てやんでい!!こちとら湘南ボーイでい!!

映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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【syrup16g全曲の考察と感想】パープルムカデとMy Song

      2019/07/15

『ヘルシー』から『マウス・トゥ・マウス』の間にリリースされた二枚のEPについては、このページで紹介する。
『リアル』と『うお座』が収録されたシングル『リアル』も、2004年3月24日にリリースされたが、こちらは全てアルバムに収録されたしファンアイテム的な要素が強いものなので、特に触れない。

『パープルムカデ』は1stシングル。
2003年9月17日リリース。
シングルと言いつつ、4つの新曲で構成されており、楽曲のインストバージョンの収録はなし。
うち半数は、後にリリースされるアルバム『Mouth to Mouse』に収録される。

1.パープルムカデ

印象的なリズムで鳴らされる。
『ヘルシー』を潜り抜けて、バンドとしてよりタフに飛翔できる力を得たことがわかる。
特に中畑さんのドラムがパワフルで、ニルヴァーナ時代のデイヴ・グロールのプレイを彷彿とさせる。
楽曲の内容は、一時期ウィキペディアには「反戦ソング」という記載があったが、そういう歌ではないことは五十嵐さん本人がインタビューで否定している。
詳しくは別のページにインタビューを転載するが、一部抽出すると
「反戦ではないんですよね。反戦的な歌だと、インタヴューで言われることもありましたけど。でも、戦争は悲惨だから同情しなきゃとか、そういう感覚にいないというか」
と語っている。
普通に暮らすことが許されなかった人々へ思いをはせている、といった内容といえるだろうか。
戦地で生きることを想像するという点では、『土曜日』に近い曲。

タイトルとは裏腹にPVやジャケットは青っぽい。
「パープル」というと、五十嵐さんが別格で愛好しているプリンスのシンボル・カラー。
男性っぽくも女性っぽくもない色あいである。
岡村靖幸さんも2ndアルバム期のシンボル・カラーが紫色でしたね。

“好きな言葉 何? 好きな人は 誰? 遠い空の下で 下じきになったって”

平和な日本で当たり前に交わされる言葉だが、戦場に生きる人々は、こんな他愛のない会話をする余裕すらないという対比です。

“怖いものは無い 怖い人だらけ 俺は俺のままで 下じきになる”

なんなんだろうこれ……。
怖い人っていうのは、実際に関わる人や、社会に生きる人のことなんですかね。
「俺は俺のままで」というところに、「自分は変わることはできない」という自己認識があって、「俺は社会でまともに生きていくことができない」というのが五十嵐さんの基本理念なはずなので、「そんな社会の中でまともに生きていけている人が怖い」と言っているんでしょうか。
「怖いものはない」っていうのは、そんな風に下敷きにされることも上等だっていうタンカか?

“戦場で死んだムカデ むらさきの”

なんでムカデなのかわからないんですよね……。世界シンボル辞典には、「ムカデ」の記述はなし。
石の裏とか湿気の多いところに生息していて、地べたをはいつくばっていて、見た目や動き方から人に気持ち悪がられている生き物だからでしょうか……。
見た目の特徴としては足がいっぱいある点が挙げられるけど、歌を聴く限りでは足の多さは関係なさそう。
ざっと生態を調べてみると、繁殖の際は交尾をせずに、雄と雌が共同作業的に子どもを作るみたいです。
まぁ、昆虫ではけっこうある話か。
「地を這う生きもの」の代表としては「蛇」があるけれど、五十嵐さんは歌の中で蛇の事唄わないよなぁ……。
蛇は神話でもよく出てくるモチーフだし、聖書においてはアダムとイブをそそのかす存在なので、使いやすいモチーフではあるのですが……。
インタビューでは
“星条旗の青が、ドーンと田舎かどっかでまき散らされて、その中で、ドロドロの血の中で紫色になって。そういうイメージが。その中で、兵隊がムカデ、あるいは、うごめいているみたいな世界と、今、ここで、取材を受けて、のほほんとコーヒーを飲んでいる自分の感覚というか。”
と語られていたので、パープルというのは納得がいく。
ムカデは、立ち上がることができないくらいの状態になった人間が、それでも、生き残るすべを探しながら這うような姿だろうか。

“Sun will shine 進め 三輪車 この坂の向こうまで”

凄まじいライン。
「太陽は輝く」と言い切った。
太陽はこれまで何度も書いたように日本の経済状況の暗喩として使われてきた。
ここでは、ひいてはそこに住む自分自身に光が差し込むことがあるだろうという展望だろう。
“気の狂った様な坂を昇って 錆びた黄色いチャリはそこへ捨てておけ”と歌われた時とはまるで違う、固い決心と意志がここには表れている。
三輪車というのは、大人になりきれないことに呵責を覚えていた五十嵐さんが、「自分らしいまま進んでいく」という表明に他ならない。
また、「坂の上の雲」のモチーフについても指摘したが、「登り切っても太陽には届かないかもしれないが、この坂を死に物狂いで乗り切る」といったニュアンスを感じる。
ここで五十嵐さんは悲観主義を捨てようと試みているのだ。
シロップの結末から言えば、それが上手くいったのかはわからないけど……でも、この曲にみなぎる生命力に偽りはない。かっけーっすよ。

“不協和音と君がいて 銃声は空から舞い降りた”

不協和音……グランジやシューゲイザーのような音に浸りきっている状態?
ただ後半の「銃声は空から~」が全然分からないです……。
不協和音の音楽にハマってて、「君=彼女」もいて生活がハッピーっす……というところにでも、銃声が舞い降りる=戦争や紛争が突然始まることはあり得るっていう想像でしょうか。

“付け足さないで そのままで ただの名もなき風になれ”

『ヘルシー』で「風」については、シロップのスタッフワークを指しているのでは? と書いたけれど、ここでも、それに近い解釈が出来る気がします……。
事務所なのかレーベルなのか、「売れるためのテコ入れ」を迫られていて、そこに「付け足さないで俺のやりたい音楽をやらせてくれ……」という悲鳴を上げているのでは?
考えすぎなんですかね……。
「ただの名もなき風になれ」っていうのは、「名を上げようとしないで普通にそよそよっとサポートする感じで吹いててくれ……」というねがいなのかも。
スタッフワークの解釈ではないとしても、「売れれば勝ち」といった商業主義的な音楽のあり方への疑問が入っていそうではあるなぁと。
その辺も、インタビューではけっこう語られているので、そちらも読んでもらえると面白いかと。

“戦場で死んだムカデよ”

ここで言う戦場というのは、本当に戦闘が行われていた地域であると同時に、音楽業界でいろいろ頑張っている人々のことも指すのかな……と思ったり。
もしかしたら、「赤い血」って、『ヘルシー』のことを言っているのかな……五十嵐さん的には、あのアルバムも商業的には敗北したらしいからな。

