てやんでい!!こちとら湘南ボーイでい!!

映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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LA LA LANDのすべて 夏と秋

   

LA LA LANDのすべて 夏と秋

・脚本を書き始めたミア
夏は、ミアがノートに脚本を書いているシーンから始まります。
セブに勧められた通り、舞台の脚本を書いているんですね。
どうやらミア一人で舞台に立つ演劇のようです。
ルームメイトの手前、「私にはできないわ」と言いながらもしっかり新しいことを始めているんですよ。
これまでのやり方が上手くいかないなら、新しいことを始めるべきですよね。どんな時でも。
ミアが動き始めているその時、ルームメイトが何をしているのかというと「ペディキュア塗り」「シリアル食べてる(起きてきたのが遅いということ? 夜更かししているのかもしれないけど女優になるための努力をしていないのは間違いないはず)」「自分の部屋から出てきもせずに、ミアの舞台に一緒に出してもらおうとおねだりする」といった具合……。
やっぱりこのルームメイトたちは、「本気で女優を目指している」わけではないんですよね……。
セッションを観ると解る通り、チャゼル監督は信じられないほどストイックな人です。
人間、誰もが夢に向かって邁進しているかというと、そうではないじゃないですか。
楽をしたい、めんどくさい、どうせ上手くいかない……などなどいろいろな理由が、人に「頑張らない理由」を与えます。
ですが、突出したストイシズムを持って社会的な成功を収める人たちがいますよね。
チャゼル監督が、そういう人なんですよ。
ララランド観たいなド傑作を作ってしまったので、いったん完全燃焼してしまったかもしれませんが……。
ルームメイトたちは「頑張らない人たち」の象徴なのではないかと。
そしてそんな平穏な朝の時間は、クラクションの音で破られます。
「あれが毎回鳴るわけ?」「えぇ、たぶん」
セブはミアを呼び出すときに、車から降りずにクラクションを鳴らして呼び出しているようなのです。
近所迷惑もいいとこ……ですがこれも後半の伏線になるんです。
素晴らしいですよ……。

・一方通行よ!
ミアは家を出て、セブの車に乗り込みます。
そして二人は口づけを交わす……二人は晴れて恋人同士になったということですね!
そしてセブは車を発進させ、角を曲がっていく……
すると「待って! 一方通行よ!」と叫び声が聞こえて、セブの車はバックで道を戻ってくる。
そこで「夏」と画面に表示が出て、陽気なBGMが流れ始めます。
今、ハリウッドは一方通行の道がとても多いらしいので、それをギャグにしているようです。
ただ、後述しますが、映画をラストまで観てみると、この「一方通行よ!」という言葉は、時間の流れの不可逆性の暗喩ではないかと思います。
時の流れは前にしか進んでいかない。
それに逆らおうとしても、このシーンでのセブとミアのように、押し戻されてしまうのだという。
節理があるのだということを強調して伝えていると思います。

・ラブラブな二人
セブとミアがラブラブな様子をモンタージュで伝えるシーンです。
5カ所ほどデートで回っていますが、どこに行ってもセブとミア以外の人がいませんね。
ケーブルカーの中でキスをした後、搭乗口のところで二人は軽くステップを踏みますが、チケットのもぎりのおじいさんの詰所のドアをセブが閉じて逃げます。
この作品全体が「セブとミアの物語」なのであり、その世界に他の人物が入ってくることを拒否するかのような描写です。
単純に演出として、観客にずっと二人の姿を見せ続けようという意図もあるのでしょう。
また、ヴァン・ビークの前に行き、「サンバ&タパス」と書かれた看板をセブが破壊するところもありますね。
ミアは店のドアを抑えるという形で協力します。
器物破損!
そして、姉と、姉のフィアンセの黒人男性にミアを紹介するシーンも。
グレッグの兄に紹介されてる時のミアはあんまり嬉しくなさそうでしたが、ここでは満面の笑み。
セブもとっても嬉しそうで、姉さんの頬にキスしています。
これ、ちょっとわかります……。
なんか、恋人ができて幸せな時って、家族に対していつもより機嫌よく接することができてしまいませんか。

そして場面は、二人が付き合う前に遊びに来たライト・ハウスに移ります。
セブがピアノを弾き、ミアがそれに合わせてダンスを踊る。
この時のミア、汗ばんでいてなんかちょっと色っぽくないですか……?
多分撮影に入る前からほんとに体を動かして汗が流れているんだと思います。
身体が火照っている女性ってエロいですよ。
おそらくこのシーンはセックスを模しているんだと思います。
ララランドって高潔な映画で、セックスを匂わせる場面がほとんどないんですよね。
ハリウッドには昔「ヘイズ・コード」という既定があって、性描写や暴力描写が禁止されていたんですね。
ララランドは、その時代に作られた作品かと思ってしまうほどにセックスとバイオレンスがありません。
もう、ほんとに、そこがすごいんですよ!!
セックスとバイオレンスって、ドラマを盛り上げるためには利便性の高い描写なんですよ。
けど、それがない。
なのにこんなに面白いから、すごいんですよ!
話がそれましたが、セブは演奏の最後の方でいつものようにフリー・ジャズっぽく弾いてしまいます。
なんでそれやりたくなっちゃうの!?
演奏が終わると、ミアはセブに抱き付き、キスをします。
「愛してるよ」「僕もだ」とささやき合います。
やっぱりここはセックスですよ。

・キースとの再会
セブがミアの手を引き、テーブルに座ります。
この時セブは、右手にはめていた指輪を落としてしまいます。
そして指輪を胸のポケットにしまいます。
この「指輪がブカブカで指から外れてしまう」というのは、この先の未来を暗喩していますね。
セブという人間には、指輪=愛が身に余るものなのだという。
また、指輪をつけ直さずにポケットに入れてしまうというのは、ミアから見たらちょっとショックなことではないでしょうか。
そーいうセブの鈍感さみたいなものもここには出ていると思います。
(指輪、外れていないかもしれません……外れていても、指輪をつけていた位置が違うかもしれません。ララランドのDVDが発売されたら、再度確認してみます)
そしてセブが喋り始めよとすると、「セバスチャン!」と声を掛けられます。
セブは少し顔がこわばりますが、そのまま声を掛けてきた男とあいさつを交わします。
彼の名はキースと言い、セブとは同じ学校だったようです。
そして彼もミュージシャンであること、仕事で忙しくしていることがわかります。
キースは「一緒にやらないか?」とセブを誘いますが、セブは「いや、結構だ」と断ります。
「稼げるぞ?」とキースはさらに続けますが、セブはその頑として首を縦には振りません。
キースは笑顔のまま「ま、せっかくの再会だ。また今度飲もう」と言って去っていきます。
ミアにキースのことを聞かれますが、セブは「変わったやつなんだ」としか答えません。

