み木もですか」と大叔父に言いますが、絵コンテでは「冗談ではない ぼくはイヤだ」と描かれているので、この時点で正直答えは出ているようなものですね……(笑)。
なんか、ポニョについて町山智浩さんが「最後にグランマンマーレが宗助に「ポニョは人間じゃなくても愛せますか?」って聞くけど、その前に人間じゃない形態を見ているので、決断を迫るような内容じゃない。ポニョがバケモンだと知らなければ、イエスというのに重みが出るはずなのに」といった話をしていたのですが、この大叔父の眞人への提案についても、眞人がイエスと言いたくなるような誘惑がなければ成立しないだろと思ってしまいます……。
だって眞人は夏子を連れ戻すためにここにやってきたんですから。
せめて、「この世界でならヒミとずっと一緒にいることができるぞ」って甘言を大叔父が繰り出してくるとかしないと、眞人はいきなりこんなこと言われて、「はい大叔父様、眞人、世界作りの業務を引き継ぎます☄」なんて言わんだろうと思ってしまいます。
上の世界のことが好きじゃないという言葉はこの前に出ているけど、かと言って、この下の世界に残りたい理由も提示できていないので、選択に重みが出てないというか眞人は葛藤のしようもない。
話は戻りますが、大叔父は眞人に「君は積み木をどれかひとつ足すことができる」と言いながら、シワだらけの手で3つの積み木を差し出します。
眞人はそれを見て、先ほど大叔父が積んでいた積み木に、一つの円柱を足して塔を安定させるところをイメージします。
大叔父はさらに、「きみは世界をもっとおだやかなものにすることができる……」と言葉を継ぎ、眞人に迫ります。
眞人は積み木を再度見つめ、「それは木ではありません。墓と同じ石です 悪意があります」と毅然と言います。
すると、大叔父の手の積み木が発光しはじめ、スパークがほとばしりだします。
背景が真っ暗になった大叔父が、「そのとおりだ それが判る君にこそついでほしいのだ」と言う。
石の放つ光が、肉処理室で包丁と研石の摩擦が起こす火花に重なり、場面は肉処理室に切り替わります。
・大叔父ってなんなん
もちろん物語上でも、本性や行動原理が謎なままなので、わからんことだらけではあります…。
しかしながら、宮崎さんはこれまでの作品でも実在の身の回りの人物を元にキャラクターを造ることが多く、本作でもいくつかの人物にはモデルがあるようです。
実際的な発言からわかるものだと、勝一は宮崎さんのお父上その人。
キリコさんは保田道世さん。
まぁ青鷺は鈴木敏夫さんであると言われていますね。
この大叔父のモデルとして、筆頭的に語られるのは宮崎さんの師にあたる高畑勲さんです。
鈴木さん曰く、高畑さんが亡くなってから、絵コンテの執筆が4ヶ月ほど止まってしまったとのことでした。
なのでまぁ、モデルとしてはこの人であることが妥当でしょう。
後は宮崎駿さん自身の投影でもあるはず。後半の展開は特にそうですね。
また、アインシュタインのように見えるとの考察もあるようです。
理由はおそらくその容貌と、石の持つ力が「核」のメタファーでもあるように思えるといったもの。
この後のシーンで出てくる石が放つ青い光が、核反応のチェレンコフ光に見えるという考察に基づいたものと思われます。個人的にはそんなにそうは思いませんでしたが…。
個人的に気になるのは、宮崎さんの弟さんに似ているなーと思ったりはします…まぁ深くは語らないのですが、弟さんはかつて博報堂に勤めており、ナウシカの配給にも関わっておられたので、半公人的な立場であるとは思います…。
あと、私は君どうをいろんなジブリ映画の焼き直しと見ているのですが、この映画は『猫の恩返し』成分が強いと思うんですよね。
で、大叔父は、猫の恩返しの猫王にも似ている気がしています。
猫王は目が斜視で、ちょっとにごっていて、独裁者っぽくて、頭がぼさぼさなところが似ているように思います。
また、「現実の世界と繋がる塔」があるところも似ているよなぁと思います。
猫の恩返しは、「ジブリの教科書」シリーズでも取り上げられない程度には黒歴史扱いされている感があるのですが、監督が宮崎駿さんに対して否定的な発言をオフィシャルガイドブックに残したりしているとのも要因だったんじゃないのかと思っていたりします……(笑)。
また、猫王は現実世界から来た主人公のハルちゃん(夏子、とも季節から名を取っているところが似ている)のことを、嫁にして猫世界に留めようとするところなどは、もしかしたら、大叔父がヒミをこの世界に留めようとしていることの現れという可能性もありますよね……。
あと猫の恩返しも世界観やテーマがちょっと意味不明なところがあるので、そういう共通点も見いだせなくないです。
あと、この後、眞人とヒミがこの丘にやって来る時に目をつむっていて、眠りこけているように見えるのですが、そこは耳をすませばのおじいちゃんっぽさがなくないです。
あのおじいちゃんも若い頃に洋行していて、海外に恋人がいたけれど生き別れてしまったという設定だったかと思うので、大叔父にももしかしたらそういう相手がいたのかもしれませんね。
若い女の子になぜか好かれるおぢの系譜としても共通点があるように思いますし。
というように、宮崎さん自身、宮崎さんの周辺人物、過去の宮崎作品と似ている点があるのがおおおぢでした。
・サイコウインク包丁研ぎボケインコ
話は物語に戻り、牛刀を研ぐインコがいる部屋で、眞人は両腕を鉄の枷にはめ込まれて身体の自由を奪われています。
このインコの包丁研ぎについては別エントリで考察しておりますが、研ぎ方が粗い可能性があります。
眞人は刃研ぎの音で目を覚ましますが、先ほどまでの大叔父との会話は夢だったのか現実だったのか判別できません。
部屋の中は血や骨でいっぱいに汚れています。
包丁を研ぐインコが、眞人にウィンクと舌なめずりを同時にするという白眉なシーンがありますが、絵コンテだと「眞人にウィンクなんかしながら」との指示しかないので、舌なめずりと包丁先っちょつんつんは、実際に絵を描いたアニメーターさんのアイデアだと思われます…凄まじい面白さです…。
カットが切り替わり、肉処理場と同じ建造物内にあると思われるにぎやかな台所で、インコたちが料理を繰り広げています。
火を使っているし、野菜を切り刻んだりしているのですが、扱いがめっちゃ雑です……インコが高い調理技術を獲得できるまでには長い道のりが待っていそうです……。
そんな中を、目ん玉が飛び出したりと、雑なインコの変装をした青鷺が潜り込んでいます。
宮崎アニメでよく使われる、「何かの皮を被って正体を隠して潜り込む」場面ですが、昔話や伝承でもよく使われるもので、「姥皮」と言います。
青鷺自身も、鷺の皮を被った変なおっさんなので、姥皮を元々被っている状態だと思うんですよね…その状態で姥皮を被っているので、なんか面白みがあります。
