【syrup16g全曲の考察と感想】Hurt
2019/08/12
『Hurt』8thアルバム。2014年8月27日リリース。
シロップ16g、突然の再結成アルバム。
五十嵐さんの誕生日に再結成&アルバムリリース&ツアー開催を発表していた気がする。
その前年に五十嵐さんの名義でライブを行い、シロップのメンバーが演奏もしていたので、「まぁ再結成するんでしょ」感しかなかったわけだが……。
ハートというと、カタカナ英語では心や心臓という意味で使われることがほとんどだが「傷心」の意味もある。
まぁ、このアルバムは「心臓」という意味みたいなんですが。
ナイン・インチ・ネイルズの傑作アルバム『ダウンワード・スパイラル』の最終曲の『ハート』で、『Hurt』という文字が好きだったそうです。
良い曲ですよね。
https://youtu.be/kPz21cDK7dg
この再結成のニュースが出た時に、たしか、昔付き合っていた女の人から電話がかかってきたことを覚えてる。
僕はその人にストーカーのごとく、ちょいちょいメールを送っていたので、心臓がびっくりして心臓が止まるかと思った。
いろいろ話した気がします。いろいろ。
今思い出しても夢見心地だった……。
電話切りたくねぇぇぇぇぇ って死ぬ程思いました。はぁ。
人生いろいろあんね。
嗚呼……振り返って考えてみると、自分の人生で、あんなに強く人に恋焦がれるなんて、自分の人生で、あんまりないですね。
もうダメだ……もう一度あんな風に、一人の人からの電子通信で気分をアップダウンさせてほしい。
アルバムにまつわる個人的な記憶があるので、下に書いておきます。
・アートワーク
アルバムジャケットは、黒くて薄い長方形がそそり立っていて、それを黒い砂鉄がとり囲んでいるというもの。
というより多分、砂鉄を撒いたところに、黒い磁石を置いて、砂鉄が弾かれたところを撮影したものなのでは。
となると、『I.N.M』で歌われたように、「周りには誰もいない」というシロップのスタンスを表明しているのでは。
これを磁石と砂鉄にしているあたり、「寄せ付けない」といった意味にも感じられる。
磁石がそそり立っているところを見ると、自分たちが「孤高」であるという矜持も表しているのかも知れない。
あとは、2001年宇宙の旅というSF好きが100%の確率で観ている映画があるけれど、あれに出てくる「モノリス」も思わせますね。
「モノリス」の形って、「自然界には存在しない形状なので、知能を持った生物による造形物だとわかるデザイン」になっているそうですよ。
キューブリックすごいですね。
モノリスは、人類を進化に導く存在なので……「お前ら俺が引きこもりやってる間も一向に進化してねーじゃん!」という揶揄なのかもしれませんね。
この「モノリスがそそり立つ」ジャケットというと、ザ・フーの『フーズ・ネクスト』が有名だったりはしますが……。
曲の考察で詳しい事は書いていくけど、再結成後の五十嵐さんは、シロップと言う存在への自己言及が増える。
しかも、けっこう自身あり気な言葉で例えていきます(笑)。
もちろん、それは過大評価ではなく順当なことだと思いますが、まぁ他の人があんまりやらないナルシスティックな手法ですよね(笑)。
なので、このジャケットは、五十嵐さんが“どっかの誰かがそれを踏む”と歌ったように、シロップは多くのフォロワーを生んだこと、そしてそのフォロワーはシロップをコピーしきれなかったことを表しているように思う。
↓小説版も面白いよ(正確には、映画制作と並行して書かれたシナリオ)
歌詞カードにも何かしらのギミックがあるのかもしれないけど、僕はCDを持っていないので確認できず……。
このアルバムを買わなかった理由については下の方で書きます。
1.Share the light
やたら怖いイントロで恐い曲です。
ボーカルをギターでユニゾンしまくっていて、9㎜パラベラムバレッツみたいですね。
しかしこの曲、ぶっちゃけ全然わからないんですよ……。
サビのところでドラムがボンボン叩かれるところは興奮します。
“君の涙を切り取って海に沈めたなら 六大陸が一瞬で潤んだ目に沈む”
全然分かんないです……。
六大陸というのは、地球に存在する大陸は六つなので、「世界」そのものを指して使われることも多い言葉ですが……目に沈むの……?
「海」と「涙」が出てくるあたりは、『来週のヒーロー』にも近い気はするのですが……。
謎。
“記憶に耐えかねていた麻酔無しの制裁は 昏睡強盗のように容易く書き換える”
何を容易く書き換えるのかわからない……書き換えって言葉からは「記憶」に繋がりやすい気がするけど、麻酔無しの制裁って言葉もあんまりよくわからないので、全体的にやっぱりよくわかんないっす……。
麻酔無しの制裁って聞くと、普通は麻酔をかけて行うことをするってことですもんね。
麻酔っていうと手術であったり、医療を思い浮かべるけど……それを「制裁」と取る場面っていうのがあんまりよくわからん。
五十嵐さんも四十を超えているので、若いころの放蕩のツケが身体に出てきている……ということで手術を経験したりしているかもしれないので、そういうことを歌ってるのかな……とも思うんですけど、麻酔無しってところが合点がいかない……。
記憶に耐えかねる制裁ってやっぱり意味わからないしなぁ……。
なにかしら、記憶=過去の経験にかかわる制裁があったってことな気はするんですけど。
謎。
やばいっすね、一曲目から全然分からないっす……。
“鼻歌消えた世界で 無邪気にまだ鳴っている”
臨戦状態でも「歌唄ってていいのかな?」とか思っていたのに、ここでは歌も消えちゃうんですね。
よっぽど切羽詰まっていると見える……。
けど「鳴っている」ものが何かあるんですね……。
「ギターは弾き続けてました」って話かな。
“ヤバいミストに漂って 消えたのも束の間”
なんかこの曲での「ミスト」って、スティーヴン・キング原作でフランク・ダラボン監督が製作した『ミスト』って映画っぽい気がしなくもないです。
伝説のうつ展開映画として名高いので、知っている人も多いのでは……?
