てやんでい!!こちとら湘南ボーイでい!!

映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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LA LA LANDのすべて 冬編

      2017/05/27

ララランドがめちゃくちゃ好きなんです。
劇場に8回観に行きました。
心の底からこの映画に惚れこんでしまいました。
なので、僕の思うララランドの魅力や、ちょっと注意して観ないと気付かない部分について書いてみたいと思います。
映画の時系列に沿って、細かいところまで書いていきます。
テンポが早い映画なので、何度か観ないと気付かないポイントがありますよね。

ただし初めに断っておかねばなりませんが、僕はララランドの元ネタとなった映画をほとんど知りません。
映画のパンフレットの解説で町山智浩さんが紐解いてくださっていたりしますが、古今東西ありとあらゆるミュージカル映画にインスパイアされて作られたそうで、直接的なオマージュを捧げている部分もかなりあるそうです。
僕はこれまであまりミュージカル映画を観た経験がなく、また、観たものでもあまり印象に残っていなかったりします……。
ララランド公開前に、勉強のために急いでいくつかのミュージカル映画を観たりはしたのですけど。

代わりと言ってはなんですが、デミアン・チャゼル監督の長編監督デビュー作に当たる前作『セッション』は3回観ましたし、脚本のみを担当したスリラー映画『グランド・ピアノ』、ホラー映画『ラスト・エクソシズム2』も鑑賞しています。
あと、『10クローバーフィールドレーン』も観ました。この映画はデミアン監督の作家性はかなり薄いとは思いますが……。
それらの作品を観ていると、ララランドを観るだけでは気づきにくい事実も浮かび上がってきます。
つまり、チャゼル監督がどんなことを描こうとする作家なのか、というところです。
その辺りについても書いていきたいと思います。

そうです、つまり、このエントリではララランドだけではなく、ララランドにまつわる映画のネタバレも容赦なく行います。
上記のようなチャゼル監督が携わった映画をこれから観るつもりだという方……特に、ネタバレなんて絶対にされたくないという方は、この先に進まない方が良いですね。
あと、知識がないなりにもミュージカル映画からの引用についても言及するので、そちらも気を付けてください。
自己責任でお願いします。
また、「そんなこと説明しなくてもわかるよ」と突っ込みたくなるような記述もあるかもしれませんが、「ララランドを観て映画の楽しさに目覚めた!」という人に向けてイチから解説したいという気持ちもあるもので、既知の情報があったらぜひそこは読み飛ばしてください。

お気づきの人も多いと思うのですが、ララランドは季節ごとに章が分かれていて、
それぞれの時間がほぼ30分ずつです。
本稿では最初の季節、冬編について書いていき、
春編、夏編、秋と二度目の冬編の4部構成で書いていこうと思います。

・シネスコープ
冒頭。
画面が横にグイーって引き延ばされていって、「CINESCOPE」という文字が全部見えるようになるという演出がありましたね。
この映画の画面サイズは縦1:横2.52。
シネマスコープというのは、通常よりも横長の画面サイズを採用している映画のことをいいます。
これは往年のミュージカル映画が好んで採用していた画面比なのです。
最初から横長の画面で映すのではなくて、

白黒に見えた映像も、画面が横に広がるにつれて色づき始めます。
単純に、「映画を観に来たんだ」という実感が増しますよね。
良い演出です。センスのいい遊び心があるというか。
これはミュージカル映画への敬意を捧げた画面比率となっていることを示すと同時に、
この映画がミュージカル映画を現代版にアップデートしてみせるという挑戦といえるでしょう。

・冒頭のミュージカルシーン
もう言うことなしですよね。
完璧なシーンです。
これまで作られた映画の中でも、最高の冒頭5分ではないでしょうか。
色彩の美しさ。
出てくる人々の衣装の色合いが計算しつくされている。
カメラワークも最高。
歌も最高。
全てが最高なんですよ。
一つも余すところなく。
それがほんとにすごいです。
いいものは計算して作れると思うんですけど、スゴいものって作ろうとしてもなかなか作れないんですよね。
このシーンは音楽も良いし撮影も良いし衣装もめちゃくちゃいいし、しかもそれらの良さが物語の面白さにすべて繋がってくるんです。
最高って言葉が色褪せちゃうくらいいいですよ。

歌詞はよく見てみると、
「夢を掴むために恋人を残して都会へ出ていく女性」
のことを歌っていますね。
要するにこれはのちにセブが取る選択をあらわしていると思います。
極端な言い方をすると
『夢をかなえるためには恋を犠牲にしなければならない』
という作品のメッセージの一部があらわれています。

