LA LA LANDのすべて 春
春は出会いの季節ですね。
物語は春になり、映像は野外のシーンが多くて開放感を観る側に与えます。
良い構成ですね。
ところで冬編でも、ミアはドレスを着て夜の街を歩いていましたけど、LAってそんなにあったかいんですかね? わからん。
・パーティ会場
あれだけパーティ行きを嫌がっていたミアも、今では昼間っからパーティに繰り出しています。
冬編よりも、「ハリウッドの俗物」に染まってきた感じですね。
友達に脚本家のカルロを紹介されますが、彼は聞いてもいないのに自分の仕事ぶりをベラベラ喋り始めます。
俗物の中でもおそらくザコキャラなのかと……。
けど「嫌なやつ」としてあんまり馬鹿にしない描かれ方なのがいいですよ。
日本の映画だと、ザコはわかりやすくザコ中のザコとして描かれますからね。
いや、それは僕が日本で暮らしているから、日本映画をクサいと感じるだけで、ハリウッドの人からしたらこの脚本家の描き方はクサいのかな……。
脚本家から逃れるようにカクテルを取りに行くミア。
会場ではバンドがアーハの「テイク・オン・ミー」をカバー演奏しています。
この曲は日本でもよく流れているので、誰もが聴いたことのあるものですね。
にしても、このボーカルは異様にしゃくりあげを挟んできたりして、自分の歌に浸りまくってる人のカラオケみたいな感じですね。
しかもコーラスまで自分でやってるという……かなり笑えます。
そしてミアは、そのバンドでキーボードを弾いているのがセブだということに気付きます。
テイクオンミーが終わり、ボーカリストが曲のリクエストはないかと呼びかけます。
誰も反応しないなか、ミアは手を上げてアピール。(ここでもセブは「BGMでしかない音楽」を演奏しているわけですね)
ミアの後ろにいるマッチョな男性が「なにあれ」みたいにうすら笑いを浮かべているところもいいですね。普通はそういう反応になっちゃいますよね……(笑)。
ボーカリストはミアを指名し、彼女は「アイ・ラン!」とリクエスト。
「すばらしいチョイスだね! ピアノマン、始めるぞ!」
とボーカリストはセブに指示。(ピアノマンとしか呼ばれません。名前を呼ばれないことに注目。ちなみにピアノ・マンはビリー・ジョエルの曲名から? セブのことを茶化しているのでしょうか)
そこでセブは、その客がミアであることに気付いてギョッとした顔をします。
ミアは冬編でセブのことをうっとりとした目で見つめていたから覚えていたのでしょうけど、セブはほんの一瞬しか彼女を見ていなわけで……ふつうは忘れそうですが。
しかしもしかしたら、セブにとってもミアには惹かれるものがあったのかもしれませんね。
曲が始まると、ミアは即興で踊り始めます。
この時のミアの顔がめちゃくちゃ腹立たしいんですよ!
特に曲が終わって、わざとらしい笑顔をセブに向けるところ。
なんというか、こういうところを見ると、本当にミア役はエマ・ストーンしかなかったなと思いますね。
その後、バンドの演奏はいったん休憩に入ったのか、ミアを探し回るセブ。
BGMはソフト・セルの「テインテッド・ラヴ」という曲が原曲そのままで流れていますね。
汚れなき愛という、原題とは真逆の邦題が付いています。
↑このビデオ、ちょっとCD版と音質が違う気がします……。
セブはミアに「本物のミュージシャンにアイ・ランを演奏させるのはひどいだろ!」と文句を言います。
しかしミアは「本物のミュージシャン? じゃあこの衣装を貸して。今度本物の消防士の役のオーディションがあるから」と、悪びれないどころかさらにからかいます。
このギャグ面白すぎますよね……。
ところでこの時ミアは「マイ・ロード」とセブのことを呼びます。
マイ・ロードっていうのはご主人様のような意味。目上の人を敬う呼び方だと思います。多分。
ジョージ・ハリスンがマイロードマイロードって言いまくる歌を歌っていましたけど、確かあれは神様のことを歌っていたはずですし。
セブのことをこう呼ぶ時点で、からかってるわけですね。
そしてセブはここでミアの仕事を聞き出し、「なるほど、本物のバリスタだから俺のことをからかえるわけだな?」と、かなりきつい皮肉を言います。
このシーン、やり返しの応酬がかなり面白いです。
うまくできています。
その後、バンドのボーカリストが演奏を再開することを告げてセブの胸を叩きます。
セブはミアに「彼は俺に指図できない。俺が指図をさせてやったんだ」と強がりを言います。
そして「君の名前は?」とミアの名前を聞き出しますが、自分は「映画で会おう」とだけ言い残して去っていきます。
要するに、この先直接会うことはないだろうけど、君が映画に出ているのを僕はいつか見るだろうという皮肉ですよね。
人に名乗らせておいて、自分の名前は教えない。
ある意味で、これは、セブのミアに対する態度を象徴していますよね。
あと、字幕ではここで「スクリーンで会おう」と出ていましたけど、それはちょっと伏線を分かりやすく提示しようとした翻訳かなって思いました。
・パーティバンドの選曲について
最初に流れるテイク・オン・ミーは85年の曲。
続いてアイ・ランは82年、テインテッド・ラヴは81年の曲でした。
広くくくるとシンセ・ポップとかニューウェーブというジャンルに入りますが、同時代的な音楽・ミュージシャンと言えるかというと微妙ですね。
英米の音楽のトレンドの流れは日本と比べるとかなり早いので、3年の差は大きいです。
ただどれも、電子音の打ち込みやシンセサイザーを積極的に取り入れている楽曲なので、セブが好む生演奏のジャズとの対比として扱われているのでしょう。
のちのちのキースの描かれ方を観てもわかるように、多分シンセとかキーボードというものがジャズを絶滅させた根源なのだ、という感じで扱っているんですかね。
