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ダンサー・イン・ザ・ダークを傑作たらしめたビョークの決意

      2020/06/13

言わずと知れた傑作映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』。
楽曲制作・歌唱・主演を務めたビョークについて好きなエピソードがあります。
「彼女がダンサー・イン・ザ・ダークをどんな風に変えたか」「最後の曲の意味の考察」を書きます。

この作品の名前を知っている人は、たとえ本編を見ていなくても、悲しい結末を迎えることはご存じなのではないでしょうか。
監督のラース・フォン・トリアーは稀代の変わり者で、だいたいの作品は主人公が死にます。
殺されます。
あるいは殺します。
殺したうえに殺されることもあります。
特に女性がひどい目に遭います。
だいたい性的にアブノーマルな恥辱にさらされます。

作品自体が奇怪なだけならまだましですが、監督自信もモラルの欠けた人物です。
ビョークからは後年のMeTOOのムーブメントが起こった頃に、撮影時のセクハラを告発されています。
また、映画公開当時から、撮影現場でビョークを精神的に追い詰めていたエピソードが流布されていました。
ビョークが演じるセルマが殺人を犯すシーンの直前に「君がこいつを殺さないととんでもないことになってしまうんだ」と説明し、いざシーンを撮り終わると「なんてことをしたんだ! 君は絶対に殺してはならない人をあやめてしまったんだぞ!」と問い詰めたと言います。
つらい現場……。
『メランコリア』という作品を撮った時には「私がうつ状態だったからこんなメランコリックな内容になった」と語っていたのですが、世界中から「おまえの作品が暗くなかったことねーだろ!」と突っ込みが入ったといいます。

そんなラース・フォン・トリアーがダンサー・イン・ザ・ダークで主演兼楽曲制作の白羽の矢を立てたのが、ビョークでした。

・神秘の歌姫、天才音楽家ビョーク

彼女はアイスランドという小国で育ち、幼少期から音楽・バンドの活動を行っていましたが、90年代に入ると活動の拠点をイギリスに移してソロとして作品を製作するようになりました。
93年にアルバム『デビュー』を上梓し、次いで95年には『ポスト』をリリース。
この2枚は、新進的なムーブメントであったハウス・クラブミュージックをベースにしながらも、現在でもビョークが作り続ける神秘的な要素やオーガニックな音作りをうまく融合させており、広く受け入れられました。
ポストに収録された楽曲には、ミュージカル調の曲もあり、PVはまさに往年のミュージカルを意識したものになっていましたね。
「しーっ」を曲に取り入れているものなんて、この曲ぐらいでは。
本当にユニークな発想だし、それが曲の面白さにもつながっているのがすごいです。

そして97年に3枚目のソロアルバム『ホモジェニック』をリリース。
個人的にはこのアルバムで、女帝ビョークの存在が確立されたと思っています。
前の2枚は、田舎から出てきたビョークがクラブ遊びで受けた刺激を、そのまま楽曲に落とし込んでいたような印象なんです。
これまでの作品でもコラボレーションしていたテクノ畑のマーク・ベルと楽曲制作をしていますが、ここではダンス・ミュージックの要素は大きく減退し、代わりに前作でも片鱗の見られたシンフォニックな弦楽が導入され、ビョークの持つ神秘性や既存のポップミュージックにはない前衛的な部分が一気に表出しました。
この作品以降、前衛的なチャレンジと、クラブ・ミュージックへの没頭と、神秘的な要素の追求を繰り返していくのですが、アルバムとしてのバランスを考えるとビョークの最高傑作はこのアルバムになるのでは。
ここで行われた、オーケストレーションとクラブ・ミュージックの音の融合という実験は、ダンサー・イン・ザ・ダークの音楽制作にも活きていますね。

ビョークの紹介に長々と字幅を割いてしまいました.……。
そんな風に、キャリアの絶頂期にいたビョークですが、最初はダンサー・イン・ザ・ダークに出演するつもりはなかったことを、DVDに収録されているインタビューでは語っています。
「最初は、音楽の制作だけして、主演の話は断ろうと思っていたの」とは彼女の弁。
幼少期から絶えず音楽を作り続けてきた彼女は、音楽を作る生活から離れることへの不安もあったのでしょう。
別の場では「時間はどんどん過ぎていくの……。映画の撮影中にもう二度と曲が書けなくなったらどうしようって本当に怖くなったわ。息が止まるかと思った……」と発言していました。
しかし、彼女はセルマを演じることを決意した理由についてこう話します。
「でも、脚本を読んで、私がセルマのことを守らなきゃって思ったの」
これ、すごい言葉じゃないですか?
普通、こんなこと言えないですよ……。
脚本……つまり文字の上にしか存在しない人に対して、「守らなきゃ」なんて普通思わないですよ。
頭のおかしいデンマーク人映画監督が空想した、一人の女性セルマ。
この時点では、ラース・フォン・トリアーの頭の中と、紙にタイプされたインクの文字列の中にしか存在していないセルマのことを、自分のミュージシャンとしてのキャリアを中断させてまで「守らなきゃ」なんて決断をよくできましたよね。
彼女にとってそれは非常に大きなリスクだったはず。
けれど彼女は、セルマのことを「守らなきゃ」と本気で思ったんでしょうね。
あるいは、彼女が「普通の俳優」ではないからこそこんな発想をしたのかもしれませんが……。

ていうか、あんな歌唱力が求められる曲を作っておいて、他の人に主演と歌唱をお願いするつもりだったって、それはそれで酷なことですよね(笑)。他の誰が歌いこなせるねん。

