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映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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シン・エヴァンゲリオン劇場版を観て思ったこと全て 破の1/2

      2022/04/19

前回のエントリ↓

シン・エヴァンゲリオン劇場版を観て思ったこと全て 序

・「初期ロットのおかげ? 泣けるだけ泣いて すっきりとでもした?」

構成上、第二幕「破」の最初のシーンでは、アスカが門番のようにシンジを試します。

ケンスケ宅に戻ってきたシンジに、アスカはあきれた様子で声を掛けます。

シンジは少し恥ずかしさに耐えるような表情で、「うん」とうなずきます。

どちらの言葉も、肯定するのはちょっと恥ずかしいことだと思うんですよ。

しかし、アスカの試すような言葉に、きちんと返事をするところから、彼が覚悟と、アヤナミちゃんへの感謝を胸に抱いて戻ってきたことが窺えます。

また、アスカってもともと人の欠点を小馬鹿にしながらコミュニケーションを取る傾向があって、シンジはそれを受け流せず真に受けて言い返したりするじゃないですか。

けれどここでシンジは、アスカの方に顔を向けることはしないものの、挑発ともとれるアスカの言葉をはっきりと肯定して見せます。

本当ならここでアスカの言葉をスルーしたり、うやむやにするように言葉を濁したり、「関係ないだろ」「いいいだろ別に」と張り合ったりしてもいいのでしょうけど、多分シンジはアスカにも迷惑をかけていたことをわかっているので、その贖罪のためにも「うん」と返しているのでしょう。

 

また、この時、アスカはゲーム機を持ったままですが、視線はシンジの方に向けています。

劇中で、ゲーム機を持ったアスカが視線を他のほうに向けるのはこのシーンだけです。

ケンケンが話しかけた時でさえ、ゲームをプレイしたまま会話をしているので、やはりアスカの関心の対象はシンジだということがわかると思います。

 

これは邪推かもしれませんが、ここで帰宅を果たしたシンジは、「ただいま」と言って部屋に入ってきたのかもしれませんね。

何も言わずにセルフビルドハウスのドアを開けようとしたら、きっとアスカは、アヤナミちゃんが来訪した時と同じように警戒モードに入ったのではないかと思うのです。

しかしここではベッドの上でゲームをポチポチしているままなので、ドアを開けて入ってこようとしているのがシンジなのだとわかるようなサインがあったはずです。

もしシンジが「ただいま」も言わずに入ってきたのだとすると、足音やドアの開け方で、「シンジだ」ということを察知できたのかもしれませんね。

それはそれでなんかエモいですね…。

 

 

・ケンケンの仕事お手伝い

第三村のパートはとにかく面白い絵作りしかありませんが、走行する車の下から見上げるような絵を作るなんて、他のアニメでありますかね……(笑)。

ケンケンはここで、外郭のインフラのチェックにシンジを連れ出します。

ここでシンジに、第三村が置かれている状況を見せるのは、ケンスケが「この村は危機に迫っている」ということを教えるためだと思います。

もちろん、初日からシンジを労働力として見込むことができないので、スキルが必要な仕事に出ることができないことも理由としては考えられるのですが、「結界の外はハイカイがいて危険」「封印柱が止まったら一巻の終わり」という状態を教えることで、自分たちは村の外で起きていることにはなす術がないことを教えたかったのだと思います。

 

物語のベーシックな流れとして、主人公は自分が身を置く共同体に危機が迫っていることを知り、共同体を守るため外地に赴き、共同体の危機を解決する知恵やアイテムを得て帰還するといったものがあります。

あるいは、自分が共同体に戻ることはしない(できない)ものの、共同体を救うことに成功します。

「英雄の旅=ヒーローズジャーニー」というベーシックな物語の作りですね。

よくある「共同体の危機」は飢餓や干ばつ、別の部族に侵略される恐れがあるなど。天災の危機などもよくありますね。

 

つまりケンスケは、シンジを「主人公=英雄」と捉えているため、この村に留まらずに世界を救うために旅立ってほしいと思っているのではないでしょうか。

だからトウジの言う「早ようこの村になじんでくれればええんやがな」の言葉にも賛同しなかった。

そして、ここでは、「この状況が続けばこの村は長くは保たない」という厳しい状況を突きつけているのだと思います。

 

・ケンケン、ウインカーを出す

車でケンケンが左折するところで、ちゃんとウインカーを出します。

他に車が走っているところなんかないのに、なんでウインカーを出すんだろう…。

いつ世の中が平常に戻ってもいいように、という願いなのかな。謎。

 

また、路傍には軍が兵士を運ぶ際に使うような車が乗り捨てられています。

後部のタイヤに大きな円形の穴が空いているので、タイヤを撃ち抜かれたことで走行不可になっているものと思われます。

ここでも戦闘が行われていたのでしょうねぇ。

あんまりちゃんと描かれないけど、ニアサー後の混乱と、ゼーレVSヴィレの闘いが熾烈なものであったことが伺えます。

 

・ケンケン登るの好きだね

意味のない深読みかも知れませんが、ケンスケってこの映画の中で高いところへ登っていくシーンがやたら印象的です。

セルフビルドハウスに登っていくところと、水源を調べに行くところでも、しっかりした足場のない道を登っていく彼の足下がカメラに映されます。

水源の調査とかは、まぁ、他の人が簡単に立ち入れないところに赴かなければ行けないのはわかるのですが、自宅をあんな不便なところに建てる理由ってなんなんでしょうね……。

ケンスケ自身がやはり、人々の営みから距離を置きたいという心理の表われなのでしょうか。

 

で、僕も深読みというのは、高いところ=ヴンダーに乗りたい、あそこで仕事したいという意識の反映なのではないかと思ったんです。

このことは、後々にヴンダーが登場したシーンで改めて書きます。

 

・鳥居くぐる前に拝む 神はおるんか?

シンジとケンスケで、鳥居をくぐる前に両手を合わせて頭を下げています。

神様はまだいるのでしょうかね。

ところで、エヴァの世界では語られませんでしたけど、実際にサードインパクトなんかが起きたら、世界中の宗教とかはどんな風に対応するんでしょうね。

キリスト教の世界観がある程度正しいと認識される場合、世界の他の宗教はその世界観を保持するのが難しそうですけど…。考えても仕方ないか。

 

・「この先は碇にはきついから 碇はここで仕事をしててくれ」

シンジに、自分の労働力が低いことを突きつけるシーンだと思いました。

もちろんシンジは、もともと多分体力があるわけではないだろうし、家出中にろくに食事も運動もしなかったのでなおのこと体力は落ちているでしょう。

ある意味では、ケンスケが、ハードワークに耐える人材であることシンジにアピールしているのかもしれません。

また、ここで釣り竿を渡して魚釣りに従事させるわけですが、シンジは「やったことないから無理!」と拒むも、「いいから、やってから言え」と有無を言わさず竿を渡す。

結果はボウズであったことが、次のシーンで示される。

これは、ケンスケがシンジに新しいことにトライさせている、という前向きな見方もできるのですが、僕の見解としては、「村での生活に見合った労働ができるか」という現実的な問題を投げかけているように思います。

 

第三村って、みんながニコニコしているシーンしか描かれないので見逃してしまうかもしれませんが、みんなけっこうな労働力の提供を求められているんですよね。

 

モンタージュのシーンでは、子どもが重い荷物を持って汗水を垂らしているし、アヤナミちゃんの上司のおばさんたちは「今日もなんとかノルマをまかなえたね」と決して余裕があるわけではない仕事量を担っているし、ヒカリに預けていた子どもを迎えに来るお母さんは「いつも遅くまでありがとう」と就業時間が長いことを暗ににおわせます。

また、初登場時のヒカリも「遅くなってごめんなさい」と、何かの用事に拘束されていたことが暗示されます。

みんな忙しいんですよね……。

シンジがこのような村の状況についてどこまで知っているかはわかりませんが、彼が第三村に残ろうとしたならば、仕事の量に音を上げるのも時間の問題ではないかと思います。

 

これも、ケンスケがシンジを村から出立させようとしているという推論に基づく見方ではありますが、このセンについての考察はまだ続きます(笑)。

 

・ハイカイと呼称している

最初聴いた時は「ハイカイトコショウ」もしくは「ハイカイと故障」の意味に聞こえてちょっと困惑しました(笑)。

埋まっていた首なしエヴァが動き出して、封印柱の外側をうろついているというお話しでしたね。

 

第三村がスタジオジブリを暗喩しているコミュニティではないか、という考察がありますね。

庵野監督の奥方である安野モヨコさんが書いた漫画『おおきなカブの話』では、スタジオカラーと庵野監督の沿革を「農業」にたとえて子ども向け漫画風に書いておられましたが、そこにも繋がるような気がします。

 

この第三村パートを、アニメーション業界の縮図なのだと考えると、首なしエヴァって何なんでしょう。

頭部がなく、身体だけ存在していて、思考能力も持ち合わせていなさそうな様子でただ第三村のまわりを周回している……。

 

個人的にはここら辺は、関西で共に活動していた山賀さんや、岡田斗司夫さんみたいなもんなのかなって気がするのですが……。

岡田さんも山賀さんも、アニメーションの制作には本腰入れていないけど、まだ未練がましくエヴァの名前を使ったり、アオイホノオで題材にされたのをいいことに庵野さんのネタを振りまいたりしているところとか……。

Qからシンエヴァ公開までの間に何があったかは、庵野さんが直接的な言葉で語った記事もあるので、庵野さんについて知りたいかたは必読ですね。

 

https://diamond.jp/articles/-/224881

 

エヴァが数えきれないほど増殖している様などは、自分のあずかり知らぬところでエヴァの使用権や、汗水流して作り上げた素材が方々に売り払われていたことの暗喩ではないか、と思うんです。

そういった暗示なのではないかということはQの時点から感じていました。

自分が知らないうちに世界がめちゃくちゃになっていた、という話。

 

・「その時までは精一杯じたばた生きるよ」

シンジのお仕事体験初日を締めくくるケンケンの言葉。

封印柱が止まったら第三村は一巻の終わり、というだいぶ危ない状況化で生きていることが知らされます。

「どう扱っていいもんなのかわからないけど、それに頼らないと生きていられない」ってところを考えると、これもある種の原発の比喩でもあるのかなぁ。

 

僕がここで重要だと思うのは、ケンスケがシンジに、「第三村は安全ではない」ことをしっかり教え込んでいることだと思います。

物語において、共同体が恒久的な平和を担保されていることなどないのです。

居心地は悪くないし、シンジのことを好きな人がたくさんいるし、ここにずっといればいいと言ってもらえてもいる。

けれど英雄は旅立たねばならないのです。

愛する人達を救うために。

共同体を救うためには、共同体の外に出て行かねばなりません。

危機の根源を解決する旅に出るのが英雄です。

 

ヒカリは「今日がずっと続けばいい」と話しますが、ケンスケは、第三村のすぐ外には人が生きられない世界が広がっているし、その脅威がいつ村を侵食してきてもおかしくはないことを知っている。

まぁ社会の縮図ですよね、みんな自分が平穏に過ごせる日常はいつまでも続くと信じていたいから、その少し外側にある危機や脅威に目を向けようとしない。

あるいはその共同体を管理する人間が、外側の情報を遮断したり、触れないように意識を背けさせる。

もちろんヒカリも軽々しくそんなことを言っているのではなく、ニアサー発生からの辛く厳しい14年を生き抜いてきて、やっと手に入れた穏やかな日々なわけですから、それが続いてほしいのだという願いがこもった言葉なのだと思います。

 

・酒瓶多いな。この人やっぱり飲んでいるんだろう。

そっくりさんが梅干のことを教わるシーン。

「ずっとここにいればいいのに」とヒカリはしみじみと言います。

「毎日が今日と同じでいいの」、とも。

90年代に語られた「終わりなき日常を生きろ」とも似た意味の言葉ではないでしょうか。

このシーンでお台所が映っていますが、酒瓶もたくさんあります。

多分、ヒカリの父がたくさん飲んでいるんじゃないかと思います。

あの人が出てくるシーンはずっと飲んでいるので…。

アヤナミちゃんは、何もしていない人のことを「守る人」と言っていましたが、もしかしたらこのブンザエモンんが「わしはこの家を守っているんだ」とか言っていたのかもしれませんね。

なんかこのキャラクターの描き方、ちょっと解せんないんですよね…いろいろあった人なのでしょうけど、隠されている要素が多すぎるというか。

 