ドラマーも、ドラムパッドで演奏しているところがいいですね(笑)。
(ソフト・セルはとても好きなグループなので、テインテッド・ラヴのことはディスっていないと信じたいのですが……。彼らの残したアルバムは今でも傑作という評価が残っていますよ。チップス・オン・マイ・ショルダーという曲やばいくらいかっこいいです。1stは名曲の宝庫)
また、ジャンルとしてのくくりとは別にしても、これらの曲はいわゆる80’sと呼ばれる懐メロですよね。
セブがジャズのレジェンドたちを愛好し、古き良きジャズの復興という夢を持った男であることと同じで、このバンドもまた別種の回顧主野郎どもなのだと言えます。
セブがバンドで居心地が悪そうにしているのは、同族嫌悪からなのだとも言えますね。
ただ、セブが「復興」を目指しているのとは異なり、このバンドは「そこにいる人間が誰一人としてちゃんと聞かないBGM」を演奏していることを楽しんでいるように見えます。
そこに甘んじているというか、誰にどのように聴かれるかを気にせず、自分たちの好きなことができればそれでいいと思っているのではないかと。
この先、セブも「他の人がどう思うかなんて気にするな」とは言いますが、本当に気にしていない人のなれの果てであるのかもしれないですよね。
「自分が好きなことをやるのが大事なんだ」と口にするクリエイターは多くいますが、しかし、それだけではいけないはずなんですよね。
事実、自分の好きなことをしていても、人に見向きもされないクリエイターは山ほどいるわけですから。
ララランドではしっかりとした言及がされていませんが、そういう、クリエイターになりそこないの人の方が数としては多いはずですからね。
この先、さらに歳を重ねたチャゼル監督がそういったモチーフの作品を作る可能性はあるのではないでしょうか。
ミアから「消防士」と揶揄される特殊なコスチュームですが、80年代のイギリスには、今の時代から見るとかなり面白い格好をしていたバンドもけっこういたのですよ……。
後述しますが、チャゼル監督はイギリスが嫌いなんですかね。
アーハはノルウェー出身で、イギリスでヒットしたバンドなので、イギリスという枠ではないかもしれませんが……。
80年代前半、ニューロマンティクスというムーヴメントがあり、ソフト・セルなどはその一派と目されていたようです。
ニューロマンティクスとされたバンドには、他にデュラン・デュランやカルチャー・クラブなどといったアメリカでも知名度の高い(と思う)グループもいたので、その辺のバンドへの言及があってもよかったのかな……と思いました。
どちらも面白いカッコをしてたバンドですし。
服の肩幅がとんでもなく広い感じ。
けどそれら2つのグループも、シンセサイザー使いが多かったわけではないので、やはりピアニストであるセブとの対比のために音楽が選ばれていたのでしょうね。
・テインテッド・ラヴとセブ(そしてデミアン監督)
テイク・オン・ミーとテインテッド・ラヴはアメリカでも大ヒットを記録した曲です。
アイ・ランの知名度がどの程度かはわかりませんが、同曲を収録したアルバムはグラミー賞を受賞していたので、おそらくはアメリカでも有名な曲なのでしょう。
テインテッド・ラヴは81年に発表されましたが、実はこの曲はカバー曲なんです。
原曲はグロリア・ジョーンズという歌手が歌っており、64年に発表されたそう。
64年当時、別にヒットしていたわけではなく、むしろ売れなかったそうです……(日本語版ウィキペディアには彼女のページはありません。T.レックスのマーク・ボランの恋人として有名ですね)
ちょっとソウルっぽいガールズ・ポップという感じですかね。
それをソフト・セルは、打ち込みとシンセサイザーによるアレンジでカバーしています。
僕が、テインテッド・ラヴの使用はネタとしてではなく、好意的な理由で使っていると思いたいのは、ここにも理由があります。
ミュージシャンも、映画製作者も、海外で名を成している人は過去の名作に触れている人がとても多いんですね。
ミュージシャンであればインタビューで過去の音楽からの影響を語っているし、楽曲をカバーしたりしている。
映画監督でもインタビューで語っていたり、オーディオコメンタリーで影響を受けた作品の名前を挙げたりしている。
チャゼル監督もそういう人です。
しかし世間には、今流行っている映画や音楽を楽しんでいる人の方が多いですよね。
業界に入れば近い趣味を持つ人に巡り合う確率も上がりますが、10代の頃に流行りものではなく古典を漁っているタイプの人は孤独になりがちではないでしょうか。
チャゼル監督は、「人に理解されず、孤独を抱えながらも古典と向き合い続けることでしか得られないものがある」ということを表現しようとしていると思います。
『グランド・ピアノ』で、主人公のピアニストは、自分の師匠が遺した、演奏するのが超難しい曲をコンサートで失敗し、そのトラウマから表舞台を去った過去があります。
ですが、主人公の師匠が遺したピアノの中には莫大な遺産の入った金庫を開ける鍵が隠されており、その鍵は超難解な曲をミスせずに弾きこなすことでピアノから出てくる仕掛けになっていて、その秘密を突き止めた謎の男に脅迫されて主人公は再びコンサートでその楽曲の演奏にチャレンジします。
トンデモ過ぎる話ですが、そーいうあらすじなのです……(笑)。
先にも書きましたが、主人公はその曲の演奏をわざと間違えます。
この、「師匠の遺したピアノの中に鍵がある」というアイデアは、チャゼル監督が、天才作家たちが遺してきた作品の中に莫大な英知が秘められているという考えを持っているから出てきたのではないでしょうか。