2.(I’m not)by you

「(僕は違う)あなたのため」みたいな意味の英語なんでしょうか……。
僕はあなたの為の存在ではない、的な意味?
謎……。
どうでもいいけど、「アナル・バイ・ユー」って聴こえますよね。
「おしりの穴は君のため」って意味に成りますね。
肛門性感開発、カッコイイ。ロックだぜ。

“時が経つのをこうやって ただ待ってるそれだけ 隠しきれない傷だって 消えてしまうものだって”

『サイケデリック後遺症』の、亀の甲羅の上にいる宣言に近いニュアンスなんですかね……。
そうそう、若い時は「この傷は永遠に消えない」って思うものでも、年をとるとやっぱり消えていってしまいますよね。
ふとした時に思い出すことはあっても、あんまり精神に影響を与えてこない。
人間の心ってのは不思議なもんです。

“悲しみを追い払ったら 喜びまで逃げてった あの日から 僕は全力で走ることをやめたんです”

感情が表裏一体だ、っていうことなんですかね。
なんかここのところは、『汚れたいだけ』の「何も感じなくなってしまった」に近い気がします。
「あの日」ってなんなんや……。
でも、全力で走るのを止めてる人が、『ヘルシー』みたいなアルバムを作ったりはしないだろうからなぁ。
一体何のことを言っているんだろう。

“一つ残らず計算で 割り切れないものばかり 確かなことは少しだけ この胸にある思いだけ”

計算式に組み込むように効率化を図りながら人を扱う社会の冷たさと、歯車として生きる人の中に生まれる「決められた常識の外」の感情についてのセンテンスでしょうか。
それにしても、ほんの短い言葉の中に意味を凝縮するのが上手い……やっぱり五十嵐さんすごいっす。
でも、そんな想いも「少しだけ」になってしまっているんですね。
「あの日」よりも前は、きっともっと大きな想いだったのではないでしょうか。
しかし、「少しだけ」は、間違いなく割り切れないものがあるんですよね。
だからきっと歌ったりするんでしょうし。

“可もなく 不可もなく 不甲斐なく”

なんかこの「可もなく不可もなく」って、「不細工でも美人でもなく」と、同じような言葉の並べ方だな……。
『吐く血』ってもしかして、半分くらいは五十嵐さん自身の事を歌ってるんじゃないかって思っているんですけど、こういう共通点があるとなおさら、そんな気がしてきます。

3.回送

シロップ的には新鮮な、打ち込みが大々的に導入されたナンバー。
別に違和感はないですけど、後にアルバム収録される際にはバンドアレンジになっていました。
五十嵐さんが語るところによると、「あんまり評判が良くなかったから」だそうです。
別に悪くないとは思うんですけど……(笑)。
そう考えると、批判的だったのは周囲のスタッフなのか、ファンなのかわからないけれど、やっぱり人の意見を受け入れる人なんですね、五十嵐さんは。
もしかしたら傷ついていたのかもしれない。わかんないけど。

“Shining Staring クマのリュックと ローマ帝国の配下で 君はまゆげをなくした”

なんか意味ありげなのはわかるんですけど、全然わからないです……(笑)。
ローマ帝国って言葉は、『ヘルシー』の時のインタビューで田中宗一郎さんが挙げていたりはします。
「『人間が生んだ、もっともスペクタクルで、恐ろしいアートは、ローマ帝国と卓球のDJだ』」
というやつですね。
けどクマのリュックってなんなんだ……。
子どもの持ち物っぽいなとは思うんですが……下北サブカル系女子(死語か……?)が背負ってそうだけど、ハイティーンが背負ってたらかなり痛々しいですよね。

そしてなぜまゆ毛をなくすんだろう……抜毛症っていう毛を抜き抱くなっちゃう症例もあるし、ストレスを感じる子どもがまゆ毛を抜いちゃうって言う行動例も紹介されているが、「なくした」だからなぁ。
空手バカ一代で、修業で山籠もりをする際に、覚悟の証として片眉をそり落とすというものがありましたが、さすがにそれはなさそう……。
謎。

あと、「Staring」って、「スターリン」って言ってるのかと思ったけど、違うんですね。発見。

“ブラックライトがまばたく 銀河系にもない星 白濁色に半身浴に 君がうつっていた”

来れも本当にわからないです……。
半身浴に君がうつるって、一緒にお風呂に入ってるってこと……?
白濁色ってなんなんだ……濁り湯の温泉なんでしょうか。
全然分かんない。

“その時体中が 未来を感じたんだ すべてはここにあって 何もかもなかった”

「ある」という存在への言及は、次作の『リアル』にも通じる気はしますが……謎……。
しかし、この時期の五十嵐さんって、生命を肯定するモードに移りつつあると思うんです。
もう下衆の勘繰りになってしまうんですけど、この頃に五十嵐さん、子どもが出来たんじゃないかって気がしているんですよね……。
「未来を感じた」って、そういうことなんじゃないかな。
謎。

“スライディングタッチ ミサイルは高速で 罪深き過去を置き去り 君の涙は青かった”

「紫」に続いて、「青」って色への言及が出てきました。
紫は、青と赤を混ぜて出来る色です。
本当なら、『パープルムカデ』って、血の赤があてられる方が自然ではある歌なんですよね。
なので「レッドムカデ」というタイトルになっていてもおかしくない。(語呂悪いけど)
けれど歌は「パープル」。
なにか関係はあるような気がするのですが……。
血の赤と、涙の青が混ざったから「パープル」ということなんでしょうか。
肉体が滅ぼされるという残虐さを「赤」、人が人に殺されるという、人間だけが生み出す理不尽さへの悲しみを「青」として、戦争の不毛さを二色が合わさった「紫」で表現したのかなぁ……。

「ミサイル」と「過去」の関係は推測するしかありません……。
ミサイルを高速でぶち込むことによって、打った側の責任(罪深い過去)を誤魔化そうという目論見があるという話なのかな……。

“上っているのでもなく 下っているのでもない まだ遠いさまよい 目指す場所もない”

わからんねぇ!
まぁ、00年代も中期になってくると、不景気もいったん底を打って、「不景気だ」という風潮も若干薄らいでいきはしましたからね……そんな状況をうたっているのでしょうか。
まぁ、シロップも、ガーッと目覚ましく売り上げを伸ばしたわけではないので、自分たちの状況を「上がっても下がってもない」と表現した可能性も。

“救いのない言葉で 胸をひっかいた つまんない俺を 隠す為に”

なんか『生活』の歌詞が独り歩きするかのように受け入れられてしまった事への戸惑いが出ているような気がします。
あの曲は自分に向けた言葉であり、断定するような言い方を選んだけれど、それがウケてしまったことに混乱していると語っていたので……。

