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映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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シン・エヴァンゲリオン劇場版を観て思ったこと全て 急

      2021/07/29

前回はこちら↓

シン・エヴァンゲリオン劇場版を観て思ったこと全て 破の2/2

ラストスパートです!
アディショナルインパクト発生から、映画の最後までを書きます。

・デカデカレイふたたび
でっかいレイが出てきて、すべてCGで処理されていますが、2021年公開作品にしてはややクオリティが低い気がします……。
おそらくですが、ここはCGによる人物描画の限界を物語る「不気味の谷」を敢えて意識させているのではないかと思います。
CGで人間を描こうとするとき、キャラクターっぽければ可愛いと思うけれど、人間に近づけようとして精巧にしすぎると、人はそれを不気味に思ってしまうという現象のこと。
その「不気味に思うような精巧なCG」と「本物の人間」との間には谷のように埋まらない溝があるのではないかという比喩表現ですね。

・アディショナルインパクトの映像
正直CG映像がダサめで、面白くなかった気がします…。
CGもちょっと粗すぎるような気がします。
まぁ、旧劇場版での、アニメ史上に残るバッドトリップ感のある映像が凄まじすぎるのだという話がありますが…(笑)。

・マリの歩き方、猫みたい
冬月のいる艦内に現れるマリ。
なんかキャットウォークみたいな細い足場を歩いてきますね。
ていうかあの艦内の変な構造、なんなんですかね(笑)。
冬月コウゾウが考案した構造なのでしょうか(駄洒落)

・「君が欲しいものは全て集めてある。あとはよしなにしたまえ」
外にいるエヴァの数体のことを指していますよね。
また、エヴァパイロットが使い物にならず、マリが容易に捕食できる状態であることも指しているかもしれません。
マリが必要としているものを把握しているということは、マリの望みも把握しているはず。
マリの態度からすると、マリと冬月が接触することは本当に久しぶりのことになるはずなので、マリから直接リクエストを受けたことはありません。
マリのことを一方的に熟知していて、彼女の行動を予測できていたということなのではないかと思います。

僕の考察としては、この後に続く「これでいいんだな ユイくん」という台詞に繋がると思います。
ユイは自分が消失する前から大まかなプランを立てていて、冬月はそれを遂行していたのではないかと。
同時に、「今しばらく碇のわがままに付き合ってもらう」とも言っているので、ゲンドウのプランに賛同するフリをしながら、実際にはユイの願いを叶えるために動いていたということでしょう。
「これでいいんだな」と言うからには、ここまでの冬月の動きは、ユイの願いに忠実な働きであったこともわかります。
(もしかしたらユイも、初号機かシンジの中から冬月に何かを伝えることができていたのかもしれませんが)

・「イスカリオテのマリアくん」
マリが裏切り者を指す言葉で呼ばれていることから、使徒から人間側に寝返った存在であることが示唆されているのではないかと、ネットではもっぱらの噂です!(笑)
キリスト教や聖書の知識もばっちり持っている人って、やっぱりすごいですよね…やはり僕など、足元にも及びません…。
しかし「その名前、ちょー久しぶりに聴いたんですけど」という返しも気になる。
冬月の大学の研究室にマリがいた可能性は高いと思う思うのですが、その当時にこんな名前で呼ばれる機会なんてあったでしょうか……?(笑)
どこか別のループ時間軸で呼ばれたということ?
謎。

・「おさらばです」
冬月のもとから去るマリは「おさらばです」とだけ告げて背を向ける。
この映画では様々な形の別れが描かれますが、最も簡素なのがここではないでしょうか。
「お達者で」と言わないあたり、マリは冬月がもう助からないことを知りつつ、けれどもその決断を尊重するような別れの言葉を選んでいるのだと思います。
リツコが、ミサトが一人でヴンダーに残る決断を下した時の心境にも似ているのではないかと。
考えてみたら、マリがユーロのネルフに在籍していたのだとすると、冬月も日本のネルフで働いていたので、その間も交流はあったかもしれないですよね。
どーなっているんやこの二人は…。

・「ユイくん、これでいいんだな」
冬月は少し上を見つめながらぼそりと一言零し、LCL化します。
これは旧劇場版のように、人類保管計画が進んでいく過程で、好きな人が迎えに来る場面と同じことをやっているのでしょうか。
あるいは、少し前のシンジがカヲルの幻覚を見ていたのと同じように、自分の空想のユイと対話しているのか……。

なんとなく自分の解釈としては、上で書いたように、ユイの書いたシナリオ通りに冬月は動いていたのだろうということです。
ユイがエヴァ初号機の中に消える前に、この時点までのプラン概要を立てていて、冬月には伝えていたのと考えられますよね……ユイはどこまで考えてたんだ。
この映画ではゲンドウのことは明かされますが、ユイのことは全然明かされずじまいでしたね。

・「悪いけど、オーバーラッピングのための糧となってもらうかにゃ」
デンデンデンデンドンドンのテーマをならしながら、マリがエヴァを食い荒らします。
どんな戦闘が繰り広げられるのだろう……とワクワクしながら待っていたら、敵めちゃくちゃ弱いですね……。
パイロットは廃人みたいな状態の綾波タイプたちなので、使い物にならないのでしょう。
冬月の言う「よしなに」の末路がこれというわけですね。

・「ラストいってみようか」
ドリフでいかりや長介さんが言っていた「次いってみよー」のもじりだと思うのですが、庵野さんの「エヴァをマジで終わらせるからな」という強い意思表示を感じますね。
あとマリ、ここで口元を拭ってるけど、別にマリの口元が汚れたわけではないのでは……。
それとも何かと特殊な技で、マリ自身の口も汚れてるのかな。

・「もうリリンが君たちを使うこともないだろう ゆっくり眠りな アダムスたち」
いろいろ食ってめっちゃ強くなったマリが、船を沈めながらつぶやく。
やっぱりここでも、人を「リリン」呼ばわりしているので、マリは人ならざる存在である可能性は高い気がしますねぇ……。
アダムスたち…エヴァにおける「人間ではない存在」……グッズ化しやすいであろうギミックがどんどん破壊されていきます。
庵野さん、自身の創造物を全て破壊しきろうとしているように思います。

また、「おやすみ」はおまじないになってしまうため、「眠りな」というおまじないではない言葉が選ばれているはず。
マリはアダムス達に共感や親近感は感じていないのでしょう。
僕はエヴァの設定が全然わからないので、この「アダムス達」がどんな存在なのか正直理解できておりません……(笑)。

・「今は生き延びることが俺たちの仕事だ。どれだけ辛くともな」
戦友をたくさん亡くしてきた高雄が言うと重みがありますね……。
これを言う時、しっかりとバンダナに手を当てています。
Qから出てきた新キャラ達、見せ場があんまりありませんでしたけど、登場が少ない中でもそれぞれにちゃんと役割があるのは良いですよね。

・「わかってるミサト ベストを尽くすわ」
後を頼むわ、的なことを言われた際のリツコの返し。
「子ども達のことを頼む」みたいなことを言われていたので、暗に加持サックジュニアのことを託されているはず。
ここで、「愛してる」とかって言葉があると思ったんですけど、なかったですね。
「愛」って言葉が使われそうで使われない映画だったと思います。
まぁ、愛とは言葉で表現するのではなく、態度や行動で示される必要があるものですからね。
やり遂げる、との約束をするわけでもないことが、想定される苦難を思わせます。

あと、リツコって、「母」になることを避けるような人間だったと勝手に思っているのですが、ここで「残された命を 子どもたちを頼むわ」という、暗に「リョウジのことを任せたい」というお願いにも応えるところが泣かせます。
「命」には多分、加持サックが残した種子保管ユニットも含まれているでしょう。
うーん、リツコ、荷が重そう(笑)。
でも彼女は多分、やり遂げようと心身を尽くすんだろうなぁ…。

・「ありがとう」
ミサト、最後のお礼。
このあと彼女が口にするのは加持サックジュニアへの謝罪のみ。
最後のお礼はリツコに伝える言葉だったのですね。
ミサトとリツコの二人の対話シーンは、この映画の中では多めの尺を持って描かれていた気がしますが、それにしてもこのシーンの台詞は非常にシンプル。
そして間を作りながら言葉が交わされる。
二人の関係性の深みが伝わってくる、素晴らしいシーンだと思います。
大好き。

・艦内に一人のミサト
捨て身の特攻を仕掛けることは、この時点で既にわかっていたはず。
ここで、彼女はジャケットや帽子やサングラスを脱いで、手すりに引っ掛けています。
で、そのジャケットのそばには、シンジと加持サックジュニアの写真をかけている。
これはおそらく、彼女はヴィレのリーダーという職業意識からではなく、息子とシンジを救うために自分の命を捨てる決断をしたのだ、という暗示であるはず。

・「父さんと話がしたい」
父親に初めて向かっていくシンジ。
ゲンドウのATフィールドを、iPodナノを握りしめたシンジの腕が貫きます。
めちゃくちゃ強い力を持っているやん、このiPodナノ……・。

・「嫌われているってハッキリするのが怖かったんだ」
すごくよくわかります。
自分にとって都合の悪い想像をしていると、動けなくなってしまいますよね。
都合の悪い事実がハッキリと分かってしまうのってつらい。
でも、そのことを認めて、言葉に出来るようになっているシンジは本当に成長しているんですよね。

・「父さんは何を望むの?」
ここから、ゲンドウのモノローグが始まります。
そしてこのモノローグパートからが、物語の終盤に入ってくるところだと思います。
「うーうーうー」みたいなコーラスが入り、TVアニメ版で精神世界のBGMによく使われていた曲が流れます。
水中映像っぽい加工も、TVアニメや劇場版でよく使われていたものですね。
この映像と音だけでも、病んだ気持ちになりますよ。

・飢えも貧困も虐待もない
ここで「虐待」という言葉が選ばれる辺りがちょっと気にはなります。
もちろん、人を虐げる行為全般を「虐待」と呼ぶのだとは思うのですが、この後の流れと照らし合わせて考えると「児童虐待」のニュアンスが浮かび上がってくると思うんですね。
ゲンドウは「親の愛を知らない」「親から虐待を受けた」子どもなんじゃないか、というのが推測です。

・「安らぎの世界だ」
しかし、ユイとの関係にゲンドウが見出していたのが「安らぎ」であったことが、この一連のモノローグからハッキリわかります。

ここから先のモノローグの鉛筆書きっぽいラフ画は、すべて前田真宏さんの手によるものだそう。
本編に使われている以外にもたくさん絵を描いたけれど、庵野さんが選んで採用していったのだそう。
ボツになったものの中には、「仕事に打ち込んで家庭をないがしろにしてしまった」という捉え方のできる絵があったとのことなので、やはりゲンドウの関心の中心はユイなのである、ということなのでしょう。

