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映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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君たちはどう生きるかの「仕事」と「継ぐ」ことの描き方、あと「美しくも残酷な夢」

   

君たちはどう生きるかにおける「仕事」「継ぐ」ことについて読み解ける内容を解説します。
「考察」よりは確信に近いので解説として進めます。
宮崎駿さんの映画においては「労働」が重要なモチーフとして描かれますが、この映画でもやはり仕事の描写は多く、作品を読み解くための鍵になることは間違いありません。
また、眞人が大叔父から「仕事を継がぬか」との誘いを受ける展開については、宮崎駿さんは自身のメッセージを大叔父や眞人に投影しているのではないか、といった考察が多くされているし、実際に映画公開後にスタジオジブリが日テレの子会社になって今後テレビアニメを制作するといった話にもなっているので、映画制作時の宮崎さんが「継承」について思考する時間が多かったこともうかがえます。
そんなことから、映画における「仕事」の描き方が独特なものになったんじゃないか、というのが僕の見立てです。

まずこの作品について考える時に、前長編作である『風立ちぬ』との関連性に触れなければならないと思います。
風立ちぬは宮崎さんのキャリアの中でも最も直接的に「仕事」がテーマの中核にある作品だからです。

・風立ちぬと君どうの関連性、あるいは相互批評性をざっくりと
まず、物語が「少年の目覚め」から始まる点が同じです。
ただ、風立ちぬは「少年の夢」から始まって、主人公が美しい飛行機に乗って空を飛ぶことが夢なのに、視力が悪いという理由で挫折を覚えているという「現実」を突きつけられて目が醒めるところから始まります。
つまり、「夢」と、その夢の前に立ちはだかる「現実」についての物語であることが冒頭の時点で明示されるのです。
それに対して君どうは、「夜の街に鳴り響くサイレン」という、現実から物語の幕が開きます。
眠る眞人が見ている夢は描かれず、母が入院する病院の火事を知らせるサイレンで眼を覚ますことになります。(しかし、劇中では眞人が見る夢のシーンがとても多い)
風立ちぬは「夢」「理想」を何に変えても追い求める主人公であるのに対し、君どうは、状況に受動的に巻き込まれる「夢」や「理想」を持たない普通の少年が主人公ということになるでしょう。(ある意味彼の夢は、母と共に過ごすことなのだろうが)
その他、被る点としては
「狂気に囚われた人物から草原で狂気の継承を受ける」
「いじめっこと喧嘩する主人公」
「飛行機作りにしか興味のない男が結婚する」
「体調が芳しくない妻のそばで煙草を吸う男」
「戦争に加担することで対価を得ているが決して悪人ではない男(二郎と勝一)」
だいたいこんなところ。
町山智浩さんが、宮崎映画では、描かれたテーマをもう一度他の方向から描きなおす傾向があるといったことを話しておられました。
風立ちぬで、自身が幼少期を過ごした時代の日本を描いた宮崎さんが、少し時代をずらして、「飛べない少年」主人公を語り直しているような印象を受けました。
そして、二郎がカプローニという狂人(悪魔)から美しくも狂気的な生き方への誘いを引き受けるのに対し、眞人は狂人となった大叔父からの仕事の継承を拒否して「友だちを作る」生き方を選びます。
このハッキリとした違いは、君どうがどんな作品なのかを知るために重要だと思います。

ここから、君どうでの「仕事」に関する描写を見ていきます。

・父の仕事
まず「勝一」の仕事についてざっくりと書きます。
眞人の父親は飛行機の部品開発をする工場の社長や重役と考えられます。
作中では「鉄道が止まった」ことの影響を受ける仕事であることがわかる台詞がありますし、父の工場で作ったか、他の工場で作られた部品を眞人の住む屋敷で一時的に保管したりしています。
また、サイパンでの戦局の影響を受けて忙しくなる仕事であることもわかるので、鉄工業、機械部品の製造を担う工場を経営していると思われます。
また、父の名前は勝一で、宮崎駿さんの父上の名前は勝次なので、「勝」が同じだし、その後に数字がくるのも同じ。
なので眞人の父は、宮崎さんの父親をモデルにした人物であるはず。

また、上述の屋敷で保管した部品はおそらく零戦の風防ですが、宮崎さんの父上も飛行機の部品工場の社長であり、零戦の風防を制作していたとのこと。(鈴木敏夫さんのインタビューを読むと、実際に宮崎さんの家に零戦の部品が運び込まれたことがあったとのことです)
宮崎さんの父上の部品工場も戦時中は栃木の宇都宮に移転していて、宮崎家も東京からそのそばに疎開していたそうです。
なのでおそらく、眞人の疎開した経緯や、父の仕事もこの辺は一緒なはずです。
(あとで細かく書きますが、眞人が疎開してきた駅は「鷺沼駅」ですが、宇都宮には「鶴田沼」という沼があります。また、宇都宮の近隣には「鹿沼市」があり、宮崎さんのお父さんの飛行機工場はこの鹿沼市にあったのだそうです。なのでこの「鷺沼」の地名はどちらかにあやかったものではないかと思います)

父の話す内容や、スーツを着て仕事をしていることから、組み立てに関する仕事をしているのではなく、運営をしている人間なのだろうということがわかります。
パンフレットにも「実業家」と一言のメモが添えられていました。
父は寝巻きを着ている時でも腕時計を巻いているので、おそらくいつも時間に追われるように仕事をしているのでしょう。(この時代は寝るときも腕時計を巻くのが普通だったのかもしれませんが、ネットで調べる限りではそういった記述はありませんでした……多分、ないですよね?)
勝一が寝間着着用時に腕時計を付けているのは、冒頭の火事のシーンと、疎開先で頭に怪我をした眞人を見舞いに来るシーンで確認しています。
逆に、スーツを着用している時は腕時計をしていません。
スーツ時は懐中時計とかを持っているんでしょうか。
親父が「時間に追われている」「仕事に取り憑かれている」と思われる点については後述します。
自分でなぜ腕時計描写が気になるのかと言うと、宮崎駿さんの映画で、腕時計をしている姿が印象的なのが『千と千尋』の千尋パパなのですが、それとちょっと同じ匂いを感じるんですよね。
千尋の父が、店の食べ物を勝手に食べる両親を制しても「あとでお金を払えば大丈夫だよ」と意に介さない嫌なシーンがありましたが、それと同じように勝一も「校長に3万円寄付してきてやった。びっくりしていやがった」というバカにしたような嫌な物言いをします。
そういう、金で人を黙らせようとするところも含めて、眞人の父と千尋の父は似ていると思うんです。
千尋がトンネルの向こうに行くのが怖い、帰ろうと言っても意に介さずずんずん突き進んでいく千尋パパと、ダットサンで初登校したらかっこいいぞと眞人の気持ちを聞かずに勝手に決めるパパ……子どもの話を全然聞いてなさそうなところ、似ています。
よく考えると、作中では眞人と勝一ってあんまり会話していないんですよね。
別項でまた書くと思いますが、2018年にジブリ美術館で公開するために作られた『毛虫のボロ』で、主人公の毛虫ボロくんを取り囲む大人毛虫たちも、千尋の父のように「見境無くむさぼり食う大人」だったりするので、宮崎さんはこういうダメな大人の描き方が一貫しているように思うんです。

