てやんでい!!こちとら湘南ボーイでい!!

映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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【syrup16g全曲の考察と感想】darc

   

『darc』アルバム。2016年11月16日リリース。

アルバム発売の経緯は公式サイトに詳しく書かれているのでそのまま引用します。

ほんとに突然ですが、syrup16gの8曲入りニューアルバムが完成しました。
なんの前触れもなくてすみません。
2016年冬のツアー『HAIKAI』に向けて、新曲を何曲か作ろうかなと軽い気持ちで スタジオに入ったら、制作意欲と衝動が溢れ出し、 結果的に8曲入りのアルバムを完成させることになりました。
今作の最大の特徴は生々しさと深度。
エンジニアにsyrup16gの最初期を知る渡辺修一をむかえて、 ファーストアルバムの『COPY』を今、作ろうという気持ちで作ったと言います。
今作も演奏陣は3人だけです。使用楽器はギター、ベース、ドラムスのみ。
ベーシック部分はダイナミックな一発録り。
ギリギリのスリーピースの限界に挑みつつ、さらに豊かなアンサンブルを求めた結果が詰まっています。
短期間に次々と生まれてきた8曲は、バラエティに富み、ソングライター五十嵐隆の奥深さを感じさせます。
歌詞は、暗喩とダブルミーニング、踏韻が、いつにも増して異常な切り口で迫って来ます。
不条理、後悔、孤立、最果て、そんな先にあるかないかの希望を歌って、こちらも五十嵐節満載です。
36分のこのアルバムは中毒性の高いアルバムです。
8曲に通底するテーマが、再生が終わるたびにまたスタートボタンを押させます。
ツアー『HAIKAI』に参加される方は必携、されない方も長い冬のお供に。

蛇足:最後に収録されている「Rookie Yankee」は全ての収録曲が決まって、 既にレコーディングが進んでいる途中で新たに生み出された曲です。
突然増えた収録曲に対応するため、スケジュールをやりくりして、滑り込みでなんとか収録できた曲ですが、 この曲がこのアルバムの全てを言い表しているような気がします。

なんか、「こういうアルバムなので、こういう人は買ってください!」的なマーケティング的なわざとらしさのない、誠意のこもった言葉で語られていて、ステキですね。
いいことですよこれは。

ジャケットは透明な水鉄砲。
本物の拳銃じゃないところがシロップっぽいですね。

個人的な話としては、このアルバムが出た頃などはマジでシロップの情報を得ようとしていなかったし、そもそも日本のミュージシャンの新譜情報を得るような動きをしていなかったので、いつの間にかリリースされていた印象だった。
後に、アルバムが出ていることを知った時も、「頑張ってるっすね、五十嵐さん」と思った程度。
買おうとは思わなかった。全然。
「ダーク」ってタイトルも、中二病感がすごくてむせ返りそうだった。
四十を過ぎて幼児退行的に中二返りを起こしたのか!? と思いました。

今回聴いてみて、新機軸っぽい新機軸は特にないけれど、別に悪くないという印象を持った。

1.Cassis soda & Honeymoon

なんでカシスソーダと新婚旅行なんですかね……?
五十嵐さん新婚旅行行ったのかな……いや、結婚していた前提で考えるのもどうかと思うのですが。
ところで旅行と言うと、シロップ史的にはハワイかバリ島を思い浮かべますが、どちらもこの曲には入っていません。
カシスソーダという甘いお酒も、五十嵐さんのイメージにはあんまりしっくりこない。
五十嵐さんはバーボンを飲むか、鬼殺しを飲むかどちらかだと思います。

“戦争してる君の目に 何を歌う 言葉は無い”

『翌日』と同じようなモチーフですね。
本作では『コピー』をもう一度作ろうという意図があったそうだし、歌の内容でも共通点は多いのかもしれません。
ただ、これまでは「戦争」「戦場」に過ごす人が描かれる時は悲劇的な(しかし実感を伴わない≒どこか傍観者の視点から歌われる)描き方が多かったけど、ここでは「戦争してる」とあるように、「君」が積極的に参戦しているようにも取れるニュアンスになっている。
解散前には、石原慎太郎や小林よしのり等右寄りの思想に傾倒していた五十嵐さんだけど、00年代後半から日本が急激に右傾化していく流れについていけていない部分があるのかもしれないですね。
五十嵐さん自身の思想は変わっていないとしても、周りがガガーッと右に寄っていってしまったから、そこへ向けて歌っているのでは。
でも、「言葉は無い」とは言わず、一曲ぐらい作って欲しいけどな。
今の日本で、社会に何も違和感を持っていない人なんていないと思うし……。
まぁ、否定的な言葉は打ち出さないのは五十嵐さんの良さではあると思うんですけどね。
いや、「何を歌う」って考えてみたけど、「何も言えねぇずら」という結論に至ったんですかね。

“体操してる老いぼれに”

年金もらいながらいくつ迄生きるんだ? って疑問なんですかね。
老いぼれって言葉を使うからには、良い意味で歌われているわけじゃないと思うんですけど。
でも、僕、祖母が認知症+足腰が弱っていて車いすで生活しているんですけど、年をとっても健康でいるってすごく大事なことだなって思いますよ。
五十嵐さん、お父さんを亡くされているけど、お母さんはどうしているんだろう。
けれど、『ハート』発売時に五十嵐さんと中畑さんが喋った動画がニコニコに残っているんですけど、そこで、40歳を超えて体調の変化が現れだしたって話をしてましたけどね……(笑)。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm24376786

“性能こそはそれぞれに 一長一短 あるからさ”

ああ、ここまで歌った部分は、「人それぞれの個性」だって話をしているのか。
とはいえ、人が集団で生きていく上の秩序から出てしまう個性を許容することってできないとも思うんですけどね。
しかしこうして、人の能力を「性能」と言えてしまうあたり、かなりドライ……というか、五十嵐さんが嫌っていた、「人を生産性で判断する社会システム」のような視点にも通じる気が。

“白昼 素性 詳らく 素養が無い 仕方がない”

「素養」って受け入れ方はいいですよね。
「普通はできるでしょ」と言われることでも、それをできる素養が無いなら本当にできないですからね。
素性詳らくって言葉は意味がわからないですね……。
自分の素性を詳らかに明かすってことができないってことですかね。
「リアル」ではあるけど、自分のことを包み隠さずに曲にしたり、公開することができないよって意味ですかね。

“and she said Your Lights goes down,going down”

なんか、「彼女」からの言葉ってけっこう久しぶりな気がします。
「あなたの光は落ちた、落ちていった」みたいな意味になりますかね。
嫌な事言う「she」やで。
関係ないのですけど、(今はどうかわからないけど)浅野いにおさんの作品ですごく嫌なのって、みんなが、すごく嫌な言葉を言いまくるじゃないですか。
そんなに嫌な事ばっかり考えてる人いないよって思うんですけど……今でもホントに苦手です。
日本に救うレイシズムの一形態だと思ってます。

“反省 惰性 途切れ無く”

反省はいつも自動的にしちゃってるぜ、と豪語していましたが、ここではもう受け入れざるを得ない本性として、諦めまじりで歌われている気がします。

“メメントモらず 静粛に 誠実に”

メメント・モリというのはラテン語で「いつか死ぬことを忘れるな」って意味ですよね……転じて、「だから今を精一杯生きろ」ってこと。
何度か書いているような気がしますが。
それを動詞にして、そうはしないと……つまり、「今を精一杯生きない」と言っているのでは。
全力で走るのをやめた人ですからね、五十嵐さん。
そうなると「惰性」というのが今の五十嵐さんの自己分析の結果なんでしょうね。
でも「誠実」でもあるなら、まぁよいのではないでしょうか。

“メメントもらず 受け入れる スケベな内に”

スケベって、なんでしょうか……。
三十代に突入したばかりの時に「最近性欲ないし」と言っていた五十嵐さんですが、四十代の大台になってからはどうなんでしょうか。
「スケベな内に」ってことは、いずれそのスケベさが失せてしまうことを予期しているはず。
スケベな内に受け入れるってなんなの……アプローチを掛けてくる女性を受け入れるってことですかね。
わかんない……。
うーん、無理矢理ストーリーを作るなら、スケベな内であれば女性と関係を構築していく動機(性欲)があるから、そういう衝動を抱えている内に相手のことを受け入れていこうって意味になるかなぁ。謎。

“受け入れる 振り”

ここでも、「振り」ですね……五十嵐さんは、本心と、行動とが乖離していることが本当に多いっすね。

“愛憎は泥酔の海 クラゲみたい それじゃ不満”