・「親の愛情を知らない私が親になるなど やはりこの世界は不安定で不完全で不条理だ」
親がいなかったという描写はないので、やっぱりゲンドウは、親がいたのに親に愛されなかった人なんだと思います。
「親戚の家」に集まるイベントもあったようだし。
そしてやはり、「虐待」という言葉は、児童虐待についての言葉だったんじゃないかと思いました。
子どもって、自分が受けていた虐待行為を「虐待」と認めたがらなかったりしますよね。

・産声をバックに、工業地帯の写真
赤ちゃんの産声が響く中、工業地帯の写真がうつります。
これはシンジかゲンドウの産声と取れますが、おそらくゲンドウの産声でしょう。
そしてこの工業地帯は、山口県宇部市かと思われます。
劇中のラストで宇部新川駅付近の空撮がありますが、その風景と大部分が一致します。
また、ゲンドウのモノローグパートの大部分を描き上げた前田氏は、宇部でのロケハンでこのパートのイメージを固めていったと語っていることから、間違いないと思います。
つまり、ゲンドウは宇部出身……庵野さんと近い出自を持っているのだという示唆ですね。

・「世間にはそれを良しとしない人間がいる」
ゲンドウのモノローグが始まりますが、この部分が少し不穏です。
人との関わりを避けたがる性質は生まれつきなのだ、という話をしていますが、何かの札を持っている険しい顔つきの男性が映し出されます。
その男性が着座しているテーブルには、酒の瓶かとっくりのようなものも置かれている。
この「世間」というのは、この直後に出てくる親戚のことなのでしょうか?
私はなんとなく、ゲンドウの父親なのではないかという気がしました。
父に代表される「世間」とゲンドウとの確執があったのではないかと。
このように、険しい顔つきをしていることを隠さない程度には、ゲンドウの父は威圧的な態度だったのではないでしょうか。
時代が時代だけに暴力とかも普通に振るわれていておかしくはない気がします。(昭和って、今よりもっとそこかしこに暴力がありました)
庵野さんは、父親から暴力を振るわれていたことを示唆するような発言をしていましたが、ゲンドウは出身地だけではなくて生い立ちもある程度は自分に寄せているのではないかという気はします。

・団地の棟番号
ゲンドウが一人で道に立っていて、眼鏡がなぜかキラーンと光を反射している場面では、彼の背後に団地が立ち並んでいます。
建物には棟の番号が振ってあり、「2」「3」「4」までが確認できます。
ゲンドウは団地住まいなんですかね?
ところで「団地」という概念は国によってはポピュラーではないようですね。
昭和や平成初期は「団地」と言う言葉もよく聞きましたが、今では「公営住宅」「UR」といった言葉の方がよくつかわれている気がします。
団地には独特な空気感がありますね。
おそらく庵野さんも多大な影響を受けているであろう、大友克洋さんの『童夢』も、そんな「団地観」が描かれた作品ですね。
みんな、「一戸建てを持つためにお金をためている」「給料がもっとアップしたらここを出ていく」つもりで団地住まいをしているから、どこか他人同士の集団であるといったことが挙げられる気がします。(令和の今となっては、都会ではどこも「ご近所さん」の概念は消失しているように思いますが)

・背中の番号は「6」
ゲンドウのモノローグの途中で、人が大勢画面の奥側に駆けていく中で、ゲンドウだけが流れに逆らって歩いているような絵があります。
具体的なシチュエーションがよくわからないのですが、人々は様々な背格好であり、どこかの「道」ではなく横幅が画面にも収まっていないので広い場所だとは思うのですが…あれ、どこで何が行われているんでしょうか(笑)。
その人の群れの中で、キャップを被った男性の背中に「6」と大きく書かれていました。
この数字の意味もちょっとよくわからないので、このシーンからは何も読み取ることができませんでした。
謎。
周りが制服姿の人ばかりな気もするので、あれは学校なんですかね。

・ピアノマンゲンドウ
ゲンドウがピアノを弾く挿話。
岡田斗司夫さんは、ゲンドウとカヲルが同じ存在だから、このように同じくピアノ趣味を持たせたのだと話していました。
あ、あと、十三号機と第三新東京市で戦闘する際も、十三号機がカヲルの定番ポーズを決めていたこともその示唆だと話していましたね。
確かにそうだと思います!
まぁ、そうでなければゲンドウにピアノ趣味があるという話を入れなくてもいいですものね。

・アイマスクを外すゲンドウ、肩に手をのせているマリ
おそらく大学に入学したゲンドウが、ユイと出会うシーン。
アイマスクとイヤホンを付けて昼寝をしていたところ、マリとおぼしき少女に起こされます。
寝ぼけ眼のまま、マリの指し示す方を観ると、ユイが立っています。
その傍らにはおそらく冬月がいる。
ゲンドウの視線はユイに釘付けになっています。

・食堂のマリ
その後、食堂っぽいところでマリにちょっかいを出されているゲンドウと、そのゲンドウの方を振り向いて微笑んでいるユイがいる。
こういう、「あれ、もしかしてこの人、俺に興味ある!?」って勘違いしちゃう瞬間ってありますよね。
なんなんだろ。
ゲンドウの場合には幸運にも、本当に好意を持たれてたっぽいもようですが。

食堂でゲンドウにちょっかいをかけているマリですが、あの仕草っておそらく、ゲンドウの眼鏡を外そうとしているのでは。
「眼鏡外したゲンドウ君見てみたいなー」とか言ってるんじゃないかと思います。
メガネを外すという行動は、マリを読み解くうえで重要な要素です。
そういや、庵野さんが声優として参加していた『風立ちぬ』も、眼鏡が結構重要な要素だったりします。
で、後半では、主人公の眼鏡をヒロインが外してあげるシーンが印象的に描かれていました。
眼鏡は主人公にとってコンプレックスの象徴(ATフィールド)のようなもので、眼鏡を外して素顔を見たがるというニュアンスで描かれていたはず。

・向こうを向いて寝ているユイ。月の方を向いている。
モノローグの途中、ユイと結ばれた後のゲンドウが語るワンシーン。
おそらく二人は一緒にベッドで横になっているのですが、ユイは「向こう側」を向いて寝ていて、ゲンドウは仰向けになり、ユイの腰にそっと手を添えている。
多分ですが、ゲンドウは「ユイが向こう側を向いていること」に対して何かを(多分さみしさ)を感じているのだと思います。
まぁまぁメンヘラっすね、ゲンドウ…(´;ω;`)
自分にも覚えがあります。
人間関係で心を閉ざしていたのに、自分の好意を受け入れてくれて、相手も好意を向けてくれたりすると、「自分のすべてを受け入れてもらえるのではないか!」という壮絶な勘違いをしてしまうんですよね…(´;ω;`)
そんな0か100かなわけないのに、経験値が少なすぎて、相手に多くを求めすぎるという過ちを犯してしまうのです。
また、おそらく、それまで心を閉ざしていたのも、他人に対する期待が大きすぎたからなのだろうなとも思います。
なんとなくですが、家庭というホームを持てていない人間って、人間関係で相手に多くを求めすぎて、失敗や勝手な落胆を覚えてしまうケースがあるように思います。
僕は多分そうなんですよね…。
ホームって大事ですよ。

ここでユイが体を向けている方には、大きな月が見えます。
これもなにかの暗示なのかなぁ。
エヴァでは月も登場するし、「月」という存在そのものに大きな意味がありますものね。

・花を踏みにじっている絵
ユイがゲンドウのもとを去った後のシーンでは、花を踏みにじるような絵が写されます。
花とユイとの関連性は特に描かれていないと思うのですが、何かを壊さなければいけないという暴力的な衝動を持つ人間であることの示唆にはなっていると思います。
その後、デスクに顔を伏せてギロッと見開かれた目から涙を流しているゲンドウ。
怖いですね…。

・ユイ、赤ちゃんを抱いてニコニコ
ゲンドウがユイの影を求めて眺めているであろうスマートフォン。
画面には赤ちゃんを抱いて満面の笑みを浮かべているユイ。
ユイは二人の愛の結晶が無事に生まれた喜びを分かち合おうとしているけれど、ゲンドウはシンジには興味などなく、ユイだけを見ていたいはず。
後述しますが、ゲンドウはシンジにユイを取られたと感じているはずなので、次のカットでスマホの画面が割れている絵が出るのは、「シンジに対して怒り狂いスマホを壊そうとした」結果なのではないかと思います。(まぁ、今日日のスマホは画面が頑丈なので、ちょっとやそっとでは壊れないはずですが…)
欲しいと思っていたわけじゃない子どもが残り、最愛にして唯一の生きる喜びを与えてくれたユイが消えてしまったことを、ゲンドウが納得できるはずはないですよね。

でも、なんでユイはゲンドウを選んだんですかね。
ユイの最終目的が、人類を救うことなのだとしたら、自分が去った後も子どもを大事にしてくれる人と結婚した方がよかったのではないかな……と思うんですが。
まぁ、結果的にはユイの目論見通りにことが運んだ感じがするので、ゲンドウがこのように死に物狂いで執着する性質だったことは適正があったということなのかな。
劇中で、ゲンドウがどんな研究をしていてどんな知識を持っているのか明かされないので、ゲンドウが有用性のある人間だったのかどうかはわからないのですよね。
それこそ冬月でもよかったのでは……と思ったけど、冬月は年上過ぎるから、計画の途中で死んだり病気になるリスクもあるのか。
アニメ版では「ユイくんのコネクション目当てに近づいたというのが定説だった」と語られていたので、ゲンドウ側からアプローチした可能性が示唆されていましたが……。
アニメ版では、何か密かな企みを持つ、人を食ったような男として描かれていたゲンドウですが、こっちだと内向的で人嫌いな少年でしかないんですよね。
ちょっと性格が違いそう。
あとユイはゲンドウを「あれでかわいいところもあるんですよ」なんて言ってましたが……かわいいのかな。
あ、この「かわいい」の使い方も、やはり、何かちょっとしたに見るような物言いではありますよね。

