てやんでい!!こちとら湘南ボーイでい!!

映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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【考察を終えての感想】2019年にsyrup16gを聴くということ

      2019/10/12

ここ数年、一期のシロップをじっくり聴き返すことなんてなかったし、二期シロップは『ハート』しか聴いていなかったので、今回すべての曲を何度も聴き返してみることで新しい発見があったりして楽しかったです。
一期については、何百回も聴いている曲もありましたが、歌詞カードを読み込んだり、インタヴューに目を通しながら考察してみると、シロップの楽曲と五十嵐さんの発言はとても似ていることがわかりました。
しかし二期については、何度聴いても関心を持てない曲が多かったし、インタヴューも全く読まなかったので、考察もちょっと粗くなっている感は否めません。
考察の中で繰り返し書いてきましたけど、二期のシロップは歌詞がとても抽象的で、楽曲の演奏のテンションもあまり高くなくて、聴いていてもぼんやりとした印象しか残らないものばかりでした。
詳しくは各作品の考察と解説でしつこいくらい書いてきたので、ここでは深く語りませんが、一期のシロップは専門時代に出来た初カノのこと、メジャーデビュー後に関係を持ったであろう女性のこと、後期になると妻と子どものことを歌いつつ、社会に対する怒りや諦念やかすかに残る希望を歌っています。
二期では、シロップ一期を終わらせてしまったことへの後悔と罪悪感と絶望を延々歌っていました。スゲー。
そして他者との関りや、社会的政治的なモチーフを持つ曲がほとんどなくなってしまいました。これもスゲー。
そして、僕がシロップ二期を退屈に感じたゆえんも、そこにあるのだと思います……。
一期では、五十嵐さんは弱者の側に立っているという自負があったのだと思うし、それが『クーデター』なんてアルバムタイトルを付けてしまうくらいに強大なモチベーションを生んでいたのだと思うのですが、二期に至ると、自分がシロップの著作権と言う不労所得だけでまぁまぁ暮らしていけるという、プチ強者の側に立ってしまっているということで、日々の中に抑圧を感じるシチュエーションがあまりなくなってしまったのでしょう……。
でも、メイクマネーに成功したのに、貧者のフリをされるよりは、五十嵐さんの潔さを褒めてあげたい気持ちですよ。
しかし、こんなにも、「歌いたいことが特にないっす……」というのが丸出しな人も、なかなか、珍しいのでは……。

シロップ、10月から始まるツアーで活動を再開し、第三期が始動することになると思うのですが……果たして、今の五十嵐さんに歌にしたい事なんてあるのでしょうか。
音楽的にも、正直、バリエーションは全然増えていないと思うので、次の音源ってどんなことになるの?
リリースされて、Spotifyに上がっていたら一回は聴くと思うけど、何度も聴きたくはならなそうな予感がビンビンにしています……。

聴く返してあらためて思ったことは、一期のシロップは、社会を見据えて曲を作っていたこと。
五十嵐さんや僕たちが暮らす日本という社会もそうだけれど、「戦争」が曲のモチーフに頻繁に採用されているし、国外で進行する悲劇からも目をそらさずに生きていたことがよくわかる。
二期は、本当の意味での「負け犬」が歌っているようなものだったのかもしれない。
つまり、「日本社会」における落伍者の視点から歌っていたのが一期だったが、自らの愛する音楽を作ることにも負けてしまったということなのでは。
アルバムのレビューでも書いたが『マウス・トゥ・マウス』から『syrup16g』は、音楽活動における敗北感でべっとりと塗り固められているように思う。
少なくとも五十嵐さんは、「負けた」と思っていそうな気がする。
傍観者の立場で社会を「俯瞰」していたフリーターバンドマンが、メジャーデビューを果たして音楽制作に没頭した結果、「アーティスト」という形で社会の当事者となった……が、自分の目標に届く結果を出せず、あえなく敗北……燃焼していった、というのがシロップだったのでは。
そして二期に至っても、その認識は変わっていない様子……それどころかひどくなっていっているようにすら思います。
『ハート』はなんかかっこよくて明るくて、歌詞もイケイケな曲があったりしましたが、それ以降は驚くほどに暗く、絶望的で、希望のない歌ばかりが続きましたね。
音源を出したり、ライブをやったりしていることが希望ととることもできるのですが、思ってることをそのまま歌にする人五十嵐さんがリリースする歌が「暗い」「前向きじゃない」のであれば、五十嵐さんの暮らしの中では明るいことが起こらないということなんでしょうねぇ……。