まぁ。そんな変な変装でも違和感を覚えないアホな生き物がインコということになりますよね…。
この後もインコのアホっぷりが続きますが、宮崎さんの作品では、こんなアホな生き物はトトロ以来出ていなかったんじゃないかという気がします。
インコで長編作ってもいいくらいです。
アホかわいいのを造る天才宮崎さんが、ここからもうアホかわいいをやらなくなるなんて、文化的な損失が計り知れないですよ…。
もっとあほかわいいのを作り続けてほしいです。
牛刀を研ぎ終わったインコが棒ヤスリを当てながら眞人に近づいていきます。
眞人はインコを蹴飛ばして、インコはグギャーっと鳴きます。
絵コンテ版ではここで、インコは蹴りをかわして、さらに怖い顔つきになって眞人に近づくように描かれているので、変更されたことになります。
おそらくですが、眞人をアクションができないポンコツにしようという意図があったのではないかと思いますが、しかしインコが蹴りを躱せるほど利発的ではない感じに演出するように切り替えたということなのではないでしょうか。
そこに青サギが突入して、手近にあったぶっとい骨(何かの動物の大腿骨だろうか…)でインコをぶん殴ると、インコはあえなく失神します。
かわいすぎる…。
インコは骨を振りかぶると、眞人の手かせを打ち砕きます。
ここ、眞人を殴ろうとしているのかと一瞬思ってしまいますよね……。
青サギはちゃんと眞人の仲間であるということが示されたはず。
青鷺は汗だくになっており、必死にここまでやってきたことがここで伝わります。
眞人を救おうとする青鷺の行動は、職務意識のみならず、個人的な感情があることが伺えます。
眞人は礼を言いますが、青サギは「話はあと」と眞人を外に連れ出そうとします。
なんかここ、青サギはお礼を言われるのがこっぱずかしいのかなとも思いました。
そのまま二人は部屋を出て、いつの間には眞人も骨を手にしています。
「米俵やみそダルがつんである倉庫らしき所」に二人は移動して、正面からインコが来るため米俵とみそダルに身を隠します。
そして前を歩くインコを眞人がたたき、続いて後ろのインコを青サギが叩きます。
普通は後ろから襲撃するだろうに、前にいるインコからやっつけるところは流石としか言いようがありません。
食糧を抱えているので視界不良だったかもしれませんが、前インコはしっかりと悲鳴をあげて倒れるのに、後ろにいるインコは気づきもしないのです。
ちょっと抜けたところがある二人でも、難なく撃破することができるい弱弱インコ…かわいすぎます。
また、ミソは作るためには知識と技術が必要だし、俵も作るのには技術が必要なはずです……それらをインコが作ったり、器具を使いこなすことができているとは考えにくいのですが……人間が住んでいた頃に残したものなのかなぁ。
再度インコたちの厨房に場面が切り替わり、眞人と青サギが隠れたお鍋が二つ高速移動しているのに気づかないお料理インコたち。
一匹はちょっといぶかしんで見ますが、すぐに会話に戻ります。かわいすぎです。
インコが作ってるケーキめっちゃ美味しくなさそうで最高。
この場面で、ろうそくをロープに縛ってつるしているのですが、吊るし方がちょっと辺に見えます……気のせいかな……。
その後一瞬、裏路地っぽいインコの巣が見えますが、「従業員食堂やのみやがあったりしている」「配水管が水漏れしている」とのことです。
配水管をメンテナンスする技術がないってことなのかなと思うのですが、どうでしょう。
となるとやはり、排水管を作ったのは人間で、インコは人間からこの居住区を奪って占領したものの、排水管のメンテナンスができていないってことなんじゃないかなぁと。
眞人は「木造モルタルの安いつくり 漏れている配管」の場所に辿り着きます。
絵コンテでは特に書かれていませんが、完成版では壁にポスターが貼られており、わたしにはそれが徴兵や兵士募集の類いのデザインに見えたんですよね……DVDとかが発売したら詳しく確認してみます。
そこで眞人は青サギにヒミが捕まってしまったことを伝えます。
ヒミが失神したことを眞人も見ていたのでしょうか……なぜ捕まっていると知っているかは謎。
青サギは「あの人は強いよ」と、暗にヒミに構いたくないことをほのめかしますが、眞人は「助けなきゃ」と提言。
兵士のインコ達が二人に迫ってきたため、会話を中断して二人はまた移動します。
・インコパレード
外では盛大なパレードが開かれており、兵士インコとインコ大王、その後ろにガラスのような入れ物に入れられた眠りヒミが続きます。
インコが大王に向かってわーわー言っていますが、「実は殺せと言っている」との注釈が……ヒミは、インコたちから憎まれているようです。
確かによく見ると、蔑むような憎むような目つきをしているインコがいることがわかります。
ヒミが入ったガラスケースに花がぺとっとくっつく描写がありますが、あれがなんか私には不穏に見えたんですよね……。
タブーを犯した悪いやつだから殺せと言われているんだろうか……でも、ヒミは眞人救出の時にインコにも認知されていたし、ヒミはペリカンはもとより、インコの暴走も止めるような役割を担っていて、目の上のたんこぶだったのかもしれませんね。
と同時に、インコのボス的存在がここではじめて出てきます。
また、インコには人の言葉を話せる者とそうでない者がいることがはっきりしてきます。
画面は建物の天井付近を映しだし、絵コンテでは「二重ガラスの天井」と描かれています。
インコがそのようなアーケードを建造するとは考えにくいのですが、この場所自体かなり古びているので、やはり人間の建造物なのではないかと思います。
その梁の上を歩いて行く青鷺と眞人。
梁の上には鳥除けの針が突き出ていますが、「インコ除け」と明示されています……インコがインコ除けの針を付けたのかと思うと、なにやら不思議な気持ちですが……。
やはりかつて人間が暮らしていた頃に設置されたものなのかなぁと。
青サギは針を避けながら器用に移動しますが、それに続く眞人は針を掴んでバランスを取りつつ進もうとします。
結果、横向きに突き出た針に足をかけると、その針が引っこ抜けて落下していき、眞人も落っこちそうになります。
青サギは慌てて眞人を助けに行くも、落下した針やゴミに気づいた下のインコ達が見上げます。
一匹のインコが眞人に気づいたのか「クエーッ」と鳴きますが、次の瞬間落ちてきた針が頭にゴイーンとぶつかります。
頭をなでさすりながら上を見上げますが、頭を打った衝撃で、直前に見た眞人を忘れたのか、すでになにもない天井が見えます。
眞人がポンコツだけど、インコが阿呆すぎるので切り抜けられる展開、面白すぎるのですが……。
絵コンテでは「イテー」と描かれてます。かわいすぎ。
また、完成版でどうなっていたか忘れてしまったのですが、絵コンテでは「花を投げようとまっている子インコ」という指示が書かれています。
