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映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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syrup16gを理解するためのフレームとなる評論や言葉

      2019/07/15

シロップを理解するうえで、フレームとなりそうな文章をいくつか紹介します。
シロップについて直接書かれたものではありませんが、シロップの影響源を知ることができたり、シロップの世界観が育まれた時代の片鱗が伝わるようなものです。
本来は宮台真司さんの著作も大量に紹介するべきなのですが、読み返す気力と時間がありません……。
そのうち、宮台さんの本を読んで「これは」と思うものがあれば、随時追記していくかもしれません。

まずは田中宗一郎さんによる、ポリスとスミスの代表作の紹介です、
これは、田中さんが主宰していたSNOOZERのディスクガイド増刊号に掲載されていたもの。
2004年の本ですが、同誌の2003年のベストアルバム企画と連動し、そこにランクインした作品と、それらに影響を与えていたり、フィーリングが近い作品が2~4枚紹介されるというユニークなものでした。今でもめっちゃ読み返します……。
シロップの『Hell-see』がランクインしていたので、そこに、以下の2枚が紹介されていました。

田中宗一郎氏によるTHE POLICE『 Synchronicity』紹介

 髪をブロンドに染めたパンク風ルックスで、ジャズやプロッグをやっていた過去と年齢を隠し、レゲエを巧妙に取り込んだサウンドによって、パンク・ブームに便乗したこともあって、一般的な人気とは裏腹にポリスはかなりの嫌われ者だった。ジョー・ストラマーはステージ上から、「スティング、お前らはレゲエを盗んだ。だが俺達は違う。俺達がやっているのは、パンク&レゲエだ!」と叫び、その言葉に世界中のパンクス達は拍手喝采。だが、当の本人達はさっぱり聴く耳を持たず、その後も、XTCのプロデューサーを寝取り、彼らのスタイルをポップに水増ししたサウンドで成功を収めていく。デビュー直後は年に2回も来日し、まめに小銭を稼いでいたが、アメリカで成功するや、二度と日本の地を踏むことはなかった。だが、そもそも警察官などと名乗った時点で、ポリスの偽悪的なスタンスというのは極めて意識的だったと言える。彼らの成功が、丁度ニューウェーヴ/ポストパンクの凋落と時を同じくしているのは、とても象徴的だ。本作は、そもそものプロッグ体質とその後のワールド・ミュージック志向が露わになったラスト・アルバム。シングル“見つめていたい”が、破格のメガ・ヒットを記録することで、ポリスは頂点を極める。当時、この曲をスティングは「強迫観念的な愛の歌」と説明していたが、要は、ストーカーの歌。循環コードに9thを絶妙に配してミュート・ギターのリフが延々と繰り返され、歌詞は強迫観念的なまでにしつこく韻を踏んでいく。パッと聴きは、理想的なポップ・バラッドだが、よく聴くとかなり怖い。ある意味、ポリスを象徴する1曲と言っていいだろう。

田中宗一郎氏による THE SMITHS 『The smiths』紹介

 このスミスの1stアルバムがリリースされた84年頃には、絶え間ない音楽的イノヴェーションを生み出してきたニューウェーヴ/ポストパンクはまるで息切れを起こしたかのように失速し、シーン全体が次第に閉塞感を強めだす状態にあった。PIL(パブリック・イメージ・リミテッド)やギャング・オブ・フォーはゴミ同然になり、ワイアーは沈黙、キュアーやニュー・オーダーはポップ・バンドとして再生を図っていた。その牙城だったインディ・レーベル、ラフ・トレードの看板バンド、スクリッティ・ポリッティはレーベルを離れ、アレサ・フランクリンのプロデューサー、アルフ・マーディンを迎え、ヒップホップ/エレクトロニカに影響された新たなソウル音楽に取り組み始める。アメリカでは、プリンスとU2とスプリングスティーンがメガ・ブレイク。そんな時代の変遷に、それまで単発契約しか結ばないことを信条にしていたラフ・トレードが、初の長期アルバム契約を交わしたのが、スミスだった。言わば、60年代ガール・グループや50年代ロカビリーに影響を受けた、単なる3分間ポップス。だが、ジョニー・マーは、誰もが書けそうで絶対に書けない曲を書き、モリッシーは、それまで誰も歌にしたことのなかったモチーフを、どこまでもリアルに描き出し、虚勢されたプレスリーのような声と奇妙な節回しで歌った。サウンドは信じがたいほどノスタルジックだったが、言葉は嫌になるぐらい今の現実を射抜いていた。現実を上回る痛みと喜びの両方を与えられた少年少女達が彼らにすべてを捧げるのに時間はかからなかった。この1枚のアルバムによって、何万ものベッドルームに潜む、秘められた苦悩と快楽は外界へと解き放たれることになる。
■このアルバムは、子供時代に性的な虐待を受けた青年が、その相手の男を愛憎入り交じる気持ちで恋しがる“リール・アラウンド・~”で幕を明け、連続殺害事件の被害者である子供たちの亡霊の呟きを歌った“サファー・リトル・~”で幕を閉じる。どの歌の主人公たちも、自分が受けた傷や悪夢こそが、今の自分を形作っているという屈辱的な事実を持て余している。しかも、その過去の傷や悪夢が、現在の自分自身を取り巻く現実よりも魅力的だということに身をよじりながら、愉悦を感じている。こんな残酷な、本当のことを歌ってはいけないと誰かが言うべきだった。いずれにせよ、スミス最初の5枚のシングルが与えたインパクトは測り知れない。編集盤『ハットフル・オブ・ホロウ』には、この時期のベスト・トラックがすべて収録されている。

次に、90年代にポリスの全録音曲がボックス・セットとして発売された際に収録された、田中宗一郎さんによる解説です。
五十嵐さんは、ロッキングオンを読み漁ったり、田中さんの文章も読みまくっていたと語っているので、もしかしたらこの文も読んでいるかもしれないですね。
五十嵐さんが田中さんのインタビューで、ポリスのことを語っていたのは、偶然だったわけではなく、ポリスの知識を豊富に有する田中さんを信頼してのことだったのかもしれませんね。
この文章を読むと、五十嵐さんに必要だったのは健康性、建設的なプランニングだった気がしますね……。

