てやんでい!!こちとら湘南ボーイでい!!

映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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【syrup16g全曲の考察と感想】COPY

      2019/07/14

『COPY』デビューアルバム。2001年10月5日リリース。
全10曲収録。
リリースを重ねるごとに曲数が多くなっていくので、個人的には、アルバムとしての統一感としてはこの作品がベストではないかと思う。
一番好きなアルバムは『クーデター』なのですけど……。

アルバムのタイトルは、収録曲に『パッチワーク』という言葉もあるように、自分が作っている音楽が「過去に聴いたものを切って張り付けたもの」、「コピーしたもの」であるという意識から付けられているはず。
『新世紀エヴァンゲリオン』を作った庵野さんや、彼の所属したガイナックスの作品の制作方法論に顕著だが、80年代後期ごろから「自分が作るもの全てが、自分が見てきたものの影響でしかない」と悩むクリエイターが増えたように思う。
こういう話は詳しく書くと大変長くなるので、「凄いものを作ろうとしている人ほど、こういうことに悩む」といった感じの話があるなってことだけ気に留めておいて欲しい。
米津玄師さんの『再上映』という曲も、いろんなものの影響からモノを作るしかないということに絶望しかけるけど、「でも頑張って続けます」と決意を新たにする歌なので、どの世代でもみんな悩むことなんでしょうね。
でもオリジネイターというか、その分野を開拓していった最初の世代の人たちは、そんな悩みを持っていなさそうに見える……というテーマ性があるのです。
あとデビューアルバムということで「媚」を売るという言葉とダブルミーニングになっているのではないでしょうか。(ある意味「尻を振れ」なのかも)

言葉では「希望」を感じさせることが一切無く、カタルシスがほとんど訪れない。
しかし音は気だるげなコードをループさせたり、サイケデリックなエフェクトで浮遊感を演出したのちに、何度も爆発し、気分を昂らせる。
「心地よい絶望」とでも言うような、凄まじいアルバム。
アルバム一枚丸々使って、「出口がない」「この先どこへ行くかわからない」フィーリングが表現されている。
音を隙間なくびっしりと塗り込めてくるという、サイケデリックなウォール・オブ・サウンドはこの時からすでに展開されている。
各楽器の音色だけでなく、後処理の仕方にも強くこだわった出色の一枚。

ただ、それ故に、「ライブはそんなにすごくない」という印象を抱かれることもしばしば。
照明等の演出を凝ることでカバーを試み、上手くいっているとは思うが、音楽としては音源の方がいいっすよね……。

歌詞も音も世界観が統一されていて、五十嵐さんはやっぱりコントロールが上手いわ……と思わされます。
このアルバムのレコーディング直前に「ちょっと頭がおかしくなって入院してた」と語るので、全体の雰囲気には、その時の経験(もしくは病気や薬の作用)が影響しているのかもしれない。
楽曲も長いものが多く、そこがまたダルな雰囲気を醸し出しているように思う。
どこかうつっぽくて、次作が躁的というか攻撃的に転じるのは反動か。

アルバムのアートワークは、特筆すべきことはほとんどない。
ジャケットの絵はベースの佐藤さんが描いたもの。
『負け犬』にちなんだ犬だろうか。
シロップのジャケットは動物がよく登場する。
シンボル辞典によると、日本やアジアでは人間に忠実な存在として認識されているものの、海外では「死」「彼岸」の存在として扱われていることが多いもよう。
ケルベロスも地獄の番犬ですしね。
不思議ですね。

1.She was beautiful
五十嵐さんも「ノイズが入った幻想的な感じ」のサウンドに仕上がりはお気に入りの様子。
いや、ほんとに良い曲ですね。
「美しかった」ことが過去形で表現されているのは、彼女はもういないのか、彼女とはもう会えない関係性になってしまったのか、彼女は美しくなくなってしまったのか。
「子供のままで」って、成長しない・できない自分を揶揄しているのだろうけど、そんな風に言い切れてしまう人って、なかなかいないですよ……。
“子宮に戻る”
なんて詞を後に書く人だけど、自分が「変わらない」人間だということをこれだけ歌い続ける人もなかなかいない。
そして「あの時の言葉」が具体的に何なのかは語られない。
でも、あえて抽象的にしていることで、共感を得やすい詞に仕上がっている。
いいっすね……。
『フリースロウ』からシロップを聴いていた人にとっては、きっと、「君」「あなた」の姿をそこに見出すはず。
ストーリーテリング力が秀でているミュージシャンって、なんとなく、「あ、あの時の曲の続き・別の場面を歌っているのかな」と思わせますよね。
五十嵐さん自身は、曲に登場する他者は、一人の人物ではないと語るけれど、聴く側からすると、ブレていないような感覚にはなる。

これもけっこう根幹的な話になるのですが、宮崎駿さんは「子どもが、自分たちの人生を始められずにいる」という危惧があったから、『千と千尋の神隠し』を作ったといいます。

2.無効の日
ざらついた音色のギターがグランジっぽい。
ところで、「なぜ悲しいのか」と、自分の心について内省させ続けるのって、洗脳の一つの手段なんですよね。
「洗脳」ってカルト宗教や軍で利用されることが多いですが、商品やサービスの営業でもそのテクニックは一部流用されていますよね。
洗脳って、条件さえそろえばだれでもハマってしまうし、脱洗脳させるのも非常に高等な技術が必要(かつ長い時間を要する)ものなので、あんまり舐めてはいけません……。
オウム真理教を筆頭に、90年代には「洗脳」に関する書籍も多かったので、五十嵐さんも何かしら触れたことがあるのでは……。
もちろんこの曲自体は、洗脳を目的としたものとは思わないのです。
多分五十嵐さんの自問自答をそのまま声にしているはず……。
けれど、五十嵐さんに近い感性や人生経験を持つ人が、初めてこれを聴いた時に受ける衝撃は大きいはず。

“信じたくないけれど本当です 君の心の価値は薄い それをどうして悲しいというの”
僕は年を取って感性が摩耗してから気づけたのですが、自分の価値が高いと見積もらなくても、全然生きていけないんですよね。
自分の心の価値は薄くない、と思っているのって、自意識過剰なのでは?と思うようになりました。
ただここで、「心」という目に見えないものに「価値」をつけようとすることが、そもそもかなり偽悪的。
モノもサービスも市場に並べられて、お金と交換してもらう社会のあり方を揶揄しているはず。
「人材」を商材とするビジネスも横行するようになり、「心」のような、人間の個性も貨幣価値で換算するような社会になりつつあることを嘆く側面はあるはず。

レコーディングエンジニアになるために専門学校に入ったのに、「自分の嫌いな音楽を創ることに携わりたくない」と思って、就職せずにバンド活動を続けた五十嵐さん。
シロップで活動しつつ、メジャーデビューしかけたけれど、結局デビューできなかった経験などもあり、「社会における存在価値」を考えて、自責することも多かったのでは。
自分が折れて社会に順応するべきなのか、それとも自分は間違っていないと考え方を変えずにいるべきなのか……難しいですよね。
でも、自分のすぐ周りだけが社会なわけではなくて、ところ変われば価値を見出してくれる人もいるかもしれないわけで……こんなことを歌う五十嵐さんも、武道館を埋めるようになるわけだし。
難しいっすね。人生。

“開けて その部屋の窓から見えるのは すべてはもう 無効の日”
窓越しに見る景色、というのも、五十嵐さんはよく歌いますね。
これはどういう意味なんだろう……その部屋というのは、自宅なのか、それとも病室なのか……。
無効の日って言葉の意味がわからないです。
自分とは関りのない世界であるという感覚なのか、窓の外の景色……多分人々の営みだとは思いますが、それらが虚構=無効だと斬り捨てているのか。
バブルの残滓をすするように生きる都会の人々を冷めた目で見てるってこと?
わかんないっすね……。

“言った記憶ない程度の重傷で 道に迷って君は逃げる”
シロップを聴いたりする人にありがちでは……人の言葉に繊細すぎて、ささいな一言に深く傷つくとか、
でも、ささいな一言にも、人間の本心って隠れているはずですしね……。
ただ五十嵐さん、「逃げる」ことは全然悪いことじゃないと話していたことがあるので、逃げるってことを否定しているわけじゃないです。
なんで、人の些細な一言に傷つくのでしょう……この曲の流れで考えるなら、人間関係の中に「人としての価値」を見定められているような恐さを感じているのかもしれませんね。