でも、思うんですけど、五十嵐さんが二十代だった時代と比べても、今ってまだまだ大変な時代だと思うんですよ。
歌うことなんていっぱいあるのでは?
パッと思いつくだけでも、リーマンショックはあったし、東日本大震災はあったし、ISIS問題を含むシリア紛争の問題なんかもあるし……。
(何度も繰り返し書いているけど、シリアで育ったのに、シリアの問題を歌わないアレクサンドロスを僕は一生信用しない)
政府の「弱者切り捨て」は進みそうだし、独裁国家に近づいていっているし、景気は悪いのに「景気はよくなっていっている」という文書を偽装までする社会になっているし。

薬の問題も依然続いています。
日本でも、薬局で売られている薬を大量服用してトリップを楽しむ人が増えているといいますね。
五十嵐さん、多分『コピー』の頃なんかは心療内科で薬を出してもらっていたようだし、薬による酩酊感を歌詞にしていることもあるっぽいので、そういう問題にも無縁ではなさそうだけどなぁ。
縁はあっても関心は無いのだろうか。
シロップの活動停止後に、マイケル・ジャクソンが亡くなりました。
死因は、治療薬の過剰摂取です。
マイケルは若いころに、CM撮影中に頭部に大やけどを負っており、後年まで後遺症に悩んでいました。
その痛みを耐えるために、薬の摂取量が増えて行ってしまったそうです……。
また、2016年にはプリンスも死去しています。
彼もまた、鎮痛剤の過剰投与が死因となっており、服用していたのは合法的に処方される薬ではあったのですが、その薬が問題視されています。
合法薬物にドラッグと近しい効果があり、またそれらが簡単に処方されてしまうことから中毒者が増加しており、社会問題にまでなっているのだそうです。
「オピオイド」について調べてみると、恐ろしい事実がわかりますよ……おおこわいこわい。
そんなこんなで、「クスリでいつでも酒気帯び」な五十嵐さんも、そんな薬の被害者になっていてもおかしくないはず……。
今はもう薬は飲んでないんですかね、五十嵐さん。
飲まずに健康でいられるならば、それに越したことはありませんね。

「社会の最小単位」としての人間関係を見てみても、生まれた頃からインターネット環境や携帯電話があって当たり前の「デジタルネイティヴ」の世代が出ていていて、人間関係の在り方も大きく変わっています。
SNSでは「イイネ」を押さないと輪から外れてしまう……という「イイネ圧力」があったり、知らん人からクソリプを送られまくったり等等……。
まぁ、ネットがあることで新たに生まれる神経不安があるというより、ちょっと形が変わっただけなのでしょうけど。
でも、ラインでグループを作れるから、「俺の知らないところで俺の陰口を言われているのでは……」という疑心暗鬼に陥ってしまうリスクは増していそう。
勝手に動画撮られたりするということもありそうだし、プライバシーを侵される怖さは増えていそう。

音楽業界だって、AKBの握手会商法のような悪徳商法がはびこっている。
ジャニーズ事務所やら吉本やら、タレントと事務所の契約問題のゴタゴタでかわいそうな目に遭っている人もいる。

日々ニュースを見ているだけでも、いろんな「問題」が目につくし、それは日本や世界の構造に端を発して起こっていることだと思う。
SKY-HIさんも、「何言いたいことがないなんてことない社会だ」みたいなことをいっていましたよ。
でも、社会情勢に関心がない人が増えたようにも思います。
社会に関心がない人が増えた、って状況だと、社会のことを語ろうと(表現しようと)するときに、大分説明を加えないといけなくなってしまう気がします。
うまい人は、自分の表現したいことと、説明すべきことをうまく組み合わせて作ってしまえるのでしょうけどねぇ。
それとか、この時代って一つの事柄に対しても、無数にオピニオンがあって、それぞれが交わらないって状況でもあるので、一つの歌に思っていることを込めるってことに抵抗があるのかもしれませんね。
もともと、一期の「言い切る」って作詞法は必ずしも本意ではないってことを話していたし、二期ではそんな「言い切り」への後悔らしき歌詞もちらほらと出てきていた。
ヴァンパイア・ウィークエンドの『ハーモニー・ホール』も、「みんなの声がホールに反響していてうるさい」という歌でしたね。

