【syrup16g全曲の考察と感想】Mouth to Mouse
2022/09/29
『Mouth to Mouse』5thアルバム。2004年4月21日リリース。
パッケージはプラスチックケースではなく、ざらざらした紙製。
人の手が写っている写真がジャケットで、歌詞カードにはその女性と思しき人物の裸の背中写真などもある。
五十嵐さんの彼女もしくは奥さんなのかな……。
でも、ジャケット裏の方だと、女性の身体のいろんな部分のアップの写真が使われていたリするので、これはやっぱりデルモなんでしょうか。
ジャケットにデルモを使うようになるなんて、やるじゃん、シロップ!
奥付を見ても、デザイナーの名前はあれど、モデルの名前の記載はなし。
「dedicated to uto-chan」という表記はあるけれど、「応援してくれてありがとう」的な意味だと思うので、モデル名ではないと思われる。
『デイレイデッド』では「dedicated」として元ベーシストの佐藤さんの名前が入っていたこともある。
念のため他のCDのクレジット欄を確認してみたが、「うとちゃん」というあだ名になりそうな人名は見当たらず。
誰なんや、うとちゃん……。
まぁ私の考えすぎであって、別にジャケットに深い意味はないかもしれないです。
アルバム全般の感想としては、バンドサウンド以外にも多彩なアレンジが施されるようになっていて、シロップのポップス性が開花しているように思われる。
歌の内容も『ヘルシー』までのヘヴィさは薄れ、日常の中にある機微を歌う。
その「多彩さ」ゆえに、聴く人によっては、「好きな曲」と「別に聴かない曲」に別れるようなアルバムではないか。
というか、これ以降のシロップはその傾向が強まる気がする……。
その理由には、収録された楽曲が14にも及んでいることがあるかもしれない。
この頃から、デジタル音楽プレイヤーも急速に普及しており、「アルバム一枚を通して聴く」というスタイルは無くなりつつあった。
それよりはそれぞれが個性的に際立った楽曲を作るという方針が、どのアーティストにも見られるようになった。
シロップもそんな流れに乗ったのかもしれない。
かと思うと、『実弾』『パープルムカデ』『I.N.M』など、複雑なアンサンブルよりも、バンドの全ての音を合わせて鳴らすことによるダイナミズムで聴かせる曲も多い。この路線、好きなんですよ……。
アルバムタイトについて、インタヴューでのやりとりを読むとよくわかるので引用する。
●アルバム・タイトルの由来から教えて下さい。
「アルバム・タイトル?(笑)。そうだなぁ……なんかね、ネズミみたいだなって思ったのかな(笑)。自分のことを。まあ、もじっただけなんですけど」
●そもそもは、『mouth to mouth』だったんだ?
「うん、『mouth to mouth』っていう言葉がでてきて。スタジオのトイレでウォシュレットしてる時に、なんか出てきて……で、『mouse』にしたら、イメージが広がって。いろんな意味に取れるなぁと。ま、『息も絶え絶え』っていうところから出てきたんだと思うんですけど。で、自分もそうだし、自分に共感してくれる人っていうのは、チューチュー言ってる奴じゃねえかっていう気もして、なんかこう、地下道のところでね、あんまり太陽を浴びないで生きているような人に、もしかしたら支持されているのかなって思って。だったら、そこに向けて、ていうわけじゃないですけどね。で、『mouth』って辞書引いたら、『銃口』っていう意味もあるらしくて。なんかもう、愛と突き放した感を込めて」
●なるほど。どこか、自分の音楽を必要としてくれる人に対して、愛も憎もちょっとあるってことだ。
「そう。愛と憎ですね。今回は、『こんなん言って欲しくないな』ってことを言ってるかもしれんし(後略)」
「mouth」は口です……一応説明すると。
mouth to mouthという言葉は人工呼吸のように、口から口へと運ぶ行為を意味します。
人工呼吸を要するような瀕死の人間に、酸素を送るような音楽を作るといった意味合いがあったのでしょうか。
口から口へと移す様に、生々しく密接な表現を目指してきたシロップの姿勢を表現しているのか。
五十嵐さんの言う「息も絶え絶え」は、五十嵐さんとリスナー、どちらのことを指しているんだろう。
いずれにせよここでも、アルバムタイトルをダブル・ミーニングにしてきたシロップの方法論は続いている。
先行してリリースされていたEPで既出の曲の考察は、そちらにエントリで書いています。
【syrup16g全曲の考察と感想】パープルムカデとMy Song
1.実弾(Nothing’s gonna syrup us now)
ストンプ風の力強いビートで始まる曲。
シロップがこんなにストレートでカッコいいロックから、アルバムを始めるなんて、信じられませんでした。
後に結構似たリズムパターンの曲が作られるので、五十嵐さん的にも超オキニなのでは。
ちなみに、サブスクサイトとかではタイトルが『実弾』としか表記がありませんが、サブタイトルとして「Nothing’s gonna syrup us now」と付いています。
五十嵐さんが元ネタをインタビューで明かしていますが、スターシップというバンドのヒット曲『Nothing’s Gonna Stop Us Now』からの引用です。
『愛は止まらない』という邦題がついた、五十嵐さんが大好きな産業ロック曲ですね(笑)。
このstopを、なぜかsryupに置き換えて引用したわけですね。
ちなみに↑の動画を見てもらえればわかるかと思うのですが、楽曲面では一切共通点がないです(笑)。
スターシップの他の曲も聴いてみたのですが、これといって、シロップのネタ元っぽさは感じられず……。
(ちなみにスターシップというバンドは、名前の権利関係が非常にややこしくなっていて、同じような名前のバンドが複数存在しています……ややこしや)
『Nothing’s Gonna Stop Us Now』を直訳すると、「僕達を止めるものは今やいない」といったところでしょうか。
となると、「Nothing’s gonna syrup us now」は「今や僕らをシロップすることはできない」か、「僕たちをシロップするものは何もない」になるかと……たぶん。
シロップという動詞がないから訳の分からないことになるんですね。
でも、訳の分からないことだけど、それをタイトルにしたからには、それなりの意味があるはず。
「他の誰も俺たちのようにシロップにはなれない」って意味か? とも思ったんですけど、文法的にそれはなさそう……。
シロップフォロワー的なバンドに対して、自分たちが別格だと宣言しているのかなって。
もしくは、自分たち自身が、かつてのシロップのような音楽を鳴らせなくなった危惧感が表れてるのかなぁ……むずかしいっすわ。
誰かもっと五十嵐さんにこういうこと突っ込んで聞いておいてよ!チクショー!
でも、スタッフやメンバーとの軋轢といったことも後々のインタビューでは語られるので、音楽制作の体制において、五十嵐さんの思う「シロップっぽい作品」を作れない環境になっているというニュアンスもあるのかもしれない。
あるいは、自身の選択として、「シロップっぽい音」にこだわるのをやめて、ポップなアルバムにチャレンジしたという表明なのかもしれない。
であれば、このアルバムの音がこれまでのシロップと比べて「開かれた」ものになっているのも頷けるところ。
ちなみに……もう一つ、僕の中で可能性があると思える説があります。
この曲の作詞・作曲をしたのは、アルバート・ハモンドです。
この人の名前は、リボーンの原曲となった『ジ・エアー・ザット・アイ・ブレス』を作った音楽家としてすでに挙げました。
もしかして五十嵐さん、アルバート・ハモンドのファンなのかな……。
(ただ、アルバート・ハモンド自身歌唱のベスト盤を聴いたり、アルバート・ハモンドが他のアーティストに提供した曲をざっと聴いてみても、他に引用は発見できませんでした。僕が気づかなかっただけかもですが)
『ナッシングズ・ゴナ・ストップ・アス・ナウ』で歌われる「僕らを止めるものはいない」は、アルバート氏のプライベートに由来するものです。
アルバート氏は、前妻との婚姻関係が継続している状態で、恋人と愛を育んでいたそうで、その関係は七年にも及んでいたそうです。
晴れて前妻との婚姻関係が終了した時に、「今やもう、誰も俺たちを止めらんねぇんだ!」と思ったことからこの曲が生まれたそう。
それはそれで前妻が可哀想すぎる気もしてしまうのですが……(笑)。
この曲のことを調べるうちに知ったエピソードなので、詳しくは知らないのですが、ファンの間ではけっこう有名な話だそうです。
曲調的には全然関係ないのに、このタイトルを引用してくる理由の考察。
1 いろんな事情が、自分たちを「シロップ16g」であろうとすることを阻んでくる。
2 結婚しましたよ宣言
詳しくはそちらで書きますが、『ユア・アイズ・クロズーズド』って、赤ちゃんの歌だと思っているんです。
あれは子どもみたいに無邪気な恋人の曲かと思ったんですけど、むしろ、自分の赤ちゃんを見守っている五十嵐さんの……ぱぱがらしさんの気持ちを歌ったんじゃないかと思うんですよね。
であるとしたら、このアルバムには、結婚や、命の誕生にまつわる曲もあるんだろうなぁ……なんて思ったりはするので、
『My Song』のエントリでも書きましたけど、「五十嵐さんがバツイチで子どもがいる」って噂を聞いたことがありまして……結婚・誕生・離婚がどの時期の出来事なのかはわからないんですけど、それが本当ならすんなり理解できる曲もあるので、たまに、このことに僕は触れていきます!
この曲が「結婚したよ宣言」だとすると、これって……。
これは根拠ゼロのゲスの勘繰りでしかないですけど、もしかして、二股状態だったってことにならないっすか……?
例えばですけど、将来的に結婚を視野に入れた交際相手がいたけど、他の女性と性交渉をしてしまい、その女性が妊娠してしまった。
そのため交際相手とは別れて、交際外性交渉の相手と結婚した……とか。
いや、本当に勘繰りでしかないのですけど、なんか……わざわざ、あんまりうまくハマってないもじりをタイトルにつけるってことは、「何かあった」ということだと思うんですね。
ヘルシーの『不眠症』とか『もったいない』を聴くと、むしろ五十嵐さんが、交際相手に別の男に乗り換えていかれた不信感を唄ったのかなって気がしたのですが……。
わかんねぇな!