『To be honner』でも愛と憎しみについて歌われましたが、ここでも登場。
この頃の五十嵐さんの中での大きな関心に「愛憎」があるんでしょうね。
しかし、カシスソーダで泥酔するとしたらだいぶ飲まないといけないですよね……。
クラゲって何なんですか……(笑)。
どこかへざばばーって泳いでいくのではなく、たゆたうように泳ぐ……浮遊しているような状況なんでしょうか。
どこかへ突き進んでいる状態ではないってこと?
「それじゃ不満」っていうことは、どこか目標を決めて進んでいくべきなのに、ふよふよ浮いている……宙ぶらりんになっている自分にも不満があるってことなんでしょうか。
クラゲは「海月」で、ハネムーンは直訳すると「蜜月」なので、「月」繋がりでクラゲを出しているんですかね。
しかしそれにしてもあんまり意味が分からない……(笑)。

“大西洋は挟まずに 連れてきたい それじゃ不満”

どういうことやねん……。
日本は大西洋に面していないので、あんまり意識されることのない海域ですが……
「それじゃ不満」ってことは、大西洋を渡りたくないって「彼女」が言ったのかな。

“カシスソーダとハネムーン”

いやもう本当に分かんないです……。
ハネムーン先でカシスソーダを飲んで楽しかったっす、って思い出?
カシスのリキュールにはシロップが入ることが多いので、「シロップ16g」とかけているんでしょうか……謎……。
もしそうなら、「カシスソーダ≒シロップ」、「ハネムーン≒新婚旅行≒ライブツアー」ってことになるんですかね。
ライブ前に新曲を作るためにスタジオ入りしたという話や、『コピー』を作り直す意気込みってことを考えると、それもありそうな気はしますけど……。

2.Deathparade

荒々しいギターがギャンギャン鳴っている曲。
『ディレイデッド』に収録されてても違和感がなさそうな元気な曲なので、ここも『コピー』回帰の意気込みを感じないこともないです。
ギターの音、どこかで聴いたことがあるような気もするのですが、錯覚かもしれません。
年を取ると、記憶の中にあるのか、ないのか、それが定かではなくなってしまうことがあります。
怖いですよ。老い。
デフレパードというハードロックバンドがいますが、この曲の曲調は、デフレパードと近いでしょうか?
私はデフレパードは三回くらいしか聴いたことが無いので判別できません……。

“Somebody kills me そんないないね なんて安穏は 一瞬で廃れた”

「殺そうとしてくる誰か」なんていない、っていう平穏が何故か廃れてしまったってシチュエーション……戦争が始まったとか、法が機能しなくなって秩序が崩壊してしまったって状況なのでしょうか。
そんなことにはなかなかならない気がしますが……。
でもこういう、我々が住んでいる「平和な暮らし」が成り立つ基盤を疑ってみせるというところも、『コピー』的。
コピーのコピーって考えてみると面白いですね。
現象としては面白いけど、作品として面白くなっているかどうかは別ですが……(笑)。
ところでここで繰り返されるSomebody kills meというフレーズですが、ジャズシンガーのクイーン的存在のエラ・フィッツジェラルドの曲に『Somebody loves me』というものがあり、現在に至るまで歌い継がれています。

また、『ウエディング・シンガー』という1997年の映画で主演のアダム・サンドラーが、劇中で『somebody kill me please』というグランジ?っぽいオリジナル曲を歌うシーンがあります。
アダム・サンドラーって役者のとしての評価がブレる……というか本人が出演する作品に軸がなくって、超低評価コメディに出たかと思ったら、ポール・トーマス・アンダーソンやノア・バームバックが手掛ける芸術的要素の強い作品にも出たりするという……なんかヘンな役者です。
↓はこの曲と曲調も似ていないし、五十嵐さんが映画を観ているかどうかわかんないですが、まぁ一応。

とは言え、ポール・トーマス・アンダーソンって、レディオヘッドの大ファンで、熱烈なアプローチの末にレディオヘッドのギターとか諸々を担当するジョニー・グリーンウッドが劇伴を手掛けるようになるので、五十嵐さん的がポール・トーマス・アンダーソンの存在を知らないということはないはず。
SNOOZER誌がレディオヘッドのヨーロッパツアーをレポートする記事で、ポール・トーマス・アンダーソンがレディオヘッドの公演を何度も観に来て、打ち上げにまで紛れ込む様が書かれていたし……。
これまた脱線だけれど、ポール・トーマス・アンダーソンって、「父親のいない主人公が、父親のような頼れる男と出会って成長して、しかし別れていく」というお話ばかり作っている。
それは彼自身が、実の父親と共に生活した期間が短いことに由来する作家性なのだろうと思うのだけど、「父性の欠落」ってテーマは五十嵐さんとも共通する部分。
五十嵐さん、たぶん、ポール・トーマス・アンダーソンのこと好きなんじゃないかなと思うのですが……。
僕は大好きです……『ザ・マスター』が一番好きかな……。

“Somebody kills me “存在しないで” 10階の窓から 樹海の中に“

殺意を向けてくる人が「存在しないで」って思っているんですかね。
「消えてくれ」ってニュアンス? 怖いわぁ。
10階建て建物の窓の向こうが樹海ってどんなシチュエーションですか?
まぁ押韻のために並べられた言葉だとは思いますが……。
ビルの10階の窓から落ちたら死ぬし、樹海というのも自殺の名所なので、自分に殺意を抱く人からの接触を受けて、自殺を選びそうになっている人の心境を歌っているんですかね。
なんかこの曲で歌われるシチュエーションを「戦争」のようなものだと思っていたけど、あくまでも「me」となっているので、曲の主人公が不特定多数の人に殺されそうになっているのかも。
『リアル鬼ごっこ』みたいに、ある日突然五十嵐さんが標的に選ばれちゃったのかもしれないですね。
あるいは、深読みすると、表現が規制されるような世の中になってしまい、シロップみたいな社会を批判するような歌詞は「存在しないで」と言われるようになってしまった、って話なのかも。

“So many death 沿う 運命にです Deathparade” 

ここのところは押韻が上手くいってて気持ちいいですね。素敵。
でも、死が運命なのはわかるけど、「存在しないで」と言われてしまうことは運命ではないと思う……この曲の意図するところが、わからん。

“向き合おうって 言われたって 全滅だから もう焼け野原”

「現実と向き合う」のか「私と向き合って」ってことなのかわからん……。
でも、「全滅」「焼け野原」ってことは、killの対象は五十嵐さんだけではなくて、もっとたくさんの人々だったんですね。
やっぱり戦場の歌なんでしょうか……。
「焼け野原」は、辺りに誰もいない・全滅している……という意味では「辺境」でもあって、そうなるとシロップでは「俺らみたいなバンドが他に全然いない……」という孤独感を歌う一連の流れに連なるものなのかもしれないですね。
全滅・焼け野原ってことは、音楽業界や、いわゆる「鬱ロック」的な存在が沈没していっている様なのかもしれないですね。
考えてみると10年代半ばからシティポップが持てはやされましたね……そのくくりは全然具体的なものではないけれど、都会っぽくてあか抜けてて、ナイトライフを謳歌してて、みたいな歌ですかね。
あんまりちゃんと聴いてこなかったものなので、なんとも言えないっすけど。
3.11の自粛ムードの反動なのか、なんかやたらとアッパーな音楽が聴かれていた印象。
アッパーと言っても早い曲は少なくて「グルーヴィ」さが求められてた気がする。
たしかに、下北ロックは焼け野原だわ……。
バンプはスタジアムロックになってしまったし、銀杏ボーイズは活動を潜めていたし(あとシアトリカル過ぎるので五十嵐さん好みではなさそう……私の偏見ですか?)。

“立ち上がって 這い上がって 見当外れで ふれ腐れる”

頑張って活動再開したけど、何かしら「見当はずれ」だったんですかね。
あとあと出てくる“これじゃない感”と同じ意味で歌われてるんじゃないかなぁ……。
五十嵐さんがどんな想いで活動を再開し、どんなリアクションを求めていて、結果的にはどうなったのか、何もわからないです……インタヴュー読んだうえで書くべきでしたよね、これ……。
まぁ、その内、近所の大学の図書館とかに行って、ロック雑誌のバックナンバーとか読み漁ってきます。

“怒りは夜勤の痕に繕う羽 不条理と刺し違えても 容易く消えたアイロニー 聞こえる 生きとし生きられぬ声を”

