てやんでい!!こちとら湘南ボーイでい!!

映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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【syrup16g全曲の考察と感想】Free Throw

      2019/07/03

『Free Throw』
1999年12月25日リリース。

シロップの記念すべき初流通CD。
手元にあるCDには2000の文字があるけど、ウィキによると上記のリリース。
これ以前のデモ音源や販売されていたカセットもあるけれど、サブスクで聴ける音源のみを考察の対象とします。
昔一度だけ、カセットが町田のディスクユニオンで売られてたけど、すんげー高かったですね……。

オリジナル盤では5曲入り18分のEP。
2010年、シロップの音源再発まつりの際に、3曲がボーナストラックとして追加された。
音質が全然違うから浮きまくってますよね……(笑)。
メジャー移行後にリメイクされる曲もあるが、リメイクとの違いについてはそちらで書くこととする。

五十嵐さんは中学校時代にバスケット部だったので、そこから出てきたタイトルだろう。
フリースローは、相手チームがファウルをした時に与えられるシュートの機会。
誰にも阻まれずにシュートを打つことができるが、それでも、ゴールに入るかどうかはわからない。
ゴールに入っても、得点は1点(バスケットは通常一回のゴールで2点、特殊な条件でゴールすると3ポイント獲得できる)。
なんか、「フリー」という言葉の割には、あんまり良い特徴のないシュートだったりする。
外せないチャンスだという意識の表れ何かもしれない。
社会のシステムから疎外される苦しみを歌うシロップという点から見れば、社会からファウルを食らって出来上がったしまった音楽(五十嵐さんの人格)から、一発めのリリースということで「フリースロー」なのでは。
社会のひずみから生み出された悲痛な叫びが、このEPには詰まっている。

全体的な感想としては、かなり音が粗い。
というか、かなり潰れた音をしている。
後の五十嵐さんのインタビューでは、カセットテープで聴く音楽が好きだったとのことなので、意図的に音が潰れて重なっているある種のアナログ的な音質になっているのかもしれない。
レコーディング環境は万全ではなかったのかもしれないけど、そんな中でも工夫を凝らして作られたのではないかと想像する。

また、このEPで特徴的なのは、五十嵐さんの一人多重コーラスが多く用いられているところ。
後の作品でも、声を様々な形で活用するのだが、ロックバンドのフォーマットを保ちつつも色々な音を鳴らすアプローチをしているのも面白い。
個人的に、声のコーラスがすごい好きなので、このアルバムのサビのところで重なってくるところとか面白いです。

3ピースバンドでありながら、ベースがメロディを奏でることも多い。
その辺りは、ポリスをはじめとする80年代のイギリスのロックバンドからの影響なのかなとも思う。
ウィキペディアにも影響源と書かれているくらいで、五十嵐さんはベース・ボーカルのスティングがけん引したポリスからの影響が強いのである。
ほか、キュアー、ジョイ・ディヴィジョン、U2もそうかな。

あと、この時代の曲の特色なのかもしれないけど、歌が入ってくるまでけっこう長く時間がかかってますね。
シロップはイントロをしっかり聴かせて、徐々に盛り上げてから歌に入っていく構成が多いな。
2010年代の曲が、歌に入るのが早すぎるだけなのかもしれないですね。
時代は変わるなぁ……。
でも、シロップは現在に至るまでも、イントロをがっちり作る構成が多いですね。
『さくら』みたいな例外を除いては、歌から始まる曲はない。

歌詞は、良くいえば詩的な表現が多く、言葉から意味を汲み取ることができないものが多いような……。
この先、リリースを重ねていく中で、「伝える」ということに向き合うことになっていった結果が、『coup d’Tat』以降急激に噛み砕かれた言葉が生まれていったのだろう。
だから『フリースロウ』時代の五十嵐さんは、自分の中でしっくりくるメロディと言葉をつけていたのかなと思う。

・アートワークについて
インディーズ時代、初リリースCDということもあってか、メンバーが撮影したと思しき写真が大量に掲載されている。
さりげなく、バンプオブチキンのメンバーの写真も。仲が良かったらしいです。

「U2」の文字と共にメンバー写真が掲載されているが、これはライブハウスの名前なのかな?

メンバーの名前の下に、本人ではなく動物の写真が載っている。
「がっちゃん」はラクダ、「さとう」はペンギン、「だいき」は犬。
がっちゃん、多分ラクダだと思うのだけど……ラクダらしき動物は寝そべっていて、トレードマークであるコブが確認できない。
ラクダなのだとしたら、五十嵐さんは自分自身を「ラクダ」にたとえるという『落堕』での自己評価をここでも展開していることになる。
あれもデビュー前に書き溜めていた曲なので、まぁ、このアートワークを作っていた頃の五十嵐さんの自己評価はそうだったんだろう。
「ラクダ」は、哲学者ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』の「三段の変化」における最初の段階「駱駝」だと思われるが、それについては『落堕』で考察したい。
ラクダではない、もっさりした体毛を持つ別の生き物だったのだとしたら、僕のこの考察のことは笑い飛ばしてください……(笑)。
「AKKO」、「ERI」という名前と、女性の近影があるが……メンバーの彼女さん?

スペシャルサンクスとか、歌詞カードに自分の彼女を載せるバンドマン……この文化って、今もまだ残っているのか?(笑)。
逆に、ガールズバンドで、彼氏の名前載せるとかあるんですかね?
楽曲配信サイトとか動画サイトが増えた今、「頑張ってCDを出す」って必要性がそんなになくなってきているだろうしな……ライブハウスでの活動がメインのバンドさんたちは、グッズ制作も頑張っているんでしょうか。
文化は変わっていきますねぇ。

・このCDの思い出
シロップが解散する前、このCDは廃盤だったので、中古ではかなりの高値がついていた。
違法ダウンロードだけはするまいを信条にしていた僕は、聞きたくて死にそうだった。
そんなある日、ブックオフの100円シングルコーナーで、帯無しのこのEPを見つけた。
狂喜しながら、他にもレア盤がないか探したところ、バンプの『LAMP』も100円であった。
下北沢インディーズの、早耳なリスナーが、これらを売り飛ばしたのだろう。
ちゃんとしたところに持っていけば、10倍以上の値で売れただろうに……。
いや、100円で販売されるということは、二束三文にしかならなかったろうから、100倍以上か……(笑)。
今でこそデータベースを用いた査定をするようになったので、ブックオフの買取・販売価格は市場の平均に近いものになっているが、当時はレアなCDでも安値で売られていることがよくあった。
特に帯がないと、バーコードを読み取れないせいで、適当に値付けするバイトさんがたくさんいらっしゃった。
しかし、そんなブックオフも、2010年ごろに閉店してしまいました……お世話になりました。

1.翌日

バンプ・オブ・チキンの『セイリング・デイ』にそっくりのイントロ。
おそらくどちらもが、ザ・フーの『ピンボール・ウィザード』が元ネタだろう。
フーも、ギターがリズムでベースがメロディのバンドだな。

この曲を聴いていないロックンローラーって、ほとんどいないので……。
ウィキペディアによると、バンプもこのバンドの曲を出囃に使っていたことがあるそうです。
この『セイリング・デイ』や『グングニル』など、バンプが歌う「船出」「旅立ち」って、シロップと比較してみるとちょっと面白いので、あとでどこかで書きます。
五十嵐さんにとって、盟友バンプの存在って、良くも悪くも大きいのかなぁと……(バンプの曲そんなに詳しくないんですけど)

音質があまり良くないにしても、音楽家としての矜持はこの頃から表れている。
この曲も、声とドラムはエコーが強めになっている。
というか、マイクから距離を取って歌っているのかな……?
シロップはその時その時で、いい音で曲を作ることに粘り強く挑戦しているが、その姿勢はこの時点で形成されているのがわかる。
でも、ボーカルのボリューム小さいなって思うところも多いです……五十嵐さん、自分の声に自信なかったのかな……。
“形に起こせないすべて”のところなんて、ドラムにかき消されてほとんど聴こえなくないですか……?
自分のボーカルに自信がないから、あんまり声を大きく入れなかったのかなぁ……。

メロディの作り方が本当に上手いなーと思います。
“あきらめない方が 奇跡にもっと 近づく様に”の「ちかー」で声を張り上げるところとか、たまんないっす……。
サビの部分をずっとエモく歌うのではなく、こういう風に、一部分だけエモくなるような曲が好きなんですよ僕……。
サビ部分だけでも、後半に向かうにつれてキーが高くなり、言葉数も増えるので、シンプルに「盛り上げる」構成になっているんですよね。
やっぱりシロップはこの時点で、作詞作曲アレンジはかなり高いレベルに達していますね。
そこに、五十嵐さんの、様々な想いをめちゃくちゃ上手く音楽に乗せる才能が加わるのだから、これは未だに聴かれ続けますわ……。
逆に、シロップのレベルに達しているロックバンドが全然出てきていないとも言えますね。
「それ」ができる人間って、本当に稀なのだと思わされます。
音楽だけじゃなくて、アートと言われること全てにおいて。
その辺について、詳しくは後々思いつくたびに触れていきます。