・フラフープをぐるぐる回してるのは監督の妹さん
赤いワンピースを着てフラフープを回しているのは、アンナ・チャゼルさんといって、監督の妹さんです。
引きのショットになった時も、よく観るとしっかりフラフープをまわしていますね。
映画館の大画面では観れたけど、家のテレビサイズでも確認できるかな……?
アンナさんはパフォーマーとして活躍しているそうですよ。
ミアの2回目のオーディションのシーンで、ビデオのスイッチを入れるのもアンナさんです。
ところで、監督のお父さんは大学教授だそうだし、デミアンさんは31歳でララランドのような大傑作を作り上げてしまうし、いったいどういう家系なんでしょうね(笑)。
興味がつきないです。
ただ、物語の後半部分で書くことになりますが、デミアン監督の作品を観ると「家族」の描かれ方は共通しているんです。
なので僕としては、デミアンさんが家族のことをどう思っているのかは少し気になるところです。

また、オープニングのミュージカルシーンで渋滞の中にいたアンナさんが、ミアのオーディションのスタッフをしている……つまり、映画業界で働く人ですね。
このことから、やはり、あの交通渋滞に並んでいた他の人たちも「夢を追いかけている道の途中」なのかもしれないと思います。
仮説の補強材料の一つにはなるかなと。

歌が終わると、同時に「LA LA LAND」とロゴが表示。
クラクションの音が少しずつ聞こえ始めて、現実の世界に戻ってきたことを知らせます。
クライマックス部分の考察で詳しく触れますが、この歌って魔法なんですよ。
映像も音楽も映画史上トップクラスの仕上がりになっていると思うんですね。
上映開始からたった5分で、観客のテンションは最高潮になるんです。
ですがこれ、映画の本筋とは関係のない盛り上がりなんですよ。
「交通渋滞は夢を追ってLAにやってくる人の多さを暗喩している」としても、その暗喩自体は別に面白いものでもありません。
観客はただ、映像の美しさと祝祭的なムードと最高の音楽に酔いしれるんです。
ミアとセブの物語は、この後に始まります。
にもかかわらず、映画のクライマックスになると、ミアとセブの物語にこのシーンの記憶が組み込まれてしまうんですよ!
そこがすごいんです!
観客が覚えているこの曲の興奮が、物語に活かされてしまうんです。
ずるいよ!
これってデミアン監督がストーリーと演出を同時に構想しているからできることなんですよ。
脚本が単体で書かれていたら、こうはならないはずなんです。
なるかもしれないけど、思いつく可能性が低いし、実現できる可能性となるとなお低い!
もうほんとにニクいです。

・渋滞にハマっているミア
先にセブがちらりと映りますが、そのままカメラはミアの車に寄っていきます。
(ミアの車のナンバーは108PCEだったと思います。アメリカはナンバーを自分で決めることができるので、好きな言葉やラッキーナンバーにちなんだ言葉を指定する人が多いようなので、なにか意味のある言葉かと思ったのですが、僕には理解できませんでした)
車の中でミアはオーディションの台詞を繰り返して練習しています。
ここで繰り返してる台詞は「イカれてる」という言葉は、「好き」と「狂気的」は紙一重という作品のテーマにのっとった印象付けとして機能していますね。

で、ミアは台詞の台本(ていうか紙ですが)に目を落としていて車の列が進みはじめたことに気付きません。
ミアの後ろにいたセブはしびれを切らしてクラクションを連発、さらに車線を変えて追い抜いていきます。
クラクションを流しながら通り過ぎていくセブに対して、ミアは「なによ!」と悪態をつきます。
ここはミアのマイペースで注意力散漫な性格を表していますね。
また、『渋滞が夢を追う人の多さの象徴』ととるなら、チャンスをつかもうとする貪欲さがミアにはないということになりますよね。
そして、セブはそんなミアの尻を叩いて、真剣に自分の夢と向き合わせる存在です。
ミアの物語が始まってわずか1分程度で、ミアの性格と、この先の運命を暗示しています。
チャゼル監督、本当にうまいです。

