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映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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ベイマックスにいちゃもんをつける2

      2020/03/08

前回のベイマックスの話の続きです。
最初に明言しておけばよかったのですけど、ツッコミたいところっていうのは後から出てきた疑問であって、観ている時は面白かったですよすごく。
クオリティも信じられないぐらい高いものだとも思っています。
ただ、観終わってから疑問が湧いてきたりしたのですけど、わりと絶賛ムード一色に思えるんです。
ネットの皆さんの反応とかが。
そうなると、ひねくれた根性を持ってる自分なんかは、反発したくなってきてしまうと言いますか……。
後述しますが、特に、「アンチクールジャパン」のような機運にも使われているような気がしてしまって、それも嫌なんですよ。
まぁそんな感じですが、前回の続きを書いていきたいと思います。

「ベイマックスは何の象徴だったのか」ということを考えたいのですけど、それにはまず主人公が置かれている環境というのをできる限り明らかにしておくべきだと思います。
なので、まずはそこから書いていき、その後にベイマックス自体について考えます。

主人公が、幼い頃に両親を事故で亡くしているという設定ですけど、これが全く意味がないですよね。
原作がそういう設定だったからそれを引き継いでいるだけなのかもしれませんけど、ここまで映画のオリジナル要素を詰め込んでいるのだから、必要ない物は削除するべきですよねぇ……。
もしくは、映画の続編や、テレビシリーズなどで両親の死の理由なんかが明かされるような展開なのかも。
けど、それはそれでやっぱり腹が立つのですよ!
物語において、家族を亡くしているということは重要な意味があるというのが普通なはず。
これはわざわざ例を挙げるまでもないことだと思います。
特に、親を亡くしている少年ときたら、まず問題を抱えているものなのですよ。
現実では親を亡くしている人でもしっかりしていることはあるかもしれませんが、物語の定石とはそういうものです。
このベイマックスでは、主人公が、両親の不在を気にしている素振りすら見せない。
カフェを経営している叔母が、自分と兄の生活の面倒を見てくれている。
その叔母は意地悪どころか、自分のことをとても心配してくれているし、経済面で困っているということもない。
主人公が母性に飢えているというような設定ではないということです。(この叔母さんが、どう見ても「かわいい」という点は少し考えると面白そうです。エロゲにおける攻略できない美人母みたいというか)
そして主人公の兄も、主人公のことをちゃんと叱ってくれるし、進むべき道も示してくれるという父性的なキャラクターであると。
両親の不在というのが、やっぱり両親の不在があまり意味のない設定になっていると思います。
だって、叔母と兄がそのまま父親と母親になっても、話のつじつまは別におかしくならないのです。
兄の大学の同級生が後に主人公の仲間になるから、そこはある程度調整が必要かもしれませんが、それも「兄が大学生」という要素が不可欠というほどのことではない。
無駄のないつくりになっているというのに、この設定がちょっとよく分からないんですよね。
製作開始当初は、両親の不在に意味を持たせる方針で進んでいたけど、だんだん「ちょっとその方向で行くのは難しくね……?」ということになったってことなのかなぁ。
叔母と兄のデザインなども完了していたから、父親と母親に変えるとやっかいなことになってしまう状態だったとか。
まぁその辺りは、どれだけ考えても答えの出ない部分ですね。

とりあえずこれで、主人公の環境については書くことができたと思います。
両親を亡くしているけど、物語の中では特にその事実は機能していないということ。
母親の役割は叔母が、父親の役割は兄が果たすことができているということでした。
もちろん、どちらも、主人公に深く干渉しようとはしておらず、それが物足りないのだということなのかもしれませんが、そういう読み取り方ができるようには描かれていなかったと思います。
(物語の定石として、「強すぎる母性」「強すぎる父性」が主人公に課せられることで問題が起きるというものもありますからね)

で、ここでベイマックスの話にやっと入れるかと思います。
ベイマックスはどういったことの象徴だったのか、主人公にとってどんな存在として描かれているのかということ。

ベイマックスはそもそも、主人公の兄が作ったものです。
その後、兄が事故で死んでしまい、部屋でふさぎ込んでいた主人公の前に現れるロボット。
(そもそも主人公の部屋が「子宮」のような気もします。兄との共同の部屋だという点も込みで。けど自信が無いのでこの話は展開できません……)
ベイマックスと共に部屋の外に出て行くことで、主人公は「兄の死のきっかけを作った犯人を捜す」という目的を得て活力を取り戻していきます。

