てやんでい!!こちとら湘南ボーイでい!!

映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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Syrup16g 『HELL-SEE』発売時のインタビュー

      2019/07/15

ヘルシーに関わるインタビューを三つ、転載します。
このアルバムの制作がなかなかにヘヴィーであったことが伝わってくる内容ですね。
五十嵐さん、ワーカホリックだ……。

SNOOZER誌では、レコーディング中と、完成後の二度インタビューを敢行しています。
一度目のほうが編集長の田中宗一郎さんとの初インタビューなのですが、回を重ねるごとに二人の信頼関係が厚くなり、話す内容もぶっちゃけ度を増していきます。
田中さんはCLUB SNOOZERというDJイベントもやっていて、そへのゲスト・ライブにシロップを招いたりもしていました。(クラスヌは現在でも続いていますよ! 良い音楽いっぱい流れるので遊びに行こう)

なので、ちょっと、逆にカットするようなところを見つけられず、ほぼ完全転載となっています。
特にレコーディング後のものは、インタビュー本文前の導入部分から転載しています。
導入部分をちらっと読むだけで、田中さんのライター・インタビュアー・編集者としての総合スキルの高さに圧倒されます。
田中さんと五十嵐さんの二人の関係については、後々、ちょっと感想を書きます。
五十嵐さん、タナソーさんの前だと、氏の教養の深さを信頼しているのか、映画や音楽の固有名詞をどんどん出してきます。
それにタナソーさんも、自分のことをけっこう胸襟を開いて話すので、お互いにドンドンディープな話をするようになる。すごいっす。

ここで読めるものでも、レコーディング直前のインタビューは必見。
そこでの会話に触発されて歌詞を書いたことを、レコーディングが終わった後のインタビューで明かしています。

インタビュアーの発言と、五十嵐さんの発言の表記分けについてはバラバラです……。
始めから統一して文字起こしすればよかったです。
反省しています。

Quip VOL.31 2003年1月10日発行 石川啓一さんによるインタヴューより抜粋

「メロディアスなものも必要な気はするんですけど、そうなるとテンポもどんどん遅くなっていっちゃうんですよ、どうしても。でもやっぱり愉しいのはガーッとなってる時なんで。でも今新曲増えちゃってて、次のは15曲くらい入るかなと思ってはいるんですけど。飽きられないように、ちゃんと」
●すごいですね。そこまで新曲が出来るっていうのは調子は良いんですか?
「曲創るだけがね、もう日頃の……、なんていうか、仕事ではないかもしれないですね。詞を書いたりするのは、けっこう頭を使う仕事なんですけど。でも最近は歌詞も、あんまり頭を使わないほうが良いなとわかってきて。メロディは……例えば掛け算って、わざわざ頭で考えないでもやってるじゃないですか、ああいう感じで出てきちゃうんで、すごい楽なんですけど」
●歌詞は考えちゃいますか?
「『コトバ』って、やっぱりすごいダイレクトだから……、うん、字面だけ見るとすごい間違って解釈されたりとかするんで、それだったらいつも通りのほうが良いかなと。やっぱり、恥ずかしい作業なんですよね、作詞って」
●自分の内面を出していくものだから。
「うん。それで巧く伝わんないと意味ないし。コトバが犬死にするっていうんですかね。伝わんないし、恥ずかしいし。最悪ですよね(笑)。(中略)曲はすごい良いから、それを殺さない感じが出ればって思ってるんですよ」
「シングル1曲の中で世界観を出すっていうのって、けっこう難しいですからね。『僕はこうだ』っていうイメージを持たれたくないから、イロイロな曲が出てくるんだと思うんですよ。だったら、わかりやすくアルバムで、『これが、ここ半年、3か月の自分ですよ』っていうのが出れば。でもインターネットとかで毎日の日記を書くってことじゃなくて、自分が責任をとれる範囲でのコトバとか表現っていうものに値するカタチをもって提供したい。それはバンドでしかできないことだと思うんですよね。インターネットとかのほうがダイレクトで良いかもしれないんだけど、コトバとか音楽、バンドっていうものがひとつになって、作品としてバーンと出してリアクションがある」

「2002年の同じ時間を過ごしてきたことって、すごい偶然なわけじゃないですか。それぞれの環境があって、生活がある中で、全然違うことを考えているんだけど、同じ時間を共有して生きてる。その中でお互いに、『自分はこういう風に生きた』っていうものを出すことによって、その人との本来の意味での『わかり合えるよね』っていう……共感じゃないんですけど……、なんていうんだろ……」
●『共有』みたいなものですか? 「同じ時間を『共有』していた」っていう。
「そうです、そうです。年齢も考えてることも全然違うんですけど、『同じ季節を一緒に生きた』っていうことがね……ちょっとロマンチックすぎるかもしれないんですけど。(中略)今すごい(世の中の)タームが短か過ぎると思ってて。みんな毎日を少しずつ刻んでってるんだけど、それを捨てていっているみたいな。自分の人生を消費していってるだけっていうのが刹那的であんまり好きじゃなくって」

●(ビデオクリップを五十嵐さんが作らないのか、という質問の流れ)五十嵐さんの映像世界も観てみたいですよ。
「でもすごいベタな世界だと思いますよ。日本の映画の空気とか好きなんで、自分なりの解釈でやっていければ良いですね」

●ツアーが終わって、年末年始はちょっと休んで、レコーディングって感じですか?
「12月も年末すぐレコーディングですね、お正月もあるかなって感じですね。でもそれくらいやってみて、見えてくるものがあると思うんですよ。やってることが、ある種、土足で人の心の中のあんまり触れちゃいけないところに踏み込んでいくようなものだから、中途半端なところに自分がいるのに、そういうことをしてるのって自分の精神的にも良くないんですね。だから苦しい自分も芸のネタにできるようにしないと申し訳ないなって。それで初めて次へ行けるっていうか」

「ツアー中にレコーディングやったりもしてるから、しんどいんですけどね。……プライベートなことでも辛いこととかいっぱいあって、でもそれをそのまま音楽に持っていくのも違う気がして。……やっとこう、少し、聴く人にもわかってもらおうとしてるところを、見せようとしてる気がするんですよ。『delayd』も、実はすごい隠してるっていうか、壁があって。壁っていうかもう、ひとりしかいない世界の話だから。だから『coup d’ Etat』の暴力的な強姦するみたいな感じでもなく、閉じた感じを見せてナルシスティックに見せるんでもなくね、普通にコミュニケーションできるっていうことをね、やってみたいなって。……できるから」

SNOOZER#35 2003年2月 田中宗一郎氏によるインタビューより

“『delayed』は、何していいかわからない感じが出てるし、1枚目はやる気満々が行き過ぎちゃってる感じとかも出てるし。それは、曲にもろに出ている。”

“ライヴは、いまだにすごいつらいですね。お客さんが何を聴きたがっているのかが見えてないんですよ、きっとね。ROSSOとLOSALIOSと回った時に感じたのは、ある種の信仰の近いものというか――ロックというものを存在させてしまう、という感じ。存在させる説得力を持って、それを武器に出来れば、そうやるんですけど。でも、自分の中では、そこにも起源がないというか。どっちかというと、ポップな、トップ40とか、ニューウェイヴの中で生きてきたから。ロックというものは、その奥にあったもので、ポップの方が前にあったから。俺のアプローチでどこまで出来るかというのは、難しいですよね”

“(ポリスの『シンクロニシティ』を基に作っているという発言があり)エンジニアさんに聴かせて、「この音で録ってください」って言って。「このスネア、作れないよ」って言われるんですよ、「いやいや、何とかしてください」って。くるりもやってる高山徹さんていう方に、頑張って作ってもらったりしてます(笑)”
「後処理の問題もあるけど、あの、独特のスネアの張りと、叩き方が――。
“そう! あの叩き方が独特なんですよね。昔、聞いてた時は、そんなにわからなかったんですけど、実は、ムチャクチャな音を出してるんですよね。「ボカーン、ボカーン」みたいな。「見つめていたいって、こんなんだったっけ、全然、バラードじゃないよ」と思ったりしましたね(笑)。そもそも、僕らがやってるのは、格好いいロックじゃないと思うんですよ。情けないロックというか――レディオヘッドの『パブロ・ハニー』の頃の、曲がすごいんだけどショボい、でもすごく生々しい、みたいな。あの感覚を残しておきたいんですよね。”
「その80年代的なメンタリティとか、『シンクロニシティ』に代表されるヴァイブレーションに、五十嵐くんが引かれる理由は、どんな部分なんでしょう?」
“うーん、なんかやっぱり、80年代全体にあった、切ない感じというか。『シンクロニシティ』は特に、後半に行くに従って、終わっていくんですよね。その感じが、いいなあっていうか。行き止まり感というかね。”