そんなこんなで、世の中にはシロップが曲にしてくれたら面白くなりそうなネタはいくらでもあるじゃん! って言いたかったのですけど、一期でもう吐き出し尽くしてしまったし、表現方法としても一期の音楽を上回るものを生み出せずにいる……というジレンマがあるのでは。
なにしろ、多感な十代から二十代半ばまで溜めていた怒り、鬱憤はすでに放出しきってしまったのだろうし。
五十嵐さんに、クーデターやヘルシーの頃のような曲を求めてしまうことが酷なのだろう。
ごめんねたかしくん……。

でも、マッチョな志向を持っていたなら、今の政権を見てどう思うのだろう。
社会がそっちに舵を切ったことで生まれた様々な異常事態をどう思うのだろう。
歌うトピックって山ほどあるようには思うんだけどなぁ……。
ただ、人との関係とか繋がり方っていう部分では、00年代初頭と比べてだいぶ変わってしまったよなぁ。SNSが当たり前の世界だし。2ちゃんねる的な世界観が顕在化してしまっている。
今の若い子には、00年代の閉塞感・行き詰まり感ってあんまり伝わらないよね……。
僕もあんまりちゃんとは思い出せないし。

6月に、シロップの楽曲が配信解禁になったということで、昔書いたレビューがけっこう読まれたみたいなんですね。
で、その時は、僕は「ブログの広告収入で稼ぎたい!」と思っていたので、その波に乗るしかねぇだろうと思って、「せっかくだし全曲解説+インタヴューの転載をやって、『シロップ資料倉庫』みたいなのを作ったら相当読まれるのでは!?」ともくろみました。
そして実行に移すことにしました。
一アルバムにつき一日ぐらいで書けるだろうと思っていたら、まぁ、丸々四か月くらいかかりましたね……。
とはいえ、書いたり調べたりする時間よりも、フェイトグランドオーダーをやっている時間の方が長かったわけで、ひとえに自分のやる気のなさが原因で書き終えられなかったのです。
しかも、自分が書いたサイトにシロップを検索して流入してきたアクセスの数は、配信解禁後一週間くらいしか伸びていなかったそうです。
四日ぐらい経ったら、元の数字に落ち着いてしまったそう。
残酷ですよ。
僕は、「配信サイトでシロップ好きなプチメンヘラさんたちがシロップを聴く→歌詞の意味を調べる→僕のブログに流入しまくる」という流れになると思っていたのですが……。
まぁ、考えてみたら、シロップが好きな人達は配信解禁前から、スマホにシロップの音源を入れてるでしょうしね……。
現実は厳しいよ。

なんとなくSNSを見ていると、この機会にシロップ二期に初めて触れたという人はけっこう多いみたいですね。
しかし、そんな人たちが、二期を絶賛したりヘビロテしているかというと、そうでもなさそう……というのが私の観測範囲での話。
しかし、シロップのライブのチケットはやっぱり完売している。
五十嵐さん、良かったね!

https://quishin.com/30/

このページを書いたのって、2011年の9月なんです。

つまり犬が吠えるが解散して、五十嵐さんが表舞台から姿を消している時期に書きました。

なので「五十嵐さんは救われていない」って書いたんです。

そしたら当時、ページを読んだファンの人が「五十嵐さん救われているかどうかなんてあなたにはわからない。ナンセンスなことです」とツイートしておられました。

僕はナンセンスって言葉が世界一嫌いでなので、すごくムカつきました。

センスって具体的に何?

自分の感情を言葉にせずに「センス」で片付けるくせに、人を見下したくてしょうがない低脳が一番たちが悪いわ……。

と常々思っていたからです。

まぁ、「五十嵐ありがとう!」「シロップに救われました」とか言う人に嫌がらせをしたい一心でこんなことを書いた僕も悪いんですけど……。

この問題は主題ではありませんが……。

でも上記のページは、文を書いたのが11年であることを一番下に書いているので、シロップ再結成後に読んだ人が「いや、五十嵐めっちゃ救われてるわwww」って思っちゃいそうじゃないですか。

「シロップ再結成してて幸せやん」「再結成後の曲めっちゃいいやん」って突っ込みが入って、最後まで読んでもらえなかったら嫌だなぁ……と。

でも、二期の曲を聴き進めていって、「やっぱり五十嵐さん、救われてねぇな」とあらためて感じました。

救われてなくない……?