・二人のこれから
シーンは変わり、セブの家の寝室。
ミアが赤いベッドランプを消して「終わりよ」と言います。
ミアが一人舞台を演じてみせたあとのようです。
見終ったセブはミアにキスして、「天才だ!」と称賛。
ミアは本当にうれしそうに笑います。
「私にとって懐かしい物語なの」「それがいい。君の部屋から見た世界の話だ」
セブは、ミアが弱音を口にしても、「そんなことは気にするなよ」と言います。
絶対的な肯定感を与えてくれる存在です。
(ちょっと意地悪な見方をすると、人からの承認を求めている人ほど他人を承認するという傾向もありますよね……)
そしてミアは「あなたの店のロゴも考えたの」と、『SEB’S』というマークを描いた紙を彼に見せます。
「‘」が「♪」になっているんですね。
普通に洒落ていますよ、これは。
ですがセブは「店の名前はチキン・オン・ア・スティックなんだよ」と言います。
「チャーリー・パーカーの好物は……」「チキンだったんでしょ?」と、ミアに先に言われてしまいます。
セブは例の鼻から噴き出すような笑い方をします。
これは本当にいいやりとりですね。
春に付き合い始めて、今はまだ夏なので、交際期間はあまり長くはないんですよ。
けど、こうしてミアがセブのことを深く理解していることがわかるシーンが入ると、まるで二人が長年連れ添ってきた夫婦のように見えるんですね。
本当に本当に脚本が上手いです。
チャゼル監督。
どうしてこんなに美しくなるのか、本当に意味がわからない。
ミアは「それじゃあ若いお客さんが来ない」と言うのですが、セブはかたくなに譲りません。
話は流れて「お店で声を掛けてきた人は誰なの? 仕事に誘ってくれるなんて親切じゃない。彼に電話したら?」とミア。
セブは「電話はしない」と返答。
ミアは呆れたような顔をします。
「そして君の舞台は大成功だ」と続けるセブ。
ミアはにこっと笑ってセブを見つめます。
良いカップルですよ……。
物語の絶頂点はここですね。
嗚呼……。

・朝、茶色いしみが広がる天井
セブがベッドの上で着替えています。
ミアはお母さんと電話をしています。
舞台をやること、自腹を切ってやることを決意したことなどを報告しています。
そして話は交際相手……セブにおよびます。
ミュージシャンをやっていること、仕事が多いわけではないことなど……また、「将来お店を開くのよ。わからないけど、貯金があるんじゃない? 大丈夫、店は開くわ」といったこともミアは話します。
この辺りから、現実的な描写が増えてきますね。
夢を追うということは、お金を作るということと、ほぼイコールなのが現実ではないでしょうか。
冒頭で、お金をだまし取られたという話があったことからもわかる通り、セブは貯金なんてないんですよ……。
このシーン、僕は本当に耳が痛くなりました。
男は、女の人に夢を語りたくなってしまうことがありませんか?
なんなんでしょう……「自分には見据えている将来がある」ということをアピールしてしまうんですかね。
「将来のことを考えていない男だとは思われたくない」という強迫観念から出てくるものなんでしょうか。
それはある意味、やはり、男には社会に出て金を稼がなければならないという責任があるからだと思います。
もちろん、働き方や暮らし方はどんどん多様化していってしますから、男性が家庭の仕事に専念するという生き方もあるし、「女性は家庭に入るのが当たり前」という考え方は古いものになっていると思います。
それでもやはり、まだ、「男が稼いで女は家を守る」という考え方は根強く残っているのが事実だと思います。
ミアが「セブはお店を開きたがってる≒準備金は貯めてある」と思い込んでしまったのは、セブが熱くミアに語って聞かせたからです。
24歳という設定のミアに対して、セブはおそらく30歳前後ではないでしょうか。
30歳にもなって、店を開きたいって夢を持っているんだったら、そろそろ実現出来る頃なんでしょう? という、自然かつ無言の圧力を感じてしまうというか……。
あるいは前の彼氏のグレッグが、お金持ちっぽい≒仕事で成功していたから、無意識に、男性は高い収入を得ているはずだという錯覚を起こしていたのかもしれません。
なんか、こう……男として生きていると、女性から、「悪意のない期待」を負わされてしまっていると感じる瞬間があるんですよね。
うーん……僕だけでしょうか。

セブは身支度を整えながら、自分の部屋の天井を眺めます。
白い天井の隅に、茶色いしみが広がっています。
ここのところは、これという解釈を持てていないのですが、「店を持てる金があればまずこのしみを修繕するなぁ」とか「もっといい部屋に引っ越すなぁ」ということを考えているのではないでしょうか。
茶色はセブのテーマカラーのようですが、そこと関連している可能性もあるのかも。
どういった意味であるにせよ、ミアにとってはただのままとの会話ですが、セブにとっては重要な決断につながるシーンです。

・キースとのセッション
セブはキースに会うためにスタジオに行きます。
ミアの進言通り、彼と連絡を取ったのでしょう。
スタジオにはベーシストとドラマーもおり、これから演奏が行われることがうかがえます。
キースはセブを迎え入れて「ざっとこんな感じだ。俺たちはユニバーサルと契約してツアーに出る。週1000ドルと、チケットとグッズの歩合が入る」と、矢継ぎ早に契約条件を説明します。
かなりの好条件です。
セブの現状から考えれば、これを受けない手はないはず。
おそらく最初は「まずはちょっと話を聞かせてくれ」程度の話だったのでしょう、セブはキースの提示した条件を受けるべきかどうか決めあぐねるような表情をして、彼から目をそらします。
金銭面で不服があるわけではなく、おそらく、セブがこれまで大事にしてきたプライド……音楽への思いが彼の首を縦に振らせないのです。
しかしキースは「セバスチャン。どうだ?」とさらに迫ります。
キースは人と話す時に、必ず相手の目を見つめています。
セブの視線はけっこう泳ぎますね。
また、セブをスタジオに迎え入れる時と、ここでセブに回答を迫る時、キースが「セバスチャン」と、やはり略さずに名前を呼ぶところも注目に値しますね。
そんなキースからの視線から逃れきれずに、セブは、キースの目を見つめ返して「あぁ」と言います。

そして早速セッションが始まります。
ベースはウッドベースなのですが、セブは用意されていたキーボードの前に座っています。
ドラムとベースが、落ち着きのあるリズムを刻み始め、セブもこれまでに見せていたようなフリージャズ(ですよね?)っぽい演奏で参加します。
ちょっといい感じです。セブも馴染めているように見えます。
しかしキースがリズムマシーンのスイッチを入れると、打ち込まれたデジタルっぽいドラムとハイハットが鳴り出します。
セブは困惑しますが、キースがスキャットを入れながらセブの参加を仰ぎます。
セブは迷いながらも、演奏を合わせます。
キースもエレキギターで参加し、セッションは終わります。
キースを演じるのはジョン・レジェンド……ベテランのミュージシャンです。
ギターを弾く場面はとても少ないのですが、この声とギターの音がかなりかっこいいんですよね。
しびれます……。

