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映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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(700)日のナダル 0日(2020年9月3日まで)Nobody Weird Like Me

   

Nobody Weird Like Me

・記録すること
ここ700日間ほど、コロコロチキチキペッパーズのナダルさんのことが好きで、毎日動画を鑑賞していた。
その気持ちに一段落ついたので、レポートを残すことにした。
一人の男を想い続けた700日の記録。
おそらく愛と呼べる感情について綴ることになる。
そして愛に伴う様々な煩わしい感情や関係についても書かなければならない。
愛はただ愛であるだけにはとどまらない性質を持つ。
自惚れ、傷心、挫折、性的欲求、自己実現願望、承認欲求、期待、落胆、優越感、劣等感、気づき、再生、挑戦、憐憫、猜疑心、敵対、防衛、集合、離散、虚栄心、慈しみ、庇護欲、贖罪、達成……などなど、人に曝け出さない方がいいことも、ありのまま書く。

・僕とお笑い
コロコロチキチキペッパーズのナダルさんはお笑い芸人を生業としているので、そんなナダルさんのことを偏愛するようになった僕の、お笑いとの接点を記す。
ナダルさんはお笑い芸人として、TVやラジオ、お笑い関係のイベントへの出演が主な仕事である。
また、2~3年前から、コロコロチキチキペッパーズとしてYouTubeチャンネルを作り、そこに動画を投稿している。

僕は10年以上前から部屋にTVを置いていないので、ナダルさんを見かける機会はほとんどなかった。
なぜかナダルアンビリバボーは見ていたのと、『本能Z』でクズキャラとして取り上げられているものをネット上の違法アップロード動画で見ていた気がする。
そういうわけで、世間の人がナダルさんに抱くようなイメージは、あまり自分には定着していなかったとは思う。
ただ、やはり、自分が触れた数少ない情報だけでも、ナダルさんがかなり変わった個性を持っているという印象ではあった。
キングオブコントで優勝したという話もあったけれど、キングオブコントを一度も見たことがなかったので、「へー」ぐらいにしか思っていなかった。

僕は学生の頃はお笑いが好きで、ネタ番組とかやりすぎコージーとかを録画して見ていた。
もともと十代の頃に松本人志さんにハマり、ガキの使いをはじめとしてダウンタウンの番組はけっこう見ていた。
ごっつええ感じのDVDを購入したり、ネットで違法に上がるようになってから後追いでいろいろ見たりした。
けれど2008年のリーマンショックが大きな境目だと思うのだけど、TV番組が急激にしょぼくなり、「金の掛からないバラエティ」が増えた。
街ブラ収録が増えたり、「居酒屋」でのトークが増えたりなど。
それに伴ってか、「よしもと」が、バラエティによしもと芸人を過剰に配置して、「よしもとの内輪話」をしまくるようになった。
シーズナブルに番組としては成立できるからだろう。
もっとも、この傾向はもともと関西では見られたようである。
あと「やりすぎ」の台頭によって関東でもそれが加速度的に浸透したと思う。
これが、もちろん面白いものもあるけれど、「もうええてそんなに吉本ばっかり……」と思うようになって、さらにTVへの関心がなくなった。
それどころか拒否反応も出てしまった。
ちなみに言うと、ちょうどその頃から松本人志さんがあんまり面白い人ではなくなってしまったので、やはり、距離を置くようになった。

そんな自分がお笑いと再び接点を持つようになったのは、『ドキュメンタル』の登場だった。
これはアマゾンプライムに入っていれば見ることができたので、新シリーズが公開される度に見るようになった。(まぁドキュメンタルも途中から面白くなくなりましたが……)
このドキュメンタルを見ていて、面白いなと思った芸人の動画をYouTubeや、アマゾンプライムで少しずつ見るようになったりした。
主に野性爆弾くっきーさん、友近さんとゆりやんである。
自分の傾向として、お笑いに関しては広く浅く触れるのではなく、気になった人のコンテンツを漁りまくるほうが好きである。
上に挙げた三芸人のコンテンツは、同じ物も繰り返し見るようになった。
この頃に、自分の、「家で何かしている時には音声や動画コンテンツをとりあえず再生しておく」というルーティンが出来上がったように思う。

・僕の好きなもの
ここまで書いたように、僕はコアなお笑いファンではない。
むしろTVを見ないので、お笑いには疎いと言える。
自分の趣味を書くとすると、好きな順に「ポップミュージック鑑賞」「映画鑑賞」「ネットコンテンツ鑑賞」「AV鑑賞」「読書」「甘い物を食べる」になるだろうと思う。
特に好きなのは音楽と映画である。
音楽鑑賞は現在でも継続している趣味ではあるが、映画鑑賞のほうは鑑賞する本数が減ってしまった。
僕は30歳ぐらいまでは、毎週3本は家で映画を観るようにしていたし、映画館にも年間50回くらいは足を運ぶ。
とにかくいろいろな映画を観たかったし、いろいろな映画を観ることが楽しかった。

しかし30歳あたりを境に、家で映画を観る習慣が徐々に失われていった。
多分、どれだけ鑑賞しても、「まだ観ていない映画」が山のようにあり、しかも、「観るべき新作映画」も毎週のように公開され続ける状況に疲れが出たのだと思う。
あと「ドラマも観た方がいいよ」という潮流も生まれていたし。
仕事が忙しいと、家でじっくりと映画を観るような時間を作るのも難しく、また、映画の内容が頭に入らないのもつらかった。
「難しい映画」を観ても、理解できる部分が少ない自分の能力が腹立たしかった。

そこに、上述したような、芸人の映像コンテンツを再生する時間が割り込むようになった。
それが習慣になると、「何か再生しておける動画」を探すようになった。
しかしYouTubeの「おすすめ動画」に表示される、他の芸人の動画を見てみても、あんまり面白いとは思えなかったりした。