・仕事中のミア
カフェで働いているミア。
店の窓の外ではヨーロッパの貴族風の衣装を着ている人が歩いており、ここが映画スタジオの中であることがわかるようになっています。
そこに有名な女優が入ってきて注文し、店員がサービスで提供しようとしてもそれを拒否して料金を払います。
さらに募金までして帰っていく。
その姿をミアは憧れのまなざしで見つめます。
オーディションの時間を知らせるアラームが鳴るのですが、ミアのアイフォンの画面には大きくヒビが入っています。
細かいところですが、リアルですよね。
ミアが手を滑らせてでスマホを落とす姿は容易に想像できるし、割れた画面を修理するようなお金の余裕はないということもわかる。
で、店長に「病院に行かなきゃいけないので」と嘘をついて仕事を早引けしようとする。
勤務態度がちょっと悪すぎる気はしますが……
「今度は早く来てね」という店長の言葉から、普段から不良店員であることがわかりますね。
で、オーディションの台詞のメモを忘れてしまい、さらにそのメモに気を取られてお客さんと正面衝突。
ミアのシャツはコーヒーでぐしょ濡れに。
ミアの登場から5分も経っていませんが、彼女の性格や現在の生活がどんなものなのかがだいたいわかります。
そそっかしくて、役者になるのが夢で、仕事をしながら夢を追いかけていて、けれどその仕事には興味を持てない。
ドジな性格のせいでとんでもない失敗を起こすことがある。
デミアン監督、情報の提示の仕方がめちゃくちゃうまいです。

ところでセッションを観ていると、「時間に間に合わなそうで焦っている人物を横から撮る」という構図でヒヤヒヤしてしまいますよね。
セッションでは主人公が交通事故に遭うシーンがありましたから。
もともとララランドの脚本が完成したあとにセッションを製作したようなので、アイデアを流用したということでしょう。

・オーディションのミア
ここはもう見たまんまで、オーディションを受ける人は数多いて、ミアのような一介の女優志望者はちゃんと見てもらえていないということですよね。
僕は演技の良し悪しがあまりわからないのですが、ここのミアの演技はヘタなんですかね? よくわからん。
ミアが失意のまま廊下に出ると、白いYシャツを着て髪を胸くらいまでの長さに伸ばした女性が大勢います。
Yシャツと髪の長さは指定されたものだったんですね。
そんな中でミアだけがダウンジャケットを羽織っています。
コーヒーがしみ込んだYシャツを隠すためでした。
ダウンジャケットを着ていて、よく参加させてもらえたものだなという話ですね……。
物語では、主人公にあたる人物が「慢心」によって「失敗」するシーンというのが必ずといっていいほど出てきます。
厳しい言い方をすると、本気でこのオーディションに受かりたいのであれば、衣装が汚れないように細心の注意を払うべきじゃないですか。
かわいそうではありますが、ミアはこのオーディションに受かりたいと心の底から願ってはいなかった、ということです。

・お家でのミア
帰宅して、シャワーで汗とコーヒーを洗い流すミア。
オーディションの結果は通知が来るまでもなく不合格なのがわかっているので、不機嫌そうな顔をしています。
蒸気で曇った洗面台の鏡をぬぐって、そこに映る自分と向かい合います。
すると少しだけ微笑みが戻り、「フフフゥフゥフフーン」と鼻歌を歌い始めます。
そこへ突然、ルームメイトがバスルームに入ってきます。
「すごい蒸気ね、換気したら?」
ミアは「登場の演出よ!」と返します。
ミアは3人の女の子とルームシェアをしているようです。
「今日のオーディションどうだった?」
という話をしていることから、おそらく全員が、女優志望だと思われます。
ここで彼女たちは、これから「ハリウッドの俗物たち(クリシェと言われていますね)」の集まるパーティに行く予定を話し合います。
ミアは「仕事があるから行けない」と、誘いを断ります。
(字幕では「仕事」となっていますが、「ワーク」という台詞になっているので、勉強、研究、作業という意味合いで言っているのだと思います。ミアは兼業で夜も何かの仕事をしているという描写はなかったですし……。正直、字幕に出てくる言葉がちょっと意味が違うというかニュアンスの捉えちがいをしているように思えるところが、いくつかありました)
で、ミアの友だちは、何言ってんの? みたいな言い方で「仕事!?」と言い返します。
この友だちの返事って、ちょっとヘンだと思いませんか?
だって、今日のオーディションが散々な結果であったなら、反省とか振り返りが必要ですよね?
オーディションは次も、そのまた次もあるはずです。
今回がダメだったなら、なんでその結果になったのかを考察して次に活かさないといけないはずじゃないですか。
本当にオーディションに合格したいのであれば。
けれどミア以外の彼女たちにとっては、パーティの方が優先事項なんですね。
もちろん彼女たちも歌の中で、「いい出会いがあるかも」とか「名前を知ってもらえるかも」とは言っているので、業界人のパーティへ行くことが女優になるという夢に繋がるかもしれないという期待があるようなのです。
けど、それって本当にそうでしょうか。
本当に女優になりたいなら、他に優先すべきことがあるんじゃないの?