“空気中の酸素量は減っちゃって 苦しそうにね 口笛吹く”
苦しそうに口笛を吹くというのは、経済的には衰退の途上にある日本で、定職に就かず音楽活動をしている自分を揶揄しているのでは。
空気中の酸素量=日本の経済状況の悪化、ととれる。
『神のカルマ』の
“細菌ガスにむせながら 歌うたっても いいの?”
に近い言葉。
神の~のほうは、軍事力によって生活が脅かされる状況なので、より切迫した状況をリアルに伝えている。
あと、こちらは、五十嵐さんがよくやる「強がり」でもありますよね。
けど、こうして、歌詞にできるくらいに客観視できているなら、強がるのをやめればよいのでは……。
もっといろんな人に甘えたり、弱さを見せた方が良さそうは気はするけど……。
五十嵐さん周囲の方、是非、五十嵐さんに甘えさせてあげてください。

“どこかで繋いだあの手は 遠くなる”
手を繋ぐという動作はホントにしょっちゅう出てきます。
手を繋ぐ=絆を形成するということだと思うのですが、深い仲になれた人と今では離別したり疎遠になってしまってるって話ですね。
「どこかで」と付いているので、それがいつのことなのか、どんな関係だったか、記憶はすでにぼやけている状態なはず。
前の曲と繋げてみても、「過去への憧憬」というモチーフが引き継がれている。
こういう細かい部分で、アルバムの統一感や、作品としての流れも形成されているので、やっぱり五十嵐さんって、曲作りはもちろんのこと、アルバムを創るのも上手いんですよねぇ。
うっとりしますね……。

“太陽するり抜けずらかって”
『向日葵』と同様で、太陽というのは経済的な繁栄の象徴として歌われているのではないでしょうか。
日本の経済成長は頭打ちになり、見事にバブルは弾けて、掴み取ったつもりでいた太陽は振り向きもせずにずらかっていく……という話では。

“帰ろう すぐに布団にくるまって 猿の交尾中だ”
ここの意味がまた、ちょっとわかんないっすね……(笑)。
ただ、二曲続けて、「寝る」動作を歌っているという、なかなかにインドア派なアルバムの幕開けですね。
毛布にくるまるというのが、ライナスの毛布を思わせます。
ウィキには「安心毛布」という名前でページが作られていますが、子どもが、自分がずっと使っている毛布から離れられないことを指します。
いわゆる「移行対象」なのですが、同じものをずっと使い続ける、執着することって、ありますよね。
大人になりきれない心理を象徴して「布団にくるまる」と歌っているのでは……。
あと、ただ布団に入るだけじゃなくて、「くるまる」ですからね。
母胎回帰の願望すら感じさせます。
ていうか後に歌う“子宮に戻る”って、すげー歌詞だよな(笑)。

猿の交尾中っていうのが、「自分の安心できるはずのホームで、猿のように励む人々がいる」って意味なのか、「家に帰って布団にくるまったけど、やることは猿のように理性を欠いて快楽を求めることだった」なのか……。
なんかこれは勘繰りなんですけど、五十嵐さん、大事な人の不貞に傷ついた経験があるのじゃないかと思うんですよ……。
それが恋人なのか、親なのかはわからないんですけど……。
自分の安心出来るはずの場所が、猿のようにさかりのついた誰かに汚されてしまったという感覚があるのでは……。

いずれにせよ、五十嵐さんの性嫌悪感が強くでた曲。

3.生活

言わずと知れた代表曲。
五十嵐さんは、この曲が熱烈に受け入れられたことへの戸惑いを後に語っている。
本人としては、ここで使われる「強い言葉」は自分に向けたものだったらしい。
その辺りの逡巡は、インタビューを書き起こしたものを実際に読んでもらったり、各楽曲から感じた部分を都度考察するので参照して欲しい。
それにしてもやっぱり、普遍性を帯びた楽曲だ。
シロップの中で随一の傑作曲とまでは思わないけれど、広く突き刺さる言葉を、オーソドックスなロックのスタイルで鳴らせたという意味で、やっぱり多くの人がハッとさせられるような仕上がりになっている。

“君に言いたい事はあるか そしてその根拠とは何だ”
ここでもまた、実存について自問することを促す言葉が、はっきりと発せられる。
「言いたい事」というのは、純粋なコミュニケーションの欲求を指すのではなくて、「モノ申したい事」や、「何かを表現したい欲求」ということではないかと思います。
システムに順応しようとしない理由、といったような意味。
『ヘルシー』の制作で一つのキーワードになる「自己検閲」というものがあるが、「そしてその根拠とは何だ」と、自分の思想を自分で検閲する機構が五十嵐さんの中にはあるのだろうなぁ……。
いわゆるロッカー的な「社会なんてクソくらえだ!」と中指を突き立てようとしても、「いや、もしかしたらクソなのって自分の方なのかな……」と、矛先が自分に向いてしまう。
そんな自問自答、自責の念のに取りつかれたような姿は、やっぱりザ・スミスと重なる。

“涙流してりゃ悲しいか 心なんて一生不安さ”
多分五十嵐さん、悲しい時には泣けない人なのでは。
僕も、悲しくて泣くってことがほぼないので、泣いた人が「一番悲しんでる人」とされるような風潮ってちょっと違和感を覚えたりします。
居心地悪さというか……。
でも、人って、人から発せられるサインからしか人の感情を察知できないですからね。
泣いている人がいたら「この人は悲しんでいる」とわかるし、「悲しい」と訴える人がいたら「この人は悲しんでいる」とわかる。
五十嵐さん「悲しい」というアピールを、人にあまりできずにいた人なのでは。
何かしらの手段で相手にサインを送らないと、「悲しい」以外の感情でも伝わらないですよね。
「心なんて~」の部分は、残酷な事実を突きつけるというよりは、不安で当たり前なんだから、不安だからっていちいち気にすることないっていうポジティヴな言葉に聞こえます。
まぁ、一生不安なんてことはないと思うんですけど……(笑)。

“君に存在価値はあるか そしてその根拠とは何だ”
エヴァンゲリオンを見た人で「私が死んでも変わりはいるもの」の台詞を忘れられる人っていないはず。
90年代~00年代初頭って本当に重い時代だったんですね……。

蛇足なのですが、シロップにハマりまくっていた大学時代、教室の机にこのセンテンスを書いたことがあるんです。
イカれてますよね……?(笑)。
で、次に同じ席を使った時、僕の字の下に
「あるよ」
とだけ書かれていました。
あるみたいです!(笑)。

教室の机の落書きってSNS的な要素ありましたよね。
他の人も使うところに匿名で落書きをするっていうのは、誰かに発信したい想いがあるってことですからね。
2ちゃんねるが「便所の落書き」なんて呼ばれていたのだし、人目に付くところにメッセージを残すということは、やはり何かしらの意味を持っているっすね。
そう言えば、昔シロップが好きな人と付き合っていた時に、
「保健室に、生徒が自由に書き込めるノートがあって、そこにシロップの歌詞を書いたけど反応がなかった」
と語っていた記憶がある……。

“I want to hear me 生活はできそう? それはまだ”
前のセンテンスでの、実存へのシビアな問いには回答できていない。
ただ、根拠は無いけど、「I want to hear me」が存在理由らしきものなのだという結論なんですかね。
この英語詞、「俺は聴きたい」まではわかるんですが、その後にmeが付く意味が分かんないです……。
「俺のことを聞きたい」という意味になるのであれば、自分が作る音楽や、自分の心の奥底に沈む想いを聴きたい、あるいは「誰か俺のことを俺に聴かせてくれ」とい願望なのかも。
「生活はできそう?」というのは、自分の作った音楽や想いで飯が食えるか=音楽活動で生計立てられるのか、って意味なんですかね。
謎。
英語力が欲しいです。

“計画を立てよう それも無駄”
実行可能な計画を立てる能力がないから無駄なのか、計画を立ててもその通りに進んでくれることなんてないという諦念なのか……。
バブルが崩壊したり不景気が訪れたりと、計画通りに人生がすすむなんてことはないですからねぇ……人生難しすぎでは。

この「生活」についての「計画を立てよう」という言葉をコーラスに持ってくるのは、マニック・ストリート・プリーチャーズの『ア・デザイン・フォー・ライフ』のオマージュではないかと思うんですよね。

彼らの4枚目のアルバムからの一曲なのですが……。
90年代のロック史において、マニックスの存在ってめちゃくちゃデカイんですよ。
音楽性ももちろんですけど、主要メンバーの失踪と(彼は発見されず、法的にはすでに死亡扱い)、それを乗り越えて残ったメンバーで活動を続けているというところも、そのエピソードを知らない人はいないくらい。
メンバー失踪後、残された三人で作ったアルバムの一曲が、これなんですね。
消えてしまったメンバーはもともと精神的に不安定な部分があって、でも、だからこそ鋭い詞も多く残していた音楽家だったんです。
そんなシチュエーションでこの曲が書かれたと思うと、とても意義深いですよね。
「人生設計をしよう 人生設計をしよう」という、日本語にするとちょっとダサいコーラスになるのですが、これはほんとに名曲っす……。
消えたメンバーがいた頃のマニックスの、神経症的な音楽性とか、五十嵐さんが嫌いなはずないと思うのですが……。

