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映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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『この世界の片隅に』を観るべき40の理由

      2017/02/10

2016年11月から公開されているアニメ映画『この世界の片隅に』。
非常に素晴らしい出来になっていると話題ですね。
ふつうは映画って公開されてから一か月で上映終了になるものですが、この映画の上映はまだまだ続いています。
それどころか、1月に入ってから上映館数が増え続けているのです。(もともと小規模の上映だったという事情もありますが)
僕は公開から一か月ほど経った12月の初旬に一度目の鑑賞に行きました。
問答無用の大傑作でした。
すでに四回観ましたが、未だに号泣しますし、作品の中に新たな発見があります。
尋常じゃない作品です。

もともと作品製作の予算が降りず
テレビや雑誌などの露出が少なく
映画自体の認知度は未だ低いままのように思います。
(年末ごろからテレビでも取り上げられる回数が増えてきましたね! いいことです)

その状況が歯がゆい!
誰にでもおすすめできる映画なんてなかなかないし、
これが世界の映画史でも特異点になりうる大傑作なんですよ。
しかも映画館で観賞することを強くおすすめしたい出来なんです。
けどあんまり観ている人がいない……。

というわけで、四回鑑賞してきた僕が
「『この世界の片隅に』を観るべき40の理由」
を考えてみました。
「気になっているけど、観に行こうとまでは思わない」
くらいの人に観に行ってもらえたるきっかけになれば嬉しいです!

1 とにかく感動する、泣ける映画

「戦争映画って重たそう」というイメージで避けている人がいるかもしれませんが、この世界の片隅に(以下『このせか』)はとにかく泣けます。
悲劇的な部分もありますが、僕がこの映画を観る時は感動で号泣しています。
いろんなことを考えさせられる映画ではあるのですが、暗い気持ちで映画館を出ていくような作品ではありません。
その辺りのバランスはジブリ映画に近いです。
とにかく、泣ける映画になっています。

2 のんさんの演技が素晴らしい

以前は能年玲奈という名前で活動していた女優の、のんさん。
この映画の主人公のすずさんの声を演じています。
で、のんさんの演技が本当に素晴らしいんです!
すずさんはぼんやりした性格をしているのですが、のんさんのほんわかした声質が非常にマッチしています。
また、舞台が広島なので、台詞もかなり強い広島なまりなのですが、それも完璧にこなしています。
物語の中ですずさんは大事なものを失ったり、暗い感情を抱えたり、大きな声で笑ったり、様々な表情をしますが、演技の面も文句なし。
完璧でした!
2013年の連続テレビ小説『あまちゃん』は社会現象にもなり、当時は彼女をテレビで見ない日はありませんでした。
しかしその後、事務所から独立しようとして騒動になり、仕事が制限されるようになってしまったそうです。
(元所属事務所が、彼女に仕事を回さないように圧力をかけていたという話があります)
そんな彼女が本格的に仕事を再開させたのが本作なのです。
監督である片淵須直さんが彼女の出演を熱望したそうです。
(元事務所も「アニメ映画くらいならいいか」と高を括っていたのかもしれないですね)
後述しますが、すずさんは作品の冒頭で結婚し、実家を離れて嫁ぎ先の家で暮らすようになります。
苗字も浦野から北條へと変わります。
おとぎ話の世界では、「主人公が名前を奪われる」ことがモチーフになることが多いです。(千と千尋の神隠しを思い出せばわかりやすいですね。また村上春樹の諸作品は名を奪われるというより、持っていません)
名前は、魂です。
このせかは、すずさんが、奪われたものとどう向き合うかという物語でもあります。
そのすずさんを演じるのが、元事務所によって本名での活動が許されなくなったのんさんだというのは奇妙な偶然ですね。

3 のんさん以外の声優さんの演技もいい

この映画に出ている声優さん、全員いいんですよ。
声優を生業としている方と、役者をやりつつ声のお仕事をしている人と、だいたい半々くらいのバランスかなと思います。
男性は声優さんが多く、女性は役者さんが多いっぽいですね。
個人的にはすずさんの姪っ子にあたる晴美ちゃんの声がとてもよいです。
はるみちゃんは学校に通う前なので、5~6歳くらい子だと思うのですが、めちゃくちゃかわいいんです。
演技くささがないし、その年頃の子どもっぽさを感じさせるアクセントがあったりして、非常によいですよ。
ここも火垂るの墓と似ているかもしれないですね……あの映画も、節子ちゃんの演技は忘れられないですからね。
世間ではのんさんに注目が集まりがちですが、旦那さんの周作さんを演じた細谷佳正さんの演技も最高ですよ。
やっぱり夫婦役ってどっちかが秀でているのでは感動は生まれにくいですよ。
この映画は声優さん全員めちゃくちゃいいです。
りんさんの声はかわいいし、径子さんのあのへんのシーンとかもう、めちゃくちゃ泣かされました。

4 メッセージの押しつけがない

「戦争映画」とか「昭和が舞台の映画」というと
「戦争から学ばなければいけないのだ」「あの頃はよかった」みたいな押しつけがましいメッセージがありそうなイメージはありませんか?
僕はあります。
映画というかプロパガンダのようなものってたくさんあります。
ですが、このせかは、メッセージ性の押しつけが全くありません。
そこがまた凄まじい作品たるゆえんです。
メッセージ性の発生を周到に回避しています。
時には原作にあった台詞を削除している部分もあります。
僕は「メッセージを語りたいだけなら創作じゃなくてSNSでやりゃいいのに」と思う人間なのですが、この映画に打たれるのは、そのメッセージ性のなさが大きな理由なのだと思います。