・戦車を見つめる眞人と勝一
母が火事で亡くなったことを眞人がモノローグで語っている場面では、街中の道路を戦車が複数台走っていきます。
見送る住民たちの面持ちもどこか重たく、出兵を祝うムードは感じられません。
一応時代背景を語っておくと、軍人さんが戦地へ行くのはお国のためであり、それは「めでたいこと」であるとされているので、普通は感謝と祝福を持って見送るはず。
それは後に、眞人と夏子が軍人さんを見送るシーンでも描かれます。
ただ、このシーンでは、誰もこの戦車の隊列をそのようにして見送っていません。
それどころかどこか暗い表情…腹に何か一物抱えているような顔に見えます。
後のシーンで父親は、戦局が悪化することで工場に特需が舞い込むことを喜んでいましたが、そんな父もここでは口を切り結んでいます。
作中から垣間見える父親の性質から、この表情が何なのかを読み解こうとするなら、まず自分は戦車の製造に関わっていないので、戦車に対して興味を持てない或いは戦闘機に出資して欲しいという気持ちがある。
もしくは、零戦を「美しい」という感性を持っている父は、その戦車が「美しくない」ことが気に入らないと思っているのかもしれません。私はこちら側の線が強いと思います。
戦車の隊列、まっすぐに進まずに、ちょっと斜めに傾きながら走行しているように見えるんですよね…。実際の戦車がまっすぐ進まないものであるとか、道が若干傾斜していたりまっすぐでないことなどの要因があったのかもしれませんが、まっすぐに進んでいないことをわざわざ描いているのは意識的なものであるはず。
後述しますが、宮崎さんが父親の仕事について語っていたこととして、「戦時中は女学生が飛行機の組み立てに参加していたので、機関銃の弾がまっすぐに飛ばないといったミスがあった。しかし検査官に賄賂を握らせて、そのクオリティでも検査を通過したと言っていた」というものがあります。
私としては、宮崎さんが、そのように、「ずさんな仕事で戦争が進み、ずさんな仕事で儲けいた人々がいる」という意識を持って描いたんじゃないかなと思います。
なので、この戦車を見送る場面も一つの「仕事」に関連しそうなシーンかなと思います。

・親父は一緒に家には行かない
父はおそらく仕事のことしか頭にない人間です。
疎開した初日に、眞人と共に屋敷に行かず、駅からそのまま工場に向かいます。
新しいお母さんになる夏子と眞人は初対面なので、普通は勝一も一緒に屋敷に行って眞人を紹介したりするもんなんじゃないかと思うのですが、彼はすぐに仕事に向かってしまう。
眞人は恐らく、孤独感に苛まれていますよね。
東京にいるときから恐らく勝一はそういうことをしていて、眞人は母親と一緒にいる時間が長かったために、母親の死によるショックも大きかったんじゃないかなぁ……。
この時、勝一は「夕飯までには終わらせるよ」と夏子に言いますが、結局彼の帰宅は午後9時を過ぎます。(寝付けない眞人が時計を見ると時計は9時を指していました)
また、工場に向かう時にバスに乗って行くようですが、父が乗る前にバスはぎゅうぎゅう詰めになっています。
父よりも数歩遠いところから足早にバスに乗り込もうと女性(風呂敷を背負ってて重たそう)がやって来て、首を伸ばしてバスの中を見ようとしているシーンがあります。
おそらく彼女は、バスの中に自分が乗り込めるスペースがあるかを気にしているはず。
俯瞰でその絵を見ている我々は、彼女が乗り込めるスペースはなく、バスのステップ部分に一人がやっと乗り込める程度だろうということがわかります。
これはほんの一瞬映るシーンですが、父親はその女性に目もくれていないことがわかります。
多分父はこの女性に先を譲ることはしなさそうです。
なぜなら、バスは「ようやく動いた」ので、このバスを逃すと、次はいつ来るかわからない。
つまり、バスを一本見送れば、その分仕事に遅れが出るからです。(『この世界の片隅に』で得た知識ですが、この時代のバスは石炭を燃料としていて、よく不具合が起きていたのだそう。坂道などは登りきれず、乗客を下ろして引き返すなんてことがしょっちゅうあったのだとか)(この映画の実証主義的な要素は、高畑勲っぽさを受け継いだこの世界の片隅にからの影響ではないかと思っています)
めちゃめちゃ好意的に取るなら、この時に女性に譲って自分はバスを一本逃したから、その皺寄せで帰宅が遅くなったと解釈することもできなくはないけど、多分そういうことではない。
風立ちぬで、二郎が、「女性に電車の席を譲る」場面があったが、それとは逆に「女性に譲ることをしない」男として父は描かれているはず。
こういう細かい、台詞にしない人物描写がこの映画と、風立ちぬでは多いです。
この表現手法も、風立ちぬと君どうの共通項と言えるはず。
あと、二郎は「女好き」であることが随所で描写されましたが、勝一はそういう描写はない。
勝一が若い女性と絡むのは夏子ぐらいしかいないので、当然といえば当然かもしれませんが。(勝一と夏子のなれそめについてはみんな気になるところだと思うのですが、とりあえずは置いておきます!)

・夏子が「お父さんの新しい工場」を指差す
眞人と夏子が屋敷に到着した際、夏子が「お父さんの新しい工場よ。いつか見に行きましょうね」と指さします。
眞人はあんまりピンと来ていないような表情で、指し示された先を眺めます。
食糧の確保すらままならない人がいる中で新しい工場を建設できるなんて、儲かっていますね。
後のシーンから、勝一は軍用機など、戦争に使われるものを作ることで財を築いていることがわかります。
宮崎さんのお父さんの工場も、戦時中に一時的に栃木県内に移転していたそうです。
勝一の工場は、工場を新設させたのか移転させたのかは不明ですが、新しい工場とのことなので新設させた可能性も高いと思います。
ただ、元妻の生家であり、現妻が住んでいる屋敷から見える場所に工場を構えるというのは偶然のことなのでしょうか。
ひさこと夏子の家もとても大きいものなので、財力があることが伺えます。
大叔父が塔を建てたり、その塔にとてつもない量の本を蔵書していたことからもそれが伺える。
勝一自身がパンフレットで「実業家」として紹介されているけれど、ひさこ夏子の家の援助があったのかもなー、と思ったりはします。
新工場設立は、自分たちがひさこの生家に疎開することを見込んで、疎開先の近くに作ろうということだったのかもしれませんね。

・おばあちゃんたちの仕事
屋敷にいるおばあちゃんたちも、お手伝いとして様々な仕事をこなしているもようです。
ただ、眞人たちがやって来るまでは、仕事量に対して人手が多いのか、手持ち無沙汰にしていたであろう感じが見てとれます。
勝一の鞄を七人がかりで漁っているところなどがそう。

関係ないけど、キリコさんはおばあちゃんが七人で仕事にかかっている時に、いつも一番後ろにいることがわかります。
眞人が屋敷に到着した時にみんなで廊下を歩くシーンや、眞人が頭を負傷して帰って来てみんながバタバタと渡り廊下を歩くシーン、その後お医者さんが眞人を見に来たシーンなど。
例外として、眞人が木刀を持って青鷺と対峙するシーンがあって、ここではキリコさんはおばあちゃんたち群の中でまぁまぁ前の方にいました。
けどこのシーンは夢なのか幻なのか現実なのか曖昧なシーンなので、「キリコが率先して眞人を守ろうとしてくれる」という眞人の願望という可能性もあるかも。
夏子が行方不明になり、眞人も一緒に探しに行くというシーンでは、キリコは夏子捜索に積極的ではなく後方でぼんやりしていたことから、眞人に森の中への探索に誘われるという、ある意味損な役回りをします。まぁ自業自得ともいうべきでしょうか。
キリコは多分率先して仕事をせず、ほかの人が着手するのを待っているのではないかなと思います。
キリコさんは勝一からタバコをパクる癖もついているようで、やっかいなおばあさんであることがよくわかる。
でもそんなキリコが、若い頃の姿になると、一人でしっかりと仕事をこなしているのだから偉いもんですよね。
そういう変化にも理由が隠されているのでしょうか…。

・勝一、夜の9時を過ぎてから帰宅
眞人と父が屋敷に引っ越して来た初日、父は「夕飯までには帰る」と言っていたものの、結局帰宅は夜9時を過ぎてからのことでした。(直前のシーンで眞人の部屋の時計が映されますが、午後9時を過ぎています)
後のシーンで工場が忙しくなっていることが語られますが、勝一が普段から、どれだけ忙しく過ごしているのかがわかります。
それでも勝一は「疲れたよ」といった愚痴をこぼすことはないし、夏子も普通に出迎えていることから、このくらいの時間帯の帰宅は日常茶飯事っぽいことが伺えます。
また、その後のキッスも、まぁ半ばルーティンとかしているのでしょう…笑

