てやんでい!!こちとら湘南ボーイでい!!

映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

*

人助けをしないことが普通とされる社会の一員

   

電車に乗る際、発車時刻の5分前に家を出ることにしている。
ホームで電車を待つ時間が嫌いなので、無駄な時間を最小限に抑えるためにこのように行動するのが僕の習慣だ。

隣の駅にある映画館に向かうために家を出た。
家を出て1分ほどして、時計を部屋に置き忘れてしまったらしいことに気がついた。
映画館で映画を観る時には、蛍光針のアナログ腕時計を持って行くことにしている。
あらかじめ映画の上映開始と終了時間を確認しておき、作中の何分目あたりにどのような出来事が起こっているかを把握したいのだ。
米国の映画では基本的に、上映時間の1/4に差し掛かるまでに物語の舞台と主要人物を紹介し、1/4に物語の転換点が配置される構成になっている。
そして3/4あたりで最大の危機が訪れて、上映時間の残りの1/4で主人公が起死回生を測る展開になる。
なので時間配分を確認しておくことは大事なのだ。
あとトイレに行きたくなった際に、あとどの程度で終映になるかもわかるので安心するのである。映画館でスマホやApple Watchを光らせてる人間には殺意を覚える。猿かよ。クソが
言い過ぎと思われるかもしれないが、私は光や音に敏感なので、音や光が作品とは無関係な場所から発されていると意識をそちらに持っていかれるのである。

そのような状況なので時計を忘れたため、取りに行こうか迷ったが、時計を取りに行ったら映画の上映開始に間に合わない。
私は映画館で、予告編を見せられるのが好きではないので、だいたい上映開始から10分くらい経ってから劇場に入る。
駅から映画館までの移動時間も計算して、
映画の予告編上映時間は年々延びている。
映画のチケット代が毎年のように上がっているのに、見せられる予告編の本数が増えていっているのには納得がいかない。

そういうわけなので、電車を一本見逃すと、僕が劇場に入る頃には本編が始まってしまっていることになる。
映画は本や音楽とは違い、「ツカミが大事」とされる文化ではないので、冒頭はゆるやかに始まる作品が多い。
とは言え、オープニングのシーンは作品を象徴するようなものとなるよう作家は計算するはずなので、やはり見逃すべきではない。
そして何より、安くないお金を支払って鑑賞する作品なので、一秒たりとも逃したくない。
120分の映画を、2000円支払って鑑賞する場合、1分あたりが16.6円になる計算が成り立つ。
となると1秒あたり0.27円となるので、1秒見逃すと0.27円をドブに捨てることになる。
もったいなすぎる。

時計を取りに戻るか一瞬立ち止まって考えたが、電車に間に合わなくなる可能性があることを考えるともったいないので、今日は時計なしで映画を観ることにした。

早歩きで駅の近くまで来たところ、車止めに止まっていた軽トラを、サイドから二人の男性が腰を入れて支えていた。
よく見ると軽トラ荷物をずっしりと積んでおり、男性達のいる側に向かって傾いていた。
その内、車両後部から、アルミ製のドリンクサーバーが転げ落ちた。
明らかに男性二人では支えきれていなかったので、助けようかと思ったが、電車に乗り遅れることになりたくないので、私はそのまま歩き去った。
他の通行人が手助けするだろうとは思わなかった。知らない人とは設定を持たない人しかいない社会になってしまっている。

とは言え気になって、少し離れてから軽トラの方を振り返ったら、男性達が立っていた側に積み荷が大量に落ちていた。
僕は筋トレをしており、体格が悪い方ではないと思われるが、筋肉に使い道があるわけではない。
こんなにも、筋肉の使いどころになるような場面、ここ10年ぐらいを振り返ってみても皆無であった。
何のための筋肉か、と思わざるを得なかった。