容易く消えた……って、自分が作ってきた曲を否定してしまうような言葉ですね。
いや、曲を否定されるというよりは、曲自体は肯定したい気持ちがありつつも、そこに込められたアイロニーはリスナーに伝わってなかったって言う諦念があるのか。
「生きとし生きるすべてのもの」というのはキリスト教でよく使われる言葉ですね。
そこを裏返して使うのは五十嵐さんらしい皮肉……。
そんな声が聞こえるから、聞こえてきたまま歌っていたってことなんですかね。
シロップの在り方をよく表している言葉だとは思います。
ただしかし、そんなに面白くは感じられない……。
不条理と刺し違えるというのも『コピー』から『マウス・トゥ・マウス』までのシロップの姿勢そのものですが、結局はアイロニーは消えてしまったんですね。
五十嵐さんがシロップの活動で目論んでいたことが「失敗」だったという認識は、ここでも続いているようです。
シロップっぽいバンドはうじゃうじゃと湧き出てきたけど、シロップが歌っていたことをちゃんと引き継いでるバンドっていなかったですもんね。
シロップは好きだけど、シロップリスペクトを表明しているバンドで良かったものってほとんどないです……僕……(笑)。

“安住の地では無い 何処かの街で”

安住できないってことは、安全ではなく、敵に見つかる前に次の街へ旅立たねばならないのでしょうか。
いや、でも、音楽性って意味では、あんまり変化してないから、「自分のルーツ」に安住してしまっているのでは? と思います……。
僕、いじわるなこと言ってますかね?
ごめんね五十嵐さん……。
でも、良くも悪くもU2はずっと音楽性を変化させ続けているじゃないですか。
この曲のこのセンテンスなんてU2のことを指しているようにも思います。

3.I’ll be there

ジャクソン5の同名曲を思い起こすな、と言う方が無理な話ですね。

お若い方のために説明すると、ジャクソン5はマイケル・ジャクソン擁するジャクソン兄弟によるバンド。
なんとこの曲でソウルフルな歌唱を聴かせたマイケルは、この時まだ小学生の年齢。信じらんないですよね。天才とはこういう人のことを言う。
曲の内容は、「僕がそばにいるよ」的なメッセージです。
もし聴いたことのない人がいたら、ぜひ聴いて欲しい……曲のアレンジを含めて超一流。
永遠に残るポップ・ソング・スタンダードです。

ところで話はそれるのですが、シロップの解散後……時期的には犬が吠えるも解散した頃のこと、2009年の6月にマイケル・ジャクソンは急逝します。
五十嵐さんは昔からマイケル・ジャクソンの音楽に親しんできたそうなので、彼の死にはこたえるものがあったのでは……。
同年には、彼の生前のライブステージのリハーサルを撮影したドキュメント映画が公開されましたが、五十嵐さんは観たでしょうか。
映画は、彼のステージのオーディションに合格したばかりのバックダンサーたちのインタヴューで始まるのですが、これがほんとに泣けます……。
喜びのあまり、みんな感動の涙を流しているんですよ。
人が感動の涙を流してるところなんて、なかなか見れないじゃないですか……。
ある青年は「オーディションのことを2日前に聴いて、飛行機に飛び乗ったんだ」と語ります。

インタヴューの締めくくりが、これまた青年なのですが、もう涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃなんですよ。
でも慎重に言葉を選びながら「人生ってつらいだろ。前向きになれるものを探していたんだ。人生に意味を見つけたかった。信じられる何かを。それがこれだよ(This is it)」と公演名を呟きます。完璧な構成や……。
マイケルのことをご存知ないかた、晩年のゴシップニュースを提供し続けたお騒がせの元スターのイメージしかないかた……ぜひ、彼の残した音楽やパフォーマンス映像にふれてみてください。
マイケルを「神」と崇める人が多い理由の一端を知ることができるかも。
ベルリンの壁崩壊・冷戦体制が終焉を迎えた理由は、西側諸国にマイケル・ジャクソンの熱狂が伝わったからだとすら言われてます。マジらしいですよ、これ(笑)。もちろん要因のひとつでしかないでしょうけど……。

実際の歌の内容に触れます(笑)。
マイケルの曲はマジで聴いて欲しいっす。
とりあえずジャクソン5のベスト盤や、マイケルの1st『か『スリラー』から聴いてみるとよいのではないかと。

誰かは分からないけど、今はそばにいない「君」にあてた歌。
次の曲が「父の日」であることから、今は亡きお父さんへの思いを歌ったのでしょうか。
シロップファンに向けていると思しきセンテンスも見受けられます。
あるいは元妻か元カノか……。
それか、シロップリスナーに向けた思いなのかな。
再結成後の『ハート』はランキングでは自己最高位の8位に食い込んだとはいえ、2008年からCDの売り上げは落ち続けているので、販売枚数的には芳しくないはず……。
「思ったより売れなかったっすわ……」というのは落ち込みはあったのかもしれないですよね。
アルバムリリース前に発売していたチケットは、軒並み完売だったんだろうけどね……。
そう考えると、『ハート』にある、『クーデター』もかくやと思わせるようなテンションは、「俺実は人気者なんじゃね?」という思い込みから生まれていたのかもしれませんね。

“痛みが終われば 悲しくなれる”

「悲しくなれる」って、なりたいって気持ちがあったってことですよねぇ……悲しみに依存している感じ。

“希望のつぼみが 枯れないように”

つぼみのままで枯らさずにいたいっていうのは、モラトリアム的ですよね……五十嵐さん、四十超えてこの感性を維持しているのはすごいよ。
まぁ、枯れてしまった桜の花をかき集めるようなみじめな真似をするくらいなら、つぼみのままでも枯れずにいて欲しいって願いなんですかね。
五十嵐さん、花を使うたとえが激烈にうまいな。

“生き急いでるような景色を 選んでみせたかったけど 君が側にいないのを 誤魔化して来ただけなんだよ”

ココなんですよねぇ……。
お父さんに向けてるとも、ファンに向けてるとも、元カノに向けてるとも取れる……。
けど、「側にいないのを誤魔化して来た」ってところは、デビュー前の元カノのことか、もしくは『HELL-SEE』で歌われた女性の事っぽいですよね……。
お父さんには会いに行けばいいわけだし……まぁ、会いに行けない事情があったのだったり、会いに行くのがこっぱずかしかったりするのかもしれませんが。
いずれにせよおそらく、シロップ第一期の猛烈リリース攻勢は「君が側にいないのを」「誤魔化す為に「生き急いでいるような景色を選んで」いたってことですよね。
泣ける……。
そういえば、『ヘルシー』の頃のインタヴューでも、絶え間なくスタジオに入って仕事をしまくっている理由として、「(ファンに)めちゃくちゃ頑張っているところを見せたい」的な事を話していたので、そういう意味なんだろうなぁやっぱり。

“痛みが終われば 優しくなれる”

これはわかります……。
そう考えるとシロップの一期は(特に『ヘルシー』は)、痛みをそのまま曝け出しながら、それでも優しくなろうとする過程を描いていた気がします。
アルバム一枚ごとに違う痛みをさらけ出していた感じ。
でも『ヘルシー』が一番強烈ですよねぇ。

“孤独の匂いが 褪せないように”

どんだけ孤独好きやねん。
孤独に依存しているな。

“他人の振り その他と変わりない 気分に 同意が少ない”

「同意が少ない」って言い回し、面白すぎませんか……?
自分のことを否定ばっかりな人間だと思っているのかな。
でも自分を否定することばかり歌っている気がする……と思ったけど、自分のことを考えている時間が長いから、自然と、歌う内容も自分の事ばかりになって、いきおい「同意が少ない」内容になりがちなんでしょうかね。

楽曲は「I’ll be there」を繰り返して終わっていきますが、『イマジネーション』とかでも歌われていたように、実際に五十嵐さんが「そこ」にいるのではなくて、自分の作った曲を聴いてくれれば五十嵐さんがそこにいるようなものだって歌っているのではないでしょうか。
それはリスナーに対してもそうだろうし、元カノや元妻や元吐く血の女に自分の曲を聴いて欲しいという願いもあるのでは。
あるいは、お父さんに対してなのであれば、いつか自分も天に召される時がくるから、その時はそこへ行くよ、と歌っているのかも。
でも五十嵐さんの中では、お父さんは天国に行っているっぽいけれど、五十嵐さんは天国へ行けるのだろうか……五十嵐さんは悪いことあんまりしなさそうだけど、五十嵐さん自身は自分のことを罪深き人だと思っていそう。
みんなで、五十嵐さんが天国へ行けるように祈りましょう!
そういえば、キリスト教では自殺って禁止されてるんじゃないかな……。
今、軽くググってみたけど、キリスト教に置いて自殺は重大な罪のようです。(だいたいの宗教でそうなっているだろうけど)
自殺してしまったら天国へはいけないだろうから、お父さんにも会えなくなっちゃいますね……五十嵐さん、さすがにもう自殺なんかしないだろうけど、天国に行けるように善行を積みましょう!