・「そのために名前が必要」

シンジに名付けを依頼しに行ったアヤナミちゃんの言葉。

神話的には、名前は非常に重要なものです。

「千と千尋」で、湯婆々が千尋の名前を奪うのはそのためですよね。

(そうそう、その意味でも、第三村パートは千と千尋っぽくあるし、ジブリっぽくもあるのだと思うんですよね)

もしかしたら、シンジがちゃんと全く新しい名前を付けてあげていたら、彼女は生きながらえることができたかもしれませんね…。

 

・きみは綾波じゃないし。

「名前って言ったって、君はあやなみじゃないし。。。」と、もごもごと返事をするシンジ。

この時、釣り竿のリールを「引く」のではなく、「押し」ていくるくるさせています。

釣り上げるときはリールを引く動作をするものなので、シンジくんのこの動きは、せっかく喰いついてきたアヤナミちゃんを「釣り上げる気がない」という心理を表しているのではないでしょうか。

あるいは、引き上げることを「未来」として、シンジくんが今は過去のことしか考えられない状態であることを示しているのではないかと。

時間の流れが不可逆だと知っているはずなのに、まだその流れに逆らいたいと願っている心情の反映かもしれません。

 

それにしても、Qではあれだけアヤナミちゃんに付きまとい、すがりついていたのに、今ではすっかり興味なさげですよ。

まぁ、人違いして付きまとっていただけに、恥ずかしさや失望があって彼女に向き合えていないのかもしれないけど……でも、彼を再び立ち直らせたのは他でもないアヤナミちゃんなはず。

もうちょっとは向き合いなさいよ……。

 

ただ、観客である我々はシンジくん以外の人間の行動も目にしているので、アヤナミちゃんに強く感情移入をしているけれど、シンジくんは自分のことで精いっぱいだろうし、アヤナミちゃんがなぜ変化したのか、どう変化していきたいのかをおそらく知らない。

そんな風に「知ろうとしない」シンジくんの態度が、この先の展開にも繋がっていくわけですね。

 

・「どんな名前だっていい。 碇くんの付けた名前になりたい」

この台詞を言うときのアヤナミちゃん、ちょっと眉根を寄せた表情なんですよ。

たぶん、アヤナミちゃんが初めて見せた後ろ向きな感情…「悲しい」の顔なんじゃないかと思います。

名前を付けてほしがる理由として考えられるのは、「一番好きな人がシンジだから」「今の自分への変化を促してくれたのがシンジだから」あたりではないかと思います。

鳥のひなが、生まれて初めて目にしたものを親として認識してしまうという話がありますが、それに似たようなもので、アヤナミちゃんはシンジのことが一番大切なのではないでしょうか。

この時シンジは、名付けを請け負っていません。

アヤナミちゃんの言葉でカットが切り替わっており、シンジがそれにどう反応したのかは我々には知り得ない。

おそらく「うーん」とか「思いついたらね」とか、曖昧な言葉で濁したのではないでしょうか。

彼が正面からこの依頼を請け負うとは思えない……。

シンジは、過去や綾波のことを引きずり続けているため、アヤナミちゃんと向き合うことができない。

しかし、冷静に考えると、決死の覚悟で綾波を助けるためにエヴァに戻り、自分でもコントロールできないような力を発揮して救い出した…にもかかわらず、全てはなかったことになり、あまつさえ世界が滅びかけたのは自分の責任だと一方的に問い詰められ、唯一の心のよりどころになったカヲルは爆死…。

失語症にもなりますわな。

そんなシンジくんなので、普通に生活したり、人とコミュニケーションを取れるようになってるだけでも褒めてあげないといけない。

 

あと、今ここで書くことでもないのですけど、そもそもシンジくんが失語症になったのは声優の緒方さんの言葉がもとになっているそうです。

Qのラストで、カヲルが爆死した後に、本当はシンジくんは台詞を話す予定だったそうです。

しかし声優の緒方さんがアフレコの際に、「何も言えないです」と告げたところ、庵野さんが「じゃあ台詞はカットしよう」と決めたそうです。

この時に緒方さんが台本通りに話せていたら、シンエヴァはそもそもこんな展開ではなかったのではないでしょうか。

庵野さんは脚本を書くうえで、声優さんを招いてディスカッションをすることも多いそうですが、このように脚本の流れに決定的な影響を及ぼすような部分でも声優さんの意見を聞くクリエイターはなかなかいないのでは。

(まぁ、シンジが失語症になっていなくても、話の流れ自体は変わらないかもしれませんが)

 

・釣り竿がチャリのかごにささってる

ケンケン宅のシーンで、屋外に停めてあるチャリのかごに釣り竿がささっています。

このチャリいつ使われるんだろうと思っていましたが、シンジが使用しているのですね。

しかしシンジがチャリを漕いでいる姿、想像つきませんね。

わざわざチャリを使わなければ行けない湖で釣りをするのはなぜなのでしょう。

村に行くことに抵抗感があるのか、あるいは村には魚がいない、魚がいるとしても貴重な食糧なので勝手に獲ってはいけないのかもしれませんね。

湖ならペンペンたちも魚をバクバク喰いまくってるだろうし、別に構わないとか。

物語的に考えると、まだ母胎回帰の願望を払しょくできていないのかなとは思います。

 

・「初期ロット、ちゃんと動いてる?」

アスカがシンジに問う際の台詞ですが、気にかけている辺りは優しさなのかと思うのですが、「動いてる?」という、生きものというよりは機械のような装置に対して使う言葉なのが気になります。

また、シンジから「今日も来てたけど。どうして?」と質問されても、アスカは懸念している内容を伝えません。

こんな質問をするのだから、アスカは、アヤナミちゃんがこの環境で正常に生きることが難しい状態だということを知っていたはずです。

しかしシンジにはそのことを伝えないし、アヤナミちゃんが生きながらえるために協力することもない……。

このことはもう少し先で詳細を書きますが、意図はどうあれアスカはアヤナミちゃんを見殺しにしていると思います。

 

・「追いかけると逃げてゆきます」

アヤナミちゃんが読んでいる絵本の内容です。

オチビさんが木の枝を持って、逃げていくやまあらしを追いかけます。

「おーいまてーまて」といった台詞も書かれています。

「やまあらし」は当然、エヴァで語られる「ヤマアラシのジレンマ」の繋がりで描かれていると思うのですが、「近づきすぎるとお互いに傷つくから適度な距離を見出して保つ」という挿話というよりは、直接的にシンジとアヤナミちゃんの状態を表していると思います。

絵本のページではやまあらしが逃げて、オチビさんが追いかけていますが、表紙では「座っているオチビさんにやまあらしが近づいてきた」状態なのです。

そこから何かあって、やまあらしが逃げ、オチビさんが追う展開となる。

シンジとアヤナミちゃんと同じ関係性の変化を経ていますね。

その後、アヤナミちゃんはぱらぱらとページをめくっていきます。

何が描かれているかは読めませんが、なにかは書かれているので、そのうち絵本として世に出してほしいですね…。

 

・ゼーレのマーク、こわい

プラグスーツのバッテリー切れが近づいていることを知らせたのち、アヤナミちゃんは卒倒します。

この時、彼女の目の色が赤く染まっています。こわい。

その後、アヤナミちゃんのフラッシュバックでゼーレのマークが浮かびますが、この時の赤色も怖い。

温もりを感じさせるような色使いの多かった第三村パートにおいて、不穏な気配が一気に漂い出します。

ちょっと蛍光が入ったような赤は、ゼーレのシンボルのほか、ニアサー後の世界を塗りつぶしているし、首なしエヴァや封印柱でも見られるカラーリング。

危険の到来を予感させる色です。

良い映像作品って、色の使い方にも強いこだわりが観られる物です。

庵野作品ってやっぱり映像、絵のクオリティや構成が段違いに優れているんですよねぇ……。

 

・トウジとケンスケ父(ハジメ)の死はかかわっているのか?

ケンスケの父(ハジメ)さんのお墓参りシーン……父の死については「事故」という一言で片付いていましたが、何があったんでしょうね……。

トウジがその事故に関わっていたり、あるいはトウジはケンスケ父を救うことができなかったりしたのかな……と想像してみましたが、作中では特にそれらを結びつけられるような表現はなかったので、多分本当にただの「事故」だったんでしょう。

 

・「その時の悲しみや怒りを引き受けるのも医者の仕事と思うてやっとる。自分のやらかしたことにはけじめをつけたいんや」

手押し車を押しながら道を往くシンジとトウジのワンシーン。

このシーン、トウジが一人で喋っていて、台詞の流れが綺麗じゃない気がするんですよね。

シンジの心理を変化させるために、無理矢理言わせている感がある。

トウジの心理としては、このシーンのはじめに言う「村にはもう慣れたか?」と、「もうお前は十分闘った。これからはここでわしらと一緒に暮らしたらええ わしゃそう思うでシンジ」が伝えたいことだと思うのです。

これまでのシーンでの彼の発言から考えれば、それが自然です。

しかしむしろシンジは、この後に起こるアヤナミの顛末から、むしろ「自分のやらかしたことにはけじめをつけたい。引き受けるのも仕事」という言葉に突き動かされることになります。

このシーンでは、トウジの言葉を受けても、シンジは少し顔を伏せて複雑そうな表情を浮かべています。

僕には苦々しい顔に見えます。

おそらく、「自分のやらかしたこと」という言葉から、ニアサーを引き起こしたこと、勝手な行動でカヲルが犠牲になってしまったことを想起しているのではないでしょうか。

そんな自分だけれど、第三村で衣食住を与えてもらい、生活を送っていることに罪悪感や違和感を覚えているのではないでしょうか。

多分トウジは、シンジのそんな事情もある程度踏まえた上で、シンジが責任を全うしたのだと言っているのでしょうが、シンジ自身はそうは思えていない。

自分の行動が原因で一変してしまった世界で、のうのうと暮らしていていいのか? と自問しているはず。

 

・戦闘機? ヘリ?

トウジとシンジが歩く風景の中に、ヘリか戦闘機が墜落しています。

そこには青い塗料が塗りつけられているので、おそらくクレーディトがネルフから乗っ取ったものでしょう。

ネルフ施設の廃墟も村の近くにあるということがわかるので、ネルフとヴィレの戦闘はこのあたりでも行われていたということなのでしょうね。こわいこわい。

 

・黒猫がレールをまたいでいく

「家族のためならお天道様に顔向けできんようなこともした」とトウジが語るシーンでは、画面の奥を二人が歩いていくさなか、画面の手前では黒猫が列車のレールをまたいでいきます。

黒猫が横切るのは不吉な出来事の前触れなので、おそらくアヤナミちゃんの身に起きることを示唆しているはず。

と同時になのですが、トウジの「顔向けできんようなこと」というのは、他人の死につながるようなことだったのではないか、と思いもします。

でないと、この後ろ暗い出来事について話すシーンで黒猫を横切らせる意味がない気がするんですよね……ただの憶測なんですが。

ただ通り過ぎるだけではなくて、レールをまたいでいるのは、「一線を越えた」ことを示唆しているのではないかと思うのです。

で、第三村で語られる人の死って、ケンスケの父親のことくらいなので、そことトウジの決意には関連があるのかなぁと思った次第なのです。

あとは、トウジの親や祖父もおそらく亡くなっているのと、ヒカリの姉と妹も亡くなっているはずですね。

トウジ宅の居間の仏壇には遺影がありましたが、絵からは性別の判別がつかないので誰の物かはわからず……。

ここでトウジがこれを伝えるのって、ケンスケの言う「つらいのはお前だけじゃない」と同じようなことで、「罪を負って生きているのはシンジだけやない」ということを言いたいのだと思います。

 

・R KAJI

ケンスケが「会わせたいヤツがいるんだ」と言ってクレーディトの野外ラボにシンジを連れていくシーン。

防護スーツを着た人間の後ろ姿が映り、スーツの背中に貼られたガムテープにはマジックで「R KAJI」の文字が書かれている。

すぐに「相田せんせーい!」という声が発せられて、声の主が山寺宏一さんでないことはわかります。

しかし、Qで加持さんが登場しなかったことから、彼の行方を固唾をのんで見守っていたわけで、名前が出てから声が出るまでの一瞬の間に「加持サック登場か!?」とミスリードした人は多いはず。

もちろんその直前に「会わせたいヤツ」とケンスケが言っているので、加持サックを「ヤツ」呼ばわりすることなどないわけですが……加持サックの登場を待ち望んでいるわけですから、やっぱりミスリードしてしまうんですよ。

で、↑に書いたような情報提示の順序になっているので、庵野さんもミスリードさせようとしているはず。

初見の時はまんまとどっきりさせられましたよ。

もう、シンジくんの「えっ?」の顔そのまんまの反応をしてしまいました。

そういう人、多いですよね?(笑)

 

この加持サックジュニアですが、髪の色がミサトさんなんですね……。

TV版加持のちょっとシャクレてる感じは受け継いでいないもよう。

登場シーンは短いですが良いキャラクターですね。

 

ところで加持サックジュニアがケンスケを「先生」と呼ぶのはなぜなのでしょう……。

ケンスケが村の学校で、子ども達に勉強を教えるシーンがありましたが、その時に接していた名残で「先生」と呼んでいるんですかね。

でも14歳にしてクレーディトのラボのスタッフを務めているところを見るに、ジュニアは秀でた能力を持っている可能性は高いですよね。

なんで14歳なのに、もうがっつりと労働に励んでいるのだろう……ミサトさんのコネ的なことなの?