“頼りない言葉で お腹いっぱいさ つまんない君を 守る為に”

頼りない言葉≒断定しない言葉を使っていると、君≒聴く人を傷つけないけど、面白くもならない……って言いたいのかな。
「君」の存在を意識してしまうと、強い言葉を言えなくなってしまう……というジレンマでしょうか。

“殺気だ散る”

こんな風に歌っているって、今回初めて知りました……(笑)。
意味はわからないです……。

4.根ぐされ

中畑さんの部屋のお風呂場で録音したなんて話も聴きます。
ほんとかな?
けど本当に音質はあんまりよろしくないですね。

曲のアレンジとしては、弾き語り『クリープ』であり、『リボーン』とほぼ同じだと思います……(笑)。
ギターのコードとかほぼ同じなのでは?
まぁ、五十嵐さんの必勝パターンというか、手ぐせのようなものなのでしょうけど……。
「それ同じフレーズやん!」は、シロップの曲では散見されます。
ただこちらではアコギとエレキギターしか鳴っていません。
ボーカルの「ボソッ」って音も消さないくらいのローファイ具合。
アコギ弾き語りのクリープと、オリジナルのクリープのコーラスとアウトロでのぶ厚いノイズをくっつけたような仕上がり。
五十嵐さんなりに工夫しながら、ローファイストーカーソングを作って見せたということでしょう。
しかし、風呂場でレコーディングをしてもこういう音に仕上がるって言うことは、『ヘルシー』は音質が悪いというより、意図してああいうボワボワした音になっていたってことですね。
そこは田中宗一郎さんが書いたインタビューの序文の説明が詳しいと思います

ただ、僕はアンチ『リボーン』なのでちょっと嫌な見方をすると、この曲は、『リボーン』みたいな世界観から疎外されてしまった人物を主人公にしているのでは? という邪推ができます。
根がくさってしまっている主人公は、「ただなんかいいなって空気」に馴染めないか、そもそもそんな空気の中に入れてもらえない……っていう。

“俺の魂は根ぐされを 起こしてしまった”

僕は自分のことを本当に本当にクズな人間だと思っているので、この発想は凄くわかります。
本当はシロップの全曲解説も、一週間くらいで終わらせようと思っていたのですが……もう40日は経過していますね。
でも逆にこれぐらいのクズの視点から見たシロップ論というのもなかなかないので、まぁこれはこれでいいのか。
いや良くないか。
死んだほうが良いような気は毎日しています。

“誰のせいでもなく 密かに”
“君のせいでもなく 永遠に”

こうしてわざわざ歌うってことは、どこかで「君」のせいにしてしまう自分がいるのでは。
あるいは、「君」のことばかり歌っているから、「君」がシロップを聴いた時に「がっちゃんが狂ってしまったのは私のせいでは……」と良心の呵責に苛まれるかもしれないと思っているのでは……。
「君」って誰なんでしょうね。
親か元カノじゃないかなとは思いますが……。

“働くのさ 自分の道を探すのさ 可能性なんて∞”

『向日葵』の、「一週間で人は生まれ変わる」みたいな歌詞。
働くのは大事ですよね……。
でも、可能性が∞じゃないのは分かっていると思うんですけど……五十嵐さん。

“根ぐされる 寝ぐされる”

本当に寝るのが好きですね五十嵐さん……。
ところで僕は寝る時にも音楽をかけっぱなしにしているんですけど、五十嵐さんは寝る時はどうしているんだろう。
無音派かな。

“記憶を辿ってとある駅へ出た そこには何もなく 既に”

「何もない」ってなんだろう。
君が住んでいた家を見に来たのかと思ったけど、違うのか。
待ち合わせ場所にしてたお店とかが無くなっているってことかなぁ。
あるいは、君の姿を探してしまったとか。
でも「既に」だから、ずっとあったはずのものが無いってニュアンスでしょうね。

“そこで僕は君の家を見つけた 少しだけ感動して 帰る”

まぁまぁストーカーですよね……(笑)。
元カノの家を見に行った経験はないですけど、昔の職場とか、母校の近くを訪れるような感覚ですかね。
なんか感動しますよね、あれ……。

“どんな言葉も役割を遂げた時 変わらない歌を届けたい”

五十嵐さんは、自分が「世代の声」として音楽を作っていることに自覚的だったみたいです。
公式サイトに載っているインタビューでは、ライブで同様の発言もしていたことが伺えます。
けれど、「世代の声」って、その時代に生きる人が思っているけれど、他に声を上げる人がいないものなんだと思うんですよね。
そうなると、その時代の人にとって強くても、時が過ぎると、次の時代の人にはあまり共感できなくなっていることも多々あります。
各時代の「世代の声」って、やっぱりあとあと古臭く聴こえたり……。
それを「言葉の役割を終える」と言っているのでは。
五十嵐さんは、そうはならずに、世代の声でありつつも、後の時代でも古びずに、むしろ歌の真価が表れてくるような表現を目指したかったのではないかなぁ……。
『クーデター』時のインタビューでも、普遍的な表現をやりたいと語っていたのです。
難しいですよね、表現の消費期限。

“悩んで night and day”

これは様々な歌で使われている押韻ですよね……(笑)。
他、「妄想 暴走」もよく使われてる気がするのですが、「もうよそう」で韻を踏んだ五十嵐さんはえらい。

“飛び立つのさ 自分の意思で放つのさ この空の彼方を見てみたい”

「飛ぶ」って、多分、音楽かとしてのブレイクスルーを果たしたいという意味では。
五十嵐さんが大好きなミッシェルは「飛んでみても何も無かった」「外の世界のことを尋ねても相手は黙り込んだ」といったような歌詞を歌っていて、「売れたりファンが増えたりしても何にもなかったわ」というかなり寂しい諦観をまとっていました。
『太陽をつかんでしまった』というあけすけなタイトルを持つ曲では、「太陽をつかんでしまった男は死んでいた」という内容でしたからね……その直後にバンドは解散。
カッコよすぎだ。
五十嵐さんは、そんなミッシェルの姿を見ているけれど、「いや俺はブレイクスルーして、自分の目で売れっ子の感覚を味わいたいわ」と願っているのでは。
『根ぐされ』、意外と、五十嵐さんが音楽に向かうモチベーションの歌だったんだな……。
こう考えると、やっぱり『シーツ』で「飛んでみたい」と歌っているのは、「売れたいずら」っていう願いだったんだろうなぁ。

『My Song』2ndシングル。
2003年12月17日リリース。
5曲収録で、うち3曲がアルバム未収録。
こちらに収録された楽曲はファンからの人気が高いものが多い……印象です。
特に『イマジン』など必殺の出来では?