“嘘から抜け落ちた 裸の様な目で 美しいままの想像で”
ちょっとこの曲のことよくわかんないんです!
けど「美しいままの想像」は、五十嵐さんは自分の中にあるファンタジーや、美しい記憶について語ることがあるので、それなのかなぁ。
この先にこんな美しいものと出会えるかもしれないとか、楽しいことがあるかもしれないみたいな、将来のことは本当に歌わない人なんですよね。
で、しばしば、具体性はないけれど本人にとっては鮮烈に残っているのであろう「昔美しかったもの」への憧憬が歌われる。
「裸の様な目で」「美しいままの想像で」と、どちらも「で」で終わっています。
ここでいう「嘘」って、コミュニケーションを放棄して、ファンタジーだけを振りまく音楽のことを言っているんじゃないかなと思いました。
そういう嘘から抜け落ちて、自分の中にある本当に美しいイメージを音楽にして届けるぜって感じ。
ブロスの曲を「嘘くさいマイケル・ジャクソンみたいな歌」と評していたくらいなので、音楽に対して「嘘くさい」と思う人なんですよね、五十嵐さん。
対して、自分のやる音楽には「リアル」を求める旨の発言をしまくっている。
ここでいう「嘘」には、そんな意味が入ってるのかも……いや……入っていないかも……(笑)。

“ふがい無いまま僕が 受け入れるべきもの今 形に起こせないすべて”
五十嵐さんの自己イメージって、自分は社会に順応できない人間だ、ということですよね。
当たり前の話だけど、社会が存在しないのならば、自分自身を「ふがい無い」と思うことなどない。
人と自分を比べたりする時に感じるのかもしれないし、自分が求めるほどの機能が自分に備わっていないと知る時に感じるのが「ふがい無い」という感覚だと思う。
社会があり、人と接する中で自分が見えてくるし、人と接する自分自身の態度を客観的に見た時に「ふがい無い」というラベルを自分に貼るわけだ。
で、五十嵐さんはここで、ふがいない「まま」と言ってしまう。
現在に至るまで、五十嵐さんは自分を「変われない」と認識しているが、その認識はここですでに出ているんですね(笑)。
しかし、ふがい無いというマイナス評価を自分に下していても、受け入れなければいけないものは無数にある。
この曲では具体的な言葉は使われていないが、一言でいうなら「世界」を受け入れなければいけないということだろう。

あと、「受け入れる」という言葉も、他の曲にも出てくるし、インタビューでも使われる。
「処女作には作家の全てがある」、あるいは、「作家は処女作に回帰していく」とはよくいうけれども、翌日って、五十嵐さんの原点的な風景が詰まっていますね。

しかし、「形に起こせないすべて」って、なんなんでしょう……ほんとにわかんないです……(笑)。
自分の頭の中にある音楽を具現化できない、あるいは、言葉にできない≒歌詞に起こせないという意味かなぁ……。
とは思うのだけど、その前の言葉と上手く繋がらないです。
ふがいないまま僕が受け入れるべきもの=形に起こせないすべて。
形に起こせないことの全てを、僕は受け入れるべきだってことなんですかね。わかんねぇ……

“急いで 人混みに染まって あきらめない方が 奇跡にもっと 近づく様に”
あきらめない方が~というのは、辞めなければいいこと起こるっすよっていうシンプルな意味かなと思います。
なんでもそうですけどね。
この時25歳を迎えていた五十嵐さんなので、音楽を辞めてフツーの生活をするべきなのかも……という想いがよぎらないでもなかったのでしょうねぇ……。
ただ、その前の、人ごみに染まるっていうのがちょっとわかんないっすね……。
あきらめない~が音楽活動についてだとするなら、「急いで人混みに染まって」というのは、自分の音楽がたくさんの人=人混みに、浸透していく=染まっていくように、という願いなんじゃないかとは思います。
ただ、少し遡って「ふがいないまま~」と続く形で連想するなら、人込みの染まる=他の社会構成員と同等の質を持つ存在になるって意味になると思うんですよ。
自分でふがい無いと想うようなことをやめて、普通になれ、って話ですね。
人混みと同じような意味で使われる「雑踏」という言葉を、『正常』では
“雑踏 その何割 いらない人だろう”
なんていう冷めきった視線で用いていることから、五十嵐さんは、人が大勢いる場所に対して、良い印象を抱いていないと推測できるんですよ。都会に住んでいる人からすると、あるあるな感覚なんですかね。
『BECK』ってバンドの漫画でも、そんなことを考えるシーンがあった気がします。

だから“急いで 人混みに染まって”という、ネガティヴな言葉と、“あきらめない方が 奇跡にもっと 近づく様に”というポジティヴな言葉が、僕の中でうまく噛み合わないんですよね……。
まぁ、相反する感情をひとつのコーラスで述べている可能性もあるし、これ以上考えてもわからなそうです!

このEPのレコーディング時、26歳だった五十嵐さん。
その作品の1曲目に、“あきらめない方が 奇跡にもっと 近づく様に”って歌詞があるのは、自分自身に向けた言葉なのかもしれませんね。
はぁ……五十嵐さん……好きだ……。

“喧騒も 待ちぼうけの日々も 後ろ側でそっと 見守っている 明日に変わる 意味を”
やっぱよくわからないっす……。
「喧騒」は、人混みにも近い意味ですが、こちらの方が騒がしいニュアンスですよね。
これはなんの話なんだろう……。
なんとなく、ライブ会場の喧騒ってことかな? と思ったけれど、他にライブ会場に繋がりそうなワードはない……。
ただ、「待ちぼうけ」というのが、あんまり日の目を浴びない自分たちの音楽のことを指してるのかなという気はする。
でも別にシロップは待ちぼうけていたわけじゃなくて、週に2~3回は集まって練習し続けていたわけですものね。
わかんない……。
ただ、自分たちが脚光を浴びるという「奇跡」を「待ちぼうけ」していたって解釈はできなくはない。
五十嵐さん、自分たちが音源をリリースする前の状況について、
“その頃ってウチらは時代と全然ズレてたから。(略)weezer以降っていうんですかねぇ。今のハイスタとかを、割ともっとポップにしたような感じとか。あとミクスチャーの名残りがあったりとか。あとはブリットポップが全盛だったから、そういうバンドも多かったし。その中でウチらは全然独自のアプローチで。唄ってる内容も暗かったし、下北沢っていう中では浮いてたんですよね。 “
と語っている。
weezer以降で、ハイスタよりポップ……ライブ会場にパンクキッズが集まる喧騒が目に浮かぶ。
まぁ、ただ、「これです!」と胸を張れるような解釈でもないですね……恥ずかしい。
ただ主人公が「後ろ側でそっと見守ってる」という存在なのだとしたら、これはいわゆる壁の花状態ってやつなんですかね。
パーティとかクラブに行っても、みんながワイワイしているところに入れずに、壁に寄り掛かって様子を観察するのに終始するタイプの人間のことを、壁に飾ってあるお花にたとえる言い回しです。ウォールフラワーってやつですね。
だからパンクキッズや、ブリットポップかぶれのスカしたバンド連中を、後ろ側で見守っている五十嵐さんの歌なのかもしれないですよね。
後ろ側で見守っているっていうのは、神様か天使の存在を示しているようにもとれますが……。

でも、やっぱり「明日に変わる意味」の意味がわかんないんです……(笑)。
ただ、「今は後ろ側にいるけど、喧騒を見守っている時も、待ちぼうけをしている日々でも、明日は変わる(自分が成功できる)日が来ることを、諦めないで、奇跡ににじりよっていくんだぜ」的なニュアンスと取れなくはない。
けど確信は持てないですね!