ちょっと謎。

でも多分何かしらの設定があるのだろうとも思います。

 

・「こいつが新しい先生の助手ですか」「ま、そんなとこかな」

やっぱり、破から14年が経過していることもあり、世界を生き延びてきた人々には様々なドラマがあります。

それをつまびらかに描くには時間が足りないため、Qとシンではこのように台詞の端々で断片的な形でバックグラウンドにある物語を想像させるような脚本になっています。

ケンスケには過去に助手がいたということですよね。

なんでやめたんだろう。

村の中に、過去にケンスケの助手を務めていたであろう人物はおりませんね。

もしかすると、このジュニアが過去にケンスケの助手だった可能性もあると思うのですが、そうと断定できる情報もないですね……。

もしかしたら、その人物も亡くなったり、あるいはヴィレやクレーディトの仕事に就くようになったのかもしれない……とも思いますが、これもやはりそんな情報は出ていないです。

誰なんや……。

 

で、ここで「そんなとこ」と言ってシンジを彼の助手だと断言しないところには、やはりケンスケの「シンジは別の仕事をするべき」という考えを感じます。

もちろん自分の助手ではなく、村で別の仕事を探すというニュアンスなのかもしれませんが、僕としてはやはり、ケンスケは「エヴァに乗る」がシンジの仕事なのだと思っていると思います。

 

・僕は加持。加持サック。よろしく。

ここでもシンジくんに対してフルネーム名乗りをしてくれる、優しい、優しい人。

鈴原トウジ、相田ケンスケ、真希波マリイラストリアス、加持リョウジ。

ところでここでジュニアくんは握手を求める際、防護スーツのグローブを外して素手を露出させます。

彼の手はばんそうこうや汚れにまみれていて、シンジくんと同い年にして「働き者の男の手」をしています。

彼がどれだけ働いているかがわかります。

シンジは彼の名乗りにキョトンとしていて、次のカットではジュニアくんと別れた後のシーンになっています。

シンジくんが、ジュニアにちゃんと名乗ったのか、名乗ったとしてフルネームで名乗ったのかはわかりません。

ただ、サックジュニアとの握手の際、おそらくシンジくんはグローブを外さないままだったのではないかと思われます。

この後に撮影したと思われるジュニアとシンジの2ショットでは、ジュニアは両方のグローブを外していますが、シンジはグローブを付けたままでした。

後に「すごくいいやつだった。僕は好きだよ」とミサトさんに報告しますが、多分、シンジくんは、長い時間を共に過ごしてもジュニアに心を開けなかったんじゃないかと思います。邪推ですが。

 

やはり、劇中を通して、シンジが直接触れるのはマリとカヲルだけなんですよね。

 

・夕焼けのドライブ

ジュニアと短い対面を終えて、夕暮れの工業地帯を車で駆けるケンスケとシンジ。

このシーン、ケンスケはスーツをフル装備しているのに対し、シンジは防護スーツの頭部を脱いでるんですけど……何で大丈夫なんだ……?

ストーリー上で台詞で語られるところから考えると、シンジが「リリンもどき」と呼ばれているので、人間とは違う身体なのかもしれませんが……にしても、そんな説明は全然ない。

なんなんだろうこれ。

後に、シンジとジュニアがマスクを外して写真を撮っていたことがわかるから、その時に外したままなのかもしれませんが……それにしても、クレーディトが復元したエリアに入る前に、ケンスケは「しばらく付けていてくれ」とシンジに告げていたので、本来なら二人の間では、「スーツを着てないとヤバい場所だ」という認識のはず。

なんなんだこれ……。

 

・男が少ないのはヴィレに乗っているから?

第三村パートを見ていると、村の住民は女性のほうが多いように思います。

最初に村の風景を写すシーンでは男性も多いけど、それ以降はほぼ女性しか出てきていない。

アヤナミちゃんがかかわる農業の仕事は女性に割り振られているってことなんですかね……。

のちの、ヴンダーから下船希望者が降り立ってくるシーンでは、男性搭乗員が多いように見えるので、生存者の男性はヴンダーの乗組員として働いてるってことなんですかね。

謎。

 

・制服を着るアヤナミちゃん

冒頭に登場した猫が、子猫を引き連れている姿を見て微笑みを浮かべたアヤナミちゃん。

一緒に働くおばちゃんたちから「あんた笑うんだね」「かわいいよ」「背格好もいいんだし、たまには別の格好してみたら?」と言われます。

アヤナミちゃんははにかみながら「別の格好、変えてみる」と、ちょっと変な日本語で応えます。

その後、トウジ宅? に写ってアヤナミちゃんの着せ替え大会が始まります。

「次はこれいいんじゃない?」と、言って着せられるのは、おなじみの中学校の制服です。

あれはヒカリの服なのかな……。

みんなが口々に「似合う」「かわいい」と褒め、アヤナミちゃんが「これが、照れる」と頬を赤らめる。

 

綾波レイの制服姿を見るのは十数年ぶりになるわけで、観ている側からするとものすごく感慨深い……。

一つのファンサービスショットとも撮れますが、僕はこのシーンって、アヤナミちゃんにとってネガティヴな意味もあるのではないかと思いました。

これという推論を立てることができないのですが、アヤナミちゃんはQからここまでに「アヤナミらしさ」を押しつけられてきましたが、第三村では綾波のことを知らない村人達の間で、必要とされる存在になり、そんな人々のことが好きで「ここにいたい」とはっきりとした意志を持つようにもなりました。

綾波レイとは全く違う個性を確立させようとしてきたわけです。

しかし、彼女がいちばん好きなシンジには「君は綾波じゃないし」と名付けを拒まれてしまう。

で、ここでは綾波レイのように中学の制服を着せられて「似合う」と褒められる。

また、この後のシーンでもやはり、綾波レイのアイコンである白スーツ姿にもなる。

アヤナミちゃんは、綾波レイの呪縛から逃れようとして、結局達成できずに消えてしまったのではないかというのが僕の考察です。

 

あと同時に、服を着替えさせるというのは、その共同体に迎え入れることと同義です。

第三村パート冒頭で、シンジがプラグスーツからトウジの服に着替えさせるのは、トウジが彼を村になじませようという想いからしたこと。

と同時に、世界を救う英雄であるシンジにとって、その服は枷としても機能しました。

プラグスーツから着替えようとしないアヤナミちゃんを「そのまんまでもええやろ」と少し突き放すように言うトウジは、おそらくあの時点ではアヤナミちゃんを大切な存在として認識していなかったはず。

このアヤナミちゃん着せ替え大会は、村の人々が彼女を本格的に村の一員として迎え入れるための「儀式」だったのは間違いありません。

そう考えると、あとは「名前」さえあればよかったのかもしれないですよね……(;。;)。

 

また、「かわいい」という言葉もシンエヴァでは何度か出てきますが、この言葉の使い方も注目に値するものだと思うんですね。

「かわいい」って基本的に、対象をちょっと下に見ている時に出てくる言葉だと思うんです。

かわいいって言葉の意味って本当に広いものなので、解釈違いかもしれませんが……。

ただ、映画のラストでシンジがマリに「かわいい」という際は、やはりちょっと下か対等の立ち位置だからこそ使っている言葉だと思うんです。

 

ここでおばさんたちとヒカリがアヤナミちゃんのことを「かわいい」というのは、彼女を自分たちの子どものような存在として見ているからではないかと思います。

 

・そこかしこ、クレーディトのロゴマークだらけ。

第三村がクレーディトのロゴマークだらけ、という話です(笑)。

おばさんたちが着る作業着、村中にあるコンテナなど、とにかくロゴマークが多いですよ。

アヤナミちゃんが鈴原家に残していった置手紙も、クレーディトのロゴが入った紙に書かれていました。

多分クレーディトからの連絡に使われた紙の、裏紙をメモ用紙代わりにしているのでしょう…昭和の家庭でよく見られた、チラシを小さく切って裏紙をメモにする風景。

固定電話の側に置いたりしていましたね。懐かしい。

 

ゼーレやネルフも、そこかしこに自分たちのロゴマークを入れているので、多分それぞれの勢力が、自分たちが作ったものにロゴを入れているのでしょう。

しかし、「ロゴを入れまくる」「そのロゴを画面に映しまくる」意味があまりよくわかりません…。

庵野さんが経験した、制作物の権利取得についてのややこしい経験がここに反映されているんじゃないか、とは思うのですが…謎。

 

・アスカのスーツ、充電している

ケンケンが「明日ヴンダーが迎えに来る」と告げるシーン。

アスカは倉庫?のようなところでパイプ椅子に座っています。

ケンケンがアスカに頼みごとをしている間、カメラは倉庫内の様子を映しますが、その中で気になるところがあります。

アスカのプラグスーツが干されているのですが、首もとからケーブルが繋げられていて、車のバッテリーに接続されているんです。

これって、プラグスーツを充電しているはずです。

これは結構重大な事実だと思います…冒頭でのシンジのプラグスーツや、アヤナミちゃんが来ているプラグスーツが「LOW BATTERY」の表示になって、二人とも生命維持が困難になっていることを考えると、活動のためにはスーツが必要。

スーツには着用者の生命維持のためのシステムが備わっているのですよね、多分…。

TV版では生命維持装置があると語られていましたし。

シンジが村の中でスーツを着なくても平気なのは、村の人々が普通に生活しているからでしょう。

アスカがスーツの生命維持システムに頼っているのかはわかりませんが、何も着ずに過ごしていることから、多分そのままでも平気なのでしょう。

明日から何があるかわからないから充電しているのか、突発的なトラブルで村の外に出なければならない事態を想定しているのかは不明。

後者が理由な気もします。

で、肝心なアヤナミちゃんについては、後のシーンで「無調整ゆえ個体を保てなかったようだ」と説明されますが、おそらくスーツによって生命を維持できていたはず。

となると、アヤナミちゃんは、スーツを充電出来てさえいれば、助かったかもしれませんよね。

アスカは、直前に「初期ロット、ちゃんと動いてる?」と確認していたところから察するに、アヤナミちゃんがネルフ施設の外では生きられないことを知っていたはず。

しかし、それをシンジにもアヤナミちゃんにも告げず、スーツを充電してあげることもありませんでした。

つまり、アスカはアヤナミちゃんを見殺しにしているのではないか、と考察します。

アスカがその行動をとった動機としては、

「シンジと仲良くしていることへの嫉妬」

「シンジを成長させるためにイマジナリフレンドから引き離した」

「ゼーレ側の存在だから敵視した」

などが考えられます。

シンジにアヤナミちゃんの稼働状況を問うた後の表情を見るに、アヤナミちゃんの死を喜ぶようなスタンスではないとは思うのですが…なんとも動機の説明がつかないですね。

 

・ただいま

ケンケンとアスカが、ガレージで話していると、シンジが姿を現して「ただいま」と言います。

これは、シンジがケンケンハウスを「ホーム」として認識したから出てくる言葉に他ならないでしょう。

第三新東京市に来たばかりの彼が、ミサト宅に「お邪魔します」と言って「ただいま」に訂正させられる場面は印象に強いはず。

ここをホーム…拠り所として認識したシンジだからこそ、次の日にヴンダー搭乗を決める場面での意味合いも強いものとなります。

しかし、ケンケンやアスカの「おかえり」という言葉が聴こえないまま次のカットに映るのは、ちょっと寂しいですね。

さすがに「おかえり」と言ってないってことはないと思うのですが…。

 

・アヤナミちゃんのスーツは干したまま。

次のカットでは、アヤナミちゃんが寝室でツバメと一緒にいるところが描かれます。

ここでは、アヤナミちゃんが着ていたプラグスーツが吊るしてあるところが映ります。

しかもハンガーに掛けてある…プラグスーツがハンガーに掛けられてる絵面がなんかもうすでに面白い(笑)。

前のシーンで充電されていたスーツを映しているので、やはり対比する意図があるのは間違いありません。

しかし、アヤナミちゃんは、なぜスーツの充電をしなかったのでしょう。

スーツが充電できることを知らなかったのか、あるいは電力が貴重なエネルギーであることを知っているからそれを消耗させたくなかったのか。

結局延命しようとしても限界があることを知っているから生きていくことを諦めてしまったとか? …でも、彼女は生きられるなら生きたかったはずですよねぇ…。

 

・「泣いてるのは私 これがさみしい」

このシーン観て泣かない人間とかいます??