ジャケットは、犬がネズミを噛み潰している不穏なもの。
こんなことされたら困りまうす……。
「犬」はシロップで頻出するワードであり、『イマジン』でも象徴的な使われ方。
「ねずみ」は、この4か月後にリリースされるアルバムのタイトルにも入っている。
犬ってあんまりネズミを殺さない気がするけど……そういえば、シロップでは「猫」って出てこないですよね……。
五十嵐さん、犬派なんでしょうか。
考えてみると、ポップソングの中で「猫」ってけっこう聴くワードな気がするけど、「犬」ってそんなに聴かないな……。
「ねずみ」について、世界シンボル辞典の記述の一部抜粋。
“《一般》 ウサギとまったく同様で、常にかつえた、繁殖力の高い、夜行性の動物であるネズミは、地獄を思わせるほど恐ろしい被造物として現れることはないが、もう一方の齧歯類のウサギに倣って、色好みの隠喩の主題となる。
《精神分析》 フロイトが「ネズミを伴った人」(『5つの精神分析』)の中で指摘するように、この動物は不浄なものとみなされ、地球の胎内を掘るところから、弾痕と肛門の暗示的意味を帯び、その意味がネズミを富と金銭の概念に結び付ける。“

ほか、疫病を運ぶ存在としても扱われることがありますね。
五十嵐さんはアルバムリリースの際のインタビューでは「ネズミ」について語っていましたが、それは後々転載したものをアップしますのでご参照ください。
ただ、『イマジン』での犬と、上記したようなネズミのイメージとで考察してみると……。
『イマジン』は、昭和の中流家庭的なライフスタイルを夢見る歌です。
『モーレツ! 大人帝国の逆襲』の「あのシーン」で泣く人は、この歌でも泣きますよね?
あれは平成初期でないと成立しえない世界観です……だからこそ、SNSのミームで「野原ひろしって優秀なサラリーマンじゃね?」的な言説が拡散されるのです。
日本が豊かだった頃は、「うだつのあがらないサラリーマン」でもああいうライフスタイルができたのです。
そんな風に、手が届かないけれど想像してしまう生活の象徴として現れる「犬」。
それが、「夜行性」「不浄」「ゴミ(人が廃棄したもの)を漁って生きる」といった特性を持つ「ネズミ」をかみ殺す……。
「犬」は、社会のシステムの順応している存在として、「ネズミ」は、社会からはじき出されて、おこぼれを授かりながら生き抜く存在として描かれているのでは。
であればこの図は、五十嵐さん、もしくはシロップのファンが「結局は殺される」というモチーフなのかなぁと。
残酷。

1.My Song

すっげーいいラブソングに聴こえる素敵な歌です。
ただ、歌詞をじっくり読むと、あんまりシチュエーションが見えてこない。
なので複数の可能性を検討しながら考察します。
その内のひとつとして、前提を提示しておきたいのですが、これも五十嵐さんが子どもへの思いを歌ってるのかな……っていうものです。
しかし、こんなに陽性で幸福感に満ちたフィーリングの曲を作っても、「無いものなだり」と斬り捨てなければ、心が保てないのでしょうか……。
五十嵐さん、難儀な人だ……。

“あなたを見ていたい その場に入れる時だけ 裸を見ていたい 言葉はすぐに色褪せる”

シンプルなラブソングと取れる言葉。
でも「その場に入れる時だけ」ってことは、他にやるべきことがあるってことですよね。
多分五十嵐さんにとっては仕事なのでは……。
それは全然悪い事じゃないですけど、ラブソングっぽいことを書く時でも、音楽を優先して考えている人なんですよね。
僕はそんな五十嵐さんが好き……。
「言葉が色あせる」っていうところも、言語による表現を過信しない五十嵐さんらしさがありますね。

“寝顔を見ていたい”

これって、あかちゃんと違いますか……。
でも、「一緒に眠りたい」って表現じゃないところは、五十嵐さんの不眠気味なところは変わっていないようにも感じられます。
“君の胸に抱かれたら少しは安らかに眠れるのかな”と歌っていたけど、寝顔を見ていたいってことは、多分あんまり眠れてないんじゃないかな……というとかんがえすぎでしょうか。

“どんな想いも 必ず私は胸に刻むから 遠ざかっても いつでもあなたに会えるんだ どんな時でも”

すごく素敵な言葉……と同時に、「全部受け入れる」っていうのは五十嵐さんの基本スタンスでもあります。
インタビューでもそう語っているし、『実弾』では“すべてを受け入れる力それが勇気”と歌ったりしているし。
そんな風に、良いところも、嫌なところも、どちらも胸に刻んでいるから、「あなた」と離れても、心の中であなたと会えるという考え方ですよね。
町山智浩さんが、『メッセージ』という映画の解説で、「人は頭の中でいつでもタイムスリップができる。娘はもう大きくなっているけど、彼女が小さかった頃のことを思い出せる。もう亡くなった父親のことも、頭の中で思い出せる。これもタイムスリップのひとつですよ」といった旨話されていて、めちゃくちゃ感銘を受けたものです。

しかしなぜ、遠ざかることを想像しているんだろう……。
すでに遠ざかった人に歌っているような気もします……たとえば、『ヘルシー』で何度も歌われる「彼女」に向けているとか。

“それは無いものねだり 求めちゃいけない 分かり合うとか 信じ合うとか そんなことどうだっていい”

ここまで歌った「素敵なラブソング」風のラインを、「求めちゃいけない」こととして否定してしまう……。
「分かり合う」ってことは、五十嵐さんが音楽に望んでいたことであるはず。
それを、このラインでは否定的な言葉で囲んでしまっている。
デビューからここに至るまでに「分かり合う」ことを目指した五十嵐さんは挫折してしまったのでしょう。
自分の伝えたいことが、音楽に乗せても届かない・間違った取り方をされてしまうという経験が山のようにあったのではないかと思います……インタビューでもそんなことをしょっちゅう語っています。
「間違った取り方をされる」「届かない」ってことをインタビューでしょっちゅう語る音楽家って、そんなに多くはない気がします(笑)。

もしくは「あなたを見ていたい」等の部分はすでに実現していて、それ以上に「わかりあうこと」を求めるのが贅沢だという想いを抱いているんですかね。
だから「どうだっていい」と言っているとか。
自分自身が捨てられないものを捨てた時に、訪れるかもしれない「幸福」な未来像なのかな。
andymoriにも、『空は藍色』“いつか大人になった時に 捨ててしまうものを今捨てよう”という歌詞がありましたが、そういうニュアンスなのかな。
「大人になるということは、何かを得るために何かを捨てなければならない」という言説はよくありますよね。

2.タクシードライバー・ブラインドネス

一つの曲として完成している構成なので、アルバムには組み込みにくいような気も確かにします。
曲の意味はあんまりよく分からないです……。
『タクシードライバー』というと有名な映画がありますね。

