てやんでい!!こちとら湘南ボーイでい!!

映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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君たちはどう生きるか考察 Cパート

      2024/07/25

君どう考察Cパートです。
Bパートからの続きです。

・落下していく眞人
Cパートは眞人が変な世界に落ちていくところから始まります。
真っ暗な中だけど眞人がちょっと発光しているような加工になっていてるような気がします。
また、「風を受けている」とのことで、服や髪ははためいています。

真っ暗な空間を落ちていく絵、シンエヴァンゲリオンっぽいなと思いました…本田さんはシンエヴァには参加していないし、もちろん影響を受けたといったものではないと思うのですが、似ているのよねぇ。

その内、黒い砂浜と波間が見えてきます。
この視点は、『8 1/2』という映画で主人公が凧揚げの凧ように空中を浮遊している際のカットと似ている旨の指摘があるのを見かけました。
僕ははっかにぶんのいちを昔観たきりなので正直あんまり覚えていないのですが、あれは映画を作ろうと苦悩する映画監督をそのまま映画にするという、映画史から観てもとてもユニークでエポックメイキング的な作品であり、特に風立ちぬなどは強烈な影響を受けているとされる映画なので、関連性はあるかもしれませんね。
それに、まさにエヴァを作った庵野秀明さんは間違いなく影響を受けているはず。
なのでその辺の影響源の被りも、エヴァっぽいと言われる所以かもしれない。

あと、宮崎さんが絵物語として発表した『シュナの旅』という作品でも、主人公シュナが辿り着いた「神人の土地」の風景とも似ています。
この作品は、宮崎さんが映像化したかった物語を、水彩画によるイラストと文を添えた形で発表した作品です。

1983年に発行されているので、漫画ナウシカ連載開始後、映画ナウシカ公開前といった時期ですね。
世界観もナウシカに似ており、荒廃した世界を舞台として、主人公がその世界でコミュニティを救うために旅に出るというベーシックな英雄の冒険譚を踏襲しています。
実際、漫画版ナウシカやもののけ姫は、この作品がベースになっていると思われる設定や要素が多数見受けられます。
『ゲド戦記』を作るにあたり、鈴木敏夫プロデューサーが宮崎吾朗監督に参考にするよう指示した作品でもあるため、ゲド戦記映画にはまぁまぁ似ています。
シュナの旅と君どうの共通点として見いだせるものがありますが、シュナの旅のネタバレになるので、このページの最下部で少し触れたいと思います。
とりあえずこの神人の土地については、主人公が探す重要なアイテムがあるかもしれない場所であると紹介されている場所で、主人公は高いところから降りてそこに辿り着きます。
主人公が神人の土地を目視する場面が、まさに、この君どうでの「暗い渚」のようであり、降り立ってから見る景色も同じように「重い雲間からところどころ光が差し込んで天使の梯子ができている」といったものです。
主人公が生きている場所と物理法則や摂理が異なっていそうなところも似ていて、主人公がそこで目を背けたくなるような現実の洗礼を受けるといった展開も似ています。
おいおい最下部で説明しますが、君どうや宮崎駿さんの作家性を理解するにあたり、とてもよい資料だと思うのでシュナの旅はオススメな作品です。
600円ぐらいで買えるしフルカラーなので見応えがあります。

眞人は波打ち際に着地し、波が眞人の足を洗います。
眞人はここで「立っている自分に気づき、辺りを見まわす」演出であると書かれています。
ここでちょっと疑問なのが、眞人は真っ暗闇から、海が見えてきた時点で「凝視する」と絵コンテに書いてあるし、完成版でもそのように演出されていると記憶しています。
なのに海岸に降り立ると、波に足を洗われるまで意識がないかのような書き方になっているんですよね…。
ここはどういう意図の演出なのかよくわからないですが、絵コンテを見ても完成版を見ても、ちょっと違和感があります。

そもそも地下の世界に落ちていくということで、行く先は深層心理の象徴であったり、あるいは直接的に死の世界だったりするかと思うのですが、部分部分で全然違う意味合いになっているようにも思われるのですよね…。

・降り立った世界の様子

眞人が沖を見ると、数え切れないほどの帆船が浮いています。
この時、上空では雲が流れているのですが、帆船の進行方向とは逆側に流れていっているみたいです。
雲と帆船の動きは指示されているので、この方向の違いには意図があると思われるのですが、ちょっと私にはわかりません…。
ただ、この地下世界では風が吹いているシーンが多いので、風の使い方は意図して行われていると思われます。
眞人自身も身体に風を受けているところが多いけれど、どれも追い風ではなく向かい風っぽいので、眞人も帆線も向かい風を受けつつ全身しているという共通点が見出せなくはないですが…。
全体的に、乗り主不明の帆線や、手漕ぎボートでやってくるヌメヌメ半透明人間は、キリコが言うところの「死んでるやつ」なのかなと思います。

こちらの世界では黄昏時のシーンが多いので、いろいろなアニメーターの手を借りて表現するように工夫したのだそう。
ちなみにどのシーンでもけっこう風が吹いています。
眞人と大叔父の眉毛が風になびいているのも印象的ですね。
眉毛のなびきを表現した手描きアニメーションって世界初では…笑
眉毛がなびくぐらいぶっといという特徴は、眞人と大叔父にあるように見えるので、眞人は大叔父の性質を一部受け継いでいるといった描写をしているのかもしれません。

眞人は砂丘をのぼり、辺りを見渡します。
砂浜を見下ろすと道が続いている場所がある
そして黄金の門と、その奥には重ねられた石がある。
墓石の向こうにも陸地が続いている。
その向こうに何があるのかまではわからない。
眞人は自然と、門に向かって歩き出します。

絵コンテでは、眞人が見渡す風景について「神様が半分しか造らなかった土地」と書き添えられています。
映画では神という言葉は出てきませんでしたが、考察する上ではこの上ないヒントではないでしょうか。
少なくともこの世界を造ったのは神様なのだということがわかります。
それを大叔父が手を加えていると考えてよいでしょう。
とは言えそれ以上のことは私にはわかりません…笑
※追記 鈴木敏夫さんが、この映画を「黙示録」だと言っていましたが、それもキリスト教に関する言葉です。とは言え宮崎さんと鈴木さんがどこまでキリスト教に関する知識があるのかはわからないので、具体的に黙示録を下敷きにしているのか、例として言っているのかまではわかりません…。

眞人が門に向かって移動していると、ペリカン達が眞人に気づいて目で追い始めます。
絵コンテによると、眞人に気づいて空から降りてくる個体もいるとのことでした。

眞人が背の高い草が生い茂る丘を登り門に近づいていく美しいショット。
風が強く吹いているのがわかりますね。
海外の予告編でも印象的な使われ方をしておりました。
この門や墓については、ベックリンという画家の『死の島』という絵画を引用していると思われるとの指摘が多数あります。
ここで象徴的に描かれる「糸杉」は、この地下世界で何度も描かれるので、「死」の匂いが強い世界であることは間違いないと思われます。
追記 制作を追ったドキュメンタリーでは、宮崎さんのデスクにこの死の島と思しき絵画の縮小版が貼られているシーンがありました。そのためやはり、死の島なのだと思われます。

・ワレヲ學ブ者ハ死ス
「ワレヲ學ブ者ハ死ス」と門に書かれる文字を読み上げる眞人。
門自体が少し発光しているという変な物体であるもようです。
われをまなぶものはしすについても引用元があるようなのですが、私は学がなく考察することができません…。
けどまぁ意味をそのまま取ると、うかつに触れてはいけないものであることがわかりますね。
門の奥にある墓石は自然にできた物ではなく、直角に切り取られた石が積み重ねられているため人工物であることがわかる。
そもそも門と石垣は人工物でしかない。
奥にあるものが墓であることはまだ明かされていませんが、祀ってあると考えてよいでしょう。
「なんかとんでもないものがあるっぽい」と思わせる演出がうまいですよねぇ…結局、墓や石がなんなのかは明かされずじまいなので、大風呂敷広げになったわけですが…。

・墓って何?
後でちょこちょこ書くと紛らわしいと思うので、ここで墓と墓の主について考察します。
結論からいうと、『風の谷のナウシカ』の漫画版に出てくる「墓所」と「墓所の主」と同じような存在ではないかと思います。
その根拠としては、単純に墓と墓所、またその「主」がいるという存在感がとても似ていること、また、その墓が強大な力を持っていて接近者を拒もうとする意志を持ち、その世界の命運を左右するような大きな秘密を握っており、自分の意志を継ぐ人間を選別して使役するところも共通しています。
あと、ナウシカで墓所の主が発する白い光の「バチバチッ」というエフェクトと、君どうで大叔父のもとへ通じる神秘的な道で発生している白い電流のようなエフェクトがとても似ていると感じます。
大叔父がいる空間が崩壊時にブロック状になるところと、墓所がブロック状であることも似ています。ちょっと形状は異なりますが。
なので私としては、墓についてはいろんな解釈ができるものの、核の部分としては墓所とその主の別バージョンと解釈できると考えています。
墓所やその主についてはナウシカの漫画版の大ネタバレになってしまうので、このエントリの一番下に書かせてもらうこととします!

・ペリカン荒ぶる
眞人の背後からゆっくりと近づいてきていたペリカン達。
眞人はそれにも気づかず、重ねられた石(岩窯とのこと)の奥を見据えています。
岩には苔一つついていないことや、奥は素抜けになっているけれど、向こう側の糸杉で真っ黒な状態であることが絵コンテで強調されています。
岩の隙間から見える闇の中でちらちらと光っている描写がありますが、あそこは絵コンテでは「糸杉がゆれているからか…」と書き添えられています。(邪推かもしれませんが、高畑さんは作中で、「植物が揺れて向こう側の陽光がちらちらと見え隠れする」様をよく描いていたように記憶しています…ハイジでも、アンでも、かぐや姫の物語でも)
陽光のようにはとても見えず、赤みがかった光は後半の展開で眞人とヒミに牙を向くものと同色であると記憶しているのですが、ここではまだ宮崎さんもこの墓の正体を決めかねているのかもしれません。

眞人が気配にはっとして振り返ると、ペリカンの群れがものすごい勢いで眞人に突進してきます。
かわす間もなく群れに飲み込まれる眞人。
ペリカンは仲間を踏んづけているものなどもいて、絵が面白いです。
ちなみに実在のペリカンは尻尾のところに黒い色が混じるようなのですが、本作では黒を省いて白一色でデザインされています。
ペリカンが直接発声しているのかはわかりませんが、「いこう」「くいにいこう」という表情が感じられないささやきのような声が聞こえます。
不気味ですよねぇ…。

ついにペリカンたちは力任せに開けて、眞人とともに雪崩れ込みます。
倒れ込む眞人をペリカンたちはつつきながら「たて」「あるけ」とささやく。
考察すると、「働かされる人」眞人は宮崎さんで、ペリカン達は宮崎さんを働かせようとする人たちなのかなぁとかは思います。
鈴木敏夫さんとは言わないでも、まぁ、宮崎さんだったり、宮崎さんが著作権を有するコンテンツでお金を稼いで、自分たちはあんまり労力をかけないでいようとする人とか。