ちなみに「仕事~!?」と言う彼女ですが、ここでお菓子の袋を片手に持って、ボリボリ食ってます。
この次の登場シーン(ミアの彼氏を部屋に連れてくる時)でも、お菓子をボリボリ食ってます。
綺麗じゃないと女優になれないというわけではないですが、美容に気を遣っているに越したことはないですよね。
成功する確率は上がるはずだし、それぐらいの意気込みで挑まなければスターにはなれないかもしれません。
ルームメイト全員、美人モデルを役者としてあてがってはいますが、このお菓子ばっかり食っている女の子は本当であればポッチャリした女の子になっているのではないでしょうか。
ミュージカル映画なので見栄えを重視して、綺麗なモデルを選んで配役したのだと思います。

つまり言いたいのは、役者を目指すミアにとってはこのルームメイトたちは「悪友」なのではないかということです。
演技の勉強もしない、映画も演劇も観ない……その他なんでもよいですが演技に役立ちそうな活動もしていない。
けれど女優になりたいし、オーディションは受けに行く。
果たしてこれで、彼女たちは夢を掴めるのでしょうか?
ララランドでは悪意や怒りといったネガティヴな感情はかなり抑えられていて、きらびやかに美しく装飾されていますが、冷静に考えてみると、このルームメイトたちは本気で夢を追っていないんですよ。
ミアはおそらく、夜は一人で自分と向き合ったり、演技の勉強をしようと思っていたはず……。
ですがルームメイトが自分を置いて家を出ていくと、彼女たちを追って自分も車に乗ってパーティへ向かってしまいます。
この時のミアの表情、微笑んでいるんですけど、ちょっと複雑ですよね……。
みんなが出て行って寂しいからなのか、みんなの言うようにミアも「特別な誰か」と出会いたいという気持ちになったのか。

個人的な印象の話になってはしましますが、ミアのルームメイトはほんとに綺麗な人たちですよね。
黄色いドレスの女の子はソノヤ・ミズノさんと言ってお母さんが日本人なのだそうです。
ただそんな美人に囲まれていても、ミア役のエマ・ストーンってほんとに目を引く容姿をしていますよね……美しいだけではないというか。
目と口が大きいから表情が豊かに見えるんですよね。
あとララランドを観て思うのは、コメディエンヌとしての才覚に恵まれてますよ。
この歌のシーンでも、往年のハリウッド女優を茶化すような顔芸をしていますが、なんか美人を捨ててるような変顔なんですよ。

・ルームシェアについて
監督は他の作品でも、一つの家で他人同士が共同生活する模様を描いています。
まず、脚本のみを手掛けたホラー作品『ラスト・エクソシズム2』。
2なので当然1があるわけですが、そちらはチャゼル監督はかかわっていません(公表されてないだけでかかわっている可能性は0ではないかもですが)。
1でいろいろ悪魔に取りつかれたりした女の子が、2の冒頭で保護されて、心に傷を負った少女たちが暮らす施設に入ります。
はじめは心を閉ざしていた主人公の少女も、施設の女の子たちに良くしてもらったり、仕事をしたりするうちに、だんだんと明るさを取り戻していきます。(このあたりはチャゼル監督お得意のモンタージュで描かれますね)
しかし、施設の少女たちに、自分のトラウマがばれてしまい……。
最終的に、主人公は悲しい選択をしてしまいます。
これもまさに「朱に交われば赤くなる」ですね。
赤くなりはするけれど、やはり、主人公は心の奥にその共同体に馴染むことができない核を抱えている。
やがて心地よかったはずの家を出ていく選択を取るという流れは、ララランドとも共通しています。
最終的に、狂気の側に身を置くことを選びます。

また、チャゼル監督がどこまでかかわっているかはわからないのですが、脚本で参加している10クローバーフィールド・レーンという映画。
これも続編モノ? みたいなものですね(説明しづらい)。
主人公の女性は交通事故に遭い、目覚めたらとても狭い部屋にいます。
そこへ男が現れ、「ここは俺の核シェルターだ。外は危険だ。ここからお前を出すことはできない」みたいなことを言われ、男と、もう一人の若い男と共同生活を強いられます。
主人公は当然そんなことが信じられず、外へ出ようとしますが……。
というお話。
こちらも、生活を共にする中で少しずつ心を通わせていく……という点が似ているとは思いますが、どちらかというと、主人公が洗脳されていく様を見るものなので、セッションの方に近いかも。