“こんな世界になっちまって 君の声さえもう 思い出せないや”
具体的にどんな世界になっているのかは歌われないが、「君のことを思い出している余裕がない」ような状態なんですかね。
「なっちまった」と嘆くからには、主人公は、こんな状態になることを歓迎していないことが伺える。

存在価値があるか、と問われていた「君」とは別人物だろうと思われる。
一曲の中で、複数の「君」が出てくる、変な曲ですね。

ここまでのどの曲も、過去に関係していた「君」のことをぼんやりと考えるつける主人公の曲が続く。

ところで、男女の恋愛観の違いについて、「男はファイル別保存、女は上書き保存」なんて言われたりしますよね。
男は過去の女性を忘れないけど、女の人はどんどん忘れていくって話。
私も初めて付き合った女性のこと、どんどん忘れていっていて、それに戸惑うことがあります。
こんなことは一生忘れないなー……と思っていたことでも、どんどん忘れていく。
考える時間が少なくなる。
振られてから数年は、毎日何時間もその子のことを考えてました。
我ながら頭がおかしかったと思うが、彼女と一緒に過ごした時間のことを思い出すと脳内で快楽や安心が生まれるのでやめられない。ドラッグみたいなもんだ。
でもちゃんと仕事をし出したりすると、忙しかったり、周囲から承認を得られる機会も増えるので、あんまり思い出さなくなる。
思い出す頻度が減ると、途端に記憶は劣化していく。
女性とこんなことをがっつり深く話す機会なんてなかなかないし、女性ってどうなんだろうなって思います。
付き合った相手と、恋愛観や恋愛経験について話すことって、私はあんまりしてこなかったしな……。

“そこで鳴っているのは 目覚まし時計”
1,2曲目と、眠りこける主人公の歌が続いていたので、目覚まし時計もそら鳴りますわな……。
けど、「鳴っている」ことを認識しつつ、目覚ましを止めずに、何度も同じことを歌い上げる……まだ、主人公は眠りから覚めるつもりはないんですね(笑)。
モラトリアム的に(後の「青春」とも言いかえるが)バンドを続けている五十嵐さん自身の心境を歌っているんでしょうね。
目覚ましは、モラトリアム的な暮らしをやめて真っ当な社会人におなりなさいという圧力でしょうか。

4.君待ち

“時計壊れた 後の責任は放棄”
目覚まし時計、結局壊しちゃったんですかね……(笑)。
モラトリアムに浸っている五十嵐さんを起こそうとする時計が壊れちゃったのなら、これからも変わらない生活(バンドマン暮らし)を続けることにしたって話かと。
でも、「責任」ってなんなんでしょうね。
社会的な責任、っていうことなんでしょうか……。

“真理なんてデタラメ 勇気なんて出さないでくれ”
宮台真司さんが解説してくれるような「社会のあり方」のことを言ってるんでしょうか。
真実を受け入れるのって、とても重いことであって、それを受け入れたくない気持ちなんですかね。
あるいは、「オウム真理教」が説くような「真理」のことかも。
宮台さんの本を読んでいると、世の中のことがものすごくわかるようになるんですよ。
でもその感覚が「正しいのか」という自信が持てなくなってきてしまう瞬間も、僕の様な浅学非才の人間にはあって、「これはそういうカルトとか洗脳に掛かっちゃってるだけなのでは……!?」という風に思ってしまう瞬間もあったんです。
いや、偉大な人だとは思うので、僕はもっといろんな人が触れるべき言説だと思いますけどね。
でも、「これが真実だ」と標ぼうする言説が、90年代ってたくさんあったんだと思うんですよ。
みんな答えを見失っていた時代だったとでもいうのでしょうか……。
「これが人生の答えだ」「全ての答えはここにある」「良い生き方はこれ」みたいなコピー、ここ数年で再びよく使われるようになっている気もするけど、明らかに浅いものにばかり使われるようになっちゃいましたよね……今もみんな悩んでる時代なのかな……。
その辺、おいおい書いていければと思います。
ただ、「勇気なんて出さないでくれ」と言う五十嵐さんは、最後の最後まで勇気を出さないままだったりはするのですが……(笑)。

5.デイパス

デパスは、不安や緊張を和らげるお薬だそうです。
五十嵐さんの、お薬の名前をもじってタイトルにするシリーズ、第一弾。

“遊ばないけど言う somebodyは? 遊びたいけど言う そんなにいらん”
あんまり人と遊びたい気持ちがもともとないのに、誘われた時には他にくる面子を聞く、みたいな話なんですかね……。
「そんなにいらん」ってことは、五十嵐さんの中で「この人数は多いわ……」という上限個体数みたいなのがあるんですかね……(笑)。
五十嵐さん集団行動得意ではなさそう……。
私も、大人数で喋っているのとか、知らない人を含む複数人で喋るのとか、苦手っぽいですね。
別に聞いているのは全然苦痛じゃないので、そういう場では聞きに徹することが多いです。
話の内容が面白くなかったら、その場で考え事もできるし……。
自分としては、会話を聞いている中で知らない人のパーソナリティを把握していくぜ! って思っているのですが、後日その場にいた人から「全然喋らなかったね」とか言われたりします。
俺が……おかしいのか……??

五十嵐さん、所属事務所の社長からも「五十嵐くん、部屋の中の全員の気持ちを把握してないと嫌なくせに、結局自分のやりたいことしかやんない」と言われたことがあるってインタビューで語っていたけども、それは制作におけるスタンスはもちろん、人間関係にも言えることなんだろうなぁ……。
だから、人の気持ちを把握するのが難しい状況……そこにいる人が多すぎたり、把握できない人が多いと疲れてしまうのでは。

“夢みたいだな~”
バイトとバンド活動だけやっている状態の話でしょうか。
あるいは入院してて、何もしなくてもご飯が出てくる生活のことだろうか……。

“気の狂った様な 坂登って 錆びた黄色いチャリはそこへ捨てておけ”
経済成長のことしか考えていなかった日本のこと?
五十嵐さんの詞の中では、三輪車や自転車がちょいちょい出て来ます。
のちに“進め三輪車”という詞も出てくるので、チャリや自転車は「大人があんまり乗らない乗り物」って扱いなのかな……。
「毛布にくるまる」のような幼児性を感じさせる行動を、やめさせようとする声がこれ、ってことですかね。
自転車がすでに錆びていることから、長期間使い込まれているものだということはわかるわけですし。これも、移行対象として書かれた言葉なのかな。
坂を昇るのに、チャリは向かない乗り物ですからね。
黄色いチャリって、あんまり男の人が率先して乗るものでもなさそうな色な気もする……。
ていうか五十嵐さん、免許持ってるのか?

世界シンボル辞典から、自転車の項目で面白そうな部分を抜粋します。
“《夢》 ②バランスは、外的か内的生活の発展のように、前進する動きでしか正確に、保持できない。 ③同時に、1人だけが自転車に乗れる。だから、その人は、乗り手になれる(2人乗り自転車は、別の問題である)。
《象徴》 乗り物は、進歩の動きを象徴する。夢を見ている人は、自分の無意識に「またがり」、無気力、ノイローゼや幼稚症で「ペダルを踏み損なう」代わりに、自分自身の方法で前進する。自分自身を頼り、自立できる。特有の個性を持ち、希望の場所に行くのに、誰にも従属しない。
夢ではまれだが、自転車は、心理的や現実の孤独か心理的な孤独を示す。内向性、自己中心主義、個人主義の行き過ぎにより、社会への同化を妨げる。自転車は、自立への正常な欲求に対応する“

「一人だけが乗れる」や、「心理的な孤独を示す」というところは、シロップを解釈するうえで面白いなぁ。

“君は死んだ方がいい 外の世界はどんな風”
嫌な物言い!!
外の世界というのは、貧窮に陥る第三世界や、戦争や内戦に脅かされながら暮らす地域もあるんだぜ、ってことだと思います。

“サバを読んでも シンクロしてる振り”
ちょっとわかんないですね……。
このとき26歳の五十嵐さんですが、そんな自分が若いリスナーの心の内を知ったかのような曲を作ることへの抵抗感なのかな。
あるいは、同時代に活躍していた人たちがそんな感じだったのかな。
26歳で、五十嵐さんにとって「青春」的なバンド活動をしているという負い目を表現しているのだろうか。
ただ「シンクロ」という言葉から、「シンクロニシティ」を連想しなくはないので、五十嵐さんの憧れのバンド、ポリスのことを言っているのかも。
彼らもデビューした時、すでに長い音楽キャリアを持っていたのですが、ベースボーカルのスティングが26歳、ドラマーのスチュアートが25歳、ギターのアンディに至っては35歳でした。
岡村靖幸さん風に言えば「35の中年」ですよ!
しかし彼らは髪の毛を金髪に染め上げて、パンクバンドとしてデビューを果たします。
そんな彼らのやり方は後に揶揄されまくりますね……(笑)。
「なんで35の中年が パンクでデビューしてる? 学校じゃ持ちきりだよ そーのっこっとっでっ」

