【syrup16g全曲の考察と感想】syrup16g
2019/07/28
2008年1月30日リリース。
解散ライブが同年の3月1日に行われたので、その直前でのアルバム発売だった。
僕がシロップを聴くようになったのは、2005年頃のことなので詳しくは知らないのだが、ここに収録された曲のうちいくつかは、ライヴでは前々から披露されていたものだそう。
曲として出来上がったものを集めればアルバムのリリースはできなくなかったのだろうけど、五十嵐さんの中では、アルバムとしての統合性がないといけないみたいで、音源はリリースされずに3年半の時が経過した。
かと言ってシングルリリースをするのも好きじゃないそうなので、そんな膠着状態が続いていたのだろう。
難儀やのう……。
まぁ、「愛」を受け入れて堂々と打ち出した『マウス・トゥ・マウス』のあとということで、どんなストーリーを描けばいいのか思いつけずにいたというのも理由なのだと思います。
本作では、再びメジャーレーベルに籍を移している。
敬愛するU2が所属していたアイランド・レコードの作品を日本でリリースしていることから、ユニバーサルシグマを選んだのだそう。
やっぱりシロップは、幅広くファンを持っているわけではないが熱烈な支持基盤があるので、メジャーからも引く手あまただったのだろうなぁ……。
公式ホームページとかでそんなコメントをしていた気がするけど、ソースが見つからず……。
U2といえば、2006年に久方ぶりの来日を果たしており、五十嵐さんも観に行っていたそう。
シロップが2007年に行った「エンドロール」というライブで解散宣言がなされたが、その日の公演終了後の客ハケのSEは『ホエア・ザ・ストリーツ・ハヴ・ノーネーム』でした。(僕の記憶頼りでしかないが……)
五十嵐さんにとってU2の存在がどれだけ大きいか、よくわかりますね。
音の手触りはどれもほんとーにプロフェッショナルな作りで、隙が全くない。
けれど正直、聴いていて、何が面白いのか全然分からない曲が多いです……。
シロップのこれまでのアルバムにあったような「情念」が薄らいでいるというか、無くなっているような感覚なんです……。
『ニセモノ』『さくら』ぐらいしか聴きませんでした……『イマジネーション』は好きだけど、なんか聴き返すともやもやしてしまいそうなので、ほとんど聴けず。
今回、全曲考察をするにあたって、アルバムを何度か通して聴いたけど、それでもやっぱりグッと来る瞬間はほぼありませんでいた。
全盛期と比べてしまうと、どうしてもねぇ……。
全盛期と比べなければいいのかもしれないけど、顧客としては、質の良いものを求めてしまうのは当然と言えば当然。
僕は発売日に買って、「全然良くねぇじゃん……」と思ったのだけど、mixiのシロップコミュニティでは、みんなが喜んでいた。
「五十嵐、ありがとう!」的なコメントが多くて反吐がでてしまいそうになった。
今考えると、SNSじゃなくて2ちゃんとかを覗けば、僕みたいに否定的なコメントも見つけられたかもしれないですね。
僕は居場所を間違え続けている。
アルバムのレヴューについては、田中宗一郎さんがSNOOZERで最高な文章を書いていたので、ぜひそちらを参照されたし。
Syrup16g SNOOZER誌のディスクレヴューまとめ
たしか、解散にあたってロッキングオン誌でインタヴュー及び五十嵐さんによるアルバム全曲解説の記事が載っていた気がするのだけど、手元に見当たらず……・
売り飛ばしちゃったのかな、僕……。
そんなわけで、このアルバム以降は、五十嵐さんの発言を参照できず、完全な考察となります。
・アートワークについて
真っ白な紙、二重線と「syrup16g」の文字のみが印刷され、そこへ水滴が垂れたようなデザイン。
水滴の部分は浮き出していて、少しつるつるとした手触りになっている。
バンド名のところにも水滴が落ちていて、インクが滲んでいる。
水滴はシロップなのか、涙なのか……。
シンプルながらも凝っていて、シロップの音楽性にも通じるものがある。
どこか「遺影」っぽさも感じる。
歌詞は縦書きで印刷されている。
最後のクレジットのページのあと、なぜか白紙が2ページ用意されている。
つまり紙一枚分が白紙。意味深である。
まだここから先のストーリーも描きたかったんだ……という意志の表れなのだろうか。
ディスクは雲に覆われた空の写真がプリントされている。
晴れてないし、太陽も見えない。
CDの下敷きに当たる部分にも、同じような写真がプリントされている。
ディスクを取り外すと、ケースの、ちょうどCDをはめ込む部分の下にあって見づらいが、飛行機が写されている。
わざわざ見えにくく作ってあるとしか思えない。
飛行機というと、『ディレイド』と『ディレイデッド』のアートワークでも象徴的に使われていた。
シロップを飛行機に見立てて「大空を飛んでいければよかった」と思い描いているのか、自分は地べたに寝そべって空を眺めて、悠々と飛んでいく飛行機を見送る立場でいることに決めたのか……。
で、これまた見にくいのだけれど、下敷きの折り返し部分……表側にはCDタイトルなどが印刷される部分に「17」とだけ小さく書かれている。
これも、プラスチックケースの構造上見にくくなる部分に書かれている……けどしっかり書くあたり、五十嵐さんの「俺のことを知って欲しいずら」感が出ている。
16の先に行きたかったっす……みたいな意味なんですかね。謎。
ちなみに飛行機のプリントの進行方向に書かれているわけではないです。
再発盤ではどんな加工になっているんだろう。
ユニバーサルの作品は再発されなかったんだっけ?
1.ニセモノ
アルバム発売前から存在していた曲だった気がする。
曖昧な記憶だが、このアルバムのリリース前後の時期に「鬱ロック」というとんでもないジャンルが提唱されるようになっていて、僕はその呼び名がめちゃくちゃ気持ち悪いなと思っていた。
シロップも鬱ロックというジャンルに分けて入れられていて、僕はすごく嫌でした。
けれど五十嵐さんは、そんな鬱ロック的な音楽や、作家とファンの共依存的な関係性に冷や水を浴びせるような曲を作ってしまった。
これはほんとにすげー曲だわ……。
まぁ、ナルシシズム強すぎると言えば、強すぎるけれど……(笑)。
“理想を夢見てきた いいだろう 途中までいい感じだった”
なんかもう考察しようのない程あけすけな言葉ですね……。
『夢』で歌ったことって、嘘だったってことでは。
「夢を全部叶えた」っていうのが、何割かは本音ではなかったんでしょうね……。
途中まで、ってことは、叶えられなかった夢があるか、そもそも一つの大きな目標の道半ばでしかなかったか、ですよね。
しかし、途中までって、どんなことなんだろう……スタジアムバンドになることかな。
それとも外的なものではなく、自分自身が納得できるすげー音楽……みたいな、創作上の夢なのでしょうか。
“破滅の美学なんかを 利用して いざとなりゃ死ぬつもりだった”
『実弾』でも“俺は死んだら完成”って歌っておりましたね……。
ジェフ・バックリィやカート・コバーンを初め、自殺したことで強烈なアイコンとして崇められてしまう人もいますものね。
『クーデター』の頃のインタヴューでは、カートについて「でも死ぬことはねぇな」って言ってたのに……。
“結局俺はニセモノなんだ 見せ物の不感症 拾った思い吐き出して 愛されたいの まだ”
めちゃめちゃ強烈な言葉です……。
五十嵐さん、強がったり、「何とも思わないぜ」って詞を書くまくっていたので、不感症とたとえているんですね。(わざわざ言わなくてもわかることだと思うけど)
「拾った思い」っていうのも、自分の歌詞が「誰でも書ける」ことだという自虐なはず。
しかも「まだ」愛されたいとまで言う……。
『ディレイデッド』で解散せずに活動を続けてきたのは、何とかして愛される方法を見つけよう……愛される音楽を作ろうと悩んできたのだという証なのでは。
でも、五十嵐さんの思う「ホンモノ」って、いったいどんな人間なんだろう。
五十嵐さんにとっては「ニセモノ」でも、五十嵐さんのことを「ホンモノ」だと思う人は世の中にはいっぱいいる。
そんな人たちからの応援の声もプレッシャーになってしまうんでしょうか。
まぁ、「その場にいる人全員の気持ちを把握してないと気が済まないのに、自分のしたい事しかしない」って性格だから、自分が意図とは違う受けとられ方は、良い事でも悪い事でも受け付け難いことなのかもしれないですね……。
あとは、「俺」と主語を自分にしているけど、00年代に腐るほど出てきた「鬱ロック」的な音楽を冷静に表していますよね。
鬱ロックっぽい漫画も増えましたよね……本当に……。
表現をする人間はどんな形であれ「愛されたい」という想いを持っているものだと思いますが、そんな欲求すらも否定してしまう。
強すぎですよね……。
ほんとに、自分を過剰に卑下して構って欲しがる人は多いですけど、ここに来て五十嵐さんは、他者からの接触も完全に拒絶してしまうような詞を書いた。すごいっす。
“理想を叶えてきた 嘘だろう 最初からそんなの無かった”
めちゃめちゃ暴露してますね。すごい。
シロップを物語として捉えるなら、『マウス・トゥ・マウス』で、ハッピーエンドになるように構成しようとしていたから、「夢叶えましたねん」という言葉を書いてしまったんじゃないかなぁ……。