考察、最初の曲からこんな調子で申し訳ねぇずら……。
けど、こんなふがい無いまま僕が受け入れるべきもの今!
まぁタダで読んでもらう個人ブログなので、高い水準は期待しないでくだせぇ。

2.Sonic disorder
ドラムの音がデカイ……。
ギターは同じコードを延々ループさせて、ごく一部分で爆発させるような奏法。
五十嵐さんの、「コードがループし続けながら少しずつ盛り上がっていく」構成大好きさがさく裂している。
しかしそんな中で、ドラムはけっこういろんな叩き方を試している。
この頃から、アレンジが工夫されているなぁ。

歌詞の内容は、閉塞感強すぎて、聴いていると不安になってくるレベル……。
五十嵐さんの低音ささやきボーカルって、やっぱりすごいっすね。
こんなに不安感が伝わってくる声って、あんまりないっすわ。

タイトルの「ディスオーダー」は、無秩序を意味するもの。
それがなぜ「音速」とくっつくのかわからない……。
音速並みの速さで秩序が崩壊していくという意味?
ちなみに、ジョイ・ディヴィジョンの1stアルバムの1曲目が『ディスオーダー』という曲。
私はめっちゃ好きです……。

空虚感のあるサウンド・プロダクションがめっちゃいいです。
佐藤さん在籍時の曲の作り方は、ニュー・オーダーを参考にしたとのことでしたけど、ジョイ・ディヴィジョンからの影響も強いはず。
ボーカルのイアン・カーティスが自殺した後、残ったメンバーで作ったバンドの名前がニュー・オーダーなので、残された彼らもそこは意識したのかなぁ。
(と思って調べたら、ナチス・ドイツが提唱した「新秩序」から採用したとのこと。ジョイ・ディヴィジョンという名前も、素敵な言葉だけど、ナチス・ドイツの慰安施設から取ったもの。嫌味っぽいなぁ……(笑))

『ディスオーダー』の詞ですが、和訳されたものを読むと、内容はかなり近いような気がします。
感覚を失っていく主人公、離別した想い人……。

http://blog.livedoor.jp/themonotonoussun/archives/4232062.html

“思考は無化し 言葉は頼りなく 薄ぼんやり誰かの 声を聴いている”
無化って言葉の意味があんまりよくわかんないっす……。
言葉が頼りないっていうのは、「誰かが自分にかけてくれる言葉が頼りない(安心できない)もの」なのか、「自分が誰かに言おうと思っている言葉が頼りない(安心させられない、心強くはない)もの」なのか、判断しかねます……。
ただ、次の曲『ホノルルロック』でも、
“多分心が通じ合うなんて 一生無いから”
と歌われるように、五十嵐さんは、コミュニケーションツールとしての「言葉」は精度の低いものだと思っている。
そのことを示しているんじゃないかと。
ただ、それが、“思考は無化し”という言葉と繋がってこないっすね……。
“思考が無化し”たことによって、“言葉は頼りなく”なったという関係性があるのだとしたら、思考が無化する以前は、言葉は頼れるものだったってことにはなると思うんですよ。
『汚れたいだけ』では、
“テレビをつけたら 何も感じなくなってしまったよ”
と歌われているのが象徴的だし、『天才』でも、過去と現在の自分の能力が落ちてしまったことを示唆している。
だから自分がダメになっていってしまった、ということを歌っているんだとは思います。
この曲で言うなら、
“だから先生 クスリをもっとくれよ”
というラインがあるから、病気(おそらく精神的な)によって思考能力が衰えたか、もしくは薬の副作用で頭がぼんやりしている状態だって話なのではないかと。
薄ぼんやり~というラインはそんな意味がるのではないでしょうか。

“生きているのが 怪しく思える程 僕は何故か 震えている”
これも薬の副作用なのでは……。
あるいは、恐がっていて、悪寒を感じているのだよって話なのでしょうね。
これは西野カナさんの名曲『会いたくて 会いたくて』と同じことを歌ってるっすね。
日本のロックのファンの人たちって、メインストリームのポップスをバカにする人多いですけど、西野カナさんの曲って、よく出来てはいますよ……僕は別に好きじゃないけど。
五十嵐さんだって震えてるじゃん……この曲を好きな人は西野カナさんの曲も10回は聴くこと!
生きているのが~ってところ、ほんとにいろんな意味に取れますけど、「生きているという実感が持てない」か、「生きてても死んでても同じじゃん」という荒んだ心理状態か。
五十嵐さんは、大学受験に失敗して浪人している頃に、「もう残りの人生はおまけみたいなもん」という悟りの境地にいたったらしいので、そういう意味で「生の実感がない」生き様を歌っているのかも。

“いつかは花も 枯れる様に 壊れちまったね ここは恐いね”
花っていうのがなんなのかよくわかんないっす……。
美しく咲き誇っていた花も、精彩を失い枯れ果てて散り落ちるという、諸行無常さを示しているのでしょうか。
あと、「純潔」の象徴でもあるので、映画なんかで「花が枯れる」は貞節の危機なんかでも使われますよね。
社会的なメッセージと重ねるのであれば、みんなが華やかにドバドバ金を使いまくっていたバブル時代が終わった、って取り方もできなくない。
世界シンボル辞典では以下の記述が。
“《ヨーロッパ・象徴》十字架の聖ヨハネは、花を魂の美徳の現れだと考えた。美徳を集めた花束は、宗教的(霊的)完成の姿である。ノヴァーリスは『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』の中で、花は、原書の自然の特徴である愛と調和のシンボルであり、花は、幼年期の象徴的意味と一致し、ある点では〈エデンの園〉のそれとも同じだとした。
《日本》植物や生命の周期のエンブレムであり、生命のはかなさの要約とも考えられる。“
まぁ、シンプルに、あらゆるものが循環するものだっていう諸行無常さのついてのラインでしょうねここは!

“卑怯な事に あなたと戯れた 甘い月日はリアリティ 無くしている”
多分女の人とエッチなことをしている蜜月についてのラインだと思うのですが、なんであなたと戯れるのが卑怯なことなんでしょうね……。
リアリティを無くすほど月日が経過してしまったってことだと思うので、専門学校の頃にいた彼女についての歌だと思います。
その間、五十嵐さんには彼女がいなかったのか……もしこの曲を作った時に彼女がいたのだとしたら、「あたしとのエッチは甘くないってか!?」ってブチ切れられそうですけどね……はたしてどうだったのでしょう。
五十嵐さん、性に嫌悪感があるということで、初彼女にムカつかれてたって語っていたので、そのことは関りはありそうだけど……それこそ、キリスト教的に、結婚するまでは純潔を守らねばならないっていう教義とも近いものなのでしょうけど。
でも、それを「卑怯」というのはわかんないっすね……。
卑怯というのは、自分だけが得をしようとする、自分の権益を守ろうとする、リスクを恐れて何かを見て見ぬ振りする時に使う言葉では。
バブル経済に浮かれていた日本の暗喩、っていう話と取れなくはないけど。
バブルがはじけてだいぶ経って、日本の不景気が深刻化いるから、バブリーに過ごした月日がリアリティをなくしているって文脈ですね。
「あなた」が何を示しているのかはわからないけど、世界中で様々な国家間の争い、国家内での紛争が繰り返されているのに、まるで貴族のように豪遊しまくっていた日本全体を「卑怯」と揶揄しているのでは。
冷戦が終結して間もない90年代初頭に起こった湾岸戦争で、日本はアメリカから自衛隊派遣を要請されながらも、13億ドルの資金援助をするのみで、参戦はしませんでした。
その資金援助も、石油利権は欲しいという経済的な目論見があるからしたこと。
日本を非難する声は多かったそうです。
湾岸戦争が起こったのは僕も幼稚園とかだった頃のことなので、全然記憶にないのですけど、『土曜日』ってこの戦争についての歌なのかな……と思うので、この曲とも関係があるかもしれないです。
五十嵐さんは『パープルムカデ』にわかりやすいように、国家同士の戦いにも強い関心を持つ人です。
なので、シロップの曲を聴く時には、この視点を心に留めておいてほしいです。
この曲に関しての僕の考察は、まぁまぁ眉唾ですが……(笑)。