・キリコ登場
カットが切り替わり、海上で眞人たちの様子を見る若い女性が写ります。
「誰かが墓の門を開けた」と、ここで、眞人たちがいる場所が墓と呼ばれる場であることがわかります。
ところで、当初はここでヒミが登場して眞人と接触する構想だったそうです。
となると、だいぶ大きなシナリオ変更があったということになりますよね…果たしてキリコがどこで登場する予定だったのかもきになるところ。
でもここでヒミと接触してしまっていたら、眞人の母さんに会いたい欲求がだいぶ早い段階で満たされることになってしまうので、まぁ妥当な変更だろうなと思われます。
もちろん、ヒミ=母と知らずに接するという展開になった可能性はありますけど。

女性は「ラテンセール」の帆船に乗っており、墓に舵を切るために一人で船上でテキパキと働きます。
着物の柄から、キリコさんっぽいなと思うのですが、このシゴデキ感は現世のキリコさんからは想像がつきませんね…。
ちなみにキリコさんの着物は「御所車」柄とのことです。
車輪かレモンっぽいなとは思っていたのですが、車輪であるもよう。米津玄師さんのヒット曲に絡めてのレモンかと思ったが、もちろんそんなことはありません。
しかしキリコさんに、車輪にちなむ描写というものがなかったため、なぜこの柄なのかは不明…。(追記 ジョルジョ・デ・キリコに由来すると思われます)
この映画で車輪が出るのは、チャリンコリヤカー、戦車(キャタピラだけど)、勝一のダットサン、風防を運んでくる馬に運ばれるリヤカーくらいですかね…。
あと宮崎さんからスーパーウーマンっぽくデザインするよう指示があったようで、頭身も変わってしまっています。
不思議。

キリコさんが着地して丘を駆け上がり、「もどれとり共」と叫びます。
全体的になのですが、キリコさんが叫ぶシーン、腹から声が出ていない感じがしてちょっと合っていない気がするんですよね…。
声優の柴咲コウさんは若い頃のキリコに近い歳だと思うのですが、なぜこんなに力が入ってない声をしているんだろう…。

また、キリコのように、一人の人物の様々な年齢で登場するのに声優さん一人が演じるというパターンは、ハウルの動く城のソフィーでもやっていましたね。
これは男性キャラクターではやらないというあたり、「一人の女性の老人時代と青年期を同時に見たい」という願望は、異性へのフェティシズムであると考えてよいと思います。
特に今回キリコのモデルとされている保田道世さんに対して、宮崎さんは「若い頃はとても綺麗でした」とキモい下心を露わにしながら語ったこともあるほどなので、若かった頃の女性への執着があると思います…笑

キリコさんは鞭を取り出して、ペリカンたちを払います。
鞭の先からは炎が出ていて、シュパシュパと音が鳴ります。
キリコが追い払ってもペリカンは墓に近づこうとしているところが少し怖いですよね…。

ところであの墓石は何の役割を果たす物なんだろう。
墓石と大叔父の関係性も不明。
そもそも墓石は、後にヒミを失神させるようなパワーがあることがわかる。
ペリカンは眞人を押し出して何をさせようとしたんだろう。

キリコさんは何度か駆け回って鞭で払うと、ペリカン達は門から出ていきます。(みんな門から出ていて、石壁を乗り越えていく者はいないはず)
門を出たペリカンは、歩いて逃げていく者と飛んで逃げていく者がいます…この後老ペリカンが、飛ぶことを忘れた若いペリカン達がいると言いますが、おそらくこのように飛ぶことができない個体がいることを指しているはず。

・門閉じる
キリコさんは黄金の門を閉じて、眞人のほうに向かいます。
この時、キリコさんは鞭を一度腰に下げた巾着にしまいます。
眞人はペリカンの羽と糞にまきれていて、弓は齧られて破壊されています。

キリコは直人の前に立ち、「たて」「こい」と矢継ぎ早に指示を出します。
キリコさんは歩き出しますが、眞人は少し戸惑ったまま動きません。
キリコさんは丘を降りながら「墓の主が起きるぞ」と眞人に再度通告します。
眞人はそれを聞いてゆっくりと歩き出す。
この時、キリコさんは、しまったばかりの鞭を巾着から取り出しています。
ほんの数秒後に鞭を使うことがわかっているなら、鞭を一度しまう必要はない気がするのですが、鞭を持ったまま墓に近づくことが危険なのでしょうか…それとも初対面の眞人を警戒させないように、一度鞭をしまったということなのかな…。

キリコさんは眞人のほう(眞人ではなくて墓のほうか?)を振り向き立ち止まり、眞人に「ここに並べ」と指示します。
キリコにならって墓の方を向いて眞人が立ち止まると、キリコさんは頭上に鞭を振るう。
鞭から出た炎が円になり、芝生の上に落ちると、輪っか状の煙が登っていきます。
キリコさんの和柄の着物はこの輪っかの煙に由来するのか? と思ったのですが、着物の柄ではスポークの本数が5本という指定もあるので、輪っかファイヤーは関係していないようですね。

キリコが何か呪文をつぶやいているのが聞こえますが、何を言っているのか聞き取ることはできません。
他の言語に吹き替えられたバージョンでは、ここってどうなってるんだろう。
あと、このシーンでは「風がない」状態になっているようです。
多分墓の中は風が吹いていないという設定です。
だから煙もまっすぐ登っていくわけですね。
それにしても、キリコは帆船で風を捕まえてここまで来たはずなのに、陸上では途端に風が止んでいるので、奇妙ですよね。何か意味のある設定なのでしょうが、私には考察することはできません…。

・眞人船へ
キリコはやがて顔を上げて「いった」とつぶやきます。
これは性的に絶頂に達したということではなく、墓に関連する何かの目に見えない存在がどこかへ行ったことを感知したことを意味している可能性が高いです。

キリコはムーンウォーク的に、前を見たまま後退をしつつ「そのまま下がれ」「うしろをみるな」と眞人に指示を出します。
眞人は言われるがまま下がっていきます。

草地が途切れて砂地に至ったところで、キリコは停止して眞人に話しかけます。
ちなみに絵コンテでは「ここまでは神域」とあるので、墓の主はやはり神的な存在であるとことがわかります。

キリコは眞人になぜ墓の門を開けたのか問い、眞人はペリカンに押されたためだと答えます。
ただここでちょっと違和感があるのは、眞人はペリカンに押される前から、門に手をかけるか手を伸ばしているので、ペリカンに押されていなくても自発的に門を開けた可能性もあるよな、と思うんですよね…。
なので、どこか、ペリカンを理由に上げることが言い逃れのように思えます。悪いことをしたという自覚があるのか、墓の門に興味を持ってはいけないと本当は自分でもどこか気づいていたのかなぁと…。

キリコは続いて矢を見せるように言い、眞人は弓矢を差し出します。
キリコは矢を見て、なんだ釘か…という反応をしますが、矢羽根が青鷺のものであることがわかると笑いだし、「青鷺の羽か。ペリカンどもがあんたを食えないはずだ」と言います。
あんまり意味がわからないのですが、大叔父の使いである青鷺の羽がお守りとして作用したとか、ペリカンが青鷺由来の羽を持つ人間を食ったらお咎めがあると察知して食わなかったってことなんですかね。
でもお咎めがあるかもという理性的な判断ができるのであれば、墓を開けさせるというリスクを負わせることもまずいだろうし、何か観念的なお守りとして働いたのかなって気がします。

笑っているのも束の間、突然強い風が吹くとキリコは顔を顰め「風が出てきた。ここは波が超える」と言い、船の方へ駆け出す。
波が超えると言っているあたり、やはり墓の石にこけがないことは超常的な力が作用していると考える他ありません。
あと金でできた門がありますが、純金は塩分に耐性があるため錆びないということです。

眞人は一緒に来いと言われるものの、判断しかねるようで立ち尽くす。
キリコが波間にたどり着くと「一瞬水の上を歩けるかと思うがすぐに深くなる」と書かれています。
水の上を歩くって、水上を歩行できるってことなんですかね…。あんまり書かれてることも意味がわからない。
突然深くなる厄介な地形ってことでしょうか。
キリコが船を戻すのに苦戦していると、やっと眞人はキリコに力を貸すことにして、自分も水の中に降りていきます。
しっかりと目視できませんが、眞人はこの時すでに弓矢を手に持っていないため、破棄したものと思われます。
少し前に、青鷺の羽がお守りの役割を果たしたことがわかったはずなのですが、それを手放すのってもったいないと思うのですが…それを手放してまでもキリコを手伝おうとする心情の変化がなぜ起こったのか、微妙に追えません。
もちろん姉御肌でこの世界の事情に通じている風の女性なので、ついて行けば何かがわかりそうだというのはわかるのですが。

二人して船を戻そうとしていると、眞人は高くなった波の中に水没する。
そのうち大きな波がきて、眞人は完全に水没するものの、船上に上がっていたキリコに引っ張り上げられます。
この時、眞人の頭から絆創膏がなくなっています。波にさらわれた際に剥がれ落ちたのでしょう。
引き上げられた眞人はぐったりとしています。
自分の所有物を剥ぎ取ったり放棄したりして、眞人は生まれ直す準備をしているように思えます。

・傷を誤魔化す眞人
キリコはがんばって帆で風を捕まえ、墓から離れていきます。
キリコはぐったりしている眞人を呼ぶと、眞人はよろよろと立ち上がってキリコの方に移動する。
キリコは眞人の頭の傷に気づき、「その傷は?」と尋ねるが、眞人は驚いたように頭の傷に触れながら「絆創膏が取れた」とだけ言います。
キリコは高笑いしながら「私と同じだ」と言い、頭巾をまくって眞人と同じ場所に傷があるのを見せます。
沼ガシラという存在によってついた傷であること、沼ガシラを食ってやったことを話しますが、沼ガシラがなんなのかはわかりません。
多分『太陽の王子ホルスの冒険』に登場する凶暴で大きくて美味しい魚か、コナンの冒頭でコナンに食われるでっかくて凶暴で美味しい魚のような存在かなと思われます。
ただ実際の日本においては、人の頭に傷をつけるような凶暴で大きい魚がいるとは思えないので、この地下世界のことを言っているのか、もしくは魚ではなく他の攻撃力の高い動物を指しているのではないかと思われます。
岡田斗司夫さんが、キリコのこの傷について解説できると話していたのですが、有料会員にならないと見れないパートで語られているようなので、私はその内容をしりません…こんなにヒントが少ないのに、どうやって考察しているというんだ…岡田斗司夫さんはいったいどれほどすごいんだ…。
ところでドラゴンボールの第一話、主を狩るところから始まるのってコナンだよなー、と思ったりします。