五十嵐さん、恋愛関係についてあんまりしゃべらないっすもんね。
ていうか、ミュージシャンのインタビューで恋愛関係を深く突っ込んで訊くってことが通常はないわけですけど……。
まぁ、しかしそんな性や愛の事情は、この曲には出てきません。
のちのち他の曲でそれらしい言葉が出てきたときに、それぞれ触れていきます。
がんばろー。
“達成感なんているかそんなもの 俺は死ぬまで完成なんかしない”
なんか五十嵐さんは歌の中で強がることが多いなと思っていて……。
多分本当は、アルバムを作って、達成感を得たいけれど、得られない。
だから「俺は死ぬまで完成しないから達成感はいらないんだよ!」と逆ギレしているような気がします……。
けど、『コピー』から『ヘルシー』まで、とんでもないアルバムを作ってきたと思うんですけどね……。
なぜ達成感を得られないんでしょうか。
これまでのアルバムを聴いてみると、「君」の不在を歌い続けているし、「君」に自分の歌が届かないことを憂いているし……。
「君」に歌が届いて、近くにいてくれたら、「達成感」らしき満足感は得られるんだろうなぁ……とか思ったりします。
“上手にやれなくても構わないいつか ツイてなかったって言って終わろう”
「いつでも音楽やめてやるぜ」の姿勢は、デビューからここまで一貫していますね……。
“退屈な毎日に殺されていく やられる前にやれ 実弾にぎりしめて”
宮台真司さんが提唱していた「終わりなき日常」というものですかね。
戦後、発展し続けた社会は90年代に頭打ちを迎えてしまい、それまでみんなが抱いていた「明日はもっと素晴らしくなる」というテーゼが陽炎のように消えてしまった時代。
しかし「まだなんかすごいことが起こるのでは」という気持ちだけをむらむらと抱き続けてしまうという、90年代ってそんなカオスでしたね。
『リボーン』で歌われた「ただなんかいいなって空気があって」っていうのは、そんな宮台さんが提唱した「まったり革命」を地でいっているんですよね。
大げさな事なんか怒らなくていいから、日常を慈しんでいこうっていう。
でもここでは、そんな毎日に「殺されていく」とも歌う。
『リボーン』で歌ったことへの反証なんですよね。
アブノーマルの側に立っていることの自覚を、「実弾握りしめる」と表現しているはず。
“もう誰も止められない この音楽を愛してるんだ”
ここはサブタイトルにちょっとちなんでいる気がしますね!
退屈な毎日を過ごす気がない、っていう表明なんでしょうね。
ずっと、愛する音楽をやり続けるぜ、っていう。
ところで五十嵐さんは、「愛してる」なんて言葉は人間には向けませんが、音楽には言うんですね……。
“セ・ラ・ヴィ これが人生 やっとおもしろくなってきたんだ 今 さあ 今更”
「セ・ラ・ヴィ」は、「これが人生」を意味するフランス語。
便利なフランス語ですね。
五十嵐さん、フランスが好きなのでしょうか……。
この時期に「よく聴いているCD」に挙げていたのは、『列車に乗った男』というフランス人監督の映画のサントラでした。
ああ、『列車に乗った男』に、「セ・ラ・ヴィ」という台詞が出てきたか、確認しておけばよかったです……。
でも、人生について考えさせられるような映画でした!
“大切なものは悲しい程モロい 失えばなんだって美しい”
「失えばなんだって~」って、これまでずっと歌ってきたことへの反証っぽいですね(笑)。
そういえばこの曲って、「昔の誰か」のことを歌うところがすごく少ない気がします。
いや、これまでそれが多すぎただけか……。
“泣いてやろうぜこの不確かさに すべてを受け入れる力 それが勇気だ Right!”
“移ろってゆくもう あんたの言ってることだってねぇ”に似た言葉。
でも、ここでの「不確かさ」は、自分自身の感情も含んでいる気がします。
気のせいだろうか……。
でも『うお座』でも、自分自身の感情と行動の不一致感なども「不確かさ」だしな。
その「不確かな自分を受け入れる」ことが歌われてるのかもしれないです。
多分。
“やっかいなことばっかりさ やる気は失せていくばっかりさ それでいい そのままでいい 苦しまぎれで進もう 他にやることないじゃん”
これも多分、「音楽」についてですよね……(笑)。
やっぱりやっかいなこといっぱいあったのか……。
でも「他にやることないじゃん」っていいですね。苦しまぎれでもいい、という言葉も。
ネガティヴなことを考え尽くしたうえで、「でも、やるわ」って言えるって、本当に心からそれをしたがっているってことですよ。
“俺は死んだら完成なんだ”
そういえば五十嵐さんってメジャーデビュー27歳の頃だけど、カート・コバーンなんかは27歳で自殺しているんですよね。
27歳非業の死を遂げるミュージシャンは多く、「27歳クラブ」なんて言われてもいますよね。
死後に再評価されたり、非業の死をネタに話題に上ることも多かったりしますよね。
日本では亡くなった人のことはべた褒めしまくらなきゃいけない文化もあるしな……。
マイケル・ジャクソンが生前叩かれまくり、ネタにされまくっていたのに、死んだら手のひらを返して神格化しやがったこと、僕は絶対忘れませんよ……。
“退屈な毎日に殺されていく やられる前にやれ 実弾にぎりしめてちゃ撃てない”
五十嵐さん、自分で言っていましたけど、「実弾結局撃ってないんですよね(笑)」とのこと。
この曲は、後にリズムパターンもセルフリメイクされまくりますけど、「勇ましいこと言ってるけど結局行動には移っていない」という展開もめちゃめちゃ繰り返されますね。
五十嵐さんらしいっちゃ、五十嵐さんらしいです……(笑)。
2.リアル
けっこう打ち込みが多用されていますね。
先にシングルバージョンが発表されていて、アルバム再発やサブスク配信の際にはぼーなるトラックとして収録されてます。
けっこうテクノ感、ビッグビート感が増している気がします。
あと圧倒的なドラムンベース感。
くるりやモーサムなんかもそうですが、バンド形態で打ち込みのダンスミュージックに接近していく流れが当時はけっこうあったのです。
『リアル』というタイトルで、生演奏から離れていくのは、五十嵐さんっぽいですね(笑)。
天邪鬼っぽくてカワユイ。
“命によって 俺は壊れた いつかは終わる そんな恐怖に”
なんか、「めちゃくちゃ仕事に打ち込むクリエイター」の話を聞くと、身近な人の死を経験して、死=終わりを意識するようになったことで、常に全力投球を続けているって人は、けっこういる気がします。
andymoriの小山田さんは姉を亡くしているし、ブルーハーブのボスさんも友人の死を経て変わったと話していたりします。
宮崎駿さんや高畑勲さんなんかは自身も戦争経験者だし、宮崎さんは子どもの頃は病気がちでいつ死んでもおかしくなかったとか。
死を間近で見ていなくても、子どもの頃とか、「死」について考えだしてめちゃくちゃ怖くなったことはありますよね。
僕は小学5年生の時に、祖父母の家に泊まりに行って、おじいちゃんのベッドの隣に布団を敷いて寝ていた時に、そんなことを想った記憶があります。
知らない天井を眺めている、家から離れたところにいる環境が、そんなことを想わせたのかも。
関係ない話でした……。
“でも命によって 俺は救われた いつかは終わる それ自体が希望”
命があるから思考が生まれて怖くなって、でも「そのうち死ねるからいいんじゃね」っていうことが希望になったんですかね。
でも「救われた」っていうところが、他者の存在が希望になったのでは……って気がしてしまいます。
彼女ができたとか、結婚したとか……僕が一番「ありそう」だと思うのは、子どもが生まれたってことではないかなぁと。
“お前にこの一生捧げよう 必要なくなって 見捨てられるまで”
これもやっぱり嫁さんとか、子どものことを言っていそうな気がしてしまいます……。
でも「見捨てられる」とか歌うなよ(笑)。
なんか五十嵐さんメンヘラ女子っぽいな……。
「見捨てる/見捨てない」じゃないじゃないですか、人間関係って。
特に、結婚だったり交際だったり、生活を共にする関係だとなおさら。
「一緒にいるのをやめたほうがいい」ってことにもなりえるじゃないですか。
でもこんなこと歌ったら、「俺と別れるってことは、必要なくなって見捨てるってことだな?」という脅しみたいにもなってしまう。
「そんな酷な選択をとるの?」と。
そういう補助線の引き方みたいなのは、ちょっとずるいと思ったなぁ……。
でもここでも、恋愛(ひいては人間関係)にも経済的な目線で見ていることが感じられますね。
需要と供給を満たし合う関係だという確固たる前提が五十嵐さんの中にはあるように思うんですね。
以前も「感情の貿易」でしかないと書きましたけど、その価値観がこの言葉にも表れているように思います。
いや、僕もぶっちゃけそんな風に思うんですけど、恋人とかに「考えすぎ」「理屈っぽすぎ」「屁理屈」とか言われることは多々あるんですよね……。
人間関係とかで、そこそこ精神的に安定している人って、このセンテンスみたいなことを想わないですよね……(笑)。
なぜ五十嵐さんの中での「愛」はこんなにも重いんだろう……謎。
ああ、でも、ここでも「愛している」的な言葉は出てこないのね(笑)。
でも、良い曲を作る人って、「愛してる」なんて直接言わないよな。
「愛してる」と言わずに「愛」を表現するのが腕の見せ所というか。
“許しがたいまで 腐りきった 魂は水で洗い流して”
別に、汚れたままでもいいじゃん……。
なんとなく、「洗礼」の儀式を思い浮かべました。
このアルバムは「水」のモチーフもちょいちょい出てくるなぁ……。
世界シンボル辞典の「水」の一部抜粋。
「水」はなんと8ページにわたって紹介されています(笑)。
それ自体が、水の持つ多様性・多様なイメージを象徴していますね。
“《象徴・テーマ》 水の持つ象徴的表意作用は、①生命の源、②浄化の手段、③再生の中心という、3つのテーマに還元できる。”
生命の源……すべての生き物に必要なものですものね。
そう考えると、「赤ちゃんかわいいから俺頑張る」宣言と取れなくもないと言えなくもないですね……無理矢理な解釈かな?(笑)。
“圧倒的な存在感 生身の感情の表現 すべての言葉しっぽ巻いて 逃げ出すほどのリアル”
いや、ここは本当に赤ちゃんのことなのでは? とも思うけど、いずれにせよ、これまでにないくらい、他者と接近し、正面から向き合っていることがわかりますね。
「生身の感情の表現」って、感情と行動が完全に一致する「赤ちゃん」という生きものなんじゃないかなぁ……。
僕も、頭の中でいろいろ考えたりすることがあるけど、それを言葉や行動で出すことって半分くらいなんですよ。
別に自分の感情なんて出さなくてもいいと思っているし。
だから子どもを見ていると、感情が全部表に出てくるところが面白くて仕方がないんですよね。
感情表現の方法が無かったら泣いちゃったり。
嗚呼……そういう女性が好きなんです。感情がめっちゃ出る人。
感情的過ぎるのはちょっと好ましくないけれど……。
感情が激しくなくて、思ったことが出てくる人がいいです。女性。好きだ……。
“遠いよ みんな遠いよ 本当のリアルはここにある”
リアルなことを表現しているのは自分だけ、という話?
みんなって誰なんだ……。
本当のリアルがある「ここ」から遠いところにみんながいる、という孤独感か。
でも『I.N.M』でも、孤立している様は歌われるし、他の音楽家がやっていることは「本当のリアル」からかけ離れていると言いたいのでは。
「周りに人がいない」ことについては、インタヴューでそれらしいことが語られていました。
“誰かと会った時に、喜びがあるとすれば、イヤな気持ちとかも含めて、インパクトがあるのがいいなって思うんですよ。周り見渡しても、それを意識的にやってる人っていないなぁって思っていて”
詳しくは、インタヴューを転載したエントリを読んでみてください!