虚栄心というか、自己実現を果たした振りをしていたというか。
“嫌な事は全部逃げてきた”
“ヤバイ空気察する能力”みたいな歌詞ですね。
「嫌な事」にはメジャーでの活動も含まれるのでしょうか……。
“そっと安らかに逝こう 心無くした頃に 頃に”
心無くすってなんなんでしょうね……。
“心がない 感情がないとか言ってさ”と、ずいぶん前の歌で言っていたのですが……。
リスナーや音楽業界の人がシロップへの関心を無くした頃に、ってことでしょうか。
謎。
心を無くしたと思った時点で逝ってしまうべきだった、って気持ちなんでしょうかね。
2.さくら
いやもうめっちゃくちゃ好きな曲なんですよ……。
初めて聴いたころは童貞で交際経験もないという超人的な人間だったので、そこまでグッとこなかったのですが、女性と交際して、セックスしないまま振られてしまったあとなどはもう……。
なんで俺の心をこんなにかきむしれる曲を作れるんだ、隆!?と思いました。
そう考えると僕、「初めて付き合った女の人と性交せずに別れる」って経験をしているから、五十嵐さんと同じっちゃ同じなんですね。
死にたい……。
そんな風に、男女関係を歌っているとも取れるし、そう取れるように書いているとも思うのですが、シロップというバンドの内部やスタッフとの関係を歌っているようでもあります。
五十嵐さんはインタヴュー中に、バンド活動を「青春」と例えることが多かったのでこの歌はバンドのことも歌っているはず……。
五十嵐さんが敬愛するポリスを解散させた後、ボーカルだったスティングが、バンドの再結成について訊かれた際に「バンドというのは思春期的な幻想にすぎない」と答えたのは有名なのだそうです。
ちなみに五十嵐さんが、ポリスのメンバーのソロ活動について言及しているのは見たことがないので、五十嵐さんはバンドへのこだわりもまぁまぁあるのかなぁと……。
でもピーター・ガブリエルについては、彼の声が好きだと言いつつ、ジェネシス時代の活動には言及していないっすよね。
楽曲の間奏でのギターのフレーズは、フォリナーの『ハート・ターンズ・トゥ・ストーン』やREOスピードワゴンの『イン・ユア・レター』のキーボードのソロパートっぽいです。
まぁ、五十嵐さんの言う「産業ロック」の間奏パートでは、ちょっとテクニカルなフレーズを鳴らすのがテンプレートだったわけですね(笑)。
https://youtu.be/mfyuTxiky7o
けれど、『イン・ユア・レター』は歌詞の面でも似ているところがあります。
愛し合っていたはずの相手から、別れの手紙を突き付けられる歌なんですよね。
興味がある方は、ネットに和訳されているサイトが複数あるので、のぞいてみると面白いですよ。
ちなみに↑に挙げた動画は和訳付きなので参考になります。
一部歌詞を抜き出すと……。
“僕のもとを去るつもりだと言ったね でも言い方ってものがあるんじゃないか?”
“言い方ってものがあるんじゃないか?”というフレーズが繰り返されます。
曲のシチュエーションとしては……
相手から思いやりを感じられない言葉を突き付けられている。
一方的な別れで主人公は相手とすでに距離があって、主人公の言葉は相手に届かない。
なんか、そこも『さくら』と近いなと思います。
いずれにせよ、アルバムの中では『ニセモノ』と並び、バンド史上でも最強クラスにエモーショナルな曲。
エモエモが大好きな僕としては、この曲調好きっす……。
まぁ、叫んでりゃエモだとは思わないんですけど……。
良いイントロ作るの大好き五十嵐隆! にしては珍しく(本当に珍しく)歌から入るという構成も、本人にとって特別な曲であることを伺わせます。ええきょくやで……。
ところで、曲の途中で、音が一瞬止むところがありますが、あそこ、再び音が鳴るのが早すぎませんか……?
なんかいつもあそこでぎくっとなります。
“すべてを失くしてからは どうでもいいと思えた 枯れてしまった桜の花 かき集めているんだろう”
「すべてを失くす」ってなんなんだろう……。
五十嵐さんにとっての「すべて」ってなに……?
バンドの話で言えば、メジャーを離れたことや、それにともなって何かを無くした可能性も高いけど、「すべて」ってほどではないですよねぇ。
時系列をもっとさかのぼると、ベースの佐藤さんを解雇したっていうことも一つの可能性としてはありそうっちゃありそうですね。
恋愛やプライベートの面で考えると、『ユア・アイズ・クロズーズド』では“愛しかないとか思っちゃう”って言っていたので、その「愛」が「すべて」にあたるって可能性はありますよね……。
いやもうしつこく言い続けますけど、五十嵐さんがバツイチ子持ち説というのがありまして、それにそって考えてみると離婚して親権は奥さんが持っていったってストーリーが浮かび上がりはしますよね。
「さよならだけ」とかも言っているし、別れがこの曲の中核だとも思うので……。
「さよなら」の連呼と言えば『不眠症』で歌われたお相手や、『吐く血』の連絡すら取り合えていない女の人もあるし。
このアルバムはお父さんを亡くしたことも大きな影響を与えているようですが、「すべてを失くした」というほどの喪失ではないとも思うっすね……。
まぁ、いろいろな感情が絡み合いながら出来上がった曲なのかな。
にしてもですよ、そんな、美しかった記憶を頭の中で反芻することを“枯れてしまった桜の花 かき集めている”って詞で表現できるって、ちょっと天才としか言いようのない所業ですよ。
『夢』『希望』でも、五十嵐さんは、ポップソングで頻繁に出てくる言葉を使って、自身のネガティヴィティをぶちまけるような曲を作っていましたけど、それと同様の路線なはず。
たとえば、シロップとも関係の深いレミオロメンの出世作『3月9日』でも、これから訪れる春への期待の象徴として「桜」が使われています。
そんな風に、前向きな卒業ソング(卒業ソングって概念がそもそも日本ぐらいにしかない気がするんですけど(笑))だったり、出会いと別れの季節の象徴として安易に使われ続ける「さくら」をタイトルに持ってきて、あえてこんな曲にしちゃうっていうのがほんとにすごい。
オリコンチャートの裏側なんですよねほんと。
はぁ……すき……。
“くだらない程 盛り上がった 無邪気な季節は過ぎた”
ここはシンプルに、専門を卒業してからバンド活動を続けていた時代を指しているんじゃないかなって気がします。
インタヴューでも、専門からデビューするまでを振り返りながら「楽しかったなぁ」と語っていたので。
「盛り上がった」というのは、なんかあんまり男女関係に使わない気がする。
いや、使うんだけど……。
“昨日が未来のかけらなら 明日だって思い出だろう”
ここがあんまりよく分からないんです……。
いや、SF小説や映画には、過去も現在も未来も同時に見渡せてしまう存在が出てきたりするので、そういう風に、人間が生きる時間観を外れた考えを提示しているのかもしれないのですが……。
そういえば、『バリで死す』で“相対性理論を駆使して 自閉の回路隠して”と歌っていましたけど、時間の遅れというのが相対性理論では予言されているらしく……。
申し訳ないです、僕、SF作品にも触れているのですが、相対性理論に言及されると頭の中がグニャグニャしてきてしまうので、「時間」に関しては全然知識がないんです……。
やっぱりちゃんと勉強しなきゃダメだな……。
なんとなく、このセンテンスの「明日だって思い出」=過去現在未来が平常的な人間の生きるの時間軸とは違った捉え方だっていうのはわかるし、科学的に検証されている発想であることもわかるのですが……。
“涙さえも 笑う 優しさも 愛おしさも 笑い転げてしまうのに”
自暴自棄ですね……。
自分で自分を笑うって感覚は、00年代のロックにあんまりなかったよなぁ……。
過剰にシリアスで悲劇の主人公ぶってる音楽や漫画や映画やドラマや……まぁエンタメが多くって、僕には居場所が無かったです。
だから昔の作品とか海外の作品を漁っていくようになったんだよなぁ。
いや、ゴリ推しみたいで申し訳ないんですけど、
「自分は人々と本当に同調できない」
「自分みたいな人間が人とコミュニケーションを取ろうとしたり、人並みに感情を持っていることがおかしい」
って感覚で00年代に作品を作っていた人って、アダルトゲームのシナリオを手掛けていた田中ロミオさんぐらいしか思い当たらないのです。
ほんまに好っきやねん……。
氏が手掛けたエロゲー『クロスチャンネル』はアニメ業界への影響がめちゃくちゃ強くて、数年前に流行った『魔法少女まどか☆マギカ』がユリイカで特集された際には、企画とシナリオを手掛けた虚淵さんが対談の相手に田中ロミオさんを指名したくらいです。すごい。
あ、あとは庵野秀明さんと今敏さんでしょうか。
今敏さんのテレビアニメシリーズ『妄想代理人』、ほんと良いので若い人にも見て欲しいです。
『パプリカ』が話題に上がりがちですけど、僕はこの人の最高傑作は妄想代理人だと思ってます。
「俺の居場所がない現実こそ、俺の居場所なんだよ」って台詞があるんですけど、なんか、そうだよなって思う。
“さよならだけ”
五十嵐さん、「さよなら」しか言うことがないってことなんでしょうか。
それとも、人と出会っても、結局は別れが訪れるのだという諦念を歌っているんでしょうか。
「さよならだけが人生だ」という言葉があるけど、そういうニュアンス?