この映画、小さな息子のためにパパが奮闘する映画なので、そういう点でも、五十嵐さん好みである気がします。
他にも、五十嵐さんがインタヴュー等で名前を挙げていた『ダンサー・イン・ザ・ダーク』や『列車に乗った男』との共通点もあり……。
っていうか、五十嵐さん「ヤバイ」って言葉好きすぎやろ。
“「何も知らなかった頃が幸せだった」なんて うそぶくのが精一杯だ 後ろ暗い 防空壕”
うん、ここも『ミスト』っぽい……。
「防空壕」っていうのは、「安全圏」って意味ととってもよいと思うんですね。
あるいは、『火垂るの墓』のように、母胎回帰願望を抱えた人たちが逃げ込む場所と考えることもできますが……。
いやもう『ミスト』の内容に触れずに考察することができないので、ある程度ぶっちゃけますが、極限状態で生死にかかわる選択の連続になって、登場人物のうち何人かは死ぬんですよ。
なんとなくそれはわかってください……(笑)。
監督のフランク・ダラボンは、日本でも人気を博しているドラマシリーズの『ウォーキング・デッド』にも製作として名を連ねているので、そーいうテイストの映画だと思ってください。
まぁ、映画の『ミスト』を観た人が、登場人物たちがああすればよかった、こうすればよかった……と語っていることを、「防空壕=安全なところ」で何をうそぶいてるんだと批判しているのでは。
翻って、シロップが休止中にも止まない紛争問題にもそれは言えるし、3.11の震災の時にもきっと『ミスト』のような……(ドラマに例えるのは不謹慎ですけど)悲劇を乗り越えようと行動した人たちがいるのでは? って想いがあるのかも。ないのかも。
“正論なんて諭んないで”って歌詞もありましたけど、五十嵐さんの中では、「知る」ことが絶望や恐怖に繋がるって言う感覚がまぁまぁあるっぽいですn……。
ジャケットがモノリスなのだとしたら、あれも、人に「知らせる」存在だしな。
2.イカれた HOLIDAYS
タイトルのダサさに戦慄した人も多いと聞きます。
「ホリデイ」は休日という意味なので、まぁ五十嵐さんのロング・バケーションのことを指しているのかもしれないです。
ただ、「HOLIDAY」って、語源は「HOLY DAY」、つまり「聖なる日」なんですね。
今現在日本でも土日は休日になっていますが、その制度の起源も、宗教上の「安息日」です。
だからここでは、けっこう久しぶりに、五十嵐さんの持つ宗教観をもとに世界を俯瞰していることになります。
『土曜日』の考察でも書きましたけど、あの曲も「安息日」として土曜日と言う言葉を用いて、本当の意味での安息日が訪れないままの世界を嘆いていたので、聖なる日が「イカれ」ているってことを歌っているのでは。
そう考えると、シロップの初期の曲に出てきたモチーフを歌詞に再利用している部分は多いんですね。
時代が変わったし、五十嵐さん自身も変わっただろうから、あえて同じ素材を使って、どんな作品に仕上がるかを試しているのかもしれないっす。
“感情の無い剥製を 身体に擦りあてる 撫でる 振動の無い六弦を 切り裂くように鳴らす”
あんまりよくわからないんですけど、「六弦」はギターのことですよね。
振動ってなんなんでしょう……エフェクトとかのことを言うんでしょうか。
切り裂くようにってことは乱暴っぽいですよね。
「剥製」って、死んだ動物を加工して飾りにしたものでしよね。
このセンテンスは音楽について歌っていると考えるのが自然。
剥製ってなんだろう……シロップが作った音楽を指してるんですかね。
当時の自分には同調できないけど、聴き返してる……とか?
でも体に擦りあてるってなんなんだろ……エロイですよね。
“最新のポスター 欲張りな憂鬱で 身分不相応の 未来を込めて”
ほんとに広告嫌いなんですね、五十嵐さん……(笑)。
「欲張りな憂鬱」って、ほんとに、鬱ロックに対する冷や水としては痛烈過ぎる。
五十嵐さんは「現実逃避のために音楽を聴いていた」と発言していたことがあります。
『ヘルシー』期のインタヴューでのことですが、同時に、「今の音楽は現実逃避ですらない」とも。
「鬱ロック」ってカテゴリは僕の記憶だとネットでいつの間にか蔓延していたミームのようなものですが……当時、mixiのコミュニティに「鬱ロック」っていうのがあったなぁ(笑)。
「鬱ロックが好き」って言う人は、わざわざ鬱っぽい音楽を聴くためにお金を払ってるの?って気がしてしまうのですが……。
リストカット等、自傷行為に似たようなものなんですかね……。
自傷行為が若者の間で流行り出したのって、90年代後半のことだったと思うのですが……ニルヴァーナやナイン・インチ・ネイルズの影響ってデカかったのではないでしょうか。
敗者・被害者の側にいることで落ち着いてしまう精神作用って、なんなんだろう。
「身分不相応の未来」って良いですよね……。
ポップスが、現実には達成できない可能性の高い夢や希望=ファンタジーを撒き散らし続けているってことを歌っているはず。
しかし、シロップと同じように下北沢から出てきて、売れたバンドの多くも、やはり無自覚というか無責任と言うか……野放図に振りまいていましたよね。
そして意外と、五十嵐さんが「売れた」と思っていたアジカンが、愚直に、リアルさと向き合って泥臭く格闘しているというのは、個人的には面白いです。
“最強のモンスター 断りなき侵入で つたない理想論 被害者の英雄で”
なんかこの「モンスター」っていうのも、『ミスト』っぽさを感じるところ。
断りなき侵入ってなんなんだろ……。
五十嵐さんが侵入する側なのか、五十嵐さんに侵入しようとする人がいるのか……謎。
でも「被害者の英雄」って、まさにシロップが目指していたものですもんね。
世代の代表だと自負しているって発言もあったくらいだし。
「英雄」って何かを成し遂げた人がそう呼ばれるようになるものだと思うのですが……けれど「被害者」のままだというのも、皮肉な話。
結局被害者のまま、弱者・敗者のままだったっていう冷静な現状認識があるんだろうな。
何に断りなく侵入したんだろう……聴く人の心に対してなのであれば、「リスナー」って何らかの手段でシロップを聴こうとした人ばかりなのだし、断りないことないと思うんですけど……。
必要以上に深く突き刺さる歌詞を書いちまったぜ、テヘペロッてことなのかな……。
ジャケットのモノリスもそうだけど、シロップを再始動させるにあたって、かなりの自信を持っていたってことなのかな。
庵野秀明さんが、エヴァの新劇場版シリーズを始動させるとき、「この十年、エヴァよりも新しいアニメは出てこなかった」的なことを声明文で書いていましたけど、そんな感じで吹っ掛けているのかな。
まぁ、僕の中では、andymoriがロックバンドのフォーマットでド傑作を連発してしまったので、シロップの再始動にそんなに胸がときめかなかったという部分はあるのですが……。
“そう 言われた通りで そう イカれたHOLIDAYS”
なんかこうして歌詞を読むと、「聖なる日」とは関係ない気もしますね。
五十嵐さんのロング・バケーションについて書いていると思うのが自然かもしれない。
しかし、あんまり外にも出なかったらしいので、なにがどう「イカれ」てるのかはわからないです。
“競争のない独房の 窓から闇が来る 覚める”
うーん、これも、音楽活動をあんまりしないままに日々が過ぎていったことを歌っているんですかね。
そういえばセルフタイトルアルバムでも「檻」なんて言い方をしていたくらいなので、音楽をやらずに部屋で過ごす日々を、「収監」のように捉えていたのかもしれないですね。