  ポリス――どこまでもアイロニカルなリアリストの透徹した意志
5枚目のアルバム『シンクロニシティ』によって全米チャート8週連続No.1という破格の記録を打ち立てながら、そのキャリアの絶頂期に――何度かの復活の兆しを見せながらも――結局はあっさりと解散してしまったスーパー・バンド、それがポリスである。だが、それにしても、このポリスというバンドの歴史を鳥瞰しようとする時に気付かされるのは、ポリスというバンドがロックンロールという暑苦しいまでの思い込みや過剰なナイーヴさ、ロマンティックさからもっとも遠いバンドであったという事実である。――そう、ポリスとは現状を一度足りとも肯定的にとらえたことのなかった、どこまでも冷徹な認識を持った唯一無比のバンドであった。
ポリスの音楽の核であったのは、ロックンロールがいつまで経っても抜け出ることのできない青臭さや楽観主義からは遠く離れた“磨き抜かれたアイロニー”である。例えば、スティングの得意なテーマのひとつに、“孤独”がある。だが、ポリスの“孤独”をテーマにしたナンバーというのは、単に「淋しい淋しい」と騒いでいるような甘っちょろい心情吐露などではなく、非常に高度なアイロニーを含んだものであった。
2ndシングルであった、“キャント・スタンド・ルージング・ユー”――タイトルからすれば紋切り型のラヴ・ソングのようにも思えるが、実際は自分自身のプライドを守るために自殺を試みる男についての歌なのである。つまり、真摯な想いを歌ったというよりは、愛することの邪悪さにスポットを当てたものなのだ。また、初の全英No.1ヒット“孤独のメッセージ”は孤独に耐えかねて瓶詰のメッセージを海に流したら、自分のところに同じような瓶が何本も流れ着いた――という身も蓋もないオチがついていた。つまり、ここで貫かれたのは、“孤独”という不幸を優しく容認しようとするのではなくて、あくまで冷徹に突き放そうとする身振りである。
そして、ポリスのそうしたスタンスがもっとも象徴的な形で表れているのは、初期のステージでエンディングを飾っていたナンバー“ソー・ロンリー”だろう。そう、ステージ上からスティングは万来のオーディエンス相手に「孤独なんだ!」と合唱させてしまうのである。実際、これほどまでにアイロニカルな光景があるだろうか? つまり、ポリスが試みたのは“孤独”という感覚を微分し、解析していこうということなのである。そうしたことから、一連のポリス・ナンバーは必要以上にリスナーに寄り添うことは決してなかった。ポリスというバンドには、常にリスナーに対し一定の距離を置こうとする態度、そうした醒めた視線があったのである。
だが、そうしたクールな態度――自らの感情の赴くままに行動するのではなく、あくまですべてを冷静に構築していくという客観性に長けていたがゆえに、デビュー当時からポリスというバンドはどこまでも戦略的であり、それがゆえにどこか信用のおけないヨソヨソしさを持ったバンドでもあった。
まさにパンク・ムーヴメント真っ盛りの時期に、元カーヴド・エアー、元アニマルズ、ソフト・マシーン――そして付け加えるならば、ジャズかぶれの過剰な才能を持て余した元教師1名――といったそうそうたるキャリアを持つベテラン・ミュージシャンであるにも関わらず、短く刈られ、染め上げられたブロンド――というパンクの意匠を纏って現れたという事実が示唆するとおり、連中が成功するために効果的な演出というものを怠らなかったせいもあるかもしれない。
常に世間に対し、ショッキングな話題を呈虚意志続ける存在であり続ける事。メジャー・デビュー曲“ロクサーヌ”のテーマが娼婦であり、続く“キャント・スタンド・ルージング・ユー”のテーマが自殺であったことを思い出せばいい。連中は自分達のステップ・アップのために、実に有効にプレスを利用したバンドでもあった。デビュー当時は、いかにもパンク・グループの一員を装った態度で持って旧態然としたスーパー・グループに矛先を向け、その後はクラッシュを初めとするナイーヴな理想主義を持ったパンク・バンドを徹底的に罵倒する。すべては計算された上で、積極的にセンセーショナリズムが導入されていたのである。
あるいは、初期ポリスの代名詞だった「ロックとレゲエの融合」というサウンド・フォーマットの導入という問題。これがジョー・ストラマーがまさしく指摘したとおり、レゲエ・ミュージックに対する愛情によるものではなかったのは、後年の3人のメンバーの活動を見れば明らかである。
またバンド運営という面からもポリスは徹底して合理的視点を貫き通した。旧態然としたロックを叩き潰したパンクでさえ避けることのできなかった自己破壊的なライフスタイル。だがポリスがそうした無駄な浪費をすべて排し、最小限での人数でツアーやレコーディングを敢行したという話は有名である。しかも、ツアーの先々ではジョギングを欠かさないという徹底ぶり。セックス・ドラッグ&ロックンロールという紋切り型の世界に、ヤッピー的な徹底した自己管理術を取り込んだのは、良し悪しは別として間違いなくポリスというバンドの功績だろう。
あるいは、それまでの「ポップ・スター=グラマラスなイメージ」という公式を払拭するかのような、セクシーでマッチョながら良識に溢れ、清潔なイメージを持った新しいセックス・シンボルとしてのスティング。例のハイ・トーン・ヴォイスがそうしたイメージに一役買ったのは言うまでもないが、スティングが意識的にそうしたイメージ戦略を駆使したのは紛れもない事実である。だって、スティング以前にどこの誰がユングの著作に読み耽るなどという臆面もない姿でジャケットに収まったりしただろうか!
だが、こうしたどこか誠実さや探求心を欠いた薄っぺらさ、軽やかさ、無責任さ――もっとも、それがあえて選択されていたという事実こそが重要なのだが――こそがポリスの本質だったのである。

