てやんでい!!こちとら湘南ボーイでい!!

映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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【syrup16g全曲の考察と感想】HELL-SEE

      2019/07/15

『HELL-SEE』4thアルバム。2003年3月19日リリース。

定価1500円で販売された異色のフルアルバム。
五十嵐さんの強い要望によって実現した低価格リリースだった。
低価格ゆえ、メジャーデビューからの『クーデター』『ディレイド』のような凝ったサウンド・プロダクションは期待できない……それどころか、音質が良いとはお世辞にも言うことはできない。
ガレージ同然の環境で録音されたそう。
たがしかし、劣悪な環境で録音し、録音後の編集でもあえて過剰な整音をしないという手法自体は、よくあるもの。
ローファイと呼ばれ、90年代に起こった志向性だが、それを狙ってやることで生々しさが出ることもあるのです。
また、2001年に起こったロックンロール・リヴァイヴァルもあり、この時代は「荒々しい音で鳴らすロック」がメインストリームの一潮流としてあったのも、少なからぬ影響だったのかもしれない。
この荒々しい音と、楽曲のテーマは不可分。
アンチ・プロデュースとでも言うべきコンセプトは、音のみならず、言葉にも表れている。
歌の収録直前に、田中宗一郎氏と対話したことによって、「自己検閲しない表現」をやりたくなったという。
「美味しいお蕎麦屋さん」のラインなどは、そんな着想から生まれた五十嵐さんにとってリアル/他者にとってはファンタジーとなる表現である。
しかし「お蕎麦屋さん」や、最終曲の『パレード』などのようにカタルシスが訪れる瞬間はごくごく少なく、基本的には後悔と、社会から疎外される苦しみと、死という選択肢を現実的に検討するしかない敗者の絶望が歌われる。
しかし、具体的に、何を悔いているのかが語られる場面は少ない。
ほとんどレコーディングブースは、告解室の様相を呈している。
真っ赤な懺悔室のようなアルバム。
迷える(迷いすぎてる)子羊五十嵐さんの告解を聴かされているような感覚……聴いているこっちの精神も参ってきてしまうような。
しかし、これだけのものを吐き出し尽くしても、五十嵐さんは未だ救われなかった。
それはその先のキャリアを辿ればわかることではある。
五十嵐さんが「何を歌ったのか」を、出来る限り考察してみる。
そうすることで、逆に「何を歌わなかったのか」を推察しようという試みだ。

タイトルは「地獄・見る」と「健康」のダブルミーニングです。
シロップはダブルミーニング大好きですね。
「生きるって地獄なんですよ、普通に考えると。そこをちゃんとドキュメントしたいっていうことと、そこに、何だろう……。その海の中に浮かんでいる船から見た月、みたいなものを作りたいのかな。ちゃんと地獄の中に漂っていたい、っていうかさ」
と解説されているので、どこかしら「海」のようなフィーリングもあるのだろう。
寄る辺の無さというか、どこにも岸が見えないところを小舟で漂流しているような心細さがある。

ちなみに、配信されている楽曲がリマスター前のものなのか、それともリマスター後の音なのかはわからないです……。
あの荒々しいサウンドが僕の中での『ヘルシー』なので、リマスター後のものは聴きたくないんです……。
いや、一応1曲目の『イエロウ』はさらりと聴いたんですけど、あんまり違いはわからないです……。
ただ、アーティストの意図通りに聴くのが最善だと思うので、最初に聴くのはリマスター前のがいいと思いますよ。僕は。
僕はこのアルバムがとても好きで、僕の「日本のロック・ポップアルバムベスト150」では60位にしました。
ところで、アルバム発売時は、赤いプラスチックケースに収納されたものと、ライヴ音源を収録した8cmCD付きの紙ジャケット版が同時発売された。
シロップが解散して再結成するまでの間、シロップのCDの人気が全然なかったようで、ブックオフに行くとよく500円で見かけていました……。
私は買いまくってしまい、紙ジャケ版を三つも持っています。

アルバム全体として、ポリスの『シンクロニシティ』から取ったと五十嵐さんは公言している。
でも実際聴いてみると、そこまでシンクロニシティシンクロニシティしていない感じはするが……何曲かは、リフやメロディを引用しているのは確かたが。
あと、インタビューでは「今ラーズがきてんだよ」とも語っていたけど、ザ・ラーズらしきメロディやフレーズは見つけられず……。
シロップが引用をする際、音をそのまま持ってくるのではなく、自分流に消化しながら作っていくというフローになっているのかもしれない。
それはミュージシャンがよくやる手法です。
ニルヴァーナの大ヒット曲も、カートがピクシーズをコピーしている時に思い付いたものだそう。

ジャケットは真っ赤に塗りつぶされているのでよくわからないが、高原のようなところに羊がいる写真を使っていると思われる。
遠くには、たがいに近寄って群れている羊が数匹いるが、そこから離れてポツンと遠くを見ている一匹の羊にカメラは寄っている。
歌の中に「メェ」なんて出てくるけれど、五十嵐さんはおそらく自分のことを、牧羊犬(キリスト)なき世界に放り出された迷える子羊としての自分を表現しているのではないだろうか。
生きるよすがを見つけられない羊が、音楽を通して懺悔している……それが僕がこのアルバムに持つ印象。
それにしてもこのジャケットは、印刷の精度もあまり高くない……この、安っぽい紙に印刷されている感じも、非常にヘルシーである。

1.イエロウ

曲は『シンクロニシティ』の一曲目にしてタイトル曲と近いように思う。

ギターのリフと、ドラムのブレイクの入れ方は、シューゲイザーバンドのチャプターハウスの『Inside Of Me』かなー。

にしてもかっこいいです。
五十嵐さん、シロップが雌伏の時期にパンクロックが流行していたせいか、ここまであまり「パンク」要素は出してこなかったが、ここではさく裂しているっすね。
最高です。
シロップのアルバム一曲目って、ほんとに良いですよ。

『イエロウ』というタイトルは「イエロー≒黄色」かと思うのですが、「奇妙な黄色い糸」という歌詞とは何かしら繋がるのかな……なぞ。

“掃除、炊事、洗濯が 趣味な俺は 優雅に地味な根性を操る”

家事好き男子である、ということはよく伝わります。
でも「優雅に」「地味な根性を操る」は不明……。
家事が趣味、って言うのが地味ってことなんですかね。
何が優雅なんだ。

“誰かと同じことはしない クスリでいつでも酒気帯びさ 寝てらんないからまどろめば 幻さんからお手紙さ”

「誰かと同じことはしない」って、自分がポリスを引用していることへの皮肉なのかな……。
それとも、その後へ続くラインから考えて、「他の人と同じことができない」ことを言い換えているのでしょうか。
薬でいつでも酒気帯びってフレーズ強いわ……。
「幻さんからお手紙さ」って、「声が聞こえたら神の声」と同じこと言ってますよね。

“予定調和に愛を 破壊に罰を 誹謗中傷に愛を 仕事しようよ”

「誹謗中傷」って、少なからず「2ちゃんねる」を揶揄しているんじゃないかなぁ……。
00年代初頭って、匿名掲示板である2ちゃんねるが良くも悪くも話題になっていて、メディアからは「誹謗中傷も平気で書き込まれている」ということが批判されていたのです。
このアルバムのインタビューでも「2ちゃんねる」への言及はあったし。
実際言及するということは、五十嵐さん、2ちゃんねるを使ったことはあったってことですよね……。
何の板を見ていたんだろう。
そう言えばこの曲で「思われ」って言い回しがあったことについて「発表当時、2ちゃんねる言葉ではないかと話題になった」ってウィキに書いてあった気がする……。
「仕事しようよ」は、ネットなんかやってないで仕事しようやって皮肉なんですかね。
「予定調和」の「予定」を作り上げた人に対して「破壊も誹謗中傷もはびこってるじゃねえか、ちゃんと管理(仕事)しろ!」という怒りなのかも……とも思ったり。
『手首』で歌い上げたような告発ですね。

“死体のような未来を 呼吸しない歌を 蘇生するために 何をしようか”

「未来」が「死体」みたいなのは、おそらく、昨日も今日も未来のための行動をとらずに「楽する」ことを選んだからでは。
でもここでやっと、未来を蘇生しようとしている。
ということは、未来のための行動を取れるようになったということです。
この時期のインタビューでも、音楽活動を頑張ってる旨の発言はありましたからね……えらいでたかしくん。
「呼吸しない歌」って何なんだろう……これまでに作ってきた歌ってことなのかなぁ。

“スキルが無いから好きにしたい”

これも自分たちのことを言っているんですかね……でもキタダさんはもともとプロの方だし、中畑さんも、天才ドラマーのアヒトイナザワさんのバンドに招かれるくらいなので、すごいスキルがありますよね。
残る五十嵐さんは……スキルは別に無いよなぁ……。
ちなみに、ポリスはメンバーに、プログレバンド参加歴があったり、ジャズで腕を鍛えた元音楽教師がいたという超絶ハイスキルバンドでした。
にもかかわらず、技術無用なバンドが跋扈していた時代に合わせて、演奏が下手な振りをしたというヘンテコな経緯を持つ人々です。
実際のポリスの演奏力の高さがうかがえる曲がこちらかと。

