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映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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笑ってサヨナラ 230209

   

昔2ちゃんのまとめサイトには「体験談スレ」があった。
「こんなことがあったから聴いてくれ」という体裁のもの。
いろんな体験談スレがあったようだが、まとめサイトにアップされるぐらいなのでクオリティの高いものが厳選されていたはず。
電車男の流れを汲んでいるのか、恋愛もののスレが多かったような気がする。(まぁ、なんだかんだ言って、人がある程度の文字数を費やして語りたがることは色恋沙汰であることが多く、多くの人が共有して興味を示すのは色恋沙汰なのかもしれない)
そこで、ちょっとした失恋的な体験をした人が、フジファブリックの笑ってサヨナラを聴いたと書き込んでいた。
その頃の僕は邦楽をほぼ全て軽蔑していたので、「は? こういうところでメジャーレーベルに所属してるけどマイナーなバンドの名前出す奴が俺は一番許せないね。通ぶれるけど人と被らないような選択をしていやがる」と憤った。
冷静に判断するならば、自分と関わりのない人物の趣味嗜好や思想に苛立つ人間の方がどうかしている。
昔の僕はずっと何かにイライラしていた。
ただ、その曲名は記憶に残った。

その後、僕が初めて付き合った女の人がフジファブリック好きだった。
「志村に目の死にっぷりが似てるって言われるんですよぉ」って言ってた。
その人のことがものすごく好きだったのにすぐに振られたものだから、僕の邦楽嫌いは加速した。
僕に怒る権利などないだろうに、何かに怒ったり何かを嫌ったりしていた。やはりどうかしている。
この頃の自分をどうかしていると判断できる程度には、今の僕のどうかしっぷりは治ったのだと信じたい。

さらにしばらく経つと、その人と復縁したすぎて、その人が好きだと言っていた音楽を聴き漁ることにした。音楽に限らず、その人が好きだと言っていた伊坂幸太郎の小説をいくつか読んだ。(この頃の若者はみんな伊坂幸太郎か東野圭吾を読んでいたものだ)
好きな物に対する理解のあるほうが好かれるだろうと思ったのであった。
その一環でフジファブリックや、ほかにも彼女が名前を挙げていたものを聴いた。
ノーベンバーズとかラッドとか。その辺は好きにならなかったが、フジファブリックは面白いことをしていて好きになった。
ただ、彼女が「志村の変態っぽいところが面白い」と言っていたが、別に変態ではないだろうと思った。
今でも思う。ただ日本のロックバンドの中では、真面目っぽいスタンスでとぼけた内容の歌を歌っているところを「変態」って言っているのかもなと、今では思う。
ただ、自分のことを「ちょっと変」だと思っている人が、「変態」と人を呼んだり自称したりするのが好きではない。この感覚は何なんだろうな。

フジファブリックのことはその後も好きなままであった。
人生何が起こるかわからないもんですね。

考えてみると、「やるお小説」は結構記憶に残ってるし、評価する向きもあるけど、「体験談を聴いてくれ」のスレってあんまり語られないよな。(フィクションなのかノンフィクションなのか判然としないところとか、まとめてたブログが消滅したりしているところも、再発掘しにくい理由かもしれない)
いや、自分が知らないだけで、語られている場はあるのかもしれないけど…
僕は特に大学生の頃、まとめサイトを見ることに多くの時間を費やしていた。
当時から何かしらの創作をしたいと思っていたので、本来であれば技術の鍛錬をするか、その分野についてのインプットに時間を費やすべきだったのだろうが、それができずに時間を無為に過ごした。
まとめサイトに載っていた面白い体験談って、けっこう自分の血肉になっているのだろうと思う。良くも悪くも。
経験談スレも人気があって、書き手に意欲があると、数ヶ月にわたって書き込みが続いたりするので面白い。
昔のまとめサイトって、「面白いものをなんでも取り上げる」ってところが多くて、今みたいに「時事ニュースを取り上げる」「芸能ニュースを取り上げる」みたいなカテゴリに特化することもなくて、混沌としていて面白かったですよね…。
昔を懐かしむ年寄りの仕草だ。

考えてみると、00年代にはあったこういう「体験談を聴いてくれ」って、今や見かけなくなった文化だけど、そういう人たちってどこに行ったんだろう。
ツイッターに140文字でバズる「体験談」ものがあるけど、140文字に圧縮しきれなかった面白い経験談はどこに書き込まれるんだろう。
そういう自我の発露形式は消失したってことなんだろうか。
人間にはそもそもそういった欲求があったのではなく、「匿名で自分語りできる」場が用意されたことで(場が用意されたのではなく、その場をそういう風に使うことが慣例化していったという話)、そのフォーマットに合わせた表現手段が採用されたというだけの話なのだろうか。
それとか、みんなが140文字とかショート動画とか写真と一言コメントで、こまめに自我を発露させるようになったから、スレッド分まで溜め込むような感情を蓄積しなくなったのだろうか。
なぞ。