めちゃくちゃ面白い映画なので、一度は観てみて欲しいです。
鏡に向かって、ケンカを売られた時のタンカの練習をするシーンなど、いろいろなところでパロディされていますね。
「社会の中で孤独に生きる男」が、次第に妄想の激しさを増していく様を見事に活写しています。
今の時代にも通ずる部分は多々ありますね……「自分が正しい」「世を正さねば」という身勝手な強迫観念に駆られていくところなど、ネトウヨさんあるある……。
五十嵐さんがこの映画を観てないってことはないと思うんですけど、そうなると、この曲のタイトルに「タクシードライバー」という言葉を入れたのはなぜなのだろう。
映画の主人公のトラヴィスが「盲目的」になっていく様になぞらえているんですかね。

“ニュースは毎朝見る ところで思うんだが 占いのコーナーってあれ 何?”
“これから眠るのに 最悪とか言われて 結構感じ悪いんですけど”
“未来は無邪気に割り振られ 人は黙ってそれを待つ”

いやもうほんとにこのラインめっちゃ好きなんですよ……。
しかしめざましテレビを毎朝見ている五十嵐さん……。
なんか最初は夜勤タクシーの運転手を主人公にしているのだと思っていたけど、普通に五十嵐さん自身の歌ですよね……夜中までレコーディングしていて、朝に寝る準備を始めているって話。
ところでミュージシャンって夜中までレコーディングしていたりしますけど、普通に日中に仕事するんじゃダメなんですかね……よくわからんけど。

有名な話ですけど、テレビのうらないコーナーって、バイトの人とかがデキトーに書いた文言を、テキトーに星座や血液型に当てはめてるだけらしいですね。
しかし、そうと判っていても「感じ悪い」と思う程度には占いを信じる五十嵐さん……。
「全てを受け入れる」男の悲しき性よ……。
ていうか、「最高の運気!」って言われたら、嬉しくなるの?
それはそれでちょっと面白いですね……(笑)。
いや、ネガティヴな意見だけ重く受け止めそうな人でもあるな……。

また、朝のニュースは、一日の始まりに見ることを想定されているので、「これから眠る」と歌うことで、自分が多数派に属していないことも表しているはず。

“スピーカー頭に付け 床に横たわったら いつの間にか夢の中にいた”

あ、音楽聴きながら寝る人か、五十嵐さん……。
ちゃんとベッドで寝ないと駄目だよ五十嵐さん……。

“柔らかいソファーに身をもたげ 車は荒野を横切る”

柔らかいソファーに身をもたげている夢を見ているの……?
五十嵐さん、荒野とか砂漠が好きですね……。
海とか山とかレジャーっぽいところにはめったに行かない。
ところで砂漠も荒野も、日本にはあんまりないですよね。
海外の映画ではよく見るけど……。
僕、映画を結構観るんですけど、頭の中で風景を思い浮かべると、どこかの映画で観たもののつぎはぎだったりするんですよね。
都会暮らしで映像コンテンツに多く触れていると、実生活で見るものより、コンテンツから得る視覚情報の方が多くなりますよね。

“そこにあるすべて それがもうすべて 求めればまた失うだけ”

これも、今自分の手元にある手札で生きていくしかないっていう感覚なんですかね……。
30を過ぎると、いろんな意味で、「自分の人生ってこうだな」って思えてきます。
まぁ、年を取るごとに可能性が狭まっていくのは当然ですよね。
もともと「俺ってあんまり変わらないな」って感覚があった五十嵐さんなので、なおさら、ここで歌われるような感覚になっているのでしょう。
しかし「求めれば失う」って悲観主義強い言葉だな……。

“仕組みの中で 子宮に戻る 見過ぎたものを 忘れてく為”

ついに「子宮に戻る」というパワーワードがさく裂。
幼児大気の願望は多かれ少なかれ誰でも持っているものだとは思いますが、「子宮に戻る」とまで言い切った人はなかなかいないのでは……。
強い。
しかし「仕組みの中で」ってなんなんだろう。
五十嵐さんは仕組みに組み込まれることを逃れてきた人だと思うけど……。
スピーカーを頭に付けて=音楽に包まれるようにして、柔らかいソファーに身をもたげている様を母胎回帰の機能を代替する儀式にしているってことなのかな……。
「見過ぎたもの」もわかんないな……「見る」という行為は、冒頭で、毎朝めざましテレビを見ていることで触れられている。
わざわざ「毎朝見る」と歌っているということは、自分はテレビを「見過ぎている」という自覚があるはず。
しかも「けっこう感じ悪い」気分になるのに、見ているということは、そういった「ネガティヴ」な情報を洗い流すために「スピーカー頭に付け」て音楽を聴きながら眠りについているってことでしょうか。
音楽大好きやねんな、五十嵐さん。

ニルヴァーナの『イン・ユーテロ』というアルバムタイトルは、直訳すると「子宮の中」。
関係あるのか、ないのか、わかんないけど、ニルヴァーナがすごい強烈な言葉を使いますね。

“タクシードライバー・ブラインドネス 昨日見た夢に そんなタイトルをつけた”
“それはよく出来た 短編映画のようだった”

具体的にどんな夢だったのか、語られないという……(笑)。
荒野を横切る車、ということしかわかんない(笑)。
夢で見た内容をそのまま歌にしても面白そうだけど、「面白い夢を見た俺」を歌にするという、俺俺系ソングライター五十嵐さん。

“許される事を許される範囲で やり通せると思ってきたのに”

“大丈夫太陽十分あるし”のように、自分がやりたいことをやらせてもらえそうな環境を期待していたけれど、そうではなくなりそうな雲行き……ということなのでしょうか。
それは経済的な問題……日本社会や、音楽業界があまり裕福ではなくなったって話なのかも。
00年代に入ってからの音楽業界って、違法ダウンロード問題などもあって、規模が縮小していく兆しが出てきていた頃でした。
まぁ、その前の時期が、日本人がCD買いすぎだったっていう話でもあると思うんですけどね……。

あるいは、シロップが、五十嵐さんが思うよりも売れないor評価されないor自分の思うような音楽を作れないといった問題から、「自分のやりたいことをやりとおせる状況ではない」って思うようになってきたということでは。
もしくは、自発的ではなく、周囲からそんな意見が出てきたとか。
『パープルムカデ』でもそういった考察をしたけど、なんかこのEPと、『マウス・トゥ・マウス』では、そんなモチーフが多い気はするんですよね。
『ディレイデッド』でも、インタビューでは「敗北」について話しているし……。

3.夢

“本当の事を言えば 俺はもう何も求めてないから この歌声が 君に触れなくても仕方ないと思う”