“サカリがついたら逆恨み”

五十嵐さんの性嫌悪感がありそうなワード……。
「サカリ」って、性的欲求をちょっと動物的にたとえた言い方だとは思うのですが、それは“猿の交尾中”にも通じる感性から出てきていると思います。

“心が無いから試みない”

“心がない 感情がないとか言ってさ”と、同じことを言っていますね……。
試みるというのは、挑戦するといった意味かと思うんですけど、きっと以前の五十嵐さんは挑戦をしてこなかったのでは……。
でも、1500円でアルバムをリリースするのって「挑戦」だと思うんですよね。
だから多分、この詞を書いている時点では「試みている」。
五十嵐さん、アルバムの一曲目で歌ったことを裏切るように曲を配置していくな。
「いろいろな自分を主張したい」という欲求の現れなのでしょうか。

“誤解が尽きたら後悔したい”

「後悔」じゃなくて「瓦解」って歌ってるのかと思ってました……。
後悔したいって、どんなセンスやねん。
それにしても、このアルバムは後悔の念でべっとり塗りたくられています……。
何でこんなに苦しそうなんだろう。

2.不眠症

激重でしょう……まじで世の中、こんあに重い曲ってなかなかないです。
学生の頃、バイトをバックれてそのまま辞めた日に、この曲を一日中聴いていた日があった。
具体的な状況は語られず、言葉の繰り返しが多い。
そして曲はフレーズを繰り返しながらじわじわと展開していき、最後には五十嵐さんの歌声も泣きだしそうな叫びに変わっていく。
凄い曲ですわな……。

“この間 俺はまた でかい過ち犯したんだ それはただ時が経ちゃ 忘れてく問題だろうか それは無いな今もまだ 空っぽのままで生きてるよ”

これが何のことを歌っているのか、本当にわからないんですよ……。
ただ、『ヘルシー』発表後のインタビューでは
「人が本気で傷つくのって、恋愛の時じゃありません? 僕の実感では、それ以上にヘヴィだったことはないですねえ。生ヌルい人生歩んでいるのかもしれません」
と語ってもいるので、恋愛で何かあったという可能性が高そうではあるけれど……。
ただ、この曲を聴くだけでは、何が起こったのかをうかがい知ることはできない。
いけずですよ、五十嵐さん!
けれど、「過ち犯した」というからには、五十嵐さんの言動が起因となってしまったということなんでしょう……。
まぁ、五十嵐さんは自分を責めすぎる人なので、五十嵐さんにはどうにもできなかったことを「俺のせいっす」と悔いているのかもしれないけど……。
あるいは、佐藤さんに脱退を迫ったことを悔いているって線もなくはないかなぁ。
後々になっても、そのことへの後悔は度々語っているので……。

“こんな気持ちはもういいよ くるったままの遠近法”

いや、人間がどん底にいる時の心境を、めちゃくちゃ完璧に言葉にしてますよね……。
音としても完ぺき。
でも、遠近法ってなんでしょうか……。
心理的なショックって立ち眩み、めまいを覚えている?
もしくはこれは頭の中の話で、過去=遠い・現在=近いという感覚が崩れてしまい、離別した相手との記憶がフラッシュバックしまくってつらいって話でしょうか。

“夜になるたびwaiting for のた打ち回って不眠症”

いやこれめっちゃわかるっす……。
夜ってめちゃくちゃ寂しくならないですか?
僕は学生時代とか、仕事をしていない時期とか、けっこう夜行性で生きていることがあったんですけど、夜の寂しさがすごい。
夜は出かけても人がいないからなのか、やることがないからなのか、人に連絡しても返ってこないからなのか……と考えたけど、どうもそれだけではなさそうなんですよね。
夜は孤独感が際立ちます。

“さよなら さよなら さよならって聞こえねぇよ さよなら さようなら さよならって聞こえないね”

さよならが聞こえないってことは、やっぱり人との離別についての後悔を歌っているんだろうなぁ。
しかも「聞こえない」ってことは、相手とコミュニケーションが取れない状況に陥ってしまったってことなんじゃないかなぁ。
しかしやっぱりわからん……。
人間関係って、断絶が一番つらいですよね。
相手に言葉が届いているのかわからない。
ボールを投げたのに返ってこない。
これはなんでもそうか。
自分の中に思いが募っていく一方という状態が一番つらいですね。
仕事とかでもそうですよね。
意見が届かない、届いてもなしのつぶてで何もリアクションがない。
リアクションがないことがわかると、ボールを投げることができずに、感情が自分の内部に蓄積されていく。

“うるせぇてめぇ メェー”

誰への「うるせえ」なんでしょう。
一曲目でいう「まぼろしさんからのお手紙」なのかなぁ……つまり幻聴。
実際に幻聴が聞こえてくるわけじゃなくても、頭の中で自分を責める声だったり、慰める声がしていて、そこへ対する反発心なのかも。
もしくは五十嵐さんが悔いる失敗について、意見をしてくる他者がいるか……。
もしかすると、お蕎麦屋さんを教えてくれた人がそうなのかもしれないですけど。

「メェ」については眠れないから羊を数える、ということで、羊の泣き声を模しているんですかね……。
そう、羊飼いというのは、100匹のうち1匹の羊が群れからはぐれても、その1匹を見つけるまで探し続ける人……というモチーフで語られます。
五十嵐さんは「俺群れからはぐれている(というか追い出された)けど、羊飼いさん見つけてくれい」という想いを、羊語で言っているのではないでしょうか。
果たして羊飼いは五十嵐さんを見つけてくれるでしょうか……と思ったら、同じく迷える子羊たちが集ってきて、あろうことか五十嵐さんを羊飼いとして崇めるようになってしまいました。

僕は山羊と羊の違いが判らなくなることがあって、五十嵐さんのあごひげは羊っぽいな……と思ったのですが、ひげは山羊のほうでした。
羊は全体がふわふわですね。
ところで山羊といえばアルプスの少女ハイジ、面白いですよ。
みんな観てみてください。
心が洗われます。

3.Hell-see

変なイントロですよね……好きです……。
うつろな声のコーラスも恐い。
ほんとにダウナーなアルバムですよね。

“戦争は良くないなと 隣の奴が言う 適当なソングライターも タバコに火を点ける”

「誰でも言えるようなこと言ってんじゃねぇよ」ってことですかね。
少なくとも戦争や武力の脅威にさらされていない日本でのんきなこと言ってるなよ、って話だと思います……何度か書いてるけど、五十嵐さんは改憲派の石原慎太郎さんや小林よしのりさんに惹かれる部分もあるようなので。
また、「戦争は良くない」と言うにしても、具体的にどんな理由でよくないのか、戦争をしないとして国家間の軋轢にどう対処するべきなのか……そんなふうに踏み込んだ議論もしないで、安全圏で何言ってんの? って怒りもあるのでは。

“健康になりたいなと 隣の奴が言う 適当なソングライターも 頭に気を付ける”

五十嵐さんの歌の中に、健康志向の人への嫌悪感が出てくることがあります。
後に体操やってる老人の描写もあるので……。
「どんだけ長生きしたいねん見苦しい」って想いなのかなぁ。
「健康ブーム」って、何年かに一度は周期的に訪れるものだと思います。
五十嵐さんはクーデターの時のインタビューでは、
「今は健康時代で、『こうやれば長生き出来る』っていう錯覚にみんなすがって生きてますけど(ジェフ・バックリィみたいに)ポックリ逝かれちゃうとキツいっていうか。『死ってほんと、容赦ねえんだ』っていう(略)」
と語っていましたね。
ところで、オウム真理教って、宗教としてもそうだけど、ヨガの導師として麻原彰晃は優れていたようで、ヨガを入り口としても利用していたようです。
ヨガで身体がポカポカしてくるという、冷静に考えたら当たり前のことが、宗教的な意味合いとして語られて洗脳されていくという……こわいこわい。
過剰な健康志向ってどうなの? という違和感は五十嵐さんの中にはあるのでは。
まぁ、五十嵐さんはもうちょっと健康的に生活して欲しいけど……。
あと、「頭に気を付ける」っていうのは、五十嵐さんはインタビューで自分のことを
「自分の感情が表現を越えてしまう。僕は作家性云々より、自分の身を削って何かを表現している人間だと思っていて~」
と語っていたので、「自分の身を削って」いないソングライターに対して怒っているような気はします。

“テレビの中では混み入った ドラマで彼女はこう言った 「話もしたくはないわ」 そこだけ俺も同意した”
“それなら最初にそう言って”