しかし、そうした連中の完璧すぎる言動が時として達観した大人のいやらしさとも、もはや夢を失ってしまった者のニヒリズムとして映ってたのも事実だろう。ポリスにはスプリングスティーンが屈託なく体現してしまうような、無防備なまでの楽観性を振り撒くことも、苦悩したそぶりも見せてくれるところもなかった。ポリスは、あくまで偽悪的で軽やかであり続けたのである。
だが、ここに我々が読み取るべきなのは商魂逞しい“ロック・ビジネスマンとしてのポリス”ではなく、あくまで現実的な処理能力に長けた“真摯な表現者としてのポリス”なのである。なぜなら、ポリスというのは徹底的なリアリズムに根ざしたユニットだったのだから。どれだけその想いがピュアで真摯なものであったとしても、それがきちんとした形でプレゼンテーションされなければ意味がない。ロックンロールとは己の内側深く分け入っていくことによって完成されるものではなくて、あくまでも聴き手との接点において磨かれ、そこにのみ価値が見いだされうるものだという認識。ありがちなスノビズムに訴えかけるものではなく、常にマスとの接点のうちに帰着するものであり続けたのである。
例えば、ポリスのアルバムというのは1枚毎にプロダクション/アレンジメント面において、確実な進歩を遂げていったわけだが、これを支えていたのは勿論のこと無鉄砲な実験性であるはずもなく、どこまでも慎重にクオリティを追及していくという実直な計算の成せる技であった。それは革新性を追い求めたと言うより、むしろ厳重な品質管理が行われていたと言うべきなのである。実際、4thアルバム以降、プロダクション・チームにヒュー・パジャムを迎え入れた件にしろ、当時もっともプログレッシヴなサウンドを創り出していたニュー・ウェイヴ・グループ、XTCを模倣する形で行われたものだった。
「ジョン・レノンがもっとミュージシャンとしての腕を磨いていたら、もっとすごい音楽を生み出していたはずだ」というスティングの発言を思い出せば明らかだが――このもはやロックの世界では絶対的なタブーとして君臨してしまっているジョン・レノン批判をさらっとやってしまえるところがスティングの凄さである――ビートルズというバンドが、どこか無意識のうちにマスとの接点を見出し、それでいて常にプログレッシヴで在り続けたのに対し、ポリスはそういった事実に無自覚なアプローチでもって対峙していたといえる。そのようにして、ポリスは程よく革新的でありながら大衆との接点を失わない絶妙なレベルで、常に高品質の“アイロニー”を世界にバラ撒き続けたのである。

「バンドというのは思春期的な幻想にすぎない」――これは、バンド解散後、ポリスの再結成について訊かれて、答えたスティングの有名な言葉である。この言葉の持つクールネスのうちに、スティングというアーティストの本質が集約されている。
冒頭で書いたように、ポリスとは決して夢や希望や理想などは形にしなかったバンドである。初期2枚で顕著だった「僕が僕に僕のもの」という過剰な自己言及、3rdアルバム以降での三人称や多種多様なメタファーを用いながらスティングが描き続けた一対一の関係とは、前述のように“孤独”であり、“監視/拘束”であった。“キャント・スタンド~”、“高校教師”、“ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ”、“マジック”、“見つめていたい”、“アラウンド・ユア・フィンガー”――どの曲も決してそれ以上は決して縮まらないであろう“絶対的な距離”が描かれている。というよりは、必要以上に近付きすぎた関係性に対するスティングの絶対的な不信が見て取れると言った方が正しいかもしれない。
そう、スティングは、数多のロックンロールが受け入れてしまう“愛”というお気楽な物言いを認めない。スティング自らによって「呪われた歌」と呼ばれることになる“見つめていたい”に代表されるように、ポリスは様々な面において、常に密着した関係性に対する嫌悪感を内包していた。そのことからすれば、7年というポリスの歴史はむしろ長すぎたと言えるかもしれない。誰かのことを猛烈に必要としていながらも、それでいて他人に全権を委任できない。こうした認識を抱えたソングライターをフロントに配したバンド――ポリスとは、あらかじめその存在が短命であるという宿命を孕んでいたのである。この5枚のディスクに隙間なく刻み込まれた完璧さというのは、まさにこのポリスというロックンロールという魔法を信じることなく、どこまでも現実的であり続けようという意志が生み落としたものなのだ。
ポリス――それはどこまでもアイロニカルなリアリストの透徹した意志が可能にした、稀有なる実践の軌跡である。

93年9月 rockin’on 田中宗一郎
『メッセージ・イン・ア・ボックス ~ポリス・ヒストリー』収録

野田努さんが、ザ・スミスのリマスター版ベスト・アルバムの発売の際にレビューしたもの
さすがですね……。
やっぱり、文章が上手くて、頭が書く人の文章は、伝わってくる情報の量と密度が違います。
田中さんも野田さんも、海外の音楽雑誌をふつうに読む方たち。
たしか田中さんが、ライター講座で「面白い文章を書きたいんだったら、英語を読めたほうが絶対に良いよ」と語っておられました。
その際に、海外の音楽評論家の本を読むことを勧めてらっしゃったことを覚えています。
私が日本語で書かれた音楽レビューとか感想をほとんど読まないのって、「面白くないから」なんですよね……。
全然評論がないじゃん……。
まぁ私の文章も面白くないのだろうとは思うんですけど。まぁいいじゃないですか。

蹴りを入れたい連中に向かって
どうして僕は微笑まなければならないんだろう
“ヘヴン・ノウズ・アイム・ミゼラブル・ナウ”

 負の感情――報われない愛、貧困と失業、うまくいかなさ、社会に阻まれる夢、他人への不信、地元への嫌悪、持たざる者の惨めさ、自信の喪失、社会からはじかれる前科者、果てしない負の連鎖すなわち絶望感、そうした、おそらく多くの人が人生を送るうえであまり考えたくないようなもの、すなわち夜が明けても続く暗闇があるという認識を思慮深い言葉と美しいギターで表現したロック・バンドがザ・スミスだった。「このじめじめとした陰気な国にさようなら」、「酔っていたときは幸せだった」、「若死にしたいからタバコを吸う」、「学校で学んだ最良のことは学校を辞めること」、「この仕事を続けたら魂が腐りそう」、「君らとは分かち合いたくない」……、1983年にマンチェスターから登場して、1987年に解散したこのバンドは、ときにフィル・スペクターめいたポップのファンタジーを毒々しい態度で利用して、そして未来を夢見るポップとは真逆の、未来のなさを認識しながら生きる人たちの避難所となった。それは若き日の自分に突き刺さり、こうしていまふたたびびそれが容赦なく突き刺さる。いや~、参ったね。橋元優歩に嘲笑されようとかまわない。3.11以降、諸事情が重なり、僕はザ・スミスを25年ぶりに繰り返し聴いていたのである。