・偏屈で厄介者
バンドメンバーたちが片付けに入っている中、セブとキースは椅子に腰かけて話をしています。
二人は並んで座っていて、互いに顔を見ていない。
「わかるよ。違うだろ」とキースは切り出します。
セブが求めるような正当なジャズとは違うということを、キースは理解しているんですね。
しかし「けれどジャズを救うとか言うが、聴かれなければ意味がない。ライト・ハウスでだって年寄りを相手に演奏していた。キッズや若者たちはどこだ? キース・ジャレットやセロニアス・モンクと比べるが、お前は違う。ジャズは未来だ。お前は過去にしがみついている」
キースは辛らつな意見を述べます。
セブは反論しようとしません。
「他の奴が何を言おうと関係ない」が信条のセブらしくありません。
これまでの流れを踏まえると、「金がないと守れないものがある」という事実がセブを変えようとしているのかもしれません。
守りたいものとはもちろん、ミアとの幸せな生活のことです。
(あるいは、学生時代から、セブはキースのことが苦手だったのかもしれませんね。再会した時すでに、セブの表情はこわばっていたし、ミアには「変わったやつなんだよ」と紹介していたし。昔から、セブが受け入れたくない正論を突き付けてくるやつだったとか。ところで彼らが「学生時代にバンドをやっていた」と言いますが、これは何の学校なんでしょうね。高校や大学とか? もしくは音楽を学ぶ学校なのかな)
沈黙を守るセブに、キースはさらに続けます。
「……わかった。認めるよ。お前は前の奴より上手い。だが偏屈で厄介者だ」
セブはそれでも、何も言い返しません。

非常に厳しい現実が付きつけられるシーンです。
僕もクリエイターになることを夢見ていた時期があるので、このシーンの言葉などはすごく胸に突き刺さりました……。
山下達郎さんが語ったエピソードで、凄く好きなものがあります。
山下さんのソロ1stアルバム『サーカス・タウン』のリマスター盤に収録されているセルフ・ライナーノーツに書かれている文章です。
1976年に、山下さんがあこがれのプロデューサー、チャーリー・カレロと共にニューヨークのスタジオに入っていた時の出来事。
以下、引用です。
『ティー・ブレイクの時、「好きなミュージシャンは誰か」とチャーリー・カレロに質問され、ここぞとばかりハル・ブレインやバディ・サルツマンの名を挙げた私に、チャーリーはたったひとこと「彼らは確かに1967年には一流だった。」この言葉が、それまでのポップスおたくだった私の音楽的方向性に決定的な転換を与える結果となりました。今を生きている音で勝負しよう、と。』
この文章、僕は本当に打たれるものがあるのですが、このシーンのセブにもかなり当てはまらないでしょうか。
フォー・シーズンズやビーチ・ボーイズの録音に参加していたドラマーの名前を挙げた山下さん。
本人の言うように「ポップスおたく」だったのでしょう。
10年前のミュージシャンを「当時は一流だった」の一言で切り捨てられてしまうなら、セブの敬愛するレジェンドたちはすでにみなこの世を去っているくらいなわけで……。
もちろん「ポップス」という、その時代をうまく切り取ることが要求される音楽と、ジャズという音楽では話は違ってくるとは思いますけどね。
山下さんも、自分のルーツとなる音楽を捨てたわけではなく、それらを咀嚼したうえで今どんな音楽を作るかということを考えている人なんですよね。多分。
(まぁ、音楽産業が衰退しているうえにジャンルも多様化しまくった今の時代に、どんな音楽を「今の音」と呼ぶのかはわかりませんが……)
山下さんのエピソードもそうですが、古いものを知っている自分がかっこいいと思えてしまうんですかね。
セブの場合、本当にピュアな心で打ち込んでいるように見えるのですが、現実にいる「古い作品が好きな人」って往々にしてそういう感じなことが多くないですか?
僕も古い映画や音楽が好きですけど、たまに、「古いのが好きな自分をかっこいいと思ってないか?」って思うことがあります。
古いのも最新のも、かっこよければなんでもいいんですけどね。

・セブのピアノは上手い
作中、セブの実力がどの程度のものなのかを示す描写はありませんが、音楽業界が不況なのはどこの国でも一緒なはず。
そんな中メジャーとの契約を勝ち取るができたキースは相当の実力者なはずです。
そのキースが、セブのピアノの演奏の上手さを認めるということは、セブもピアノが上手だということになりますね。
もちろん演奏の腕と、作曲を行う才能は別のものだとは思うのですが。
セブの場合「自分の好きなジャズをいつでも演奏できる店を持つ」が夢なので、「ジャズピアニストとして名を馳せたい」というのとも少し違う。
セブがどうしてピアノが上達したか……ジャズのレジェンドたちのプレイを真似ることを日々続けてきたからですね。
作中から見て取れる情報としてはこういうことになるかと思います。
毎日コツコツしっかり練習をし続けた成果が表れているということですね。
「ひとつのことをしっかり」やることを実践し続けた結果、キースをもうならせる実力が身についたわけです。
ミアが「頑張っていない≒ちゃんとした頑張り方をわかっていない」と僕が思うのは、こういった描写の違いからですね。
チャゼル監督がミアを「ひとつのことをしっかりやる」女性として描くのであれば、きっとルームメイトたちからのパーティ行きの誘いを断って、クラシック映画から演技の勉強をしようと部屋にこもっているような描写になっていたのではないかと思います。
あるいはルームメイトもおらず、パーティが行われているアパートの廊下を通り過ぎて一人で部屋にこもったりするような感じかなぁ。
話はそれましたが、一つのたとえとして……。

また、「コピー」という話で言えば、チャゼル監督もかなり「正確にコピーする人」ですね。
町山智浩さんがララランドについて「もとにした映画をちゃんと守っているのがいいですね」と語っていました。
ネタ元がバレることをさけて自分流のアレンジを施すことも大事なのですが、「自分流」と引用元の相性が悪くって、結果的にごちゃごちゃしたものになってしまう。
そういう作品を観たことがないでしょうか……極端な例だと、パロディをすることが目的化してるものってよくありますよね。
引用元がわからなければ意味がないし、引用元が分かっても面白くないヤツ。
引用しようとしているものを深く理解すれば、それらをパズルのように組み立てて、結果的にオリジナルになるということってあると思うんですよね。
ララランドの場合、影響元からあまり変更が加えられていないみたいなんですね。
これはチャゼル監督がとても素直な人だからできることではないかなぁと思います。
で、実際に、ララランドはめちゃくちゃ面白く出来上がってしまっていますね。
たとえばイラストが上手な人だって、最初は好きな漫画やアニメの絵を真似してて、だんだんとオリジナルな物を作っていくという人が多いはずですしね。
チャゼル監督、人間関係では素直ではないかもしれないけれど、芸術作品と向き合う時は自分を捨てている。
そして作品と、その向こうにいる作り手を受け入れようとしているんでしょうね。
(僕が尊敬している音楽評論家の田中宗一郎さんが盗作と引用の定義について「必然性があるならOK。引用元を公言できるかどうかも重要」と言っていました。「必然性」という言葉をどうとらえるかは難しいですが、引用元を公言できるというのは、自分が作ったんですと言うツラをしない≒ゲタを履かないということですね)