しかも「独房」ってことは、やっぱり、この時五十嵐さんは一人で暮らしているんですね。
“脱走しない独房の 窓から朝が来る 霞む”
闇が来るのに「覚める」、朝が来る頃に「霞む」のは意識なのか視界なのか……。
夜に起きて朝に眠る……昼夜逆転してるって話ですかね。
家から出ない生活が続くと、何故昼夜逆転するんでしょうね……不思議。
“価値残れない 現実の先に 衰弱していく 精神の果てに 夢を見ていた”
齢四十を過ぎて「夢」がまた出来るって素敵ですね。
若いころは「本能」だけで生きながらえていた的なことを歌っていたのに。
サブカル界隈ではよく言われますが、最終的に「でもやるんだよ」と言えることが一番強い動機になりますよね。
「価値が残らない」「精神が衰弱していく」でも、「夢を見ていた」。
ってことは、これは、五十嵐さんなりの「でもやるんだよ」なはず。
まぁ、最初にババン!ってカッコつけておいて、あとあとガス欠を起こすのも五十嵐隆の常なわけですが……(笑)。
3.Stop brain
ネオアコっぽいきらきらしたギターのイントロから、ギュンギュンに歪ませたギターが入ってくるという面白い構成の曲です。
ベースをユニゾンさせているところもあって、音はとても面白い曲だと思います。
こうして聴いてみると、シロップは3ピースにこだわっているのに、アレンジの幅が広いですよね。ええやん。
1:55あたりからの演奏、U2のヴァーティゴっぽいような気がします……気のせいな気もします。
アジアン・カンフー・ジェネレーションの『N2』でも、この曲のリフはあからさまに引用されています。
アジカンって、けっこう、他のミュージシャンへのオマージュを捧げますよね。
『リヴ・フォーエヴァー』もそのままやってるし……。
ところで、この『ヴァーティゴ』も、実は他のバンドからのリフの引用だったりします。
ジョイ・ディヴィジョンの『アトラクシティ・エクシヴィジョン』のベースを盗っているんですね。
このベースをそのまま引用していますね。
ジョイ・ディヴィジョンといえば、ベースがリズムよりもメロディを奏でるバンドとして有名。
シロップではジョイ・ディヴィジョンと、改名したあとのニュー・オーダーにも頻繁に言及されますね。
U2もデビュー当初は一介のポスト・パンクのフォロワーだったので、原点回帰的なアプローチをしていたことになりますね。
こんな鬱々としたアルバムの曲を、大文字のロックンロールとして蘇生させてしまうのは、U2のすごいところですね。
“行き詰った状態で 立て籠もってる 崇高な希望”
やりたいことがあるのに、家にこもってた自分のことを言っているんですかね。
休止中の五十嵐さんに限らず、やりたいことがあるのに、それを外に向けることができないことってありますよね。
“自尊心の喪失で うずくまってる 迷宮の希望”
というか『希望』という曲で自殺したがっている人のことを歌っていた五十嵐さんらしい歌詞……。
やっぱりここでも「本能があるから死なねーだけだぜ」的なふて腐れな態度はなくなってます。
このアルバムはけっこう前向きですね……というか、後ろ向き具合が弱まってるかも。
まぁ、何年もあったのに音楽を止めなかったり、自殺しなかったりした自分のことを信頼するようになってるのかもしれないですね。
“なし崩しの外出で コミュニケーション 友好な希望”
外に出るのがそんなに嫌なんですかね……(笑)。
誰とコミュニケーション取るんだろう。
“思考停止が唯一の希望”
どれだけ考えても希望を見いだせないのだから、思考停止するのが一番楽だってことを歌ってますよね。
「思考停止」というあまりよろしくない言葉を、「希望」と掛け合わせてギャップを生むというのは、シロップのキャリアでまぁまぁ使われる手段ですね。
シロップの中では、主人公が「何も考えられなくなってしまう」状態に陥る曲がたくさんありましたけど、そこに対しても「それが希望だったんだ」と、自分で自分を許すようなニュアンスも感じます。
けれど思考停止していたら、物事は何も進まない……というより、誰かが自分の都合のいいほうにシステムを固めていくのみ。
この「どうにもなんねーじゃねーかよ!」ってところまで煮詰まったからこそ、また、アルバム一枚分の曲を書くエネルギーが出てきたんじゃないのかなって気がします。
“無為に没する生活で 込み上げるは 平凡な希望”
平凡でも希望があるならええやんか……。って思ってしまうのは、僕が経済的には「平凡」より低い生活を送っているから思うことなんでしょうか。
“日々と真摯に対峙して 来なかったツケ 痛恨な希望”
痛恨な希望ってなんなんでしょう……。
“羊飼いと牧羊犬 指令系統 辿ってくと 罪は何処かに行っちゃって やるせない思いは 焼却炉”
羊飼いと牧羊犬のたとえ……やっぱりキリスト教がベースにあるのは間違いないですよね。
指令系統を辿る、という言葉から、SNOOZER誌で田中宗一郎さんが書いていた文章を思い出しました。
シロップとは関係のない……たしかレディオヘッドについて触れた記事だったと思います。
ちょっと「病んだテイスト」で書いていることを前置きしつつ、引用します。
SNOOZER#21 2000年10月号
そう、アルバム『キッドA』に出てくる、姿の見えないモンスター、それはすなわち多国籍企業のことだ。なぜなら、企業には実態なんてものはないからだ。企業は、無数の個人で成り立っている。誰もがその「本当にちっちゃな一旦」を握っている。そして、誰もが「本当にちっちゃな一端」だから、何をしたところで、そんなに大きな罪悪感は感じない。ちっちゃな罪悪感を拳の中で握りつぶしたりする程度。でも、その「本当にちっちゃな一端」が集まって、見えない大きな力になる。そして、まばたきする瞬間に、いろんなものを完膚なきまでに踏みつぶす。だから、あなたはその企業が憎くて仕方がない。何とかして、やり返そうとする。なんとかして、そのありかを突き止めようとする。でも、それは無理。だって、その企業という「見えないモンスター」には実態がないんだもの、石つぶてを投げつけようとしても、その透明の怪物は、無数の「本当にちっちゃな一端」になって、拡散してしまうから。でも、君はきっとその「本当にちっちゃな一端」をひとりひとり追っかけなきゃすまないんだろうな。でも、自分よりちっちゃな、臆病な生き物をつかまえたところで、どうにもならない。彼はきっと涙を流して懇願するだけだろう。「そんなつもりじゃなかったんです。ごめんなさい。許して下さい」。そう、彼は嘘をついてなんかいない。例の、ちっちゃな罪悪感を握りつぶしたこと以外、大したことはしてないんだから。やれやれ。そこで、仕方ないから、君はすべての、その「本当にちっちゃな一端」がいる場所を突き止めて、しらみつぶしに復讐していくかもしれない。そして、その復讐が終わった時、多分、君はこの世の最後の人間になっている。そう、これがグローバリゼーションというやつの正体。
2019年に上記の文章だけを抜き出して読むと、理解しにくい部分もあるかもしれませんね。
90年代って、社会における「企業」の役割や責任の在り方が問題視されるようになった時代です。
今現在もそうですけど、国よりも影響力を持つ企業も複数存在していますもんね。GAFAしかり。
この辺のことをもっと詳しく補足で解説できれば、もっとシロップへの理解を深める手立てになりそうな気はするのですが……お察しの通り、僕自身ほとんど知識がないです!
