てやんでい!!こちとら湘南ボーイでい!!

映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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シン・エヴァンゲリオン劇場版を観て思ったこと全て 序

      2021/07/25

感想と考察を書きます!
しかしながらSFや特撮、宗教や心理学、神話についての知識はほぼありません!
ただ人よりも映画は多少好きなので、シナリオや演出・心理描写についての考察をすることになります

これまで世界で一番好きな映画はヱヴァンゲリヲン新劇場版:破だったのですが、今ではこのシンエヴァが世界一の座についてしまいました……。
とにかく好きで、現時点で19回半観ています。
「半」というのは公開初日が仕事だったので、7時上映開始回を半分だけ観て劇場を出たからです。マナーに反するかも…と思いはしたのですが、出入り口に一番近い最前列だったので迷惑を避けたので許して欲しいです。。。

感想と考察を、映画の時系列に沿ってトピックごとに箇条書きしていきます!
気になるところだけでも読んでいってください!

なお、テレビアニメ・旧劇場版・新劇場版を見返してみて、新たに発見したことがあったら随時書き足して行くと思います!

また、このブログは4つに分割します。
シンエヴァンゲリオンの上映時間は151分。
映画の「序破急」構成では、上映時間を1:2:1に分割して構成されることが多いです。
つまり上映時間の1/4が物語の序、2/4が破、1/4が終盤の急パートという具合です。
この映画は37分45秒くらいで物語の展開を区切ることができるので、4つに分割すると分量的にちょうどよくなりそうです。
個人的な思い入れから、第三村のパートの考察が長くなりそうではあるのですが、そこはお許し頂きたく存じます……。
ちなみに物語の転換点を先に挙げておくと、映画の序盤パートの終了は、シンジが仮称綾波レイ(以下アヤナミちゃんと表記)に口を開いて、「相補性のある世界」に戻ってくるところ。
映画のラストスパートへの転換は、エヴァンゲリオンイマジナリーに槍が挿入されて、アディショナルインパクトが始まるところです。
転換ではないけれどちょうど折り返しになる中間ポイントは、ヴンダーがエヴァ本部に誘導弾を発射するところ、もしくはその直後のエヴァ二機が投下されるところです。
私がデジタル時計を持っていないため、劇場では針が蛍光の腕時計でしか時間を計ることができず、ちょっと曖昧な部分ではあるのですが……(笑)。

・これまでの作品と比べて
今作で驚かされるのは、画面の情報密度の多さと、視線を誘導するテクニックの匠さでした。
密度の多さというのは、無暗やたらに多くのマテリアルを画面内に配置するようなものではなく、多層的なレイヤー構成にするような手法です。
具体的に言うと、被写体(そのシーンで注視させたいもの)よりもカメラの手前にもまたモノを置くシーンが非常に多かったです。
そして被写体よりも奥に描かれる背景もしっかり描かれるので、情報密度は高いです。
そう、TVアニメ版などは私たちの生活環境と似たようなシーンが多々あったので、背景をなんとなく見てみても「あぁここは学校ね」「ここはマンションね」などと脳にストックしてある情報から解釈することができましたが、Q以降は大部分が、我々の暮らす世界とは異なる世界に変容している。
そのため、僅かに映る背景の情報にも、我々の暮らす世界との差異が表現されていることが多くなっておりますね。
(そしてレイヤー前面に女の子のお尻や頭などをわざわざ入れてくるというフェティッシュな映像表現の乱れうちでしたね)

今作は背景にある物語や歴史をちらっと匂わせてくる描写が多いと思うんですよね。
それは、破からQへと劇中の時間が14年もすっとんでしまい、その間のエピソードを語りつくすことができないため、人物のセリフの端々からそれを伺えるような脚本になっているのだと思います。
エヴァではこれまでも、意図的に「情報の断片」をちらつかせて全容を語らず、視聴者に想像させる手法を取っていました。
エヴァが社会現象と呼ばれるようなブームを巻き起こした一因は、視聴者が一人では全容を把握できないため、人と情報交換をして補完しようしたこともあるでしょう。
あるいは、空白が多いため、想像力を駆使したり自分の妄想を当てはめることができることから、「俺の考えたエヴァ」を語りたがる人もたくさんいたはず(もちろん私もその手合い)。
しかしシンではこれまで以上に、背景のエピソードが伺えるような要素が多いんですね。
また、その背景情報に気づかなくとも、ストーリーの大筋を追うことはできるという点も、一つの大きな変化だと感じます。
これは、庵野さんが声優として参加した『風立ちぬ』の影響が大きいのではないかと思います。
あの映画は、台詞を追うだけも一通りのストーリーは理解できるのですが、実際には人物の細かい仕草や、画面内でピックアップされないけれど重要な要素が描かれていたりと、表層をなぞるだけではストーリーを捉えきれなかったり、誤認してしまうという多層的な作りになっているのです。
仕込まれた要素を発見できれば発見できるほど、ストーリーの深みが理解できるという凄まじい映画でした。
また、個人的に風立ちぬに近い作風として『この世界の片隅に』があります。
あちらも、細かい台詞の端々にバックストーリーをの片鱗が感じられ、背景に小さく描かれる部分にも状況の反映があったりします。
しかしストーリーは台詞を追えば、一応は理解できるような内容。
風立ちぬとこの世界の片隅には、男のエゴと、奪われる女の構図として対比にもなっていると思います。
どちらも観る価値あり。
そんな風に、エヴァQ以降に作られたアニメ作品では、甚大な情報量を一度観ただけでは気づけないほどに盛り込むような作風が出てきたように思われるのですが、庵野さんはそれらの影響を受けているのでは? と思いました。
具体的に、自分がシンエヴァで気付いたところなどは、その箇所で触れていきたいと思います!
いろいろありますよー、ほんと。

・東映マークが水色に
ある年代以上の人間にはおなじみの、東映映画のロゴマーク。
これが初めに白の通常色で表示されてから、水色に切り替わります。
水色はQのイメージカラーであり、ヴィレのイメージカラーであることが本作で明かされます。
「赤く染まった海をこの色に取り戻す」ことがヴィレの活動理念のようなので、海から出てきたロゴマークが水色になるのはちょっと意味ありげに思います。
さすがに、この映像の海を真っ赤にするような変更はできませんよね(笑)。

・「16年ぶりのパリ」
リツコの発言。
14年前にシンジが第三新東京市に到着したわけなので、それより1~2年前に来ていたことになる。
ユーロネルフに関するエピソードは特に描かれないので、破で言及のあった「バチカン条約」がらみで来ていたんでしょうか。
バチカン条約についての発言は、この直後にも登場しますし。
あるいは、破ではミサトさんがアスカのことを「ユーロ空軍のパイロット」と言っていたので、その辺の絡みで知り合っているのかも。
この映画の後半で、ゲンドウとユイ夫妻が小っちゃいシンジと一緒にドイツを訪れているっぽい描写もあるので、ネルフの組織では海外出張はよくあることなのかもしれません。
しかし、わざわざ「16年ぶり」と言わせているので、意味のある数字なのは間違いないはず。

ところで、このシーンのリツコはなぜ白衣を着ているのでしょうか。
ミドリちゃんは「このハズい格好、エヴァパイロットだけにしてほしいわ」と言っていましたが、彼女も恥ずかしいならリツコと同じように、上に何か服を着たりしてもいいはず。
リツコの白衣は、風にたなびいていて、動きにくそうですらある。
高いところにいるのだから、風も強いのでしょうね。
何か特別な階位を表しているから着ているんでしょうか……。

・USBの差し込み、上下の違いが判らない
作戦開始直後に入るUSB差し込みのカットでは、「上下の見分けが付きづらくUSB差し込み口に挿入失敗する」という芝居が入っていたようです。
まぁ、あるあるですよね(笑)。

・「それよりこのハズい恰好、エヴァパイロットだけにしてほしいわ」
ピンク髪ボブカットのミドリちゃんのセリフ。
Qと比べて若干キツい性格になっているように感じますが、気のせいでしょうか(笑)。
彼女は後半でも大活躍でしたね。
このシーンでは開口一番から性格のキツさが出ています。
Qではシンジ君個人が忌み嫌われておりましたが、ここで、ミドリちゃんがエヴァパイロット全体にも侮蔑の念を持っていることがわかります。
後々の「式波少佐の回収はいいですよ」というセリフもありますが、そことも通じているように思います。
おそらくアスカが作戦を成功に導くことができなかったため、評価が落ちているのだとは思いますが、「回収するか否か」の判断すらあったことがこのセリフからわかります。
なんかヘンじゃないですか…?
そもそも完全勝利を収めることが難しいような作戦で、劣勢であるにもかかわらず、ネルフの目的完遂を阻むことはできたわけです。
で、エヴァを操縦できる人間の数は限られているわけで、ここでアスカを回収しないという案もあったなんて、純粋に戦力の確保を必要とするならおかしいです。
アスカに関しては使徒の浸食を受けているので、共に行動することでリスクが生じるという懸念は理解しますが、ヴンダーに戻った際には部屋に設置された爆薬が増えているのと見つけて「私たち」と言っているので、使徒の浸食を受けていないマリも同様にいざとなったら爆破して処置する方針になっているはず。(ただし、マリ自体が使徒であるという可能性は高いと思いますが)
ちょっと論拠が薄くはあるのですが、ここには「エヴァパイロット差別」みたいなものがあるのではないかと思います。
これについては第三村での描写について触れる際、もう少し詳しく書きます。

あと、ミドリちゃんがこの発言をした際に、PCに向かって作業していた男たちが一斉に彼女の方を向いちゃうんですよね……1秒でも早く仕事を進めなければいけない状況なのに。
これは、ドスケベボディをしているミドリちゃんに目がいっちゃったのか、それとも集中力が欠如しているのか……両方なのかな(笑)。
いずれにせよマヤだけが、喋りながらも打鍵を続けているので、彼女はイラッとしているはずです。

・この街を残したかったあなたたちの思いは引き継ぎます
「後はよろしく」と赤い文字が書かれています。
ここは高畑勲さんのような、去っていったアニメ界のレジェンドへの宣言なのではないかなぁ…宮崎駿さんも引退を宣言しておりましたし。
あと、シンゴジラでも主人公の矢口が「いなくなった人間のことを考えても仕方がないだろう!」と激高するシーンがありましたが、あそことも通底しているように思います。
あの時期だと、エヴァのTVアニメ版を担当していたキングレコードの大槻俊倫プロデューサーが業界からの引退を宣言していた時期です。
大槻氏は、Qまではエグゼクティブプロデューサーの肩書で関わっておりましたが、実際に引退してしまったらしく、シンエヴァにはクレジットされていません。
大槻さんはTVアニメ版の制作に際し、庵野さんの望む体制で企画をスタートさせるために奔走していた人でもあるので、彼の引退は庵野さんに少なからずショックを与えたことでしょう。
あと、岡田斗司夫さんがガイナックスを去ったことへの影響もあったのかと思うのですが、庵野さんは岡田さんへの言及をほぼしていないように思うので、実際のところはわかりません。私の考えすぎかも。
むしろ岡田さんは「首なしエヴァ」の方なのかな。