思春期において、その言葉と音をほじくるように聴いていたリスナーが3.11以降に真っ先に思い出した曲は、チェルノブイリ原発事故の報道でパニックに陥るUKを描いていた”パニック”、そしてモリッシーの最初のソロ・アルバム収録の、核爆発後の人気のない浜辺の町を歌う”エヴリデイ・イズ・ライク・サンデー”の2曲だったことだろう。僕はそうだった(暴動に揺れ動くUKでは、”ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド・ユナイト”が蘇っているのだろうか……まさか”スウィート・アンド・テンダー・フーリガン”ではないと思うが……)。”アイ・ウォント・ザ・ワン・アイ・キャント・ハヴ”や”ゼア・イズ・ア・ライト・ザット・ネヴァー・ゴーズ・アウト”のような曲が描き出す希望のない人生のなかの小さな輝きは、若気のいたりとはいえ……というか若かったからこそ、それが発表された当時はずいぶんと深く、そしてバカみたいにハードに聴いていたけれど、よもやこの歳(48歳)になってまたしてもこの音楽を親身に聴くとは人生わからないものだ。最悪の時代を生きているという認識がザ・スミスに向かわせているというよりも、いまだこれに匹敵するほどのやりきれなさを引き受けている音楽を他に知らない……といったところが大きい。

今月リリースされた『コンプリート』は、全アルバムのリマスター盤によるボックス・セットで、オリジナル・アルバムが4枚、ベスト盤が2枚、編集盤が1枚、ライヴ盤が1枚の計8枚が入っている。さすが3万5千円もするコレクターズ・セットには手を出せないけれど、このボックスのほうは我慢できずに買ってしまった。もしも、ある種の前向きさに居心地の悪さを感じている若い人がいたら、いまからおよそ25年前の、放射能汚染と冷酷な格差社会の脅威に翻弄されながら生きた、この美しくロマンティックな”負”の音楽を紹介したい。値段は張るが、言葉が素晴らしいので、歌詞が載っている日本盤をお薦めする(金がなければ、とりあえずディスクユニオンあたりで4枚のオリジナルと2枚のベストを中古で探せばいい。2枚だけ選ぶなら『ミート・イズ・マーダー』と『ザ・クイーン・イズ・デッド』)。

心の成長が身体のそれに追いついたとき
僕は手に入れることのできないものを欲しい
欲しくて欲しくて仕方がない
僕の顔に書いてあるだろう
ダブルベッド
心の通じ合った恋人
それが貧乏人の贅沢だ
“アイ・ウォント・ザ・ワン・アイ・キャント・ハヴ”

音楽系の引用の締めくくりに、田中宗一郎さんがくるりについて書いた文を載せます。
くるりはシロップよりもデビューも早ければ年も若いのですが、その音楽性が醸成された「90年代」にはどんな音楽文化が広がっていたのかが非常によくわかるものなので、紹介させてください。
シロップとくるりの比較も、最後にちょっとだけあります。

くるりの一回転
2014年8月 田中宗一郎(ザ・サイン・マガジン・ドットコム)

90年代半ばのくるり――岸田繁、佐藤征史、森信行という三人組は、乱暴に言うならば、恵まれた時代に暮らす恵まれた糞ガキでした。ロックンロールは飽食の世代の暇つぶしだ。かつて甲本ヒロトがそう語った通りの、どんなモノも持っているにも関わらず、常に飢餓感で溢れていて、少しも満たされておらず、無為に他人を傷つけることと、それ以上に自分自身を傷つけることにかけては右に出るものはいない、だが結局のところ、なーんも考えていない。そんな糞ガキでした。

この『くるりの一回転』には、そんな糞ガキ共の姿が詰まっています。当時の彼らのことを僕はかつて、同時期の七尾旅人などとあわせて、「アパシーその後の世代」と呼んだことがあります。アパシーというのは無関心、無感覚のこと。欧米のメディアがニルヴァーナを筆頭にするグランジ・バンドたちを指す時に使った言葉です。あまりに痛みが激しすぎたせいもあって、すっかり感情の扉を閉ざしてしまった状態を指したりもします。つまり、そうした無感覚の後に、まるでそれまでずっとため込んだ感情の渦が一気に吹き出したような激情が最初期のくるりにはありました。バンド黎明期から2ndアルバム『図鑑』までには確実にあった。

ただ、こうした特徴は彼らだけでなく、例えば、欧米でも同じような動きがありました。例えば、初期レディオヘッド。彼らは中産階級の子女たちが住まう学生街オックスフォードの出身です。そう、少し京都と似ている街でもあります。90年代前半のオックスフォードという街はライドやチャプターハウスといったシューゲイザー・バンドたちをたくさん輩出した街でもありました。当時、彼らのようなオックスフォード出身のシューゲイザー・バンドはテムズ・ヴァレーと呼ばれていました。そもそもシューゲイザーというのはサウンドのことを指す言葉ではなく、靴のつま先を見つめるように俯き加減で、ぶつぶつ言ってるバンド。そんな意味合いでした。しかも、大半のバンドが「歌うべきことなんかない」などと言ってはばからなかった。抽象的な歌詞を轟音のシューゲイズ・ノイズで塗りつぶすようにして、ぶつぶつと呟くように歌う。それが当時のシューゲイザーの定義でした。レディオヘッドは、彼らの次の世代に当たります。トム・ヨーク曰く、僕らはテムズ・ヴァレーの尻尾に位置するバンドとして出発した。でも、そこから抜け出すために、ぐだぐだと呟くのはやめて、いきなり叫び出したんだ。これは彼らの“ストップ・ウィスパリング・スタート・シャウティング”という、ほぼまんまなタイトルを持つ曲についての説明です。こうした彼らの変化には、明らかにピクシーズやスローイング・ミューゼスといったボストン・サウンド~その後のグランジとの出会いが影響しています。

当時のくるりもこれにすごく似ている。その黎明期においては正直、歌うべきことなど何もなかった。とにかく音を鳴らしたかった。とにかく叫びたかった。おそらくこれに尽きる。年齢的には少し上のシロップ16gのようなバンドがシューゲイズ・ノイズの奥に隠れながらも、しっかりと歌うべきことを持っていたのとは少し位相が違っています。バンプ・オブ・チキン以降のゼロ年代を代表するバンドたちが初めから歌うべきことをありすぎるくらい持っていたことともまったく違っています。ここ日本では、“ストップ・ウィスパリング・スタート・シャウティング”という感性は、その黎明期において、くるりとシロップ16gというそれぞれ孤高のまったく違う二つに枝分かれしたと言えるかもしれません。