ララランド、ラストエクソシズム2、10クローバーフィールドレーンの3つに共通しているのは、主人公と共同生活を送る人たちは、主人公のことをその場所に縛り付けようとしていることです。
その場所に留まるメリットもあるが、主人公は外の世界に出ていきたいという願望を抱えているんですね。

チャゼル監督自身、学生時代はルームシェアをしており(寮生活だったかな)、そこで作曲家のジャスティン・ハーウィッツさんと知り合ったのだそうです。
いい話ですね……。

・パーティへ行ったミア
台詞がないので少し伝わりにくいですが、やはりミアは「ハリウッド・クリシェ」なノリに馴染めず、少し居心地が悪そうにしています。
そして口説こうとして隣に座ってくる男を「うわっ」という目で見て、逃げるようにトイレに入っていきます。
(ここでちょっと面白いのは、容姿を見る限りではこの男は決して悪い人には見えないところです。ちょっとナルシストっぽい仕草が鼻につきはしますが)
パーティの喧騒から切り離されたミアは、バスルームの時と同じように、鏡に映った自分と向き合いながら歌います。
重要なので歌詞を引用します。

そんな誰かを見つけることだけが大事なの?
世界は回り続けているのに?
目指す自分になれる場所がどこかにあるはず
見つけ出されるのをひたすら待っている場所が

これまで一連の歌の中では「素敵な人に出会えるかも」というニュアンスで歌われてきましたが、ここでミアは「誰かに出会って自分を変えてくれるかもしれない」という欲求を言葉にします。
パーティに参加しているほかの人たちとは、おそらくこの思いを共有できていないのでしょう。
心の底では、今の自分ではダメだとわかっている。
それを誰かに変えてもらいたいと、ミアは思っているんですね。

トイレから出ると、後にミアの心の原風景にある「雪」と「水への飛び込み」が出てきてパーティは終わります。
これはミアへの祝福と取っていいのか、ハリウッドの狂騒をあらわしただけなのか、僕にはわかりません……。

・パーティから帰るミア
ミアは独りで返ろうとしますが、車はレッカー移動されています。
ミアはルームメイトたちとここへ来たのに、帰る時は独りです。
彼女たちはパーティで、「連れて帰ってくれる誰か」を見つけたのかもしれませんね。
というか多分そういうことですよね……。
僕、クラブとかに行っても浮いちゃうんで、ここのミアの気持ち死ぬほどわかってつらいです。

そして徒歩で帰るミア。
通行人が全然いません。
想像以上にLAは車社会なんですかね……誰も徒歩移動をしないの?

途中、ハリウッドスターが描かれた壁の前を通り過ぎます。
マリリン・モンローとチャップリンは、多分だれでも見たことがありますよね。
これはLAでは有名なスポットのようですね。
昔、深夜にやっていたテレビ番組のオープニングで、この壁の映像が流れてきたと思います。

で、ピアノの音色に惹かれて、店に入っていくところでミアのパートは終了。
ミアが演奏に浸っているような顔をしているところで、冒頭のセブのクラクションの音が入ってくるという演出。
うまいですねほんと……。

・セブの日常
交通渋滞にハマっていてもなんのその。
セブは未だにテープで音楽を聴くというレトロな男です。
セロニアス・モンクの弾く荒城の月のイントロを何度もリピートしています。
荒城の月は日本人にはおなじみに曲のようですね。
僕はぶっちゃけ、聞いた記憶が全然ないのですが……。
エンドクレジットを観てみると「ジャパニーズ・フォーク・ソング」となっていて、英語ではこういうタイトルになっているんだなぁとちょっと面白い発見でした。

で、ミアの乗る車が全然進まないために、クラクションを連発しながら追い抜いていきます。
クラクションを軽く鳴らすだけじゃなくて、連発なんですよ。
しかも追い抜いた後もパッパパッパ鳴らしまくってる。
やなやつ、やなやつ、やなやつ! ですよ。
セブが短期でせっかちで、他人に対して不寛容な男であることがよくわかりますね。
自分の行く道を遮るものには我慢ができない! という感じ。
性格がよくでています。
チャゼル監督、本当にうまいです。