5 メッセージのなさがメッセージたり得ている

4番と矛盾するような話ではありますが、メッセージを押しつけないこと自体がメッセージになっています。
「第二次大戦が激化していく時代」の「広島」を舞台にした作品であるにもかかわらず、メッセージがないんです。
そのポリシー自体がメッセージたりえています。
ここではネタバレをしたくないのでこれ以上書きませんが、この点は、僕が深く感動する理由の一つです。

6 日本の戦争映画を変えた

はっきり言って、ここ10年くらいの間に日本で作られた第二次大戦モノの映画って、プロパガンダ映画ばかりでした。
戦争を実体験した世代というよりは、その後に生まれた団塊の世代あたりの人たちが、「昔の日本はこんなにすごい国だったのだ」とありもしない妄想をし、その欲を満たしてあげるためだけに作られた可処分所得回収装置でしかなかった。(時間もお金もある世代ですからね)
仕事を定年退職して暇をしている老人たちや、長渕剛みたいなマッチョ右翼を気持ちよくしてやるためだけに作られ続けるコンテンツ。
そういう映画を見るにつけ、70年も前に終わった戦争を美化しないと気が済まない人たちがこんなにいるのかと思っていました。
三丁目の夕日の映画あたりから始まった昭和回顧の流れも、ここまで退行していくものか……とウンザリでした。
(そういう映画が実際に興行収入を上げやすいのだとしても、ウンザリすることには変わりません)
で、ここにきて、このせかのような映画が出てきました。
実際に戦争を経験した世代からも熱狂的に受け入れられているそうです。
なので、大日本帝国万歳型のプロパガンダ映画のことは一切忘れて、純粋な気持ちで観に行ってほしい映画です。
(僕は高校生の頃、アホまる出しのネット右翼だったのですが……従軍経験のある祖父に『ゴーマニズム宣言 戦争論』を読ませたところ、数ページ読んで「戦争のことは思い出したくない」と返されたことを思い出します。自分のアホさ加減を思い出して恥ずかしくなります。同時に、おじいちゃんがこの映画を観たらどう思うだろうかとも)

7 原爆の扱い方が完璧

第二次大戦の映画で、かつ広島が舞台ときたら、「原爆」が出てくることは誰もが予想できると思うので、ここまでならネタバレにはならないと思います。
これまで映画で描かれたことのない手法で原爆が描かれます。
意表を突かれますが、確かに、本当はこうだったはずだよなと、腑に落ちるんです。
原爆の凄惨さを教え込まれた世代が物語の中でそれを描こうとすると、圧倒的な悲劇やクライマックスになってしまうのです。
それは原作者のこうの史代さんの『夕凪の街 桜の国』でもそうでした。
個人的に、原爆の悲劇を描いた作品で、一番つらいです……夕凪の街 桜の国。
「私が死んだことを喜んでくれるかな?」っていうモノローグが今でも忘れられません。
ある意味そこで究極的な視点を描いたことで、全く別の角度から原爆を描こうという挑戦がこうのさんの中に生まれたのかもしれません。
とにかく、ちょっとすごいんですよ……このせかの、原爆の描き方。
テーマと完全に一致しているし、原爆ってそういうものだったのかという驚きがあります。

8 クラウドファンディングで製作資金を調達

この映画は製作資金をクラウドファンディングで集めました。
パイロットフィルムを製作するための資金として、目標額を2000万円と設定。
2015年の3月9日にスタートし、8日間で目標額に達成し、最終的には3500万円を超える資金の調達に成功しました。
もともと、このせかという企画は微妙な立ち位置で、アニメ映画であるがゆえに映画通には軽視されがちで、かといってアニメファンに対する訴求力も乏しい……そのため資金が集まりにくかったのだそうです。
なので、「これだけの人がこの映画を観たがってくれている」ということを、まずは支援金という形で可視化しようという狙いもあって、クラウドファンディングというチャレンジをしたのだそうです。
逆に言えば、クラウドファンディングがなければ、この映画は完成にこぎつけられなかった可能性も高いはず。
このせかが大成功をおさめたことで、クラウドファンディングで製作資金を集める企画は、今後増えてくるかもしれませんね。

9 女性性の描き方が最先端

主人公はすずさんという、空想にふけりがちで、絵を描くのが好きで、少しだけ間の抜けた普通の女性です。
上述しましたが、すずさんは結婚をして、山を一つ越えたところにある夫の家に嫁いできます。
この時、すずさんは夫となる人のことを全く知りません。
親が「いい話だから受けといたで」と勝手に承諾してしまった結婚なのです。
このあたりは物語の都合で誇張されているわけではなく、実際に、今の時代とは結婚の在り方が全く違うのです。(ましてや恋愛の在り方なんて)
この作品では一つの重要なテーマとして「女性性」というものがあります。
すずさんは女性としての「こうあるべきだ」という生き方を強制されます。
「こうあるべきだ」というより、「こうなのが当たり前だ」という感じでしょうか。
社会から押しつけられる役割とは、えてしてそういうものですね。
片淵監督は、『アリーテ姫』というおとぎ話を題材にしたアニメ映画を作っているのですが、その頃から、「女性性」をテーマに扱ってきました。
「囚われた女性が」→「閉じ込められた場所から脱出し」→「しかし閉じ込められた場所へ自ら戻る」という作品です。
この流れは『マッド・マックス 怒りのデスロード』と一緒なのですが、これは、マッドマックスの製作者がアリーテ姫を参照している可能性があります。(怒りのデスロードはもともとアニメ映画の企画だったため、日本のアニメをかなりチェックしていたはず)
また、『アナと雪の女王』も、最終的にお城に戻ってくるお話になっていますね。
アリーテ姫は2001年の作品……アナ雪より12年も早いんです。
要するに「新しい場所を見つけるのも大事だけど、今いる場所を変える生き方もある」という、普段忘れてしまいがちなメッセージの提示をしたということなのですが。
このせかは、原作の段階で、「女性性」が丹念に描かれていましたが、映画版ではさらに別の軸のメッセージが展開されています。
ディズニーでは、2007年の『魔法にかけられて』あたりから、ディズニーが流布してきたプリンセスストーリーのアンチテーゼを取り上げるようになりました。
ジョン・ラセターがディズニーの政策を統括するようになったことで、ディズニー自体が自省の時代に入ったのだと思います。
僕は女性像を作り上げるという意味で、ディズニーの作品が世界中の女性の生き方に与えた影響は大きいと思います。
このせかは、そういった流れとも同調していると言えます。

