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映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

*

【五十嵐隆のロングバケーション】syrup16gの2006~2014年

      2019/09/23

このページではシロップ解散から再結成の間に起こった出来事について書いていく。
僕は『ディレイデッド』が出た後……2005年ごろからシロップを聴くようになったので、音源が出ないままにライブで新曲を発表していた期間についても、印象が強い事柄を書きます。

・2007年6月
僕がシロップのライブを始めて観たのは、『ゴーストピクチャーズ』としてDVDにもなった日比谷野外音楽堂公園である。
この公演は「デッド・キャン・ダンス」と銘打たれていた。
「デカダンス」のもじりであり、「死んでても踊れる」というネーミングは、音源を出さないシロップを揶揄しているだろう。
DVDのタイトルにも「ゴースト」とあるし、気分はもう死後だったのだろう。
そうそう、この時期のシロップのアーティスト写真?(雑誌で使われたピンナップ)は、夜の路上で倒れて血を流している五十嵐さんの身体を白線が囲っているものだった。
つまり、飛び降り自殺の現場検証風。
五十嵐さん、どんだけ自分嫌いなんだ……。
ちなみにこの「デッド・キャン・ダンス」という言葉は、80年代に活躍していたグループ「デッド・カン・ダンス」から拝借しているはず。
オーストラリア出身で、イギリスで活動したゴシック色の強い音楽なので、五十嵐さんのアンテナに引っかかっていないとは考えにくい。
レーベルも、ニューウェーブ~シューゲイザー~オルタナ期の才気あふれるミュージシャンを多数輩出した4AD。
今でも良いバンドがたくさんいます。

このライヴで『来週のヒーロー』も観た気がするのだけど、DVDには収録されておらず……。
まぁ、この時点では『来週のヒーロー』もCDには収録されていなかったので、その辺に理由があるのかもしれない。
あと、『シーツ』でドラムの中畑さんがコーラスを入れていたのだけど、それがすごくよかった。

ほか、強烈に覚えているのは、女子高生くらいの二人組のお客さんが、シロップの曲に合わせてノリノリ(死語)で踊っていたこと。
踊るって言っても、音楽に合わせて体を揺らすという自然発生的なものはなくて、オリジナルで振り付けを付けてきていたのだった。
一番よく覚えているのは、その二人がしゃがんで、勢いをつけてジャンプしていたことだった。
シロップでだぜ!?
なんだったんだろうあれは……なんでシロップでそんなふうに踊ろうと思ったのだろう。
二人とも一緒の振り付けだったので、ライブの前から「こういう振り付けをやろう!」と決めていたはず。
で、練習もしていたはず。
しかしどういう心理で、それをシロップでやろうと思ったんだろう……。
普通のライブハウスではできないような踊りだったので、この指定席ライブに合わせて考案された振り付けなのだろう。
なんだったんだ、あれは……。

・2007年12月
その次に観たのは、2008年の冬にやっていた「エンドロール」だった。
物販のTシャツがクソダサかったのを覚えている。
買ったけど一度も着ないまま廃品回収に出してしまった。

ライブはタイトル通り、このツアーの東京公演でバンドが翌年に解散することが解散発表された。
公演名は事前に発表されていたのか、当日分かったのか、どっちだったか覚えてない。
ただ、その公演名を観ても、「音源出さない出さない期が終わるって意味でしょう!」と楽観視していたことを覚えている。

ライヴが始まる前に、一緒に行った人と「何の曲から始まりますかね」って話をしていた。
僕は「とっとこハム太郎やってくれるかなー」とボケた。
隣りに座っていた見ず知らずの女性たちがそれを聴いて笑った。
そこで彼女たちに話しかければ、もしかするとセックスできたかもしれない。
けど、そこで僕は、「あ、俺、この人たちに俺の存在をアピールしたくてボケてたんだな」と気付いて、自分に白けた。
二十代前半の自分はライブ会場に、なんか、いろいろなものを求めていたのだと思う。
本当にいろいろなものを。
今思い出すと吐き気がするようなことばっかりですね。
僕は頭が悪いんだ。

ライブの内容はよかった。
しかし、満を持しての解散発表では、まず
「武道館でやります。どうでしょう?」と話して会場を沸かせて、からの「解散します」という宣言。
五十嵐さんの「上げて落とす」はライブのMCでも健在でした。

