利己的な遺伝子読みかじり 23年1月
妹と、妹の子どもと、義弟の親戚が遊びに来ていた。
小学生の女の子二人と、未就学の男の子一人。
未就学の男の子は僕になついていて、家に来ると僕の部屋に入り浸る。
そしてパソコンで延々YouTubeのチャンネルを流し続ける。
途中で、女の子二人が妹と出かて行き、家には僕と男の子と僕の母親が残った。
僕の母が男の子の面倒を見るかと思ったのだが、そうはならず、男の子は僕が預かっていた。
その日の僕は出かける予定だあったのだが、男の子が僕の部屋にいるので、家を出ることができずにいた。
時間がなくなってしまったので、「家を出るからおばあちゃんと遊びな」と言って、男の子を部屋から出した。
僕が家から出ようとすると、男の子は玄関にいて、「図書館に行くぅ」と言っている。
僕は母とは会話をしたのないので言葉は交わさなかったが、図書館に連れて行く気がないらしい。
我が家は図書館から徒歩7分程度の立地にある。
子どもを連れて歩くとしても、10分ぐらいしかかからないだろう。
行けばいいだろ…と思っていらだった。
また、図書館に行かない理由を諭すようなこともしていなかった。
これに僕は腹が立った。
言葉が通じるか否かは別としても、説明がないことが僕は一番むかつく。
これは僕が幼い頃から彼女が発揮していた西壁で、今でもそうである。
多分僕が生まれる前から、人に何かを説明するなんてことは一切せずに生きてきたんだろうと思う。
「説明しない人」「情報を共有しようとしない人」に僕がむかつくのはここに一因はあるだろうなと思う。
男の子を見ていると、「図書館に行って恐竜の本見たい」と言っている。
顔は悲しげだった。
この子の悲しそうな表情を見るのは初めてだった。
また、学習意欲を見せている。
往復15分程度で図書館に行き、この子に学習の楽しさを覚えさせてあげられるなら、なんとコストパフォーマンスのよいことだろう。
僕はこの子を連れて図書館に行くことにした。
上着を着せてあげたが、マスクはつけたがらない。
つけてあげても外してしまう。
仕方がないので、図書館に着くまでの屋外ではマスクを装着させることを断念した。
外に出てからは手を繋いで歩いたが、僕は身長が180センチ強ある。
対して、子どもの手は僕の腰に達する高さにも上がらなかった。
そのため、手を繋ごうとすると、僕は少し腰を曲げなければいけなかった。
こうなると、子どもが駆け出すのを防止するために括る紐が売られていることにも納得がいった。
ベビーカーを使う年ごろでもないし、このぐらいの身長の子どもと出かける時って、どうしてるんだろう、みんな。。。
住宅街から大通りに出る時に、「車が来るから走っちゃだめだよ」と言うと、
「車が来たら壁にぴとってくっつくんだよ」と言って、壁に寄ってみせた。
しっかりと教育が行き届いていて良かった…
途中で、僕と妹が通っていた幼稚園の近くを通ったので寄り道した。
知らない間に改築されたようで、園の様子が外から見えないように高い塀が作られていた。
多分180から190センチ程度の高さ。
僕は背伸びすればかろうじて中をのぞける。
昔は広い校門があり、通りからも園の様子を見ることができるようになっていたのだが…防犯対策としてこうなったのだろうか。
幼稚園の中ぐらい見れてもええやん…と思った。
甥っ子に園を見せてやりたかったので、肩車してやった。
「ママが行ってた幼稚園だよ」と言ったが、彼は特に反応を示さなかった。
冷静に考えたら、「お母さんが通ってた幼稚園」と説明したって、何の感慨もわかないだろうと思った。
自分が子どものころ、「親にも幼少期があった」ということを理解することができなかった気がする。
甥っ子はまぁまぁ体重が重いほうっぽかったが、肩車をしてても結構安定したまま歩けることに気づいた。
思うに、抱っこだと腕の力で支えなければいけなけど、肩車だと首と肩が支点になるし、重心が自分の体からズレないので支えやすいのだと思われる。
肩車をしながら手繋ぎもしてしまえば、だいぶ歩きやすかった。
図書館まで歩いて5分もかからないところにいるので、肩車をしたまま目指すことにした。
おいっこは「ぶーらぶーらしてるよ」と言いながら体を前後に揺らしたが、僕の体はほとんどふらつかなかった。
肩車って思っているよりも楽だなと思った。
図書館について、肩から甥っ子を下した。
「図書館の中では静かにするんだよ」というと、甥っ子は口に手を当てて「しー」のポーズをした。
図書館に入り、児童向けの恐竜本のコーナーを探した。
甥っ子は多分この図書館に行くのは初めてだし、字も読めないので手がかりもないのに、本棚の間をぐるぐると歩き回った。
僕は彼の手を握りながら、人にぶつかったりしないように注意しながら、彼の後ろをついて歩いた。
こういう時に、子どもが何を考えてるのかわからなくて、彼の頭の中の思考を言語化するような機会があったら面白いなと思う。