・しょんぼりしながらピアノを弾くセブ
部屋に一人でいるセブ。
ピアノの前に座り、シティ・オブ・スターのメロディを少し悲しげに崩して弾いています。
ここにくると、セブの家はだいぶ片付いています。
最初は、引っ越してから開けてもいない段ボールが山積みになったままだったのですが、今や気ままな独り暮らしではなく、共同生活を営む愛の巣ですからね。
そしてカーテンの色が薄いグリーン色になっていて、とても綺麗です。
エマ・ストーンの瞳がグリーンっぽいので、真っ白で殺風景だったセブの部屋がミアの色で染まってきたというニュアンスではないでしょうか。
そこへミアが帰宅してくる。
するとかつて埠頭で一人で口ずさんだのと同じようなアレンジでシティ・オブ・スターを歌い始めます。
そこにミアも歌で参加してきます。
もともとセブもどこか、ミアを誘うような顔でしたしね。
もしかしたらこれまでも一緒に歌を作るという経験をしていて、「今日もアレやる?」みたいな感じなのかもしれませんね。
セブが一人で作った短い曲に、続きができるのです。
共作行為……これは子を成すこととある点では同じ意味ですね。
町山智浩さんもそう言っていました(というか町山智浩さんのララランド解説とほとんど同じですね……聞き直してみて、町山さんの説に自分が影響を受けすぎていることに気付きました)
後で詳しく書きますけど、エピローグでこの曲が流れる時には、彼らが赤ちゃんと生活しているシーンが当てられているので、この解釈は外れていないはず。
歌われる内容は、愛って大事だよねみたいな話です。
二人にとって今は、この関係が何よりも大事なんですね。
しかしセブは、この関係を守るためにこそ、変化する道を選ぶのです。
つまり「稼げるバンド」への加入です。

・二人で過ごす時間が減る
そこからシティ・オブ・スターのオーケストラアレンジのBGMになり、セブとミアの生活がモンタージュで描かれます。
まずセブは、キースと一緒に書類にサインをしています。
これがのちに台詞としても出てくる「契約書」であることは間違いないでしょう。
(バンド加入に際する契約というものが実際にあるのかはわかりません……バンドとレーベルの契約というのはよくあるみたいですけどね。アルバム〇枚をリリースすること、といったようなもの。音楽業界が不況の昨今がどうなのかはわかりませんが……)
キースはメフィストフェレスなので、主人公と契約をするシーンは非常に重要なんですね。
悪魔は、主人公に契約を結ばせるものです。
ララランドって、宮崎駿さんの『風立ちぬ』ととても似ています。
あの映画は、飛行機の魅力に取りつかれた男が、女性と恋に落ちて、女性との生活を謳歌することと飛行機を作ることの両立ができない……ということに悩む映画ですね。
風立ちぬで、主人公の二郎の夢に出てくるカプローニという男がメフィストフェレスであるということは有名な話ですね。
キースとセブが再会する時に、ミアと一緒にいるところを見られているということはとても重要です。
後の展開からも明らかであるように、キースは、「音楽とミア、どっちを取る?」とセブに言外に迫るのです。

一方のミアは、カフェでの仕事を辞めます。
店長にエプロンを返すシーンですね。
ミアは晴れ晴れとした面もちですが、店長の表情は明るくありません。
ミアというミスを連発し遅刻や早退の多い(もしかしたら欠勤もあるかも)スタッフが辞めてくれるのであれば、お店にとってはかえって厄介払いが出来て良かったのでは……。
もしかしたら退職の申し出も、唐突だったのかもしれませんね。
人員を補充できるまでは引き留めておきたかったけど、ミアに断られちゃったとか。
なんにせよ、円満な形でないことはわかります。
そしてミアはカフェかどこかでノートのペンを走らせていたりします。
脚本はセブに見せた段階で完成していたはずですが、推敲などをしているんですかね。

そしてセブは、バンドへの加入に当たり、服をオーダーメイドしています。
腕の長さを採寸されるシーンですね。
おそらくオーダーメイドのショップなのでしょうが、柄物のジャケットがずらりと並んでいて、高級なものが多いことがうかがえますね。
春のパーティで、プリウスを所有していることが所属する階級のステータスであると書きましたが、「着ている服」も、どの世界に住む人間なのかを象徴的に表すものです。
ミアの退職を、エプロンという仕事着を返すことが表していることからも、それがわかりますね。

ミアは劇場の下見をしながら、セブと踊った次の日のようにくるくると回ります。
あの時のように浮足立つような心持なのでしょう。
そしてオーナーらしき男性と握手。
舞台で使う劇場はここに決めたようです。

セブはライブ会場の控室で、落ち着きなく歩き回っています。
サックス担当のメンバーはマウスピースの調子を確かめています。
セッションでもこういうシーンがありましたが、チャゼル監督、サックスのマウスピースが大好きですね。
キースはというと、携帯で誰かと話しています。
かなり余裕がありますね……誰かとビジネスの話でもしているのでしょうか。
この男、ミュージシャンというよりどこかビジネスマン然としていますね。

ミアも忙しそうにしており、家で機材と思しきカメラをチェックしたり、PCで作業を進めています。
セブが不在がちの家は、ミアの舞台のためのスケッチや小物でいっぱいになっていきます。

セブはバンドのメンバーとしてラジオに出演……その収録の様子はインターネットにアーカイヴとしてアップロードされます。
ここでバンド名がザ・メッセンジャーズであるということがわかります。
50年代に結成されたジャズ・メッセンジャーズというグループがありますが……チャゼル監督がそのことを知らないはずがありません。
00年代に、ストロークスをはじめとしてTheが冠されるバンドが多かったのですが、その揶揄でしょうか?

ミアが車を運転し、二人で通った映画館であるリアルトの前を通ると「閉館」の文字が……。
二人が理由なき反抗を観た時も、客席は半分も埋まっていませんでしたしね。
グレッグとの食事に使っていたレストランは、お客さんが立たなきゃいけないくらいの繁盛ぶりだったのとは対照的です。

家に帰り、舞台の準備を進めているミア。
物音でもしたのか、玄関の方を振り返りますが、なんでもなかったようです。
誰かの帰りを待っている時って、こうなってしまいますよね……。
細かいところまで本当に作り込まれていますね。ララランド。

そしてセブのベッドで、一人で眠りにつくミア。
スマホをチェックしています。
おそらくセブからの連絡は何もなかったのでしょう。

そして帰宅するセブ。
ミアが眠っているベッドに横になりますが、布団にも入らず、ミアの方も向かずに眠りにつきます。
キスぐらいしろよ!