考察で、「物語の中でユイだけが計画を成就させている」というものがあったんですね。
確かにそうっすよね…ユイ、何者なんだろう。

・「ただユイの胸で泣きたかった」
アスカの言う「頭を撫でて欲しかった」と同義でしょう。
ゲンドウは何に涙を流していたのでしょう。
父親に愛されなかった悲しみなのだろうか。
劇中では、ゲンドウは幼いころから他人と違う部分を持ちつつも、一人でストイックに逞しく生きていたような口ぶりではありましたが、本当は寂さや孤独に苛まれていたんですかね。
「ユイの胸で泣きたい」という願望があるあたり、やはりユイには母性を見出していたんじゃないかと思います。
この人の胸で泣きたい、なんて思えるような愛と巡り合えるなんて幸せですよね。
幸せだったからこそ、失った時の苦痛も強いのだと思う。

・ユイの側にいることで自分を変えたかった
これわかるんですよ…!
好きな人がいると、「変わらないこと」に固辞する自分を変えられるんですよね。
庵野さんも、モヨコ夫人と出会って、いろんな変化を経験したと前向きに語っていますし、すごくよくわかる話です。
世界が開かれる感じがしますよね。

・「きっとミサトさんだよ」
シンジは異変に対して、ミサトさんがサポートに来たのだとほぼ確信したように言います。
「必ずサポートする」とミサトが言っていたものの、ここに来るのであればマリである可能性のほうが高そうではありますが…。
ここでマリとミサトがタッグを組んでシンジを助けに来てくれるのって、二人が「シンジを迎えに行く」ことを宣言していたからだと思います。
「迎えに行く」という言葉は、TVアニメエヴァの第一話でも象徴的に使われています。
ミサトがシンジを迎えに行くという行為について、シンジとの合流後に運転しながら電話で(おそらくリツコと)会話を交わしていますが、「自分で迎えに行くって決めたんだもの」と豪語していたのです。
おそらく、シンジの子守役を、マリがミサトから引き継いだというニュアンスがあるはずです。
このようにシンエヴァは、これまでのシリーズで用いられた台詞や展開を丁寧にリフレインさせながら作られています。
本当にすごいんですよ…。

・「人類はここまで来ているよ、ユイさん」
人の科学の進化をほめたたえるようなセリフ。
マリってやはり使途だと思うので、どこか一歩引いた視線からこれを言っているのだと思います。
科学だけじゃなくて社会も、様々な成功や失敗経験を蓄積し、議論が重なり、進歩していっていますよね。
人類は進化していっている、というのは庵野さんが近作で描いているテーマだと思います。
というのも、シンゴジラも、おそらく人類が進歩していたことでゴジラという災害に対処することができた、というコンセプトがあるはずだからです。
ゴジラという未知の生命体が日本に襲来し、首都東京を蹂躙する…というおおむねの流れは1954年の最初の『ゴジラ』と同一ですが、あちらは結局ゴジラにされるがままとなり、マッドサイエンティストが開発した倫理に反する兵器を使用して殺すしかなかったのに対して、54年のゴジラよりさらに大きくて強くて硬くなっていたゴジラを科学と人々の協力体制によって封じ込めることに成功するのがシンゴジラなので。
人類って進化しているのです。
トランプ台頭とかブクレジットとか、日本でもここ何年も底が抜けてしまったのかと思うほど愚劣な人たちが政治を動かしちゃってますけど、そういった失敗を経て少し上の段階に進めるのだと思います。

・「ごめんねリョウジ お母さんこれしかあなたにしてあげられなかった」
ヴンダーで特攻したミサトさんの一言。
謝っていますね…。
彼女が持っているシンジくんとリョウジの写真、めっちゃいいですよね。
あのシンジ君を初対面で笑顔にさせるような人柄であることがうかがえる。
シンジ君のはにかみ方もかわいくてよろしい。

・母親は全員死ぬ
TVアニメ版の頃から指摘されていたことですが、エヴァに登場する「母」は全員死ぬというルールのようなもの。
そもそもシンジの通う中学校のクラスは母親がいない子どもだけが集められています。
また、劇中に登場する「母」はみな嫌な死に方をします。
TVアニメ版では以下のとおり。
ユイ……エヴァの実験中に消失
アスカ母(キョウコ)……精神崩壊のすえ首吊り自殺
リツコ母(ナオコ)……一人目のレイを絞殺したのちに飛び降り自殺
ミサトさんもこの系譜に加わることになってしまいましたね……かっこいい死に方だけど。
庵野さんの口から、自分の母親についての発言は見たことがないけれど、お母様とはどんな関係なんでしょうね。
謎。
第三村の母たち…ヒカリと、妊娠していた松方さんのみは劇中で母となったものの生き残っていますね。
アヤナミちゃんと一緒に仕事をしていた、眼鏡をかけた小さめのおばさんも「ウチの嫁に欲しいわ」と言っていたし、おそらく男児がいるでしょう。
あの人達も生き残ったはず。
何か意味があるんだろうか。
邪推ですが、「女の子の母親」の死に方が凄惨な気がしますね…男の子の母親であるユイは、大義のある死に方をしている。
あ、男の子の母親という意味では、ミサトさんもそうか。

・「人の死と思いを受け止めることができるとは シンジ、大人になったな」
破では「シンジ、大人になれ」と諫言していたくらいでしたが、ユイの死と思いを受け止めることができなかった自分が、「大人になれていない」という自覚はあるわけですね。
このゲンドウの言葉には、アヤナミちゃんを失ったシンジの心境を察した含みが持たされているのかなぁ。

・「会わないことが贖罪だと思っていた。子どものためにもなると思っていた」
ここでゲンドウとシンジが、書類や家具が積まれたテーブル越しに向かい合っていましたが、あれは何のシーンだったのでしょう。
シンジは中学生くらいに成長した姿だし、ゲンドウも司令の格好をしていました。
なんやったんや…。
シンジのほほの肉のたれ具合や、瞼のはれぼったさなどが強調されていて、かつてないほどリアルな絵になり、ちょっとドキッとしますね。
それまでの描写とこの言葉は、ちょっと食い違うように思うんですよね…。
「ユイを再構成するためのマテリアルとして、シンジが必要か否かが最後までわからなかった」と述べているということは、ゲンドウにとっての最優先事項がユイであることは揺るがない。
マテリアルとして必要がないと判断したから、シンジを放置したってことだと思うんですけど…。
それとも、「マテリアルとして必要かもしれないが、贖罪・シンジ自身のために自分から引き離した」ってことなんですかね。
なんかちょっと意味わからない。
あとこのモノローグのシーン、シンジが中学生ぐらいになっている描写でしたけど、ゲンドウは物語が始まる前の時点で一度シンジに会いに行っていたってことなのでしょうか。
うろ覚えですが、「いきなり手紙をよこしてこっちに来るよう命令された」って状態だった気がするのですが…。

ゲンドウが「子どものためになると思っていた」とは思えないです…。
そういう口実で、結局はシンジのことが怖かったんですかね。
「自分が人から愛されるなんて信じられない」。
でも、「親の愛を知らない」自分がシンジに愛情を注げると思えなかった、という自分への不信感が根底にあるから、近寄らせたくないというのもわかる気はする。
また、ゲンドウが虐待を受けて育ってきたなら、自分もシンジを虐待してしまうかもしれないという恐れもあるかもしれないし。
後のシーンで、ゲンドウがシンジを抱っこしてあげているのに、「うわぁーん」って泣かれて顔面に蹴りまで入れられちゃっていましたが、あの時ゲンドウは相当ムカついているはず。
「子どものすることなんだからしょうがない」と普段は思えているのに、いざああいう子どもの癇癪とかイヤイヤに見舞われると、やっぱりイラッときてしまったりはしますよね…。
ましてや眼鏡をかけてる顔に顔面キックだから、むかつきもひとしおなはず。

・「すまなかった、シンジ」
劇中で数少ない「謝罪」の言葉。
幼いシンジを抱きしめるゲンドウですが、彼は手袋をはめたままです。
ゲンドウがシンジとしっかり触れ合っていれば、シンジももっと人との間に心の壁を作らずに接することができるようになっていた、って話なのかもですね。
もしかしたらそれは庵野さんとお父様との関係にも言えることなのかもしれません。

庵野さんは、お父さんと話し合うことができたのでしょうか。。。
エヴァのTV版の後に、NHKか何かの番組で、母校の小学生生徒にアニメーションづくりを教えるみたいなことをしていたのですが、そこで小学生たちに「庵野秀明にゆかりのある人にインタビューして、庵野君のアニメーションを作る」ということをさせるんです。
まぁまぁやばい企画です…。
そこで、庵野さんのご両親にもインタビューさせていたのですが、ちょっと距離感があったように思うんですよね…。
話し合えたのでしょうか…庵野さんとお父さん。
シンエヴァを観て、なおさらそう思いました。

・「そこにいたのか ユイ」
ちっちゃいシンジを抱きしめたゲンドウが、何かに気づきます。
あれって、ユイはシンジの中にいるという話なのですかね…?
ユイと自分の愛の結晶なのだから、ユイの影を求めるならシンジと一緒にいればよかったんだという話なのか、実際のユイの魂的なものがシンジの中に存在しているという話なのか理解しかねます…。

・電車を降りるゲンドウ
手にはシンジから返されたiPodシャッフルがあります。
曲は29を再生していましたが、カチリと音が鳴って再生を止めます。
エヴァを終えるということは、ゲンドウが抱える問題を解決させることだったと解釈してよいと思います。

・ただ親から愛されなかった自分を認めることができたのか
ゲンドウがシンジを愛さない理由や、ユイに対して世界を巻き込むほどの執着を見せる理由についてはこれまで様々な考察がありました。
庵野さん自身、TVアニメ版製作後のインタビューでは、「ゲンドウはシンジの本当の父親なんですかね」と語っていたことがあります。
「本当の父親」が、シンジに対してあのような接し方をするものなのか? というのは作っていた庵野さん自身でも疑問だったのでしょう。
この時点で旧劇場版を構想していたはずなので、本人でもゲンドウのことをどう描くべきか決めあぐねていたと捉えていいはず。
庵野さんのことをよく知る(そしてよく誤解・独自解釈する)岡田斗司夫さんは、確かQ公開後のニコニコ動画で、シンジをユイと冬月の子どもだと考察していました。
ゲンドウはそれを察しているからシンジを愛せなかったし、ユイと再び会いたいのはそのことを問い詰めたいからだ、とのこと。
また、Qでシンジと冬月が詰め将棋をするのは、父子のキャッチボールのようなもので、本当の親子関係であることの暗喩ではないかとのことでした。
庵野さんは少女漫画の影響を強く受けているので、そういったドロドロ劇が控えているのではないかということでした。
この説を聞いた時、自分はかなり納得がいったのです!
だって、そういった壮大なドラマでもない限り、ゲンドウの動機をこんなに引っ張る必要はないと思ったのです。
庵野さん自身のお父さんが、庵野さんに強く当たっていた理由については、「父は若いころに事故で足を失った。しかも自分ではなく、他人の不手際によって起こった事故だった。そのため世を恨む気持ちを強く抱いていた。それが自分にも向いていた」と述懐していました。
もちろん、これが庵野さんの父上の口から直接語られたものかはわかりませんし、直接語られたものだとしても、それだけが理由だったのかは定かではないと思います。
けれど、そんなストーリーがあったということで、庵野さんは自分を納得させているのだと思います。
不謹慎な話ですが、これは、自分が晒された暴力の発生起源として理解できるようなドラマではないでしょうか。
不慮の事故により、それまでと同じ生活を送ることができなくなり、日常の生活にも支障が出る状態になってしまった。
庵野さん曰く、お父さんの身体の障害の影響で裕福な生活を送ることはできなかったとのことでもあります。
就業できるお仕事にも制限がかかってしまいますよね。