まぁ、三期にどんな曲をやるのかわからないけど、救われそうではないですね……。

・田中宗一郎と和解せよ

いや、別にけんか別れしたとかではないと思うんですが笑
SNOOZERのインタビューを読み返してみると、やっぱりタナソーさんのインタビューって濃密だし、五十嵐さんもタナソーさんを信頼していることが端々からうかがうことができました。
しかし、タナソーさんいわく、五十嵐さんとは2006年のU2来日公演で立ち話をしたのが最後の出来事だそう。
タナソーさんもSNOOZERを終刊させ、それ以降は執筆やインタビュー活動からは距離を置きながら今に至っているという……。
ごくまれに、Twitterでシロップに言及することはあるものの、再結成以後の五十嵐さんの音楽活動に触れることはありません。
6月にオープンした、シロップのサブスク解禁についてのホームページに、シロップにゆかりのあるライターやミュージシャンのコメントが公開されましたが、そこにもタナソーさんの名前はありませんでした……。
しかもそのサイトに載ったコメントの過半数はめっちゃ面白くないです……。
特に関係バンドマンのコメント……自分語りばっかりやんか……。面白いのもあったけど。
タナソーさんには、依頼したのでしょうか……それとも依頼もしなかったのでしょうか……。
タナソーさんのツイートを見ると「五十嵐くんの夢を見た」とか書いてあったので、氏は五十嵐さんのことをめちゃくちゃ好きなはず。
二人が生きているうちに再び相まみえることはあるのでしょうか。
公の場でなくとも、なんか、二人には顔を合わせて話をしてほしいです。

奇しくも今年、U2はヨシュア・トゥリーの再現ツアーの一環で来日します。
五十嵐さん、解散前のセルフタイトルアルバムは、U2と同じアイランドレコーズからリリースしたいっつってレーベル移籍しているぐらいですから、これを機にシロップも再始動したりしないかなぁ……。(注・再始動しましたね)
けど、いい大人になると、ドラマみたいに一つの出来事で大きく変わったりすることができなかったりしますよね。
ちょっとずつ変わっていくしかないですよね。

・2019年に32歳の男がシロップを聴くということ

身もふたもないことを言うと、シロップの「言葉」に惹かれるなら、宮台真司さんの本読んだ方が、心には強いと思う。
音楽面でいうのであれば、五十嵐さんが影響を受けた80年代のニューウェーブ・ポストパンクや、90年前後のアメリカで勃興したグランジやクリエイション・レコードの諸バンドの音楽を聴いていれば、シロップを延々リピートしているよりも充実した音楽生活を送れると思います。
けど、そんな「宮台真司さんのような言葉」と、「グランジとニューウェーブ、ポストパンクの音で繊細かつ美しいメロディを奏でている音」とが組み合わさった音楽なんて、どこを探しても存在しない。
そしてなにより、五十嵐さんの、時にむせび泣くようでいて、時に諦念まみれの穏やかな独り言のような歌声じゃあない。
シロップっぽいことをやっているバンドは未だにいるし、シロップの影響を明言する音楽家もやはり多いが、やっぱりシロップはシロップでしかないな、と思う。

シロップのインタビュー読めば読むほど、五十嵐さんって難儀な方なんだなぁという印象が強まる……。
初期レディオヘッドにこだわり続けてるのもなんか納得……。
でもレディオヘッドとかポリスみたいに、どんどん音楽性変えてけばいいんじゃない?と思ってしまうわ……。
音楽性は永遠の下北バンド。

そんなわけで、シロップを求めなくなった。
こんなこと、わざわざ言うことじゃないってわかってる。
今でもシロップを愛している人が大勢いるのは、SNSを見ればわかる。
僕にだって、外にも出ずに一日中シロップを聴いていることが何度もあった。
「いつもの映画のいつものところで泣く」みたいに、シロップの曲を再生して、涙を流したことが何度もある。
こんなに一人の音楽家の作品を聴き続けることなんて、この先、無いように思えるほどだ。
そんなに好きだったのに、今ではもう、聴いてもピンとこない。
自分の心の中から消えていったわけじゃない。
だからこそ、そんなふうに、「変わった」自分をここであらためて吐き出しておきたいと思った。

僕は本当に本当に性格の悪い人間らしく、かつて信仰に近い想いで愛聴していた音楽ですら、こんな風に、ネガティヴなことを書いてしまいます。
ここまで来て、自分が書いたことを振り返ってみると、なんか「酒飲みながら別れた女性の悪口を話す男」みたいで、なんかすごく嫌だな……。
人が別れた相手の愚痴を話すのを聞くのって嫌ですよね……。
でも、別れることって、片方だけの問題だってことはありませんからね。
たとえ本当に極悪非道な相手だったとしても、その人と交際することを決めたのは自分なわけですからね。極端な話をすれば。
シロップを聴いていた当時の自分と、シロップを聴かなくなった自分がいる。
その違いを自分なりに考察することで、僕にとってシロップがどんな存在だったのか、今の自分にしかできない形で浮き彫りしてみたかった。
まぁ、2011年のエントリを書いて以降、人に話さなかった出来事や想いが蓄積していただけなのかもしれないが……。
なんか、「人にわざわざ話してもしょうがないな」思うことが増えた。
別にそれで、自分の中で溜め込んでいたつもりはなかったのだけど……。