最後に、映画監督の宮崎駿さんの著書から、いくつかの言葉を抜き出します。
シロップに直接的なかかわりのあるものではないんですけど、宮崎駿さんってとても冷静に時代を見据えている人なんですね。
で、見ているものを言語化する能力にも長けています。
なかでも、『もののけ姫』と『千と千尋の神隠し』を製作していた90年代後半から00年代中期にかけては、「子どもたちが社会の閉塞感に苦しんでいる」「子どもたちのために、社会をどうするべきか」ということについて、多くの発言を残しています。
そんな言説の中には、五十嵐さんが育ってきた80年代から90年代がどんな時代だったのかを読みとく鍵があります。
今の時代に通じてくる提言もあります。
本当に優しくて、子ども好きなんですよね。(ネットでは「ロリコン」とかよく揶揄されますけど……)
なので、ちょっと長い文になってしまうのですが、転載します。

宮崎さんは、子どもたちへの想いや責任感を基にして作品を作っています。
のちのち、宮崎さんは、子どもに「この世は生きるに値する」ということを伝えたくてアニメーションを作ってきたと語っていました。
宮崎さんは、そんな理念に、愚直に向き合ってきたんですよね。
本当に好きです……。
そんな想いが伝わってくる作品だったから、もののけも千と千尋もヒットしたはず。
特に千と千尋の神隠しは、海外でもめちゃくちゃ評価が高くて、ファンも多いですよね……。
海外の若いミュージシャンが、熱烈な支持をしていたりするから、面白い現象だなと思います。
何事も、関係ないと言えば関係ないし、関係あると言えばすべての存在は関係しあっていますからね。

あと、人は(自分は)変わらない、という思想も五十嵐さんと近いかなと思いました。
いい子を演じてしまっていた子ども時代への想いが根底にあるという点も。

文字起こしにあたっては、宮崎駿さんの企画書・演出覚書・エッセイ・講演・対談等を収録した書籍を基にしています。
『出発点 1979~1996』および『折り返し点 1997~2008』ですね。
ここでピックアップしたもの以外にも、膨大な量の発言が掲載されています。
とても読みやすいですし、ジブリが好きな人は必読の書です。

『シネ・フロント』シネ・フロント社 1997年7月号 『もののけ姫』の演出を語る より

 宮崎 この時代が持ってる通奏低音みたいなかたちでずっと鳴ってる問題を、子どもたちは本能的に察知していると思うんです。自分たち祝福されていないとか、ババを引いているという気分があって苛立っているのに、それにちして大人たちは明瞭な答えをひとつも与えていない。そこにある木を大事にしましょうということぐらいしかいえない。そのことは感覚的に納得できるとしても、本質的な問題になると子どもたちにはどうしてもわからない。

『ロマンアルバム アニメージュスペシャル 宮崎駿と庵野秀明』徳間書店 1998年6月10日
ベルリン国際映画祭 海外の貴社が宮崎駿監督に問う、『もののけ姫』への四十四の質問

「人間が人間の存在に疑問を持ち始めたこの時代に、そうした疑問が大人や哲学者だけの問題じゃなくて、子供たちの中にも本能的に広がっているのを感じて、自分はその疑問についてどう考えているのかを答えなければならないと思ったからです。この映画を作った一番の理由は、日本の子供たちが「どうして生きなきゃいけないんだ」という疑問を持っていると感じたからです」
「人間というものが、賢くて、祝福された存在では決してないだろう、それdめお自分たちは生きなくてはいけないんだという映画を作りたかったんです」
「(前略)とても普通の優しい子供たちの中に、バイオレンスや憎しみがコントロール出来ない形で溜まっているのが現代なんです。だから子供のためだからと、キャンディーやチョコレートだけを与えていても子供たちは納得しません。血が流れても、美しいということがあるんだということを、僕は子供たちに伝えたかった。
アシタカの行動は、ほとんどが自分の中に生まれてしまった憎しみをどうやってコントロールするかに尽きるんです。それは今の日本の子供たちが、自分の内に潜んでいる暴力にとまどっているのと同じです。なぜ自分たちにいらだち、人を憎み、友人が出来なかったりするんだろうというふうにね。
そこにはバイオレンスだけではなく、人間というものは果たして祝福された存在なのかどうかという疑問もある。それについて大人たちも文部省も答えていない。どうやって上手に生き、楽して人生を終わるかということしか教えようとしない。勉強しろと言う時にも、学問が大切だから勉強しろとしか日本の親は言わない。それを何十年も続けてきた結果、非常に世の中全体が行き詰まってしまったんです」

『北海道新聞』 1998年3月6日夕刊 観客との空白を埋めたい

「今の若者には、主人公のように人生を切り開く動機がない。人間の成長を描いても「しょせん映画」で済まされる。僕が若いころは、貧乏という境遇が生きる情熱を支えてくれたけれど、今の日本の豊かさは世界でも突出している。これが物語と観客とのギャップ、空白を広げてしまった。容易な相手じゃないです。
でも、壁じゃない空白と言ったのは、どこかで絶対、橋が架かると思ってるから。浮世のうさを晴らすだけじゃなくて、心の渇きを気づかせる力が映画にはある。今、思春期以前の十歳前後の女の子に向けた作品を考えてます。恋愛を動機にしない話で、彼女たちが喜んでくれたら勝ち(笑)。「ああ、映画ね」と言われたら負けの真剣勝負です。早くても二十一世紀になっちゃうでしょうね」