“ぶっちゃけて言えば、今、売れているのって、ブルーハーツ・チルドレンじゃないですか? で、それって、僕らがリアルタイムでブルーハーツ聴いていた時の気持ちと、一緒かなと思った時もあったんですけど、明らかに違うと思う。わからないですけど、甲本さんというのは、僕が聴いていた時は、すごいニヒリストだと思っていたんですよ。「俺は、お前らを騙してるよ」って言ってて、お客さんは、それを知りつつも騙されてる、っていう関係があって。でも、今の奴らは、絶対に騙しているとも言わないし、お客さんも騙されてると思ってないから、すごく気持ち悪い変な空間になっていて、そこにうちらがポンと行くと、あからさまに未知との遭遇が始まるわけですよ(苦笑)。まあ、それだけお客さんは、自分の立っている場所がグラグラしてるから、そこに寄り掛かりたいのかもしれないし、それが切実なものなんだったら、アリだと思えばアリなんですけど。でも、当事者として、それをわかりながらやるというのは楽しくないですね。そこは、やりたくない”

“『クーデター』の時は、あえて偽悪的になりたかったというか。ただ勿論、それを受け入れてくれる人はいるんですけど、僕の中では、『ロックじゃないと思われている人達にも、アプローチしていかないといけない』というところもあって。それで、複雑になっているというか。まあ、最終的には自分の世界をやるんですけど。でも、やっぱり、あきらめ感というか、そういうのが入ってきちゃってるんですよね。”

“去年作った曲ですら、もはやいまいち楽しさが湧かないっていうか。感情至上主義というか、自分が生きてるっていう、その生命力を見せられればいいと思っていて。でも、自分の中で、頭が真っ白になるくらい、そういうことが出来れば、お客さんも何かを得てくれるんじゃないかっていうか。そこに麻薬性があるような気がするんですけど、確かに、リスクがあるじゃないですか?――昨日書いた日記を、読み返す暇もなく出してしまう怖さ。でも「本当にやりたいことって何か?」って言ったら、「自分が検閲される前の状態」のものなんですよね。でも、それをリリースするっていうのは、なかなか……”
「卓球のDJは観たことある?」
“ないですね。”
「あれはまさに、『自分を検閲する前のもの』でね、要するに、作品というのは、普通、検閲するものだよね」
“ですね。”
「でも、彼は、客観性とか、理性によって、自己検閲する前のものを、DJで表現しようとするから、本当にすごいの。2002年の年明けのカウントダウンの直後から、夕方の3時ぐらいまで、16時間ぶっ通しで卓球が廻すパーティに行ったんだけど、ホント怖かった。俺『人間が生んだ、もっともスペクタクルで、恐ろしいアートは、ローマ帝国と卓球のDJだ』とか言ってたからね」
“ははははは。”
「すごいよー。『うわっ、人間の内面て、こんなに恐ろしいんだ』って思い知らされる感じ」
“(笑)いいですねぇ。でも、そうなんですよね。今のロックの解消の仕方というのは、すっごくわかりやすいじゃないですか? でも、それを発散させるのは、全部フロアに持っていかれてて、すごくイライラするっていうかね。「辞めようかな」って思うぐらい。羨ましいですよ、本当に。それと、タナソウさんがいるから言うわけじゃないですけど、『ロッキング・オン』なり、『スヌーザー』なりを読んでも、言葉って、ちゃんと伝わるんですよね。で、歌詞って意外と難しいんですよね。本当に言いたいことを歌詞に乗せると、絶対にメロディと合わないし、相性が非常に悪いんですよ。人間の本質を表そうとすると、ノイズとか、朗読とか、そっちの方が全然合う。メロディが、すでに主張しているわけですよ。そこに自分の感情を乗せると、非常に合わない。”
「ヒップホップが発達したのは、実はそれが理由かもしれないからね。ラップの方が、微妙な感じを表現出来るんだと思う。歌ってしまうと、どうしても明るくなりすぎたり、悲しくなりすぎたり、激しくなりすぎる」
“だから、今、キック(・ザ・カン・クルー)とか、リップ・スライムが売れているのって、その伝わり度が、多分、(ロックは)負けてるんだと思うんですよ。キックとかを聴いていると、歌詞に関しては、『如何ともしがたい』っていうところもあるけれど、伝わるじゃないですか。だから、すごいうらやましい。ナンバーガールの向井さんが、どんどんメロディをなくしていく過程というのも、すごいわかるし。でも、やっぱり、自分のルーツとして、メロディがすごく頭に入ってるから、どうしてもそういう音楽になってしまうんですよね。そこのせめぎ合い。言葉なのか、メロディなのか、音楽なのかっていうところで、それを両立させるというのは、なかなか難しいですよね。って、今、しゃべってて気づいた。”

“気持ち悪くなる時があるんですよね。多分、1枚1枚、みんなすごい血ヘド吐きながら作ってるものが、ブワーっと並べられてて、それに順位が付けられてるっていうのは、異常な気がするし。『リコメンドって、何?』って思うし。『そこにリスナーが合わせていかなきゃいけないのか?』っていう気持ちは、多分あると思う。非常に難しいですね。”

“多分、ポリスは、すごい新しいことをやりたかったんだなと思うんですよね。でも、『シンクロニシティ』っていうのは、無念さ、みたいなものが最後に残っていくという、悲しいアルバムなんですよね。『何か新しい物を作りたい、作りたい。何か出来るんじゃないか、俺達。でも、出来なかった……』っていう。それは、すごく今っぽいなと思う”
「それって、言葉にすると、刹那とか、メランコリアとは違うの?」
“いや、刹那じゃないですね。僕の中では、刹那とメランコリアは、ちょっと分けられているものがあって。やっぱり、メランコリアに勝るものはないような気がするんですよ。それは、リスナーの人の頭の中をひとつひとつ、脳を開けてあげないと駄目なことだと思うから、すごい困難なことだと思うんですけど、そこにアクセスしていきたい。「大雑把な刹那」みたいなものをぶつけて、みんなで周波数を同調させて盛り上がるっていうのは、楽しくない。僕が、この周波数に未来を、道を感じるっていうのを発信して、そこで合う人だけが来ればいい。全員は、別にいらない、っていうか。だから、自分がマイナーな人間だっていうのを、ある意味、絶望と共に感じられることが出来れば、楽になれると思うんですけど。でも、どこかずっと、負け犬根性で生きてきてるから、勝利することに執着する自分が、そのルサンチマンがあるんですよね。どこかで出し抜いてやりたいというか、勝ちたいというか。そいつが結構、強者なんですよね。だから、両者の話し合いがいつも難しいですね。どっちかが、席を立っちゃう感じがするんですよ。”

“だから2枚アルバムを出しましたけど、両方とも、どっちかが席を立っちゃったアルバムなんですよ。で、今、「またもう一回、話し合いをしよう」ってなっているところ。「じゃあ、ロック・バンドっていうところで頑張っていこう」という自分と、「いや、お前は違うだろう」っていう話し合いなんですよ。だから、かなり、訳わかんなくなってきて、すごい話しづらい状況がある。前に、どっかの喫茶店でお話した時は、「お気楽な、バカみたいなアルバムを作りますよ」って言ってたと思うんだけど(後略)”