もちろんTVアニメ版の「泣いてるのは、私?」という台詞に対応した言葉です。

(ところであのシーン、LCLで満ちたエントリープラグの中なのに、なんで涙は落ちるの?)

TVでは疑問形だったこの言葉ですが、こちらでは確信があるような言い方になっているように思います。

アヤナミちゃんはアイデンティティを獲得した、というのが私の認識です。

鶴巻さんは様々なインタビューで、第三の綾波について言及しています。

「SF的には面白いクローン人間のテーマを生かせなかった」といったお話し。

そんな鶴巻さんをはじめとしたクリエイターの二十五年越しの意匠がここに結実しているわけですね…。

思い返せばQの時点ですでに、「クローン人間」のテーマの敷衍は始まっていたわけですよね。

そう考えると、Qで「破で助けた綾波を出せ~!!!」とぶちぎれていたタイプのキモオタ達は、庵野さんの術中にまんまとはまっていたわけですね。(とはいえやはりQの作品としての欠点には目をつむることはできませんが…)

 

・クレーディトのメモ帳 裏紙をメモにしているのか?

アヤナミちゃんの置手紙ですが、クレーディトのロゴが入った紙に書かれていました。

クレーディトが発行しているメモ帳というより、クレーディトが発行した文書を小さく切って裏紙をメモ帳代わりにしているのではないかと思います。

今の時代ではあまりないかもしれませんが、昭和ではチラシ等の要らない紙を切ってまとめてメモ帳代わりにする風景がよく見られました。

固定電話の横などに置いてあることが多かったのではないかと。

昭和の風景ですねぇ…。

やはり第三村の生活は、「昭和」の色を強く残しているんですよね。

 

・「どうしたの、こんな朝早く」

アヤナミちゃん最後の時間です。

嗚呼…。

悲しすぎてこの続きについて書きたくない…。

このシーンでの、

シンジ「どうしたの、こんな朝早く」

アヤナミちゃん「碇くんに会いたくて」

って、Qでのシンジとカヲルのやりとりを反復していると思います。

その関係性なども、「オチビさんとヤマアラシ」で暗示されているものと思ってよいでしょう。

廃墟の風景や色合いも似ている気がしますね…。

シンエヴァの後半、裏宇宙でのゲンドウとの戦闘でこのシーンが登場しますが、この廃墟にピアノが置いてある絵がなぜか一瞬入ります。

それは作品の装置として、同じ意味あいで使われていることを暗示しているのかもしれません。

シンジの大切な人が、首がぶっ飛んで死んでしまう。

 

・「好きってわかった。うれしい」

Qでシンジが、アヤナミちゃんに読書を押し付けようとしたときに「好きって、なに?」という、観る者に絶望を感じさせるシーンがありました。

それを知っている我々からすると、ここでアヤナミちゃんが「好き」を覚えたということが、もう、奇跡にしか思えないじゃないですか。

しかしシンジは、アヤナミちゃんに対して心を閉ざしているから、この発言の重要性をこの時点では理解していません。(この直後、嫌と言う程思い知るとは思いますが…)

もちろん、ここまでにアヤナミちゃんが労働したり、シンジに献身的に寄り添ったり、ツバメちゃんに強い関心を示しているので、彼女に変化が訪れていることは明白です。

しかし、変化する前の彼女とはっきり対比させるために、「好きってわかった」のセリフがあるわけです。

脚本がほんっとうにうまいです。

敬服です。

天才です。

意味わかんないですよこんな面白い脚本…。

 

・「名前考えてくれてありがとう。それだけで嬉しい。ここじゃ生きられない。でもここが好き。好きってわかった。稲刈りやってみたかった。ツバメもっと抱っこしたかった。好きな人とずっと一緒にいたかった」

この台詞、思い出すだけで泣きそうになってくるんですが…。

本当に、台詞の隅々までひとつ残らず有効に活用されているんですよ。

ここで彼女が口にする言葉のすべて、実際に作中で映像が出てこないんですよ。

そしてその二つとも、彼女が絶対に、もっとも「いい顔」をしているであろうシーンじゃないですか。

まず、アヤナミちゃんが田んぼで「仕事」をするシーンは、冒頭のみ。

その後は木を切ったり、卵をとったり、洗濯したりしていて、田んぼでは泥んこの子どもに襲いかかられているだけなのです。

でもここでこのセリフが入ることで、観る者はアヤナミちゃんが「楽しそうに仕事をするシーン」を想像する。

フィルムには写っていないところで、アヤナミちゃんは日々成長していく稲を眺めて仕事を楽しんでいたということが、この台詞から伝わってくるではないですか。

淡々と命令をこなしていただけのアヤナミちゃんが、おばちゃんたちに教わりながら、しっかり仕事をやっていた。

本当に良かったです。

また、オバサン達が教えてくれた「仕事」「汗水流すこと」が彼女の心に浸透していることが、ここからわかる。

「命令」を受けないのに、「仕事」をしてみたいと考えている。

ここではあやなみが、「自分の意思」を持ったのだということがはっきりと示されます。

「みんな」の中に居場所を見つけている。

「ツバメ、もっと抱っこしたかった」

もうここ、本当に泣かされるんですよ。

アヤナミちゃんがツバメに触れるシーンは、絵本を読んであげるところとおんぶしているところだけ。

正面からの抱っこはしていないんですよ。

この台詞から我々は、アヤナミちゃんがツバメを抱っこして、赤ちゃんの重みと匂いと温もりで心がぽかぽかしている表情を想像する。

こんなん泣くじゃないですか……。

僕もツバメを正面から抱っこしているあやなみちゃんを見たかったですよ。。。(´;ω;`)

これは、時間を1秒でも無駄にしないための工夫だと思います。

言うまでもないことですが、シンエヴァは2時間半を超える映画とはいえ、情報密度が非常に濃い映画に仕上がっています。

ここでの台詞が、僕たちが観たことのある場面をなぞるだけだったら「あったよね、そんなこと(´;ω;`)」となるだけですけど、僕たちが知らないアヤナミちゃんにとっての愛おしい時間があったのだとわかることで、彼女が本当にその時間を生きてきたのだと気づかされるわけですよ。

あーもう最高!

 

僕らは「名前付けてあげろよシンジ!」と思うんですけど、シンジから見た物語を想像してみると、ただ唐突に「名前を付けてほしい」と言われただけ。

シンジに名前を付けてもらうことの重要性が、シンジにはわかっていなかったのかもしれません。

庵野総監督、昔から「いい顔をしているであろう人物の顔を映さない」演出をよくやりますが、ここに至っては、「いい顔をしているであろうシーンを映すことすらせず、完全に想像させる」手法です。

鬼畜だ…。

「さようなら」で消えていくのは、「分かれ際にさよならなんて、悲しいこと言うなよ」というアニメ版の名セリフにかけてあるのだと思います。

このアヤナミちゃんにはその記憶はないと思いますが、それを髣髴とさせるためにこういう言葉を選んでいるはず。

「さよならなんて、悲しいこと言うなよ」とシンジくんは言ったけど、悲しい別れを避けるなんてこと、本当は難しいですよね。

避けられない別れが目前に迫っているとわかっていたら、きっとシンジも「さよなら」「ごめん」と言いたかったはず。

でも最後の別れになるなんて知らずに、その瞬間を迎えてしまうことのほうが多いはず。

シンジくんがいろんなことにケリをつけて「さよなら」を言えるようになるまでの物語がシンエヴァなのだとも言えます。

嗚呼、やっぱ最高の脚本です。

 

ところで、初見の際にはこの展開に本当に驚きました。

なんとなく、「シンジがゲンドウと話さなきゃいけない」「アヤナミちゃんは第三村では生きられない」という要素があったので、アヤナミちゃんを救うためにゼーレに戻るのでは?と予想していたのですよ。

まさかこのアヤナミちゃんが絶命する展開があろうとは、想像できなかったのです。

 

アヤナミちゃんが死ぬことの何が悲しいって、彼女が子どものように向くな存在だからなのでしょうね…。

本当に子どもみたいです。

子どもが死ぬシーンってあんまりないじゃないですか。

子どもって守られるべき存在だし、ストーリーの中であるような「因果応報で死ぬ」ような展開に巻き込まれることがほぼないので、そう思い込んでしまいがち。

だからこそ、子どものように無垢なアヤナミが「死ぬ」なんて予想できなかったっす。

 

・「どうしたの、綾波」「綾波?」「綾波っ!」

ここで遺言めいた独白をするアヤナミちゃんに対して、シンジは↑のように、やはり「綾波」呼びをやめません。

彼女が消えた後にも「綾波!」と叫びます。

それにこのシーンよりだいぶ後に来る、ミサトさんに語る「綾波が消えた帰り道…」というところで、やはり綾波呼びをしています。

まぁ、ミサトさんに語る上では、「綾波」という名前で呼ぶしかないことは理解するのですが…それにしても、アヤナミちゃんの魂が浮かばれないですよ(´;ω;`)

最後に綾波レイと対峙するときには「もう一人の君」と呼んでいたので、やはりシンジの中で、この子は最後の最後まで「綾波」であり、その認識がブレることはなかったんでしょうねぇ…。

彼女に仕事を教えてくれたおばさんたちは、14年前にいた綾波レイを知らないから、アヤナミちゃんをオリジナルな存在として迎え入れようとしてくれてたというのに。

 

・ヴィレクルーはアイパッド使用

ヴィレのクルーが手にしているスマホサイズの端末は、裏にヴィレのロゴマークが付いていますが、このシーンで物資の積み下ろしをしているであろうクルーはタブレットを手にしています。

その裏面には、アップルのリンゴマークっぽいものが見えます…多分、アップルのマークだと思うのですが…。

どうでもいいけど、ニアサー後の世界でスマホとかタブレットを作ろうとすると、誰がどこで作るんでしょうね。

経済が機能していない以上、何かを作るのってとても大変だと思うのですが…。

なので、既存でまだ使える端末は再利用しているんじゃないか?

だからタブレットはアップル製品をそのまま使ってるんじゃないか?

という考察でした。

ただやっぱり、あのタブレット裏のロゴはヴィレには見えないんだよなぁ。

(後のヴンダー艦内のシーンで、マヤが持っているタブレットの裏面には明らかにアップルのロゴマークが刻印されていました。なので、このシーンのタブレットもアップル製っぽいです)

 

・トウジの表情険しそう

ヴィレのクルーと何かを話しているトウジですが、やや険しい表情です。

そしてその表情で、声を張り何かを呼び掛けています。

声を張っているのは、周囲の音がうるさいためかもしれませんが、険しい表情については何か芳しくない事態が起きていることを想像させます。

表情の理由としては、ストーリーで提示された要素から考えるに、診療所に必要な物資を分配してもらえない、といったところでしょうか。

エヴァインフィニティが襲ってきたときも険しい表情ではありますが、こちらでは「怒り」を感じるんですよね。

お医者さんも大変ですよ。。。

 

で、ヴィレクルーがiPadを手にしているのと対照的に、トウジは安っぽいバインダーを手にしています。

しかもご丁寧にクレーディトのロゴ入り。

もしかしたらですけど、随時情報が更新されていくデータベースにアクセスできるiPadに対して、トウジは紙ベースでの情報伝達を強いられていて、「タミフル5つ配給する言うてたやんけ!」「いや、最新の情報だと原料不足のため3つしか配給できませんね」みたいなことを言われているのかもしれません。

なんにせよ、使っているツールが彼らの格差を物語っている気がします。

あるいは、クレーディトとヴィレの連携が上手くいっていなくて、末端の第三村にまで情報が行き届いていないとか?