“左ききの あの目がどんな風に この世界を見たのかを知る”
早くも「目」のワードが二度目の登場です……しかし、「左きき」と「目」の繋がりは全然わかんないです……。
五十嵐さんの詞の中で、たまに「左」に言及することがありはするけど……たとえば、『Everything is wonderful』で
“左手上げて 横断歩道を渡ってるのだあれ”
とか。
これが同じ人物なのであれば、利き手である左手を挙げているってことなのかもしれません。
でも、その左利きってことと、「目」がどうつながるのかわからない!(笑)
「目」は、次のラインともそのまま繋がって「世界を見るもの」のことなのは間違いないんですけども……。
この「左」を政治的に左寄りという意味とも取れなくはないけど……五十嵐さん自身は、戦後民主主義の左翼的な思想に洗脳されていたという意識を多少持っていて、だから石原慎太郎や小林よしのりのような、右翼的で好戦的な(マッチョ)男性が好きな気持ちがあると語っています。
だから、右翼的な思想に触れたことで、「自分が左寄りだったんだ」ということに気付いたって話をしているのかもしれないです。
あと、一つ思い当たるのは、社会が「左利き差別」をしているという話。
お年寄りとか、左利きの人を「ぎっちょ」なんて呼んだりすることありますよね……。
世の中、なんでも右手で操作するようにできているから、左利きの人は日常的にストレスを覚えているといいます。
この話をちょっと拡大して解釈してみると、五十嵐さん自身がある時期から社会的な弱者・差別されるような立場になったことから、「左利き差別を受けている人の気分がわかった」と話してるのかもしれないっすね。
ここで言う「あの目」っていうのは、直前に出てくる「あなた」のものだとは思うので、彼女さんが左利きだったんですかね……。
でも「どんな風にこの世界を見たのかを知る」のが、何故なのかは全然わかんねぇっす……。
世界シンボル辞典で「右(左)」についての記載があるのですが、少しヒントになるかも。
“《聖書》 聖書にある「右に御心をとめ」(『詩編』142.5)とは、守護者の方を見ることである。そこには、守護者の座がある。最後の審判で、義人の席が右手にあり、呪われた者が左手に行くのも、同じことである。左は地獄の方向、右は天国の方向を示す。
《ユダヤ教》 ラビのある注解では、人間の始祖(アダム)は、両性具有で、しかも右側が男、左側が女であったと説明されている。神は、人間を半々にわけ、「男と女」を創った。
《キリスト教》 西欧キリスト教の伝承では、右は能動的な意味、左は受動的な意味を持つ。だから、右は〈未来〉、左は人の影響が及ばない〈過去〉を意味しよう。要するに右は吉、左は不吉を表す。“
一番わかりやすい例えだとしたら、この曲の主人公は、昔は見えなかった「地獄」を見るようになっているってことですかね。
後に『ヘルシー』なんて言葉をアルバムタイトルに冠する五十嵐さんらしい。

“君の胸に 抱かれたなら 少しは安らかに 眠れるのかな”
「あなた」と「君」とを使い分けているから、多分この二人は別の人物だと思うんですよね……。
しかも「眠れるのかな」だから、「君」に抱いてもらったことはないか、もしくは抱かれた記憶も遥か過去のことで、その感覚を思い出すことができないか。
五十嵐さんのお家は共働きで(今では当たり前の形態ですが)、寂しい思いをしてたってことを語っているので、五十嵐さんの曲の中で言われる「君」「あなた」って、親のことなんじゃないかって思うことは結構多いです。
たぶん母と父どっちのことも恋しいはず……。
しかもここで悲しいのが「少しは」「かな」だから、本人も確証を持てていないところ……。
「安らか眠れるはず」なんていう風に、言いきれていない。
後に「言い切ることがロック」と語る五十嵐さんですが、「逃げ場」を確保できていないという不安定感がここで露わになります。
本当に苦しかったんだろうなぁ……五十嵐さん。
ほら……日本のロッカーって、「里帰りソング」的なものを、よく作りますでしょ。
映画でも、「都会で疲れたOLが田舎に帰って元気になる話」とか、無数にありますでしょ。
五十嵐さん、それがないんですよね。
安息の地がない。
約束の地もない。
良い表現をする人って、表現以外にエネルギーを向けてない人、退路を断っている人が多いなと思います。
でも本当に苦しいからこそ、五十嵐さんはすっげー濃厚なものを作ったんだろうなという気もする。
五十嵐さん……好き……。

“人は一人 逃れようも無く だから先生 クスリをもっとくれよ”
ふつーに過ごしてたら、「人は一人 逃れようも無く」なんて、考えないですよね……。
この曲の主人公の視点からしたら、頼れる人間って、「先生」しかいないんですね。
もちろんその先生とも精神的なつながりがあるわけではなくて、お金を払って診てもらって、薬を処方してもらうだけの間柄。
資本でしか繋がっていない。
主人公に本当に必要なのは、「頼れる人」なはずなのに、探さないのか、探しても見つからないのか、あるいはだれも信用できないのか、彼はお金を払って薬をもらうことのみが解決手段だと考えている。
現代的な悩みの形ですよね……本当に必要なのは「絆」を持つこと。
そして絆の紡ぎ方を学ぶこと。
そう、ある種の人間にとっては、それは、学ばなければ得られないものです。(僕も、そういう人間ですね……しかも30過ぎてもなお、まだ、学べていないです)
けれど、主人公は「クスリをもっとくれよ」と叫んでこの曲は終わります。
多分、この薬は不安を和らげるものなのでしょう。
けれどその副作用で、「思考は無化」し、誰かの声も薄ぼんやりにしか聴こえなくなる……という、悪循環を歌っているのでは。
今でも問題なのかはわかりませんが、2000年代って、精神科の薬の「多剤大量処方」が問題になっていました。
精神科の薬の依存させてしまうことで、生活に困難が生じることも起こりうる、という、根深い問題です。
本当に根深い問題……。
精神科に限らずとも、本来であれば、病にかからないように日頃から気を付けることが最も大事なはずではないですか。
けれど日々の忙しさだったり、怠慢のために、病が発症してしまう。
薬ではない治し方があればよいのですが、なかなかそうもいかず……根深い問題ですね。

3.Honolulu★Rock
めっちゃ軽快なロック。
僕はかなり好きですね……ギターの音もぺなぺな。
スネアの音がカコカコ鳴ってて面白い。
タイトルに★まで入れてて、ちょっとバカっぽくやっているのがよくわかりますね(笑)。
五十嵐さんは、自分のやっていることを「ロック」と胸を張って言いきれていないところがあるので、照れ隠しでやっているのかなと。

この曲は歌詞がだいぶわかりやすいので、特に考察することはないっすね……。
五十嵐さんの作詞のセンスがすでに完成されていることがよくわかります。
ちゃんとはっきりした言葉を使うんですよね。

“冷たい人だねって君は 背中向けた 僕はむしろ君の太陽になろうとしてた”
「僕」が君のためにしていたことは、「君」には僕の思惑通りに伝わらなかったってことですよね。
具体的なことはわからないけど、「自分がどう思ってやったか」よりも「相手がどう受け取るか」が対人関係においては重要だということですよね。
あと、「君」との関係が結局希薄だったっていうこともわかって、つらいですよね。
希薄ではない関係だったら「あなたのしていることはこう見える」と、君から指摘があるだろうし。
(もしかしたら「君」からの指摘も、「僕」にはちゃんと届いてなかったってこと……? それはつらい……)

“いっぱい旅行してみたけど ハワイには行かなかった”
五十嵐さん、プー太郎(死語)だったのに、いっぱい旅行に行ったのかな……?
五十嵐さんの祖父母は旅行大好きで、世界のいろんなところを回っていたって話だったけど、彼らのことなんだろうか。

“赤の他人が如何に相手を想いやるか その戦いにおいても 僕は敗者だった”
「君」から見たら、思いやられているとは思えなかったんでしょうね……つらい。
愛し方や思いの向け方がうまくないことを思い知らされるのって、つらいですよね。
振られた後とはいえ、「赤の他人」って言っている時点で、めちゃくちゃ冷めてるんですよね……。
いや、他人との間に濃く線を引いてしまいたい気持ちはわかるんですけど。
「その戦いにおいても」ということは、他のいろんな戦いでも、自分が敗けまくっているいう意識があるんですよね。
「負け犬」という言葉で未婚の30代女性を例える本が2003年に出版されて、「勝ち組」「負け組」なんて言い方が流行るようになりましたけど、五十嵐さんは2000年に発表したEPですでに「負け」た側からの視点で曲を作ってる。
これはやっぱりすごい。
時代の空気感の読み取りかたが、高精度なんですよね。
カメラで云うなら常人も画素数を高く処理できてるって感じ。

“ハワイには行かなかった(なんで?)”
いや、知らんし……(笑)。
なんでハワイに行かなかったことをわざわざ歌にしてるのかわからないし、「なんで?」と、そのことを疑問に思っているのも意味がわからないんですよ……。

“多分心が通じ合うなんて一生無いから およそ君が欲しがってると思われる 軽いスリルと安心感を 僕なりの方法で探してみるから”
背中を向けた彼女に対して、こんなことを伝えたのか、思っただけなのか……。
でも「およそ」っていうことは、「軽いスリルと安心感」を彼女が欲しがっていそうだという推測でしかないんですよね。
コミュニケーションの精度を高めるなら、彼女がこの関係に「何を欲しがっているか」を直接聞くのが一番効率が良いとは思うんですけど……。
まぁ、直接言ってもらった意見が、本当に正答なのかなんてわかんないですけどね。
深層心理ではもっと欲しいものがあるのに、自分でも気づいてないなんてこともあるでしょうし。
人間の頭の中は複雑なんですよ!
しかも最後には「僕なりの方法で探」すと言う。
自分の頭で考えた結果「冷たい人だね」って「直接告げられた」のに、まだ「僕なりの方法で探」そうとしてる。
なんか自分一人で考えて、空回りしている男のかわいそうな実像が描かれてますね。
「一緒に考える」「思ってることをお互いに話し合う」が、一番円滑な関係性だと僕は思うんですけどね……「何も言わなくても分かり合える」って、相当相性が良くないと成立しないもんだと思うので。