・作戦通り8号機に釘付けです
襲いかかってくる有象無象がエヴァにしか関心を示さない……というのは、庵野さんにビジネスを持ちかけてくる業界の人々が、庵野さんやカラー社自体に興味がなく、エヴァで儲けたがっているだけっぽい、ってことなのかもと思いました、

・パリ戦のテーマ、エクソシストっぽい
ホラー映画『エクスシスト』のテーマ曲として有名な『Tubular Bells』みたいだなと思ったんですよ。
これ↓


けど鷺巣さんがライナーノートで書いていたことですが、プログレッシヴロック全盛の時代にはこういう拍子がよく使われていたもようですね。
いずれにせよ、赤く染まったパリの市街での、不気味な使徒もどきたちが襲ってくるシーンの禍々しさにマッチした不穏な曲ですね。

・戦うマリ、トラックの運ちゃんっぽい
エヴァのハンドルが円形になっていて、ぐるぐるまわしたり、背後を見るときに背もたれに肘をかけてのぞき込んだりする様が、トラックの運ちゃんっぽいです。
もともとマリが破で初登場するときにも、昭和の歌を口ずさんでいるのはトラックの運ちゃんがフンフン歌っている感じにしたかったのだそうです。

・使徒モドキ
「使徒モドキがおとりを使うとは…しゃらくさい」とマリが言います。
「エヴァの軍事転用を禁止するバチカン条約違反のシロモノ」とその後リツコが続けるのですが、あの敵の正体ってなんなんでしょうか…全然わからないです(笑)。
ただ、使徒が付けるようなお面が付属しているので、マリの言うように使徒由来でもありそう。
エヴァ製造の技術と使徒を掛け合わせたようなものなんですかねぇ。
ラストでの、エヴァ全シリーズを破壊するシーンでも、この子たちは出てきますし。なんなのや。
というか、Qとシンエヴァに出てくる、ネルフが作った平気や装置は全部壊されてますね。
みんなエヴァなんかな。

ここでマリが「使徒モドキ」と言っているところは、マリ=使徒説から考えると、本物の使徒から見て「モドキ」呼ばわりなので、見下すような物言いともとれますね。
そうそう、マリは使徒なのだという説があるのですが、私はかなり強くそれを支持しています。

・「時間があまりにも足りません」
時間が無い、というのは、L結界化している地域に永く留まるとやばいっすってことだと思います。
この話をしている際、マヤたちを取り囲む、ヴンダーから降り立っている脚部がすでに赤く染まり始めています。

・キッて敵を見据えるリツコ
敵のビームの威力に負けて、防御に使っていた艦隊が押されてきてしまい、リツコたちのいるとこまで迫ります。
リツコはそれでも逃げずに、キッとした顔をしています。
「マリが必ず守ってくれるはず」という信頼感なのか、自分たちが攻撃を受けてしまうとしたら作戦の管理を担う自分の責任であるという覚悟の表れなのか…いずれにせよ、使徒の襲撃を受けるたびに狼狽していた若かりし頃のリツコよりも達観しているように見えますね。
シンゴジラでも、主人公の矢口蘭堂が作戦遂行を見届けて「キッ」てするシーンもありましたが、それに似た覚悟を感じます。
そうそう、ところで「蘭堂」って名前は、安野モヨコさんの『ジェリービーンズ』という漫画のキャラクターからの引用と思われます。

ところでリツコ、ここに降り立っているなら作業に加わればいいのに……これまでのシリーズで考えると、リツコはキーボードをカタカタ打つのが一番早いキャラクターだったので、彼女も作業に加わった方がスムーズに進んだはず。
使用できるPCの数が限られていたのかもしれないけど、多分リツコより仕事が早い人もいないだろうから、彼女がやったほうが効率的だった気がするんですよね。
彼女は監督役であり、プレイヤーの立場ではなくなっているってことなのかな。
なんなのだろう、あの感じ。
庵野さんがアニメーターをやらなくなってることと、何か関連があるのかなぁ。
修羅場になっても庵野さんが絵を描いて無理やり間に合わせることはないでしょうし。

このシーンは2019年にアプリ上で公開されてましたけど、この時点では絶賛の声は出ていなかった印象です……正直、僕はそんなに楽しめなかった。
けど映画館で見ると迫力がすごいですよね。
あと、映画の上映時間が一時間半から、長くても二時間程度だと予想していたので、「二時間のうち10分がこれなら、ちょっと迫力ないかも……と危惧していたのですが、結果は二時間半超えだったので、「それならいけるかも!」と思えましたね(笑)。

・線路を渡る時、あやなみがシンジをちょっと振り返る。
オープニングのシーンで、壮大なオーケストラをバックに歩き続けるアスカとシンジ、そしてアヤナミちゃん。
アスカはマップのようなものの案内に従いつつ、ゲームをポチポチ楽しみながらずんずん突き進んでいきますが、シンジは放心状態で付いていくのに精一杯。
その二人の間をアヤナミちゃんは付いていきますが、線路を横断するところで、遅れ気味になっているシンジのことを振り返るシーンがあります。
しかしただ振り返るだけで、手を引いて上げたりはしない。

・なんであやなみは付いてくるんだっけ。あすかはなぜ同行を許す?
Qのラストで、アヤナミちゃんはシンジとアスカの後に付いていきますが、なんで付いていくことを選んだんでしょう…。
「命令」という言葉がキーワードだったことを考えると、作戦失敗後の行動については命令されていなかったから、「ただなんとなく」付いていったんでしょうか。
でも、命令されていないとしても、おそらく敵対者であろうアスカに付いていくのは自然ではないですよね。
でも、彼女と対敵していた時に、「あんたはどうなんだ」的なセリフを言われて、ハッとする描写があったし、どこかアスカに対する興味を持ちだしているのかもしれん。
あるいは、シンジの落とし物である音楽プレイヤーを拾っていったことを考えると、この時点で彼への好意が芽生えていたんですかね。
アスカも、ゼーレ側の人間であるアヤナミちゃんが付いてくることをどうして許したんだろう。
敵なわけなので、むしろ殺害してもおかしくはない気がするのですが…。
命令されていないことなら自分たちに危害を加える存在ではない、と認知していたのかもしれませんね。
あるいは、破で綾波から「ありがとう」と言ってもらえた時の喜びがまだ胸に残っていて、彼女のことも邪険にはできなかったのかもしれない。

考えてみると、アスカは自分自身の力で道を開いてきた強い女性なので、綾波のように「言われたことをやるだけ」という受動的な人間を見るとイライラしてくるのかもしれませんね。
だから破でも「人形よ!」と言ってひっぱたこうとしていたのかも。
で、意外にも綾波が「人形じゃない」と反抗してきたもんだから、一目置くようになってたのかもしれません。
そう考えたら、綾波が消失してしまったことで、アスカも落胆する気持ちはあったんでしょうね。
で、アヤナミちゃんが、綾波に輪をかけて人形っぽいものだから、戦闘時に敵対勢力のパイロットであるにもかかわらず、「あんたはどうなんだ!」と説教してしまったのかも。

・後頭部の描き方 分け目、髪の束感、うねり方
映画全般に言えることなのですが、キャラクターの頭部と頭髪の描き方がめっちゃすごいと思うのですが…。
全員の髪質も多分設定されていますよね、これ。
髪の毛の束感とか、うねり方の描き込みがすごいです。
女の人の頭とか後頭部を見るのが好きな僕としてはたまらんでした。
特にあやなみちゃんの頭部、髪の分け目と束感の表現がたまりませんでした。
以前からこんなに細かく描き込まれていたのか思い出せませんが、再鑑賞する際にはぜひ人物の頭部にも注目してください。

・「根性なしが」
動けなくなり自販機にもたれているシンジ。
プラグスーツの手首に「ロウバッテリー」的な文字が浮かんでいます。
スーツには生命維持装置もあるはずなので、それが切れそうだからヤバいってことなんですかね。
であれば、アスカの「根性なしが」の台詞はちょっと違和感があるのですが……根性でどうこうできる問題ではないので。

ところで、シンジはこの後のシーンで、防護スーツを脱いでL結界化したエリアで過ごしているシーンがあるのですが……あれは、なんなのでしょう。
アスカのいう「まだリリンもどき」というシンジの状態は、彼が人ならざる能力を備え始めていることを示しているのでしょうか。
まぁ、破の最後でも、目の色が赤くなったりしていたし、やはり彼はどこか人と違う機能を有していると考えてもよさそう。

・三人の歩み
確か岡田斗司夫さんが、Q鑑賞後に、シンジとアスカとアヤナミの三人組が歩いていくシーンについて、「オズの魔法使いみたいなものだよ」と言っていたのです。
僕はQが千と千尋の神隠しのようだと思ったので、この三人が、銭婆のところに行く千尋と坊とカオナシみたいなクルーなのかなと思いました。
「なんか付いてくるカオナシ」が「なんか付いてくるアヤナミ」みたいなものなのかなと。
で、アヤナミは、行きついた先で自分でも思っていなかったような居場所を発見することになるので、その見立てはそんなに外れていないと思ました。
シンジ君が千尋ですね。
何にも分からない状況で働かなければいけなくなってしまうので。
で、カヲル君がハクです。
シンジくんがニアサー後の世界を見せつけられるシーンで、階段を下りていきますが、その時の絵が千と千尋で千尋が一人で階段を下りていくところとすごく似ているのです。
千尋は頑張って一人で降りていくけど、シンジはおびえて結局一人で立てなくなってしまうヘボチン…。
だから最後までハクに依存しつくしてしまうどうしようもないキャラなのだと思いました。

・目を覚ますと子どもとワンコ
「ハッ!」で目を覚ますシンジ君の顔は、劇中で何度出てくるのでしょうね…笑
今回の目覚めも知らない天井の下でのことですが、これまでと違うのは「子ども」が視界にいること。
エヴァの登場人物の最低年齢ってシンジ君くらいになっていて、彼よりも小さい子どもって基本出てこないんですよね。
トウジの妹のサクラが新劇場版で出てきたりしたけど、洞木ヒカリの妹とかは名前しか出てこないし…。
そんなエヴァの世界において、「子ども」が出てきたことは、全く新しい展開に進んでいくことを明示するためだと思ったのですよね。

あと、このワンコも第三村ではちょいちょい出てくるので、意味はあると思います。
エリザベスカラーを付けているので、なにか病気とか怪我の治療中なんですかねぇ。

全然関係ないことですが、庵野さんの作品って、登場人物が睡眠中に見る夢のシーンがないですよね。
漫画版では確か、シンジが悪夢にうなされるシーンとして「夢」そのものが描かれていたと思うのですが……。
夢って、キャラクターの心理状態を暗示させたりすることができるので、けっこう便利な使い方ができると思うのですが、庵野さんはそれをしないっすね。
夢を見ないのかなぁ。