「君」に届いて欲しいと思いながら歌っていたんだなぁ……ということが何となく伝わってくるセンテンス。
もちろん「君=ファン」なのかもしれないけど……。
けれど「届かなくていい」ではなくて、「仕方ないと思う」なんですよね。
これは、これまでのシロップの楽曲は、何かを猛烈に欲する心から生まれていたから、「君に触れる」くらい遠くまで届くかもしれないくらい強い訴求力を持っていた……という五十嵐さんの見立てがあるということではないでしょうか。
山崎まさよしさん、途中までのウーバーワールド、フジファブリック等……一部の男性アーティストはデビュー時から一貫して「元カノに届けたくて音楽やってんだろうな……」って人がいますが、五十嵐さんもそういう系譜の表現者なのかもしれません。

“夢は何となく 叶わないもんだと思ってきたけど 何てことはない 俺は夢を全て叶えてしまった”

何が夢だったのかわからないです……。
「全て」ということは複数あるってことだろうしなぁ……。
でも、デビュー前から聴いていたバンドと交流を持てただろうし、デビュー前から評論を呼んでいた田中宗一郎さんとも濃密な対話ができたし、メジャーデビューできたし……他の多くのバンドができなかったことができたわけで、全部ではなくともまぁまぁ叶ったのかな……という気もします。
ただ、後々「夢がある振りしてました」みたいな歌もあったと思うので(何の曲だったか思い出せず……そっちの曲でこのことの続きを書きます)、ここでは強がって「夢叶ったから!」と言い切っているのかもしれません。
あとは、他のバンドの規模がどんどん大きくなっているのを見て、「俺は、そこまでは目指していないよ……」と表明したかったのかも。
表明することで、自分に言い聞かせたり、スタッフ等周囲の関係者をけん制したりとか。
なんか、周りが上がっていくと、「俺ももっと上を目指さないといけないのかな……」って焦っちゃったりすることありますよね。

“どうしてみんな そんなに そうやって 自由なんか欲しがる 悲しいぐらいに 満たされたこの世界で”

「みんなわがままだよ」って言いたいんでしょうね……バブルが弾けたと言っても、まだまだ裕福な社会ですからね。日本。
そういえば、「みんな」って言葉はシロップではあんまり聴かないですよね……。
「俺」「君」「あなた」「彼女」と、かなり閉じた世界で展開していく歌ばかりだったもんな……。(もちろん、他の国や日本の社会のあり方に目を向けつつ、「俺」「君」「あなた」の関係を歌っていたので、本当の「キミとボク」しかいないセカイ系とは一線を画しています)
だいたい五十嵐さんが「君」って言葉を使う時は、自分に向けて言っているけれど、ここでは本当に「みんな」に言いたいんだろうな……。
ただ、こんなに満たされた社会で、音楽制作に没頭している自分自身にも向いている言葉なのは確かでしょう。

“本能を無視すれば 明日死んじまっても 別に構わない”

「本能」って何なんでしょうね……。
「生きたい」っていうのは本能なんでしょうか。
私、かなり死にたいんですけど、食欲睡眠欲性欲につられて生きながらえているわけではない気がするんですよね……。
まぁ、五十嵐さんが生きててくれてよかったずら。

“本気でいらないんだ 幸せはヤバいんだ”

五十嵐さんはなんかあると「ヤバい」を使うという語彙力崩壊現象を起こすことがありますね(笑)。
でもこれって「饅頭怖い」みたいな話で、多分、五十嵐さんは自分に訪れた「ベタな幸福」を恐れているんじゃないでしょうか。
アルバムを締めくくる『ユア・アイズ・クローズド』は、多分いい奥さんか、奥さんとの子どものことを歌っているんだと思うんですね。
たぶん子どもの事だとだと思う……。
「赤ちゃんめっちゃかわいいやん何なのこの生き物!!!」
って思っちゃっていたのかなぁ……とか思ったり。
もしこの時期に子どもが生まれていたのだとしたら、もう15歳になる頃……?
五十嵐さんの子どもが15歳ってヤバイな……いや、想像の話ですが……。
でも、五十嵐さんの知り合いの知り合いを自称する人から、「五十嵐さんはバツイチで子どものいるんだよ」って話を聞いたことがあるんですよ。
本当かどうかわからないし、本当かどうかわからない個人情報を書いていいかわからないんですが……。
でもシロップを読み解くうえでは重要な情報な気はするので、仮説を立てるうえで、このことに触れることがこの先もあると思います。

僕は赤ちゃんは別にそんなに好きじゃないんですけど、ちょっと喋れるようになった子どもは面白いから好きなんです……。
なので、五十嵐さんが子どもを持った心境を歌っているという仮説は、ちょいちょい出すことになります。

“煮詰まって 妥協して 生み落とす 燃えないゴミ 半透明の袋で 燃やせないゴミ”

「燃えないゴミ」って、自分の作品の事では……。
シロップはここまで矢継ぎ早のリリース攻勢に出ていたけど、そこで妥協せざるを得なかったことを歌っているんですかね。
まぁ、お客として作品を観た時に面白いと思っても、作った側としては悔いが残っているなんてことも多々あるでしょうからね……。
けどその自省が、次の作品に向かうモチベーションにもなるのだろうし、100%満足の作品を作れる人の方が稀な気はします。
しかし、今の時代、デジタルで作ってデジタルで配信できるから「燃えないゴミ」すら残らないんですよね……時代は変わったぜ……。

“有名になりたいな この空しい日々を塗りつぶせるなら そんなしょうもない幻想を 俺はいつまで大事にしてんだ”

「有名になりたい」っていう幻想は、ここに至っても捨てることができていないんですね。
五十嵐さんの中で「夢」と「幻想」って、別々の意味合いで使われているってことかな……。
「夢」は現実的な人生設計を思い描いた時にやりたいことで、「幻想」はそこに至るまでのプランが思い描けないようなバクチに近い願望ってこと?
であるとしたら、「夢」はなんなんだろう……。
奥さんがいて、子どもがいるっていう状態?
わからんなぁ。
五十嵐さん、けっこう有名じゃんって思うんですけど、五十嵐さんの中ではもっと有名になりたい願望があるんでしょうね……。
「一日に三回は『シロップの五十嵐さんですか?』って言われるようになりたい」
と冗談めかして語ったことがある……らしいです。
でも、この曲の中からモチーフを引っ張ってくるなら、「君」に触れるくらいに有名になりたいってことですよね?
切ない……。
でも、「君」に自分の歌が触れたことを、五十嵐さんはどうやって知るの?
連絡先とか消えちゃったりしないのだろうか……。

4.イマジン

シロップが好きだった頃は聴きまくった曲です……。
この曲の破壊力に打ちのめされた人は多いのでは?
誰もが知っているジョン・レノンの名曲と同じタイトルを持ちながら、昭和の「一億総中流社会」では当たり前のように存在していた情景を妄想してしまう曲。
近い手触りの曲としては、湘南乃風の『曖歌』がある。前も挙げたけど。