後述しますが、セブも、ジャズ・レジェンドたちが遺した作品のコピー演奏にいそしむ男です。
また、ソフト・セルも、シンセサイザーを使ったダンス・ミュージックが興隆してきた時代に、60年代のガールズポップ・ソウルの曲を探り当てたことで注目を浴びました。
そういう存在なので、監督はソフト・セルのことを嫌いじゃないと思うんですよね……。
ところでテイク・オン・ミーもアイ・ランも、映画オリジナルの演奏なのにサントラには収録されていません。
版権の関係で収録できない、もしくは収録するのに多額の印税が発生するために外されたのでしょうか……。
サウンドトラックに入れると、他の曲と相性が悪く浮いてしまうから入れなかったという可能性もなくはないと思いますが、本当の理由はなんでなんでしょうね。
これはこれでけっこう好きなので、寂しいところ。
・パーティが終わって
夜になり、パーティもお開きといったムードになっていますが、ミアは駆け出し脚本家の彼に捕まったままです。
「J・キャンベルを知ってる?」と彼が尋ねると「Ah…Yeah」と曖昧な返事で相手に合わせるミア。
相手が自分の話など聞かずにまくしたてる相手だと、適当に相槌を打ち続けることってありますよね。
ただ、後述しますがこの相槌は、ミアが相手に流されてしまいがちな、ノーと言えない性格になりつつあることも示していると思います。
また、J・キャンベルというのはジョーゼフ・キャンベルという神話学者のこと。
彼が世界中の神話や昔話を調査してまとめあげた著作はハリウッドではバイブルのように扱われており、スターウォーズがキャンベルの神話論をもとに作られたことはあまりにも有名な話です。
冬編で書いたことですが、セブの物語は基本的にはスタンダードな英雄の旅として作られているのです。
作中でキャンベルの名前を出していることからも、それは明らかですね。
ですがここで駆け出し脚本家は「僕は三匹の熊を、熊の視点から描く。そして四匹目の熊を出す。ヒット間違いなしだ」とミアに話しています。
ヒットするわけねーだろ(笑)!
このシーンは映画館でも笑いが起こっていました。
どういう発想なんですかねこれ……チャゼル監督はギャグの作り方がほんとにうまいですよ。
で、そこから逃げだせずにいるミアの前を、スーツに着替え直したセブが通りかかります。
セブのことを「ジョージ・マイケル!」と呼び止めるミア。
ジョージ・マイケルはワムのボーカルだったミュージシャンですね。
このグループも、ラストクリスマスやウキウキウェイクミーアップやフリーダムなど、日本でも頻繁に曲が使われていますね。
(しかしジョージ・マイケルがワムの元ボーカルだと知っている20代は果たしてどれくらいいるのでしょう……。意訳した方が良かったのでは……。まぁ「オカマ野郎!」というのも違うし、難しいとは思うんですけど。チャゼル監督は固有名詞を織り込むギャグをよく使う人なので、次の作品の字幕作成の時は気を付けてほしいなぁ)
ワムが活躍したのが80年代中盤のことなので、ここでもやはり80’sのイギリス音楽をネタにしています。
16年の12月に亡くなってしまったので、ちょっとだけ不謹慎なギャグにはなってしまったのですが……ララランドのアメリカ公開から約3週間後のこと。
タイミングが微妙過ぎる。
それはそれとして、ここでやはりミアはセブの名前を呼びません。
教えられていないから。
だから、さきほどのシンセ・ポップいじりの続きとして、この名前で呼ぶんですね。
そしてこの後も、セブがミアに自分の名前を教える場面は出てきません。
ちょっと寂しいですね。
ミアはセブに知り合いのフリをさせて、それを口実に駆け出し脚本家から逃げようとします。
しかしセブはミアを困らせるためなのか、積極的に動こうとしてくれません。
ミアはキーボックスから「私の鍵も取って!」と言いますが、セブは「取って?」と聴き返します。
ミアは「お願い!」と言い足すと、セブはやっと動きます。
これは会場でのやりとりの反復です。
会場でセブはミアに「あの時は悪かった」とまず謝りますが、ミアは「いや、クソ野郎だったよ」と言い直させます。
お互い相手の上に立とうとしているんですね。
ですがキーボックスはプリウスの鍵しかない。
「どの鍵?」とセブが聞いても「プリウスよ!」とミア。
「プリウスばかりだ」と言うと「緑のリボンの!」と言い、セブは鍵を見つけ出すことができます。
・夜道を歩く二人
キーボックスがプリウスだらけなら、会場外に停めてある車もプリウスだらけ。
ミアは鍵のスイッチをポチポチと押しながら歩いて、自分の車を探します。
セブはそれに興味もなさそうな顔で、茂みに石を投げながら歩いています。
ここの、プリウスだらけだというやつ……ハリウッドのハイソな人々はプリウス(エコな車)が大好きだという揶揄でしょうか。
まぁハリウッド映画なので、プリウスが出資している可能性が濃厚ですが……。
しかしミアの車もプリウスだというのは、ミアがすでに「ハリウッド・クリシェ」に染まりつつあるということだと思います。
どのような集団でもそうですが、「このアイテムは持っていることがステータス」という品ってあるじゃないですか。
ここではプリウスがそれにあたる役割をしていますね。
車を探し当てられないミアに、セブは「キーをあごに付けるんだ」と言います。
ミアはその言葉を疑うことなく、キーをあごに付けてボタンを押します。
セブは「頭がアンテナの役割になる。ガンになるが有効だ」と言います。
リモコンが発する電波が、人の脳細胞を破壊するとかって話がよくりますね。
要するにミアをからかったんですね。
これは顰蹙を買うことは承知で書きますが、女の人をからかうのって楽しくないですか……?