ところで、この時眞人はキリコの質問をはぐらかしてかわしています。
キリコは「その傷は」と、どうして傷ができたのか心配して聞いているはずなのに、眞人は「絆創膏が取れた」と趣旨にそぐわない回答をしてます。
墓の門を開けた理由を聞かれた際は、まだキリコの素性もわかていないので、正しく回答する必要性はないと言えばないのですが、キリコが船を戻そうと奮闘しているところに、眞人は自発的に協力しているので、短い時間ながらも眞人がキリコを信頼し始めていることがわかります。
おそらくこれは、自分の傷が自傷行為の結果であることを告白したくないという気持ちから、話を逸らしたものと思われます。
で、ここではぐらかしたのは眞人の弱さから来るもの。
自分の弱さを受け入れ、他の人たちも困難を抱えながら生きているという当たり前の事実を目の当たりにすることで、眞人は最後に「この傷は自分の悪意の証」であることを人に明かすことができるようになるのだと思います。

しまい波がやってきて、船がそれをなんとか乗り越えていきます。
しまい波が来た後は静かになるとキリコが語っているところから、キリコがこの世界に長くいることがわかります。

・謎のデカ魚を捕る
BGMだけになり、セリフがないシーンに入ります。
風のない水面に大きな浮が浮いていて、そこに近づいていく二人の船。
沖には他の船の影はありません。
水中から海面を見上げる、宮崎さんが好むカメラワークがあり、でかい魚がうねうねしているけど徐々に引き上げられていく像を捉えます。
眞人はキリコと協力して、魚を引き上げていきます。
上がった魚をキリコが船の横腹にくくりつけている向こう側で、雲から雨が降り注いでいます。
この世界でも雨が降るということが、ちらっとだけ描かれます。
あれだけでかい魚をくくりつけたら、船が進むのも大変そうですが…。
キリコはなぜこんな大変な仕事を一人でこなしているのでしょうね。

キリコが片足で器用にオールを漕ぎ、眞人が反対側のオールを体いっぱいで漕いでいきます。
眞人はどこから来たのか尋ねられ、「上から」と答えます。
上はいいところかと重ねて尋ねられて、「あんまり好きじゃない」と正直答えます。
あんまり好きじゃない、ということは、こっちの世界のことが好きになれば、ここに止まるという選択肢も出てくる可能性があることを示しているはず。
眞人がこの地下の世界で体験するのは。あんまり好きじゃない上の世界に戻る理由になる何かを見つけることだと思われます。
ただ、それがシナリオとしてうまく表現されているかは不明です…。
正直、その点ははぐらかされるというか、伏線を放棄しちゃっている感じはしますね笑

眞人は少し間を空けて、「夏子という人を知りませんか」と尋ねます。
キリコは「お前その人のこと好きなのか」と問い返します。若干、キリコも話を逸らしているような気がしなくもない…。
眞人も「父さんが好きなんだ。夏子さんを探しているんだ」と、夏子が好きかどうかには答えずに話を戻します。
結局キリコは質問に答えずに眞人に名を尋ねて、「まひと」と眞人が答えて、「まことの人か。どうりで死の匂いがぷんぷんする」とキリコが笑います。
質問に答えろやキリコ、というのと、キリコが名前の音だけで漢字までわかってるっぽいのが解せんです…。
あと、なぜまことのひとだと死のにおいがするのかはわかりません……他の言語での字幕や吹き替えではどんな風に表現されているのかもわかりません……。
まぁ気にしすぎてもしゃあないのでしょうけど…。
後の世界崩壊時に、キリコが夏子のことを知っているような感じであることから、もしかしたら夏子の口からまひとの存在を知らされていたとかがあるのかもしれませんね。
眞人が名前を明かすところを見ると、彼はキリコに心を許しきっているっぽいですね。

・キリコの住処へ
キリコは遠くの海上に多くの帆船が走っていることを眞人に示します。
帆船は眞人たちの船とは逆向きに進んでおり、絵コンテでは「逆走している」と書いてあります。
沖へ出て行っても何もなさそうなものですが…あの船の群れには乗組員はいるんでしょうか。
船の描写は、紅の豚で、ポルコだけが生き残って多くの飛行機が空に登っていくシーンを彷彿とさせるとの感想が多いように思われます。
まぁ、「死」についての話が出た後の船の話題になっているので、どうしてもそう思わざるを得ませんよね。
キリコは「みんなマボロシだよ。この世界では死んでるやつの方が多いんだ」と言います。
まぁ正直あんまり意味がわかりませんね…。

この先の風景は「白骨化した水没林の奥に、糸杉を持つ破船が見える」とのことです。
水没林に白骨化なんてあるのか…とは思いますが、白骨化する前は林が生い茂っていたのだとなると、なんらかの理由でその林が枯れ果て、船も壊れてしまったのだと考えられます。
以前はもう少し豊かな自然があり、文明が栄えていた可能性がありますね。
草木やコケに覆われており、長らくその状態であったことが伺える
文明が朽ち果てて自然に覆われる、という風景は未来少年コナン、ナウシカ、ラピュタ、もののけ姫などで繰り返し描かれてきていますね。
千と千尋でもその片鱗がある、
でも、不思議と、「この世界で何が起こったんだろう」と想像がかき立てられないのはなぜなんだろう……。
そもそもあれだけ大きな船が作られている時点で、人が多かったわけだし、多くの人を一度に輸送する目的で船が建造されたわけですものね。
この辺り、考察できるほどの情報がないけど、インコにこの後のシーンでは支配されている居住区も出てくるので、やはり人がもっといたし、文明も繁栄していたんでしょうね。

キリコは眞人に漕ぐのをやめるように指示し、眞人は手を止める。
水中から船を見上げるカットが挿入されますが、パンダコパンダやポニョでも見られる、宮崎さんお得意の構図ですね。

黒くて透明な人間が漕ぐ船が近づいてくると眞人は呆然とし、あの人たちは? とキリコに尋ねる。
眞人が警戒していないのは、変な黒い人たちには意志や生気が感じられないからかもしれません。
キリコは「あの旗を見たんだ」と、いつの間にか貼っている豊漁の旗を目で示します。
「かれらは殺生はできない。殺すのは俺の仕事さ」と言います。
キリコの一人称ってちょいちょい変わるんですよね…謎。
なお、この時はキリコの胸がそんなに大きく描かれていないので、「男か?」と思った人も多いのでは。
この後のシーンで、部屋にワンピースがかけられていたり、あからさまに巨乳になっていくので、一人称が俺でも女の人であることを紛うことは無くなるのですが。

遠くに見えてきたのは、「ベックリンの死の島の糸杉のようにたそがれの空の穴の下 まっくろにそびえる糸杉」であるとのこと。
宮崎さんも、明確に死の島を意識していることがわかりますし、キリコの住処がその死の島であることもわかります。
キリコ、不思議な存在ですよね。

海の上を、どろっとした黒い人間に囲まれながら進んでいるので、千と千尋の電車のシーンを彷彿とさせます。
あと、水没林があるところや、黒い人たちの格好(シャツと麦わら帽子など)を見ると、東南アジアっぽさも感じなくはない。
でも実際のところはいろんな地域の文化を混ぜているんだろうなという感じがしますよね。

・ワラワラ登場
眞人とキリコが破船に近づいていくと、窓? から白くて丸い物がたくさん出て零れ落ちてきます。
ワラワラは「嬉しいらしい」とのことで楽しそうな顔をしています。
嬉しいのは眞人かキリコがやってきたからなのか、ご飯のにおいがしたからなのかは不明です。
絵コンテでは「ワラワラしてる」と、そんなん絵見たらわかるやろという他ない情報が書かれています。
また、絵コンテでは、ワラワラは球体なのだけど、足が伸びることなどが補足情報として書き添えられています。
手足が伸びるし、身体は膨らむし、意外と筋肉がムキムキしているし、シンプルなデザインで他と被りそうなのに、しっかりと差別化されているのがすごいですよね。
しかも動き方が込みでキャラの魅力になっているところなど、アニメーション作家宮崎さんのすごみを感じます。
ワラワラかわいすぎっすよね……ここまでヒリヒリした空気感があるシーンばかりが続いていたし、暗い絵面が多かったのでワラワラには癒される想いでした。
せっかく、みんなが楽しみにしていたであろう異世界に突入しても、重い音楽と映像の連続で、かつ死を連想させるシンボルに囲まれていたので、なおさらですね…。
この文章を書いている3月現在、12月に発売されたワラワラのぬいぐるみは12月のうちに完売し、再生産のめどは立っておらず、オークションで高値転売されている状況です…。
ワラワラを食い物にするペリカンたちのごとき大人たちの醜い転売戦争に巻き込まれております…。

・破船内部へ
キリコは破船の中に入り、手際よく船を足場に寄せていく。
眞人はキリコに「手伝え」と要請されるけれど、足場の反対側でぼんやりしている黒い人たちに意識を持っていかれている。
ここで気になるのは、黒い人たちは、キリコが船を寄せる仕事などにも手を貸そうとしていないこと。
キリコは「彼らは殺生はできない」と言っていましたが、キリコがする仕事すべてに協力していないように見えるし、キリコも眞人にしか協力を要請していません。
なので、キリコは黒い人達には何ができて、何ができないかを把握しているはずです。
おそらく黒い人たちは「完全な消費者」であるということなのかなぁと思います……多分…自分たちでは何もせずに、流通してもらって初めて対価を支払って成果物を受け取るとったような。
でもなんか違う気もする……とりあえず、この黒い人がなんなのか、私ははっきりと考察できないです。悲しい。
ただ千と千尋で、千尋が銭婆々に会いに行く時に列車に同乗していた黒い人達と似た存在であることから考えると、なんか煉獄で死んでないけど生きていないような生物であったりとか、人間的な意志を持たずに動物みたいに思考せずに生存だけしているような存在なのかなーと思ったりなどします。
(千と千尋、水の上を走る電車は三途の川のメタファーかと思ったのですが、渡りきった先の銭婆々が住む土地って何なん? というのが私は読み解けていません……)

キリコは、「ワラワラがすぐに来るぞ」と言いながらテキパキと仕事をこなしていきますが、眞人はぼんやりとした動きで透明な人にお辞儀します。
黒い人の多くは無反応ですが、数人が軽いお辞儀を返します。
黒い人からすると、眞人がなんなのかわからないのかもしれないけど、魚を恵んでくれるキリコの同行者であれば、自分のために何かしてくれる存在であると認識して、挨拶を返すのが自然なような気がします。
しかしそんな眞人を無視する辺り、この黒い人達ってなんか言葉やコミュニケーションを無くしているというか、意識が働かなくなっているのだろうなぁという気がします。
おそらく個体によって、思考や意識のありかたが異なっているところを見ると、ペリカン「飛ぶことを忘れる者が出てきた」ことと同じように、何か「退化」した結果としてこうなっている可能性がある気がしました。
そもそも、彼らのことをよく知っているキリコが、彼らに挨拶をしないあたり、彼らがコミュニケーションが取れない存在であることを知っているからなのかなぁという気がします。
キリコからしてみると、ワラワラは面倒を見てあげないといけない子どもで、黒い人たちはキリコに提供できる対価を自分で用意できる大人だから魚を交換してあげているだけで、どちらも人間ではないと思っているのかもしれないですね。