そして翌朝、ミアは一人でテーブルについてコーヒーを飲んでいます。
セブは布団を掛けずにベッドで寝たまま。
二人は完全にすれ違っています。

・メッセンジャーズのライヴ
メッセンジャーズのライヴをミアが観に来ています。
曲はセブの弾くピアノソロから始まり、スポットライトが彼だけを照らし出しています。
セブっぽい演奏をしているセブを観て、ミアも喜んでいます。
そしてキースが歌い出し、彼にもスポットライトが当たります。
前奏に当たる部分が終わると、セブはミアに目くばせをします。
具体的な意味を言葉にするのは難しいのですが、セブが演奏に集中していないのは明らかであり、この後に「ダサイ曲が始まっちゃうよ」というニュアンスがあるように思います。
セブのピアノが終わり、セッション時にセブを困惑させたような打ち込みの音が入ってきます。
ステージ全体が明るくなり、観客の歓声もさらに大きくなります。
セブの椅子の周りにはキーボードも置いてあり、片手でピアノを、もう片手でキーボードを弾くということもしています。
セッションの時にはいなかった、三人の黒人女性がバックコーラスとしてついています。
銀色のキラキラしたミニスカートの衣装をみにまとっています……かなり色っぽい服装ですね。
また、歌の内容自体も、かなり直接的にセックスについて歌われています。
それも恋愛関係ではなく、出会ったばかりの相手との性的な交渉を歌っていますね。
管楽器担当のバンドメンバーたちは、最初、手拍子しかしていません。
コーラスのパートに入ると、短いフレーズを吹きますが、この曲では重要な役割があるとは言えませんね。
ボーカルが主役で、他のメンバーは添え物でしかない気がします。
曲が間奏に入ると、セブは立ち上がってキーボードソロを弾きます。
しかしこの時、ポケットに手を入れたまま、片手で演奏しているんです
かなり態度が悪いですね……(まぁ、バンド側からそういうキャラクターを要請されているのかもしれないですけど)
また、曲の途中から、男二人女性二人の白人ダンサーも舞台に上がり、セックスを思わせるように絡み合いながら踊ります。
観客はめちゃくちゃ盛り上がっているのをよそに、ミアはかなり困惑しながらその様子を見上げています。
セブはミアのそんな顔を、にやけた顔で見つめています。
演奏に集中しろよ!
と思うのですが、簡単なフレーズしかないからミスの起こりようがないのかもしれないですね。
そして再びキーボードソロ。今度は少し長めです。
相変わらずポケットに手を突っ込んでいるのですが、観客は興奮し、セブの方へと詰めかけます。
キースもセブの方に身体を向けたりしているので、バンドのライブでよくある、各パートの見せ所なのでしょう。
ミアは人波に押されて、セブの姿が見えないところへと流されてしまいます。
そして曲は終わるのですが、セブは最後の方でピアノの演奏に戻っています。
これってもしかして、本当はキーボードのパートなのに、セブが勝手にピアノを弾いているのでは……。
ビルのレストランでしでかしたことと、同じような身勝手さでもって。
しかしそうだとしても、この時にはすでに観客はキースのことしか見ていないし、キースもボーカルである自分が視線を集めていることを知っています。
誰も、セブのことを見ていません。
ミア以外は。
そしてシーンは突然切り替わり、季節は秋に移ります。

このシーンからわかることは、セブはこのバンドに本気になれていないということですね。
態度がふてぶてしいです。
また、構成もいいです。
最初はセブが脚光を浴びているかのように見せかけ、しかしキースが歌い始めるとみんなボーカルのことしか見ません。
そしてこれまで潔癖的と言えるほどにセックスの匂いがしなかった作品の中で、あからさまに性的関係を思わせる歌がうたわれます。
欲望に身を任せよう、という趣旨の歌なわけで、チャゼル監督が描くような禁欲的でストイックな精神に反するものですよね。
バックコーラスの女性たちの扇情的な衣装もそうですが、ムキムキダンサーがブロンドの女性ダンサーに絡んでいくところもかなりきわどいですね……。
と、徐々に、これまで描かれてきたイメージに反するものが登場してくるのが、構成の妙です。

・メッセンジャーズ、ダサイ
これは議論がわかれる部分かも知れませんが、ここで演奏されたスタート・ア・ファイアー……ダサくないですか?
ジョン・レジェンドが実際の曲作りに関わっているということなのですけど、渾身の曲ではないですよね、これ……。
恥ずかしながら僕は、ジョン・レジェンドの曲を一つも知らないのです……が、世界でもかなりの好セールスを記録しているようなので、良い曲を作る人なんですよね。多分。
で、やっぱり、何回聴いてもこの曲ダサイじゃないですか。
他のオリジナル曲のクオリティが高すぎることを差し引いても、普通にダサイと思うんです……。
ここって、他のオリジナル曲と同じくらい「良い曲」に仕上がっていた方が良かったと思うんですよ。
だって、そうじゃないと、キースのキャラがただのザコになってしまうじゃないですか。
最初のセッションのシーンなんかは、悔しいけどかなりかっこよかったんですよ。
複雑なフレーズを弾いているわけではないのに、シャープでいい音を鳴らすギターと、キースの色気のある声……。
それが、スタート・ア・ファイアーになったらダサイという……。
しかも、ジャズの要素ゼロじゃないですか……?
ジャズというより、スタジアム・ロックバンドという感じを出したかったんだろうなとは思うんですけど。
たとえばですけど、ジャミロクワイというバンドがありますね。
ジャズだけではなく、ファンクやディスコやポップスなど、黒人の音楽を取り込んで現代的なポップミュージックに落とし込むというバンドでした。
しかもバンドの首謀者はイギリスの白人男性、ジェイ・ケイだったという……。
もちろん賛否両論はあるにしろ、90年代で最も成功したバンドであることは間違いないと思うんです。
セールス的にも、影響の範囲の広さで見ても。
僕はジャミロクワイ、大好きなんですよ。
きっとジャミロクワイが入り口になって、ジャズを聴くようになったって人はたくさんいるはずです。
キースのいう「キッズや若者はどこだ?」ということへの回答の一つが、ジャミロクワイというバンドの在り方なんじゃないでしょうか。
ジャズとヒップホップを融合させようという試みだって、トライブコールドクエストをはじめ、いろいろな人たちが行っていることですし。
スティーリー・ダンのような白人バンドだって、ジャズとR&Bが基盤になっているし。

風立ちぬのたとえを出しましたけど、二郎にとってのメフィストフェレスであるカプローニという人も実在の人物で、実際に飛行機の設計をしていたんですね。
そもそも、作中で二郎の夢にカプローニが出てくるのは、飛行機の設計士としてカプローニに憧れていたからなわけです。
憧れてしまうくらいすごいものを作った人なわけです。
対してキース……作ってる曲が全然よくないじゃん!
これって、作中作品の罠みたいなところですよね。
映画じゃなくても、小説とか漫画でも、「作中の人物が作ったもの」への言及があるとちょっとつらいことになりがち。
というのも、映画の中で「売れてるバンド」という設定の架空のグループがあるとして、そのグループの音楽がよくなかったり、そもそもグループのメンバーの容姿がダサかったら、観客は感情移入できなくなりますよね。
だって、観客が「いい」と思えないものが、その作中の世界では売れてしまっているという設定になってしまっているんだから。
作品の中で、なにかが「評価」されていることを示してしまうのは実は難しい事なんですよね。
笑いとか悲しみとか、感情的なリアクションもそうですよね……。
メッセンジャーズも、音楽不況が叫ばれるこのご時世にユニバーサルという大手レコード会社と契約するくらいには「いいバンド」という設定なはず。
けど、曲が全然よくないという……。
(まぁCDの売り上げ枚数や楽曲のダウンロード数には言及していないので、そこはよしとすることもできますが……キースはセブに、ライブツアーでの契約条件しか伝えていないので)