でも「スリルと安心感を」提供しようと思う主人公、ちょっと打算的じゃないですか……?
だってこれって、需要と供給の関係を成立させましょうっていう「商談」「貿易」じゃないですか。
あなたが必要とする「スリルと安心感」を提供しますので、背中を向けないでくださいっていう。
なんかもっと、恋愛って、もうちょっと言語化できない感情があったりするじゃないですか。
まぁその言語化できないってところは、ただの言語能力不足か、分析能力不足か、錯覚でしかないと思うんですけど。
(いや、こんなこと書いてる僕もだいぶ、愛を信じてないな……(笑))
なんかもうちょっと、無償の愛とか、純粋に感情に突き動かされる感じとか、人間関係にはあるじゃないですか。
シロップの曲における恋愛観の根底って、恋愛や人間関係を感情や関係性の貿易と捉えている冷たさやドライさだよなぁ……。
その感性や思想は、悪いことだとは全然思わないのですけど、そもそもそういう考え方に至るって言うことは多分挫折があったってことですよね。
無邪気に「アイラブユー」「ユーラブミー」なんてやってて上手くいかなかったから、分析をするようになって、この感覚に至ったのではないかと。

ところで、主人公は、君が「背中向け」るのをやめて、振り返ってくれた時に、いったい何をしたかったんだろう。
「君」に求めるものがなんなのか、あんまり明示されないのも、シロップだよな。
抱かれたいのかな。

4.明日を落としても
いや、いつ聴いてもすごい曲です。
やっぱり歌詞がすごい……めっちゃはっきり言うやん、自分!
と思わず関西弁で言わずにはいられません。
めっちゃはっきり言うやん、自分……。

曲調は、意外と明るい。
『ディレイデッド』でのバージョンを聴き慣れていたので、こっちを最初に聴いた時は面食らったことを覚えている。
ギターの音が常時三本くらい鳴っていて、音の位相の作り方はこの時点でだいぶ上手い。
淡くメロウで、浮遊感のあるギターが埋め尽くす中を、五十嵐さんの気だるげな声がはっきりとした形で飛び込んで来る。

歌詞カードには記載がありませんが「Do you wanna die?」という直接的過ぎる言葉をシャウトして曲は終わっていきます。
すげー言葉やな……周りの人たち、もっと心配してやってよ、彼を!

“したい事も無くて する気も無いなら 無理して生きてる事も無い”
これって、逆説的に、「したい事があるんなら生きていよう」と言っているはず。
僕は五十嵐さんは、多分岡村靖幸さんリスナーだろうと思っているのですけど(ファンというほどではないにしろ)、『あの娘ぼくがロングシュートきめたらどんな顔するだろう』にも近いものがあると思います。

↑ライブ版だけど、音源はCDそのままという……。
“寂しくて 悲しくて つらいことばかりならば あきらめてかまわない 大事なことはそんなんじゃない”
僕、このラインが、音楽の中で一番好きなのですけど、これも「ばかりならば」と言っている。
だから逆に言えば「嬉しい」「楽しい」「大好き」そんな気持ちを少しでも感じるなら、あるいはその先に感じられるのであれば、それはあきらめない理由としては大事なものなんだ、という意味にも取れるんですよね。
「いろんな意味に取れる」はポップ・ソングの素敵な要素です……。
実際、この曲のシングル盤には「ホームシック・バージョン」なる、弾き語り版が収録されてて、「この人自殺するんじゃないの……?」と心配になるような仕上がりになってます。
岡村さんは高校を中退して田舎から出てきて、高学歴や、凄腕の音楽家たちに囲まれながら切磋琢磨してきた人なので、自分の向けたメッセージソングになっているんですよね。
中村一義さん率いる100sの『Honeycom.ware』も、相手を信頼しているからこそ、突き放すような言葉を向ける曲でした。
“君が望むのなら、しな、しな 君が望むのなら。君が望むのなら、しな、しな 心、生きるのなら。”

そういう、「信頼があるからこそ突き放した言葉を言い切る」曲ですよね。

また、五十嵐さんが読み漁っていたことのある鶴見済さんのベストセラー『完全自殺マニュアル』もそういう作品。

題名通り、自殺するための手段を本一冊にわたって紹介しまくるもの。
用意する道具、難易度、死に至る際の苦痛のレベルなどが詳細に記されています。
その内容から、発表当時は大きく批判された書ですが、後年鶴見さんは「これを読むことで自殺する人を減らしたかった」と語りました。
実際に、アマゾンのレビューを見てみても、これを読んだことで「自殺という逃げ道もある」と思えて、かえって自殺を決行せずに済んだと書いている人もいますね。
逃げ道がない、どうしようもない……と思った時に衝動的に死に走ってしまう人もいるはず。
そんな風になりそうだった人たちのガス抜きとして機能することがあるということです。
「自殺する」と「自殺したいという想いを受け止める」ことって、違うんですよね。
自殺したいって想いを受け止めてくれる人がそばにいることが、一番なんでしょうけど……「人には言えない想い」をどんどん抱えていってしまう人っていますからね。
急速に共同体が崩壊していった日本社会が抱える問題でもあるんですよね。
人に承認を与える機関が、本当にないっていう。

“明日を落としても誰も 拾ってくれないよ それでいいよ”
あんまりよく意味がわからないんですよここ……(笑)。
ただ、『翌日』とすでに同じ言葉が出てきているんですよね。
未来のことを「明日」と言い換えているような気はするのですけど、未来を落とすって何なんだろう。
誰も未来を保証してくれないってことですかね、国の補償制度であったりとか。
2004年に、イラクで日本人が人質に取られた事件では、政治家たちが「自己責任」という言葉を使っていたのが非常に印象的です。
よく言えば「自立」して生きる必要性を説いているけれど、国家としてそれでいいんだろうかっていう想いはありますよね……。
あれから15年経ったわけですけど、「自分の責任だろ」という言葉で斬り捨てられてしまう範囲は広がったように思います……ネットの普及や、国力が落ちることによる余裕のなさも要因なのだろとは思うんですけど。

五十嵐さんの「したい事」が音楽なのだとしたら、未来の「夢」みたいな意味の様な気はする。
音楽を続けていきたいって「夢」を無くしても、誰も拾わない≒自分の夢を引き継いでくれない≒自分の聴きたい音楽(吐き出したい想い)を鳴らしてくれる人はいないということなんですかねー。

“機械みたいな声で サヨナラされて それでも何か傷ついて”
前の曲と同じシチュエーションを、「ロック」で明るくせず、生の感情で歌うとこうなるんでしょうね。
「機械みたいな声でサヨナラされ」るって、そもそも、その彼女自身が冷めてるのか、普通の女の人に「機械みたいな声でサヨナラさ」せるような本人に問題があるか、どっちかですよね。

あぁ、でも、機械みたいな別れの儀式になっちゃうことって、なくはないか……。
「それでも何か傷ついて」ってことは、「傷つかないだろう」という想定がもともとあったってことですよね……。
なんか、この曲の主人公と、交際相手の関係性がよくわかんない。
五十嵐さんは、初彼女とどんな風に付き合っていたんだろう……。

どうでもいいですけど、これから人工知能や音声加工の技術が進化していくにしたがって、「機械みたいな声」が、冷たいニュアンスでとられることも減っていくかもしれませんね。

“誰も愛せなくて 愛されないなら 無理して生きてる事も無い”
そもそも彼女を愛せていなかったのか、別れに傷ついて人を愛せなくなってしまったのか、主人公の感情の時系列がわからん!(笑)。
ていうか素直に「愛されたい」って言えばいいのに……。
そう思えれば、「愛される人」になるために、自分がどう変わればいいのかも見えてくるじゃないですか。ざっくり言うと。
でも五十嵐さん恒例の「俺変われねぇっす……」という考え方が根底にあるから、変わるという発想にはならない、あるいはその悩みを歌詞にしないってところがあるんじゃないですかね。
五十嵐さん、鶴見さんの『人格改造マニュアル』も読んでいるのだろうし、もっとバチバチ変化を受け入れていってしまえばいいのになぁ。

ふがい無いのがわかってんなら、変わったらいいやんか!
長渕剛みたいに極真空手習って、ナショナリズム推奨ミュージシャンになったらいいじゃないですか。
(こんなこと言う僕も、もう十年以上変われねぇ人間なので、五十嵐さん批判する気は全然ないんですよ……ほんと)
まぁ、でも、このラインも逆説として捉えるなら、誰かのことを愛していたか、愛されてると思えたんでしょうね……。
仲良しバンドだったみたいだから、シロップっていう共同体が、五十嵐さんを承認し、承認させてくれる居場所だったのかもしれないっすね。