・ワラワラがやって来る
ユーモラスな音楽と共に、ワラワラ達が腐った床板の上を駆けてくる映像が入ります。
画面を覆い尽くすほどの数のワラワラ達は、一人として同じ動きをしていません……当然、CGではなく手書きのアニメーションでしょう。
飛び跳ねている子、まっすぐ走る子、つんのめりながら走る子……絵コンテでは「走り方が笑い出したくなるほど沢山!」と指示されています。
初見時から、絶対にこの絵を描くの大変だっただろうな……と思いました(笑)。
腐った床板の上を、生命力の塊のようなワラワラが楽しそうにやって来るという絵が対比になっていてとても印象的なシーンです。
映画館では子どもがわーっと喜びの声を上げるのも聞こえてきました。
これは大人から見ても可愛すぎますね……。
ほんとに、デザイン自体はシンプルなのに、動きとか声が可愛らしすぎるし、一匹ではなく集合して登場するから可愛さが倍増しているところも、計算され尽くしています。
可愛くて面白いキャラクターを作って動かし続けてきた宮崎さんの面目躍如と言えるでしょう……前作風立ちぬでは空想上の生きものが出てきませんでしたから……夢の中に出てくる黒くてヌルヌルした気持ち悪いヒトっぽいもの以外……(そう言えば千尋もそうだけど、風立ちぬの夢に出てくる黒ヌルヌルも、黒い人々みたいですね)(風立ちぬの後に作った短編毛虫のボロはキャラクターでしたけど、デザインから可愛さを醸しだそうというよりは、虫を忠実にキャラ化したように感じました。かわいいけど)

眞人は魚を吊るす仕事を任されたっぽいけれど、群がってきたワラワラに興味を惹かれて手が止まってしまう。
眞人、この時は楽しそうな顔をしているんですよね……この映画で見せる初めての柔らかい表情ではないでしょうか。
こういう、普段は笑わないキャラが笑うシーンって、ほんとはとても難しいと思うのです……別のエントリでも触れた気がするのですけど、よっぽど「面白い」とか「楽しい」展開を作れないと、見ているお客さんが「こんなことで笑うか?」っていう現実的な視点で見てしまうので、一気に感情移入できなくなってしまう。(特にアニメ映画にありがち……面白いシーンがないとか、面白くないシーンで笑ってるとか)
しかしそんな仏頂面眞人でも自然と笑っちゃうだろうな、と思えるようなシーンなので、これを見た誰もが眞人と一緒になってニッコニコになってしまうことでしょう。
宮崎さんの映画って、キャラクターが笑っているところはお客さんもちゃんと笑っちゃうように作られているんですよね。
当り前のようだけれど本当にすごいことですよ。
もともとのプロットでは、『失われたものたちの本』と同様に、腹違いの弟に嫉妬するような展開が想定されていたようなのですが、このようにワラワラと戯れている眞人を見ると、弟が生まれたら、わりと普通にかわいがってあげるお兄ちゃんになるのではないかなと思ったりします。
冷静に考えてみたら、これで父が弟にかかりっきりになっていたら嫉妬が芽生えそうではあるけど、勝一は仕事人間であることに変わりはなさそうですしね……。

ただ、ワラワラは眞人の仕事を邪魔しているし、おそらく普段はキリコの仕事の邪魔もしているのだろうと推測できます。
可愛い存在が仕事の邪魔をする、というのはトトロでお父さんの仕事を邪魔するメイちゃんでも描かれていたところですね。
ところで、絵コンテでは指示されていませんが、ワラワラは自分たちのお皿を持って眞人達に近寄ってきています。
千と千尋でススワタリ(まっくろくろすけ)が仕事をさせられていたことを考えると、ワラワラも労働力として駆り出されていてもおかしくはない気がするのですが、そう考えると、千と千尋は千尋をはじめ子どもが労働の担い手として使役されている比較的厳しい世界として描かれているような気がしますね。
君どうの地下世界も厳しいけれど、キリコのような存在が子どもをしっかり守っている。

・デカ魚解体
キリコは暗い廊下の奥から、出刃包丁と牛刀を持ち早足でずんずん歩いてきます。
表情はブスッとしていていかにも不機嫌なのですが、これは眞人やワラワラに苛ついているわけではないようで、絵コンテでは「本当はキライな仕事なのだと思う」と書き添えられています。
言葉には出さないし、眞人にもそれを感じさせるような素振りは見せませんが、おそらくキリコは漁と解体を自分がやらなければ他の人にはできない仕事と割り切ってやっているのではないでしょうか。
モデルの保田さんも、こんな風に嫌な仕事でも請け負ったら責任を持って遂行していたってことなんですかね…自分が作ってるお話なのに「おもう」ってなんやねん…。

キリコは「眞人も手伝え」と、ぶっきらぼうに出刃包丁を渡します。
渡すというか、上から落として掴ませるという、見たことのないような渡し方をする。
でも恐らくキリコがそういうスタイルなだけであって、悪意はなさそうです。
眞人も包丁を落とさずにしっかりとキャッチします。
眞人がおっちょこちょいな性格として描かれていることから考えると、ここで包丁をキャッチできずに落としてしまうような描写があってもよさそうではありますが、おそらく眞人はここでキリコが教えようとしていることを吸収するよう努力をする姿勢を持っているので一応キャッチできるのではないかなぁと思いました。

キリコは手早く、仰向けになっている魚にまたがると逆手に構えた牛刀を喉元に突き立てます。
ワラワラが「おーっ」とちょっと拍子抜けしてしまうようなリアクションを取る。
そのまま牛刀を引いていき、身体ごと後ろへ下がっていって解体していきます。
魚の脂肪層や肉が見えるものの、はらわたや血は出てこないのできれいに捌いているであろうことが伺えます。
ここで、絵コンテでは眞人はキリコの仕事ぶりを目を丸めて見ているだけなのですが、完成版では、ちょっと「ウゲッ」って、引いたような、気分を悪くしているような表情をしていたはずです。
まぁ言及されませんが、ちょっと生臭い臭いなんかも充満していたのかもしれないなぁと思ったりなどします。

キリコは眞人に「やってみろ」と言い、眞人も、キリコから受け取った包丁を一瞬じっと見てから、すぐに歩き出します。
舟を出すことに協力せずグズグズしていたり、舟から魚を引き揚げる時にグズグズしていたときとはちょっと変わっています。
これには、包丁を見つめるところから、自分が仕事を与えられたことに責任感を覚えたという変化が影響しているのかなと思います。
他の作家もやりますし、宮崎さんもよくやりますが、何かのシンボルに思いが込められていて、そのシンボルを手にしたことで主人公が変化することを表すという手法があります。
トトロで言うと、メイちゃんが「トウモロコシを食べればお母さんは元気になる」というおばあちゃんの言葉を信じて、お母さんにトウモロコシを渡すために一人で病院まで行こうとするシーンがありますが、出発する前にめいちゃんはトウモロコシをぎゅっと抱きしめて思いを新たにします。
包丁はそのようなシンボルとして眞人が受け取っているし、「労働する中で世の中のことを知り成長する」という宮崎さんが繰り返し扱うテーマでもあると言えます。
ワラワラ達がお腹を空かせて待っていることがわかるので、お兄ちゃんとしての責任感も芽生えているのかもしれません。

眞人も魚にまたがって、包丁を突き入れますが、うまく入りません。
眞人はここまでのシーンで料理をしている描写はないので、もしかしたら包丁を持つことも初めてだったりするかもしれません。(ちなみに、宮崎さんのお家は男4人兄弟ですが、お父さんは不在がち、お母さんは病に伏せっていた時期が長く、またお手伝いさんは常時いるわけではなかったので、兄弟で持ち回りをして料理をすることが多かったのだそうで、みんな料理ができるそう)
キリコも魚を捌くところを一度やって見せただけで、コツを教えてくれるでもないので、まぁ上手く捌けないのも当然ですね……。
全然コツを教えないところなど、アニメーターとしての宮崎さんそのものな気がします。
自分でも、教えるのが下手だってことを自覚しているんでしょうね、きっと……(笑)。
(全然関係のですが、私は細田守の作品が好きではないのですが、バケモノの子とか、宮崎駿に教えを請おうとしたけどちょい距離感があったような細田守のメタファーなのだろうという見方が主流ではないですか。細田守嫌いなんですよ……おおかみこどもで風の表現入れまくってたところもめっちゃ嫌やった……嫌やったなぁ……)

眞人が包丁を引いていくと、やり方が悪いのか、血が噴き出しはらわたもこぼれてきます。
途中で血がドバッと出て眞人の顔を汚しますが、これは絵コンテにはありません。
また、はらわたが溢れ出てきて、眞人は気を失ってしまいます。
完成版では魚の血が大量に出てくることから、血の臭いや視覚的なショックで気を失うのかな? と思えるのですが、絵コンテだと失神する理由があんまりよくわかりません。
完成版でもあんまりよくわかりませんが……。
ただ、魚の血の色が眞人が自傷したときに流す血と同じ色だし、精神的なショックがあったのかなぁとも思います。

あまり補足の意味が無いような気もしますが、魚のはらわたについて、絵コンテでは「プリンプリン感出してください」と書かれています。
妙に生々しいながらも綺麗な色のはらわたでしたね……ワラワラの滋養になるとの言及もあったので、ワラワラが美味しく食べれているんだよとアピールしたかったのかもしれませんね。

・おばあちゃん達の加護
眞人は長い間気を失っていたようで、部屋の中では火のよる灯りともされています。
眞人はテーブルの下に寝かされており、彼を6つのおばあちゃん型泥人形が囲っています。
キリコが分厚くて頑丈なドアを閉めながら部屋に入ってきます。
絵コンテによると、「ワラワラの給食が終わった」とのことです。
こうなるとキリコは、眞人が失神している間に、
「眞人を部屋まで一人で運んでくる(ワラワラとか黒い人が手伝うとは思えないため)」
「魚の解体を終える」
「黒い人と交易する」
「ワラワラにご飯を食べさせる」
「キリコと眞人のご飯を作る」
という仕事を終えたものと思われます。
なんとなく、ワラワラは魚のはらわたを勝手にむさぼり食うかと思っていたのですが、キリコによってしっかりと給食を提供されているようですね。
また、ここでキリコが部屋に入ってきたとき、しっかりとドアを閉めて錠をかけるところもまぁまぁ注目というか気になります。
人間が入ってくるようなことはなさそうですが、錠をかけて用心しないといけないんですよね……。
実際に何か来客があり得るのか、何かの儀式として施錠しているのかは不明ですが、やはりこの映画全般として、ドアや窓の開閉に時間が割かれているのが気になります。

キリコが前掛けを脱いだりバケツを片付けたりする仕草については、絵コンテで「一寸つかれた でもテキパキと」と、元気そうなキリコでもやはり疲労感があることが示されています。

キリコが大鍋をまわしてシチューを注ぐ芝居が描かれます。
部屋の台所は、絵コンテによると「日本的な台所と、軍艦のもう使われていない圧力鍋が同居している」とのことです。
この船は軍艦だったってことなんですかね……そこにキリコが住み着いているってことでしょうか。
それともキリコはもともと軍艦の搭乗員で、そこで使われていたものを持って来たということでしょうか。
キリコが現実世界の方で軍艦に乗っていたということは時代的に考えにくいので、おそらく前者だとは思うのですが、それにしてもどこから軍艦は来たんだ。
この異世界で軍艦が必要になる=軍が創設されていた=文明同士の軍事的衝突があった、ということになるのですが、やはり現実世界から軍艦が持ち込まれた考えるのが妥当でしょうか…。