“奪い合うものも無いのに 言い争う意味はあるかい 悪魔はずっと待ってたんだ 裏切り合う瞬間を”
ここも、バンド活動と結婚生活のどちらとも取れますね。
離婚調停があったんでしょうか……。
バンド活動という点だと、自分と事務所やレーベルの対立ってことが起こりうるのか。
まぁ、「奪い合うもの」って意味で言うなら、シロップがいっぱいリリースして、いっぱいライブをやれば事務所はもうかるわけだから、相手にとっては「ある」んでしょうけどね。
でも五十嵐さんは、周りがどれだけせっついても、言い争うことになっても、周りに尻を叩かれても「出ない」とわかってるので「意味ないっしょ」と冷静な態度でいるのかもしれないっすね。
そういえば、このアルバムが出た頃ってちょいちょい2ちゃんねるを覗いていたんですけど、そこでは事務所はけっこう批判されてましたね。
グッズを再発したり、ライブの写真集なんかを出したりして、「最後までファンから金を搾り取るのか」という感じで。
まぁ、事務所だって運営していかなきゃいけないので、何かしら収入を得なきゃならないものなんですけどね。
特に日本の音楽関係者ってサラリーマン気質の方が多いので、ミュージシャンが定常的に定量的に活動を続けないことに対して苛立ちを隠さない人が多いですよね。
不安定なのが怖いんだったらクリエイティブ業界に入らなきゃいいのに……っておもっちゃいますけど。僕は。
自分が出来ないことを成し得ている人に対して、「もっとやれよ」と思えるのは非人間的な発想だと思います。
そういえば、完全に存在を忘れていたけど、2006年にベストアルバムを二枚同時発売したりしてましたね。
まぁ、表に出てきていない大人の事情に関しては邪推になってしまうし、勘ぐれるほど情報がありはしないのですが、「犬が吠える」が速攻で解散したのは、「周囲が自分の意向に沿わずどんどん進めていってしまった」と五十嵐さんが感じていたかららしいっすからね。
五十嵐さんもワガママすぎる気はするけど……(笑)。
“遠回りしてた さよなら さよなら 戸惑っていた”
これまで曲で歌われていた「さよなら」って、別れを受け入れつつも、曲を通しての「さよなら」は届くものだと思っていたんじゃないかなぁ……。
そういう意味では、「別れ」「関係の断絶」を受け入れることができていなかった、ってニュアンスと取れなくもない。
「さよなら」も言えないって、つらいですよね。
あとはもう、解散を決めたから、「さよなら」と歌に出来るってことなのかも。
しかしライブではかなり前から歌われていた曲なので、この部分は「バンド」にではないのかもですね。
まぁ、歌詞を書き替えて現在の状態になってるのかもしれないけど。
“すべてを失くしてからは ありがとうと思えた これはこれで青春映画だったよ 俺たちの”
「俺たち」って、俺と誰なんだろう……(笑)。
「青春」と例えるのって、やっぱり、音楽活動のことなんだろうと思うんですよね。
でも、中畑さんへの感謝が「すべてを失くしてからは」なのって、ちょっとどうなのかと思う……(笑)。
後々のインタヴューでシロップの状態について語ったところがあるので、引用します。
五十嵐さん「(前略)バンドとしては、後半はもう機能してなかったと思うから。レコーディングも……バンドのレコーディングっていうよりは、リズム隊をほとんど先に録って、あとの半年くらいはいろんなプロデューサーやエンジニアの人と一緒に自分でダビングしながら作ってたから」
鹿野さん(MUSICA編集長)「五十嵐は前のバンドの時、咳払いひとつできないような緊張関係で、それがある意味自分への鏡でもあって、でも、その鏡を見ると非常に絶望感や悲しみを覚えてしまうということを常々思ってきたと思うんですよね」
単純に、五十嵐さんが中畑さんのことを好きか嫌いか、というところではない部分で、距離が生まれてしまっていたんだろうなぁ。
そして中畑さんはVola & the Oriental Machineに参加。
五十嵐さんは解散時のインタヴューで、中畑さんをシロップに縛り付けるわけにはいかない……なんて語っていた記憶がある。
中畑さんはインタヴュー等では、Vola~での活動で得たものをシロップの音楽に還元していきたいと語っていたのだけど……。
そんな風に、シンプルな意思の疎通もできない状態に陥っていたんだろうなぁ。つらい。
しかし後々五十嵐さんは、『Thank you 』で“諦めない僕に Thank youを”なんて歌詞を書くんですが……まず中畑さんにありがとうじゃねーのかよ! いつでも自分自分か!
と思わずにはいられませんでした……。
いや、普段はありがとうって言ってるんだろうけどね。
ありがとうとごめんなさいを言えない習慣が付いちゃうのはいかんですよ。
いや……ごめんなさいばっかり言うようになってしまうと、ありがとうって言ったほうが良さそうな時も謝っちゃうことってあるよな。
全然関係ない話なんですけど、シロップ好きという共通点で女の子と付き合ったことがあるんです。
振られてから何年か経って、会う機会があったんですよ。
まぁ私がしつこくしつこく誘ったわけなのですが……。
記憶が定かではないのですが、エスカレーターに乗っている時に、僕らは左側によっていたのですけど、右側を大きな足音を立てながら駆け降りていく人がいたんです。
その人が大きめの荷物持っていて、僕らにぶつかっても、謝りも振り返りもしませんでした。
マナーの悪い都市TOKYO……。
けど、その子は、「ごめんなさいっ!」ととっさに謝っていたんです。
その時の「ごめんなさい」の言い方と、声の調子に、胸がずきっとしたのを覚えてます。
なんか、悲しい出来事に見舞われたりという事情を抱えている子なのは知っていたんですけど……。
死ぬ程自分勝手で傲慢なクソ野郎だということは百も承知ですが、僕は、この子に、何とかしてあげたいなと思っていたのも確かだったんだよなぁ……ということをおもいだしました。
幸せになっていて欲しい。
超幸福でなくてもよいけど、悲しい想いにあんまり見舞われずに生きていて欲しい。
自分がこうやってシロップの文章を書いているのって、彼女に自分のことを見つけて欲しいからなんですかね。
元andymoriの人たちが結成したALの『あのウミネコ』という曲に“このブログを読んで 一言茶化してくれたなら”って歌詞があるんです。
まぁ、なんとかなるでしょう。
3.君をなくしたのは
ここから、あんまりピンと来ない曲についても触れていかねばなりますまい……。
鐘の音を入れたりしてますね。
キリスト教モチーフなのか……なんとなくなのか……不明。
けど、二曲続けて「失くす」ことを直接的に歌ったものを並べるあたり、五十嵐さんは本作でもしっかりアルバムにしようとしていることがわかります。
“君をなくしたのは僕だけ 君をなくしたのも君だけ”
なんか、意味がぱっとわからないことを、良いこと歌ってますねんみたいな雰囲気で歌われてて、最初に聴いた時から「イラッ」とするんですよね……。
条件反射みたいなものなのかもしれませんが……。
もちろんこれまでのシロップの曲でも、あんまり聴いてもピンとこない曲を削除したりはしていたんですけど、この曲もそうですた……。
(知っていますか、お若い方……。昔の携帯音楽プレイヤーって容量が激低だったので、あんまり聴かない曲を削除したりしていたんですよ)
“抱き合って 溶け合って ただ子供みたいに 無邪気な笑顔で”
ああ、『さくら』では人からの思いやりを笑っていたけど、ここでは本当に心から笑えている場面を描写していますね。
そう考えると重ね重ね、曲の配置がうまいですね。
まぁ、うまいけど、感動しない自分がいるのですが……(笑)。
“ああ空は そこで何をしていた ああ雲で見えてなかった ああ雨は そこで何をしていた 涙で何も見えてなかった”
ちょっとわかんないです……。
ただ、空にある「太陽」「星」「月」といった天体は出てこないですね。
五十嵐さんは何も無い空を見るのが好きなんですかね……。
「雨」というと、『エビセン』の中でちょっと寂しげな風景として歌われていますね。
それに、シロップではよく出てくる「傘」を連想する……とは言ってもまじで何のことだかわからないっす……。
“遠い夏の 想い出を ただ笑って 話すけど 何故だろう 切なくて 意味もなく この胸の奥を 刺して逃げていく”
『これで終わり』の“Last Summer!”を想わずにいられないです。
何かこう考えると、このアルバムはいつにも増して、過去の楽曲で歌われた情景を「思い返す」歌詞が多い気がする。
歌詞、あんまりうまく書けなかったみたいだし、被らないように作ることができなかったんですかね。
まぁ、一人の人間から出てくる「表現」なんてそんなに多くはないというのが僕の持論ではあるので、納得のいく話なんですけど。
それに五十嵐さん、「自分って変わらないなぁ」というのが自己認識みたいだから、
変化していこうとしない人が同じところをグルグル回るのは必然ですよね。
まぁ、変化した風にみせて別に変ってないって人も多いと思うんですけどね。人生難しいっす。
そういや関係ないけど、andymoriも解散アルバムでは、自分たちの活動を「夏」にたとえて歌ってたなぁ。
なんか、楽しかったこととか活動的なことって、「夏」と一緒に記憶されてることも多い気がする。人間の脳がそうなっているのか?