五十嵐さん、テレビドラマ好きやなぁ……。
「彼女」の言葉って、この前の曲で、さよならも聞こえないところに行ってしまった人の言葉なのでしょうか……。
でも「俺も同意した」ってどういう意味なんだろう……。
歌で唄われる「適当な」人たちと話をしたくはないって感情を抱えていたから、テレビから流れてくる言葉の断片を拾って「いやそれは同意っすわ。そういう時あるよね」って思ったんですかね。
あとあと「最初に言って」って言ってるところはヒントなのかな……。
「話もしたくはない」と付きつけられたショックなんですかね。
「話もしたくはない」なんて突き放してくるなら、最初から距離を縮めさせないでよ!
って想いなんですかね。
わからん……難しい……。
けど、五十嵐さんのインタビューを読むと、「その場にいる全員の思ってることを把握したいけど、自分のやりたい事しかやらない」って言われるって話が出てきていましたけど、それ僕も凄く分かるんですよ。
で、僕の恋愛経験的に言うと、相手が「言わない」「話してくれない」って気持ちが一番不安になるんですよね。
そういう「気持ちがわからないと不安になる俺」を知ってて付き合っているなら、ちゃんと話してくれ~~~~ と思うんですけど、そうはいかない。
やはり彼女は話してくれない。
「いやこんな気持ちになってる俺を放置するのはヒドイ!!!!」と思ってしまうんですけど、恋愛において「説明責任」なんてないんですよね。
恋愛においてっていうか、社会の全てがそうか。
関係することに「責任」は多くの場合伴わない。
まぁ、「関係」なわけであって、相手が一方的に悪いということなんてなくって、相手とどんな関係を紡いでいくかは自分が決定したこと。
もし五十嵐さんが「話もしたくはない」と彼女に言われたのだとしたら、五十嵐さんが辛いを想いをしているとしても、それは自分のせいなんですよね。
いや、五十嵐さんの恋愛事情を勘ぐっても仕方がないですよね……
僕自身が恋愛が……人間関係が不得手なのです。
全部自分のせいなんですけど。

ところで「そこだけ」しか「同意」できないのに、テレビのドラマを観続けてしまうことへのジレンマもありそうな気はしますよね。
映像メディアって、頭を空にしてても観れるっちゃ観れますからね……。
頭や心が疲れてる時は、そんなメディアを流しながら時間が流れているのを待つことってありますよね。
それは音楽も同じか。

4.末期症状

めちゃくちゃ同じフレーズ繰り返しソング!
ベースの音が「わわわわ」って言ってて気持ちいいです。

“抱きまくら 抱きまくら 抱えて眠れ”

どんだけ寝る歌好きやねん五十嵐さん……。
ところで抱きまくらを使う人は、甘えたい潜在的な欲求があると言います。
僕も使うんですけど……。
抱きまくらを使ってると話すと、結構笑われるんですけど、ちょっと言い訳をさせて欲しいんです。
骨格が悪いんですよ私。
で、左向きで寝るのが一番楽なんです……そういう歪み方の骨格なんです。
そうすると、上になる方の手足の置き場に困るんですよ。
身体の上に重ねてると、なんか重みがあって嫌なんです。
で、身体の前に出すと、それもそれで、手足が身体の内向きになってしまうので、なんか関節がだるくなるんです。
だから間接に不自然な形でないままに、手足を支えてくれる道具として、抱きまくらは必要なんですよ!
女の人と一緒に寝てても、抱きまくらを使いたい人間なんです、本当は。
それをやると嫌がられるので、女性と寝る時は上を向いて寝るように努めてますけど……。

抱きまくらを使う人間の言い訳、終わり。

“寂しさを振りまいて サービスし過ぎるのが余計だ”

「寂しさを振りまく」って、00年代のギターロックバンドの常套手段のひとつですよね……。
ただ、五十嵐さんもそこに含まれてることには自覚的で、それが自分の中で一つのせめぎ合いになっていたのではないかなぁ……。
少なくとも「サービスし過ぎる」ことはしまいという志がここには感じられます。
サービスっていろんな意味合いにも取れるとは思いますが、自分の感情を華美に装飾して歌うことや、音楽制作以外の活動を指すのでは……音楽以外で自分を晒すこと全て。
特にSNSが普及してからの音楽業界は、アーティストに「サービス業」が求められるところがありますよね。
アーティスト自身も苦しみの声を上げている気がします。みんなじゃないにしろ。
そう考えるとアイドルやV系の握手会・チェキなんかの「サービス」もあるしな。

“さびしさをフリーマーケット セールスし過ぎるのが不快だ”

歌詞カードを読むと、こちらはひらがなで「さびしさ」になっています。
誤植なのか、なにか意図に違いがあるのか……謎。
五十嵐さんの歌で「売る」ということが良い意味で使われる事はないですね……。
『マイ・ラヴズ・ソールド』では、メジャーでやっていくという意見表明として歌っていたはずなのに、アルバムの中ではどんどん否定的なニュアンスが強まっていった。
ここでは「不快」とまで言い切っている。
まぁ、「し過ぎる」という言い方でしかないので、自分たち自身ではなくて、自分たちみたいに「さびしさ」をくすぐるような曲を作って、売りまくっている人々への不快感かもしれないですけど。
ただ、あとあと書きますが、アルバムの中では、曲を通して自分を「晒す」ことへの疑問も呈している。
「売る」と「伝える」ことは、切っても切れない関係がありますよね。
僕はシロップがどの程度の規模で売れていたのか知らないのですが、少なくとも、五十嵐さんの「理想通り」ではなかったんでしょうね……。
まぁ、「理想通り」に売れている人なんてそうそういないとは思うんですけど。
五十嵐さんは、ざっくりとした言い方としては「みんなじゃなくていいけど、聴いて欲しい」って言っていた気がします。
五十嵐さんの「聴いて欲しい」というところ以外の人たちにも「セールスし過ぎる」体制がこの時はあったんですかね。
まぁ事務所なりレーベルなり、売れるもんはどんどん売っていきたいですよねぇ。
こういう大人の事情みたいなのって、インタビューとかでもなかなか語られる物でもないから、私みたいな半引きこもりの一ファンでは知ることができないっす……。

“ちゃんとやんなきゃ 素敵な未来がどこかへ 逃げちまうのかな”
“ちゃんとやんなきゃって 素敵な未来なんてもんは 初めからねぇだろう”

ここで、五十嵐さんが、「明日」「未来」のために行動せずに、今日を楽に過ごしてきたのは、「頑張っても報われねぇよ」という想いもあったことがわかります。
まぁ、社会の要求する「ちゃんと」をこなせない……そこに適応できない人間だという自覚から、そういう発想に向かっているのかもしれませんが……つらいですよね。

“すぐ似てる なんちゃって 一緒じゃん”
“もうくだらねぇ つまらねぇ わかんねぇよ”

自分の作る曲が、いろんな音楽に似てしまっていることを歌ってるんですかね。
自分から出てくるものが、オリジナルなのか、記憶の底にある何かのコピーでしかないのか、自分自身でもわからない……って様を「わかんねぇよ」と歌っているのかな……。
庵野秀明さんなども、「自分のオリジナルの発想だと思ったら、あとで何かの真似だったと気付いてしまうことがある」と嘆いたこともありました。
わかるっす……。

5.ローラーメット

やっと明るい曲がきました! 安心ですね!
ギターの音は、ポリスの『ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ』
ですね。

こんなにまんまだったら、マジで訴えられるで五十嵐さん……。
ちなみにこの曲は『シンクロニシティ』収録ではありません。
歌の内容は全然違いますね……ドゥドゥドゥの歌詞は、あんまり意味の無いラブソングなので。

間奏のところで「ダバダバダー」とか小っちゃくコーラスしているのがかわいいです。
別にこのコーラス、あってもなくてもそんなに変わらないとは思うんですけど……五十嵐さん、曲の中にいっぱい音を詰める人ですよね。

ロラメットは、睡眠薬だそうです。
五十嵐さんの不眠症は、この時期に発症していたのか、以前からずっとそうだったのか、解らないっすね……。
家でごろごろするのが大好きな五十嵐さんにはとてもつらかったことでしょう……。

“ロックスターがテレビの前でくるった振りをした”

「ロックってなんなの?」って疑問を呈してるんですかね。
狂った振りっていうのが皮肉的。
そもそもロックスターってテレビに出るのか? という疑問もありますよ。
ここでも、テレビがやはり否定的なニュアンスで歌われます。
そして同じく、そんなテレビを見ている自分もいる。

“明らかにからかえそうです アホ面だ ヅラ”

五十嵐さんは毛がたくさんあるからいいですけど、毛髪量に不自由している人はたくさんいるんですからね。
ハゲいじりはやめてくださいよ!!
ヅラつけてまでパフォーマンスをやる、というのはどうなんだっていう意見表明ですかね。

“ロックスターがテレビの前で悲しい振りがうまい”

五十嵐さんはカート・コバーンを
「悲しいふりじゃなくて、『本当に悲しい』っていうのを、ちゃんと……いや、かっこよかっただけかもしれないですけどね、実際は
と評していたので、「テレビの前で、悲しい振りをしてるやつが、本物のロックスターなのか?」と言いたいはず。

ところで「テレビの前」っておかしくない?
「カメラの前」でも、別に、言葉としてはおかしくない気がするけど……
でも五十嵐さん的には、ただの撮影ではなくて、テレビを通して撒かれる幻想というモチーフを表現したいんでしょうかね……。
ロックスター、あんまりテレビに出ないしな。

6.I’m 劣性

“明日の天気なんて知らなくたっていいじゃん 明日の敵なんて知らなくたっていい 朝になってみりゃ分かるんじゃねえの 傘が無くたって死ぬ訳じゃねえさ”