しかし、「親との関係を適切に築けなかった」「唯一自分を受け入れてくれたのがユイだった」「そのユイが理不尽な事故でこの世を去ってしまった」「だから父さんは僕を愛してくれなかった」というドラマって、腑に落ちるものではない気がするんですね。
少なくとも僕は納得がいかない…ユイがエヴァの計画の中で、自分自身にリスクが降りかかることは承知の上で、よくわからん恰好でコアの中に入っていくことを選択しているわけですから…庵野さんのお父様が見舞われたような不慮の事故とは少し質が違う。
また、その後の生活への支障という点についても、妻がいなくなってしまったということと、就業できる仕事に制限がかかってしまったり、それまでと同じような生活を送ることにも支障が出るといった事象とは、また異なると思うんです…。
ゲンドウがシンジを愛さなかったのは、妻を失うという悲劇がきっかけであることはもちろんですが、もともとのゲンドウの資質にあったんじゃないかと思うんですよね。

残酷な事実ですけど、子を愛さない親ってたくさんいます。

正直、僕がシンエヴァに最も期待していたのって、ゲンドウのバックストーリーや動機が明かされるのか、という点でした。
そして見事、そこは解明されました!
設定や世界観や隠されたままのほうがいいストーリーについては、けむに巻いたままでいいと思うのですよ。
でも、物語を推進してきた人物の動機は理解したかった。
その念願はかなったので、よかったっすよ。

シンジを愛さなかったのには「愛する理由がなかった」ことであると、シンプルで残酷な事実を描いたのが本作だと思います。
音楽や映像表現、そして立木さんの声によって説得力は帯びていますが、はっきり言って語られる内容は凡庸なものです。
そしてそれはある程度意図したものであるはずです。
本当なら壮大なドラマで脚色して、父が自分を愛してくれなかった理由付けをすることもできたはずです。
しかし、ただ、「愛さなかった」という事実を突きつけてくる内容になっています。

『普通の人々』という映画があります。
主人公は高校生ですが、事故によって兄を失っており、母親は優等生だった自慢の息子を失ったことで、凡夫である主人公を冷遇します。
主人公はカウンセリングを受けて精神の傷をいやそうとしますが、うまくいきません。
物語の終盤、主人公は「あれが彼女なんだ。彼女にそれ以上を求めることはできないんだよ」という、冷たいけれども厳然とした事実を突きつけられます。
父や母とはいえ一人の人間ですからね。
僕はいまだに自分の親が許せないです。
大人になれてない証なんでしょうね…。

あと、岡田さんの「シンジの実の父は冬月」説ですが、TVアニメ版ではシンジ出産後のユイと冬月が湖畔で対話をするシーンがありました。
あそこで、冬月は湖の方を眺めているのですが、ユイがシンジをあやすためにちょっと無防備な姿勢を取っている時に、その胸をチラ見するんですよ。
わざわざカットで示しているので、強調された動作です。
岡田さんの考察通りに、ユイと冬月が関係を持っていたのだとしたら、多分ここで冬月は胸をチラ見したりしないはず。
だって、もう全部見たことがあるのだもの……(笑)。
もちろん、関係を持った人と数年ぶりに会ったりしたら気になることはあるかもしれませんけど、「チラ見」はしないはず。
シンジの父はゲンドウと考えて間違いはない。

・「僕はいいんだ。つらくても大丈夫だと思う」
シンジくんの言葉。
自分よりも他の人達を救いたい、という決意を語ります。
ここなのですけど、庵野さん自身が「監督」という立場について語っているところと被るような気がします。
曰く、「監督は責任を取ることが仕事。作品について、かかわったスタッフを非難するのは許せない」とのこと。
庵野さんの責任感の強さがはっきり表われている発言ですね。
その責任感の強さから、企業経営や作品のプロデュースまで担うようになっているのだと思います。
「大丈夫だと思う」という言い方がちょっとあざといというか、決意はしているけれど、全うできるか自信がないという心境が現われている気がします。
あるいは、カヲルくんに勇気づけてもらったりしたいという、ちょっと甘えたがっている状態なのかもしれません。

あと、自分の身を挺して世界を救う決意をする主人公というと、『トップをねらえ!』もそんな感じでしたね。
自分が犠牲になるという覚悟を抱ける人間って、現実にはそうそういませんが、庵野さん自身がそういう人間になりたいと思って生きているのかもしれませんね。

・「君はすでにイマジナリーではなく、リアリティーの中で救われていたんだね」
庵野さん自身の体感が、こうなんじゃないかなぁと思います。
作品を作ることで救われることを願っていたけれど、結局創作ではなく一人の人間としての心の傷や思い悩みは、実際の人間関係において救われたということなのではないでしょうか。
多分、モヨコさんと出会い、彼女との関係で変化し、救われたということなのではないかと。

庵野さんが、エヴァを完結させた直後に、同時期に『もののけ姫』が公開された宮崎駿さんと対談していたことがあります。
そこで庵野さんは「仕事をしていると不幸な自分を忘れることができる」と話していました。
宮崎さんはその発言で笑っていましたが、決して賛同はしていなかったです(笑)。
多分、そんな風に「不幸な自分を忘れたい」という思いからエヴァは作られていたはずですが、多分庵野さんは今、「不幸」だとは思っていないはず。
その事実が反映されているんだと思います。
エヴァを作ることを通して救われたいと願っていたけれど、もう「救われたい自分」はいない。
でも、作品に自分の魂を込めなければいけない、という強迫観念めいた哲学もあったのではないでしょうか。
そんな事実がエヴァ完結を遅らせていた、という見方もできると思います。

・アスカの回想
式波アスカは、惣流アスカとはほぼ異なる出自であることが明かされる衝撃の内容ですね。
TVアニメ版とだいぶ性格が違っているとは感じていましたが、こういう出自だったのなら、誰も寄せ付けないような刺々しい振る舞いになっていたこともうなずけます。
しかし、式波タイプは血も涙もない厳しい選定を受けているようですが、綾波タイプはなぜ綾波レイ一人だけだったのだろう。
謎。

・シンジを見て切なそうな顔をするアスカ
ドイツでの一幕なのでしょうか……大きな建物の前にいるアスカが、VIPのような扱いを受けているユイ、ゲンドウ、そしてシンジを羨ましそうに眺めています。
シンジはゲンドウに抱きかかえられていますが「うぅあー」といやいやしながらゲンドウの顔に蹴りを入れています。
ユイは「仕方が無い」といった感じの笑みを浮かべながらシンジを抱っこします。
ゲンドウの顔には汗が浮かび、眼鏡もずれている。
ゲンドウがシンジの扱いに困っていることがわかります。
劇中で唯一、ユイの笑い声が聞こえます。
そんな家族の姿を遠巻きに見つめるアスカは、少しだけ怒ったような、悔しそうな表情をします。
アスカはこの時のシンジのことを覚えていたのでしょうか……。
ユイやゲンドウがVIP的な扱いでこの場に来ていることは間違いないでしょうから、アスカはここで彼らを見ただけではなく、ネルフの関係者からこの家族の詳細について話を聞いていてもおかしくはないはず。

ところでこの時のアスカのリュックには、お猿のマスコットがくくりつけられています。
これはTVアニメ版で、母の自死後に、父と継母と共に生活をするようになった際に、父から贈られたぬいぐるみと同じデザインです。
アスカはそのぬいぐるみを引き裂いて父への反抗を示していましたが、こちらではちゃんと使っている。
もちろんこちらのアスカには父がいないので、どういうルートでこのぬいぐるみがアスカの手に渡ったかは不明ですが、TVアニメ版ではアスカに与えようとする者がいてもアスカはそれをはねのけるキャタクター性であったのに対して、こちらでは与えるものがおらず、人からの好意的な接触に飢えている精神状態であることが示唆されていると思います。

・水族館で一人ぼっちのあすか
「私を褒めて 私を認めて」的な悲痛なモノローグをバックに、破で訪れた水族館と同じ絵を流用しているであろう背景にぽつんと座り込むアスカが描かれます。
ここは、シンジが綾波のもとへ寄っていくのを「フン」と面白くなさそうに見ながらゲームにスイッチを入れたシーンの背景をだったはずです。
破ではあんなにつんけんしていたけど、つまるところ、アスカはシンジに褒めて構って欲しかったってことですね。
破の水族館シーンの直後の戦闘で、シンジがゲンドウに褒めてもらえたことを喜んでいると、「あんたって本当にバカね」と冷たく言い放っていましたが、あれはシンジへの嫉妬だったってことなんじゃないかなぁ……。
ゲンドウとシンジのことを幼少期に目撃したことを覚えていたのかもしれませんし。
あるいは、アスカの働きをシンジが褒めてくれないことへの苛立ちもあったのかも。

・「本当はただ、頭をなでてほしかっただけ」
これ、泣ける台詞ですよね。
第三村パートで、ケンケンが頭にタオルを掛けるシーンがありますが、多分ほんとなら、あそこでアスカは頭をわしわしされたかったはず。
そういう、積み重ねがあるから、一つ一つの台詞に重みが加わるのだと思います。
やっぱり庵野さん、ぶっちぎりにすごいですね。

・人形からケンケン
ケンケンが人形のかぶり物を脱いで、アスカの頭を撫でるところ……。
ここを見て、嘔吐しそうになったのは僕だけではないですよね。
ケンケン、無精ひげ生やしてたりなんかして、どこか加持さんみが出てきているものね。

ところで、このハンドパペットはモヨコ夫人がデザインを買って出たとのこと。
モヨコ夫人がデザインしたハンドパペットに頭をよしよしされて承認される…というところを考えると、庵野監督が身を粉にさせて働くところを、モヨコさんに承認してもらえたことで救いを得たという経験談が反映されているんじゃないかなー、と思ってしまいました。。。