『しんぶん赤旗 日曜版』1998年4月5~26日 青春の日々をふりかえって

 僕には小さい時から、生まれてきたのは間違いだったんじゃないかという疑念がありました。
病気でしにかけたりして、親が「ずいぶん大変だった」などと話すのを聞くと、「とりかえしのつかない迷惑をかけてしまった」と不安でいたたまれなくなるような子どもでした。ですから、懐かしい子ども時代というのがないんです。
子ども時代、僕は兄弟の中で一番ききわけのいい優しい子で「いい子」で通したんです。おとなや両親に自分を合わせていただけだと、ある時気がついて、屈辱感で叫び出したいほどつらかった。それで、初めて見たセミの単眼がきれいだったとか、ザリガニの足の先がハサミになっているのに感動したりしたとかは覚えているけれど、人とのかかわりでの自分の姿は記憶から消してしまったんです。
友だちの中では、けっこう陽気にふるまっていたはずなんです。その内側にひどくおどおどした不安と恐怖に満ちている自分がいました。
その自意識のひ弱な部分を支えてくれるものとして手塚治虫さんの漫画が表れました。この人は世界の秘密みたいなものをものすごくよく知っているんじゃないかと思えた。
手塚さんの『新宝島』という漫画にリアルタイムで出会ってもっとも衝撃を受けた世代が、当時六歳か七歳だった自分たちだろうと思います。そうじゃないと、アニメーションの演出をやってる人間に昭和十六年、十七年生まれがやたらに多いことの説明がつかない(笑)。
*
昔は、子どもたちにとって、どうやってメンコをだましとるかということが一番大事だった(笑)。
これは懐かしさでいってるんじゃない。オニヤンマをとるのが上手な子は、学校で5なんかをとるよりはるかに子どもたちから尊敬されていたんです。そのすき間に、自意識過剰でオドオドした僕みたいな漫画をかくしか能がないやつにも、それなりの場所があったんです。
子どもたちはエネルギーの塊で、放っておくと悪さもずいぶんした。大人の社会の中に組み込まれながらも独立した「ガキ」の世界があったんです。
それを全部壊しちゃったんですよね。
現実よりもテレビの世界の方が圧倒的に魅力があると子どもが思った瞬間が『ウルトラマン』です。ウルトラマン世代にとってはウルトラマンが世界最高なんです(笑)。
それが、今日の子どもにまでつながっている。
その一方、子どもたちをとり囲む価値観はどんどん数を減らしたでしょ。文部省だけじゃなく社会全体が「損得で計算しろ」という一つの価値観にしぼり込んだからです。
別に悪いことをしたわけでもないのに、いまの子どもたちはなんでこんなつまんない世の中を渡されたんでしょう。
いま僕の頭の中をしめているのは、おとなとしてはどうすればいいんだろうということばかりです。

『抒情文芸』抒情文芸刊行会 1998年夏号 子供達が幸せな時代を持てるよう、大人は何を語るべきか

「僕らの少年時代は、ある時期が来ると何かを「始めないと」いけなかった。自分で何かを始める必要があった。何かを始めるのは当然だと思っていたんです、どういう形であれ。自分で選んで、その中で生きていくんだと、何かを始めたんです。だから物語を作る時も、何かの形で始まってその航海の過程を描いていくのが映画だと思って来ました。
今の子供達の深刻な問題は「始められない」ことなんです。始める時期が判らない。むしろ始めなくてもいいんじゃないかと思っている。ごく一般的な、子供達だけでなく、ある程度高い年齢の人もそう思っているようです。しかし世の中は、従前通り、ある年齢に来ると「始めろ」と言う。そうすると、子供達はギャップの中で生活しないといけなくなる。始めたふりをせざるを得ません。私達の映画も、始められない子を置き去りにしちゃうんです。始めないといけないなと思っている子には叱咤激励になるけれど、始められない子は、変化に対して不信だけが残ってしまいます。人間が変り得るという考えに絶望があるんです。疑惑というか。」
――そういう子供達を救うことはできるのでしょうか。
「その問いはせっかちすぎますよ。何か問題があるとすぐ傷口をペタッとかくす絆創膏を探すけど、なぜそうなったかを見極めなければ、それに本当は始めなくたっていいかもしれないじゃないですか。自分自身も、始めた心積もりになってるだけで、リアリティをもって世界を感じているでしょうか。他人を救うなんていう力が自分達にあると決める動機もあやふやです。」

「僕らの頃は、貧乏だったので、屈辱に塗れても人間関係に生きるしかなかったんです。一人で生きるわけにはいかなかったし、友人と遊ばないと面白くないから、一人で絵を描いたり本を読んだりすることはあっても、大多数の時間は友人と遊んだものです。僕らだって、子供の頃にテレビゲームが出現したら皆そっちにいったでしょう。刺激が多くて手っ取り早い」

「今の子供達とちがって自分はよく生きてきたなんて思ってないです。自分がいい少年時代を持ってたからそれを描こうなんて思っていません。僕らの職業というのは、自分の子供時代にやり残したことがあって、それでこういう仕事をやっているんです。本当に少年時代を味わいつくした少年は、こういうことをやらないですよ。きちんと少年時代を卒業した者は出て行くものです。(略)そうじゃない人間がマンガを描くんです。手塚さんもそうなんです。夏目さんが書いていますが、端からはそうは見えないけれど、本人は自意識が強くていじけていたと思っている。そのギャップを常に抱えていた。僕もそうです。僕は腺病質の子だったんですが、基本的にはおっちょこちょいのおちゃらけた子に見えたはずなんです。でも、内面は不安と恐怖が渦巻いていた。そのギャップを悟られないよう必死でした。そのギャップを埋めてくれたもののひとつに手塚さんのマンガがあったのです」
「とにかく実際に仕事を始めると、面倒くさい人間関係が出てくるし、現実的にやらなければいけない課題が出てきて、それを処理してクリアして、やり過ごしていかないといけない。否応なく始めないといけないんです。そういう中で、人とかかわり合ったり傷つけあったりということをしないといけなくなる。
これも戦後の幻想なんですが「他人に迷惑を掛けない」という言葉があります。あれは実に嫌な言葉で、本当は人は誰でもいるだけで迷惑なんです。お互いに、誰もいないほうがいいと思っている。家族の中にだって、兄弟がいるだけで迷惑、その子がいるだけで迷惑という関係がいろいろあるんです。迷惑を掛けない関係なんてありえないんです。迷惑を掛けていないなんて思っていると、別の風圧を掛けているんです。
もうずいぶん前から、近代的自我が成立した時から、現代人は否定の上にしか自我を成立させ得ない宿命を背負っているんです。周囲を敵視するしかない。それがいいか悪いかというのは、わかりません。近代的自我というのは、何百年しか歴史がないんだから。あるいはいつの日か、近代国家が消えていくように近代的自我も消えていく時代が来るのかもしれません。村とか家族とかを自分の中心に据えて生きていけるような社会を取り戻すかもしれません。それはわかりませんが、でも、今の社会ではそうではない。自我を立てて闘うしかない。」

――それにどう対処していけばいいのか、ということですけれど。
「子供達は大人に対して、「なぜ生きるんですか」と聞いているんです。「なぜこんな時代にうまれてきたのか」「なぜ僕は生まれてきたのか」と。それに対して大人の答えは、「そんなことを言っていると損する」とか「こうやった方が得する」とか、つまり答えを持っていないんです。実際、僕だって聞かれたらハタと困りますよ。明確な答えを持っていないんだから。でも、損得でものを言うのを止めようと思わないと、たぶん何の説得力もないでしょう。大人の世界の論理はマネーゲームと変わらないんだから。その構図の嘘が、今本当にバレたんです、社会全体で。田舎を含めて全部バレたんです。
しかも経済的不況は人心の荒みを一層かきたてるから、この状況は一段と酷くなるでしょう」