“必死なのはかっこ悪くない むしろその逆”
五十嵐さん、このアルバムではかっこいい格言っぽいめいた歌詞をたくさん書いてますね。
パパになったことで胆が据わったのかな……僕の勘繰りでしょうか。
自分が音楽に必死になっていることを
世代的には、白けて反抗的なスタンスが身についてしまっていたかもしれませんが、音楽に誠実にストイックに向かい合っていることを歌っているのでは。
“あの日から僕は全力で走ることをやめたんです”に対して、もう一度、必死=全力でやっていこうという決心があるのかもしれません。
“笑っていた 感じられること すべてを喜びに変えろ”
五十嵐さんのインタヴューでの回答がここにあたるのかなぁ……。
“誰かと会った時に、喜びがあるとすれば、イヤな気持ちとかも含めて、インパクトがあるのがいいなって思うんですよ。周り見渡しても、それを意識的にやってる人っていないなぁって思っていて”
これまでは「必死」になっている人を笑っていたってこと?
感じられること全てを喜びに……ってなんなのだろう。
これまでは、外部からの刺激を怒りとか諦めとか絶望とか嘲りを感じることが多かったけれど、喜びに変えるぜって意志を持ったんでしょうか。
なんでこんなに変わったんだろう……。
“妄想リアル もっとSO REAL”
「妄想」と「もっとSO」で韻を踏みたかっただけなのかな……という気はします。
もっとSOは、他の人たちに、「もっとリアルなことを歌ってくれ=ファンタジーばっかり振りまかないでくれ」って気持ちを歌っているんでしょうか。
妄想リアルってなんだろ……妄想を、さもリアルなことかのように歌わないでくれって気持ち? 謎……。
3.うお座
アコースティックなポップ・ナンバー。
ドラムは打ち込み、なんか気分をざわざわさせるストリングスも入っています。
曲のシチュエーションみたいに、雨が降っている夜のような、しっとりした質感がある小品的な曲。
シロップでストリングスが入るのって、残念なことに、後のキャリアではほとんど見られなくなっちゃいましたね。
そう考えると、こういう、いろんなアレンジを入れるってこと自体が、五十嵐さんにとっては無理をしていた状態だったんですかね。
それともインディーズに戻ってからは予算的に入れるのを遠慮してるのかな……。
「うお座の子」って、どんな節回しで歌うねん……。
途中、「ウォーターフォール」って言ってないか?
雨が窓ガラスを伝い落ちていく様を言っているのかな。
まさか、女の子がめちゃくちゃ濡れる子だったことを「ウォーターフォール」って言っているってことはないですよね……?
潮吹かせたとか……。
どうでもいい話ですけど、僕は女性に潮を吹かせたことってないんですけど……ヤンキーの人とかって、「潮吹かせた話」めちゃくちゃするのですが……本当に人ってそんなに潮を吹くのですか……?(笑)。
全然関係ない話なんですけど、昔、付き合ってる女の事初めてセックスをしていて、その子のパンツを脱がそうとしたらめちゃくちゃ濡れていたんです。
パンツの上から触って糸引くくらい。
意地悪で、「なにこれ。洪水警報出さなきゃだめじゃん」って言ったんですね。
そしたら、その子は間髪入れずに「そんなにじゃないよ! 注意報ぐらいだよ!!!!!」って言って、僕を突き飛ばしました。
これ、返しとしては100点じゃないですか……?
何かその子、スケベなことをいじられると、間髪入れずに100点満点の返しをするんですよ。
普段はちょっとのんびりした子なのに……。
関係ない話おわり。
なぜうお座? と思うのですが、ざっと「うお座」事態を調べてみてもこの曲との関連性は見つけられず……。
ただ、五十嵐さんは朝のニュースのうらないを見る日課があるようなので、「うお座」の運勢や運気についてのコメントを基にして曲のタイトルにしている可能性はあるんじゃないかな……。
ちなみにうお座は2月19日から3月21日生まれの星座。
五十嵐さんは6月1日が誕生日なのでふたご座。
僕は星座や血液型占いをまったく信じていないので、星座それぞれの特徴や相性についての知識が絶無です……。
なので、ざっとググってみたのですけど、こういうのってお金を払って検索結果の上位の方に来るようにしているサイトが多いから、信憑性がうすいです……。
ただ、ざっと見てみると、うお座の人は「純粋」「夢見がち」「メルヘンチック」とか書いてあります。
もしかしたら五十嵐さんも同じような占いを見ていて、自分とは違うタイプの女性として「うお座の子」を書いたのかもしれないです。わかんないですけど。
なんとなく、ブライト・アイズが2002年に発表したアルバムの収録曲『ラヴァー・アイ・ドント・ハフ・トゥ・ラヴ』に近い曲かもって思いました。
「恋をしなくていい恋人」といった意味になるタイトルでしょうか……。
“愛さなくてもいい恋人が欲しい
あまりにも悲しくて何も気にしない女の子がいい“
“愛は傷ついてまた傷つくための言い訳
「傷つくのは好き?」
「好き、好き」
「だったらぼくを傷つけて」“
“きりがないから きれいな涙ならべて 嘘になるなら 君に飽きてたんだけど”
きれいな涙ってなんなんでしょう。
口げんかとか別れ話をしていたけど、「君」が涙を流してくれたら、俺はそれを慰めてその場は収めるよ……って話?
「嘘になるなら」が「飽きてた」にかかっているのか「きれいな涙」にかかっているのか、わからん……。
君に飽きてたっていうのが嘘なんですか……?
五十嵐さんが女性に涙を見せるってことはありそうにないので、涙を流すのは女性なんじゃないかとは思うのですが……謎。
「きれいな涙」って言葉は皮肉っぽい気はするんですけどね。
「君は無邪気にすぐに涙を流すけどさ……」みたいな。
なんか、僕の個人的な経験なんですけど、女の人といろんな話し合いをしていて、女の人が泣くと話が中断されるじゃないですか。
それに、その女性に対してそれ以上否定的な態度を見せても仕方がないんだな……って諦めが出てしまったりとか。
もちろん否定的な態度であったり意見を出す必要がある場面も時にはあるのですが、泣くってことはその人は感情のキャパ的にもう無理なんだなぁ……っておもわされるというか。
なんか、「涙は女の武器」とか「女は泣けば済むと思ってる」って物言いがあるじゃないですか。下品だとは思うんですけど。
(そういえば昔、街中で流れていた曲で“泣けば済むと思ってるとか言われるけど そんなんで泣いてるんじゃない”みたいな歌詞があったのですが……誰の曲かわからないんですけど。)
なんか、「皮肉なんじゃない?」と思う理由は、この曲調にもあるんですよね……なんか、互いの心の内があんまりわからないけど、それなりに深い関係になっていくって曲。
あとは、「君」っていうのは、音楽のこととか、シロップというバンドについてなのかも。
「飽きてた」って。
あらためて書くまでもないところですけど、ミュージシャンのラヴ・ソングって、そのまま、音楽に捧げる想いの歌になっていることも多いです。
チャゲアスの『セイ・イエス』もそうだし、ラーズの『ゼア・シー・ゴーズ』もそう。
『ゼア・シー・ゴーズ』は音楽のアイデアが頭の中から逃げてっちゃいそうな音楽家の歌。
“変わったのはそう きっと僕の方だけど どうでもいいよ 初めからわかってただろ?”
『月になって』と逆シチュエーションっぽいですね。
何を「初めからわかってた」と言っているんだろう。
デビュー前の音源『クロール』で“飽きちゃうのは僕が悪いんでしょうか”と歌ったりしているんで、「俺が飽きっぽいのはわかってたんじゃないの?」って言いたいのかな。
五十嵐さん、飽きっぽいのか……やりちんだったのかな……。
しかし、あんなに胸元をざっくり開けた服を着ておいて、ヤリチンじゃないと思うなというのが無理がある。
“移ろっていくもん あんたの言ってることだってねぇ”と歌っていたけど、自分の気持ちがコロコロ変わっていくことにも自覚的なんですね。
“意味もなく君はあの時寂しくて 嫌いじゃない僕を受け入れただけ”
これは本当に本当にいいセンテンスですね……。
そして同時に『吐く血』の女を思わせますね……。
セックスってドキドキするし、気持ちいいし、承認欲求が満たされるし、嫌じゃないならどんどんやってっていいんじゃない? と思っていた時期が私にもありました。
宮台さんは「援交女子高生」を応援していましたが、00年代に追跡調査をしてみると、かなりの確率で「メンヘラ化」してしまっていたことを、嘆きつつ報告していましたね……。
“雨音が胸のボタンに染み込んで さりげなく帰れないなって言えただけ”
めちゃくちゃ良い……雨音が染み込むっていいですよね。
で、これ、多分、「帰れないな」って言ったのは五十嵐さんですよね?
五十嵐さんの部屋に着ていた子を返したくないから、「帰れないな」って言ってた可能性もあるけど……。
女性の部屋に上がり込んでいるってシチュエーション、『ex.人間』と同じなんですよね……。
同じ人なのかなぁ。
いや、ウィキを見てみると、「うお座の子は五十嵐の周りにはいない」らしいですけど……。
まぁ、自分のことを吐き出し尽くすってコンセプトは『ヘルシー』で終わっているかもしれないので、この曲もリアルではないのかもしれないけど……。
まぁ、部屋に上がっている時点でけっこう深い仲じゃね? とは思うんですけどね……。
しかし五十嵐さん、女の子の部屋に入っても、手を出さない(出せない)人な感じはしますよね……。
しかし、「言えた」ということであれば、言いたいって気持ちがあって、それを出せないかもしれなかったってことですよね。
「飽きてた」けど「一緒に居て欲しい」という一見矛盾する感情を持っていたってことでしょうか。
それとも二つのシーンは違う時間の出来事でしょうか。謎。
4.パープルムカデ
しかし、アルバムの中で、セックスの歌『うお座』と、愛する人との対話『My Song』に挟まれると、この曲の持つ生々しさは際立ちますね。
歌詞の内容もそうですが、前後の曲がこれまでのシロップにはないポップス寄りのアレンジだという点もそう。
ダイナミックな曲ですなぁ……。
歌詞の考察はEPのほうでやったので割愛。
5.My Song
アルバム版とEP版の違いがあんまりわからないです……。
歌詞の考察はEPのほうでやったので割愛。
6.Mouth to Mouse
アルバムタイトルと同じ曲。
ギターとベースがユニゾンする部分が多いのは、シロップとしてはけっこう珍しい。
この曲は終始静かだけど、次の曲『I.N.M』も同様にユニゾンするところが多く、かつ、あちらでは「爆発」が用意されている。
やっぱり五十嵐さんはアルバムの流れを作るのがうまいっす……。
“夢の中さえぎるカーステレオ 星ぐらいつかめそう寝そべって”
車の中で寝てるんですかね……?
誰の車の中なんだろう。
子どもの頃の記憶とかなのかな……。
でも、お母さんの後ろで夜空を見上げていたのは「自転車」だしなぁ……。
五十嵐さんちは、車を持っていたのでしょうか。
でも、なんか、子どもの頃に車でお出かけした記憶って、けっこう強く残ってる気がします。
なんなんだろう、あの記憶……別に意味無いのに結構強く残ってるませんでしょうか。
なんか、家に着いた時に、「寝たふり」をして、親に抱っこで運んでもらいたがっていたってことが何度かあって、そのことをたまに思い出します。
なんでなんだろう、あれ……なんかテレビとかで「車での外出、帰宅が夜遅くなって子どもが眠ってしまっていて、親がそのままベッドまで抱きかかえていく」みたいなシーンを見たのかな……。
あるいは妹がいたので、妹がそういうことをしてもらっていて、羨ましがっていたのかもしれない……でも、妹がそうしてもらっていたのを見た記憶は、今の僕の中にはない。
不思議だ。
話がそれました!