“独りぼっちがいい は犯罪者”
集団行動が好きじゃない人を批判的に語る人が多いことを言っているのかもしれないっすね。
後の『もったいない』で
“Mama,Don’t ask “So lonely?””
と歌われたりするので、もしかしたら、五十嵐さんのお母さんが、「友だちをいっぱい作りなさい」圧力を出すタイプの人だったのかもですね。
五十嵐さんの母方のおじいさんがすごく破天荒な生き方をしていた人らしいので、お母さんも悪気無くそういう風に思う人だったのかも。
うちの母親もそんな感じの人だったので、なんか……嫌ですね(笑)。
未だに母親とは根本的な価値観が合わな過ぎて、だめっす。僕は。

“歌になんない日々は それはそれでOK”
音楽やるために生きてるはずなんですけど……。
でも、創作で世に出てやろうと思っている時って、こういうこと思いがちかもしれないですね。
人生のすべての経験を、創作の糧としてやるのだ……! みたいに思い込んでしまって、何か起きないと(起こさないと)いけないような気がしてくるってこと。

“君の好きなあの娘の 写真はもうここにはない まあでもキラめく世界”
どんだけ、好きな人の姿が記憶からも消えていく歌ばっかり作るねん……。
「まあでも」って投げやりだな!
あと「娘」と書いて「こ」と読むところも、そこはかとなく岡村靖幸さんっぽい。
好きだった女の人のことを忘れてしまったとしても、世の中には素敵なことがいくらでもあるって話ですよね。
そりゃそうだ。

6.負け犬

元祖グランジロックバンド、ストゥージズに『アイ・ワナ・ビー・ユア・ドッグ』って曲がありますけど、この曲には直接かかわりはなさそう。
(ほんとに関係ないけど、ストゥージズでボーカルだったイギー・ポップの名前はジョジョで使われていたけど、犬のキャラなのはこの曲があるからだと思う)

負け犬という概念でいえば、ベックの『ルーザー』の方が、影響はデカイか。
グランジ亡きあとを席巻した、ローファイムーブメントの象徴のような曲。
もっとも、本人は音楽的素養の深さを見せつけるかのように、カメレオンのように音楽性を変えまくっていったが。

この曲、アジカンもカバーしてましたね。

“もしも僕が犬に 生まれたなら それでもう負け”
この絶対的な劣等感はいったいどこからくるものなんでしょうね……。
何に生まれても、劣等種に入ることは間違いないと思っているもよう……。
人間以外のほとんどの動物は、弱者を守るシステムは存在していないから、「負け犬」って飢えて死んでいくしかないんですよね。そもそも。
なんで「負け犬」って言葉が存在するんだろう。

“明日なんていう日を決めるのはそう いつだって今日でも また国家予算内で死ぬの”
過去現在未来の、当たり前の因果関係を歌う。
未来のために今日努力する、ということがあんまりできない感覚を歌っているのでしょうか。
言い換えれば「人生設計」なわけで、実際、デビューにこぎつけたわけで、五十嵐さんの中でモラトリアムの終わり=音楽活動の将来設計を意識し始めたってことなんですかね。
国家予算で運営される保健所で殺される、という話?

比喩表現はないとしたら、インタビューでの以下の回答が答えに近いと思う。
“「弱者」って「強者」ですからねえ、この国では。「弱いぞー」って言えば、助けてもらえる。でも助けてもらえない「弱者」というのも存在している。それは端的に言えば「心の弱者」ですよ。心が弱い奴は、何故か助けてもらえない。しまいには、「がんばれよ」とか言われる。「出来ねえよ」っていう。”
「負け犬」は、国家予算で助けてもらえない、という静かな告発なのかもしれない。

“お金を集めろ それしかもう 言われなくなった”
かわいそう……。
「がんばるんば」とかも言ってあげないとやる気でないですよね。

“頭ダメにする までがんばったり する必要なんてない それを早く言ってくれよ”
今でも続いていますね……人間に過度なストレスを強いる社会システム。
特に労働に関して言えば、日本は世界でもトップクラスの過剰労働を強いる構造を持ってますね。
上のラインと合わせて考えると、高度経済成長期を忘れられない老害さんたちが、若い人たちに過剰な労働を強いている、という印象。
もう没落国家だということを認めて、細々と生きていくしかないのでは……。

“程なく 人生を そつなく終えれば ヤクザも官僚も ロックのロクデナシも みんな負け犬でしょう”
みんな負け犬、という認識がどういう意味なのかは、ちょっと分からないです……。
単純に言葉として受け取るなら「それは違くないですか?」と思ってしまうなぁ……。
でも「ロックのロクデナシ」は、とても良いですね。
五十嵐さんが敬愛するオアシスの代表曲でも「ロックンロールバンドに自己投影してはいけないよ」という歌詞もあったりするので、五十嵐さんはこの時すでに、ロックバンドであることに苦しめられる運命を背負っているのだと思わされる。

7.(I can’t)change the world

エリック・クラプトンが96年に発表した『Change the World』は、大ヒットしていました。

カバー曲ではありますけど、原曲よりも有名な例のひとつ。
歌の内容はポジティヴでファンタジーっぽいですね。
現実的ではない……。
ただこの曲には、
“I will be the sunlight in your universe”
という歌詞があるので、『ホノルルロック』のラインにも影響を与えているのでは……と推測できます。
能天気なこと言ってるメガヒットソングの典型例として、この曲が揶揄されているのではないかと。
ちなみに2000年にはV6も同じタイトルの曲を発表しているようなので、そんな流れにあって、無根拠でポジティヴで実行不可能な言葉に対して抵抗感を示したタイトルなのかもしれません。

あと、僕は見たことがないのですが、ウィキによると五十嵐さんはギタリストとしてザ・スミスのジョニー・マーを敬愛しているとのこと。
そのマーがスミスの後にザ・ザというバンドに加入します。
マー在籍時に二枚のアルバムを制作しますが、その二枚目『ダスク』を締めくくる『ロンリー・プラネット』という曲においても「Change the World」という言葉が印象的に使われます。
このアルバムもめちゃくちゃ衝撃度の高い作品なので、五十嵐さんが聴いていないことはないと思うのですが……。
ちなみにマニック・ストリート・プリーチャーズも、このバンドのカバー曲を発表していたりします。
ほんとに、この曲大好き……。

「もし君が世界を変えられないのなら 君自身が変わるんだよ」
もうこのアルバム死ぬほど好きなので、ぜひ聴いてほしいずら……。
「この世界は 一人で過ごすには広すぎる この人生は 一人で過ごすには長すぎる」
という言葉でアルバムは終わっていきます。
これ、ほんとうにすごい言葉だなって思います……逆説的というか。
「じゃあこんなに人がたくさんいて、広大な世界の中で、一人で過ごしたい?」
「こんなに長い人生を、一人で過ごしたい?」
そう考えてみると、傷ついたり、愛されなかったり、うまく伝えられなかったり、誤解されたりすることもあるかもしれないけど、誰かと繋がっていたいと思うんですよね……。
こういう、世界に対する認識を覆されるような言葉に出会うために、音楽や映画や本に触れ続けていきたいです。

ザ・ザのジャケットって、ボーカルのマットの弟が手掛けた、ちょっと正気とは思えないグラフィックアートがジャケットに使われていました。
後に弟は自殺してしまい、今手に入るCDでは、ボーカルのマットの近影がジャケットになっている。
配信版では、もともとの、いっちまってるジャケットを見ることができます。
後期に行くにつれてヤバさも増していくのがわかりますね……。

ドイツの映画『愛より強く』で、登場人物がこの歌の一節を引用するのがとても印象的でした……。
愛より強く、すごくいい映画なので観てほしいです……。

このファティ・アキン監督の映画ってめちゃくちゃすごいのでおすすめです。
五十嵐さんも観てたりするんだろうか……それとも映画も、『パブロ・ハニー』より前の時代のものしか観ないのかな。
でも漫画は2000年代のリアルタイムのものも読んでおらっしゃったし、現在進行形で楽しんでいるのだろうか。
わかんねぇっすね。