女の人って、すごく素直じゃないですか。
からかってやろうと思うと、素直にひっかかってくれて、楽しいんですよ!!
それがこのシーンにはすごく出ているんですよ……。
引きのショットで撮影されていますが、このシーン、セブの視点から見たらミアはめちゃくちゃかわいいはずです……。
これはちょっとミソジニーの入った考えかもしれませんが、多分チャゼル監督はちょっとミソジニーの気がないでしょうか。
そして二人は街を一望できる、とても見晴らしのいいスポットにたどり着きます。
すごく美しい空もようですが、これはなんとCGではないそうです。
ララランドでは、すごく美しい風景が出てきますが、基本的にCGを使っていないそうです。
このシーンも、夜景が美しい時間帯が訪れるのを待って撮影に挑んだそうです。
ララランド、ほんとに努力のたまものなんですよ……コンピューターに頼らないという執念が尋常ではないです。ストイック過ぎ。
そして突然セブが歌い始めます……。
「こんなに綺麗な夜景が望めるスポットに、一緒にいるのが君でもったいない。普通恋に落ちるぜ。けど君は、僕のタイプじゃないんだ」という感じの話。
ミアも負けじと「それを決めるのは私のほう。恋に落ちたりするのはおしゃれをしてない子。ロマンスが始まるチャンスを待ち構えている子よ。私はそうじゃない」という感じの歌を歌います。
しかし二人は一緒にダンスを踊るうちに距離が縮まっていき……最後はキスをしそうになります。
そんなタイミングで、ミアの携帯電話が鳴り始めて、二人のロマンスは中断されます。
ミアは慌てて電話に出て、「ごめんね、すぐに行くわ!」とだけ言って電話を切ります。
彼氏なんだろうな……ということがぼんやりわかります。
その後、セブに教わった「頭をアンテナにする方法」でミアは車を見つけます。
ミアは「あなたの車のところまで乗っていく?」と言いますが、「すぐそこだから大丈夫」と断り、ミアの車が去っていくのを見送ります。
一人になったセブは、さきほどミアと一緒に踊ったステップを反すうしながら歩き出します。
そしてセブが車を置いていた場所は、なんと、パーティ会場のすぐ目の前でした。
セブは、ミアと一緒に歩きたかったから、自分の車をスルーしたのでしょう。
(論理的に考えるなら、すぐに車に乗り込んだら駆け出し脚本家君に見つかってしまうからちょっと遠回りをしたのかもですが)
これ、かなりときめきポイントでしょう……。
この映画、セブの動きにときめきを覚える映画でもありますね。
いいですよ。ほんと。ララランドは。
チャゼル監督の引き出しの多さにちょっと驚かされます。
天才です。
・ダンスシーン
完全にピッタリと合った動きではないのですけど、それがいいですよね。
あと、ダンスが終わった後にちょっと息が切れてるのもいいです。
いいです、としか言いようのないシーンですね(笑)。
・ミアの職場にセブが現れる
出勤途中? にもミアは微笑みながら空を見上げ、足はセブとの踊りを反すうするようにステップを踏んでいます。
二人とも、あのダンスを忘れられないのですね……。
その後、仕事中のミア。
「このベーグル、グルテンフリー?」とお客様に問いかけられます。
「あ……違います」と答えると「返金してちょうだい!」とさらに詰め寄られてしまう。
ミアは店長に相談に行きますが、店長はタブレットをいじりながら「金曜日は閉店の担当だからね」と一言。
「金曜日は無理です」とミアは答えるも、「どうにかしてちょうだい」と言われてしまう。
ここでもミアの勤務態度の悪さが……。
そんなミアの元へセブが現れて「やぁ、また君か!」と声をかけてきます。
「スタジオの幹部と打ち合わせがあってね……」と言いますが、どう考えても嘘ですね。
ミアの仕事が後10分で終わることを聞き出すと、「入り口で警備員を巻いてきたんだ……トイレに隠れてもいいかな?」とミアに頼みます。
ミアはそれを承諾。
そしてベーグル交換要求意識高いオバサンのところへ戻りますが、「……店長に相談しますね!」と言ってオバサンを呆れさせます。
どれだけ仕事ができないんだ……という感じはしますが、まぁご愛敬。
ララランドのよいところって、それぞれの登場人物の欠点の提示がギャグとして描かれるところ。
もちろん、痛さを描くような、もう少しリアルなドラマであれば、欠点はもっと観る側にも突きつけるような描写になる必要があると思うのですが、ララランドの場合はコメディタッチで描くことが合っていますね。
しかし、こうして序盤で、欠点も笑いとして描かれている分、後半の「痛さ」がより一層際立ってきますね……。
チャゼル監督、天才です。
「かくまう」というのも、神話上ではよく見られる様式ですね。
「なにかに擬態して門を潜り抜ける」なんかも良く使われます。
・セブ、かわいい
「たまたま用があってスタジオに来ていた」という体裁を装ってはいますが、もちろん、セブはミアに会いに来たのです。
パーティの会場でミアが言った「ワーナースタジオのカフェで働いている」という情報から探り当てたんですね。
一歩間違えればストーカーかも知れません。
でもですよ!