本読んで勉強して、いい感じになったら、その内補足でエントリを書いたりするかもしれないです。
でもほんと、90年代~00年代中期あたりの作品って、巨大なシステムに、自身自身もあらかじめ組み込まれてしまっているということを描く作品がほんとに多かった気がします。
“君とおんなじように 生きてみたいけど 君もおんなじように 生きていくのは とても大変で”
お前が「君」に合わせる気はあんまりないんかい!!!
「君」って誰なんでしょうね……中畑さん、元妻、子ども、バンプ等の盟友……いろいろありそう。
4.ゆびきりをしたのは
泣き泣き通う曲みたいなイントロで始まって、エネルギッシュな演奏に入っていく曲。
この曲もギターの音が多いな……。
“一生そればっかりでも 飽きるから 本気出せるもん ひとつくらいはないか”
いや、『実弾』で、「他にやる事ないし」って言っていましたやん……。
もう十年前の曲やで、『実弾』……。
貴方には音楽しかないでしょうが!
“Carry on Carry on このまま何処に 行くのか 知らないけど ゆびきりをしたのは”
「Carry on」は「続ける」って言葉。
やっぱり先のことは分からないけど頑張るっす、と想いを新たにしたのですね。いいやん。
でも「ゆびきり」って誰としたんですかね。
「手を繋ぐ」と同じで、これまでにいろんな人としてきた記憶をぼんやり辿っているんでしょうか。
でも、「手を繋ぐ」とは違って、「ゆびきり」っていうのは、解くことを前提としたちぎりですよね。
「離れる」ってことを、前向きに捉えた歌詞なのかも。
中畑さんとバンドを組む時に、「命かけようよ」って言ったなんてエピソードもあるし、「大樹ちゃん、もう一回バンドやってくれてありがとう」的な想いがあるのかもしれませんね。
“何でもないことが 出来ない 当たり前のことが 出来ないんだよ”
世の中いろんな人がいるから「誰でも出来て当たり前」なことなんて何ひとつないと思うんですけどね……。
僕も、マジで能力が低いというか、様々な事に適正がない人間なので、「他の人は出来ることなのに何でできないの?」と言われることが多いです。
つらい。
いやまじで、死にたくなるっすよね。
世界から消えたくなる。
“勇気を使いたいんだろ”
これ、最後に連呼して終わっていきますけど、『実弾』と同じで、決して最後まで使われてはいないんですよね(笑)。
そういえば実弾でも「勇気」ってワードが印象的に使われてましたね。
マジで五十嵐さん、曲の勢いでごまかしてるけど、「決断」は曲の中ではしない人ですね(笑)。
ボーカルを重ねまくって、声も荒げていってるところはかっこいいから許す……。
“応援してるだけさ 共に生きていたいだけなんだよ”
誰のこと応援してるんだろ……バンプ?
元妻か、お子さん……?
まぁ、応援してるだけってことは、自分自身では行動しないってことですよね……。
“はっきり断言する 人生楽しくない だから一瞬だって 繋がってたいんだ”
ああ、やっぱり、「繋がる」のが「一瞬」でもいいから、「ゆびきり」なんですね。
断言しないことが楽しい人生に繋がるなら、もうこれでいいっすね。
ここは、かつて、『生活』で断言系で書いた歌詞が熱狂的に受け入れられて独り歩きしていったことを悔いるような発言をしていた五十嵐さんですが、再開後のシロップでは「断言」はしないぜ、っていう表明のようですね。
ズバリ言うわよ! みたいなスタンスで曲を作ることが五十嵐さんのプレッシャーになっちゃうなら、もう、そんなことはしなくてもいいと思う。
まぁ、確かに、「言い切る」ことで生まれる言葉の強度が、シロップの特徴であり、悩める若者に必要とされた要因だった気もしますけどね。僕はそういうところに惹かれたのかもしれない。
けど、00年代後半って、「プチ教祖」みたいなロックバンドが増えまくって、そういう人達は浅い浅い思想と共依存的共同体意識を「断言系」で歌いまくっているので、あえてシロップがまた「断言系」でやる必要もなさそうっすね。
00年代前半、みんな迷っていたので「断言」ができなかったのかも。
5.(You will) never dance tonight
あんまりわかんない曲です……。
“いつも痛みは 空っぽで 呆れるくらい 他人事で”
また不感症五十嵐さんですねここは。
“置き忘れた 言葉まで 持ち出して 訊いてくる”
インタヴュアーとかファンとかが、自分が書いたことすら忘れているような歌詞について突っ込んで来るってことですかね。
そう考えると、五十嵐さんは僕みたいなきもちわりぃファンの事好きじゃないだろうなぁ(笑)。
“まだ見ぬ明日は 遠ざかり ありきたりの今日は もう終わり”
「終わりなき日常」が続くって話ですかね。
「ありきたりの今日」の次の日も「ありきたりの今日」。
“お馴染みの 水掛け論で ずぶ濡れの 答え合わせ”
誰と水掛け論をしてるんでしょう……自分で?
