てやんでい!!こちとら湘南ボーイでい!!

映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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【syrup16g全曲の考察と感想】delaidback

   

『delaidback』10thアルバム。
2017年11月8日リリース。

この作品も、公式サイトに作品紹介が掲載されているので引用します。

ニューアルバム『delaidback』を11月8日に発売します。
このアルバムはsyrup16gのこれまでの歩みの中で音源化されなかった楽曲を収録しています。
最も古い収録曲は1997年頃の「開けられずじまいの心の窓から」と「夢みたい」。
当時、新宿JAMや下北沢Garageで盛んに演奏されていた曲です。
五十嵐隆復帰ライブ「生還」(2013年)で演奏された曲
幻のように通り過ぎていった犬が吠える(2008年~2009年)時代の名曲を加え
最終的にはこのとおり、オールキャリアからよりすぐった13曲になりました。
とはいえ、歌詞はできた頃の心象風景を大切にしながらも今の気分を加筆し、サウンドも現在のシロップの音に。
ベースのキタダマキ加入以前の曲も多く、初見の曲の気持ちでレコーディングが進みました。
今作のジャケットには、五十嵐が歩いている時に偶然見つけて撮影した「蝶の死骸」 が使われている。
生きた証であり、亡骸でもある、忘れさられた曲が詰まっています。

・感想やリリース当時の記憶
一曲一曲、サウンドの手触りが全然違っていて面白いですよね。
一人多重録音ギターオーケストラぶりは、ここに来てクオリティの頂点を迎えているのでは。
一曲の中で何本分ギターを重ね録りしているんだ……。

本作リリース後のツアーをもって、シロップは再度活動休止に入りました。
ただ別に、バンド側にもファンにも、悲壮感はなかったように思います。
ファンの期待も、シロップが作る音源も、一期ほどの熱量がなかったから、「気が向いたらまたやってくれよ」ぐらいの感覚で受け入れられたんじゃないかなって気がします。(私の主観? 気のせい?)
僕は『ハート』を聴いて以降、シロップの音源に全然触れていなかったから、活動休止の方を聴いても「へぇ」ぐらいにしか思わなかったっすね……。
いや、それに活動再開後の音源について、好意的な意見はあれど、絶賛の声なんか全然見聞きしなかったし……。

このアルバムをリリースする際のインタヴューをひとつも読んでいないので、なぜこうして過去作再録集をリリースしたのかわかんないっす……。
いつか記事を読んだら、補足するかもしれないです。

・ジャケットについて
公式サイトの紹介にもあるように、五十嵐さん自身がたまたま目にしたものを撮影した写真だそう。
蝶って、動物の中でも少し特殊なシンボル性を持つ存在なので、「蝶」のモチーフについて考察してみます。
まず、アジア圏で有名なのは『胡蝶の夢』でしょう。
僕も聞きかじりの知識なのでちゃんと説明できないんですけど……(笑)。
「自分が蝶になって舞っている夢を見ていた。目を覚ましたが、人間の自分が蝶になった夢を見ていたのか、蝶の自分が人間になった夢を見ているのかわからない」という話です。
創作物で蝶が出てくる時って、「夢なのか現実なのかわからない」ってモチーフの象徴として扱われることがままあります。
浅野いにおさんの漫画『虹ヶ原ホログラフ』では胡蝶の夢の説明とともに、蝶をたくさん出していましたよね。
あと、MCUのキャラクター、ドクター・ストレンジが魔術を使う時に、蝶がぶわっと舞うシーンがあったりしますね。(けど全然違った意味合いだったら恥ずかしい)
あと音楽でいうと、ウィーザーの傑作2nd『ピンカートン』も、最後の曲は『バタフライ』ですね。
ぐっしゃぐしゃのノイズとポップソングを融合させたクレイジーなアルバムなのに、アコギ弾き語りの美しい曲で締めくくるという……。

あれって、アルバムの主人公のセックス・ドラッグ・ロックンロールライフが「夢か現か」わからなくなっちゃっているっていう構成になっていると思うんです。(『ピンカートン』の登場人物「蝶々夫人」という文脈もあるけど)
ウィーザーは2017年の『パシフィック・デイドリーム』では『胡蝶の夢』を下敷きにしたことを公言しているし、1stの最終曲も『オンリー・イン・ドリーム』ですし。
ちなみにこの曲は、アジカンの後藤さんが主宰しているレーベル名の引用元です。
ウィーザーの元ベーシストを招いて、『オンリー・イン・ドリーム』の演奏をしている映像がありました……すごい……ほんとに好きなんだな……。

そんなわけで、「夢か現か」ってことだったり、幻想が顕現する時には蝶々が使われたりするんです。
その流れで考えてみると、シロップでの活動が「夢か現か」という状態だという意味で蝶なのかもしれないですね。
でもその意味だと、蝶の死骸を使うということは、「夢はもう終わりだよ」ってことになっちゃいますよね(笑)。
死んでいる蝶を、人間である自分が見ていて、写真を撮っているわけだから。
まぁ、五十嵐さんならそういう皮肉をやりかねないけど……。

もうひとつ、蝶とキリスト教の関連性を調べてみたのですが、こっちの方が確率は高そう。
キリスト教では、蝶は「復活」の象徴らしいのです。
シロップの再始動を「復活」ととらえて、また活動休止に入るから、その死骸をジャケットにしたっていうことなんじゃないかなぁと。

さらに、『ディレイド』から始まった、過去の楽曲をレコーディングするという企画の三作目という点から考察します。
前の二作の「飛行機」の意味についてはそれぞれの作品ページで書いているので、具体的なところは割愛します。
本作では、「宙を舞う生きもの」である蝶々が、朽ち果てて地面を転がっている写真を使っている。
『ディレイド』は「滑走路を走る離陸前の飛行機(本物)」→『ディレイデッド』は「空を往くおもちゃの飛行機」(しかもブックレットでは墜落&炎上)→『ディレイドバック』は「地面に落ちた蝶々の死骸」。
この流れって、五十嵐さんがシロップを自嘲的に表しているんじゃないですかね(笑)。
『変態』の歌詞になぞらえるなら、太陽に吸い込まれて消えていった美しい蝶々は無残に死に絶えた……って話なんじゃないかと(笑)。
まぁ、蝶々は復活するから大丈夫なんでしょうけどね。
やっぱり五十嵐さんって、こういう風に、意味を込める人だ。
そしてそれらの意味は、自分にまつわることで括られている。
歌詞と同じように、「自分のこと」「自分が本当に思っていること」しか、表現できない……したくない人なんだろうな、と思う。
生活していて、「歌にしたいくらいの想い」を抱くことなんて、そうそうないだろうし。
だからこそ、良いアーティストって、いろんな方向にアンテナを張っていたり、特別な出来事が起こらない中でも物事を深く観察していたりするはず。
でも、五十嵐さんはあんまり人と接しないで過ごしているようだから、曲で歌うモチーフも、選ばれる言葉も、もう何度も繰り返されてきたことばっかりになっている。
このアルバムを何度も聴いていると、二期のシロップは終わるべくして終わったんだなって気がします……。

最終曲『光なき窓』の部分で触れていますが、このアルバムって、『光のような』で新しい希望を提示したのに、犬が吠えるがすぐに潰れてしまったという罪悪感に対する禊のような想いで作られたのではないかと思います。
シロップ解散から再結成に至るまでの空白についてちゃんと歌っているというか。
しかし、五十嵐さんは常に自分の「過去」について考え続けて、歌にしてきた人だと思うのですが、果たして三期のシロップで「歌うべき言葉」を持っているのでしょうか。

では、各曲の考察に入っていきます。

1.光のような

「犬が吠える」で披露していた曲。
この曲のアレンジをリハーサルで練るところをムジカでレポートしていましたね。
レポート記事を書いた鹿野さんも、五十嵐さんも、この曲のことはたいそう気に入っていた様子。
ただ正直、僕はこの曲を聴いても、あんまりピンとこないです……。
別のところでまとめて書きたいけど、『ディレイデッド』までのシロップと、『シロップ16g』以降のシロップって、やっぱり曲に大きな違いがありますよ。
というか、『ヘルシー』から『マウス・トゥ・マウス』までって、五十嵐さんは自分に起こったことをそのまま曲にしていたので、やっぱり「リアル」でした。
具体的なシチュエーションを、キワキワなまでに具体的な言葉で歌っていたし、言葉選びも研ぎ澄まされてた。
『シロップ16g』からのシロップって、よく言えば抽象的で、聴く人各々が自分をいろんな感情や記憶を投影したり、場面を想像したりできるようになっているけど、それって裏を返せば深く刺さる表現ではないような気がするんですよね……。
まぁ、以前からもそういう曲はたくさん作っていたと思うんですけど、やっぱり、『生活』『明日を落としても』みたいな、逃れられないネガティヴィティみたいなずっしりくる渾身の曲も聴いてみたいっす……。
そういう表現を一期でやり切ってしまった、って考え方も出来る気はするんですけどね。
あとはやっぱり、抽象的な言い方になってしまうけど、曲の強度が前期の方が高い気がするんですよね……。
後期でも、五十嵐さんが叫ぶような歌は多いのだけど、なんか、「なんでそんなに苦しそうな声を上げるんだろう」と俯瞰で見ていて、感情移入ができないまんまなことが多い……。
多分、『光のような』は、『シロップ16g』以降の五十嵐さんにとっての渾身の曲なのだと思うんですけど、ほんとに、僕はこの曲にピンとこないんですよ……。
僕自身が刺激中毒みたいなところがあるから、かつて先鋭的な表現をしていた中堅よりも、今先鋭的な表現を作っている若い人の音楽を聴く方が面白いじゃないですか。
んで、尻軽だから、別にシロップにこだわって聴き続ける必要なんてないわけだし……。
英語圏のポップミュージックに触れてるだけでも、永遠に楽しめますからねぇ。
でも、五十嵐さんも、突き刺すような歌を作ろうという意欲があんまりなくなってるんじゃないかって気もするんですよね。
突き刺さる言葉って、言葉のくみ上げ方が上手かろうが下手だろうが、突き刺さってきますからね。
考察と関係ない話をして申し訳ねぇずら。

曲のアレンジは、U2が1stアルバム以前に発表した『アナザー・デイ』という曲のイントロ部分に似ていなくもない気がします。
気のせいですかね。
気のせいな気もします。
五十嵐さんは、音源不発期の2006年にU2の来日公演にも足を運んでいたらしいので、彼にとってこのバンドが特別な存在であることは疑いようがありません。
U2からの影響でこの曲を作ったのだとしたら、それは、「特別な曲にしよう」という意図を持って引用したということなのかもしれないです。
なにせ、伝説のバンドの最初期の名曲なのですから……。
この曲を作っていた頃のU2が、まさか世界最大の音楽集団になるなんて、当人たちを含めて誰も想像できなかったことでしょう。すげー。
「新しい始まり」になる予感がしたから、U2のフレーズを引用しているのかも。

“そこで今も 君が笑っているよな 記憶のまま 何も変わっていないような”

「君」が誰であるにせよ、五十嵐さん、記憶力良いですね……。
私、あんまり記憶力が高くないので、人の顔の表情とか、思い出せないなぁ。
「ような」と歌われてることから、「君」は今はそこにいないか、いたとしても笑っていないし、記憶のまま変わっていないことなんてないってわかってるんですね。
そう考えると『I’l be there』を逆から歌ったような感じ……僕はそこに今もいるけど、君はもういないよね、って感じ。

“痛みだけは ずっと続いていくんだろうか いつになれば 君を許せるんだろうか”