4.途中の行方
この曲も、あんまり聴かないっす……。
間奏、気だるそうできついな……。
“俺は狂っちまったけど 何もかもは捨てきれない”
『ニセモノ』と同じで、どん底に落ちてもなお「未練」を捨てられない状態を歌っていると思います。
でも、この曲の場合、『さくら』と『君をなくしたのは』の相互補完的な関係じゃなくて、普通に、『ニセモノ』で表現したことを何ひとつ上回らないんですよね……。
まぁ、曲調の問題も多いですよ、これは。
『さくら』は激エモで、『君をなくしたのは』は、なんか幸せだった頃を回想して幸福感を噛みしめている状態だから、対比してみると面白いんですけど……こっちは……とくにそういうのないから……。
もう五十嵐さんが自分のことを言いたいだけですよ。
セラピーみたいなもんですよね。
創作には人の心を癒す力があるので、そういうやり方は否定しないですけど……。
うーん、でもここでこうして吐き出すことしか、五十嵐さんにはできなかったんですよね。
それを否定してはいけないな。
“みんな狂っちまったけど 何もかも忘れられない”
『さくら』の言い争いの相手を指して「みんな」と言っているのかもしれないけど、キタダさんや中畑さんのことも含んでいる可能性は、なくはないわけで……。
周囲の人々、よくこの歌詞を歌わせてましたね。理解者に恵まれておるやん、五十嵐さん。
まぁ「みんな」って、人間のことではなく、五十嵐さんの活動計画だったり目標だったりといった事柄のことかもしれないですね。
“窓の外にはただの 身元不明の影が”
何を歌っているのかあんまりよくわからないけど、五十嵐さんがよく歌う、窓の外の風景ですよね……?
パッと聴くと、飛び降り自殺をした人の影を見ているのかなって気はします。
このアルバムを出す前に、シロップのアーティスト写真が、五十嵐さんが道端に倒れていて、そのまま白線が引かれているというものだった時期がありました。
まぁ、明らかに自殺願望をむき出しにしているのがわかるけど、ちょっとやり過ぎでは……。
どういう提案したん。
「俺が道端に倒れていて、身体の周りに白線引いてください」って企画書作ったんか。
飛び降りの説を抜きにすると、五十嵐さんは自分の部屋でじっとしているのに、「窓の外=外界」では、五十嵐さん本人が意図しない形で評価・噂・信仰されてしまっていた……といった見方もありますね。
だから「身元不明」と表現しているとか。
そう考えると「みんな狂っちまった」っていうのは、ファンとか取り巻くバンドとか、「関係者」の外の人々を指している可能性もありますね。
“檻の中にはただの 挙動不審の影が”
こう考えると、この曲の「影」は五十嵐さん自身のことっぽいですね。
「檻」って何なんでしょうね……自分自身という檻、バンドという檻、レコード会社や所属事務所という檻、日本という檻……まぁ具体的にどれを指しているかはわかりませんけど、五十嵐さんは常に閉塞感を共に生きているっぽいので、「囚われてる」という想いはまぁまぁあるのかも。
“途中の行方 未完成の復元”
「途中」っていうのは、何かしら、「作り上げたい音楽」の理想像があったのでは。
結局そこには至れずに3年半が経過して、また作ったアルバムは、特にこれという新しい音楽性を打ち出せないまま……。
過去のモチーフを流用しまくっているところが「未完成の復元」ってことなんじゃないかなと思います。
まぁ、まだまだ道の途上なんでしょうね……。
でも、シロップを再結成させてからも、これといって、「途中」の先を目指そうとしているようには思わなかったりする。
まぁ……こういう比較をするのはよくないんだろうけど、レディオヘッドやカート・コバーンみたいな、音楽史に残るようなブッチギリの天才と、自分を比べてしまったら、そりゃあ、自分にとって最高の出来でも「未完成」と感じてしまいもするよなぁ……とも思ったり。
五十嵐さんは、五十嵐さんに出来るベストを尽くしているに違いないと思うんですけどね。
そういう考え方じゃ、だめ……?
“誰でも吐きそうな 言葉垂れ流して 誰でもなりそうな 病気ぶら下がって”
めちゃめちゃそのまんま歌ってますね……(笑)。
概念としては、多くのマイノリティが抱えていたものかもしれないけど、五十嵐さんほど美しく言葉にしてみせた人っていないと思うけどなぁ。
“復元 復元”
最後の言葉を連呼するのって常とう手段よなぁ……。
5.バナナの皮
この曲はあんまりシロップではなかった気がします。
ベースのメロディが渋谷系っぽいような、サニーデイ・サービスっぽいような。
アコースティックでアップテンポな曲はあんまりなかった気がするので、いいですね。
とはいえ僕は、3回くらいしか聴いたことのない曲なので、英語詞が入ってることなんて忘れてました……(笑)。
それにしてもバナナの皮って、ベタなお笑いの道具ですよねぇ……。
バナナの皮で人が転ぶことって、そんなにない気がしますが……。
“床に落ちた バナナの皮 自分で投げて捨てた それ忘れて 遊び疲れ 踏んでコケるような人生”
インタヴューでもそれらしきことを語っていましたが、自分の書いた歌詞で自分の首を絞めてしまったって感覚があるのかもしれないですね。
でもそれを「バナナの皮」と例えるあたり、五十嵐さんは本当にいつも自嘲しまくるのだなぁ……。
あと五十嵐さん、自分が転倒する場面を歌詞にし過ぎ!(笑)。
“体中で感じたいんだ 電流走るような刺激”
なんかここ、性感の話っぽい気がしなくもないのですが……。
そもそも「バナナ」というもの男性器を思わせなくもないですし……。
そんな意味で「バナナ」と言っているのだとしたら、「それでコケる」というのは、やっぱり性的な事への嫌悪感や罪悪感があるんだろうなぁ。
“体育館でバッシュが鳴らす 小鳥みたいな音が好き”
五十嵐さん、中学の時にバスケットボール部のですって。
『スラムダンク』の連載が始まる前のことなので、今ほど人気のあるスポーツではなかったと思うのですが……。
ところでこのセンテンスから『あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう』を思い起こす人は少なくないはず。
“汗で滑るバッシュー まるで謡うイルカみたいだ”
と、けっこう近いことが歌われています。
でも比喩表現のうまさで言えば、岡村さんに軍配が上がるはず。
「謡うイルカ」ってすごいよな……。
まぁ、岡村さんはこの時覚せい剤をドップリ使っていた人なので、イルカが本当に歌っている幻を体験したのかもしれませんが……。
いずれにしてもこのライン、五十嵐さんにしては珍しくストレートな青春が歌われています。
“条件はいらないよ この一瞬に全部かけるのさ”
ここも「未来」のことを考えないスタンスが出てます。
『I.N.M』の“未来売り渡すのも一緒”のように、何かの交換条件として自分の今を犠牲にして未来を約束するというがいつもありましたが、やっぱり五十嵐さん「計画はできない」人なんですね。
でもその代わりここでは、「全部かけてる」と言い切っている。
全部かけてるならいいんじゃないっすかね。
でも、この少し前に、自分で捨てたバナナの皮で足元をすくわれているから……本当なら「全部かけるけど、バナナの皮は床に捨てちゃだめだよ」的な、「ある程度は先のことも考えようね」って言葉が来るべきではないのかな……。
“痛みを知って大人になる それにも限界があって 痛みを知って臆病になる それからが本格的”
うん……五十嵐さんの生き方見ていると、そう思うよ……。
でも、僕自身の人生を振り返ると、臆病になっている時と、自身がある時と、どっちかを往ったり来たりしている気がします。
まぁあくまで僕は、だけど。
謙虚に生きたい。
“さんざん残念で絶望しそうになった”
あの、「残念」のところ、「ザーメン(精液)」って聴こえませんか……?(笑)。
エグイ下ネタで申し訳ないのですが……。
もしも「ザーメン」を意識した発音をしているとしたら、「楽しいことがあった後に、落ち込む」という歌の内容にもけっこう合致してくるんですよね……。
のちのち「賢者タイム」というワードも使ったりするくらいなので、五十嵐さんは、射精後に白けてしまう感覚については頭の中にあるということでしょう。
あの感覚はまじで女性にはご理解いただけないものと存じています……。
なんかもう、「ピュ」って出た時に、スイッチを切ったかのように覚めるんですよ。
段々と覚めていくんじゃなくて、最初の「ピュ」の瞬間にガン覚めします。
自分でも信じられないくらい。
そう考えると、↑の「全部かける」もいやらしい意味に聴こえてくるな……。
“さんざん泣いちゃって絶好調になった”
よくわかんないんですよねここも……。
「泣く」は、女性の体液のことなのかな。謎。
“後悔など無かったって 笑って言えるなら それが最高じゃん”
いやまぁほんとそうですけど……たぶん自分に対する皮肉で言っていますよね、これ……。
“I feel my love,So beautiful lives You’re welcome to the moonlight”
自分の好きなことを直接歌っている曲でもあるってことですかね。
で、ここで歌われるうちのいくつかは、美しい事柄……なので、「俺はそうはなれなかったんだけど」という自嘲のこもった曲なのかなと思います。
ところで五十嵐さんは「愛」とは歌わず「Love」と英語で歌う場合が多い。
照れ隠しなんですかね。
同じく英語で月の光へようこそ……月へようこそ……と歌われますけど僕には全然意味がわからないです。
地味メンの世界へようこそってこと?