4.Father’s Day

鎮魂歌っぽい歌ですね……。
四十を超えたロックバンドボーカルが「父の日」で曲を書くというのも、珍しくて面白いですね。
ギターの音が左右に振り分けられているのも面白い。
『クランケ』以降のシロップって、3ピースバンドでロックを作ることを探求していると思うので、面白いサウンドプロダクションになってるなーと思います。
第一期の「売れねば……」という強迫観念と闘うような実験とはまた違う、職人気質の芽生えを感じます。
ただ、正直、何度も聴きたくなるような興奮は覚えないです……僕は……。

“日向に咲いた 白い花 風の振り子に 揺れていた”

「父の日」を提唱したのはアメリカのドット夫人なのだそうですが、もともと「母の日」があったので、それにならってお父さんにも感謝を示すために「白いバラ」を送ったのだそうです。
ウィキペディアを見てみると、起源について詳しく書かれていますが、提唱者のドット夫人は教会の牧師の協力を得たりしているので、「父の日」はキリスト教色の強いイベントと言えますね。
なので、ここで歌われる「白い花」はバラなのではないでしょうか……。
『HELPLESS』のところでも書きましたが、おそらく五十嵐さんのお父さんはキリスト教徒であったことが考えられます。

“で 一年振りのFather’s Day”

父の日律義に思い出す素晴らしい男やな、五十嵐さん。

“標 緑に辿るには 心もとない 遠き声”

『きこえるかい』みたいですね。

“UFOと人魚を描いて どういう世界観だって笑って”

ここのところ、よくわからないんですけど……(笑)。
ただ、五十嵐さんのお父さんは画家を目指していたけど、郵便局で働いて家族を養っていたのだそうです。
当時の郵便局と言えば公務員なので、お堅い仕事。
で、郵便局の職員絵画コンテストみたいなのがあって、そこで五十嵐パパさんは賞をもらい、家族でそのコンクールの展示会を観に行った記憶を語ってたことがあるんですね。
なので、UFOと人魚っていうのは、パパが描いた絵の事なのでは……。
あるいは、五十嵐さんが描いた絵にパパが突っ込みを入れてるとか。
そう考えると、シロップの曲に「宇宙」という地球外が出てくるのは、そういう五十嵐さんの原体験に由来しているのかもしれないですね。

“歩むスピードはもう決して 等しくならないと悟って”

パパがこの世を去ったことを言っているのか、五十嵐さんがシロップの活動をバリバリ頑張っていた頃には、すでにお父さんが定年を迎えて隠居生活に入っているとか……そういうことを歌っているんですかね。
なんか、親が老いていくのを見るのって、それなりにつらいですよね。
定年を迎えて穏やかな老後生活を送るのって、いいことでもあるんでしょうけど、なんか……複雑な気持ち……。
なんか、ロックバンドでもなんでも、アルバムを聴いていると、親と過ごして安心してますみたいな歌が入っていることがあるじゃないですか。
僕は親と仲が良くなくて……というか修復不可能なレベルで家庭がぶっ壊れているので、普通の親子関係を築けている人の感覚から出てくる言葉に共感できないんですよね。
嫉妬とか羨望もないんですけど、「あぁ、それが普通の感覚だよなぁ」と。
岡村靖幸さんがいろんな人と対談する連載で、藤井フミヤさんと対談していたんですね。
で、藤井さんは「親と仲の良い子は優しい子よ」って言っていて……頷く思いだったのですが、岡村靖幸さんも親との関係はめちゃくちゃ険悪らしいので、その岡村さん相手にその発言が出るのはデリカシーがねぇなって思いました(笑)。(岡村さんとお父さんの関係については、岡村さんの裁判に証言者としてお父さんが出廷した様がレポートされています……泣ける……)

5.Find the answer

“正論なんて諭んないで”“真理なんてでたらめ”なんて歌っていた人が、「答えを見つける」なんてタイトルの曲ですよ。
まぁ、多分、見つかるようなものじゃないってことをわかりつつこのタイトルにしたのだと思うのですが……『夢』『希望』と同じで、タイトルでフェイクを入れているんじゃないかなぁ(笑)。
「これが答えだ」と思えたものでも、時間が経つと「やっぱり違うんじゃないか」と思ってしまったりしますからね。
特に人間関係なんてどんどん移ろっていきますもの。
“愛しかないとか思っちゃう”ような瞬間を歌った『Your eyes closed』のあとに、『さくら』を作ったみたいに。
それに人生っていつでも問題は起きうるわけで、一つの答えを見つけたと思っても、また他の問題の答えを見つけなければいけないじゃないですか。
……僕がネガティヴすぎるだけ?

“許されない手段で 救われようとした”

なんなんだろうこれ。
『I’ll be there』の流れで考えると、「自殺」がキリスト教では重罪にあたる=許されない手段だという取り方もできますね。
あとは『ヘルシー』期の邪推で考えると、女性と離別した傷を別の女性と関係を持つことで癒そうとしたとか。
デビュー前の彼女に振られた傷を、彼女のことや想いを曲にして発露することで「救い」を得ようとしたとか、まぁいろいろ考えられますね……。
しかし「救われようとした」という言い方になっているからには、結果的に救われることはできなかったってことなのでしょうね。
五十嵐さんがあんまり救われてなさそうなのは、誰の目にも明らか……(笑)。
でもこの曲や、二期のシロップを聴いていると、「答えが見つからない」「救われない」ってことに対して、あんまり絶望していないようにも感じる。
それはええことやん、って思います。

“捨て去れない想いを 引きずり廻してた”

やっぱり『さくら』と似てる。
こうなると、女性への想いのことを歌っているのかなって気もする。
あるいは、シロップ解散から再結成までの期間を、シロップへの未練を引きずり続けた時間と捉えているのかな。
「飛ぶ」とか「引きずる」とか、五十嵐さんの曲では「地面との距離」が自分の精神状態と密接に関係していることが多くて、面白いっすね。

“耐え切れない心を 抱えたまま来てしまった”

『汚れたいだけ』の“心のスピードに振る舞わされっぱなしだよ 大人になれなかった”みたいなラインですね。
しかし『クーデター』から15年くらい経っても、まだ「心」に振り回されてるって、ほんとすごいで。
でもなんかこの曲の中で唄われると、どこかコミカルというか、おとぼけ感が出ていていいですね。
チャーミングさ、ある。
五十嵐さん、チャーミングなところがあるのに、一期の頃はそれを隠そうとしている感じがありますよね。
まぁそれだけ「ロックバンドとして売れたいのである」という殺気立った状態だったのかもですね。

“引き返せないところまで 幻想を纏ってしまった”

ここはシロップ一期の終焉理由なのでは……。
『ディレイデッド』期のインタヴューで、『生活』を引き合いに出して「歌詞が独り歩きしていってしまう」ことの重圧について語っていましたけど、リスナーが被せてくる幻想に押しつぶされてしまったって感覚があったのでは。
まぁ、「纏ってしまった」と歌うということは、五十嵐さんはここでも自責していて、幻想のベールで自分を覆い隠してしまったと考えているのかな。
『生活』は自分自身へ向けた言葉だったし、人に伝わりやすくするために断言する言い方をしていた。
そもそも音楽に限らず、日常におけるコミュニケーションでも、自分の本心が100%相手に伝わるということはありえないわけで……(自分の本心を自分で100%把握できることもあり得ないと思うけど)。
まぁ五十嵐さんの場合、人の心に深く突き刺す表現を追求して、達成できてしまったという意味で、確かに五十嵐さんにも責任なくはない気もするけれど……ううむ……。
「リアル」と「ファンタジー」をどう表現していくか……というテーマについては、SNOOZER誌のインタヴューでかなり深いところまで議論していました。
ああ、そう考えると、二期のシロップってタナソーさんみたいな濃密な語らいができる存在の喪失も影を落としているのかもしれないっすね。私の考えすぎでしょーか。

“太陽の船 いずれ 海原へ Find the answer”

『実弾』以降の五十嵐さんの十八番、陽性な曲調で、「旅立つ」風の言葉で歌いながら、結局何も行動を起こさないソングですね。
「いずれ」ってことは、船は出航していないのです(笑)。
「太陽」は日本経済状況と呼応する言葉である……ってことを僕はずっと書いてきましたので、ここでもその図式が当てはまりそう。
太陽の船が海原に出て頑張るみたいなので、俺(シロップ)もそこに乗っかってやっていきたいぜって話なのでは。

“吐きそうだ 御免 In the end 泡沫へ”

「御免」って感じで書くとなんか武士っぽいですよね……。
太陽の船の例えになぞらえるなら、経済成長のみを追い求める社会に「酔う」……つまり、自分はそこに適合できないってニュアンスもありそう。
“車の移動に酔った”って歌詞もあったし、五十嵐さん、どの乗り物なら快適に移動できるんだろう……電車かな。
「泡沫」と感じで書くと「泡」があるので、「太陽」と「泡」が並べば「バブル経済」を想起しますよね。
「泡沫へ」……ってことは、五十嵐さんは船の後悔によって落っこちて泡と散ったってことでしょう……(笑)。
あるいは船そのものが沈んだのだろうなぁ。

“Find the answer, god”

答えを、神に求めているんですかね。
好っきやなー、五十嵐さんは。神のことを。

“報われない世界を 甘んじて受け入れた”

「変える」ってことを放棄したってことでは。
「クーデター」は失敗に終わり、その世界で生きることを選んだ?