「お馴染み」というからには、シロップが同じような歌ばかり作ってることに自覚的なのでは……・
“静寂過ぎて 少し怖くて 見上げてる空”
いや、『クーデター』以来ですね、こんなに自室に籠ってる歌ばっかりなのは……。
外出たらええやん……。
まぁ本当の本当に精神疾患だったのかもしれないっすよね……。
6.哀しき Shoegaze
シューゲイズと言う割に曲は超明るい……。
ちなみにシューゲイズは「顔を下に向けて靴をじっと見てライブをやってる暗いバンド」って意味であって、別に音楽性そのものを示す言葉ではないもよう。
みなさん指摘していますが、『実弾』のようなストンプビート曲ですね。
でもドラムは意外とたくさんアクセントを鳴らしているので、こっちのほうがテクニック的には面白い気が。
“楽しかった 記憶の回想 残念ながら 冒頭で再放送”
なんなんでしょこれ……。
テレビドラマの冒頭に前話までの回想シーンがよくついてることを言っているんでしょうか。
あるいは、『実弾』っぽい曲調になっていることを自虐しているのかもですね。
“軽めの十字架背負い ふらふら 感傷にも見放され イライラ”
「十字架」……やっぱりキリストモチーフがこのアルバムでは頻出していますね。
自分のことを責めまくっていたことを振り返って、「いや、そんなに重罪犯してはないな俺」と揶揄しているのでしょう。
“吹き上がる興奮と歓声の渦を 横目にすり抜けたら 爆破しよう”
なんだろうこれ……。
自分たちが参加してるライブのことを言ってるんでしょうか。
シロップを爆破する的な意味?
“哀しき Shoegaze 刹那い Shoegaze forever Somebody here? 懐かしい午後”
まぁシューゲイザーは切ないですよね……。
歌いたい事なんて無くて、音に溺れていたいって人たちのやってた音楽ですものね。
そんなシューゲイザーバンドや、俯いてゆらゆらしながらライヴやってる人たちに、「まだ音楽やってる奴らいるの?」って言いたいのかな。
「他の奴らいるの?」って言い方は、『I.N.M』でも歌われたように、自分たちみたいな音楽をやってる人が見当たらないって文脈の続きなのかもしれない。
そういえば“遊ばないけど言う Somebodyは?”って歌詞もありましたけど、Somebodyがいたらいたで嫌がるのでは……(笑)。
「午後」って言うと、『サイケデリック後遺症』の“夢を見せて 土曜日の午後に”って歌詞も思い出しますね。
7.メビウスゲート
曲の元ネタは、2018年に公開されて日本でも爆発的にヒットした『ボヘミアン・ラプソディ』の劇中でも演奏されていた、クイーンの『アナザー・ザ・バイツ・ザ・ダスト』ですね。
もう、モロ。
ですが、このクイーンの曲にも元ネタがあって、ナイル・ロジャースが中心となって活動していたシックの『グッド・タイムズ』というもの。
五十嵐さんって、黒人ミュージシャンの話をほとんどしないよな……。
それに黒人音楽の影響も。
ディスコテイストなビートですら、クイーン経由だからな。
本来はシックのヒット曲が先に合ったものだけれど。
80年代ニューウェーヴが好きなら、トーキング・ヘッズの話とかもしていいと思うんだけど。
でもそんな話が出てこないってことは、あんまり、好きじゃないのかな。
トーキング・ヘッズはレディオヘッドのバンド名の元ネタになったくらいなのだけど……。
実存にまつわるテーマ性、というのも、すごくあるし。
なんてことを書いていたんですけど、シロップの公式レビューサイトで、ベースのキタダさんがこの曲について「Talking Headsを連想した」と書いてらっしゃいました……。
たしかに、ベースのリズムや、オカズ的に鳴らされる「ジャガジャガジャガ」ってギターの音は、初期のトーキング・ヘッズではよく聴かれる音ですね。
曲名にも出てくる「メビウス」って、キリスト教とか神話が起源なのかと思っていたら、学者さんの名前だったんですね。
「解けない輪」のことを「メビウスの輪」と言います。
転じて、解くことができない複雑なシステムの例えとしても使われます。
メビウス・ゲートという単語を調べてみたんですけど、シロップの曲しかヒットせず……。
おそらく、この「輪」の中心の空洞をゲートに見立てているんだろうとは思います。
何が「解けない輪」なのかは、歌詞の考察部分で書いていきます。
宮台さんの本を読み漁った後って、なんか、虚脱感を覚えるようにもなるような気がする。
「ミニミニ宮台君」なんて言葉を、宮台さん自身も使っていたけど、僕も宮台さんみたいになりたくて、考え方や話し方や態度をコピーしようとしてた気がします。
飲み会とかで「ミニミニ宮台君」っぽいやつを見かけたことも何度かあります……「社会学的に言えばね」って言ってしゃべり始めたりとか(笑)。
宮台さんの言説に心強さを覚えて、世界を見るフレームを与えてもらえるんだけど、段々と、「それでも宮台さんみたいになれない自分」に気付かされるというか。
世界を変えられないという罪悪感。
震災によって、日本の問題点は露わになってしまった。
しかし、それでも変わらない日本という呪縛。
“ルーティンでなだめる 爆発処理問題 感情のデイトレード 安定高値な状態”
「爆発」は前の曲でも歌われたばかり……アルバム内で、同じ言葉を反復して使って印象付けていく作法は相変わらずなよう。
効果的です。
そうなんですよね、00年代に入ってから、「アルバム」を作れるミュージシャンがどんどん減っていってしまったので、五十嵐さんみたいに一枚のアルバムをトータルで設計できる人ってほんと貴重。
「爆発処理問題」って、多分原発の問題を指してますよね。
「なだめる」っていうのも、まさにその通りですし。
で、実際に、みんなあっという間に気にしなくなっちゃったし。
「感情のデイトレード」って、五十嵐さんの人間関係観をズバッと一言で表してます……が、歌の文脈に沿うと、人間の「感情」が商材にされているってことを言いたいのだと思います。
“会話のアップデート 更新されてないが 問題ないことだって わりかし問題だから”
あんまり人と会話してないってことかな……。
アップデート≒最新の状態にするお知らせが出た割には、中身は変わってねーじゃねーかよって告発をしたいのでは、
いろんな問題に言えることですよね……。
後半は「問題ない」で済ませるなよって話ですかね。
世の中問題ないと思い込みたい人が多いけれど、実際には問題めちゃくちゃあるでってことでは。
“そんな理由で 自分傷つけちゃうのは何で そんな理由で 僕を許しちゃうのは何で”
「許しちゃう」っていうのは、シロップのメンバーやレーベルに向けて言ってるのかな……。
元妻には許されてはいないと思うので……。
“損得基準で 自分傷つけるのは何で 損得基準で 僕を許しちゃうのは何で”
ここはホントに、自分を受け入れたレーベルとか、自分に音楽活動を持ちかけてくる音楽業界の人々のことを歌っているはず。
ちょっとやっかいなミュージシャンだけど、活動すれば熱心なファンが買い支えてくれることが分かっているから、声をかけてくる人が多かったのでしょう。と思う。
宮台真司さんは「損得しか考えずに行動する男はクズだ」と口酸っぱく言っているしな。
“たまに君の論外な 非常識の論理が 正しく見える いつかは”
「君」が誰なのかにもよりますけど、政府や東電がメディアを通して垂れ流す弁明に洗脳されかけているって心情なのかも。
あるいは、「論外」「非常識の論理」とは言うけれど、五十嵐さんは“行動が読めなくてドキドキする”と言うくらいなので、自分の予想のつかないことをする女性大好きっぽいので、どうしてそこからそこに行くのか分からない相手に感化されていくってことを歌っているのかもしれない。
“繋がれた メビウスの ゲートの中潜る 秘密の儀礼に 憧れていたんだ”
ゲートの中に潜る儀礼って……セックスのこと?