(※追記)
過去の名曲のタイトルに否定形の言葉を付け加えるってやり方について、五十嵐さんの敬愛するオアシスにも同じようなものがありました。
オアシス最大のアンセムというと、『ドント・ルック・バック・イン・アンガー』ですよね……?

https://youtu.be/r8OipmKFDeM

この曲のイントロはジョン・レノンの『イマジン』の引用に違いありませんが、曲のタイトルもデヴィッド・ボウイの『ルック・バック・イン・アンガー』から来ているのではないでしょうか。

https://youtu.be/eszZfu_1JM0

初期オアシスの音楽性が、ボウイからの影響を受けているということを、田中宗一郎さんが指摘しておりましたね。
ちなみにボウイの曲の名前も、ジョン・オズボーンという作家の戯曲『怒りを込めて振り返れ』に由来しているとのことです。
文化は影響を与えあっていくのですなぁ……。
こんなふうに、既存の言葉に、一言付け足すというやり方は、音楽面でも、シロップではちょいちょいあると思います。

さらに、『ドント・ルック・バック・イン・アンガー』のコーラスで歌われる「サリー」という女性の名前は、ザ・フーの『ババ・オライリー』に出てくる「サリー」ではないのかなと思います。
この曲はSNOOZER誌が選ぶ、「ロックンロール不滅の250曲」というランキングで一位でした。

https://youtu.be/LDknRxdHNog

フーはロンドンオリンピックの閉会式の大トリでもあったので、ロックンロール史において超重要なバンドだと考えて間違いないです。

https://youtu.be/rsGQ8C64WlQ

話がそれまくってしまったのですが、最後に一つだけ……! このフーのオリンピックでのライブでドラムを担当したのはザック・スターキーという人。
ビートルズのリンゴ・スターの息子で、フーのドラマーだったキース・ムーンにドラムを教えてもらったといいます。
彼はザ・スミスのジョニー・マーが結成した「ジョニー・マー+ヒーラーズ」というバンドに参加したりした後に、オアシスにも加入。
「いいドラマーは貴重だ」とは言われますが、リンゴ・スターの息子さん、いろんな人に重宝され過ぎでは……(笑)。

“死ねないことに気付いて 当たり前に黄昏て”

五十嵐さん、このアルバムのレコーディング直前に入院していたっていうけど、自殺未遂だったって可能性もありますよね……。
「死ねない」という感覚は、「死にたくない」なのか、「ちゃんと自殺しないと、しぶとく生き残っちゃう」っていうことなのか、ちょっとわかんないっすね……。
昔付き合ってた子も、けっこうな自殺未遂を起こして入院してたって言っていたなぁ……。
00年代、自殺未遂沙汰をけっこういろいろなところで耳にしていたけれど、今でも10代の少年少女はするのでしょうか。
自殺未遂。
僕は意外とまだしたことがないです……。

なんか、僕も、「こんな人生を生きてる価値なんてあるのかな」ってことはよく考えるんです。
昔は「あの人の作る映画が観たい」「あの人の新譜が聴きたい」とか、いろいろ口実をつけて、「自分はまだ生きてたい」と思ってたんですけど、年取ってくると、別に死にたさを耐えてまで触れたい作品ってそんなになくなってくるんですよね。
それこそ昔は「五十嵐さんが新作出すまでは死ねねぇ」って思ってましたけど、結局『ハート』が出る頃には、もう興味もなくなっていた。
で、冷静に「死んだ方がもういいでしょ、俺」とも思うんですけど、その最終結論には抵抗感を覚える。
生きたいというよりは、死ねないという言葉の方がしっくりくる感じなので、なんか、この歌いいですよね。

ところで、キリスト教は自殺を罪としているんですよね。
多くの宗教では、自死を許していません。
国によっては、法律として、自殺が違法とされていることもあります。
しかし、望めば安楽死できる国も出てきている。
世の中にはいろんな価値観がありますね。

“広い普通の 心をくれないか”
いやもうほんとそう思います……普通の心、欲しいです。
普通じゃないって思わないといけないのって、つらいですよね。
五十嵐さんと、他の表現者の違いって、五十嵐さんの自信のなさや自責する傾向なんだろうな。
どっちつかず、中途半端、優柔不断って言い方もできるんですけど、多分、どんなことでもまずは受け入れる人だから、聴く人に居心地の悪さを感じさせないのでしょうね。

“癒えない傷を負って 頭は悪くなるばかり”
「頭が悪くなる」って感覚、二十代後半の誰もが抱く感覚なんですかね……。
私も同じようなことを想っていた時期がありました。
三十を過ぎると、なんか、「かつて頭が良かったであろう自分」の感覚も忘れていくので、どうでもよくなってしまったんですけど……。

“夢は君の中で 永遠に生き続けることさ”
「君の中」って、母胎回帰じゃないですか……?
「君」も別に、永遠に生きないでしょ……。
ただ、聴く人に音楽を刻み付けたいという想いを強く持っている人なので、多分ここは、楽曲制作のスタンスについての話なのではないですかね。
あるいは、自分のもとを離れていった恋人にも届くように音楽を発表していきたいって話か。
男性創作家のモチベーションのひとつとして、あるあるかもしれません。
デビューしてからもずっと、一人の元カノのことを歌いまくっているミュージシャンを、きっとあなたも一人は心当たりがあるはず。

“売り出されたばかりの 孤独を買い占めながら”
後に“セールスしすぎるのが不快だ”と歌うわけで、このラインも、「孤独」すら商品化されるような社会への違和感を呈しているはず。

ちなみに「孤独」は、ポリスのスティングが好んで使っていたテーマ性。
代表曲『メッセージ・イン・ザ・ボトル』は、『孤独のメッセージ』という邦題がつけられていました。

ネタバレになってしまうのですが、この曲は「あっ」というどんでん返しのあるユニークな構成を持つ。
主人公は無人島に一人で漂着した男。
彼は助けを求めて、ボトルにメッセージを詰めて海へと流す。
あるとき、何と浜辺に無数のメッセージ入りのボトルが流れ着いてきた。
手紙の内容は、自分が出したものと同じ……。
みんな彼と同じく、孤独で、助けを求めていたのだった……という、絶望のようなオチがつく。
いや、ある意味では救いなのかもしれない……孤独を抱えているのが、自分だけではないと知れることは、一つの救いの形になり得るのだから。僕はシロップを聴いて、「あぁ、僕だけじゃなかったんだ」と思えたし。SNSが無かった時代って、自分に似ている人を見つけることは、大変な労力を要したんですよ!(笑)。
スティングはこんな調子で、社会に生きる者の心に巣食う孤独を表現し続けた。
しかし、このシングルはイギリスでナンバー1ヒットとなります。
その後も、『ヘルシー』が青写真にした『シンクロニシティ』は、全米で8週連続一位という快挙を成し遂げてしまう。
それを「ポップス」と呼ぶのだろうと思うのだけれどアーティストが心身削って作り上げる「表現」と、売り出すことを目的に作られる「商品」の違いって、何なんでしょうね。
「違う」と思いつつも、明確に言語化するのは難しいことです。

“理非道・愛・嘘・刹那 汗・臭い・朝の光”
これは朝までエッチしまくった情景なんですかね……。
リビドー(性的衝動)を、愛だと自分か相手に言い聞かせる、刹那の間だけ、その嘘を互いに信じる。
朝の光に目を覚まし、隣で寝ている相手を見て、その汗のにおいをかいで、「あーやってしまったわ……」と後悔に苛まれる瞬間。
考えすぎな気もする。
五十嵐さんの曲の中では、よく「におい」に言及がある。
鼻がいいんですね。

“朝はまた嘘をついた 明日はもっと狡く”
一曲の中で二回も「嘘」って言ってる!
狡くなきゃ生きていくのが難しいという状態なんですかね。
でも、みんな、多少は嘘もつきながら生きてると思うよ。

8.Drawn the light

“死にたくない 尻を振れ 知りたくない クスリをくれ”
「尻を振れ」って五十嵐さん、エッチなこと言うやん……(*ノωノ)
ってずっと思っていたんですけど、前の曲の「犬」から連想してみると、「尻尾を振る」って取り方もできるんですよね。
特に、めちゃめちゃ喜んでる時の犬って、後ろ足ごと左右に動きますからね。
女の人に対してセクシャルな動きを要求しているのだとしても、まぁ、男の性的欲求を満足させろよってニュアンスになりますもんね。
後半部分は、「不都合な真実」を知るくらいなら、不安を薬で和らげながら生きるって選択をしようとしているのでしょうかね。

“歩道に朽ちてるbicycle 頭の柔い子供が叫んだ won’t be freak”
また自転車。
さっきの曲の主人公が捨てさせられた自転車なのか、他の人が捨てていった自転車を眺めているのか。
「頭の弱い」って唄ってるのかと思ってたんですけど「柔い」だったんですね。
「won’t be freak」の意味がよく分からないんですが……変なものがほしいって、なに?