また、シチューには野菜が入っているため、どこかで農業が行われていることもわかります。
キリコの忙しい暮らしを思うと、自分で作物を育てているとは考えにくいので、農作業をしている人間と交易している可能性が高いと思われます。
(ただ、船のデッキにキリコの田畑があるようなので、そこで採れた作物である可能性もあります)
黒い人達が農作物を持って来て、それを魚肉と交換しているんですかね……。
ワラワラは子どもだから面倒を見てあげるとして、黒い人達にタダでお肉をあげるようなことはないでしょう。
彼らに「買いにきた」って言っているし。

キリコはテーブルについて、眞人に声を掛けて起こします。
「食べな」と、当り前のように眞人にもご飯を提供しています。
眞人にご飯を用意したのは、彼が守るべき子どもだからというより、仕事に協力したため報酬としてご飯を与えているからのように思います。
そして眞人が与えられたご飯を食べるシーンを描かないのは、実際には食べただろうけど、この後にヒミのパンにかぶりつくシーンまでお預けにしているのだろうと思われます。

眞人は目を覚まし、キリコは続けて「まわりの人形にさわっちゃだめだよ」と注意します。
眞人は自分を、おばあちゃんが描かれた人形が囲んでいることに気づきます。
眞人はテーブルの下から這い出ようとしますが、その際に頭を天板にぶつけます。
この芝居が何故入るのかあんまりよくわからないのですが、眞人が意外とおっちょこちょいなんだってことを描きたいんですかね……キリコやワラワラと触れあったことで、ちょっと張り詰めた雰囲気のあった眞人が本来のアホアホボーイなところが出てきたってことなんやろか。

キリコが食っているのは魚のシチューであるとのことが絵コンテでは補足されています。
眞人は「この人形はお屋敷のおばあちゃんたちみたいだ」と言い、キリコは「あんたを守ってるんだよ」と返します。
眞人の言う「お屋敷」の部分について、キリコはわかっていて返答しないのか、わかっていないのでスルーしているのかがわかりませんね……キリコのこの世界での姿を考えると、屋敷で自分と一緒に働いているおばあちゃんたちのことを知らないはずですが、眞人が言っていることに「何言ってんだよ」みたいな返しもしないので、理解はしているのかもしれないですね。
キリコは眞人に飲み水のありかを指差し、眞人は部屋の隅に歩いて行きます。
蛇口の側には小さなコップと、めっちゃでっかいコップがかけてあります。
私はこのでかコップを見て、『パンダコパンダ』でパパンダが使っているデカイコップとデカイ歯ブラシを思い出しました。
こんな風に、リビングに人間用のコップ歯ブラシと、パンダ用のコップ歯ブラシがかけてある絵は、パンダコパンダを観た人はみんな記憶していることでしょう。
実際、デカイコップがかけてあるけど、キリコの家に置かれている意味がわかりません。
軍艦の設備がそのまま残されている可能性もあるけど、軍艦とはいえあんなデカイコップが置かれている意味はわからないでしょう……しかも丁寧に持ち手付きです。
あれに水をいっぱいに入れたとして、キリコにそれを持ち運ぶような腕力が備わっているようには見えません。
謎。

ちなみに、絵コンテではそんなコップのそばに「蒸気釜 かつて使われた」と、部屋の隅に蒸気釜があることが指示されています。
蒸気釜が使われていたのが「かつて」であると示す理由がわかりません……今はキリコ一人しかいないから、作った物をすぐに食べちゃうので不要ということなのでしょうか……
あんまり凝った料理を作ることがなくなり、シチューにしちゃうから調理器具はあんまりいらないという意味なのでしょうか……。
かつて使われていたが、まだ部屋に隅に置かれていて、どこかにしまわれていないということは、恐らく少し前までは使われていたか、たまに使うことがあるという状況なのかとは思うのですが……私には考察できません!

・水を飲む眞人
眞人は蛇口をひねって、壁に掛けてあったコップで水を受け止めます。
(私には考察しようがないのですが、この時、水が勢いよく出てきてしまい、眞人がそれをコックで調節するよう指示が書かれています。水はコップから溢れ出ます)
眞人は水をグビグビ飲み干します。(頭に怪我を負った明朝、青鷺がコテージの天井を歩く音に耳をすませるシーンと共通ではあります。ただ私はそこに何かの意味を見いだせません……)
眞人は部屋の方に向き直り、「キリコさんだよね」と呼びかけます。
キリコは、「なんでお前が俺の名前を知っているんだ」といいます。
絵コンテでは、「あたい」の一人称で統一されていますが、完成版ではここだけ俺になっているので、何か意味はあるはずです。
眞人は「キリコさんだよね」と再度確認し、「この世界は僕が来たところと違うけど、似ているところもあるんだと思う」といいます。
キリコは「あたいはずーっとここにいるんだよ」と、一人称が元に戻り、また自分はここにいたのだといいます。正直、会話が噛み合っていない気がします……考察者泣かせ……。
眞人は「ぼくのしっているキリコさんはその人形のようにおばあちゃんだった」といいます。
キリコは話しに取り合わず、「へん! さっさと食べな」と話しを流します。
眞人はトイレの場所を尋ね、キリコは外にあることを示します。

眞人と一緒にこの世界にやってきたキリコは、最後には元の世界で眞人のポケットからまろび出てきますが、この若いキリコはヒミと一緒の扉から帰っていきます。
そもそもこの若いキリコの年齢は、塔が完成した時点よりは歳をとっているはず…しかし久子が異世界に迷い込んだ時期よりは若いと思うんですよね……。
若いキリコとおばあちゃんキリコが存在する理由や、帰って行く扉が違うことについては、私では考察しようがありません……。
ただ時系列が歪んでいたり、人の身体が老いたり若返ったりすることは宮崎さんは普通にやることなので、もう考えても仕方が無いことな気がします……。
ハウルの動く城でも、ソフィーが若返ったり老いたりするのに多分原理はなかったと思いますし……私が気づいてないだけで原理があったかもしれんけど。

眞人がドアから出ると、コケや植物が壁を覆い尽くしている屋外に出ます。
ドアを閉める芝居がきっちりと入ります。
俯瞰になり、眞人が出てきたのは木造船の船首部分であることがわかります。
船首には井戸があったり、小さな畑まであります。
また、後にペリカンさんの墓が掘られることになるので、土に覆われているということなんですかね……正直墓穴を掘れるほどの土の深さはないように見えますが……。

眞人は船首の隅にある小さな小屋に入ります。
ここがトイレなのでありました。
トイレの中にはランプが吊るされていて、火の消えたろうそくが吊るされています。
眞人が用を足していると、ちょうどトイレの窓から月光が差し込んで来ます。
幻想的な音楽が流れ始めます。
トイレは眞人のバストより上しか映りませんが、おそらく、あんまり綺麗なところではないと思われますね……。

・月
眞人はトイレを出て、大きな月を見上げる。
キリコの部屋が、糸杉の下にあることが俯瞰の映像からわかります。
眞人は船首の手すりに近寄り、夜の海眺めます。
海の対岸にはちらちらと灯りがともっています。
絵コンテによると、「地平線のいくつもの光がまたたく」とあります。
これが、昼間に見た船の灯りなのか、対岸には街がありその灯りなのか、判別できません……。
街があったとしても、そこに人がいるのか、それともかつての人の領域を奪ったインコの暮らしから漏れてくる光なのかはわかりません……。

眞人が月を見上げていると、手すりに一匹(一体? 一人?)のワラワラがよじ登ってきます。(絵コンテで「ワラワラにコダマ処理?」と書かれています。コダマ処理というのが業界の用語としてあるようであれば見当違いになるけど、まぁ、やっぱりジブリ内ではもののけのコダマと同じようなものとして認識されているんだなぁと思いました(笑))
ワラワラは口を開けて息を吸うと、身体が上からゆっくりと膨らんでまん丸くなっていきます。
そしてふわっとゆっくりと浮き上がっていきます。

眞人は驚きながらワラワラの姿を目で追いますが、ワラワラの浮力が足りなかったようで、ゆっくりと落ちてきます。
眞人は思わず手を伸ばして、ワラワラを手のひらで受け止めます。
眞人の手の上でふわっと弾むワラワラ。
ワラワラはにこっと笑うような顔をして、ぽよぽよと回転して、また息を深く吸います。
今度はパンパンに膨れたワラワラは、また浮き上がっていきます。
眞人は心配でまだ手を伸ばしていますが、ワラワラは今度は落ちてこずにのぼっていきます。
ワラワラは眞人に手を振り、だんだんとのぼっていく速度が速まっていきます。

・ワラワラいっぱい飛ぶ
ボロボロになった甲板をワラワラ達が駆けてきて、空に浮いて行きます。
絵コンテでは「どんなムキでも歩けるワラワラ」と書き添えられており、手すりのところまでへりを歩いてのぼっていけることが示されます。
そこへキリコがやってきて「熟すと飛ぶんだよ ここんとこずーっととべなかったんだ」と眞人に説明します。
絵コンテで「キリコはうれしいらしい」と説明されていますが、完成版のキリコの穏やかに見守る表情を見れば、嬉しそうであることは存分に伝わりますね。
眞人はキリコの説明を聞きながら、手でワラワラを上げてあげたりと、応援している様が伺えます。
ワラワラは高度を上げていくにつれて、だんだんと固体同士がライン状になり編隊のようになっていきます。
船上の梢や枝にまだ小さなワラワラがおり、跳ねたりして先輩たちを見送っています、
眞人が「みんなどこへ行くの?」と尋ね、キリコが「生まれるのさ お前が来たところさ 上で生まれるんだよ」と答えます。
眞人が「人間に?」と尋ね、キリコは「当り前じゃん」と答えます。
なんで当り前なのかわからないのですが、私達の世界で生まれる人間は、この異世界でワラワラとして生を受け、熟して飛んで無事に上までたどり着けたものなのだという摂理のようです。
しかしこの異世界が、眞人が住んでいた時代と接続されているとも限らないので、ここで飛翔したワラワラが、眞人が住む時代の人間として出生するかはわかりません。
また、どう考えても、ここで飛んだワラワラの数は、世界全体での新生児数よりも少ないはずなので、キリコの船以外にもワラワラが発生し飛び立っていく場所があるか、もしくはこの世界と同じような異世界が平行して複数あり、そこからもワラワラが飛び立っていると考えなければならないでしょう。
また、ワラワラ自体がそもそもどのように発生するかがわかりません……ワラワラは熟すと飛んでいってしまうので、ワラワラが交配することで新ワラワラが生まれるとは考えにくい……まぁ妖精みたいな感じで勝手に発生すると考えるのが一番よさそうではある……。
というか、この異世界の発生がそもそも隕石の衝突以降と考えるとすると、それ以前に世界で生まれた人間はワラワラではないの……? という疑問も生まれます。
隕石が地球に落ちる前から、隕石の中の世界と地球は繋がっていて、隕石の中に世界があったと考えることもできますが、ただ、それだとやはり何故隕石の中の異世界のワラワラと、世界の新生児が影響し合っているのかがわからないです……。
まぁ、もうここは考えてもしょうがないこととして考察を放棄します……。私の手には負えないです。