・トウジ登場
『シン』で、梶さんやトウジが出てくるに違いないとは思っていたんですよ!
で、Qの予告編で、「放浪の果てに希望がある」みたいなことを言っていたので、ほぼ滅亡していたと思われていた世界でもたくましく生き延びている人がいるのかなとも思ったのですが、まさかこんな形で出てくるなんて…!
しかも立派な大人になってる!
しかも「事情は聞いとるがけったいな話でようわからん」という、めちゃくちゃまともなことを言ってくれてる! と安心したのです。
シンジ君、「わけわかんないよ(;。;)」と連呼していましたが、トウジのこの言葉で、「わけわかんない」というシンジの感情≒観客の感情を肯定してくれているように思えたんですよね。
本当に胸に沁みました。。。

あと、「鈴原トウジや」と、ちゃんとフルネームで名乗っているところとか、とてもいいですね。

・トウジの服を着せる。
トウジは「寒いから」と、自分が昔着ていた服をシンジに着せます。
14歳だったトウジがいつも着ていたあのジャージですね。
物語においては、新しい世界に踏み入れるときには新しい服に着替えます。
トウジが自分の服を着せるということは、良くも悪くも、シンジを第三村になじませて留まらせようという意図が含まれているように感じます。
また、「トウジのおさがり」を着せるあたりには、トウジには庇護の欲求があり、シンジをここに引き留めようとする強い意志も感じます。
のちに、ヴンダーに戻ることを決意したシンジが、トウジの服を着ておらず制服姿になっていることからも、そのことが読み取れます。
ところで、前のシーンまでシンジが着ていたスーツってどこに行ったんでしょう。
行方について一言も触れられませんが、画面にちらっと映ることすら無くなるので、何らかの理由で処分されたのでしょうか。
ゼーレ仕様だとばれることで、第三村内で問題視されてしまうからか? とも思ったのですが、スーツには特にゼーレのロゴはありませんでした。
第三村を去るのシーンでシンジは制服を着ていますが、制服の上からプラグスーツを着ていたのでしょうか…。
それとも、着ていた制服は村に残っていたものだったりするのかな。
謎。
トウジは「シンジはエヴァに乗るべきではない」と思っているから、エヴァとシンジを繋ぐようなものは彼の目に入れないようにしたのかもしれません。

ところで後に、アヤナミちゃんはプラグスーツから別の服に着替える際に、「子供用」と書かれた段ボールにしまわれていたであろう制服を着ます。
周りの人々は彼女を「かわいい」とほめそやします。
これにも、村のおばさん達が、トウジと同じようにアヤナミちゃんを共同体の一員として迎え入れた証になっているのだと思います。

・アヤナミちゃんが服を着替えたがらない
トウジの助手的な女の人が「先生、あの子着替えたくないって」と言い、「そのまんまでもええやろ」とトウジが答えるシーン。
後にスーツのバッテリーが切れることによって、レイの具合が悪くなることを考えると、彼女はスーツによって自分が生存できていることを知っているのでしょう。
しかし、このスーツを着て外に出て行くことをトウジが許可すると言うことは、「プラグスーツを着ている人は侮蔑の対象」という認識はミドリだけがしているのであって、少なくとも村人達はプラグスーツのことを知らないってことなんですかね。
エヴァパイロットのことを知らないのか、プラグスーツがエヴァパイロットの着るものだと知らないということか。
あるいは、防護スーツと同じようなものだと誤魔化せると考えたのか。
トウジがアヤナミちゃんそのものに大した関心を持っていないから、どうなってもいいと思っているのか? とも思えるようなぶっきらぼうな言いようでした。
でも後のシーンでは結局仲良くなってるし。
うーん。なんなんだ。

・ワンコ、アヤナミちゃんに無関心
また、このカットのアヤナミちゃんは、ワンコの前で座っています。
きっと、助手の女性に、「犬」のことを教えてもらったばかりで興味津々なのでしょう。
しかし、犬の方は目の前に座っているアヤナミちゃんに無関心です……。
目の前に座っているのにそっぽを向いている。
寝ているシンジには顔を近づけていったのに……。
犬の無関心ぶりは、次のちょっと引いたカットでも同様の描き方なので意図したものであるはず。
まだアヤナミちゃんには魂が宿っていないから、犬は興味を惹かれないのかな……。

・「分配長に相談してみるわ」
看護師さんから、タミフルがなくなりそうだと言われたトウジの返事。
おそらく供給が十分ではないため、「相談」しなければいけないのでしょう。
相談なので当然、分配してもらえるかわからないし、もらえるにしてもいつ届くかはわからないのではないかと…。
後の寝言「分配長、あんたが気に病むことないで」にも繋がってきますが、おそらく物資が潤沢ではないことから命を落としたり、必要な医療を受けられる健康ではない状態になる人もいるはず。
トウジの言葉の重みがわかる2つのセリフでした。

・レールの切り替えから始まる。
シンジが外の世界で初めて目撃するのはレールが切り替わっていく場面。
なんか意味深に感じますが、「これ」という確たる推論も導き出せていません。
何度も脚本を書き換えたことが、当初の筋書きとは違う方向へ進んでいくことが路線変更として表れているんですかね。
レールの切り替えシステムが円形なのも、「円環の物語」であるエヴァそのものになぞらえているということでしょうか。
わかんないっす!
ところで、電車の車両を人が押して動かしている描写もありますが、電車を動かす電力はあるのでしょうか。
また、この電車は走行可能な状態なのでしょうか。
走行しているシーン、見てみたかったなぁ。

・第三村
ちょっとだけ違和感として、なぜ村に名前が付いていないのか? ということがあります。
急ごしらえで人の住む集落を作ったので、名前を付けるような余裕がなかったのかもしれませんが、トウジの言うように「落ち着いてきた」のなら、名前を付けるのが自然ではないでしょうか。
あるいは、もともとこの地域についていた地名を村の名前に流用するなりしてもいいはず。
それこそ、この駅には「新所原」という名前が付いているのだし、その名前を使えばいいわけで……。
村で使われているお風呂には「記念湯」「新生湯」なんて名前も付いている位なのですから。
アヤナミちゃんが名前を付けてもらえないことにも、ちょっと似たようなさみしさがあります。
クレーディトが名付けを好ましく思っておらず、付けられないとか……? 考えすぎですかね。

・車庫番号1が診療所
シンエヴァでは1・2・3・4の数字が画面に頻繁に表示されます。
診療所は、おそらく列車の車庫を改装して作られた施設なのでしょう、外に出た彼らの背後には列車の車庫があります。
そして車庫のシャッターにはそれぞれ「1」「2」「3」「4」と書かれていて、シンジたちは「1」番から出てきたことがわかります。
また、その次のショットでは付近を俯瞰して写されますが、車庫の屋根には「clinic」と書かれています。
劇中で1~4の数字が頻出するのは、おそらく新劇場版が4部作になったからだとは思うのですが、なぜその数字を説明もなく複数回出してくるのか、またここで1から出てきた理由はわからないです!
映画の序盤、構成上1パート目にあたるからなのでしょうか…正直わかんないっす!

・松方さんとの会話
妊婦さんの名字は「松方さん」ですが、おそらく庵野総監督の夫人である安野モヨコさんの『働きマン』の主人公の名から取っているのではないかと思います。
ちなみに働きマンの登場人物は昭和の俳優から名前を拝借しており、松方は松方弘樹が由来です。
ここで松方さんは「その二人?クレーディトから預かったっていうのは」と世間話を振りますが、トウジは少し間を置いて「あぁ…まぁ、そんなもんや」と、なぜか言いよどみます。
ここで彼がきっぱりと答えない理由を推察します。
1 トウジはシンジをここに定住させたい。だから「預かった」という言葉を肯定することを避けた。
2 二人の出自に触れることに不都合がある。
一つ目の理由は、↑でも書いた「トウジはシンジを定住させたい」という気持ちから、「預かった」という言葉への返答を言いよどんだのではないかという推察です。
けどおそらく二つ目の方が可能性が高いです。
まず、「クレーディトから預かった」という話になっているのですが、三人を迎えに来たのはケンスケでしたよね。
彼はクレーディトとの連絡係も務めているとの話でしたが、クレーディトの代理として三人を迎えに行ったといった描写はなかったように思います。
アスカとケンスケは仲がいいようなので、ケンスケが彼らを迎えに行って、その後クレーディトまで送り届けたのかもしれませんが、アスカがケンスケ宅にいることを考えると、やっぱりクレーディトを介さずに診療所に預けにきたんじゃないかと思うんですよね。。。

で、なぜアヤナミちゃんとシンジの素性を明かせないのかという点ですが、彼らが「ニアサードインパクト」発生の原因だと知られると非常にまずいからではないかと思います。
まずシンジは、ニアサードインパクト発生の直接の原因と目されていることが、このあとにミドリの口から語られます。
勿論そのシーンでも語られますが、ニアサー発生はシンジの意志ではありませんが、それでも伝聞で事情を知った者からすれば「シンジのせい」と思われていてもおかしくはないことです。
また、アヤナミちゃんにしても、クレーディトの母体組織ヴィレと敵対しているゼーレの人間だと分かれば、非難されることは免れないでしょう。
そういう、村人達にバレると厄介な事情を抱えているので、深く突っ込まれないために「クレーディトから預かった」というとりあえずの理由をでっち上げているのではないでしょうか。
嘘も方便とは言いますが、松方さんを騙すことへの罪悪感や、「どういう嘘で固めるか」を考えるから、ここでは少し言いよどんでいるのではないか…というのが僕の推測です。
僕の考えが当たっているかはわかりませんが、何か理由がないと、トウジがここで言いよどむ必要がないんですよね。
このブログではこういった、細かい台詞に対する考察が多めになってくると思います(笑)。

後々のカジリョウジ君との会話で「知らないやつって初めてだよ」って台詞もありますが。ここでの松方さんのいきなり素性を確かめようとしてくるのって、田舎のちょっと怖い感じが出ていますよね…笑
また、松方さんにしても「先生がクレーディトから人を預かった」というウワサをすでに耳にしているわけですからね。
田舎のウワサ話、こえーって話ですね。

・2001年2月
第三村、レールの切り替え装置に商標タグのようなものがついていますが、「製造年月 2001年2月」の文字が。
他にも色々書いてあった気がしますが、数字が大事かと思ってメモを取りましたが、エヴァ由来の数字ではなさそう。
セカンドインパクトは2000年の出来事なはずですし……。
まぁ、セカンドインパクトが起きようが、社会は動き続けていたというような示唆と取れなくもない……いや、無理があるか(笑)。
実際のロケ地にあったものをそのまま絵に起こしただけな気はします。

・レイよくしゃべる
レイ、村に出てきてからよくしゃべります。
「人がいっぱいいる」と言っていましたけど、シンジは気を失ったまま運び込まれたのに対して、レイは意識がある状態でケンスケと合流しているはずなので、村の様子は目にしているはずではないでしょうか。
ちょっと謎。
ケンスケと合流したのが、人が寝静まった夜で、そのまま診療所に入っていったってことなのでしょうか。
ちょっと謎ですね。