「経済」について歌うポップ・ソングは日本ではなかなか少ない。
しかし、たとえば、ユニコーンの『大迷惑』を思い出してもらうと、あの曲の最後に歌われる“お金なんかはちょっとでいいので”というのは、00年代以降に生きる人々がけっこう頑張らないと手にすることができない額ではないだろうか。

僕はユニコーンも民生さんも大好きですけど……。
そういえばこの曲にも“エプロン姿のおねだりワイフ”なんて歌詞が出てくるなぁ。
「家」についての言及もある。
もしかすると、五十嵐さんの頭の中にも、この曲の残響があったのかもしれない。

また、後に『イマジネーション』という曲も作られる。
「考えすぎ」な五十嵐さんにとって、「想像」を意味するタイトルがいくつも出てくるのは当然の成り行きか。

“将来は素敵な家とあと犬がいて”

五十嵐さん、団地育ちだったらしいので、家を持つことへのこだわりがあるのかもしれない。
ペット禁止で犬が飼えなかった……なんて過去が、もしかしたらあるのかもしれない。

“リフォーム好きな妻にまたせがまれて”

女性にわがまま言われるのが好きなのでしょうか五十嵐さん……。
それにしても、リフォーム好きっていう、ちょっと「俗っぽい」感じがいいですね。
恋愛で、自分に似ている人を求めるタイプと、自分と違うところがいっぱいある人を求めるタイプとがありますよね。
五十嵐さんはなんとなく後者っぽい……。
岡村靖幸さんも後者っぽいです。
僕も多分後者だ。
自分が嫌いな人の性なんでしょうか。
「自分と似ている人を求めるタイプ」が、「自己愛を投影しやすい人を求めてるだけ」と言いたいわけではないんですけど……。

“観覧車に乗った娘は靴を脱いで”

遊園地に遊びに行くという、これもまた、よくある幸せな家庭像。
娘ちゃんは外を見るのに夢中で、五十嵐さんは外の風景よりも娘ちゃんを見ていたい。
ステキな風景……。
ちゃんと靴を脱ぐという、行儀の良い子に育っていることがわかる描写もある。
でも、妄想の中では女の子なんですね。
いや、実際に女の子が生まれたのかな……。
五十嵐さん自身は兄との二人兄弟だったみたいですが、お兄さんと不仲なエピソードをちょっと話しているのしか読んだことがないですね……。
このセンテンスが妄想なのだとしたら、そんな環境があったことも理由なのかも。

僕も、子どもを持つ妄想をする時は、女の子で考えることの方が多いな……。
ウチは兄と妹がいますが、兄とはとことん仲が悪かったので……というか仲が悪いですむレベルではなく家庭環境荒れ荒れだったのですが……。
父親から「お前ら(兄と僕)二人が殺し合えば全部上手くいくんだけどな」という問題解決手段を提示されたくらい。
実際に子どもを持つとなったら、「女の子がほしい!!!!!」と思いすぎていると、男の子が生まれた時に悪い気がするので、どちらが生まれてもいいように心構えをするつもりですが……。
しかし、どちらが生まれても、可愛がり過ぎないように気を付けなければいけません。
いや、そもそも結婚しないと思うんですけど。

“窓から差し込むは 朝日または夕暮れ それすらもうどうでもいい”

ここがわからないんですよね……。
「窓」は観覧者の窓なのか、それとも場面がすでに切り替わっているのか……。
なんとなく、五十嵐さんが、ここまでに歌われたような事柄を部屋の中で妄想していて、部屋に日が差し込んでいるけれど、想像に浸っていたいわ……という気分になっている状況っぽい。
日が差し込んでいるというのは、「妄想ばっかりしていないでそろそろ起きんしゃい」というお日様の目覚まし機能を指しているのかな。
朝日なのか夕暮れなのかわからないのは、時間の感覚がなくなるぐらい部屋でゴロゴロしている……あるいは、めざましテレビを見てから寝たので、起きた時間がわからないって感じですかね。
朝日を浴びながら家を出て、夕暮れには帰路に就く……という生活を送らねばという強迫観念があるのかな。
あるいは、今からでもそんな生き方を目指すべきだという気持ちが微かにあるのかも。
なんか、起きた時に夕暮れだと、めちゃくちゃ罪悪感が湧きませんか……?
いや、そういう生活リズムの人を否定するわけじゃないんですけど、「うわーやってもうたー」って感じになる。
生活リズムが崩れるのが怖いのか、寝過ぎたことで一日を無駄に過ごした感が出るのか……。

“こんなんでいいんだろうか そんな訳ないだろう俺 何でここで涙出る”

そんな理想を抱くことに対して、「俺はそんな幸せな家庭を築けない」という諦念と自己嫌悪があるのかなぁ。
もしくは、「五十嵐さん結婚説」に沿うなら、献身的な奥さんとかわいい娘さんを持ってしまって、「将来はこんな幸せな家庭になるのかも」と想像して、じんわりと幸せを噛みしめる……と同時に、「俺なんかがそこに収まってもいいのか?」という罪悪感に苛まれているのかも。
でも、五十嵐さんは、自分が「どんなん」だったら、自分を許せるんでしょうね……。
じゅうぶん、素敵な人じゃんって思いますけどねぇ……。
誰の、どんな言葉や態度であれば、五十嵐さんは自分を許せるんだろう。
つらいことですよね。
自分を許せないのって。

“最終で帰っても「おかえり」って目をこすって”

五十嵐さんの家庭は共働きだったそうで、家に帰っても誰もいないのが当たり前だったそうです。
家に帰ったら、誰かがいるという環境が欲しかったんでしょうね。
いいですよね、こういうお家。
ここで「おかえり」を言うのは、奥さんなのか、ちょっと大きくなった娘ちゃんなのか。
しかし今の五十嵐さんは、「最終で帰る」という生活スタイルですらなく、めざましテレビを見てから眠りにつく日々……。

“空はこの上 天国はその上 そんなの信じないね 空は空の色のまんまで”

「天国は空の上にある」というおとぎ話みたいな教えを真っ向から否定。
「上」には何もない事を悟っている、信じられずにいるというニュアンスに聞こえるのですが……そうでれば、この曲で歌われる幸福を「俺の手に入るわけがない」と疑わしく思っているように聴こえますね。
実際に家庭を持ったのだとしても、「俺が大黒柱の家庭がそんな幸せにはならねぇだろ」と思ってしまっているというか。

“人は人のまんまで そのままで美しい”

人って美しいですよね。
この肯定感は素晴らしい……。
「観覧車」「素敵な家」「リフォーム」「犬」のような、お金をかけて得る幸せがなくっても、人はそのままで美しい……お金がなくても美しく生きることはできるって言いたいのかな。
そういえば、ここで歌われるような幸福って、資本主義の勝者でないと掴めなさそうなものばかりだな。