・プラグスーツも、旧劇場版仕様になっています。
それにしても破れ具合などがえちえちすぎではないですか…?
若いスタッフも多く参入してきたとはいえ、メインスタッフの多くは40代から50代…よくもまぁ、こんなに性的な絵を過剰供給できたものですよね。。。

・綺麗な星空
浜辺の絵もそうですけど、星空もめちゃくちゃ綺麗ですよね……。
キャラの塗り方のタッチもちょっと変わっていて素敵。。。

・「私……寝てた?」
アスカが、エヴァ史上最も艶っぽい顔のアップを見せた直後の一言。
これは、作品序盤で「もう寝たふりも飽きた。いつになったら寝られるんだろう」と独り言を零す場面に対応していますね。
第三村パートで、「いつになったら寝られるんだろ」とぼやいていたアスカと、同じアスカであることがこの言葉からわかるはず。
プラグスーツは旧劇場版アスカだけど、魂は新劇場版アスカだということですね。

最初に観た時は、この艶っぽい表情を観て、「完全に事後やんけ…」と絶望感に襲われました。
これを最初に聴いた時、「ケンケンとエッチした後のシーンなんかこれ!?」と絶望しかけたました。
罠ですよこれは絶対。

また、「寝てた?」っていう台詞も、パートナーと同衾しているときにうたた寝してしまった時に言う言葉じゃないですか。
つまり汗だくエッチした後にうたた寝してしまったシチュなんじゃねぇの!? っていうドキドキですよ。
はぁ、思い出すだけでもつらい気持ちになりますね…。
恥じるのは、知恵の実を食べた後のイブか?
イチジクの葉っぱで体を隠す。

・「よかった。また会えて。ありがとう、僕を好きだと言ってくれて。僕もアスカのことが好きだったよ」
これがシンジのケジメなんですよね。
でもマジでシナリオでのシンジ君の感情の流れでわからないのが、ここでこれが言えるなら、最後に会いに来た時にも言えるんじゃないの? ということです。
ゲンドウを見送ったことで、「想いを伝えないこと」が、人生によくない影響を与えるということを悟ったのでしょうか…。
このシーンのすごくいいところって、「昔両思いだったかもしれない人と、時を経て再開して、当時の想いを伝え合える」というシチュエーションの良さですよ。
そして人生では、こういうことってたまにあったりする。同窓会とかだとあるんですかね。
「昔付き合ってた相手との再会」でも、こういう良さはありますね。
熱が逃げた後だからこそ、互いに客観的に当時を振り返りながらしゃべる感じ。

なんか私も、昔付き合っていた人にたまに連絡をすることがあるのですけど、こういうことを言えたりした時はすごくすがすがしい気持ちになります…カタルシスがありますよね。

・アスカは照れて、身体を隠してシンジに背を向ける
で、このシーンがエモすぎるのが、Qから「私は大人になったんや!」と大人ぶってたアスカが、めちゃくちゃ少女だということ。
第三村では裸を見られても、自ら正面を向いて見せつけすらしたアスカですが、ここでは「好きだったよ」と伝えられて、恥じらいの表情を浮かべて身体を隠してしまう。
もちろん年を重ねても、ああいう恥じらいを失わない人もいるだろうけど、僕はやっぱりアスカは、少女のままなのだと思います。
重要な職務に就いているのかもしれませんけど、恋愛面ではきっと14年間何も経験してこなかったはず。
90年代とかに、漫画やドラマなんかで赤ちゃんプレイを好む中年男性の描写がありましたけど、社会的な責任を負っていると精神的には退行したくなるのかもしれませんね。
このあと、カヲルとは手と手を握り合い、綾波とはプラグスーツ越しに握手を交わしますが、アスカとは触れ合わないままです。
それがつらすぎる…。
レーションぶち込んでくれるところでも、アスカはプラグスーツを着ている状態だったので、肌の接触はなし。
シンジとアスカは、お互いにすれ違ってしまっているんですよね。
アスカは、自分が最後の決戦で命を落とすことを(もしくは使徒化して人に戻れなくなる)知っていたからこそ、シンジに好意を伝えた。
でも、シンジは、「また会えるよ」と思っていたから、そのアスカに向き合えなかった。
シンジは、自分がもとの世界に戻れないことを知っているから、アスカに好意を伝えた。
でもアスカは、状況を全然飲み込めていないから、何も考えずに背を向けてしまった。
これが最後だってわかっていたら、きっと、アスカももっと話したいことがあっただろうに……。
でも、人生ってそういうものですよね。
「これが最後になる」なんて思って人と向き合うことなんてほとんどありませんよね。

・「さようならアスカ。ケンスケによろしく」
なんかこれ、元恋人に、新しい相手をあてがおうとしてるみたいで嫌やわ……
アスカからしたら「余計なお世話!」って感じでは?
でも多分、シンジにこんなことを言われたとて、アスカは自分自身でケンケンとどう付き合うかを決めますよね。
もしかしたら、このシンジの最後の一言に腹を立てて「あんたの言う通りになってたまるか!」とばかりにケンケンとヨロシクしない仲になってるのかもしれないですよね。

・「姫 お達者で」
ミサトに別れを告げる加持と同じ別れのセリフを、マリが言う。
これは「もう会えない相手」を気遣う別れの挨拶だと思います。
これを言われた時のアスカの顔が見えませんが、「なんでいるの!? シンジと二人っきりだったんじゃなくて!?」って顔をしているのではないかと思います。
アスカの表情とかリアクションとか、この直前ではどう考えても、両思いの相手と二人きりの時にだけ見せるようなものでしたもの……。

・アスカ、射出
シーンが切り替わって、エントリープラグにいるアスカ。
「はっ!」とまたエチエチ目元の絵で目を覚まします。
この愕然としたような表情とリアクションから、シンジやマリとの別れが想定できていなかったことがわかるはず。
服装はパンツと、第三村で着ていたミリタリージャケットのような服。
この服はどこから着たんでしょうね……作戦開始時は、「死に装束」である白のプラグスーツを着ていたので、どこにもなかったはず。
設定としては、ケンスケのパーカーを借りているという話だったのですが……。
「ケンスケとよろしくやれよ」というシンジの想いで、この服を着せたということなのかなぁ。
そう言えば、アスカの首に装着されていたDSSチョーカーは、式波オリジナルと接触した際に爆発しているので、アスカはチョーカーから解放されています。
エヴァの呪縛から解かれたと考えてもいいのかもしれない。

・「さみしくないのかい?」
シンジと寝そべるカヲルが言う言葉。
みんなを返していって、自分一人だけ孤独の世界に留まらなければいけないというお話し……。
直近で言えばまどかマギカが、そんな感じの話でしたね。
いや、言うてもあれも10年前のアニメか……。
確か庵野さんも、まどマギを高く評価していたと思います。
庵野さん、意外とリアルタイムのアニメを追いかけているんですよね。。。忙しいお人ですよ。
でも、田中ロミオオタクとして言っておきたいのは、「一人で重責を背負ってみんなをループの物語から開放する話」としては、傑作PCエロゲーの『クロスチャンネル』が先にあるんですよね。
まどマギの脚本家である虚淵玄氏は、そのことに意識的であるようで、まどマギがユリイカで特集された際には対談相手として田中ロミオさんを指名していたほど。
まぁ、ループものって昔からよくあるアイデアだし、アニメ界に限って言っても押井守監督のビューティフルドリーマーもあったわけなので、無理にまどマギにつなげて考える必要もないのですが。。。。

あと、「世界を救うために自分が犠牲になる。もう誰も自分のような経験はしてほしくない」といったような決断をする主人公というと、庵野監督の初監督作品『トップをねらえ!』もそうでしたね。

・「僕らは何度でも会うさ」
カヲルが気障に言うシーン。
この時のポーズはTV版のカヲル初登場時、破で月面のマークシックスの上で決めているポーズと一緒ですね。
また、ゲンドウが13号機で決めているポーズと一緒。
「何度でも会う」とは言っていますが、シンジは円環を終わらせようとしています。
そして実際に円環を終わらせ、エヴァのいなくなった世界で二人は近づきながらもお互いにの存在に気づけず、相まみえることもありません。
悲しいです…。

・「父さんと似てるんだ だから同じエヴァに乗っていたんだね」
どういうことやねんこれは!
ゲンドウの中にある、「シンジを思い遣るべき」という思念がカヲルに宿っている、といったようなことなのでしょうか。
岡田斗司夫さんが、「このアイデアは多分TVアニメ版を作ったころには思いついていなかったはず」と語っていましたが、僕もそう思います(笑)。
いまだにここは「どういうことやねん」とは思ってしまう……。
ゲンドウが持つ、シンジへの贖罪の気持ちを表象する存在といったニュアンスなのでしょうか……謎。

・「君の幸せを誤解していた」
これは本当によくありますね。
でも、幸せのかたちって、自分自身ですらわからないことがありますよね…。
シンジは相補性のある世界に自分の幸せがあると考えていたのに、結局人とのかかわりで自分の弱さに打ちのめされ、引きこもりがちになってしまう。
自分やほかの人の幸せを守るためには、自分で意志を持って行動し続けなければならないのである、的なことに気づいたのではないでしょうか。
「人類はちょっとずつ賢くなっていっているはず」という考え方がありますが、ここなどはまさにそういったことを表現してくれている内容なのだなと感じます。

・「相補性のある世界を望む 変わらないな シンジくん」
庵野さんも、引きこもってしまったりするけれど、結局は仕事に戻っていきますものね。
仕事とは、人とかかわることそのものでは。
「何日か休んだら復活できるものなのでは?」と思いがちですけど、ダメージを負った人間の心の快復ってすごく長い時間を要するみたいですね。
脳の質が変化してしまうものなのでしょうか…。

・「仲良くなるおまじないだよ」
カヲル君への好意を示すために、シンジは、アヤナミちゃんから教えてもらったおまじないをかけてあげます。それが泣かせますよ…嗚呼、もう…。
この時のシンジはなぜか子ども状態。
当然ですが、彼らは素手同士で手を握り合う。
涙を流すカヲル君。
これまでの彼は、自分のことよりもシンジくんを幸せにすることを優先して生きてきたはず。
そんなシンジが、自分自身の足で立ち、自分を救うよりも周囲の人々を幸せにする方法を模索するようになっていた。
独り立ちしていたんですね。
よちよち歩きの赤ちゃんだと思っていたら、もう自分の元から巣立っていこうとしていることに気づいた親のような心境なのでは。
誰かを思って行動していると思っていたのに、「その人に頼られたい」「感謝されたい」といった無意識の動機が潜んでいたことに気付かされる時ってありますよね。
シンジのことばかり考えて空回りしていたのだから、最後くらいは自分のために涙を流したっていいじゃないですか。
エヴァを作ることで救われようとしてしまった庵野さん、結局は創作ではなく家族を持つことで救われたのかな。
家族、自分とは全く違う他者に変えてもらう。