このキースの扱い方に関しては、ララランド、ちょっと甘かったなと思います。
キースの人間性を描く必要はないんです。彼は悪魔だから。悪魔にバックグラウンドは必要ないんです。
ただ、スタート・ア・ファイアーは「悔しいけどかっこいいと言わざるを得ない」ような曲にしていてほしかったなぁと思いました。
そして、キースがセブに告げた「聴かれなきゃ意味がない」という言葉を解決しないままに物語が終わってしまうというところにもつながります。
もちろん二時間の作品なので、描けることに限度はあるんですけどね。
ただそれでも奇跡の大傑作なので、特に言うことはないっす……。

・秋のおとずれ
ミアは中華料理店で食事をしながら、舞台へのお誘いの一斉送信メールを作っています。(たぶん)
中華料理屋でマックブック開いてメールする人なんているの……? と思うのですが、この映画には中国系の資本が投入されているので、その辺の事情があるんでしょう……。目をつむるしかありません。
そして一人でアパートへの帰路を行きながら、セブに電話を掛けるミア。
セブにはつながらず、留守番電話にメッセージを吹き込みます。
どうやらセブはツアーで各地を飛び回っているようです。
そしてミアは、声が聴けなくて寂しい……と。
ここで歩いている時にも誰ともすれ違いませんね。
車は数台通りますが。(この時、車がUターンをしていくのがちょっと意味ありげに思います……)
車社会だということもあるとは思うのですが、やっぱり、意図的に、画面にはセブとミア以外の人を写り込ませないようになっているのだと思います。

そしてミアが部屋の前までやってくると、扉の向こうから聞きなれたジャズが流れていることに気付きます。
部屋へ入ると、そこにはディナーの用意をしているセブが。
セブはミアが立っていることに気付くと、びっくりして、鍋をテーブルに落としかけてしまいます。
「あー……サプライズだよ」とばつが悪そうに言うセブ。
ミアが近付いていくと、セブは手にはめていた鍋つかみを外して後ろに放り投げます。(これ、テーブルの上に落ちちゃっていますけど、ちょっと失敗ですよね(笑))
そしてミアを抱きとめる。

・久しぶりのディナータイム
二人は、セブが用意した食事を一緒に食べます。
セブもミアもとても幸せそうです。
セブはツアーの合間を縫って戻ってきたから、朝にはまたバンドと合流しなければならないようです。(そうやって飛行機に乗ることができるのも、お金が入ったからできることですね)
舞台の公演日が近付いているため、ミアは少しナーバスになっているようです。
「お客さんがきたらどうしよう。お客さんが来なかったらどうしよう」
という、どっちにしても悩むんじゃん! という感じなのですが……とにかく自身が無くて不安なんですね。
お客さんが来てくれても、舞台の内容に満足してもらえるだろうか……という。
そんなミアにセブは「そんなことは気にするな!」と言います。

セブは「もっと一緒にいる時間を増やしたいな。全部捨てて一緒に来いよ」とミアに言います。
「けど舞台の練習をしなきゃ」
「こっちでやればいい」
「けど道具もこっちにあるから」
と断られてしまう。
正直この辺、セブがわがままになっていて、見ていられなかったです……。
ミアと一緒にいたいって気持ちはわかるんですけど……。
ここを見ていて痛々しい気持ちになったということは、きっと、僕がセブのような振舞いをした記憶があるからなんでしょうね。
いや、あるんですよ……。
自分は移動をめんどくさがって、彼女に近くまで来るように言うってことを、なぜかしょっちゅうやっていました……なんなんでしょうねこれ。

話はセブの仕事のことに移ります。
ツアーはしばらく終わらないし、ツアーが終わってもまた次のアルバム制作が待っている。
制作が終わればまたツアーに出て世界中を回り、短くても2年はツアーが続くであろうということ。
ミアは想像していなかった話なのか、ぽかんとした顔で「長い道のりね」と言います。
「どういう意味だ?」
セブは少し怪訝な顔をします。
「あなた、あの音楽好きなの?」
「それが何の関係がある?」
「あるわよ。長く続けるんでしょ? キースのことを悪く言いながら」
「君が安定した職に就くことを望んだんだ!」
キースに電話をしたら?と進言したり、お母さんに「最近は厳しいからレギュラーの仕事はないの」と報告をしたりしましたが、「安定した仕事についてね」とは言っていないんですよね……。
「そんなこと言ってない!」
「チキン・オン・ア・スティックになんて誰も来ないと言っただろ!」
「名前を変えてって言ったのよ!」
このシーン、とても細かな言葉の捉えちがい……言葉による伝達の不全……、ボタンの掛け違いのようなものが、本当にうまく練り上げられているので、文章で説明するのがとても難しいです。
生活の中で誰もが経験するであろう、コミュニケーションの不完全さを思い知らされるシーンなんですよね。
なのでこの部分の解説が上手くできているかわかりません……。
チャゼル監督、会話劇を作るのが本当にうまいです。

「人はひたむきさに惹かれるわ! 情熱が人を動かすのよ」
「そんなに甘くないよ!(ノット・マイ・エクスペリエンスって言っていた気がします。俺の経験はそうならなかったよ! って意味かな)もういい……俺たちも大人になろう」

(口論のシーン、細かい言い方などをどうしても思い出すことができません……細かい言い方がとても重要なシーンだし、台詞の順番もとても重要なのですが……。もう一度観なおしたら書き直します)

「これが俺の夢だ! これが夢だったんだよ。俺みたいなやつが喝さいを浴びることができた!」
「あなたが人に好かれることを考えるの?」
「女優の気味がそれを言うか!?」

その言葉を聞いてミアは皮肉な笑いを見せます。
しかし、すぐに真剣な表情に戻り、涙の溢れそうな瞳でセブを見据えます。
口げんかの時に笑ってしまうことって、ありますよね……なんというんでしょう。
あの感じ。
「君は優越感に浸るために不遇の俺を愛した」
気まずそうな顔をしながらも、セブが続けて言います。
言うべきではないことが、あふれ出してきてしまうことって、ありますよね……なんなんでしょうねこれ。
「冗談よね?」
とミア。
目には涙がいっぱいに溜まっています。
セブは「いや……わからない」
二人の間に沈黙が訪れます。
突然耳障りなアラームが鳴り響きます。
ややあって、何か思い当たったのか、セブは席を立ちます。
そしてキッチンのオーブンを開くと、もわっと煙が立ち上ります……ケーキでも焼いていたのでしょうか。
セブがそうしている間、ミアははっとした顔になり、バッグを持って部屋を出ていきます。