10 ロマンティックなラブストーリー

現代と、映画の舞台となる昭和初期とでは、恋愛観は全く違います。
すずさんは、会ったこともない男性の家へと嫁ぎますが、そこに愛が生まれないのかというとそうではありません。
現代の人間は、当時と比べると非常に自我が強いです。
僕もそうだし、みんなそうです。
その事実を否定したいわけではありませんが、近代的自我とも言われますね。
僕たちには、選択の自由がありすぎます。
誰もが自由に恋愛を謳歌……もしくは恋愛で幸せになるという幻想に束縛されている今とは違い、当時は、自我よりも共同体の方が強かったのです。
ですが、そこにもロマンスはありました。
今とは違うからこそ、そこから学べるものも必ずあります。
愛にはいろいろな形があると教えてくれるラブストーリーです。

11 コメディ映画として面白い

笑えるんですよ!
ここ何年も、アニメ映画を観て笑うことなんてなかったのですが、この映画はほんっとに面白いんです。
劇場でも終始笑い声が絶えませんでした。
しかもテレビアニメにありがちな、勢いで笑いを取ったり、質の悪いボケでキャラクター同士が笑い合ったりするものではなく、実際に日常の中でも生まれるような小さなおかしさを丁寧に描いています。
笑える作品には、人は感情移入します。
ささいなことだけど、おかしくて楽しい日常を描けていれば、それがなんとか守られてほしいと観ている人は望みます。
笑える映画になっているだけでも高得点なのに、その楽しさが、後々にドラマに繋がってきます。
製作者が笑わそうとしているのに全然笑えない映画が数多ある中で、このせかはコメディ要素が突出して面白いのです。

12 料理が美味しそう

食べものが美味しそうな映画といえば、ジブリアニメを思い出す人は少なくないでしょう。(というか宮崎映画ですね)
このせかでは、料理が重要な要素として出てきます。
舞台は今のように、コンビニに行けば二十四時間いつでも食べ物を買えるような時代ではなく、市民の手に行き渡る食糧が少なかった時代です。
戦局が厳しくなるほど、手に入る食糧も減っていってしまいます。
そんな中ですずさんは、野草を摘んできてご飯の材料にしたりと工夫を凝らします。
これがとても美味しそうなんですよ。
食べている人物のリアクションもとてもリアルで、観ていてお腹が減ってくるくらい。
どんな時でも、ご飯を作るシーンが欠かさず挿入されます。
監督は食事のシーンに並々ならぬこだわりようを見せていて、作中に登場する食べ物を実際に何度も作ってみたそうです。
料理を「作る」シーンと「食べる」シーン、どちらもとても丁寧に描かれます。
個人的には「作る」シーンへのこだわりはとても重要で、その点ではこの映画は最高峰のレベルにあると思います。
そして、その要素もまた、物語においても大切な機能を果たしているんです。

13 兵器や戦闘シーンの描写がリアル

日常のシーンの作り込みが丁寧なのと同じレベルで、戦闘機や戦艦の絵の描き込みや音の作り方も非常にリアルです。
戦闘のシーンも描かれるのですが、観ているだけで本当に怖いんですよ。
過剰に恐怖心を煽る演出があるわけではないのですが、ものすごく怖い。
後述しますが、音響のクオリティも圧巻モノで、これはこの映画を映画館で観てほしいと思う理由はこれですね。
銃撃や爆撃の音が凄まじいレベル。
また、これもただ「ここにこだわっているんですよ~!」というアピールではなく、物語の中で人物が感じる「恐怖」も重要な機能を果たしているんです。

14 日常アニメとして面白い

日常アニメというキーワードを何度か挙げていますが、ここ10年ほど、そういったアニメが流行しています。
かわいい女の子や男の子たちが、変わらない日常を延々と続けていくというアニメです。
漫画でもそういったものが多いですね。
このせかも、日常が淡々とつづられていくアニメーションです。
かけあいの楽しさ、ささいな出来事を丁寧に描く姿勢、音楽・音響面の充実ぶりなど、日常アニメとしてみてもクオリティが非常に高いです。
ですが、岡田斗司夫さんが『まどかマギカ』を語る際に話した「お決まりを逆手にとる作品が出てくる」といった話にも通じる要素がこのせかにはあります。
まどマギの時は、魔法少女ものというお決まりを逆手にとって新しいことをやった。
エヴァはロボットものというお決まりを逆手に取りました。
お決まりが出来上がっているということは、観ている側が、無意識に思い込んで作品に接するということです。
どんな思い込みがあるのか見極め、そこを裏切るというテクニックがあるということですね。
日常アニメに慣れ親しんでいる人は、このせかをとても楽しめるでしょう。