純愛と、ストーカーに至るほどの執着心とは、紙一重なものではないでしょうか。
店長とミアがやりとりの向こう側、窓の向こうにセブが現れます。
そしてミアの姿を認めると画面から消えて、今度は店に入ってきます。
一度目の鑑賞では気づきませんでしたが、セブ、かわいいです……。
この時、ミアは窓に背を向けているので、セブは彼女の後姿を見て判別できたということになります。
愛のなせる業ですね……。
そしてこれも伏線になってくるというのが、すごいですね。
捉え方を変えてみると、セブは、ミアとの会話の一つ一つをちゃんと覚えているということですね。
で、ミアから聞いた情報をもとに、行動を起こしていくと。
いい男ですよセブ。
・セッションとの共通点と元ネタ
ところでこの、「カフェのレジに立っている女の子を、ミュージシャンになることを夢見る男が誘う」という場面には見覚えがありますね。
セッションでも主人公が、映画館の売店で働く女の子をデートに誘うシーンがありました。
先にも書きましたが、ララランドの脚本が完成した後にセッションが作られたので、流用されている部分が多くあるんですね。
ちょこちょこ言及しますが、セッションとララランドってほとんど同じ映画ですよ。
むしろセッションは、ララランドのラストの、さらに先まで描いた映画ですね。
また、ララランドで、セブとミアどちらの場面でも「コーヒーを入れるところを上から撮る」という絵がありましたが、これは『オール・ザット・ジャズ』という映画からの引用なのだそうです。
映画評論家の町山智浩さんが言っていました!
オール・ザット・ジャズは、主人公が、音楽家として成功するために様々な人の愛情に報いない人生を送っているという映画だそう……恥ずかしながら僕は観ていないのですが、町山さんはこの映画がララランドの重要な影響元であると言っていました。
町山さんの言うことは間違いないですからね!
すごい人ですよ。
・スタジオをおさんぽ
「あそこ、カサブランカで使われた窓なのよ!」
仕事を終えて、セブと一緒に店を出てきたミアは、店の正面にある建物の窓を指さします。
ここのところのBGM、ほんとにかわいいです。
歌の入っていないBGMの中では一番好きな曲です。
曲にタイトルは「ボガート&バーグマン」……カサブランカの主演コンビですね。
ララランドの曲のタイトルは、基本的にシーンを象徴する言葉をシンプルに当てはめていますね。
また、カサブランカという映画も、悲恋の物語です……。
男の主人公は、すでに伴侶を得ている元恋人のために重要な決断をするというところも同じです。
暗示しているんですね。
「君の瞳に乾杯」の元ネタとしても有名な映画ですね。
カサブランカの話を皮切りに、ミアがなぜ女優を志すようになったのかということ、セブが現在のLA(主にハリウッド)の在り方やジャズが聞かれなくなってしまったことを憂う会話を交わします。
そして「君のボガート君の名前は? グレッグだっけ?」と、ミアの彼氏についての話を聞き出すセブ。
さらに「付き合ってからどれくらい?」「一か月くらい前から」という情報も……。
個人的な話になりますが、僕、ララランドを一緒に観に行った女の子とキスしたんですね。
しかしその後、その人に彼氏がいるという衝撃の事実を知らされたんです。
そういうわけで、このやりとりの、「ああーーーーーもうちょっと早く出会ってたら彼氏いなかったのにーーーー!!!!」っていう感じの……ショックさ加減は半端ではなかったです。
ていうかセブの場合、冬編で彼女の八つ当たりせずに、お酒の一杯でも一緒に飲んでいれば、その時点で恋仲になってもおかしくはなかったんですよね。嗚呼……。
ララランドは、選択と決断の重要性を描ききっているから傑作なんだと思うんですけど、こういうところで一つ一つ「うわぁぁあん時ああしてればーーー!!」感を積み重ねることに成功しているんですよね。
だから最後のシーンで号泣させられる。
ミアが、女優だった叔母に連れられて、実家の前にある図書館で上映される古い映画を観て育ったこと……叔母と一緒に脚本を書いて、自分たちで演じて遊んでいたこと……。
このさりげない会話も重要な伏線になっています。
すごい……。
二人は、あるスタジオの前にたどり着きます。
入口は開かれており、スタジオの中にセットが立てられているのが見えます。
照明やケーブルのセッティングのために、人々がせわしなく動いています。
マリリン・モンローみたいな恰好をした女優もいますね。
そんな様子を見つめる二人の後ろを、映画の看板がガラガラと運ばれていきます。(インド映画の看板でしょうか? ミュージカル映画が大量につくられるインドという国への敬意を表している?)