子どもも動員されている、ということですね。
花を投げるという行為が、大王への讃辞なのか、それともヒミを侮蔑する意味なのかはわからないのですが、何も判らない子どもが政治に動員されることの恐ろしさを描いているものと思われます。
また、映画の冒頭で豆タンクを見送る列に、子である眞人も並んでいたことや、出兵する男性に頭を下げていた眞人との対比の意味合いもあるはずです。
パレードは、妙な塔の入り口で終わっており、大王達はそこへ突入していきます。
インコが「DUCH」と書かれた看板を持っているのですが、これは何語だかわからないし、意味もわからないです……
ただ、インコは日本語を話しているようですが、アルファベットを使う文化も持っていることが暗示されます。
謎……。
と思っていたら、絵コンテでは「頭領の意(イタリア語)」と書かれていました。
また、その看板に描かれたインコの絵は金色に塗られているようで、インコによるインコの崇拝、偶像化が進行している兆候が見て取れます。
塔の入り口の壁は木の板を継ぎ接ぎして作られているので、なんか不思議な見た目です。
「モルタルがないまま工事が止まっている」と、その理由が明示されています。
これは私も考察ですが、インコには建築の技術や知見がないため、このような簡素な工事しかできないのではないでしょうか……。
インコの居住空間も、よく見ると内装が剥がれていたり汚れが激しいので、インコには補修の技術もなさそうです。
どこもスラム化しているようにすら見える。
そう考えると、眞人達が足場にした鉄骨にインコ除けがあるのは、インコがのさばる前にここに住んでいた生きもの(人間)が残したものだったのかもしれません。
インコがインコ除けを設置するって、考えにくいですもんね……。
まぁインコの中でヒエラルキーが生まれて来ていて、インコがインコを管理しようとしている様が描写されているという可能性もありますが……。
また、大叔父がいる場所に繋がる塔の作りにも注目したいのですが、入り口の両脇にはインコの木像が置かれています。
なのでインコにとって特別な場所であるという意味づけになっているはずです。
塔の内部も聖堂のような作りになっています。
これらがインコによって作られたものとは見えません……なので、インコがのさばる前に暮らしていた人によって大叔父は奉られていたのではないかなと見えます。
そう考えると、大叔父はインコがのさばったこの世界では、前時代の遺物的な扱いをされているのが実情なのかなと思います。
だからこそインコ大王は、そんな前時代的な統治者である大叔父の失脚させることを目論んで、ヒミを交渉材料として使おうとしているのかなぁと思われます。
そんな大王たちを梁の上から眺める眞人と青サギ。
絵コンテでは「天井もボロボロである」とあるので、やはりインコは補修する技術を持っていないのでしょう……。
眞人は「ヒミ大丈夫かな」と心配しますが、青サギは「殿さまのところへ連れて行くつもりですぜ。あんたの大叔父さんですよ」と説明します。
眞人はその言葉の意味がわかりかねるようですが、青サギは「ヒミさまをダシに殿さまと取引するつもりですよ すべてをインコのもとに……もう石の中はインコでいっぱいですからね あんたが禁忌を犯したので口実ができたんです」と説明します。
眞人が「キンキって?」と質問すると、「タブーッ」と優しく教えてあげる青サギ。
「夏子さんの産屋に入ったでしょう あれ」と説明する青サギに、眞人は「だけどヒミは入らなかったよ」と反論しますが、「案内するのも同罪です」とぴしゃり。
眞人と青サギは塔の内部を移動していき、大王が見送られる様が見えるところに辿り着きます。
大王は日本語を喋れるインコに見送られます。
インコ達はお供をしたいと申し出ますが、大王は「これはわたしの仕事だ」と丁重に断ります。
絵コンテによれば、大王が決死の覚悟で向かうことを知っていて申し出ているのだとのことです……なんで命に関わることになるのかは不明です……大王、大叔父と対面してもだいぶ堂々としておられますけどね……。
インコたちは大王に「歓呼三声」をします……台詞で音だけ聴いてもあんまり意味分かりませんよね……。
で、叫ぶのは「ウラー!」……ロシア語で万歳の意味だそうです……愛国心を鼓舞したり、戦闘の突撃時に叫ばれるようです。
なぜロシア語なのだ……確かナウシカでも、どこかの軍が、この「ウラー!」を叫んでいたはずです。
宮崎さんのことなので、インコが「なぜか日本語を喋れる」という設定にはしておらず、その言語を扱える理由があるはずです。
とは言えインコがメインで扱う言語は日本語、イタリアの文字やロシア語のかけ声もある……と、混合なんですよねぇ……意味がわからん……。
眞人と青鷺は塔の内部をよじ登っていきます……この辺りははボルトやワイヤーが通されていて、複雑な建築技術が用いられているようなので、おそらくインコよりも高度な知能を有した存在が作ったはず……。
それこそ人間が作ったのか、大叔父が設計や指示をして単純作業はインコのような存在に任せたのか……。
塔の内側を見ても、木のクレーンのようなものが設置してあるので、ここもまだ工事は完了していないのであろうことが見て取れますね。
青鷺と眞人は蟲が這い回るばっちい狭い通路を通ります。
絵コンテによると「どうもトイレの配水管らしきところ」だそうです。
宮崎さんは登場人物をバッチイ場所に通すのが本当に好きですね……。
これまでの宮崎作品だと、上下の高低差が大きい建造物を舞台にして、その最下部まで物理的落ちていくことが、人物が底辺まで落ちるという苦境を描くことにもなっていましたが、今回、そうではないんですよね……主人公にとっての願望があまりないものだから、「苦境」も描きようがないという、何とも物語的な面白さには欠ける構造になってしまっている。
ただ、眞人が求めていたのは「母」だから、母たるヒミがピンチに陥っている、ヒミと離れなければいけないこの状況が「苦境」と取れなくはないのですが、状況から、ヒミがピンチにあるようには見えないんですよね……これが例えば、ラピュタで言うところのシータがムスカに捉えられてしまったところのように、冷血な悪党にヒロインが捕らわれてしまった! というピンチであれば、ヒロインも自分も命の危機に晒されているので苦境と言えるのですが、おそらくインコたちはヒミに危害を加えることができないし、ヒミは高い戦闘力があるので、いざとなっても自分で切り抜けられそうなんですよ。
そうなると、正直、ここで「眞人はヒミを救えるのか!?」ってスリルを生むことはできないので、ただただ、青サギがインコのウンコにまみれてしまっているだけの絵になっちゃってるという……。
というか、インコは糞尿を好きな場所でいつでもできるのだから、トイレの配水管って意味があるのか?