私、このシーンを見た時、眞人がワラワラを守ろうとする展開になるんじゃないかと思ったんですよ。
というのも、夏子は直人の腹違いの弟(か妹)を身ごもっていて、キリコの説明では、ワラワラは現実世界で生まれるためにこの世界で滋養を蓄えて、現実世界に向かって飛んでいくことになります。
その後のことは説明されませんが、ワラワラが現実にたどり着く=現実世界のどこかのママのお腹に宿るということになるのか、お腹の中にいる赤ちゃんにワラワラが宿って魂を持つということになるかのどちらかだと思われます。
どちらなのかわからないのですが、眞人の弟として生まれてくるはずのワラワラがペリカンに襲われたり、他諸々のピンチが生じる可能性があるため、眞人が弟もしくは妹が健康的に産まれてくるように敵に立ち向かう展開になるかと思ったんです。
そんな展開を妄想したのって、多分僕だけではないですよね…?
しかしワラワラはその後何も物語上の役割を果たさないままでござんした。
ワラワラをもっと活かす方向性ってある気がしたんですよね…君どうは、けっこう展開の変更が多かったようなので、もうちょっと活かす展開だったんじゃないかと勝手ながら思っております…。
もののけ姫でのコダマみたいな、こういうマスコットおりまっせ的な役割だとも考えられるのですが、コダマに比べたら世界観説明や物語のキーになるような描かれ方だなと思いました。
そういや、コダマも燃やされる場面があるので、その点も共有しておりますね。
まぁでも、精子のメタファーなのかなという気もするので、ワラワラ現実到着=着床のイメージなんやろか。
どっちでもいいですかね笑 でも宮崎さんの作品って、そういうところの意味づけもちゃんとあるから面白かったりするじゃないですか。

・ワラワラと箱船
空に飛んでいくワラワラは、お互いが呼び合って列を作ろうとします。
「なかにはどこに並ぶのか判らないものもいる」と絵コンテでは描かれていますが、しっかりしているワラワラと、何も判っていないワラワラとがいるということなのでしょうか。
ワラワラが上昇していく様を俯瞰で捕らえた絵がありますが、絵コンテでは「箱船とトドワラみえる」とあります。
「箱船」とは、ただ船の形状を表すだけの言葉と考えてもよいのですが、事前にこの土地が神に作られたことが明示されているので、「ノアの方舟」を意識していることの表出である可能性もあると思います。(「方舟」と表記していないため、本当にただ船の形状を表しただけの可能性ももちろんある)
私はノアの方舟について詳しくないのですが、神様が洪水で世界を洗い流すから、ノアに「でかい船を作ってすべての動物を1ペアずつ乗せなさい」と言って、ノアはそれを実行し、本当に世界が洗い流されてしまいノアとその家族と動物たちだけが生き残るといった話しだった気がします。
であると、この世界は神によって洗い流されたあとなのかもなぁと思わなくはないです。
そんな世界で、その方舟からワラワラが飛び立っていくと考えると、なんかちょっと関連性は感じなくはないですね。
方舟すら、死の象徴である杉に浸食されているところも、この世界が終わりに向かっていっていることを暗喩していると考えられるかもしれないです。
あるいは、宮崎さんがコナンなどで見せる「文明が滅びた後の世界」なのかもしれない。
文明が滅びたとしても人は生き続けるし、また新しい文化を作ろうとするというような。
そう考えたらワラワラは新しい世代の象徴なのかもしれない。

飛んでいったワラワラはらせんを描く編隊となりますが、「生まれる生命」でらせん状だと、DNAの鎖の繋がり方を想起させますね。そういや、ワラワラは一体が一人の人間として生まれるのか、何体かで一人の人間になるのかわからないですね……まぁわかってもしゃあないか……。
絵コンテでは「紡鐘型に全体燐光を」と指示されていますが、虹色に発光させようとしたところ「えげつない感じになってしまう」とのことで、薄い青色に発光する処理になったとのことでした。

キリコは「腹いっぱい食わせてあげられてよかったよ」と言い、目に涙を浮かべます。
キリコがワラワラ達を一生懸命世話をしていたということがよくわかりますね。
魚を処理するときなどは、ワラワラを邪険に扱っていたように見えたので、ギャップがある感じがします。
でも、宮崎さん、こういう、ぶっきらぼうだけと本当は優しい心根の女性が大好きですよね、マジで……。そんなんばっかですやん。好っきやなぁ。

しかし、そこへ海の向こうからペリカンが群れをなして飛んできます。
画面に向かって殺到してきて画面を覆い尽くすような映像になっているので、なんか怖い人達がきた感を感じさせます。
怖い映像を作るのが本当に上手いですね。

ペリカンたちはワラワラのらせんに突進し、口を開けてワラワラを飲み込みます。
完成版だと「パクパク」って音が入っていてわかりやすいですね。
食べられたワラワラのところから光の膜に穴があいていき、ワラワラの編隊も崩れてしまいます。
ペリカンの口の中に捕らえられたワラワラがアップで見えるシーンもありますが、ワラワラは何が起こったのかわからないような顔をしています。
ここで恐怖におびえる顔をしていると、悲惨さが増しまくりますよね……。
とはいえ捕食されるのに、?みたいな顔をしている理由がわかりません……恐怖という感情がないのか、自分が捕食されることに気づいてもいないのか……。
でも自分が食われる事への恐れがあるのだったら、逃走や防衛をしてもよい気がしますし、ワラワラにはそういう機能が備わっていないのかもしれないですね。
焼かれるときも、逃げたり怖がったり悲鳴を上げたりはしてなかったですし。

キリコは「みんな食われちまうぞ」と歯がみをします。
眞人は衝撃を受けたような顔をしている。
まぁそうなりますよね……。
キリコ、炎の鞭で何かしらの応戦をしても良さそうですけど、まぁ、どうにもできないのでしょう。
でも、そもそも日中に火の鞭で追い払うことはできていたし、ワラワラを守りたいのであれば、事前にペリカンを駆除するということもできるはずですよね。
それをしないあたり、キリコは漁以外の殺生を許されていないのかもなぁと思いました。
しかし、もともとキリコが登場するシーンでヒミが登場予定だったとのことなのですが、もしそっちで展開させていたらどんな話になっていたのかめっちゃ気になりますね……。
普通に焼き殺しちゃう気がします。

・ヒミ登場
画面いっぱいに炎が広がり、その中で髪の毛が立ち上がって波打つ場面に切り替わります。
女の子が炎を起こして、それを上に向けて放ちます。
眞人とキリコがそれを見る場面に切り替わり、天へ昇っていった炎が花火のように弾けます。
絵コンテでは「江戸時代の花火のよう」とありますが、いろんな色があるわけではなく炎がバーンと弾けるような様が「江戸時代」なんですかね……。

キリコが「ヒミさまだ!」と叫びます。
キリコが少女のことを知っていることがわかります。
ペリカンは逃げ惑いはじめますが、眞人はワラワラも燃えてしまうのを目にして愕然とします。
ヒミは何発も花火を打ち上げますが、眞人は「ワラワラが燃えている!」とワラワラへの被害に目がいってしまう。
ワラワラが燃える絵が、生々しく描かれていて衝撃的です……こんなに可愛いキャラクターが悲惨な目に遭うなんて、ジブリでも屈指の凄惨的なシーンでは。
キリコは、眞人のそんな声に気づかないのか、反応をしません。
眞人は「もうやめろ ワラワラをもすな」とヒミに向かって叫びます。
絵コンテだと、眞人が手すりから乗り出して、キリコがベルトを掴んで引き戻そうします。
また、身を乗り出した眞人と飛んできたペリカンが衝突するシーンも描かれています。
これが怪我をした老ペリカンなのかなぁ…。

ペリカンたちが退却していき、キリコは「ざまあみろ これでしばらく来ないよ ヒミ様が来てくれなきゃみんな食われちまうところだった」と言います。
キリコは「ヒミさまありがとー」と大きく手を振りますが、ヒミは何も言わずに去っていきます。
眞人はそんなキリコをよそに、心配そうにワラワラを探して空を見上げます。
ワラワラの数は減りましたが、ゆっくりと切れ切れの編隊を作って浮上していっています。
キリコは「今夜はもう飛ばないよ 飯を食え」と言い、部屋に戻っていきます。
眞人は後ろ髪を引かれる思いなのか、空を見上げてからキリコに続いて部屋に帰っていきます。
このあたり、『風立ちぬ』で、二郎が菜穂子に「生きて」と言われた後のシーンぽさを感じます。
カプローニさんについていくけれど、菜穂子が去って行った空を探してしまう感じ。

ヒミは炎をぶっぱなすだけでしたが、もうちょいペリカンだけを狙うことはできないのでしょうか……。
あと、ペリカンを焼いていいのだったら、そもそもワラワラが食われる前に駆除したらいけないのだろうか……。
それか、ワラワラが飛びそうな日が来たら、あらかじめ近くで待機しておいて食べられる前に追い払うとかだめなんですかね……。
ヒミは髪を下ろしていて、寝間着っぽい格好をしていますが、寝ていたんでしょうか……。
でも、ワラワラが飛び始めてから、家を出て船でやってきたのだとすると、ちょっと到着が早すぎる気もします。
あとわざわざ船で来なくても、キリコの部屋のかまどに炎ワープをしてきてはいけなかったんだろうか…。
まぁこの辺はもう考えてもしょうがなさそうですね……。

・老ペリカンと眞人
すでに時間が過ぎたようで、キリコが棚の中で寝ており、眞人もテーブルの下に敷かれた布団(薄そうなので身体がいたくなりそう)で横になっています。
キリコの部屋が引きで映る貴重な場面ですが、絵コンテによると、部屋にかかっているドラゴンのようなトカゲのような蛇のようなタペストリーは「もう今は無いどこかの国の海軍旗」であるとのことでした。
また、「どこかの国の商船旗」もかかっています。
軍艦だったとのことなので海軍旗はわかるのですが、商船旗はどこからきたんだ……。
また、完成版では確認できていないのですが、下にバッテリーの箱がついていて、そこから映えた棒の先に豆電球が付いている照明器具もあるようです。
完成版でさがしてみますが、私はそのような器具が実際に存在しているのを見たことがありません……。
やはりこの異世界は、いろんな国の文化が混合しているように思われます。

眞人はテーブルの下で、疲れているのに眠れないようで、目を開けています。
おばあちゃんの人形に目をやり、そっと手で触れて、「おばあちゃん達、ごめんね」と謝ります。
部屋の外で物音がし、眞人はおばあちゃん達に触れないように机の外に這い出て行きます。
今度は頭をぶつけないので、短時間だけど眞人が成長したということを示しているんですかね。

眞人は十能(火かきのショベル? のようなもの)を手にして、ドアのガラス窓から外を覗きます。
トイレのそばで、傷つき出血しているペリカンがもがいているのが見えます。
ペリカンが落ちてくるの、タイムラグありすぎでは? もう飛ぶの無理だったっぽいレベルの怪我をしていると思うので、眞人が感じた物音がペリカンが落ちた音なのだとすれば、あの出血で眞人が飯を食ってキリコが眠りにつくまでの間飛んでいるのは不可能では……。
眞人はペリカンが逃げていった後に空を見上げているので、この辺にはペリカンが残っていないことを確認しているはずなんですよね……。
なので、いったんどこかへ逃げ去ってから、ここに戻ってきているということになってしまう……。
まぁ、ヒミのファイアーですでにこの辺に落ちていて、眞人が気づいた物音はもがいて飛び立とうとした音なのだと考えたら、一応理屈は通るのですが……でもそれは考えにくそう……眞人たちが部屋に戻るときに気づくと思うし……。
あたりにペリカンが船上をのたうったような血痕もないので、ずっとここにいたか、ここに着地したかだと思うんですよね。
もう考えません!