“低賃金ハードワーカー 軋む歯車 ワンテンポ狂えば 歪む砂上の楼閣”
ここも原発問題を指してるのでは。
原発で働く人たちは、大した補償もない状態で、賃金も仲介業者にピンハネされていることが取りざたされたのは記憶に新しいはず。
この問題は今に至るまで、続いていますね……。
後の『ヴァンパイアズ・ストア』でも似たようなことを歌っていますが、00年代、人材派遣の業者が増えましたね。
詳しい事は忘れてしまったのですが、小泉首相がそうした法整備を推進して、賛否両論となっていたはず……たぶん……。
あるいはリクルートのような企業が、「就職活動」を大きな市場として開拓していったように、人材の売り買いが横行している変わった国が日本です。
(ちなみに宮台真司さんは、創設期のリクルートに関わっていたので、後にそのことを悔いるようなことを話しています)
“本能では察知した シビアな違和感も ゲシュタルト崩壊寸前に 近視眼的だね”
“ヤバイ空気察する能力オンリーで生きのびた”みたいな部分ですね。
音楽をやらずに、通常の社会人として生きようと思ったら、自分も低賃金ハードワーカーになっていただろうというシンパシーがあったのかもしれないですね。
「ゲシュタルト崩壊」は「Stop brain」と同じようなニュアンスな気がします。
“まっさらな スカーフ”
わかんない……全然わかんない……。
スカートだったらまだ女性的なアイテムだし、『シーン・スルー』でも歌ってたけど、スカーフって……。
けど装飾品だから、ちょっと余裕のある人が身に着けるものとして歌っているんでしょうか。
謎……。
8.生きているよりマシさ
庵野秀明さんが、エヴァンゲリオンを製作するにあたっての所信表明で、「僕は死んでいないだけで、生きていなかった」と話していました。
それに近いものを感じるタイトルですね。
庵野秀明さんも、超天才なのに、仕事=創作をするのが嫌になって会社に行けなくなっちゃう時期があるみたいですからね。年単位で……。
やっぱり五十嵐さんと庵野さんって似てるっす。
“一人きりでいるのが長すぎて 急に話しかけられると 声出ないよね”
引きこもりあるあるみたいですね。
芸人のほっしゃんさんが、家から全然出なかった時期があって、一ヵ月ぶりくらいに外出してコンビニに行った時に、店員さんに話しかけようとしたら喉から声が出なかったってエピソードを話してましたね。
声帯使わなすぎると、喉がこわばってしまうもよう。
“基本 地面ばかり見て歩くから たまに人と視線合うと キョドっちまうよね”
そりゃ、地面に落ちてる蝶々の死骸も見つけますわ……。
挙動不審を「キョドる」と略すのも00年代に出てきた言葉だった気がする。
“波を立てずに 穏やかな暮らしで 目立たないように 慎ましやかにして”
『リボーン』みたいな日々っぽいけど、なんかいいなって空気はなさそう……。
“死んでいる方が マシさ 生きているより マシさ”
ではなぜ死なないの? ということは、歌の中でそれとなく語られている気がします。
“ほよぼりが冷めたら また奮起して やり直せるなんて 甘いこと考えてた”
音楽活動のことですよねぇ……。
別に、やり直せると思うのは甘いとは思わないけどなぁ。
レコード会社とかマネジメント会社なんて、五十嵐さんくらい才能と人気があれば引く手あまただと思うんですけどね。
会社辞める時に、なんか嫌な引き留め方でもされたのかな。
“周りを見渡せば 人影は無く 憐れみが入り雑じった 笑顔と共に”
『I.N.M』で歌った事、何回繰り返して歌うんでしょうか……(笑)。
人影が無いって言っても、活動への誘いはまぁまぁあったのでは……。
“もう君と話すには 俺はショボ過ぎて 簡単な言い訳も 思いつかないんだ”
「犬が吠える」を解散した後、中畑さんは年に二回ぐらい五十嵐さんにメールを送っていたそう。
しかし五十嵐さんは、「自分が好きじゃないから」何を返していいかわからなかった……って話を、このアルバムが発売した時に収録されたニコニコ動画の特番で喋ってました。
いや、売り上げとか人気から考えて、シロップが必要とされてないとは思えないでしょ……。
まぁ、この「君」はいろいろな意味に取れると思います。
全盛期に慕ってくれてた人とか、家族とか。
でも、ありますよね。
昔付き合ってた人とかとしばらくぶりにコミュニケーションを取ると、「いや、年取ったのに俺ショボ過ぎるわ……ごめん……」って気持ちになること。
ていうか「キョドる」「ショボい」とか、若者言葉的な表現を普通に歌に乗せててすごいですね。
“君と居られたのが 嬉しい 間違いだったけど 嬉しい”
ここが好き過ぎてちょっとだめですね……。
初めて付き合った女の子とはすぐに別れたんです。
僕がクズだったので。
でも僕はその子と知り合えたから自殺しなかったなぁと思うので、なんか、ここ、ほんとにもう、すごい!