人間が残していたトイレとか配水管がそのまま現存しているって話なのかな……。
人間に憧れたインコがトイレを使っているんですかね。
配水管を出て、塔の横っ腹から出てくる眞人と青サギ。
眞人は蔦を伝って(高度なだじゃれです)塔の上部に行き着こうとしますが、蔦が切れて落ちていきます。
眞人、やはりポンコツ……。
青鷺が飛んで助けに行きますが、眞人を掴むと彼の重みで無様に羽ばたいてやっとのことで上昇していく。
宮崎さんが大好きな飛行シーンを、こんな形で表現しているところが面白いです
自身の身体的な老化をひしひしと感じているから、這いずるように泥にまみれて制作しているような様の表現としてこんな描き方をしているのだろうかとか思ったりなどします
この時、庭園と、海が見えますが、海にはキリコの帆船を描くよう指示があります。
一瞬ですが、確かにキリコの舩の特徴的な帆が浮いていることがわかります。
ただしキリコが描かれているかは見分けられませんね……特徴的な着物の柄が見えるような気はします。
二人が頑張っていることをキリコが見守ってくれているよ、という描写なのでしょうか。
眞人はステンドグラスを蹴り破って塔に再侵入します。
眞人は零戦を美しいと評したり、大叔父の差し出した積み木の悪意を見抜いたり、審美眼に優れているはずです。
そんな眞人が、ステンドグラスの美しさに目もくれないというところは、それほどヒミを救いたいという思いが強いということなのか、あるいは大叔父が作り出したものを壊すことをいとわないという彼の先の決断を示唆するものなのか。
私は後者っぽい気がします。
大叔父がいる部屋に繋がる木の階段なのですが、なんか途端にぼろっちくなっているんですよね……資料でも「インコがかけた橋と階段」と記載されています。
木のクレーンがあることから、階段も途中までは建築の知見がある者によって作られていたことは間違いないと思うのですが、その途中で何らかの理由で急造品として大叔父の居場所に続く階段が増設されたんじゃないかというのが私の見方です。
となるとまぁ、インコが、建築家たちを食っちゃったってことなのかなぁという気がします。
そうなると、人間がもともと大叔父を称えるための聖堂として作ろうとしていた建物があったところに、建築家達を食って、入り口にインコの象を設置して自分たちの文化として聖堂を流用しようとしていたという感じなんでしょうか……文化の略奪という側面もあってこういうことをしているのかなぁ、などと思ったりなど。
文化の略奪というテーマは、高畑監督が『ぽんぽこ』でやっていましたよね。
たぬき達の百鬼夜行を、テーマパーク会社が自分たちの興業だったのだと主張して成果を奪われてしまうとう胸糞展開。
まぁ文化の話に関しては私の邪推な気もするのですが、明らかにインコが作った物ではないものと、インコが適当に作った増設箇所があるという描き分けには意図があるのは間違いないでしょう。
となると、ちょっと思うのは、高畑さんと宮崎さんが一生懸命作り上げてきたジブリが、映画作りの知識を持たない、むしろ忌避するかのような反知性主義的な蛮人に乗っ取られようとしている…ってことを暗喩していると取れなくもないです笑
眞人はインコ大王に追いつきますが、大王を階段をたたき切るという荒技に出たため、あえなく落下していきます。
この時の大王の目が冷たすぎてちょっとびっくりします。
この時の眞人が、崩れていく階段を飛び移りますが「決死の大ジャンプ」なのだそうで、劇中屈指のアクションシーンがここということになりますね……
ジャンプの末、支柱の一つにはしがみつくことができましたが、結局大王たちはその先に進んでから、橋全体を破壊してしまったため、眞人も青サギも木材の下敷きになってしまいます。
絵コンテでは「果たして眞人達の運命は……という感じです」と描かれていますが、あんまり高さがないような気もするので、正直スリルで言えば直前の塔の外壁から落ちちゃうところの方が怖いんですよね……。
なので、正直、ここで観客のハラハラ感を煽ろうとするのは失敗に終わっている気がします……。南無。
大王が眞人の存在を認知していたのかという問題ですが、おそらく眞人とヒミが石にやられたあと、ピンクインコが回収にやってきて、二人を大王の下に届けたりしたのではないかなと思われます。
ほんで利用価値のあるヒミだけ手元に残し、眞人は「食っちゃっていいよ」とインコたちに渡されたといった流れがあったのではなかろうかと思います。
この橋が架けられている空間は「石そのものの空間」と資料には記載されています。
この屋敷自体は隕石を覆うように作られていて、眞人と青鷺が外に出たときには塔の屋敷だったことが見えたので、この「石」は隕石と考えてよいはず。
その隕石を通ると、大叔父がいて、また大叔父が契約した石のある空間にも繋がっているので、塔が隕石を覆っていて、その隕石の内部にまた空間があり、そこに大叔父が契約した変な石があるという入れ子の構造になっているように思われます……。
複雑な構造ですね。
・大叔父ゾーン
眞人が大叔父のところへ行くために通った道を往く大王と付き添いたち。
通路はビリビリする何かを発して侵入を阻止しているもようです。
大王が、「大叔父の血を引くヒミがいる」ことを告げるとビリビリは弱まります。
ビリビリを発している主には言語でのコミュニケーションが可能であることが伺えます。
しかしどういうこっちゃ……もうわからないです。
インコたちは、眞人が最初に通ったのと同じ光の抽象的な空間を抜けると、密林のようなエリアに入り込みます。
果実がたわわに実っていたり、派手な色の普通のインコが飛んだりしている空間を見て、ヒミの担ぎ手のインコたちは涙を流します。
いわく「ご先祖様だ」「天国だ」。
なぜここにインコがいるんでしょう……大叔父はここのインコたちを、石の世界に放ったということですかね……。
なんかキキのお母さんの家とか、サリマン先生の部屋みたいにも見えます……あと、ナウシカの植物園。
魔法的な空間なのでしょうか。
なんでインコたちはインコのままでいられなかったんだろう。
大王は部下たちに「静かにしろ」と叱責します……なんかドライですね。
道を知っているということは、大王は以前にもここに来たことがあるのでしょうか。
一行は橋を渡っていき、向こう側にあずま屋が見える場所に辿り着きます。
あずま屋には大叔父がおり、インコたちの姿に水いて顔を上げます。
紅の豚の、ジーナの庭園みたいな絵ですよね……。
大叔父は「座りたまえ」と促しますが、一泊置いて、「いや、歩こう」と言い、ゆっくりと立ち上がります。
大叔父は立ち上がるのにも準備動作がいるようなお年寄りです。
インコ大王は手を差し伸べますが、これは大叔父のことをばかにするような意図はなく、「自然と出る」のだそうです。
大王が大叔父を敬っていることが自然と伝わりますね。
二人は歩きながら喋りますが、大叔父の目は白内障でほとんど目が見えていないのだそうです。