その「痛み」はまだ続いていて、これから先も続いていきそうに思える程、発症した時のままの痛みが残っているってことなんでしょうね。
で、そこに繋げて、君が出てくるということは、その痛みは「君」が原因で生まれたものなのでしょう。
「君」から許せないことをされたことで、「痛み」を覚えたのだとしたら……どうでもいい人が「許せないこと」をしていても、忘れられないほどの痛みを負うことなんてないので、「君」は五十嵐さんの大事な人か、信頼している人だったんでしょうね。
で、君のことを今も許せていない。
許すことが痛みの源である傷を癒す唯一の方法であることを、わかっているのに、許せない。
つらいですよね……わかりますよ……。
でも、十何年も前の「痛み」が未だにうずくって、すごい感性ですよね……。
十年前の事なんて、記憶はあるけれど、感情は再現できないですわ……。
昔佐野元春さんがやっていた『ソングライターズ』という、ソングライターをゲストに招いて対談するという番組(最高)があったのですが、スガシカオさんがゲストの時に面白い話をしていました。
たしか『十九歳』という曲について、「浪人時代、勉強もせずにエッチなことばっかりしていた時のことを思い出して作った」って話していたんですね。

で、スガさんが、「佐野さんもそうだと思うんですけど、昔の感情を思い出せるじゃないですか」って言うと、「思い出せますね」と佐野さんも返すというやりとりがあったんです。
その当時僕は二十代前半の若者だったので、「なにそれ、当たり前やん」って思ったんです。
けど、三十歳を超えてみると、「感情を思い出すなんて至難の業だわ……」と思うようになりました。
ソングライターみたいな、感情を作品に込める人って、もともとそういう感性なのか……それとも、日ごろから感情を回想する習慣がついているから、そういう感性が鍛えられているのか……。
五十嵐さんもそういう人なのかな。
でも、考えてみると僕も、初めて付き合っていた女の子のことを毎日何時間も思い出し続けていた頃は、何年も前の出来事の記憶を思い出す時は感情を供なっていたなぁ。
毎日思い出し続けていると、忘れはしないものなのかもしれないですね。
まぁ、記憶も劣化はしなくても変化はしているんでしょうけどね。
実像とは少しずつ乖離していって、自分の頭の中でいろいろ作り替えられていってしまいそう。
で、そういう風に過去に固執して過ごしていると、体験や記憶を共有していた人はすでに出来事を忘れていたりして、「あぁ、この出来事はもう俺の記憶の中にしか存在しないのか……」っていう不思議な感慨が湧いてきて、なおのこと忘却しないように努めてしまったり。

“光のような 儚いような 命がいまはじまるよ”

『リアル』で歌われたことに近いのかなぁ……とは思うのですが、ここで具体性が全然感じられないところが、シロップ二期にあんまりピンときていないゆえんなんですよね……。
もちろん、五十嵐さんも抽象的な詞にしているのは意図的なことだとは思うんですけど……うーん。
「命」が今はじまるっていうのは、子どもが生まれるような、本来の意味での命の始まりなのかもしれないし、シロップを解散させて「死んだ」ような気持ちだったけど、なんかいい感じに蘇生しそうですわぁ~……って感じなんですかね。

“解らなくて 考えることを止めたら 楽になって 大切なものなくした”

“ずっとずっと思ってたことが 考えるのを止めたせいで わからなくなっちゃった それでいいと諦めた”って歌詞が、andymoriの『空は藍色』にもありますけど、かなり近いセンテンスですよね。

若いころっていろんなことを感じるし、感じたことについてもわけわかんないくらい考えますよねぇ……「多感」と一言でまとめてしまうのは簡単だけど。
ここは“思考停止が唯一の希望”ってセンテンスと同じ意味だろうなぁ。
考えるのを止めたっていうのも、『マウス・トゥ・マウス』以後の状態を指してるんじゃないかなぁ。

“不意な嘘も 優柔不断な答えも いつになれば 俺を許せるんだろうか”

嘘ってなんなんでしょう……(笑)。
SNOOZERでのインタヴューで、「他のインタヴューではかますんですけど」って話していたので、インタヴューでデカイことを言ったり、事実と異なる発言をしたり……って部分なのかな。
あるいは、曲の中で、嘘を歌っていたりとか。
もちろん、世の中にあるほとんどの創作物は事実ではないのですが、五十嵐さんは「リアル」であることにこだわっていたので、そんな自分の基準から外れるような曲を「嘘」と言っている可能性もありますね。
その後に続く「優柔不断」という話も、シロップの作品に付きまとう、あえて言い切ることで強い意味を持たせた歌詞についての問題への言及と取れます。
でも、それらが「自分を許せない」理由になっているとなると、やっぱり意味がわからないっす……(笑)。
「優柔不断≒答えを決めかねる」なのが自分の本質なのに、歌にする時に、その時の気分だったり楽曲のテンションに合わせて「いくつかある考えのうちの一つ」を乗せただけなのに、聴いた人たちがそれを「五十嵐のメッセージ!」として持てはやすという状況に以後ことに悪さがあったのだろうか。
まぁ、音楽活動に限らず、ふとした嘘とか曖昧な言葉を悔いたり、「どうしてあんなことを言ったんだろう」なんて自己分析を始めると、自己嫌悪に陥る羽目になりますね。
「嘘」って、何かを隠したいから言ってしまうものなので、「嘘」をついてしまったとしたら、その嘘をついた理由を突き詰めてみると、「人に知られたくない自分」にぶち当たりますよね。
「不意な嘘」って、僕もしょっちゅうついてしまうので、わかりますね……。
「問題が無い人」だったら、嘘をつかずに本当の事だけを言えばいいわけだし、優柔不断な態度を取らずにありのまま思ったことを言えばいいわけですからね。
そんな風に考えて、嘘をついたり、優柔不断だったりする自分のことが好きになれない……という悪循環はありますよね。

“中央線が止まっても 最終に乗り遅れない この生活は 終わらない”

「電車」モチーフの歌詞、シロップでは多いですねぇ……僕は『吐く血』を思い起こしました。
電車が遅延しても、最終電車だと、他の路線も乗り換え客を待って発車が遅れる……ってことを歌ってるんですかね。
中央線はよく遅れるって言いますよね……特に新小岩駅が自殺の名所だから、人身事故でしょっちゅう止まるとか。
五十嵐さんは下北沢……東京でも埼玉に近い地域に住んでいるイメージがありますが、その辺に住んでいても、中央線が止まっちゃうと煽りを受けるでしょうね。
この「遅延」という事象は、英訳すれば『ディレイド』になります。
歌詞の意味は、乗っている電車が止まって「帰れないわ……」って絶望感に包まれていたけど、他の電車が止まって待ってくれていたり、他に何か救済手段があったってことなのでは。
翻って、「救済される」ことは、五十嵐さん自身の生き方にも言えることなのかもしれない。
シロップで音源を出していなくてても、ライブをやれば客が集まるし、メンバーやレーベルもそんな活動に付き合ってくれることとか。
バイトの面接で「暗いのか」って聞かれたりする社会不適合者でも、飢え死にしたりはしない社会とか。
シロップを解散させても、一緒にバンドをやってくれる人が見つかったりとか……「どんぞこ」かと思っても、谷底に落ちないようセーフティネットは一応張ってあるってことを言ってるんですかね。
この歌い方からすると、「生活」が終わってくれることをも望んでいる気はします。
こういうところも、やっぱり『リアル』に近い気がするんだよな。
それにしても「生活」という言葉を持ってきているところは、『生活』というシロップの代表曲になってしまった曲を思い起こしますね。
「存在価値はあるのか」「心なんて一生不安さ」「言いたいことはあるのか。そしてその根拠とは何だ」なんていう自問自答は終わってない、ってことなんですかね。
andymoriにも“人身事故で 君に会えない”と歌う『オレンジトレイン』という曲もありますね。

歌詞には直接の関係はないんですけど、僕も最終電車で帰宅することがありますが、終電ってけっこう遅れるんですよね。
乗り換えのお客さんが乗り遅れることになっちゃいけないから、時刻表通りに動いていれば乗り換えることができたはずの電車は待つんですよね。
だから僕が乗っているのとは別の路線に遅れが生じると、僕が乗っている最終電車も駅で待たなきゃいけなかったりする。
早く家に帰って寝たいのに……なんで別の路線の遅れでこっちが割を食わなきゃいけねーんだ? って思う。
鉄道会社も鉄道会社で、電車に乗れてる人は時刻通りに帰して、もう一本電車出すなりしろよな……って思います。まぁ、一本電車を多く出すのに、いくら必要になるかを考えると、お金の問題で実現不可能でしょうけど。
でも、「自分が乗っている電車は普通に動いているのに、どっか別の路線で起きた遅延のせいで自分の帰宅が遅れる」って状況にイラつくのは僕だけではなく、車内を見渡すと不満げな表情をしている人はそこそこ多い。
余裕を持って動いている人は気にしないことなのでしょうけど、ギリギリで動いている人はちょっとの遅れにもピリついているっていうのは、よくある話ですね。
余裕のある人間になりたいものです……。
遅れてきた最終電車に乗り込んでくるのは、五十嵐さんのようなかわいそうな人かもしれないのですから。
というか、自分も、接続路線が待機していることに救われるかもしれないですからね。
けど、終電で帰る時って疲れてて眠い事も多いので、そう言うことに気が回らないことが多いですね……。

“退屈を感じれるひとも つまらないと 投げ出すことも とても羨ましく 思えるよ”

なんか、あんまり良くない意味での「選民思想」っぽさを感じます……。
五十嵐さんは「俺は他の人とは違う」って思想が、良いところにも悪いところにもありますよね。
まぁ、実際、他の人とは違うところがあるんでしょうけど……。

2.透明な日

待ち人来たらず……というモチーフで有名なのは、戯曲『ゴドーを待ちながら』。
ゴドーという男を待っている、二人の初対面の男達。
世間話をしながらゴドーを待っているが、結局ゴドーはやって来ない……というお話。
「ゴドー」は「ゴッド=神」のもじりであり、神が現れないという暗喩だというのが定説です。
その「度々話題に上がる人物が作中で登場しない」という手法は、様々な作品で転用されますね。
この曲の中には「神」という言葉も出てくるので、「ゴドー」なのかな……と思ったのですが、戯曲にはバス停は登場しないので、私の思い違いっぽいです。(でも、『ゴドー』は様々な劇団が度々舞台化しているので、中には舞台をバス停にしているものもあるみたいですね)
そういうわけで『ゴドーを待ちながら』モノではないかもしれませんが、永遠に訪れないバスを待っている老人というモチーフは物悲しいですね。
五十嵐さんの曲の中で、「老人」がたまに出てきますけど、ほぼほぼ悲壮感ある描かれ方をしますね。
“体操してる老いぼれ”というのも、ただディスっているのではなくて、なんか健康を維持しようとしている様が健気にも思えますし。

この曲がいつ作られたものなのかわからないのですが、歌詞を読むと、90年代の空気感に満ちているようには思います。
シロップ再始動が宣言される前の五十嵐さんソロ名義でのライヴでも演奏されてたみたいなので、解散中に作られたものなのかも。
四年間におよぶロングバケーション中に、90年代のフーテンバンドマンの感覚と共振したってことなのかな。

“あてもなく 透明な日 繰り返そう ふらふら 何も見ずに”