太陽とは反対側にいるから、暗い側だと考えてよいのでしょうか……。
あと、月は「狂気」の象徴……というか、月が人の心をおかしくするという迷信もあるので、「狂っちまった」側ってことなのかな。
6.来週のヒーロー
『ゴースト・ピクチャーズ』にも収録されたライブで観た記憶があります。
DVDに入ってないけど……。
「ヒーロー」って言葉もちょいちょい出て来ますなぁ……。
再結成後にもタイトルに入るし。
暗い曲っすね……。
“失ったものなど何もない いつかはわかってもらえるはず”
全てを失ったんじゃなかったんかい! と思います。
ちょっとわかんないっすね……。
“あなたの為だけに生きている たまたま今週は出番がない”
「愛しかない」って言いきっていたからには、この曲もまた、子どもとか奥さんのことなのかなって気がします……。
子どものことなのであれば、今週は会えなかったとか。
奥さんのことなのであれば、性行為が今週はなかったとか……奥さんが仕事に出ていて、五十嵐さんに「今週は曲できたの?」って聴いてきたとか。
出番ってなんでしょうね。
“本当はプレゼント苦手だけど 色々考えた 気に入るかな”
ここもちょっとやっぱり、「離婚して親権を持っていかれた子ども」についてなのかなって気がするところ。
久しぶりに会えるから、気張ってプレゼントを用意してみた……とか。
それにしても五十嵐さん、プレゼントほんとにニガテそうだ……。
“海に連れていきたいな 何を話そう 夕日がキレイなら 黙って見ていよう”
海無し県埼玉出身の五十嵐さんにとって、海は特別な場所なのでしょう……。
「何を話そう」っていうところを見ると、五十嵐さんとこの人は頻繁にコミュニケーションを取る間柄ではないということでしょう。
ところで五十嵐さん、免許とかなさそうだけど、海へはどうやって行くのでしょうか……。
電車?
“限りあるこの瞬間を 抱きしめたいよ 夕日が沈んだら 黙って手を振ろうか”
やっぱり「今」を大事に生きたいというスタンスが出ている。
「夕日」がこれまで通り日本の経済的繁栄の象徴なのだとしたら、「沈んでいくものを引き留めることはできない」っていう認識なんでしょうね。
「黙って」ってことは、喋るのを止めている状態なのかな……。
前のセンテンスでも、何を話すかで迷っているけど……。
『生きているよりもマシさ』では“もう君と話すには 俺はショボ過ぎて”という歌詞が出てきますけど、五十嵐さんは、他人から期待されていると思いすぎでは……?
まぁ、そう思ってしまうような状況が実際にあったのかもしれませんけど……。
なんか、「昔関りが深かった相手」に、今の自分を知られるのが辛いって気持ちはわかるんですけどね。
でもそれって、「自分はこうであるべき」と思い込んでいる水準が高いからそうなってしまうのであって、「本来の俺ってこんなもんでしょ」って受け入れられてないってことですよね。
“ゆっくり時間流れろ ゆっくり涙流れろ”
なんで泣いてんねん……。
涙が流れているのを悟られたくないってことでしょうか。
時間がゆっくり流れて欲しいってことは、その人と一緒にいる時が終わって欲しくないってことだと思うんですよね。
ってことはやっぱり、あんまり会えない人なんじゃないかと……。
やっぱり、あんまり会えない子どものことなのではないかと思ってしまうっす。
7.ラファータ
ラファータって言葉の意味が分かりません。
ググったところ、この曲に関するページがたくさん出てきます。
ヤフー知恵袋で「イタリア語で妖精を意味する言葉のようです」という回答がありました。
あと、ググるとイタリア料理店もたくさん出てくるので、妖精のことを指しているタイトルなんですかね……。
「中畑」をなんか英語っぽく言ってるだけかと思ったのですが、無理があるっすね……。
五十嵐さんの音楽ルーツで言うなら、「ピクシーズ」もありそうだと思ったのですが、楽曲自体はピクシーズとの関連はなさそう。
しかし、イントロから「うおぉん」となっているノイズっぽい音など、シロップでは意外と使っていなかった音ですよね。
まぁ、そのアレンジも、特に面白くはないんですけど……。
“雨が降れば 傘をさせばそれでいいが”
五十嵐さんが「雨」と言うと、ほぼほぼ「傘」がセットで出てきますよね……。
物理的な障害は、目に見えるがゆえに解決手段を用意しやすいという話ですね。
書くまでもない事ですが……。
“人の心にさす 傘は頼りなく だから代わりに涙を流すのかな 悲しみにおぼれてしまうその前に”
そもそも、心の中ではどんな雨が降っているのかが見えにくいですよね。
問題を解決する前に、どんな問題を自分が抱えているのかがそもそもわかってないってことが多いような……。
それにしてもこのセンテンスの比喩は良いですね。
みんなの歌に使われててもおかしくないような素敵な曲。
五十嵐さんは最高だ……。
“小さくて ちっぽけな 僕たちは 一人ぼっちにならないように 出来ているね”
「出来ている」っていうのが、人間の本能として「孤立を恐れる」仕組みがあるって言い方に聴こえます。
五十嵐さんが「本能」と言う言葉で表現するように、人間はDNAを残すために生きているから、繁殖のためにみんなが「一人ぼっち」を避けるようになっているって認識。
でも、五十嵐さんがこういう風に歌う時って、「でも俺には無理なんですけどね」って皮肉が入ってる気がします……。
“傷つけ合わないように ルールを作った それを守れるのは強い奴だけだった”
シロップがこれまで歌ってきたことを、端的に表すセンテンス。
この曲では「俺」について歌わないけれど、要は、五十嵐さんはここでいう「強い奴ではない側」だったってことですよね。
“正しい事をするより難しいのは 過ぎ去ってしまったことを忘れずにいれるかさ”
ここの部分は、小林よしのりや石原慎太郎のような「右」的な思想に傾倒していた自分自身への戒めが込められているのかなぁ。
日本が戦争を起こして、アジアを蹂躙しながら敗戦にいたったってことを忘れようとしている人は、90年代から現在にかけてどんどん増えていきましたものね。
“一人ぼっちになってもまた 旅に出るよ”
いや、一人ぼっちになっているやん。
密な関係を結べる人間を探すことが本能なのだ、と言っているのだと思います。
嗚呼、こう考えると、五十嵐さんは繁殖相手を見つけてDNAを残したけど、再び一人ぼっちになってしまった……という説がまぁまぁ補強される気がする……。
“雨上がって 光伸びて 汗をかいてただこの日を生きてる 続いていく”
「汗をかく」は、ブルーハーツの『人にやさしく』での“このまま僕は汗をかいて生きよう”や、ユニコーンの『すばらしい日々』での“それぞれ二人忙しく汗かいて”と歌われるように、一生懸命生きることと同義で使われているはず。
ああ、これも『来週のヒーロー』の“仕事は楽しいよ 大変だけど”と同じような内容が歌われてるのか。
『来週のヒーロー』の「You」とはおそらく生活を共にしていないのと同じように、『ラファータ』で寄り添い合った人とも離れて生きることになった……けれど、お互い、汗を流して日々を懸命に生きているって話では。
悲しいことのようだけど、心に降る雨はもう止んでいけるから……一緒じゃなくてももう大丈夫だと思えるってことではないでしょうか。
心に雨が降っている時に一人でいることほど、人の心にとって良くないこともないですからね。
たった一時だけであっても心が通じ合えるのって素晴らしい事ですよ。
最初からすれ違い続けてしまう人達だっているのですからね。
“ねえ ラファータ”
ラファータに関しては、込められた意味を読み解こうと頑張ったのですが僕には無理でした。
わかりません……。
アナグラムかな、とも思ったのですが、やっぱりわかんないっす。
イタリア語で妖精は「ファータ」と言いますが、フランス語で「ファタ」は「運命」を意味する言葉なのですが……まぁこれをつなげるのは無理矢理になっちまうので、まぁ、よいです……。
8.HELPLESS
シロップでこれまではあまりなかった「泣き」丸出しの曲だと思っています。
たしか、お父さんの死について歌ったと聞いたような気がします……。
ギターの奏でるメロディが悲壮感を醸し出しまくっていますね……。
いや、なんか、悲しい歌で悲しいメロディを作るってことをシロップはあんまりしてこなかったと思うので、ちょっとショックでもありました。
この先、「悲しそうでんねん」なメロディはちょいちょ出てくるようになります。
この曲、女性っぽいコーラスが入っているけれど、女性なのかな。
五十嵐さんの声なのかな……不明。
※追記
映画監督の青山真治さんの『Helpless』という作品が、97年に公開されています。
私はこの映画は未見なのですが、「父の自殺未遂」という衝撃的なシーンが含まれる映画のようです。
青山真治さんは『ユリイカ』など撮っており、日本の社会不安もフィルムに反映させるような作家です。
宮台真司さんも映画評で取り上げることも多い人なので、五十嵐さんも青山さんの存在は認識しているはず……。
もしかしたら、『HELPLESS』は『Helpless』に着想を得ているのかも。
(そうなると、五十嵐さんのお父さんの死にも不穏な憶測が出来てしまうような。病死だったとどこかで聴いたような気がするけど、確証がない……)