“生きるって地獄なんですよ、普通に考えると。そこをちゃんとドキュメントしたいっていうことと、そこに、何だろう……。その海の中に浮かんでいる船から見た月、みたいなものを作りたいのかな。ちゃんと地獄の中に漂っていたい、っていうかさ。抽象的な言い方になっちゃうんですけど。なんか、きれいな海じゃなくて、地獄の海でもいいんですけどね。そこから見える、すごく美しいもの。胸がグッとつかまれたりするもの。生々しくて、ギュッとする感じ……悲しいんだけど、うれしくて。だから、しりあがり寿さんの漫画みたいなものですよ。「すごく悲しいんだけど、でも、その中に、何かがある」っていうか。あのタッチですよね。殴り書きのような、でも、すごく美しいっていうのを出来たらいいですね。(中略)別にリアリティって、どうでもいいと思うんですよ。リアルじゃなくていい。だって、2ちゃんねるって、それだけでリアルなわけじゃないですか。今さらリアルがどうのこうのじゃないと思うし、リアルに見せればいいっていうのは、違うと思う。そこからいかに、生々しくするか”

“この世は地獄で、どっちも共存してるから地獄なわけで。だから、地獄の中にいても、夢というか、ノスタルジー、ファンタジーを見てしまうから、地獄を感じるわけじゃないですか”

“一番の理想として、その人間の哀しい性を言葉に出来るとするならば、それがやりたいな。それが、一番、あるべき音楽。ロック・バンドとしてあるべき、自分の立ち位置かなと思います。っていうか、そうなりたいなー(笑)。でも、リップ・スライムみたいなのも、この世で本当に地獄を味わってる人っちゅうかね、そういう人達と、ちゃんとアクセスできればいいなっていうのがあるんですよね”

SNOOZER#36(2003年4月) 田中宗一郎氏によるインタビューより

 とても個人的な表現が、ちょっとした何かの拍子で、海の向こうに暮らす見知らぬ人々にさえ、一瞬にして、シェアされてしまうのが、ポップ・ミュージックの素晴らしい点だ。だが、そうした喜ばしき事実には、百も承知の上で、敢えて言おう。極端な話、表現というのは、たったひとりの受け手に届きさえすればいい。もし、その表現を100%理解し、引き受けることが出来る人間がいるのなら、もうそれで十分だ。それ以上のことはない。だが、そもそも、「100%の理解」という概念は、幻想にすぎない。そんなことは起こりえない。しかし、だからこそ、100%の理解を夢見て、表現に向かう人達がいる。日本に限定するなら、おそらく石野卓球や椎名林檎といったアーティスト達が、そうだろう。シロップ16gもまた、アルバム『HELL-SEE』によって、そうした系譜に連なることになった。それは、とてつもなくパーソナルで、グロテスクなほどに生々しく、哀しいほどに嘘がない。薄っぺらなコミュニケーションが次々と商品化され、誰もがそれにすがろうとする時代だからこそ、この切実な表現に触れることは、とても濃密で、それがゆえに、とても危険な体験になるだろう。
現在、日本のロック/パンク/ポップスに疫病のように蔓延している、あまりにも予定調和で、安っぽい共感を前提とした音楽というのは、結局、何を象徴しているのだろう。粗悪なドラッグ並みの、即効性とわかりやすさばかりが売り物の、あまりにもお手軽な共感装置の氾濫。誰も言わないので、俺が断言してやる。わかりやすさとは、悪だ。わかりやすさとは、大切な枝葉を幹からすべて切り取ってしまうことだ。自然界には、直接的なものはあっても、わかりやすいものなんかない。感情は、あんなにも簡単で、わりきれるものではない。体験は、説明出来るものではない。コミュニケーションは、常に不快な気分や傷を伴うものだ。あらかじめ繋がることを目的とした、わかりやすい表現など、母親より年上の娼婦ほどの価値も持たない。人は優れた表現に接した時、共感によってだけ心を揺さぶられるのではない。99%の共感があるのに、それでも消え残っている1%の謎や1%の不可解な要素に恋い焦がれるからこそ、わけもなく心を揺さぶられるのだ。もしあなたが、そんな本物のコミュニケーションを体験したいなら、シロップ16gのアルバム『HELL-SEE』を手に取ることを勧めよう。昨年2枚ものアルバムをリリースしたばかりなのに、しかも、彼らが作り上げたのは、15曲入り、65分以上に及ぶ大作だ。本誌前号のインタヴューでも予告されたように、どこかポリスのラスト・アルバム『シンクロニシティ』を思わせる、はかなさと不機嫌さと脅迫観念と死の匂いを漂わせている。おそらく、地味だとか、わかりにくいという反応もあるだろう。僕はそういった意見を少しも否定しない。実際、この作品は、記憶の底に沈殿してしまった喜びや哀しみのように、とても淡い色彩を持っている。五十嵐隆が弾くギターは、深いディレイと回転系のエフェクトをかけ、アタック音を配したせいもあって、とても線が細い。そして倍音だらけだ。つまり、何も刈り取っていないということだ。彼の声も、そう。遠くから見ると、点描画のような淡い色彩と持ちながら、少し近寄れば、わりきれないものをたくさん抱えているのが、わかるだろう。
ここには、いろんな記憶のかけらが渦巻いている。悪意と罪が渦巻いている。政治的妥当性、一切なし。とても第三者が引き受けられないほどの、切実すぎる想いも、醜悪な部分もすべてひっくるめて差し出すことが出来るか?――そんな命題に挑みながら、それでもポップ・ミュージックたろうと試みた、とてもアクロバティックな身振りを持った奇跡的なアルバムだ。そして、勿論、救いのないほどにリアルだ。今の時代、誰もが簡単にリアルだ/リアルじゃないと呟くが、我々はそもそも100%のリアルになど絶対に耐えられない。自分自身の身勝手なファンタジーをオブラートのようにして、リアルを包みこむことで、日常をやり過ごしているにすぎない。言うまでもないが、人はだれか第三者の内面に触れて、それでも正気を保てるようには出来ていない。例えば、リチャード・D・ジェイムズは、コミュニケーションというものの本質的な恐ろしさを知っているからこそ、あんな風に自らの顔を歪ませるのだ。だが、互いに、あの醜悪な姿をさらすことでしか、我々は決して繋がることはない。

“(前略)『自分でもどうなるかわからないから、やる』みたいな。わかってたら、多分、やらないと思うんですよね。逆に、『変な体験だったな』みたいな感じが残ればいいと思うんです。ロックは、未知のものであったからこそ、『そういうやり方もあったのか?』っていう、ひとつの新しい価値観が生まれるでしょ。逆転させちゃうんだよ、価値観をアリにしちゃう。その感覚が楽しいと思う。(中略)レコーディングの時は、自分の中の価値観が壊れるような感覚を求めてましたね”
「具体的に例えば、どういう価値観が自分の中で反転すればいいと思う?」
“ロックっぽく、なくしたいんですよね。やっぱり、ロックって、格好いいものじゃないですか? それは求めないというか。上手に聞こえなくていいし、格好よくなくていいから。自分が思う世界の在りようというか、それを淡々と形にしたい。そういう感じを表現したい。それで、その世界の在りようというのは、今回のアルバムに関しては、『なぜ病んでいくのか?』、そして、『なぜ、病んだ世界というのが、非常に辛いのか? リアルなのか?』ということ。『人間というものは、受け入れられないくらいリアルなのか? だったら、そういうものを作らないで欲しかったな』っていうこと”

“よく倒れて、入院したりして、病院とか、生活とかの中で感じる世界というのは、人との付き合い、コミュニケーションがなかったりするじゃないですか? あの世界は、やっぱり普通の社会とか普通の生活に戻ったとしても残っているんですよね。その世界観っていうのは、これまでも、わりと表現されたことがないんじゃないかな。1stアルバムから、すでにそういう匂いはあるんですけど、ニュアンス的に。コンセプト・アルバムじゃないですけど、そこにちゃんと軸を置いて、焦点を当てたアルバムを出したいと思った。”

「今回は、何を検閲して、何を検閲せずに、そのままドロッと出そうとしたんだと思いますか?」
“最終的には、自分が思ってるリアルさみたいなものを出せばいいのかっていうと、それはまた違うと思うんですね。結局は、自分の中だけのリアルさでしかないのかもしれないけど、最終的には、聴いてる人のうつし鏡にならなきゃいけないっていうか。その最後の砦は、作動していると思うんですね。ポップ・ソングだから。客観性みたいなものはどうしてもあるっていうか。なかなか卓球さんのDJみたいに、混とんをそのまま表現するっていう形態にはならないんですよね。今回『HELL-SEE』なんてタイトルつけておきながら、ある意味、慈愛というかね。中村一義くんじゃないけど、みたいな、地獄を突き詰めて、最後には祝福したい。”