ベイマックスのあのお腹が丸い柔らかそうなデザインや、主人公が丸いお腹に抱き付いているビジュアルが多く使われているって所から考えると、トトロと同じ機能を割り振られたキャラクターだったのではないかと思います。
今年に入ってから、ベイマックスのクリエイターが、トトロのポスターの絵のオマージュを公開していたことからも、この線はかなり濃いと思います。
雨の降る夜のバス停で、サツキの位置にヒロが、トトロの位置にベイマックスがいるというイラストでした。
トトロというキャラクターも、父親が仕事で不在になりがちで、母親が遠くの病院に入院しているというサツキとメイの姉妹が遭遇する存在でした。
大塚英志さんがジブリの教科書で指摘していたのですが、三鷹の森ジブリ美術館で上映している短編アニメーション『メイとこねこバス』では、サツキは一切登場しないそうです。(僕は観ることができていません……)
もともとアニメ本編においても、姉のサツキよりも妹のメイのほうが、トトロに遭遇することが多く描かれていました。
サツキは精神の成熟具合の違いにより、心の拠り所≒ライナスの毛布を必要としているかどうかということが描かれているのだと思います。
また、「ベイマックス、もう大丈夫だよ」という言葉がキーワードとして使われているところや、「心の傷を癒やす存在だ」ということが強調しているところからも、主人公がベイマックスと言う存在なしに自立することができるようになるまでの物語であるということは通底するメッセージとみて間違いないはずです。
ベイマックスの物語において、主人公は挫折や失敗をします。
しかし、時に仲間に助けられながら、自分の欠点に気付き、乗り越えていきます。
ありきたりといえばありきたりではありますが、主人公は成長していきます。
そして物語の最後に、ベイマックスに別れを告げなければならない場面が訪れます。
兄を亡くして、せっかく合格した大学にも通わず、自分を心配してくれる友人の呼びかけにも応えずにいた時の主人公と比べれば、今の主人公ははるかに成長しています。
本当はベイマックスが居なくても、やっていけるようになっているのです。
それは中盤のシーンで、「私の役目は終わりそうですね」と問いかけたベイマックスに、「まだまだいてもらわないと困るよ!」と取り乱すように答えるシーンにもよく表れていると思います。
つまり主人公は、本当ならもう一人でやっていける、大人になることができる段階にきているというのに、まだそうはなりたくないというモラトリアム的な心境にあったはずです。
しかし、物語は、ベイマックスと「別れなければならない」シーンを用意します。
しかも良く出来ていることに、「別れの言葉を自分から告げなければならない」ように設計しているのです。
ここで主人公は自分の口から「ベイマックス、もう大丈夫だよ」と言います。

良く出来ているんですよ、本当に。
泣きましたよ僕は。
けれど、映画の時間にして5分も経たないうちに、ベイマックスは復活するんですよ。
ベイマックスのデータを収めたカートリッジを、ベイマックスは別れの瞬間に主人公に授けていたということのようなのですが。
それは良いんです。
ベイマックスとまた会いたい、こんな別れ嫌だとみんなが思ったことでしょう。
しかしそれでも、別れは来るし、別れを経験することが大人になることなのだというメッセージがあるのが映画や物語ではないでしょうか。
もっと他にやり方があったはずでは? と思ってしまうんです。
たとえば、せめてベイマックスが、記憶を引き継いでいないとか。
それならば、まだ納得がいくのですけど。
納得がいくか、いかないかの基準というのはつまり、主人公の別れが痛切であるかどうかですよ。
主人公が、何かを失う辛さを経験するかどうかですよ。
ベイマックスが主人公にとってどれだけ大切なのか、離れがたい存在なのか、それはとてもうまく描けていたんです。
だからこそ別れの瞬間は、こうくるだろうなと予想はできていないにもかかわらず、僕は泣かされてしまいましたよ。
けど、そのすぐ後に、「失ったものが丸々戻ってくる」なんて描かれたら、それは失望しますよ。
ドラゴンボールかよ!!!!
いや、ドラゴンボールはまだ、「みんな死んでもドラゴンボールで生き返らせればいい」と登場人物に言わせているから良いですよ。
開き直りすぎだろって思いますけど、作品の中でちゃんと言及されているから、フェアではあるわけです。
要するにベイマックスのラストはフェアじゃないと思います。
作品の中で「カートリッジがあれば何回でも同じもの作れるよ」ということが表現されていたなら良かったんです。
もちろんそんなことを言ってしまっていれば、ベイマックスとの別れのシーンの感動も大幅に減少してしまったと思いますよ。
たった一つの存在であるから大切だったわけですから。
大事な友だちとの別れを、生き残るために何かを切り捨てなければならない苦痛を、ベイマックスは感動させるためにわざと小手先のテクニックとして使ったというのが赦せません。
どう考えても先々の商業展開のことを考えて、ベイマックスがまた主人公のもとに訪れているところで終わらせようとしたのです。
ディズニー商魂たくましすぎる、というのが最終的な感想ですよ。

ということでした。

ベイマックスが父性なのか母性なのか問題については、映画を観て一か月以上が経過してしまったため記憶が曖昧なので書けません……。
とりあえずメモ代わりに記憶の断片だけでも書きます。
ベイマックスは、兄の死後に主人公のもとにやってきます。
父性を欠いてしまったために、その穴を埋める役割を持った存在なのかと考えたのですが、あの丸さや柔らかさ、包容力などはどちらかと言えば母親のような存在に思えたのでした。
しかし母性については、叔母さんがしっかり供給してあげているのです。
ベイマックスも主人公をしょっちゅう抱きしめますが、叔母さんも、本当によく主人公のことを抱きしめます。
思春期の男の子が、あんなにかわいいおばさんに抱きしめられたら勃起不可避だろうと思うのですが……。
このへん、ベイマックスが母性なのか父性なのか問題は自分が考えすぎだったような気がしないでもないです。
しかしあの柔らかいボディーを、メタリックな装甲で押し込められてしまうという辺り、本来は母性的な存在に、父性的な役割を押しつけているという風に取れなくもないような。
それはエヴァンゲリオンのようですね。
母性父性というよりは、ライナスの毛布であったということですかね。
けれどあの柔らかさは、やっぱりトトロ……母性の象徴のような。
この問題について語るには、やはり自分は知識不足だな。
他のアニメーション映画を観た時も、自分の知識の限界にぶち当たったしな。
神話やおとぎ話のことをもっと勉強しないといけないなぁと思いました。
とりあえずあのおばさんが、なぜかわいくデザインされているのかという問題は考察の余地がありますよ本当に……。
どう見ても、女性として現役ではないですか。

 - ディズニー・ピクサー, 映画

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