後々、ミサトが「クレーディトの独立運営」を認可する場面があるので、その辺もありそうだな。

 

・「あれがヴンダーかぁ でっかいなぁ」

ヴンダーとヴィレの様子をビデオに収めるケンケン。

彼はヴンダーを見るのは初めてのようです。

まぁ、秘密の兵器のようなものなので、敵本拠地であるネルフからそう遠くない第三村に来ることなどなかったのでしょう。

ていうかこの時点では、ネルフ本部は移動を開始していないので、ここに来るのはだいぶ危ういのでは。

 

・「やだ、撮らないでよ」「悪いが今日だけは記録を撮らせてもらうよ」

ここは二人のラブシーンとして書かれたそうですね…寝取られ感がギンギンにうずきます…。

アスカがまんざらでもない顔してやがるんですよ!

「今日だけは」とわざわざ言うってことは、これが最後になるってことをケンケンも予知しているはず。

まぁ最終決戦が近いということを察知しているので、その激闘をエヴァパイロットであるアスカが生き延びられる可能性は低そうですよね。

で、「今日だけは」ってわざわざ言うってことは、きっとこれより前に、アスカを撮ろうとして嫌がられたことがあるってことなんでしょうねぇ。

アスカのまんざらでもない顔…マジでキツかったです…この時点で、「え、ケンケンルートくるん?」「っていうかもう二人は関係を持ってるん?」ってみんな思わされるじゃないですか。

 

・犬と一緒に犬と来るシンジ

そんないちゃラブモードの二人のもとに、ワンコの「ワンワン!」という鳴き声が水を差します。

ケンケンアスアスが振り返ると、制服に着替えたシンジが立っています。

なぜかゴールデンレトリバーを伴っています。

「犬」という動物が一種のシンボル的な働きをしているのだと思うのですが、自分の知識では説明できません……。

シンジが第三村で初めて目を覚ました時も、このわんちゃんが「わんっ」と吠えてトウジのことを呼んでいるようにも取れるので、このわんちゃんは導き手なのかもしれないですね。

また、このわんちゃんは、エリザベスカラーを付けているし、診療所にもいたから、もしかしたら何かの病気の療養中なのかもしれませんね。

で、このシーンではエリザベスカラーが外れています。

その辺も鍵かもしれません。

けど、診療所を出てからここに至るまで、シンジはこのわんちゃんと一緒にいるシーンがないので、なんでここで一緒に来るのかはほんとにわかんないんですよ……。

アヤナミちゃんが労働しているシーンにはこのわんちゃんも映っていたりするけど。

このわんちゃんの飼い主が、アヤナミちゃんに良くしてくれていた少女だとか?

うーん、謎……。

アヤナミちゃんが消えたのは早朝で、このシーンまでには少し時間が空いているし、アヤナミちゃんが消えてしまったことをいろんな人に報告して回っているうちにこのわんちゃんが付いてきたとか?

でもシンジが第三村村民と交流しているような描写は皆無だったしなぁ……。

どう解釈したらいいんだ!

 

ところで、ここのシーンでは、シンジはさっきまで着ていたトウジのジャージから制服姿に着替えています。

この制服は、村のどこかから借りてきたのでしょうか……第三村到着時はプラグスーツを着ていたわけで、プラグスーツの下には何も着ないわけなので……。

そう考えると、アヤナミちゃんの制服と同様に、これもトウジ宅で保管されていたものだったりするのかも知れませんね。

で、ジャージもしっかりとトウジ本人に返却して、ヴンダーの搭乗する意志も伝えて、しっかりと別れを済ませたのかもしれません。

いや、でも、「トウジたちにもありがとうって言っておいて」って頼んでいるし、会ってはいないだろうな。

ジャージの下はずっと制服を着ていたということなのかな。

(見返してみたら、ジャージの下から白い襟付きの服がのぞく場面もあるので、ジャージの下にずっとシャツを着ていたっぽいですね。

 

ケンケン宅に制服が保管してあって、勝手に着てきている可能性も否めませんが……。

ただ、トウジに着せられたジャージを脱いだことが、シンジの決断を象徴していることは間違いありません。

 

・「碇 ここに残ってもいいんだぞ」

シンジが現れて、シンジが何かを言う前に、察したようにケンスケは話し始めます。

やっぱり、ケンスケは、シンジが「闘うべき」だと思っていたことがここではっきりと伝わります。

「残ってもいい」というのは、シンジの心がもう揺らがないのを知っている言い方でしょう。

 

・プレーヤーを握りなおすシンジ

ケンスケの言葉を受けて、シンジはプレイヤーをぎゅっと握りしめます。

その仕草には、プレイヤーの元の持ち主である父と向き合うことや、このプレイヤーを自分に返してくれたアヤナミちゃんに報いるという決意が込められているはず。

「ありがとうケンスケ。アスカ、僕も行くよ」と、男らしく告げるシンジくん。

頬がちょっと赤らんでいるのは、自分が能動的に行動するのがちょっと恥ずかしいからでしょうか。

言葉だけだとちょっとカッコよくなりすぎちゃうので、このほっぺたの紅潮があると、やっぱりちょっとふぬけなシンジくん感があってよいですね。

 

と思ったのですが、おそらくこれ、アヤナミちゃんが消えた後に泣きじゃくったから目元が腫れてる描写っぽいですね!

胸アツ…(´;ω;`)

 

・「じゃ、これ規則だから」

アスカは何の感慨もなさそうに、事務的に銃?を構えて引き金を引きます。

ビビビッという音が鳴り、画面暗転。

おそらく電撃を受けてシンジが失神したことがわかります。

ヴンダーに碇シンジを搭乗させる際には身体の自由を奪わねばならない、ということなんですかね。

 

・「女房かあんたは」

シンジが目を覚ますと、顔のすぐ前にサクラがいる。

第三村パートのオープニングと同様で、鈴原の一族に目覚めを見守られている感じですね。

で、ここでバチッとサクラがシンジを引っぱたくわけですが、意外と猟奇的な面があるということを示しているので、後半のああいう展開もちょっと納得がいくようになっていると思います。

アスカはその様を見て「女房かあんたは」と言いますが、正直ギャグとしては全然面白くないですね……(笑)。

庵野さんのギャグ、滑りがちなんですよね……。

まぁ、笑えるレベルのギャグに仕上がってはいなくても、冗談を言える空気なんだという情報を提示することに意味がある気はしますよね。

 

ところで「女房かあんたは」と言うアスカの表情が、ちょっと何とも言えない感じなんですよね。

ちょっと固い感じで、なぜかちょっとアップで映される。

シンジをヴンダーに連れ戻してしまった罪悪感というよりは、シンジとサクラの関係性に対して何か思うところがあるのでしょうか。

シンジが自分の首もとに触れて、チョーカーが着いていないことを確認しているところを見ているから、そこに対して「こいつにチョーカー付けなくて大丈夫なのか?」という不安があるのか、チョーカーが付いていない=エヴァに乗らないということだから、シンジがエヴァに乗って協力してくれる展開が望めないことになにか思っているのでしょうか。

 

・監視対象者EM(BMかDMかも)03

シンジがガラガラで運ばれていく際に、艦内アナウンスで↑みたいな呼び方をしていました。

なんとなく、「エヴァパイロット」のことをEMと言っているのかと思いました。

であればアスカとマリが01と02なのかと。

 

・「そんな体験をしてなお、なぜですか」

シンジがなぜヴンダーに戻ってきたのかを理解できていないサクラの台詞。

彼女は、第三村での生活がシンジにどのような変化を及ぼしたのかを知りません。

特に、アヤナミちゃんとの悲痛な別れなど知るよりもない……というか、アヤナミちゃんと行動を共にしていたことも知らないんですよね。

サクラの問いを受けたアスカは「さあ。それより葛城艦長が搭乗を許したことの方が驚きね」と応える。

アスカは「さぁ」と流しているものの、第三村でシンジとアヤナミちゃんがあれだけ長く時を共に過ごしていて、かつ、シンジが人と関われるようになったのが初期ロットのおかげであることをシンジ本人の口から聞いているわけで……。

シンジの心境の変化にアヤナミちゃんが一役買っていることを知らないはずがない。

アヤナミちゃんがどんな最期を遂げたのかまでは知らないにしても、おそらく、アヤナミちゃんが個体を保てなくなってしまうことは予測していたはず。

ということは、シンジに、「大切な存在を守れなかった後悔」を経験させるためにアヤナミちゃんを使ったってことなんじゃないかなぁと……。

アスカなりに、いろんな形でシンジを叱咤激励しようとしていたのでしょうね。

でも、そんなアスカの思いや、シンジの経験について、「何があったのか知らない」というポーズを貫いている。

アスカは、「シンジに興味がある」ことを他人に知られることが恥ずかしいんでしょうね。

彼女がシンジと向き合えないのは「恥ずかしい」からなのではないでしょうか。

この後にもいくつかの箇所で、アスカがシンジと向き合うことを恥ずかしがっているところが見て取れます。

マリを引き連れての最後の対話と、旧劇場版を模したような渚の場面ですね。

 

そういえば、カヲルがシンジの前で爆死してしまったことって、この場面までは誰も知らないんですよね。

アスカは「DSSチョーカーにだけ反応ありか」と話していたので、13号機がダブルエントリーだったことや、カヲルがパイロットとしてゼーレにいたことも知識として知っていて、シンジがトラウマを負っている理由を察しているのかもしれませんが……。

ゲンドウと同じように、アスカも喪失やつらい経験からシンジに成長してほしかったのかもしれませんね。

過酷な状況から生き抜いてきた人は、時に、他人にも自分と同じつらさを経験させようとすることがありますね。

 

・手紙をもらって泣くサクラ

アスカから、トウジの写真を受け取って泣くサクラ。

お父ちゃんが消えてもうた、と後で語ることから、彼女にとって家族がどれだけ大切な存在なのかがうかがい知れます。

そんな大切な家族が、無事に一人増えたわけですから、涙するのも当然ですね。

それにしてもヴンダーと、地上で生きる人々は連絡を取り合う機会がないんですね……多分サクラは、ツバメちゃん誕生したこともこの写真で初めて知ったんじゃないですかね。

 

それにしてもサクラ、よく泣きます。

ついさっき泣いたばかりなのに、また声を上げて泣く。

この映画で3回も泣きますよ。

情緒不安定っちゃ不安定なのがわかりますね……。

この映画では「涙で救えるのは自分だけだ」という言葉もありましたが、サクラの涙もその類いのものなんですかね。

サクラ、家族が大好きなのにヴンダーに乗って、家族とコミュニケーションも取れないような日々を送ってて大変なのでしょう。。。

世界復興のためにワーカホリックに仕事に打ち込むことしかできない状態になっちゃってるんでしょうか。

なんでサクラがこんなにいっぱい泣くかは謎……(笑)。

 

・「式波少佐の回収はいいですよ でもなんであの疫病神まで」

操艦席でのクルーの会話。

短い会話シーンで、クルー各々の考えが伝わる上手なシーンです。

疫病神呼ばわりされているシンジが、やはりミドリの被差別対象になっているのはともなくとして、アスカの回収についても「まだいいですよ」と、本来であれば回収すべきでないという意見がにじんでいるところにも注目です。

この後のシーンでアスカの口からも「信用減ってるのね」と語られますが、アスカは少佐という階級ではあるものの、「回収」すらも反対論が当然のように出ているとなると、やはりアスカあるいはエヴァパイロットという存在が危険因子と見なされているか、命がけの作戦で使い捨てられる駒として見られているか……いずれにせよ、あまり尊重してもらえていない感じが窺えます。

その原因は、Qでのネルフ本部強襲作戦が成功とは言いがたい結果に終わったという不始末であるのか、エヴァパイロットという人種が軽視されているのか、あるいはアスカが使徒に侵食されているために腫れ物扱いされているか……といったところが理由なのでしょう。

いずれにせよ、ミドリがキツい言い方をする人間だということはあるにせよ、ミサトさんと旧知の仲である人物の前でこういう言い方ができているということは、アスカの扱いについては暗黙の了解が出来上がっていることは間違いないでしょう。

 

ところでアスカが少佐なら、マリの職位ってなんなんだ?