歩きながら大王は大叔父の背に手をかけていると絵コンテでは指示されていますが、完成版では手を掛けていないように見えました……。
インコ大王は眞人とヒミが産屋に入った罪を告発しますが、大叔父はおだやかに微笑み受け流そうとします。
しかし、大王は「笑い事ではない。王として捨て置けない」と譲らぬ姿勢。
大叔父も笑顔が消えて、「石が危険なほどゆらめいている。だが子どもたちの心も尊い」と言いますが、やはり大王は「王として禁忌を犯したものを見過ごしにはできません」と一刀両断。
大叔父は「時間が欲しい。眞人に仕事を継がせたい」と告げます。
・ヒミと大叔父
カットはガラスパッケージングされたヒミに移り、ガラスが取り外されます。
大叔父はヒミに歩みより、インコたちは敬礼して去って行きます。
インコ大王は「このままでは世界が滅びる」と、厳しい目つきで部下達に告げます。
なんで世界が滅びると思っているのか、全然わからないです……。
しかし言葉は重いんですけど、見ている側としては、「この世界が滅びる」ことに、正直怖さを感じないんですよね……なんでやろ。
透明な人とかペリカンに守らなければいけない「生活」がない気がしてしまうからかなぁ。
目を覚ましたヒミを笑顔で見守る大叔父。
大叔父は「まひとはいい少年だ 返さなければいけないようだね」と告げると、ヒミは大叔父に抱きつきます。
正直に言うと、眞人と同い年と考えるとヒミは小五くらいだと思うのですが、このくらいの年齢の女の子って、親族の男性に抱きつくって行為をそんなにしないと思うんですよね……。
ちょっとファザコン感があるように感じてしまいます。
そういえば久子と夏子の父親については言及されてないですよね…大叔父は彼女たちの母方の親族だとのことでしたが、父方の家はどこにあるのだろう…とか考えても仕方がない気はしますが、謎ではある。
また、高畑勲さんが、自身の戦争体験として、空襲で家族と数日間離ればなれになってしまい、相手が生きているかもわからない状況が続いたことがあると書いていました。
そのお話の顛末として、家族を探して焼け跡をさまよっていたところ、家族を見つけることができたが、お互いにニヤニヤしながら歩み寄っただけで、抱き合うようなことはしなかったそうです。
ただ、気持ちとしては抱きついたりできればよかったと思い返すことがあったので、自分がアニメの演出家になってから、ハイジとおじいさんが再会するシーンでは思い切り抱きつくシーンを描いたとか。
なので、この時代の日本人の行動として、「抱きつく」ってことはあんまりないんじゃないかと思うんですよね……そこまでリアルに考える必要はないかもしれませんが、しかし、風立ちぬのときでも「当時の人間の仕草」にこだわっていたわけなので、気になりますよね。
しかも大叔父とヒミの関係性もわからないから、なおさら、なぜ鳴きながら抱きつかなきゃいけないのかわからないんですよ。
わたしとしては、「大叔父に高畑勲、ヒミに自分を投影している」「大叔父に自分、ヒミに自身の母親を投影している」から、抱きつくようなシーンを描いてしまったのではないかと思ったりします。
大叔父はヒミに「ヒミもおかえり」と促します。
これまでヒミがここに留まっていた理由は明かされませんが、ここで大叔父に抱きつくところや、大叔父の積み木が彼方へ消えていこうとするときに涙を流していたところを見ると、大叔父と一緒にいたいからここにいたんじゃないかという気がします。
そう考えると、ヒミは父性に飢えていたってことなんですかね…だとしたら、この時すでに久子の父親は離別しているか死去しているのでしょうか。
・青サギ眞人復活
眞人と青鷺は崩れた階段の下から出てくると、目の前に白い光の通路が現れます。
青サギは「でた でました」と大げさにリアクションしますが、眞人は「あの通路だ」と極めて冷静に対応します。
多分大叔父が、自分がいる場所に人を招くときに使う道なのか、あるいはヒミや眞人のように血縁者のみに出す道なのかと思われます。
青サギがなぜこの道のことを知っているのかわかりませんが、「でたー」という言葉は、クライマックスでキリコと夏子が現れるときにも使います。
なんかあると「出た」って言っちゃうのか、大叔父の家系に関わる何かを見つけると「出た」って言っちゃうのか……わからないですね……。
通路を通ろうとすると、青鷺はここが苦手なようでおどおどと眞人に付いていき、ときおりスパークにビリビリにやられてしまいます。
青鷺は本当は招かれざる存在なのかもしれませんが、眞人が一緒だから通ることができるという感じなのでしょう。
やがて、大叔父に初めて会うときにも通過した広間に辿り着く二人。
青サギは「おいらここまでは来たことねぇですよ」と、ずいぶん子分っぽい口調で言います。
その柱の陰から、インコ大王とおつきの2匹がこっそりと顔を出します。
大王は二人をあとに残して、一人で眞人達を追跡していきます。
光のアーチのそばまで来ると、眞人の呼応するように光の中から扉が現れます。
眞人は迷うことなくノブを取ってドアを開きます。
大きなドアですが、開閉の音はしません。
また、眞人がドアを閉める描写はありません。
樹木の生い茂る庭に面した回廊に出ます。
ヒミが呼んでいると眞人は言いますが、青サギはそんな声は聞こえないと言います。
奥へと突き進んでいく眞人と、いやいやながらも付いていく青サギ。
彼らを応用に、開け放たれたドアから大王が顔を覗かせます。
だいぶ近くまで大王が来ているのに、まったく気づく素振りがないのは、眞人と青サギがぽんこつだからでしょう……。
・ヒミと眞人の抱擁
やがて、回廊の向こうからヒミが走ってきて、眞人に泣きながら抱きつきます。
眞人はヒミを抱き留めて、「ひどいことされたの?」と聞きますが、ヒミは「ウウン 眞人にもう会えないかと思った」と輝くような笑顔になっていいます。
で、また眞人を抱くと「うわーん」と泣きます。
あいみょん、いくらなんでも泣きの演技が下手すぎます……なんでこれでOKが出たんでしょう……。
また、眞人が抱き留める箇所の絵コンテでは「それでもうけとめる!!」と書かれているので、勢いよく飛び込んでくるヒミを受け止めるのが眞人に取っては大きなアクションなのかもしれませんね……。
ヒミにとって眞人がどれだけ大きな存在になっていたのかがわかるのですが、ただ、単純に二人の関係性を見ていると、こんな大号泣するほどのことなんか……? とは思ってしまいます。
まぁ将来の息子なんだし、愛着が湧くのは当然か……。
でも、さっき大叔父が「眞人を帰す」って言っていたのだし、眞人がまだ無事だということはわかっているはずなので、純粋にシナリオの流れで考えると、やっぱり不自然です。
なんかめっちゃ困難を乗り越えて抱き合うのだったらいいのですけど…ラピュタに到着して強く抱擁し合う二人を見ればお客も喜ぶわけなので…。