5.テイレベル

「社会」が登場しない曲が続いたEPは、「学校」という、社会構造を凝縮したような場所が舞台になった。
田中宗一郎さんは「学校は精神的なゲットーの象徴」と書いたことがあるけれど、まさにそんな曲。

“防災の日には やっぱり火事になる 火ダルマの状態で 校長にどやされる 斉藤君が コケた”

火ダルマになっちゃってるってことは、みんなスムーズに避難することができなかった……つまりだらだら、本気で避難訓練をしなかったってことですかね。
本気で避難訓練やったこと、ないけど……。
“知らない親父に怒られる……”みたいな詞もありましたけど、五十嵐さんにとって中年の男性って、やたら説教をしてくる存在なんですかね。
そういえばシロップの歌詞って、「オッサン」「オバサン」みたいに特定の層の人間をイメージさせる言葉って少ないな。
なんか漠然と、「社会」だと感じさせるような言葉が並ぶ。
五十嵐さんがあんまり社交的なタイプの人ではないから、個別の層の人々をイメージすることができずに、他者を「社会」として受け止めているのかもしれませんね。

“高校は戦地だ 先輩が門で待つ 速水がシバかれる 友情は役立たず ただ見てるだけ じっと見てるだけ”

インタビューで『パープルムカデ』について、以下のように語られていた。
“戦場という言葉が流行りのように使われているけど、絶対、戦場なんていうものが、わかっている人がいるわけがない。かっこいい言葉だから使いたがるけど、人が死ぬ場所を戦場っていうわけで。”
このように、「戦地」という言葉を軽々しく使うことには否定的な意見を持っているよう。
つまり、比喩ではなく、本当に「高校は戦地だ」と思っているのでしょう。
理不尽に降りかかる暴力に、そこに立ち向かえない自分の臆病さや自分可愛さに気付いてしまう……屈辱的な経験ですよね。

学校って、社会のルールから治外法権のようになっていますよね……。
僕も通った中学で「ボコる」という行為が横行していました。
(そんな話を、大人になってから話すと「ウチは全然そんなこと無かった……」と引かれてしまうことがあるのですが……ウチの治安が悪かったのか?)
学校の中で、窃盗や暴行や名誉棄損が発生したり、発生する恐れがある時って、普通に親なり警察なりに言えばいいのだけど、それがなんかはばかられる「空気」ってありましたよね……。
そんな「空気」についてはもうちょっとは詳しく書けなくないけど割愛します。
実際、おそらく五十嵐さんの学生時代って、校内暴力が非常に盛んだった時期なはず。
それと、いわゆる「いじめ自殺」という大問題が騒がれ出したのも80年代中盤。
86年には「葬式ごっこ」という残酷過ぎる遊びがきっかけとなって自殺した中学生もいました。
「葬式ごっこ」というあそびをいじめっ子が企てた際に、被害生徒が渡された寄せ書きには、教師二人が書いたコメントもあったと言います。
「教師」という存在の社会的信用が大きく揺らいだ事件ですね……。問題の根は深い。

ところで、ライブに参加することを「参戦」という言うことについて、田中宗一郎さんが批判していたことがある。
若い人だけどハマ・オカモトさんも同様の意見をツイートしていたことがある。
「参戦」って言い方、五十嵐さんも嫌いそうだなぁ……と思います。本人の本音は知らないけど。
けど湾岸戦争の時に、アメリカから「参戦」を求められたけれど、物資の支援という形で協力をするという「逃げ」に出たことは、当時の国民には大きな衝撃でした。
そんな日本のあり方をしっている世代にとっては、なおさら「参戦」という言葉には敏感なのではないでしょうか。

“俺のせいじゃない 俺のせいじゃないさ 若干クズだが 人間としてはまぁザラ テイレベルさ”

五十嵐さんが「こうなった」のは、そんな環境……学校だけではなく、ひいては社会の歪を受けて育ったからだという本音の爆発でしょう。
こういう風に、ダイレクトに声を上げる表現って、これまでシロップでなかなかなかったので、けっこう斬新ですね。

“何でもいいから 早く女作れ トラウマが怖い? そんなんは聞き飽きた おたまじゃくしも タダじゃないんだぜ”

先輩からの圧力なんですかね……(笑)。
あるいは社会で生きる中で、日常的に交わされる「今恋人居るの?」の質問に嫌気が差しているのか。
「おたまじゃくし」のくだり……まぁ、もちろん精子のことだと思うのですが、一人で出すのはもったいないからセックスなりオーラルセックスなりの手段で、女性に射精を介助してもらえ! って圧力のことでしょうか。
五十嵐さん性欲薄そうですが、シコるんですかね……。
“愛情が怖いんですか?”という詞もあったわけで、五十嵐さんは恋愛をしないでいると「作らないの?」という訊いてくる社会にうんざりしているんですかね。
僕もたまに似たようなこと思うかも……。
「作らないの?」って聞かれるけど、作ろうと思って作るものではなくない?という気はする……。
だって、一生を共にする伴侶を「作る」っておかしくないですか?
まぁ、自分が異性の好みについてワガママじゃなければ、彼女を作ること自体はそこまで難しくはないと思ったりもするんですけど……。
僕は親が離婚しているし、別れる前からお互いに仲が悪いところを隠そうとしない、相手の悪口を子どもに吹き込む……という醜すぎる夫婦を見ているので、自分の中でのハードルが上がっているのかもしれないですけど。
五十嵐さんのご両親が離婚している……という情報は見かけたことがあるんですが、僕はそんなことが語られているインタビューを読めていないんですよね。
ただロッキングオンのインタビューで両親の話題は出ていたけど、二人の仲を五十嵐さんがどう見ていたかなんてところは話していなかったですね。
両親の中が悪いところを見ていると、子どもの異性関係って複雑になりがちですよね。
「自分は高潔な関係を築こう」とハードルを上げるか、もしくはヤリマンヤリチンになるか。異性嫌悪をさく裂させるパターンもあるか。
複雑っすね。

“そんなんかい そんなんでカッコつけてんだ 大丈夫全部バレてんだ ぬかりないよ ぬかりないよ なんてテイレベル”

わかんないです!(笑)。
先輩がカッコつけてるのか、自分がかっこつけてるのか、友だちがかっこつけてるのか……わかんない……。
けど、「ポーズを見抜かれてる」ことへの怯えみたいなのは、五十嵐さんが学生時代に感じたことがあるそうです。
それと“あなたが言いたい事 本当は僕わかってたんです 全部”なんていう、「俺にはバレてるぜ」とマウントをとる曲も書いた五十嵐さんだし……。
学校の中では、みんながいろんなカッコつけをしていて、本当の心を自分の中に隠し持っている……という、殺伐とした状況を歌っているのかもしれないですね。

 - Syrup16g, 音楽

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