他のところでも書いたけど、解散発表MCのあと、聴衆が愕然とした状態で曲を聴いている中で、ノリノリ(死語)で踊りまくっているお客さんがいて、「ハート強いなお前!?」と思った記憶があります。(まぁ、そんなにシロップを好きじゃなかったのかもしれないけど)
僕はと言えば、解散は予測していたこととはいえ、辛かったっす。

んで、客ハケのSEはU2の『ホエア・ザ・ストリーツ・ハヴ・ノー・ネーム』であった。

「なに清々しい曲を流してんだよ! ボケ!」と僕は怒り心頭だった。
けれどこの曲は、アイルランドという閉塞的な世界を飛び出して、世界を股にかけてツアーを行うようになったU2が書いた曲なわけで……。
曲の内容も「外の世界に旅立ちたい」と歌うものなので、おそらくは、五十嵐さんはシロップの解散を「新たな旅立ち」と捉えようとしていたのだろう。
自分自身にとってはもちろんのこと、ずっとそばで寄り添ってくれていた中畑さんに対してもそう。
もしかすると、新曲を3年も出さないシロップをしつこく追いかけ続けていた僕らのようなファンに対しても、巣立つことを促していたのかもしれない。

解散発表後、2ちゃんねるのスレッドを覗くと、解散発表のMCを録音したデータがアップされていた。
あの時代、ライブの直後には、誰かしらが録音したデータをアップしてくれていたのだ。
素晴らしい時代……いや、犯罪なんですけど。(お金を払えば手に入る音源はちゃんとお金を払って聴くけど、こういう、市場に流通していない音源は違法手段に頼ってしまうことがあります……)
せっかくなので、その違法音源からMC部分を文字起こしします!
聴き返してみると、解散発表前に『きこえるかい』を演奏しているんですね。

「ありがとうございます。まさかー、まさかこんなところで歌えるとは、思ってなかったですね。本当にこの曲は(拍手音でかくて聴こえず)。生まれてきて、あんまり良かったことって、あったようななかったような、みんなそれぞれありますけど、えー、すごい楽しくてね。すごい勝手な自分を支えてくれたファンの人たちとか、もちろんメンバー、スタッフの人たちがいて、ちょうど僕がだめな時も支えてくれたのはスタッフの人たち、事務所の人たちにまぁ、支えてくれました。でも、やっぱり甘えてばかりではいけないなぁと思いまして。シロップ16gは、今年いっぱい……とは言わず、3月1日に、僕が大好きな、日本武道館で(ここで歓声が上がってこのあとききとれず)
ほんとに一生の思い出をみんなで作りたいと思います。どうでしょう?(歓声が上がってこのあと少し聞き取れず)
それで僕らは、一回、終了。(「えー」みたいな声がほとんど聴こえないのが逆にすごかった)そして、バンドは(聞きとれず。五十嵐さん活舌ちょっと悪い?)
今まで、本当にありがとう。このまま(聞きとれず。五十嵐さん活舌ちょっと悪い?)
(そのまま『翌日』が始まる)

ところでその時のシロップスレには、「シロップの次はこれだ……ノーベンバーズ!」という宣伝が延々書き込まれ続けていた。
その時から今までノーベンバーズがあんまり好きじゃない。(すまない……)
という話を、シロップ好きと言う共通点がある女の子に話したら、「そんなのアンチの書き込みだと思いますよ」と冷静に突っ込まれた。
グサッときた。
たしかに僕は、何か嫌う対象を欲しがり過ぎているかもしれない。

・2008年3月31日

ラストアルバムがリリースされることはネットで告知されたのだと思う。
1月末にリリースされて、当日に買いに行って、そんなに聴き込むことなくライヴ当日を迎えた。
なんか普通にチケットを取ることができてびっくりした。
ところで解散ライブの公演名は「Syrup16g LIVE FOREVER -The last waltz of Syrup16g-」なのだそう。
もちろん、オアシスの超超名曲『リヴ・フォーエヴァー』を引いている。
この曲は『I・N・M』と同じく1stに収録されている。
オアシスの1stと2ndは名曲の連発で、ちょっと引くレベル。