でもおそらく、思考を言語化できるようになったとしたら、思考の質や方向もだいぶ変わるだろうなとも思う。
子どもの、まだ人間になりきっていない動物のようなところが好きだ。
司書さんに恐竜の本がある場所を聞いて、何冊か恐竜の本を選ぶ。
子どもがおしゃべりしても迷惑にならないゾーンに行って、恐竜図鑑をパラパラめくる。
彼は恐竜を指さして「これは〇〇ルスだよ」と適当に名前を付けて読んでいた。
しかし「てきとう」にしてもレパートリーがなくなってしまうので、すぐに似たような名前しか生成されなくなった。
「被らないように名前をつけよう」という意図は生じていないようだった。
子どもって面白い。
本を何冊か持って、カウンターの司書さんに差し出す時に、甥は「これ貸して」と言った。
「貸してくださいだよ」と訂正するが、彼は僕の方を見向きもしなかった。
司書さんは「お家でゆっくり読んでね」と笑顔で言ってくれた。
帰宅途中、甥が「疲れた」と僕の足にしがみついた。
疲れたっぽい表情をしておらず、むしろニコニコしてた。
多分、抱っこかおんぶをして欲しいんだろうなと思った。
恐竜図鑑を数冊鞄に入れているので、すでにけっこう重たい荷物を抱えている。
でも僕がこのこと二人きりで外を出歩くことなんて今後一生ないことかもしれないし、一応は「疲れた」と申告されている以上、無碍に断るわけにもいかなかった。
この子は「疲れた」と言えば大人が抱っこしてくれるということをどこで学んだんだろうと思う。
妹も、こんなに重たいものを抱き抱えて歩かなきゃいけないのだとすると大変だなと思った。
家の近くまで来て、抱っこしていた甥のことを降ろすと、彼は家まで駆け出して行った。
「危ない、走っちゃダメ」と言ったが、言うことを聞かずに家までかけて行った。
しかし冷静に考えてみたら、子どもが走らないようにすることなんて困難だよなぁと思った。
骨とか歯を損傷するようなケガもありえるし、その点は不安だけど、転ぶこと痛みを覚えたりして「今後転ばないようにせねば」と学ぶことだろうし、別に大きなけがを負うリスクがないなら子どものすきにさせるのがよいよなー、と思った、
子どもが転ぶと「泣き声がうるさい」「怪我の処置がめんどい」「怪我の経過観察がめんどい」といったことがおこる。
子どもを育てる上ではそういったリスクが発生することが織り込み済みであるはずだけれど、たぶん、親や、子を見守る周囲に余裕がなくて、そういった手のかかるような状態を避けたがるのだろうなと思う。
子どもに対して「効率的であれ」という思いを託しているというか。
子どもに効率を求めるなんて、はなから間違ってますよね。
ただ、この社会に生きている以上、社会の求める様式に則らなければいけないことも多い。(なければいけないことはないが、則らないことによるめんどくささやリスクが生じる)
しかし、子どもの内から、「管理しやすい人材であれ」という型にはめるのはかわいそうな気はする。
結局この図書館往復で一時間半程度消費してしまい、その日の予定は大きく狂ってしまった。
でも得るものが多かったのも確か。
子どもはかわいい。
ただ、最近『利己的な遺伝子』を読んでいて面白いなと思った記述があった。
僕が姪や甥をかわいいと思えるのは、それが、女家族の子どもだからではないかと言うこと。
生物には、自分と同じ遺伝子を持つ者に愛着を感じる傾向があるのではないかという仮説がある。
雄は、雌と交配し、雌が子を産んだとしても、それが自分の遺伝子を継いだ子であり他の雄の子ではないという確証を持てない。
対して雌は、自分が産んでいるので、その確証がある。
だから雌は自分の子どもを育て上げることに熱を注ぐことが自然とできる。
雄が子育てに参加する意欲が低いのはこれにも原因があるのではないかと言う仮説がある。
また、これに関連して、同じ母親から生まれた(育てられた、だったかも)雌の兄弟の子どもは、自分と同じ遺伝子を持っていることに対する確信が強いという。
まぁ、理にかなっている。
なので、女の兄弟の子どもは、「自分と同じ遺伝子を持っている可能性が高い」ので愛着を感じやすい、という説なのであった。
自分的には腑に落ちる。
男兄弟の子どもだったらまた、かわいさが違うんだろうなー、という話です。
僕は、姪や甥と接して、自分が子ども好きなのだと思うようになった。
しかしそれを覆すような説が主張されている本を読んでいて、なんか、やっぱりいろんな本を読んでいろんな知識を得たいなと思った。
僕は子どもを持たない可能性が高いけど、子どもを好きにならない可能性があるな、と思った次第だった。
・今日聴いた曲
ボウイが息子のことを歌った曲。
男の子についての歌ってあんまりないよなーと思うなど。
Adelのアイファウンドアボーイとかかな。
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