ナンバーガールの『透明少女』という曲や、宮台真司さんの著作に『この世から綺麗に消えたい。』という題があるのですが、「死」というよりは「消えたい」という感覚を表している言葉なんじゃないかなと思います。
何も無い。
何かを生んだり見つけたり作ったりしなくてもいい日。
それはモラトリアム的とも言えるけど、90年代の日本の音楽って、「どこへ行けばいいのか」「何をすればいいのか」って歌がめっちゃくちゃ多かったですからね……。
なんか、何も無い日を過ごすと、若いころは罪悪感の呵責がありました。
二十代の頃、そんなことをmixiに書いていたら、女性のマイミクさんが「毎日何かしなきゃって思っていたらもたないよ」って言っていたなぁ……。
毎日頑張ってる人もいると思うけど、そうではない人、そうできない人も大勢いるのだということが、年を取って良く分かるようになりました。
「見る」って言葉は“その目に何を見てるんだ”と問いかける『生活』への返答でもあるのかも。
若い頃って、自分がどこまでも成長できると思っているから、見えるものや聞こえてくるものを取り込んで、自分の糧にしていこうって意欲がある。
五十嵐さんのような生き急いでいるタイプの人にとっては、意欲というよりは強迫観念的なものかもしれない。
歳をとってみて、「あぁ、何も見てねぇや」とか「目には写ってるけど、ちゃんと視るのは疲れるわ」とか思うようになったってことなのでは。
私は、そうでした……人との会話や、SNSの駄文や、電車の広告を見て、世の中の動きを知ろうとしていた。

“停留所に 年老いた老人が 独りで 寝てるように 待っていた ああ そのバスは今日も来ませんか”

「年老いた老人」って語義が重複しとるがな……。
五十嵐さんの詞の中で「バス」って乗り物が出てきたのは初めてだと思うんですが……。
なんの象徴なんでしょうね。
もちろんメタファーなのだろうけど、「独りで」待っているってことは、人気のない場所だろうことが想像できる。
みんなバスが来ないのを知っているのか、バス以外の交通手段を持っているのか、そもそも近辺に人が住んでいないのか……謎。
老人も、バスが来ることを半ばあきらめているから「寝ている」んじゃないですかね。
自民党が「日本を取り戻す」なんて息巻いているけれど、年寄りが大好きな、「経済的に繁栄してて世界中で調子コいてた日本」にはもう戻らないですよ……っていう揶揄なんでしょうか。
80年代~90年代の海外の映画を観ていると、金に飽かせて物を買い漁る人種として日本人がよく出てきます。
『トイストーリー2』でもそうだし、海外から見た典型的な日本人像って、それなんですよね。
「ロックフェラー・センター」を三菱が買収した出来事などは、好景気で調子こいてた日本の浮かれぶりを象徴するような出来事ですね。

“君に勝てることは 何ひとつ無い 他には何も”
“神に負けることは 何ひとつ無い 他には何も”

この連呼、本当に意味が分からないんですよ……。
五十嵐さんの歌声も切迫感のあるものだし、何か大事なことを訴えようとしているんだろうなと思うんですけど、ぼくにはわかんないっす……。

3.Star Slave

『月になって』から、「月」「星」は同じ意味合いの隠喩として使っているのでは? と考察しています。
空を音楽業界に見立てて、そこに浮かぶ天体は「ファン」「音楽業界関係者」「同業者(バンドマン)なのではないか、という推測です。
「星」はシロップを取り巻くフォロワーバンドマンやファンの象徴なのでは? と考察しました。
その流れを汲むなら、スタースレイヴというのは、ファンやフォロワーの奴隷のようになっている五十嵐さんの歌なのでは。
曲は重さや厚みはないけど、暗澹たる気持ちはひしひしと伝わってきます。
シロップの自己言及ソングではないにしても、星という夜に見える明かりの奴隷になっている……「うつ」「ネガティヴ」な思考から抜け出せない人のことを指しているのかもしれませんね。
スレイヴは奴隷を指す言葉ですが、悪い環境から逃げ出すことができない……その環境に依存しているという見方もできる。
ダウナーなロックをやってるバンドマンや、そのファンを揶揄していると取れなくもない。

“君の奇跡はとうに 使い果たされて あと残っているのは 消化試合だけ”

「奇跡」というと、『翌日』の“あきらめない方が奇跡にもっと近づく様に”を彷彿させますね。
その線で考えると、諦めないで頑張って活動していたら悲願のメジャーデビューが叶ったことが奇跡で、その残りカスみたいなものが再結成後のシロップ……って言いたいのかな。
この曲がいつ頃作られたのかわからないのですが、少なくとも『翌日』より前に奇跡は起こっていなかったと考えられるので、これはシロップ解散以降の状況を指しているんじゃないのかな……。
もちろん、『翌日』も、これから起こる奇跡を予期したのではなく、すでに起こった奇跡をもとに書いたものかもしれませんが……。

“満天に光る プラネタリウムを 座って見ていた 本物みたいに”

「座って見る」のって、どこか受動的な姿勢に思えます。
星をつかもうとしたり、星の群れに混じろうとしたりせず、見ているだけってことですよね。
前述した、「星」をシロップフォロワーミュージシャンやその取り巻きファンたちだと取るなら、もはや自分がいなくても「シロップっぽい」音楽をやるミュージシャンはたくさんいるし、ファンもそれで満足しているっぽい……という音楽シーンを、座って見ているって話ですかね。
「本物みたいに」ってなんだろう……五十嵐さんは自分を『ニセモノ』だったと斬り捨てていましたよね。
「本物のシロップみたいな音楽」ってことなのかな……それとも、『ニセモノ』の五十嵐さんとは違って、シロップの後発ミュージシャンたちは「本物みたい」だったってことですかね。

“君は特別だから 心配いらない 心の隅で少し 真に受けてたかも”

シロップ一期って、雑誌とか邦ロックリスナーがシロップをこぞって持ち上げていたわけで……他人の口から語られる「五十嵐」「シロップ」の偶像についての言葉なのでは。
こういう風に歌うってことは、今の五十嵐さんは、自分を「特別」と思えてないってことでしょうか……。
まぁ、この歌にしても、『ニセモノ』ほどのインパクトはないのも事実ですけど……。
五十嵐さんっぽい音楽を作れる人って、やっぱりあんまりいないですよ。
まぁ、繰り返しになってしまうのですが、やっぱり二期シロップってそんなにピンとこないのですが……。

“今は物悲しい ただの物語 思い出せるのは 淡い夏の日々”

“OH! Last Summer!”って歌詞があった気がします……で、それは、多分若かりし頃の初カノとの思い出を歌ってた気がするのですが、どの曲だったのか思い出せません……。
五十嵐さん、夏苦手そうですけど、大丈夫なんでしょうか。
しかし、四十代に突入しても、二十代の日々を思い返せるってすごいですよね。
シロップ一期の華々しい活躍を、「ただの物語」と感じる程度には遠い過去の出来事と捉えているけれど、それよりもさらにさかのぼった過去の「元カノとの記憶」は思い出せるってこと?

“遠回りして 迷い込んだ夕暮れ”

「夕方」もシロップではよく歌われますね。
黄昏時、逢魔が時とも言いますが、昼でもなく夜でもない曖昧な時間は、彼岸と此岸が混じり合ってしまうそう。
『(This is not just)Song for me』でも歌われていましたけど、シロップの曲の中では、夕方はどこかノスタルジックな時として歌われてる気がします。
夕暮れに「迷い込んだ」ということは、出ようと思っても出られない状態だったり、あてもなく歩いていたら辿り着いてしまったということだと思うので、モラトリアム性を象徴しているんですかね。
この曲の中で言えば、「夜」=「星空」はまだ現れていない時間ってことだと思うし。
満天の星空(売れまくりバンドマンたちの世界)に自分は行けなかった……あるいは、行くための決断ができなかったって感じですかね。謎。

“いつだって そうやって 間違ってくんだ 還る場所を”

『(This is not just)Song for me』でも、家に帰る情景を歌ってましたね……。
けど、「還る」という字を当てているところから考えると、「土に還る」のような、物が循環するサイクルのことを歌ってる気がします。
なんか二期のシロップって、こういう風に、漢字表記で変化球を投げてきてる感じがありますね。(そこにも面白さを見いだせていない僕は、やっぱりふつうに一期が好き……)
それにしても、「帰る場所」がないのって、まぁまぁつらいですよね。
僕は家族が半分離散してるようなものなのですが、他の人たちが家族っていう拠り所があるのを見てると「いいなぁ」と思うことがあります。
拠り所って、経済的にも精神的にもです。

“闇に飲み込まれていく 抗えないまま 時間や空間さえ まぼろしの世界”

めちゃくちゃうつの世界だと思うんですけど……なんかやっぱり歌詞が抽象的で、感情移入しにくいですね……。

“人のまとまりは ひとまとめじゃなく 無限の分子の 無常の最果て”

人間や、人間が営む社会についての冷静な分析。
でもやっぱり、あんまり面白く感じられないです……。

“其れ逸れの宇宙で もがいてる夢中で”

宮台真司さんや田中宗一郎さんがよく言っていた、社会や文化が「島宇宙化」しているって話ではないかと。
タナソーさんに限らず、00年代にその問題に言及していなかった人っていないよなぁ。
音楽を例にとって話すとわかりやすいことですが、90年代以降は音楽ジャンルが細分化していって、それぞれのジャンルがジャンルに特化した音楽を作るようになって、互いにクロスオーバーしない傾向が顕著になったという話でした。
作る側もクロスオーバーしなければ、聴く側も自分の好きなジャンルだけを聴くという状態。
インターネットの普及で、自分の好きなモノ・情報にアクセスできるようになった恩恵であり、同時に弊害と言える部分もあるってことですね。
星野源さんも何かの曲で「それぞれの世界は交わらない」みたいなことを歌っていた記憶があります……タイトル思い出せない……。
『夢の外へ』も、テーマはそんな感じだった気がします。

“キラキラ瞬く星たちが 悲しく見えるのは 何故”

五十嵐さんは、自分が「スター」になることは諦めたけど、多分「スター」な人達の悲哀や苦しみは近い場所で目撃して来たのでは。
バンプとかアジカンも大変そうな気はしますよね。

この曲は全体的に、「ヒット」することを諦めた五十嵐さんの歌って気がしますね。
とはいえ、生活している中で、ヒットしているものはアンテナに引っかかってくる。
それが気になってしまう……という意味で「スターの奴隷」なのかな。

4.冴えないコード

唐突に、明るい曲。
途中で入るファルセットの部分とか、『sonic disorder』っぽいですね。
「冴えない」って言葉でばっさり切り捨ててますけど、ここで歌われてる言葉はシロップやシロップを取り巻く環境を指しているように思えます。
しかし、この曲に関してはあんまり思うところがなく、考察も何も書けていないに等しいです……。
ソニック・ディスオーダーっぽくなっているのも、昔を懐かしみながら作った曲だからセルフパロディしているのでしょうか。

“冴えない心同士が 冴えない日々を持ち寄って 冴えない言葉同士が 冴えない言葉持ち寄って”

「言葉」って言い方なので、中畑さんは「同士」に含まれていなさそうな気がします……。
「心同士」「言葉同士」と言っているので、五十嵐さん一人ではなくて、何人かの人が集合している状態なのだと思います。
となると、自分を下北沢バンドマンたちの鳴らす音楽のことを指すのでしょうかね。
「冴えないコード」っていうのは、スミスが多用していたマイナーコードのこと?

“冴えない力で泳ぎ出す 冴えない力で蠕き出す”

なんかこの「冴えない」の繰り返しが、あんまり意味を成していないように思います……。

“何処か違うけど そこで何か言う術を 持たないし もう”

一期のシロップは、「どこか違う」ことに対して、「何が違うか」を言語化しようとしていたし、言葉にできなくても音や声で表現していたと思うのですが……。
「もう」「術を持たないし」と語っている辺り、再結成後のシロップのスタンスが如実に表れている気がします。
これもシロップ解散後に作られたものなのでは……。
一期は、諦めつつも、何かを見出そうとして足掻いている、抵抗しているところが強度の高さのゆえんだったってことなのかなぁ……。

“退散してる同士が 怠惰な意思を持ち寄って 退散してる同士が弛まぬ意志を持ち寄って”

退散してる同士ってなんなんでしょう……五十嵐さんは退散していそうだけど、「同士」が誰なのかわかんない……。

“何処か違うけど そこで何か言う術を 捨てよう”

「捨てよう」ってことは、まだ捨ててないってことなのかなぁ。
それなら、「持たないし」って言いつつも、新しい「術」を模索する試みは諦めてないってことなのかな。
がんばれたかしくん!