『タクシードライバー・ブラインドネス』の“柔らかいソファーに身をもたげ 車は荒野を横切る”という部分と、かなり似ているんですよね。
「え、寝てるのに車は走ってるの?」っていうシチュエーション。
同じ夢の内容なのかもしれませんね。
まぁ、こちらの曲の場合、走行していない状態でカーステだけ付けてるのかもしれませんが……バッテリー上がっちゃうで、それ……。
なんか、『タクシー~』の方だと、「子宮」というワードも出てきたし、どちらの車も親が運しているシチュエーションなのかもですね……。
雨が降っている時の車の中って、落ち着いたり眠くなったりするって聞いたことがあります。
小さくて狭い空間で、水が流れる音に包まれていると、母親の胎内にいた時を思い出すから……って話でした。
僕としては何となく納得のいく話でした。
五十嵐さんがそういう意図で書いた言葉かどうかはわかんないっすけど……。
まぁ、寝てても車が自動運転してくれる近未来的な夢を見たってことなのかもしれませんが……。
近未来っていうか、2019年現在、車の自動運転は夢物語ではなくなりましたよね。
“誰の歌だかは知んないけど 口づさむ涙こぼれないよに ふいに”
桑田佳祐さんのソロ曲『JOURNEY』に、こことすごく似たセンテンスがあります。
“遠い過去だと涙の跡がそう言っている”
“寂しくて口ずさむ歌がある 名も知らぬ歌だけど 希望に胸が鳴る”
この曲は、桑田さんがお母さんを亡くしたばかりのタイミングで作られた『孤独の太陽』というアルバムの最終曲です。
個人的には、サザンも含めた桑田さんのキャリアの中で、アルバムとしての最高傑作はこれだと思います。
曲の動画とか載せたいくらい、僕は大好きなのですが、サザン関係の曲はネット上からすぐに消されてしまうので無理でした……。
サブスクにも2019年現在、楽曲のアップはなし……。
多分東京オリンピックのタイミングとかで配信解禁になると思うのですが、気になった方はぜひ何らかの手段で聴いてみてほしいです!
サザンのCDって街の図書館とかでもけっこう置かれているので、図書館のホームページの在庫検索とかを駆使してみてください!
話がそれました!
桑田さんも五十嵐さんも、親が不在がちで寂しい想いをしていたという共通点があります。
またどちらも、音楽を聴きまくってそんな寂しさを埋め合わせていたので、寂しい時には歌うのがクセになっているんでしょうね……。
“使い捨てドラマのワンシーンみたい 現実なんて案外こんなもん”
五十嵐さん、テレビドラマをどんだけ嫌っているんだ……(笑)。
でも、私のすごく好きな作家に田中ロミオという人がいるのですが、その人も80~90年代のドラマをすごく嫌ってますね。特に野島伸司さんの作品。
ショッキングな出来事を羅列していくやりかたがダメなのかな……。
でも、インタビューでは「野島さんが脚本を手がけたドラマは若いころ、忌み嫌いながらも無視できずにイライラしながら観ていました(笑)」と語っていたので、五十嵐さんも、田中さんと近い気持ちでドラマを見ているんじゃないですかね(笑)。
ここでも、おそらく現実に自分に降りかかった出来事を「使い捨てドラマ」のようだと表現しているわけだし。
五十嵐さんもおそらく、野島伸司さんのドラマはいくつか観ているはず……。
それにしても、「使い捨てドラマみたい」ってなんのことなんでしょうね……。
自分の勘繰りを羅列すると「死にたかったけど子どもができて超嬉しくなっちゃった」「意中の子がいたけど(吐く血)、他の女の子とエッチしたら(うお座)子どもが出来ちゃって、好きな子とは連絡が取れなくなった」とかかな……二つがドッキングしてるかもしれませんね。
関係ないのですが、「田中ロミオ」さんについてはシロップのどこかで触れておきたいです……「孤独」「人と人との関り」について、めちゃくちゃ突き詰めて描いた人なんです。
五十嵐さんと通ずるものも多いので、何かの曲に絡めて書きたい……。
「見返りを求める人間関係は感情の貿易に過ぎない」っていう、すげー理論ですからね。
あとすごく好きな台詞に「人は一人でも生きていけるけど、一人では生きていくことしかできない」っていうのがあるんです。
田中ロミオさん、エロゲーのシナリオライターからキャリアを始めた方なのですけど、ほんとにすごいんですよ……。
“奥歯は絶対抜いちゃだめ 嘘に酔う元気なくしちゃだめ”
この部分、意味が分からないなりに頑張って解読してみます!
奥歯は、入れ歯とか歯の矯正器具の支えになる歯だから、抜かないほうが良いって言いますよね。
あと、食べものをすり潰す歯。
「嘘に酔う」というのも、ファンタジーを摂取するといったニュアンスで歌われているから、「奥歯」を、外部からの情報を咀嚼する「元気」や「意志」にたとえているんですかね……わからん……。
「嘘」って、音楽を楽しむ心なのだとは思うのですが『汚れたいだけ』では“あなたの嘘にまた傷つくんだろう”とも歌っていたじゃないですか。
「嘘」って、ファンタジーって意味もあれば、「相手が自分との関係を崩さないためについた嘘」も含んじゃってるのかな……。
『汚れたいだけ』の嘘って、まぁ不義理というか不貞……他の人と肉体関係を結ぶことだったと思うのですが、それに「酔う」=乗っかる元気をなくしちゃだめって言うのは……なんか可哀想ですよね。
関係が崩れるくらいなら、不貞ぐらいは許すべきだという想いがあるってことですもんね。
五十嵐さんのメンヘラ女子的な側面が出ている気がする……。
“きっといつかは痛みも忘れ そっと同じあやまちを繰り返す罪 罪”
「痛み」って言葉も出てきたけど、前のセンテンスの「嘘」って、やっぱり五十嵐さん誰かに欺かれた経験を歌ってたんですかね……。
で、同じあやまち……ってことは、また、交際相手が他の人と寝るタイプだったってこと?
もしくは、自分がされたことを自分もやってしまったって意味なら、ここまで僕が書いてきた勘繰りの一部が本当にあったってことなのかもしれませんね。
難しい……。
あるいは、『汚れたいだけ』も、五十嵐さんが彼女に二股かけられたって話じゃなくて、五十嵐さん自身が同時に複数人と肉体関係を持ってたってことなのかな……。
それだったら「汚れたいだけ」って歌うのも納得がいく。
五十嵐さんみたいに綺麗な顔で、良い曲創ってて、バンドマンだったらモテるだろうしなぁ(偏見)。
それなら「罪」を「繰り返す」という部分も納得がいきます。
「罪」のところ、「To me」って聴こえなくもないですね……。
五十嵐さんヤリチンなのでしょうか……。
そしたら、「五十嵐」って名前のオリジナル体位を考案していてもおかしくはないですね。
“そうぶっちゃけ始まりは流れ 走馬灯に 染まる時”
「走馬灯」って「夢」なのかな……。
「始まりは流れ」っていいですね。
「流れ」ってなんやねん、テキトーな言葉でごまかすなよ!!!
なにかしらの「欲」が働かないと、人と人とは関係を深めないでしょう。
五十嵐さん、このアルバムを出す前にパパになった説を推しているけど、そんな風に深い仲になった相手だけど「流れなんだよね」って言いたいのかな。
でも、『うお座』でも、“帰れないなって言えただけ”と歌っていましたけど、帰れないって言いたいってことは、その人との間に何かがあったってことじゃないですか。
まぁ家に帰って一人なのも寂しいとか、なんかちょっとムラムラしてたとか、「この子の身体はどんな色形で、どんなセックスするんだろう」って好奇心が湧いたとか……積極的ではない理由があったのかもしれないですけど。
まぁ、でも、結婚相手とか交際相手を選んだ理由って、人に言いたくなかったりしますよね。
宮崎駿さんも『夢と狂気の王国』というドキュメンタリーで、奥さんと結婚した理由をけっこう深く突っ込まれていましたけど、「人生の秘密でしょ!」という、わかるようなわかんないような言葉で切り抜けておりました。
まぁわざわざカメラの前で言うことじゃないですよね。
“想像以上に愛情は神聖で 空と海 相対称に”
「ぶっちゃけ始まりは流れ」と言っていたからには、多分、愛情を抱けてはいなかったのでしょう。
なんとなく始めれば愛情が湧くかと思ったけど、湧かない……という落胆をうたっているのかな。
「空と海~」が相対称に見えるってことは、水平線が見えるような開けた海を眺めている状態なんでしょうか。よくわからん……。
7.I.N.M
アジカンの後藤さんがこの曲について、「言いたい事を全て言われてしまった」と語ったことがある……という情報を目にしたことがあります。
それは、初期アジカンが歌い続けてきた「存在証明」についての答えの精度がバカ高いからなのでしょうねぇ……。
曲も、静と動の強弱のつけ方がほんとに上手いっす。
こういう曲がもっとあってもいい気がするのですけど、このレベルのアレンジをなかなか作れないまま2019年に至っている気がします……。
曲について、五十嵐さんがインタビューで語った言葉が、かなりそのままを表しています。
“誰かと会った時に、喜びがあるとすれば、イヤな気持ちとかも含めて、インパクトがあるのがいいなって思うんですよ。周り見渡しても、それを意識的にやってる人っていないなぁって思っていて”
自分と同世代のミュージシャン、自分達を慕ってくれる後輩、尊敬する先輩もいるけれど、自分が意識していることをやっている人が周りにいない……という孤独感を、おそらくはずっと抱えていたんでしょうね……。
そんな「音楽業界」で過ごした中での心境を投影したにしても、日々を生きる中で孤独を感じている多くの人に刺さる曲に仕上がってますね。
タイトルは「I need to be myself」の略である。
インタビューでこの言葉の意味を聴かれた時、“あんまり言いたくないんですけど、隠すほどのことでもないので言っちゃうんですけど”とか言ってた。
いや、こんな良い曲のタイトルが謎めいてたら、誰だって尋ねるだろ!
あほか!