「俺の思ってることめっちゃ言い当てられた!」って思います。
どんな形の別れだったのであれ、「嬉しい」と言える関わり合いが「間違い」だったなんてことはないと思いますけどね……五十嵐さんになにがあったか知らないけど。
別れた相手に向けて完全肯定の愛を歌う曲って、実はあんまり世の中には無いよなぁと思います。
矢野顕子さんが、『ホーム・スイート・ホーム』という曲で、離婚した相手に“遠く離れてても あなたを忘れない 愛を教えてくれた あなたが大好きよ”と歌っているのですが、それに近いかも。
そういや、矢野さんもクリスチャンだな。
元妻へだったり、元マネージャーへの思いなんですかねこれは。
あるいはシロップの音楽を聴いていた人に対してなのかな。
「自分の歌った事は間違っていた(正しい事じゃなかった)」ってニュアンスなのかもしれません。
“会えないのはちょっと 寂しい 誰かの君になってもいい 嬉しい”
「誰かのものになる」って考えると、やっぱり、女性に対してなのかなぁ……。
↑で、付き合っていた子から電話が来たって書きましたけど、彼氏さんと同棲してらっしゃいましたね。
電話で話していた時も僕はその子のことが好きだったんですけど、その事実は割とすんなり受け止められた記憶がある。
まぁ、人と付き合ったりすることって、みんな社会の中で普通にすることですものね。
あるいはここは、ファンがシロップを離れて別の音楽を聴くようになってることを想定しているのかも。
“上向く予兆もなく 陽が落ちて 今夜もまた飲み疲れた 眠っちまうだけ”
まぁ、日本の経済状況のことも指しているはず。
この頃ってアベノミクスで経済が上向きになっていくぜよって言い張っていたのに、多くの人にはその実感が得られないという奇妙なねじれがあった時期だと思います。
まぁ、今現在になっても、アベノミクスってなんだったの? とみんな首をかしげていますね。ははは。
五十嵐さん、お酒はほどほどにしてくださいね……。
「酒飲まないと眠れない」的な事を言う人、心配っす。
ちゃんと歯を磨いて寝てね。
9.理想的なスピードで
この曲も80年代後半~90年代頭のキラキラネオアコサウンドと轟音シューゲイザーのコラージュだな。
“「泣いてる?」なんてからかわれても 「意味がわからない。馬鹿じゃん」 くらいしか言い返せないけど“
四十過ぎてもそんなからかいあるかね……?
子どもの頃のことを想い返しているんでしょうか。
“本当は気が重い ここに来て 驚愕の心理 このまま 子供でいれると思っていたのに”
再始動が「気が重い」ってことなのかなぁ。
四十過ぎても子供でいれることを望んでいるの……。
“家事が好きなのは イヤホンして ラジオ聴いてれば 大概の憂鬱は もう忘れてしまう”
思考停止のためのツールが、テレビではなくラジオになっている。
五十嵐さんの部屋、テレビはもうないのかもしれないですね。
“心と向き合うなんて 無謀さ もともと 勝ち目はないのに 挑んで またボロボロになってる”
『土曜日』と同じことを歌ってますね。
でも闘う相手が「心」になってる。
自分の心を規定しているのがDNAの本能だ、という考えが根底にありそうな気はします。
でも五十嵐さんの主張と、心はどんな風に対立しているんだろう。
謎。
“安心だけはしない 誰に 何言われても 安心だけはしない 死ぬまで”
「死にたい」って言わなくなってるだけマシかもしれないですね。
“反省だけはしない 無意識に やってるから”
うん……そんな気がする……。
“愛してみろ 信じてみろ 壊してみろ 自分”
壊すくらいしないと、自分を「愛す」「信じる」ができないんですね。
10.宇宙遊泳
スピリチュアライズドが97年に発表した『レディーズ・アンド・ジェントルメン・ウィー・アー・フローティング・イン・スペース』というアルバムの邦題が『宇宙遊泳』でした。
当時は大変な高評価を得ていたアルバムなので、五十嵐さんも絶対聴いてると思う……。
タイトル通りサイケデリックで浮遊感の強い独特のサウンドが聴けます。
ちなみにこのバンドの前進は、スペースメン3というポスト・パンクの伝説的な存在です。
スピリチュアライズドの人たち、バンド名といい、アルバム名といい、宇宙が好き過ぎでは……。
この曲は好きやなぁ……。
キタダマキさんも「名曲」言うてます。
ほんと、自身と言うか、ある種の確信を持っていないと出せない疾走感が出てる曲ですよね。
アルバムのクライマックスに、こんな高揚感を持った曲を配置されているのは、『マウス・トゥ・マウス』とこの作品だけでは。
最終曲も明るいところは『シロップ16g』と違うところですねぇ。
“星の隙間で 踊っているだけ 爪先に合う 三日月は無く”
「星」は他のバンドや自分たちの取り巻きのことでは? と考察しましたが、その線でここも解釈出来る気がする。
数多入るロックバンドの隙間でやんややんややっているだけ、ってことですかね。
三日月がなんなのかは謎……。
『月になって』から考えると、自分に寄り添ってくれるパートナーがいなかったってことなのかな。
五十嵐さんは恋人と別れる時、どんな風に別れるんでしょうね。
なんか僕、好きな男性ミュージシャンが「モテない」って言っていたり、離婚したりするのを見ると、「なんでこんなに才能が溢れていて面白い人を振るんだろう……」とか考えます。
“行方知れずで 終わっていくだけ どこにでもある 藻屑と消える”
自分たちの末路を歌っているのかな……。
『途中の行方』でも、自己言及的な部分があったけど、あちらでは至極ネガティヴに歌われていた事柄だけど、こっちでは開き直っている感があります。いいよなぁ。
でも、どこにでもあるって言うほど、よくある音楽じゃない気がしますけどね。
“違う絵本に 描かれている 地続きじゃない 夢の行く先を”
『正常』で“絵本はもうおしまい”って歌ってましたね……。
絵本がファンタジーや絵空事を描くものだとしたら、そこに描かれていなくても、自分の夢が向かう場所はそのまま足を踏み出せばいいってニュアンスでしょうか。
“手掛かりもなく 彷徨っている 眩いものは 全てまやかし”
「眩いものはすべてまやかし」ってことば、最強では……(笑)。
日本の街中でやたらビカビカ装飾されている電光掲示板の景観破壊ぶりは海外でも揶揄されてますよね(笑)。
過剰に存在を誇示しているものは怪しいよ、ってニュアンスな気がします。
“次のステージが Destination うん ただの僻地が 輝いてくれ ただ夢中になれ”
あぁ、この曲はいいですよね……。
自分の心が赴くままに生きるのが一番いいよ、ってことを、ここではホントに信じて歌われている気がします。
魂は理屈で動くものではないじゃないですか。
「僻地」ってことは、これもやはり近くに人がいない……五十嵐さんの現在地なのだと思いますが、そこが「輝いてくれ」って言っているわけで……。
周りに人がいないところでただ歌っている。
「輝く」は、目立ったり脚光を浴びたいってことじゃなくって……。
じゃないだろうとは思うんですけど、五十嵐さんの言う「光」が何をするのか、いつも僕には意図がつかめないです(笑)。
でも、言葉にならなくても、なんかわかりますよね。