“ここには無いものでしょう いつかは分かることでしょう たまには病むものでしょう 悪夢にうなされる夜も”

五十嵐さん、相変わらず夜は寝れていないのか……。
「無い」のは冴えないコードがもう聴こえない、作れないって意味なのかな……。

“冴えないコード 懐かしい頃 冴えないコード 懐かしいCOLOR”

なぜ「COLOR」を英語表記にするんだ……。
「懐かしいから」をもじっただけなのかな。
あんまり深い意味を感じられない……。
けど「懐かしい」ってことは、「同士」で集まっていたのは昔の話ってことなんですかね。
ちょっとかわいそう。
五十嵐さん、一期の頃に仲良かった人と会ったりしているのかなぁ……。

“持たないし もう つたないし もう”

と歌いつつも、CD出したりツアーに出たり、音楽を作ったり演奏することは止めていないわけで……。
かなり後ろ向きではあるけど、マイナーコードを基調にした音楽を作ることは止めませんよ、というマニフェストなんですかね。

5.ヒーローショー

「・」を入れずに「ヒーローショー」と言葉を繋げているのって、2010年に公開された井筒和幸監督の映画『ヒーローショー』と一緒なんですよね。
この曲の考察をするためにDVDで観てみました!
2010年と言えば、シロップを解散していた五十嵐さんが黄昏ていた時期。
そんな時期の五十嵐さんの心にグサッと突き刺さりそうな内容だったので、この曲は、映画に触発されて出来上がったものかもしれないです。

曲の各センテンスの考察をする前に、映画のあらすじと、五十嵐さんが好きそうなところをピックアップしてみます。
なんと、この映画のストーリーは実際にあった殺人事件を基にして作られているそうです。

映画の前半は、ダメ青年たちのリアルな生活を半ばコミカルに描いているのですが、物語が進んでいくにつれて「嘘でしょ?」と言いたくなるような凄惨な出来事が起こっていきます。
実際に起こった事件のウィキペディアとかを読んでいると、事実は小説よりも奇やなぁ……って思わされることが多々あります。
『全員死刑』も、実際に起こった殺人事件を基にしたストーリーですが、死刑が確定するような人が起こした凄惨な暴力事件って度し難いものではあります。


けど、その人の生きてきた足跡を辿ってみると、「かわいそうだな」と思うような不運な出来事や、人として扱われていなかったような悲惨ない経験もあったりして……。
『全員死刑』と『ヒーローショー』では、半グレやヤンキー集団は、人を抜けさせない仕組みが出来上がっているという恐ろしさをまざまざと見せつけられます。

あらすじ
売れない芸人の主人公。
彼が最初に組んだコンビの相方は現在芸人引退していて、ヒーローショーの悪役のバイトをしながら食いつないでいる。
そんな元相方は半グレなグループとつるむようになっていて、自分の彼女がバイト仲間に股を開きまくっていたことに憤慨し、半グレグループに依頼してバイト仲間達に対して金を払うよう脅迫します。
しかしそのバイト仲間達の一人が、出会い系サイトの運営で金を儲けている兄がいる……つまりこれまた半グレ……でした。
彼は兄に、脅迫されていることを都合のいいように相談します。
兄は地元でケンカの強い元自衛隊員と結託し、元相方と半グレグループを撃退することにします。
主人公はそんな半グレグループから割のいいバイトを紹介され、バイト仲間達から金銭を受け取る場所への運転係となり、事件に巻き込まれていく……という話です。
めっちゃめちゃバイオレンスです。

五十嵐さんが好きそうなポイント
まず、コンビは既に解散しているけど、元相方と楽しそうにつるんでいる主人公が、シロップを再結成させた五十嵐さんは好きそう……。
あと、ケンカの強い元自衛隊員は、母親と、母親の彼氏と三人で生活しているのだけど、母親に対して嫌悪感を持っている……というシチュエーションがちょっと面白いです。
嫌悪感を持ちつつも、明確に反抗するわけではない感じ。
ココからちょっとネタバレですけど、元相方はバイト仲間達からリンチを受けた末に殺されてしまうんです。
主人公は、脅迫にはかかわっていないということで死からは免れるのですが、それでも暴行を目撃してるので、簡単に解放されたりはしない。
犯人たちは、口封じのために、元相方の死体を遺棄することに主人公を加担させようとします。
ショベルで掘った穴に、まだ生きている元相方を落として、それの穴を主人公に埋めさせようとします。
主人公は拒みますが、「お前も殺すぞ」と脅されて、仕方なく元相方に土をかぶせていきます。
そんな風に、自分が生き延びるために、友だちであり元相方を殺すことに加担しなければいけないシチュエーション……ベースの佐藤さんを解雇しなければいけなかった五十嵐さんの心情と重なるところがあるのでは。
次の日、主人公は犯人たちと街に出ますが、突然「自分だけ生きのびようとしてごめんなさい!」と叫び続けるようになってしまいます。
まぁ、気が狂いますよね……。
そののち、元自衛隊員と二人っきりになった際、彼は主人公に「お前、なんでお笑いやってんだ? 自分の妄想なんて、人前に出すようなもんじゃねぇだろう」と非難されます。
主人公はムカッとして、「あなたもろくでもない生活しているじゃないですか」と言い返して、元自衛隊員に怒られます。
主人公も元自衛隊員も、田舎育ちで、家庭環境がよろしくないという共通点があります。
このやりとりは、暴力行為も含む非行に走るタイプと、お笑いなどの芸能活動や創作活動に向かうタイプが、紙一重でしかないということを示していると思います。
主人公はストックホルム症候群(ストックホルムで、銀行強盗が、人質と一緒に銀行に立てこもり、銀行強盗が警察に捕まった後に、人質たちが銀行強盗に好意的な証言をしたために名付けられた。自分の生殺与奪を握っている人間に対して、相手に気に入られた危害を与えられる確率が下がると考えて、相手のことを好きになろうとする心理を指す)なのか、元自衛隊員が喜ぶことを率先して行うようになりますが、最後はたがいにシンパシーを感じたのか、友情のような感情を覚えます。

しかし、事件の全てを知っている主人公のことを生かしておいては犯行が世に知れてしまうことを危惧した犯人たちは、主人公も元相方と同じように殺すべきだと考えます。
元自衛官がその殺害の役目を買って出て、主人公と元自衛官は二人で夜の山奥に行きます。
そこで、自分が殺されることを悟った主人公は、「生き直させてくれよ……」と涙ながらに懇願。
この時の口上は、自分たちの世代がどれだけ割りを食わされてきたかをはっきり語っていましたが、台詞は忘れました……無念……。
元自衛隊員は主人公を逃がします。
しかし元自衛隊員は、半グレグループに復讐され瀕死の重傷を負い(実在の事件では死ぬ)、主人公は田舎に帰り、地道に働き始める。
そしてピンク・レディーの『S.O.S』が流れ出し、映画は終わります。
このラストの部分ですが、元自衛隊員と主人公が山中に行く際、「主人公が殺される映像」と「主人公が生きたがる映像」が交互に描かれ、どちらが現実かわからないように演出されています。
まぁ、実際の事件では、容赦なく殺されてしまったわけだから、『ヒーローショー』というフィクションと、東大阪集団暴行殺人事件という現実が交差するような演出なのでしょうかね……。

元自衛隊員は、もう一人の主役級の扱いになっていて、彼の生活は入念に描かれます。
そのため、観客の多くは彼に感情移入してしまい、彼が何とか更生して欲しいと願うようになってしまいます。
しかし、無残に半殺しにされてしまいます。
映画では、悪い事をした人は、必ず罰を受けねばならないのです。
たとえ物語の主人公であっても、その法則からは逃れられません。

ほか、歌詞の中で映画との関連性がありそうなところは、随時書いていきます。

“決心 生まれ変わって まともなひとになる 変身ベルトを巻いて 戦うひとになる”

映画『ヒーローショー』でも、変身ベルトは象徴的な使われ方をしていました。
「生まれ変わる」「まともな人になる」といったキーワードも、映画の物語を抽出したようなもの……に感じます。
やっぱり、五十嵐さんは、ヒーローショーを見ているのでは……。

“一生こんなのは不安です 意識は相当 不衛生なモード”

ヒーローショーの主人公も、狭いアパートで暮らしながら、妹系のエロゲーをプレイして日々を過ごしています。
芸人になりたての頃は、「M-1で一攫千金ゲットしよう!」という目標があったものの、芽が出ないまま活動歴だけが長くなっていきます。
嗚呼。
しかし、この歌詞、一期の五十嵐さんだったら、もう少し具体的な言葉を使ってくれたような気がするんですが……。
なんかもっとグサッとくる言葉を求めてしまいます。

“神経症で交友 増えねえ 人格矯正 手遅れのままでいいの”

映画でも「お金ないから遊びにも行けないし」なんて台詞もありました。
芸人仲間達にはあまり馴染めず、バイトは理由を付けてサボってクビになり、親から送られてくる食べものをめんどくさがる主人公。
そう考えると、憧れて入っていった世界の人間関係にもなじめずにいるのって、ちょっとツラい話ですよね。
そんな主人公に、音楽業界にあんまり友だちがいなさそうな五十嵐さんも共感する部分があったのかもしれませんね。
ところで「人格矯正」というのは、80年代中頃から、新興宗教と共に流行したセミナーの一種でもありましたね。

“遠心力生かして ひたすら てんてこ走り”

「遠心力」とか「相対性理論」とか、理系ワードが意外と好きな五十嵐さん。
「遠心力」は、今の五十嵐さんが生んでいるエネルギーではなくて、五十嵐さんを動かそうとしている別の存在や、昔の五十嵐さんが生んだエネルギーの惰性で動いていることを揶揄しているんでしょうね……。
そう考えると、この曲は、シロップを解散させて、その後ソロ活動や犬で活動していこうと頑張っていた時期に書かれたものっぽいですね。
犬解散後は、四年にわたって沈黙してしまうわけなので、「てんてこ走り」すらままならなかったわけですからね……。

“定員オーバーを理由に 負け惜しみは バッチリ”

受験戦争とかが大変だった世代なんですかね、五十嵐氏。
バブル崩壊後、景気が冷え込んでいく中で、就職活動が買い手市場から売り手市場になっていくと、就職先からあぶれる人が増えたりするわけで……。
五十嵐さんも、大学浪人を経験しているそうなので、それもまぁ「定員オーバー」ですよね。
詳しい事は、一期のあたりのどこかでたくさん書いた気がするので割愛しますが、世知辛いっすね。

“風に揺れた その花びら 額の中で 永遠になったよ”

『(This is not just)Song for me』では、「マッチ」と並んで「花」という言葉が使われていました。
音楽を聴いている間は魔法にかかったような気分でいられるとインタビューで語っていたので、火を点けたマッチが燃え尽きたり、美しさと香りをまとった花が枯れていったりする有様を「儚い」ものと例えていたんだと思います。
アルバムの中で『(This is not just)Song for me』の次の曲だった『月になって』は、ラブソングであると同時に、自分の思うようには売れてくれないシロップの比喩もあったと考察しました。
そこで「風」は、自分達をプロモートしてくれる存在の暗喩だと書きました。
ここでも同じ例えをしているように思います。
風はそのまま、自分達をプロモートしてくれる事務所、レーベル、雑誌などのメディア……それらの存在にあれこれ言われながらも、「花」つまり音楽を作って、「額」に入れられる……つまり音源としてパッケージングして、「永遠に残る」存在になったってことなのでは。
まぁ、CD媒体にも寿命があると言われてはいるけれど、デジタル化したものは半永久的にコピーされ続けるであろうってことなのでは。