・レイいただきますせず
レイはネルフでの「命令」の必要なこと以外は教えてもらっておらず、「いただきます」「ごちそうさま」を知らない。
だから最初の食事のシーンでも当然、何も言わないまま食べ始めます。
後のシーンで、レイが食事の前にしっかり手を合わせている描写があるので、ここで「いただきます」を言わないのもちゃんと意図があってのことなわけですね。
また、雑炊みたいなものが入ったお椀を両手で持って、そのまま口へ運びます。
おそらくお椀の持ち方と橋の使い方を教わっていないんでしょうね。
Qでシンジが食べていたような、変な塊みたいなものをスプーンですくって食べることしかしてこなかったのかもしれません。

・カーテンを留める紐はブルー。カーテンに合っていない。
トウジ宅の居間の窓にはカーテンが取り付けられていますが、カーテンがベージュなのに対し、それを留める紐は薄いブルーです。
正直、色が合っていないと思うんです。
なぜ色の合っていないカーテン留めが使われているのか考えてみると、物資が潤沢ではないから、あり合わせのものをやりくりして使う必要があるのではないかと思いました。
カーテン留めを新しく作ることができないから、余っているものを使うしかないんじゃないかなぁと。
でも、布自体はありそうだから、カーテン留めを自分で作ったりしてもいいんじゃないかなとは思うので、この考察は外れているかもしれませんねぇ…。

・「人なのに小さい。どうして小さくしたの?」
この「小さくした」という発想が可愛すぎて、僕はハートを射抜かれてしまいました。
可愛すぎじゃないですか…?
こんなに可愛いキャラが、あんな末路を辿ることになるなんて、想像できないじゃないですか。
この「レイが可愛い」という問題ですが、観る側がこのレイを可愛いと思えば思うほど、後の展開に効いてくるので、脚本家の思惑にまんまと乗せられてしまっているわけです。
それにしても、嗚呼、なんとかわいいのだ…。
こういう純粋すぎるキャラって、度を超すと「痴呆かコラ」と腹が立ってくることもありますが。このレイちゃんはほんとにかわいい。
おそらく、アヤナミちゃんを「かわいい」「無垢」な存在だと捉えるように誘導されているんですよね。
性的な要素は後退していて、守るべき「子ども」だと思いながら見てしまうんですよね。
だから、この後の展開がとてもつらい。

・そっくりさんが初めて触れるものは赤ちゃん。触れ返すのも赤ちゃん。
アヤナミちゃんはツバメちゃんの頬を指でつつく。
ツバメちゃんは笑顔になって、アヤナミちゃんの指を握りしめる。ちっちゃな手で。
アヤナミちゃんのあの時のあの表情……彼女の中に何かが芽生えたことが判るシーンです。
彼女が消えてしまう前の日、今度はスーツを介さずに素手で触れます。
シンジとは結局触れあわずじまいなので、彼女が最後に触れるのはツバメちゃんなのです。

・ケンスケの持ってくる酒
瓶になにやらいろいろなラベルが貼ってあります。
管理するための番号・記号なのでしょうか。
ヒカリ父とトウジの喜びぶりから、酒が貴重であることがわかります。
必需品ではないので、生産の優先度が高くないのでしょう。
少し後に出てくるヒカリ父の「貴重な食事」というセリフや、食卓の風景でご飯が質素なことを通しても、厳しい環境で生活していることがうかがえます。
そんな中でケンスケがこの場に酒を持ってくるということは、シンジたちとの再会を彼が祝ってくれていることの証ですね。

また、この時、ケンスケが部屋に入ってきても、アヤナミちゃんはツバメちゃんのことを眺めたまま振り返りもしない。
アヤナミちゃんが、どれだけツバメちゃんに惹かれているかがわかる演出です。
嗚呼……。

・「せっかくの奇跡の再開や」
ヒカリとレイが寝室に移ったあとのシーンで、ふすま超しに聞こえてくるトウジのセリフ。
シンジが生きていたことを本当に喜んでくれているんですね。
また、村で生き残っている人たちが、人が生きているのがどれだけ有難いことかをかみしめながら生きていることも伝わります。

・アスカの話題は出ず
ヒカリもトウジもアスカとは同じクラスだったのに、一言も話題に上りません。
諸事情あって村には来れないにしろ、この先も触れられないのはちょっと不自然じゃないかと思うんですよね。
まぁ、アスカが村に来るのは初めてのことではないようなので、あらためて話題にすることじゃないのかもしれませんが…。
後述しますが、私としてはちょっと、ここに不穏なものを感じます。

・ふすまのもよう
トウジの家ではふすまが三種類映ります。
居間を挟むふすまはそれぞれ、「円形の模様。花火みたいな感じ」「色鮮やかな四角が重なり合っている。ATフィールドみたいに見える」というもの。
寝室のふすまは、「親鳥一羽、後ろに小鳥が三羽続いている」というもようでした。
なんか意味がありそうな気がするのですが、自分としては、特に思いつくものがありません…笑

・授乳をちょっと離れたところから見るそっくりさん。
ツバメちゃんをじっと側で見ていたところとは打って変わっている。
近づきすぎて、ヒカリに注意されて一歩下がったかっこうなのでしょうか。
さっきまでツバメちゃんを食い入るように見つめていたので、隣の部屋に移ったとて間近で眺めたいんじゃないかな…と思ったりはしました。

・「そっくりさん、あなたにはまだ無理よ」
自分の乳を淫らに揉みしだくアヤナミちゃんに対して告げるヒカリ。
なんでまだ無理なんでしょう…と思ったので考察を。
トウジと一緒に妊娠中の猫を見かけた時に、あやなみと猫の間のレールが強調して写されていました。
これはあやなみと猫の間に不可侵な境界線があるという意味あいなのかと思ったんです。
もちろんストーリーの先でレイは消えてしまうので、子どもが好きだけど子を持たないまま最期を迎えることの暗喩かもしれませんが、彼女にはもともと生殖機能がないのかもしれませんね。
ここで言うなら、畳という境界線を見出すこともできます。
しかし、エヴァの暗黙のルール「母は全員死ぬ」に則って考えると、ツバメになつかれまくったり、母胎に回帰したがるシンジに栄養を供給するなど、アヤナミちゃんの魂は母的なものになっていたのかもしれません。

・「違っていいの?」
綾波レイならどんなふうにするのかわからない、とつぶやくアヤナミちゃん。
ヒカリは「自分が思ったようにすればいいの」と返します。
この「綾波なら」の刷り込みをしていたのはシンジです。
Qの時は何も反応していなかったように見えていたのですが、ピュアピュアなアヤナミちゃんはシンジの影響を受けていたんですね。
嗚呼泣けます。

・ヒカリの親父も何もしてない人なのでは
ヒカリの父さんですが、何か仕事をしている風ではないですよね。
でもシンジのことはしっかり叱る。
映画の後半では、村のみんなが外に出て世界に起きている異変と対峙しているときでも、ヒカリのお父さんは家の中で黙って酒を飲んでいます。
ここをどう受け取るべきなのかはわかりませんが、酒を飲む背中をクローズアップまでしているので、庵野さんは何かを読み取らせようとしているはずです…。
彼はおそらくニアサーで、ヒカリ以外の二人の娘を失っていると思うのですが、そういったトラウマから立ち直ることができていないということなのだろうか。
わからん…。
鈴原家の居間にも、仏壇と遺影が飾られていますし。

ところでヒカリの父ちゃんはブンザエモンというらしいです。
どう考えても古風すぎるのですが、おそらく、モヨコ夫人の『さくらん』という江戸時代の遊郭を舞台にした漫画から取られています。
こちらの文左右衛門はお金持ちでスケベな隠居という設定。
さくらん自体は未完なのですが、主人公とこの文左右衛門が初めて出会うシーンでは「これが初めての出会いであった」というモノローグが入るぐらいなので重要なキャラクターであるはず。

・ケンスケ、やたらと登る
ケンスケが歩くシーンでは、いろんなところに登りますね。
家も山をちょっと登ったところだし、シンジと一緒に仕事に出るシーンでも山を登って水源に行きます。
なにか意味がありそうですが、私にはわかりません!
しかし村の住民が暮らしやすく平坦なところにいるのに対し、見晴らしの良い高いところや水源の確認をするのが「何でも屋」だってことなんですかね。
しかしそれだと、自分の家を高いところに建てた意味まではわからない…。
アスカが見張り台に立って空を眺める絵があったし、アスカもケンスケも高いところが好きなんでしょうか…。
ケンスケは上空に浮遊するヴンダーを発見して、かつてエヴァを撮影できた時のように少年のような驚き声を挙げたりするので、もしかしたら空への憧れが彼を高いところへ向かわせているのかもしれません。

・素っ裸アスカ
破の共同生活開始シーンで、アスカの裸を見ちゃう展開のリフレインですね。
シンジはうつに陥り、彼女の裸に興奮できない。
アスカはアスカで、おそらく自分に女としての価値を見出さなくなっているので、かえって見せつけてみる。けれど無反応なシンジ。痴女やんか。痴女少佐。

・「しばらくここにいると思う。わけあって式波は村には顔を出せないんだ」
「別に。リリンが多くてうっとうしいだけよ」
この、アスカが村に行けない理由は劇中では明かされません。
アスカと村のかかわりを列挙すると、以下のようになるかと。
■村に行けない
■「ここは私の居場所じゃない、守るところよ」
■廃墟には行ける
これとプラスして、直接的な言及ではないものの、アヤナミちゃんがケンスケ宅を訪れた際の反応を挙げたいです。
ベッドの上でピコピコゲームをしている彼女は、ドアをノックする音(ノックせず、入口に立った音か?)に反応して枕の下から銃を取り出します。
そして銃を構えたまま、キャビネットに身を隠しつつ「誰?」と警戒しながら訪ねる。
レイだとわかると銃を下ろし、ドアを開けに向かう。
そもそもあの部屋の構造自体、ドアの前にキャビネットを配置しており、襲撃に備えたような配置になっているのでは…?
少なくともアスカは、枕の下に武器を忍ばせているので、彼女が大いに警戒心を持っていることは間違いありません。
ここから考えるに、アスカは村の住民たちと、暴力沙汰に発展しかねないような問題を起こしたのではないかということです。
銃はおそらく人を失神させる程度の威力なのでしょうが、それを構えて応じなければいけないくらいですから、相当なことですよね…。

このことは後述します。

・よっぽど辛いことがあったんだろう
カヲル君が爆死した状況を、多分この時点では誰も知らないんですよね。
アスカは、状況からそれなりに察しているんですかね。
ここで「今はそれでいい」と言ってくれるケンスケは、本当に大人になったんですね。

・アスカのパンツと腰骨の間の「浮き」
考察でもなんでもないんですけど、寝ているアスカの腰骨とパンツの間に出来る「浮き」の部分が気になりました。
50代後半にして、よくこんなフェティッシュな描きこみをアニメーターに描かせようと思ったな、庵野さん笑
私はアニメでこんな表現を初めて観ました。
寝返りを打ってもこの「浮き」は変わらず描かれているので、相当こだわって浮かせているはず。
ほんとにすごい。