「敵」って歌っているってこと、今回歌詞カードを読んで初めて知りました(笑)。
傘は「天傘」のそのままの意味と、アメリカの核の傘の下で守られている日本を指していますね。
ミスチルの曲に『傘の下の君に告ぐ』という曲もありますけど、日本は核兵器を持たないかわりに、アメリカの核に守られて平和に過ごしているって話ですね。
(一応説明すると、日本が他国から攻められることがあれば、アメリカが一緒に戦ってくれるという協定があるから守られているんだってことですよね)
で、その「傘」が無くたって「死ぬ訳じゃねえ」と歌うっていうことは、アメリカの傘の下から脱したい……日米の安全保障条約を破棄してもいいんじゃね? って想いなんでしょうね。
ゴーマニズム宣言やでぇ……。
この「安全保障条約」によって、日本は守られているものの、その条約によってアメリカの犬から脱することができないというジレンマもあるわけですよね。
そこは議論の余地は大いにあります。
けど、核に守られても死ぬ訳ではない=攻め込んで来る勢力はないだろという楽観視か、攻め込まれても勝てるだろうというマッチョな思想が五十嵐さんの中にはあるのでは。

“テレビなんてBurast!”
いやもうテレビ捨てたらいいじゃないですか、五十嵐さん!
まぁ、言うても、まだこの時期って面白い番組もあったから、テレビを手放すのは難しかったはず……。
で、目当ての番組がない時間でも、暇だったらとりあえずテレビを見てしまう。
そんなサイクルに陥ってしまうのです……。
わかるっす……。
でも、別にバーストしたり、スチールバットで破壊するんじゃなくて、普通にゴミに出せばいいのでは。
そういえば、家電リサイクル法の施行って1998年だから、そこを境目にテレビみたいな家電って気軽に捨てられなくなりましたよね……。
知っていますかお若い人、昔は家電を捨てるのに別にお金なんてかからなかったんですよ……。

そういえば、『ソラニン』でも、テレビにイライラしてぶっ壊すシーンがありましたね……。

あの漫画みたいにわかりやすく「大衆」を醜く描かればいいんでしょうけど、五十嵐さんは自責の念が強いから、「いやでも俺テレビ見るし」という内省があるんですよね。
他の人達みたいに「俺たちは崇高っす」という過剰な自意識はあんまり表現されない。
他の人々へ向けた量の十倍は、自己批判をする。

“30代いくまで生きてんのか俺 体ダルくて逆に眠くないね”

これわかりますわぁ……なんか逆に眠くない時ありますよね。
でも五十嵐さんの健康状態やばいですね。ヘルシーって。
全然ヘルシーじゃないやんか……。

“バイトの面接で「君は暗いのか?」って 精一杯明るくしてるつもりですが”

ほんとわかりますわ……。
この曲はもう純粋に共感の嵐ですね。

“適当なリアルはもう十分あるさ ここには 敵のいないリアルはもううんざりなんだ”

シロップの曲で「リアル」は重要なキーワードですね。
ここでの「リアル」って「適当」なんですよね。漢字通りの意味ではなくて「テキトー」なのでしょう。
自分たち以外へのバンドへの思いが滲み出ている気がします……。
「敵のいないリアル」ってことは、日本が守られている状況に辟易しているはず。
敵のいないリアルに価値なんてない……少なくとも五十嵐さんはそれを楽しんでいない。
何とも「闘っていない」表現は面白くないと言っているのだと思います。
多分五十嵐さん自身は、いろんなところに「敵」を見出して闘っていたのだとは思いますが……。
インタビューで「シロップを邪魔する奴は敵」みたいなことを言っていた気もしますので……。

“焦って知るまで何にも覚えない 買ったばかりでもあんまり聴いてないね”

最新の音楽を聴かなくなった自分を歌ってるんですかね。
でも自分も、20代の後半から、新しい音楽をあんまり聴かなくなった気がします……。
買ってもあんまり聴かなくて、聴いてもあんまり頭に入ってこない……なので、刺激を求めると、昔好きになったものを聴いた方が楽しめたりする。
それこそ20代前半の頃なんて、月に10枚ぐらいはCD買って聴き漁っていたものですが……。

“缶ジュース足りないぜ小銭が微妙に 交替の時間はとっくに過ぎてんぞ”

一応バイトに受かったけど、休憩時間が終わってるのにまだ仕事に戻らないダメアルバイター五十嵐さんなんでしょうか……。
「交替の時間」っていうのは、社会を支える要員になりなさいよっていう自分の(周囲の)声なんですかね。
モラトリアムは終わりですよ、って。

7.(This is not just)Song for me

タイトルは「自分のしっくりくる曲ではない」になるでしょうか。
後に『マイ・ソング』という曲も作るので、あちらと共有されている意識もあるのではないかと思う。
インタビューで語ったところには、
「『(This is not just)Song for me』っていう曲があるんですけど、今、だんだん、ジャスト・ソングがなくなってきていると思う。どんどん魔法がない手品みたいになってしまっているというか。魔法であった時間というのが記憶の中にあって、その感覚を模しているのかもしれない。元々そんなものはなかったのかもしれないけれど、でも、それを感じた瞬間を刻み込みたいっていうか。」
同じ時代の中に、自分の感じていた気持ちや感情を代弁してくれている楽曲が見当たらない、という状況を歌っているのだそう。

“そのマッチを1本擦るたびに”“その花を1本摘むたびに”

なんでマッチなんでしょうか……。
マッチ売りの少女では、火がついている間だけ、自分が望む幻想を見ることができていましたが、そういうこと……?
マッチに火が灯っている時間と同じくらい短い時間だけ=一曲が流れる間だけ魔法のように幸せな気分でいられるってことでしょうか。

“爪先で蹴飛ばして 石コロを転がして 昨日覚えたばかりの 歌を口ずさんで 家に帰る”

このセンテンスは多分かこの「魔法」があった時間なはず。
音楽リスナーとしてとても幸せに過ごしていた時期の記憶でしょう。
五十嵐さん、「石ころを蹴飛ばしながら歩く」という、昭和のベタな漫画みたいな黄昏方を好む人である……。
なにか、黄昏ながら(いい気分で過ごせない日中を終えて)家に帰る途中に、昨日覚えた=聞きまくって大好きになった歌を口ずさんでいるって場面でしょうか。

“そんな魔法が 今は何故 手品みたいに 思えるのだろうね”

インタビューで
「どんどん魔法がない手品みたいになってしまっているというか。魔法であった時間というのが記憶の中にあって、その感覚を模しているのかもしれない」
「全然、ファンタジーじゃないから楽しくないんですよね。きっと、ブルーハーツみたいなままで行けば、ファンタジーにしてくれるからいいんですよね。ちゃんとMr.マリックぐらいの手品を見せてくれればいいんだけど、中途半端にマギー司郎を見せられても。ちゃんと夢を……僕らは、見せられてるんじゃないかなと思う」
と語っていました。
五十嵐さん自身が「買ったばっかりでもあんまり聴いていない」のは、自分が思春期に音楽から受け取った感動のような感覚を得られないからなのかもしれない。

“呆れるくらい何度も 確かめるように何度も”

いや、五十嵐さんずっと、変わらない人なんですね……。
十代の頃に爆ハマりしていた音楽を三十代に到達しても再現しようと苦心しているのですね。
まぁ、再始動後の四十代になっても、やっていることは似ているのですが……。

8.月になって

なんか五十嵐さんは童貞であってほしかったけど、これを聴いたら、「いやめっちゃラブソングじゃん! 俺を騙したな! たかし!」と思った。
メランコリックなラヴ・バラッドですね。

世界シンボル辞典から「月」についての記述を一部引用。
“《象徴・無意識》 しかし無意識と夢は夜の生活の一部を成す。月と無意識の象徴的コンプレックスは夜に対し、四大の水と大地とともに冷気と湿気の量性質を結びつけるが、これと対照的に太陽と意識の象徴的意味は昼に対し、四大の気と火とともに熱気と乾燥の量性質を結びつける。

“君がいないなら 僕もいないから そばにいるだけ ただの言い訳”

五十嵐さんの歌詞の中でたまにある「君」と「僕」が全く同じ存在として出てくるやつ……僕はちょっとわかんないんですよね……。
『君をなくしたのは』みたいな。
まぁ、ここでは、「人との関係の中にしか自分は存在しない」といった考え方なんですかね。
人と相対化しないと、「自分」という存在を自認することも難しいという。
なんというか、遠回しに「一緒に居たい」といえず、ただの言い訳を並べてしまう自分の弱さを歌っている感じですかね。

“子供じゃないから 言葉じゃないから そばにいるだけ 今はこれだけ”

「子どもじゃない」=「大人っす」、「言葉じゃない」=「行為、行動」……となると、なにかしらの肉体接触をしているってことなのかな……謎……。

“君に間違った事はなく 道を誤った事もなく ありのまま何もない君を 見失いそうな僕が泣く”