シロップを神棚から降ろしたかった。
今、全盛期を終えた一人の音楽家としての五十嵐隆さんについて、僕が思うことを全部書きたかった。
「伝説のバンド」じゃなくて、いいところも、どうしようもないところも、うまくいかなかったチャレンジもたくさんあったと。
新しくシロップを聴き始めた世代もいると思うので、そういうガイドラインみたいなものを用意したかった。
ア・ヤング・パーソンズ・ガイド・トゥ・シロップ16g。
自分語りが混じってしまっているのは申し訳ねぇずら……。

なんでわざわざそれをするか。
多分今の二十代の人たちの感覚と、1973年生まれの五十嵐さんの感覚って、だいぶ違います。
ネットの有無はとても大きいし、社会の変動についてもそうです。
宮台真司さんが、1986年分水嶺説を唱えていましたね。

「86年以前世代」は、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件、援助交際ブームなどを経験しており、「社会は5〜7年ごとにガラリと変わる」という感覚を持つ。

他方「86年以降世代」は「社会はこのままずっと続く」という感覚を持つ。彼らが思春期を迎える97年頃から、日本社会は「平成不況」が深刻化、以降の変化が乏しくなった。だから「どうせ何も変わらないのであれば、周りに合わせるしかない」という構えになりやすい。

頷ける内容なんだけど、87年生まれの僕としては、ちょっと待てよ! と言いたい気持ちもある。
ちょっと意地悪なモードで喋っているような気がするなぁ。
宮台さん。
そういえばそうだよね、今の二十代くらいの子も、「ゆとりゆとり」言われて育ってきてるんですもんね。
「お前らが勝手に作った教育制度に押し込んでおいて、なんかあったら『ゆとり』とか言ってんじゃねーよ」って気持ちにもなりますわな……。

そう、やっぱり、これを「日本特有の問題」と呼べるほど、僕は海外の社会を知らなすぎる。
けど、日本嫌だなぁという鬱屈を抱えている人が大勢いることも、事実ではないでしょうか。

僕もウィキペディア観ますけど、日本人アーティストの日本語版ウィキペディアって、すごく退屈な内容になっているでしょう……?
10年代に活躍している音楽家のことを調べようと思ったら、ウェブ上にも公式インタビュー記事がたくさんあると思うのですが、シロップ第一期のインタビューのほとんどは紙媒体にしかない。
だから、若い人たちがウェブでシロップの情報を得ようとすると、ブログとかレビューとか、精度が高いとは言えない情報が多いと思うんですね。
あ、私の偏見かもしれないけど……好きな音楽家について、オフィシャルじゃない情報を閲覧することがほとんどないので……。

でも、ほんとに思うのは、SNSで「いいことしか言っちゃいけない」圧力がとてつもなく高まったでしょ?
これはここ何年ぐらいの動きなんだろう……。
ネガティヴなことを言ったら「アンチ」扱い。
批評が機能しない世界になってしまった。
ファンがそうなら、アーティストもそう。
自分の周りにイエスマンしか置かなくなってしまった。

某女性ボーカルロックバンドが、全然良くない方向にいってたんです。
という話を、昔バンド活動をしていた友だちに話したら、面白いことを聞かせてもらえました。
「いや、俺も全然良くないと思うんだけどさ。ライヴを見たことがあったの。で、もう新曲が本当に良くなくって。知り合いの関係者に「ちょっとどうなんですか」って聞いたの。そしたら「……それ、誰も言えないんだよねぇ……」って」
なんか、物語ってんなー! って思いました。