・ケンスケの服借りてんちゃうか!?
アスカはTシャツを着て寝ていますが、ややオーバーサイズに見えます。
もしかしてこいつ、ケンスケのTシャツ借りて寝てるんじゃないですか…?
そんなわけないよねアスカ…。
しかし、窓際にはアスカの服が干してある絵も挟んでいる。
アスカがケンスケの服を着て寝ているなんて、考えるだけでも胸が苦しい。。。
彼氏の家に泊まって、服を借りているようではないですか。

・ケンスケとアスカ
本作を観てアスカガチ恋勢は瀕死の状態でしょう。
かくいう私も死にかけています。。。廃墟の湯船で発見された飛鳥のような顔で日々なんとか生きています。
しかしながら、庵野さんもおそらくアスカガチ勢。
二人の関係について、具体的な描写を避けていることから、それがうかがえます。
多分ですけど、TVアニメ版の加持とアスカみたいな感じで、性愛関係にはないものと推測しています。
この先どうなるかはわからないけど……。

・ケンスケ、泣くシンジをちら見
泣いているシンジに背を向けているケンスケですが、彼の姿をちらりと見やります。
その目が少し「冷めた」ように見えるのは僕の気のせいでしょうか。
少なくとも、「シンジ、俺を頼ってくれよ」という目には見えない。
そして、二人の距離感を強調するように、二人の間に敷かれる電車のレールがアップで写されます。
また、シンジは床に段ボールみたいなのを敷いた上で寝ていますが、ケンスケは簡易ベッドの上に寝ているように見えます。
シンジ、寝床については冷遇されている感がありますね、確かに(笑)。
まぁ、朝6時に起きて仕事に出ないといけないのに、同じ部屋で何もしゃべらないシンジがシクシク泣いてたらうざいっすよね…。
ましてや、普段は飲まない酒も入っているので、早めに寝ておきたいかもしれないし。
ここから先何度か、シンジの話をするときのケンスケの表情がちょっとフクザツそうに見えることがあります。
この問題は後述しますが、声優さんが、「シンジに対する羨望もある」と語っていたので、そこもヒントになるかもしれません。

・歌曲好きじゃないかも。。。
エヴァの劇中の歌曲、そんなに好きじゃないかもしれないっす…。
英語で歌われてたりするのですが、歌詞を読むとすごく直接的だったりしますね……なんか苦手なんですよ、ちょっと。

・れいの寝ぐせ、はんてん
「かわいい」という感想を言いたいだけです。
これまでのレイよりも、やはり幼児性が強調されているように思います。
ところでここでは、ヒカリはツバメちゃんをおんぶしながら料理をしています。
後の梅干しの話をするシーンでは、レイが代わりにおんぶをしていて、ヒカリは洗い物に専念できています。
レイが順調にここに居場所を作る≒仕事を得ていることが分かるシーンですね。
(だって、別にお料理している間は赤ちゃんを寝かせていてもいいわけだし…)
はんてんはかわいらしいのですが、どこか「ゼーレ」をほうふつとさせる色合いで、ちょっとだけ不穏に感じます。

・橋を渡った場所で仕事の話
レイが仕事の説明を受けるのは、小さな川の上にかかる橋のそば。
おそらくその橋を渡った場所で仕事をしているはず。
「橋」は物語構造上重要な要素ですね。

・おばちゃんたちが昭和のイメージ過ぎでは
おばちゃんたちがちょっと田舎っぽい言葉遣いをしていますが、場所的に考えると静岡県なので、そんなに方言が強い地域ではないと思うんですよね……ましてや、一応自体は2028年とかなので、方言が弱くなった時代だと思います。
おそらく『となりのトトロ』や『おもひでぽろぽろ』のような、ちょっとノスタルジックな昭和観を再現したいだけなのではないかなと思ったりします。

・チャリ、原付、車
使うシーンはありませんでしたけど、ケンスケの家には原付も置いてありましたね。
車とチャリがあるというのに、いつ使うんだろう…アスカがこれに乗るのかな。
ケンスケの家は少し山を登ったところにあるので、原付は不便そうですが…チャリなら軽いし持って登れる。

・命令ならそうする。「命令じゃなくてこれは仕事」「仕事ってなに」
「考えたとないねぇ」「みんなで汗水流すってことかね」
仕事や労働を通して人物の成長を描くというのは、宮崎駿がこだわって描いてきたストーリーです。
仕事について、このように言葉で言及してくるあたり、「第三村はジブリの暗喩か?」という考察が飛び交うのも頷けるというもの。

・せっかく植えた苗が
すっころんだアヤナミちゃんに対して、白髪を後ろで結んでて顎がシャープめのオバサマが「ああぁ、せっかく植えた苗が」と言う。
あと、「あんただけテンポ遅いのよ みんなと合わせな」と言うのも、確かこの人。
ここ、すごく優しいシーンにするなら、「大丈夫?」とかって気遣いの言葉が先にきてもいいと思うんですけど、それよりも先にダメになってしまった苗について口にします。
言い方はアヤナミちゃんをとがめるようなものではありませんが、決して甘い接し方でもないことを示していると思います。

また、アヤナミちゃんは他の人の仕事を台無しにし、作業にも遅延を生じさせているので、本来ならば謝罪した方がいいはずですが、彼女は「ごめんなさい」を知らないので、ぽけっとしているだけですね。
彼女が教わる言葉の中にお詫びや謝罪がないのは、この映画のスタンスを示しているのではないかと思います。
製作が遅延していたことを詫びるのではなく、完成された作品の内容とクオリティを持って、「待っていたことが無駄ではなかった」と思わせる、という職人気質な態度なのではないかと。

・ねぎらいの玉ねぎを渡すのは少女
みんなで収穫した作物を川(池か?)で洗っている際に、少女が「これ。初日からよく働いたから特別だって」とアヤナミちゃんに玉ねぎを渡します。(違う作物だったかも…)
そんな少女の様子を、隣に座るあごが細めのおばさんがちらっと見やります。
このおばさんの指示で、少女はアヤナミちゃんに作物を差し出していることが読み取れます。
直接ねぎらうのではなくて、人づてに渡すところとか、いい上司って感じなのかな。

また、「頑張りぶり」が評価される世界だということも、よくわかりますね。
もちろんニアサー後の世界は物質的な余裕もないわけで、労働力を提供できないと、第三村には非常に居心地よくないでしょうねぇ。
「なんとかノルマをまかなえたね」というセリフからも、一人一人が担う労働の量は決して少なくないことがわかります。
僕は出来損ない人間なので、第三村にいたとしたら生き残れるかなぁ…と思っちゃったりもしますね…。
ニアサー後の厳しい世界を生き抜いてきただけあって、みんながたくましいんですかね…。
庵野さんの作品の登場人物って、みなストイックなんですよね…それか、シンジくんみたいに何もしたくないモードになっちゃうか。。
庵野さんは立ち直れるかもしれないですけど、みんながこう、たくましく生きられるわけではなくないかな…と思ってしまうこともありますね…。

また、アヤナミちゃんの労働初日のシーンではこの少女と、エリザベスカラー付きのわんこが一緒にいますが、このシーンではワンコがアヤナミちゃんのことを見ているように思えます……別な方を見ているようにも見えるので、微妙なところなんですけど。
彼女に魂が芽生え始めているので、ワンコも認知するようになったということなのかもしれません。

・少女の声、林原さんかと思ったら、多分伊瀬茉莉也さん
第三村で何度か登場して、アヤナミちゃんにいろいろしてくれる前歯が抜けた少女。
このキャラクターの声優は林原めぐみさんなのかと思っていたのですが、どうやらミドリ役を務める伊瀬茉莉也さんがやっているっぽいですね。
伊瀬さんが声優を務める理由を考察してみるのですが、そもそも伊瀬さんは安野モヨコさん原作の『シュガシュガルーン』で登場人物の声を当てていたのです。
そしてシュガシュガルーンアニメ版のパーティで、モヨコさんの旦那として出席していた庵野監督に話しかけて、『ラブ&ポップ』のDVDをプレゼントされたそうです。
そんな伊瀬さんがQからエヴァに参加する際に、その縁がきっかけになっていたかはわかりませんが、伊瀬さんはシュガルンでの出会いの時から庵野監督の作品に参加することを夢見ていたそうです。
そんな伊瀬さんがこの少女の声優に使われているのは、第三村の図書館にシュガシュガルーンのポスターが貼られていたり、ケンスケのセルフビルドハウスにシュガシュガルーンのステッカーが貼られていることと合わせて、シュガシュガルーンとの結びつきを作るためなのではないかと思います。
自分としてはなぜシュガシュガルーンこんなにたくさん登場してくるのか、わからない部分ではあるのですが…。
この機会にシュガシュガルーンの漫画版は読破してみたのですが、内容には直接的な結びつきはなさそうです。
ただ、基本的にキャラクターの関係性が「両思い」になることはない点とか、恋愛感情が必ずしも清いものではないといったメッセージが根底にある感じなどは、第三村パートと似ていなくはない。
(とはいえ、その点はモヨコさん作品に共通しているところではありますが)

・新世湯
電車の車両を改装して作られているであろうお風呂場ですが、「記念湯」と「新生湯」と看板が付いていました。
どういう意味なんだろう…新世紀と新生湯をかけてるの…? そんなことないよね。

・マジ、ウザイ
部屋をほうきで掃除するアスカさんより発せられる一言。
アヤナミちゃんに「何もしていない」と言われるものの、おうちの中の仕事はちゃんとやっているんですねアスカ。
この「マジウザイ」の口元をクローズアップするのって何なんでしょうね…。
宮村さんはQでは「アスカは武将になったのだ」みたいな演技指導を受けたとのことですが、特にシンでは口調が14歳っぽくなってると思うんですよね。
アスカは自分を「大人になっちゃった」と言っていましたけど、言うても14歳のままじゃんって感じを出したかったんですかね。
「大人になったと思ったけど、そんなに大人になれていなかった」という人物描写であれば、ストーリーの流れとも合っている気がしますし。

ところでこのシーンでのアスカは、パンツに前はだけのパーカーを着ているのみで、首元にはスカーフを付けていません。
チョーカーをシンジに見せないための配慮としてスカーフを巻いているのではないかと思っていたのですが、ここで外しちゃっているなら、その読みは外れている気がする。
シンジに配慮するのが面倒くさくなったから外しているのかなぁ。

・ゲームを消して蹴りに行く
アスカ、「もううんざり。それ、こっちもしんどいんだけど」とシンジを蹴って起こそうとします。
しかしシンジはアスカの首からDSSチョーカーを想起してしまい、また嘔吐。
ところで劇中、何度か「アスカのゲーム機の電源が切れている」絵が差し込まれます。
「うんざり」って言ってるアスカの声にかぶって、電源が消えたゲーム機が画面に映りますね。
主に、アスカがシンジ君のことを気にかけているシーンで、ゲーム機を手放していることがうかがえます。
今でも、アスカの関心の中心はシンジだということを暗示する描写なのでしょうか。
ケンスケがいなくなったシンジについて尋ねるシーンでも、ゲームをプレイしたまま話していますからね。
しかもゲーム機から視線を外すことなく、ケンスケの方を向いてもいない。
そう考えるとアスカにとってケンケンって、強い関心があるわけでもないのかなぁと…。
アスカが寝取られたことをいまだに受け入れられない私が、僻みから歪んだ見方をしているのでしょうか…(´;ω;`)