また、『ラスト・ワルツ』と言えば、一般的にはザ・バンド(こういう名前のバンドです)の解散公演を指す。
こちらは、バンドにゆかりのあるミュージシャンが入れ代わり立ち代わりステージに上がる、華々しいライヴでした。
公演を録音したアルバムはとても豪華なアレンジで、かつ名曲が網羅されており、ベスト盤的な趣も。
同公演は映画監督であり、ロック・ポップスの映像作品でも手腕を発揮しているマーティン・スコセッシによる記録映画もあります。

というわけなので……一つの公演名の中に、二つの異なる引用が用いられているんですね。
情報入れすぎやろ!
アホか!
どっちかにせえや!
しかしこの「情報入れ過ぎ問題」って、音楽でも映画でもよくあるものだと思っていて、「自分に自信がないから情報量を多くして虚飾している」や、「作品の制作ペースが遅いから、一つの作品にここぞとばかりに詰め込み過ぎてしまう」といったことが原因となっていることがけっこうある。

解散ライブ自体は、ラストアルバムの出来がそんなでもなかったため、もうシロップに期待することが間違っているのだとあきらめの境地に至っていたので、平常心で観ることができました。
しかし、今にして考えてみるとおかしなものだよなぁ。
そりゃ、解散するでしょ。
そしてそれと同じように、再結成も、するでしょ。
別にシロップじゃなくなったって、五十嵐さんは曲を作るわけだし。(いや、実際、発表されなかったわけだが(爆笑))。
それまでの沈黙期間が長かったので、五十嵐さんは音楽活動を止めてしまうのではないかという危惧もなくはなかったけど。
ただ、僕は、中畑さんと五十嵐さんの共同作業場所としての「シロップ」が好きだったのだと思う。
中畑さんのドラムあってのシロップなんだ! 二人は仲良くしててほしいんだ! という幻想。
実際には、曲中のドラムプレイのほとんどは、中畑さん発案ではなく、五十嵐さんがアレンジを決めていたのだそうですが……。
僕がシロップに抱いていた偶像は、それこそスティングの言うように、思春期の幻想でしかなかったのだろう。
ただ、今でも、バンドのような複数の人間が寄り集まって一つの作品を作り上げていく様にロマンスを感じる瞬間は多々ある。
五十嵐さんの中にもそんな想いがあるから、シロップを続けているのだと思う。

ライブの話に戻ります。物販で買ったTシャツに早速着替えてニコニコしている人々を見ると、みんな思い出作りのために来てるんだなーって気もしました。
そう、ロキノン系特有のライブマナー……バンドTシャツを着て、首にマフラータオルを巻く民族が嫌いなんです、僕……未だに……(笑)。
タナソーさんは、首にタオルを巻く姿を「田植えスタイル」と呼んでバカにしていたなぁ……。
バカにしとったなぁ……。

あと、ライブ中「ありがとー!」って言いまくっている人が多くって嫌だった。
mixiのシロップコミュニティでも「ありがとう!」の書き込みで埋め尽くされていた。
なにがありがたいのか全然わかんなかったっす。
今でも全然分かってないと思う。
いや、ラストアルバムの出来、良くなかったやん……。

・シロップ解散後

どこかの段階で五十嵐さんは「犬が吠える」というバンドを結成した。
2008年中にはライブイベントに出演するようになっていたと思うけど、記憶は定かではないです……。
思いのほか早い再始動に、嬉しいような、しかしシロップも見たかったような……と、ちょっと複雑な気持ちになった。
好きなバンドの解散後のメンバーの動向を見るのって、なんかちょっと、胸の中にもやもやしたものが生まれませんか……?
やっぱりそれは、自分がバンドと言う共同体にロマンを抱いているからなのだろうけど。

しかし全然チケットが取れなかったので、僕はとにかく腹立たしかった。
俺こんなに五十嵐さんを好きなのになぜ見れないのだ……と。
当時の僕は「俺の方がシロップ好きだろ! ふざけんな!」と思いまくっていた。
あとライブチケットの発売日にSNSに書き込まれる「チケット重複してしまったのでお譲りします(#^.^#)」。
卑怯やわ……人海戦術使って取ってるぜ……。
友だちのいない僕は、一人淡々とチケット入手の戦いに望まねばならないのだった。