『ハレルヤ』

“『地獄だ、もうどうでもいいや』っていうことじゃなくて、そこに行き着いたことで、救いが――救いっていうか、『やっぱり生きていくことは正しい』っていう結論にたどり着きたかったかな、自分の思う世界観の地獄を突き詰めて、そこで、自分の中での架空の人物を描く。それは、自分を投影するものですよね? それを描くことによって、最終的に、ちょっと優しくなれたり。そういうものにしたかったんですよね。最初の質問、何でしたっけ?”
「質問は、検閲する/しないに関して」
“あぁ、そういう意味では、いかに検閲しないで、繋がれるか、っていうのかな。全然リアリティがないじゃないですか、例えば、「♪美味しいお蕎麦屋さん~」とかって。それぞれ人の生活の中で、全然リアリティがない言葉があると思うんですけど、でも、それを大サビに持ってくることは、自分の中では検閲されてない”
「ただ、とても生々しいドロッとしたものを差し出そうとはしているんだけど、最終的には、そこはきちんと検閲されていて、プロデュースされている気がした。
“そうなんですよね。隠したいものほど、にじみ出るっていうか。普通に作っても、何か出ちゃってたりとか。だから、女の人との性交渉にしてもね、カメラマンとやり合ったりとか、普通の人とのコミュニケーションの時に、わかるじゃないですか? 別に会話が断絶してるわけじゃないんだけど、でもわかるっていうか、波長が合うっていうか、普通に成立してるんだけど、『コイツ、すげぇ嫌なもん出してるな』とか。そういうのって当人は自覚してないわけですよ。僕も自覚してないし。それって、もしかしたら、自分が汚いものを持ってるのがバレるのが恐いから、先に言っちゃうっていうかね。エクスキューズとして、先に言うことで、濁らせるというか、紛らわせるというか。にじみ出ている自分襲の悪意みたいなものは、耐えられないものがあるじゃないですか? 今回は、その折り合いが難しかったですね”
「自分の醜さというのは、どの程度、意識して差し出したの?」
“前回までは、「にじみ出てしまっている」んだと思うんですね。ただ今は、完全にプロデュースされて、漂白されたものが、メジャーの中で流通しているじゃないですか。僕らは、「それは嫌だ」と。自分なりの検閲されていないものを出しているつもりなんですけど、やっぱり人は快楽にしか手を差し伸べない生き物だから。そこになんらかの嫌なものを促すのが、無意識に見え隠れしていたと思うんですよ。だとしたら俺は、相当汚れた人間だということを見せてしまいたい。偽悪的でもなければ、偽善的でもなく、全部そのまま出してしまいたい。その中で、多少なりとも表現として成立させるために、若干の検閲は必要だったんですけど。実際、その歌詞すべてを読まれてしまったら非常に困るんで、ちょっとぼかすとかいう、そういう意味での検閲はあるんですけど、でも、自分で聴き直してみた時に、ヘドが出るっていう感覚は今までで一番強い。清々しいみたいな気分も、逆にあるんですけど。『これを流通させるのは、どうなんだろうか』っていう気持ちから、最後の曲が出来てきてたんですね。優しいというか、自分を救済したいというような曲が普通に出来るようになって。前までは、例えば(レディオヘッドの)『ザ・ベンズ』の最後のストリート・スピリットみたいに、ああやって終わるっていうのがリアルだと思ってたから”

『ストリート・スピリット』

“でも、逆に、15曲の中で、十分見せ尽くしてしまったというかね。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のエンドロールは、すごい美しいじゃないですか? そういう気持ちになったんですよね”

ダンサー・イン・ザ・ダークのエンドロール↓
ただしネタバレなので注意

“半年という、自分達の中では、わりと長いインターヴァルがあって、その中でもいろいろあったけど、すべてがリアルっていうか、そのまま入ってるんですよね。だから、それを聴いて、『あ、私のことだな』と思う人もいるだろうし。すごい個人的な歌ではあるけど、でも、それを成立させられたとすれば、聴いた人が、これは私だと思ってくれることが、ポップっていうことなのかな。でも、そこにたどり着きたいなっていうのはありました”
「そこが達成されれば、自分自身をモチーフにしたものでも、世界の在りようをあぶりだすことが出来るだろうという目算も、なくはない?」
“自分に見えている世界が、ひとりだけだったら悲しい。本当にこれが、この世界の在りようなのかっていうことを確かめたい。別に、共感して欲しいとか、わかり合いたいというのではなくて、単純に確認したい。それに群れたいとも思わないし、そこでやりとりしたいわけでもないんだけど。やっぱり大丈夫なんだなって思いたいというか。ひとりじゃないのかなと思いたい”
「うんうんうん、今、自分自身がやっていることの動機付けというのも多分そこかもしれない。今、自分が感じていることが、歴史の中ではなかったことにされているような気がすることがあるんだよね。たまに深夜のテレビで、昭和40年代、50年代の映像に合わせて、ヒット曲が流れてたりしてるじゃん。」
“ありますね”
「で、ある時代までは、『この時代には、こんな気持ちも感じてたかもな』って思ったりもするんだけど、ある時代から、特に最近になればなるほど、『あ、この感じには、明らかに俺は含まれてないな』って思うことが多くて。要するに、映像メディアや歌に残された気分とは違うところで、俺は世の中を見てたということなんだよね。でも、それを何かしらの形で残しておかないと、自分自身は存在してなかったことになるなと思って」
“そうですね”
「それを残しておきたいというか、とにかく一回形にしておきたい。それによって共感を得たいというのではなく、ただ、『こうだった』と言っておきたい」
“わかります。まさに、今回の曲に関しては、そのオンパレードっていう感じ。”(This is not just)Song for me“っていう曲があるんですけど、今、だんだん、ジャスト・ソングがなくなってきていると思う。どんどん魔法がない手品みたいになってしまっているというか。魔法であった時間というのが記憶の中にあって、その感覚を模しているのかもしれない。元々そんなものはなかったのかもしれないけれど、でも、それを感じた瞬間を刻み込みたいっていうか。思い切り(ポリスの)『ドゥ・ドゥ・ドゥ・デ・ダ・ダ・ダ』のリフをやりたいというか(笑)。あの曲はすごいショボイけど、俺の中ですごい大好きな曲だから。(ポリスの)『シンクロニシティ』をやりたいなと思ったりとかね。あれを聴いた時の感動……感動とも違うんですけど、「何なんだろう、この『マザー』っていう曲は?」とか。その後に、いきなり、美しい曲がいっぱい並んでたりする、あの不思議な感じ。”