“手札のツキが無くて ブラフを選んだ”

「手札」とあるので、カードゲームでの「ブラフ」=こけおどし、はったりのことだと思うのですが、なにがブラフだったんだろう。
『ヘルシー』期のインタヴューで、ROSSOとロザリオスとツアーを回った時に、彼らの音楽から「ロックンロールの存在を信じ込ませてしまう」と思わされたと語ってました。
対して自分は、ロックンロールを打ち出せる素養がないとも思っていたようなので……そういうことを言っているのかな。
素養が無いのに虚勢を張ったりするってこと。
あるいはミスチルみたいに「悩める若者代表」を地でできてしまう人に対して、「代表って言うほど多数派の感性ではないよな、俺……」いう五十嵐さんがいる。
ロックンロールにしても、悩める現代人性にしても、自分には素養が無いけど「売れるためにはったりかますか」って感覚で一期は頑張ってたってことなのかも。
そういえば「はったり」についても、『マウス・トゥ・マウス』リリース時の田中宗一郎さんとの対話の中で「タナソーさんには足元掬われるからはったりをかませない(笑)」って話してましたね。
やっぱり一期の自分を「はったりかましてた」と捉えているんだなぁ。

“双極性に挟まれて 明鏡止水でSee you again”

双極性って……これまた随分直接的な言葉だ……。
「双極性障害」は「躁うつ病」として知られる精神疾患ですよね。
一期の、テンションの上下が激しいさまは「躁」と「うつ」を往ったり来たりしているんだってことを歌っているのでは。
明鏡止水って、澄んでいて穏やかな心をあらわす言葉だと思いますが……双極性に挟まれるってことは、躁でもうつでもない心境のことなんでしょうか。
シーユーアゲインってことは、「また会いましょう」なわけで、根性の別れではないわけで……「さようなら」ではないんですね。
生きてればまた会えるっていう前向きな別れの言葉ってこと?
「さよなら」もシロップではよく出てくる言葉だしな。

“無い袖も振れば飛べるかも でっち上げ魔法に取り憑かれ”

『空をなくす』でも、執拗に「まだ飛べる……!」っていう破れかぶれな希望を歌ってましたね。
「魔法」も『(This is not just)Song for me』で繰り返し歌われていたもの。
また、そこで歌われた「魔法」の意味合いについても、SNOOZER誌のインタヴューでは深堀りされています。
音楽を聴いてると魔法にかかったみたいな楽しさがある的な話だった気がする……。
けどそれは「幻想」「魔法」でしかなくて、音楽に逃避している時の高揚感は錯覚でしかなくて、本来の自分はでっちあげの魔法に取り憑かれているだけのただの社会不適合者でしかなかったんだぜ、って話なんですかね。
五十嵐さんが、自分自身やシロップについてどう思っているのか、イマイチわからないんですよね……(笑)。
自分をミュージシャンとして駆り立ててきた「ポップ・ミュージック」という魔法そのものを懐疑的に見ている部分もあると思うんですよね。
『(500日)のサマー』という傑作映画がありますが、そこでも、「ポップカルチャー」への疑いが示されます。
良い台詞なので、ちょっと文字起こししますね……。
ネタバレには含まれないものだと思うのですが、念のため、ページの一番下に示します。

6.Missing

なんかギターが『明日を落としても』っぽい曲。
泣きのメロディ全開っすね……。

“それじゃまるでお前を苦手な人が いないみたいじゃない いい気なもんだ”

自意識過剰な人にグサッと刺さる歌詞っすね……。
もちろん五十嵐さん自身に向けられたものなのでしょう。
再結成をしたシロップへの冷や水とも取れる、イヤーな歌詞ですね。
わたし、五十嵐さんのこういう感性は好きですよ。

“探し疲れてる 例えばそれが 探されてるなら 見透かされるな”

いや、『Find the answer』言うてたやないかおい!
双極性の振り子が行ったり来たりしてる五十嵐さんのままだし、前向きなことと後ろ向きなことを等量で表現しないと気が済まないところもそのままだなぁ……。(いや、前向きと後ろ向きは1:3くらいか)

“I can’t stand it 4 love”

「I can’t stand it」は我慢できない、たまらないといった意味みたいです。
けど「4 love」が何を意味するのかわからないっす……愛を我慢できない?
愛のために何かを我慢することができない?
「for」を「4」と数字で表現するのはプリンスがよくやっていましたね。
「to」を「2」にしたり、「you」を「U」にしたり。

“閉じ込めて 行方不明の君の”

『途中の行方』で「行方知れず」だったのは、五十嵐さんが歌った事が独り歩きしていった現象を指すと考察しました。
そこから広げて考えると、独り歩きしていった「シロップの五十嵐」という虚像を閉じ込めたい……実像に近付けたい、幻想を引きはがしたい、といったニュアンスになるのでは。

“I can’t stand it 不応 love 亡骸を 泣きながら捨てに行く”

「不応」ってなんだろう……「不相応」って意味合いですかね。
自分には愛は不相応ってこと?
『イカれた HOLIDAYS』でも“身分不相応の 未来を込めて”って歌詞もあったし、「不相応」の意味で合っていると思います……まぁ、「愛」とか「希望」が自分には不相応だから、それを諦めるって意味ですかね。
「亡骸」っていうのは、『さくら』で言う“枯れてしまった桜の花かき集めているんだろう”にあたるのかな。
名残り惜しくてかき集めはしたけど、自分には不相応な夢だったので、諦めて捨てに行くしかねぇずら……っていう悲しい場面。
しかし「亡骸」って、直接的な意味で解釈するならば、お父さんの死を連想させますね。
『シロップ16g』の前にお父さんは亡くなっているけれど、死別を未だに振り切れてないって感じですね。
あるいは、一期の頃のような言葉も曲も作ることができないから、一期のようにやろうとすることはやめる=亡骸を捨てるって意味なのかも。

“内心はただの Loser 確信犯止まりで”

何度か引き合いに出した気はしますが、ベックの名曲『Loser』を連想させますね。
そういえばベックとプリンスはどちらも、幼少期に両親が離婚して母親に育てられるのですが、実の父親がミュージシャンなんです。
彼らの中には、一緒に暮らせない父への憧憬があったんですかね……二人とも、自身がミュージシャンとして名を立てると、その父親をゲストとして招いてレコーディングを行ったりするんです。
アメリカのミュージシャンって、親が離婚しているって人が多いな。
いや、オアシスのところもそうか。
(話がそれました)
「確信犯止まり」って言葉の意味はよくわからないのですが……「ただのLoser」って言葉と繋げて考えてみると、「革命家」のような存在を目指していたってことなんですかね。
そういえば公式サイトのインタヴューでも、『クーデター』あたりのデビュー初期は「世代の代弁者」だと公言していたくらいなので、そういった自信過剰……つまり「はったり」=ブラフをかましていたってことの暴露なのかも。
そう考えてみると、このアルバムは、シロップ一期のネタバレ的な歌詞が多いですね(笑)。
いがらしねたばらし。

“結局はママの代償 構ってもらいな”

ポリスの『シンクロニシティ』というアルバムが『ヘルシー』の青写真だということは有名なエピソードですが、そこに『マザー』という曲が収録されています。
曲も歌唱法もパラノイアックなのですが、「ママからの電話が鳴っている」「僕と付き合う女の子はみんなママになっちまう」という言葉を繰り返す、だいぶサイコな内容。
五十嵐さんはインタヴューでこの曲に触れているので、このセンテンスはそういったストーリーが頭にあったのかも。

