「愛」を肯定できず悩み続けるMIKA
2021/02/23
そんなわけで、前回のエントリではミーカの略歴を紹介しましたが、こちらではミーカの楽曲に書きます!
ただ音楽ボキャブラリが少ない私なので、ミーカの「歌詞」から、彼が愛について悩み続けている過程を追ってみるという趣旨で書きます!
転載しているインタビューではミーカの恋愛事情について語られていないのですが、夏川さんと同じように、ミーカも作品で「ストレートなラブソング」を歌うことが少ない人です。
なので、ちょっとこの項で、ミーカのラブソング遍歴について記しておきます。
彼は「愛」を歌うことに慎重で、安易に「愛すること(愛されること)の幸福」を歌わないんです。
もちろん絶対に歌わないというわけではありませんが、日本のヒットチャートの上位に入ってくる曲のほとんどが恋愛をテーマにしていることと比べると、非常に少ないのは間違いありません。
その代わりに、「自分を愛すること」を歌ったり、おそらく世間からすればマイノリティの側に属する人へのエールを曲に乗せて歌います。
ブルーハーツの言うところの「愛じゃなくても 恋じゃなくても 君を離しはしない」ですね。
・愛の行き場を失う絶望で締めくくった1stアルバム
1stアルバムのラストトラック『ハッピー・エンディング(Happy ending)』では、愛する人と離別した直後の心情をこれ以上ない悲劇的として歌います。
タイトルはハッピーエンディングなのに、歌の中では「ハッピーエンディングじゃない」とはっきり歌われるという、ちょっとしたトリックとして付けられた曲名ですね。
名曲中の名曲です。
PVはショートバージョンになっていますが、オリジナルバージョンで聴いてほしい……。
ショートバージョンは原曲の良さを全殺ししてます!
私としては、「If anything should happen/Iguess I’d wish you well/A little bit of heaven/But a little bit of hell」という歌詞がグサッと刺さります……。
おそらく振られた身の曲の主人公は、「ちょっと地獄」という恨み節のようなことを想う(多分)……けど、そんな想いも、もう相手には届かないんですよね(;。;)。
で、最後の力強いコーラスラインと、美しいながらも破滅的なストリングスの音色……。
まさに「地獄」のようなこんな曲を作ってしまって、この人は自殺してしまわないだろうか? と、本気で心配してしまったものです。
そして2ndでは恋愛の歌はなりを潜め、「ウィー・アー・ゴールデン」から始まる、自分を含むマイノリティを称えるアンセムを作ります。
ここで恋愛の歌がなくなったのは不思議なんですよねぇ……。
自分が表現した音楽が大衆に受け入れられたことで自信を持ち、リスナーと自分自身を鼓舞する曲だけでアルバムを構築したということなんだろうか。
・溢れ出てくる愛をまっすぐに歌い上げた3rd
3rdアルバムになると、アルバムのタイトルと、一曲目のタイトルを『オリジン・オブ・ラブ(Origin Of Love)』……「愛の起源」として、「僕の愛は君から生まれてくる」と歌いました。
「愛」を題に入れ、ジャケットではモノクロのバストアップ写真が使われています。
これまでの二枚のアルバムでは、カラフルに彩られたイラストの中に、小さくピンナップとしてしか自身の姿を収めていなかったことを考えると、これはミーカの決意の表れなのでしょう。
別の場所でも何度も書いていますが、ジャケットには必ずといっていいほどアーティストの写真が載る日本とは違い、海外ではジャケットや歌詞カードは「アートワーク」なので、アーティストの写真が使われないことのほうが多いです。
そのため、アーティストのバストアップ写真が使われている作品は、アーティストが自身の全てを注ぎ込むようにして作られたものが多いというのが持論です。
私、ミーカの曲の中でこれが一番好きです。
派手なトラックではないのですけど、ミーカの歌唱力と歌に心情を乗せる力がもっとも発揮されているように感じますし、声楽隊の使い方はアンセムのように作られている。