しかもその後に向かったのはコーヒーショップ。
セブは車を降りてテラスから通りの向かいにあるお店を睨みつけるように見つめています。
あんだけクラクション鳴らしてるから用事に遅れてしまいそうなのかな? と思いきや、この男のすることは、昼間っからカフェで一人でコーヒーを飲むことなんですよ!
めちゃくちゃ嫌な奴です、セブ。

・家に帰ったセブ
帰宅。
ドアを閉じて部屋を見て、姉が勝手に入り込んでいることにびっくりするセブ。
セブは劇中なんどか驚くシーンがありますが、ちょっとかわいいです。
セブの憎めないところや、純粋な性格を表しているように思います。
ライアン・ゴズリング自身がけっこう、ちょっとしたことでびっくりしちゃう人みたいですね。
ミアとセブのキャラクターは、演じる役者二人の性格を反映しているところがあるかなと思います。
姉はセブが大事にしている、「ホーギー・カーマイケルが座った椅子」の上に靴を乗っけながら座っています。
姉さんはセブの音楽へのこだわりを理解していないし、むしろそんなこだわりは捨てた方がいいと思っているんですね。
そして姉さんは、セブの部屋の殺風景さを案じてカーペットを敷いてあげます。
嫌がるセブに「マイルスがオシッコをしたカーペットよ」と茶化し、セブは「それは侮辱だ! ……ホントの話?」と返します。
ホントなわけねーだろ! と思うのですが、セブの純粋な性格がここでも確認できますね。
その後にセブが部屋を片付けられないことを指摘する姉……。
ありますよね、部屋を片付けられないことって。
「今はやることがあるんだ」と言いつつなかなか計画を進められない人にありがちなような気がします。まぁ僕がそうなんです。
ここでお姉さんが「これパパの?」と言って写真立てを出して、セブの部屋に勝手に飾り、セブがそれを伏せてしまいます。
ここのところがどういう意味なのか、正直わかりません。
あとあとになって、姉夫婦から送られてきた「楽しいホリデーを!」のカードを部屋にちゃんと飾っている描写があるので、パパが送ってきたカードを見えるところに置いていない=大事にしていない=家族を省みない生き方をするセブ、という意味なのかもしれません。
あるいは、セブの音楽好きは父から受け継がれたもので……とか。
うーんわからないです。
けどおそらく前者ですね。

その後、セブが以前に、自分の夢をかなえるための協力者を見つけ、しかしその相手に騙されて今はほぼ文無し生活を送っていることがわかります。
姉はそのことをなじりますが、セブは「ロマンチストで何が悪い!」と言い返します。
ほんとに純粋なんですね……。
そして姉が女の子を紹介しても、余計なことをするなと言わんばかりにあしらうセブ。
姉はセブに夢を諦めるようにさとしますが、セブは「まだ俺は負けていない。ロープ際で打たせてやっているんだ」と言います。
その後姉は「じゃあねモハメド・アリ」と言って帰っていきます。
そして姉の背中に「俺は不死鳥だ! 灰の中から蘇ってみせる!」と叫びます。
後述しますが、セブの物語は典型的な英雄譚に則って作られています。
英雄は、一度死にます。
蘇って、さらに強い力を手に入れて、世界(共同体)を救うのです。

・サンバとタパス? どっちか一つにしろよ!
過去はジャズクラブの名店として知られていたヴァン・ビークという店が、今では「サンバとタパスの店」という看板を出していることに腹を立てているセブ。
彼はその店のあるところに、自分の店を作りたいという願望があるようです。
ある意味、ジャズが求められないという時代の移り変わりを象徴するようなその店の在り方が、彼には許せないのです。
「どっちか一つにしろよ!」
これはララランドのテーマを象徴する言葉ですね。
こうやってさりげなく、後にセブが取る選択を暗示させるのが本当にうまいです。
チャゼル監督。