・シュガシュガルーン
庵野総監督の夫人である安野モヨコ氏の作品「シュガシュガルーン」。
シュガシュガルーンのキャラクターが2か所に登場しています。
まずはケンスケのセルフビルドハウス内、シンジのねぐらとアスカのベッドルームとを隔てる壁に沿って置かれたキャビネットの側面に、キャラクターのステッカーが貼られています。
このキャビネットは2回か3回は写されますね。
次に、トトロと同じく、あやなみが入る図書館。
車両の中央に並ぶ本棚の側面に、でかでかと映るポスターに描かれています。
この絵は画面の中央に配置されているので、おそらく多くの人の目に入ったかと。

・レーションぶち込むアスカ
すごい絵。
あれはCGでしょうか…カメラもがたがた動くし、手書きだったらとんでもない労力ですよね。
カメラで撮影したものを手書きでアニメにしているのかなぁ。
この映画で一番見応えがあるシーンかと(笑)。
Qにおける、いろいろショックを受けすぎてふらふらしながら廊下を歩くシンジ、それを捉えるカメラと背景もぐらぐらしまくっているというシーンと同じくらいのインパクトがありますね。
庵野さんがアニメを作る時に、他の人がまだやったことのない映像表現を追求していることがよくわかりますね。
ここでアスカちゃんは「あんたはまだリリンもどき」と言っていることから、シンジもやがて人ではなくなっていく定めであることが暗示されます。
ところで、マリは多分使徒だから年を取らないのだろうし、アスカも使徒の浸食を受けているから人ではなくなりつつあるのでしょうけど、Qで明かされた「エヴァの呪い」って具体的にはどんな設定なんでしょうね…。
エヴァに乗るとなぜリリンではなくなってしまうのでしょう…謎。

・「そもそもエヴァに乗らないで欲しかったわ」
庵野作品においては、「庵野さんが創作と向き合う時に考えていること」がキャラクターの口から語られることがあります。
庵野さんにとっては「自分が社会に唯一役立てるのが作品作りという方法だ」という考えがあるため、作中で「仕事」についての台詞が出てくるときは、それがそのまま庵野さんにとっての「創作論」として解釈できるものが多くあります。
ここで言う「そもそもエヴァに乗らないで欲しかったわ」は、Q完成後に出社できなくなるほどの状態に陥ってしまった庵野さん自身への言葉ではないでしょうか。
アスカって、庵野さんのストイックな部分を象徴するキャラクターのように思うんですね。
ドキュメントで、庵野さんはアニメーション制作をする動機について「これしか自分が社会に役立てることがない」と語っていましたが、ほぼそのままの台詞が、アスカがエヴァの乗る動機として語っていたことからもそれがわかります。
ここでシンジにアスカが言う台詞って、鬱状態で何も出来ない庵野さんを、躁状態でバリバリ仕事に精を出している庵野さんが叱咤しているようなものなのかなと思いました。

・トンネルに電灯
家出したシンジ君が、またまた悲壮的な音楽をバッグにふらふら徘徊しておりますね。
ここでトンネルを通りますが、トンネル内の電灯に光が灯っています。
別に考察するところではないのですが、電力もまぁまぁ貴重なエネルギーだと思うのですが、あんまり人が通らなそうなトンネルに電気付けてていいのかな…。
線路が引いてあるし、電車が通る時のために付けているのでしょうか。
あるいは太陽光で作った電力を、トンネル内に自動的に回すような設計になっていて、その回路を切り替えることができないとか?
なんにせよ、「あまり人気のないトンネルだが電機は付いている」ことになっている理由は、何かあるのではないかと思います。
アニメはそのような意図がないと、絵として上がってこないものなので…。

・廃墟
シンジが行きついた先が、具体的に何の施設だったかはわかりません。
しかしこの施設は子宮のモチーフと取ってよいでしょう。
ジブリやディズニーの映画で「子宮」モチーフは頻出します。
水に囲まれていたり、狭く閉塞した空間であることが多いです。
また「主人公を守ってくれる・停滞させる場所」の舞台として、そこが使われることもありますね。
これらはポジティヴな要素でデコレーションされることも多いのですが、主人公の成長や挑戦を止めてしまう場でもあるので、主人公はその場を出る選択を取ることが多いです。
母胎回帰の願望を反映しているのでしょうが、シンジ君はこの後、アヤナミちゃんから二度のきっかけを与えられて、外の世界に出ていくことを選ぶのです。
カヲル君のいう「相補性のある世界」への帰還を果たすのは、シンジ君に大切な感情を教えてもらったアヤナミちゃんであることが、この物語の序盤の流れです。
いい話なんすよ…。
しかしこの家出先は半壊しているので、もうすがれないことは自明なのに、それでもどこかへ逃げ込みたがっている。
また、場所が水際なので「これ以上は逃げられない」ということも暗に示していますね。
対岸には痛ましく倒壊したビルの等もあることから、自分が招いた大災害から目をそらせないシンジの心理の描写でもあるかもしれません。

『大人は判ってくれない』という名作映画で、シンジくんと同年代の少年主人公が、様々なことから阻害され、最終的に逃亡するのですが、ラストシーンでは海に行き着きます。
そして海の向こうを見据えた後、カメラの方を振り返ったところで映画は終わります。
映画評論家の町山智浩さんは、そのシーンを「地勢的に、どこに逃げようとしても、最終的には地の果てである海にたどり着くことになってしまう。この映画の主人公はそれを悟り、逃げることを止め、立ち向かうことを決意した」といった感じで解説されていました。
「逃げようと思ったけど、結局物理的に逃げ切れないことを知る」という点で、この場面のシンジくんも似たような状況なのだと思います。

・ペンペンよかった
ペンペン生きててよかったね(´;ω;`)
でも、第三新東京市からここまで、地理的にだいぶ離れているけど、どうやってここまで移動してきたんだろう…。
トウジとかに連れてきてもらったのかなぁ。
アニメ版では、終盤になると、ミサトがペンペンをヒカリに預かってもらうことをぼそぼそしゃべるシーンもあるので、ヒカリが連れてきてくれたんですかね。
でも繁殖しているということは、他にも複数の温泉ペンギンの個体がいたということですよね。
うーん…どうなってるというのだ。

・「先生の話によると自分の名前を忘れとるようじゃけど」
アヤナミちゃんと一緒に入浴している叔母さんの台詞。
アヤナミちゃんの出自について、トウジが偽装しようとしていることが窺える一言。
アヤナミちゃんが「ゼーレに作られた」「エヴァパイロット」だと知られると、多分村の人々が歓迎しないのでしょう。
けど、それにしても、「先生の話によると」という情報を先に告げてくるところ、田舎の陰湿さがちょっと出ている気がするのですが……気のせいでしょうか(笑)。
アヤナミちゃん本人に訊けば済む話を、わざわざ別ルートから確認を取る感じがまず田舎っぽいし、それを本人にそのまま伝えちゃうところも、「変な動きに出るなよ」という無言の圧に感じます……嗚呼、田舎。

・「名前、付けていいの」
叔母さんたちに「名前を自分で付けたらええじゃないの」と言われたレイの返答。
トウジとヒカリと生活を共にしていますが、やはり彼らも綾波の存在を知っているため、あくまでも綾波をベースにして「そっくりさん」と呼ぶようになる。
それに対して、一緒に働くおばさんたちは、綾波のことも知らないし、「わけありそう」なアヤナミのことを詮索しもしない。
まっさらな、一人の人間として彼女のことを受け入れてくれた初めての存在。
だからこそ、アヤナミちゃんを、唯一の存在である証として識別できる「名前」を聞いてあげるのだと思います。
自分だけの名前があってもいいのだと、アヤナミちゃんはこの時初めて気づくんですね。
これまでゼーレの目的遂行のためだけに存在するモノのように扱われながら生きてきたのだから、当然といえば当然でしょうか。
嗚呼…泣ける。

これは多分、「エヴァっぽいものを作らないと」という強迫観念に駆られたスタッフ、というか庵野監督が、自分で自分に言い聞かせているんじゃないかと思います(笑)。
第三村パートはこれまでのエヴァで表現されなかったことをたくさんやっていると思うのですが、観た人でこのパートを好きじゃない人ってそんなにいないと思うんですよね。
というか大方が絶賛のムードだと思います。
僕も第三村のパートだけで、無限に泣きます……。

単にストーリーの流れの中で観ても、Qでシンジから「綾波」であることを押しつけられてきたアヤナミちゃんが、第三村の人の輪の中で、初めて、「綾波」でも「エヴァ9号機のパイロット」でもないアイデンティティを受け入れられているわけです。
そして人のアイデンティティの象徴でもある「名前」を訪ねられ、それを持たない自分を再認識する。
それが彼女にとっては当たり前なことなのに、小母さんたちは「自分で付けたらええ」とあっさりと告げる。
そうする自由があるのだ、ということを初めて意識するアヤナミちゃん……。
彼女の自己認識と、小母さんたちの普通さのギャップがとても良い効果を出しているシーンです。
好き。

・泣き止んでるシンジ
ケンケン宅では泣いていたシンジですが、家出後に廃墟で寝ているときには涙は流していません。
時間の経過で傷が癒えているのか、それとも不安定な精神なので涙が出るタイミングは自分でもわからないのか……。
アスカの叱咤が聞いてむやみに悲しむことを止めたのか、それともアスカの言うとおり「つらいアピール」の側面もあったから一人になった時には泣かないのかもしれません。
つらいアピールと言っても、それが意識的なのか無意識なのかは自分にも分からないことかもしれないです。

・一応雨が降ると、避けて施設の下に行くシンジ
雨が降っているシーンで、シンジは施設の下に逃げ込んで雨宿りをしています。
本当に死にたいと考えているなら、濡れても構わないはずじゃないですか。
雨が降ると濡れる。
濡れると寒い。
寒いと、風邪ひく。
シンジがどこまで考えているかはわかりませんが、自衛はしているということですね。
まぁ家出をするのも自衛といえば自衛ですよね…アスカが嫌なことするから別の場所へ行く。
音楽が壮大だから悲劇の逃避行っぽく見えるけど、ほんとにただの家出だ。
で、それを「家出」とちゃんと見抜いて言葉にするあたり、アスカはやはりシンジよりは大人ですね。
アヤナミちゃんが置いていったレーションはしっかり食べるし、雨が降ったら濡れないところにしっかり非難するし…。
本気で死のうとは思っていない自分が嫌だから、シンジは涙を流してレーションを食うのかもしれませんね。
あと野暮な突っ込みですけど、水を飲んだり排泄をしたりといったことは自分の意志でやっているはずですしね。
生きているのも嫌なのに、生存に必要な行為は習慣通りにやっちゃう。
そんな自分がまた、嫌になっちゃう……そんな経験、ありませんか?

