Syrup16g SNOOZER誌のディスクレヴューまとめ
2019/07/04
スヌーザー誌に掲載された、シロップのディスクレヴュー等のコメントを転載します。
法的にはアウトかもしれないですね……うん……。
けど私が思春期に読んで、めちゃくちゃ影響を受けた雑誌なんです。スヌーザー。
やっぱり今読み返してみても、あいまいな表現は排除されていて、ちゃんと「音」にも言及されているし、「他の音楽とどう違うか」がはっきり伝わってきます。
ライター陣の筆力の高さと音楽知識の豊かさが、一目でわかる。
やっぱりすげぇよ……。
これのほとんどは、「そのディスクを聴いていない人」向けです。
多分このページを読む人は、シロップ大好きッコさんたちだと思うのですが、それでも、シロップについて新たな発見ができそうな素晴らしい文章です。
是非読んでみて欲しいす。
特に最後の、タナソーさんによる『Syrup16g』評はやばい。
そして、田中宗一郎さんは、今も現行のポップ・ミュージックのジャーナリスト・評論家として健在なので、タナソーさんのツイッターをフォローしたり、Spotifyのポットキャストを聴いたりしてみてください!
SNOOZER#31 2002年6月号 田中宗一郎氏によるディスクレヴュー
キュアー81年の傑作3rdアルバム『フェイス』を思わせる、うっすらとコーラスとディレイだけがかかった透明感のあるギター。そして、開放弦のアルペジオを多用する奏法に、このギタリスト兼ヴォーカリストが頑固なまでの美意識を持つだろうことを読み取れる。薄明りだけの灰色の部屋で一人、ずっとベッドの中で音楽を聴いているような時期が、一生の内に、誰でも数ヶ月ぐらいはあるだろう。飛翔感のあるギター・フィードバックと、逆ギレしたような叫びに、あらゆるものすべてに癇癪を起こしていた『パブロ・ハニー』時代のレディオヘッドを想起する者もいるかもしれない。捨て鉢で、ニヒルな表情を浮かべたかと思えば、懇願めいた言葉を漏らし、怯えていたかと思えば、いきなり毒づく――1曲の中で、ころころと感情のモードが移り変わっていくさまに、ニルヴァーナを想起する者もいるだろう。キュアー同様、実存をめぐるテーマを主軸に置いた作風は好き嫌いが分かれるだろうが、この、確かな演奏に支えられた豊かな感情表現は、とてもリアル。アートとして、確かな説得力を持っている。フィードバック・ノイズの中で、つかの間の安心を感じようとするシューゲイザー的メンタリティが抜け落ちているのもいい。彼らに対する熱狂的な前評判を聞いて、どこか腰が引けていた人こそ聴いてみるべきだろう。
SNOOZER#33 2002年10月号 田中宗一郎氏による『Delayd』ディスクレヴュー
たった3ヶ月のインターバルでリリースされることになった、メジャーからの第二弾アルバム。「置き去りにされた」というタイトルからもわかる通り、以前からライヴでも演奏されていた、初期の代表曲をレコーディングしたもの。『Coup d’Etat』が、サウンド的に、80年代のニューウェイヴ、あるいは、90年代初頭のグランジにフォーカスしたアルバムだったとすると、こちらはその狭間――ポスト・スミス時代の、C86からシューゲイザーにかけてのサウンドを連想せずにはいられない。隠し味的なエレクトロニクスにしても、全盛期のハウス・オブ・ラヴを思わせる。虹色のギター・フィードバックにしても、どこか当時のクリエイションを彷彿させる。おそらくは、世代的にもメンタリティ的にも、シューゲイザーという内省への逃避と、オアシスという実存への過信――その狭間で、行き場を失っていただろう彼らの逡巡が、見事に結晶化されている。この、底なしのロマンティシズム、あるいは、自分自身の傷付きやすさとか、弱さだけを武器にした、とても受動的に映りながら、実は攻撃的なアティチュード。それは、ここ数年で、自分自身が意識的に置き去りにしてきたものだったりして、そいつで一杯に詰まった本作を聴いて、正直、僕はかなりドキドキした。こっそり縫い込まれた、1本の細い針のようなアルバム。
SNOOZER#36(2003年4月) 松田健人氏による『HELL-SEE』ディスクレヴュー
「ポップ」とは、他者と何かを共有し易い度合であるとすれば、このアルバムは恐ろしく「ポップ」だ。アタック感をそいだ、そのギターのサウンドは、以前の彼らの作品から感じるような、他者を拒絶するような刺々しさが、一切感じ取れない。最初に聴いた印象は「すごく聴き易いし、割と地味かな?」というもの。たとえ今までのSyrup16gというバンドに対して距離を感じている人達であっても、抵抗なくその世界に入って行ける、そんな間口の広さがあるアルバムだ。しかし、その間口の広さに誘われて中に入って行くと、五十嵐隆の濃密な内面世界が、ドロリと溢れ出てくる。そして、このアルバムが本当にすさまじいのは、そのドロリと溢れ出す内面が、最終的に「ポップ」=「コミュニケートし易い」ものとして作り上げられていることだ。最終的にこのアルバムは、五十嵐隆その人以外の何者でもないのに、段々、自分と彼との境が曖昧になって行く――そう、それは、リチャード・D・ジェイムズが見たという、君と僕とが混ざりあった顔と同じものだ――そんな恐怖に近い感覚を、聴き手にもたらす。このアルバムを聴き終った後、『HELL-SEE』という、分かり易い共感を排するような、偽悪的なタイトルがついていることは、むしろ救いなんだ――そんな風に感じるくらい、救いのない傑作アルバムだ。