・おかげで工場は大忙しだよ
眞人が初登校する日の朝、父親が日本の戦局が悪化していることと、それに伴い工場に特需が訪れていることを語ります。
それも、とても嬉しそうに、ご飯をモリモリとかっこみながらです。
夏子が「亡くなった人たち、かわいそう」とリアクションしますが、それが自然な反応でしょう。
父親も、心の奥底では別の感情もあるのかもしれませんが、それでもやはり、家族を前にして語るのは工場が繁盛することなあたり、「仕事があればあるほどいい」という感覚があるからでしょう。
このあたり、風立ちぬの主人公の二郎とは対照的です。
風立ちぬではセリフで直接的に語られるものや、新聞紙にちらりとだけ記載されている情報から、日本が貧しく、また勝てる見込みのない戦争に打って出るほど無謀で非倫理的な道を進んでいることがわかります。
しかしそれでも、二郎や同僚たちは飛行機を作るという夢を持って仕事に打ち込み、結果的に軍事国家の過ちに加担することになってしまう。
二郎には罪悪感や負い目があることを感じさせる描写がありますが、勝一にはそれがありません。
宮崎さんは思春期に入り、お父さんに「戦争に加担した罪」について意見をぶつけるといったことがあったと語っているので、それを批難する気持ちが表れているのではないかと思います。
(しかし、そんなお父さんが良い父親であったようなので、「良いお父さんなのになぜ戦争に加担していたのだろう」というジレンマがあったみたいですね)

・眞人は勤労奉仕?に参加しない
父親が運転する車に乗って初登校した際、校庭では「堆肥増産(倍増?)」という旗を掲げて何かしている生徒たちがいます。
これが父の言う「勤労奉仕」だったのかなと思います。
戦時中の日本では、学校の授業の時間が削られて、このように子どもたちが労働に駆り出されていました。
眞人は勝一と別れてから教室に行ったようですが、同級生たちはいい顔をしません。
父親がカッコつけて車で送ったからか、眞人が無愛想だからか、はたまた東京から来た眞人の髪が長くてナウいのがいけすかないからか…同級生がムカついていそうな理由は一つや二つではありません。
その後の帰り道、眞人は土手で草刈りをしている男の子に喧嘩を売られ、それに応じます。
すぐに喧嘩に発展していたし、周囲の男の子たちも野次馬化していたので、「眞人がいけすかない」という空気はすでに醸成されていたものと思われます。
眞人が勤労奉仕(もしくは清掃活動?)に参加しないで、スタスタと帰宅しようとしているところが気に食わなかったのかなと思います。
勤労奉仕も労働の一つと考えられるので、それを眞人が拒否したことは「仕事」に対するスタンスとして一考に値するかと思います。

・眞人の負傷に勝一は仕事を抜けて帰宅する
眞人が頭部を負傷した後、勝一は仕事をしているであろう時間帯に帰宅して眞人を見舞います。
しかし、眞人を心配したというよりは、自分のプライドが傷つけられたと感じたのではないでしょうか。
つまり「大事な息子が怪我を負わされた」ことよりも、「カッコつけて息子を車で送り届けたのに、田舎のガキが僻んで怪我を負わせた」ことに怒っているように見えます。
というのも、「車で登校する転校生なんてかっこいいだろう」と眞人に言うところなどは、だいぶカッコつけていることは誰もが気づくはず。
そして眞人はそれに気乗りしていないのも、ご飯を食べる手が進んでいないことやその表情から、誰に目にも明らか。
父が車で送り届けることを提案などせず、眞人が一人で普通に登校していたら、眞人は喧嘩なんてしていなかったかもしれません。
いますよね、カッコつけるのが好きなまま親になって、子どもにも自分と同じカッコつけ方を強要する人…。
おそらく眞人が、父の対応に満足していないだろうことは、「お父さんが敵を取ってやる」と言われたときの表情からも見てとれるはず。
勝一が仕事をおろそかにするシーンは、劇中でここだけです。
仕事を抜けてまで帰宅してきたのは、息子が大きな怪我を負ったからというよりも、自分のプライドが傷つけられてからなんじゃないかと思います。
「奈津子の具合が悪い」「心配をかけるなよ」と眞人には言いますが、眞人の怪我の具合を案じることがないのも、そう思う根拠ですね。
「ハゲが残るかもな」とルックスを気にする台詞しかないので、やはり「かっこつけ」なんですよね。

・眞人の仕事?
眞人は、夢? の中で夏子が弓矢を使って青鷺を撃退するところを目撃します。
また、夏子が具合を悪くして寝室で寝込んでいることを見舞った際にも、ベッドの近くに弓が置かれているのを見つけます。(そう言えば、弓矢を駆使するのは夏子の「仕事」っぽいですね)
その直後に、屋敷の窓越しに青鷺と遭遇し、ポケットから出した折りたたみナイフを青鷺に向けますが、青鷺は全く怯えるそぶりを見せません。
おそらく木刀やナイフでは青鷺に通用しないことを学んだ眞人は、青鷺に立ち向かうべく自分も弓を使うことを思い立ちます。
そんなわけで、屋敷の使いのおじいさんにタバコの賄賂を渡して、ナイフの研ぎ方を教わり、そのナイフで竹を切って弓矢をDIYします。
ここで眞人の手先の器用さがわかりますし、後に「刃物を研ぐ」シーンに繋がったり、また眞人がナイフを使ってちょっとした仕事をこなします。
さりげなくですが、「労働」を示唆する場面なので、これも重要。

・青鷺は、大叔父の仕事を継ぐことができる人間を塔に連れ込むのが仕事?
青鷺にも仕事があったことを忘れてはなりません。
眞人が屋敷に来た日には、夏子が「のぞき屋のアオサギ」「屋根の下に入ったことはない」と言っていることから、青鷺は随分前から屋敷にいたことは間違いない。
ただ、過去を描写しているシーンで青鷺がいるという痕跡も見て取れないので、いつからここにいるのかはわかりません。
まぁ時系列的に、大叔父が塔から繋がる異世界に行く前から屋敷にいるとは考えにくい。
青鷺は眞人の木刀を砕いた後、「ずっと待ち続けていた人が現れたのかもしれない」と語っているので、おそらく大叔父から命を受けて、特別な性質を持つ人間を探していたのだろうと思われる。

また、青鷺の活動範囲はお屋敷の周辺であることも特徴です。
何かを探すのであれば自発的に広範囲を探索するほうが効率的だと思われますが、青鷺は屋敷に留まっているだけだった…となると、青鷺の探し物はいずれ屋敷に現れると考えられる状況だったはず。
つまり、青鷺は、主人である大叔父から「自分と同じ血を受け継ぐ人間を見つけてこい」と命じられていたのではないかと思います。
大叔父は、自分の血を継ぐ者でなければ仕事の後継ぎにできないことを把握していたので、青鷺にもその条件が伝えられていたと考えるのが妥当。
であれば、すでに嫁に行ったひさこの子である眞人か、あるいはまだ家に残っている夏が将来産む子どもがその性質を備えている可能性が高いので、目標を達成することができる。
夏子が眞人に「赤ちゃんの頃に一度会ったことがある」と語っていたことから、眞人が産まれてから屋敷を訪れたことがないとわかります。(その一回が屋敷だった、という可能性も考えられますが)
眞人が屋敷に初めて来た時のリアクションや説明も、眞人がここを初めて訪れたのだとわかるものでしたね。