けれど、そもそもトラックが傾くほどの積み荷を積まなければいけないような仕事をしていることが悪いようにも思えた。
業務においてトラブルが発生しないように、計画に問題がないかを点検するのも仕事のうちだろう。
ましてや、重い荷物を積んだ車を走らせるとなると、一歩間違えれば事故が起こりかねない。
実際に車が傾くという、なかなか見ないトラブルが起こっているし、万一走行中に車が傾いたり積み荷が落ちてしまうようなことがあったら、周囲の通行人や後続車を巻き込んだ悲惨な事故になっていてもおかしくない。
積み荷が重たいせいでこうなったのか、車が経年劣化を起こしていたせいなのか、もしくは彼らの積み方が悪いのか計算の誤りがあったのかはわからないが、彼らは何に問題があるのか把握する必要があるのは間違いないし、おそらく安全性の確認を怠っていたという罪もあるはずだ。
そう考えたら、彼らはその罪の重さを身を持って知るという罰を受けなければいけないのではないかとも思う。

とはいえ、自分の目の前に困っている人がおり、彼らはパワーを必要としている。
私にはそれなりの筋肉があり、筋肉を出し惜しむ理由などない。
困っている人を助けたら気分がよいのだし、やはり彼らを助けるべきだったんじゃないかと思った。

このトラブルが、彼ら自身の業務遂行能力が原因で起きた問題だとは思えない。
彼らの雇用主がトラックの点検を怠っていたのかもしれないし、彼ら自身はトラック一台で運搬するのは困難であると訴えても非現実的な数の荷物の運搬をやらされていたのかもしれない。
となると、彼らが推敲する業務の計画を立てた誰かが悪い。
それならば彼らは被害者の立場であると思うし、やはり、彼らのことを助けるべきだったのではないかと思った。
でも、彼らを助けてしまうことで、「この時もなんとかなったし、これからもこんぐらいの荷を積む感じでやっていくぜ!」という成功事例にすることを阻止することで、無理な業務計画が立てられなくなったかもしれない。
そうなったら、実際に問題が起こってしまうのだということを雇用主に知らしめるためにも、積み荷の一つ二つは犠牲になってもらったほうがよかったのかもしれないとも思う。

無理矢理こじつけるのもよくないけど、こういう問題が起こっているのを見ると、日本は本当に、お金のない国になったんだなぁと思う。
ここで人を助けなかったことを、すぐに忘れるだろうと思っていたのだが、意外と忘れずに覚えているので、ちょっと嫌な気持ちが残っている。
この時の二人は良い気分で年を越せただろうか。

この前の日、コンビニで買い物をした。
商品を3点買ったのだが、レシートには2点しか記載されていないことに店を出てから気づいた。
店員さんがスキャンし損ねたものと思われる。
120円ぐらいのソフトキャンディだったので、別に大した金額ではないのだが、店員さんが怒られるのもかわいそうだと思い、店に引き返した。
まだ同じ店員さんがレジに立っていたので、自分が買った商品数とレシートに記載されている点数が異なっているので、会計が済んでいない1点分を支払いたいことを申し出た。
私は店員さんは相当強く感謝し、私は善良な人間であることを彼から認められるだろうと思ったのだが、「あぁそうっすかぁ」と至って通常の会計時と変わらぬ態度で対応してくれた。
私は120円分以上の喜びを得られるだろうと思っていたのだが、全く気持ちよくなかった。
私は自分がコンビニでバイトをしていたときに、レジに入っているべき金額が足りないと自腹を切ってお金を支払わなければならないというルールがあり、とてもムカついてすぐにバックレたことがある。(今考えれば違法なルール。その時間帯にレジを使った人間が3人いて、300円足りないとしたら、誰のミスで不足しているのかわからないので1人100円ずつ自腹を切って帳尻合わせをしないといけなかった)
この店員さんがそれと同じような理不尽な罰を受けることになったらかわいそうだと思ったが、別に商品が売れた数と在庫数が合わないという棚卸しとかのタイミングに発覚するだけで、この店員さんは何も罰を受けずに、万引きとか紛失があったということで片付いたのだろうな、と今は思う。
とは言えわざわざ申し出てきた俺のことをもうちょっと気持ちよくさせてくれてもよかったやろ、と思う。
この時に「人助けしてやろう」のモチベーションを使ってしまっていたせいで、より感謝される可能性が高そうな傾きトラックを介助できなかったのかもしれない。
それとも無理してトラックも介助していれば、相当感謝され、上等なお礼ももらえていただろうか。
難しい。
というか俺以外の人間も誰かしら助けようとしてあげろよ、なんで俺だけこんな助けられなかったことを気に病まなければいけないんだ。