“ゼッケンは背中に競馬場 頭のどこかで蠢く 不穏な闘争心”
「競わされる」ということに対する抵抗感があるんでしょうね。
ただ、自分の中にも闘争心があることは自覚されている。
複雑な心境……。
五十嵐さん、差別は良くないぜって思想はもちつつも、こと音楽のことになると「俺の方がすごいはず」「自信がある」と発言したりもするので、やはり誰しも何らかの闘争心を持っていることも理解しているのでしょうね。

“死にたくない 神は ただ単純だらけの方が 美しいから”
何でこんなにも、死を拒否する詞が多いんだろう……誰も、死ねとまでは言っていないだろうに。
……言ってたのかな?

“「すべては愛」 そりゃまあ ただ言ってるだけなら同感 そんな訳ないが”
「すべては愛」って、なんのことでしょう。
レニー・クラヴィッツの曲の邦題に「愛こそすべて」があるけど、原題は『Let Love Rule』なので、ちょっと違いますね。
ビートルズの『All you need is love』の邦題が「愛こそすべて」になっているみたいですけど、これも原題との意味は通らないですしね。
ビートルズの邦題、誤訳が多いな……(笑)。
「ただ言ってるだけなら」というのは、ポップ・ソングにおける「かまし」のようなものかどうかってことですかね。
詳しくは田中宗一郎さんとのインタビューで、ブルーハーツの話をしているところを読んでいただくと、ヒントになっているかと……。
綺麗ごとを言うのは構わないけど、本気で言ってるんじゃないんだよな?
という心の中での確認をしている感じなんですかね。
トレンディドラマが流行る80年代中期ごろから、「嘘くせー」ファンタジーを振りまくコンテンツが、ほんとに増えましたね。
みんな地に足が付いていなくて、酔っていたんだよな。

蛇足ですけど、五十嵐さんって尾崎豊のことはどう思っているんでしょう。
五十嵐さんが十代の頃って、尾崎豊が猛威を振るっていた頃だと思うのだけど……。
僕は二十代の半ば頃にちゃんと聴いてみて、そんなに嫌いではなかったりするけど、あれが世代の声みたいに取り上げられていたら、けっこう居心地が悪そう。

9.パッチワーク

この曲のコーラス、ほんとに好きです……。

“多分楽したいのです これからもしたいのです”
めちゃくちゃ同感です……「楽して生きたい」って、思っていても公の場では口にしちゃいけない風潮って、ありますよね。
努力したって報われるかわかんないんだしね。

“世界がどうなってようと 明日がどうなってようと 僕は楽したいのです”
『ex.人間』と同じテーマ。
口調も同じやんか!
わかります、日常でも創作でも、気に入ったパターンがあると繰り返してしまいますよね。
第三世界を搾取することで、日本の経済的繁栄が成り立っている。
「明日=未来」をよりよくするためには、今日を頑張らなければならないという認識があるけれど、主人公は「楽をしたい」という選択をする。
人生設計できない
ただ、五十嵐さんは、「よりよい明日を築いていくべき」だとわかっているし、「世界ではもっと悲惨な出来事も起こっている」ということもわかっている。
そのことをちゃんと歌っているバンドって、あんまりないんですよね。
わざわざそれを歌うということは、「世界」から目を背けていないという事でしょう。
こんなに恵まれているのに、楽をしたがる自分を責めている。

“他人のことなんて知りません ここから逃げたいのです 傷つけるものはなく 恐れる事も何もない”
これも、母胎回帰の感情が現れている。
社会で、人と関わっていれば、ふとした拍子に人を傷つけてしまうことは、まぁまぁありますよね。
でも、たいていの場合は、ちょっと傷ついたくらいで相手を嫌いになることもないような気もするけどな……。
でも、五十嵐さんがここから逃げても、それを咎める人もいなかったんじゃないかと思うけどな……。
バンドのメンバーくらいでは?
何が、そんなに怖いんだろう……。

“理想と幻想 切って貼ってな”
アルバムのタイトル通り、自分の作る音楽が、何かのコピーでしかないという意識を歌たセンテンス。
「幻想」というのは、このアルバムでも繰り返し語られたような、自分の中にあるファンタジー≒憧憬を音楽に込めているというニュアンスだと思います。
元カノのことなのか、両親への気持ちなのか……。
多分、音楽活動をするにあたっても、「自分達はこうこうこういう順序を踏んで、この時期にはこうなっていたい」という具体的なプランを立てているわけではないと思うので(計画を立てられない性分であることは何度も歌っている)、ミュージシャンの先人たちの活躍をロールモデルにして「あんな風になりてぇ」と空想しているようなことも示しているのではないかな……。
後に“語りつくされた物語 書き写すだけはもうしんどい”とも歌うので。

“光などなくて 命だけあって 少しの夢”
未来に光明は見えてこないけど、夢=音楽をやることがある状態だったということでは。

“いったいいつまでこうやって 一寸先も分かんなくて 言ってることすらなんだったっけな 正論なんて諭んないで”
「バンド辞めたら?」っていう正論?
聴いている内は「悟んないで」って唄っているのかと思ってたんですけど、あらためて歌詞カードを読むと「諭す」の字なんですね。
「諭す」の言い方を崩しても「さとんないで」よりは「さとさないで」にしかならない気がするのですが……誤字・誤植ってことはないのかなぁ、これ。
まぁ、音的に、「さとさないで」より「さとんないで」の方が乗りやすいのは確かなので、音感を優先して「ん」にしたという可能性もありますが……。

「言ってることすら」、というのは、自分の言ったことなのか、誰かに言われたことなのか……。
後者なのであれば、「人の言ってることが耳に入ってこない」という、ここまで何度か出てきたシチュエーションを歌っていると思う。
けど前者だとどういう意味なんでしょう……薬のせいで、意識がもうろうとしてしまう、記憶力が低下してしまっている状態なのかな。

正論言いたがるバンド、本当に増えましたものね。
カルト宗教は忌避されるようになったけど、その分、漫画だったり、音楽だったり、
(もともと、オウムの麻原彰晃もオタク趣味全開だったり、自身を美化したアニメを作ったりしていることからもわかるように、宗教のトップも「スター性」があるほうが

“都合良過ぎるぜ”
この言葉が最後にくるのはホントに強烈で、これって、自分の中の意見をある程度弁証を繰り返したあとに出てくる言葉なんですよね。
あるいは、ずいぶん長い間続けてきたことに対してじゃないと「良過ぎ」とは言わない。
自分に対して、こんなに強く否定するような言葉を歌にする人、ほんとに、他に知らないなぁ……。

10.土曜日

初期シロップの美学が、純粋な形で結晶化した曲だと思います。
だと思います、という言い方をしなければいけないのは、シロップを何回か聴き直したけど、音楽性についてあんまり理解が深まらなかったからです……。
これはめちゃめちゃヘヴィな曲です。
音が分厚い……。

昔聴いていた時は、「フリーターなのに、土曜日とか関係ない生活なんじゃないの?」と思っていたんですよ。
しかも「来る訳ないってどういう意味? めっちゃ来るやん」じゃないですか。
ただ、曲を聴いていると、五十嵐さんが並々ならぬ情感を込めていることだけはひしひしと伝わってくる。
そう、僕が、音楽をめちゃくちゃ好きになる時って、こういう「なんかわかんねぇけど、これめちゃくちゃすごいぞ」と思わされる時なんですよね。
まぁ、もちろん、本当に全然分からない、っていうか良くないということもままあるわけですが……。というかそのことの方が多い。

今回聴き直してみて、この「土曜日」というのは、宗教における「安息日」のことなのではないかと思ったんです。
それは、五十嵐さんが、キリスト教を思わせるワードを多用していることに気付いたから連想したことなのですが……。
であれば、「火薬」「吹き飛ばされる」といった物々しい言葉が出てくる理由もわかってくる。
で、「安息日」って様々な宗教に存在するのですが、「キリスト教」の中でも、いつを「安息日」とするのか、解釈が分かれているんですよ。
詳しくは「安息日」でウィキペディアのページもあるので、読んでみると面白いですよ。
で、そのように「安息日」についての解釈も分かれているのだから、宗教が平和を重んじていても、その宗教を掲げて争う人が絶えないという状況を歌っているのではないかなぁと……。
それに、宗教によって異なるものの、安息日は「あらゆる労働を禁じる」日なのに、戦争による戦闘行為は止みません。
そんな矛盾をうれいている曲が「土曜日」なんじゃないかなぁ。