また、青鷺はお母さんに会えるということをダシにして、眞人を塔の中へ誘い込もうとする。
青鷺の仕事は「眞人を塔の中に連れて行くこと」。
そして、塔に連れて来たら連れて来たで、眞人の母のハリボテ? みたいなものを作って眞人を騙します。
その後、大叔父が「お前が案内者になるがよい」と、眞人を塔の下の世界? に連れ込み、その後、夏子がいる場所へと誘導しようとします。
ここでは、塔の地下にある世界に行くのをめんどくさそうにしています。
青鷺の目的がなんなのか微妙にわかりません…本来の仕事は、塔の内部に誘い込むところまでだったという感じなんですかね。

そもそも、青鷺の存在自体がかなり謎に包まれてはいるんですよね。
青鷺はなんでああいう姿をしていて、また、大叔父の言いつけを絶対的に守る必要があったのか。
また、塔の世界から出ることができていたのに、大叔父の言いつけを無視して逃げ出さなかったのか
大叔父の言いつけにイヤイヤ従っているようにも見えたのですが…謎です。
謎。

青鷺の考察になってしまうので、話は逸れてしまうのですが、青鷺には「完全な鳥形態」「中身がちょっと見えている形態」「中身のおじさんが露出しきった形態」があり、それぞれのモードで性格や言動が違います。
昔話でよくあるアイテムに「姥皮」というものがあります。
アイテムを使用することで、別の存在に化けることができるもので、宮崎アニメでもよく出てきます。
もののけでジコ坊率いる唐傘連が、イノシシの革を被って乙事主を騙したりするし、ハウルでは被るとおじいさんになるマントが出てきたりしてましたな。他にもいろいろあったはず。
「敵の制服を奪って自分がそれを着用して、門をくぐり抜ける」なんて使われ方もよくされますね。
これも仕事に関連することなのですが、宮崎駿さんは『平成狸合戦ぽんぽこ』の企画について、「今の社会では誰もがタヌキを被って生きていかないとならないんですよ(笑)」といったことを述べていました。
これもジコ坊に見られる点ですし、ナウシカのクロトワにも見られましたが、「自分の思想と組織の活動方針にズレがあっても、清濁併せ呑んで、組織のために行動する」選択を取る人物は、上記の宮崎さんの考え方が反映されているのではないかと思います。
で、この青鷺も多分そのように「清濁併せ呑んで仕事を遂行するおじさん」なんじゃないかなという気がします。
青鷺の中のおじさんが出てきている時は、眞人に「(大叔父のいる世界に)行かねぇほうがいいと思いますけどねぇ」といった助言をしたり、ちょっと親しげなんですよね。
対して青鷺モードの時は、「おいらはお前の友だちでも仲間でもないんだ」と突き放したりする。
そんな青鷺モードの青鷺が、「じゃあな、友だち」と言うから、あれは感動的な別れになるのだと思います。
とは言え、青鷺の正体が分からないので、なぜ青鷺が別れを告げなければならないのか分からないので、感動してよいのかイマイチわからないところなのですが……。
話が逸れましたが、青鷺の仕事と、青鷺の形態による性格の違いについて少し書きました。

・ペリカン族の仕事
眞人が大叔父の世界に踏み入れて初めて遭遇するのは、ペリカンたちです。
ペリカンたちは「我を學ぶ者は死す」と描かれた黄金の門の前にいる眞人を押し出して、門を強制的に開かせます。
後に老いたペリカンが語ったことによると、餌となる魚が少ないこの世界に連れてこられてしまったので、ワラワラを食うしかないのだという。
青鷺が後のシーンで「ペリカンと一緒で親方様が連れて来たインコが増えた」と語っているので、ペリカンも大叔父が連れて来たのだとわかります。
なんで大叔父がペリカンをこの世界に連れて来たのかはわからないですよね…。
ここだけの話から考えるなら、ワラワラを食わせて減らすためにペリカンがいるんじゃないか? と思えて来ます。
ただ、パンフレットには「傷つきながら大空へと舞い上がり続けるペリカンたち」と紹介されていて、決してペリカンの存在に対して否定的ではない様子が伺えます。
また、老ペリカンは、「私たちは舞い上がった、翼の続く限り高く遠くへ」と、自分たちにも志の高い時代があったことを回想している。
しかし、結局はワラワラしか餌となる物がない島に辿り着いてしまうと絶望まじりに語る。
その上、子孫の中には空を飛ぶことを忘れた存在もいる、と諦念を滲ませる。
老ペリカンはそんな罪を自覚していることから、直人に「一思いに殺せ」と宣言するのだと思います。
仕事に敗北した存在なんですよね。
私は、そんなところから、このペリカンはアニメーション制作業に従事する人なのではないかなと思ったりしました。(これは別に考察エントリを作成してそちらで述べます)
宮崎駿さんが、高畑勲さんが亡くなった際の追悼のコメントで「もっと遠くへ、もっと深く、誇りを持てる仕事をしたかった」と語っているのですが、これが老ペリカンの語るペリカン論とちょっと似ているように思ったんですよね…。まぁ、余談です。
眞人を門の内側に押し出したペリカンが、キリコに追い払われた時に、空を飛ばずに羽だけバタバタさせている個体が何羽かいるのを確認できるので、飛ぶ能力を失った、あるいは生来飛ぶことができない個体が現れはじめていることがわかる。
多分ペリカン自身は門を開ける力がないし、門を開けることによりリスクを引き受けることはできないけど、リスクを負っても門を開けようとする人間がいるとズラズラと付いていこうとしているところなどは、仕事でもあるんだろうなーと思ったりします。
リスクをとって行動しようとする人間のおこぼれに預かろうとして、その人に責任を押し付けて、グイグイ背中を押していく人々。
宮崎駿さんや高畑勲さんのように、リスクを取りながらも、(大雑把な言葉ですが)よい仕事をしようとした者が開いた道に続いて、やはり自分は安全圏からやいのやいの言い、自分がリスクを取らずに利益だけ得ようとするような存在に成り下がったのが言葉を発することが出来ないペリカンなのかなー、と思いました。

高畑勲さんが『太陽の王子ホルスの冒険』を長年完成させることができず、また公開後の興行収入も芳しくなかったことから、高畑さんが東映動画を退社することに繋がります。
評価は高いものの、売り上げに繋がっていない感じ……しかし、後に鈴木敏夫さんがこの映画を鑑賞し、「アニメでベトナム戦争を描こうとしている」と評したりなど、アニメーション映画の表現を拡大しようとする意欲があった佳作と呼んでよいと思います(私は、これがベトナム戦争なのかどうかはわからないですが……(笑))。
ハイジを制作する際には、舞台となるスイスに直接ロケハンに行って制作に活かし、それ以降の世界名作劇場ではロケハンが行われる慣習ができたとか。
ハイジは記録的なヒット作品となっていますが、ハイジの権利を持つズイヨーは未だにハイジグッズで儲け続けていて、トライ先生だとかつまらないアニメCMリメイクだとか、悪辣な二次使用を繰り返しています……まぁ、私が思う、眞人を墓に押し込むペリカンの一例はそんなところですかね。

ペリカンが眞人に群がる描写なんですけど、『未来少年コナン』において、額に烙印を押されて奴隷同然の扱いを受けている地下世界の住人たちが、コナン少年に群がろうとする描写と似ていました。
食うのにやっとで思考能力を失いかけている半廃人っぽい描写なので、やっぱり、ペリカンは瀕して鈍しているような人間の戯画なのかなって気がしました。