この言葉はもちろん、五十嵐さんが敬愛するオアシスの『スーパーソニック』の冒頭部分である。
ネタ元の曲では、“I need to be myself”のあとに“ I can’t be no one else”と続く。
直訳するなら「俺が俺である必要がある。他の何にもなれはしない」ということだろう。
翻訳サイトを読んでいると、「本当の俺はこんなのじゃない」となっているところもありますが……五十嵐さんは「俺が俺である必要がある」と解釈しているし、僕もコレだと思ってます。
オアシスのメイン・ソングライターのノエルは、この曲でメジャーデビューした時点で27歳だったので、五十嵐さんやポリスと同じく、けっこう遅咲き。ていうか五十嵐さんと同じ歳の時か。
それまでも、工場での仕事をクビになったりしていたので、貧困にあえぎながら書いた曲だと考えると、こんなシンプルな言葉にも深みが感じられる。
僕がオアシスで一番好きなのってこの曲なのですが、これ聴いてると、シロップのギターの音がぶ厚いのって、一番の影響源はオアシスの1stなんじゃないかって気がしてくる。
“君がなりたいというのなら 君でいれないというのなら 無視しきれないとまどいに 転がされてけよ もう一生”
「他の何にもなれはしない」に呼応する部分かな……と思います。
自分ではない他の何かになろうとすると、無視しきれないくらい大きな「戸惑い」にいつも苛まれるってことなのではないかと。
「自分でいたくない」と思う、そもそもの根本と向き合わない限り、どんな自分になっても、「戸惑い」がのしかかってくるってことでしょうね……。
わかるわぁ……。
“意味が足りないというのなら 位置が見えないというのなら 知りたくもない自分とやらに 向き合うことしかない きっと”
過剰に「意味」を求められてしまうバンドマン稼業に嫌気が差しているのか?
「知りたくもない自分」って、本当は誰もが持っているものだと思うんですよね。
それが普段普通に生活できていたら、そんな自分を見つけずに済むというだけの話で。
でも五十嵐さんは詞を書くにあたって、音に「意味」を乗せなければいけないという強迫観念があるから、自分と向き合っていかないといけない。
「位置」については、自分が他の音楽家たちから離れた場所にいる理由、みんなの近くにいられるような音楽を作らない理由を探っていくと、これまた「知りたくもない自分」を分析していかなければいけないといジレンマが歌われているのでは。
“逃げたいキレたい時もある 別れを告げたい時もくる”
もうこれは純粋に、めちゃくちゃ好きな死ですね。
「別れ」は、彼女(奥さん)なのか、バンドのメンバーやスタッフなのか、あるいは「自分」なのか。
まぁ、多分、自分ですよね。
『希望』は自殺の歌らしいので、別れる方法としては、自殺なのか、あるいは抜本的な自己改革を施すのか……。
まぁ2019年現在、五十嵐さんはそんなに変わらない人柄のままマイペースに過ごしているので、別れを告げずに今に至っているはず(笑)。
“ただ前を知るために精一杯”
これまで、「未来=明日」なんてどうだっていいと歌い続けてきた人なので、「前」を知ろうと頑張っている姿勢が見えるだけでも感動しちゃいますね。
たかしくん、ガンバレ! ファイティン!
“星になりたいというのなら 意識すらないというのなら 草木も生えない遠い過去に 未来売り渡すのも一緒”
わかんないですよ……。
「星になる」っていうのは、まぁ、死を思わせますよね。
『月になって』でざっくりと、ほぼ妄想の考察をした時、「星」をファンや取り巻きではないかと書きましたが、自分たちの取り巻きや安直に「繋がる」とか言う後輩バンドマンたちみたいになっちまうべきなのかなって心情なんですかね。
「意識すらない」の「意識」は、自分のやるべきこと、やりたいことみたいな意味だとすれば、そういう意識を持たないまま音楽活動を続けてしまうと、自分の未来を売り渡すのと同じだってことなんですかね……。
「遠い過去」っていうのは、前時代的な売り方をしようとする音楽業界を指してるのかな……。
五十嵐さんは五十嵐さんなりに、1500円でアルバムを売ったり、「売り方」にも強い関心を持っていたはずなので、スタッフワークや業界のあり方に対して違和感があったのかもしれないですね。
アジカンもバンプも、タイアップで人気を得ていった背景もあったしな。
“次の問いのまたその後の 決してほどけない知恵の輪の 語りつくされた物語 書き写すだけはもうしんどい”
「ほどけない知恵の輪」が意味するものは、後に『メビウスゲート』でも歌われますね。
どんな問題でも、解決なんてないですもんね……一つの問題は、必ず、他の問題を孕んでいる。
「自分と向き合う」ことも、結局のところ答えなんて出ないですからね。
そういうことを指しているはず。
「自分探し」って、玉ねぎを剥いてしまうゴリラみたいなもので、結局中にあるのは「無」なんですよね。
逆に言えば、皮の一枚一枚の集まりが「自分」なのであって。
そして、そんな「自問自答」「自分探し」だって、「語り尽くされた物語」なんですよね。
宮台真司さんも言っていましたが、人格なんて「パターン」でしかないから、「特別な人」なんていないんですよ。
もちろん珍しい組み合わせはあるにしても。
以前、インターネットで「人は十人十色じゃなくて、百人十色でしかない」という言葉を見かけて、すげー良い言い回しだなと思いました。
ここでいう「書き写す」は、デビューアルバムを『コピー』なんて名前にして、『パッチワーク』なんて曲を作ってしまった自分自身への呪いなんじゃないかと思うんですけどね。
ところで、五十嵐さんは、自分の作る音楽の出所が、これまでに聴いてきた音楽であることに自覚的です。
なのに、シロップの楽曲もほとんど自分で考えて、ドラムやベースの音もほとんど五十嵐さんが決めていると言います。
なんか、オリジナルをやりたい気持ちがあるなら、もっとジャムをやればいいのにって思うんですけど……。
他のメンバーからのアイデアも取り入れられるし、即興の中から面白いアイデアを拾っていけるではないですか。
海外のバンドって、ジャムやりまくって、いいアイデアが出るまでめちゃくちゃ粘る人たちが多いと思うんですよね……。
エヴァの庵野秀明さんも、「シナリオ合宿」と称して、制作陣と温泉宿に泊まり込んでアイデアを出しまくるってことをやっていたみたいだし。
いや、五十嵐さんが未だにこのスタイルで作っているのかわからないんですけど……。
オリジナルは無いにしても、自分がネタ元に気付かなければ、五十嵐さんはもっと平穏に過ごせるのでは……と思うんですけどね(笑)。
“そこで名も知れず 伝えることもなく 立っていたんだ 歌っていたんだ”
「名も知れず」っていいですよね……音楽家として名も知られていない日々を歌っているんでしょうか……。
そう考えると、「未来売り渡す」ってやっぱり、バンドのことな気がするなぁ……五十嵐さんがやりたくない音楽をやってデビューするなんて嫌だって気持ちなのかと。
「伝えることもなく」っていうのは、デビュー前は、そんなに意味を込めて歌を唄ってなかったってことなのでは。
そうでないにしても、「ただ立っていた」って言葉は良いですよね。
社会に名前が知られてなくても、何を生産したか・貢献したかを問われて答えられなくても、自分は生きていたんだっていう事実は確固としてある。
なんか、いわゆる「ロスジェネ世代」のアジカン後藤さんに刺さるのも頷けるセンテンスですね。
“ずっと何も見えず そばに誰も見えず”
本当に孤独だったんですね……。
しかし、この曲の中では、「傍に誰かがやってきた」「人の姿が見えてきた」とはならない辺り、世知辛いというか……。
結局五十嵐さんも、誰かを探して「歩き始める」的なことはしないわけで……。
“何か正しいことがある 何が正しいことになる 俺は俺でいるために ただ戦っている精一杯”
「俺は俺でいる」ってことしかしなかったのが、シロップが解散していく理由だったのでは……。
もちろん、何が正しいことになるのかわからないっていうような「世界の不確かさ」に対して、「俺」は確実にそこにあるわけだから、そこに執着するのもわかるんですけど、結局それを守り過ぎている気がするんだよなぁ……。
そこが五十嵐さんの歪さではあるような気がする。
いや、めっちゃ好きな曲ですけど……(笑)。
8.回想
歌詞の考察はEPのほうでやったので割愛。
アレンジはロック・バンドアレンジになっています。
あ、でも、一つ今思いついた考察があります。
“すべてはここにあって 何もかもなかった”
って歌詞なんですけど、90年代って音楽に関して言えば、「新しいものを作るよりもリバイバルでいいんじゃない?」ってモードがあったと思うんです。
渋谷系なんかわかりやすいですけど。
もう音楽ジャンルって出切っていた感があったし……。
音楽だけじゃないか……エヴァのように、SF・特撮・ロボットアニメ、ひいては宗教や心理学も引っ張り出しまくって完全武装状態で作られた作品もあったし。
そこに対しての五十嵐さんの気持ちが、これなのでは。
エヴァの庵野さんも五十嵐さんも、「自分には新しいことができる」という確信を抱きながらも、打ち立てることができないまま沈没してしまった感が……。
「新しい」って何なんだろうなって気もしますけどね。
ただ庵野さんの師匠の宮崎駿さんは、エヴァを「エヴァンゲリオンみたいな正直な映画を作って、自分が何もないことを証明しちゃった」と語ったりしていましたよね。
なんかこの動画を見ていると、五十嵐さんに必要だったのも、こういう父性のある師匠……まぁ父親のような存在だったのかもなって思いました。
田中宗一郎さんって、五十嵐さんにとってこういう、いいとこも、出来てないとこもはっきり言ってくれる存在だったんじゃないかな。
日本のメディアの人たちって、悪いことはほとんど言わないですからね。
9.変態
なんかギターの音がちょっと『手首』と『空をなくす』っぽい気がします。
『ディレイドバック』のジャケットで、蝶の死骸が使われますが、蝶が蛹から羽化する様と自分を重ね合わせて歌われる曲。
「蝶」というモチーフはいろいろと興味深いものなので、『ディレイドバック』のほうで書いていきます。
“サナギは蝶になった そのまま飛んで消えた 太陽に吸い込まれるように 舞い上がった”
シロップの曲で「太陽」が出てくる時、七割がたあんまり良い使われ方をしないのですが、ここでもそんな感じ……。
ここでの「太陽」はやはり経済的繁栄の象徴では……。
サナギをバンドがデビューする前の状態だったとするなら、羽化することをメジャーデビューとたとえることができると思うんですけど、メジャーデビューしたからには売れまくるべし……を五十嵐さんは命題と捉えているということでは。
“砂鉄舐めてるような 血の味のする街で ホルマリン漬けされるまで 錆びついた”
“味のしないこの世界”なんて歌詞もありましたけど、五十嵐さんにとって「街」って心落ち着く場所ではないんですね。
この「ホームのなさ」って、やっぱり五十嵐さんの特徴ですよね。
その「街」の中で、五十嵐さんは塩漬けにされているような、飼い殺されているような感覚だったのでしょう。
庵野秀明さんが、エヴァを始める前の状態を「死んではいないけど生きてもいなかった」と語っていましたけど、そんな感じだったのかな。
“俺は待っていたんだ 眠ってた訳じゃない いつだってその時を待っていた”
ついさっき歌われた“そこで名も知れず 伝えることもなく 立っていたんだ 歌っていたんだ”と、同じことを歌っているんじゃないかな、ここ……。
端から見たら、何かを生産していたわけじゃなくても、デビューという飛翔のタイミングを待っていたって意味だと思います。
こう考えると、このアルバム、「音楽をやる事」についての歌がめちゃくちゃ多いな……(笑)。
“図鑑になんか載ってない 俺のは完璧なフォルムしてんだ 見てほら”
これは、“語りつくされた物語 書き写すだけはもうしんどい”への反動では……。
やっぱり、五十嵐さんの中では、いつも相反する感情が闘っているんですね。
「いや、語り尽くされてるわ……」という気持ちと、「図鑑=カタログ・音楽のアーカイヴに無い音楽をやってるんだよ! しかも完璧なんだよ!」という気持ち、どちらもある。
同時に存在しているのだろうし、躁の状態か鬱の状態かでも変わってくる感じ。
“自分の人生、長生き出来るかどうか、わからないけど、バンドは、絶対、その辺で売れてる奴らより長生きしてやるって。音楽的体力は、絶対、俺の方があると思うし。”
『ディレイデッド』でのインタビューの時も、こんなことを語るくらいですからね。
とはいいつつも、『手首』『空をなくす』と同じようなギターを鳴らしているという、なんとも矛盾を孕んだ曲だ。
いや、敢えて意識的にやってることなのかな……『クーデター』の時にあった怒りのエネルギーを再現しようとしているのだろうか。
そういえば『クーデター』の『ハピネス』でも“完全は完璧じゃないや”なんて詞がありましたね……。
この言葉の違い、僕の中ではけっこう曖昧だったんですが、調べてみたら「完全」は欠点がないことで、「完璧」は完全無欠なものを指すんですね。
「完璧」のほうが、より強い意味合いを持つ言葉のようです。
そう言われると高校の頃とかに習ったような気もします……。
“一点のくもりもない 澄み切った空の日 羽ばたくんだ すげえ”
「澄み切った空の日」が来ていないから、まだ思うように羽ばたけていないんだ……って意味にも取れますよね?