その後、2009年には、まだ音源を出していない犬が吠えるを、MUSICAが表紙で取り扱った。
その際にロングインタビューが掲載されていたので、一部転載する。
しかし、解散から一年後のタイミングで、五十嵐さんの肉声が届いていたわけで、別にそんなに沈黙期間は長くはないですね。
邦楽シーンは移り変わりが早いけど、洋楽を聴く人にとってはリリース間隔が3年開くのなんて当たり前のことだし。(向こうはワールドツアーをやるから、ツアーも一年以上のスパンになる事などザラなのです)
しかし当時大学生で、暇ぶっこきまくっていた僕にとっては、五十嵐さんのことが気がかりで仕方なかったのだ……。

MUSICA vol.23 2009年3月号
『犬が吠えるby五十嵐隆、第一声をここに!』鹿野淳氏によるインタビューとレポート。

「(前略)実際バンドがまわっていくとそんなふうにはいかないものだなぁって……それがストレスであったり、逆に楽しくもあったりという感じですね」
◆でもさ、「俺は俺なんだなぁ」って思えるってことは凄く素敵なことですよね。
「そうかなぁ……恋愛みたいな感じがしますよね。恋愛って最初はいいところしか見えないから、いい夢を持って相手に接するじゃないですか。でも、向こうの腹黒さとかいろいろわかってくると、恋愛という核は薄れてきて沈静化して。またそこからいいものもできそうな気がするんだけど、結局、俺は変わんないんだなっていうか。変わりたくて誰かと付き合おうということがあったとしても、結局、最終的には元に戻ってる。その感覚をバンドでも味わわなきゃいけないのかと思うと……やっぱり最後はひとりか! みたいな(苦笑)。そういう感じってないですか? 凄い高揚しても、やっぱりふっとひとりになるというか。……いろんなものを吸収しようとはするんだけど、結局、10代から20代前半くらいまでの、いわゆる思春期と呼ばれる、感性が一番敏感な時に触れたものに対して、どうしても安心感を求めてしまう。
◆音楽家としての今の自分は、曲を作り始めた一番最初の頃の自分――最も衝動的で思春期的な自分を常に対象化してるというか、あの頃の自分が一番美しい存在で、そこと闘ってるような感じがあるのかな?
「そういうところもあるかもしれない、きっと」

◆音楽を作り続けたいからこそ自分の新しいスイッチを押したいなという気持ちは、いつくらいからあったの?
「それは下手したら、最初にメジャーからアルバムを出した頃くらいからもう……(笑)。どこかで折り合いをつけていた部分がたぶんあったと思うんです。……ずっとヤケクソなんですよ。それはたぶん自分の人生に対してヤケクソっていう意味もあっただろうけど、やりたいことなんてできないんだっていう、自虐的な意味が凄くあったんじゃないかな……音楽的にね」

「(前略)バンドとしては、後半はもう機能してなかったと思うから。レコーディングも……バンドのレコーディングっていうよりは、リズム隊をほとんど先に録って、あとの半年くらいはいろんなプロデューサーやエンジニアの人と一緒に自分でダビングしながら作ってたから。そういう意味ではもうバンドじゃなかったのかもしれない。もちろん曲は3人でやるために作ってるから、自分のためにという意識は凄く少ないんですけど」

「(前略。鹿野さんに、メロディセンスをベタ褒めされた流れがあり)天才っていうのは限られた人で、俺はあまり目撃したことがなくて。本当はいないんじゃないかって思ってるところがある。天才はいるんでしょうけど、今まで出会ってきた俺の好きな人達は本当の天才じゃない。ただ純粋に音楽が好きで、いっぱい聴いてたものが頭の中でリミックスされて、それをたまたまコードに載せることができるということだから……自分が発明したなんて全然思ってないんです。自分のメロディにⒸはつけられない。それは昔からそう。やっぱり誰かが自分の中で唄ったりギターを鳴らしたりしているのかなって感覚で」
◆うーん、そうなんだ。そのボツになったのはどういうものだったの?
「ダメなシューゲイザーバンドみたいなのばっかりだった(笑)」

「シロップの時は嫌われなきゃいけないみたいな部分があって、単純に人に好かれることが怖かったんですよね。自分の幼児性だと思いますけど」

「やっぱり凄くリアルでありたいと思うと、大げさにしたくなくて、ポロっとこぼれ落ちるようなものに美しさがある意識がどっかにあるんですよね。そこをわかってくれるだけじゃダメで、拾い上げて強くしてくれる人がいるのが大事で。たぶんシロップの時はそれがなくて、自分がひとりで叫び散らさなきゃいけなかったんだけど、犬はkomoさんがギターで叫び散らしてくれるから(笑)、自分はこぼれ落ちたままでいられるというか」