・キリコの仕事
キリコがこの世界で何をやってるのか全然わからないんですよね笑
眞人とキリコはこの世界には同じタイミングで同じ場所から入ったはずですが、出ていく時キリコはヒミと同じ扉から出ていきます。
そんで、眞人が元の世界に帰還すると、キリコは眞人のポッケからにゅるんとまろび出てきます。
多分若いキリコから受け取った老キリコ人形が、元のキリコに戻ったのかと思うのですが……。
眞人が塔の床に沈みこんだ後も、キリコは沈まずに少し粘っていたからこのような差異が生じたのでしょうか…。
もしくはキリコも、ヒミと同じように塔の中に迷い込んだ過去があったのでしょうか…(そうだとしても、キリコは少なくとも30年分くらいは若返っているように見えるので、塔に入った時期はヒミよりも前っぽい)
少なくともこの世界で眞人が出会う若いキリコは、この世界のことを熟知しているように見えます。
キリコの最初の仕事は、火を出す鞭でペリカンを追い払うこと。
その後、墓の奥にいるなんかやばい存在をお祓い的なことをして眞人を守ること。
何かが墓に入ったことに強く反応していた気がするので、墓守のようなことをしていたんでしょうか……。
そこからの仕事は、船を沖に出して大きな魚を捕り、それを廃船のようなところに運んで捌き、人々に分けること。
また、魚が取れたことを、自分の船の旗で周囲に伝えることもありました。
キリコは自分の仕事を「奴ら(黒く濁った透明な人形の何か)に殺しはできねぇ。殺すのは俺の仕事だ」と言います。
ただ、あの黒い人たちは、キリコに何かの対価を渡しているようには見えないんですよね…。
なんか湯おけのような深い皿だけ持って突っ立っている。
眞人がお辞儀をしても、返す人の方が少ない。礼儀がない。
あの人たち、なんなんだろう。
世界に対してどんな役割を持った存在なのかが見えてこない。
また、思うに、ワラワラはキリコに対価を支払うことができないはず。
それでも、魚を捌く時に邪魔をしてくるワラワラを追い払わないどころか、ハラワタを分け与えて滋養をつけさせてあげています。
キリコはパンを食べているので、あの世界に小麦があることは間違いないはず。
ただキリコが農業をしている形跡はないので、誰か農業をする人や、パンを作る人と交易をして、あのパンを得ているのかなと思われます。
また、キリコの部屋にはおしゃれなワンピースも置かれていましたが、あれをキリコが作ったとは考えにくいので、衣服の製造や縫製をする人がいる証左でもあるはず。
また、キリコが着ている和風の衣服とは異なり、よそいき風のお洋服を持っていることから、キリコがそういう服に着替える社交のような場にでることがある生活を送っていることもわかる。
部屋にある他の調度品は、キリコが住み始める前から置いてあった品々である可能性はあるけど、あのワンピースは多分キリコの持ち物だと思うんですよね。
なので、キリコはさまざまな品を食料品と交換している可能性が高いのですが、ワラワラや透明な人は対価を支払わずにキリコから受け取っている可能性があるなーと思います。
キリコ働き者ですね…。
キリコは働き者ではあるものの、キリコの行動のどれが仕事であるか、またどのような報酬を得ているかはあんまりわかりませんでした。
全然考察できていないっすね……。

ただ、キリコはヒミが爆発でペリカンを追い払った際に「ありがとう!」と大きく手を振りながら激励をしていましたが、ヒミはそれに応えずに去って行く。
キリコの方が働き者だけれども、彼女が誰かから仕事を労われているシーンがないのが気になりました。
慰労や報酬がないのに、キリコは世界に尽くしっぱなしな気がするんですよね。
眞人が「ありがとう」と言ってキリコに抱きつくけど、あれはおっぱいに顔を埋めたさからくるドスケベ心だったようにも思いますし……。

・ヒミの仕事?
ヒミの仕事についても触れておかねばなりません。
まず何と言っても、罪無きワラワラごとペリカンを焼却する衝撃的なシーンで登場したとおり、火を使って仕事することが多いです。
「頑張ればワラワラを焼かずにペリカン撃退だけできないんだろうか」とはみんな思ったことだと思います……それか、ワラワラが食われる前にペリカンを遠距離から迎撃したり、普通に日中にペリカンを焼くなりできないのか? と……。
眞人に「ワラワラを燃やすな」と言われたことを気にして、「生意気を言っていたのはお前だね」とちょっと根に持っていることから、ヒミとしてはやむなくこういったやりかたをしているのだとは思うのですが……。

また、なぜか眞人の大ピンチにタイミングよく駆けつけることもしています。
ペリカンやインコなど、野蛮な鳥類が何かしてかそうとするのを見張るような役割を仰せつかっているんですかね……でも、ヒミは何か仕事をしているというよりは、自分の意志で行動しているっぽいところも見て取れるんですよね。
ただ、「火」は労働の象徴といえるものなので、火を司っているヒミが何も仕事をしていないなんて思えないんですよね……。

ヒミは綺麗な洋服を着ているし、大きな庭園のある家に独りで住んでいるようだし、バターもジャムも潤沢に使って平気なようだし、暖炉の近くには分厚い本を積んでいるので読書をするような余暇もあるようだし、高等遊民的な生き方をしていることがうかがえます。
キリコが「私はワラワラの世話をしなきゃいけない」として眞人と青鷺の道案内を辞退していることから、普通はやはり労働をしているような時間帯に、ヒミはふらふらしていることがわかります。
夜間にペリカンがワラワラを食いに来たときに緊急出動する夜間警備員的な仕事なのか? とも思ったのですが……。

インコが鍛冶屋に食われた時は助けていないと思われるが、眞人が食われそうになっている時にはワープで助けに駆けつけてきたことも、ちょっと気にはなります。

とは言え、謎の炎の中をワープしていくシーンでは、壁がめきめきと避けるような謎のアニメーションも入っていたのですが、あれは眞人が産道を通って産まれ直すようなシーンだったのではないかと思います。

彼女は異世界のことを熟知しているようで、眞人を案内するし、塔の中では力が制限されることを知っていたりします。
好奇心旺盛な彼女は、この世界を探検して回ったのかもな、と思います。
しかし、彼女が塔の中に入ったり、塔の中の世界に在留している理由がどうにもよくわかりませんでした。
というのも、大叔父が「自分の時間に戻るのだ」と言うように、大叔父を初めとして、異世界は自分が生きている現実の世界に不満があったり、そこから逃避したいと願う人が来る場所なのではないかと思われるからです。
大叔父は本を読みすぎておかしくなり、また、世界が「争い合い奪い合う、やがて火の海になる場所」だから、そこを逃れて塔の中に入ったのだろうなと想像できます。
夏子は、眞人との軋轢を感じていることが見て取れるし、また、おそらく自分が子どもを産むということに対してマタニティブルー的な感情を持っていると推測できます。(別のページで書きますが、夏子はヒミの「いい子を産むんだよ」という言葉に対して返事をしないし、表情を変えずに首肯もしません)
まぁ、そこは整合性を求めても仕方の無いことなのかもな、と思ったりもします。

ヒミは現実の世界からは一年間程度行方不明になっているとのことでした。

眞人とヒミが、石のスーパーパワーで気絶させられた後、インコに捕らえられますが、眞人は上着を剥ぎ取られて変な部屋に放置されますが、ヒミは綺麗な格好のまま特製の棺に閉じ込められます。
また、ヒミはインコの前に立ちはだかった際に、「ヒミだ!」とインコに言われているので存在を認知されていることがわかります。(多分こう言ってたはず……声が重なっていて聞き取りづらくはあるのですが……)
また、インコは食う人間を「お前赤ちゃんがいないから食える」と判別しているようなので、赤ちゃんがいない人間のことは鍛冶屋のように食べようとするはず。
しかしヒミは食べられてないのは、おそらく大叔父から、ヒミにも手を出さないように仰せつかっているからではないでしょうか。
(ヒミの火力に敵わないから手を出さない、という考え方も出来るのですが(笑))

・青鷺は眞人を案内しようとする。
ペリカンを看取った眞人の前に青鷺が現れて、「夏子さんのところまで案内しましょうか」と申し出るも、眞人は「自分で探すからいい」と拒みます。
しかしその後「夏子さんをどこへやった」と青鷺に詰め寄るので、眞人はこの時強がっていたんだろうなと思います。
青鷺は一応、大叔父から仰せつかった「案内者」の職務を全うしようとしているっぽい。

また、青鷺(おじさん)は、事切れた老ペリカンに手を合わせ、「ナムアミダブツ」立派なペリカンでしたな。と弔います。
それに対して眞人は、ペリカンを埋葬しようとする。
青鷺は意外そうに「埋めるの?」と言う。