民主教育研究所編『季刊 人間と教育』十号 旬報社 1996年6月発行子どもにいちばん大事なもの

「だけど、基本的な認識として子ども時代というのは、つまんないおとなの生活のためにあるんじゃなくて、いまのためにあるんだということ。「いま」というと、これまた刹那主義と理解する人がいるけれども、そうじゃなくて、いま見ておかなきゃいけないものや、いま感じておかなきゃいけないものがあるはずなんです。たとえば、ある喜びの体験というのはおとなになるとたった五分間のことにすぎなくても、子どもにとってその五分間は、たぶんものすごく、質的に意味の違う、ひどく大きな決定的な役割を果たすんです。
逆にいうと、トラウマ(心的外傷)みたいなもの、おとなからみると、ほんおわずかな些細なことが、子どもにとっては大きな傷になるんですね。でも傷は受けるんです、必ず。無傷で育つことなんかあり得ない。だから、傷を受けることを恐れちゃいけないんですよ、傷を与えることを恐れちゃいけない。他人に迷惑を掛けないなんてくだらないことを誰がいったのか知らないんですけれども、人間はいるだけでおたがいに迷惑なんです。そう思ったほうがいい、お互いに迷惑をかけあって生きているんだというふうに認識すべきだって僕は思う。
僕は子どもの存在が迷惑だなと思ったこともあります。これはいってはいけないことですが。子どももこんなおやじがいて迷惑だと思ったことがあるはずですよ。それはお互いにそうでしょう。女房とぼくの関係もそうだし、たぶん職場のなかではもっと迷惑なんじゃないかと僕は認識してますけど(笑)。
――マンガの『ナウシカ』にも、母親の愛情に欠けていた、傷を受けた、ということが出て来ますよね。
「ぼくは傷を受けたということをテーマにして映画やマンガをつくっているとは思わないです。そんなのみんなあるんですよ。それを大事に抱え込んでいるか、別なかたちで昇華していくかということだと思うんです。その傷は癒されるかといったら、それは耐えられるだけであって、癒されることはないですから。人間の存在の根本にかかわることですから、耐えられればいいんですよ。僕はそう思ってますけどね。取り返しのつかないことは取り返しがつきません。だって、小学五年生で落ちこぼれって、おでこにハンコを押されたら取り返しがつかないですよ、中学校でいくら人間的な教育をやろうなんていったって。取り返しがつかないぐらい大きい意味をもっている。幼児期の、三歳児の時に一時間の体験は、おとなの一年間の体験に勝るようなとんでもない大きな影響力をその子どもに与えるんですよ。
そうすると怖くなって、だれもなにもできなくなっちゃいますけれども、でもじつは、一方で生き物というのは丈夫だから、そこは信頼するしかないんですね。過ちも恐れちゃいけない。これから生きていくと、すこやかな、青空みたいな人生を送れるなんて思ったらとんでもない間違いで、ありとあらゆることが起こるだろうから」

『千と千尋の神隠し』企画書より不思議の町の千尋――この映画のねらい

「今日、あいまいになってしまった世の中というもの、あいまいなくせに、侵食し喰い尽くそうとする世の中を、ファンタジーの形を借りて、くっきりと描き出すことがこの映画の主要な課題である。
かこわれ、守られ、遠ざけられて、生きることがうすぼんやりにしか感じられない日常の中で、子供達はひよわな自我を肥大化させるしかない。千尋のヒョロヒョロの手足や、簡単にはおもしろがりませんよゥというぶちゃむくれの表情はその象徴なのだ。けれども、現実がくっきりし、抜き差しならない関係の中で危機に直面した時、本人も気づかなかった適応力や忍耐力が湧き出し、果断な判断力や行動力を発揮する生命を、自分がかかえていることに気づくはずだ」

「言葉は力である。千尋の迷い込んだ世界では、言葉を発することはとり返しのつかない重さを持っている。湯婆婆が支配する湯屋では、「いやだ」「帰りたい」と一言でも口にしたら、魔女はたちまち千尋を放り出し、彼女はどこにも行くあてのないままさまよい消滅するか、ニワトリにされて喰われるまで玉子を産みつづけるかの道しかなくなる。逆に、「ここで働く」と千尋が言葉を発すれば、魔女といえども無視することができない。今日、言葉はかぎりなく軽く、どうとでも言えるアブクのようなものと受けとられているが、それは現実がうつろになっている反映にすぎない。言葉は力であることは、今も真実である。力のない空虚な言葉が、無意味にあふれているだけなのだ。
名前を奪うという行為は、呼び名を変えるということではなく、相手を完全に支配しようとする方法である。千は、千尋の名を自分自身が忘れていくことに気がつきゾッとする。また、豚舎に両親を訪ねていくごとに、豚の姿をした両親が平気になっていくのだ。湯婆婆の世間では、常に喰らい尽くされる危機の中に生きなければならない」

『ロマンアルバム 千と千尋の神隠し』徳間書店 2001年9月10日 だいじょうぶ、あなたはちゃんとやっていける――。そう子供たちに伝えたい

 ――千尋の両親は、これまでの監督の作品に登場した親とは違う印象がありますが、原題の親子のありようを、意識されたりしたのでしょうか?
宮崎 ああいう人、世の中にいっぱいいるじゃないですか。別に悪意をもって描いたわけじゃないです。例えば『魔女の宅急便』に出てくるお父さん、お母さんのように優しくて物わかりのいい人もいれば、千尋のお父さん、お母さんのような人もいる。お父さんはこういうふうに描かなきゃ、お母さんはこうでなければいけないというような枠を時々感じるんですけど、今回はそういうものを壊してみようと思って、そういうふうに描いてみたということなんです。
――その両親をなぜ豚に変えてしまったのですか?
宮崎 千尋が主人公になるためには邪魔だからです。「はやくしなさい」の連呼とかフレンドリーにご機嫌をとる両親の下では、子供は自分の力を発揮できません。「親はなくても子は育つ」です。「親があっても子は育つ」という人もいますが……。
皮肉を込めて豚にしたんじゃありません。本当に豚になってしまいましたからね。バブルの時の多くの人や、その後も。今もいるじゃないですか。ブランド豚やレアもの豚が。
――豚になってしまった千尋の両親たちは、自分たちが豚になっていたことを覚えているんでしょうか。
宮崎 覚えてないですよ。不景気だ、エサ箱が足りないって今もわめきつづけているじゃないですか。