“晒しきった その見世物は 皿の上で ほっとかれたよ”

「見世物」と言うと、『ニセモノ』で自分を揶揄したセンテンスを思い起こします。
「ほっとかれた」ってことは、『ニセモノ』でぶちまけた内容に対して、あんまりリアクションがなかったってことなんですかね……。
あるいは、リアクションはあったけど、「下北インディーロック」(あるいは共依存誘発型ソングライティング)のメンタリティの嘘くささを決死の特攻で告発したのに、依然として音楽はそんな作り方・売り方を踏襲し続けていることへの失望があるのかも。
「皿の上」ってことは、料理して出したけど、そのまま手を付けられずに冷めてしまったということでしょうし。
「皿」と言うと、DJはレコードの盤のことを「皿」と呼んだりしますよね。
そう考えると、この曲が『Syrup16g』以降に作られたとみてほぼ間違いないのでは。
「皿」と「額」は同じ意味で使われている気がします。
データ自体は永久に存在し続けることができるけど、「ほっとかれた」というのが五十嵐さんの認識なんですね。

“ヒーローショーはもうすぐ閉園 一旦 こういう勧善懲悪はいいよ”

勧善懲悪ではない……というと、まさに『ヒーローショー』はそういう作品でした。
脅迫した側が殺されてしまい、殺人を犯した側にも情状酌量の余地はあるのかもしれない……と思わせるようなドラマを展開していきます。
実際、殺人事件の裁判記録を呼んだりすると、犯人はめちゃくちゃ悲惨な生い立ちだったりすることもあるしねぇ……。
難しいずら。

“賢者タイムじゃ三分持たねぇ ほんとの悪党なんて もしかしたらいねえの”

「賢者タイム」は、わりと一般層にも普及しましたけど、ネット初の言葉だった気がします。
やっぱり五十嵐さん、ネットウォッチャーなんだろうな……。
ちなみに意味は、男性が射精したあと、それまで興奮していたのが嘘のように冷めることを、「まるで悟りを開いた賢者のようだ」と比喩するスラングですね。
でも、歌詞のこの部分、よくわからないです。
「賢者タイム」は、「生き直そう」と決意したはいいけど、三分後にはもう忘れて元の自分に戻っちゃってるってことなんですかね。
「悪党なんていない?」という疑問は、まさに、『ヒーローショー』で大罪を犯した人間に対する共感ではないかと。
まぁ、殺人を犯したグループにもどうしようもない連中がいますが、そこも因果応報が働きます。

6.夢みたい

昭和の泣きメロ歌謡曲みたいな、しんみりした曲。
五十嵐さんの大好きな『明日を落としても』風のイントロから始まります。
タイトルは、「You make me happy」というよく聴く英文を、「You make me die」ともじってるんじゃないかなぁ……。
「あなたは俺を死にたくさせる」みたいな意味。
この曲も、好きになれず……。
途中の「うぉううぉう」というスキャットも、あってもなくてもどっちでもいいじゃんって思います……。
俺がシロップ二期を好きになれなすぎるのか、他の皆もなぁなぁでシロップに触れているのか、もはやわからん……。

“君が寝た後で 窓の外は雨で 痩せた小枝が 震えているよ”

恋人が眠っているのに、自分が寝付けないって状況、なんか心細さを感じたりしますよね。

“いつか見た海へ 二人は辿り着いて 君の口から さよならを聞く”

海を見るシチュエーションと言えば、『来週のヒーロー』かなぁ……。
そういえば、シロップではもう二度も「ヒーロー」を冠した曲を作っているんですね。
あちらの曲では、子どもと過ごす時間を歌ったのではないかと考察しましたが、「さよなら」を告げてくるということは、この曲の「君」は子どもではなさそう。

“夢みたい 夢みたいだ 叶わなくて”

「夢はもうすべて叶えてしまった」と歌った五十嵐さんですが、こちらのほうが本音っぽいですね……。
叶っていなかったんやなぁ……。
しかしここで言う「夢」「叶わないこと」ってなんなんでしょうね。
君にさよならを言われない関係ってことですかね。
君が寝ている時は僕も寝ていたいってことかな。

“涙溢れて 僕を洗い出して 何も知らない 振りするんだろう”

「涙を流す」というシチュエーションも、『来週のヒーロー』と同じですね。
けど、ここで涙が溢れてくる瞳は、「僕を洗い出す」わけで、おそらくその瞳は「僕」を写しているいる……ってことは、泣いているのは「君」のほう。
『来週のヒーロー』では曲の主人公が泣いていたけど、こっちでは「君」が泣いている。
さよならを告げる時は涙を流しているけれど、そこで「僕」を……「僕と一緒に過ごした記憶」なんかをさっぱり流してしまって、すぐに知らない振りをするようになる……泣いてたのが嘘みたいにさっぱりした心持で生活を続けていくんだろ? とすねているんですかね。
その辺、シロップ一期で離脱していったファンのことを揶揄しているのかもしれないですね。
あれだけ崇拝されていたのに、時間が経ったらCD買ってくれないしライブにも来てくれないやんか! という悲しい叫びなのかも。
アジカンの『クロックワーク』やフジファブリックの『シャリー』等、活動歴の長いロックバンドは、離れていったファンへ向けているであろう曲を書きますね。
まぁ、フジの場合は、志村さん逝去で離れていったファンへの歌を延々書き続けている気がしますが……。

“引き出しの隅で 二人は笑っていて 明日の予定を 相談するの”

引き出しの隅に閉まってある写真を眺めているんですかね。
しかし、「明日の予定を相談する」って、なんか、若い恋愛っぽいですね。
社会人になってからの交友関係って、会う前に、何をするかなんとなく決めておくような気がします……気のせいか?
そう考えると、若いころの元カノのことか、生活を共にしている女性との記憶の歌っぽいですね。

“そう夢 そう夢か”

元カノ(もしくは元妻)のことにせよ、元シロップファンのことにせよ、夢にまで出てくるってすごいですね……。
よくそんなに、昔のことを思い出せるよなぁ。

7.赤いカラス

この曲も、犬が吠えるの時代に作られたもの。
この曲のアレンジを固めるためのスタジオレコーディングをMUSICAがレポートしていたのですが、その時五十嵐さんは赤色のパーカーを着ていました。
なんでも、「赤」は五十嵐さんのラッキーカラーなのだそう。
そんな「赤」色を帯びた、普通は黒一色の「カラス」という生きもの……。
五十嵐さんは、人間から疎まれながら、人間が出したゴミを食い荒らして生きるカラスに、自分を重ね合わせたのではないでしょうか。
イガラス。
しかし、この曲もやっぱり、僕的には……あんまり、いいとは感じなかったり……つらい……。
最後の方のシャウトはすごく、切迫したものを感じて、そこだけはグッときます。
それにしても、前の曲は『夢みたい』なわけで、二曲続けて、儚くて手が届きそうにない希望として「夢」を歌っていますね。
やっぱり、アルバムを作るからには、曲の流れにも気を配るミュージシャンですね、五十嵐さん。

“赤いカラスが笑った 涙 止まりそうです”

シロップ解散直後に、犬が吠える期に作られたことを考えると、シロップが終わってしまったことそのものや、シロップが終わりに向かっていく過程で起こった出来事によって、涙が出るほど疲弊していたんですね。
『さくら』では、「涙さえも笑う」って歌っていたし、五十嵐さんは解散前から泣いていたと推測できます。
で、なにか嬉しいことがあったか、安心できたのか、涙は止まりそうなんですね。
でも、「止まりそう」なだけであって、まだ止まってないんですね(笑)。
で、この曲の中でも、まだ「止まった」とは言ってない(笑)。
犬が吠えるが光の速さで解散したことを考えると、まぁ……実際には涙は止まらなかったんでしょうねぇ……。
そういえば、「涙が止まる」という状況も、前の曲から引き続いて採用されていますね。

“思いつきで転がした 今日が死んでいくのです”

「今日が死んでいく」ことで、なぜ「笑った」のか、全然わからないです……。
「笑った」という歌い出しだから前向きになれた出来事を歌ったのかと思ったのですが、もしかしたらこれも『さくら』と同じように、自嘲の歌なのかもしれないですね。
思いつきで転がす……まぁ、これまでの五十嵐さんの自己認識と同じように、「計画的に」「周囲の意見を取り入れてリスクを排除しながら」行動することができず、思いつきだけで行動=転がしたら、結局うまくいかず「死んでいく」って意味なんですかね。
そう考えるとこの歌は、なんとなくシロップの顛末を指している気がするけれど、犬が吠えるのことも暗示してしまっていますね……。
この曲を犬でやろうとしたってことは、なんとなく、ダメになっていきそうなことを初めから予期していたのかもしれないですね。
もしかしたら潜在的には、まだシロップに固執していたから次のバンドに向き合うことができなかったのかもしれないし。

“何もないこの世界は 何て恥ずかしいのでしょうか”

何も無いことないと思うんですけど……それに、何も無くても、別に恥ずかしくはない気がするのですけど……。
シロップというバンドを解散させて、「五十嵐隆」という一人の人間になってみたら恥ずかしいってことなんですかね。
日本人男性、肩書が無くなると一気にショボくなってしまうという話を宮台真司さんがしていたなぁ。
あと、五十嵐さんはシロップ解散前に離婚している可能性があるので、嫁と子どもが去って行った自宅の中を「何もない世界」と表現しているのかもしれないですね。

“苛立ちながら 過ごした 日々が 懐かしいのです”

懐かしいということは、今は苛立ちすらも感じていないのですね……。
私も、これを書いている現在は三十代に入ってしばらく経っているのですが、二十代の頃って、感情の量や強さって信じられないものがあります。
怒り、悲しみ、愛情とか、どんな感情をとっても、三十代に入ると、そんなに湧いてこないです……いや、自分がそうなだけで、他の人は十代、二十代の頃と変わらない心持で三十代を迎えるのかもしれませんが……。
(僕の場合十代、二十代が無軌道な獣のような感性で生きていた気がする。猿です猿)
そら、こんな風に歌っている五十嵐さんに、二十代後半を駆け抜けたシロップ一期の頃と同質の音楽を作ることを求めるのが、土台無理な話なんでしょうね。
ごめんね五十嵐さん……。

“赦せなかった私怨も 今は霧のようです 僅かばかりの未練に すがり付いてみたのです”

この「私怨」も、元カノか母親に向けられているんですかね。
未練はわずかしかなかったのに、そこにすがり付く……というのは、『汚れたいだけ』で歌われたように、復讐だけが生きる意味になりえると信じていたからなんですかね。
この感覚も、様々な出来事を経験してきた三十代だから歌えるものかもしれません。
自分の感覚が摩耗してきていることがわかると、何かしら、自分の激情を駆り立ててくれるような記憶を忘れまいとしてしまう……。
それを手放さずにいる事が、自分にとって良い事なのか、得があるのか……そんな風に問いに答えられなくても、これまでずっと抱えていたものが消えていくのが怖くて、なりふり構わず、それだけを守ろうとしてしまう感じ。

“蒸し返された徒労に ひとは耐えられるのでしょうか せめて誰かの虚構の海で 溺れたいのです”