・「それはあなたの幸せだったんです。あなたはシンジくんを幸せにすることで、自分が幸せになろうとしていたんです」
こんな感じの台詞を、加持が述べます。
愛って難しいですよね。
何も見返りを求めずに何かに尽くしているつもりでも、「何かに尽くす自分」に浸れるという見返りを求めているのかもしれない。
人生難しい。
何が本当の愛、献身なんでしょうね。

・カヲル、司令?
ネルフ本部みたいな場所で、カヲルと加持が話しています。
カヲルはゲンドウが司令として座っていたところに座り、ゲンドウみたいな服を着ています。
自分はあまりこのシーンの意味がわかっていませんが、破のラストシーンで地球に降り立ったカヲルは、ゲンドウと冬月がネルフを不在にした際に、加持と共にネルフ司令みたいなことをしていたという考察があるそうです。
なるほどなぁ……。

・閉店ガラガラ
シャッターの外に去って行くカヲルと加持。
カヲルは両手を頭の後ろで組んでいて、「あーあ、終わっちまったなぁ……」みたいな態度に見えます。
「老後は葛城と一緒に畑仕事でも……どうです?」
との台詞がありますが、あれはすでにこの世を去った三人で一緒に何かしましょうやって意味なんですよね、多分。
なんで葛城と一緒に……なんでしょう。
この言葉って、主語がないので、加持も含んだ「三人で一緒に」なのか、加持を含まずに「カヲルとミサトの二人で一緒に」なのかが厳密に判断できないんですよね。
シンジがアスカにケンスケをあてがおうとしたのと同じように、加持サックは未亡人ミサトにカヲルをあてがおうとしているのでは? と感じなくはない。

・「残っているのは君だけだ。綾波」
当たり前のように、映画の撮影スタジオっぽいところにいるシンジくん。
全然意味が分からないです(笑)。
ゲンドウとの親子げんかが始まってから(アディショナルインパクト)、映画の撮影所を舞台にしているっぽかったですが、カヲルはその外に出て行ってもらっているわけで……エヴァの世界に残留してもらっているってニュアンスなんですかね。
わからん。
でもこの撮影所に、ケンスケも出てくるしなぁ。
ケンスケも、アスカというちょっとこじれてる女の人の子守役として、エヴァの世界に残ってくれるって意味なんでしょうか。謎。

・ツバメの顔、なぜいびつ?
ここに出てくる綾波は、髪が伸びまくっているので、シンジが破で救い出した綾波であることは間違いありません。
でもツバメを抱いている。
綾波レイが、ネルフでLCLみたいなプールに入っているときは、記憶のバックアップを取っているという設定があるようなので、綾波シリーズは記憶を共有している場合があります。
そういう設定もあるから、初号機の内部に残っていた綾波も、アヤナミちゃんが持っていた記憶を共有していて、ツバメちゃんにも愛着があるという設定なのかなぁ……。
にしてもこのツバメちゃん人形、目のところに釘?みたいなものが通っていたりして、なんだかいびつです。
「その場にあるもので補修して作った」から不完全なのかもしれませんが、それならアスカのハンドパペットみたいにつぎはぎの跡が見えるといったデザインでいいはず。
ツバメ人形がいびつな造形になっている理由が何かあると思うのですが、思い浮かばないんですよねぇ……。
綾波は、アヤナミちゃんがシンジがまたエヴァに乗る決意を抱くきっかけを産んだことを恨んでいて、そのアヤナミちゃんに大きな変化を促したツバメちゃんを疎ましく想っているとか?
わからーん。
けどめっちゃ気になるデザインしてる!(笑)

・「もう一人の君は別の居場所を見つけた」
やはり「もう一人の君」と言われているので、消えてしまったアヤナミちゃんとこの子は別の存在……別の魂を持つ個体であることがわかります。
綾波レイって、碇シンジに好意を持つように設計されているのと同時に、碇シンジ以外の人間に対して関心を持たないようにもなっているのかもしれないですね。
で、ここで「アスカも自分の居場所に気づくと思う」とわざわざ持ち出すということは、この時点で綾波を誰とくっつけるかとか考えられていないってことですかね。
まぁ、確かに、14年前から今に至るまで生き残ってる人はすでに結婚していたり、だいぶ年上になっていたりしますね……。
青葉の描写って、綾波のことが好きというものではなかったですし、彼をあてがうわけにもいきませんよね……。
「自分の居場所を探してみなはれよ」っていう、漠然としたアドバイスといったところでしょうか。
アヤナミちゃんが第三村に溶け込んでいたことを見ているし、序から破にかけて綾波の心が開かれていった変化を見ているから、「君なら大丈夫だよ」って自信を持って言えるのかも。
恋人と別れるときに「君なら大丈夫」って言いたくなるけど、言わんほうがいい言葉ですよね…シンジの言葉の選び方は賢明だ…(笑)。

・エヴァに乗らない幸せ 碇君にそうしてほしかった
深読みかもしれないけれど、新劇場版のエヴァがの制作が遅延し、うつ状態にまで陥ってしまった庵野さんがいるわけではないですか。
その状態を見て「エヴァ作らなくてもいいんじゃない?」と提言する人もいたりしたんじゃないかなと思うんです。
あるいは、創作に打ち込みすぎて心身共に疲弊しまくっていく庵野さんに対して、「その仕事しなくてもいいよ」って言ってくれる存在がいたとか? モヨコさんかもしれませんが、モヨコさん自身もストイックなアーティストなので、庵野さんが創作せずに生きていく人生なんてあり得ないだろうことは重々承知でしょうし。
まぁ、疲れている旦那に対して「そんなに頑張らなくてもいいよ」くらいの言葉はかけていたかもしれないっすね。邪推ですが……。
逆もまたしかりで、モヨコさんも作品を超ハイペースで制作していたこともたたって、うつ状態に陥っていたそうです。
その状態のまま仕事をつづけたせいで、ついには10年程度の期間をほぼ活動休止せざるを得なかったとか。

「エヴァで描かれる母性」の特殊性は様々なところで指摘されているので、僕よりも詳しい人が、ちゃんとした知識を基に解説してくれているページがたくさんあるはずです!
探してみましょう!

物語において母性的なものって、主人公を守ろうとしすぎる傾向があります。
主人公が挑戦や冒険に出る意欲を失う場所を「母胎」のように描くことがよくあります。
そんな風に、シンジを守ろうとしすぎたのがこの綾波で、シンジは世界を変化させるために彼女と離れることを決意したはず。
綾波との共依存的な関係を脱して、「他のみんな」を守ることにしたのだろうと思うのです。
綾波は多分、「シンジがエヴァに乗らなくてもいいようにする」ことはもちろん、ゲンドウたちが進める人類保管計画の全容も把握していて、そのうえで、「碇くんと一つになる」という目的を持っていたのではないかと推測します。

・「時間も世界も戻さない。エヴァを必要としない生き方」
シンジの台詞。
新劇場版の制作時に「エヴァは繰り返しの物語です」と語っていた庵野さん。
また、本来であれば新劇場版の企画ではなく、エヴァとは全く違う新しい作品の企画も進行させていたけれど、「エヴァの企画でなければ資金が集められない」という経済的な事情や、「新しいものを書こうとしてもエヴァの亜流にしかならない」といった創作上のトライの挫折を経て、エヴァの作り直しを選択せざるを得なかったとのことです。
理由の後者については、エヴァほど情報量ぶっこみまくりの作品を作ってしまったら、それはその後に全然違うものを作ろうとしたら苦労しますよね……。
新劇場版以降の創作上での試行錯誤や、庵野さん自身がエヴァで描いてきたようなテーマにとらわれない生き方ができるようになったということなんでしょうね…。

・「マリさんが迎えに来る」
実質的に、これは綾波を振る台詞だと思うのです。
アスカについては、明確に想いを伝え合った上で別れましたけど、綾波とシンジの想いって、どんなものだったのかはっきりとした言葉では表されていません。
綾波は「碇くんといるとぽかぽかする」「碇くんがエヴァに乗らなくてもいいようにする」と彼に好意を示し、彼を庇護しようとする強い意志も見せますが、恋愛感情ではないという解釈も可能。
もちろん、綾波シリーズが碇シンジへの好意を持つように設計されているというやや残酷な設定も明かされていますが、この綾波がいわゆる恋愛感情や愛を抱いているかはわからない。
対するシンジも、綾波のことは絶対に助けたいと名言してはいましたが、それが恋愛感情なのかはわからない。
TVアニメ版では「お母さんみたい」という発言もありましたが、新劇場版では彼女に母性を見出しているニュアンスはかなり薄れている。
どちらかというと、プロット上で残っているのは、「大変な目にあっている女の子を守らなければ」という、少年主人公らしさを感じさせる意志であるように思います。

ただ、思春期の少年と少女が、そのように互いに意識を向け合っていれば、抱いている感情を恋愛感情と誤認してしまうようなこともあるんじゃないかな……と思ったりはします。
アスカとは、お互いに想いを伝え合いましたけど、綾波とは互いに抱いている感情を打ち明け合ったりはしません。
けれど、もうお互いに、関係を終わらせようという意志を遠回しに伝えようとしているのだと思います。
後述しますが、シンジは「自分と綾波は近づき過ぎちゃいけない」と確認し、彼女と共に生きる道へ進まないことを決めたはず。

・「うん。わかった」
シンジの言葉を受けて、レイはいつものレイに一瞬で戻ります。
おそらく凄腕カリスマ美容師が、カメラがシンジを捉えている一瞬でレイの髪をカットしてみせたのでしょう。
事前のシーンで、マリがアスカの髪を切ってあげるシーンを挿入していることとも、何か関係があるような気はするんですよね…。
解釈としては、綾波の伸びきった髪というのはただ黙って「シンジがエヴァに乗らなくてもいいようにする」ためだけに過ごした14年の歳月を象徴するものです。
そして、そんな綾波の想いを否定する決断を告げているので、いろいろとさっぱりして元の背格好に戻ったのではないでしょうか。。。。
「シンジに好意があるから、シンジの言葉は何でも受け入れる」という解釈もできると思うのですが、シンジが「マリがくる」と告げることで、もう自分に対する想いが消えていることを察して受け止めたんじゃないかと思うんですよね……。