・レイ、傘の振り方が下手?
電車車両を改装して図書館が作られています。
アヤナミちゃんは中に入るため、持っていた傘を閉じて、滴を落とすために傘を振るのですが、振り方が下手なように思います。
じゃがいもが入ったボウルを片腕で抱えていたとは言え、「傘を水平に構えて上下に振る」という動作は水滴を落とすのに効率的ではないと思うんですよね……。
あれは、アヤナミちゃんが、「傘を使う」ことそのものに慣れておらず、「屋内に入る時には水滴を落とした方がいい」ということだけは知っているから取った動作なのではないかと思いました。
深読みですかね……。

・トトロ
エンドクレジットで「となりのトトロ」が出てくることから、どこにトトロが使われていたのか気になっている人も多いはずです。
あやなみが入る図書館にポスターが貼ってありました。
入口とは反対側の窓に貼られています。
画面に対して斜めに張り付けられているので、大画面で観てもどのような絵になっているのかはわかりませんでした。。。
しかし「となりのトトロ」のロゴはうまいこと見えるよう計算されていますね。

・オチビサン
こちらもモヨコ夫人の作品からの登場です。
庵野総監督の前作「シンゴジラ」でも、このオチビさんがTV画面に映るシーンがありましたね。
図書館にラクガキがあったのと、アヤナミちゃんが手渡される絵本がこのオチビさんの「オチビサンとやまあらし」でした。
ただし、この絵本は実際に出版されているものではなく、劇中に登場させるために描かれたオリジナルです。
これがまた、物語において重要な役割を果たしていましたね。。。
エヴァにおいて「やまあらし」と言えば、リツコの口から語られたヤマアラシのジレンマでしょう。
実際の心理学では「ハリネズミのジレンマ」なのですが、エヴァではなぜかハリネズミではなくヤマアラシと言われていますね。
ハリネズミだとかわいくなっちゃうからかなぁと思うのですが…この言い換えの理由は不明ですね。

この絵本で、シンジとアヤナミちゃんの関係性を示唆していると思うんです。
絵本の表紙では、近くにいるやまあらしをオチビさんが振り返っている格好です。
台詞などはありませんが、おそらくやまあらしがオチビさんに近づいてきたのではないでしょうか。
その後、あやなみちゃんが絵本を開いているシーンでは、「突然後ろを向いて走り出したやまあらしを、オチビサンが「おーい まてー まてー」と言いながら追いかけている」状態です。
前者がQでコミュニケーションを試み続けたシンジと無反応なアヤナミちゃん、後者がシンジへの好意に気づいて一緒にいたがるアヤナミちゃんと、過去にとらわれ続けるシンジなのではないでしょうか。

ちなみに、オチビさんは、モヨコ夫人が身心が疲弊し画業を休業していた時期にも続けられていた作品です。
そういった意味でも、うつ状態に陥っているシンジを救うきっかけとして使われているのは意図的であると言えます。

・「教えといてあげる」
アヤナミタイプは碇シンジに好意を持つように設計されているという情報を吹き込むアスカ。
これはアヤナミちゃんへの意地悪なのか、彼女のことを試そうとしているのか……いずれにせよ、優しい心遣いとは言いがたい内容。
しかしアヤナミちゃんは「いい。良かったと感じるから」とだけ返し、アスカはシンジの居所を伝えます。
アスカはアヤナミちゃんを試す門番だったのですね。

この「プログラムされている」という事実に対して「いい」とだけ返すレイ。
TV版制作時には、自分たちの作る者や考えることがすべて、既存の創作物の影響の上にしかないことを悩んでいた庵野さんの心境も重ねられているのではないでしょうか。
きっと今の庵野さんは「それでいい」とはっきり胸を張れるようになっているはず。

・式波タイプは感情をプログラムされていないのか?
アスカはアヤナミちゃんに「あんたたち綾波タイプは、第三の少年に好意を抱くようにプログラムされている」と冷たく告げます。(作られているという言い方だったかも)
では、式波タイプはどうなのでしょう…。
シンジに反発するように仕組まれているとか、自分は一人だと自分に刷り込み続けたりする性質を持っているように思うけど。
あるいは彼女もシンジには好意を持つように仕組まれているけど、このアスカ固有の性質として、ストイックな人間じゃないと認められない性格になっちゃっているとか…。
考えすぎっすかね。

あと、「無調整ゆえに個体を保てなかった」って冬月の台詞がありましたけど、ここでアスカの言う「第三の少年に好意を抱く」という調整もされていなかった可能性もあるんじゃないかと思ったのですが……。
もしそうだとしたら、アヤナミちゃんは、仕組まれたプログラムなどではなく、一人の人として、シンジに惹かれて献身したのだということにもなりますよね。
だとしたら私は、だいぶ感動するのですが……。

・よく考えたら、なんでここに人形があるの?
アヤナミちゃんがケンケン宅を訪れる前、アスカは破の時と同じようにハンドパペットで一人遊びをしています。
よく考えてみたら、アスカのハンドパペットは、なぜケンケン宅にあるのでしょう…?
このハンドパペットは、アスカが布を継ぎ接ぎしているものなので、同じものは2つとありません。
(この人形を捨てきれないあたり、やはりアスカは「大人になっちゃった」とは言えない精神年齢ですよね。彼女の移行対象であり、イマジナリフレンドなのは間違いありません)
この人形が最後に登場したのは、破での参号機の起動実験時。
アスカがミサトと電話で話す素敵なシーンがありますが、アスカを運ぶゴンドラの中にこの人形もありました。
参号機起動時の爆発は大きなものだったので、この人形がなぜ残っているのかは不明ですが……笑(人形、二体目とか?)
彼女の生活の拠点はヴンダーであるはずなので、荷物は艦内にあるのではないかと思うのです。
Qのラストの戦闘時に、このパペットをエヴァに持ち込んでいたといった描写はなかったはずなので、ケンケン宅にこのシーンより前から置いてあったと考えるのが自然です。
アスカがめっちゃ大事にしていて、エヴァ搭乗時にも持ち込んでいて、そのままここまで持ってきていたという可能性もなくはないのですが…。
ケンケン宅にハンドパぺットがある理由を考察します。
■アスカはケンケン宅にまぁまぁ来ることがあるので、こちらに置いてある。
■アスカは人形離れしたくて、敢えて人形を自分の手元に置かないためにケンケンに預けた。
■アスカが捨てようとしたが、ケンケンが保管することにした。
などなど。
僕としては、アスカがヴンダーに登場する際は「武将」にならねばならないから、自信の幼児性を象徴するこのパペットは持ち込まなかったのだと思います。
で、たまの機会にケンケン宅を訪れた時には羽を休めて、このように人形遊びに興じたりする。
子どもの頃に遊んでいたおもちゃが実家に残っているような感覚なんですかね。
もしかすると、Qのラストの戦闘がうまくいかなかったことは、アスカにとっての挫折経験のようなものになっているのかもしれませんね。

でも、ケンケンがヴンダーを珍しがっている描写があるので、アスカがちょいちょいこの村に滞在していたというストーリーは考えにくいです。
ただし、「諸事情あって」と語られていた点から、アスカは以前は第三村の人々と関わっていた可能性は高い。
トウジやヒカリもアスカについては話を出さないし……ほんとに、何か因縁を感じますよねぇ……。

ケンスケ、マインド的には家出JKを部屋に泊めてあげるエロエロおじさんなのでは…?

ところで、このハンドパペット遊びをしている際ですが、アスカのベッドの脇には透明なボックスが口を開いた状態で置いてあります。
その後、アヤナミちゃんが部屋に入ってきた時には、そのボックスの蓋が閉じられている。
おそらく扉の鍵を開けてアヤナミちゃんが入ってくる間に、パペットを閉まったのでしょう。
アヤナミちゃんがパペットを見て「それは何?」と尋ねてくることはないだろうけど、アスカ自身、まだハンドパペットから離れられていないことを恥ずかしく思っていることがわかります。

・「あなたはこの村にいて何もしないの」
レーションを持ってってと頼まれたあとの発言。
アヤナミちゃんは、「仕事」の概念を学び始めている。

・「守るところよ」
やや怒りのこもった表情で返すアスカ。
居場所……ホームではないんでしょうね。
しかも怒って言うってことは、やはりアスカは第三村には歓迎されていないのでしょう。
ケンケンハウスでもホームのような安心感は得られていなさそうです。

・勉強するれい
モンタージュで描かれるシーンで、アヤナミちゃんは子どもたちに交じってケンスケの授業を受けています。
ここで授業を受けていることで、後にアヤナミちゃんが鈴原家を去る時にお手紙を書けることにも繋がっていますね。
ケンスケ、中学生の頃は勉強が得意ではなかったとような気がするのですが、子どもたちの先生としてしっかりいい感じにやっている感じがしていいですね。

・オバサンたちはずっと笑ってる
同じくモンタージュのシーンで、アヤナミちゃんはおばさんたちと一緒に様々な仕事に従事します。
このおばさんたち、仕事中もずっと口を大きく開けて笑っているのが印象的。
この人たちと一緒に過ごしたことで、自然の「笑う」ことも覚えたのでしょうね。

ところでこのモンタージュで使われる止め絵は、前田真宏さんによるものだそうです。
庵野さんはシンエヴァを作る際に「真宏にはたくさん絵を描かせてやりたい」と語っていたのだとか。
いろいろなところで語られていますけど、庵野さんの作品はいろいろなクリエイターのアイデアや良さがブレンドされている気がしますね。

・空を見上げるアスカ
物見の塔に上り、それを見上げるアスカ。
早くヴンダーに帰りたい、という心理の現れでしょうか。

・おたまじゃくし
モンタージュで、おたまじゃくしが水の中をちょろちょろと動く場面があります。
第三村は自然の中にあるのに、動物があまり映らないので、ここには少し驚きました。
旧劇場版はシンジの射精から始まりましたが、精子=おたまじゃくしの暗喩なのでしょうか…(笑)。
おたまじゃくしは、卵からふ化しているけど、カエルになるまでの成長過程なので…シンジ君、もしくはアヤナミちゃんの状態を示しているのでしょうか。
わざわざアップで映すくらいだから、何かしらの意味はあると思うのですけどね。
謎。

そういや関係ないですけど、第三村の田んぼで「虫が出てこない」ことについて指摘する向きもあったそうです。
確かに動物が全然画面に出てきません。
ここでのおたまじゃくしと、ダム視察の際に川魚がいるくらいかも。
ただ田んぼの風景を写すときには、水面に波紋が生まれてるところもあるので、多分昆虫は存在しているはず。
でも絵として描かないあたりは、確かに何か意図がありそうでもある。
不思議。