心を満たす何かだと思います。曖昧極まりなく申し訳ないです……。
次作の『To be honor』でも、英語でぼかしてはいるものの「栄光」について歌ってはいるので、自分なりの栄光って意味で歌っている気がします。
……と書いたものの、五十嵐さん、ちょいちょい「有名になりたい」とも言っているから、「再結成アルバム、超売れちゃうかも」って期待もあるのかもしれないっすね。
いずれにせよこういう良い曲を書くモチベーションになるなら、五十嵐さんは永遠に心のスピードに振る舞わされててほしい……そう思ってしまうのは残酷でしょうか(笑)。
“Inside 誰かしら Outside 通じ合っちゃうね Inside 隠れても Outside 無駄です”
『Insideout』みたいな言葉を繰り返し歌う……。
頭の中にある言葉を外側に出したら理解されてしまうってことなんですかね。
どうあっても、人と人とは繋がり合うものなんですよね。
五十嵐さんにも影響を及ぼしていると思しき『利己的な遺伝子』の話を『マウス・トゥ・マウス』のところで書きましたけど、人間は、自分の感情を人に伝えるために存在しているという説(眉唾かもだけど)もあるんです。
遺伝子を子孫に残していくことと同じくらい、「情報」というウイルス的な存在を媒介させるために人間は生きているのだという説。
どんな形であれ、生きて意識を持っている以上は、「伝える」と言う行為から逃れられないんですよね。
「無駄です」ってちょっとかわいいですね(笑)。
絶望から逃れることはできないのと同じように、希望とか喜びからも逃れられないんですよね。
園子温さんが、古谷実さんの傑作漫画『ヒミズ』を映画化した時に、脚色を加えたことについて「希望に負けた」と語っていたことを思い出したり。
あれも震災以降の空気を如実に反映させた作品ですね。
矢野顕子さんが『ごはんができたよ』という世紀の大名曲の中で“「義なるもののうえにも不義なる者の上にも」 静かに夜は来る みんなの上に来る いい人の上にも 悪い人の上にも 静かに夜は来る みんなの上に来る”歌っているんですけど、なんか、近いです。
11.旅立ちの歌
力強くてアップテンポな終わり方をするシロップのアルバムって、あんまりなかったですね。いいことや。
ベースの音が、ガンズ・アンド・ローゼズの『イッツ・ソー・イージー』っぽい。
あのアルバムの二曲目ですね。
“たいしたことはない 誰でもない 君の思うままに”
「君」が「他の誰にも代われない」というのは『土曜日』と同じっすね。
“もう 多分はない 揺るぎはない ただ信じるままに”
歌の中で「言い切る」ことから逃げないことに決めたってことなんですかね。
でも同じ曲の中で「やめちまおう」って言っているので、歌で断言はしないけど、シロップとか音楽を辞めることはしないよって言いたいのかな。
“旅立ちの歌 繊細さを胸に そっと秘めながら歩く 君とまた会えるのを 待ってる”
そっと秘めるってことは、繊細さを前面には出さない生き方をしようと決めたのかな……。
「君」は、元妻なのか元ファンなのか遥か昔の元カノなのか、全盛期に仲良くしてくれた人のことなのか……謎。
“残念の中で 落胆の雨で 勇敢な姿を 誰かがずっと見ている”
シロップ一期の活動を肯定しようとしていますね。
一期の最中ではめちゃくちゃ自己嫌悪に駆られていたので、これはよいことですね……。
“最低の中で 最高は輝く”
「輝く」って言葉が再登場。
言葉も「被害者の英雄」とニュアンスが近いのかな……。
負け組の中では優秀、みたいな。
最低って言葉は『センチメンタル』でも出てきたけど……最低な気分の中でも、音楽に救われてきたってことだったと思うのですが、音楽は「最高」なのかな。
最高の音楽に、最低な気分を載せるというある意味「強弱法」でメリハリをつけると音楽の輝きが増しまっしゃろ? って言いたいの?
謎。
“もうあり得ないほど 嫌になったら 逃げ出してしまえばいい”
そうそう、逃げていいんですよ!
“どうもがいても あがいても 時間は戻らない”
うん……ほんとそう。
“損してるとか 得だとか あまり囚われず”
思ってることめっちゃそのまま歌うやんか!
そうそう、自分が心の底から求める道であれば損とか得とか関係ないっす。
というか得したい人は1500円で15曲入りアルバム作らないでしょ……。
“泣きたくなるから 反応してくれよ 必死に言葉 紡いで 君とまた会えるのを 待ってる”
やっぱりこのアルバムの「君」は、おおむね、リスナーのことを指していたもようですね(笑)。
まぁ、英語の「You」みたいに、いろんな君に向けられているのでありましょう。
五十嵐さん基本的に強がりでかまってちゃんというめんどくさいお人なので、こういうところもストレートに出せるようになって良かったですねぇ……。
『マウス・トゥ・マウス』の時に、インタヴューでは「俺が寂しいって言ってんだからそろそろ構えよ」とか言っていたけど……。
なんだか、『ヘルシー』みたいに強烈に誰かに恋い焦がれている人に対して、その「君」「彼女」「あなた」の当事者ではない人は近寄って行きにくそうだけどね。
人間関係は難しいわ……。
考察終わり。
このアルバムが出た当時、僕は仕事をして無くて金がなかったので、CDを買わなかった。
(今にして思うと、金があっても買ったかどうかわらかないけど)
その後、付き合ってないけどセックスをする女性がこのCDを貸してくれた。
彼女と一緒に、秋の暑い日に部屋の中で聴いたのを覚えている。
あんまりピンとこなかったことを話すと、「わたしも」と彼女は言った。
その後、iPodで何度か聴き返したけど、やっぱり、あんまりいいとは思えなかった。
“君と居られたのが 嬉しい 間違いだったけど 嬉しい”
って歌詞には、泣きたくなるような感情を覚えたけど、泣きはしなかった。
セックスする女性は、茨城に住んでいたのに、神奈川の僕の家までわざわざ遊びに来てくれたのだった。
その子は無職の僕の心を慰めてくれて、セックスもさせてくれるというボランティア精神あふれる女性だった。
ある時「私と付き合ってくれる?」というメールが着て、三日ぐらい返信をせずに置いていて返信したら、そのご連絡が取れなくなった。
ちなみに今は連絡取れないです。人生は無常。
彼女が部屋に来てくれた時、僕はニンテンドーDSのドラクエで延々レベル上げをしていた。
レベル上げをしながら、彼女と他愛のない話をし続けた。
彼女の姪っ子の話がとても面白かった。
親の制止を振り切ってレゴブロックで遊び続けて、朝には行倒れのようにブロックを握り締めて床に倒れ込んでいるって話は、誰に喋ってもウケる。
一緒に布団の中でごろごろしている時間が最も幸せです。
これから先、そういう時間はまた自分にあるんでしょうか……。
そんな彼女だけど、『クランケ』がリリースされた時に「聴いた?」って訪ねたら「聴いてない……」と言っていた。
なんかクランケのジャケットのドギつさとか、そのタイトルの開き直り感があんまり好ましくなくて、僕もそこから「syrup16g」という名前をそもそも気にかけなくなった。
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