ここは、宮崎駿さんがママと抱き合いたい、それもママの方から自分を強く求めていることがわかる状態で抱かれたいという願望に表れではないでしょうか……。
あとなんか、さっきまで大叔父に抱きついていたところを見ると、なんか浮気性ちゃうんかヒミ……と思ったりしないでもないです。
青サギはそんな二人を見て、頭をぼりぼりかきながら照れています。
背後に気配を感じて振り返りますが、大王はさっと柱の陰に身を隠します。
ヒミは「大叔父さまが眞人を待ってると伝えると、眞人は「わかってる……会うよ」とすぐに答えます。
ヒミは「胸さわぎがするの いやなら……」と言いますが、眞人はヒミの肩か腰に手を回しながら「いこう」とみなまで言わせずに歩き始めます。
ちょっと男らしいですね、眞人。
ただ、大叔父が自分に危害を加える存在ではないとわかっているのだから、「会いたくない」って選択肢も出てくる気がしないので、やはり脚本が弱いですよね…人物に感情移入できるように作られていない…。
眞人とヒミはとっとと先に進んでいて、湖面上の踏み石をとんとんと飛びながら進んでいきます。
青サギは「もう夜が来る……」と不安げに言いますが、二人についていきます。
そしてそのすぐ後ろを、ドカドカと足音を立てながら付いていく大王。
蓮の花が花を閉じてゆき、夜の訪れを伝えます。
風が吹きすさぶ森を背にして眞人とヒミが歩いて行くシーンがありますが、トトロで、引っ越してきた初日に薪を取りに行くさつきのような背景に見えます。
風が強く吹いています。
・石を拾う眞人
積み重なった石だらけの草原を昇って行く眞人とヒミ。
眞人が石を踏み砕いてしまった石に触れようとかがむと、ヒミが「さわらないほうがいい まだ何か残っているから」と注意します。
しかし眞人はこそっと石をポケットに忍ばせます。
その石が悪意に染まっていることを知っているであろうにです。
・眞人と大叔父の対面
大叔父は石の傍らで、風に吹かれながら眠っています。
前述しましたが、耳すまの最後のほうで、居眠りしているおじいさんの元に雫が小説を持ってくるところみたいですよね。
大叔父は二人の足音で目を覚まします。
大叔父は挨拶も交わさぬまま、悪意に染まっていない13個の石を眞人に差し出します。
はるかに遠いときと場所を旅してやっと見つけたものとのことです。
この石の数なのですが、高畑勲さんが「監督」した作品数と一致するという考察がありました。
テレビシリーズも含めると
『太陽の王子ホルスの冒険』
『パンダコパンダ』(1と2がありますが中編2つなので一つ扱いとする)
『アルプスの少女ハイジ』
『母をたずねて三千里』
『赤毛のアン』
『じゃりン子チエ』
『セロ弾きのゴージュ』
『柳川堀割物語』
『火垂るの墓』
『おもひでぽろぽろ』
『平成狸合戦ぽんぽこ』
『ホーホケキョ となりの山田君』
『かぐや姫の物語』
なので、13になるとのことです。
まぁでも、差し出すってことは、宮崎さんの作品数と一致ってことでいいような気がします……わたしは。(あと、絵コンテではこの時石は14個描かれています(笑))
石については別エントリで考察しているので、よければ読んでみてください。
大叔父は眞人に、その石を三日にひとつずつ積むように言います。
三日という間隔の根拠は不明です……ナウシカ以降、ほぼ三年に一作出しているからといった説があったりしましたが、わたしにはわかりません……聖書では世界は7日間で作られたといわれていますが、この数字にもちなんでいないです……。
宮崎さんはナウシカで「火の七日間」と、聖書の逆のような数字の使い方をしていたので、その辺にはこだわりがある人のはずですが……。
話が逸れましたが、大叔父は眞人に「きみの塔を築くのだ 悪意から自由な王国を ゆたかで平和な美しい世界を つくりたまえ」と言い、眞人は口をぎゅっと切り結んで、石の破片の草原に塔を建てるところを想像します。
その塔はキラキラと輝いています。
そしてどう見てもその塔に使われる石の数は、13を超えています(笑)。
眞人はすでに、塔を作る意欲を持ちだしているのです。
そして、14個目からの石は、眞人が自分で探し出した「悪意のない石」なのか、悪意のある石も用いるが完璧でキラキラ光る塔に仕上げたのかはわからないところです。
しかしその後の言葉からも察するに、悪意も取り込んだ上で塔を築いた想像をしたのではないでしょうか。
まぁとは言え、高畑さんは作品に悪意を込めずに来たのかというと、そういうことはない気もするのですよねぇ、
まぁでも高畑さんの非人間性は表に出ていないエピソードがたくさんあるという噂は文献でも残されているので、「もっと極悪だろ高畑さん!」という気持ちがあったのかもしれないですねぇ
眞人は右手で自分の傷に触れ、「この傷は自分でつけました。僕の悪意に証です。僕はその石に触れることはできません 夏子母さんと自分の世界にもどります」と言います
傷の生々しい後はピンク色で腫れ上がり、絵コンテでは「あきらかにハゲになる」と指示されています。
大叔父は傷のことになど触れていないので、文脈が逸れています。
これは、キリコが傷について尋ねた時に、その質問に答えずに「絆創膏が取れた」と話を逸らしたことから来ているのだと思います。
自分の悪意の証たる傷ができた原因について触れたくなかった自分を眞人は意識している。
そんで、「穴をあけた本人じゃないと効き目がない」と青鷺が言っていたこともあり、自分の傷を本当の意味で癒やすために傷に触れ、その傷を付けた原因は自分の悪意であったことを告白しているのだと思います。
大叔父は、「殺しあい 奪い合う おろかな世界にもどるというのかね ひきに火の海となる世界だ」と眞人に詰め寄りますが、絵コンテによると、大叔父も、「ひょっとすると楽しんでいるのか……」というリアクションだそうです。
これが高畑さんと決別する宮崎さんなのだとしても、宮崎さんが誰かに託そうとした何かなのだとしても、「拒絶されるのもまた嬉しい」って解釈で成り立つと思います。
眞人は「友達をみつけます。ヒミやキリコさんや青サギのような」と言います。
ヒミはちょっと嬉しそうに驚きます。
青鷺も「オイラ?」と自分を指差しながら、思わず立ち上がってしまう。
「友達をつくるのもよい、戻るのもよい、とにかくこの石を積むのだ!」「時間がない!」と、大叔父は切迫した風に語気を荒げます。
絵コンテでは「白毛が「天使の卵」風に色トレスで」と指示されていますが、天使の卵というのは、宮崎監督の朋友でもある押井守監督の初期の監督作品です。
神秘的な感じの変なアニメ映画です。
神話のシンボル学を応用して描かれているというのも有名な話です。
ファイナルファンタジーで有名な天野喜孝さんがキャラデザインを手がけているので、それを活かした人物アニメーションも見所の作品です。
しかしながら、絵コンテで言及されるほど特殊な髪の描き方をしているかは覚えていないです……宮崎さん、君どうを作るにあたって見返したりしたということなのでしょうか……?