SNOOZER増刊号 『あなたのライフを変えるかもしれない300枚のレコード』
2004年8月 山潟るり氏による『Hell-see』を中心とした紹介
一体、希望は何なのか? 阪神大震災、地下鉄サリン事件、テロ、戦争、低年齢化し続ける凶悪犯罪に、拍車のかかる一方の不景気――そうした一連の社会の動きを全身で受け止め、そのまま自分達の表現に反映させる「日本のグランジ」と呼べそうなバンドが次々と現れたのが、2000年に入ってからの日本のシーンの大きな特徴だった。それは、どこか80年代後半から90年代初頭にかけての英米シーンで、未来に不安や喪失感を抱き、産業化していくロックへの反発心と絶望感に苛まれた若者達が巻き起こした、オルタナティヴ・エクスプロージョンを思わせる。シロップ16gは、そんな状況の下、登場してきた。フロントマン五十嵐隆は、人間のネガティヴな陰の部分を真正面から見つめる。詩のほとんどを占めるのは、絶望感とどうしようもないやるせなさ、そして、それでも最後に一抹だけ残された希望だ。特に、2003年のアルバム『Hell-See』以前のシロップの作品は、聴いていて本当に辛くなるぐらい自虐的で、暗い。例えば、同時期に出てきたバンド、アートスクールが、ネガティヴな状況を激しくアグレッシヴばサウンドとノイズで打破しようとするのに対して、シロップの音楽はメランコリックなメロディと優しすぎる歌声で、聴き手をゆっくりと心の奥底のダーク・サイドへと誘う。聴く時を間違えると、自分自身もダウナーな状況へ引き込まれてしまいそうになるほどだ。しかし、『Hell-See』は、ダーク・サイドに嵌っていたそれまでのシロップの表現から、一歩抜け出したレコードだ。シロップらしい毒のあるユーモア・センスの込められたタイトル・トラック『Hell-See』を聴けば、誰もがそのことに気付くはず。そう、『Hell-See』というタイトルは、「ヘル・シー(地獄・見る)」と「ヘルシー(健康)」のダブル・ミーニングになっている。そこには、ネガティヴな状況と真剣に向き合い、それゆえ八方塞がりにになってしまった人達に対して「みんな、結構おかしいんだぜ」と呼びかけるような、皮肉と優しさが同居している。健康的、というのは、ただ単純に明るくて、前向きに生きているだけではない。健康な人間こそ、心の底に暗い部分を持ちつつも、自分の中のネガティヴさと闘っている。ヘコむために音楽、ではなく、現状から這い上がるためのBGMとして、シロップ16gを聴いてみてはいかがだろうか。
■2001年の『Copy』は、インディからリリースされた1stフル・アルバム。淡いディレイのかかった透明感あるサウンドと、心の内面の痛みをえぐり取った「グランジ以降」の歌詞が同居するシロップ独自の世界観は、この時点ですでに完成形に近付いていた。「君に存在価値はあるのか?」と正面から問う“生活”のコーラス・ラインがとにかく強烈。
■2002年のシロップのメジャー・デヴュー作『Coup d’Tat』は、いきなり冒頭から「愛するもの(=音楽)を切り売りしてやる」と歌うナンバーで幕を開ける。五十嵐は様々なメロディと声色を使い分けながら、時にニヒリスティックに毒づき、時に怒りを爆発させ、時に怯えた表情を垣間見せる。楽曲ごとのエモーションの振幅の広さは、シロップ書作の中でも随一だ。
■前作から僅か3ヵ月という、驚異的な短期間で上梓されたのが、2002年のアルバム『delayed』。こちらは、インディ時代に書き溜めていた楽曲を、改めてレコーディングし直した1枚。ヘッドフォンとギターだけを手に、外界との接触を絶っていた高校時代を歌った“センチメンタル”を筆頭に、シロップの「離陸前」の時代を描いた作品。代表曲“リボーン”も収録。
■2003年の『Hell-See』の雛形となっているのは、意外にも、ポリスの84年作『シンクロニシティ』。ポリスに限らず、スミス、キュアーから産業ロックに至る迄、0年代の音楽全般は、五十嵐のソングライターとしての重要なルーツでもある。彼自身は、当時の音に共通する点として、「80年代ポップスの持っていた、どこか浮ついた気分と、行き止まり感や虚しさが同居している感覚」を指摘している。透明感のあるディレイを多用した、王道ポップス的なサウンド・プロダクションに、おおよそ普通のポップスには馴染まない、おそろしくパーソナルな歌詞が、1曲の中に奇跡的に同居しているレコードだ。特に、「美味しいお蕎麦屋さん見つけたから今度行こう」と歌いかける“ex.人間”の最後のラインは、何度聴いても鳥肌が立つ。