・ビデオを撮っているケンスケ、笑ってる
これもモンタージュ内の絵ですが、田植えをしているアヤナミちゃんをビデオで撮っているケンスケは、顔いっぱいで笑っています。
考えてみると大人になったケンスケは、微笑みはするけど、「笑う」ってことがないんですよね。
この止め絵が唯一の笑顔なのでは。
微笑んでいるケンスケって、大人の余裕を感じさせてそれはそれでカッコイイんですけど、どこか本心が見えない気もする…。
田んぼで、泥だらけになった子どもたちが、アヤナミちゃんにちょっかいをかけているところを見て笑っています。
のちに、ヴィレと合流する前日のアスカに「クルーの家族も撮ってある」と話しているので、村の様子を記録するためにビデオを回していたのだと思われます。

他のところで笑っていないケンスケが、ここで笑っている理由を考察します。
まずはそこで起こっていること自体が面白いから。
泥んこになった子どもが、アヤナミちゃんやおばちゃんに「ウガーッ」みたいな声を上げながらちょっかいをかけていますが、それに対してアヤナミちゃんはちょっと困った顔をし、おばちゃんたちは本気で嫌がるといった反応を示します。
まぁ微笑ましい暮らしの中の風景。
ケンスケは、人々から離れて暮らしてなんでも屋をしているけれど、本当はこんな人々の営みを見るのが好きなのかも知れません。
ただ、邪推ではありますが、「人々の営みを眺めるのが好き」だとして、「自分もその中に入りたいか」「自分はそこになじむことができるか」は別の話ではありますよね。
ケンスケ、TVアニメ版でも、一人で野営ごっことかしていたし、あんまり人と一緒に生活するのが得意ではないのかもしれませんね。
もう一つの理由は、アヤナミちゃんが彼を笑顔にさせているか。
中学の頃から綾波に好意があったため、そんな彼女と生き写しのアヤナミちゃんにも好意を抱いているとか。
破では「今日は綾波にお呼ばれなんだろ…ほんと羨ましいよ!」とシンジに言うシーンがあったので、もしかしたらその線もあるかなと…。
もしくは恋愛や性的な感情ではなく、アヤナミちゃんが村のみんなに受け入れられていることを喜ぶ親心のようなものとか。

・レイ、いただきますを覚えている。
レイ、食卓でちゃんと「いただきます」をするようになっていました。
ちゃんと教えてもらったんですね。
きっと「ごちそうさま」も、ちゃんとやるようになっていますよ。
みんなから、いろんなことを教えてもらったんですよね…嗚呼…。

ところで、ここには全然関係のない話ですけど、なぜゲンドウはこのアヤナミちゃんをかわいがらなかったのでしょう。
「いただきます」「ごちそうさま」「おはよう」「おやすみ」も知らないってことは、このアヤナミちゃんって、ゲンドウや冬月と、生活を共にしたことがないということですよね。
冬月も、この子のことは「レイ」と呼んでいなかった気がする…。
新劇場版に出てくるレイが何人目なのかは、明言されていませんが、多分子どもの頃からかわいがっていたのではないのかと思うのです。。。
そのレイが初号機に取り込まれてしまったままだというのに、新しいアヤナミには愛を向けないのはなぜなのでしょう。
レイに対して、ユイに向けていた感情を傾けていたのに、結局シンジを取ったから、焼き餅を焼いてるんですかね…。
でもそれなら、はじめから第三の少年に好意を持つようにプログラムなどしなければいいしなぁ。
謎。
なんかここはちょっと辻褄が合わない気がする。
ゲンドウのモノローグでは「ここにいるのはみんなレイか!?」とか言っていたから、結局ユイの面影をレイに求めても虚しくなるだけだと気付いたってことなのかな。
どうして彼は一人目と二人目のレイだけをかわいがったのだろう。

・ゲームを置いてシンジの様子を見に行くアスカ。しかしアヤナミがいる。
ここもモンタージュですね。
電源の消えたアスカのゲーム機が映り、シンジの様子を見に来ているアスカのカットに切り替わる。
しかしシンジの側にはアヤナミちゃんが立っているため、アスカは建物の陰から彼らを見守るだけ。
やはりゲーム機の電源を切るのは、シンジを気にかける時だけなのですね。

・シンジに冷たすぎんか?
モンタージュが終わった後のシーンで、トウジとケンスケが話しています。
ケンスケがいじっている機械の説明は特にありませんが、おそらく医療機器でしょう。
こんな時代でも科学技術は進歩していることがうかがえます。
どこで誰が機械なんて作ってるんだろう…とは思いますが、詳細はわかりませんね。
トウジはケンスケに「シンジにちと冷たすぎんか?」と言いますが、ケンスケは「今は放っておこう」と返します。
あんまり冷遇しているようには思いませんでしたが、「家出したシンジを放置している」という対応についてのトウジの見解はこうなるのでしょう。
ちょっと意見を交わした後、トウジは「早いとこシンジもこの村に馴染んでくれりゃあええんやがな」と言いますが、それを受けたケンスケはちょっと複雑そうな表情をするだけで、返事はしない。
ということは、ケンスケはそれに同意していないということなのだと思うのです。

この表情についての考察ですが、僕はケンスケが「シンジは第三村に留まるべきではない」と考えているのだと思います。
具体的に言うと、シンジをヴィレと合流させ、エヴァに乗ることができるようにしようとしているのではないかと思います。
パンフレットで、ケンスケの声優さんが、「ケンスケはシンジに対して羨望を抱いている」と語っていました。
また、TV版でも新劇場版でも、エヴァに乗っているシンジに対してケンスケは羨望の念を隠しません。
TV版では、激しく嫉妬していました。
そんなことから、ケンスケはシンジに対して「エヴァを操縦できる特別な存在」であると認知しているのは確かです。
また、特にこの第三村パートでは「仕事」が大きなテーマとなっていることから、ケンスケはシンジに適任の仕事は「エヴァに乗ること」と考えているんじゃないかと思います。
具体的にそれが垣間見えるところは、その都度記載していきます。

TVアニメ版では、結局エヴァばかりが仕事をしていて、ネルフが何をやっているのか全然わからん……と摩砂雪さんは感じていたそうで、名エピソード『男の戦い』では、ネルフの軍が使徒を攻撃しているシーンをねじ込んだそうです。
そんな甲斐もあってか、新劇場版になってからは、ネルフの関係者が現場で仕事を頑張っているシーンが増えたように思います。
そんな流れがあるからこそ、シンエヴァでの人々の営み=仕事がシンジくんの心を動かす展開も映えているように思います。

・仲良くなるためのおまじないで、序盤終了
アヤナミちゃんから「碇くんもこの村を守っているの?」と言われたシンジが、「守ってなんかない」と、やっと自分の心の内を吐露します。
アヤナミちゃんの言葉は、みんなが仕事を任されている村の人々の生き方に触れたことで出たもの。
ここでのシンジくんは、Qの後に会社により着けずにいた庵野さん自身が投影されていると見てよいはず。
「僕のことなんか放っておいてほしいのに なんでみんなこんなに優しいんだよ」と、泣きながら口にするシンジ。
「碇くんのことが好きだから」と、シンプルな言葉で返すアヤナミちゃん。
その言葉を聞いて、意表を突かれたように振り返るシンジ。
シンジが向き合ってくれたことに対して、アヤナミちゃんは「ありがとう 話してくれて」と感謝を述べる。
そして、ヒカリから教わった「仲良くなるためのおまじない」をシンジにかけてあげようとして、シンジは言葉もなく泣きじゃくります。
ここで、二人が握手を交わす場面が描かれないのは、もう、庵野さんの嫌がらせみたいなモンだと思っちゃうんですが……(T-T)
アヤナミちゃんが劇中で人と触れあうシーンのほとんどは、プラグスーツ越しです。
例外は、最後に中学の制服に着替えた後で、つばめのほっぺを指でつんつんする時だけ。
シンジとは、オーディオプレイヤーを手渡す時に接近するものの、彼と触れあうことはありません。
つまり、この物語の中で、アヤナミちゃんとシンジが唯一「触れ合った」であろう場面って、このおまじないのシーンだけなんですよね……。
これ以降だと、名前を付けてもらいたがるシーンでも、アヤナミちゃんはシンジからちょっと距離を置いて話しかけているので、ここで二人が触れあって「仲良くなるためのおまじない」が成立したとは考えにくいです。
シンジくんはこのまま泣きじゃくって、すっきりした頃には一人で立ち上がって「家に帰るね」とか告げて二人は歩き出したのかも。
シンジの泣きっぷりだと泣き止むまで時間がかかるだろうし、その間にアヤナミちゃんが手を下ろしてしまっていたら……って想像もできちゃいますね。
最後のシーンでは、マリが差し伸べた手に引っ張り上げてもらう場面があるので、アヤナミちゃんもシンジの手を取って立たせてあげたと思いたいのですが……。

シンジはここで極度のうつ状態にあると推測されますが、そんな状態から回復するためには、こんな風に「自分の罪や醜さを告白しても受け入れてくれる」「好きだと言ってくれる」といった過程が重要なのかもしれませんね。
庵野監督や、奥様であるモヨコさんが回復する過程もこのようなものだったのかもしれません。
あと、アヤナミちゃんは無理に彼の回復を急かすでもなく、ただ、ずっと一緒にいてくれた。それも大切なのかも。

ハリウッド映画のほとんどで採用されている構成に「三幕構成」というものがあります。
物語を三つのパートに分けて構成する、というもので、「序破急」などはそれを説明する言葉の一つです。
で、特に映画作品においては、この三幕をきっちりとタイムスケジュールで管理することが多いです。
映画の上映時間が100分だとすると、うち25分を序、うち50分を破、うち25分を急のパートにあてるという構成です。
ディズニー映画などはこの構成を厳格に守って作られているので、時間を気にしながら鑑賞してみると面白い発見があると思います。

で、多くの映画において、「序」のパートから「破」のパートに切り替わる瞬間では、主人公が新しい世界に踏み入れるという変化が描かれます。
シンエヴァで言うと、ここでシンジが泣きじゃくってから、ケンスケのセルフビルドハウスに返ってくるところが、このパートの切り替えにあたります。
このシーンを機に、シンジは再びコミュニケーションを取るようになります。
後にカヲルくんが語る言葉を借りれば、「相補性のある世界」にシンジが戻ってくる瞬間です。
次のシーンで、はにかみながらもアスカの質問に口を開くようになっていることから、それがわかります。
そしてそのきっかけは、レイが彼の口を開くことに成功し、仲良くなるためのおまじないをかけてあげたことです。
これも都度都度書いていきますが、ここから先の展開で、シンジはかつてない程積極的に人と関わっていきます。
それはここでアヤナミちゃんが献身的な接し方を続けたからだと言えます。
破でレイがやろうとしていたことでもあると思うのですが、綾波タイプがプログラムされている行動パターンって、もしかしたらシンジに好意を抱くというよりは、庇護しようとする欲求なのかもしれないですよね…。
もしかしたらユイはそういう風になるように仕組んでいたのでは。
レイの開発にユイが関わってるかはわからんけど。

では、次のエントリでは映画の2/4部分について書きます。

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