◆そもそもkonoさんと出会ったのはいつなの?
「6月くらいだったかな」
◆(リズム隊の)ふたりと合わさったのはいつ?
「7月とかかな」
◆そして急に『924』に出るぞって言われたのは?
「ひと月前くらいですかね」
◆8月の終わり頃?(笑)。
「うん、だから、結構のんびりやってらんなくなって(笑)。とにかくゼロから曲を作るという感じだったから、多少テンパりましたよね。結構混とんとしてました。でも、時間も限られているのでたそがれている暇もなく(笑)、着地する場所をみんなで探そうとしてました。もうちょっと時間があれば、また違うものができたかもしれないんですけどね(後略)」

◆『924』の時、顔にボツボツがたくさんできていたじゃない? だからもう一度、世の中に出て行くことに対して神経質になっているのかなと思ったんだけど、実際はどうなんですか?
「それはありましたけど、でも『924』でバンドがつらいからとかでは全然なくて。もしかすると、半年前の3月の最後のライヴまでにかかったストレスのゆり戻しもあったのかもしれない……レコーディング前とか、しんどいことがわかってる前には出るんですよね」

「なんもなかったら辛くてやってられないんですけど、たまに諦めの境地になりかける時に、ちょっとだけご褒美をくれるんですよね」
◆誰が?
「神様が……(笑)。だから『今日、意外と良かったんじゃない?』というちょっとした共有が、少しずつ積み重なって」

◆五十嵐は前のバンドの時、咳払いひとつできないような緊張関係で、それがある意味自分への鏡でもあって、でも、その鏡を見ると非常に絶望感や悲しみを覚えてしまうということを常々思ってきたと思うんですよね。(後略)
「(発言を肯定し、犬のメンバーの話をしつつ)シロップはそういう意味では躍らせないバンドだったから」
◆そうだね。動かさないよね(笑)。
「その緊張感は緊張感で楽しかったし、ライヴやレコーディングは修行のような苦行をする場だったし。音楽を奏でるってことは精神状態が異常じゃないとやっていられなかったから。それは今でもそうですけど」

◆まだちゃんとした曲が出てきてるわけじゃないけど、今ある曲を聴いてると、五十嵐の中で、犬が吠えるは自分を表すだけではなく、自分を導きたい場所に導く、つまり自分を変えていく場所としてある気がするんですよ。そう言われてどう思いますか?
「そうだったら素晴らしいし、そんなことが起きたら、本当に僕はラッキー過ぎるなと思いますよね。シロップの時も凄くラッキーだったと思うし。僕は人とのかかわりの中で自分が変わっていくから。メンバーとかと会ってると明らかに変わってるんですよね。それはどんな人でもどんな場所でも変わってるんでしょうけど、自分が変われるのはやっぱり音楽を通してしか変われないと思うから……うーん、難しいな」
◆そっか。歌詞の話をしたいんだけど、自分ではどういうことを歌いたいと思って歌詞を書きましたか?
「やっぱりシロップの最後のアルバムが『終わる』ということがテーマだとしたら、何かが始まりそうだってことと、その希望と裏腹にあるノスタルジックなものかな。失ったものって、変わることで見えてくる気がするから……それを感じて複雑な気持ちになって、言葉になってるかもしれないです」
◆非常に混沌としてる歌詞だよね。今話してくれた通り、始まりの気持ち、音を合わせて光を感じた気持ちを表したいというのと、「俺はあの時の俺じゃないんだ」みたいな喪失感と両方感じる。あと、一貫している「存在していて申し訳ない」という気持ち。それが合わさってますよね。
「なんですかね? ……宗教的な話をしたいわけじゃないけど、許す/許さないでいったら、人を許さない生き方はとても辛いじゃないですか。だから、傷つけられても簡単に許しちゃうんです、僕。原因があるとすれば自分だって思っちゃう回路があるので。(略)やっぱり音楽をやるということが、どっか懺悔に近い感覚があったりするから」

「もしかしたら、『変わる』ということは、自分の中の価値観みたいなものを壊さなきゃいけなくて。ただ、アイデンティティーにまでなっちゃってるものを覆すことって、その揺り戻しで自分が壊れちゃうんじゃないかと思うことがあって。そこに掴まってたから安心だったもの――ある種の思春期性なのかもしれないですけど、そこから完全に手を離せないでいることが、自分にとって、はがゆいんです。(略)メロディはどこか自分の思春期的な音楽から根づいたものが出てくるから、そこでちょっとはがゆさやギクシャクした感じにならないようにしたい。まぁ思春期性を開き直ってやってる人もいるけど、俺がそれをやっても何も意味がないから」