おそらく青鷺も、ペリカンに同情するような気持ちがあるものの、「死が当然訪れるもの」と考えているから、手を合わせるが埋葬することを思いつかない。
眞人は、わらわらをむさぼり食うペリカンを敵対視していたものの、ペリカンの話を聞いて、 敬う? 気持ちが湧いたため、埋葬することとしたのだと思います。

・工場を止めるわけにはいかない

現実世界に戻ってからのシーンで、眞人と夏子とキリコさんが姿を消したことで山狩りが行われていることが描写されます。
うなだれている勝一に、工場の職員と覚しき男性が、「何人か捜索のために残していく」ことを提案しますが、勝一は「工場を止めるわけにはいかない」として却下します。
工場が生む利益を優先して家族を無碍にしたのか、工場が国において重要な役割を担っているために遅延を生じさせるわけにはいかないという責任感からの判断なのかはわかりません。
しかし、このシーンを挿入することの意図としては、「勝一は家族を発見できる確率が上がることよりも、工場を回すことを優先させた」という判断があることを描写したいのだと考えて間違いないでしょう。
勝一はシンプルに言えば、家族よりも仕事を優先させたと考えられる。

・インコに食われた鍛冶屋
鍛冶屋はインコに食われたことが示唆されますが、鍛冶屋は作品に登場しません。
しかし、わざわざ「鍛冶屋」への言及があるし、私としては結構重要な要素ではないかと思うので少し長くなるが書きます。

宮崎駿さんが、もののけ姫の時に受けたインタビューでの発言で、鍛冶屋について語った者があるので抜粋します。

『鍛冶屋とか、そういう連中達というのは、畑を耕さないで富みを得る。風車とか水車を扱っている人間達も、とにかく畑を耕さないで富みを得ているでしょう? そういう人間達は魔法使いだと思われているところがあるんですよ。日本なんかでもそうだと思うのだけれど、鉄を作ってた連中とか、そういうのって、村の真ん中にはいないんですよ。村はずれにある、民俗学的に見ても、そういう人達というのは、常民の群れからは外れたところに存在するんですよ』

といったもの。
集落の外れにいる、というのは、君どうでの鍛冶屋の描き方にも通じています。
宮崎さんの意図というよりは、民俗学的な見地によって配置されたもののようですね。

また、僕は、この「畑を耕さないで富みを得る」という、第一次産業からは離れた仕事をしている鍛冶屋への洞察が、宮崎さんの「アニメーション作家」に対する自己批評でもあるように思えます。

作品の舞台となっている戦時中、学徒動員で学生は勤労奉仕に従事して「生産」を担わされていますが、眞人は学校に行かず部屋にこもって読書に耽っていることが机に本がたくさん積んであることがうかがえます。
「生産」のタスクを多く割り振られ、それをこなすことに時間を費やさねばならない人は、たいていの場合、新しい情報を脳に入れることをしなくなります。私もそうです……。
なので、眞人がなぜ読書をしているかと言うと、「余裕があるから」だと言えます。
仕事以外の事にリソースを割くことができる、裕福な人間です。
生産をしなくても人並み以上に恵まれた暮らしを送ることができている。

ここで私が思うのは、後のシーンでインコが包丁を研いでいますが、このインコの研ぎ方は正しくないということです。。
そしてそれは、インコが、ただ「人間を食べたい」という短絡的な欲望を制御できなかった結果、人間が積み上げてきた叡智が失われたことが理由なのだと考えています。(なぜ短絡的なのかと言うと、インコ社会では農業も盛んなので、人を食わなくても生きていけるはずだから。ただ生命活動を営むための栄養補給を超えて、ごちそう、グルメとして人間を食ったはずです)
というのも、眞人が爺やからナイフの研ぎ方を教わっている時に、研石に水をかけておくことを習っていますが、インコは包丁を勢いよく回転する研石に押し当てるばかりで、水を使っていません。
そのため、石と包丁は摩擦で火花を散らしています。
これでは包丁を正しく研げているのかわかりません。
研ぎ方を間違っているとしたら、それはインコ達が鍛冶屋を食ったため、刃物を手入れする知見や技巧が失われたからに他ならないからでしょう。
眞人が屋敷で青鷺に、ポケットから取り出したナイフを向けた際、そのナイフは刃こぼれしていました。
けれど包丁研ぎインコの持つ包丁はギザギザに描かれてはいないため、包丁が研げていないという考えは邪推かもしれません。
しかし、「鍛冶屋」という職業について宮崎さんが語っていたことが印象的だったため、そこと繋げることができるのではないかと思います。
ただ、刃物を研ぐ際に水を使うことで摩擦熱を減ずることができるので作業の危険性を低下させることができたり、刃物へのダメージも減るので長持ちするようになるのだそうです。
その点を考えると、宮崎さんが、包丁が擦れて火花が散ることを描写しているのは意識的だったはずです。
また、鍛冶屋で眞人を待ち伏せしていたインコ達は後ろ手に包丁や斧などの刃物を所持していますが、それらははっきりと刃こぼれしていることが確認できます。
鍛冶屋の工房なので、当然研ぐための道具は揃っているはずなのに、それらが刃こぼれしているのは、やはり鍛冶屋の仕事が受け継がれていないからでしょう。
一部包丁を研ぐことができるインコはいるけれど、包丁が長持ちしないような研ぎ方しかできない。
恐らくインコ達には製鉄の技術はないだろうから、現存の包丁や斧が摩耗しきって使えなくなったら、新しいものを作り出すことはできないでしょう。

私の推測が誤っている可能性も多大にありますが、そうであるとしても、宮崎さんが「鍛冶屋が食われた」ことをわざわざ強調して描いていることには意味があると考えるほかありません。
生活のために「必要不可欠」な仕事だけを残していくと、人間が長い時間をかけて習得した知識が失われて、「生きる」ことしかできなくなってしまわないでしょうか。
鍛冶屋のように、刃物を鍛える技巧は、人類に強力な武器を与え、争いの火種になってきたかもしれません。
しかし、そういった技術の発展なくして人類の進歩もなかったはず。
技術発展に従事しているという意味では、鍛冶屋は風立ちぬの二郎のような存在だったのかもしれません。
二郎は美しい飛行機を作りたいという夢を抱いており、それ自体は純粋なものだったと言えますが、その当時の日本は貧しく、飛行機を作ろうとすると戦闘機を設計することになる。
軍事技術の発展に寄与し、国が間違った戦争に突き進むことに間接的ながら加担することになる。
そしてその罪を二郎は意識していたはずです。
宮崎駿さんが、原子力発電に反対なのは有名ですが、しかし、そういった発電で得たエネルギーでアニメーションは制作され、世の中に流通しているはず、
風立ちぬを見れば、宮崎さんがそういった功罪に自覚的なのは明らかなことですが、君どうでも宮崎さんはそんな解決できない葛藤を盛り込んでいるのだろうな、と私は思いました。
(大叔父が持つ石が放つ青い光と、インコが研ぐ包丁と研ぎ石の火花がダブって映されるシーンがありますが、青い光といえば核融合におけるチェレンコフ放射光というものであるのが定説なのだそうで……核の武力と、武器が同一の存在として用いられていることが分かるシーンだ、とする評がありました)

宮崎さんが鍛冶屋の仕事に、アニメ作家・アニメーターである自分を投影していると考えると、「鍛冶屋が食われた」という事件に対して、一つ思うことがあります。
風立ちぬ完成後に、スタジオジブリのアニメーション制作部門が解体されました。
ジブリの制作体制を変更するために、鈴木敏夫さんがリストラクチャーを決定したといった話でした。
ジブリは継続してアニメーションを制作するために、制作スタッフの社員化を推進していたので、スタジオを運営するだけで大きなコストが生まれ続けるので、体制を維持するだけでも大変だという話ですね。
高畑さんの映画制作は遅々として進まないし、宮崎さんも長編映画制作から引退すると宣言したことで、ジブリという職能集団の機能を維持するだけの収支の見込みがなくなってしまっては、まぁ、そうするしかないですよね……。
とはいえ、アニメーターが去ってしまったために、短編映画毛虫のボロの制作は難航し、当初CGを大々的に導入する計画だったものが(どうやら)頓挫、結局ほぼ手描きアニメーションで作り直すハメになりました。
で、手描きアニメを制作するためのアニメーターの多くはすでにスタジオを去った後……「鍛冶屋を食ったせいで困窮するインコ」のような状態になってたんじゃないかなと思います。