間違った事がないってどういうこと……?
“どこで曲がったらよかった どこで間違えた”と歌っていたので、五十嵐さんは「誤った」ってことですよね。
「君」は、五十嵐さんから見て、社会に順応出来ている、モラトリアムを終えているちゃんとした人ってことなんでしょうかね。
『リボーン』での“You take it better”を地で行っている人というか。
「何もない」というのは、リボーンでいう「本当の気持ち」のような、表に出さない感情がないってことでは。
自分の中に矛盾を孕んでいるから「本当の気持ち」を置き去りにしないといけないわけじゃないですか。
それがなければ、本当の気持ちと、自分の言動は一致させられるはず。
過剰なエゴともいえる。
そんな人を見失いそう……五十嵐さんの本当の気持ちは膨れ上がっていくばかり、ってことなんですかね。

“夜は寒いから 明日が怖いなら そばにいるだけ 朝が来るまで”

くっ付いていましょうよ、ってことなんですかね……。

“風に乗って 風に舞って 月になって 星まとって”

ちょっと全然分からないので根拠ゼロの仮説ですけど、
「風に乗る」=アルバムリリースやメジャーデビューで、自分たちを乗せて遠くへ運んでくれた
「風に舞って」=自分たちの意にそわない方法で活動計画を立てられることを「舞う」つまり自分たちが風に弄ばれることを表現
「月になって」=太陽のようには輝けないけど、太陽の光を反射させて人目に留まるような光は帯びている
「星まとって」=自分を取り巻くミュージシャンやファンが出来た
とかかな……。なぞ。

“掴めそうで 手を伸ばして 届かないね 永遠にね”

失恋にも程がある……つらすぎる。
なんか、相手が自分の手の届かない存在なんだって思わされる失恋ってつらいですよね。
そういう恋愛をする人間って、高望みをするタイプなんでしょうけど……身の丈に合わないって言ったら、恋愛に対する向き合い方に問題がありそうですけど、実際、恋愛って「ステータス」を観られることが多いですよね。

9.ex.人間

ポリスの『エヴリ・ブレス・ユー・テイク(邦題:見つめていたい)』が、アレンジの元ネタ。

『見つめていたい』について、田中宗一郎さんは、五十嵐さんとの対話では語らなかったものの、ラブソングかのようでいて、「強迫観念的な想いの歌」とスティング自身は語ったそう。
要はストーカーの歌ですよね。
あらためて『見つめていたい』の歌詞和訳を読むと、やっぱり、フツーのラブソングじゃないことがよくわかります……(笑)。

https://denihilo.com/police/every-breath-you-take

↑こちらのサイト、ポリスやスティングの詞の和訳と、制作背景の解説があってすごく素敵です!

「君が何をしている時もずっと見ている」という歌なので、これって、もしかして、神様の歌なのかなって思ったんですよね。
キリスト教だと、すべての行いを神様が見ているというのが教えだから、悪いことも良いこともすべて見られているという意識で生きなければいけない。
普通に考えて、一人の人間を見つめ続ける人間なんているはずがないわけで、もしかしたら、そんな存在が主人公なのかなと。
スティングは監視社会となった近未来を描いた『1984年』のビッグ・ブラザーという監視システムとも取れると語ったようです。

で、「ブレス」ってキリスト教でもよくつかわれる言葉なので、僕の中では尚更、「神では?」と思われてしまいました。
といっても、呼吸は「breath」で、祝福は「Bless」と、綴りが違ったのでした……。
ただ、音はとても似ているので、そういったダブルミーニングとして取ることもできなくはない気がします。
だとしたら、この曲のタイトルにが「元・人間」なことも筋が通るんですが……
確証がないので、根拠がだいぶ弱い推論の一つとして書いておきます。
ポリスのCDは日本盤で所有しているのですが、日本語訳が載っていないんですよね……そういうこだわりを持つアーティストって、いますよね。
ただ単語で見ても、「Vow(誓い)」「Bond(絆)」
など、宗教に関係しそうな言葉が出ているのも、そう思わせる一因。

ウィキペディアを見てみると、「天使、家族などが~」と書かれているので、神様に限らず「天使」の視点からでも見ることはできなくない。
この『人間』のウィキを観ると『ex人間とは「人間」から「神」になったのではなく~』って書いてあったから、神というくくりで考えてしまっていた……。
シロップ関係のウィキ、公式情報と個人の考察がごっちゃになって書かれてるから、相当ややこしいっすわ……
(私は個人ブログで書いているので、事実は事実とわかるように、意見や感想は意見や感想とわかるように書く主義)

“汗かいて人間です 必死こいて人間です 待ってる人がいて それだけでもう十分です”

「待ってる」っていうのは、シロップの作品を待つファンのことなのか、『イマジン』で歌われたような、遅く帰ってきても「おかえり」を言ってくれる家族のことなのか……。
どっちもありそうですね。

“愛されたいだけ 汚れた人間です 卑怯モンと呼ばれて 特に差し支えないようです”

「愛されたい」って気持ちは、汚れてないと思うんですけどね……。
あぁ、でも、愛されたいから相手の欲求にこたえてしまうという「寂しくて体を開け明け渡しちゃうメンヘラ」な状態を指してるんですかね……。
でも、セックスで得られる承認欲求や満足感って強いやん……。
あるいは、さっきの音楽の例えで言うなら、「愛されたい=作品を発表したい」という欲求ですかね。
何が卑怯なんだろう……作品のために、佐藤さんという長年連れ添ってきたベーシストを回顧したことへの後悔でしょうか。
でも、そのことでわざわざ「卑怯モン」なんて呼ぶ人はいないと思うけどな……。
そんなに自分を責めないでよ、たかし……。

“道だって答えます 親切な人間です でも遠くで人が 死んでも気にしないです”

“世界がどうなってようとこのまま楽したい”の変奏的な歌詞。
親切な人間なのに、遠くにいる人の不幸には無頓着……そんな、傘の下にいる人間のジレンマ。
「道」という言葉が前の曲に続いて使われていますね。
こういうのがほんとに上手いんだよな……前の曲で覚えた感情も引っ張り出されるわけですからね。
いやほんとに上手いよ、五十嵐さん。

“急いでるし 分かってるんだ 三つ数えりゃ消える”

「急いでるし」って、佐藤さんを回顧したことを思わせますね……。
三つ数えたら消えるのは、神の声か、幻さんからのお手紙か、自分を咎める自分の声か。
『汚れたいだけ』や『Stop brain』で歌われる「思考停止」でもありますよね。
ただ、途中で“三つ数える前に消えろ”と歌われるので、実際には消えてくれないんでしょうね……。
「消える」と言い切ることで強がってしまっている。
五十嵐さんはしょっちゅう強がる人だなぁ……。

“少し何か入れないと 体に障ると彼女は言った”

「彼女」って言い方、初めてでは? これまで二人称は「君」「あなた」「あの娘」「She」だけだった。
五十嵐さん、自分の気持ちを投影した言葉が女性の声になってしまうと言っていたけど、多分、ここで言う「彼女」って、本当の女性じゃないかと思うんですよね……。(あ……「ドラマで彼女はこう言った」って、あったな)

“これは僕の作品です 愛すべき作品です 誰に何言われても 恐いものなどありません”

めちゃめちゃダイレクトに言葉にしてますね(笑)。
これを歌詞にするということは、「何か言う誰か」が実際に居たか、もしくは、言われるのではないかという恐怖があるってことですよね。
思うに……これは否定的な意見ではなくても、「肯定的だけど自分の意図と違う」ことに対しても恐れがあるのでは。
シロップファンの強烈な言葉とか、あるいは僕みたいな考察する体で自分語りするイタいファンとか。
インタビューで
「字面だけ見るとすごい間違って解釈されたりとかするんで、それだったらいつも通りのほうが良いかなと。巧く伝わんないと意味ないし」
とも語っていたので、「間違って解釈」される事態に困っていたことが伺えます。

“今度来る時電話して 美味しいお蕎麦屋さん 見つけたから 今度行こう”

いや、基本的には「今から行くわー(^.^)/」みたいな連絡をしないで、いきなり行ってるんですか?
そりゃあかんやろ……。
いや、この時代だったらそれが当たり前だったのかな……。
五十嵐さんはこの時携帯って持ってたんでしょうか。
なんとなく、「連絡しないで行ってる」ってことを考えると「都合のいい女」感がありませんか……?
付き合うほどじゃないけど(もしくは本命がいたので付き合わず)、性格が良かったり容姿が好きだったりして気軽な気持ちで関係を持ったけど、その子が思いのほか自分を気遣ってくれて心が傾いたって話なんでしょうか……。
それにしても、お蕎麦は確かにいいチョイスですね。
食べやすく消化にも良い。
また、蕎麦屋の空気がそれなりに五十嵐さんとの親和性もある感じ。
ええやん。
でも蕎麦すすったらあごひげのめんつゆが飛び跳ねて大変そうですね。
果たして五十嵐さんは、口元を汚さずにお蕎麦を食べることができたのでしょうか……それは「彼女」のみぞ知ることです。

