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映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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ビールストリートの恋人たちとムーンライト + ケンドリック

   

ビールストリートの恋人たち、映画館で観てきました。
観終わってすぐに思ったのは、長い!ということ。
あと、話が終わってなくないか? ということでした。
そのへんについての感想と考察を書きます。
この作品と、監督の前作『ムーンライト』のネタバレをします。

長いです。
台詞のない時間が長く続きます。
特に長かったのが、刑務所に入れられていたという主人公の友人が苦しみを吐露する場面。
正確に測ってはいませんが、あのシーンは5分くらいありませんでしたか……?
その友人は言葉を重ねることはせず、表情で辛苦を物語っていました。
それは黒人が黒人であるというだけで与えられてきた苦しみそのものを表現しているかのようです。
ムーンライトでも黒人問題と貧困問題がからめて描かれていましたが、黒人差別は厳然と存在し続けている。

一般的な映画脚本としては(特にハリウッドのそれでは)、なんらかの問題が生じてそれを解決していくのがシナリオなのですが、二時間程度しかない一本の映画では黒人差別問題を解消することなど不可能でしょう。
たとえば、アメリカの宇宙開発事業を陰で支えた黒人女性たちの活躍を描いた『ドリーム』という映画があります。
あちらでは黒人差別が目に見える形で残る時代を舞台に、黒人という理由だけで抑圧されている、それどころか当たり前のように差別を受けている女性たちが、大きな才能を発揮して徐々に受け入れられていくというストーリーでした。
作中には、黒人への差別心を払しょくしたと思い込む白人に冷や水を浴びせるような場面もありつつも、基本的にはサクセスストーリーとして作られているのです。
(私はあの映画を観てすげー泣きました)

そんなドリームと比べるとこの作品は、物語の中で提示される問題が解決されることをあらかじめ放棄して書かれている。
もちろん原作小説のある作品なので、原作からそもそもそういう物語なのかもしれません。
それに黒人差別問題は、物語が始まる前から存在していたわけですからね。
ハリウッドのドラマの基本フォーマットは、苦境を乗り越えて自己実現を果たすというもの。
ドリームの主人公たちは才能に恵まれていた。
もちろん本人たちの努力や辛抱があってのサクセスではありますが、世の中に暮らす大多数の人々は、そんな自己実現を果たせないことのほうが多いのではないでしょうか。
特にアメリカに黒人として生まれるということは、抑圧され、あらかじめ多くを奪い取られたも同然なのかもしれません。
差別をものともせずに社会で認められるような人は少数派なはず。

それは前作にあたるムーンライトでも同様でした。
物語が始まる時には少年だった主人公は、薬物中毒者の母親が苦しむ姿を見ていたのに、物語の結末時点ではドラッグの売人になっていました。
大人になったパートは比較的大きな事件もなく穏やかなトーンで描かれてはいますが、物語で触れられたような薬物や貧困の問題は解決していません。
また主人公が、黒人差別や黒人間での差別、それに伴う暴力のような問題の渦中の人となってしまったということでもあります。

けれど、物語の結末では一筋の光が見えてきます。
学生時代に愛し合った男性と再会し、想いを打ち明けることができるのです。
彼にかかわるいざこざをきっかけに主人公は大きく道を踏み外していくのですが、そのトラウマが解消されるのです。
二人が抱き合うところで物語は終わります。
この時点では、主人公はドラッグの売人をやめていません。
ドラッグ依存の療養施設に入っている母親から謝罪と懺悔をされながらも和解には至っていません。
けれど、物語の結末のさらに先に、そういった事柄も乗り越えたり解決できたりするのではないかという希望を持てます。
確かに信じることのできる愛を手に入れた主人公なら、きっと、どうにかできるんじゃないかと思わされるエンディングなのです。

ビールストリートの恋人たちを観終わった時、自分の中では不完全燃焼の感がありました。
自分の思う良い感じの映画の終わり方としては、主人公の無実が証明されて、二人は貧しいながらも幸せな家庭を築きましたとさ……という感じですかね。
けど主人公は無実の罪で投獄されたまま、ヒロインは一人で子どもを育てている。
しかもその子どもがけっこう大きくなっている……ということは主人公は、4~5年は自由を奪われているんですよね。
それがつらかった……。

ムーンライトではある程度のカタルシスがあったんですよ。
僕の言う完全燃焼・カタルシスというのは、作中で因果応報が成立するということ。
たとえばムーンライトでは、主人公をいじめたやつは、主人公に椅子でぶん殴られる。
薬物中毒で主人公を半ば育児放棄していた母親は、後年になって主人公に謝罪する。
自分の振舞いを悔やんでいることを伝える。
シンプルに考えると、観客は主人公を虐げる人のことは嫌いになる。
嫌いというネガティヴな感情は、何かしらの形で作中で発露されてほしいと願う。
劇を作る人はそれを踏まえて構成をするわけですよね。
もちろんその法則は主人公自身にも当てはまるわけで、いじめっ子とはいえ、人をいきなり椅子でぶん殴るという暴行を働いた主人公も、社会的な制裁を受けるわけです。
ただ暴力に訴えたとはいえ、主人公がそんなことをしでかすまでに追い詰められていることもわかっているので、観る者の心はとても苦しめられます。
この男の子が、なんとかなってくれればいいのに……という願いを抱かせることに成功している、良い脚本ですよねぇ。
だから最後に、愛する人と再会し、あたたかい抱擁をする主人公の姿を見て感動するんですよね。