作中で語られてましたかね。

もともとはユーロネルフの関係者なのでしょうけど、しれっとヴィレにも加わっているし、彼女は破のあとどういう動きをしたんでしょう。

謎。

 

・「処分できなかった」

ミドリが、シンジのDSSチョーカーを作動させることができなかったミサトさんの艦長としての資質を問う発言です。

ここで「処分」という言葉を使っているところは、やはりシンジへの強い恨みを感じます。

また、人を殺めるときに使う言葉にしては冷淡というか、家畜や物に対して本来は使うような「処分」という言葉を選んでいるあたり、エヴァパイロットに対する差別感情があるようにも思えます。

おっそろしい女ですよ、ミドリちゃん…。

 

・「みんな身内に甘すぎ」

もう身内がいないミドリちゃんが言うと、ほんとに重いですね……。

多分彼女は、家族を失ってから、誰にも心を開けないまま生きてきたのではないでしょうか。

誰の身内でもないし、誰のことも身内だと思っていないから、彼女は誰にも甘くできない。

多分、ルームメイトになったサクラには唯一心を開いているもようではありますが、「身内」と言えるほどではないのかも。

 

・ヴンダー艦内の性欲処理

全然関係ないんですけど、ヴンダーはかなりの大人数の乗組員がいるようですが、性欲処理はどうしているのでしょう……。

男女混成の軍隊などは、隊員同士が性的な関係になることを見越してコンドームを配布することがあるようですが、ヴンダー内も恋仲や肉体関係とは無縁ではないはず。

米軍などは慰安施設を減らす代わりに、軍に女性を多く雇用することで、男性隊員の性処理の促進を図ったとも言われます。

ましてやミドリのようにえちえちな若い女性が身体にぴったり張り付くスーツを着用して歩き回っているわけですから……。

どうなっているんでしょう性処理。

ヴンダーの中で子どもをうんだー、なんてことになったら大変ですから、避妊用具は完備されているかと思います。

クレーディトもヴィレもロゴマークを入れるのが大好きだから、ヴンダーコンドームとかが配布されていてもおかしくないですよね。

 

・「爆薬が増えてる。信用減ってるのね。」

自分たちの居室を見て、さらりと言うアスカ。

爆薬の量を増やしてなんか意味あるんか……? と思わなくはありませんが、なんか意味があるのでしょう、きっと。

信用が減っている、というのはQでの作戦の顛末についての話ではないかと思うのですが……。

作戦の成功如何というよりは、アスカのとった弐号機自爆といった手段の問題性が問われているのではないかと勝手に推測します。

状況の中では、アスカとマリはベストを尽くしていたように思うので……。

 

それにしても、作戦やヴンダーの運用についての些事までミサトの承認が必要になっていると思うのですが、そうなるとエヴァパイロットのチェンバーの爆薬を増加するにあたっても彼女の承認があったのではないでしょうか。

ミサトが、現在アスカやマリについてどのような感情を抱いているのか、どのような関係性になっているかは示されませんが、彼女が二人に対して好意的な感情を持っていたとしても、周囲からの突き上げが強いため艦長としての示しをつけるために爆薬設置を許可していると考えるのが自然ではあるかと思います。

 

・マリとアスカ

「おかえりー姫」とマリはアスカに抱きつきます。

アスカはまんざらでもなさそうな表情ではありますが、マリのことを引き剥がします。

マリがレズビアンもしくはバイセクシャルなのではないか、といった考察にも応えるような描写。

バイセクシャルというと、使徒であるカヲルが男性を好きそうな感じもあるので、使徒が人間に対して好意を抱く際は同性に向きがちなのでしょうか。

 

・「道中ご苦労さま」

マリはアスカに労いの言葉を投げかけます。

この映画の中で「ありがとう」はけっこう出てくるけど、こういった労いの台詞ってあんまり使われません。

マリはこのあとシンジにも「君は良くやってる。偉いよ」と労ってあげるし、こういうプラスアルファの褒め言葉をかけてくれる人なのだなと思います。

それは彼女がある種、余裕のある人間だからできることなのではないかなと思います。

あるいは、そういう言葉が仕事や人間関係を円滑にすることを理解しているから、率先してそういうコミュニケーションをとっているのかも。

 

・「年頃の男の子は眼中にないと」

マリのさりげなく辛辣な一言。

新劇場版では薄れた要素ではあるものの、アスカは加持のことがだいぶ気に入っている様子だし、現在ではケンスケともそんな関係になりかけている。

そんなアスカの、男性との人間関係構築を揶揄しているのですね。

悪気はなさそうな言い方ではあるものの、嫌みにも取れる感じ(笑)。

 

・「ガキに必要なのは恋人じゃない 母親よ」

そんなマリに、アスカはとげとげしく言い放ちます。

シンジの場合は顕著ですが、異性親との愛着が不完全であったりすると、思春期以降に異性に対して親の影や本来親が担うべき機能を求めてしまうということがよくありますね。

特にエヴァでのシンジとレイの関係は特殊ですよね……レイはシンジの母親であるユイのクローンだし、アニメ版でシンジはレイに「お母さんみたいだった」とか言うし。

レイはシンジを一人の少年として好意対象に見るかもしれませんが、シンジのレイに対する感情は、どこまでいっても「母の代替」ではないのか? という疑念がつきまといます。

そのことは、レイの再登場以降にまた書いていきます。

 

また、この言葉を聞いたマリの表情は、かなり悲しそうに見えます。

マリの悲しそうな表情って、作中でもここでしか描かれない気がします。

マリはシンジの母であるユイと、大学で親交を持っていたことがシンエヴァで明らかになったわけで、そのユイに言及されたマリの心中も穏やかなものではないでしょう。

先の「年上男とばっかり付き合うね」みたいな台詞でイラッとしたアスカが、敢えてマリが傷つきそうな言葉を返した可能性もありますね。

マリとユイの関係について、漫画版では、マリはユイに対して恋愛感情を抱いていることが示唆されます。

シンエヴァでは、どのような関係性だったかは名言されませんが、シンジが産まれてくる病院に立ち会っていたっぽいことは描かれているので、やはり相当深い仲であることは間違いないです。

また、漫画版では、ユイは日本の研究機関で仕事をするようになり、マリはヨーロッパへ留学するようなお話しが描かれていました。

マリが留学後、そのままユーロネルフに入った可能性もあると考えると、もしかしたらマリは離れた場所にいても、ユイがエヴァ計画を進めていたことを知っていたのではないでしょうか。

だとすると、ユイがエヴァに入る決断をした時に、マリは彼女を止めることが出来た可能性もなくはない。

根っから明るいキャラクターのマリが、あれだけ悲しそうな顔をするということは、ユイの消失に何か絡んでしまっているんじゃないかと思います。

あるいは、マリが母親としての機能を担ってあげられていないことへの罪悪感でしょうか……。

 

ところで、新劇場版では出てきませんでしたが、TVアニメ版ではシンジはゲンドウの育児放棄後、「先生」に育てられたといいます。

この「先生」がマリのことだったんじゃないか……と想像していたのですが、そういう設定ではなかったですね。

誰なんだ、先生って……。

漫画版では、シンジと同年代の子を持つ叔父叔母に育てられていたけど。

 

あと、アスカは部屋に戻ったらすぐにゲームをプレイし始めて、マリが引っ付いていてもお構いなしにポチポチしています。

やはりマリもアスカにとっては強く興味を惹く対象ではないということなのでしょう。

 

・加持が残したすいか

ミサトとリツコ、二人きりの会話シーン。

ミサトが加持の残したすいかをしょっちゅう見に来ていることが窺えます。

さりげない会話で見せてくれるのがすごいですよね。

破で加持が大事に育てていた「すいか」が、こうして生かされていることがわかります。

でも、植物の種子保管ユニットを作るためのプロジェクトだったのであれば、すいかだけじゃなくてもっともっといろんな植物を育てていないとならないわけで……大忙しっすね。

ここの、ノアの箱舟の役割をする存在って、庵野さんはどのくらい前から思いついていたアイデアなんでしょうね。

すごい。

 

・スイカのシーンの色。すごい。

この辺のパートで睡魔の襲来を受けた人も多いのではないでしょうか(笑)。

ミサトがよく一人で訪れるという植物の種子保管ユニットを保管しているスポットですが、薄い紫がかった不思議な色になっています。

あれはなんなんでしょうね…淡い不思議な色です。

でもすごく印象的な画面に仕上がっていますよ。

そして絶妙に眠くなります…。

種子が保管されている場所なので、どこか母胎のイメージでもあるんでしょうか。

それにしてもこの空間で、いろんな機械がせわしなく稼働していましたが、何をやってるんでしょう。

もう何年もヴンダーは動いているのだから、今更特にやることもなさそうですが…。

状態良く保管するために、何か調整のためにやることがいろいろあるのでしょうかね。

こっちは温めゾーンで、こっちは冷却ゾーンで、とか、いろいろやらんといけないのでしょうか。

謎。

 

・戻ってきたミサトとリツコを睨むミドリ

先の会話シーンで、シンジを殺さず、放置もしない理由について理屈としては通っているはずです。

しかしミドリはそれ以上に憤りを抱えており、シンジを処分できなかった艦長に対しても強い不満や反抗心を抱いていることがはっきりわかるシーンです。

こういうのを伏線が上手いっていうんでしょうね。

 

・冬月、ヴィレに戻ったのをなぜ知っている?

場面は変わり、ネルフ本部の冬月とゲンドウの動向が描かれます。

ここで、冬月はシンジがヴィレに戻ったことをゲンドウに報告するのですが、なぜ冬月はそれを知っているのでしょうか……。

ヴィレにネルフへの内通者がいる、と考えるのが自然です。

その内通者について、僕の考察としては、初号機内部に取り込まれているレイが、なんらかの手段でネルフ側にそれを伝えているんじゃないかと思いました。

レイの行動原理は「シンジがエヴァに乗らなくてもいいようにする」なので、決して人類保管計画にも反対の立場ではないと思うのです。

後にゲンドウが「レイ、もういいのか」と言いますが、綾波と何か下の意思疎通を図っていないとそのセリフにはならないと思うのです。

 

というか、レイはシンジと一つになることを望んでいるように思うので、保管計画を通してシンジとの境界線を消せるのであれば、それはそれで本望なのかな。

旧劇場版も、シンエヴァも、そんなレイを拒む物語なんですよね。

泣ける……。

 

・雌雄も魂もない その傲慢の慣れの果てがこれか

綾波タイプの量産型を前にして独りごちる冬月……。

意志など到底持っていそうにもない、肉の人形のような綾波タイプたち。

物語の後半に出てくる、複数のエヴァに搭乗しているのは、おそらくこの子たちなのでしょう。

だからマリ一人相手に全く太刀打ちすることができず、やられる一方になるのではないかと。

そう考えると、アヤナミちゃんはやはりこの子達よりは意志を持ち人間らしい振る舞いを見せるので、彼女は魂を持ち得る存在だったのではないかと思います……エヴァにおける魂の定義がよくわからないので、解釈間違っている可能性も高いのですが(;。;)。

アヤナミちゃんもカヲルくんも、シンエヴァではちゃんと涙を流すことができていて、よかったねぇ……。

「自分を救う」ための行動をとれるなんて、魂がある証拠よ。

 

・「仮称碇シンジくん」

どこでこのシーンがあったのか、思い出せないのですが…。

ミサトの部屋で、ミサトとリツコがシンジを監視するカメラの映像を見る場面。

リツコは「仮称碇シンジくん」と、シンジをどこか突き放すような呼び方をします。

この後のシーンでは「シンジくんをサポートするわよ」と言っているので、シンジへの不信感からそう呼称しているのだと思われます。

 

また、ここで写るシンジは、iPodを手にしてそれを見つめていますが、音楽は聴いていません。

外界を遮断するために音楽を聴いていた彼ですが、それをしなくなっていることは、彼が覚悟を持って相補性のある世界に飛び込んできたことを示しているのでは。

 

・「罪は自分の意思で償おうとしなければ、贖罪の意味がない」

罪や贖罪は、Qから続く大きなテーマだと思います。

カヲルの「償えない罪はない」といった言葉にも表れているように。

にもかかわらず、シンジはこの映画の中で謝ることがありません。

この映画では「愛」という言葉も出てきませんが、愛することも償うことも、言葉で伝えるのではなくて、具体的な行動や姿勢で見せるしかないのだということではないでしょうか。

 

・「償えない罪はない 希望はあるよ どんな時にも必ずね」

ここで語られる言葉ではないのですが、Qでカヲル君が言っていた台詞。

やはり罪や償いはキーワードとなっているに違いありませんよね。

 