あと今気づいたんですけど、結局、お蕎麦屋さんには行ってないんですね、この曲……(笑)。
いや、めちゃくちゃ良いフィーリングで歌われてるから、このフレーズは超好きなんです。
でも、行ってない!
「今度行こう」で止まったまま。
五十嵐さんのイケズなところというか、踏ん切り付けられないところですが、選択肢は提示されるのに、何を選んだかが歌われないんですよね。
これはシロップの曲のほとんどがそうですよねぇ……。
まぁ、「言われた」時点である種の救いになっているので、別に気にしなくていいか……。

10.正常

曲の出だしは、ポリスの『シンクロニシティⅡ』っぽい。
曲の展開は全然違うけれど、アルバムの第二部の幕開けを感じさせる曲調。

なんかこの曲がすごく怖いんですよ……。
前の曲で、人生の希望や救いみたいなのを感じさせるのに、それがブツリと途切れてしまったような感覚になるんですね。
何を鳴らしているのかよく分からないイントロも、それを感じさせる一因。

“ストーリー 時はスローリー 流れていくよなぁ”
“そしていつかサドンリー 終わってしまうんだろう”

ポリスの『シンクロニシティ』の「終わりに向かって閉じていく感覚」を参考にして『ヘルシー』は作られたといいます。
いや、本来なら『ex.人間』のあとに、『パレード』が来て、アルバムが終わってても良いんですよね。
なんで15曲入りにしたかったんだろう……。
「いつか~」の部分を読むと、五十嵐さんは、幸せを覚えても、いつかはそれが終わってしまうものなのだろうという諦念にとらわれてしまっているように思える。
もしかしたら、「お蕎麦屋さんに行こう」と言われたことが凄く嬉しかったけど、それを失うのが怖くて行かなかったか、実際に行ってみたらそんなに美味しくないとか、その人との関係も途中で終わってしまったとか……なんか、良くないことになってしまったんですかね。

“使えないものは駆除し 排除されるよなぁ 雑踏その何割 いらない人だろう”

人間に価値を付ける社会への疑問。
「いらない人」っていう考え方自体をしないでいい社会がいいんだとは思うんですけどね。
とか思うのは、僕自身が、いらない人に割り振られるタイプの人間だからなのかもしれない。

“進化を遂げていくものは メッキだらけの思い出か 身体は石のように硬く 荒野に転がり夢を見た”

うん、これはホントにわからないです……。
ただ、「思い出」についてはインタビューで何度も語っているし、過去の記憶を何度も反芻することは何度も曲になっているので、「思い出」をメッキ加工して大事に保存したままの自分自身を歌っているはず。
でもそれを「進化を遂げていく」と語ってる意味がわからんのです……そんな「思い出」を消化させて、現代的な思想や想いを乗せて歌うことが「進化」になるって言いたいのかな……。
「荒野」の意味は分かんないです……まわりにだれもいなくて、なにもないってことですかね。

“無性にそういえばロンリー いっけねぇ 忘れてた もういい 君はもういい いらない人だろう”

「君」って多分、自分自身の事ですよね……。
雑踏を観察して、いらない人間はどれくらいいる? と俯瞰していたけれど、自分自身こそいらないって話。
「ロンリー」ってつまり孤独のことですけど、二曲続けてこの言葉は出てきます。
独りでいるシチュエーションは何度も何度も出てきますが……というかほとんどの曲がそうですが、意外にも、「孤独」という言葉が直接使われる事ってなかったですよね。
これが、大事な人との離別を経て作られたアルバムだと思われる一因。
独りでいるのに慣れてると苦ではないけれど、仲良くなった人と疎遠になる時に「孤独」って際立ちますよね。
高いところから落ちた方が痛みが強い。

“絵本はもうおしまい 迷路はもう行き止まり 正常はもうおしまい 正常はもう行き止まり”

「絵本」ってつまりファンタジーなんだと思うんですけど……なんでおしまいなんだろう。
「迷路」は「考えすぎる」ことを言っているのでは。
けどそれと「正常」が終わることが並べられているのが、不可解。
五十嵐さんは、自分が『正常』ではないということは、ずいぶん前に判断していたことなのでは。
ファンタジーの中で生きてきた日本社会自体がもう終わるから、社会が規定した「正常」という区分がそもそも破綻し始めると言いたいのでしょうか。謎。

11.もったいない

インタビューでの、以下の二つの発言が「もったいない」のヒントになると思う。

「シロップはやりたいことをやっていて、五十嵐はわがままで、やりたいことをやってるからかっこいいとか、そういうことを見せたいわけではなくて」

「『音楽やってるなんて幸せじゃないか』って言う人も多いし、親とかは喜んでくれたりもしたけど、俺は音楽を続けていけるとはまったく思っていなかったというか」

メジャーデビューしたことや、業界やロックファンから注目を集めている状況を羨まれていたって話では……。
でも五十嵐さんは自己否定の人なので、そんな状況でも満足できておらず、人からの肯定的な意見に対しても「代わってくれや!!」と憤っているのでは。

関係ない話なのだけど、エリオット・スミスという自殺したシンガーソングライターがいるのですが、多分世界で一番美しい音楽を作る人だったんですよ。
信じられないくらい美しい歌声でした。
なのに死んでしまうなんてもったいない……と思っていたことがあるんですが、それは彼にしか分からないことなんですよね。
何を望むかは人によりけりですからね。

“悲しくはない 悲しくなんかない全然 何もせずに過ぎていく”

“悲しい振りをした”って歌詞がありましたけど、今度は悲しくない振りをしているように思います……。
あとこのアルバム「何もせず」って歌も多いな。
これも、このアルバムを作る前には「何かしている時間」がけっこうあったからこそ、空虚さが際立っているってことではないですかね。

“からっぽの部屋 からっぽになったMyself 何の為に生きている”

同棲していたのかなぁ……。
マイセルフってことは、なにかしら、自分のせいで「からっぽ」になってしまったはずなわけで……。
家に何もなくなってしまったから「お蕎麦屋さん」に誘ってくれる「彼女」の家に行きまくってたのかな。

“謝ってもいない 反省もしない全然 ずっとここで待っている”

“夜になるたびwating for”と同じですよね……。
このラインも強がりか……『不眠症』と同じ状況を歌っていると考えていいと思うので、「謝りたい」はず。

“もったいない もったいないかい? もったいないなら代わって”
“そこに居ないならわかんねえ ねえさ”

バンドマンからシロップを羨まれたりしてうぜぇ……って話なんですかね。謎。
五十嵐さんって、自分が苦しんだ分をそのまま曲にしている人だと思うんですけど、作家って、自分の感情にない表現をすることなんてよくあると思うんですよ。
「ここはもっと甘く」とか「ここはもっと悲しく」とか、演出をする。
演出をしながら創作する人からすると、シロップみたいな強烈な表現に対しては「どうやって作るんスかこれ?」という、ビジネス・クリエイティブ的な質問が湧く。
でも五十嵐さんは「いや、俺が身を削って苦しんで作ってるのがそのまま出てんだよ」と言いたくなる。
たとえのひとつですが、自分が頑張ってやっていることを、全然努力してない人とか、自分の努力を理解しようとしていない人から「いいっすねー」って言われると、なんかイラッとすることってありますよね。

“Mama,Don’t ask “So lonely?” もう 何を信じりゃいい“

めちゃめちゃ辛い時に親から声を掛けられるのってなんかムカついたりしませんか……。
「孤独なの?」と訊ねられるって……いやですね。
母にも紹介した恋人に振られたから「別れちゃったの?」とかズケズケ聴いてこられたってことなんですかね。
あるいは「友だちとかいないの?」って訊かれるとかなんでしょうか。

12.Everseen

ポリスの『シンクロニシティ』って、後半は暗い曲ばかりなんですよ。
なので、それを雛形にするとしたら、この曲って邪魔です。
僕も単純に、一枚のアルバムとしての統一感を考えたら、この曲はいらなかったかな……と思う派。
でも、暗い曲ばかりだとまずいから、早い曲を入れたんですかね。
あとちょっと嫌な事を言うと、ポリスって超絶技巧派集団だから、地味で暗い曲でも様々なアレンジで聴かせることができるんです。
対して、このアルバムでは、予算は少ないし、おそらく3ピースバンド体制で作りたいというコンセプトもあっただろうから、ゆっくりで地味な曲を並べることに自信がなかったのかもなぁ……。

曲名は、「今まで見た中で~」といった時に使われる言葉。
どのアルバムでも一回は「自分が作っているものは過去の音楽の再生産だ」といった事柄が歌われるけれど、本作では特に頻度が多い。
まぁアルバム丸ごと、ポリスを基にしたというのだから、無理もない。

“あいさつはHELLO,HELL こんにちは”

「ハロー」をもじってネガティヴな言葉にする……となると、『スメルズ・ライク・ティーンスピリット』を思い出さずにはいられません。
五十嵐さんホントにニルヴァーナ好きだな……。

しかしこの当時、洋楽そんなに聴かない人でも、ニルヴァーナだけはなぜか聴いてましたよ。
なぜか……。
ジャケットが有名なのと、ボーカルの顔がめちゃくちゃかっこいいからですかね。

“そこにあるのはEverseen,all right”