大叔父が「わたしの塔はもはや支えきれぬ」と言いますが、別にあんな積み木をするぐらいだったら、誰でもできそうなものですが……大王以外なら……。
このとき、大叔父が広い空間で積んでいた積み木が見えます。
完成版だと、最初は7つ積んであり、この場面で8つに増えるのですが、絵コンテでは最初から8つで、この場面でも8つのままです。
積み木の塔はバランスを崩し、今にも崩れそうになっています。
これはやっぱり、高畑さんのフィルモグラフィーに沿って変更されたと考えてよいでしょう。
そこへインコ大王が立ち上がり、前にいた青鷺を思いっきり踏み潰しながら前進していきます。
眞人と大叔父の前まで来ると「なんといううらぎりだ 閣下はこんな石コロに帝国の運命を預けるおつもりか」と激昂。
そんな風に言いつつも石をすごい早さで組み立てていきますが、どう見てもグラッグラです。
最後だけそっと慎重に一番上に乗せますが、積み木が傾いていくのがわかると、大王は刀を抜いて、机ごと積み木をたたき切ってしまいます。
すると、大叔父の塔もほぼ同時に崩落するカットが入ります。
絵コンテでは「なんの予兆もなく倒れるときの あっけなさ」と入っています。
高畑さんのことを思っているんですかねぇ……。
草原に浮かぶ石がビリビリと振えて、石の剥離がはじまり、暗黒物質が広がります。
暗黒物質が周囲を暗く染めて、暗黒物質につつまれた大王のサーベルは溶け、大王はただのインコになります。
大叔父も暗黒物質に飲まれながら、「ヒミ、眞人、時の回廊へいけ。自分の時代(とき)に戻れ」と、意味ありげなことを叫びます。
この台詞が、猫の恩返しの「自分の時間を生きる」というものと似ているように思うんですよねぇ。
ヒミは大叔父を案じ「大叔父様―!」と言いながら足を止めてしまいますが、眞人はヒミの腕を取って逃げていきます。
絵コンテでは「ヒミくらいは大叔父の死を悼んであげないといけない」と言います。
とは言え、自身の生き死にがかかっている時にそれはねーだろとも思うのですが……。
制作中に絵コンテを描き進められなくなってしまった宮崎さん自身の経験が入っているのかな、と思ってしまいます。
地面が割れて、海は大波が起こり、眞人たちが立つ崖も崩れていきます。
青鷺が羽ばたき、「つかまれ」と足を伸ばすと、ヒミと眞人はそれに捕まります。
青鷺は高度を下げたりしながらもなんとか踏ん張って、もといた光の部屋に辿り着きます。
青鷺と眞人はすぐに掛けていきますが、ヒミはこの部屋に入った亀裂に大叔父の積み木が飲み込まれていく様を見て涙し、膝をついてしまいます。
亀裂の先は宇宙空間になっているようです……なぜ……宇宙……。
石が地球に降ってくる前に戻っていったということなんでしょうか。
また、この時宇宙に消えていく積み木の数を数えたかったのですが、消えるのが早くて正確にカウントできておりません……。
パチパチスパークが出る通路を眞人達は駆け抜けますが、崩落が始まっていて、「すっかり光を失ってあちこちキレツが走っている」状態になっています。
崩落するのもブロック上になっていて、そこもナウシカの墓所っぽさを感じさせます。
この世界の塔も崩れてゆき、中に住むインコたちは風呂敷を背負って避難をはじめます。
風呂敷の中からマジックハンドが出ているものもあって、持ち出す物の優先順位がおかしなことになっているインコがいることも伺える。
母屋から逃げ出してきたであろう夏子は、たいまつを持ったキリコに会い、安堵する。
・ヒミと眞人の別れ
薄暗い時の回廊にカメラが移り、ヒミは眞人を先導して132番のドアの前にやって来ます。
よく考えたら、夏子と合流する前にこのドアの前にやって来ているので、物語的にはこれで合っているかどうかわかりませんね……。
目的達成してないのに眞人は帰ろうとしているってことになるので……。
ヒミは「眞人はここから戻れ」と言い、眞人は「ヒミはどうするの?」と問います。
ヒミは「わたしのドアは別だ 眞人のお母さんになるんだからな」と言います。
自分が来たのとは違う時代のドアをくぐることができることは、眞人の時代にヒミが移動できたことからもわかります。
また、自分の時代に戻らなければ、眞人の母親になるヒミがいなくなってしまうことも理解しています。
もし他の時代に戻ったとして、パラドックスが生じるのかどうかはここでは不問かと思いますが……。
想定されるパラドックスとしては、眞人を産む久子がいなくなってしまうため、眞人が誕生する世界線が消失し、眞人も消えてしまうといったところでしょうか。
眞人は母に助かって欲しく「そしたら病院の火事で死んじゃうよ!」と死因まで伝えています。
ヒミは「火へ平気だ。すてきじゃないか、眞人を産むなんて!」とにこやかに言う。
ヒミの能力が火なのは、火によって命を落とすからなのかな……。
眞人は「だめだ! ヒミは生きてなきゃ!」とムキになりますが、ヒミは「お前っていい子だな」と抱き締めます。
ヒミは自分が非業の死を遂げることを知りつつ、眞人に出会ったことから、この男の子の母になれるなら本望だという決断をしたことになります。
これが、因果関係が逆転しており、「勝一と出会って子どもをもうけ、その子どもを愛する」という通常の流れではなく、「将来産む子どもと出会って、その子が良い子に育つことがわかっているので、その子の父親と子どもをもうける営みに励む」といった順序になっているように思われます。
二人がそんなやりとりをしていると、後方の天井が崩れ落ちてくる。
その手前の角からキリコと夏子が顔を出します。
眞人は「夏子母さん」と名を呼びながら駆けていき、夏子と眞人は両手を握り合います。
キリコには触れないのが、ちょっとどうなんやろうという気がしないではないが、現実世界に戻ってから仲良くすればええのやという感じなんですかね。
夏子はヒミにも「お姉様!」と声を掛け、ヒミは「いい赤ちゃんを産みなさいね」と返します。
しかし夏子はちょっと曖昧に微笑むだけで、首肯もしないんですね。
やっぱり夏子、勝一との子どもを身ごもったことがあまり喜ばしくないんじゃない……? という気がしてしまいますね……。
勝一は二人の妻からそんなに愛されてなさそうに描かれているような気がしなくもない。
眞人とヒミは、それぞれの扉に手を掛けてドアを開けます。
そしてドアの向こうに消える直前、二人ともいったん顔を戻して、最後に微笑み合います。最後にドアをくぐろうとする青鷺は、インコ達が回廊から押し寄せてきてあっと驚きます。
絵コンテではこの時既に、ヒミとキリコがくぐっていったドアは閉じています。
眞人は最終的に、この世界に繋がるドアを閉じないで終わるんですよね。
『失われたものたちの本』では、冒険を終えた主人公は、晩年になって、また異世界に戻ってきて物語が終わるというユニークな構成だったので、どこかそこを意識しているはず。
インコに押し流されて現実世界に戻ってくる青鷺。
インコたちがドット押し寄せてきます。
色とりどりのインコは現実世界に入ると、普通のサイズのインコに戻っていきます。
インコたちは必死にまとめたであろう自分の荷物のことも忘れて、思い思いに飛び去っていきます。
インコに囲まれて、夏子は「まぁかわいい あはははは」と無邪気に笑います。
塔がひしゃげて完全に崩れます。
崩れる直前、普通に塔の窓からペリカンが出てきます。