話がそれて申し訳ない……。
そうそう、「イイネ!」圧力が猛威を振るっている世の中だからこそ、シロップみたいに「まっとうなネガティブ」が必要とされるんじゃないかなって思うけどね。この圧力って、宮台さんが語っていたように、「仲間外れを恐れる」という考えがベースにある世代が社会にどんどん出てきたからなんじゃない?って思ったりしまね。
シロップってあんまり否定しないのよね。
レイシズムが蔓延し、トライブ同士のぶつかり合いが当たり前になった現代において、五十嵐さんみたいなスタンスの人ってあんまりいない。
他者とわかり合うことをあらかじめあきらめているというのが、五十嵐さんの根底にあるからかな。
この「諦念まみれ」な世界観って、本当にシロップ独特。
五十嵐さんからしか出てこないものだと思う。
再始動後のシロップでつらいのもそこなんじゃないかなって思う……なんか、「もう一回音楽をやることに希望を見出している」スタンスの曲ばっかりで、なんかつらそう。
普通に「音楽つまんねー、もうやめてぇ」とか「家事やってる時が一番楽しくて最近のピザの生地から自分で作ってるわー」とか、そういう歌歌ってほしいっす。
五十嵐さんの歌声とメロディ、大好きなんだけど、曲調ゆるくて歌声もゆるいのが多いから、それがつらいとこっす……。
もっとテキトーに歌えばいいのでは……。

あぁ、こういうスタンスも田中宗一郎さんのスタンスと一緒だな。
「教科書に載るロックバンド」になってしまったビートルズを神棚から降ろして、アルバムと楽曲ごとに点数を付けてしまったサイコーの企画があった。
スヌーザーが刊行され続けてれば、僕みたいな音楽知識薄々自分語りばっかりド素人が、こうしてシロップについて、自分の意見を発する必要なんてなかったんだよ!
一つのバンドの深層に踏み込んでいく姿勢では田中宗一郎さんに勝る人はいないんだから……。(それゆえ、アーティスト側から距離を置かれてしまうことも多々あったけど)

シロップファンって恐い人、多くないですか……?
あと、自分の中での「シロップ観」がガッチガチに固まっていて、そこから逸れる意見を目に入らないようにしている。
見かけたら、力強く「私の中でのシロップはこう」という論を展開する。
最初にシロップの感想を公開した時に、ツイッターでそういう意見を見かけて、おっかねぇなぁと思いました。
まぁツイッターってそういうものか……・
ただのブログに対して、よく、そんなに強めな反論を書けたもんだ、とも思いました。
「ナンセンス」って言葉で語られていたのが印象的。
二人で繋がってた。
でも今ツイート検索をしてみても、そのどちらにもたどり着けなかった。
アカウントを非公開にしたのか、アカウントを消されたのか……。
まぁ、どちらであるにせよ、SNSを使っているといろいろある。
良いことも悪いことも、あるいは、ただSNSがどうでもよくなるってことも。
「五十嵐が救われたかどうかを問うのはナンセンスだと思います」

いや、救われてねぇなら、救われてねぇっていう意見を書くしかなくないですか
今考えてみてもよくわかんない……。

日本って、内省的な作品が受け入れられない文化、快楽原則に則った作品が多い。
欧米ではエンターテインメントとアートのどちらも存在している。
「暗い」ものも、ちゃんと評価を受ける環境がある。
一言で説明できないのだけど……
罪の文化というやつですね。
であるからこそ、キリスト教が広く進行されている韓国の映画は欧州でも高い評価を得てきたのではないか、と思う。
イギリスやアメリカの、暗い内容でも大々的なヒットを飛ばす文化の洗礼を受けて育ってきたとしたら、その感覚も、わかる。
バンプだってゲームオタク的な感性があるから売れてきたんだろうな、とも思うし……

なんか歳食ってからシロップをまともに聴いたことってなかったんですけど、当時よりも「たかしちゃん、しっかりして!」「たかしちゃん、大丈夫?」という、視点になってしまうことに気付いた……。

そういう意味では、僕は、変わったのかもしれない。

・鬱ロックって言葉が大嫌い

僕は鬱ロックくくりは死ぬほど嫌いです。
というか五十嵐さん、心療内科に本当に通っていたっぽいので、安易に「うつ」という言葉を使うのは避けてたんじゃないかなと思うのですが……。
00年代の日本のロックの世界観は「キミとボク」と揶揄されたりするけれど、最近は、アーティストとファンの「共依存化」「共犯関係」は進んでいて、アーティストが直接ファンに歌うような歌が増えましたね……。

この鬱ロックと同時期に、シューゲイザーが再評価されました。
木下理樹さんも推薦コメントを寄せていたり、雑誌で(確かクロスビート誌)でもシューゲイザーディスクが特集されたり、シューゲイザーのアルバムが再発したり。