『マザー』

“それに対する、自分の対応みたいなもの、俺史、っていうかね。日本史に対抗して、俺史があって欲しい。今までは、シューゲーザーなり、グランジなり、いろいろ括れるものだったりしたけど。『あのラーズのイントロが来てんだよ、うるせえな』っていうか(笑)。『パクってないですよ』みたいなね。パクってないけど、でも、その感覚を求めてる。それを出して何が悪い。全然違う曲になってればいいじゃん。自分の中で消化しきれてない人がやれば、ただのパクリって非難されるかもしれないけど、ちゃんと自分の音楽が確立されていると思ってるから、その中での引用。すごい切実な引用なんですけど。それがしたかったんですよね”
「意図的な引用とパクリというのは、そもそも、目的がまったく違うからね。いわゆるパクリっていうのは、わかっちゃいけないものなんだけど、わかっていいし、むしろわかることで広がりもあるし。」
“ですよね。方法論をパクってるわけでは決してないから。ニュアンスとか、エッセンスとか、それはいくらでも受け継がれていいものですよね。「それなら俺はラーズを聴く」、「じゃあ、俺はストーン・ローゼズを聴くよ」っていう言い方をする人もいるけど、でも、それじゃあ、音楽って何も前に進まないと思うし。その人なりの解釈をやっていても、全然違うものが出来ちゃうからこそ、面白いわけじゃないですか? まあ、人のことはどうでもいいんですけど、少なくとも自分はそれを出したかった。素直に出したかった。全然ギャグじゃないし、パロディじゃないし。全然、人とはリンクしないかもしれないんだけど、「これが俺の音楽の歴史です」みたいなのを。それを出し切っちゃったことによる、虚脱感というか、やり切っちゃったなという感じも含めて、ポリスの『シンクロニシティ』みたいなものが近いんじゃないかなと思ったんですよね。ポリスのそれぞれ3人が、「俺はこういうことをやりたい」って、出し合って出来たものが素晴らしい。多分、「じゃあ、もう、いいじゃねぇか」っていうことだったと思うんですよね。だから、次からは、同じ方法論で何かを作ることはないかもしれないし、また新しいものが見つかればね、それはミュージシャンとして幸せなことだと思うんですよね”
「じゃあ、そういうアングルで作られたものが、どんな風に外界との接点を得て、どんなリアクションが返ってくるのが、一番自分達自身、及び、この作品にとって報われることですか?
“うーん……。聴いた人、買った人のうつし鏡になって、その人が、グッとくるなっていうか、「ああ、こういう世界を共有する人もいるんだ」っていう気持ちを感じてもらえるのも嬉しいんですけど。でも、実は、やっぱり、これは、自分のためのリハビリ・アルバムだと思っていて(笑)。『HELL-SEE』みたいなタイトルつけて、ぼかしてはいますけど、全然シャレにならないような世界、自分の中のものを表現することによって、ゴスペルに近いというか。実際、すごくノスタルジックになってしまったし。だから、攻撃的な曲ってないんですよね。優しいというか、慈愛に満ちた曲になってるんですよね。許したいし、許されたい。それは個人的なもんなんで、なかなか口では言えないですが、そういう気持ちが強いですね。検閲しなければいけなかったというか、しないと成立しなかった。やっぱり、歌えなかったですよね、自己検閲しないと。完全に歌詞は、アルバムを作ってる最中に書くわけです。で、あり得ないような時間の流れの中で、自分にとって嘘がない歌詞を書いて、自己検閲がまったくないものを歌おうとすると、吐いてしまうわけですよ、歌う時に。それは自分の弱さであり、表現者としては失格なのかもしれないですけど。だから、歌詞を変えたりしましたね、何曲か。自分の感情が表現を越えてしまう。僕は作家性云々より、自分の身を削って何かを表現している人間だと思っていて、じゃなければ、何の価値もないと思うんですけど、だから絶対、そこだけは曲げちゃいけないと思いつつ。これ、プロモーションには全然なってないですけど(笑)。だけど決して薄まってはいないし、自分の納得のいく形で、ちゃんとうつし鏡になれる範囲内で、自分の描きたい世界が描けていると思うんです。”
「でも、すごくアクロバティックなトライアルだったね」
“でしたね。ホントに、ねえ(笑)。タナソウさんとインタビューした時って、まだ録ってなかったのかな?”
「うん、確か、まだ録ってなかったのかな?」
“そう、だから、インタビューで、結構、「ああ、そうか」と思ったことがあって。「検閲されてないものって、やっぱりやってみたいな」って。でも、それは望まれてもいないような気がする。それを歌って、スタッフの顔見ると、(顔をうつぶせて)みんなこんなんなってるんですよね(笑)。やっぱり、あまりにも表現として成立していないというか。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が下世話というか、悪趣味だっていう感覚と近い。俺の中ではすごくリアルなんだけど、「ちょっと待て」と。あれは、あの美しいミュージカルのシーンがあってこそ、成立しているもんであって、自分に言い聞かせたのは、「それはただの懺悔であって、神様の前で何かしてるようなもんだろう。”

ミュージカルシーン↓

“そんなものを聴かせて、お金を取ろうっていうのは違うんじゃないか」っていうところと、「いや、でも、本当に思ってることを歌いたいんだ」っていうこととの、せめぎ合いのバランス感覚が、すごい問われているんですよね。曲調とは、また別の次元で。曲調は、救済を求めているものが多いから、そこに少し助けられたというか。トータルで聴いてみると、すごく絶妙というか。絶妙っていうと自画自賛だけど。ポップ・ソングにはなりきってなくて、でも、すごいリアルになっているから、すごく理想的になってる”
「100%ウェルメイドなポップ・ソングではないし、石野卓球のDJに代表される、100%検閲のない自己表現でもない。ただ、リスナーって、どっちかの極端なものを求めがちなんだよね。「あ、この音楽はこういうコードがあるんだ」ってわかると、アクセスしやすいの。多分、このアルバムは、リアルであることとポップであることのバランスにおいて、表現として理想的な形なんだけど、そのコードを読み取るのに、ちょっと時間がかかるかもしれない。それは、商品として言えばマイナスかもしれない。ただ、表現としては、理想ですよ。
“例えば、ミスター・チルドレンみたいに、信仰に近いような感じで突き抜ければ、もっと作品自体も突き抜けたものになるし、内省的に「俺が、俺が」という世界をやれば、それはそれで、すごい愛されるものが出来るのはわかるんですね。でも、僕は、どっちにも行けないから。でも、それだからこそ、リアルなんですよね。自分が30近くなって、どっちも信じられない。どっちも嘘じゃない感じ。それに気づいてしまった時に、「もっと行ってくれよ」って言われちゃうと、キツイっていうかね”
● いや、本当にその通りだと思う。でも、期待されるのはどちらかだよね。
「自分が、どこかバランス感覚を持って生きている中で、バカでもなんでも、信じちゃってる人みたいなものに酔いたいっていうかね、夢を見たいっていうか。ただ、林檎さんとかは、俺、聴いてないんでよくわかんないんですけど、あれはどっち側なんですか?」
●どうなんだろうね。この前、五十嵐君と話したあと、俺も、検閲する/しないというテーマが自分の中に残っててさ。で、林檎ちゃんのアルバムを聴いた時、どっちなのか正直わかんなかったの。すごくプロデュースされているじゃない? だから、リアリティの追求ではないんだろうと、まず思った。完璧なステージセットを使った、完璧な嘘というか。そこが、別なリアルとして成り立つような。だから、リアルなものを目指したというよりも、むしろ張りぼてを作りだすことによって、本物の自分自身を隠すというプロセスだったんじゃないかな。
「やっぱり、この前までのアルバムというのは、プロデュースされつつも、生身の自分が出すぎたことによって、傷ついたっていうかね」
●そうだね。それは、まさにそうだね。だからこそ、今回のアルバムは、すごくディフェンシヴ(防御的)なんだと思う。それがゆえに、意識的に、すごく装飾過多になってるんじゃないかな。でも、やっぱりあれはすごい作品だと思う。他の誰にもやれないというか。
「タナソウさんのレヴュー見てね、「あ、聴きたいな」と思ったんですよね。「きっと俺にはわからないだろうな」というのがあって。自己装飾をしているにせよ、やっぱり、すごい不器用な人だと思うんですよね。出ちゃってると思うんです」
●その通りだね。きっとそうだと思う。
「それを理解してあげられなかったとしたら、すごく不幸なことだと思う。自分も、表現に携わっている人間の端くれとして、それが理解されないということは、すごい哀しいことだと思うな。だから、なかなか聴けなかったりする」
●あー、なるほどね。わかる気がするな。それと、やっぱり、男性原理からは出てこないものなのかなとは思ったんだよね。だから、林檎ちゃんのアルバムを聴いた時に――自分がすごく卑怯で、すごく臆病だなと思ったんだけど、あのアルバムに対して、もし「わかった」と思っちゃったら、それはそれで、嘘というか、いけないのかなとも思ったんだよね。
「でも、タナソウさんは、あんまり男性原理でものを作ってないですよね」
●う~ん。
「失礼かもしれないですけど、わりとそういうのがわかっちゃう人なのかなと思う。僕も、そういうところがあるんですよ。だからきっと、林檎ちゃんの前の作品とか好きだったんですよね。だから、わかってみたいなと思って、聴きたいなと思って。でも、ちょっと恐い」
●多分、五十嵐くんが言ってるのとは別な意味で、俺、基本的に、女性の表現というのは、恐いんだよね。おぞましいとか、そういう意味ではなくて、すごくあてられることが多くて。ただリスナーとして聴いてるだけなんだけど、なんか、それを引き受けなきゃならないんじゃないか(笑)っていう、変な強迫観念にかられるところがあって。
「アメリカの音楽というのは、どんな表現であれ、すごい男性的じゃないですか。それというのは、あまり好きになれない。イギリス人の音楽って、どこか繊細なんですよね。女っぽいというか。そこがやっぱり、でかいのかなと思います」
●俺、ちょっと二枚舌なところがあってさ、アメリカのマッチョな音楽は大嫌いなんです。かといって、すごい女性的な表現も、やっぱりコネクト出来ない。でも、ビョークとか、コートニー・ラヴみたいに、すごくマッチョに映る女性の表現というのは、すごく安心出来る。
「(笑)コートニー・ラヴが好きっていうのは、すごく意外ですね」
●多分、特殊だよね。
「うん。音楽的に評価してる人って、タナソウさんぐらいだよね。面白いなと思いますけど」