15 アニメーションとしての新機軸

監督が「ショートレンジの仮現運動」と語る手法です。
アニメーションは一枚ずつの絵を連続で表示して、動いているように見せるものです。
一枚の絵を描くのにも費用が発生するため、なるべく動きが少なく、絵の枚数も抑えるのが一般的な日本のアニメーションです。
予算が通常よりも多く出る作品でも、日常のシーンでは普通に描き、アクションシーンなどの、動きの多いシーンでは絵の枚数を増やして映えるように見せるということが多いです。
このせかでは、日常の中での細やかな動きをする場面でも、異常に絵の枚数が多くなったと言います。
結果的に、僕たちは、登場人物たちが本当にそこに存在して、生活しているように感じられるんです。
通常の日本のアニメーションの作りかたでは生むことができなかった感覚。
この手法を採用したのも、監督の執念からだといえます。

16 背景美術の美しさ

映画で描かれる場所はどこも、自然が豊かでとても美しい絵になっています。
当時の日本はどこもそうだったのかもしれませんが、日本は四季のうつろうごとに世界の表情が切り替わっていく風土なのだなと思わせられる演出になっています。
戦争によって変わっていってしまうという意味で、背景の美しさそのものが演出になっています。
私たちが暮らしているところも、ゆっくりを眺めてみれば、美しい自然がたくさんあるはずです。
これが、アニメーションで描かれると、はっとさせられますね。
普段見慣れてしまっているからこそ、そこになにも感じられない、見出せなくなってしまうのは誰しもあること。
そういったことを、あらためて認識させてくれる映画になっています。
また、原作でも巧みに演出された点でもありますが(原作では途中で、こうのさんが背景を左手で描くようになりました)、夜の山並みが映るシーンがあるのですが、そこがもう、本当に美しいんですよ……ゴッホ調で描かれたと言っていた気がします。
その「美しさ」自体が、一つの演出にもなっているんですよ。
そのシーンは音楽、絵、物語の流れ、すべてが混然一体となって、信じられないほど感動的なんです。
僕はあそこが一番この映画で泣きますね……。
背景の描き方を切り替えるという演出にも、舌鼓を打つしかありません。
背景美術の素晴らしい映画でした。

17 人物のデザインが適度にかわいくない

ヘンな話ではありますが、この映画には美男美女がほとんど出てきません。
これは原作の時点で、普通の人々を描こうというコンセプトがあったからだと思います。
先の名前を挙げた『君の名は。』にせよ『聲の形』にせよ、主役級の女の子の容姿はとてもかわいくデザインされています。
実写映画でも、やはり主演には容姿の美しい役者さんが選ばれますね。(役者と言っていいのかわからないようなモデルさんが出ることもしばしば)
画面に出ている人の容姿が美しいほうが画面が映えるということや、人気のある人や見た目が美しい人を起用したほうがお客さんを呼びやすいという理由があるにしろ、そこに問題がないわけではありません。
恋愛の物語だった場合、「それって相手の容姿が良いから好いてるだけじゃない?」と思ってしまうような作品ってありませんか?
僕はそういうことを感じるほうなので、この映画のように、普通の人々が描かれているほうがかえって共感できます。
実際に作画監督の松原秀典さんは、すずさんが美少女になりすぎないように注意したと言います。
「美しいもの」ばかりが映される映画に疲れている人にもおすすめしたい映画です。

18 綿密な資料調査による裏付け

監督は気の遠くなるほど膨大な量の資料を読み込んだそうです。
また舞台となる広島に足しげく通い、存命中の戦争体験者の方々に取材を行ったそうです。
映画で描かれる背景の絵などは資料写真をもとにして、徹底的に、現実にあった風景を再現したといいます。
戦争や生活の描写をリアルにするのみならず、街や風景そのものも80年前に存在した世界を蘇らせようという強い意志によって描かれています。
ここまでの資料調査が行われたアニメーション映画は、これまでなかったのではないでしょうか。

19 宮崎駿の後継者、ついに現る

「食べものが美味しそう」
「戦闘シーンがめちゃくちゃ怖い」
「笑いどころがちゃんと笑える」
「とにかく泣ける」
「重い部分はあってもすっきりして終わる」
などなど……このせかは宮崎アニメに似ている部分がたくさんあります。
それは偶然ではないかもしれません。
というのも片淵監督は学生時代から宮崎駿さんの作品に、脚本や演出という形で参加していたことがあるのです。
魔女の宅急便では、当初は監督として参加していました。
しかしスポンサーから「宮崎さんが監督をしないなら資金提供はできない」という要請があったために宮崎さんが現場に復帰、片淵さんは演出補佐として製作に携わることになりました。
宮崎さんと似ているというか、エッセンスを共有しているのです。
少しマニアックな話をしますと、宮崎監督の最終作『風立ちぬ』とこのせかは似ています。
あの映画、「観たけどなんの話かあんまりわからない」という人がけっこういませんでしたか?
実はあの映画って、人物の芝居や演出などを同時に読み解かなければ、真のストーリーにたどり着けない構造になっているのです。
具体的なことはここでは語りませんが、
「次郎は女好き」
「美しくないもの(人)以外興味がない」
「飛行機を作ることが好きで、そのためには何かが犠牲になっていても気にならない」
「魔法使いや悪魔がいる(目がぐるぐる回っている人たち。カプローニはメフィストフェレスなのです)」
などなど、挙げていくとキリがないのですが、世間で言われるような(というか宣伝のために流布された)「戦争の厳しい時代に支え合った夫婦の物語」というような美談ではありません。
あれは、作ることと美しいものや美人にしか興味がない、人でなしの話なのです。
ただ、感動的な作品と取れなくはないようなストーリーテリングにはなっていたので、その辺りは宮崎監督のテクニックの妙であったように思います。
このせかも、風立ちぬと同じように多層的な物語構造になっています。
個人的には、風立ちぬをしのいでいるとすら思います。
なぜなら、こちらは普通に鑑賞するだけでもしっかりと大筋を追えるからです。
大筋を理解できたうえで、いくつの隠し味に気付くことができるかという、「わかる人はさらに深く理解できる」という構造になっているからです。
深く理解できなければ楽しめない、というマニア向けの作品にはなっていません。
宮崎駿さんが最後に残した革新的な技法を引き継ぎ、さらに洗練させたという意味で、宮崎さんの後継者なのです。