この本が出たのが2010年か……もう10年近く経ってる。やばい。絶望。
シューゲイザーの人気再燃現象は、その2年ぐらい前から流行っていた印象。

雑誌の特集とかではスミスもシューゲイザーに入れられていて、それはもう何でもありだろと思ったけど……(笑)。
レディオヘッドが「ぼそぼそささやくのは止めろ、叫びをあげるんだ」と、曲の中でそのまんま語っていたが、時代は「叫ばない」方向にも突き進んだ。
もちろんシーン全体がそうシフトしたのではなく。
シューゲイザー、ポストロックの時代だったっすね。
繭にこもるしかなかったのかな、とも思いました。

・五十嵐さんに言いたいこと

五十嵐さんって多分、褒めるだけじゃなくって、もっと、批判とか指摘も受けたい人だと思うんですよね……タナソーさんが、懇意にしている海外のバンドに対して「あのアルバムはよくなかったね」ってはっきり言っているところを、すごくいいって話していたし。
多分、音源がよくないなら「よくない」って言ってほしいんだと思う。
でも関係者も、ライターも、ただ褒め立てるばかりなんでしょうね。
日本のメディアってそうなっちゃってるからね。
かと言ってネットにはゴミのような言説しかないし。
五十嵐さんが求めているものは、タナソーさんの中にしかなさそう。
そんな気持ちでこれを書いた、という面はあります……。

でも、すごい音楽を作れなくても、生きててくれればそれでいいとも思うよ。
音楽なんか別にやんなくていいでしょ。
音楽なんてやんなくたって死にやしない。

普通に恋愛の歌うたえばいいんじゃないかって気がしますけどね……
ミスチルとか斉藤和義さんみたいに。
自分の孤独や、孤独を歌う自分に固執してしまうのはつらいでしょうよ。
古明地洋哉さんも、新曲作らなくなっちゃったし……かなしい。
アートスクールみたいに、いつまでも、空想の中の少女と戯れていてもいいではないですか。

あなたが好きだったっていうアンダーワールドも、もうここ十年ぐらい、全然良い曲作ってないけど、解散しないで頑張ってますよ。
良い曲じゃなくても頑張ってれば、その内、良い曲作れるかもしれませんやん
マニックスだって、やっぱり全盛期のようなアルバムは作れていないし……。
よく言う話かもしれないけど、続けてれば、時代がまたあなたに近いところに回ってくることだってあるかもしれないし。

シロップトリビュートアルバムとかやったら、参加したがる人多そうですけど……。
五十嵐さん的にはあんまりやりたくないことなんでしょうねそういうの。
あるいは、シロップや五十嵐さんのことを歌にする人がいてもよさそうだけど。
サザンオールスターズが、引退宣言をしていた吉田拓郎さんに向けて『吉田拓郎の唄』という曲を作ったように。

他の人に曲を提供しても、聴き返してみたら五十嵐さんの後悔になるんだろうし……。
いや、むしろいっそ、女の人に曲を提供してみたりしたらどうだろう。
小沢健二さんも、男には曲提供しなかったけど、渡辺満里奈には曲提供してたりしたしな。

音楽なんてやんなくていいと思う。
そもそも、定量的に作られ続けると考える方が異常なわけだし。
世界で一番レコードを売ったマイケル・ジャクソンですら全然モノ作らんしな。
工業製品じゃないんだから、そうなるよ。
頭に火を付ける、っていうとマイケルが思い浮かぶなぁ……。

「傷つきすぎたけど まだ間に合うよ」
なんですよ!
五十嵐さんが自分と向き合って、心を切り刻んで、抉りとった音楽を売りに出した。
ファンとか会社とか取り巻きとか関係ないから!
ていうかイギリスに移住しちゃえ!
僕も含めて、ファンなんて、カスみたいなことしか言わねーから!
「壊れそうなものばかり集めてしまう」んですよ、今の日本でロックなんか聴いてるやつって。
それか宗教家みたいな自己啓発セミナー講師みたいな、「俺についてくりゃいいっすよ」って歌う人達ね……。フツーに海外のロック・ポップを聴いてりゃ何万回も耳にしたような音楽性に乗せて。時代は変わっちまったよ、五十嵐さん……ミュージシャンですら海外の音楽聴かないのが当たり前になっちまった。

生け生け、ガラスの四十代五十嵐隆さん!