この曲が映画のCMに使われてたことを今でも覚えてます。

ビョークってちょっと舌足らずっぽいというか、たどたどしさを感じさせるところがあります。
そこがセルマっぽく感じられますね。
あの映画を見てしまうと、ほんとに「セルマ」なんですよね。
歌姫ビョークではない。
最後のシーンなんて、ビョークの声じゃなきゃ成り立たない。
あぁ……ビョークありがとう。
しかしあそこで歌われる『ラスト・ソング』って、本作のサントラ盤にあたる『セルマ・ソングス』には未収録なんですよね。
あの歌を聴くためには、映画を見直すしかないんですよね……嗚呼……南無三。

・ビョーク、セルマちゃんをほんとに救う

で、この「セルマを守る」っていうのは口先だけの話ではなくて、実際にセルマはビョークに救われているんです。

というのも、セルマは最後に絞首刑を執行されますが、その直前に愛する息子の受けた手術が成功したことを知らされる場面がありますよね。
当初のシナリオでは、セルマはここで「手術が失敗して、あなたの息子は死んだ」と告げられることになっていたそうなのです。
それをビョークがラース・フォン・トリアーに抗議し、今のように、セルマが命を賭けた希望が未来に繋がるラストに変更されたのだそう。
ちなみに映画の撮影の終盤になり、ビョークとラース・フォン・トリアーは激しくぶつかり合い、ビョークが現場から失踪し数日間姿を見せなかったこともありました。
その事件はメイキング映像に収録されているのですが、具体的にどんな部分で衝突したのかは明かされません。
代わりに、監督が一人きりの部屋でカメラに向かって「俺は俺の仕事をちゃんとこなしているんだ」と独白する映像が挿入されていました。
もしかしたら、このラストシーンの変更を要求するビョークと、息子を死なせたい監督との間で軋轢があったのかな……というのは、僕の想像です。

(ちなみに、映画完成後に監督とビョークは一緒に映画祭に出席していたのですが、その時は仲良くしています。和解していたのか、お互いに腹に一物抱えていながら表面上は仲良くしていたのかは不明ですが。。。)

そんな風に、ビョークはセルマが少しでも報われるように、監督のアイデアを変えさせたんです。
ビョークがセルマを演じるオファーを断っていたら、ダンサー・イン・ザ・ダークは「息子のために身を粉にして働き、殺人まで犯したセルマなのに、最後には息子が助からなかったことを知らされて死刑で死ぬ」ものになってしまっていたんですよね。
そしておそらく、そういう物語になってしまっていたとしたら、この映画はこんなにも長い間語り継がれる作品にはならなかっただろうと思います。
この映画自体がシナリオと音楽以外の面でも非常に強度の高い作品ではありますが、他のラース・フォン・トリアー映画と比べて「救い」の要素があることで差別化されているとも思うんですよね。
「悲劇」「鬱っぽい展開」という話なら、他の映画の方が上ですしね。

ビョーク本人も若い頃に産んだ子どもがいて、『デビュー』をリリースした時は既にママになっています。
そんな彼女にとって、命をかけて守りたかった息子の死の知らせを聞くなんて展開にはさせたくなかったのでしょうね……。
ところでビョークは、息子と一緒にいてもおかまいなしに突っ込んでくるパパラッチと、十年に一回ぐらいのペースでカメラの前で格闘しています(笑)。
なので、「大切な存在を守る」という意志が非常に強い人なんですね。
ヤベーやつなんですよ、ビョーク……病苦。

松本人志さんが映画評をやっていた頃、この映画を10点満点中で10点を出していたのは、ビョークの持つ母性に惹かれたからなのではないかなぁ。
松本人志さん、母性に弱いから……。

松本さんがこの映画のことを、映画としては高く評価するしかないが、最悪な作品だというスタンスは、僕が映画に触れる際のスタンスのお手本になりました。
「好き」と「評価する」と「惹かれる」が乖離しててもいいんだなぁと。

ていうか、もし息子が死んだのだとしても、友人のキャシー(母としての役割もあるはず)は、セルマにそのことを言えないと思いますよ……。
というか、そういう脚本が書かれていたのだとしたら、現行のキャシーの「手術が成功した」という報告も優しい嘘なのだという解釈もできますね……。
そういう解釈ができるような描き方ではないので、多分、本当に成功したという物語になっているのだと思うのですが。

あと、最後の曲は『ニュー・ワールド』なので、セルマが新しい世界へ旅立ったのだということを暗示しているのだと思います。
キリスト教は「生まれ変わり」の概念がないので、死は「輪廻の一部」ではなく、新たな世界への旅立ちを意味します。
そしてここでは、「天国の入り口」と歌われているので、ビョークは、セルマが天国に迎え入れられることを願っているのでしょう。
死刑の直前に歌われる『ラスト・ソング』では「これは最後の歌じゃない」と連呼しています。
ということは、おそらく、物語は死刑で終わるけど、エンドロールで流れるこの歌が「本当の最後」なのだと示唆しているはず。
肉体を離れた魂の歌が、この『ニュー・ワールド』なのではないかと思います。
この曲の歌詞はラース監督の指示があって書かれたものかはわかりませんが、殺人という大罪を犯した主人公セルマの魂の行き先が、地獄ではなく天国であってほしいというのがビョークの願いなのでしょう。
泣ける……。

オープニングの『オーバーチュア(序曲)』と同じ曲なのがいいですね。
典型的な手法ではありますけど、楽曲自体がめっちゃいいので、めっちゃ心にジーンときます。

最近セルマソングスを聴きまくっていたので、なんとなく書いてみたくなりました。
「私がセルマを守らなきゃって思ったの」という言葉が、どうしても忘れられません。
すげー作品って、やっぱり、他の人が絶対に思いつかなかったり、思いついてもやりぬくことができない「意思」で作られてるんだなぁと思わされました。
ビョークすごいです。

 - 映画, 音楽

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