なぜ塔の窓から出てくるのかわかりません……異世界と繋がる扉がほかにもあったということなのでしょうか……。
また、異世界にいたワラワラや黒い人の顛末も不明です……。
眞人がペリカンの無事を喜んでいると、青鷺は「オイ お前あっちのこと覚えてるのか?と問い、眞人は当り前だと答えます。
なぜかここで背景が暗くなり、眞人と青鷺の声が響きます。
青鷺は「まずいよ 忘れろ ふつうみんな忘れるんだよ」と言う。
青鷺は眞人の顔をじっと見て、「お前なんか持ってこなかったか?」と尋ねますが、眞人は首を横に振ります。
しかし何か思い出したようで、右ポケットからキリコの人形と、拾ってきた石を出します。
青鷺は身体をボリボリかきながら、「これは強力なお守りだ。おいらなら自分がやられちまう」と嫌そうな顔をします。
そして「おい、これあっちの石か?」と問うと、眞人は「石だらけの草原でひろったんだ」と悪びれることなく言います。
青鷺は「これだから素人はいけねぇや ま、大して力のある石じゃない だんだん忘れるさ それでもいいんだ」と言いながら眞人から遠ざかります。
そしてサギを被って、サギモードになって飛び去っていきますが、去り際に「あばよ ともだち」と言い残していきます。
ちなみにこの台詞のアフレコは、何度もやりなおさせられたそうです……(笑)。
眞人ははっと我に返ると、もう青鷺はいません。
すると左側のズボンのポケットから、キリコさんがむくむくとまろび出てきます。
キリコさんは腰を痛そうにしていて、どうやらあちらの世界で会った若いキリコさんではなさそうです。
そんなキリコさんの肩に、元インコ大王のデカイインコがずしっと乗ってきます。
ばあちゃんたちと、それに続いて勝一が駆け寄ってきて、手を繋いでいる眞人と夏子、むすっとした顔のキリコさんと合流して終わります。
家族3人で抱き合っています。
・エピローグ
中学生になった眞人の「戦争が終わって二年後 東京に戻る日が来た」というナレーションが入ります。
リュックに本類を詰め込んでおり、君たちはどう生きるかもそこに収められます。
そして眞人は右ポケットをまさぐり、中から物を出して、自分の目の前で手を広げて確認します。
そこに勝一が「行くぞー」と声を掛けます。
玄関の前では、ワンピースを着てパーマをかけた夏子と、飛行機のおもちゃを握った弟がいます。
眞人は勝一に返事をして、リュックを背負い、左手で部屋のドアを開けて、左手でドアを閉めます。
そして一瞬空っぽになった部屋が映されて、エンディングを迎えます。
エンディングテーマ曲でも、扉を開けることについての歌詞があるように、この映画はドアを閉めて終わるんですよね。
・「おしまい」がない理由
この映画では、宮崎さんの劇場アニメとして初めて、エンドクレジットの後に「おしまい」が出ないとして話題になっています。
その理由の考察として見かけるものとしては、「まだこの後も作り続けるよという意思表示」といったものが多い印象です。
あるいは、「自伝的な作品であるため、宮崎さんが今も存命であり、今も続いているお話の一部であるからおしまいとは付けていない」といったものも見かけました。
ただ注目すべきなのは、絵コンテでは、いつものように「おしまい」と表示させるように指示されているというところです。
もちろん私がここで書いている考察でも、絵コンテと実際の作品に相違があることは複数個所で指摘していますし、絵コンテはあくまでも設計図なので、アニメーションとして仕上げる過程で変更があるのは当然のことです。
なので、実際に君どうが完成に近づくにつれて、宮崎さんが「あれ、俺まだ作れる体力がありそう」「っていうかまだ作りたいものがある」と考えて、「おしまい」を外したという可能性も十分あるように思います。
宮崎さんは君どう制作にあたって、自分が完成前に死んでしまうことも十分ありえると考えていたようなので、「おしまい」とつけることが自分の生死の示唆にもなりそうだから付けなかったのかもしれないです。
また、私が思うのは、宮崎さんはこの作品を意図的に昔話から逸脱させ、伝説と混在させようと試みているように思われます。
昔話は、「本当にあったと信じられようとしない」法則があると言われています。
伝説は「いつ」「どこで」「だれが」を盛りこんで、聞き手に「本当にあったと信じてもらおうとする」特性がありますが、昔話に分類される物語はそうではありません。
私はこういった物語学に詳しくないのですが、君どうは、これまでの宮崎作品と比べても、時期や場所が特定しやすいような情報が多く散りばめられているように思われます。(前作風立ちぬが、実在の人物を主人公として史実に則って(ある程度は)物語が進行していく作品であったことも影響しているかとは思うが)
しかし、物語の中では、昔話の特性と思われるような要素が何度も出てきます。
それも、とてもわかりやすい形でです。
宮崎さんのもともとの作風であるとも言えるのですが…。
ここで「おしまい」の話に入るのですが、昔話には「額縁で囲う性質」があります。
お話の最後に決まった句を読み上げて、物語がそこで終わったというふうに聞き手に伝えて、聞き手を元の世界に返してあげるようなことをします。
「めでたしめでたし」は日本語での終わりの句の代表的なもので、これがあると聞き手は全てが丸く収まったと安心して現実に帰ることができます。
で、宮崎さん作品における「おしまい」も、昔話における「額縁」にあたるものだと思うんです。
それを意図的に外したとするならば、それはこれまでの昔話的な物語とは異なっていることを表現しようとしているのだと思うんですよね。
なぜそうしたのかと言うと、この作品が「半自伝的作品」つまり、作品を構成する要素が実際に宮崎さんが体験したことや、見聞きしたことだからなのではないかと思います。
以上が解説や考察です!
長くなりました!
今後、作品を見返してみて、誤っている部分があれば訂正していきます。
でも自分でも何を書いたか正直覚えていないので、できればそうしたい、というくらいのものです…。
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前回のエントリ↓ シン・エヴァンゲリオン劇場版を観て思ったこと全て 序 ・「初期 …
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ベイマックスをほめちぎるブログにいちゃもんをつける
ベイマックスについて、ちょっと話題になったブログがあります。 http://an …
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シン・エヴァンゲリオン劇場版を観て思ったこと全て 序
感想と考察を書きます! しかしながらSFや特撮、宗教や心理学、神話についての知識 …
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NOPE・ブエノスアイレス・花様年華・his 220915
ノープを観た。ジョーダン・ピール監督作。僕は『ゲット・アウト』『アス』と、一応劇 …
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