・働くセブ
セブはレストランでピアノを弾く仕事を手にしたようです。
オーナーのビルとの会話から、過去にひと悶着あって辞めたセブを再雇用したのだということがわかります。
オーナーは店の雰囲気に合ったBGMの演奏を求めますが、セブは自分の好きな音楽であるジャズ(具体的にどんな音楽かは明言されませんが)を演奏したがるため、軋轢があったようです。
演奏を始める前、セブは自分のやりたい曲も演奏させてほしいと交渉します。
「どうせ客にとってはBGMだ」と当てこすりのようにセブはいいますが、「私にとっては違うぞ」とはねのけられてしまいます。
かなり笑えるやりとりです。
ララランドの勝因として、コメディ要素が非常に良い出来になっていることも挙げられますね。
これはチャゼル監督が全て一人で考えているんですかね……ハリウッド映画では、脚本の協力を専業にしている人も大勢いるようですからね。
ギャグの書き足しだけのために雇われる人もいるとかいないとか。
ララランドではどうなんでしょう。
けど前作のセッションの時からすでにコメディ要素もかなりハイレベルだったし、チャゼル監督の手腕によるところが大きそう。

クリスマスにちなんだ定番曲ばかりを演奏させられるセブ。
ですがだんだんと、曲を自分好みにアレンジしたりして遊びだします。
この辺りは、先にもあったように「客にとってはどうせただのBGMだ」というある種の諦めにも似た考えから出てきたのだと思います。
チャゼル監督が脚本のみを担当した「グランド・ピアノ」という映画があり、主人公はピアニストなんです。
コンサートでピアノを弾くシーンがあり、「観客はどうせ自分の間違いにも気づかないさ」と、わざと演奏を間違えるんです。
こういうのって、なにかを作る人間が抱えがちな悩みなのだと思います。
「自分の意図したとおりに作品を受け取ってもらえない」とか「自分のこだわりに気付かれないし、気に入らない部分も気付かれない」とか。
そこからある種の諦めが生まれることもあるのだろうなと。
ここでは「誰にも聞いてもらえない仕事にしかありつけない」自分を卑下している面はあると思うのですが、チャゼル監督の作品を通してみると、「受け手のリテラシーの低さへの絶望」も感じるんですね。
ちゃんと聴いてんのか?
ちゃんと観てんのか? と。
しかしおそらく、ちゃんと聴いていないタイプの人には、監督のメッセージは届きませんね。

そして店で食事をしている人たちが、実際に自分の演奏に耳を傾けていないことを確認すると、セブは自分のオリジナル曲を演奏し始めます。
最初はしっとりした美しいメロディだったのですが、だんだんと激しさを増していき、最後には鍵盤を叩きつけるようにして演奏を追えます。
さすがにそうなると周りの客もセブのことを奇異の視線で見ています。
そして店の入り口には、青いドレスを着た女性……ミアが。
ミアのパートと話が繋がりました。
二人は見つめ合いますが、セブはビルに呼び出されてクビを宣告されます。
セブは何とか撤回してもらおうとしますが「宇宙人かお前は」と言われ、取りつく島もありません。当たり前だ。(ワッツ・ザ・プラネット・アー・ユー・フロムと言われています。言葉が通じていないのか? お前はどこの星から来たんだ? という皮肉ですね)
そしてセブは譜面とチップを取って店の出口に向かいます。
ミアはセブの演奏に感動したことを伝えようとしますが、セブは彼女を押しのけて出て行ってしまう。
ミアは好意をむげにされ、笑顔を引きつらせる。

・ビルについて
登場シーンは少ないのですが、このビルというキャラクターはかなり印象的です。
前作セッションを観ている人にとっては、フレッチャーという鬼指揮者を思い出しますね。
クビを宣告するところでバイオレンスが始まるのではないか……と思ったのは私だけではないでしょう。
おそらく監督は意図的にそのキャスティングを行っていると思います。
のちのちの展開で、このビルが「恐い男」だという印象が効果をあげるからです。
スターシステムではないですが、セッションを観ている人は、セッションでのJ・K・シモンズの印象をビルに投影するはずなんです。
レストランのオーナーだから、いかにも「恐そうな男」では違和感が出てしまうから、品格がありつつ恐くもある人でなくてはいけないんです。
J・K・シモンズって恐い人の役をたくさん演じているし、ツルツルスキンヘッドに鋭い目つきで、なんか威圧感があるんですよね……。
ビルというキャラクター事態も、汚い言葉を使ったりするわけではありませんが、非常に厳格な人なのがわかります。
ある意味で、セブにとっては、夢の前に立ちはだかる壁・現実の象徴のような存在です。
「世の中、そんなに甘くはねぇぞ」と。
そんなビルがクライマックスで……。
クライマックスは泣けるシーンの連続なのですが、ビルのところはほんとに泣かされます。