「言ってみれば『光』は自分のオールドスクールというか、ベーシックな部分がとても出てるから、メンバーはいじりづらかったのかなとは思うんですけど、派手さがないけどちょっといいっていうのは、ずっと一貫してやりたいことで。ループの中に物語があるのは自分の中ではとてもリアルだから、犬が吠えるをやる中でも、そこは1曲ガシッとみんなに提示してみたいなと思ったんです」
◆一番難しいことですよね。大きな抑揚がないんだけど、同じことを繰り返していく中でだんだん高揚していく――そのミニマリズムをポップソングとしてやるのはとても大変なことだと思う。言ってみれば、日本では奥田民生、イギリスではキュアーみたいな。本当に限られた人だけがそれを鳴らせている、そういうものだと思うんですよね。
「やっぱりキュアーなんかを聴いてると、何がいいんだか時々わからなくなるんだけど、世界観がブレないのが一番伝わりやすいと俺は思うんですよね」

「やっぱり音楽とそれに関わる人々に『お前は……』「お前は……」っていわれてつづけて、屈折しながらもやっと生きてこれたんだと思いますね」

「どんだけクオリティーが下がったとしても、リアルであることは続けないと。それをやめたら、応援してくれた人達に本当に申し訳ないし……それは見せたいですね」

「シロップって名前もなんでつけたんですか? って100回ぐらい訊かれたけど、ずっと逃げ続けてたから、ここも逃げたいなという気持ちがあるんだけど(笑)(略)破滅願望の塊みたいなものが、シロップというバンドの中核にあったとすれば、違うフェーズにいることを言いたかったのかもしれないです。だから、文章でなければいけなかったのかもしれない」

ここからはレポート部分からの引用。

リリースやレーベルが決まっているわけじゃないが、その時に向けて曲を完成形に近付け、バンド自体の気運やグルーヴを高めていくのが目的のレコーディングである。
レポートでは、オープンしたばかりのスタジオで、ハードワックスをかけたばかりの床から漂うシンナー臭にやられてマスクを装着する様が書かれている。
「正直に言いますよ。この状態に戸惑っているんですよ、僕は(苦笑)。自分の中ではまだこんなことになる予定じゃなかったのに、いろんなことがスーーッと進んでしまっていて……ははは。

ドラムのリハーサル中、五十嵐さんは鹿野さんの横で携帯をいじったり、薬をのんだりしている。

・感想

順調な様子、のように書かれてはいますね。
しかし五十嵐さんは携帯で何をやるんだろう……。
好きなミュージシャンが携帯で何をやっているのかって気になりませんかね……?

しかし五十嵐さん、写真を見ると、中世的な顔立ちをしていますね。

五十嵐さんのお肌事情に触れた唯一のインタビューでは……?
さすが、フィッシュマンズについて語る動画に出演した際、同席していた有泉女史を「あれ? 有泉さん、今日はフィッシュマンズの話をするから魚顔にしてきたの?」という禁断のイジリをして場を凍り付かせたルッキズムの権化!!!!

『Sunday Sunnyday Someday』……歌詞が掲載されていないので、比較はできないが、U2の曲に『サンデイ・ブラッディ・サンデイ』がありますね。
かなり強烈な政治的メッセージを持った曲。

・犬が吠える解散
2009年4月に、犬が吠えるが解散したと発表されました。
五十嵐さんが、自分の想定の外でハイペースに進んでいく活動についていけなかった的なコメントが出た気がします……。
↑で鹿野さんが指摘している通りですね。
さすが鹿野さんです。

・ボックスセット発売。
『a complete unknown』CD+DVDのボックスセット。
2009年12月23日発売。
配信サイトにもアップされず、ここでしか聴けない五十嵐さんの未発表弾き語りライヴ音源も収録されている。2001年のもののようです。
このボックスセット、なぜ解散後すぐに出さなかったのだろうか。
まぁ……五十嵐さん本人なり、レコード会社なりが、金策のためにリリースしたと考えるのが順当だろう。