20 宮崎駿の呪縛を解いた

宮崎アニメは美少女が神聖化される傾向があります。
ナウシカやカリオストロの城のクラリス、シータなど……。
魔女の宅急便では悩み、飛べなくなってしまう少女を描こうとしましたが、最後にはやはり飛びますね。
もののけ姫では血に汚れ人外の側で生きる女性を描き、千と千尋では汚れながらも生きるために働く少女を描き……と、少しずつ、女性を描くことと向き合っていくかに思えたのです、が。
ハウルの動く城では、女の子が願うことによって奇跡が起こり、物語が収束するという荒業をやってのけました。
この辺りから宮崎さんの物語構成力は急激に衰えていき、最終作の風立ちぬでは、女のことなんかどうでもいい! と開き直る始末でした。
いや、あれはあれで本当に大好きな映画なんですが……。
これは有名な話ですが、社会学者の宮台真司さんが宮崎さんをインタビューした際、最初に「宮崎さんは女性を描くことが全くできていませんが……」と質問して、宮崎さんを激怒させたそうです。
宮崎さんは女性をちゃんと描くことができておらず、おそらく本人もそれを自覚しているということですね。
宮崎駿のもとで学び、宮崎駿の巨大さゆえに辛酸をなめた監督が、堅実に腕を磨き続けてアンチ宮崎駿ともいうべき傑作にたどり着いたという物語でもあると思うのです。

21 音響の素晴らしさ

戦闘のシーンは恐怖を感じる大きな音。
お料理のシーンではお腹が空いてしまいそうな香ばしい音。
その他、暮らしの中で鳴る様々な音がこの映画の中にはあります。
ふだんは意識することはありませんが、我々の生活の中では常になにかの音がしています。
意識することがないことだからこそ、この映画は、丁寧に作られた音を鳴らしているのでしょう。
アニメだからこそここまでのこだわりようを見せたのだと思います。
実写映画と違い、アニメーションでは、何も無いところからすべてを作らなければなりません。
実写映画では、人を用意して、人が動けば勝手に音が鳴ります。
しかしアニメーションでは、絵が動いていても、音を作らなければ鳴らすことはできません。
ある動きの時は音を鳴らさず、ある動きの時は音を鳴らす。
そういった取捨選択で、音をつけるという強調の演出が可能になります。
映画の冒頭で、女の子がすいかの皮をかじるシーンがあるのですが、そこの音が本当にいいんですよ。
「ガジガジ」とも「シャクシャク」とも言えないような、妙に心地の良い音なんです。
すいかの皮をかじる音を聞いたことがある人はおそらくあまりいないと思うのですが、「すいかの皮をかじっている音」なんだな、と思えるヘンな音なんです。
とにかくすべての音がいい。
これは監督が、すずさんが暮らした世界を再現しようという強い想いが根底にあるのだと思わされます。
また、あるシーンでは、あえて「音を使わない」という演出もあるのですが……そこも鳥肌モノです。
音響が素晴らしいからこそ、「音がない」ことによる演出が力を増す……そういった足し引きによる妙技も素晴らしいです。

22 音楽の素晴らしさ

とにもかくにも音楽が良すぎます。
私はサントラを購入して、100回くらい聴いていますが、未だに映画のクライマックスの曲を聴くと涙がにじんでしまいます。
本作では、歌曲、インスト、どちらもすべての音楽をコトリンゴさんが担当しています。
コトリンゴさんの経歴などには詳しく触れませんが、名門バークリー音楽大学に留学して音楽を学んだという才女です。
この映画の音楽を聴くまでは、ピアノを弾いて歌ってるイメージしかありませんでした。
なんかこう、OLが日曜日の昼間とかに聴いてるような感じの……そういったイメージです!
はっきり言ってナメていたんですが、いや、もう、この映画には完璧にハマっているとしか言えません。
まず冒頭で、フォークソングの古典『悲しくてやりきれない』のカバーが流れるのですが、もうその時点で、映画がド傑作であることがひしひしと伝わってくるんです。
有名すぎる曲ですが、完全にこの映画に一部になっています。
しかも流すタイミングが本当に完璧で、これがエンディングテーマにきたら説教くさくなってしまうと思いますが、冒頭にくることがさりげなく映画全体のテーマを伝えてきます。
“悲しくて悲しくて とてもやりきれない この限りないむなしさの 救いはないものか„
楽曲の2番にあたる部分ですが、冒頭では1番を飛ばしてここが流れます。
1番の歌詞は
“悲しくて悲しくて とてもやりきれない このやるせないモヤモヤを 誰かに告げようか„
なので、2番の方が冒頭で流すのにはふさわしい言葉になっていると思いますね。
また、コトリンゴさんのどこか平熱的な歌声も、映画のトーンを表現しているかのようで、すっと観る人の心に馴染んでくるものがあります。
もともと監督の前作『マイマイ新子と千年の魔法』で、コトリンゴさんは主題歌を担当していました。
その縁があり、コトリンゴさんはカバー曲集をリリースした際に、それを監督に送ったのだそうです。
そこに『悲しくてやりきれない』も収録されていて、監督はそのバージョンをいたく気に入り、「このせかのパイロットフィルムで使わせてほしい」と依頼。
そこでコトリンゴさん自身が、本編の劇伴制作もやりたいと名乗り出たのだそうです。
時には作った曲がボツにされてしまうことさえあったそうなのですが、監督のそのこだわりぶりは功を奏したとしか言いようがないです。
とにかくすべての音楽が、忘れられないものになっています。
観ればサントラが欲しくなることうけ合いです。