●じゃあ、自分の作品、今回の作品を、男性原理、女性原理で見てみると、何か思うことはありますか?
「出てくる人が女性ばっかりなんですよね。サビとか、いろんなところで、『彼女が言った』っていう感じなんですよ。でも、全部、自己投影なわけですよ。なんでそれが出てくるのかわかんなかったんですけど、自分の中の女性原理みたいなものなのかな。何かを受け入れるっていう感覚が強いのか。何かが起こった時に、どういう対応するかといったら、わりと受け入れちゃうタイプなのかな。自分が女っぽいとは、そんなに思わないんですけど、気づく時があるんですよね。みんなそれを、見たがらないというか」
●はいはい(笑)。
「だから、田中さんが大嫌いな小林よしのりが格好いいなと思えたり、石原慎太郎格好いいなとか、そういうところが出ちゃうんですよね。自分に欠落しているものだからこそ、近づきたいっていうのはありますよね」
●俺は、自分の中のマッチョな部分に気がつかされることが多くて。石原慎太郎よりマッチョだなとか(笑)。
「でも、田中さんはそうですよね。マッチョな部分を、すごい持ってますよね」
●だから余計に、マッチョなものが嫌いなんだけど、かといってフェミニンなものも恐くて。
「嫌悪感があるんですか?」
●嫌悪感じゃないと思うんだけど。林檎ちゃんのアルバムのレヴューにも書いたけど、「僕には無理」っていう言葉のニュアンスが一番近いんだよね。
「(笑)僕には無理」
●「お前、どうにかしろ」なんて、誰も言ってないんだけど(笑)、受け止められないっていう感覚を感じることがすごく多くて、そこから、すたこら逃げたくなる感じなの。マッチョなものに対しては、マッチョな立場で向かえたりするんだけど。だから、女性に対する神格化も全然ない。
「ないんですか?」
●多分、ない。ニ十歳ぐらいの時は、過剰にあったんだろうけど。でも、今は多分ない。
「でも、その幻想みたいなものがないと、何かエネルギーがもったいないなっていうか、それがなくなるのが、すごい恐いんですよね」
●女性に対するファンタジーが?
「うん。それって、結構強烈じゃないですか。中坊とかの異常なバイタリティとか。あの感覚って、二十代にならないぐらいが、一番ピークだったかな。すっごいバカなんだけど、バカって強いなって思うんですよね」
●みうらじゅんが、童貞力と言ってる、アレね。
「(笑)童貞力ですか、わかる気がする。そうですね、童貞力、そうだな。それを再び、カモンって感じなのかな、今回は。取り戻したい。それはノスタルジックな感じになっちゃってますけどね。(しりあがり寿の)『瀕死のエッセイスト』って読んだことあります?」
●あるある。

「あれの最初の方に、開けると夏の風景がバーンとなるんですけど、それをすごい鮮明に覚えてて。あの感覚だと思うんですね。でも、今は夏がなくなってきてるっていうか。季節云々というより、夏がないんですね。季節がフラットになって、感情もフラットになっていくっていうのは悲しいな。だから、バッと扉を開けたら、夏がそこにあって欲しい。今回は、それがなかなか開かなかったんですけど、でも、パッと夏が懐かしいというか……。また、その扉を開きたいなっていうのが、あるんですよね」
●でも、夏がこないかも、っていう感覚もあるの?
「うん。だから、夏って素晴らしいのかもしれないしね。逆に、終わってしまったがゆえに美しく、とても美しく美化されてしまったことによって、音楽もすごく美しくなって、純化されてしまっているというか。だから、ノスタルジックなものって、捨てられないんですよね。それより美しいものって、他にないから」
●例えば、『正常』って曲があるじゃない。それは、枯れていく夏みたいなこととは、何かしら関係するの?
「うーん……そうですね、うん、うん……うん。本当に、なんもない世界なんですよね。ずっとその前にノイズが続いてて、気を失ったあの時が始まりだから。風景だったりするんですよね。そこにはきっと、思い描いている夏が。夏が通り過ぎて、砂漠にいるみたいな。太陽がギラギラ、ギラギラしていて。で、気を失って、砂漠の中で、喉がからからなんだけど、それでも夢を見ちゃうんですよね。その夢っていうのは、ファンタジーじゃなくて、普通に生きるっていうことですよね。ファンタジーの中で夢を見るということは、生きるっていうことなのかなと思うんですよ。自分がすごい辛い状況になって、逃げだしてしまった時に、夢を見ることによって逆説的に生きるっていうことだと思うんですよね。だから、夢を求めるということは地獄だって気づいちゃった人が、結局、ただ生きることを選ぶっていうことなんだと思うんですよね。ファンタジーの中に入ると、現実の中で生きていくことにしか、夢は存在しないというか。あの世界の中に、この地獄みたいな世界の中にしか、夢は、存在しないっていう風に思ったんですよね。結局、逃避することによって救われるんじゃなくて、その強烈な夏の中にいると、やはり生きて行くことを選んでしまう自分の弱さっていうかね。石みたいな体なんだけど、でもそれでも生きたいと願ってしまう、悲しい人間というか」
●俺、一時期まで、逃避的な音楽が嫌いだったのね。で、ある時期から、そうじゃなくなったんです。というのは、逃避的なものに思いっきりコネクションを持つと、結局、現実に引き戻されてしまう。
「そうなんですよね」
●現実に向かう力を与えてくれる音楽、という言い方もあるんだけど、それよりも、逃避的な音楽の方が、無理やり現実に押し戻す効果を持ってるんだよね。
「そうなんですよね」
●ただ、今、世の中に流れているのは、逃避的な音楽でも何でもなくて。
「そうなんですよね」
●ごく普通の、水増しされて、商品化された、ファンタジーとも言えないような。
「全然、ファンタジーじゃないから楽しくないんですよね。きっと、ブルーハーツみたいなままで行けば、ファンタジーにしてくれるからいいんですよね。ちゃんとMr.マリックぐらいの手品を見せてくれればいいんだけど、中途半端にマギー司郎を見せられても」
●(笑)そうそうそうそう、盛り上がらない。
「ちゃんと夢を……僕らは、見せられてるんじゃないかなと思う。勿論それは、人それぞれの見えてる世界が違うからね、売れる売れないとか、そういうことは絶対言えないんだけど。15曲並べると短編映画みたいな、60分とか65分とか、長い作品なんだけど、でもそれを見たら、何かが残るから。それは、ひとつ夢を見たってことに言えないだろうかって。安生を揺さぶられる映画を観た後って、変わるじゃないですか。それは、一日もたないかもしれないけど、それで十分嬉しいから。手品だから、魔法じゃないから。何の日常に対して、何の答えもあげられないけど、少しふわっとさせてあげられればうれしいから。最後、ありがとうって言ってるんですけど、「60分、一緒に夢を見てくれてありがとう」っていう、そういう感じなんですよね。それは、すごい自分の中でびっくりした。そういう人間では、決してないから。ま、解決はしてないんですけど、少し音楽に救われたなって自分が思えたから。それが、リスナーにも届けばいいなと思う。個人的なことで、申し訳ないですけど」
●ううん。この前話した時は、しりあがりさんの話をしてたでしょう。あの後に、『クイック・ジャパン』の連載が単行本になっていたのね。で、表紙のところにさ、あと書きがあって。このアルバムって、どこか、あの感じがあるように思ったんだよね。
「あれ、すごい好き。あれ別に、あと書きじゃないんですよね。あのふざけた感じは、すごい好きだな。あれを読んで、いいヴァイブをもらいましたね。あれでいいんだと思った。考えてることが近いっていうか」
●いや、そう思った。五十嵐くんが話したことと、あの単行本と、このアルバムには、インスピレーションをもらったね。
「ああ、ありがとうございます。中身がすごいですよね、あれ。大好きですね。今、「好きな本は何ですか?」って言われたら、『なんでもポン太』って言おうかなと思ってて。なんか、優しいんですよね」