自分が作るものに既視感を覚えることがあっても「全然いいっすよ」と開き直っているんですかね。
全然いいと思います、僕も。

“想像できない事など 創造できない すべてが 平等で平和な世界は 相当嘘くさい”

まさにそうなんですよね。
「パクリじゃねーか!」って声をあげるのが好きな人っているけど……。
特に日本の音楽シーンでは、洋楽至上主義の人が、邦楽を「洋楽のパクリじゃん!」って声を上げまくることがあるみたいですね。(僕もそうかもしんない……)
でもそもそもを言うと、人間の脳って何かしらインプットしたものしかアウトプットできないので、パクリパクリ言い出したら何も生まれなくなるじゃんって話はありますよね。
こうして扱っている日本語だって、一つの文化なわけですから、「日本語をパクるなよ」なんて言い始めたら大変なことになります。

まぁ、良いパクリとダメなパクリってあると思うんですけど……。
その辺のことを話し出すとキリないっす。機会があったら別のところで書きます。
あ、でも、田中宗一郎さんがすごくいいことを話していて。
直接お会いできた時に聴いたことがあるんです、アリな引用とダメなパクリについて。
「作家がそれを公言できるかどうか。そして引用に必然があるかどうか」
といった回答だった気がします。
具体的には聴けていませんが、それが僕の中での答えになっています。

“Everseen,It’s not period”

「止まらねぇぜ」って言ってるのかな。
そう考えると、『正常』の「進化を遂げる」っていうのは、みんな何かしらの「ちょっと見たことある気がするもの」を作り続けていくことで、少しずつ新しくなっていくんだぜっていう前向きな提言かもしれません。
ステキ。

13.シーツ

コーラスの美しい曲……「まいにちーこーかーん」なんてコーラス、他では聞けないですよ。
五十嵐さんが急性アルコール中毒で入院した時の曲……と聞いたことがあります。
彼女に振られたのが辛すぎて飲み過ぎたのかな……。

“痛み堪えて 痛み殺した 次第にMy body’s end この部屋で待つ”

いや、堪えなくていいでしょう 痛みは体が出す大事な信号なんだから
悲しみとか苦しみとか寂しさも、ひとつひとつが、心が出す大事な信号なんだから
無感覚なのが強い人ってわけじゃないでしょう
五十嵐さんは、感覚を我慢する習性が付きすぎでは……。

“笑ったりできるぜ いつもと同じさ からかわないでくれ 昔話で”

いつもと同じじゃないでしょ……。
昔話でからかいに来てくれたのって、誰なんだろう。
病院って言う、健康ではない人が集まる空間の中で、このセンテンスは凄く幸せそうですね。
「からかわないでくれ」って、本当に嫌がっているんじゃなくって、自分も笑っちゃいながら「やめろよー」なんて言っている姿が目に浮かぶ。
こういう歌をもっと作ってくれてもいいんじゃないかな、五十嵐さん……(笑)。

“いつか 浴びるように 溺れるように 飲みたいよ”

いや、お前はもう飲まないほうがいい……。

“いつか 風のように 鴎のように 飛びたいよ 空 大空”

「風」のワードも、このアルバムだと頻出していますね。
なんか、ここで歌われてる「鴎」って、バンプのことかなって思ったりしました。
バンプ・オブ・チキンって鶏肉だし、鴎の肉って基本的に食用ではないらしいんですけど……(笑)。
ただ、シロップが破たんしていく理由のひとつに、自分たちよりも年下のバンドが売れていく様を見せつけられていたってことがあるらしいんですよね。
インタビューでもちょくちょく語っていますし……。
バンプみたいに悠々と、自分たちのやりたいことで売れていったところを見ていて、辛いところがあったんじゃないかな……。
レミオロメンとかアジアン・カンフー・ジェネレーションもどんどん規模が大きくなっていったけど、彼らもシロップを非常に慕っていたし。
難しいっすね……創作活動。

“死にたいようで死ねない 生きたいなんて思えない 頭悪いな 俺は 自意識過剰で”
好き。

この後半のセンテンスが好きすぎます。

“シーツ 洗われてゆくよ 毎日交換 そこにあるのは微かな 真っ白い影”

後に、白いシャツが飛んでいきそう……ってシチュエーションを歌いますが、五十嵐さんは白い洗濯ものが風にはためいているのを見るのが好きっすね。
僕も好きだ……真っ白い服なんて自分はほとんど持っていないから、洗剤のCMの刷り込みでしょうか(笑)。

“昨日見たよ 夢で見たよ このシーツに 刻まれた英雄を”
幻想? シーツがスクリーンのようになっていて、何かを観たってことですかね?
小便もしくは大便をもらしたことを「英雄」って言ってるの……?
あるいは、すでにこの世を去った音楽家(カートとか)の幻想を病院の中で観たって話ですかね。
「見たよ」っていうのは、『エバーシーン』みたいですね。

14.吐く血

もう、皮肉つまりまくり。
明るい曲で始まったと思ったら、内容は、メンヘラ女を一曲で説明し尽くしてしまうもの。
しかもサビでは声の音程がガクッと下がるという、嫌みったらしさここに極まれりな内容。
大好きだ……。
でも、どこか、五十嵐さんが「自分が女だったらこんな感じなのかも」という視点で歌っているようなきもしなくない。
特に歌詞の中にわざわざ「」が付けられている部分もあるので、なおさらそう思う。

“彼女と知り合ってから半年がたつ 何故かもう連絡すら取り合えてない状態”

このアルバムの中で「彼女」って言われるのって、この人と、お蕎麦屋さんに誘う人。
同一人物説、あります……。
もしくは、この「彼女」が、「さよなら」が聞こえないところに行ってしまった可能性はありますよね……連絡がとりあえてないのだから。

“不細工でも美人でもなくやたらと暗い 内科で診てもらえない病気の主”

完璧じゃないですか……メンヘラ……。

“優しくされればもう誰でもいいとのたまう 太るのが怖いから手にタコ作って 今日も吐く”

完璧じゃないですか……。
「食べる」行為に関わるリリックは、アルバムでも二カ所だけ。
「美味しいお蕎麦屋さん」で食事をしても、彼女はトイレにこもって「今日も吐く」のかな……。
そういう意味であれば辛すぎる。
同一人物ではないとしても、五十嵐さんの中でファンタジーの様な「お蕎麦屋さん」のくだりを、プラマイゼロにするためにあえて「吐く」なんて言葉で汚したのかもしれないです。

“「私には何もないから」 そう言って笑った”

「愛されたいだけの汚れた人間」なんじゃないですかね……。
けど、それを言って、しかも笑えるってことは、彼女はそういう自分すらも人に見せることができるってことですよね。
あるいは、五十嵐さんには心を開いているから、そんなことを話せる。
あ……「ありのままなにもない君」って、この人のこと言ってるんじゃないですか……?
であれば、やっぱり、この女の人が彼女だった説ってかなりありますね……。

“普通の会話があんまり成立しない 自分だけの場所に入ると戻って来ない”

「遠くの方見てた」ともちょっと似たシチュエーションに思えます。
戻って来ないってすごいな。
でも、それって五十嵐さんの、好きな音楽聴いてる時のありようと似ている気もしますね……。

“一生懸命過ぎて 簡単に騙される 嘘ついてよ 見破るよ そんなに人に怯えるなよ”

「怯えるなよ」って、五十嵐さん、自分の事では……。

“「すべてを晒すことは 割り切ってるから平気なんだ 時々空しいのは 向いてないかなって思う時だけ」”

この曲のカッコ内は、五十嵐さんのツイートみたいなものだと思います……。
自分の歌にかける想いを吐露しているというか。
でも、なぜ「向いてないかな」って思うのかな……。
「クーデター失敗」発言みたいに、自分の理想を達成できなかったり、ロックスター然と振る舞えなかったり、バンプやミスチルみたいに売れっ子になれなかったり、ファンや同業者からの思いを受け取りきれなかったりするからでしょうか。
いや、僕も、人の作った作品をレビューしたり考察したりしながら自分語りをするのってどうかと思うんですよ……でも、じぶんなりにいろいろなおもいがあってやってしまうんですよ……。
五十嵐さんすまん……イタイファンがアーティストを苦しめる問題って、SNSが当たり前になってから、より深刻化していますよね……。

ここが実際に彼女の発言だったとして……こういうことを話す間柄ってことは、五十嵐さんこの人とセックスしていますよね?
僕の経験談なんですけど、一時期、いろんな女の人とセックスをしようと思って、頑張っていたことがあったんです。
「目指せ二十代の内に100人斬り」だったんですけど、全然そんな数字に行かないうちにとん挫してしまいましたね……。
いろんな意味で、自分は多くの人に受け入れられようとしてはいけないと思い知らされました。
で、その時に気付いたのって、セックスした後って、僕も相手もいろんなことを喋るんですよね。
家族の話とか、人に話しにくい性の話とか、いろいろ。

宮台真司さんはナンパ師で、死ぬ程女性とやっているんですけど、いろんな女性に声をかけるんですって。
セックスした後は女性っていろんなことを話してくれるから。
だから100キロの女性が普段感じていることも聴ける……って話をしていました。

セックスをする前の男女っていろんな意味で身構えているから、セックスという一つのゴールラインを着ることによって、心を開きやすいんでしょうね。

“吐く血の女はどっかできっと生きてる 血を吐きながらどっかできっと生きてる”

怪談話みたいな終わり方っすね(笑)

“「あなたは私と似ているね」”

いやもうほぼ、この歌で唄ったことが、自分自身のことでもあるってネタバレですよね。
でも、これが彼女の言葉だったとして、五十嵐さんってこれはこれで嬉しいのでは……。
五十嵐さんって、自分に似ている人と出会ったこと、ほとんどない人でしょ。
でも、「自分は変わった人間だ」と自認している人にとって、自分に似ている存在って受け入れがたくもある気がします。
それか、似ているがゆえに、長く関係を続けられなかったり……。
人間が共に生きることは難しい問題だらけだ。

“2番線からの列車に乗って帰った”

ココが何なのかわかんないんですよ……。
どこから帰ったの?