「壊れそうなものばかり集めてしまう」ファンに負けないで。

知っているでしょうけど、宮台真司さんが首都大学東京で持っているゼミは、学外からでも参加可能なんですって!
招待制に変わっちゃったって話も聞いたことがあるけれど……。

ていうか僕は年上の人間を呼び捨てにする人間ホント嫌いなんですよ、アーティストとか含めて……。
「五十嵐」じゃねーだろ、さん付けしろよ。
親とか幼稚園とかで習わなかったんか……年上にはさん付けしろって。
親近感覚えてんじゃねーよ。
ほかのアートと較べて、ミュージシャンの親近感抱かれやすさってかなりすごいですよね。

もう別にブロガーでもユーチューバーでもいいと思うし……。
家事が好きならカフェとかやってもいいんじゃないすか。
で、たまに酔っ払ったらアコギでじゃららんっつって曲やったりとか。
大学に入り直してもいいかもしれない。
一生涯学習時代ですよ。
宮台真司さんのゼミって、学外の人も入れるみたいですよ!
内部の人からの招待がないと入れない制度に変わったと聞いたこともあるけど……まぁでもいがらしさんならはいれるっしょ!しらんけど。
U2みたいに、プロデューサー付けて全然違う音楽にトライしても面白いかもだし。
ポリスだって、自分達よりも先に活躍していたXTCのプロデューサーを寝取って、音楽性の幅を広げたわけだし。ヒュー・パジャムさんね。
でも日本って、音楽を面白くプロデュースできる人ってあんまりいないですよね。
でもくるりの岸田さんが矢野顕子さんをプロデュースしたり、ザゼンの向井さんがスイセイノボアズをプロデュースしたりと、面白い音になる類例っていっぱいあるだろうしだな……。
いや、でも、日本で、ロック方面の「プロデューサー」として名前が挙がるのって、亀田誠治や小林武ですね……わたしは好きじゃないっす……。
小林武さんは冴えない青年をスタジアムロックに化させることにしか興味ない気がする。
小林武さんのプロデュースを受けたミスチルとレミオロメンはシロップを敬愛するという現象も起こっていますが……。
あと小林武さんは熱心な宮台真司読者だそうで、ネットでも対談したりしていますね。
そういう意味では小林さんと五十嵐さん、相性が良さそうだけどなぁ。

それこそ、バンプもMORというプロデューサーも付けているわけだしなぁ。あんまりプロデューサーの話、しないけど……。
そういう点から見ても、日本はクリエイター神話を強めてきた傾向があるんじゃないかなぁ。

今ではスタジアムでしかライヴをやらない、世界で最大級の支持を得ているU2ですが、デビュー当時は下手下手なポストパンクフォロワーだったんですよ。
売れすぎてちょっと頭がおかしくなり、世界中のiPhoneに勝手にニューアルバムをインストールするという面白いこともしでかしていましたね(笑)。(もしかしてこの出来事、若い人は知らないのでは……)
本人は、あとあと「確かにやりすぎだったわゴメリンコ」と後悔も語っていたそうですが……。

むしろその支持の集め方や、ライヴの規模、メッセージのデカさで考えると、日本のU2的な存在ってバンプなんでしょうね。
ただしU2は、90年代に入ってから劇的に音楽性を変化させます。
バンプも大分音楽性変わりましたよね……けどミスチルやバックナンバーは、そのままで大きくなった感。
小林武史プロデューサーは偉大なのですねぇ……。
ちなみに、田中宗一郎さんがバンプデビュー時に書いたレビューは以下。

初期U2なんだね幼なじみが集まった運命共同体的組織論にしても、気持ちばかりが先走って、ガタガタで、目も当てられないリズム隊にしても。ただ、どちらかと言えば、U2よりはR.E.Mに信頼を置いてしまう人間からすると、こうした無邪気なナイーヴィティは暑苦しい。取りあえず、あまりに録音がデカすぎるヴォーカルや、多すぎる無意味なリズムのキメ、「イマ」というほうき星といった無駄なメタファーは捨ててしまった方がいい。だって、これは、音楽よりも「自分」の方が遥かにデカいということだからね。最近のDMBQのように、音楽に追い越されて、立ち尽くしてしまうような体験を経た彼らを見てみたい。じゃないと、寂しがりの弱虫達の期待に、食い潰されちゃうよ。頑張れ。
天体観測ディスクレビュー 田中宗一郎氏 #24

↑田中さん、バンプに対しては「俺が待っていたのはこれだったのか?」という大きな期待を寄せてもいた。その文章が掲載されているであろう号、なぜか見つからず……てばなしたってことは、ないと思うんだけど……(´;ω;`)

そんな感じで、語りを終わります!
このあと、メモは作っておいたけど使うところがなかったものを、「覚え書き」として公開するエントリを作りますー

 - Syrup16g, 音楽

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