そういえば五十嵐さんの曲の中で、「雲」ってほとんど出てこないですよね?
雲のこと嫌いなのかな……。
10.夢
歌詞の考察はEPのほうでやったので割愛。
11.希望
インタビューで、かなりネタバレされていたので、引用します。
●『希望』という曲がありますが、これっていうのは、何に対する希望にフォーカスした曲なんでしょうか?
「あのねぇ、ほんとに今回ね、無意識なんですよ。歌詞がほんとに書けなくて……なんかこう……全部、載せられないようなことばっかりなんだよなぁ(苦笑)。載せられないようなことばっかりあるんですよね。……まあ、でも、あの……希望って、無意味だから、『希望』って曲を書こうと思って。で、『希望』って単語をキーワードにして、どれだけ無意味さを表現出来るかなっていうところだと思って。無意味さっていうか……何言ってるんだかわかんないだけど……なんかねぇ……そうだな……うん、なんかね……うん。ま、死にたい人の歌かな。実際、そういう感じですかね。死にたい人の頭の中って感じですかね」
●意地悪に質問を続けるとすると、死にたい人って誰ですか?
「へへへへ(笑)。あ、もう拒否で(笑)。死にたくなってましたね、この時、相当。自殺の歌なんですけど……でも、あんまりそういう風に取られて、それが答えになっちゃうとイヤなんですけど。なんかそんな気持ちで書いてた記憶がありますね」
というわけで、これは自殺の歌だそうです(笑)。
『夢』では夢を叶えてしまって夢が無くなった男を描き、『希望』では希望がなくなって自殺したい男を描く……難儀な人ですね……。
そんな、ポップミュージックでよくタイトルにされる言葉を持ってきておいて、内容ではどんどんダウナーに持っていくという、シロップらしいといえばシロップらしい手法(笑)。
“希望あつめて 希望通りの彼方へ 昨日忘れて 彗星に流されて”
“きっといつかは痛みも忘れ そっと同じあやまちを繰り返す罪”とかなり似たニュアンスのセンテンス。
このアルバムでは「忘却」もよく語られるモチーフですね。
「彗星」って、また「星」ですよね……なんなのだろう。
「希望」って、いわゆる「需要」のようなものかな……ファンが希望を覚えるような曲を作って、「彗星=他のバンドたち」に流されるように活動していこうってニュアンスなのだろうか……いやもうわかんないですね。
“苦しまないで 誰もが未開地で かばって欲しがってる 許されないで”
これも『ハピネス』っぽい……“そんな苦痛を みんな耐えてるんだ”。
「未開地」ってことは、他に人がいないってことで……『I.N.M』で歌ったような、そばに誰も見えないところで頑張ってるんだってことを歌っているのでは。
みんな孤独だけれど、誰かにかばって欲しがっている……って、すごい状況ですよね。
音楽活動に限って言うなら、まぁそれなりに不安定な状態に不安を感じている人が多いのかもしれませんけど……正直、「普通に生きてる人たち」は「かばってほしい」とは思わないですよね。
自分が安定している立場にいるなら、不安定な立場にいる人の事なんか気にもかけないですから。
視界に入らないですよね。嫌な言い方ですけど……。
でも「許されない」ってなんなんでしょう。
このアルバムを聴いていても、「罪」って具体的に何なのかわからないんですけどね。
唯一『メリモ』では“絶対コレは買いの絶対って何?”という断罪しているので、そこには怒っているのかもしれませんが……。
あれって、CDショップの売り場についての文句であって……。
「1枚1枚、みんなすごい血ヘド吐きながら作ってるものが、ブワーっと並べられてて、それに順位が付けられてるっていうのは、異常な気がするし。『リコメンドって、何?』って思うし。『そこにリスナーが合わせていかなきゃいけないのか?』っていう気持ちは、多分あると思う」
とインタビューで話していたのですが、言い方まで一緒ですよね。
『マウス・トゥ・マウス』では音楽を作ることについての言及が多いので、このセンテンスは「音楽を売ること」の売り方について「許されない」と言っているのではないでしょうか。
“少しあとの宇宙船で旅立って 少し頭冷やして考えて 簡単なこと 大切なこと”
宇宙船ってつまり、スターシップ……『実弾』の元ネタですよね……別に深い意味はないと思うんですけど(笑)。
ところで、ずっと「抽選で」と歌っているのだと思っていました……“未来は無邪気に割り振られ”みたいなニュアンスの歌なのかと思っていたのです。
しかし「宇宙船」って、『クーデター』の頃に頻繁に歌っていた「宇宙の彼方」へと飛び去る乗り物ですよね。
不穏さを感じるのは僕だけではないはず……死を思わせるし、そうでなくても、他者がいない場所へ思いをはせているのだと思うんですよね……。
人が多い場所では「大切なこと」すら思い出せなくなってしまっているってことなんじゃないですかね。
五十嵐さん、仕事にもプライベートにも疲れているのでは……。
ただ「落ち着きたい」だけなら、他のポップ・ミュージシャンであれば、気分転換の歌を書くと思うんですよ。
ペットと遊んだり地元の友達とか家族と会ったり、デートしたり、海に行ったりとか……。
五十嵐さん、安心できる場所がないんですよね。歌を聴いている限りだと。
あえて言うなら家の布団の中なのでしょうけど……もし僕の深読み通りだったなら、お嫁さんとお子さんがいるので「一人」にはなれないんだろうし。
難しいっすね……結婚……。
“土のないアスファルト 転んで笑ってた 階段けとばして 着陸した場所”
そういえば、H誌のインタビューのアンケートで、「もっとも笑ったのは、いつ、どんなことに対してでしょう?」という設問に「今朝、全力疾走してコンビニに走る途中にコケて転倒した自分」と回答していました……。
この「転ぶ」って詞はちょいちょい出てきますね……五十嵐さん、よく転ぶんでしょうか。
「クスリでいつでも酒気帯び」なせいなのか、酒飲み過ぎなのか……足が疲れていたり足の骨格が悪くても、もつれやすいですよね。結構でいて欲しいですわ……。
「階段けとばす」というのは、ちゃんと一段一段昇っていくべきものを、急いで飛ばそうとしてるってことなんですかね。
でも「着陸」ってことは、階段を降りていたんだろうし……飛び降りるってニュアンスなのかな。
“人もなく 彷徨って 助けて 囁いて 幻の街の向こうは宇宙の果て”
このアルバム「周りに誰もおらん」てシチュエーションが多すぎでは……・
宮台真司さんの著書に『まぼろしの郊外』というものがありますが、「幻の街」っていうのは、これのことなのかな……。
“希望あつめて 洗って たたんで いつか身にまとうその時 迎えに来てくれ”
希望、いったんたたんで仕舞っちゃうつもりになっているじゃないですか。
「夢」「希望」は、メジャーで頑張っていこうって気持ちの事なのかと思ったんですけど、もうその気持ちは尽きかけているんですね……。
実際、この次の『ディレイデッド』では、インディーズに戻ってリリースすることになるわけだし、『マウス・トゥ・マウス』を作っている段階で何か話は進んでいたのかもしれないですね。
話は出ていなくとも、五十嵐さんの気持ちとしてはもうメジャーを離れるつもりだったのでは……。
メジャーデビューのプレッシャーは五十嵐さんをめちゃめちゃに追い詰めていたことが分かる一曲ですね。
いや、五十嵐さん自身が追い込んで追い込んでっていってしまっていたのかもしれないけど……。
12.メリモ
アルバム随一のパンキッシュなナンバーですね。
メリモはメリー・モアーのことらしいです。
もっと祝え的な言葉でしょうか。不正確な情報ですが……。
五十嵐さんは、曲の中でもインタビューでも、「幸せはちょっとでいい」って発言をしています。
これは多くのアーティストが言うことですね。
けれど街を歩くと……「これを買えば幸せ」「このサービスを使えばワンランクアップできる」といった文句が無数に踊っています。
そういう風に人を惑わして消費させようとする広告(マスメディア)の在り方に否定的なスタンスが表れた曲だと思います。
そしてまた、インタビューでも言及されているように、「お店のポップ」みたいな、「一ファンが善意でやっていること」に対しても、五十嵐さんは違和感があるんだろうな……と僕は思ったりします。
ヴィレッジヴァンガードとかタワレコの「手書きポップ」の、無邪気さを装って消費させようとするやり方……広げて考えてみると、SNSや口コミなんかも消費させるための誘因ですもんね。
僕のこのブログもそういうものになるのだと思うし。
それが良い事か悪い事かって答えが出るものではないと思うのですけど、ただ、五十嵐さんは「なに?」って疑問を抱えているってことだと思います。
“この世はいくつかの元素によって構成され 太陽も水も全部 人間には作り出せません”
なんかここも、自分が新しい音楽を作り出せないことを歌っている気がします。
パッチワークってことですよね、「これまで聴いてきた音楽=元素」を組み合わせて生きのびている、というニュアンス。
“心拍数は上昇 失敗しないか心配ばかりで 大丈夫 成功しようがすぐに忘れられます”
ニヒル……。
でもほんとにそうですよね。
成功しても、すぐに忘れられるだろうし、褒めてもらえることもあんまりないんでしょうね……。
今でもシロップを聴いている人はけっこういるし、若いファンも入ってきているみたいですけど、この全盛期頃から聴き続けている人って果たしてどれくらいいるんでしょうね。
僕はぶっちゃけ、離脱した組ですね……。
なんかいろいろ思うところがあって、こんな風に全曲の考察なんかやっていますけど(やってる理由については別のエントリで触れます)、やっぱりビビっと来ないです……。
所感でしかありませんけど、女性は結構一人のアーティストを聴き続けるけど、男って音楽的には浮気性もいいとこな人が多い気がします……。気のせい?