ここでミアは、セブの夢を否定しないんですよ。
セッション観てると、「あなたが音楽家になるのなんて無理」とか、そういう辛らつな言葉が出てくるんじゃないかと思ってひやひやしたもんです。
セブは「女優の君がそれを言うのか!」と、ミアのことを……もしくは女優や女性そのものを見下したような発言をします。

グランド・ピアノは女優として大きな成功を収めている妻を持つピアニストが主人公です。
主人公は途中、自分を脅迫する男と対話をしなければなりません。
脅迫者は主人公の妻のことを、「お前のことなんて何もわかっていない。音楽のこともわかっちゃいない」と言い、主人公の心理を揺さぶろうとします。(主人公が動揺してしまうと脅迫者も不利益を被るはずなのですが……)
女優という存在に対して蔑視的な視点を持たない人には、書けない台詞だと思いました。

恋愛関係でも……また、友人関係でも、いや、すべての人間関係においてそうですけど、「この人いい人だけど(嫌いじゃないけど)、こういうところ嫌だなぁ」と思ってしまうことってありませんか?
思わないという人もいるはず。
ですが、思ってしまう人もいるはず……恐らくそういう人って、今の自分に満足できていない。
だから今の自分が属する共同体の在り方や、他の構成員に対しても不満を感じてしまう。

けどミアは言い返さないんですね。
セブの弾くピアノを心の底から愛しているから、売り言葉を浴びせられても、買い言葉を発しない。
セブも、「女優」を見下したような発言はしますが、ミアの才能そのものは否定していないんですね。
セブがミアに脚本を書くように勧めるのも、もしかしたら、根底には女優という存在を蔑視していたからなのかもしれないですね。

・公演当日
ミアは車で劇場の前に乗り付け、一人で舞台のセッティングをします。
当然、劇場はまだがらんとしているのですが、初めて観た時は、一人もお客さんが来なくてミアが茫然としているのだと思ってしまいました……。
だって、ミアはこれまで提示されてきた情報だけで判断すると、映画の出演歴なし、舞台の出演歴もなし、脚本は子どもの頃に叔母さんと一緒に遊ぶ半分で書いただけなんですよ。
そんな女性が突然「舞台やります。しかも一人舞台です」なんてお知らせを送ってきたとして、よーし観に行くか! なんて思う人はあんまりいないですよ……。(僕の一人舞台への偏見があるかもですが)
ましてやそこはハリウッドなわけで、刺激的なものなんてゴマンと転がっているわけですからね……。

で、セブは、バンドのリハーサルを終えて、ミアの舞台を観るためにスタジオを出ようとします。
この時、バンドのメンバーの肩を叩いて「お疲れ」みたいなことをやっていますが、これはどういう意味……?
セブの腕がキースに評価されて、バンド内のナンバー2みたいなポジションになったという話なんですかね。
帰ろうとするセブをキースが呼び止めます。
「今夜大丈夫か?」
「なんだ?」
この時のセブ、けっこううんざりしたように、ため息まじりでキースに返事をしています。
かなり険悪っぽい雰囲気ですよ……この状態で何年も行動を共にするのとか難しいでしょう……。
「雑誌の撮影だ。モジョ誌の」
セブは、やっちまったー……という顔をして
「来週だと思っていたよ」
「いや、今日だよ」
キースは感情のあまり籠もっていない機械的な声で告げます。
有無を言わない感じ。

セブはスタジオの外に出て、少しの間思い悩みます。
基本的にテンポの早い映画ですが、ここでセブが悩むシーンはけっこう長く取られていましたね。
それだけ、セブがどういう選択をとるかということは物語上重要なんですね。
「ごめん、仕事で今日の舞台見に行けなくなっちゃった(-_-;)」とか、メールくらい入れとけや……という気はしないでもないですが、そんなことは関係ありません!
面白い映画なのですから!
(まぁ謝罪の連絡を入れたとしてもこの先の展開に齟齬は生じないので、もしかしたら連絡してあるのかもしれないですね)

場面はミアのほうへ移ります。
舞台袖で、開演のタイミングを待つミア。
場内から話し声が聞こえてくるので、観客がゼロということにはなっていないようです。
意を決して、舞台の支配人に目でサインを送るミア。
支配人は舞台の照明を落とします。
(この時、支配人はお菓子を片手に持ってもぐもぐ食ってます。態度悪いよ!)
ミアが舞台へ出ていったところで、シーンは変わります。
この時点で客席の埋まり具合を見せないところも、引きの作り方が上手いなぁと思いますよ……。
初見の時の僕は「多分お客さんはあんまり入らないだろうなぁ……けど、一思いにそれを見せないってことは、もしかしたらお客さんが全然入ってないって展開にはしないのかな?」って思っちゃっていましたよ。

セブは結局、雑誌の撮影に参加しています。
スタジオにはスタート・ア・ファイアーの音源が流れており、キースは口パクを、メンバーも演奏しているふりをしています。
そこでメンバーを撮っているのは、フガフガした喋り方のカメラマンでした。
モジョ誌とは実在するイギリスの音楽雑誌です。
ロックを中心的に取り上げる雑誌なので、やはりメッセンジャーズはロックバンドという設定っぽいですね。
アメリカにも音楽雑誌はたくさんあるだろうに、なぜモジョ誌なのでしょう……この扱いからするとモジョ誌がこの映画に投資していて宣伝の一環として名前を出しているとは考えにくいのですが(笑)。
やっぱりチャゼル監督、イギリス嫌いなんですかね……。
一通り他のメンバーのことを撮り終えたのか、セブのことを集中的に撮影し始めるカメラマン。
シャクレ過ぎだし、「ビューティフォービューティフォー!」を連呼していてめちゃくちゃうざいです。
「唇を噛んだまま俺のことを睨みつけるように見上げろ!」
と、そんなことしてどうするの? と誰もが思うような要求をしてくるカメラマン。
ロック雑誌に載ってるスナップ写真なんて意味のないカッコつけばっかりじゃん、という揶揄でしょうか……。
そう考えると、ララランドでは、ロックという存在も仮想的として扱われているのかもしれませんね。
そしてカメラマンは音楽を止めるように指示し、
「なにか曲を演奏しろ! ピアニストなんだろ?」
とセブに言います。
セブはしばしの間固まってしまいますが、やがてゆっくりとメロディを弾き出します。
ビルの店で弾いたあの曲……ミアと初めて会った時に弾いていた曲です。
カメラマンは演奏するセブの姿を喜び、シャッターを切り始めます。