・「情動で動くとロクな目に合わない。あなたの経験よ。ミサトを甘やかすとロクな目に合わない。私の経験よ」

情動で動くと、の後は「ロクな目に合わない」の台詞ではなかったかもしれませんが…。

これは少し後のシーンでミサトさんが回想する、破のクライマックス「行きなさいシンジくん! 誰かのためじゃない! あなた自身の願いのために!」と言った時のミサトを断罪する言葉なはず。

現に、あのシーンのミサトさんを見るリツコさんの顔、「何言うてんねんお前!」って感じでしたものね…。

で、リツコさんがシンジを「仮称碇シンジ君」という突き放したような言い方をしているのって、破の最後にシンジが取った行動をまだ許せていないからなのではないかと思うのです。

この後に、リツコが「シンジ君」と呼ぶようになりますが、それはミサトとシンジが自分の責任を負う姿勢を見せたことによってリツコが彼らを観直したからだと思います。

それは、シンジとミサトが、やっと人から許されたのだということを示しているのでしょう。

ミドリちゃんも断罪者の最たる存在ですが、彼女もやはり自分の感情にケリをつけますしね。

 

・最終決戦前

ミサトとリツコの会話があり、加持との別れがどのような状況だったのかが語られます。

最初に見た時は、破のラストの光景そのままだったので、破のあとすぐにニアサーが起こったものと勘違いしていました……(笑)。

しかしそれだと、ミサトの妊娠だったりとかいろいろと時期が合わないので、破のあといろいろ時間が経ってから、このシーンで回想される場面に至っていたのですね。

 

ここで加持が乗り込んでいく飛行機は、ネルフのロゴマークの上から水色の塗料で「ヴィレ(英語表記だったと思う……)と塗りつぶされていましたね。

誰が決めたんだろう、この名前……。

加持は「葛城。達者でな」と告げて背中を向けます。

子ども作ってるのに「ミサト」呼びしないんかい……。

「達者でな」という挨拶、ミサトさんに宿った一粒だねのことをおもんぱかる感じがない……もしかして、加持は子どもができたことを知らないまま犠牲になる道を選んだのでしょうか。

ミサトは妊娠の事実をリツコにだけ告げていて、加地には「負担になりたくない」等の想いで告げなかった可能性はあるかなーと思います。

 

・Qのセントラルドグマシーンで、飛行機の残骸が?

Qでシンジとカヲルとアヤナミちゃんで、セントラルドグマに降下するシーンがありましたが、飛行機の残骸がありますね。

加地サックが乗り込んだものと同じ機体っぽい気がします。

そうなると加地サックは、サードインパクトを止めるためにここにやってきたことになりますね。

どこかに加地サックの亡骸があったりするのでしょうか…やはりこの空白の14年は、物語において大きな欠落なので、何かしらの形で破からQの間を描く作品が出てきそうですが、果たしてどうなるのでしょう。

加地サックの死があんなサクッと描かれるだけなんて納得できるはずがないので、なんとかしてほしいっす(´;ω;`)

 

・ヘアサロン マリ

マリがアスカの髪を切るシーン……。

なにかシンボル的な意味がありそうですが、私には読み解けません!

ただ、髪を切ることを許しているところなど、アスカがマリに心を開いていることは間違いないっすね。

「姫が紛れもなく人間である証じゃないの」という台詞には、自分が「使徒である」という意識があるように感じます。

マリは多分、髪伸びないんだろうなぁと……。

で、このシーンでアスカの目がピカピカッと水色に光ります。

あそこの意味がイマイチ読み解けないのですが、左目はアスカの使徒側の象徴であり、水色の光はのちのシーンでよくわかりますが、使徒の発する色なはず。

ネルフ本部が北極に到達したことから、アスカがなんらかの反応を示したのでしょうか。

それともマリとの接触?

マリの言葉に対して生じた感情的な反応を意味しているのでしょうか。

謎。

 

・「相変わらず無茶を言うわね」

ミサトが「あと35分(くらいだったと思う)で出発するわ!」みたいなことを告げた際のリツコのリアクション。

ここの台詞とほぼ同じことを、のちに冬月が言いますね。

もちろんミサトの無茶な決断を下す性格を印象づけるためでもあるとは思うのですが、リツコは冒頭のパリ戦でも「冬月先生に試されてるわね 私達」と言うし、どこかリツコと冬月の関係性が強調されている気がします。

 

・周りのクルーたち、生気を失った表情

この指令を受けているリツコのまわりで、作業をしているクルー達の表情が、明らかに生気を欠いています……。

下船希望者が降りていったあとなので、命を賭した最後の闘いを直前に控えていることを覚悟した者だけが残っているはずなのですが、なぜみんな焦点の合わないうつろな目つきなのでしょう……。

本当は下船したかったけどできなかった人もけっこういるって描写なのかなぁ。

降りたいって言い出しにくかったとか、重要な技能を持っているから下船を許されなかったとか。

あるいは、ミサトの無茶ぶりに付き合わされてうんざりしてるとか。

なんにせよ、ここで映る人達は、「来たるべき最終決戦に向けてバリバリ気合い入れて働いてまっせ!」という描き方ではないんですよね。

しかもここで描かれる人たちは、マヤの言う「近頃の若い男」でもないんですよね……30代は超えてそうな感じ。

なんなんやろう。

 

・「行ってきます」

サクラがシンジに、部屋で待機しているように伝えるシーンでの一言。

どこに行ってきますやねん、とは思うのですが、サクラに取ってこのヴンダーがホームであることがわかる場面です。

戦いに赴くときに「行ってきます」を告げるのは、この後のシンジとミサトとのやりとりでも描かれます。

重要なシーンで使う言葉は、事前のシーンで使っておいて印象を強めています。

やっぱり、こういう細かいところが非常に上手いんですよね……庵野さんの脚本。

そのすぐ側では、少しの逡巡の末にポーチを手に取るミドリが描かれます。

言わずもがな、これは銃が収められているポーチで、彼女はのちの甲板のシーンでこのポーチを投げ捨てています。

 

あと、「碇さんはそこを動かんといてくださいね」という言いつけには、どこかお母さんかお姉さんなどの、子どもを監督する役割を担った女性のそれであるように思われます。

 

・「死に装束でしょ」

深々度ダイブ用耐圧試作プラグスーツについて、マリとアスカの感想は分かれます。

マリは「いかにも出来たてほやほやって感じだにゃ」とにんまりした表情ですが、アスカは「死に装束でしょ」と、最後の戦いから自分が生還することはないだろうという諦観をにじませます。

生きて帰れないからこそ、この後シンジに対して14歳の少女の心で向き合うことができるのでしょう。

 

そして……マリの乳首はついに描かれることはありませんでした。

なんやねん!

見せてくれや!

それにしてもシンエヴァ、本当にお尻や胸の絵が多いですね……。

あと、ここでマリの正面からの裸体が一瞬だけ映りますが、首元にチョーカーがない気がします。

しかし、映像が差し替えられたバージョンではチョーカーが見える気がするんです…。

本当に一瞬しか映らないので判断が難しいのですが、この辺を書き換えているなら意味深な気はする…。

 

・HAKONE EXPRESS

8号機のパーツに「HAKONE EXPRESS」というロゴが入っていたのですが、これはなんなのでしょう……。

そういう機材のメーカーがあったのか、それとも本来エヴァのためではない、他の機械のパーツ(たとえば鉄道)をエヴァに流用しているということ?

ちょっとわかんないんですけど、まぁまぁ大きめに表示されていたので気にはなるところ。

 

ネルフが箱根にあるので、もしかしたら小田急電鉄のロマンスカーとか箱根登山鉄道のパーツを流用しているとか? と思ったのですが、HAKONE EXPRESSでググってもそれらしきものはヒットしません。

であるとやはり現実には存在しない、エヴァの世界オリジナルのアイテムということになる。

でもそれまで、HAKONE EXPRESSなる名称が出てくることなんてなかったと思うのですが…。

わざわざロゴマークを出すくらいなのだから意味があるに違いありませんが、それにしても何なんや。

このパーツはパリで回収してきたものなのですかね?

ネルフ施設から回収してきたなら、ネルフが製造していたものなのだろうし、ネルフやゼーレのマークが入っているもんなんじゃないかと思うのですが…。

HAKONE EXPRESSという民間企業に開発を委託していた、という意味なのだろうか。

謎です!(笑)

 

・「ちょっと寄り道しておきたい」

無重力状態の通路をアスカとマリが器用に移動していきます。

アスカは無表情のまま、少しだけ通路を戻り、「コネメガネ。ちょっと寄り道しておきたい」と告げます。

マリはにやにやしたまま「ラジャー」とだけ答える。

ここで思うのは、アスカは多分一度シンジの居場所へ通じる扉を通り過ぎているが、意を決して会いに行くことにしたのだろうということ。

でなければ「戻る」動作を描く必要がない。

しかし意を決していながらも、「意を決しましたねん」という表情にしないあたりは、アスカが自分の中の少女性を押し殺しているからなのではないでしょうか。

死地に赴く前に、かつて好意を寄せていた少年に会いに行くなんて、乙女心ではないですか。

「寄り道」という言い方には、自分が進むべき道が「エヴァパイロットという仕事」なのだという意味も含んでいるはず。(もちろん、照れ隠しのためにそういう言い回しを選んでいる気もします)

恋愛はあくまで寄り道……というのは、公式薄い本でのアスカの振る舞いにも出ているように思います。

で、もう一つ、マリに同行を求めるあたりも、中学生ぐらいの女の子の心理なんじゃないかと思います(笑)。

男子に告るのに、一人だと勇気が出ないから、仲が良い子に同行を求めたりする小心者感が出ていると思いました(笑)。

作中の設定としては、二人一緒に行動しなければならないとか、通路を抜けることができないとかってことがあるのかもしれませんが、僕としては「一人でシンジに会いに行く勇気が出ない」ってことなんじゃないかと思いました。

アスカ、やっぱり少女性があるんですよねぇ…。

 

ところでこのシーン、3DCGで描かれているのかと思ったら、手書きみたいですね!

無重力の状態で人間の体の動きがしっかり映るシーンなのに、よく違和感なく描けましたよね…ほんとすごい。

 

で、このシーンの直前にも、電源の切れたゲーム機アップが映ります。

ここの意味はちょっと読み取りにくいのですが、綾波が破で使徒に特攻を仕掛ける時にはお守りとしてプレイヤーを持ち込んでいたことと対比して、アスカにとってのゲーム機はただの暇つぶしでしかなかったということを示したいんですかね。

あるいは、やはり、シンジに会いに行くことを決めていたからゲームも切り上げていたのだという描写でしょうか。

 

・屋上 眼鏡 乳の大きい いいおんな

「だーれだ」という遊びみたいなのも、マリの昭和っぽい仕草になるのでしょうか。

今日日の少女漫画でも、この「だーれだ」ってやりますかね。

ところで、この場面でマリはシンジに胸をめっちゃ押し付けていますが、なんなのあれ?

母性的な人物であるという象徴なのでしょうか。

まぁ、この後に続く、アスカとの対話が重たいものになるのを見越して、アイスブレーキングを狙ったものなのかとは思います。

いいなぁ……僕も、マリと乳首当てゲームやりたいっすよ(;。;)

 

というかそもそも部屋に入る時点でドアの開閉音があるだろうし、シンジがそれに気付かない理由がよくわからん。

部屋のドアが開いたけど、シンジは反応を示さずにいたとかなのかなぁ……。

 

また、ここで、正解できなかったシンジが、ラストでは正解できるようになっているので、成長や変化が協調されますね。

問いに答えられなかったり答えを誤ってしまうヒーローは未熟であるとされています。

 

・「最後だから言っておく」

アスカとシンジの対話が始まります。

シンジは一度もアスカの方を向くことができません。

そして、アスカもそんなシンジを向き合わせようとしません。

二人にとっては、この距離で対話をするのがちょうどよいのでしょうね……。

 

・「責任負いたくなかったから」責任を知ったからこその言葉。

シンジが、アスカ搭乗の参号機と戦わなかった理由を聞かれた際の答えです。

ほんとにそうなんですよね…戦えやっていう。

アスカもそれを受けて「ふーん。ちょっとは成長したようね(ちったぁって言い方してたかも)」と、うっすらとではありますが感心したような表情を見せます。

 

漫画版では、加地サックさんがシンジに「参号機と戦わなかった責任」と向き合わせるシーンがあります。

ここの展開がこの漫画版の解釈に触発されたものなのかはわかりませんが、確かに、シンジの「何もしない」選択が最も悪い結末に繋がってしまう部分ではありますよね。

破のシナリオを作った時は、こういう展開にする構想があったのでしょうか。

うまいなぁ。

ところでこのシーンですが、シンジが収容されている部屋を、外から映す構図になっています。

これによって、画面には「密室感」が生まれて、部屋の中にいる三人の距離感が非常に近いものに感じられます。

効果的ですよねぇ…。

シンジの顔をじっと見つめているマリは足をふらふらと動かしていて、猫の尾を連想させます。

また、部屋の骨組み部分がマリのお尻をちょうど隠しています。

アニメーションにおいて腰の部分は作画が難しいそうなので、それを隠す意図があるのかな?