しかしミアはぽつりと「素敵ね」とだけ言って、歩き始めてしまいます。
スタジオとミアを交互に見てから、ミアを追い始めるセブ。
ここは多分、ミアがすでに女優になる夢を諦め始めていることを示しているはず。
スタジオの中を覗いている時の彼女、すごく遠い目をしているんですよ。
(と思ったけど、その前のシーンでは映画の撮影にすごく目を輝かせているんですよね……。役者のことは好きだけど、裏方の仕事に全然興味を持てないってことなんですかね)
その後、ミアが大学を中退してこの街へやって来たこと、大学に入りなおして弁護士を目指したほうがいい暮らしを送れるのではないかと思い始めていることが語られます。
オーディションを受けには行くけど、あんまりいいと思えるような作品ではないということも。
ここのところで音楽が切り替わって、ほとんど人影がないところに入ってきていますね。
なんだかもの寂しい雰囲気。
セブは「自分で脚本を書いて自分で演じたらいいじゃないか。そうすればオーディションともおさらなだ。脚本の神童だったんだろ?」とミアに勧めます。
ミアは謙遜しますが、ジャズの巨匠を例に挙げ、「与えられた譜面を拒んだ結果伝説になったんだ」と言います。
過去に成功した天才を例に挙げるの、よくやってしまいます……僕も。
「物事はそんな簡単じゃないだろ」と思うのですが、そういう作中でもそういう突込みが入りますね。
人物の感情の変化の過程がほんとによくできているんですよ、この映画。
ミアはそんな話をするセブに対して「でも私、ジャズ嫌いよ」と告げます。
セブはその場で動かなくなり、ミアは「大丈夫?」と心配する。
「……この後時間はあるか?」と真面目な顔で言うセブに、「あるわよ」とミアも真面目な顔で答える。
・ライト・ハウスでジャズを聴く二人
ジャズ・クラブで白熱した演奏を楽しむ二人。
このシーンのジャズ論議は、もう、まんま監督の趣味ですよね(笑)
しかしライアン・ゴズリングの「好きなものについて熱く語る男」の演技が最高すぎます……。
対してミアは、ジャズに対して一般人が持つイメージを代弁します。
「私にとってはエレベーターのBGMと一緒。カクテルパーティで生演奏があったって誰も聴いてなかったわ。ジャズってケニー・Gみたいなやつでしょ」
ケニー・Gの名前が挙がった時のセブの反応はかなり笑えますね……(笑)。
僕はちゃんと聞いたことはありませんが、原理主義的なジャズファンの間では、ケニー・Gってあまり良い評価ではないようですね。
本格的なジャズではなく、イージーリスニング的な音楽を作って売れたという意味でも好かれていないようです。
また、字幕では「エレベーターのBGM」という書かれ方になっていましたが、日本でのラウンジミュージックというような意味で「エレベーターミュージック」というジャンルがあるみたいですね。
海外では、デパートなどのエレベーターではBGMを流しているらしいです。
日本でも昔はあった気がするのですが、最近はそういうところ少ないかもしれないですね。
まぁ、ニュアンスとしては、「人の会話を邪魔しない当たり障りのない音楽」といったところですよね。
ここでセブによって、「ジャズは絶滅しかけている」「自分がそれを復興させたい」「自分の好きなジャズがプレイされる店を持ちたい」という状況が説明されます。
キャラクターの強い感情と共に語られるので、説明臭さが全然ない。
チャゼル監督は、観客を退屈させないようにどうでもいい会話をさせるのがうまいですね。
そしてミアに電話がかかってきて、さっき話していたオーディションの審査を通過したことが知らされます。
ここでミアが、セブにそのことを報告するんですけど、その時のセブの喜びっぷりがすごくかわいいんですよ……!
すごく純粋な人、ということが伝わってきます……。
そして「どんなオーディション?」と聞くと、先ほど話した(あんまり好きじゃないタイプの)作品だと言うミア。
「けどほんとうは理由なき反抗みたいな作品なのよ」とすかさずフォロー。
するとセブは「弾丸は抜いたのに!」と、理由なき反抗の終盤の台詞を真似します。
ミアは目を大きくしながら「Yeah」とだけ返します。
それを見てセブは「観てないな?」と見抜きます。
知ったかぶりって、日常の中でけっこうしてしまいますよね。
「相手との話の流れを止めたくない」とか「知らないと思われたら恥ずかしい」という時にしてしまうと思うのですが、ミアはもしかすると、話を知ったかぶり……相手に合わせてしまうクセが付いているのかもしれません。
パーティで脚本家の男に「ジョーゼフ・キャンベルを知ってる?」と聞かれた時も同じリアクションでしたから。
春編のミアは、自分に自信を持てなくなっていて、人に流されてしまいがちになっているのかもしれませんね。
そしてセブは「じゃあ今リアルトでやっているから、連れて行ってやるよ。研究のためだ。来週の月曜日は?」とミアを誘う。
ミアは「いいわよ。研究のためね」とそこを強調しながら承諾。
セブは微妙な表情で「そうとも」と頷く……。
なぜ、ライアン・ゴズリングに主演男優賞を与えなかったのでしょうか?