眞人は外に出てペリカンに近づくと、ペリカンは「ひと思いに殺せ 翼が折れた もうとべぬ」と日本語で話しかけます。
眞人は「ワラワラを襲ったりするからいけないんだ」と怒りを露わにします。
ペリカンは「わが一族はワラワラを食うためにこの地獄に連れてこられたのだ」と身の上を語り始めます。
ペリカンの顔がアップになりますが、吹き出物やかさぶただらけの顔で、目は白濁しています。
この「白濁した目」なのですが、後に登場する大叔父と同じ特徴です。
なので、眞人から見るとここでの老ペリカンは大叔父に似た存在であり、この後大叔父との接し方はこの老ペリカンから得た印象を基にしている部分があると思われます。
殺すことはできないが、丁重に葬らなければいけないと眞人は思っているはずです。
この海には餌になる魚が少ないため、ペリカンは飢えて、翼の続く限り餌を探したが、いつもこの島に辿り着くだけであった。
若いペリカンは飛ぶことを忘れ始め、ワラワラを食べるしかなく、火の娘(ヒミ)がペリカンを焼く……そんな呪われた海であると言い残して、ペリカンは力つきます。
眞人は、老ペリカンに胸を打たれたと絵コンテでは書き添えられています。
いろいろな人がみんな事情を抱えながら、時に汚れながら生きているのだということを学んでいるのだと思われます。

青鷺が突然飛んできて、「ナムアミダブツ立派なペリカンでしたな」と合唱します。
半分おじさんモードの青鷺は飛べない認識だったのですが、ここでは普通に飛んでいるように見えます……が考察しても仕方ない気がするので、考えません……。
「南無阿弥陀仏」は仏教の一部宗派で唱えられる念仏なので、青鷺には仏教の教養があるか、日本で一般的に唱えられる念仏があることを理解していることがわかります。
また、「神様が作った世界」において仏教の念仏を唱えてよいのか、ということなどが考察対象になると思うのですが、宗教の知識が皆無なのでスルーさせていただきます……。
ただ、青鷺がペリカンを、恐らく同業者として一定の敬意を払い弔うような心は持ち合わせていることもわかりります。

眞人は、青鷺を警戒しているようで、青鷺のヌケバネをポケットから出して示します。
青鷺は「まだお持ちでしたか」と気まずそうにしますが、眞人はそのまま部屋に戻っていきます。
青鷺は羽ばたきながら眞人に追いつき、「夏子さまはここにはいませんぜ」と言い、眞人は「知ってる」と青鷺を見もせずに返します。
この世界に夏子を探しにやってきたのだということを観客がやっと思い出させられます……。
青鷺はずるそうな顔で「ご案内しましょうか」といいますが、眞人は立ち止まって「自分で探すからいい」と決然と言いすてます。
眞人は歩き出し、青鷺が「ねぇだんな」と言いますが振り返りもせずに部屋に入ります。
青鷺は「なんて生意気なガキなんだ!」と怒りますが、眞人はシャベルを持ってまた外に出てきます。
この際、眞人は部屋を出入りする際にちゃんとドアを閉めます。
1カットで2回もドア開閉があるので、やはりドアの開閉がちゃんと描かれる映画だなぁと思います。
すぐに戻ってくるなら開けっぱなしにしといてもよさそうなものなので。
眞人は青鷺には構わず、船首の方へ行きます。
青鷺は「埋めるの……?」と信じられなさそうな顔をして眞人を見ます。
眞人は穴を掘り始め、青鷺はそれを手伝わずに、ただ座って眺めています。
青鷺は、ペリカンに手を合わせはするけれど、埋葬をしようとまではしません。
青鷺はおそらくこのような非業の死を多く見ているし、そもそもペリカンがワラワラを食うのは食物連鎖だろうと割り切っているはず。
しかし眞人は、ペリカンに感情移入してしまっているし、母の死やらワラワラが食われているところに直面したりと、おそらく死への向き合い方が大真面目なので、このように自分ができるような弔いはしようと思っているのでは無いかなぁと思われます。
それは、この直後に、青鷺が水汲みの「仕事」には協力しているので、眞人もおそらく死生観が異なる青鷺に埋葬を手伝わせようとしていないことから、この二人の行動が死への向き合い方がそのまま現れていると考えられます。
ただここで惜しむらくは、眞人が大叔父に、なぜ世界をこのような成り立ちにしているのか突っ込むシーンがないところ……作品の意図とは違うのだけど、観客が感じているわけのわからなさは、体験している眞人こそ痛感しているはずなので、当然の疑問を持っていないと違和感があるし、やっぱり伝わらないと思うんですよね……。
眞人は、訳知りな青鷺に、普通に疑問をぶつければいいとは思うんですよね……。
まぁそこはもう考えても仕方が無い……。

・井戸汲み青鷺眞人
青鷺が眞人に井戸の水くみに付き合わされているシーン。
青鷺の身体にロープがくくりつけられていて、青鷺がバケツを引っ張り上げます。
眞人は青鷺使いがあらいです。
でもおっちょこちょいな一面を見せた、という感じがしないではない
なんか憎めないちょっと阿呆な男の子なんだよな、と思われる。
眞人は青鷺になぜか心を開き始めている感じですね。

青鷺はぶつぶつ文句を言いながら、「夏子さんが食われちゃってもしりませんぜ」と告げ、眞人は「おまえも僕の心臓を食うって言ってたよ」と言い返す。
眞人はバケツを井戸に放りますが、青鷺が思いっきり引っ張られて引きずられます。
眞人はそれを狙ってやったわけではないので謝りますが、青鷺は倒れ込んでいる。
眞人は青鷺の羽根を突き出しながら「ほんとうのことを言え 夏子さんはどこだ」と言う。
昨日は自分で探すからいい、とつっぱねていたのですが……。
まぁ、本心では自分で探そうにもアテがないし、青鷺に頼るしかないと気づいたということでしょうか。
青鷺は足の爪を使って鋭いけりを放ち、眞人はそれをかわします。
眞人が羽根をちょっとちぎると青鷺は痛みにもだえます。
眞人は「そんなにちぎってないよ」と青鷺を心配して近寄りますが、青鷺はスキをついて回し蹴りを放ちます。
眞人はそれを飛び退いてかわしますが、その際に羽根が完全にちぎれてしまう。
青鷺が倒れ込む仕草が面白いですね……劇場で子どもが笑っていた気がします。

・バディ誕生
不揃いの3つのカップそれぞれにお茶が注がれます。
(この世界に茶葉もある、ということですよね……茶葉があるのはもちろんですけど、場合によっては燻製だったりもされているということだと思うのですが……)
キリコが眞人と青鷺に「ろくでもないお茶だけどこれを飲んで仲直りしな」と言います。
ちなみに二人がお茶を口にするシーンは含まれておりませんでした……。

青鷺は「これはケンカじゃありません」と言い、眞人はこいつは嘘つきでずるい 夏子さんをさらったに違いないと言います。
青鷺は「私にはそんな力はありません ずるいのは私共の生きる知恵です」と言います。生きる知恵ってのがなんなのか、正直わからないのですが……。
ただ、この後のシーンで青鷺は、インコを誘い出すためにある行動をしますが、動物の中には、仲間や子孫を守るために特殊な行動を取るものがいます。
これはその種は親から教わるなどをしていなくても習得している特殊な本能なのだと思われますが、そういった、誰かから習うでもなく習得している行動のことを広く指して言っているような気がします。
ただ、青鷺が夏子さんに何をしたのかは、明確にはわからないんですよね……。
夏子失踪に青鷺がかかわってはいるけれど、直接的に何かをしたというわけではないってことでしょうか……。
夏子を引き入れたのには、大叔父か「石」「墓」の石が介在しているということでしょうか。

キリコは二人の意見が一致しないのを見て、「すべての青サギは嘘つきだと青さぎが言った それは本当かウソか」と言います。
「全てのクレタ人は嘘つきであるとクレタ人が言った。これは嘘か本当か」という有名なパラドックスですね。
青サギが「本当!」と言うのと、眞人が「ウソ!」と言うのがほぼ同時でした。
二人の意見が一致しないのを見てキリコが大笑いします。(このシーンで笑いが起きているところ見たことないし、私もそんなに面白いとは思いません……)
キリコの後ろにある棚に置かれたおばあちゃん人形達も笑います。
あと、キリコがこのシーンから急におっぱいが大きく、谷間がちらちらと見えるようになっているんですよね……。
どうしても作中に巨乳を出さなければ気が済まないという、狂気じみた執念を感じます……。
キリコは「あんあたちお似合いだよ、二人して夏子さんを探しに行きな」「あたしはワラワラの世話があるし、おやかたさまが案内しろって言ったんだろう」と言います。大叔父の呼び方もちょいちょい変わるんですよね……。なんかそこに天皇っぽさを感じます。
二人はちろっと目線を合わせますが、不服そう。
キリコは「油断せずに力をあわせていっといで」と言う。
二人はフンッ、と言って顔を背けます。

プロデューサーの鈴木敏夫さんは、眞人と青鷺のやり取りを「宮さんと僕の普段の会話そのままなんですよ」と語っておられました。しかも2019年とかのラジオでのことなので、このシーンはだいぶ前からこの状態で固まっていたということですね。
鈴木さんが、青サギは自分がモデルだと気づいたので、「宮さん、この青鷺ってモデルはいるんですか?」と聞くと宮崎さんは『鈴木さんじゃないですよ!』って答えたという話をしておられました。

・二人の出発
船の内部の苔むした水路で、キリコが眞人に道を示しています。
小さめのワラワラがたくさん見送りに来ていて、苔から「出てくる」と絵コンテに描かれています。
やはりワラワラは、いきなり「発生」するものなのでしょうか……。
また、「ワラワラは太陽光がキライ」という習性があることも絵コンテで書かれていました。
青サギはワラワラをシッシッと追い払っています。