にしても、うつぶせマリマリのお尻とか、見たいに決まっているのに隠していやがるよ…なんて意地悪なんだ!

 

・「いつか食べたあんたのお弁当、おいしかった。あの頃はシンジのこと好きだったんだと思うでも私が先に大人になっちゃった。じゃ」

アスカはシンジの反応も待たずに自分の思いを告げて、部屋を出て行きます。

この映画では「ありがとう」という言葉がよく出てきます。

何度も書いていますが、それは人と人との別れを描く映画だからです。

関係のない話ですが、ミュージシャンの矢野顕子さんが、「自分の死を見守る愛する人に告げる言葉は?」という質問をされた際に、「ありがとうしかないでしょう?」と即答する場面がありましたが、この映画で「ありがとう」が頻出するのはそういうことだと思います。

(関係ないとは書いたけど、矢野顕子さんが劇伴で参加した『監督失格』というドキュメンタリー映画では、庵野秀明監督がプロデューサーとして参加していました。その縁もあり、その映画が公開した年に矢野顕子さんが敢行したコンサートにおいて、庵野監督からのリクエストとして『美少女仮面ポワトリン』の曲を演奏したそうです。ちなみに庵野さんは、そのライブへは仕事を終わらせることができなかったため駆けつけられなかったそうです。天下の矢野顕子にリクエストを受けてもらっておいて……鬼畜ですよ庵野さん……)

 

アスカは劇中で、ありがとうもごめんも、人には言えないんですよね。

悲しいですよ。

 

あと、Qの時から、アスカは自分を「大人になった」と言っていますが、言うてもそんなに大人になっていないと思うんですよね。

詳しいことは後述しますが、いわゆるアダルトチルドレン的というか……エヴァの14歳の主人公たちに感情移入した大人が大勢いたように、年齢が上がっても、精神年齢は社会が要求するような成熟を迎えることができない人って、やはりいるんですよね。

僕も自分自身がそうだと思います。

 

・「じゃ」「再見」

話が終わり、部屋を出て行く二人。

アスカはそっけなく「じゃ」と言い、シンジの反応を待たずに退室。

マリはシンジをねぎらった後、「ツァイツェーン(再見)」と手を振りながら退室。

アスカは戻ってこれないと思っているから「じゃ」。

マリはシンジとまた会えると思っている(意地でも執念で迎えに来るつもり)から、「またね」の意味を含む中国語で別れを告げたのでしょう。

 

あと、「ヴィレのワンコ君」というのも、所有者をはっきりさせるような物言いですね。

冒頭ではただの「ワンコ君」呼びでしかなかったですからね。

破では「ネルフのワンコ君」呼びだったので、だんだん呼び方が変化しています。

 

・「どう、姫。少しはすっきりした?」「すっきりした」

部屋を出たアスカとマリの会話。

「すっきり」という言葉は、アヤナミちゃんのおかげで廃墟から戻って来たシンジにアスカが投げかけた言葉ですね。

アスカはシンジと話すことですっきりしたようですが、シンジをすっきりさせることができたのはアヤナミちゃんなんですよね。

アスカは、おそらく、シンジのことをすっきりさせる役割は自分が担いたかったはず。

何度もシンジの様子を見に行っていましたが、アヤナミちゃんがいなければ、おそらくアスカもシンジと対話するつもりだったのではないでしょうか。

切ない……。

 

・「また会えるよ」

二人を見送った(送ってはないか(笑))シンジはその場に座り込んだまま。

しかし突然隣にカヲル君が出現し、「シンジくんは安らげる場所を見つけるといい。また会えるよ」と語りかけます。

シンジは「うん。そうだねカヲル君」とちょっとほほを赤らめながら、しかししっかりとカヲルの方を向いて答える。

 

Qの絵の使い回しだとは思うのですが、ここってどういう意味なんですかね…。

多分「リアリティ」「イマジナリィ」がまぁまぁキーワードとなっているシンなので、ここでのカヲルは存在していないと思うんです。

つまりイマジナリィのカヲルとの、イマジナリィの対話を交わしている。

のちのちに「君はもうリアリティの中で救われていたんだね」と言うので、カヲルはシンジをイマジナリィの世界に引き留めようと知る存在なのでしょうか。

シンジは現実ではなくて、想像(妄想)のなかで自分を慰めてくれる存在と対話をしているイタイ奴ってことでしょうか。

でもここでの彼は、アヤナミちゃんの死を経ているから、現実に立ち向かう覚悟を決めた後だと思うんですよね。

そうなるとこのカヲルがシンジを慰めて、シンジがそれを受け入れる動機がない気はするんだよなぁ…。

だってこのシーン以降で、シンジがイマジナリィから抜け出そうとする契機がないから。

この後にはゲンドウに立ち向かおうとしたり、何も安全を保障されない裏宇宙への突入を決めたりするわけなので、この時点でイマジカリカヲル君と戯れているようだと、それらの行動に出る覚悟を持てていないように思うのですが…。

ミサトが身を挺して守ってくれて、過去の自分の行動までも全肯定してくれるのはシンジにとって超重要な承認を受ける出来事ではありますが、その前に銃口を向けられても怯まないというのは、やはりすでに覚悟が決まっている男の態度なので。。。

アスカとマリの顔は見れなかったけど、カヲルの顔はしっかり見るという描き分けになっている以上、意味は込められているはずなのですよ……解釈が難しいです!

 

・縁が君を導くさ

シンジのイマジナリーカヲル君の一言。

「縁」と言う際に、シンジとカヲルの間に置かれたアイポッドがアップで移ります。

このiPodが、シンジとゲンドウの「縁」の象徴なのでしょう。

確かに、考えてみると、破では「これを付けていると父さんに守られているような気がするんだ」とシンジが語っていたので、この時からシンジの移行対象のようなものとして描かれていたことがわかります。

その後、ゲンドウに裏切られたと感じたシンジは、ゴミ箱にiPodを突っ込みます(良い子はちゃんと燃えないゴミの日とかにゴミ出ししましょうね)。

それを綾波が拾い上げて、シンジを「エヴァに乗らなくてもいいようにする」という決意の示す行動に出る時にお守りのように持って行っています。

その後、Qになってから、エヴァ初号機からサルベージされたとして、iPodはシンジに返却されます。

使徒にかみ砕かれたり、14年間LCLの中で放置されていたためか、iPodは作動しなくなっている。

それをカヲル君が直してくれて、シンジは再びゲンドウプレイリストに浸れるようになります。

が、そんな楽しい時間もつかの間、シンジは世界の惨状や綾波が綾波じゃないことに打ちのめされて、iPodを壁に向かってぶん投げてしまう。

それをカヲルが拾ってくれて、またシンジに渡してくれる。

その後、カヲル君が爆死したあと、シンジはうつ状態になり、iPodを落としたのに拾い上げないままアスカに手を引かれて移動することになります。

しかし、アヤナミちゃんが、破で綾波がそうしたように、そのiPodを黙って拾ってくれる。

(あ、そう考えると、シンジが落としたiPodを拾ってあげてるこの時点で、ちょっとは好意があるんでしょうね)

 

iPodが誰にどう扱われてきたかを追ってみると、シンジとゲンドウの縁を結び付けようとしているのは、カヲルと綾波であったということがよくわかりますね。

円満とは言い難いものの、親子の確執を解消することができて一つの目的が達成できたから、カヲルと綾波は、最後に、二人は近い距離間で仲良さそうにしているのかもしれないっす。

 

また、「縁」という言葉は、ケンスケも象徴的に使っていましたね。

ゲンドウと対話するべきだという旨のお話しの中で「しかし親子だ。縁は残る」と。

僕としては、「縁」という言葉で想起するのは、庵野さんがGAINAXの旧友たちに対して使っていたことです。

「縁」って、一度結びついてしまったら、簡単にほどけるようなものではないですよね。

 

・種子保管ユニットが無事に軌道に乗るのを見届けるミサト。

最終決戦前に、ヴンダーから飛び立った種子保管ユニットが軌道に乗るまでのシーンがじっくりと描かれます。

「軌道に乗りました」というアナウンスがあるまで、ミサトは種子保管ユニットを自分の目でしっかりと見届けています。

加地サックに対して「ちょー身勝手で自己矛盾に満ちた男」と言っていましたが、彼が残した「成果物」がしっかりと次の世代に受け継がれるのか、ミサトは表情には出さないものの気にしていたことがわかる仕草を見せます。

作品を通して、ミサトは加地さんに最後までストレートに愛情を伝えることができませんでした。

それは彼女の不器用さなのか、相手に負担をかけないよう慮ってのことなのかはわかりませんが、二人が別れる局面でも何も伝えられていないであろうことがそれとなくわかります。

辛いですよね…。

 

・「タイマン上等」

ヴンダーと、他の艦隊との戦闘シーン、個人的にはちょっと眠くなっちゃうんですよね……(笑)。

タイマン上等とか言っておいて、結局3対1だったんかい!!!

という衝撃が忘れられません……。

そりゃ、最終決戦になるのだから、ネルフ側も総力を挙げて応戦してくるのが当然なわけで……。

タイマンでも分が悪かったっぽいところを「まんまと挟撃され」て、あまつさえ「建造予定ではもう一機……」と、結果的に3対1って……・。

 

・ぎょろぎょろ動く目

敵艦の砲台がぎょろぎょろ動く描写がありますが、あれは、操縦している人間の性能が悪いためにヴンダーに照準を合わせられないという話なのでしょうか。

そもそも操縦しているのは人間なのか、アダムス達が自動で運転してくれているのか。

謎。

 

・投下されるエヴァ2機

マリとアスカの搭乗したエヴァが、ネルフ本部へ向けて投下されます。

落ちていくさなかに、エヴァの量産型を駆逐していくマリとアスカ。

ここで量産型を駆逐する意味もイマイチわかりません……(笑)。

自分たちに向かってくる機体が邪魔なのはわかりますが、自分たちの横をスルーしていった機体をぐるぐるまわりながらマシンガンで撃っていくシーンがありましたよね?

あそことかマジで意味分かりませんでした……・。

一機でも多く減らしておかねばならないってミッションだったら意味もわかりますが、そうではありませんでしたし……。

 

このあたりが、映画の上映時間がちょうど半分に差し掛かる部分です。

映画の中で物語の大きな転換点となるのは、上映時間の1/4に達して物語が本題に入るところと、3/4に差し掛かって大きな危機が訪れるところです。

本来は1/2のポイントで大きな区切りが発生することはないのですが、すでに文章が長くなっているため、ここでエントリを区切ります。

次のエントリでは、エヴァ2と8号機の活躍から、アディショナルインパクトが発生するところまでを書きます。

続きは↓

シン・エヴァンゲリオン劇場版を観て思ったこと全て 破の2/2

 

 - エヴァンゲリオン, 映画

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前回書いたように、ピクサーは自分たち自身をテーマにして作品作りをしています。 フ …

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【ワイルドわんちゃん】野生の呼び声の感想

野生の呼び声を鑑賞したので、感想を書きます! 未鑑賞の方は、観る前に書いたブログ …

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ドライブマイカーに見る寝取り ~ 寝取りは正攻法で闘えないバカが頼る戦法

ネタバレご免ではあるのですが、ドライブマイカーは「寝取り・寝取られ」をきっちりと …

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リメンバー・ミーから見る、ピクサーのラセター批判(カーズ+トイ・ストーリー2)

ピクサーのお話の、最後です。 リメンバー・ミーは続編モノではない新作としては、ピ …

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作家の信念を物語にするということ Tin Toy編

先日、ジュラシックワールド 炎の王国を観てきたんです。 前作がビミョーだったので …

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シン・エヴァンゲリオン劇場版を観て思ったこと全て 破の2/2

前回はこちら↓シン・エヴァンゲリオン劇場版を観て思ったこと全て 破の1/2 この …