あと、よく、「男はパートナーに母性を求めている」って言われたりしますよね。
マザコン(甘えんぼってことじゃなくて、母親との関係にコンプレックスがある)らしい五十嵐さんとしても、思い当たる節があるのかもしれないですね。
僕も自分のことをそう思うことがあります。
というか、両親が離婚する様を見た人って、多かれ少なかれ、「異性に親に期待する役割を求めているのでは」「同性親みたいな人間になりたくない」と思ったりしますよね?
あと、女の人も、パートナーに父親の役割を押しつけてない? って思うことも多いです。
母子家庭で育った女性の、一回り以上年上の男との交際経験の多いこと多いこと……。
にしても、ここでわざわざ「ママ」っていう、子どもっぽい呼び方を使っているところなどは、五十嵐さんらしい自己嫌悪感が出てますね。
ああ、でも、母親を「ママ」呼びする男も意外と多いみたいですね……外では「お母さん」と呼ぶけど、家では「ママ」って呼ぶとか。

“ただの大丈夫な人でいいじゃない そうでしょう コンディション最悪の時もそばに 居てくれる ただの最悪の人でいいじゃない”

わかんない……「病める時も健やかなる時も共に」っていう、キリスト教式結婚の文句をもじっているんですかね。
でも、結婚でなくても、「コンディションが悪くてもそばに居てくれる」って、大切な事ですよね。
人間関係すらも「損得」基準で考えよるのって、どうかと思ったりはします。
いや、誰しも、「この人といるのってしんどい」ってことはあると思うんですけども。

“砂漠に見立てた 砂場のような 墓標にさよなら もう充分さ”

「砂漠」というと、『土曜日』の“風と砂漠の城”を思い起こします。
しかし「砂漠」って、ぺんぺん草も生えない不毛の地ってことなのだろうし、五十嵐さんが、表現者としての自分が孤立している様をよく歌ってきている流れにある言葉なのかな。
そう考えると、「他の人が歌わないようなことを歌う」ってことに「もう充分」って言い聞かせているのかもしれない。
それなら「墓標」は、一期にリリースした作品たちを指しているのかもしれない。

7.Murder you know

「まだ言うの?」ってことですよね?
いや、歌の内容が完全に、前の曲から繋がっていますよね……(笑)。
『(You will) never dance tonight 』の“置き忘れた 言葉まで 持ち出して 訊いてくる”のようでもある。
シロップファンとか、音楽ライターとか、音楽業界人とかが、シロップ一期を持ち出してくることにうんざりしているのでは?(笑)。
僕みたいに、妄想とか勘ぐりとか無断転載とかプライバシー侵害を平気なツラして書きまくる気持ち悪い人間にも辟易としていることでしょう……。
すまない、たかし……。

“観たいシーン集めた映画のような 物語なき毎日を続けてゆくなんて困難だ”

このセンテンスだけでも含蓄に富んでいる気がする。
「観たいシーンばかり=物語がない」
わざわざ説明するまでもないことですけど、「物語」って見せ場だけで構成されているわけではなくて、どこかを魅せようとすると、その見せ場を良くするための土台となるシーンをいくつも設置しておかなければならないわけです。
もちろん良い映画(に限らず創作物)は、特別な見せ場ではないシーンでも飽きさせない作りにはなっていますけどね。
ただ五十嵐さんは「同じ映画の同じ場所で泣く」と歌っていたくらいなので、「観たいシーン」=フェチみたいなものをしっかり持っている人なんでしょうね。
それこそ五十嵐さんは、キラーチューンをシングルにして売り出すのではなくて、アルバム一枚で作品として構成することにこだわってきた人ですし。
近年の日本のコンテンツって、徐々に盛り上げていくってことをしないで、カタルシスを大量に入れようとして来てて冷めてしまうことがあります……アニメとか映画とかドラマとか顕著。
アニメやドラマなんて「毎エピソードで泣きどころ造らないとスポンサーに殺されるんか?」ってくらいになる……。
2018年公開の『コーヒーが冷めないうちに』の「4回泣けます――」というキャッチコピーが話題になりましたね。
「泣く回数くらいこっちに決めさせろ」「泣けなかったらどうすんねん」「そもそも「泣ける」って言葉が嫌い」「「泣く」をシステマティックにコンテンツに入れるな」などなど様々な突込みが入りました。
斎藤工さんの「コーヒーの前にこっちの気持ちが冷めた」と言う秀逸な突込みも話題になりましたね。

こういう、安易な「泣かせ」にハマって泣く人って本当に存在しているのか……?
僕はよく思うのですけど、人が創作物に触れる時って、その作品の核心とかメッセージとか、物語の構成のようなものを気にしているわけじゃなくって、「自分の観たい(聴きたい)ものがそこにあるか」で求めていることが多い気がするんですよね。
僕は、「自分がそれを欲しいと思っていたことにすら気づかなかった」みたいな感動に飢えている人間なので、あらかじめ「自分が好きそうかどうか」は問わずに、いろいろな作品を漁っていくタイプなのですが……。
まぁ、いいや、そんなことはどうでも。
そうそう、話を戻すと、「観たいシーンばかり」「やりたいことばかり」の毎日なんて続けられないよってことですよね。
それでは物語としては成立しない、っていうことでは。
『来週のヒーロー』で歌われてみたいに、大変だけど、楽しい、っていうのが人生の在り方なんだろうなと思ったりします。

“新しい出会いや出来事が もたらせるのは混沌と後遺症だけ そう思っていた”

「思っていた」ってことは過去形なんですよね。
新しい事を始めたり、人と出会ったり、五十嵐さんが健全になっているようでうれしいです。
五十嵐さん、「出来る人」ではないのかもしれないけど、良い人なのだから、「新しい出会い」はどんどんしていってもよいのでは。
良い人そう。

“灯火に触れたかった そんな 遠回しの感傷 ゾートロープの中 覗いてみたい”

「ゾートロープ」は、「回転覗き絵」と訳される装置。
円筒の内側に絵を描いておいて、中をのぞき込める切れ込みが入っている。
それを回転させると、円筒の内側の絵が動いているように見えるのです。

ジブリ美術館にも、ちょっと発展させた装置がありましたね。
アニメーションの原初の形ということから、美術館にも設置されたそうです。
しかしゾートロープは性質上、同じ絵の繰り返しになります。
なのでこれは、前述した「観たいシーンばかりの映画」と同質のものとして歌われているはず。
シロップのいくつかの曲は、五十嵐さんにとって大切な風景が歌われていることから、そんな創作を自分にとっての「ゾートロープ」づくりであると評しているのかも。

“未開封のままで封じ込めた 可愛いげの無い本能と 言い訳を飼い慣らしてきた”

「封じ込めた」っていうのは、やっぱり、自分の中の感情や風景を「ゾートロープ」に描き込んだってことなんじゃないかなぁ。
ここでの「本能」は、やっぱり、生存して子孫を残そうとする本能のことではないでしょうか。
そこを「可愛げが無い」っていうのは、「自分の言うことを聞こうとしない」ってニュアンスで歌っているのでは。
あるいは、子孫を残そうとする=性欲への嫌悪感。
それを「未開封」って言うのは、女性との接触はありながらもセックスはしなかったという高校時代の五十嵐さんの性生活の事でしょうか(笑)。
そこへ「言い訳」が繋がってくるのがよくわかんない……。
性嫌悪をしながらも女性と接触(多分キスとかはしていたのでしょう)している矛盾に、自分の中で「いいわけ」していたってことなのかな。
あるいは、生存本能の話であれば、「でも死にたいよ」「でも死んだらだめだよ」という自分会議的な論争を「言い訳」としているのかな。
謎。
でも「あぁこうすればいいのか」って独り言ちてもいるので、新しい出会いや出来事の中で落としどころを見つけて言ったってことなのでしょうなぁ。あなたの気持ちが楽なら、それでいいのですよ。

“これじゃない これじゃない感”