SNOOZER#42 2004年2月号 THE YEAR IN MUSIC特集
アルバムランキング28位『HELL-SEE』田中宗一郎氏による紹介
日常の隙間に潜む、壮絶な感情のドラマ。そこには当の本人でなければまったく知りえない煉獄――だが、現実世界と全く等価に存在する内面という底なしの地獄が広がっている。83年のポリス作品『シンクロニシティ』をひとつのロールモデルに、はかなさと不機嫌さと脅迫観念と死の匂いを、点描画のような淡い色彩で描き込んだ、全15曲66分。本作と、その後の2枚のシングルを聴けば、誰もがディランやモリッシーに並ぶ言葉と声の錬金術、その誕生の予感に打ち震えるはず。
SNOOZER#42 2004年2月号 THE YEAR IN MUSIC特集
シングルランキング12位『MY SONG』田中宗一郎氏による紹介
アルバム並みの濃度の5曲入りシングル。ごく普通の幸せや正義、そうした入り連の社会通念が内包する虚構性を暴き立てる、シャープな言葉のメス。しかも、どこまでもエモーショナルでパーソナルな言葉で。日本のスミス、誕生の予感。
SNOOZER#42 2004年2月号 THE YEAR IN MUSIC特集
シングルランキング26位『パープルムカデ』松田健人氏による
紹介つけっぱなしのテレビから垂れ流される戦場の映像。押しつぶされ、死んでいく、紫色のムカデ質。僕はそれを眺めながら、大切な人とのセックスをただ貪っている――思わずそんな光景が思い浮かぶ。戦場と日常が交錯する一瞬をとらえた異色作。
SNOOZER#43 2004年4月 三浦泰博氏による『リアル』ディスクレヴュー
『HELL-SEE』という作品は、楽曲にどこか歪みのようなものがあったように思う。それは、他人の暗部に触れた時の様なドロッとした感触を持っている歌詞に合わせて、そうなる必要があったのではないだろうか? ポリスの『シンクロニシティ』を彷彿とさせる、ポップ・ソングでありながら、どこか後味の悪い、あの感じ。
変化が現れた。昨年後半から始まった、怒涛のリリース攻勢の発火点となった『パープルムカデ』以来、明らかに楽曲はストレートなものへとシフトしはじめた。同じく、今作も直球だ。タイトル曲『リアル』は、8ビートとドラムンベースを融合したリズムが、ダンス・フィーリングを感じさせる。宇多田ヒカルのアレンジャーでもある、河野圭の手腕によるところも大きいだろう。
五十嵐隆は、楽曲の歪みを取り払うことで、これまでシロップ16gを敬遠してきた人間にも自らの門を広げようとしているのだろうか? なぜ、自身の表現命題だったリアルを今作のタイトルに課したのか? いずれにせよ、来たるべきアルバムは、『HELL-SEE』以前とは比べ物にならないほど、その射程距離を広げたアルバムになるに違いない。全ては、アルバムで明らかになるはずだ。リリースは、4/21。その日を境に、何かが変わるかもしれない。妄想を抱いて待つ。
SNOOZER#66 2008年4月号 田中宗一郎氏による『Syrup16g』ディスクレヴュー
常に敗者と弱者の側に立ち、安易に勝つことを決して選ぶこともなく、結局、見事に報われなかったバンドのラスト・アルバム。中身はどの曲もこれまで通りのシロップ節であり、その完成系だ。サイケデリックな轟音ギターによるシューゲイザー的なウォール・オブ・サウンドに、90年代インディ/ダンス的なグルーヴィなベースと跳ねる太鼓。世界に対する攻撃的な不満や怒りで溢れていながら、声や言葉や演奏には倦怠感や諦めがこびりついていて、自嘲的なユーモアを付け加えることも忘れない。誰かを思うやさしさを歌っても、必ずそれを形にできないという罪悪感が零れ出し、最終的にはすべてが自嘲に集約されていく。たとえ誠意と純愛の音楽に掻き消されてしまおうが、必要不可欠なバンドだった。にしても、これがスワン・ソングになることをどこか意識しただろうリリックに、ムカつく。そのナルシシズムにムカつく。そうわかっていても、心が動くのが余計にムカつく。とにかく“さくら”、最悪。だからこそ、3月1日の解散ライヴには、別れの儀式を期待して集まった観客全員の気持ちをすべて踏みにじるような最悪なパフォーマンスを期待したい。ただ、両親の死に目にも恋人の死に目にも会えなかった人間としては、武道館に行くつもりは毛頭ないので、俺はここでさよならだ。勝手に死んでろ。
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