ただ、この件について調べてみたのですが、「これだ!」と確たる推論を出せずじまいでした……付け焼刃の知識では、追いつけないですね。
ただ、自分なりに考えを巡らせたものの、この「土曜日」の意味を考えると、やはり「安息日」について歌っている可能性が一番高いと思います。
「休日」という、ポップ・ソングにおいては9割方ポジティヴな使われ方をするワードに、「戦争」「敗北」「否定」をまぶしてアルバム最終曲に仕立て上げたのだと、僕は考えています。
巷ではポジティヴな言葉を敢えて用いて、「暗い」「重い」曲を作るのは、五十嵐さんがこの先も続ける手法のひとつです。

で、なぜ「土曜日なんて来るわけない」と歌われているのかというと、宗教が原因に紛争が世界中で起こっているからではないかと思います。
僕の中で最初に思い浮かんだのは、アイルランドの紛争です。
理由としては、五十嵐さんが敬愛してやまないU2がアイルランド出身で、この問題についていくつも楽曲を発表しています。
彼らはキャリアを重ねていくにつれて、意識はワールドワイドに向いていき、特定の事件や紛争を思わせる曲は減って、どんどん普遍的・抽象的な表現を増やしていきます。
しかし初期は、自分達の出生地で起こった事件や状況をかなり直接的に反映させた曲が多いです。
まぁ、それもそのはずですよね……自分が子どもの頃に、大人が政治的・宗教的に対立して、爆破事件や銃撃事件が起こっていたら、それを表現に向けずにいられないでしょう……。
また、ポリスの『インヴィジブル・サン』という曲は、「北アイルランドの暴力的状況の中で育つ痛みを、怒りを込めて再現した曲」と解説されています。
しかもこの曲、ライヴではU2のボノとデュエットしていたりします。
五十嵐さんが、アイルランドの問題について全く知らないということは考えにくいと思います。
ただ、アイルランドの顛末を思わせる曲ではあるけど、しかし、「砂漠」って言葉が出てきているからなぁ……。
砂漠という言葉から連想されるのは、中東地域ではあるのだけど、中東ではキリスト教信仰は盛んではない。

80年代から、この曲がレコーディングされた2001年頃までの戦争や紛争について、ざっくり調べていたのですが、「これだ!」というものに行き当たりませんでした……。
「砂漠」という言葉と、戦争で思い浮かぶのであれば、冷戦終結後の世界の在り方のひとつを示した「湾岸戦争」がとても大きいような気はするのですが。
国際社会における日本の立場が強く表れた戦争なので、開戦当時17歳だった五十嵐さんへのインパクトも大きかったはず……。
様々な宗教で「聖地」とされているイスラエルの問題の可能性も……それなら「砂漠の城」という言葉にもつながる。
なのでもしご興味がおありでしたら、ぜひ、ご自身で調べてみることをおすすめしたいです!

そんなわけで、他の曲以上に根拠の弱い推論になるのですが、まぁ、いい感じで読んでみてください(笑)。

“土曜日なんて来る訳ない”
ここで言う「土曜日」は、やはり安息日のことを指すと思います。
しかし、世界中から争いが止むことがないため「来る訳ない」と言い切っているのでしょう。

“ただ迷っているばかり 風と砂漠の城 またうつろに彷徨って 暮れる”
誰もが、いわゆる「迷える子羊」なのだというニュアンスでは。
あるいは、土曜日なんて来る訳がない世界に生きているとわかりつつも、そんな世界に対する態度を決めあぐねている自分自身を歌っているはず。
それは、その後に続くラインにもそのまま繋がる。
みんな彷徨い続けながら、結局日が暮れて、次の日の朝を迎える。
ただここで最も難解なのが「風と砂漠の城」です……。
「砂の城」であれば、風にさらわれていくようなもろいもののメタファーとして取れるんですけど……砂漠ですからね。
「裁く」とかかってるのかな……。
やはり湾岸戦争っぽい気はするんですけど、確証が持てず。
ボスニアの紛争あたりも、世界に与えた打撃が大きいので、あるかとも思ったのですが砂漠ではない……。
世界シンボル辞典における、風についての記述を一部引用。

“《一般》 風の象徴的意味には、いくつかある。風の特徴である激しい動きの為、虚栄、不安定、移り気のシンボルとなる。
《聖書》 聖書の伝承によると、風は、神の息である。神の息は、原初の混沌を生じさせた。そこから最初の人間が生を授かった。
《夢》 風が、夢の中に現れると、何か重大な事件が起ころうとしている知らせである。何か変化が起きようとしているのである。“

移り気、不安定というのは、この曲の流れに組み込まれていても不自然ではないですよね。
ついでに「砂漠」「城」についても記載があったので、それぞれ一部引用します。

“砂漠、荒野
《キリスト教》 イスマーイール派の秘教主義では、「荒野(砂漠)」は、肉体、世界、訓詁学といった、外的存在のことで、人間は、このようなうわべの下に隠れた「神の存在」に気付かずに、やみくもに外的世界を駆け回る。さらに『マタイ』(12,43)によれば、荒野は、「汚れた魂がさまよう」。サン・ヴィクトールのリカルドゥスにとって、荒野は心、内面的な隠遁生活の場である。矛盾しているようだが、うわべだけのことで、イエスは、荒野で誘惑されたし、聖アントワーヌのような隠遁者たちは、そこで「汚れた霊」に攻撃された。心の荒野を標ぼうする隠遁者たちは、おそらく、それで逃げるようなことはしない。彼らの荒野とは、欲望や悪魔のイメージを祓いのけるところなのである。
《キリスト教・象徴》 孤独という、それだけのイメージから、荒野が象徴する両義性は、誰の目にも明らかである。すなわち、神のいないむなしさと、神とともにある、しかも、神だけに帰せられる豊かさ。荒野は、恩恵の優位を示している。霊的な秩序の中では、恩恵がなければ何ものも存在せず、恩恵によって、しかも、それだけによって、神羅万象は存在する。“

“城
《一般》(略)しかしそうした野原や森の真ん中に、丘にまわりを囲まれるという位置によって城はいくらか孤立の様相も呈する。城の中にあるものは他の世界から切り離され、手に入れたいが到達不可能と思われるほど遠くにあるように見える。それゆ城は〈超越〉のシンボルの中に数えられる。
《象徴・民話》 城が守るのは精神的なものの超越性である。城は神秘的で捉え難い力を秘めていると考えられる。(略)はたまた、城には美しい娘らが眠り、誰かがやって来て恋に落ち、その目を覚ましてくれるのを待っている。あるいは美しい王子が、目も覚めるような美しい女性が旅してやって来ないかと待ちくたびれている。城は〈欲求と欲求の出会い〉を象徴する。“

“ただ望んでいるばかり 肌と火薬の色 また不器用に逆らって 負ける”
実際に話し合いを重ねることで前進することもあるはずなのに、具体的・建設的な行動がとれないことを「望んでいるばかり」と表現しているのでしょうか。
紛争や戦争の曲として捉えるなら「平和」を望むっていうことなのかな。
そうでないなら、何かを欲するという意味になるかと。
「肌の色」ってなんなんでしょう……飛び散る肉片を表現している?
もしくは劣情の対象として「肌」と、暴力の象徴の「火薬」を並べているんですかね。
「不器用に逆らう」ってなんなんだろう……「望んでいるばかり」ではなくなってしまうような気がするけど……。
でも、「望んでいるばかり」であって具体的な行動を取れなかった人が、それでも自分の望ましくない方向に流されることには「不器用に逆らう」というストーリーは成り立ちますね。
「また」「負ける」わけだから、主人公は何度も負かされている状況なんですよね。
悲しい。

“かわるがわる 途切れる汗 吹き飛ばされる昨日 他の誰にも代われない 君と僕の顔が”