・「碇君、ありがとう」
レイはいっぱい名前を呼ぶね……。
このありがとうって、なんなんでしょうね。
いろいろひっくるめてのありがとうではあるのでしょうけど、はっきり振ってくれたから「ありがとう」なんじゃないかと思います。
あとは、自分の行いを否定しないでくれた、という意識もあるんじゃないかと思います。
このシーンのシンジは、とても優しくて穏やかな顔をしているんですよね。
素敵ですよ……。

・シンジはプラグスーツ越しで握手。
綾波は素手で、シンジはプラグスーツを着たままの手で二人は握手します。
第三村での綾波ちゃんの描写でもそうですけど、プラグスーツを着た人が動く際の「ギュッ」という音が強調して鳴らされます。
「二人とも素手ではない」という描き方は意図的なものと考えて間違いないでしょう。

思い出されるのは、旧劇場版の最後の方。
結局シンジは補完計画を中断し、「相補性のある世界」へ戻すことを決断します。
その際は綾波と下半身が同化していますが、上半身は離れています。
「他人のせいで傷ついたりするけど、それでもいいの?」と言う綾波に、シンジは「それでもいい」と告げる。
そしてシンジは、綾波と手を握りあいます。
二人とも裸なので、当然素手同士です。
そして人と人とが一つの個体同士となって離れ離れで存在する世界に戻ります。

そんな風にして作り直された新劇場版の世界ですが、結局シンジは傷ついたり落ち込んだり打ちのめされたりを繰り返す中で、綾波との共依存関係を深めてしまい、人類補完計画が起きそうな展開へと突き進んでしまう。
そんな反省があるから、「綾波と触れあうことが、世界にとって良くないことにつながってしまう」と考えて、直接触れあうことは避けたのではないでしょうか。

なんか、若いときの恋愛みたいですよね。
相手のことしか見えなくなってしまい、他のことが手につかなかったりおぼつかなくなってしまったり。
私にはそういう覚えがあります。
お互いに独立していて、けれどパートナーとして共に過ごすような関係性が望ましいのだろうとは思うのですが…人間関係って難しすぎませんか…?

・「やってみるよ 綾波」
ここでいう「綾波」が、どっちの綾波なのかはわかりません。
けどまぁ、アヤナミちゃんのほうは世界の成り立ちについて何も知らないはずですから、やっぱり綾波レイの方だろうなぁ…。

・ネオンジェネシス
ネオンジェネシスが起こるとどうなるのか、私にはイマイチよくわからないのですが……世界を作り替えることができる、ということなのですよね、多分。
世界を作り替えるためには誰かが犠牲にならなければいけない、贄にならなければいけないということで、シンジが自分を犠牲にして世界を変えようとしてたってことなんですかね?
それをユイが身代わりになってくれたということ?

・ユイ、なぜシンジの中に?
ユイは初号機の中にいたのだと思っていたのですが、いつの間にかシンジの中にいたということなんですよね、多分あれは……。
ずっとシンジの中にいたの?
シンジがエヴァに乗るようになったり、エヴァ初号機に取り込まれてしまった時にシンジの中に入っていったの?
謎……でもきっとちゃんとした設定があるはずではないですか。

いずれにせよ、「この時のために僕の中にいたんだね」という台詞もあるように、ユイはやはりこういった展開になることを予期していたことがわかりますね。
ユイの掌の上を転がされていたようなものではないですか……。

旧劇場版でのアスカみたいなことを言っていますよね…「この時のためにずっと僕の中にいたんだね」って。
『アナと雪の女王2』でも近しい展開があったように思います。
自分を見捨ててしまったと思っていた親が、実は自分のためにいろいろいい感じのことをしてくれていたんだ、って話。
そう信じたくなりますよね。
エヴァを好きな人って、親との関係性が適切に築けていない人も多いと思うのですけど、それでもやはり「親は自分のためにこんなにいいことをしてくれた」と思いたくなってしまうというか。
庵野さんとお母さんの関係って、どんなだったんだろう。

・「父さんはただ、母さんを見送りたかったんだね……それが父さんの神殺し」
ちょっと何を言っているのかよくわかりませんでした……。
ユイは自分の計画を、なぜゲンドウに伝えなかったのでしょう。
「こうこうこうなるからこうしておいてね」と言えば済むことではなかったんか?
それとも、「ゲンドウが私にもう一度会おうとする原動力(だじゃれ)はものすごいので、彼には計画を説明せずに(あるいはパズルのピースが欠けた形で共有して)、めちゃめちゃ頑張ってもらおう」という目論見があったんですかね。

・エヴァシリーズ全破壊
槍がエヴァシリーズや、エヴァシリーズっぽいものたちを貫いていきます。
「もうエヴァやらせませんから!」という強い意志を感じます。
まぁまぁ尺使ってぶっ壊してましたものね。
パチスロエヴァをやっている人達は「確定演出か」と突っ込んでいましたね(笑)。
旧劇場版と漫画版で、ミサトはシンジにしっかりと「全てのエヴァを破壊して」と告げていました。
あ、あと、「アスカを助けなさい」といった言葉もあった気がする。
結局ミサトは、どのエヴァの物語でも生き残ることができませんでしたが、彼女がシンジに託した願いを、シンジはちゃんと叶えることができたんですね。
いい話よ……。
「アスカを助けろ」という叱咤は、Qでマリも言っていたので、やっぱりミサトとマリの視点って似ている気がするんですよね。

そういやマリは、「ちょっとは世界を見てこい」とも言っていたので、アスカとシンジが一緒に第三村を目指すことになる展開はマリの計らいでもあったんですね。

・デカキモあやなみもにっこり。
目ん玉を槍で貫かれたはずのデカキモ綾波ですが、補完計画が中断されてにっこり微笑みます。キモいです……。
もしかしたら、「碇くんがエヴァに乗らなくてもいいようにする」が結果的に遂行されたからにっこりしているのかもしれないっすね。

・ユーミン『VOYAGER〜日付のない墓標』
岡田斗司夫さんが、この曲が使用された理由を話しているそうなのですが、有料会員しか聞けないゾーンで公開されているので自分は聞けていません!
『さよならジュピター』というあまりヒットしなかった日本のSF映画の主題歌として使われていて、オリジナルアルバムには長らく収録されていなかった曲なので、なにかそこに引用の理由がありそうですが……私はその映画を観ていないため、詳しいことはわからんのです。
申し訳ないずら……。
この曲を使用するため、庵野監督は自身で直接ユーミンにオファーをしたのだそうです。
宮崎駿さんの『風立ちぬ』で、庵野さんは声優として参加し、ユーミンは主題歌を提供しています。
公開時の記者会見はその三者で行われており、そこで同席した際に庵野さんはユーミンに希望を伝えて快諾されたとか。

・アスカのエントリープラグは、ケンスケのビルドハウスに着地
エヴァインフィニティが人間に戻っていく映像が流れていきます。
別の世界線が出来上がるかもしれませんが、新劇場版で描かれてきた世界もそのまま存続していくといったニュアンスなのではないかと思います。
そんな中、ケンケンのセルフビルドハウスの付近に、アスカが脱出に使ったであろうエントリープラグがあります。
プラグの蓋?はあいています。
エントリープラグの中にいる人を外に出そうとする行為は、エヴァにおいて、その人を救おうとする行為として描かれます。
Qでシンジを引っ張り出すアスカしかり、怪我を負ったレイを助けようとするシンジやゲンドウしかり、TVアニメ版で言えば重傷を負ったトウジが救い出されたりもしますね。
ここでは、アスカが自力で脱出したのか、ケンスケが助け出したのかを知る由もありませんが、なんとなくケンスケがアスカを引っ張り出したんじゃないかなと思いました。
嗚呼……つらい……。
初見時は、このカットの後にイチャラブこいてる二人が写るのではないかヒヤヒヤしたもんです。
思い出すだけで胃がねじ切れそうだわ……。
ところでエントリープラグ、北極の爆心地から射出されていると思うのですが、日本まで飛んでいける動力ってなんだったんやろ。
「とりあえずの脱出」ぐらいの機能しか備わってなさそうですけど…。

・脱出ポッド的なものが、ペンペンの住処の近くに落ちてる
シンジの家出先に、ヴンダーから射出された脱出ポッド的なものが刺さっています。
でも人の気配はない。
落ちてきたばかりなら、煙が出ていたりとか、「落ちてきたばかりですねんで」感のある絵にすると思うのですが……。
まさか中にいた人間が全員死亡している、とかないですよね。
なんか、人間が描かれないことに不穏さを感じてしまうのですが、考えすぎでしょうか……。

・足跡が大地にたくさん
人々が元に戻った証なのですかね?
足跡も、決して綺麗に並んでいるわけではなくて、バラバラについているので人が向かった方向は一定ではないと思われます。
この後に描かれる、シンジくん一人の浜辺のシーンは砂浜なので、この足跡がいっぱいある場所には草が生えているので別場面だと思われます。

・ボイジャー つばさをくださいみたいなストリングス
ボイジャーのアウトロなのですが、気のせいでなければ、破での『翼をください』みたいなシュルルルルーンっていうストリングスが入っています。
たまたま似たのか、ちょっと過去の楽曲のエッセンスを混ぜているのかは不明です。

・マリが降りてくる。
マリの服装が替わったり、メガネをかけたりするんですよ!
マリ、ここでの登場時は眼鏡をかけおらず、プラグスーツを着ています。
海にダイブして、海面に上がってくる時には制服に着替えていて、眼鏡をかけていません。
その後、「間に合ったわね!」とどや顔するときに眼鏡をかけます。
この衣装替えがよくわからなんのですよ……。
エヴァが消失するということで、あわせてエヴァの付属品的な扱いであるプラグスーツもこの世界から消えちゃうよ、ってことを示唆しているんですかね……謎。
制服姿になったマリの首には、DSSチョーカーが装着されています…。
これも最初のバージョンと、差し替えバージョンで差異がありますかね?
謎…。

・シンジのリアクション
六号機搭乗で起こった波でシンジはずぶ濡れになります。
その時は「やれやれ」みたいな顔をするのですが、マリが海に飛び込んだ際は「マリさぁん!」と、なぜかちょっと焦り顔になってるんですよね。
まぁまぁ高いところから海に飛び込んだマリを心配しているってことなんですかね……なんか、普通に見たら、むしろマリが六号機で現れたことへの喜びとか驚きのリアクションが先にあってもいい気はするんですけどね。
何か意味ありげ。