“そう言って~”
自殺を具体的に考えたり、「それでいいよ」と投げやりになったりすることで、自分の気持ちが楽になることを知ったということを歌っているのでしょうね。
五十嵐さん流、完全自殺がんぼう肯定ソングがこれなのでは。
わたしも、失恋した時はこの曲を聴きまくって、寝る時もこの曲を流し続けたりしたものでした……。

5.真空

昔も書きましたけど、ギターはパール・ジャムの『ウィッピング』からの引用です。

アルバム『バイタロジー』収録の曲。
このアルバムは、カート・コバーンが自殺した後のリリースなので、そういう意味でも重要な作品。
「鞭打つ」というタイトルは、キリストが鞭打たれた様のことだろうか。
パール・ジャムはキリスト教を下敷きにした作品が、けっこうあると思います。
しかし引用とは言え、テンポを上げて、この異様なまでに高まったテンションを出せるのはほんとにすごいっす。

間奏のところで「あーあーあーあー」という小さな声が入っているけど、これ、誰?
佐藤さんの声なのかな……。

歌詞の内容を総括すると、「子ども」を社会に順応させるよう教育する立場の「先生」の心の内を見透かしてたぜwwwww という、「俺達観してました」アピールと、消費者をコントロールしようとするTVを破壊したい衝動を歌っている。
そういう意味では、反社会的な人間としての凶暴性を歌っている。

神経擦り切れているような 音が聴こえそうな夜は 最低のやり方でどうにか 生きてこれた事にすがる”
細かい音が聴こえるとか、聴こえそうな気がするっていうのは、けっこう精神的にやばい状況なのでは……。
どうにか生きているという認識は、五十嵐さんに通底している感覚だとは思うのだけど「最低のやり方」ってなんなんでしょうね……「卑怯な事に」と近いニュアンスも感じるけど、あちらは「生きていく」ということと向き合わなければいけないほどギリギリの状況だったわけではないし。
「生きてこれた」という言い方には、生に執着しているけれど、本来それすら難しい環境なのではないかという気はする。
「生きてきた」じゃなくて「生きてこれた」だしな。
五十嵐さんのインタビューなんかを読むと、生への執着は弱そうに思うけど……かといって、自殺願望が強いわけでもない。
「神経」と「真空」で韻を踏んだだけなのかなぁ。
「神経」と「最低」も、「けい」と「てい」で韻を踏めるから、音に合わせて言葉をはめただけな気もする。

“真空に 風が突き刺さっていく様に 真空に 赤い血が吹き出す様に 曲がる”
「真空」と、血の赤=深紅で韻を踏むのかと思いきや、「深紅」というワードは使わず。
押韻大好き五十嵐さんなのに、なぜ!
あと、「曲がる」って言ってるけど、何が曲がってるのか全然わかんないんですけど……。
吹き出し血が、重力に従って放射線状に落ちていく様に……何が曲がったの?
これはまじでわかんないっす。
でも何でもなさそうな気もする……。

“懸垂二回以上出来ない 長距離走るの嫌い 先生あなたが言いたい事 本当は僕解ってたんです”
懸垂と長距離についてのラインは、男らしくない、という観点からみれば、「ふがい無い」という自己分析にも繋げられそうな気がします。
五十嵐さんって中学まではけっこうスポーツができた人みたいなので、多分、ここは本人の経験談ではない気がする……。
高校に入ってから急激に体力が落ちたり、運動が嫌いになったって可能性もあるけど……。
あと、中学の頃の先生に、わかっていながら優等生っぽく振る舞うところや、ずるい性根を初めて見抜かれてしまった……といった経験を語っていたのが印象的。
五十嵐さんの「だめなところ」を見抜きつつ、直接言葉にはしなかった先生に対して「あなたが俺のことを見抜いてることに気付いている」と言いたいのかな……。
なにかを指摘される時に「いや、自分でもわかってはいる」と言って、心にバリアを張ってしまうことってないでしょうか。
そういう状態を歌ってるのかな……いずれにしても、「先生」という自分よりも目上の人物、自分に対して指導をする身分の人に対して「あなたの言いたい事≒思っていつつ口にしない(できない)こと」を、解っていると言い放つのって、嫌なやつですよね(笑)。
こざかしいというか、「あなたの考えていることは俺も考え着くことだ」という姿勢はある種のマウントですからね。
なんか浅野いにおさんの漫画で、よくあるモチーフ……わたし、あの人の漫画、あんまり好きになれないのですが……。
でも、僕自身も、学校の先生のことが好きじゃなかったり、バカにしながら学生生活を送っていた記憶はあるので、あぁ五十嵐さんやっぱりいい歌唄うなーと思ったりしました。

あと五十嵐さん、高校時代に酒を飲んて鉄道警察に補導されて停学になったというエピソードもありますね。
普段は生徒の飲酒を黙認していたのに、そういう時になって先生が掌を返して「俺の知らないところでなんてことを!」みたいな態度になったことが忘れられないとも。
そういう対応をした先生に対して「あんたの言いたいことも解るぜ……」と理解をしめしているのかも
積極的に校則違反を取り締まるようなモチベーションはないけど、対応しなければいけない事態になったら「先生っぽいこと」をやらなきゃいけないという、システムに組み込まれている先生の立場を理解してあげてるっていう話。

“(Crash T.V. with the bat of steel)”
スチールバットでテレビを壊せ……という歌。
シロップの曲では何度も「テレビ」が歌われますが、基本的には、テレビは人の頭を悪くする箱、陳腐でありきたりなコンテンツを垂れ流すものとして描かれています。
山本直樹さんの漫画に『テレビばかり見てるとバカになる』というタイトルがありますが、いわゆる「状況主義」の象徴として、テレビというメディアが取り扱われることは多いです。(ごめんなさい、山本直樹さんの同作は読んだはずなんですけど、状況主義についての話だったかは記憶にないです……)

状況主義について軽く説明をすると、商品が労働者や消費者に使われるのではなく、その関係が逆転してしまい、消費者は消費するために生きるようになるという状態がありえます。
「人々」を、受動的な立場へと阻害していく近代の消費社会を批判し、その状況の成立を打破しようとする運動のことです。
近年の日本では、危惧する声があまり聞こえてこない問題な気がします……我々が、「消費者」として生きていくことを完全に受容してしまっているからですかね。だとしたら皮肉……。
ざっくり言うと、一人一人の人を「愚か」な「操作しやすい」状態にしておくことで、自分たちにとって有利に世の中を動かせる人たちがいる。
我々を一消費者に留めておこうとする立場の人々の常とう句は「これ便利でしょ?」「あなた方のことを想って用意しました」なんですよね。
世の中には、能動的・主体的にならなければ得られないものって、たくさんあるのですよね。
状況主義のベースになった書籍、『スペクタクルの社会』を読んでみると面白いかなと。

TVというのは人を受動的にする装置の最たるものですよね。
何も考えずに見つめていても一日が終わってしまう。
買うべき商品の宣伝迄してくれる。
コメンテーターがニュースの受け止め方を説明してくれる。
放送されるニュース自体、TV局が選定してくれている。
あなたが知っておくべきなのは、これ……という傲慢な思想がある。
消費社会の象徴とも言えますね。
近年の日本では「わかりやすく」するための様々な工夫がこらされていますよね。(僕は関東圏の地上波テレビのあり方には軽蔑すら持っていますが……)
「消費社会」という概念について調べてみると、けっこう面白いですよ。

五十嵐さんが愛してやまないU2は、ライヴの演出のクオリティが非常に高いことで知られていますが、特に93年の「ZOO TV」ツアーは、音楽業界では伝説になっています。
これは意欲作『ズーロッパ』リリースのツアーでしたが、ライヴのステージや演出も込みで、巨大な作品として完成されているもの。
歴史に残るツアーですね。
ステージには巨大なモニターが備え付けられ、映像が流れ続けます。
そこには
“EVERYTHING YOU KNOW IS WRONG”
“IT COULD NEVER HAPPEN HERE”
“WATCH MOER TV”
といった言葉が。
ライヴを商品化した際にも、画面にサブリミナル的に映し出されていく演出が凄まじい……。
サブリミナルも、メディアが大衆をコントロールできてしまう洗脳手段として、禁止されているものですね。