もちろん、主人公をいじめていたアイツも、なにかよんどころのない事情があって人格にゆがみが生じてしまって、人をいじめることでウサ晴らしをしてた可能性もありますよね。
社会は複雑だ……。

で、ビールストリートの恋人たちは、カタルシスがないんですよ。
主人公に冤罪をふっかけた警官はお咎めなしだし、不確かな証言をして主人公を逮捕させた女性もその後登場せず……。
多分あの女性は誰かに強姦されたけれど、それは主人公ではないという話なのだろうとは思いますが……。
しかもわざわざ、主人公の恋人の母が、彼女の証言を覆すようにと説得しに行くシーンまであります。
そして説得は失敗して、主人公は投獄されてしまいます。
観ている誰もが憤りややるせなさを覚える展開です。
そういえば、息子のためとはいえ盗みを働くようになってしまったパパ二人も、おとがめなしだな。

けれどそういう部分も、そういう計算に基づいて作られているんだなと思いました。
不条理なことは当たり前に起きている、という現実を再認識させるために、こういう作りにしてあるのだろうなと。

で、最後のシーンにしても、主人公カップルと、その子どもの三人が刑務所の面会室で対面するシーンです。
いや、せめて釈放されててくれよ……!
と観ている時は思いました。
そしたらきっと僕の望むカタルシスが得られたように思います。
なんかムーンライトは、最後のシーンがけっこう明るい終わり方だったように思えたので、そういうカタルシスで締めてくれるだろうと期待していたんですよね。
でも今になって思い返してみると、パパが刑務所に入っている環境にあっても、息子がクリスチャンとして素直に育っていることがわかる終わり方だったので、これはこれで希望なんですよね。
なんならムーンライトの方が、ドラッグディーラーから足を洗わないといけないという点では前途多難かもしれません(笑)。

パンフレットの解説で書かれていましたが、どちらの作品にも共通しているのは、「愛する人を守る関係をみんなで作っていくこと」なのですね。
絶望の果てに、確かな愛を見つけるという構成。
自分達を取り巻く環境がどれだけ苦しいものであっても、確かな愛があればくぐり抜けられるような感じがします。確かに。

因果応報という話でいえば、二作に共通する点として、暴力に訴えてしまった人は必ず報いを受けていますね。
ビールストリートでも、暴力的な感情を発露してしまったことが、主人公の悲劇の発端となったとも言える。
バリー・ジェンキンス監督の信念のあらわれではないでしょうか。

黒人を取り巻く環境は変わっていない。
変わってこなかったことを、ドラマの中だけでは変わったかのように描くことはできないという、監督の現状認識が現れているように思います。
しかしまた、そんな状況の中にも愛を見つけた人たちがいたから、今の自分たちがあるということを改めて描いているのではないでしょうか。

この「やっぱり愛でしょ」といったようなモチーフで、もう一人思い当たるブラックのアーティストがいます。
ケンドリック・ラマーというヒップホップミュージシャンです。
彼もコンプトンという地域で生まれ、ムーンライトの主人公ばりに過酷な環境で育ちました。
彼は天才ラッパーとして称賛を浴びていますが、社会問題に関する知識も豊富で、黒人が奴隷としてアメリカに連れて来られた昔からの歴史を俯瞰するように作り上げたアルバム『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』を2015年にリリースしました。
音楽的にもトピック的にも、黒人問題や文化の総決算と言っても過言ではないようなアルバムですが、そのクライマックスには『i』という曲を配置していました。
「まずは自分を愛する」ことからすべてが始まる、といったメッセージを持つ曲です。
私はこの曲を聴くと泣けて仕方がないです……。

↑これはシングルバージョンですが、アルバムに収録されているバージョンのほうが絶対にいいです。
おそらくライブレコーディングされたもので、演奏の熱量が全然違うし、なによりケンドリックが声を荒げながらファルセットも使っていて、ソウルフルに歌い上げているところがサイコー。
その次のアルバム『DAMN.』では、社会的なメッセージは鳴りを潜め、自分を取り巻く環境に疲弊していることを素直に歌います。
さらに、ブラックパンサーからインスパイアされたアルバムもリリースし、そちらも大ヒットを記録しています。
ヒップホップのみならず、現在のポップミュージックをけん引する人物です。

ちなみに、ブラックパンサーを監督したのは、『フルートベール駅で』や、ロッキーシリーズの続編『クリード』のライアン・クーグラーという若手の黒人映画監督。
大好きな監督なので語りたい……。
アメリカに生きる黒人の姿を真っ向から描いてきた人です。
この人も、怒りに囚われる黒人青年を主人公としています。
この人は俳優のマイケル・B・ジョーダンとタッグを組んでいて、ブラックパンサーではヴィランとして登場するものの非常に共感を呼ぶ役柄でした。

ケンドリックも、まずは自分を愛することの重要性を説くことの多い人です。
肌の色や出自で差別を受けたからといって、自分を愛することを忘れてしまってはいけないということでしょう。
人は非難を受けたら、非難した人への憎悪に囚われてしまいがちですね。
私もそういうことがよくあります。
でも憎悪に囚われていることで見失ってしまうこともあるんですよね。
ケンドリック・ラマーは二枚のアルバムでそういったことを主張しました。
素敵な人なんですよ……。

黒人に関する社会問題に限らず、自分を慈しむことは大切なのですよね。
SNSがガンガンに普及した今、本当の意味での一人の時間が減っていると思います。
そうなると、自分と向き合う時間は減り、人との関係の中での自分が大切になっていきます。
あれ、オチがないや。
まぁそんなもんですよね、人生なんて!

 - 映画, 音楽

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