映画鑑賞中、隣の席に座った男性が口で呼吸をするようで、たまに臭さを感知することがあった。
私は強めのアレルギー性鼻炎持ちだが、口呼吸をしているとすぐに喉を痛めてしまうので、3ヶ月に1回くらいのペースで耳鼻科に行き、鼻の通りを良くしてもらい、鼻の粘膜膨張を抑える噴射タイプの薬を処方してもらっている。
そんなわけで私は基本的に鼻で呼吸をするのだが、嗅覚が敏感なほうらしく、近くにいる他人が臭いを放っていると気になってしまう。
映画鑑賞中、臭いのはいやなので、男性とは反対側の席が空いていたので席を移った。
せっかくど真ん中からスクリーンを見上げるような席を取ったのに、遺憾ではあるが、「息臭っ」と逐一思うのもいやなのでやむなきことであった。

しかし後ろの席の壮年夫婦が、くっちゃべるタイプで、けっこう喋っていた。
『ナポレオン』を観ていたのだが、多分、歴史のことを知っている旦那が、歴史のことを知らない妻に講釈しているっぽく、ごにゃごにゃうるさかった。
私はADHDの特徴の一例にあるような、音に敏感な人間であるため、映画を観ている最中に映画ではない音が鳴っているとめちゃくちゃ気になる。
なのでうるささが継続している場合には注意することがある。
ヤクザだったら怖いなと思って振り返って確認したが、そういうわけではなさそうだった。
映画館でうるさい人間を注意するさい、注意する自分の音声がうるさいことになる可能性もあるので、注意するか否か躊躇する。
どんなボリュームで、どんな言葉で注意するかを考えなければならず、そんなことに意識を向けなければならないことで映画に集中出来なくなっていく。これも大きなストレスだ。
だがだいたいの場合「今注意するぞ」と思ったときではなく、我慢が限界を迎えて突発的に注意してしまう。
この時も「なんかずっとうっせーんだよな」とデカめの声で注意してしまった。
あぁ良くない言葉使い……でもずっとうるさかったし、まぁしゃあないよなと自分で自分をなだめた。
すると後ろからは「うるさいってさ、ははっ」と女の声が聞こえた。
男の声は聞こえなかった。
その後も、お喋りの頻度は落ちたが、全然喋っていた。
これまで、注意をしたらその後はさすがに黙ってくれていたので、驚かされた。
二発目の注意はどのような言葉でするべきだろうか……一発目がわりとキレ気味で乱暴な言葉を使ってしまったので、それの上をいくしかない。
となると「猿かよ、動物園帰れ」くらいしか思いつかなかった。
いつもはこういう時、「○○しちゃいけないってお母さん(幼稚園)で教わらなかったか?」という言葉を使うのだが、今回は相手が孫がいてもおかしくなさそうな年齢だし、注意しても省みる様子がないし、多分このフレーズも効かないだろう。
結局考えることに疲れてしまい、その後は無視したが、今考えてみたら威圧的な態度ではなく「集中出来ないのでお願いだから静かにできませんか」と平身低頭で懇願するというやりかたもあったのだなと思う。
多分そもそもが「なんで金を払って観に来てるのにマナーも守れない人間の意識を奪われないといけないんだ」という怒りの気持ちが最初にあって、それをアウトプットしようとしたら怒っている人間がするような方法で表出させてしまうのだと思う。
私は怒っているときに、怒っていることを隠そうという発想ができない。
それは私という人間の難点であろうなとも思う。

 - コミュニケーション, , 日記

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