声の録り方も最高。
声の遠近感の付け方が奇想天外です……ホールとか教会とかで録っているのかなぁ。
教会って天井の高い独特の構造をしているから、あそこだと独特の音の響き方になるから、レコーディングや演奏に使われることがしばしばありますね。
ミーカは歌詞も暗ければ、インタビューでもつらかった経験をたくさん語る人だったので、そんな彼が愛の起源を見つけることができたみたいなので、ファンの僕からしても「よかったね」と祝福するような気持になるのです。
最後の「えーおえおあっ!」のところ、何度聞いても鳥肌が立ちます。
そして、おそらくこのタイトルは、ブロードウェイの舞台として作られて、映画化されたものがヒットした『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ(Hedwig and the Angry Inch)』の劇中曲にインスパイアされたものではないでしょうか。
ヘドウィグでの「The Origin Of Love」はプラトンの説話を引用したもののようですが、主人公のヘドウィグは性転換手術を受けて男性から女性になっていて、音楽業界を舞台にした作品なので、ミーカがこの作品の存在を知らないとは考えにくいです。
すごく有名な作品ですしね。
日本でも、舞台版が何度も上演されています。
しかし……アルバムの三曲目『スターダスト(Stardust)』は、壮絶な失恋ソングでした。
楽曲自体は、リリース当時に隆盛を極めていたEDMのマナーに則って作られていますが、歌詞はミーカが得意とする寓話的な抽象性を持ちながらも、ところどころで直接的な「叶わぬ想い」が綴られます。
「You were the thunder,/I was the rain/I wanna know if I see you again」……「君は稲妻 僕は雨だった もしもまた君に会えたなら知りたいよ」
「I said I love you/You said goodbye/Everything changes in a blink of an eye」……「僕は愛していると言った 君はさよならと言った 瞬きする間に全てが変わってしまう」
主人公は、もう会えない相手への想いを忘れることができていません。
この曲を初めて聴いたとき……初めてライブで観た時、私も曲の主人公と同じように、昔の恋人を忘れることができずにいたので、すごく感情移入してしまいました。
極めつけはこの歌詞……「I could put a little stardust in your eyes/Put a little sunshine in your life/Give me a little heart then feel the same」……「僕は君の瞳に星屑をまくことができるよ 君の人生に太陽の光を降らせてあげられるよ 少しでいいから僕に心を向けて、同じように感じてほしい」。
歌を聴いていれば、「君」は、主人公にもはや興味が無いことは明らかなんです。
でも、健気というべきか利己的と言うべきか盲目になっているのか、主人公は、「僕は君にこんなことをしてあげられる」という想いを歌い上げている。
冷静に考えれば、「君」は、主人公から何をされても嬉しくないと言うほど関心がないか、主人公がしてあげようとしている行為が「君」にとっては価値がないことなのか……いずれにせよ「脈ナシ」なのは間違いない。
でも、若さゆえの認識の不足なのか……「自分ができること」のアピールに精一杯になってしまっているんですよね、この主人公は……僕はこの曲を聴くと、恋愛に不向きすぎる自分を見せられているようで、とても辛くなります。
でも、楽曲がすごく素敵なので何度も聞いてしまいます……後半の、ストリングスがどんどん早くなっていくところ、胸を打たれますね……。
「もしまた会えたら」を曲中何度も歌いますが、「もし」と仮定形にしているということは、「もう会えない」が前提なわけで……嗚呼、もう会えないし、言葉を伝えられないし、もし何かを伝えることが出来たとしても相手は自分に言葉も表情も向けてくれない……なのに想いは募っていくばかりで、何をしていても相手のことばかり考え続けてしまう……超負のループですね。