15.パレード

タイトルのネタ元は、プリンスの同名アルバムでしょうねぇ……

ウィキによると、五十嵐さんはそのアルバムを心の一枚に選出していたのだそうです
プリンスのアルバムの構成って完璧だから、五十嵐さんがアルバム作りにこだわるのには、彼の影響も大きそう。
けど、音楽的には、あんまりプリンスっぽさって感じないんですよね。
この曲の音の感じとか、インタビューで名前の挙がっていたザ・ラーズやストーン・ローゼズを手掛けたプロデューサーのジョン・レッキーっぽいキラキラしたネオアコの処理に似ている気はします……。

“パレードが終わったら 風に舞う十字架”

風に舞う描写多いな……。
にしても十字架て。
十字架は、キリストが磔にされたもの。
また、「十字架を負う」というのは、刑罰に由来する比喩であり、転じて自分の犯した罪の重みを味わわされるという意味合いで使われる表現ですね。
十字架という言葉はこの先にも出てくるんですが、それが風に舞うというのは……。
五十嵐さんが歌い続けてきた「罪」が、風……売り飛ばされていくという表現でしょうか。
でも、それが「パレードが終わったら」なのがわからん……制作を「パレード」と表現してるんですかね。
この曲では、パレードが終わった後の話しかしてない(笑)。

“急いで渡ってよ 一人で不安でよ パレードが終わったら 風に変わるさ”

「左手上げて横断歩道を渡る」っていうのとシチュエーションは似ているけど、意味合いに近さは感じないなぁ……。

“いつかはそんな日々が 訪れる気がしても ひっそりとここで夢を見るさ”

そんな日々って言われても、どんな日々なのかよくわかんないっす……(笑)。
パレードが終わった後のことを歌っているけど、実際には、そんな日々が来ないと思ってもいるってこと……?
であると、自分たちのレコーディングはパレードみたいなお祭り感……テンションの高さもないし、風は自分の罪を吹き飛ばしてくれはしない……というのが実感なのかな。
であれば、風は強くは吹かない……あんまり売れないか、宣伝してもらえないか。
風は吹くけれど、自分の罪は消えない……ってはなしかな。
わかんないっす……東大生とかが読み解いてくれ、シロップを……。
東大生はシロップ聴かないですか……?

“夏の歓声が 今は遠いひまわり”
二度目の登場ひまわり。
夏……バブルを夏と表現したなら、日本はもう経済的には死ぬしかないぜって意見ですかね。
向日葵は太陽の方を向いて咲く花だけど、その太陽自体が地球から遠ざかってしまっていて、太陽も元気を失っているはず。
けど、この曲の中で聴くと、陽光が弱まってもひたむきに咲き続けているといった肯定的なニュアンスにも聞こえるから素敵ですね。

あと、インタビューで直接的に「夏」についての発言もありました。
詳しくはインタビューの文字起こしも用意しているので、是非ご覧ください。

「(『瀕死のエッセイスト』という漫画について)あれの最初の方に、開けると夏の風景がバーンとなるんですけど、それをすごい鮮明に覚えてて。あの感覚だと思うんですね。でも、今は夏がなくなってきてるっていうか。季節云々というより、夏がないんですね。季節がフラットになって、感情もフラットになっていくっていうのは悲しいな。だから、バッと扉を開けたら、夏がそこにあって欲しい。今回は、それがなかなか開かなかったんですけど、でも、パッと夏が懐かしいというか……。また、その扉を開きたいなっていうのが、あるんですよね」

向日葵がせっかく咲いたのに、夏は終わってしまっている……なんか寂しいシチュエーションですね。
これもまた一つの「孤独」の表現ですね。

“近くに来たらノックして ココロのトビラをノッキン・ドァ”

「来る」という言葉も印象的に使われるアルバムですね……。
なんかこう考えると、五十嵐さん自身が寂しがり屋なんでしょうね……。
『ex.人間』の「彼女」は、実際に「彼女」なんだろうと思ったんですけど、もしかしたら逆に、五十嵐さんが「彼女」の視点の人物だったって可能性もあるんですよね。
五十嵐さんは「美味しい蕎麦屋見つけたから、今度行こう」って、女性に行った。
けど女性はその後、ドアをノックすることはなかった……ってはなし。
それが吐く血の女なのかもしれない。

“遊びに来たなら話しよう いつもみたいな発想の 少しはいなよ 長居していきなよ 近くに来たならノックしてよ”

ファンに向けて歌ってるんですかね……。
『ヘルシー』のあとのシングルでのインタビューで
「『お前らいつまで俺を無視続けんだよー』っつう。俺がさみしいって言ってんだから、少しは優しくしろや、コラっていう、ある種の逆ギレ」
と語ってもいるので、もっと構ってあげた方がよかったのかもしれないです……(笑)。
でも、五十嵐さん、この時すでに結構なファンがついていたと思うんですけどね。
何に満足できていなかったんだろう……

“誰もいない部屋 誰もいないダンスホール パレードが終わったら どこに帰るみんな”

シロップでは「行く」はほとんど歌われないけど「帰る」はかなりの頻度で歌われるんですよね……。
『イマジネーション』でも近い事は歌われますけど、「どうせみんな帰ってっちゃうんでしょ」「帰るところ≒心のよりどころがあるんでしょ」ってことを歌っているのかなぁ……。
「俺がいなくてもそんなに困んないでしょ」って想い。
あと、誰もいない部屋って、五十嵐さんの部屋じゃないですか……空っぽになった部屋。
そう考えると、家に居ても何もないし、あとは音楽に心血注ぐしかねぇ! って気概で挑んでいるのに、同じ熱量で向き合ってくれるスタッフはいないし、ファンの人たちも、そんな五十嵐さんの熱量に応えてくれるほどではなかったってことなのかな……。
「反応」を期待してしまうとキツイ時ってありますよね。

そこで歌ってよ 僕の為に歌ってよ”

わかんないです……!
ライヴでお客さんにシロップで合唱して欲しいって想い?
『(This is not just)Song for me』で出ていた話で云うなら、「僕の為の歌」がなくなっていると語っていたから、「そういう歌を誰か歌って欲しい」という切実な願いでしょうか。

・おまけ 『HELL-SEE』が好きな人が気に入るかもしれないディスク

岡村靖幸/『真夜中のサイクリング』
「この人死ぬんちゃうか?」作品として。オリジナルアルバム未収録のシングル盤。世間がイメージする「岡村ちゃん」とは違う顔が見れる。二度目の出所後の岡村さんは、“でもベイベー いいじゃん もう”のところで、いつも涙をこらえきれません。五十嵐さんに、こういう風に言ってあげたくなります。いいじゃん、もう。
(PV消されてるので音楽配信サイトなどでお探しください……)

ブライト・アイズ/『リフテッド・オア・ザ・ストーリー・イズ・イン・ザ・ソイル、キープ・ユア・イアー・トゥザ・グラウンド』
早熟の天才と呼ばれていたシンガーソングライターが、いとこの自死を契機として作り上げた大傑作アルバム。最後の『僕らは自分のことをクソみたいに思うべきではない(愛し愛されるために)』というタイトルの曲が死ぬ程好きです。しかしこのアルバムを作った後も、彼の悩みは続く。

エリオット・スミス/『フィギュア・8』
「この人死ぬんちゃうか?」枠として……。こんなに美しい楽曲で「僕にとっては全てが無意味」と歌われてしまっては、まぁ、誰も彼を引き留められないですよね……。

スーサイド/『スーサイド』
グループ名からしてアレだけど、いまだに、こんなに「死」に近そうな打ち込み音楽に出会ったことがない。

ナイン・インチ・ネイルズ/『ダウンワード・スパイラル』
「死ぬんちゃうか?」枠。自傷行為を歌った曲の先駆け的存在では。

ところで『ハート』はカントリーの大御所がカバーしたバージョンもイイヨ。

ミーカ/『ライフ・イン・カートゥーン・エモーション』
ワム! ばりのご機嫌なポップソングを詰め込んだアルバムは、愛を失った最悪の日々を歌う激ダウナーな歌で締めくくるという……。このアルバムを逆から聞いてみると、『ヘルシー』からちょっと幸せな『マウス・トゥ・マウス』への過程っぽくなる気がします。

 - Syrup16g, 音楽

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