昨年、アカデミー賞が白人にばかり与えられ、「白いアカデミー賞」を言われて騒動になっていましたが、今年はみんなにバランスよくあげましょうね~っていう意図が見えすぎてむしろダメでしたよ。
・シティ・オブ・スターズ
店を出て、別々の方向に帰っていく二人。
歩き出してから、二人とも相手の事を振り返るのですが、タイミングがちょうどズレていて目が合うことはありません。
ここは完全に横長のスクリーンが功を奏していますね。
かなり引いたショットで二人が歩く姿を捉えているので、ここで観客はじれったさを覚えるはずなんです。
「目、合えよ!」と。
そのじれったさが、作品の最後に生きてくるんですよ。
8回観たけどめちゃくちゃじれったいです。
(冷静に考えると二人は車で移動してきているはずなので、店の前で別れるというのはおかしいんですけど……そんなこと関係ないんです! 面白いから!)
そしてセブは独りで埠頭へ行きます……。
男の哀愁が漂いまくるシーンです。
一人でシティ・オブ・スターズという歌を歌います。
このシーンもすごくきれいな夕焼けですね……。
空に輝く星と、有名人という意味でのスターを掛けていますね。
輝く星の街よ
僕だけのために輝いているのか?
というラインが何度も繰り返される歌ですね。
また、ミアとの出会いを「素晴らしいことの始まりなのか/それとも叶えられない夢が増えただけなのか」と語っていますね。
「僕だけのために輝いているのか?」というのは、いくつかの意味で読み取れる言葉です。
今後の展開の中で触れていくことになりますが、セブの独占欲の強さや、ある意味での女性蔑視・女優蔑視・というかミアへの蔑視的な感情も表しているからです。
歌いながら、セブはそこにいた老人夫婦の奥さんの手を取って踊ります。
そして旦那さんに止められて、その場を去ります。
旦那さんは奥さんの手を取って、ダンスの続きを踊る……。
ここのところ、あんまり理解できていないんですけど……パートナーがすでにいる女性に恋をしてしまった心情を表しているんですかね……。
終盤になると、姉の結婚パーティでダンスを踊る人々をセブが見つめているシーンがあるので、そこと関連しているシーンだと考えてよいと思うのですが。
なんというか、セブ自身、自分が家庭を持ったり一人の女性と長く連れ添うことのできる人間だと思えていないような感じがするというか。
・ミアのオーディション
そしてミアは、「理由なき反抗」っぽい作品のオーディションに向かいます。
このシーンでミアが赤い革ジャンを着ているのは、「理由なき反抗」でジェームズ・ディーンが赤いジャンパーを着ていたからでしょうか。
このシーンで、ビデオカメラを回しているのがチャゼル監督の妹さんですね。
審査を担当する人が二人いるのですが、一人はミアの顔も観ずにスマホをいじり続けています。
入力音をオフにしていないという、とんでもなさ(笑)。
もう一人の方の視線も、値踏みしている感じが丸出しでいやらしいです……いや、オーディションなので、当然と言えば当然ではあるのですが。
そしてミアが演技に入り、一言発しただけで「そこまででけっこう。ありがとう」とあっさり落とされてしまいました。
ミアが「演技を変えます」と言っても「いや、けっこうだよ」と一言だけ。
ミアはめげずに「楽しかったです。ありがとう」と言って部屋を出ていきます。
怒った顔で歩きながら、ジャンパーを脱ぐミア。
やっぱりこの衣装は理由なき反抗から連想して用意したものだったのでしょうか。
しかし理由なき反抗ではジェームズ・ディーンが着ていたのはナイロン・ジャンパーです(たぶん。化学繊維っぽかったのは間違いないです)。
赤い革ジャンをミアが用意したのは本編を観たことがないという勉強不足が理由なのではないでしょうか。
もちろん、「それとなく近い上着を着よう」程度のことだったのかもしれませんし、理由なき反抗の物と近いジャンパーを着ていたらオーディションを通過できたというわけではないでしょうが、少なくともミアは女優になるための努力を作中では一つもしていないんです。
ご機嫌斜めな状態でオーディションの会場を去るミア。
ですが車で、セブと一緒に行く約束をした映画館の前を通り過ぎると、見るみる笑顔になっていきます。
楽しみにしているんですね。
・ダブルブッキング
家に帰り、姿見の前でルンルン気分でピアスをつけているミア。
そこへルームメイトが入ってきて「グレッグ(彼氏)がきたわよ」と告げます。
そう、彼氏の兄と食事に行く約束があったことを、ミアは忘れていたのです。
ドジすぎるでしょう……と思うのですが、たしかにミアってこういう子です。
憎み切れません。
LAの和泉元彌ですね。
そしてミアは彼氏と、自然なしぐさでキスをします。
相手は彼氏なので、当然、唇に。
ちょっとこのシーンのショックすごかったですね。
作品のテイスト的に、この後セブとくっつくんだろうなとは思ったんですけど、それでもやはり。
そしてミアは彼氏と一緒にレストランへ行き、彼氏の兄の仕事の話や趣味の話に付き合わされます。
席には、兄貴の彼女(か妻)も一緒にいます。
そこでは兄貴が映画館を見下すようなことを話しているのも、セブという男との対比になっていますね。
この兄貴は、自分のことばかり喋ります。
セブがミアのことを知ろうとして、いろいろな質問をしていたのとは対照的です。
同席している兄貴の彼女ですが、ここでは相槌を打つばかりで喋りません。
おそらく、兄貴にとって彼女はお飾りなのでしょう。
兄貴は、見た目が綺麗で、自分の言うことにただ頷くばかりの存在を求めている。
これってつまり、「女優を目指してハリウッドへやって来たけど仕事で成功できなかった女の子のなれの果て」なんだと思います。
女の子、夢を追ってハリウッドにやってくる
↓
しかしハリウッドにはアメリカ中、それどころか世界中から女優志望者がやってくる
↓
競争率めちゃくちゃ高い
↓
仕事にはあり付けないけどパーティとかで業界人の知り合いが増える
↓
知り合った業界人と付き合ったり結婚したりする
↓
女優になる夢はどこかへいってしまう
っていうループがあるんじゃないですかね。
おそらくミアもこの先、そうなるということが暗示されているはず。
もちろん、若い頃に抱いた夢は後生大事にしなければならないのだとは言いません。
「大人になる」ことは大事なことです。
ですがミアは、ここで、レストランのBGMが、いつの間にかセブの弾くピアノの音色に変わったことに気付きます。
恋しちゃっているんですよ、ミアは!