「コレジャナイ感」って、一昔前にネットで流行っていた言葉ですよね……?
五十嵐さん、ネットスラングを普通に取り入れてるのがすごいですよね。
絶対2ちゃんねらーやん……。
でも、「まだ言うの?」っていう曲から考えてみると、「これじゃない感」って、復活したシロップへのファンの感想で五十嵐さんが傷ついたものなのでは。
タイトルを言葉通りで解釈するなら「殺しを君は知ってるのか」みたいな意味に成ると思うんですけど、ファンが気軽に「新シロップ、これじゃない感あるわー……」なんてつぶやいているのを、五十嵐さんが見たら「まじかよ……頑張ったのに……死にたいわ……」って心境になってしまう。
「四十過ぎてるのに、まだ鬱ロックとか社会批判を求められるの……? 四十過ぎた俺に、それをまだ言うの?」って感覚では。
ほんの数文字の言葉でも、人の心を深く傷つけてしまうことだってあるんだぜ? 知ってるか? って意味のタイトルなのかもしれないですね。

なんか、全く関係ない話になってしまうのですが、僕は初めて付き合っていた女の子に振られてからずいぶん長い間、その子のことを引きずっていたんですよ。
毎日何時間もその子のことを考えてしまうという……今考えると普通に精神疾患だったのではないかと思うような日々を送っていました。
失恋による傷心状態にある人が、悲しみを紛らわせるために走る行為はそうたくさんの種類はありません。
そう、他の女性とセックスをしたくなるのです。
他の女性と仲良くすること自体楽しいし、セックスは気持ちが良いし、あとは自分が相手に付けられた傷と同じものを誰かに付けたくなるものなのかもしれません。まぁその辺は良いや。
で、大学を出たばかりの頃、いろんな女性と性交渉をしようと奮闘していた時期があるのですが、だいたいどんな女性と会っていても頭の片隅には自分を振った女性がいるんですよね。
で、ある女性と性交渉して、次の日になってからその人と会っていた時のことを回想してみると、なんと自分の脳内映像ではその女性の姿が僕を振った女性になっているんです。
自分でもめちゃくちゃ驚きました。
たしかにその女性と、初めての彼女とは、髪型と髪質がすごく似ていたんですけど、つい昨日関係を持った女性の容姿を思い出せなくなっているってやばくないですか?
やばかったです。
「これじゃない感」が、自分の中にあったってことなのかなぁ……。
いや、これじゃないなんて思ってなかったと思うのだけど……。

話がそれまくりました。
ウーバーワールドが好きなのですが、「違う 違う これじゃない 探してたものは」って歌詞があった気がするんですけど、探しても見つかりません……なかったのかな……?
なんか、自分に満足できていない状態だと、自分が手に入れられるものにも満足できなかったりしますよね。
人生難しいです。

8.Rookie Yankee

ベースの高めのワーンって音がちょっと『土曜日』感なくはないですね。
それにしても、どこかでアグレッシヴな演奏に切り替わりそうなのに、結局そのままな感じは、個人的には不発気味で生殺し感があります……。
でも五十嵐さんの歌声は『汚れたいだけ』ばりに強い情念が宿っています。
不思議な曲。
曲の後半からはほわーんって音が入っています……この楽器何ていうんだっけ……嗚呼……わからない……。

「ルーキー」は新人の意味。
「ヤンキー」は、日本では「不良少年」的な意味合いで使われますが、英語では特定の人種をの俗称として使われます。
アメリカの映画とかシンプソンズを見ていると、アメリカ国外の人がアメリカ人をちょっとコケにしたり、アメリカ国内の南部人が北部人をコケにする時にも「ヤンキー」って言われたりしますね。
なんかもっと細かい定義があるようで、ウィキペディアでも長い説明があります。
ただ、曲を聴いた感想としては、厳密な定義に基づいて「ヤンキー」と言う言葉が使われてる感じはしないですね。
「不良」「異端分子」的な意味合いで使われているんじゃないかなぁ。
この曲に、アルバムで歌われたことが凝縮されているとのことですが……僕にはあんまりよくわかりません……。
いつでも新人のようなフレッシュな気持ちで、でも不良スタイルでやっていくぜって宣言なのかな。
考えてみれば「不良」って、学校みたいな社会の構図の縮図みたいな場所に「馴染まねぇぞ」ってアピールをしている存在なわけで、非行に走ることと同義ってわけではないんだろうし。
髪を染めたり制服を着崩すのだって、大人から押しつけられた根拠不明の規則を破戒している行為なわけだし。
もちろん、魂からの「反抗」もあれば、ファッションや「ノリ」だけで反抗者のスタイルを真似ただけってこともあるはず。
真の意味での「不良」「異端分子」「反抗者」みたいな「ヤンキー」たろうとしているんですかね。

“本当の事ばかり言う人を信じない”

「リアル」と「ファンタジー」についての逡巡の、一つの答えがこれなんですかね。
にしても「本当の事ばかり言う人」ってなんなんだろう。
『ヘルシー』で、実際の出来事に基づいた曲ばかりを歌った自分自身への不信感なんですかね。
音楽についてでなくても、ちょっとはファンタジーとか理想とか願望とか、現実ではないことも話す人が好きっスって意味? いや、違う気がするなぁ……。
「自分の思ったことを伝えたいっす」ってことじゃなくて、ちゃんとそこに創造性を込めてくれよって意見なんじゃないかなぁ。

“偉い人の言うことは ひとつ”使われるな 馬鹿を騙せ”

与沢翼さんなんかを筆頭に、2013年頃から「ネオヒルズ族」って言葉が流行ったりしましたよね。
あとイケダハヤトさんっていうアフィリエイトブロガーが「まだ東京で消耗してるの?」ってタイトルのブログを作って波紋を呼んだり。
若い世代で、会社に属さずにお金を稼いでいる人達がSNSでビジネスについて発信しまくったりしていて、若い世代でも「お金を稼ぐこと」への執着が大きいんだなと思います。
まぁ、不景気でお金に困っている若い人が多いのだから、「こうすれば稼げますねん」っていう像に注目が集まるのは当然か……。
そういえばイケダハヤトさんと仲が良いはあちゅうさんは電通出身で、会社員時代の先輩が「馬鹿を騙せ」とまでは言わないけど、客を見下すツイートをしてましたね。

“電通の先輩が、

「CMは偏差値40の人にも理解できるものじゃなきゃダメ。この会社にいる時点で普通ではないと自覚しろ。世間にはおそるべき量のおそるべきバカがいる。そしてそれが日本の『普通の人』だ」

って言ってたの、一番役に立ってる教えの一つだ。“

ってやつ。

日本国内が市場なのに広告代理店としては世界最大の規模を誇る電通では、こんな現世悦がまかり通っているんですね。ドン引き……(笑)。
こんな風に、社会の上層(と一緒くたにしちゃうのもよくないですけど)にいる人は、「馬鹿」を都合よく使おうと頭をひねっているんですね。
そんなわけでこの歌詞は、今の資本主義社会を揶揄してるんでしょうね。
まぁ、こんなに直接的な言葉で歌われてるところを考察してもしょうがない気もしますが(笑)。

でも、作家でも、大衆を愚かな存在として描いてしまうことってありますよね。
宮崎駿さんが生んだ名悪役「ムスカ」も、後の『風立ちぬ』の主人公・次郎が「俺の野望の為なら一般大衆が貧窮しててもそんなの関係ねぇ」って思想を持っている点では同じですからね。
もちろん、受け手を信じる気持ち信頼や期待と、どうせ伝わらねーよという諦念の狭間で生きているのが作家なのだと思います。
ただ、様々な作家が「受け手に届かない」という絶望感に打ちひしがれる時があるってことですね。
電通マンは、ハナから「バカばっかりだから、バカにも分かるように作ってやっか」とコケにしているって話。

“臥薪嘗胆し過ぎて 味覚障害”

「臥薪嘗胆」、読めなかったです……お恥ずかしい……(笑)。
将来の成功のために、辛い思いを耐えるって意味みたいですね。
五十嵐さんは『パッチワーク』でも“僕は楽したいのです 未来がどうなってようと”と歌っていて、同じ意味合いの歌詞をずっと書き続けているので、アンチ臥薪嘗胆マンだと言えます。
「嘗」は舐める、「胆」は苦い肝って意味なので、苦いものを舐めさせられ続けて味覚障害になってしまうという人生の辛い局面について歌っているのでは。
味覚障害って、「不感症」とも近いニュアンスとも取れます。
このアルバムにおける『さくら』と同じモチーフの頻出具合を見ると、いかに『さくら』が凝縮された曲だったのかがわかりますね。
すごい曲やで。
ところで、味覚障害って本当に心因性で起こることがあるみたいです。ストレスのせいで起こる病気多いですよね……日本はほんとに若い人が奴隷のように高いストレスにさらされてますね。
新海誠監督のアニメーション『言の葉の庭』でも、心因性の味覚障害が描かれてましたね。

“別行動に気付かずに 実のある修学旅行”