U2大好きっ子の五十嵐さんが、U2のこのツアーのことを知らないということはないと思います。

正直、今では地上波テレビってマジでクソつまらないので、「テレビ見ないんだよね」っていう人は本当に増えたと思うんですが……。
00年代半ばからちょっと怪しくなってきて、リーマンショックを境に広告の出し渋りが増えたことで予算激減したことが景気だとは思うんですよね。
その頃にはネットの広告が成果を上げてきていたのも一つの要因なのでしょうか……。
だからその「状況主義」の象徴は、現在ではテレビではなく、スマートフォンに置き換えて考えればわかりやすいかなと思います。
動画サイトとか、SNSで流れてくる情報を享受するのみの……っていう。

と、状況主義について長々と書いてしまいましたが、五十嵐さんがどこまでこういった思想に対して意識的だったのかはわからないです。
ただ、「TVばかり見るのはよくない」という意見はあるわけです。
五十嵐さん自身、頻繁にテレビに言及するものの、なんだかんだで、けっこうテレビを見る歌も多かったりはするので……(笑)。
「テレビなんか見てないでもっと有益なことせねば」と、「でも目覚ましテレビ見ちゃう俺……」の狭間で揺れているのでしょう。
繰り返しになってしまうけど、昔は情報源なんて雑誌かTVしかなかったですもんね……。

6.You Say ‘No’
ここからはボーナストラックとして追加されたナンバー。
ずいぶんと否定的な言葉をタイトルにしたものだ……。
だいたい、曲のタイトルには「うん、って言って欲しい」の意味で、『Say Yes』と付くことが多い。
チャゲアスの名曲(超好きです)しかし、エリオット・スミスしかり。
けれどエリオット・スミスの曲は「うん、と言って欲しい」というタイトルで、恋愛をしていた頃と、失恋後の生活を交互に歌うという秀逸な構成を持つ曲だった。
シロップについて語る際、エリオット・スミスについても語っていくことが多いですね……。

00年代に活動していた、ちょっと暗めのバンドマンやシンガーソングライターがこぞって聴いていたミュージシャンですよね……。
近年では再評価も進んでいるようです。

あれ、チャゲアスの『Say Yes』って、誰でも知っているだろうと思って書いていたけど、もしかすると今の若い人ってこの曲知らないですかね……?

PVは死ぬ程ダサイし、音も古い感じですけど、曲としてはめちゃくちゃいいんですよ。
チャゲアス全盛期はホントに良い曲多いです……チャゲアスのことは知ってたけど薬物関係のスキャンダルのマイナスイメージしか持っていない人がいたら、いくつかの曲は聴いてみてほしいです。
ほんといいっすよ……。

閑話休題。

アコースティックな質感で始まりながら、コーラス部分ではロックバンドのダイナミズムを出すという緩急のつけ方が上手い。
ただ、まぁ、ふつうっちゃふつうの曲……。

“雲追いかけ とうとう目が覚めた 苦悩なんて随分エラそうだな”
andymoriの解説でも書いたのですけど、「雲」のような、地上からはるか上空にあるものに憧れるのって、もともと手が届くはずがなかったっていう意味なんですよね。
で、ドラマにもなっていた司馬遼太郎さんの小説『坂の上の雲』ってすごくわかりやすい例えで、欧米の列強に憧れて軍国化を推し進めた日本というのは、坂の上にある雲を追いかけていたようなものだった=坂の上を登り切っても、雲はさらに高いところにあることに気付かされてしまう、というお話でした。

この曲においては、金がある時は海外の会社や建物や美術品を買いあさっていたのに、あっさりとバブルがはじけてしまった後には何も残らなかったってニュアンスだと思うんですよね。
お若い方、ご存知ないかもしれませんが、80年代から90年頃にかけて、日本は経済大国と呼ばれていたんですよ……(笑)。
00年代もまだ、そんな風に思えた時代だったのかな……。
「苦悩なんて~」という部分の意味を考えるなら、金がなくなったならなくなったなりに、つつましやかに生活を送ればいいだろって思ってるってことなんですかね。
前のラインと、直接的には繋がらない気もしますが……(笑)。
ただ、五十嵐さんの考えの根幹には、真っ当に社会に順応していけなかったことへの自責の念があるので、

“死のうたって 当分無理そうだろう 散らかった部屋片そうかな”
ここもやっぱり、バブルの後始末ができなかった日本を思わせます。
先の「雲追いかけ」は、欧米列強を追い抜きたくて海外へ進出しまくっていた企業のたとえと考察しましたが、このラインは、金もなくなったわけだし、バブルの狂乱の後片付けができていない国内にちゃんと目を向けようやっていう話なんだと思います。
社会のメタファーではなくても、なにかしら「手の届かないものを掴もうと頑張っていて、日常生活がおろそかになっていたけど、あきらめがついたのでまずは生活空間を整えようと思った」というとりかたでも全然いいと思います。
部屋を綺麗にしておくのって大事みたいっすね。

“風邪こじらして 大丈夫そうな振りして 気取ったって ぎこちない日々さ”
バブルが弾けてるのに、「いや、まだいけんじゃね?」的な態度を取り続けていたことの暗喩かなぁ。
「こじらして」というところが、その病が長引いていることを示唆しています。
10年代に入り、まさか「アベノミクス」によって好景気が訪れたように「演出」するなんて、誰も思わないですよね……。
日本って昔からそうなんですよね……今じゃ企業も政府も隠避体質を隠そうともしない。
生きづれぇ社会だぜ。

“プリン買って 帰ろうかな今夜は お金なんて あんまいらないのな”
プリンってかわいいですよね。
五十嵐さんは甘いもの好きなんでしょうか……。
プッチンプリンは、容器からそのまま食べる派なのか……プッチンしてお皿の上に落とすタイプなのか……誰か知りませんか?
「今夜は」って言っているってことは、普段は食べない甘いものを買うことが主人公にとってのプチ贅沢なのでしょう。
五十嵐さん、食欲あんまり強くなさそうですよね……いつ見ても細いし。
そのうえ物欲もなさそう。

“永遠だって そう 終わりがあるって君は言う 運命だって そう 変わってしまうと君は言う”
「終身雇用」とか謳っていたのに、90年代半ばからは失業率が高まり、大企業による「リストラ」という言葉を聞かない日はないような時代だったので、そういう意味で「永遠には終わりがある」と言っているのでは。
ところで、五十嵐さんの曲には、やたらと「君」が出てくるけど、実際にいる「君」ではなくて、五十嵐さん自身の思想の投影であることも多いそう。
五十嵐さんって、頭の中に複数の意見が同時に渦巻いている人なので、シロップの曲って「自分との対話」を曲にしている側面があるんだろうなーと思います。
この曲での君は、「雲追いかけ」るのを止めたり、「風邪こじらし=以前は健康体だった」たりする主人公に、「いや、いろいろ変わっていくっしょ。ずっと続くと思ってたなら、それは錯覚してただけでしょ」と正論を諭してくれる人なのでしょう。
あるいは「永遠」とか「運命」という言葉で飾り立てていた関係を、「終わる」「変わる」と否定して、主人公のもとを去ったのかもしれませんね。
いずれにしても、曲のフィーリングやシチュエーションから考えると、「前に進まねば」という意志を感じます。

“雨上がったばかりの道路に 小さい花を見つけるよ”
「雲追いかけ」ている時は、足元を見ずに空を見上げ続けていたけど、視線を落としてもきれいなものがそこにはあるという話なんじゃないですかね。
「上」と「下」の対比がとても上手く描けてます……やっぱり五十嵐さんってストーリーテリングの能力が高いんですよね。
『空をなくす』における
“「もっと上へ」だって 上なんて何も無いけど”
に近いシチュエーション。
楽曲の持つフィーリングは全く異なるものの、歌の思想としては相似形と言える。
やっぱり、バブルがはじけた後の日本の歌なんじゃないかなーと思います。
日本に限らず、経済成長は必ず頭打ちがくるってことは、90年代には明らかになっていたことですからね。

7.向日葵
曲調については間奏、特にないです……(笑)。
各楽器の録り方が、ちょっと面白い気はします。

“一週間でどんなひとも生まれ変わる”
向日葵の花が咲いている期間はだいたい一週間だそうです。
人が生まれ変わるのかはわかんないです……細胞の入れ替わりはもうちょっと時間がかかる気はしますが……。

“必修単位大前提に生きるのは辛い 「だから何だ!」って見知らぬオヤジにも 怒られる……”
「……」がかわいいですね……へこんでるやん、五十嵐さん。
日本の詰め込み教育が嫌だ、って話なんでしょうね、ここは。
「必修単位」って、全員、これを学べ! っていう押しつけですからね。
それができない人は落ちぶれていっても止む無し、という思想。
子どもたちが、自分の学びたいことを自分で見つけて、そこで意欲や能力を発揮できればいいんですけどね。日本の教育の特徴。
見知らぬオヤジっていうのは、旧世代の思想で凝り固まってる人を象徴しているんだろうなぁ。
僕、宮崎駿さんが好きなのですけど、あの人は筑紫哲也さんとの対談でこういうことを言っているんです。