映画を観たら追記するかもしれません。
“讃美歌の歌が聴こえてくるのは 三時間くらい前に 焼かれたから”
アルバムを買った当時「讃美歌の歌」という、たった三文字の中で言葉が重複している事実に打ちのめされました……。
五十嵐さん、作詞のスキルガタ落ちにもほどがあるべよ……と泣きそうになったのです。
まぁ、「うたをうたう」という言葉って、表記が正しいのか? 他に言い回しはないか? と悩んでしまうのは多くの人が経験することのようなので、別に今となってはそんなに気にならないのですが……。
いや、でもちょっと気になりますね(笑)。
このセンテンスはお父さんの葬儀を直接歌っているはず。
で、これって多分、お父さんはキリスト教式の葬儀で送られたってことじゃないですかね。
僕は「讃美歌」って、神を賛美する歌だと思っていたんですけど、「聖歌」のようなもので、葬儀においても歌唱されるものらしいんです。
(「賛美歌」という表記もありますが、日本のキリスト教では「讃美歌」のほうを使うことが多いようですね)
ただ、キリスト教って土葬が基本なので、「焼かれた」というところはちょっと合わないかなって思ったんです。
海外の映画を観ていると、地面に掘ったお墓に棺を下ろしていくのを、近親者が見守っているシーンがよく出てきますよね。アレがキリスト教の埋葬です。
しかし調べてみると、日本では土葬を自治体が許可していないため、日本ではキリスト教式でも火葬されるのだそうです。
以上の描写から、お父さんはキリスト教式の葬儀で見送られたのだと思われます。
となると、五十嵐さんは「無宗教」を公言していましたが、お父さんはキリスト教を信仰されてたって可能性が高い気がします。
真実はわかりませんが……。
ただ火葬から三時間後に讃美歌が聞こえている状況は自然ではないので、五十嵐さんの頭の中で聞こえているだけかもしれません。というか、たぶんそう。
もしかすると実際に葬儀で聞いたわけではなく、本当は仏教式の葬儀だったけれど、五十嵐さんの頭の中では讃美歌が再生されているだけかもしれませんが……。
ここを聴くと、やっぱり五十嵐さんの思想のルーツにはキリスト教があるようなきがしました。
“君がもし永遠を笑ってたいなら たった今 ここで今 未来を渡せよ”
「今」「未来」と「笑う」という言葉が並びます。
『バナナの皮』では、何も考えずに遊び呆けた過去のせいでずっこけるという顛末になっていました。
五十嵐さんのお父さんは、郵便局で定年まで勤めあげた方だそうです。
今は「手紙」を出す人も減りましたし、「お歳暮」のような文化も下火になってきているので、日本郵政という会社はそんなに強くはありませんが、小泉首相が郵政民営化を進めていくまでは国営の会社だったので、郵便局員は公務員だったのです。
お若い方はご存じないですよね……。
そんな安定志向の五十嵐パパですが、若いころは画家を夢見ていたそうで、公務員になってからも会社の賞に応募したりしていたとか。
音楽が好きで、結局は社会に順応せずじまいだった自分と、夢を諦めて生活していくことを選んだ父との対比があるのではないでしょうか。
“I wanna knockin’on heaven.HELPLESS tell me why”
天国の扉を叩く……というと、ボブ・ディランの名曲『ノッキン・オン・ヘヴンズ・ドア』を思い浮かべるのは僕だけではないはず。
五十嵐さんをディランになぞらえる評もあった気がするのですが、僕はディランをそんなに知らないので、何とも言えません……。
しかしこの曲のギター、ちょっと似ている気がしないでもないです。
でもここの英語、意味があんまりよく分からないです。
なので自分なりの意訳を羅列します……。
「俺は天国の扉を叩きたい。助けがないんだ。何故か教えてくれ」
「俺も天国に行きたいんだ。助けてほしい。何故(こんなに苦しいのか)なのか教えてくれ」
など……?
親父さんが天国に行ったのだろう、というのは五十嵐さんの中では固まっている考えなのだと思うんですよ。
その親父の後を追って俺も天国に行きたいって意味なのか、「何故俺を助けてくれなかったんだ」という疑問を追求するために、すでに亡くなってしまった父に問いただしたい気持ちを持っているのか……。
いずれにせよ、ここを歌う声と同様に、辛い気持ちを抱えているのでしょうね。
“生まれてくる時も死にゆく時も 結局は一人と笑っている”
なんで笑ってんねん!
ああ、これも前の曲のテーゼを否定している。
人間は一人ぼっちを避けるようにプログラムされていると歌い切りつつも、「でも俺は一人だよね」って自嘲している。
それにしてもこのアルバムでは、五十嵐さんはかつてないほど笑っているけれど、自分のことを笑っているんですね。
嫌みな人やでぇ……(笑)。
まぁ、シロップがずっと聴かれているのって、言葉の刃を外に向けることがごく稀にしかないからなのだろうなとも思うんですけど……圧倒的な自己否定性。
NORIKIYOってラッパーが好きなんですけど、何かの曲で「世界と自分 間違ってんのはどっち? 世界と自分 すぐに変えられんのはどっち?」ってラップしてて、すげーリリックだなと感心しました。
世界の側が正しいことが多いので、自分と世界がぶつかる時は、世界が要求することが正解であることが多いのです。
もしそれでも納得がいかない時は、世界を変えられるのかどうかで考えてみると。
NORIKIYOマジかっこいいのでぜひ聴いてみてください。
“君がもし静寂を手に入れたいなら たった今 ここで今 孤独を離せよ”
歌詞カードを読むまで「話せよ」かと思ってた……。
この曲、全体的に言葉が崩れてるな……。
けど言葉が崩れてでも載せたい情感があったのだ、とも思うので、まぁ、いいっす。
あと逆説的なものも多いですね。
ここの意味を読み解くなら、周囲の言葉をノイズだと捉えてしまうのは、自分が周囲に馴染もうとせず孤独であることに固執しているからである、って話なんですかね。
自分が当事者・内部者になるのであれば、言葉はノイズではなくなって、一つの取り込むべき意見として機能するって意味合いでしょうか。
わかんねぇ……。
“灰色の煙 遠く 雲になって 消えていく 失うものなど無い 無限の中”
Andymoriもラストアルバムの『空は藍色』という曲で、火葬場から上がる煙を「ひこうき雲」と例えたりしていましたけど……。
死と向き合い続けたアーティストが、集大成的な作品で、実際に死を見送る曲を収録するのは興味深い現象だなぁ……。
「雲」「失う」というワードが並ぶと、『君をなくしたのは』と共通項を見出さずにいられないですね。
そう考えると、『君をなくしたのは』で、鐘の音が鳴っていたのは、お父さんを送るためだったのかもしれないですね……。
五十嵐さん、お父さんを見送る時に泣いていたんですかね。
まぁ、葬式って、泣きますよね……。
なんなんだろう、あの感覚は。
いろんな記憶が本当に一気にドッと押し寄せてくるし、生きている時にもっといろいろ話したり、孝行したりできたんじゃないかって気持ちになったり……。
つらいですね。
「失いものなど無い 無限の中」は、時間が流れない世界=あの世って意味でしょうか。
“未来を捨てろよ”
なんで「捨てろよ」なんだろう。
渡す=捨てるって意味なら、別に言葉を変えて歌う必要は無い気がする。
まぁ、同じ言葉を連呼するのがダサイから、意味深に言い換えてるだけかもしれないけど……。
あるいは、捨てる=死って取れそうな気はするので、「今死ねばこれから先の苦労を負わないで済む」ってニュアンスって可能性もありますかね。わからん。
9.君を壊すのは
この曲もまた、全然聴かないです……。
ギター弾き語りの曲ですが、アルバム最終曲も弾き語りなので、このアルバムは弾き語りが多いな……。
なんか、シロップのアルバムというよりは、中畑さんとキタダさんをバックバンドにした五十嵐隆ソロアルバムの様相を呈していますね。
“僕が見たいのは あなたの笑顔で 宇宙の神秘は どうでもいい”
さんざん、「宇宙」について歌ってきた五十嵐さんにとってはかなりのぶっちゃけなのでは。
別に宇宙について考えるのが嫌いというわけではないのでしょうけど、何よりも見ていたい「あなた」という存在がいつでもいるわけではないですものね。
「あなた」って誰なんでしょう……この世を去った人なのか、多分この世にいるけど連絡を取り合えない人なのか、別れを突き付けた奥さんなのか、お子さんなのか。
“僕が聴きたいのは真っ白な歌で どこまでも澄んだ まぶしい闇”
シロップで目指したのはこういう音楽なんですかね。
「歌」という聴覚的な情報に対して、「色」を付けるのは共感覚的で面白いのですけど、「澄んだ」「まぶしい」「闇」って言葉を組み合わせた人ってこれまでほんとにいなかったんじゃないでしょうか。
すごい言語感覚だよなぁ……。
でも、曲がもっと凄かったら、何度も聴いちゃうだろうなって思いました……。
いや、この曲が好きな人も大勢いるだろうから、こういうことを言うのははばかられるんですけど……。
すごいな、と思いつつ、心が全然動かない……。
“光を捨てて 捨てて 捨てて”
なんで捨てるんでしょう……。
アルバムの他のところで「未来を捨てろ」と歌ってはいるけど、「光」も捨てる必要があるの?