・名前について
ところで、字幕版では全員が「セブ」と愛称で呼んでいますが、実際の彼の名前はセバスチャンです。
彼を「セバスチャン」と呼ぶのは、姉のローラと級友のキースだけです。
他にセブと呼ぶのは、このビルだけです。
このシーンで給仕が「セブおかえり」と言っている字幕が出ますが、実際には名前を呼んではいませんでした。たしか。
では、ミアはなんと呼ぶか。
彼のことを一度も名前で呼ばないんです。
「セブズ」という店の名前を考案する時も、店の名前としてしか口に出しません。
僕もうろ覚えな知識なので確かなことは言えないのですが、神話では、名前に非常に重要な意味があります。
崖の上のポニョを思い出してみると、主人公を「そうちゃん」と呼ぶ人と、「宗介」としっかり略さずに呼ぶ人で、主人公との関係性が暗示されていたと言います。
略さずに呼ぶ人は、主人公にとって本当に近しい人物であると。
対してミアは、みんなから「ミア」という名前で呼ばれ、ずっと親しまれています。
最後のシーンでも、ちゃんと名前を呼んでもらえることで、ミアは運命を導かれます。
このことが意味するところはどんなことなのかわからないのですが……ミアがセブを好きじゃなかったというよりは、セブが彼女に対して一線を引いていたということなのだと思います。
この後詳しく書きますが、セブはミアに名乗らないことがそもそも発端だからです。
また、後述しますが、ララランドは神話をベースとしたシナリオメソッドに則って書かれている可能性が高く、名前の重要な鍵として使われているはずです。

・春へ
ミアのいろんなオーディションのシーンを4つほど見せて、冬編は終わります。
ララランドの構造の美しさってほんとに異常で、この時点で上映開始から約30分。
この先も春編が30分、夏編が30分、秋編が30分、セブとミアの別れ以降も30分という、ほぼ均等な作りになっているんです。
多くのハリウッド映画は3幕構成と呼ばれるつくりになっていて、その時間配分が非常に重要であると言われているんですね
どこかの部分が長すぎると冗長だと言われ、短すぎると性急過ぎると言われるのだそうです。
良い映画ってこのバランス配分がとても美しく作られています。

・ミアとセブの人柄
ミアはそそっかしくて、自己中心的で、女優になりたいけど目標に到達するための最適な努力ができていない。
そして同じく「女優志望」というくくりのルームメイトたちと連れられて、あまり行きたくないパーティに繰り出していく。
朱の交われば赤くなる、というやつですね。
これって要するに、コミュニティの話でもあると思うんです。
共同体は、自分たちと「同じさ」の多い人間を求めます。
はじめは共同体と違ったところが多くても、過ごす時間が長くなれば、だんだんと「同じ」になっていきます。
誰もが経験したことがあると思いますが、共同体からの同調圧力は強く、それから逃れるには強い意志の力が必要です。
ミアは今、ルームメイトたちに流されて、「ハリウッドの俗物ども」とコケにしながらも彼らに取り入らないと……と思い始めています。
ですがまだミアは、「誰かに自分の知らない自分を見つけてほしい」という願いを秘めています。

セブの人柄は、作中の台詞を借りると「ピアノはうまいが偏屈でやっかいもの」です。
そしてミアに輪をかけて自己中心的。
で、家族から「ちゃんと落ち着け」という忠告を無視して、誰も見向きもしなくなったジャズの復興を目指して邁進している。
……というと聞こえはいいですが、実際にやっていることはジャズの巨匠たちの演奏を聴き込み、コピーすることくらいでした。
このポイントは監督自身がクラシック映画好きであることが反映されているはずです。(もちろんリアルタイムの映画もたくさん観ていると思いますが)
それこそ監督は、2010年代に「オリジナルのミュージカル映画を作る」という目標を持っていた人です。
近年作られたミュージカル映画の多くは、舞台版の好評を受けて作られたものです。
つまりあくまで「映画版」でしかなかった。
実際に、監督がララランドの企画を作った当初は誰からも出資を得られなかったそうです。
セブの苦い状況は、監督自身の経験をもとに作られているはずです。

この映画は情報の提示の仕方が非常に洗練されています。
悪く言えば深みがないということになるのかもしれませんが、僕はその辺は全然気になりませんでした。
とにかくコンセプトから逸れたものがなく、統率されている。
社会性や政治性のあるテーマなどはないし、登場人物の心理描写に深みがありません。
でも映画を観てしまえば、ララランドという映画がこれ以上なく素晴らしい完成度に仕上がっていることに打ちのめされるんですよ。

では、春編へ続きます。

 - ララランド, 映画

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