この曲は、『オリジン・オブ・ラブ』と双子のような関係性があると思うんです。
というのもオリジン~も決して、「愛する人と結ばれることができた幸福な日々」を歌っているわけではなくて、自分でも止められない情動としての愛の存在を肯定しているだけです。
曲の中での「君」が、その愛をどう感じるか、主人公との関係性をどうしようとするかは歌われないのです……。
なので、ミーカがあそこで高らかに歌い上げた「愛」は、相手から拒絶されたり、気付かれなかったりするかもしれない。
残酷な話ですが……。
結局、自分の「愛」らしきものを、「見返りを求めての利己的な行動なんじゃないか」「ただの性欲を愛とラベリングして社会的に許されるものだと思い込みたいだけなんじゃないか」「相手から拒絶されたら怖い」「そもそも自分のアプローチを迷惑に思うのではないだろうか」「承認してほしいだけなのでは」とか疑い始めたらキリがないはずなんですけどね……愛って難しいです。
ただ、オリジン~のように、そんな「愛への疑い」を挟まずに、強力なアンセムとして作品に仕上げることができたということが奇跡のような話です。
よかったねぇ、ミーカ……。
この曲にもアコースティック版が存在するのですが、真価はむしろこちらで発揮されています。
このアルバムのリリースツアーでも、アコースティック版が披露されたと記憶しています。
みんながアルバムで原曲のアレンジを聞き込んできたライブで、アコースティック版を披露するという、ニクイ演出でした……客を翻弄してこそ真のエンターテイナーです。
また、同じアルバムに収録されている『ラヴ・ユー・ウェン・アイム・ドランク(Love You When I’m Drunk)』では、「酔ってるときだけは君を愛してる」というひねくれた言葉で「愛」を歌います。
これは、酔った勢いがなければ愛情を表現できないという照れ隠しなのか、酔って理性を失った状態で関係を持つことを「愛」として肯定しようとしているのかはわかりませんが……。
多分ミーカは、思春期からの経験で、自分が相手に抱く愛を伝えるということを避けているのではないかと……意図しているのか無意識なのかはわかりませんが、多分、アルバムにタイトルに「愛」を掲げていることへの照れ隠しなのではないかと思います……(笑)。
アイラヴユーといったような、ストレートに相手に愛情を伝えるような曲がないんですね。
にしてもこの曲のコーラスの「おーんりらーびゅーっ」のがなり声、最高ではないですか……?
ライブで聴いた時もこの声は再現してくれませんでしたが、いや、もう、ほんとにかっこいい。
しかし、次にリリースしたアルバムのタイトルは、なんと『ノー・プレース・イン・ヘヴン(No Place In Heaven)』……「天国に居場所がない」。
アルバムの中盤に同じタイトルの楽曲が収められていますが、その内容が壮絶なんです……今も癒えない傷を、ポップに装飾せずにむき出しのまま表現している。
このアルバムのジャケットは、1stや2ndのようなヴィヴィッドな色合いで描かれた都会的なビル群に、モノクロのミーカが写るというデザイン。
端的に、ミーカは自分自身が、華やかな世界から「孤立」していることを表現しようとしているのではないでしょうか。
楽曲のコーラス部分(Jポップでいうサビ)では
「’Cause there’s no place in heaven for someone like me」(だって、僕のような人は天国に居場所がない)
という、あまりにも強烈な言葉として歌われます。
僕はミーカの信仰について詳しくは知らないのですが、「天国」や神を思わせる対象として「ファーザー」といった言葉を用いていることからキリスト系の宗教を幼い頃から信仰してきたことがうかがえます。
歌詞に出てくる「ひざまずく」といった行為は懺悔や祈りに他なりませんね。
しかし、思春期になり初めて人に恋をしますが、その相手は同性だった。
自分が信ずる宗教では同性愛を認めていない。
けれど自分が好きになるのは同性。