また、君たちがどう生きるかについては、制作の内情があまり明かされていませんが、作画スタッフとしてクレジットされている多くのアニメーターは過去に宮崎さんと仕事をした経歴があるものの、現在ジブリに籍を置いていない人が多く見られました。
そんなジブリの顛末を考えると、「鍛冶屋を食った」ことで今後困窮する可能性があるインコと、アニメーション制作部門を解体したことで制作が難航したジブリは近い状況ではないかと思いました。
良い仕事をしている風だけれど維持するのにやたらとお金の掛かる人達を斬り捨てる、ってことをする社会の顛末なんじゃないかなぁと……。
鍛冶屋を食っちまってるってことは、きっと他にも第一次産業に従事しない人間も食われている可能性は高いですからね。
コロナ禍で、エンタメ産業にいる人達に十分な補償なかったりしたことにも顕著ですよね……補償はしないのに、「イベントの中止要請をする」なんてこともありましたな。
まぁ蛇足の可能性がある考察ですが、「鍛冶屋」についてはあんまり触れられなかったので考察してみました。

また、眞人は暴力的な思考を持ってナイフを研ぎ、青鷺退治という「仕事」をこなそうとしましたが、インコたちは悪意はなさそうだけれど、その強欲さによって鍛冶屋を食い、また眞人のことも食おうとしています。
おそらく眞人は、「武器を持つ」ことがどんな責任を伴うものかを、異世界の冒険から知るのではないかと思いました。
自分の中に潜む悪意を、悪意とは気づかずにいて、悪意にそそのかされて行動してしまったことへの自省があるのではないかと。
「悪意のある石に気づく」→「悪意のある石が火花を発する」→「火花がインコが包丁を研ぐ石の火花とダブる」なので、インコが持つ包丁にも無意識の悪意や攻撃性が潜んでいるって描写だと思うのです。
善と悪を知る旅だったのではなかろうか、と……。

インコが鍛冶屋を食ったのって、インコの食欲に起因していそうな気はするけど、勢力を増して人間の領域を侵犯しようとする意識も働いたのではないかなとも思うんですよね。
パンフレットによると、インコは「大衆の戯画」であるらしいし、そんなインコが右翼っぽいなーというのも、そんな風に思う理由です。

・インコの仕事
インコは色分けされており、綠、黄色、水色、赤っぽい色とあります。
水色インコはTwitterの暗喩か? と思ったけど、それらしい描き方はなかったので、まぁ邪推です(笑)。
最初に出てくるインコは緑色で、フォークのような武器を持っています。警備をしているんですね。

石に気絶させられた眞人とヒミを発見し、確保するインコ達は全員赤っぽい色です。
赤っぽい色は特殊な役割を担っているのかな……と思ったのですが、私にはこれといって特別な解釈は思いつきません。

インコの社会にも産業があるようで、農作物は収穫できている。
それらが低品質であるといった描き方にはなっていませんが、ただ、インコが楽しそうに作っているケーキは野菜や果物をそのまんまのっけて盛り付けていて、めっちゃまずそうであることは明らかに作為的。
あれも、もしかしたら料理人がすでに食われてしまったから、調理の知識や技術が失われてしまったって描写なのかもしれないです。
インコの仕事は隅々までずさんずさん……。

インコがしている仕事を確認すると、
「農業(インコの暮らしが見える)」
「つがいを作ってラブラブする(インコの住処の石が映るシーンでわかる)」
「料理をする。包丁使いがめっちゃ下手」
「屠殺する。眞人が鎖で繋がれている場所に、牛の頭蓋骨らしいものが転がっている。また、インコがケーキを作っているのでクリームが存在しているし、ヒミはバターを作っているので乳業は盛んなはず」
「電力がある」
「飲食店で乾杯しているので、調理や造酒の技術はある(乾杯、と言いつつお酒ではない可能性はあるが)」
なので、電子機器はないだろうけれども、文明はそれなりに発達していることがうかがえます。
まぁ、それらの文明を発展させたのは人間であって、インコは人間を食って後釜に座っているだけなのかもしれませんが……。
あとは頭が良すぎる大叔父がインコに文明を授けたのかもしれないですね。
(でも電飾の看板があったりするから、電気に関する技術は発達しているのかもしれないですね……人間が作った装置を見よう見まねで使っているだけかもしれないけど)

・眞人の仕事
眞人は青鷺のくちばしの穴を埋める栓を作ります。
これには眞人の手先の器用さと、爺やから教わった方法で研いだナイフが活用されます。
なんか私、このシーン泣きそうになるんですよね……好きなシーンです。
もともと眞人は、強い敵意を持って青鷺を倒そうとしていた感じではなく、正体は分からないが、自分が母の死から立ち直っていないことを暴かれているということや、「眞人」と夢の中で自分の名を呼ぶ母の声を真似られたことで「母さんを汚された」と思ったことで、青鷺を懲らしめてやろうと思ったのではないかと思います。
くちばしに開いた穴のせいで本領を発揮できないことを嘆く青鷺に、「棒でも突っ込んどけば?」と冷たくあしらう眞人。
青鷺は「お言葉ですがね、穴を開けた本人が塞がないと意味がないんだ」といった旨のことを青鷺は言い返して、眞人は持っていた木の棒をナイフで削って、穴を塞ぐための栓を作り出します。
これには、夏子探しの足手まといになりかけていた青鷺の能力を取り戻して、道中の苦労を減らす目的もあったとは思いますが、眞人は自分が傷つけた青鷺を癒やそうとする思いもあったと思います、
そして、青鷺の言う「穴を開けた本人が塞がないと意味がない」という規則は、眞人が自分で頭に付けた傷のことも指しているのだと思います。
眞人は、頭の傷が自分の悪意の印であることを受け入れて、最後に傷をそっと撫でる。
眞人が自分で開けた穴を塞いだのだと思います。
穴を開けた本人が塞がないと意味がないということを、眞人は青鷺から教わる。
青鷺は眞人に心を許して、眞人の行く道の手助けをするようになる。
眞人は仕事によって自分の道を切り開いたことがわかるシーンだと思います。
眞人は塞ぐことができないことを受け入れる話なのだとも思いました。

・大叔父の仕事

大叔父の仕事がよくわかんないんですよね……。
大叔父は積み木を顔面汗まみれにしてツンツンしています……。
大叔父の話すところによると、大叔父の積み木に世界の命運が左右されるということでした。
「これで世界はあと一日は持つだろう」とのこと。
そんで、インコ大王が積み木を崩壊させると、大叔父の積み木も崩れて、世界の崩壊が始まる。
インコの暴挙と大叔父の積み木の塔が連動しているのかは不明です。

大叔父の語るところに寄ると、石との契約によって、大叔父の血を継ぐ者でなければ仕事を任せられないとのことでした。
ここも詳細は語られないけれど、まぁそういう話だと受け取るしかないですよね……。
「眞人、私の仕事を継がぬか」と、明確に仕事の継承であることが語られる。

大叔父は眞人に、「お前は一つの積み木を足すことができる」として、変な形の積み木を眞人に差し出します。
眞人はその後、すぐに空想で、大叔父の積み木の塔に一つの積み木を足すことを思い浮かべます。
この時点で、眞人には積み木を積む才能が備わっていることを予感させます。
しかし、「それは積み木ではなく、墓と同じ石です。悪意があります」と、答えます。
大叔父は「その通りだ。それがわかる君にこそ継いでほしい」と続ける。