光と未来は同じ意味で使われてるのかな……。
“君を壊すのは イメージの彼方 普通の未来を 描けたなら”
わかんないっす……。
普通の未来ってやつとは縁遠い生き方をしてきた人だってことはわかるんですけど。
“痛みを連れて 連れて 連れて”
わかんないっす……。
でも、痛みを伴わない生き方なんてないと思うけどな……。
“何も考えず感情にまかせて 生きていくことに 疲れてきたみたい”
かなりぶっちゃけですよね……。
五十嵐さんの曲の中ではほぼほぼ、「未来なんてわからないんで今楽しくいきるっす」と歌われていたので……。
でも、五十嵐さん、未来のことを建設的に考えられるようになれるのだろうか。
ついさっき「この一瞬に全部かける」と歌っていましたが……。
まぁあれは青春時代を歌ったものであって、ここにいるのは三十代半ばを迎えた五十嵐さんの本音だってことなんでしょうね。
“いつも同じ映画をかけて いつも同じ場面で泣く”
「かける」って言葉から、なんとなく、フィルム上映を思い浮かべます。
あるいは、「観る」というほど集中して映画に向き合うのではなく、何かをしながら流し見をする程度とか。
そういえばこのアルバムでは、五十嵐さんが大好きだった「テレビ」が出てこないな……。
前作を出してから、テレビをあんまり観ないで、映画を流すような生活習慣に切り替わったりしたのでしょうか。
00年代はマジでテレビを見なくなった人が爆速で増えた時代だと思います……。
でも、同じ映画≒見ていて疲れない映像メディアばかり見てしまうっていうのは、疲れている……もっと言うとうつの傾向がある人の行動では……。
かくいう僕も、疲れている時など、何度も観たお笑いの映像を繰り返し見てしまうことがあります。
あと、アニメとかYouTuberの動画とか、めちゃくちゃ情報量が少ないものも台頭してきていますよね……。
日本人の「疲れ」と大いに関係があるのではないかと思っているのですが、どうでしょう。
「同じ」というキーワードから、五十嵐さんの「俺って変わらない」と言う自己認識も現れてますね。
僕も同じ映画でよく泣きますわ……。
五十嵐さんの「よく泣くムービー」ってどんなのなんだろう。
デッドエンド映画とかなのかな……。
10.Scene through
曲のアレンジの元ネタは、ジ・オーディナリー・ボーイズの『メイビー・サムデイ』でしょうね。
「普通の男の子たち」というスゲー名前を持つバンドなのですが、彼らが2004年にデビューした時には、スミスの再来と評されたりしていました。
僕は音楽の知識がないのでわからないんですけど、彼らがマイナーコードを好んで扱うところがスミスを想起させたのだとか。
ちなみにこのバンド名も、スミスのボーカルのモリッシーのソロ曲から来ていて、デビューアルバムはスミスを手掛けたことのあるプロデューサーと作業をしています。
そんな彼らのデビュー曲にして代表曲なので、五十嵐さんがこれを聴いてないってことはないと思います。
ちなみにSNOOZER誌でも表紙を飾っていたり、年間アルバムランキングでも6位でした。
良いアルバムです。
で、そんな若い男の子たちからパクってきたリフを6分以上延々かき鳴らす曲なので……僕はこの曲、好きじゃないんです……。
『シーンスルー』って、「しーんとする」ってこととかけてるのかな。わかんないっすけど。
ちなみにこの曲もだいぶ前から演奏していたとか。
僕もアルバム発売の前の年の秋のライヴで聴いた記憶があります。
“春は遠すぎて 風のリボンをほどいてた”
わかんないんですよね……。
「さくら」の咲く春が遠いってことなんでしょうか。
風のリボンってなんなんだろう。
五十嵐さんがリボン付きの服を着るわけじゃないだろうから、女性を脱がしてるんじゃないかと思うんですが……謎……。
“雨は凍りついて 君の言葉も閉じ込める”
これもわかんないっす!
「雨」と「君」が結びつくのって『うお座』ですけど、この曲と関係あるのだろうか、
あ、でも、向こうでも、「あなた」のボタンを外しているっぽい描写がありましたね。
「閉じ込める」っていうのは、「頭に刻み付ける」ってニュアンスなんでしょうか。
エッチだ……。
“心の中に 答えの中に 確かなものは 何一つ無い”
僕もそう思いますよ……。
五十嵐さん、自分の頭の中で完結させていないで、人ともっとコミュニケーションといかんですよ……。
“夏は遠すぎて 古いアルバムめくるみたいだ”
夏も遠いんですか。
いつなんだ。秋か冬なのかな……謎……。
そうか、そう考えると、四季は巡るものだけど、この曲の比喩の中では過去のことを歌っているに過ぎないのか。
「夏」は、多分、五十嵐さんが最初の彼女と恋愛していた時の蜜月の記憶なのでは。
まぁ、『フリースロウ』から『ディレイド』までの曲で歌われ続けた彼女との蜜月の回想を「アルバム」と言ってるのか。
そう考えると、「春」っていうのも、別の女性との甘い記憶のことを指してるのかな。
“涙 溶けても君の笑顔を閉じ込めたまま”
「雨」が凍るってことは、「涙」も凍ってたってことですかね。
涙が流れるのを止め(寂しくなくなる)てからも、作った曲の中にはそんな記憶質が真空パック保存されてるよってこと?