少なくともシロップに関してはそんな風に思います。
音楽的な趣味云々っていうより、男はシロップ的な世界観を抜け出さないといけない社会的な要請がある気もします。
まぁ、あくまで所感ですけど。
“生きんのがつらいとかしんどいとかめんどくさいとか そんな事が言いたくて えっらそうに言いたくて 二酸化炭素吐いてんじゃねえよ”
自分自身に言っているだろうし、自分のフォロワーにも言っていると思います……(笑)。
本作はシロップリスナーへの「愛憎」が入り雑じっていると公言されていますが、ここは「憎」なんでしょうね。
ただ、五十嵐さんは「つらい」とか「めんどくさい」って言葉を使わないで、そういう感情を表現しようとしてきた矜持があるとも思うんですけどね。
個人的にはここの言い回し、長くてあんまり好きではないんですけど……。
なんも言わなくても二酸化炭素出るしな。
“先端恐怖症なんで 最先端は興味ないです”
ちょっとよくわかんないです……。
自分が新しい音楽をあんまり聴かないことへの回答なんでしょうか。
五十嵐さんが好きだったレディオヘッドは「最先端」をガンガンに取り入れながらも世界中のスタジアムでライブをする人気を保っているので、もっと最先端やってもいいんじゃん五十嵐さん……って思います。
うーん、五十嵐さんの音楽性については、どこかで触れたいですよね。
“絶対コレは買いの絶対って何?”
これはCDショップの「レコメンド」の文字への違和感を表明していたことがあるので、その延長でしょう。
やっぱり五十嵐さん「売る」という行為のやり口に嫌気が差しているっぽいですよね……。
しかしおそらくシロップも「絶対」とは言われなかったかもしれませんが、各雑誌媒体で推されまくっていましたよね……なんか、そういう状況に忸怩たるものがあったんだろうなぁ……。
アンディモリも「広告」に対する違和感を曲にしていたし、難しいですよね。
「売られる」ってことは。
“見学者は大人しく言うこと聞いていなさい DNAの乗り物だとか 本気で信じるなって”
「傍観者」はこれまでの五十嵐さんの基本姿勢ですよね。
「DNAの乗り物」っていうのは、『利己的な遺伝子』という書籍で提唱された概念です。
「自分」という意志をもつ生物個体がいるように感じますが、「意志」というのは、DNAにコントロールされているのだという概念が提唱されているのです。
DNAはあくまでも「種の存続」のために動くものであって、「個体」はDNAにとっては乗り物でしかない。
DNAが次の個体へ乗り換えていくために、「種の存続」のためとなる行動をさせるように仕向けている……というお話です。
そんなことを、様々な動物の生態を例えに出しながら紐解いていくという、非常に挑戦的本が『利己的な遺伝子』です。
作者のリチャード・ドーキンスさん、90年代にガチ流行りしたんですよ。
さっき名前を出した野島伸司さん作のドラマ『高校教師』でも、主人公が理科の先生だったのですが、「ペンギン」のエピソードを話しながら、遺伝子が利己的であるという話を展開していました。
ざっくり書くと、
「ペンギンは氷の上から海に飛び込まないと、魚を獲ることができない。けれど、海の下ではシャチがペンギンを捕食しようと待ち構えているかもしれない。そこでペンギンは、崖から最も近くにいるペンギンを海へと突き落とす。落ちたペンギンに食らいつく肉食獣がいなければ、みんな飛び込んでいく。この習性は、一体のペンギンを犠牲として、『ペンギン』という種そのものの存続を図ろうとするもの。DNAが、個体を守ろうとするのではなく、種の繁栄のために動いていることが如実にわかる類例」
という話をしていました。
よく果敢にチャレンジする人のことを「ファースト・ペンギン」という言葉で表されたりしますが、ペンギンの実態としては、「リスクを恐れずに飛び込んでいく人」ではなくて「群れの安全を確かめるために突き落とされる生贄」のようなものなんですね……皮肉……(笑)。(「ファーストペンギン」でググると、会社の名前としてもよく使われているみたいです……)
影響力がでかい……。
そんな内容なので、「人とはいったい何のために存在するのか」といったことの根本に問うような投げかけにもなっているわけです。
これを、五十嵐さんが歌ってきたような苦悩に合わせて展開するなら、「社会のシステム」は人という種の存続確率を上げるためにあるともいえると思うんですね。
ヒトが殺し合ったりせず、安全に生きていける社会を作ったという。
しかしあらゆるシステムは、包括すると同時に、必ず何かを排除するものです。
そこで排除されるような……敗者となるような自分は、種の存続のために必要な「犠牲」なのかもしれない……そんな想いを抱く人もいたのではないでしょうか。
それか、「自分自身という苦悩を抱える個体」がいるとしても、「そんな苦悩もDNAからすれば、たまたま乗り合わせた電車が故障しかけている」ぐらいの感覚なのかもしれない……という絶望感なのかもしれません。
「人間って何なんだろう」という苦悩に対しては、かなり強烈な回答ですもんね。DNAの乗り物に過ぎない説。
そんな説を「本気で信じるなって」と言いたいのでは。
この説は宗教的ではないにしても、「神によってつくられた」に近い種類の回答な気がする。
「悩んでいる自分」も、結局は誰かの手のひらの上で踊っている存在にすぎない、っていう感覚。
あぁ、こう考えると、五十嵐さんが歌う「本能」って、自身が生存することと・DNAを子孫に残すことって意味合いでずっと言われていたのかもしれないですね。
五十嵐隆という個体は、この世に居たくないとか、死んでしまった方が苦しみが無くていいとか思うけれど、自殺を行動に移そうとすると拒否反応がある。
その理由を分析してみても確たる答えがない。
確たる答えが無いのに死ねないということは、DNAという自分の主が、自殺という行動を許していないからだ……って感覚があったかもしれないです。
五十嵐さんの楽曲には、人間が「つくられた存在にすぎない」って観念も根底にあるようだけど、そこも、『利己的な遺伝子』の影響が強いのかもしれないですね。
ちなみに、ネットで流行る物事や言葉を「ミーム」といいますが、これもドーキンスさんがこの本で提唱していました。
DNAと同じく、「思想」も、人から人へと伝染していく目に見えないウイルスのような生物なのではないか、という発想ですね。
流行り廃りというものも、生命が絶滅したり、新種が誕生したりする様と同じだし、「思想」が伝達される中で形を変えていくところなども、生命の異種交配と同じ。
そして「思想」を伝えていく生き物は、地球上には人間しかいない。
だから人間の特性っていうのは、そういった「思想」を伝えていくことなのだ、という話だったような……他の人の評論にそんなのがあったような気がします。
面白いですよねぇ。
ちなみにドーキンスさんは、「科学の論理が神を検証する」というコピーがつけられた『神は妄想である』という著書も発表しています。
あーーーーーー……この本、年上の女の人と付き合ってる時に、ねだって買ってもらったっすね……。
しかもまだ読んでない……もう8年は経っているのに……もうだめだ……。
このブログ書き終ったら、新しいものを買うのは止めて、家にある「買ったのに手を付けてないもの」を崩していこう……。
マジでだめっすわ……。
13.ハミングバード
この曲でアルバムが終わるのもなんなので、次に『ユア・アイズ・クロズーズド』を収録したそうです。
それにしてもこのアルバムはアコースティックナンバーが多い。
40万のアコギを買ったから、元を取ろうとせんばかりに鳴らしまくっているのかもしれません。
“ドラマも車も興味がないから 40万のギブソンのアコギを買いました”
いや、あんたドラマ見まくってるやんか! 何嘘ついてんねん!
ホントはドラマ大好きなくせに!
ところで、車は持ってなさそうだけど、そもそも免許持っているのか五十嵐さん……。
隣りに乗った教官からアレコレダメだしされまくる環境に、五十嵐さんが耐えられる気がしないのですが……。
「教習所通い」の日々だけでアルバム一枚分くらいの苦痛を溜め込みそう……。
“苦しんだ割には 実りはすくないな 缶チューハイを 今夜も2缶空けました”
『ヘルシー』は死にそうなくらいつらかったと言っていますからね……。
「40万」って大金じゃんって思っちゃったけど、五十嵐さんの中では、もっと儲かりそうな気がしていたのかな……。
しかし、ここでも、シロップの歌では「恋愛関係」も感情の貿易関係として扱われているのと同様に、「苦しみ」を音楽に乗せて流通させて貨幣と交換されるものだというドライな認識が表れていますね。
五十嵐さん、本当ならどんな暮らしが訪れると思っていたんだろう……。
目黒あたりのタワーマンションの一室をスタジオに改造して、100万円ぐらいのギターを買って、ドンペリを2本くらい空けたかったのかな……。
“さっきはあんなに 怒ってたのに 嫉妬、ひがみもあんまり 長続きしない”
“復讐それだけがが生きる意味になり得るんだよ”と豪語していた男の姿はここにはない。
しかし、「怒り」はわかるけれど、嫉妬とヒガミは誰に向いていたんだろう……売れてるミュージシャン全般が標的だったのかな。
しかしそれも酒を飲んだら忘れちゃう。
いや、五十嵐さん、本当に落ち込んでるんですね……(笑)。
“君だって僕だって 優秀じゃないから たまにはこうやって 涙も出るよ”
なぜ急に「君」が出てくるんだろう……(笑)。
でも、売れるとか売れないとかって、優秀だったらコントロールできるものでもない気はしますけどね……。
どうしようもねーアホが何百万枚も売ることがあるし、頭が良くても売れない人もいるだろうし。
“思い出せ 掘り起こせ 土ん中に 埋めたやつ くだらなくて はずかしくて そこに多分すべてがあったんだ”
昔の恥ずかしい記憶を思い出そうとしているのでしょうか……。
この頃のインタビューでは
「思春期終わるとねえ、ほんとに『なんであんなに悩んでたのか』っちゅうぐらい……もうここまでくるとね」
「あと10年ぐらいはジタバタしてたい気もするし。30代になったらもうちょっと大人だと思ってたんですけど全然子供なので」
なんて語っていたので、思春期の頃の、頭が悪いながらも猛烈に悩んでいた頃のやたら強烈な感情を思い起こそうとしているのでは。
“セミだって花だって 悲しいと思える 人間の感性を 自分は愛してる”
俺もそんな五十嵐隆を愛してるよ……
でもセミは恐いから、愛せないかな……。
しかし、「セミ」も「花」も、短命な生きものですよね。
この「短命」って誰の事?
シロップのことかな……って思ったけど、正直、そんなにガーッと注目されたイメージはない。
ちょっとマイナーながら熱烈な支持はあったけれど、シロップ信奉者が、『マウス・トゥ・マウス』の頃にシロップから離れたイメージはないしな……。
シングルの時に、打ち込みとか電子音のウケが悪かったって言っていたけど、そのことを言っているのかな?
それとも二年でメジャーを離脱することを「短命」とたとえたのだろうか。謎。
でも、愛しているよ、たかし……。
14.Your eyes closed
この曲を初めて聴いた時、僕は怒ったんですよ。
なに、ラブソングに落ち着いてるんだよ!!!!!