“宮崎「僕が自分の周りにいる小さな子供たちと、夏だけちょっと山小屋で付き合ったりしますとね、いい子だなと思った子が、小学校二年になったとたんに九九で今悩んでると聞かされるんです。そうすると頭に血が上るんですよね、なんでこんな子に九九を教えなきゃいけないんだって。何年か待てばすぐ覚えられますよ。なんでこんな小さな魂を「覚えなけれお前は一生一人前の大人になれないんだ、一人前の子供じゃないんだ」みたいに脅かすんだろうって」
「たとえば小学生で高等学校へ行ってもおかしくないような数学の能力がある人間は、どんどんやればいいんです。それは絵が上手な人間がどんどんを描くのと同じでね、それはやってもらったらいいんですね。平等にする必要はないですよ。それは平等を壊すということではない。英才教育をやっても、僕はちっともかまわないと思うんです。ただ、ほとんどの人間は英才じゃない。英才教育をやると駄目になるんです。僕自身もだめになったと思いますけどね。自分の息子たちを見てても、小さい時、「一円が千個集まるといくらだ」って聞いたら、「ウーン」って考えてるんですよね。その瞬間に、こいつに数学をやれと言ったって無理だと思った(笑)。だからそいつがジタバタして算数でひどい点を取ってきても、それを怒るのは無理だと思いましたね」
「経団連がなにか言い出したんですよね。小学校の教育を変えようって。自分たちが使いやすい国民を作るためにさんざんを教育のことを言ってきて、もっとゆとりのある、すき間のやるべきじゃないかと言い出した。これまでの教育を受けてきた若者たちが、職場で使い物にならないからなんですね」
筑紫哲也さん「自分たちが望んだ形、簡単に言えば歯車をいっぱい作りたかったんですよね。ところが歯車そのものがもう限界に来ちゃってる。もうその歯車を持て余してる状況になっちゃったということは、事実だと思うんですね」
宮崎駿さん著 『出発点 1979~1996』1996年5月2、9日放送の対談「くにのゆくえ」より”

そう、僕、宮崎駿さんのことが好きなので、あの人の発言をちょこちょこ引用していくことになると思います。
ホントに好きなんです……。

“向日葵と同じ位背が伸びたら あの太陽に手が届くんだなって そう 信じていた”
向日葵が、何を意味するのか、よくわかんないです……。
太陽との関連で云うなら、向日葵は太陽の方を向いて成長するということ。
「背」で云うなら、向日葵は短期間でにょきにょき伸びていく元気な植物。
ただ、人間の「背が伸びる」のは十代で終わる成長なんですよね。
主人公は思ったように背が伸びなかったのか、太陽の方を向くのをやめてしまったのか。

ただ、これも「雲追いかけ」と同じニュアンスですよね。
五十嵐さんがミッシェル・ガン・エレファントのチバさんと心境を重ね合わせるような発言をしたことがありましたが、ミッシェルの『太陽をつかんでしまった』、あれは望みを叶えてしまったバンドを暗喩していたはず。

『向日葵』はこの曲よりも前に作られていますが、ミッシェルは97年ごろから「出口がない」「空を飛んでも何もなかった」という曲を書いています。
シロップものちのち「夢を叶えてしまった」というモチーフでいくつも曲を作りますので、それがミッシェルからの影響なのか、思想の根源が似ているのか……。
ただ90年代に思春期を過ごした人は、文化的にも経済的にも、「頭打ち感」を持っていたんですよね。

太陽って、日本の国旗のマークなので、「日本」の象徴として使われることもままあります。
子どもの頃に見ていた太陽=経済的に強い国、そこで働く大人たちと同じような人間になれると信じていたって話なんですかね。
背が伸びた=大人になったけれども、なんらかの理由で太陽には手が届かない。

世界シンボル辞典の、太陽の引用。
地球から見える巨大な天体が「太陽」と「月」であることから、これらは対比して語られることが多い。
世界で共通していることは、強い光で地上を照らす太陽は「陽」、闇を引き連れて夜を呼ぶ月は「陰」の象徴として扱われることが多い。
また、太陽を「男」、月を「女」とする文化もある。
さらに天体に神話を持つ文化では太陽を「父」とするものもあるそう。
太陽の光が生命力を与えることから、エネルギーそのものの象徴にもなるとのこと。
面白いですねー。

8.愛と理非道
アレンジとしては、『汚れたいだけ』ですよねほとんど……。
アコースティック・ギターの音を、モワーンとしたエレキギターに変えれば、ほら汚れたいだけの出来上がり。
でもかなり凝ってて、このリズムセクション、大好きです。

リビドーとは、一般的に性的衝動のことを言います。
特に、男性が持つ荒々しい衝動のこと。
「理非道」という漢字をあてる文化はまったくなく、ググってもシロップのこの曲のことしか出て来ません。
「理の道に非(あら)ず」という文字を当ててくるところから、五十嵐さんが、性的衝動を否定したがっていることがよくわかる。
五十嵐さんの性嫌悪的な感性が強く出ていますね。
五十嵐さんは「音にはまる言葉」を重視するので、本人にとっては楽曲のフィーリングは近いものだと考えられるため、アレンジが『汚れたいだけ』にそっくりなことを考えてみると、二つの曲は双子の様な存在なのかもしれない。

“顔の見えない 不幸と霧状の黄緑色に 酔っていた”
顔の見えない不幸というのは、自分の知らない人の不幸……おそらくは何らかのメディアを通して知らされる不幸のことを言っているのでしょう。
人々が分断され、メディアを通して世界観を形成していく世代。
イエモンの『JAM』もそんな感じのことを歌っていた気がします。
(五十嵐さんも、真鍋かをりさんみたいなきれーな人を嫁にしたら、幸せになれるのでしょうか……)
ネット登場前の文化ですよね。
自分と直接かかわりがあるわけではないけれど、大量に流れ込んでくる「不幸な」情報の洪水によって気分が悪くなる想い、って話ですかね。
霧状の黄緑色は……ぜんぜん分かんないっす……。

“曖昧風な手振りで 死んだ振りeveryday”
初彼女とBまでして、Cはしなかったという五十嵐さん……。
その他、酔った勢いに任せて女性といい感じになるも、結局性交にはいたらなかった経験が他にもあるそうです。
(ちなみに「B」「C」って何を指すか、地方によって異なりませんか……? 僕は「A=キス」「B=おっぱい」「C=挿入」だと思っているんですけど……。でもこれって男主体ですよね……女の人に、なにかしら「してもらう」基準もあるのでしょうか)
それを「曖昧風な手振り」と言っているのではないでしょうか。
死んだ振りってなんだろう……ちんちんが立たなかった振りってことですかね。

“切り裂いた昨日はもう 光に舞っていた”
この曲全体的に意味がわからないんですけど、「切り裂いた=別れた」「昨日=付き合っていた日々」と解釈すると、彼女の方は自分のことを綺麗さっぱり忘れてしまっていたとか、もう他の男とくっついたとか、そんな取り方はできなくはない。
そしたら次の
“希望は誰かの手だ”
っていうのは、彼女の次の恋人って意味になるような気はします
それにしても五十嵐さん、「手」「掌」という部位そのものや、手を使う動作について本当によく歌いますね……。

『フリースロウ』の考察終わります。
『COPY』に続きます。

・おまけ『フリースロウ』が好きなら、これも好きかも?
フリッパーズ・ギター/『海へ行くつもりじゃなかった』
やりたいことが詰まりまくった1stアルバムとして、どうでしょう。にしてもフリッパーズは、完成され過ぎていた。

くるり/『ファンデリア』
同じく、やりたいこと詰まりまくりな1stとして。

ブラー/『レジャー』
オアシスと覇権争いを繰り広げたバンド。彼らも初期は、中産階級の生活をよくテーマにしていた。まぁ、聞き始めるなら、デビュー作のコレじゃなくて、『パークライフ』か、『グレート・エスケープ』になるのですが、「やりたいことつまりまくり作」として、こんなんもありますけど。

バンプ・オブ・チキン/『フレイム・ヴェイン』
スタジアムバンドになる前の、粗削りなバンプはけっこう面白いですよ。タイアップつけまくり、スタジアムに映える曲を量産するようになったバンプしか知らない人は、聴いてみると、イメージ変わるかも。

サニーデイ・サービス/『若者たち』
やりたいことつまりまくり。以外にも、フリッパーズ・ギターフォロワー感がまんま出ていてユニークです。のちの下北のドン、曽我部さんの若かりし頃の音。

 - Syrup16g, 音楽

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