“楽しかった約束 つかまえた口笛 街の色も ざわめきも 輝いてる”
あくまで「約束」が「楽しかった」のであって、それが達成されたかどうかには言及がない。
ということは多分、約束は果たされなかったのでしょうね……。
口笛をつかまえるっていうのは、メロディを作ったってことですよね。
そういえば、専門学校時代、友だちの家にたむろして曲を作ったりしてたって言ってたな。
街の色とかざわめきって、五十嵐さんが「何割入らない人だろう」と思っちゃう対象なはず……。
この記憶の中では、とても楽しいものだったってことなんですかね。
五十嵐さんの陽キャ期の思い出でしょうか。
“スカートの裾が描く スイートメロディー”
いやー、わかんねぇな……。
スカート穿いてる女性って死ぬ程いいですけど……。
五十嵐さん、専門自体にレモンヘッズの真似をしてスカート穿いて女装してライヴをやっていたみたいだから、その時はすごく楽しかったって歌いたいのかな。
その頃にフリッパーズ・ギターもカバーしてたみたいだし、スイートメロディーというのも納得いくっちゃいく。
11.イマジネーション
このアルバムの中では三番目に好きな曲ですね……。
とはいえ、「お別れアルバム」のクライマックスに配置するために作られたんじゃねーの? と思う歌詞に腹が立ちまくって、とにかく全然聴きませんでした。
3000円も出して買ったアルバムをほとんど聴かないって、僕はスゲーお金の無駄をしたことになりますね……。
それにしてもこのタイトル、『イマジン』と被りますよね……。
イマジンは動詞で「想像する」の意味、イマジネーションは名詞で「想像力」の意味だそうですよ。
間奏部分のギターなどは、『I.N.M』っぽいなと思ったりします。
ドラムのエコーがかかりまくりで、ドラムの音の加工大好きな五十嵐さんの趣向が凝らされていると思われ。
“さあ 終わりにしよう 何もかも そこから何かが始まるさ”
まぁそのまんまですよね……。
これからまた何か始めますよ、って希望を感じさせようとしてるんですかね。
五十嵐さんが『クーデター』の頃に何度も歌っていた、「輪廻」も思わせますね。
Andymoriも最後のアルバムで“別に悲しくない 流動するだけだ”って歌詞もありましたね。
ていうかアンディモリも最後のアルバムは「これが最後でんねん」丸出しのアートワークだよな……(笑)。
この曲なんかビデオももろにそうだし、音もサイケデリックでぶ厚いギターで塗り固めている……。しろっぷっぽい。しかし小山田さんは歌上手すぎ。
“当たり前に感じていた 光は砂のように消えた”
光ってなんなんでしょうね……。
シロップを取り巻く環境とか、父親って存在とか、妻とか子どもがいる生活なんですかね。
あるいは、どかどか曲をリリースしまくっていた自分自身のことでしょうか。
色々ありそうな気はする。
“自分だけが苦しいと どこかで思っていたのかな”
『ハピネス』『リボーン』で、「みんなが苦しんでいる」って言葉を打ち出していたけど、実際は「俺が一番苦しい」って思っていたってことですかね。
まぁ、五十嵐さんはめちゃくちゃ苦しそうだと思いますけど……。
“優しさを履き違えて あなたに押しつけてばかり”
『来週のヒーロー』の、「一生懸命考えたプレゼント」みたいなもので、相手のために何かをしたいって思うことがそもそも、多少は「押しつけ」なんですよね。
でも五十嵐さんの言う押しつけって何なんだろう……。
インタヴューとか読んでいる限りだと、五十嵐さん、シロップの関係者に優しくしていなさそうだなとおもうんですが……(笑)。
妻、子ども、恋人とかに対してのことなのかな。
『ホノルルロック』にもあったけど、“冷たい人だねって君は 背中向けた 僕はむしろ君の太陽になろうとしてた”っていうのも、その人が求めるものを履き違えていたってことですからね。
しかし、それを自覚してもなお「押しつけてばかり」になってしまうのって、なぜなんでしょうね。
なんか、五十嵐さんは「人の言葉を受け止める」で止まっていて、もう少し深堀りしたり、自分の思っていることを直接伝えてみたり……というコミュニケーションが不足してるんじゃないかなって気がしました。
いや、僕の思い込みだろうか……。
まぁ、そういう風に、「ありのままを受け止める」という態度を持っている人がそんなにいないものだから、五十嵐さんみたいな感性を持つアーティストが希少価値を持つのだろうとも思うのですが。
“最後のチャンスだと わかってたのに”
メジャーデビューのことなんですかね。
あるいは『ディレイデッド』でインディーズに戻った時のことでしょうか。
つらい……。
“成功するのが すべてとは 今でも思っていないけど 守る為強くなる 必要はあるんじゃないか”
いやもうほんとそうだと思いますよ。
「必要」って言うのはちょっと違う気がするけど……。
五十嵐さん一人で守り切ろうとするところが、ちょっと違うような……。
シロップを(あるいは妻と子どもとの関係を)守りたいなら、みんなでちょっとずつ力を合わせていくという手もあったのでは。
詞が書けないなら作詞家に頼んでみたりなど……(まぁそういうのはいやだったんでしょうけど)
『ラファータ』で言うところの、ルールを守れる強い奴っていうのは、音楽業界を生き抜いている人たちのことも指していたんですね。
“たくさんの歌 たくさんの想い出が イマジネーション 体を突き抜けていく”
『バナナの皮』みたいですね。
全身で感じたいっていう。
“あなたの帰る 場所はあるから イマジネーション 名前をよんでくれ”
ここは二通りの意味でとることができます。
「シロップが無くなっても、あなたには帰る場所があるでしょ?」ってニュアンス。
であれば、同時に、「俺に帰る場所はない」とも思っているはず。
あるいは、解散してもシロップの音源がなくなるわけではないので、名前を呼ぶ≒プレイヤーでシロップを選べばいつでも自分たちの音源は聴けますよ≒帰る場所はありますよ、と歌っている。
“どんなに遠くても 迎えにいくよ いつまでも”
ここのところを踏まえると、やっぱり、「いつでもシロップの曲を聴いてくれ」ってニュアンスっぽいですね。
五十嵐さん自身が、自分が思春期に聴いた音楽を最強だと思っているタイプの人なので、自分と同じ感覚をリスナーにも提供したいって想いがあるんでしょうね。
でも、同時に、解散したら同じように求めてはもらえないだろうなという諦念も感じます。
まぁ、現在進行形でハマっている音楽が一番楽しいですからね……。
自分達が「懐メロ」と化していくだろうとも思っている。
あるいは、シロップ関係の人に歌っているようにも思うし、妻や子どもや昔の恋人に歌っているようにも聴こえる。
なんか、五十嵐さん自身は「ホーム≒心落ち着く場所」があるとは歌わないけれど、誰かに対して、そんなホームを提供したいという想いは感じます。この曲からは。
ギヴ&テイクとは言うけれど、自分から先に何かを捧げていないのに、誰かが何かを捧げてくれると思ったら大間違いなわけで……。
五十嵐さんはこの先、誰かとホームを築くことはできたのでしょうか。
“何が怖いんだろう つかめない”
ここはほんとにわかります……。
なにかを手離してチャレンジして、結果的に失敗してしまうのって恐いっすよね。
いや、そういう歌ではない気もする……。
12.夢からさめてしまわぬように
弾き語りで締めくくるというのも……『ディレイド』以来ですね。
ウィキによるとライブで披露されていた時は『親父の歌』という題だったとか。
“夢からさめてしまわないように 夢の先のことを考えて泣くのはもうやめておこう”
やっぱりまた、未来のことは考えられないっすって歌うんですね……。
「夢」がいつかは覚めてしまうっていう感覚にとらわれてるのは辛いですよね。
“苦しまないで 後悔などしないで みんな何事もない日々が当たり前なんて思ってないから”
「何事もない日々が当たり前なんて思ってない」って……『リボーン』否定やん(笑)。
『リボーン』は、五十嵐さんがリアルだとは思わない言葉を並べたファンタジーだとは思うんですけど、それを「夢」にたとえているのでは。
曲を聴いている間だけはそんなファンタジーに浸っていられるけど、本当は、みんながそれをファンタジーだと分かりながら聴いていたんだよね? って確認の歌を解散アルバムのラストに入れている。
ファンタジーを撒き散らしてしまったかもしれないという罪悪感に苛まれていた自分に、「みんな信じてないから大丈夫だよ」と言い聞かせているのかも。
その辺は、『ヘルシー』レコーディング中のSNOOZER誌のインタヴューで、それらしき部分があります。
あるいは、「父」の文脈で言うなら、「何事もない日々」を自分たちに与えようと働き続けた親父さんに、「あなたの生き方は間違っていなかった」と伝えたがっているのでは。
“君からもらった空の色 風に吹かれて歩いてゆく”
「空の色」って「水色」なのかな……であれば、「水色の風」と近いセンテンスなんでしょうか。
謎……。
“君から学んだその後で 僕は何を返すんだろうか 逢いたいよ”
人に対して「逢いたい」って言ったのって、初めてでは。
『パレード』でも「近くに来たならノックして」とは言っていたけど、遠回しな表現ではなく、ダイレクトに来ましたね、ここでは。
『ex.人間』で、「彼女」から「今度来る時電話して」って言われるってことは、「会いたい」って連絡を入れずに勝手に押しかけてたってことだろうし。
何かを返したいって思っているのに、「君」とは会えないんでしょうね。
「さよなら」を歌にしまくっていたけど、そんな歌が「君」に届いたかどうかなんてわからないし、直接会いたいって想いが膨らんでいるってこと?
“君から学んだ何もかも 忘れてしまってかまわない 信じてよ”
わかんないっす……。
シロップファンの目線から歌ってるってこと?
自分が歌ったことは全部忘れちまっていいですよ、って話かな。
信じてよ、ってなんだろう……。
誰に信じてもらえなかったんだろう。
謎……。
あるいは、誰かに「忘れて欲しい」と言われたことがったんですかね。
謎。
でも僕は五十嵐さんを信じているよ……。
“もっと 寄りそって 近づいて 消えないで”
“もっと 寄りそって 近づいて この手を握って”
親父さんだったり、元カノの思い出だったり、家族との思い出だったり、妻と子どもとの思いでだったりするんですかね……。
「手を握って」って、これまでずっと、誰とも繋がらない「手」のことを歌い続けた五十嵐さんらしい締め方ですね。
シロップの活動を通して、誰も五十嵐さんの手を取らなかったんだろうか。
一度は繋がったけど、また離れていってしまったんですかね。
繋がってる時の歌、もっと作ればよかったのに……。
それも「リアルじゃない」なのかな。
でも、『マウス・トゥ・マウス』と『syrup16g』の間に、もう一枚ぐらいアルバムがあって欲しかったなぁ……。
まぁ、プライベートのことをあんまり話したがらない方なので、プライベートまみれの曲をそんなに作りたくなかったんでしょうか。
“そっと いかないで 少しだけ 声をかけて そっと いかないで”
いや、なんか『パレード』とかなり近い曲ですね。
あれはアルバム一枚を通して「一緒に夢を見てくれてありがとう」って気持ちで作ったってことでしたけど、
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