23 火垂るの墓と比べてみても面白い

戦中の日本が舞台の映画……かつ、映画としての評価も高いアニメーションと言えば、やはり火垂るの墓ですね。
もはやクラシック入りした感のある火垂るの墓と、このせかを対比してみるのも面白いです。
前者は戦争を実際に体験した原作者の半自伝的小説を、実際に戦争を体験した監督が映画化した作品。
後者は戦後に生まれて、自分たちの親や親せきから戦争を語り継がれた人びとが作り上げた作品です。
火垂るの墓は、実際に戦争を経験し、その経験が心に大きな爪痕を残した二人が作っているせいか、怨念のこもり具合が尋常ではありません。
ジブリを(ていうか宮崎さんを)追ったドキュメンタリー映画『夢と狂気の王国』で宮崎さんが語ったところによると、火垂るの墓の監督である高畑勲さんは、戦争が終わった頃に畑から芋づるを盗もうとしてボコボコにされたことがあるそうです。
また、高畑さんが演出したテレビアニメ『赤毛のアン』を観た押井守さんが「日常をやってもいいんだ」と語ったところ、「あなたにとって日常というものはなんなんですか!」とブチ切れたと言います。
僕の曲解かも知れませんが、今僕たちが「日常」だと思っているものは、本当はとても尊くて儚いものなのだという意味の言葉なのではないでしょうか。
(その解釈が正しいとすれば、高畑さんは、このせかのような作品には嫉妬や羨望を覚えるはず)
子どもの頃から火垂るの墓を観て育った僕としては、戦争とは地獄のようなイメージだったんですよ。(大人になって観返してみると、兄妹二人で海に遊びに行くシーンがあったりしましたが(まぁ死体が転がっていたし、どのシーンも常に死の気配がこびりついてるけど))
ですがこのせかを観て、戦争が起こっていても、ほとんどの人は普通の暮らしを続けようとしていたんだなと思いました。
それと、国が戦争を初めても、一気に国中が戦争モードになるのではなく、普通の人はどこでどんな戦いが行われているのか知らないまま生活しているんだなぁということも強く思いました。
火垂るの墓が好きな人は、比較するためにこのせかを観てみると非常に面白い発見があると思います。(好きっていう人もあんまりいないと思いますが……映画としてめちゃくちゃ良く出来ているし傑作だけど好きとは言えないですよ……)
このせかを観た人は、火垂るの墓をはじめ、第二次大戦を題材にしたほかのアニメーションを観返してみるのも面白いですよ。

24 君の名は。と対比しても面白い

16年最大のヒット作……であるのみならず、世界で最も興行収入を上げた日本映画になりそうな『君の名は。』。
このせかと、直接的な関係があるわけではありませんが、やはり映画同士を比較してみることにある種の楽しさはあります。
本当に様々な点で比べることができるのですが、そもそも作り手の目指すところに大きな違いがみられます。
一言で言うと、君の名はは、現実を越える美しさを描くこと、現実では起こりえない感動を作ることに執心しています。
このせかは、現実にあったであろうことを再現することに異常なまでのこだわりを見せています。
僕は君の名はについては否定的な立場なので、ご不快な想いをさせてしまったら申し訳ありませんが……やはり同時代の作品の「違い方」から見えてくるものはたくさんありますね。
物語の中盤で、実験的なアニメーション表現が用いられるという点でも似ています。
これはとても面白い共通点だと思いました。
君の名はの新海誠監督も、片淵監督も、どちらもアニメーション表現の最先端を開拓していこうという熱意にあふれたクリエイターなのです。

25 聲の形と対比しても面白い

これも16年に公開されたアニメ映画ですね。
かなりヒットしていたようですが、一般の人(というくくりは失礼かもですが)の認知度はけっこう低いのではないでしょうか?
聲の形という漫画はかなり話題になったし、連載中も人気作でしたが、アニメ化に際して登場人物がかなり美少女なデザインになりましたね。
聲の形もこのせかも、どちらも人気のある漫画を原作に持つという点では同じですね。
僕はどちらも観たのですが、「原作とどう向き合うか」という点を比較してみるとかなり面白かったです。
もともと物語が存在しているが、表現媒体が違う。(また、ターゲット層をどこにするかという点も異なってくる可能性があります)
どちらの映画も、原作の物語を忠実に再現するのではなく、独自の味付けで料理する方法を選びました。
同じ物語のはずなのに、味付けを変えると全く違う仕上がりになるということがよくわかる映画になりました。
このせかは、圧倒的な技術力で、原作の良さを削らずに、さらに監督自身のメッセージも潜ませることに成功しています。
また、どちらの映画も、冒頭で古典的な名曲を流すという点も一致しています。
このせかは、先に書いた通りで大成功なのですが、聲の形はザ・フーの名曲『マイ・ジェネレーション』を原曲のまま流すという……この演出は、誰も褒めていないですね……。
それどころか、監督の自慰でしかないという意見が多数を占めているように思います。
聲の形についても否定派なもので……ご不快(以下略)。