――製作報告会では、この映画は成長物語ではないともおっしゃっていましたが。
宮崎 最近の映画から成長神話というようなものを感じるんですけど、そのほとんどは成長すればなんでもいいと思っている印象を受けるんです。だけど現実の自分を見て、お前は成長したかと言われると、自分をコントロールすることが前より少しできるようになったくらいで、僕なんかこの六十年、ただグルグル回っていただけのような気がするんです。だから成長と恋愛があれば良い映画だっていうくだらない考えを、ひっくり返したかったんですね。
――成長物語ではないということですが、千尋はあの異世界に行く前と、ラストで現実に戻った後で、何か変化はあったのでしょうか。
宮崎 さあ、わかりません。ただ僕は、あの世界は全部夢だったというふうにしたくなかったんです。だからラストで現実の世界に戻ってきたら車の上に葉っぱが積もっていたリ、千尋は気付いていないかもしれないけど、おばあちゃん(銭婆)がくれた髪留めは残しておこうと思ったんです。あれは本当にあったことなんだ。そうじゃないと寂しいですものね。

――最後に。監督はこの映画を自分の小さな友人たちのために作られたとインタビューの冒頭でおっしゃっていましたが、今の十歳の少女たちが本当に必要だと感じているものは何だと思いますか?
宮崎 それは簡単に答えるべきことではありません。ただ僕は世界は奥深くてバラエティに富んでいるんだっていうことを知って欲しいと思っています。君たちが生きている世界には無数の可能性があって、その中にあなたはいる。この世界は豊かなんだっていうことだけでいいんじゃないかと思います。あなた自身も、その世界を持っているって……。そして僕は彼女たちに「大丈夫、あなたはちゃんとやっていける」と本気で伝えたくて、この映画を作ったつもりです。

 

『キネマ旬報』キネマ旬報社 2002年2月下旬号 さあ、これからどこへ行くのか
2001年度キネマ旬報ベスト・テン 読者選出日本映画監督賞 受賞者インタビュー

 監督はたくさんいるし、スタッフの数は減っていない。
でも、顔が見えません。庵野秀明のあと、出ていない。彼の露悪的ともいえるが、誠実でもある解体作業のようなアニメーションのあとがつづかない。まあ見事な袋小路を彼が表現しちゃったともいえるんですが、これからの監督達は、文明も自我も青春すらも歴史的な相対化を進める中で、それよりもっと遠くを見つめる眼差を持つ一方で、ますます自我の罠にはまって孤立化していくスタッフをまとめあわせるという、僕らの世代よりもっと困難な課題を背負っているんです。

『週刊朝日』朝日新聞社 1991年2月22日号 ただ右往左往するだけの国

 戦争に負けたおかげで、国家のいう正義や、大義名分はうさんくさいと考えるようになっただけ、日本はましになったと思っていた。ブッシュを見ていると、「男はかくあらねばならない」というジョン・ウェインの亡霊にとりつかれているとしか思えない。サダムの正義も同じようなものだ。
ところが、そうでなかったはずの日本が、商売がらみと近所づきあいの論理だけで、湾岸戦争に対応している。サダムをヒトラーと同じだ、という日本の政治家はいても、東条英機と同じだという者はいない。この国は“大義名分”を捨てたが、もっと根源となるものが、何も育たなかったんだ。薄っぺらで、ちょっとの風でも右往左往する。これで平和憲法迄取り壊したら、もう何もなくなっちゃう。
自分の息子どもの顔を見てて、どんなに貧乏になっても絶対に戦場に送りたくないと思った。他人の息子とて同じだ。映画を作る者として、日本の今日的な主題として、管理社会にいかに圧殺されずに、生き延びるかを考えつづけてきた。そのために、十年近くあたためてきた現代の東京を舞台にした青春映画の企画があるんだけど、もうやめる。根っこがないまま、神経症的な反抗を描くことになるだけで、毒ガスや息子の死に怯える世界の人々には、何の説得力も持たないにちがいない。もっと、自分たちの思想の根源になるものを探したい。それが何かは、まだ判然としないんだけど、この前の戦争について、まだこの国では本当の追及をしていないんじゃないかと、漠然と考えて、そのへんに入り口がありそうに思っている。

『青春と読書』集英社 1993年1月号堀田さんの声が聞こえる

 湾岸戦争の時だった。あの辺の国境は植民地時代の産物で、そこに住む人々のかかわりなしに、利権で引いた線にすぎない。イラクのクウェート占領が悪いのは判っていても、イラン・イラク戦争を通して武器をたれ流しにして、イラクを軍事大国にしてしまったのは、アメリカをはじめとする西欧諸国ではないかという反撥が僕にはあった。まして、クウェートは石油成金の不動産国家で、油太りした王族と、ひと握りの国民が財テクにうつつをぬかし、外国人労働者をアゴで使う国である。

TVを観つづける間に、やたらに腹が立って来てしまった。そして、誰かが僕の中で怒鳴った。
「やっちまえ」
戦争をしちまえ、アメリカもイラクもグシャグシャになってしまえ。そうすれば、もうちょっと風通しが良くなるかもしれない。そんな声なのだ。
僕は困惑した。情報操作されたTVと判っているのに、正気を失う自分にあわてた。「やっちまえ」気分に流されてしまいそうな自分に愕然とした。僕の父親が、日米開戦の日に、真珠湾攻撃のニュースで「やったァ」と興奮したという話を聞いた時、僕はなんと愚かな男だろうと思ったのだったが、なんだ、自分もちっともちがわないんだと、思い知らされたのである。
戦後民主主義の、戦争を絶対にしてはならないというテーゼを、僕は無条件で受け入れて来た。そのテーゼは今も正しい。しかし、その根拠となる理念が、自分の中で何とも弱いのだ。多民族が入り乱れ、憎悪が、憎悪の拡大再生産をつづけている現実に出会うと、その弱さがモロに出てしまう。危機管理能力がないのは、何も自民党の先生方だけではない。

 - Syrup16g, 音楽

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