僕は、この頃にはシロップ熱はだいぶ冷めていたので買うつもりはなかったのだけど、発売日の夜に横浜のタワーレコード(モアーズに入っていた頃の)に見に行ったら、ふつうに在庫があった。
「発売日の朝にダッシュで買いに行かないと、即完売するんだろうなー」
と思ったのだけど、ふつうに並んでいた。
「なんで売切れてねーんだよ! シロップファン! 完売させろよ! お前ら冷てーんだな!」
と、それはそれで憤激するという、自分でも意味不明な感情に振り回される人間だった。
そして僕はそのボックスセットを買った。
シロップを愛していた頃に自分に報いなければいけないような気がして……そして五十嵐さんの生活が苦しいなら支えねばならないと思って……。

そういえば、その頃僕は、商売をしていてお金持ちの女性と付き合っていて、半ヒモみたいな生活をしていた。
ハン・ソロみたいですね。
それでその人にCDをねだって買ってもらうことがよくあって、一番多い時は40枚ぐらい買ってもらったことがありましたね……。
今じゃ、月1000円でサブスクで聴き放題なのにね……。
いや、ねだるというか、その人は僕が音楽とか映画とかアニメとか、いろいろなものが好きなのを応援してくれていたっぽいので、その人も僕への投資をしてくれていたんですよきっと。
廃盤になってるアドラブルのアルバム二枚も、2000円以上の価格だったけど、横浜のディスクユニオンで買ってもらったことを覚えてます。懐かしい……。
でも、このボックスセットは自分のお金で買いました。
(とは言え他の部分でその人にお金を負担してもらいまくっていたので、まわりまわって、その人に買ってもらったと言えるでしょう。でも自分の中では「自分のお金で買った」なのです)

そういえば、この考察で参考文献にしている『世界シンボル辞典』も、定価14,000円(税別)だけど、その人に買ってもらったんだった……。
「わしはシナリオライターになりたいんじゃ! シナリオライターになるためには、こういう知識を持っておかないかんのじゃ!」
と言って、買ってもらいましたね……思い出すだけで悶絶しそうですわ……。
エヴァンゲリオンのDVDボックスも買ってもらったわ……。
『神は妄想である』もそうだ……。
人に養ってもらうのってめっちゃ楽だけど、履歴書的には空白期間になってしまうので、ヒモって辛い気はします……。
まぁ、履歴書書かないでも済む生き方ができればいいんでしょうけどね……。
すまない……●●さん……結局僕はこんなゴミのようにしか生きられないんだ……。

しかしそのボックスセットは、まだ開封できていない。
なので、ここにしか収録されていない音源の感想は書けないです。
そろそろ十年経つんですね……なんだか笑えてくるわ……。

・2010年10月

2010年10月には、ほとんどのアルバムとEPが紙ジャケットで再発された。
この時に、『ヘルシー』がリマスターされたり、オークションで一万円近くで競られていた『フリースロウ』がボーナストラック付きで出たり、『マウス・トゥ・マウス』と『MY SONG』のEP二枚がセットになったりといった変化はあったものの、シロップファンは熱狂的な人間が多かったので、この再発を喜んだ人ってそんなにいなかった記憶があります……。
それにしても解散から二年半以上が経過してからのアルバム再発である。
回顧されるには早いし、シロップ信者に売りつけるには遅いしで、「なんでこのタイミングで?」と思った記憶はすごくある。
ひとつ思うのは、山下達郎さんが2012年に、キャリアを総括するのベストアルバム『オーパス』をリリースした時に話していたこと。
「今年が、CDが売れる最後の年になりますとスタッフに言われた」とのことで、レーベルを跨いでの(権利的にはめんどくさい)リリースとなったらしい。
今ではCD不況と言う言葉もあんまり聴かなくなった……というか、日本国外では、音楽史上は再び活気を取り戻している状況なので実感がわかないところもあるけれど、このシロップが再発をした時期って、CD売り上げが年々下がり続けて底を打つことを知らない状況だったのです。
超不況。
そんな時代だったので、シロップのカタログを有する会社の人たちも必死だったのではないでしょうか。
まぁ、五十嵐さん本人もお金がなかったのでしょう……。
けど五十嵐さん本人がレーベルに「お金がないんでCD再発してくれませんか?」って直談判しに行ってたりしたら、なんか嫌だな……。