初めての恋から30歳を過ぎる今に至るまで、自分の性愛と神への愛の間で引き裂かれてきたことが赤裸々に歌われる楽曲です。
この曲と同じ名前をアルバムのタイトルにするぐらいに「渾身の曲」だったはずなのに、PVは作られず、ツアーでの演奏回数も低い楽曲です。
ミーカはゴージャスなアレンジをほどこしたポップソングを作ってきたアーティストですが、この曲はピアノをメインとした静かでシンプルな音だけで構成されています。
「暗い歌詞を明るい曲にする」のが自らの創作の秘訣だと語っていたミーカですが、そんな十八番的な作り方をここでは放棄しており、本当ならシャウトしてもいいのに、穏やかなファルセットボイスを響かせるのみ。
代わりに、コーラスの終わりに静かに鳴らされるドラムのブレイクが悲痛に響き渡ります。
歌詞の面でも、マザー・グースのように詩的・抽象的な作詞も得意とするミーカなのに、この曲では、誰が聴いてもわかるような言葉で「苦悩」が綴られます。
それだけ「ストレートに伝えたい言葉」「隠すことすら出来ないほど、いつまでも癒えない傷」があったのだと思います……。
(夏川さんも、こういう繊細な表現を突き詰めてみてほしいな……というのはファンのわがままですかね)
閑話休題ですが、女優のアン・ハサウェイも若い頃は修道女を目指していたそうですが、彼女のお兄さんがゲイであることを家族にカミングアウトし、「自分の兄の存在を受け入れられない宗教を信仰することはできない」とカトリック教会を脱会したのだそうです。
いい家族ですね……。
そんなアルバムのラストを飾る曲は『オーディナリー・マン』……「普通の人」。
「普通の暮らし」を送っているのに、心の中は痛みに支配されている……このシチュエーションは、1stの最終曲『ハッピー・エンディング』と同じものですね。
ピアノの弾き語りが基調になっていて、ストリングスとコーラスがちょこちょこ入ってくるという構成も同じ……ではあるのですが、あちらが壮大で勇猛なアレンジを施していたのに対して、こちらでは静かに鳴るのみです。
一言で言うなら「ポップな装飾」をせずに、ミーカの孤独さをそのまま表現しようとしているのでしょう。
デビューから10年近くを経て、ミーカは再び、自らのハートブレイクを作品に込めたということなのだろうと想います。
以下が、この曲の歌詞。
「今朝僕は目を覚ました 普通の人がするように バスルームに行った 普通の人がそうするように ベッドを整えた 誰もがやらなければいけないように 頭痛を治した 誰もがやらなければいけないように」
「一日中ニーナ・シモンを聴いて過ごした 家にあるレコードを全部並べ替えた 友達と会って 缶ビールを飲んだ ほろ酔い気分で彼らは微笑む 「そのうちなんとかなるよ」と」
「みんなが思っている 僕はずっと変わらないと 彼らは実は喜んでいるんだろうか 僕が苦しんでいることを」「そして君はそれをありふれた愛だと言う 現実には成立し得ない ありふれた愛なんて存在しないんだ 僕は君に対してだけありふれていた」
「もし僕がありふれていて 愛がありふれていたなら 君もそうなのかい?」
「もし僕がありふれていたなら ああ、どうしようもなくありふれていたなら 愛がありふれていて 僕がありふれていたなら 君もそうなのか?」
「彼らは喜んでいるのか?」というラインは、同性に恋をしているミーカのことを、「普通」の人達が笑っている、という意味で書かれているのでしょうか……。
いずれにせよ、ミーカは自分のすることや感じることが「普通の人のそれと同じかどうか」に苦しみ、ミーカから見て「普通の男」である人物に恋心を抱いた。
そして、「君」とのやりとりは、私の読解力が低いのか、翻訳された歌詞が誤訳なのか、抽象的な表現になりすぎているのかはわかりませんが、ストレートに読み取れる内容ではない。
しかし確実なのは、主人公と「君」は同じ性質の想いを互いに向け合っているわけではないということ。
私の解釈としては、おそらく主人公は同性愛者で、「君」は普通の男……つまり異性愛者の男性なのだろうということ。
前述したアルバムのタイトル曲のような逡巡を、今あらためてしているのは、もしかしたら異性愛者の男性に恋をしているからなのかもしれません。