・そもそも僕はどんなものが好きなのか
自分の好みの傾向として、大雑把な言い方にはなるが、「大衆に受けようと思って作りました」感のあるものは総じて、脳が反応しない。
作家は、時代の空気を読む能力に長けていることが多いが、中でも、「今世の中にないもの」をしっかり提示できる人間が好きだ。
この辺は多分、いわゆる「アーティスト」的な感性を持つ人の作品に親しんできたことで培われた考え方なのだろうと思う。
日本の狭いマーケットでは、「マーケティングの結果こういう音楽が求められていると思われるので、こんな感じにしてみました」という物作りが行われる傾向があるのだけど、映画にしろ音楽にしろ、英語圏から出てくるものは、マーケットが非常に広いので、そういった貧乏性っぽいお利口感がなくて、いつの時代にも先鋭的なものが出てくるから面白いんです。
多分僕と同世代とか、それよりも上の世代の人は、映画にしろ音楽にしろ海外のものに接するのが当り前だったのだけど、若い人はそうはならなくなっていってますよね。
それには様々な要因があるのだろうけど、国外の情報にもシームレスにアクセスできることが当り前になった時代に生きているのに、かえって日本の情報にしか触れない人が増えているのは、なんだか皮肉ではある。

あとは「天才」が好きだ。
音楽にしろ映画にしろ、数百円出せば、歴史に残る天才の作品に触れることができる。
場合によってはタダで触れられる。
天才というほどではなくても、まぁまぁいいじゃんって作品とか、凄まじさよりも共感や親近感を求める人も世の中にはたくさんいる。というかそういう人の方が多いようにも思う。
僕も、そういうものも好きではあるけど、天才が作った作品に触れる方が好きだ。
ただの「良い物作りました」ではなくて、ぶっちぎりにすごい物が好きだ。
また、映画や音楽や本など、天才が作った物には人一倍多く触れてきたので、多分、そんじょそこらの「天才っぽい人」の作品に触れても、「いや天才ってほどではないでしょう」と、ハードルが上がっているように自分では思う。
天才が好きなんです。
天才の定義を言語化すると、「努力の量が多い」「技術力が高い」「独創的なアイデアがある」「知識の量が多い」「鑑賞者の裏をかくのが上手い」とかになるんですかね。
上述した、くっきーさん、友近さん、ゆりやんも天才だと思います。

あとは、ポップアーティストの定義として「誰もが困惑するしかない、とんでもないことをやらかし続けてこそ、本物のポップアーティスト。ファンを裏切るどころか、怒りと失望を煽り立てる余計なことをしでかし続けること」といったものがあるけど、そういうのも好きですね。

ナダルさんを好きになる素養があったかどうかを考えてみると、いくつか思い当たることがある。
「この生き方しかないだろうなと思う人」「他の人がやらないことをやってる」「自分の長所に自覚的」「頭おかしい」といったところ。
音楽でも映画でも、「この人は他の分野だったり一般的な職業に就いてても一角の人物になっていただろうな」という人もいれば、「この人この仕事やってなかったらロクな生き方してなさそう……」という人もいる。
後者のような人物には、独特の気迫が滲んでいたりして、なかなか目の離せない表現を生んでくれるから面白かったりする。
音楽でいえば岡村靖幸さん、メトロノミー、LCDサウンドシステム、レディオヘッドとか。
ナダルさんも、「クズ」であるので社会的には生きづらそうだという要因もあるものの、本人が芸人として生きていくために腹を括っている姿は格好いいなと思う。それも後のち書くと思う。
「他の人がやらないことをやる」は、後々詳しく書くことにはなるが、これができる人って、意識的にしろ無意識的にしろ、周りをよく見ている。社会を俯瞰して空気を嗅ぎ取っている。そういう才能がなければこういうことはできない。
これらと「頭おかしい」という特性を同時に併せ持つ人って希有です。
そういうわけで僕は、音楽や映画で、天才の仕事にけっこう触れてきたのだけど、それでもナダルさんにハマってしまった。
彼のどんなところが、偏愛させるきっかけになったのかは、追々触れていく。

・かく言う僕
後々必要に応じて触れていくけれど、僕という人間について軽く書く。
現在三十五歳で独身の中年男性である。
頭はおかしい。僕は僕ぐらいに頭がおかしい人間にあまり出会ったことがない。
後々詳しく書くが、自分のことを面白い人間だと思っている。
好き嫌いが激しい。
劣等感が強いので、それゆえに、どこか、自分が人の優位に立てる部分がないかを探す習性があるように思う。難儀である。
こういった特性により、僕は足下をすくわれることになる。
人生でそれを何度も繰り返しているのに、同じような過ちで破滅的な局面を迎える。
ここまでこれを読んだ人がいるかはわからないけれど、この頭のおかしい人間の視点から書かれる記録なので、相応のバイアスがかかってしまうことが予想される。それは仕方がない。
とにかく自分の中でのけじめとして、このようなレポートを書こうと思った。
正確性は重視されないことを理解してほしい。

・ナダルさんを知る
2020年9月4日に、『ドキュメンタリーオブドキュメンタル』が公開された。
制作されたものの、下品すぎるという理由でAmazonに配信を拒否されたタイトルであり、収録されてから一年近くの間封印されていたといういわくつきの映像だった。
この頃にはドキュメンタルへの関心も薄れていたけれど、まぁ、公開されたからには見るか……という程度の感覚だった。
ここに、なんとなく「クズキャラ」のイメージしかなかったナダルさんが出演していたことで、僕のここから先の700日の命運が決まってしまった。
人生何が起こるかわかんないな、と思う。

 - コロコロチキチキペッパーズ

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