26 原作と対比しても面白い

この映画は原作を知っていても絶対に楽しめます。
これは日本映画にしては珍しいことで、漫画原作となると、原作のファンが持つイメージを損ねないことを念頭に置き、ただ漫画が動画に変わっただけという作品は非常に多いです。
言ってしまえば、人気のあるコンテンツはとことんまで「メディアミックス」され続ける産業構造が出来上がってしまっているわけですね。
このせかも、2011年に一度テレビドラマ化されていますが、これもそういった流れの中にあるといえます。
しかし映画はそんなシステムからははるか遠いところにあります。
そもそもの成り立ちが、監督自身の強い熱意により、すでにドラマの企画が進行してにもかかわらずアニメ化の許可が下りたという作品なのです。
もともと、原作の漫画がかなり実験的な作られ方をしているため、そのままアニメにすることが難しいというのも、一つの理由ではあると思います。
(『隣組』という歌の歌詞と共に台詞無しで描かれる回、かるたをモチーフにして当時の日本と物語のバックグラウンドを魅せる回、雑誌の読者相談コーナーの体裁を取った回など)
このせかという物語の大筋は原作そのままなのですが、細かいシーンの削除や台詞の書き換えによって、メッセージ面では違いがみられます。
同じ物語のはずなのに、メッセージが変わってくる……ここは監督の妙技といえるものです。
それと、原作者のこうのさんは、片淵監督が手掛けたテレビアニメ『名犬ラッシー』に強く感銘を受けたことがあると語っています。
片淵監督の影響を受けたこうのさんが描いた漫画を、片淵監督が映画化しているのだから、相性が悪いはずがないのです。
そういうわけで、原作を知っている人でも、映画版をぜひ観てほしいのです。

27 誰とでも一緒に観れる

これはこの映画の持つ普遍性の高さを証明する部分でもあります。
友だちとでも、恋人とでも、親とでも、子どもとでも、一緒に観て様々な感情を共有できる映画になっていると思います。
この映画を観た人と話していても、「親を連れて行ってあげたい」という人は本当に多いです。
昔、ソウルフラワーユニオンというバンドのフロントマンの中川さんが「俺たちの世代って、他の世代と共通の話題が全然ない」と言っていたことがあります。
今の時代、生まれる年が10年も違うと、共通の話題なんてほとんどないですね。
「島宇宙化」とも言いますが、特に文化面では、それぞれ自分の好きなジャンルに閉じこもって他の好みを持つ人たちと交流しようとする人がとても少ないです。
なのですが……この映画は、誰にでも伝わるように、本当に丁寧に作られています。
本当に人を選ばない映画なんです。
観た人の多くが、「誰かにすすめたくなる」と語る不思議な作品です。

28 何回も観たくなる

僕は今のところ四回観に行っていますが、二回目と三回目は感動の余韻が残っていたので、とにかく、また観たい! という衝動で映画館に向かいました。
四回目は、原作を読み直してから、映画版ではどういう部分に手を加えたのかを知るために観ました。
大ヒットする映画の特徴って、リピーターが多くなることにもあると思います。
また、前述した部分ではありますが、この映画には非常に多くの隠し味があります。(僕の気付いた点については別のエントリを書きます)
それはさりげなく表現されており、おそらく最初の鑑賞は物語を追うだけで終わってしまうと思います。
映画のテンポがかなり早いせいでもありますが、監督自身が、おそらく気付かれなくてもよいと思っているところがある気がします。
クリエイターは時々、「気付いてほしい」と考えながら隠し要素を潜ませることがあります。
ですが監督は、ここでは、このせかという作品の完成度を優先しているように思います。
そのため、本当に本当に注意しないと気付けない要素もたくさんあるのです。
様々な意味で、何度も観たくなる映画になっています。

29 評論家が軒並み「完璧」と評価

岡田斗司夫さんは「100点に決まってんじゃん」と発言。
町山智浩さんは公開直後から応援ツイートを連発、「本年度町山大賞」を冗談混じりながらコメント。
宮台真司さん、荻上チキさんらの社会学者も自身のラジオに監督を招いくほどの入れこみ
よう。
また、映画レビュワーとしても絶大な支持を集めるライムスターの宇多丸さんも、本年度ベスト映画に選出していましたね!
正直なところ、ここまで、観た人がみな絶賛しかしない映画というものを僕は他に知らないです。

30 映画雑誌でも絶賛の嵐

キネマ旬報で16年度邦画ランキング1位を獲得。
同誌のベストにアニメ映画が選出されるのは『となりのトトロ』以来約30年ぶり。
また、映画秘宝による洋画・邦画をあわせたランキングでは2位に。(1位はシン・ゴジラ)
僕は映画雑誌としてちゃんと機能しているのはこの2誌だと思っているのですが、そのどちらでも絶賛されているという、ちょっと異常な現象が起きています。
また、ランキングとは別ですが、キネマ旬報誌では、公開してから少し経った映画を、3人の評論家がそれぞれ5点満点で点数付けして評論するというコーナーがあるんです。
そこでなんと、3人のレビュアー全員が★5つをつけていました。
これは異例の事態です。
というか僕はそんな点数がありえると思っていませんでした。
このコーナーを担当するお三方はかなり趣味がばらけていて、誰かが★5つをつけているのに、他の人は星1つ……というようなことがいつものことだったのです。
特集コーナーとは違って、あそこのコーナーはかなりぶっちゃけているんです。
今後、あのコーナーで、全員が満点をつける映画は出てくるでしょうか。