・「ハッ」
おなじみの、シンジくんが目を覚ます場面……とはいえ、初見はこれがシンジくんとは思えませんよね。
絵の雰囲気がちょっと違うし、声も緒方さんじゃないし……。

ここからのシーンは考察要素だらけです……。

・2番線 3番線
シンジが目を覚ましたホームには誰もおらず、向かいのホームには何人か人間がいる。
ここに、ベンチに座って脚を組みゲームをプレイしているアスカがいます。
けっこうサブカル女子っぽいというか、尖ったファッションをしていますね。
綾波とカヲルくんが向かい合って立っています。
恋人なのか友人なのかはわからない絶妙な距離感です……。
どうでもいい話なのですが、向こう側のホームにいるカヲルの服装が洒落ててシャクです!
カヲルくんは黒を基調とした洗練されたファッションで、脚元は白のスニーカー。
かかとにグリーンの模様が入っているので、アディダスのスタン・スミスかなと思いました。
白スニーカーの定番ですね。
綾波もおしゃれな感じっすね。
そのほかには、制服を着た女の子が一人ずつの計二人、サラリーマンっぽい男性がいるくらいで、エヴァのキャラクターは見当たりません。
あそこに出ているのは、新劇場版でのエヴァパイロットたちなのでしょう。(トウジは新劇では乗らなかったので含まれないはず)
その後、向かいのホームには電車が到着する。
シンジはただぼーっとそれを見ているので、あちらにいる三人とは別に知り合いではないのでしょう。
到着した電車のカットに切り替わるのですが、そこには、乗客が写っていません。
ホームにも人影が見えないので、あちら側にいた人達がどうなったかを知る術はもうありません。

・「だーれだ」
真綾さんボイスが聞こえてきて、視界を塞ぎます。
もうあっち(エヴァのキャラ達が存在する世界)を見るな、ということなのかなぁ。
シンジは、マリの名前を呼びません。
巻波マリイラストリアスではないんですかね?

・「胸の大きいいい女」「ご名答」
ここでは胸をくっつけていないので、シンジはマリにそんな軽口を叩ける間柄であることが示唆されます…エッチしてますよね、これはもう…。
また、前述もしましたが、問いに正しく答えられるというのは、真の英雄の振る舞いです!

・相変わらずいいにおい
二人の関係性は不明ですが、以前からにおいを嗅ぎ合う仲であることはわかりますね(笑)。
でも、「相変わらず」ってことは、二人は久しぶりに会っているのかなぁ…。

・君こそ相変わらずかわいいよ
顔面がかわいいのはもちろんですが、ここでシンジはおそらく、マリのことを少し下に見るようになっているのだと思います。
「かわいい」っていうのは、自分よりも目上の人間に言う言葉ではありませんよね。
で、これを言われているマリは、ちょっときょとんとしているんですね。
多分シンジのことを子どもだと思っていたのに、自分を「かわいい」呼ばわりするようになっていたから成長を感じたということなんじゃないかと思います。

また、眼鏡はユイからのもらい物なので、自分の素顔を見てそんなことを言ってくるシンジに対して、ちょっと嬉しさも感じているのではないでしょうか。

そう言えば書き忘れていた気がするんですけど、TVアニメ版でユイが冬月に対してゲンドウのことを話す際「あの人、あれでかわいいところあるんですよ」と言います。
ここでの「かわいい」って、ちょっとやっぱり、相手の欠点や至らないところをいつくしむような心境だと思うんですよね。
やはり下に見るというか。

ところで庵野さん自身、もはや「可愛いキャラ」が確立されていましたが、エヴァ放映時はまだかっこいい感じの要素を残している人でした。
しかしインタビューで、「チンチンはかわいいと思う。自信がない」と語っていました。
やはりこの「かわいい」には、欠点をさらけ出す、開き直る、受け入れるようなニュアンスがあると考えて間違いはないと思います。
KAWAII。

・いっちょ前の口を利くようになっちって
やっぱりマリはここまで、シンジのことをちょっと子どもとして見ていたのでしょうね。

・シンジくんの首輪を外すマリ。
やっぱりこの点でも、マリはカヲルと同じ存在なのではないかと……。
で、首輪は捨てたり破壊するのではなく、ちゃっかりポケットにインしている。
岡田斗司夫さんは「またいつでも付けてやれるんだぞ、という意思表示」と語っていましたが、確かにそうだと思います!
また、エヴァパイロットが付けなければいけないものなので、庵野さん自身もエヴァを作る可能性を完全に否定したくはないのではないかと思います。
そういや、マリ自身はさっきまでセーラー服を着てチョーカーを付けていましたが、こちらでは細いネックレスしかついていません。
マリもカヲルと同様で、チョーカーの着脱は自由に行えるってことなのかなぁ。

・「さぁ、行こう シンジくん」「うん、行こう」
マリはシンジに手を差し伸べる。
このポーズは破から何度も繰り返されています。
シンジとマリは素手同士です。
シンジはマリの手を取り、少し体重をそこに掛けて立ち上がります。
ここから少しいつもと様子が違うのは、マリはここでもきょとんとした表情になるところ。
そしてシンジはマリに「行こう!」と宣言し、マリの手を引いて行きます。
そして階段を上がっていくときは、二人が平行する格好。
駅を出てからも、二人はどちらが前に出るでもなく、同じ早さで走って行く。
こんなド田舎で、走ってどこに行くんや!
という突っ込みはなしです……。

これまでエヴァで「電車に乗る」シーンが何度も描かれてきましたが、シンジはマリと一緒に電車に乗らずに駅を出て行ったところからも、シンジ=庵野監督がもうエヴァの世界に戻らないことの決意表明をしているはず。

ただ、向こうのホームにいたアスカカヲルレイが、エヴァの世界に留まり続ける存在として描かれたのかというと、それも少し違う気がするんですよね…確たる根拠がないので申し訳ないのですが…。
ただ、スーツを着ているシンジと、ラフな私服姿の彼らとで、どこか対比になっているとは思うのですが…・

・宇部新川
この駅も、駅の外の風景も、庵野監督の出身地である「宇部」がロケで使われています。
カヲルと綾波、そしてアスカがいたホームに停まっていた黄色い電車は、画面の向こうにゆっくりと走り去っていきました。めでたしめでたし。

ところで、庵野さんが、「このシーンは結構なお金をかけて、あるものを映しています。探してみてください」と言っていました。
僕は電車だけがCGだと思っていたのですが、どうやら、すでに存在しない過去の建物をCGで現出させているそうです。
過去にあったものをわざわざ出しているなら、何かそこにも意味はありそうですよね…。
すでに現存しないもの、ということは、このシーンは2020年現在ではないというこtなのかな…。

・ママと子ども
駅の外の風景で気になったところが1つだけ。
駅の外のバス停で、子どもとお母さんがバスを待っている様子です。
子どもがママに近寄ると、ママは少ししゃがんで子どもを撫でてあげる場面が画面の下の隅に映っています。(人物はすべてCGです)
これがどういう意味か具体的に解釈することはできないのですが、「ママに甘える子ども」って、ここと、シンジがドイツでユイに甘えるところだけなんですよね。
あ、あと、第三村で、ヒカリが預かっていたオールオーバー着用の子どもが、迎えに来てくれたママに甘える場面はあったな。

・終劇
エヴァ、終わっちゃいましたね…。
監督の所信表明で語られた「エヴァは繰り返しの物語です」という言葉、タイトルの後ろにつく記号がリピート記号であること、また、エンドロールで流れるビューティフルワールドのリミックス名が「ダカーポバージョン」と、これまた初めに戻ることを意味する記号の名前。
庵野さん自身が再びエヴァを手掛ける可能性はあまりないとは思うのですが、おそらくほかのクリエイターがエヴァの外伝や別の世界線を描く作品を作ることはありえるのではないでしょうか。
庵野さん自身、ガンダムシリーズのように、エヴァをいろいろなクリエイターが作っていってほしいと語っていたこともあります。
でも、エヴァのシリーズで、庵野さん以外の人が脚本とか監督を手掛けられるとは思えないんですけど…。

・シンエヴァ総評
ちょっと長いです!
もちろんどのシーンも必要だとは思うのですが、それでもやはり長い…。
特に中盤は眠くなってしまいました…。
友人などは第三村パートが特に眠くなると話しており、実際に一緒に見に行った時にはその辺で寝息を立てておりましたが!

ただ、やはり、冒頭でも書いた部分ですが、バックストーリーを台詞の端々や背景に配置するギミックに盛り込むといったようなテクニックが発展した形で用いられていて、そこは完全に技能の向上が見られる点だと思います。
個人的には、シンゴジラで実写映画に長く取り組んだことによって、アニメと実写映像の際について強く意識する経験があったからこそ起こった変化なのではないかと思うのですが…。
あとはやはり、風立ちぬとこの世界の片隅にが、アニメーション表現を一つ上の次元に押し上げたことに触発されているのだと思います。
あの二つの作品の、こっそり表現されているストーリーに気づかずともメインプロットはそれなりに追うことができるというつくりは、本当にすごいと思います…緻密な計算が張り巡らされている。
強烈な才能を持った人が長い時間をかけなければ実現できない領域があることを思い知らされましたよ、私は。

そんな風に、庵野さんが新しい手法を自らのものにしているし、エヴァで消化すべきポイントは消化してもらえたという感動が大きい。
やはり、ゲンドウの物語が語られたのが良かったなぁ…。
「なんでゲンドウはそんなにもユイに固執するのか」「なんでユイはゲンドウと付き合ったのか」という点はあんまりわからなかったけれど、人が人を求める気持ちに、そこまでロジカルなものを求めるのも酷というもの。

シンエヴァについて、気になったところは都度書いていきましたが、総論的なものは全く書けませんでした…自分がエヴァについて語るボキャブラリーを持たなすぎる気がします。
つらい。
でも仕方ないですね…これが私の限界なので。
この後、庵野監督の作品を総ざらいで観返してみようと思います。
その際に気付いたことがあれば、こちらのエントリに随時追記していこうと思います!

あと、宇多田ヒカルさんと庵野監督の協力体制がいったん終焉を迎えたことになるので、宇多田ヒカルさんとエヴァンゲリオンの共通項について一つエントリを設けて書いてみようと思います。
宇多田さんと庵野さんは、どちらも「喪失感」が創作のテーマの根底にあるように思えるのです。
二人の作家の共通点を結び付けてみることで、エヴァの特徴を浮き上がらせることができるのではないか、と今の時点では考えております。
では、そちらも興味がおありでしたら、ぜひ読んでみてほしいっす。

宇多田ヒカルとエヴァ

 - エヴァンゲリオン, 映画

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