●ホントにそう。で、優しいんだけど、愛とかさ、目に見える形で、何も一切差し出さないでしょ。
「そうですね。まんじゅう工場、結構好き」
●(笑)あれねー。
「よくわかんないんだけど」
●安心して、コネクト出来るのは、あの感じだよね。
「ですね。あれは、誰でも出来そうだけど、出来ないですよね。感性だけで何かを作るっていうことの大変さっていうか。あの人もすごい意味の人じゃないですか。それでも、やっぱり感性があれば、それは関係ないっていう気がしましたね。自分そのまま、すべて。あれも検閲されてないものでしょ。それを出せば、感動じゃないけど、読んだあとに、じーんとしちゃう」
●何か残るんだよね。
「うん」
●それが、「感動」とかさ、本当に言語化できない、すごく淡いものでさ。
「ああー。そうですね。だから、これはどういう意味なんですかって言ったら、多分100人中100人が全然違うことを言うと思う。でもしりあがりさんの気持ちは伝わっているっていうか。言葉に出来ない。言葉なんてね。本当に、意味とかも、そんなに大事じゃないと思うから」

・感想

「インターネット」や「2ちゃんねる」という言葉が出てくる。
ネットを物心ついた時から使いこなしている世代の人はあまり実感が湧かないかもしれないけど、それ以前って、ネガティヴだったり、マイナスに当たる意見を表明することを良しとしない風潮ってかなり強かったです。
もちろん、今でもその風潮があるから、ネットにそういった言説が多いのだとは思いますが……。
ただ、「本心では別のことを想っているのかも」という不信感は、SNSや裏サイト・裏アカウントが当たり前に存在する時代になっている今の方が増しているのかもしれない。
腹の探り合い。
ただ、五十嵐さんは、そんな風に人間関係や日本の社会では抑圧されている「声」を表現することに重きを置いていたから、「ネット」や「2ちゃんねる」によって手軽に表現されたり、その書き込みに同調する人が増えることに抵抗があったのかもしれないです。
シロップみたいな言説はシロップ登場の前には少なかったのに、音楽のような表現ではなく「誰もがそのままの言葉で書き込むことができる」場所が出来てしまったことで、自分の存在意義が揺らいでいたのかもしれません。
ただ、生々しい言葉を誰もが発し、閲覧できる世界になってきたからこそ、五十嵐さんはそれを「音楽に乗せる」ことと向き合ったのだろうとも思います。
生々しい言説が、誰からでも発信されるようになった時代に、あえて音楽に乗せて届けるという行為は何の意味があるのか? 価値があるのか? 求められているのか? そんなことを考えていたのではないだろうか。
田中さんとのインタビューで、何度も出てきた「リアル」という言葉が、シングルのタイトルに冠されるのは興味深い。

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の話も出ていましたけど、五十嵐さん多分、映画のサントラ聴くの好きなんだろうな……。
別のエントリにアップしますが、「最近よく聴いてるCD」に『列車に乗った男』というフランス映画のサントラも挙げていたので。
まぁ『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の場合、音楽分野からも映画分野からも絶賛されたものだから、「みんな聴いてた」と言っていい部類のものだと思うけれど……。
そういえば、この映画って「母が命がけで息子を守る」話なんですよね。
多分監督のラース・フォン・トリアーが女性に対して幻想を抱いているんでしょうけど……。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』も、『列車に乗った男』も、どちらも列車がレールの上を走るガタガタと鳴る音をサンプリングしてるな
五十嵐さん、電車の移動が多いみたいなので、この音が好きなんでしょうか。
でも、電車の「タタンタタン」って音は、聴いていると落ち着く波長みたいですね。

“今の奴らは、絶対に騙しているとも言わないし、お客さんも騙されてると思ってないから、すごく気持ち悪い変な空間になっていて、そこにうちらがポンと行くと、あからさまに未知との遭遇が始まるわけですよ(苦笑)。まあ、それだけお客さんは、自分の立っている場所がグラグラしてるから、そこに寄り掛かりたいのかもしれないし、それが切実なものなんだったら、アリだと思えばアリなんですけど。でも、当事者として、それをわかりながらやるというのは楽しくないですね。そこは、やりたくない。”

五十嵐さんの、リスナーに対する思いが端的に示されている。
ただ、思うのは「騙してるんだよ」「歌をそのまま事実と思って受け取るなよ」というポーズをとりつつも、結局のところ自身をありのままに近い姿で曝け出してしまい、苦境に陥っていったのではないかな……と僕は勝手に思っています。
でも、「俺を全部曝け出してると思ってほしくない」というのは、本音なんでしょうね。

“だから2枚アルバムを出しましたけど、両方とも、どっちかが席を立っちゃったアルバムなんですよ。で、今、「またもう一回、話し合いをしよう」ってなっているところ。「じゃあ、ロック・バンドっていうところで頑張っていこう」という自分と、「いや、お前は違うだろう」っていう話し合いなんですよ。だから、かなり、訳わかんなくなってきて、すごい話しづらい状況がある。前に、どっかの喫茶店でお話した時は、「お気楽な、バカみたいなアルバムを作りますよ」って言ってたと思うんだけど(後略)”

↑みたいに言うってことは、やっぱり、『クーデター』は負けたってことなんでしょうね……。
具体的に、クーデターのどこが負けなのかわかんないんですよね……。
別に負けてないと思うんだけど……。

“その海の中に浮かんでいる船から見た月、みたいなものを作りたいのかな。ちゃんと地獄の中に漂っていたい、っていうかさ。抽象的な言い方になっちゃうんですけど。なんか、きれいな海じゃなくて、地獄の海でもいいんですけどね。そこから見える、すごく美しいもの。胸がグッとつかまれたりするもの。生々しくて、ギュッとする感じ……悲しいんだけど、うれしくて。だから、しりあがり寿さんの漫画みたいなものですよ。「すごく悲しいんだけど、でも、その中に、何かがある」っていうか。あのタッチですよね。殴り書きのような、でも、すごく美しいっていうのを出来たらいいですね。”

五十嵐さんのこの話を聞くと、五十嵐さんは「孤独に依存している」状態だなって思います。
仲のいい人がいても、愛する人と一緒に暮らしていても、孤独を感じる瞬間ってあるはずなんですよね。
あと、五十嵐さんにとって、「月を見上げる」っていう行為は大事なんですね。
地獄だったとしても、月はそこにあるんですね……。
僕の中では地獄って地底にあって、マグマがドロドロと流れているようなイメージだったので、そこに天体があるとは想像したことがありませんでした……。
お母さんの自転車の後ろで見上げた月が、忘れられないのでしょうか……。

“極端な話、表現というのは、たったひとりの受け手に届きさえすればいい。もし、その表現を100%理解し、引き受けることが出来る人間がいるのなら、もうそれで十分だ。それ以上のことはない。”