「汗」は、多分労働や努力の象徴だと思います……のちに
“汗かいて人間です 必死こいて人間です”
と歌われることからも、その理解でよいはず。
さっきの、「肌」が劣情をにおわせるものだったとしたら、セックスの最中に流れる「汗」のことかもしれないです。
「かわるがわる」が、ちょっとわからないんですよ……(笑)。
努力の象徴なのであれば、みんなが代わる代わる汗をかきながら仕事をして、頑張って生活しているって話なのかと。
まぁ「途切れる」がなんなのかわからないんですけど……そんな、努力の結晶の営みが途切れてしまう=奪われる、破壊されるってことなのですかね。
「セックス」も、子孫の繁栄に必要な事なので、どちらのニュアンスで理解をしても流れ自体は変わらないか。
「昨日」が吹き飛ばされるというのは、「火薬の色」……火薬を使った兵器によって、自分達の生活してきた場所や、自分達のアイデンティティである文化や建造物が破壊されるということでしょう。
で、「君と僕の顔」も、同じように吹き飛ばされる。
「顔」は、視覚的な部分では自分のアイデンティティとしては最たるものでしょう。
それが「他の誰にも代われない」と断言されている。
シロップの歌詞では、繰り返し繰り返し、「お前の代わりはいくらでもいる」という言葉が出て来ます。
僕も、同じようなことを考えながら生きてました。今もそう思うことはまぁまぁあるけど……。
社会の生産を機械が担う部分が増えると、人間はいらなくなる。
詰め込み教育をして、勉強ができるかできないかで、人材の市場価値を決める。
2010年代に入って、AI技術が進歩も目覚ましく、「将来的に消える仕事」が本格的にピックアップされるようになって不安を覚える人も多いと思うのですが、90年代から00年代も、けっこう深刻に、「自分の存在価値」について悩んでいる人が多かったんですよね。
日本はバブルが弾けて、深刻な不況のムードに老いも若きもやられてしまっていましたよね……。
オウムの様な存在もあって、社会の不安は大きかった。
オウムって突然変異的に表れたわけではなくて、ああいった思想を生む土壌が日本にあったってことですからね。
我々が生活する環境と無関係ではない。
サリン事件と同時期に放映されてた『新世紀エヴァンゲリオン』でも「私が死んでも代わりはいるもの」という台詞が、めちゃくちゃキツい形で発せられていたのは、社会に蔓延していた病を象徴しているものです。
でも、そんな問題について、五十嵐さんはこの時点で、答えを出せているんですよね。
「他の誰にも代われない」「君と僕」って。
庵野さんが、ヱヴァ:破で打ち出した答えって、ここで五十嵐さんが声の限りに叫んだことと同じものなんですよね。
いや、もう、ヱヴァ破を知らない人は意味が分かんないと思うんですけど、関係ないっす。
あぁ、僕がこの曲をめっちゃ好きな気持ちって、エヴァ破を観たことによって高まっているかもしれないです……(笑)。
だから「他の誰にも代われない」「君と僕」って言葉が好きな人は、TV版エヴァの全エピソードと、旧劇場版と、序から始まる新劇場版を全部見てくださいほんと人類史上まれに見るすげー作品なので……「どれからみたらいいかわからない」という人はググってみる順番を調べてください……。

なんか、2000年代のロックが好きになれなかったんですけど、「君」を価値のある存在として飾り立てるような歌が多かったところが嫌だったんだと思います。
「僕にとって大切だ」でいいはずなのに、「君」の市場価値を吊り上げるような美辞麗句や誇大妄想ばっかりで、ほんとにダメだったんです。
それって、ひいては、「そんな奇跡の様な君という存在をゲットできた俺」という形で自尊心を保とうとすることだと思うし。自意識過剰じゃないですか、それ。
『粉雪』で
“それでも一億人から 君を見つけたよ”
って詞がありますけど……いや、一億人の中から探し当てたわけじゃないでしょ(笑)。別にいいじゃないですか「出会いは劇的でも何でもない偶然だったけど、君のことが何よりも大切だ」で。
そんな感じで、「いや、なんなんそれ」と思ってしまう発想や言い回しが多くて、モテない童貞だった僕はシンパシーを感じない……どころか、嫌気が差してました。ひがみとも言う。
一緒に「昨日」を、汗をかきながら過ごしてきたから、「僕」にとって「君」は、他の誰も代われない存在なんですよ。
それでいいんですよ。
「君」が、特別に綺麗な人じゃなくても、称賛される才能を持っていなくても、ドラマティックな出会い方じゃなくても、全然いい。
「君と僕」の関係を人に羨まれなくっても全然いい。
それこそ、「昨日」がたくさん積み重なっていなくても、「なんかいいなって空気」があれば、それで全然いい。
理屈なんかなくっても、君と僕は他に変われないんですよ。
人間関係において、「記憶の共有」って大切じゃないですか。
一緒にいた時間が長ければ長い程、いろんな記憶を共有している。
それこそ『ホノルルロック』ではないけれど、いろんなところにいって、いろんな景色を一緒に観たような記憶が重なっていくと、「他の誰にも代われない」関係を強めていく。
五十嵐さんの初彼女も、専門学校の最初のクラスで席が前と後ろだった、というだけらしいですしね。

そーいう歌だと思うんです。
ここで「他の誰にも代われない」っていうのは、五十嵐さんも確信をもって歌っているというより、そんな願いを抱いているということなんでしょうね。
で、「君と僕」が「他の誰にも代われない」ことと全く同じように、世界に存在する人の数だけ、「他の誰にも代われない」「君と僕」がいるということも、五十嵐さんは意識している。
だからこそこんなにソウルフルな曲に仕上がったのではないでしょうか……。
U2とレディオヘッドの洗礼を受けているだけのことはあるといいますか……。
いや、けど、U2やレディオヘッドが自分達のことを歌いまくっていた時代を経て、世界で起きる悲惨な出来事に触れて作風が変化していくのに対して、五十嵐さんはこのあとどんどん自分の事ばかりを歌うようになっていくのは反比例的で面白いですね。
それこそ、レディオヘッドはこの『コピー』と同じ2001年に、自分達が頂点を極めていたトリプル・ギターによるロックサウンドを捨てて、エレクトロニカ・アルバム『KID A』を作りました。

トム・ヨークが、ルワンダの虐殺に関する映像を見たことが、この作品にとても大きな影響を与えたと言います。
ルワンダの虐殺についても、めちゃめちゃなエピソードがいくつもあります……。
ネットで調べたり、本を読んだり、映画を観たりしてみると、いろいろわかると思います。
国際社会が救えなかった内紛・虐殺です……。

・おわり
以上が『コピー』の感想と考察です。
次作でメジャー・デビューすると共に、楽曲の振り幅だけではなく、曲に投入される音色もガッと増えます。
制作資金が潤沢になったんですかね。
シロップのキャリア全体を俯瞰してみると、「音」の統一感が最も高いのって、奇しくもこの『コピー』だと思うんですよね。
そういう意味では、アルバム一枚として聴きやすくもあるので、私は寝る時にこのアルバムをリピートしてた時期もありました……。
轟音だけど優しい曲が多いような。
歌詞の抽象度も高いので、意識を持っていかれない感じもしますし。
そして『クーデター』からは、グッと「自分」について歌う頻度が上がっていきます。
赤裸々度もどんどん増していき、自分の吐いた言葉にがんじがらめにされ、ラストアルバムではそんな心境も吐露して見事自爆。

とりあえず全曲、こんな感じでやりますんでよろしくお願いします!

・おまけ コピーが好きな人が気に入るかもしれない作品

ニルヴァーナ/『イン・ユーテロ』
彼らのもっとも有名なアルバムはもちろん『ネヴァーマインド』ですが、あちらのヘヴィメタリックなサウンドプロダクションをカート・コバーンが嫌がっていたのは有名な話。こちらのアルバムでは理想的なノイズが飛び交っています。しかし意外と穏やかな……というか、暗くて落ち込んでいる曲が多いので、『コピー』のムードに近いグランジ・アルバムとしてこれをおすすめします。

ザ・キュアー/『フェイス』
むっちゃ暗くて悲しくって、けれどむっちゃアルバムとしての構成が秀逸なアルバムとして。3ピースのミニマルな構成。冷たい海の底に沈み込むようなサウンド。

マイ・ブラッディ・バレンタイン/『ラヴレス』
甘い轟音で出来た子宮。羊水の中で朧げな音で聞く爆音。意味や感情は無く、ただ音だけがそこにある。シロップをシューゲイザーの観点から語ることはできるけれど、そういう意味では次作の『汚れたいだけ』が頂点だと思っているんです。けれどアルバム一枚を轟音でくるんでいるのはやはり『コピー』だと思っているので、ラブレスもここに置きます。マイブラ知らずの方はこの曲のイントロだけでも聴いてみてください。

 

ディアハンター/『マイクロキャッスル』
00年代中期から後期にかけて、シューゲイザー再評価があり、それっぽいバンドも大勢出てきたけれども、この人たちが最強だった気がする。彼らのアルバムは、近しい人物の死に突き動かされて作られるものが多いが、これもそう。死への誘惑と、その容赦のなさへの反発のどちらもがある。五十嵐さんに似ている。ガールズ・ポップライクなスイートなメロディーを量産するところも、ちょっと五十嵐さんに似ている。この次のアルバム『ハルシオン・ダイジェスト』は「人生で一度も愛されることなく死んでいったすべての人たちへ」捧げられたものだそう。

シガーロス/『()』
『タック…』では氷山が氷解していくような壮大なカタルシスが表現されるようになる気がするので、まだ溶け切らないものがあるようなこちらのアルバムを。シューゲイザーを通過したポストロックとしては、王者として君臨するグループの一枚。ほんとにすげー。

 - Syrup16g, 音楽

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