っていう。
僕も若いながらにまぁまぁ苦労していて……
母は父と結婚した理由を「私の両親と同居してくれる人じゃないと嫌だったから、次男のお父さんがよかった。あと●●歳までに結婚したかったし」と話していたり、
父が家族に黙って借金を抱え込んでいて、住んでいた家を売らなければならなくなったり、
母が父との離婚届の証人欄に僕のサインをするように迫ったり、
父にボコボコに殴られている時に「たすけて……」とおもわずつぶやいたら「誰もお前なんか助けねぇんだよ!」という無慈悲な言葉と共に殴られ続けたり、
そもそも幼少期から兄におもちゃみたいに罵詈雑言と暴力を受けてきたのに親はほとんど助けてくれなかったり、
そんな兄が統合失調症になって廃人になったり、キチガイバイオレンス精神病者になったりと、まぁまぁ波乱万丈だったです。
そしてめちゃめちゃセックスしたかったのにニ十歳くらいまで童貞だった僕です。
顔は不細工なのに身長が高いせいか無意味に目立ったり、僕も多分ADHDなので人の輪の中から浮いたり疎外されることが多かったのです。
そんな僕が、五十嵐さんが、こんな風にベタなラヴソングを書いて、アルバムの最後に配置してしまうことが受け入れがたかったのです……。
苦悩している作家が、「どんなふうに救われるか」に興味があったんです。
そしたら、この曲ですよ。
「なんか子どもっぽくて無邪気な彼女が出来て幸せです」って言っているように聴こえたんですね。
ふざけんなよ、五十嵐!!!!!
しかし、苦悩している作家って、最後にどんな答えを出すのかと言えば、「人との繋がりに救われる」というものが多いんですね。
何度か名前を挙げたブライト・アイズのフロントマンも、キリスト教を信仰する家庭の矛盾に苦しめられてきたけれど、やはり宗教コミュニティの「カッサダーガ」に入ることで救われたようで、こんな素敵な曲を書くようになりました……。
90年代から00年代半ばまで、もっとも先鋭的な漫画家の一人だった『稲中卓球部』の古谷実さんも、ギャグとして「ダメ人間」を描くうちに、人の暗部へと足を踏み入れていったけれど、「一人で思い悩んでることなんてたいていしょぼい」といった答えに終始していきます。
まぁ古谷さんの漫画の場合、不細工なダメ人間がなぜか頭が良くて社会性があって綺麗な女性に好かれるという展開が多すぎてどうなんだろうって気はするのですが……。
まぁ、ハタチそこそこの自分にとっては、「つながり」とか「愛」以外の答えを誰かに示して欲しかったんです。
そんなもの、僕には信じられないものだったから。
そんなものへの不信感を表明してくれるシロップに同調していたから。
今となっては、なんらかのかたちの「愛」しかねぇんだろうなって思うんですけど。
楽曲の構成は、『クリープ』だと思います。
強弱の付け方もそうだし、歌のクライマックスの部分で、最高のシャウトを響かせるというところもそう。
まぁ、ピクシーズ、ニルヴァーナ的なマナーとしてはよくある構成だけど、それがこんなに効果的に出来ているのはホントにすごい。さいこー。
シロップは、大事なところで『クリープ』っぽい曲を作るよな……というのが僕の印象。
というか、バンド名自体が、日本の粉ミルク製品『クリープ』に対しての「シロップ」だと思っています。
ウィキにも書かれているバンド名の由来があるけど、後に「犬が吠える」を結成したタイミングでのインタビューでは「バンド名について訊かれても逃げ続けてきた」と語っているので……。
閑話休題。
でも、何年か前から、ちょっと違った感想を抱くようになったんです。
それは、この曲で歌われる「あなた」って、子どもっぽい人じゃなくって、本当に「子ども」のことなんじゃないの? ってこと。
僕自身に姪っ子が出来て、彼女と一緒にいると、この曲に近いことを想うんです。
寝たり笑ったり泣いたり、感情の起伏が激しくて本当にせわしない。
けれどそのどれもが愛おしくて、見ていると幸福感が胸の奥に溢れてくる。
ほんとに、「なんでそんなことするの」っていうドキドキで目が離せないんですよ。
どうでもいいことで本当に楽しそうだし、どうでもいいことでギャン泣きするし(笑)。
まぁ、僕がそんなふうに「面白いな」と思いながら観察できるのは、おじちゃんというちょっと離れた立場だからなのでしょうけど……。
僕がそう思うようになったのは、姪っ子とコミュニケーションを取れるようになってきた三歳くらいのこと。
五十嵐さんに子どもが出来たのが『ヘルシー』のあとだとしたら、多分この歌で歌われる「あなた」は一歳に満たない赤ちゃんでしょう。
五十嵐さん本人の子どもかはわからないですけど、多分この曲は「子ども」の歌だと思います。
ポップ・ミュージック史上には、子どものことを歌ったものがたくさんあるんですよ。
そして、どれも名曲になりがち。
そういえば、ミスチルの『優しい歌』って、桜井さんの最初の奥さんとの子どもの名前が「優歌」だかららしいですね……。
この曲を作った時には、元グラビアアイドルの奥様と、その子どもにも恵まれていたはずなので、ストレートに「娘愛」をつづったものではないのでしょうけど……娘さん、複雑な想いだろうなぁ……。
https://youtu.be/Z6ylUHSWWug
デヴィッド・ボウイの『オー・ユー・プリティ・シング』は、息子のこと。
スティーヴィー・ワンダーの『イズント・シー・ラヴリー』は娘のこと。
日本のCMとかでもよく流れますね。
ステーヴィー、この曲を作った時、まだ25~26歳。天才ですね。
オアシスが、2005年……ちょうど『マウス・トゥ・マウス』の翌年にリリースしたアルバムで先行シングルになった『ライラ』は、バンドのメインソングライターのノエルが娘に宛てた曲。
五十嵐さんは、オアシスは終わってしまったバンド的な発言をしていましたが、このアルバムでは批評家からの評価もだいぶ持ち直しました。
日本でも人気の高いピアノ・ロック音楽家のベン・フォールズも『グレイシー』という、非常に可愛らしい楽曲で、娘への愛を捧げています。
パパの歌紹介、終わり。
“あなたと出会って ただそれだけで すばらしくなって 後悔なんかしないで”
ほんとにいいです……。
ある人にとってはファンタジーでしかないけど、ある人にとってはリアルに取れるセンテンス。
自分が拒んでいた「ベタな」幸せな日々を歌う曲の始まりに相応しい。
たとえ、異性を求めることで満たされることがDNAによるインプットだったとしても、構わない……そんな想いもあるのかもしれませんね。
“来週になってもそうで 再来週も多分そうで 永久にそのようで”
明日に怯えていた男が、「永久」なんて歌うわけですよ……感涙やん。
なんか、『リボーン』と同じようなことを歌っているわけですけど、この曲だとすんなり受け入れられます。
そう、「来週」「再来週」と、「明日」を少しずつ重ねていくことが「ずっと」に繋がっていくんだということが、ここでは建設的に歌われるんですよ。
“計画を立てよう それも無駄”なんて歌っていた五十嵐さんが、一日一日を大切にしていこうって歌っている。最高。
やっぱりいいミュージシャンって、自分を演出する術に長けていますよ。
“どうしてそこからそこに行く 行動が読めなくてドキドキする”
自分とは違うタイプの彼女か、子どもかですよね。
子どもの行動ってほんとに読めないじゃないですか。
だから、僕のような、頭であれこれ考えようとするタイプからすると、ほんとに面白いんですよ。
予想外の連続だから。
“何がそんなに楽しいんだろう 笑ってつかれて目を閉じた”
子ども、すぐ寝ますからね。
赤ちゃんなんか特にそう。
あと、単純に、愛する人が眠りにつく瞬間を見ることって、とんでもない幸福ですよね……。
『監督失格』というドキュメンタリー映画でも、「愛する人が眠りにつく瞬間」が象徴的に描かれていました。(そういえばこの映画のプロデューサーに、庵野秀明さんが名を連ねていたな)
“愛しかないとか思っちゃうヤバい 抱きしめてると死んでもいいやって それじゃ嘘つきか”
「ヤバい」っていいですよね……(笑)。語彙力もっと活かせよ!
でも「ヤバい」って言葉しか出てこないんでしょうね。
語彙力崩壊するほどの愛らしさが、「あなた」にはあるんでしょう。
しかし、ここで「生きてて良かった」じゃなくって、「死んでもいいや」って言っちゃうのが五十嵐さんらしさですよね……(笑)。
「命を捨ててもあなたを守りたい」というほど、自分の命に価値を見出してもいないというか。
そしてここでも、さりげなく「嘘つき」になりたくないという五十嵐さんの思想が表れてる。
“たいしてすごいこと起こらないけど 全部満たされた気持ちになる”
ここも『リボーン』の変奏ですよね。
でも、やっぱり、こっちの言葉の方がしっくりきます。
絆を結ぶことで満たされることってたくさんあるんですよね。
それこそ、こんな日々が続けば、40万のギターを買わなくても、気持ちは満たされるはず。
「気持ち」次第なんですよね。
満たされていると感じるか、まだまだ欲しいと感じるか。
五十嵐さんが本当に求めていたのは「愛」だったんでしょう。
そのこともよくわかる。
「愛されたい」からいろんな形で人目を引こうとしてきたけど、お家で待つ愛する人を抱いていれば、他に何もいらなくなってしまう。
素晴らしいやんか……。
“何がそんなに悲しいんだろう 泣いてつかれて目を閉じた”
ここが「赤ちゃんなんじゃね?」と思うゆえん。
大人が泣いているのに「何がそんなに悲しいんだろう」と思っていたら、ちょっと恐いですよね……いや、そういうサイコパスな側面を歌っているのかもしれませんけど。
いや、でも、そうか、「きれいな涙ならべて」とか歌っていたし、「何で泣いてんの?」って思っちゃたのかもしれないですね。
僕も、女性を泣かせて「何をそんなに泣いてんねん」と思ってしまったことは多々あるわ……。
なんかこれは関係ない話だと思うんですけど、女性の泣いている姿って「キュン」と来ることはないですか……?
僕はあるんです。
もう何年も人の涙なんて見てないけど、若い時はありました。
理由を考察します。
激しい感情が出ているところを見る機会なんてなかなかないから、いいということ。
前にも書いたように、男は「泣くな!」と子どもの頃から洗脳されて生きてきているので、素直に泣ける女性を羨ましく思う気持ち。
また、シチュエーションにもよりますが、泣くくらい悲しい気持ちなのに、怒ったり別れを選ばずにいてくれているという相手への信頼感……など。
最後のは、歪みだ……圧倒的な歪みだ。
要するに、相手が自分を「承認」してくれていることの確認が出来て安心しているのだとしたら、俺は歪んでいる……。
だから、もし五十嵐さんが、僕と似た歪みを抱えているとしたら、「泣いているあなた」をラヴソングに組み込んでいるって可能性はありますよね。
“抱きしめてると死んでもいいやって たまに思うんだ”
ここ、言い換えるところ最高ですよね……。
しかもこっちのほうがエモーショナルな歌い方。
最高。
声を枯らさんばかりですよね……この曲をライブで聴きたかったぜ……。
以上が『マウス・トゥ・マウス』の考察です。
『ディレイデッド』に続きます。
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