そしてミアは「ごめんなさい」とだけ言い、席を立ち、店を出ます。
その時のグレッグの表情、なぜかスローモーション気味になって、少し映像も色濃くなっているように見えるのですが、なにか演出意図があるんですかね……
ライムスターの宇多丸さんが「新しく好きになった男の元へ駆けていくというのはお熱いのがお好き」へのオマージュだと言っていましたが、そういうことなんでしょうか。
店を出たミアの頭上に、花吹雪のようなもとが散っていきます。
世界がミアを祝福しているんですね。
(ここ、もしかして散っているのは雪?)
ところで、この、成功者の兄貴ととくに取り柄がなさそうな弟というコンビは何を示しているんでしょうか。
ハリウッドもコネばかりで成り立ってるじゃねーか! という告発みたいなことなんですかね。
ハリウッドというか、グレッグとその兄で言うなら「投資家」という話ですかね。
血縁というか同族大好きな一族と言えば、ユダヤと華僑が有名ですが……。
この、グレッグのブラコンっぽさというのはどういうことなのか解釈があんまりできないですね。
ミアがグレッグのどこを好きになったのかも全く分からないし……ちょっと強引なところがあるっぽいので、流されて付き合うことになったという話なんですかね。
・待ちぼうけセブ
その頃セブは、映画館の前でミアを待っていました。
ここんところの「待ってまーす」って仕草、めちゃくちゃいいですね……。
ていうか「ごめん今日行けなくなっちゃった(T_T)」みたいなメールをミアが送っておけば済む話じゃん……とは思うのですが、こういう携帯電話がなかった時代の、心のすれ違いが現代には少ないわけですが、そういう不便さがドラマを生むわけなので、目をつむりましょう!
そしてセブは一人で劇場に入り、「理由なき反抗」を鑑賞することに。
暗くなった館内にミアが入ってきて、スクリーンの前に立ってセブの姿を探します。
セブはミアに気付いて立ち上がり、ミアと微笑みあいます。
ミアの顔にはうっすらと映像が投射されている……「スクリーンの前に立つなよマナー最悪か!」というツッコミをしてはいけません……。
「スクリーンで会おう」という、パーティ会場での約束は図らずも果たされたわけですね。
素敵!
そして二人は並んで座り、映画を観始めますが、お互いのことが気になってしまい映画に集中できません。
そしてキスをしそうになり……というところで、フィルムが溶けてしまって上映が中止になるというハプニングが。
セブは「ングッ」と鼻で笑いますが、悔しそうに膝を叩きます。
このセブの笑い方はいいですね。
なんか皮肉やな感じが出ています。
そしてミアは「いい考えがあるわ」と言ってニヤリとします。
・天文台へ
二人は車で、グリフィス天文台へ向かいます。
理由なき反抗の舞台となった場所で、ここにはジェームズ・ディーンの銅像が立っているそうですね。
二人は人けのない天文台を歩きます。
不法侵入なのか……夜間も営業しているのか……それは誰にもわかりません。おそらく不法侵入です……。
しかし愛し合う二人の前ではそんなことは関係ないのです。
裏口から入っているっぽいから、やっぱり不法侵入ですかね。
後述しますが「裏口」「普段は通らない扉」というモチーフは公判で非常に重要な役割を果たしますね。
テスラ・コイルというオブジェのある部屋に入った時に、セブが「ビクッ!」とする演技がめちゃくちゃ面白いですね。
びっくりしてるセブにつられて、ミアもびっくりしてしまうという(笑)。
ロマンチックな音楽と共に、趣のある建物を探訪する二人。
映画で象徴的な使われ方をした、プラネタリウムにたどり着くと、ムードは最高潮に。
再びキスするか……と思いきや、ハンカチが宙に浮いていきます。
カメラが二人の驚いた顔をアップにして、セブはミアの腰を持って空中に押し出します。
二人はなぜか浮くんです!
そして宇宙でダンスを決めて、地上に降りてきてからキスを交わす……というところで春編は終わります。
正直なところ、プラネタリウムのシーンは特に好きではないので、書くことがありません!
セブがびっくりしていたところくらいですかね、見どころ……。
夏・秋編に続きます。
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