「徒労」ってことは、その時は必死にやったけれど、無駄だったってことで……。
これは、メジャーで売れよう、音楽シーンの潮流を変えようと奮闘した一期シロップのことなんですかね。
しかしそれを、「蒸し返される」というのは、他の誰かが、そんな一期シロップに言及することが「耐えられるかどうかわからないぐらい嫌な事」だったんですかね。
まぁ、シロップ解散直前は、いろんな人から、シロップの活動についてアレコレ言われたのだろうし……解散後にソロなり犬なりで活動を始めようとしても、「あのシロップの!」の枕詞で語られまくっただろうし……それが嫌だったんですかね。
「誰かの虚構の海」って、自分の願望をかなり辛辣な形で表現していますね……。
『ニセモノ』で歌ったように、五十嵐さんは自分の恥部を晒しても、人から構われたいと願ってしまったミュージシャンです。
しかし本人は「リアル」であろうとしたけど、それが「リアル」な形では届かなかったから、「せめて虚構(≒ファンタジー)」としてでも、シロップを求められていたいと思ったという吐露なのでは。
「溺れる」ということは、波に乗ったり、自分の意思で泳いだりすることはできず、「海に呑み込まれる」状態を指すはず。
やっぱり、ファンなり、音楽業界の人たちなりは、自分の虚構に好き勝手にシロップを組み込んでしまって、五十嵐さんの思う「リアル」な受け取り方はしなかったってことなんでしょうね。
ただ、無視される=存在を認知されないよりは、海に呑み込まれてでも、自分の存在をきざみつけたいという意思を持っていたってことなんでしょうね。

“当たり前に 月日は流れるだけで その光の無い輝き いずれ闇に堕ちる”

『光のような』と同じ時期に作られた曲なのに、「闇に堕ちる」って言い切るのもどうかと思いますよほんと(笑)。
心の底から自分に絶望しきっていて、「何をやっても上手くいきっこない」と思ってしまっていたのか、それとも犬で活動を始めようとした環境なりメンバーなりが「上手くいかなそう」と思えたのか……謎ですが……。
「光のない輝き」ってなんなんでしょう……「光」は、何か厳かなものであって、「光っているように見せようとするけど光は持っていない」ようなもののことを、「光のない輝き」って言っているんですかね。
まぁ……あんまりよくわかんないですね……(笑)。
自分の読解力の低さを恨むしかありません。

“一人だけの 夢 夢 永遠は無い 有限 有限”
“繰り返される 無限 無限”

一人だけで持っている夢は有限であり、夢を持ち寄った集団によって無限や永遠を錯覚するような光を放てるのだ、的な意味なんですかね。謎。
結論、謎。
カラスはどこへ行ったんだ……。
まぁ、カラスは、黒光りすることもあるとは言え基本的には闇っぽい存在ですもんね。
そんなカラスに「赤色」を帯びさせているのは、自分のことを真っ黒けな存在にもなれない半端者だという五十嵐さんの自己認識があるのかもしれません。

8.upside down

ベースの奏法が面白い曲ですね。
なんかこんな風に、ベースをリズムではなくメロディを奏でる奏法にするのは、初期メンバーの佐藤さんの腰が悪くてあんまりリズムを取るのが上手くなかったからだと話していた気がするので、もしかするとこれも初期の曲なのかな……。
コーラスの部分でワッと盛り上げる感じの構成も、『クーデター』までのシロップに多かった気もします。

“足りない頭抱え どこまでも ひたすら慌ただしく 恥をかく”

「足りない頭」って言い方も、なんか若いころの五十嵐さんっぽいですね……。
慌ただしく過ごすっていうのも、若いころのがむしゃらにやってた五十嵐さんっぽさがある気がします……三十代以降の五十嵐さん、あんまり慌ただしくなさそうだし……。

“癒えない傷が軋む夜を超えて どうにかなりそうなくらい君を待つ”

前の曲では、「未練にすがり付いてみせた」と歌っているから、多分、この曲は昔作られた者なんじゃないんですかね……。
しかしここでもきっと、待ち人が姿を見せることはないのでしょうね……。
ここで言う「君」は、初めての彼女の事なのか、『ヘルシー』で歌われた「彼女」なのか……誰なんでしょうね。

“日常がどんな景色か分からない ぼんやり影絵とすれ違う”

宮台真司さんの提唱した「終わりなき日常」に近いニュアンスなのでは。
他のところでも書いた気がするけど、冷戦終結後の世界は、「大きな物語」が失われ、みんながだいたい予想通りの人生を送っていくことが自明の時代になった……みんな、昨日と同じ今日を過ごして、明日もだいたい同じように訪れることを理解しながら生きていく、という話。
けど五十嵐さんは、そういう「日常」というレールを外れて、バンド活動をしながら過ごしているという話で、他の人々が共有している「日常」の外側にいるって思いながら暮らしていたのかもしれないんですね。
まぁ、でも実際には、そういう「フリーターバンドマン」も無数にいたわけですけどね……。
それこそシロップが活動の拠点としていた下北沢界隈なんて、そういう人達がうぞうぞと集まっていた場所なはず。
そういうバンドマン界隈でも、シロップは音楽性や「ノリ」が他の人たちと違っていたらしいから、そういう意味で疎外感を覚えていたんですかね。
謎。
「影絵」というのも、宮台さんが90年代以降の若者の人間関係観を「仲間以外はみな風景」と表していたことと似ていますね。
また、シロップでは「雑踏」「人混み」は、あんまりいい意味では使われないので……「何を考えて生きているのか分からない人間の集合体」として歌われているのでは。
つまりこのセンテンスは、人々の営みに合流できない五十嵐さん自身を歌っているのではないでしょうか。
この辺の感覚も、若いころの五十嵐さんっぽい。

“泣けない映画の結末に似た 置いてきぼりの朝が僕を待つ”

五十嵐さん、「映画」というと「泣く」という言葉に結び付けるよな……。
『マッドマックス』とか、タランティーノ映画とか……そういう、感動させる要素よりもカッコよさとか映像表現の面白さを追求した作品には興味がないのでしょうか。
でも「泣けない映画」って表現、すごいですよね。
映画には「泣ける」を求めているってことになっちゃうからなぁ。
このセンテンスでは、「泣く」というカタルシスを求めたはずなのに、それを与えてもらえなかった……という、カタルシス≒浄化が訪れないまま朝を迎えてしまうってことを表現しているんでしょうね。
まぁ、やっぱり、待てど暮らせど「君」は来なかったってことですよね。
「朝」ってさわやかなシチュエーションとして歌われることが多いけど、シロップでは「眠れないまま迎える」という不健康な時間帯として歌われますね。

“切り裂いて 偽って 意味無いって 言わないで”

誰が「意味ない」って言うんでしょうね。
「君」?
「偽る」ことを「意味ない」って言っているのかな……。
しかしここでいう「偽って」っていうのも、シロップ一期で五十嵐さんがいろいろ無理をしていたことを指しているのでは……。
自身のない人ほど虚勢を張るとは言いますけど、五十嵐さんもいろいろハッタリかましたり、大変だったのでしょうねぇ。
エルトン・ジョンの自伝映画「ロケットマン」も、そんな話でしたね……。
映画のパンフレットで、エルトン本人が、「自分の正直に生きることの大切さに気付いた」ってなことを語っていました。
けれど、「無理をしていた」頃に作った曲が、金字塔として今でも聴かれ続けているというのはなかなかに辛い事実でもある気がしますが……。
勿論キャリア後期にも良い曲は多いのですけど、初期のアルバムのほうが僕は好きですね……。

“希望と絶望の upside down 戦況は常に one sided game 理想担って 今日も生きていくって”

叶わないだろうと半ば分かりつつも、「理想」「希望」を担って頑張って生きているんですね……。
つらいけれど、そんな五十嵐さんだからこそ、数々の傑作をモノにしたのだとも思います。

“待ち合わせた記憶の無い場所 鉢合わせするために街へ出る”

来ないバスを待っている老人の曲もありましたが、このアルバムは、「人と交流する」曲がめちゃくちゃ少ないな……。
なんとなく居場所のない人が、当てもなく家の外にいる時間を増やそうとする心理はよくあることですが、五十嵐さんもそういう人なんですかね。
飯食って漫画読んで家に帰る人。
しかし、「鉢合わせる」っていうのは、誰と鉢合わせようとするんだろう。
家で待っていてもやって来てくれない「君」となのでしょうかね。
悲しい話やで……。

“作っては壊される 積み木でも 無邪気な鼓動だけが 胸騒ぎ”

「積み木」っていうのは音楽の事かな……。
どれだけ作ってもメジャーデビューはできないけど、音楽を作っていると無邪気にドキドキできるって話?

“誰かが描いた 生き方選んだ 逃れ得ることは不可能だそうだ”

用意された「日常」を歩むか、尾崎豊の歌うような「自由」を求めてフリーターをやるか……選択肢って実はそんなに多くないんですよね。
五十嵐さんは、自分が選んだ道が、実はそんなに希少なものではないことも自覚してたんですね。
そりゃそうか……90年前後なんて、「バンドブーム」が起こってた頃ですもんね。
バンドマンなんて雨後の筍ぐらいウジャウジャいたか。
でも、日本からは「人々の価値観を大きく揺さぶるバンド」ってほとんどいなかっただろうけど、五十嵐さんが敬愛していたU2やスミス、ポリスなんかも、アーティストが自分の人生を変えながら、リスナーの価値観も変えてしまった存在ですね。
U2は、政治的な問題が熾烈化し、半ば内紛状態だったアイルランドを飛び出して、世界中で大きな支持を得る存在になりました。
スミスは、実家暮らしで仕事も長続きしなかった音楽オタク青年が、天才作曲家兼ギタリストと出会って、英国社会の病状を告発するようなシニカルな歌を次々に発表して国民的ミュージシャンになりました。
ポリスも、地元で音楽教師をやっていたスティングが、パンクムーブメントに乗じて登場し、アルバムをリリースするごとに先鋭的な音楽を追求するようになり、ポップミュージックを更新していきました。
五十嵐さんも、そういう存在になりたかったのかもしれないですね。
でも「日本」のバンドシーンじゃ、それは叶わない夢と諦めているのかも。

“凡庸であることを受け入れられずに まだ分からない 自分を”

これはグサッとくる言葉ですね……。
もちろん五十嵐さんが自分自身に向けている言葉なのでしょうけど、「今とは違う自分になれるかもしれない」「自分を誰かが発見してくれて、生き方を変えてくれるかもしれない」なんて夢想している人は多いのでは。
私はそういう人間です。
そう考えると、過去に作った曲をレコーディングしたという本作ですが、言葉の刃は五十嵐さん自身に向いているけど、『生活』や『手首』のように、リスナーに突き付けるような曲は少ない。
そういう曲のストックが無かったわけではないのでしょうけど、選曲しなかったってことなんですかね。
やっぱり五十嵐さん、丸くなりましたな……まるがらし。

“ひとは独りでも生きていける 絶望へ”

いや、中畑さんやキタダさんは付いてきてくれているやん……。
ほんとに、五十嵐さん、シロップの活動に付き合ってくれてる人に感謝しないといけないですよ。
あとレーベルのスタッフさんたち。
バンドが、自身の結束を歌にすると寒くなることが多いですけど、andymoriみたいに爽やかに自然にそれができる人たちもいるのだし、五十嵐さんもメンバーにありがとうの歌とか作ったほうが良いよ。
別にお涙頂戴しんみりバラードとかじゃなくていいし……。
中畑さんのこと、愛してるだろ……たかし。

9.ラズベリー

なんか声が面白い感じで録音されてる気がします。
ラズベリーは赤や紫色が多いので、「赤いカラス」と色は似ていそうな気がします。
赤好きやなぁ……。
後半はベースがすごく面白い弾き方になってますね。
ラズベリーの花言葉は「後悔」らしいので、多分その文脈でタイトルが付けられているはず……。

“隣で 壊せるように作ったりする 隣で 終われるように始めたりする”

前の曲で、「積み木」を壊すなんて歌詞もあったので、二曲続けて「壊す」歌ですね。
しかし何を作っているのかわかりません……。
音楽や、バンドのことなんですかね。
そしてなぜ「隣で」なんでしょう。
作ってるのも、五十嵐さんが作っているのか、隣で誰かが作っているのかわからないっす……。
まぁ、後の歌詞から推察するに五十嵐さんが「作ったり」しているのでしょうけれど……。

“色々閉ざして”

色々ってなんやねん……。
しかしこの曲だと、人間関係についての言葉は前向きなものがひとつもないので、人と関わろうとする心が閉じているってことですかね。

“隣で 同じ色に染まっていくのに 隣で 立ち込めるのは別世界”

マジで全然意味が分かんないです、ここ……。
同じ色に染まるというのは、「朱に交われば赤くなる」のような意味で、みんなが近しい属性を持つようになるということだと思うのですが……。
「染まっていく」だから、もともと同じなのではなく、近くにいることで「同じになっていく」という変化のことを歌っているのですけど……。
「立ち込めるのは別世界」ってなんなんだ……。
色は同じになっていくのに、世界は別って、どういうことや……。
右隣では自分と同じ色になっていっているのに、左隣では依然として別の世界と思えるような状態ということ?
それとも、どちらも同じ「隣」を指していて、自分も色は染まっていくけれども、やはり「別世界」と思える程、自分にとっての日常とはかけ離れている(ように思える)世界が存在しているという感覚なの?