ララランドでは全体として、前半に使ったシーンの構造や、画面の構図そのものを対比のために後で使い回すという手法が取られています。
このシーンは、ミアがグレッグと別れるシーンの流れを踏襲しています。
しかもけっこうあからさまに。
パートナーと大事な約束があるけど、ダブルブッキングをしてしまっているという展開が同じです。
しかし、前半よりも、約束の重みが増しています。
ミアが破ってしまう約束は、「映画を一緒に観に行く」という軽いものです。
そしてミアがセブに会うために抜け出していくのは、「付き合い始めの彼氏と、彼氏の兄貴との食事」です。
友人たちに紹介済みとはいえ、グレッグを振るリスクというのはあまりなさそうです。
対してセブは、「彼女が仕事を辞めてまで集中して取り組んできた舞台公演」を観に行くという約束を守ることができません。
しかも、その演劇をやるように後押ししたのは自分。
その直前に二人はケンカをしてしまっているので、ミアの舞台を観に行くということはセブが関係の修復を望むのであれば絶対に必要なことなのがわかります。
そしてセブがミアとの約束を守るために抜け出さなければいけないのは、「契約を結んでいるバンドの雑誌の写真撮影」です。
モジョ誌がイギリスの雑誌であることを考えると、バンドが世界進出するための足掛かりなのかもしれません。
あんまり好きでもない彼氏を振るということとは、重さが違いますよ。
ミアがグレッグから逃げ出す大きなきっかけは、レストランのスピーカーからセブが弾いていた曲が聴こえてきたから。
セブも、自分とミアを結び付けてくれたメロディを弾き、目を覚ますかと思いきや……セブはスタジオを出ていくことができないんですね。
映画(に限らず物語)の自然な流れとして、後半に進むにつれて登場人物に課せられるリスクが重くなっていくというものがあります。
前半のシーンと後半のシーンで、構造は同じだけれど、人物の決断の重みが増していくというのは、シンプルながら上手い作りなんですよね。(今後の作品でもこれと同じテクを使い続けられたら、さすがに「またか」と思われてしまうかもしれませんが)
「彼女の舞台を観に行く」ことを優先できないんです。
ミアがグレッグたちとの食事を抜けてきたのは、「ハリウッドの俗物たち」に取り込まれそうになっていたところに、自分の夢に向ける情熱だけは誰よりも強いロマンチスト……セブを好きになっているからです。
ここでのセブは、情熱を失ってしまっている状態です。
ミアが「情熱が人を動かすのよ」と語っても、「そんなに甘くない」という現実を知ってしまっています。
ここでセブが彼女のもとに駆け付けられないというのは、二人の生きる世界が離れてしまったということを表してしまっています。

・全部終わった
舞台に立つミアが、ランプの灯りをパチンと消します。
そして彼女は客席に向かい、場内の照明が点灯。
客席は10分の一も埋まっていません……ガラガラです。
かつてのルームメイト3人が、ミアを祝福するような笑顔で、大きな拍手を送りますが、それ以外の観客はマナーとして一応手を叩いているという程度……。
しかしそれがかえって痛々しく見えてしまうほど。
ミアは拍手に笑顔で答えると、足早に舞台袖へと退散。
楽屋で頭を抱え込んでいるミアの耳に、帰っていく客たちの容赦のない声が聞こえてきます。
「大根だ」
「あの窓は何の意味があったんだ(笑)」
「あれじゃ女優は無理だな」
このシーン、観ているのが本当につらかったです……。
夢を抱く若者がぶつかる現実を、その痛みを、オブラートに包まずありのまま描いていると思います。

そしてセブの車が劇場の前に到着。
車から飛び降りて劇場の扉を開こうとしますが、すでに閉まっています。
ミアの名前を叫びながら窓をドンドンと叩いていると、劇場の通用口からミアが出てきます。
ミアはセブの姿を認めると、「今さら何なの」とでも言わんばかりの自虐的な笑みを浮かべます。
「舞台はどうだった? 埋め合わせをさせてくれ」
と言うセブ。
「もう終わりよ。見事に空席。劇場の使用料も払えないわ」と、ミア。
「もう家に帰るわ」
「ここが家じゃないか」
「もう違うわ。家に帰る」
そう告げてミアは車を発進させます。

・離別と婚約パーティ
そしてミアは車を走らせて、自分の生まれた家……ボルダーシティへと帰ります。
実家に着くと、母親が彼女を抱きしめ、父親が荷物を運んでくれます。
そして家を出るまで自分が過ごした部屋へ……叔母さんと共作した小物? などが並んでいます。
まだ純粋に夢を見られていた頃を思い返しているのでしょうか。
ミアは完全に打ちひしがれています。

対してセブは、姉の婚約パーティでピアノを演奏しています。
結婚パーティかと思ったのですが、この場面のBGMの名前がエンゲージメント・パーティだったので、婚約のお披露目的な感じでしょうか。
ここで弾いている曲は、サムワン・イン・ザ・クラウドのメロディをちょっとメロウでテンポダウンしたアレンジですね。
ローラは、大勢の中から運命の相手を見つけることに成功したんですね。
夏にミアと一緒に姉に会いに行った時、一緒にいた男性とのパーティですね。
お相手は黒人男性。
知的な顔立ちをしています。(眼鏡がそう思わせるだけかもしれませんが)
姉と相手、両家の親族が集まっているので、その場は白人と黒人が入り混じっていますね。
なぜローラは黒人男性と結婚するのでしょう……ここで相手が黒人男性である必然性(物語上の必然性)はなにかあるのでしょうか。
謎……。
ただ、姉と、婚約相手がセブのピアノに合わせて踊るさまを、皆が祝福するような穏やかなまなざしで見守っているんですね。
それを眺めるセブの視線は、どこか虚しそうです。
ミアとの関係が破たんしてしまった直後だし、無理もないです。
『もっと上手く出来ていれば、自分とミアもああしてみんなから祝福されるようなカップルになれたのかもしれない』
『ミアにあんな幸せを与えることができなかった』
そしてピアノを弾き終えるセブ。
そこにいる人たちから、拍手が送られます。
はじめは戸惑っていたセブですが、笑顔を浮かべて、最後には投げキッスまで返してみせます。
実は作中で、セブが、自分の演奏に拍手を送ってもらえるのって、ここが初めてなんですよね。
ミアはセブの演奏に惚れこんでいましたが、「拍手」をしたりはしませんでした。
こう……これはちょっと歪んだ見方かもしれませんが、自分の作ったもの……創作でなくても、仕事上の成果を恋人が褒めてくれても、「それって恋人だからひいき目に観てくれるんじゃないの?」とか「恋人だから、俺のモチベーションをそがないようにしてくれてるんじゃないの?」とかって思ってしまうことは、ありませんか……?
ライト・ハウスで拍手を貰ってはいましたが、おそらくあれは「バンド」に対して送られていたので、セブは満足できていないでしょう。
おそらくここで拍手を受ける(ローラと婚約者を中心とする共同体からの承認を得る)という経験は、セブに大きな決断を下させます。
音楽を演奏する楽しさを思い出すきっかけとなったはずです。

今書いていてふと思ったのですが、もしかしたらセブの両親はすでに亡くなっている可能性もありますね……。
最初にセブの部屋に姉が入り込んでいた場面を思い返しても、「この部屋見たら親が泣くわよ」と言われていたりしましたけど、実際に親がセブに会いに来るシーンはなかったですね。
それに「これパパの?」と、姉はセブの部屋に勝手に写真を飾ろうとしたりしてましたし……。
このパーティみたいに親族が集まるシーンがあれば、ふつう、セブの親が現れたりしてもいいもんですけどね。

続きます。

 - ララランド, 映画

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