三枚目のアルバムでは、愛を見つけることができたはずなのに、四枚目のアルバムでは自らが抱く愛と信仰する教えの間で引き裂かれてしまうミーカ。
彼が、見つけることができた愛の源とまだ一緒にいるのか、離別してしまったのかはわかりませんが、やっと巡り会えた愛の源と愛し合うことを、信じている神には許してもらえないなんて……僕には計り知ることのできないほどの呵責にかられているはず。
夏川さんがどういった理由で「ラブソング」をレパートリーに加えていないのか、僕にはわかりませんが、なんだかちょっと似ているなぁと思った次第でした。
それと、ここまでメッセージの濃度が強めの曲を作ってきた夏川さんですが、アーティストは自分が過去に作ったものに反するような作品を作ってもいいのだ、ということが言いたかったです。
アーティストはどんどん変わっていって、ファンを困惑させるような存在でいて構わないのです。
・5thアルバムでは自身の本名をタイトルに
2019年に発売されたアルバムのタイトルは『マイ・ネーム・イズ・マイケル・ホルブルック(My Name Is Michael Holbrook)』と題されました。
マイケル・ホルブルックというのは彼の本名。
自分の名前をアルバムに冠する「セルフタイトルアルバム」というのはありますが、そこに「マイネームイズ」なんて付くものはお目にかかったことがありません。
転載したインタビューで、「ミーカ」という名前を自分で付けたことへの質問もありましたが、やはり彼にとって「ミーカ」という名前は重要なものです。
そんな彼が、自分の名をアルバム名にするということは大きな意味を持つはず。
夏川さんも、自身で決めたのか、事務所が決めたのかはわかりませんが、芸名を使っていますね。
トライセールみんな芸名っぽいので、事務所の方針かな。
しかし、「しいな」という、やや女性寄りの中性的な名前を使っていることなども、彼女の活動に影響がないことはないはず。
彼女もいつか、「名前」をめぐる作品を作るかもしれないですね。
ただ、このアルバムは10回以上通して聴いたのですが、正直そんなに印象に残る曲がないんですよね……。
もちろん曲を覚えたりはしましたけど、好きにはならなかったというか……。
3月に予定されていたライブのチケットは買っていたので、開催されていたら生で聴いて良さに気付くこともあったかもしれませんが……無念の中止となりましたので、正直、このアルバムの中で「好きな曲」はまだないんです……申し訳ねぇ……。
ストリーミングで聴いただけなので、日本盤の歌詞対訳を読んだりしたら、また違った印象を抱くことに鳴るかもしれませんが、まぁ、今のところそんな感じです……。
そんな風に、ミーカと夏川さんには「ネガティヴな過去の出来事をポップスで装飾して表現する」「ラブソングを避ける傾向がある」といった共通点があります。
夏川さんの楽曲における「表現」を理解するためのフレームにもなりうると思うので、ミーカについて長々と考察してしまいました。
いろんな作家のいろんな作品に触れていくと、それらの共通項が浮かび上がってくることがあるじゃないですか。
それってポップカルチャーのほんとに素晴らしい点です。
僕はミーカの作る音楽が単純にすごく好きなんですけど、彼の考え方や楽曲の歌詞にも強く惹かれているのです。
夏川さんがミーカのどこに惹かれているのかまではわからないんですけど、ミーカのインタビューを読んでいると、彼の曲が「明るいだけじゃない」ものになっている理由は明確に語られているんです。
そんなミーカの「過去の経験と、楽曲への反映させかた」は、夏川さんの楽曲制作のスタンスや立ち位置に通じるものがあるかも? と思うので、ミーカのインタビューを転載します!
インタビューは基本そのまま文字起こしをしますが、僕の感想を(※)として文中に書き入れ、インタビューの文字起こしの下に感想を書きます。
原文のインタビューのテンポ感を失いたくないので……。
では、ミーカのインタビュー文字起こしエントリに続きます!
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