これはインタビューではなく、田中宗一郎さんによる序文からの抜粋です。
僕が田中宗一郎さんのトークショーみたいなのに参加した時に、すごく印象的な話があったので、紹介させてもらいます。
それは五十嵐さんと田中さんの関係を思わせるものがるので……。
具体的な話の流れは失念してしまったのですが、田中さんは以下のような事を話していました。
「10年に一度くらい、自分が書いた文章の意図を100%理解してもらえることがある。ほんの短い文章からであっても、自分の考えていることを『こういうことだよね』と、言い当てられることがある。その瞬間のために文章を書き続けていると言っても過言じゃない」
というお話。
最近は文筆活動はあまり盛んではないものの、田中さんはロッキングオン在籍時代からめちゃめちゃな量を書きまくっている人。しかもめっちゃ読まれている。
その田中さんでも「10年に一度くらい」しか、完全に理解してもらえる経験がない……ということは、そんな瞬間って、訪れたとしたらかなり希少なことですよね。
多分、五十嵐さんも同じように、「完全に理解してもらえた」と思えたことって少ないんじゃないかな……。
で、田中さんと五十嵐さんのやりとりを見ていると、二人はそんな関係になり得たんじゃないかなって気もします。
特に田中さんは、五十嵐さんに強く惹かれていることがわかる。
インタビュー序文の熱の入りようは、他のアーティストでもなかなかここまではテンション高く書かないぞってレベルです。
五十嵐さんも、田中さんのことを強く信頼していることが伺えます……音楽的知識が豊富だし、社会問題についての話も具体的にできるから、田中さん相手だと本当にいろんな話をしています。
とくに、このあとの『マウス・トゥ・マウス』のインタビューなど、後に「甘えちゃった」というくらい。
しかしそんな二人も、今では疎遠です。
離れたからって、お互いが求めあった過去が亡くなるわけではありませんけれど、少し悲しいですね。
強く求め合いすぎるがゆえに、何かのきっかけで、互いに寄り付けなくなってしまうのかもしれませんが……。
寂しいよなぁ。

“リチャード・D・ジェイムズは、コミュニケーションというものの本質的な恐ろしさを知っているからこそ、あんな風に自らの顔を歪ませるのだ。だが、互いに、あの醜悪な姿をさらすことでしか、我々は決して繋がることはない。”

エイフェックス・ツインはこの時たいへん話題になっていたアーティスト。
90年代前半からテクノミュージックで名をはせていたのだけど、どんどんヤバくなっていったアーティストです。
彼のビデオやアートワークは、自身の顔を用いながらもグロテスクな様相を呈しています。
しかしただ「グロい」わけではなく、そこに意図があるという話です。
今でもバリバリ活躍しているアーティストなので、テクノに興味がある人は必聴です。

“ロックは、未知のものであったからこそ、『そういうやり方もあったのか?』っていう、ひとつの新しい価値観が生まれるでしょ。逆転させちゃうんだよ、価値観をアリにしちゃう。その感覚が楽しいと思う。”

負け犬の意地、美学を感じる。

“『人間というものは、受け入れられないくらいリアルなのか? だったら、そういうものを作らないで欲しかったな』”

五十嵐さんの言う「神」って、自分が暮らす社会の構造を作った人間達のメタファーとして言われる場合も多いと思うんです。
ただ、↑みたいな発言を見ると、「人間そのものを作った存在」に言及しているので、やっぱりいわゆる「創造主」としての「神」について何度も歌っているんだなと思わされます。

“救いっていうか、『やっぱり生きていくことは正しい』っていう結論にたどり着きたかったかな、自分の思う世界観の地獄を突き詰めて、そこで、自分の中での架空の人物を描く。それは、自分を投影するものですよね? それを描くことによって、最終的に、ちょっと優しくなれたり。そういうものにしたかったんですよね。最初の質問、何でしたっけ?”

五十嵐さんの分裂っぷりがよくわかりますね、最後の言葉……(笑)。
でも、ここで語られる「架空の人物に自分を投影してる」という言葉って非常の重要。
僕みたいに、歌詞全部「五十嵐さんにはこういうことがあったんだ!」って決めつける輩に対してのけん制として機能する言葉ですね。
多分音楽ってそういう傾向強いんでしょうね……「この歌みたいなことを経験したんだ!」って言いたがるリスナー。
けれど同時に「本当の気持ちを歌いたい」という欲求も五十嵐さんにはあるわけで……。
複雑ですね。

“女の人との性交渉にしてもね、カメラマンとやり合ったりとか、普通の人とのコミュニケーションの時に、わかるじゃないですか?”

やっぱり性交渉への言及が、ある……。
しかも「わかる」って、なんというか……けっこう決めつけちゃっていないかな……。
深く知っていくと「いい人じゃん」とか「良くない人じゃん」って思うことって多々あるしなぁ。
宮台真司さんも、「若い人が、交際相手をすぐに決める傾向があるけど、それがよくわからない。トラブルが起きた時に、そこにどう対処するかで本当の人間性がわかる。その相手の平常時の状態しか知らなくて付き合えるということが僕にはわからない」的な事を言っていました。
ところで五十嵐さん、その「彼女」とは交際して性交渉、それとも性交渉して交際?
あと、カメラマンと何をやり合うんだ……(笑)。

“やっぱり人は快楽にしか手を差し伸べない生き物だから。そこになんらかの嫌なものを促すのが、無意識に見え隠れしていたと思うんですよ。だとしたら俺は、相当汚れた人間だということを見せてしまいたい。偽悪的でもなければ、偽善的でもなく、全部そのまま出してしまいたい。”

こういう、「人は放っとくと堕落していく存在」という認知もやはり宗教っぽい。
「快楽にしか~」っていうのは、特に日本では顕著だなと思います。
海外はエンタメの中にもアートの色を残したものが多いので、「考えさせる」「良くあろうとさせる」作品が多いです。
特に欧米って、子どもたちに向けた作品でも、彼らを立派な大人に育てようという意志が入るから、かならず教訓が込められています。
快楽原則に忠実にものを作っている傾向って、日本が激烈に強いですよ……。

“半年という、自分達の中では、わりと長いインターヴァルがあって、その中でもいろいろあったけど、すべてがリアルっていうか、そのまま入ってるんですよね。だから、それを聴いて、『あ、私のことだな』と思う人もいるだろうし。すごい個人的な歌ではあるけど、でも、それを成立させられたとすれば、聴いた人が、これは私だと思ってくれることが、ポップっていうことなのかな。”

ここで「私」って一人称なんですよね……(笑)。
となると、『ヘルシー』に出てきた人間の多くは女性なんだろうな、と邪推してしまいます……。
「そのまま入ってる」ってぶっちゃけもヤバイわ……。
なんかそう考えると、この作品を通して、「連絡すら取り合えてない状態」の人に自分の声を届けたかったんだろうな……って気もします。
こうやって、作品を通して、自分の声を誰かに届けたいって想いは、音楽に限らずアーティストにはあることなんだろうなって思います。
恥ずかしい話、創作家を目指していた頃に僕自身も、そんな想いを抱いていたことがあります。
(僕が抱いていたから、勝手に「この人もそうなんだろうな」と思っちゃうだけかもしれないですけど)
なんか僕の場合、しつこく連絡したら、ex.恋人と連絡取れてしまえたりして、直接謝ったりできたので、そういう気持ちがプスプス……っとしぼんでしまったりしました。

“ROSSOとLOSALIOSと回った時に感じたのは、ある種の信仰の近いものというか――ロックというものを存在させてしまう、という感じ。存在させる説得力を持って、それを武器に出来れば、そうやるんですけど。でも、自分の中では、そこにも起源がないというか。どっちかというと、ポップな、トップ40とか、ニューウェイヴの中で生きてきたから。ロックというものは、その奥にあったもので、ポップの方が前にあったから。俺のアプローチでどこまで出来るかというのは、難しいですよね。”

ここでも思うのだけど、五十嵐さんは、他のバンドと自分をめちゃくちゃ比較してしまう人なんですよね……。
僕も、規模が小さいながらも、創作活動をしている時に、他の人たちと自分のことを比べてネガティヴな気持ちになりまくっていたので、よくわかるんですけど(笑)。
でも、シロップは着実に売れてきてたしファンも着いていたのに、なぜそんなに……。
他の人たちの「いいところ」を見つけるのが上手いっていう長所でもあると思うんですけどね。
バンプやレミオロメンやアジカンにも、こんな気持ちを抱いてたのかな、とか思ったり。

 - Syrup16g, 音楽

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