いいことを言いたい病 220802
何日か前にここに書いた、ヴァンパイア・ウィークエンドの『オットーマン』という曲は、1stをリリースしたあと、映画のサントラ用に書き下ろした楽曲であるもよう。
1stをリリースしたあとのインタビューで語られていた。
1stと2ndを繋ぐ楽曲なのだな。
アメリカの音楽家だと、このように、「サントラに収録されたけどオリジナルアルバムに入らない曲」があったりするから、これもまた面白い。
2ndのインタビューを読んでいたら、『コントラ』というアルバムタイトルは、何かに「反抗する」という意味であると語られていた。
「これか/あれか」「自分/自分以外」といった二元論が用いられることが多いけれど、それを超えて、世界がより複雑なのだと言うことを受け入れたいということだった。
アルバムのタイトルにするぐらいなので、本気度は高いと言える。
また、自分たちが良い大学を出た坊ちゃんだと揶揄されていた彼らが、「それに対して感情的に反応せずに分析的なところが、また批判する側を焚きつけるのでは」と言われて、それを肯定するリアクションを取っていたのも面白かった。
僕が嫌いな人が、いつだったか、「批判してる人間を見返してやるねん」と話していたのだけど、ヴァンパイア・ウィークエンドのエズラが語った上記のような思想のほうが好きだなと思った。
「自分か、自分以外か」「自分を好きな人か、自分を好きではないか」と割り切れるほど世界が単純だったらいいだろうなと思う。
好きという感情がいつでも好きのままであるか、また、「好き」の中には一切「好きじゃない」が混じらないでいる人がどの程度存在しているかは、わからないと思うのだけど。
エズラが上記のような発言をしていたのは2010年のこと。
それ以降、「分断」は深まっていき、トランプが大統領になったりしましたね。
日本でも「アンチ」という言葉が広く使われるようになったのは、このあたりの時期だったのかもしれないなと思う。安倍総理の政権とかも、やはり、「分断」を助長するようなものだったと思う。
反対意見を持つだけで「アンチ」として、敵対する相手なのだと捉える振る舞いが浸透していくあたり、「自分とは違うもの」を受け入れる余裕が、多くの人から失われていった証拠ではないかと思う。
とは言え、僕自身が二元論を乗り越えることができるかと言ったら、それは疑わしい。
「好き」は共通じゃなくてもいいけれど、「嫌い」「許せない」の感覚が近くない人とは、コミュニケーションを取る時間が長いのはきつい。
「嫌い」というよりも、倫理観のレベルなのだと思う。
自分が暴力にさらされながら育った人間なので、もしかすると、人よりも倫理観が厳しいかも知れない。
特に人の尊厳を侵害する人間に対して。
はっきり言うと、コロコロチキチキペッパーズの西野さんのことが本当に嫌なんですけど(理由を書くのがめんどいので書かないです)、あの人のことを許せるって人のことは多分無理。
ナダルさんが許容範囲内なのは、非を認めるところかなとは思う。言い逃れがギャグっぽくなるので僕は許せるのだと思う。
まぁ、あと、明確にナダルさんと西野さんの違いを言うのであれば、暴力行為の有無はあるよな。
ここ一年ちょっとの間、コロチキが好きだという人と、まぁまぁ多めに接する機会があったんですけど、「西野さんのヤバイとこも面白い」と言う人が一定数いて、自分の倫理観は世間の基準よりも厳しいのかも知れいないなーと思った。(まぁ、「お笑いとして面白い」という捉え方をしているのかもしれないけど。僕は笑いとして捉えることも困難なレベルで、あれは無理。しかも本人が「笑いやから」と理論武装してるのも嫌)
もちろん、あの人のことが好きだけれど、倫理的にはアウトだという認識なのであればいいとは思うんですけど、倫理的に全然問題ないでしょう、という判断になる人とは相容れないと思う。
相容れないけれどコミュニケーションを取ることはできるかもしれないけど。
本当に無理なんですよ……「無理」な理由はいつか多分全部書き連ねることにはなると思うんですけど。
自分が人に対して「嫌い」だと思う部分がぎっしり詰まってる。
こうして考えてみても、やはり、世の中「二元」で捉えることなんてできませんね。
昔、『BI』という題名のついた作品を世に送った作家がいた。
その作品名は「物事は何でも二面性があると思うようになったから」付けられたものとのことだった。
その話を友人から聞かせてもらった際に「へー、二面なのかなぁ……」と僕は言った。はず。
友人は「二面じゃないと思うの?」といったことを僕に聞いた。
「二面じゃなくて、もっといっぱい面があると思う」と言った。
今にして思うと、なんか僕は「いいことを言いたい病」に侵されているのだと思う。
あるいは「俺の方が世の中のことを色々知っているのであるアピール病」「いろんな視点を持っているポーズを取りたい病」。
あー恥ずかしい……。
そう思ったのだとしても、言い方ってものがありますよね。
あー。終わりだ。
こういう恥ずかしい記憶が無数にある。
なんやねん。
こう、思うに、物事の判断は二分できるのだと思うけど、一つの対象に対してでも、判断する要因がたくさんあって、それら一つ一つを二分していくことで、一つの対象への評価結果は無数に生じうる……ということなのではないかなと思う。
上記したような、僕の「嫌いな人」への評価だって、「好きな部分」は存在するけれど、トータルで言えば「許せない」となるわけなので。
・今日聴いた曲
このブログをアップする時点ではYouTube公開されていないのですが……。
女性声優さんの曲。
まぁ、声優さんの曲なのであまり踏み込んだ表現とかはないんですけど(偏見)、こういう、「別れる相手に対して感謝を伝える」とか「離別だけれども綺麗な形で幕引きをはかろうとする」って曲は好きなんですよ。
実際の恋愛だと、終わりを感じる時って、もう相手が自分に気がない可能性が高いので、「綺麗な言葉」とか「感謝」って伝えづらいじゃないですか。
相手が自分をどうとも思っていないのに、自分が相手への思いを持ったままの状態って、恥ずかしいから。虚しいとも言える。
既に、好意に基づく感情を伝えられても何も思わない状態になっていたら、嫌ですよね。
でもそういうことはよくある。
振り向かせたがって言っていると思われるのも嫌だよな、とか考えてしまったりして。
なので、こういう、臆面もなく、綺麗な終わりにしようとする場面を描いた創作物は好きになる傾向があります。
この曲に関しては、言葉の乗せ方とか同じ言葉が意味なく繰り返されてたり、綺麗に終わらそうとしすぎて無理が出ちゃってる感じは好ましくないのですけど、テーマ自体はよいかなと思いました。
「花」と愛の終わりを重ねるのだと『枯れない花束』というNORIKIYOの曲はめちゃめちゃ好きです。離婚したときに作ったのだとか。
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