そういったまとめが格納されていたまとめサイトは閉鎖してしまったりしている。
ネットには情報が永遠に残ると思われがちだけど、もちろんそんなことはないのである。

話は逸れつくしたのだけど、「笑ってサヨナラしたかったのかもな」と思った出来事があった。

多分僕の心に余裕がないからなのだろうけど、人と離別する時は、しっかりと「これっきりってことになる」とお互いに確認し合いたいなと思った。

僕は、『エターナルサンシャイン』という映画の「さよならぐらいは言ったことにしましょうよ」という台詞がとても好きだ。
自分の人生を振り返ってみると、これが最後になるとは思わなかった、って形式のやりとりがとても多い。死別でもないのに。
僕が特に人望がないためにこういったことが起こるのか、そういう時代なのか、原因はわからない。

そういうわけで、離別するのであれば、「こうなるしかない」ってことを確認したい。
離別せずに関係を継続できないかの模索をして、その上で「こうなるしかないんだな」って結論になることを確認したい。
確認し合う中で、自分が相手をどう思っているかや、僕にそう思われることで相手がどう思うかを確認したい。
悪意のこもった感情は伝えないようにしているが、ただ、相手が何を思っているのかわからないために、自分が相手のことをどう思っていいかわからなくなることがしょっちゅうある。(いや、ぼかしすぎていると意味が伝わらない気がするが、特に損得関係なく付き合う「友人」よりは踏み込んだ何かしらの関係のことを指して書いています)

やっぱりコミュニケーションって、変数が多いですよね…。
自分のことすら十分に理解できてないのに、他者のことを十分に理解するなんてやっぱり不可能ではないか?
と思う。
やはり自分には向かない。コミュニケーションが。

終わりにするのなら、それが終わりだとはっきりわかる形でコミュニケーションを取りたいなと思ったのだった。
「まだこの関係の先に何かがあるかもしれない」という期待をしたくない。
自分の脳は、何かを振り返って「あの時にこうしてたら」とか「あの時のあれってどういう意味だったんだ」とか考えてしまうので、その関係のことを思い返したくない。
でもそれは僕のエゴでしかない気もする。
相手からしたら「またそのうち連絡するかもしれない」とか「またなんか縁があるかもしれない」くらいの感覚なのだとしたら、わざわざ「これで終わり」とする必要はない。かもしれない。
別に終止符を打つ必要もないんじゃないかとも思う。
けどはっきりしない形だと僕はすっきりしない。
まぁ、すっきりさせたいというエゴか、これも。
結局何をどうすべきなのか決められずに今に至る。

相手は、「離別するしかない」と結論づける側に回るのが嫌で、それを回避するために選んだ振る舞いなのかもな、とも思ったりする。
まぁ、結局、わからずじまいだ。
こんなにわからないことだらけなので、そもそも僕はその人と深い関係性ではなかったんだろうなというのがオチのつけどころになるだろう。
でも、深い関係性ではないのなら、「この関係は終わってる」と告げることはそんなに高コストなことなのだろうか。
深い関係性でもないのに「終わってます」と告げる行為をする必要がない、というあたりが真意だろうか。

今でも何にもわからない。
でも、それをわかる状態にしたいかというと、そういった気力も出てない。
こういう心境になってみて、あぁ、相手からしたら、「これが終わり」という
物事を終わらせるのには労力がいる。
なんでもそうですよね。
終わらせる労力を思うと、とりあえずは現状維持にしといちゃおうという、決断をしないという決断をする。

僕は自分のうちに思いを秘めておくことが本当に苦手なんだろうと思う。
でも人に絶対見せたくない領域もはっきりと持っている。
人に絶対に見せたくない領域で、僕の心のキャパシティは埋まっていて、人とのコミュニケーションで生まれる感情の機微を溜め込んでおける余白がないのかもしれない。

考えてみると、僕は、他の人たちがしていることに付いていけていないのだと思うことがよくある。
「またね」とか「これが最後になったりしないですよね」とか、「●●する時は声かける」とかって言葉は、僕は多分「最後」を意識している時には使わない言葉だ。

まぁ、でも、「俺はこういう考え方なんだよ」って考え方に固執するのではなくて、その時々に、対峙する相手に合わせて、行動を変えるしかないんじゃないかなとも思う。
自分も若い頃に散々そういうことをしたのだし。
若い頃に自分勝手な人間関係を築いてきた。
特に女性関係。
自分が昔女性にしてきたひどい扱いを考えたら、かわいいもんだなぁと思ったりもする。

もやもやと考えてはみたけど、やっぱり、僕には何もわからないままだった。
わかりたいなと強く願ってもやもやした日々の苦しさももうあんまり思い出せない。
多分もともとこれに固執したことが間違いだったんだと思う。

でも、別離の前にはお互い笑顔をたたえていたいって優しさでもあるんだろうなとも思った。
僕がそういう、「言語ではAと言っているが、Bという意味を伝えたい」的な行間を読む・真意を汲み取るといったことを苦手としている人間なのが悪いんだろうなとも思う。

何もわからないし、僕にはどうにも手に負えない事象なのだというのが結論。
自分にわかる、どうにかできる関係性しか構築してはいけない。
あるいは、はなから「どうでもいいっす」と考えながら関係するしかない。

 

・今日聴いた曲

どうしてなんだろぉーう。

 - コミュニケーション, , 日記

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