“独りの中に 彷徨う君の思いが いつか誰かの 心へ届きますように”

五十嵐さん自身が、初カノに振られて未練で悶々としつつも新しい彼女を作らずにいたことを指しているんですかね……。
一人で生活する五十嵐さんの中で、君「への」思いが彷徨っている状態で曲を作りまうっていて、いつか誰かの心に届くように願っていた……ってことなのかなぁ。
謎。

“隣で 合わせるように笑ってみたり 隣で 見透かすような罠を張ってたり”

「見透かすような罠」を張られることを、五十嵐さんは嫌がりますよね……。
中学の頃(高校だったかな?)に、自分のずるいところを見透かしてくる先生がいた、と語っていた気がします。
で、シロップで活動するようになってからは、SNOOZER編集長の田中宗一郎さんに、「タナソーさんにはハッタリをかましても足元掬われちゃいそう(笑)」って語ってたりしましたね。
でも、そういう、自分のことを見透かす存在というのは、「虚勢を張る」という自分の稚拙な精神性からくる振舞いを止めてくれる存在として、信頼しているようにも思えます。
なんか僕も、「合わせるように笑う」って要するに愛想笑いのことだと思うんですけど、そういうのなかなかできないんですよ……。
愛想笑いをするっていうのは、周囲に同調しようという「社会性」からくるものだと思うんですけど、普通は「合わせるように笑う」のではなくて、みんなと同じ「笑いどころ」を自然に理解していて、自然に「笑う」わけじゃないですか。
「合わせるように笑ってみる」ということは、先天的なものではなくて、「みんなが笑うところでは笑わなきゃだめだ」ということを後天的に理解して、習得しようとしているってことですよね……?
自然に笑いが込み上げてこないなら笑う必要なんてありませんけど、日本って同調圧力が強い国だと思うので、共同体の一員とみなされるために「笑い」を合わせようと努めるということだと思うのです。
で、そういう後天的な努力を目ざとく見透かす人がいて、共同体を保持するために、共同体から外れかけている人を「いじって」笑いの的にする……ということも、社会の中ではよく見られますね。
この考察に、特にオチはないので、ここで終わりです……(笑)。

“ラズベリー 摘まんだりして 踊るわ 泣いたり笑ったりして 祈るわ”

ラズベリーってなんの象徴なんでしょうか……。
そのままで摘まんで食べやすい果物?
ちょっと酸味が強くてすっぱいから、甘いだけじゃないってこと?
謎……(笑)。
泣いたり笑ったり祈ったり踊ったり、というのは、五十嵐さんっぽいですけど……。
祈るんですね。
ラズベリーの花言葉は「後悔」(他にもあるみたいだけど)なので、後悔に踊らされたり、泣かされたり、笑わせられたり、祈らされたりしているんですね……。
なんか、後悔し続けることができるのも一つの才能ですね……。
新海誠さん、TAKUYA∞さん、山崎まさよしさんなど、後悔や未練をモチベーションに創作している作家さんも、どこかの段階で吹っ切れて前向きな作品を作るタイミングがあると思うのですが……五十嵐さんは、永久に吹っ切れずにいて、すごいっすね。
初恋の人のことを想い続けていても、自分が年を取るのと同様に、相手も歳をとっていくのだから、もう相手の方も中年ですぜ……? って思うのですが……。
まぁ、年を重ねていくと、いわゆるストライクゾーンも上がっていくことが多いので、「想い人の現在の姿」を見ても全然ストライク! バッチコーイ! という人もいるのでしょうけど。

10.開けられずじまいの心の窓から

言葉がシンプルで、わりとわかりやすい歌詞になっている気がします。

“開けられずじまいの心の窓 諦めた言葉が散らばって 新しい過去に導かれた記憶で過ごす”

リリースされずにお蔵入りになった曲や、そこに乗せた言葉のことを歌っているんですかね。
「新しい過去」っていうのは、自分達が時代の流れとは異なる音楽性を追求していたことを指しているのかなぁ。
インタヴューでも述懐していましたが、インディーズではメロコアやパワーポップが主流だったのに、自分たちは90年代初頭のアメリカのグランジや、70年末~80年代半ばのニューウェーブやポストパンクの音が好きだったわけですからね。

“招かれずじまいの心の窓 あなたの朝でそっと目覚めたい 曖昧に戸惑わせてきた週末を捨てる”

「あなたの朝で~」っていうのは、五十嵐さんっぽいですよね……。
「一緒に寝たい」とか「抱きしめたい」っていうのではなくて、「目覚めたい」っていうのは生活を共にしている感じが強調されるし、不眠気味の五十嵐さんにとっては、快眠できる状態になっているってことでしょうしね。
「あなた」の不在が不眠に原因になっているってニュアンスもあると思うし……。
「あなた」のことを「考え続ける」から不眠になっているのか、他様々な原因で不眠になっているけど、寝れない間に考えていることが「あなた」の事柄なだけなのか、どっちが先なのかはわからないですけどね……。
「週末」を捨てるっていうのも、ちょっと大人になろうとしている感じがしますね。
五十嵐さん「土曜日」「土曜日の午後」なんてワードが好きだったけど、同じくインディーズ期に作られた『夢みたい』では「明日の予定を 相談するの」なんて歌っていますね。
五十嵐さん一人では、明日の予定を決めることができないけど、「あなた」と一緒だったら相談して決めることができるよ、ってニュアンスなのかも。
五十嵐さんの歌う「明日」が「未来」と言い換えることができるのは指摘するまでもないでしょう。
そう考えると、この時期の五十嵐さんって、本当にすべての事象が「あなた」の不在によって決定づけられていると思い込んでいるんだな……すごい……。
いや、でも、私もそんな感覚で二十代半ばくらいまで過ごしていたかもしれない……。
嗚呼。

“I was longing for mad kindness ただどうしようもない格子で I was longing for mind’s holiday 窓越しの”

英語、よくわかんない……(笑)。
「I was longing for mad kindness」は、「マッド」はおかしいとか狂ってるとかって意味で、「カインドネス」は親切とかって意味だったはず……。
「私はおかしい親切心を待ち望んでいました」ってことになるんですかね……わかんないわぁ……。
五十嵐さんにみたいな人に親切にする人は、どこか「おかしい」って意味?謎。
「I was longing for mind’s holiday」は、「心を休めることができる日」ってことかな……?
であれば、ただの休日ではなく、本来の意味での「安息日」を待ちわびているってことなんでしょうか。
『土曜日』は安息日が訪れない……戦争の絶えないこの世界についての歌なのだと考察しましたが、やっぱり五十嵐さんは、「holiday」を、ただ仕事が休みになる人してではなく、「holyday」、聖なる日、安息日というニュアンスで歌っている気がします。
「格子」「窓越し」という言葉で飾られているということは、自分が囚われの身……どこにも行けずにいる人間だという認識もあったんですね。

“避けられた苦い思い出の跡 あえかなる声で聞きそびれて 朝露の陰に 不確かな痛みが咲いてる”

五十嵐さん、人から避けられたことがあるんですかね……。
僕は学生時代に、そういう経験はたくさんしましたけど、なんかつらいっすよね。
大人になると、人に嫌われても別にあんまり構わなくなりますけど、学生時代って、人間関係をどれだけ広く構築できるかで測られてしまうところがあるじゃないですか。
いや、みんながみんなそうなんじゃなくって、ウチの親がそういう風に教え込んでただけかもしれない……。
嫌な親だったなぁ……。

“伝え過ぎてる感情は殺して 見返りはない共依存ですら どうして ただ罵り合う ただ罵り合う ただの知り合い 永遠”

「伝え過ぎてる感情」は、シロップが歌うような生々しくて強い感情は売りにくいから、もっと伝わりやすくぬるく薄めた感情を曲にするようにアドバイスされてたってことですかね。
あるいは五十嵐さん自身が、もっと感情を殺して音楽を作ったほうが良いか迷ってたってことなのかな。
「ただ罵り合う」「ただの知り合い」って、あんまりいない気がするのですが……。
五十嵐さんの家庭はケンカってあんまりなかったのかな。
両親が「夫婦」ではなく、冷めた「共同生活者」なのを見てるのって辛いもんがありますよね。

11.4月のシャイボーイ

曲自体は明るいのに、歌の内容が暗い……ただただ暗い。
コーラスの部分で曲も暗くなりかけるところは面白いですね。

“未来 数秒前の 現在進行形 多分大丈夫って 幻想 毎分指定”

「毎分指定」は意味が分からないですけど、「多分大丈夫」は幻想なんですね……。
しかし四十代半ばまで、音楽だけで生計を立てているんだから、多分大丈夫なのでは五十嵐さん。

“破壊衝動 周到 構想三週目 無いものねだり 青春は会員制”

僕は「青春」って言葉ってクソだなって思っています!
しかし、五十嵐さん、いわゆる「スポーツで汗をかく青春」みたいなのに、あんまり憧れはなさそうですが……。
「会員制なんだな」と割り切って、自分とは縁のない世界だと思っていたんですかね。
学生時代に青春していなかった人が、大人になってから、青春のパロディみたいなことをやらかしているのを見ると「あちゃー……」って感じになったりしませんかね……?
いや、もちろん、「大人の楽しみ方」を心得ている人はたくさんいるけど、なんか学生時代にできなかったことを取り戻したがっている感が出ちゃう人っているじゃないですか……。
私、人生に置いて「青春」っぽい時間を過ごしたことはないのですが、「青春」にあんまり憧れが無いです……。
みなさんはいかがですか?

“I wanna see many more I can’t see anymore”

もっといろんなものを見たい、いろいろなものを見ることができない……という意味になるんでしょうか。
謎……。
「any more は副詞として、否定文で「もはや・・・ない」という意味で使われます」ということなので、何かを見たかったけどもう手遅れ、という状態なのかな。

英語表現 any more と anymore の違いと使い分け方

いろいろなものを見たいけど、「会員制の青春」は、青春時代にしか見ることができないものであって、この曲を書いている大人になってからでは「見ようと思っても見れない景色」がたくさんあったって意味なんですかね。

“なんもいいことがねえ”

なんもねぇことはねぇだろ!