僕がこの再発のニュースを見たのは、入院している時だった。
簡単な手術を伴う入院だったのだけど、病院生活はマジでつまらなかった。
入院・通院自慢をしているシロップファンの気が知れなかった。(自慢してない人への害意はないです)
『シーツ』が入院中に作られた歌だったことを思い出して、iPodで聴いてみたけど、新しい発見などは特になかった。

・五十嵐さん活動再開風思わせぶりツイッター騒動
これは五十嵐さんが直接かかわってはいないので、わざわざ書くことでもないんですけど、「五十嵐さん大変そうだなぁ……」と思った出来事なので書きます。
というか、ツイッター上で起こった騒動であり、ツイートはまとめられているので、直接読んでもらうのがよさそうな気はします。

https://togetter.com/li/278498

まとめると、
ペリカンというバンドがライブ告知をして、「名前はまだ公表しないけどゲストがいる」という前提で、「ライブ会場はシロップ五十嵐さんの出発点。信じられないことがおきます」と意味深なツイートをする。

読んだ人たちが「シロップがゲストなのでは」「五十嵐がゲストなのでは」と勘繰り出す。まぁ、勘ぐらせるようにツイートしたのは明白だけど……。

当日になり、ゲストが体調不良のため不参加となったと発表。

最初からオファーしてなくて、五十嵐の名前でチケットを売ろうとしてた下衆野郎なのでは? とプチ炎上。

以上がおおよその流れ……。
五十嵐さんの名前でチケットを売ろうとしたのは確かに悪いけど、「もともとオファーしていない」というのは流石に勘繰りすぎだと僕は思います。
ただ、「五十嵐さんが乗り気じゃなかったけど押し切ってしまった」とか「五十嵐さんが途中で出る気をなくしてしまった」とかなんじゃないかなと思います……。多分前者なんじゃないかな……。
いずれにせよ、五十嵐さんの苦悩がしのばれます……五十嵐さんも大変だね、本当に。
事の真相は闇の中ですが、なんかこの時、ペリカンさんを叩く人が多くて、叩き方も猛烈だったので、僕は怖くなりました……。
シロップファン、こわっ。
それは今でもちょっと思います。
五十嵐さんは曲の中であんなに自分を責めている人で、その人の表現を好んでいる人たちが、なんでこんなに攻撃的な態度を隠さないのだろう。
まぁ、匿名でも使えちゃうSNSでの話でしかないのですが……。

その後、よく覚えていないけど、五十嵐さんが大々的なツアーを行い復活するというニュースが流れた。
ふたを開けてみたら、バックバンドが中畑さんとキタダさんだったので、めでたくシロップ再結成となりました……。

シロップ解散中の出来事について、自分が覚えている事柄はこれくらいでした。
記憶が薄れまくっていて、自分でも驚いています……(笑)。
やっぱりちゃんと記憶が鮮明なうちに書き記しておくべきこともありますね。

ではこの後は『ハート』以降の作品についての考察をしていきます。

恥が商材。岡田斗司夫さん。本当に裸になれる人はごく稀。かっこつけたりしてしまう。
モテキなんかもそうなんだろうけどなぁ。

僕の好きなミュージシャンは、なぜか、最盛期を迎えた後、目に見えた活動をやめて沈静化してしまう傾向にあります。
小沢健二さん、岡村靖幸さん、五十嵐さん。小山田壮平さんや、ブルー・ハーブ、KOHHも少し近いですね。
それは、邪推ではありますが、「届かない」「変わらない」ということに打ちひしがれてしまうからなのではないかと思います。
全盛期がワーカホリック過ぎたというか、生産性が高すぎただけであって、良いものを作ろうと思ったら二、三年ぐらい空いてしまうのは必要だとは思いますけどねぇ……

 - Syrup16g, 音楽

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結婚式で流したい曲ってあるじゃないですか。 まぁわたし、多分結婚できないし、結婚 …

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ヒプノシスマイクのこと 導入編

たまにナタリーを見るんです。 あんまり面白味のある記事はないのですが、ある時、『 …

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神の御手はいずこ 220721

フジロック、ヴァンパイア・ウィークエンドが出る日だけでも行くの、ありでは?と思っ …

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【歌詞対訳とか無い感想エントリ】ヴァンパイア・ウィークエンドの『花嫁のパパ』

ヴァンパイア・ウィークエンドの『ファーザー・オブ・ザ・ブライド』がとても良かった …