「修学旅行」は集団行動の象徴でしょうか。
別行動に気付かないって意味がわからない……仲間とはぐれてしまったことにも気付かないくらい、群れからはぐれるのに慣れてしまってるってこと?
一人の方が「実のある」と思える旅になるのだ、って意味なのかな。謎。
ちょっとここはマジで日本語の意味がわかんないっす。

“犬猫だって牙はある 牙の無い奴は書割り”

「犬猫」のところ、「意味ない子」って歌ってるんだと思ってました(笑)。
このアルバムの歌詞で言うなら「Loser」、あるいはコピーの『負け犬』にでも、「牙はある」って言ってるんですかね。
負け犬だし、君に飼われてはいるけど、牙はまだ抜けていないぜ、って意味ですかね。
「書割り」っていうのは、映画とか舞台で、絵を描いた背景を置くことで「そこにいます」って見立てる装置を言います。
都会にいるように見せたいならビル群の背景を用意したり、ライヴ会場にいるように見せたいなら観客とかステージの背景を用意したり……とか。
実在していないけれど、あるように見せたいものって意味合いですかね。
書き割りみたいに薄っぺらくて存在感が希薄ってことかな。
でも、それなら、「別行動に気付」かない五十嵐さんこそ書割みたいなもんですよね。
まぁ五十嵐さん、再結成後はマジで虚勢ゼロになっているから、自分を強い人、高尚な存在としてアピールするつもりは全くないんでしょうね。
等身大でステキです。
まぁ、音楽としての面白さや、ポップ・ミュージックとしての尖り方は、一期の方が強いわけで……ううん……。
『正常』で“雑踏その何割いらない人だろう”の「雑踏」と「書割り」は近いニュアンスで歌われているはず。
まぁ、ここでは、「牙はありますねんで」って誇示だけしていて、「牙をむく」「噛みつく」ことはしないので、「選択肢としてはあるけど行動には移さないマン」五十嵐隆の系譜だと思うべきでしょう。
でも、五十嵐さん、二期はマジで毒気が抜けているから、「牙」ってもうないのでは……。
『旅立ちの歌』でも、旅立っていないし、旅立っても「いやならやめちゃおう」と、最初からセーフティネットを張っているしな。

“この世はルーキーズ 彼の 聖人君子だって 痛いヤンキー”

みんな人生は一度しか経験できないですからね。
そういう意味じゃルーキーしかいませんわな。
「痛いヤンキー」って、「書割的」ではなくて、そこを飛び出して言って他の人がしないようなことに挑戦した人って意味なんですかね。
まぁ、歴史上の人物の名言の類だって、冷静に見てみたら「痛いなオイ」って思えたりすることもありますよね。
エイブラハム・リンカーンなんて、真の意味でも「ヤンキー」かも。
そう、個人的に気になることなんですけど、スティーヴン・スピルバーグが『リンカーン』を撮って、日本公開する時に、スピルバーグ監督が日本の宣伝用に撮ったメッセージを予告編として流していたんですけど、「リーダー」って言葉を強調して使っていたのが印象的でした。
多分日本の配給会社が書いた原稿を読んでいるんだと思うのですが、日本って「リーダー論」みたいなの大好きですよね……。
そういう自己啓発本とかセミナーの多いこと多いこと……。
これも「使われるな」の発想からくるものなんですかね。
スピルバーグは「これを見れば正しきリーダーの資質が身につくよ」と思って撮ったわけじゃないだろうに、日本の「マーケティング大好き病」患者が書いた原稿では「リーダー像が描かれている映画として売り出そう」という発想が滲み出ちゃってるんですよねぇ。

“死ぬのだ 死ぬまで 全部搾って”

一期の濃縮されたドロドロなものも好きだけど、四十代の五十嵐さんも曲を作らないのはもったいないので、どしどし搾っていってほしい。

“人の気持ちも 固有の気持ちも 搾りきって全部で死のう”

五十嵐さんはずっとこういうことを歌っていますよね……先のことは考えられないけど、今を必死で生きるのであると。
「人の気持ち」を搾るってなんなんだろう……人と関わる中で自分に向けられた「気持ち」を全部歌にする所存、と言う表明ですかね。
『ヘルシー』みたいに、実際にあったことを歌にしまくるのって、人として暮らすにあたってはリスクも大きいですからね……。
だって関わる人は「歌にされてしまうわ……」って覚悟をしないといけないですからね。
『ビフォア・ミッドナイト』って映画でも、「小説家と結婚したなら自分のことを書かれるのを嫌がるなよ」みたいな台詞がありましたね。

ところでマジで蛇足中の蛇足なのですが、小説家の中村うさぎさんが面白い話をしていました。
中村さんは女性ですが、
「男って、ヤッたあとに『俺の事小説に書かないでね』って言うんだけど、あれは何なの? で、男の小説家と話すと、女とヤッたあとに『君のことを小説に書きたい』って言うと、女はすごく喜ぶんだって」
って話をしていました。
この話の中の、男小説家とヤッた女のリアクションが、本心なのか、男が喜んでほしがっているから合わせているのかわかりませんが、なんか、ちょっとわかりますね(笑)。

考察終わり。

・『(500日)のサマー』のポップカルチャー批判

主人公の仕事はカード会社のデザイナー。
アメリカでは、メッセージが書かれたカードをプレゼントし合う習慣があるのです。
主人公は「ザ・スミス」の『』を聴いていたところ、その子が気づいてくれる……といったところから仲良くなっていきます。
そんな感じで、ポップ・カルチャー大好きな若者同士の恋愛関係(だけじゃなくて、仕事や人生そのもの)を描いた映画が、これ。
00年代の映画では金字塔として輝いており、『モテキ』映画版もこれをパクったりしていました。(製作者たちはオマージュのつもりだったみたいだけど……)

肝心の台詞は、主人公が傷心しているところ場面で出てきます。
傷心して、会社を暫くサボっていた主人公が出社すると、新作メッセージカードの企画会議が行われるところでした。
社長から企画案を求められるも、主人公は「何もないです」と答えるのみ。
優しい社長が次の人に

同僚は、自分が飼っている猫の写真に「一歩踏み出せ」「やればできる」というメッセージを添えたカードの企画をプレゼン。
会社の皆は優しい(悪く言えばぬるま湯的)から、そのアイデアに拍手を送ります。
そこで主人公の心の中から、様々な感情が堰を切って溢れ出します。
ところどころ、主人公を制止する声が入るものの、以下の長回しの台詞をまくし立てるのです。

「これはまったくのクズ。『一歩踏み出せ』?『やればできる』?あれじゃあ飛び降り自殺だよ。猫の転落死だ。全部ウソ。僕らはウソつき。客がこういうカードを買う理由は、誰かに気持ちを伝えたいからじゃない。気持ちを言えないか、言うのが怖いからだ。それを救うのが僕らの仕事。だけど、もう知るかってんだ。正直に話せよ。自分の気持ちくらい自分で言えって。だろ? だってほら、なにこれ。なんて言葉? 『赤ちゃんの誕生おめでとう』。ほら。こうしたら? 『おめでとう。もう遊びまわれないな。さようなら』。これはどうだ? かわいいハートが書いてある。何て書いてあるか、見なくてもわかるぞ。ほら! 『ハッピー・ヴァレンタイン。愛してるよ』。いいよね。愛は素晴らしい! だけど僕が言いたい言葉はこうだ。愛って、何? 知ってる? 君は? こんなカードを貰ったら、即、ゴミ箱だ。こういうカードとか……映画とかポップスが、嘘を生み出してる。だから傷つくんだ。だから、僕らの責任。僕のせいだ。僕は……悪い事をしてると思う。自分の気持ちくらい言えなくちゃ。本音をさ。こんな……知らない人間に押しつけられた言葉じゃなくて。愛なんて言葉……何の意味もない」

なんかもう、補足するようなことが何もないですよね。
カラオケで曲を歌ったり、自分の好きな曲を人に勧めたりする行為も、↑の台詞に当てはまると思います。嗚呼。
僕みたいに、人の作品に乗っかって自分語りをする人間にもグサグサ突き刺さりますよ。
(どうでもいいけど、カラオケでラブソングの「お前」とかの部分を恋人に替えて歌うのダサすぎんか?)
500日のサマーは傑作映画だけど、脚本家コンビはその後決定的なオリジナル作品を書けていないし、監督も自分のイメージから脱却しようとしてそんなに面白くない映画を撮り続けています……。
監督は『君の名は』のハリウッドリメイク版の監督に抜擢されたけど、果たしてどうなるのでしょうなぁ……。

おわり。
次は現状の最近作『ディレイドバック』です。

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