キリコが眞人の手に、おばあちゃんキリコの泥人形をお守りとして渡します。
眞人は「また会える?」と聞きますが、キリコは「さあな」とそっけない。
眞人はキリコに「ありがとう!」と言って抱きつきます。
青サギはちょっと慌てた仕草をしますが、キリコは「しっかりやんな」と、眞人を受け入れます。
どう考えてもこの直前のシーンでキリコは巨乳化しており、眞人は胸に顔を埋めています。
絵コンテではキリコの肩ぐらいの位置に眞人の頭があるのですが、完成版ではどう見ても乳をめがけて眞人は突進している……。
また、キリコは眞人を抱き返したりしないし、絵コンテでは「抱かれてやってる」と書かれています。
ここでキリコの考察なのですが、宮崎さん本人の証言としても、キリコのモデルは、保田道世さんであると語られています。
『出発点 1979~1996』に収録されている『ある仕上げ検査の女性』という章は、この保田さんのことを書いているとしか思えないのですが、そこで宮崎さんは
「名まえは申し上げません。が、とても素敵な女性です。実は、ぼくはその人のファンでして……こんなことをいうと誤解を招きそうですが、もし招かれるならそう願いたいくらいでして(笑)、そのォ……かつて美人でした(爆笑)」
とめちゃくちゃキモいことを言っていたりするのでした。
宮崎さんはそんな風に思ってらっしゃるけれど、保田さんにはご家庭もあったし、宮崎さんも家庭があるし、多分二人はそういう関係ではなかった……と信じたいです。
ただ、おそらく、宮崎さんは保田さんに好意があったことを隠さないし、保田さんに甘えるようなところもあったのではないかと想像します。
また、保田さんもそれをわかっていて、宮崎さんを受け入れていたんじゃないかなぁ……と思います。
大人になると、男女共に、性的な関係は持たないけれど、友達以上の甘え方をするような相手がいたりすることってありませんでしょうか……そういうものの一つの形が、宮崎さんと保田さんにもあったんじゃないかと思います……想像ですけど……。
だから抱きつくし、キリコさんは抱き返さないが抱かれてやるし、おそらく眞人も抱きつくぐらいの甘えは許されるだろうと思って行動に出ている。
眞人がキリコさんに抱きつくところちょっとキモい気がしましたけど、多分眞人は母親に甘えることができずにいた時間が長かったので、まぁ仕方ないことなのかもなという気がしますね。

眞人と青サギが、水路に沿って旅立っていくところを、キリコとワラワラ達が見送ります。
ワラワラが飛び跳ねたりしててかわいいです。
また、青鷺が最後に振り返ってキリコにお辞儀をしてから歩き去ります。
絵コンテではその芝居までは指示されていません。
青サギも、悪いやつではないんですよね……こういう人物造形が絶妙な気がします。
その人物をどう捕らえて良いかわからないままになりますよね。
でもまぁ人間って本来は、簡単に捕らえられるものではないので、それがいいような気がします。

なんかよくわからない洞窟っぽい空間から、眞人と青鷺はキリコに見送られて旅立つ。
火が強く焚かれる部屋の机の下で過ごすのは、胎内のモチーフだったのだろう。
こけの蒸した、水に溢れる空間は産道と考えてよいので、ここで眞人は「生まれ変わり」を経験したと言えます。
ニュー眞人と青サギの旅の行く末や、いかに……。

ここでCパートは終了します!
Dパートに続きます。
あと、以下、シュナの旅とナウシカ漫画版のネタバレについて書きます。

・神人の土地
シュナの旅のネタバレ要素で、君たちはどう生きるかとの共通項っぽいものについて書きます。
神人の土地に辿り着く場面が、眞人が異世界に降りてくる場面と絵が似ていることについて書きましたが、神人の土地の設定も、この異世界と共通するような描写が複数あります。
シュナが暮らす場所では、食べるための小麦があるけれど、それはすでに死んでいるため植えても芽を出すことがなく、食用にしかなりません。
世界は困窮しており、奴隷の売買も盛んに行われています。
シュナは生きた麦を手に入れることができれば、それを栽培して多くの食糧を生産できると考え、生きた麦を探す旅に出ます。
その中で、「人は人間を神人に売り 死んだ実をもらうようになった」という話を聞きます。
この辺、君どうでの老ペリカンが語る世界の成り立ちの話にちょっと似ているような気がします。

シュナは崖を降りていき神人の土地に辿り着きますが、そこは「すでに滅んだ生きものたち」がたくさんいます。
ナウシカで似たような場所が出てきますし、君どうでの大叔父がいる場所もそんな場所ですね。

神人の土地は綠が豊かで平和な場所ですが、巨大な「奇怪な建造物」があり、それは石でも金属でもなく、あたたかくて不思議な弾力がある物体でした。
シュワはそれを「あれは建造物なんかじゃない 生きものだ たしかに息づいていた」と判断します。
この下で書く、シュワの墓所のような物体と考えられます。
その建造物のもとに、夜になると空を飛行する「月」がやってきて、建造物の上部に人間を大量に吐き出します。
神人が人間を買い漁っているという話は事実だったのです。
建造物が身をゆすると、建造物を中心に掘られた水路に光を放つ水が流れていきます。
直接的ではありませんが、人間を原料にした光を放つ水が、生きた小麦を産むために使われているという恐ろしい事実を目の当たりにします。
水路から緑色の巨人が立ち上がって、水路の周りに麦の種を吐き出していきます。
朝日が昇る頃には麦が実り、シュナは金色の生きた麦をもぎ取って神人の土地を立ち去ります。
巨人達はシュナを追跡しますが、シュナの逃亡劇は、シュナが神人の土地と人間の世界を隔てる崖に辿り着こうとして海に飛び込むところで終わります。
その後、シュナは人間の土地に戻りますが、言葉を失った廃人になっており、ただ生きた金の麦だけは大事に持っていました。(一応書いておくと、シュナはいろいろあって言葉を取り戻し、金の麦を栽培することに成功します)

多分、君どうで大叔父が契約した「石」も、意志を持った生きものなのではないかと思われます。
また、大叔父の世界も、恐らくですが、現実の世界から人間を連れてきているのではないかと思ったりします……。
石も、神人や、この後に書くシュワの墓所のように、過去の叡智がたくさん詰まっているような存在なのではないかと思うのですが、それが大叔父に何を与えているのかあんまりわからないし、大叔父が何の目的を達成させるために大叔父と契約をしたのかよくわかんないんですよね……。
まぁ、その辺は考えても仕方が無いことですが、恐らく、大叔父は現実世界での人間の愚かな振る舞いを見て、その人間の手が及ばない場所で争いの無い世界を作りたいと思っていたんじゃないかなぁと思ったりします。
とはいえ、インコは人間を食うし、ペリカンは飛ぶことを忘れるし、インコは大叔父を失脚させようとするし、何も上手くいっていない気がしちゃうんですが……せめて大叔父が、何か功績を作っていたり、周りから尊敬されてしかるべき善行をしているところが示されていれば良かった気がするんですけど……まぁよくわかんないっす。
もうちょっとシナリオとして成り立つような作りをしてもよかったよね、とは思います。
人間をいったん滅ぼす(浄化)してから新しい理想的な世界を作り直そうとしていて、その手段としてインコやペリカンに掃討させてるって話なんだろうか…。

「神人は人が近づくことを喜ばない」ということが神人の土地を知る者の口から語られていたし、シュナの「神人は人が近づくことを喜ばない」というモノローグもあるのですが、これは後にヒミが「石は私達が来たことをよろこんでいない」と語るところ、「喜ばない」という言い回しが一致していることがわかります。
なので、厳密にどういう存在なのかが明かされない点も共通していますが、シュナの「神人」と、君どうの「石」「墓」は恐らく似たような存在なのだろうと思います。
ナウシカでも「旧世界の遺産が残る隠された土地」が出てくるので、宮崎さんの中には、そういうイメージソースがあるのだ思われます。

また、人間を溶かして麦の原料にしてしまうところなどは、世界に生まれにいくはずのワラワラをペリカンが食い散らかすところとも似ているかなぁと思います。
とはいえ、ペリカンがいる意味がわからないし、ワラワラを食ったペリカンが食物連鎖でこの後だれに捕食されるのかもわからないので、まぁ君どうの世界観設定を突き詰めて考察しようとしても無駄なことがよくわかりますね……。

・シュワの墓所
ナウシカにおけるお墓、シュワの墓所ですが、旧い人類が作った存在です。
ナウシカ達は毒にも耐えられるようになった新世代で、ナウシカ達は世界が清浄化されたとしたらその環境では生きていくことができない存在です。
ですが旧い人類は、自分たちが生きていけるような世界になるまでは、新世代の人間の協力者を必要とします。
墓所は旧世代の人類が叡智を沢山蓄えた存在であるようで、それこそ世界を作り替えるほどの技術力も保管されている、とてつもなく貴重で賢い存在であると言えます。
ただ新世代の人間の代表ナウシカとは思想が合わず決裂、ナウシカによって破壊されてしまいます。まぁそのあたりは世紀の大傑作であるナウシカ本編を読んでほしいとしか言えないです……。
このシュワの墓所は土鬼という部族によって守られていて、神聖皇帝が治める宗教を信仰しており、墓所はその聖地にあります。そういえば神聖皇帝って名前は聞くけど宗教の名前はわからないな……。
神聖皇帝は、墓所の主から知識の提供を受けるなどの恩恵があり、その見返りに主の思惑通りに動くといった存在だったはずです……確か……。
この構図から考えると、大叔父は石と契約していますが、おそらく墓の主と石は繋がっているため、神聖皇帝に近い存在と解釈できます。
眞人は大叔父や石を否定する、ナウシカに近い存在と解釈できます。

また、墓所は旧人類が遺したものという設定なので理解しやすいですが、君どうの石の出自はよくわかんないですよね……宇宙から飛来したものなので、地球外生命体が遺したスーパーチート知識とかパワーを秘めているということなのでしょうか。
石が大叔父に何をさせたいのかもよくわからないんですよね……石の中の世界を整備して、人間か、それに近いぐらいの知能を持つ生きもので満たさせたいってことなんですかね。
でも、墓所が、旧い世代の人間が生きていける世界になったら旧人類を復活させる目的があるのに対し、石がなぜ世界を作らせようとしているのか理解ができないです……。
また、主はナウシカを使役しようとしたけれど、それは神聖皇帝が没しナウシカが代役を務める資質があると判断したからですが、大叔父が石からどんな素質を見込まれているのかもわからないですね……
だって、インコだらけにして世界がめちゃくちゃになってるし、自分の跡継ぎもうまいこと探せてないし……。
まぁ、「石が何をさせたいのか」「石は大叔父のどこを見込んだのか」は考えてもしゃあない気もしてきましたね……。

宮崎さんはハウルの動く城で、ハウル役を務めた木村拓哉さんに「ハウルは星にぶつかった少年なんだよ」という、わかるようなわからないような情報を与えたと言いますが、大叔父も星≒隕石と出会って変わってしまったようなので、ハウル的と解釈してもよいかもしれません。
ハウルも、戦火を上空から眺めて、特に何もせずに帰って行くシーンがあったので、似てるかもしれないですね。
そう考えると、大叔父も開戦に向けて動いていく日本=世界が嫌で、隕石の中の世界に逃げ込んだと考えることができますね。じきに火の海になる世界だぞ、って眞人に言ってたし。

 - ジブリ作品, 君たちはどう生きるか, 映画

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