正直、積み木を積むのがなぜ困難な仕事なのか、全くわかりませんが……。
なんか絵的に謎めいていていいのはわかるのだけど、「継ぐのが大変そうな仕事」であることがパッと見てわかるようになっていた方が面白そうな気がする……。
もちろんアニメ制作だって、「なんかわからんけどパッと作れるんちゃうの?」と軽んじられていそうだし、そういう端から見たら楽ちんに見えるかも知らんけど多大な苦労があって作り上げられるものってニュアンスもあるのかもしれません。

ただ、ここで気になるのは、大叔父の血を継いでいる人物がもう一人この異世界にはいるということ。
ヒミですね。
ヒミは利発そうだし、眞人よりはこの世界の色々なことを知っているし、彼女を継承者にするわけにはいかないのかなー……と思ったんですが……。

眞人が持つ「悪意を見抜ける」素養は、多かれ少なかれヒミにもありそうですし……。
それこそ、眞人が踏み砕いた石に興味を持っていると、「何かが残っているかもしれない」ことは見抜けるわけなので……いや、「かもしれない」と、残留物を見抜けないところからすると、見抜く力は眞人に劣っているってことを示しているのかな。

眞人が他の人と違っているところとして、読書が好きってところもありますが、読書の習慣で人の心の機微に敏感になっているのだとしたら、それこそヒミは眞人のために本を贈るくらいなので、読書が好きだったことが伺える……なので、眞人がなぜ継承者としてふさわしいと認定されているのかわからん……まぁ答えは用意されていないのかもしれませんが……。

ヒミが大叔父と接点があり、互いに認識していることは明らか。
推察ですけど、ヒミは大叔父に憧れていることから、異世界に残留しているのではないかと思いました。
というのも、異世界には文明がわずかにしかない。
ヒミの家には、読みかけのデカくて分厚い本がありましたが、あれは現実世界の塔の中にあった大叔父の蔵書だったのではないかと思うのです。

いくつかの点で推察するしかありませんが、まず事実として、スタジオジブリで映画を監督した作家は短編・中編を含めると10人いますが、女性は一人もいません。
もちろん監督以外の重要な仕事を女性が担っていることはありますが、「監督」に女性がいないことは事実です。
また、『猫の恩返し』を監督した森田さんは、宮崎駿さんから直々に監督に就く気はないかと誘いを受けたといいます。
森田さんは返事に迷っていると、「はっきりしなさい、男の子でしょ!」と宮崎さんから推されたと語っていました。
もちろんこの一言を取って、宮崎さんのジェンダー観を断じることはできませんが、僕は宮崎さんの中で監督ポジションは男がやるもの・やるべきもの・やったほうがいいものであるといった考えがあるんじゃないかと思いました。

ジブリ映画で、女性がリーダーを担う位置についていることは多くありますが、どこか根底には男尊女卑っぽいものがあるように思うんですよね……。
湯婆婆みたいにハキハキしていても、息子には激甘で、その子煩悩っぷりが業務に支障をきたしたりしているし……。

なので、大叔父が継承者に眞人を選ぶのは、「男だから」って線が順当な気がするんですよね。

また、大叔父が眞人を小高い丘に案内しますが、そこには大きな石が中に浮いている。
その石こそ宇宙から飛来したもので、大叔父は石と契約して力を得てこの異世界を作ったと言うことがわかる。
これなのですが、石の形状や色は、もののけ姫の冒頭で、アシタカに呪いをかけたイノシシに打ち込まれていた石に似ていると思います……だからこれって、力を与えるが呪術的な存在なんじゃないかなと思います。
また、草のそよぐ丘で、年配の男性から仕事の素晴らしさを語られて、継承するような誘いを受けるという展開なのですが、『風立ちぬ』の二郎の夢の中でカプローニさんが飛行機の素晴らしさを語るシーンに似ている気がするんですよね。
ここで大叔父は眞人に、狂気を継承しようとしているんだろうなと思われます。

・これは私の仕事だ
インコ大王が大叔父のいる空間に行く際、「お供させてください」と言う群衆インコに対して、インコ大王は「これは私の仕事だ。諸君らはここで吉報を待て」と制止ます。
よく分からないんですが、インコ大王は大叔父の元へヒミを連れて行くことを大王の仕事と捉えているようです。
そんで、そこに来るまでにパレードを催しているくらいなので、よほど華々しい仕事と考えているもよう……。

インコ大王はヒミと大叔父の関係を把握しており、大叔父の血族であるヒミが産屋に入るというタブーを犯したことで、大叔父の空間(よくわからん世界)に立ち入る口実を得たといったところでしょう……。
多分そこから、大叔父の仕事を自分が継ぐか、大叔父を失脚させようという意図があるように見えました。
また、大王は群衆インコとの対話や、塔の上の方までヒミを運んできた二匹のインコに「王は王らしく進んだと伝えよ」と語っていることから、自分がもう戻るつもりがない野田と言うこともわかります。
それは命を落とすということなのか、人と離れて暮らす仙人のような大叔父に成り代わろうとしているのかは、私にはわからないのですが……。
ただ、最後には眞人の代わりに勝手に石を積んで、その積み方がどう観てもバランスを欠いていたせいで石の塔は当然のように崩れ落ちます。

この大王って、「宮崎駿が創り上げたキャラクターを真似たイラストを描く鈴木敏夫」じゃね? とも思ったりはするんですよね…。
鈴木敏夫は、近年になって随分とトトロを描いてます。
たとえばLINEスタンプで販売されているトトロのスタンプは「鈴木敏夫が描いたトトロ」です。
鈴木さんは、駿さんに、自分が描いたトトロを見せて「宮さんよりも上手く描けるようになった」と豪語したりしていたそうです。
最近すげー引いたのが、アメリカのミュージシャンであるビリー・アイリッシュが来日した際に出演したテレビでの一場面。
彼女はジブリの愛好家で、「初恋の人はハク」と語っているほど。
そんな彼女に、ジブリのファッションブランドのスカジャンと一緒に、カオナシのイラストが描かれた色紙がプレゼントされたのですが、それを描いたのが鈴木敏夫だったのです。
ビリーが、サインに記名されている人物の名前までわかったかはわかりませんが、鈴木敏夫って誰やねん…? ってなるでしょう…。
まぁ宮崎駿さんはもうメディアへの露出をしないのだとは思いますし、宮崎さんが、鈴木敏夫がジブリのキャラクターを描いてばら撒いていることを知っているかは知りませんが、この鈴木さんの仕事に引いている人は結構多いはず……。
岡田斗司夫さんが風立ちぬの予告編を観た時に語っていたこととして、「宮崎駿の映像の美しさを堪能したいのに、デカデカと鈴木敏夫の直筆の文章が出てきてる。鈴木敏夫が長年裏方でやってきたけど、彼のエゴが肥大化している証拠だ」というものがありますが、まぁ、同感っすね……。
カンヤダさんに惚れ込み、タイにジブリ公認のレストランをオープンさせて、速攻で閉店になったりもしておりましたな……。
多分駿さんは自分たちが丹精込めて作り上げた作品を好き勝手に使ってお金を稼ごうとする人を描こうとしたのだと思いますが、どうにも、鈴木敏夫さんに見えなくはなかったりするんですよね……。

・眞人の弟と飛行機
ラストシーンで、勝一と夏子と、おそらく2歳くらいであろう眞人の弟がいますが、この時眞人の弟は飛行機のおもちゃを手に持っています。
零戦にも似たデザインなのですが、はっきりとは見えませんでした…。
彼が父の仕事を継ぐ可能性がある存在だということは、なんとなくわかりますよね。
眞人が読書好きなのは、おそらく母であるひさこ譲りでしょう……勝一が本を読むような気配はないので……。

以上がこの映画から見える「仕事観」でした!
この後、駿さんとその周辺人物が、血族に仕事を継承させるのか問題について書きます!

 - ジブリ作品, 君たちはどう生きるか, 映画

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