“見えぬ同調圧と 焦燥 耐久戦 なけなしの 咆時 交渉 玉砕”

同調圧はホントに強いですよね、日本……学校であれ会社であれ……。
このセンテンスが具体的に何を指しているのかはわからないけど、学校生活の嫌なところがじっとりとにじみ出てくるような歌詞ですね……。

“螺旋階段 昇降 朦朧 三周目 笛吹かれたら 走 やっと終了で”

なんかいっぱい走らないといけないシチュエーションだったんですかね。
五十嵐さんが学生だった時代って、今よりも教師がクッソ厳しかった時代ですね。
遅刻してきそうな生徒を締め出すために校門を閉じた教師が、女性とを挟んで圧死させるという悲惨な事件があったり……。
それは行き過ぎた管理教育が生んだ悲劇だと言われていますが、その教師は、裁判が終わった後に、言い訳や、高速を順守させることの重要さを書き綴った本を発行していたり……。
不思議な時代です。

“なんもいいことがねえ そんな 4月のシャイボーイ”

4月は入学やクラス替えやある時期なので、このタイミングでの友だち作りに失敗すると、一年間所属するグループが固定されてしまいます。
五十嵐さんは社交的ではなく、クラスヒエラルキー上部の陽キャ達に混じっていくことができず、「嗚呼……俺は青春クラブの会員チケットをゲットし損ねてしまった」という気持ちを抱いていたってことなんじゃないですかね。
多分。
そんなたかしくんに待ち受けていたのは、『テイレベル』で歌われたような生活だったのでは。

12.変拍子

音楽用語で「変拍子」というものがありますね。
僕はこの概念を理解できていないので、詳しく語ることができないのですけど、西洋音楽に端を発するポップミュージックでは通常用いられない拍子のことを指す……はず……。
ヘンな音楽を志向するプログレでよく見られるもので、ピンクフロイドの『マネー』など有名なものではないでしょうか。

それを曲にタイトルにしているのは、みんなが取りやすいリズムに合わせられない自分を「変拍子」にたとえているのでは。
実際にアレンジも、変拍子を使われている気がします。(多分……)
しかしこの曲も、めっちゃくちゃ暗いですね。

“たまに考える 人並みの幸せ そういうもののために生きてみたり”

『イマジン』で歌われたような暮らしのことですかね……。
でも、平成末期から令和を迎えた今って、「素敵な家と犬」のある暮らしって、決して「人並み」ではない気がする。

“ほんとは考える 独りで死んでゆく 愛の魔法がダメになってゆくにあたり”

五十嵐さんにとって「魔法」って、好きな歌を聴いている間は胸の中が満たされるってことだと思っていましたけど、「愛の魔法」もあるんですね。
愛の魔法ってなんでしょう。
「愛しかないとか思っちゃうヤバイ」と思えた瞬間は、魔法にかかっているかと思うくらい幸せだったって話ですかね。
しかしそんな幸せな日々も今は遠く、孤独死が現実味を帯びているような暮らし……って話ですかね?
小沢健二さんが、活動のペースを落としていた時期にひっそりとリリースされた『恋しくて』という曲があるのですが、なんか、幸福な過去を回想する曲としては最上級の出来です。
ほんとにすげー。
「幸せな時は不思議な力に守られてるとも気づかずに けどもう一回と願うならばそれは複雑なあやとりのようで」

“冷めているのではなくて あきらめているのでもない 分かりあえた日々が 眩し過ぎて 見れないだけ”

なんかこれも、『さくら』と同じようなモチーフですね……。
この曲も『シロップ16g』以降か同時期に書かれたものなのではないかなぁ。
自虐の成分が薄まっているところからも、初期のシロップっぽくはない気がする。

“気づけば埋めている 時間を埋め続ける 良いことではないけれど 目を瞑れば過ぎる”

なにで時間を埋めているんでしょう……。
五十嵐さんがアクティヴに行動しているところは想像できないので、「予定を埋める」って意味合いではなさそう……。
ただ目を瞑って時間が過ぎるのを待っている、という意味なんですかね。
精神科に行くことも視野に入れた方がいい気がするけど……。
まぁ、印税収入で生活費を賄えているなら、別に、それでいいか。
不労所得バンザイ!

“そう 愛の匂いを覚えてるかい かりそめの そう 最後に名前を 呼んでくれ 手を振るよ”

「名前を呼んでくれ」って、『イマジネーション』と同じですね……。
やっぱり『シロップ16g』前後に作られた曲っぽいですね。
「かりそめの」「愛の匂い」って、互いに「愛」があるとは思っていないけどセックスしたか、片方は本気だけど片方は本気ではないのにセックスしたか……ってことなんじゃないですかね。
五十嵐さんの恋愛遍歴をさかのぼって考えると、五十嵐さんは本気だったのにあっさりと去って行った初めての彼女のことなのでは。
「覚えてるかい」っていうことは、五十嵐さんは覚えているけど、相手は覚えていなさそうってことだろうし。
「最後に名前を呼んでくれ」って、五十嵐さん、セックスの時に名前を呼んでもらうのが大好きな人なのかな……。
昔セックスした女性に、「名前を呼んでくれないとイケない」と言われたことがありましたね……。

“悩みごとはなくて 耽るほど 偉くもない 怠惰な魂と戯れては 眠る”

「怠惰な魂」と「戯れる」ってことは、誰か相手がいるんだろうけど……ダメな人が集まりそうなインターネットで交流を楽しんでいるってことかな。
なんJ民なのかな五十嵐さん……。

13.光なき窓

レモンヘッズとかアートスクールみたいな、ポップなグランジっぽいイントロがカッコ良い曲ですね。
裏で鳴っているギターの音色などは、インスト曲『Coup d’Tat』のようですね。
この辺は、ポスト・パンク~ニューウェーヴ期に異端的ギタリストとして活躍していたヴィノ・ライリーのプロジェクトであるドゥルッティ・コラムっぽいなぁと思います。

なんかもっと具体的に近い印象の曲もあったのですが、失念しています……。
インスト系のミュージシャンの曲名を覚えるのが、非常に苦手なのです……。
これはアルバム最終曲にあたるわけで、現行のシロップの最新曲でもある。
このアルバム自体、部屋の中から出てこない歌ばかりなのですが、「窓の外には光がある」という認識が出来ているので、それなりに前向きな締めくくりにするために最後のこの曲を置いたんですかね。
曲自体は陽性のヴァイブがある気がします。
いや、でも聴いてみると、窓の外にも光があるのかどうかは言及がないですね。
世界が闇に包まれているんか……?

“少年時代はスーパーマン I don’t know 高校自体 覚えてない”

「ヒーローショー」と同じようなニュアンスの言葉ですね。
誰でもスーパーマンごっことか、やりましたよね……。
僕の世代はドラゴンボールごっこでした。
いや、誰でもとは言ったものの、みんながみんなではないですよね……。
戦闘ものごっこ遊びにハマる人、もしかしたら夢見がちな人が多いのかもしれませんね……。
このアルバムでは高校時代のことをたくさん歌っていますが、ここでは「覚えてない」と歌う……ということは、前者は、高校時代の記憶がまだはっきりとしていた頃に作られた曲で、この曲はそんな時期を回想するようにして書かれたものなのでしょうか。

“後悔なんてしたくなくて あんまり相手にされなくて”

後悔、めっちゃしている気がしますが……。
これ以上、将来的に後悔することになりそうな事柄を増やしたくないから、あんまり行動しないことにしてるってことなんですかね。
「あんまり相手にされない」ってなんなんでしょう……昔は、自分が「いいこと」「人に喜ばれること」と思ってとった行動だったのに、相手にされなくってしょんぼりしたぜってことですかね。

“なりたいひとって言うなら I don’t know 叶えたいものって言うなら”

えー、カートコバーンとか、ジェフバックリィとか、宮台真司さんみたいになりたくないのかなぁ……。
まぁ、良くも悪くも自意識過剰な人って、「自分以外になりたくない」って言う気がする。
私もそういう人間だ……。

“そばにいてくれ そばにいてくれ ふらっと 隣に”

『パレード』『イマジネーション』と一緒で、そばにいてほしい、ふらっと部屋に寄って欲しい……って欲求が出ている感じがします。
五十嵐さん、部屋に人を呼びまくればいいのに……。

“当然なんてひとつもない I don’t know 愛されたいに理由は無い”

「愛されたい」は『ニセモノ』でもキーワードとして使われてましたね。
昔の五十嵐さんだったら「愛されたい」は本能」だとか言いそうですけど。
「当たり前に思ってた」というのも、『イマジネーション』と同じニュアンスだろうなぁ。
そう考えると、このアルバム、『イマジネーション』で使った言葉が繰り返し使われてるな。
実際にこの後、再び活動休止に入るわけだけど、制作している段階で二期シロップの最終作にすべく作ったのかもしれませんね。
しかし、ぶっちゃけ、二期は目立った活躍もなかったから、「最後」と言われてもあんまり感慨がないですね……。

“もう満ち足りた日々は遠くて 真っ直ぐ鏡も見れなくて”

かわいそうだなぁ……。
「満ち足りた日々」って、一期の活躍のことなのか、それとも『マウス・トゥ・マウス』で歌われたように夢を叶えたし、赤ちゃんを抱っこしてると「愛しかないとか思っちゃうヤバイ」って思えてた時代のことなのかな。
でも、五十嵐さん顔色悪いこと多いから、鏡を見てセルフチェックはしておく習慣付けたほうが良いで……。

“光なき窓”

フレーズを繰り返して曲は終わります。
楽曲はミニマルと言うか、演奏自体はほぼ平穏のままテンションが変わらず、歌声だけが高まっていく感じ。
昔の、好きだった頃のシロップだったら、演奏自体もグワーッと盛り上がっていく構成に仕上げそうですが……まぁ、これが今のシロップの方法論なのでしょう。
ケチはつけますまい。
いや、嘘です……ケチつけたいです……。
でも、五十嵐さんが「これでいい」と思ってやっているなら、この曲にかんしてさらなる盛り上がりを作らせようなんて思うべきではないんですよね。
曲にはあるべき形があるわけで……盛り上がるように作るべき曲の種が、今の五十嵐さんの中にはないということなのだから。
それはしょうがないっすよ。
だからこそ、いくつになってもすごい作品を作る人が「天才」と言われるわけですからね。
しかしこのアルバムは『光のような』で始まり『光なき窓』で終わる。
犬で初披露した『光のような』は、五十嵐さん自身も、ライブを目撃した鹿野淳さんも絶賛していた曲で、新たな始まりを予感させるものだったと言います。
けれどそれが結局、音源を完成させられないままに解散してしまった。
そこには五十嵐さん以外の人の思惑も入っていたのだろうけど、そのことで自信を喪失してしまったまま無為に数年間を過ごしてしまった……という自分にケジメを付けるために、このアルバムを「感じたはずの光を、掴むことができなかった」というニュアンスになるような構成にしたんじゃないかと思いました。

シロップ全曲解説、終わりです。
エレファントカシマシのトリビュートアルバムに楽曲を提供していた気がするのですが、Spotifyには上がっていないので、割愛となります。
実は、初めて付き合った女の子が、そのアルバムをCD-Rに焼いてくれたんです。
そのCD-Rは今でも部屋にあるんです。
それを聴いて、考察すれば、シロップ全録音の解説は完全に達成することができますが……そのCD-Rのタイトル欄? には、その子が収録曲を手書きでリストアップしてくれているんです。
初めて付き合った女の子の文字を目にするなんて……今の僕には、耐えられそうにありません……。
嗚呼……そう考えると、好きな女の子の直筆の文字って、いいですね……。
文字でなくても、絵とかでも……。
つらい……。

そんなわけで、楽曲の解説は終わりです。
この後に、解説を書き始めてから抱いたシロップへの想いやらなんやらを書くエントリを一回分用意します。
長かった。
パッパパッパと書き終えてしまうべきでしたね。
10月に始まるツアーで、シロップは再始動となるわけですけど、新曲がリリースされても、こういう考察みたいなブログはもう書きません。
よっぽど良かったら感想は書きたくなるだろうけど……私はもう、シロップの新曲を聴きたくならないと思います。

 - Syrup16g, 音楽

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