31 一般の人も絶賛しかしていない

参考になる意見なの? という話もありますが、身近な人でも、この映画を観た人はみんな絶賛しているんですよ。
すごく良かった、というレベルでもなく、100点や別格という言葉で表現しますね。
とにかくすごい作品です。
ここまで言うとかえって怪しむ気持ちも生まれてしまうかもしれませんが、ほんとにとにかくすごくやばいんですよ。

32 田中元が大絶賛

田中元とは僕なのですが、このせかが面白すぎて頭が狂いそうです。
僕はだいたい年に200~250本の映画を観ます。
2016年は45本くらいの新作を映画館に観に行きました。(複数回観た映画もあるので、映画館に行った回数は50回くらい)
このせかは、16年度の映画ランキングではぶっちぎりの1位です。
それどころか、僕の人生の中でも1番の映画になりました。
「好き」って意味だと『ヱヴァ破』なのですが、あれはエヴァという体験も込みでの感動なので除外して考えます……。
ただ、一本の映画としての評価という点では、このせかを越える映画がこの先出てくるとはとても思えないんです。
これまで5000本は映画を観てきていますが、1位ですね。
映画はジャンルや製作された国・年代問わず観てきたつもりなのですが、ここまで面白く、かつ、普遍性を持った作品が生まれるとは思いませんでした。
そういう映画です。
どこの誰が観ても、感動できる作品だと思います。

33 海外での公開も続々決定

海外での公開も続々と決まっており、映画祭での上映もはじまっています。
欧米では、火垂るの墓は非常に高い評価を得ており、「戦争映画」や「観ると落ち込む映画」では常にランクインする作品です。(罪悪感のようなものを搔き立てるのでしょうか)
このせかも、かなり注目を集めることになるのではないでしょうか。
日本での公開も注目度が低いところからスタートしましたが、海外でも、今後映画の賞を獲るのではないかと思います。

34 憲法改正が議論される今だからこそ観たい

原作者のこうのさんは、「漫画を描いた10年前よりも、日本が戦争に近付いている」と語っています。
日本の若い層は政治への関心が非常に薄いと思いますが、自分たちの生活は政治のうえになりたっているのだと認識する機会になりうると思います。
これは映画版で追加された「いつの間にこんなことになったんじゃろうか。うちはそんとなことに気付かんほどぼーっとしとったんじゃろうか」という台詞にも象徴されることだと思います。(たぶんこんな台詞……)
戦争はある日いきなり始まるのではなく、少しずつ「戦争をする準備」が進められ、大きな反対が起こらない(起こされない準備もしつつ)段階に至るのを待っているものなんですよ。
「このせかを観て反戦になろう!」と言いたいわけではないのですが、映画として面白いうえに「戦争とは」ということを考える一つのきっかけになるはずです。

35 アートとして完璧

アートの定義なのですが、音楽評論家の田中宗一郎さんが雑誌で書かれていた文章を引用します。
『アートとは、主義主張を表明するためのものではないということだ。そして、勿論のこと、ある種のプロパガンダの道具でもない。アートは、ある個人の表現を通じて、世界全体が抱える矛盾や不条理をあぶり出すものだ。決して、誰かの立場を擁護して、誰かの立場を攻撃するものではない。正義と悪を区別するものではなく、すべての立場の人間の中に巣食う矛盾をえぐり出すものなのだ。(中略)素晴らしいアートというものは、単なる心地良さだけでなく、同時に、不安や罪の意識といった不快な感覚をも同時に感じさせるものでさえある』(SNOOZER#46/207ページより)
僕にとって、アートとの定義とはこうです。
ここで書かれた言葉が、そのまま、このせかには当てはまるのです。
なのに、子どもが観ても、伝わるべきところは絶対に伝わるように作られています。
そこがおそろしいんですよ。
なんでこんなにすごい作品が出来上がるのか、まったく意味がわからない。

36 製作者の熱量が圧倒的

作った人々のテンションが、そのままフィルムに焼き付いている作品というものがあります。
最初のスターウォーズやヱヴァの破、ロッキーなどの映画にも僕は同じような、鬼気迫る迫力を感じます。
(音楽にはそういった作品がたくさんありますね)
作らなければならないという観念に突き動かされているかのような作品ですね。
芸術へ奉仕の崇高さすら感じることがあります。
抽象的な話に聴こえるかもしれませんが、時としてそうした、人間の実直な想いが作品のクオリティに直結することがあります。
監督は当初、資金が集まる目途が立っていなかったにもかかわらず、自分の貯金を持ち出して製作に当てていたと言います。
監督の「すずさん」のいた世界を再現することへの執心ぶりがただ事ではありません。
それは、戦争を経験した人々がまだ生きているうちに作品を作り上げねばならないという使命感のようなものだったのかもしれません。
そのために広島に何度も訪れ、当時を生きた人の証言を集め、背景から小物から戦争の記録にいたるまで、徹底的に再現しようとしました。
結果として、観る僕たちが、言葉で言い表すことができないほど、映画に中に「リアル」を感じます。
こんなにソウルフルな映画はなかなか観られませんよ。
まるで『セッション』のようです。

37 テンポがいい

このせかは、非常にテンポの早い映画です。
マッドマックスのジョージ・ミラー監督は、怒りのデスロードのパンフレットでこう語っています。
『観客が30数年前よりもずっと早く映画を理解できるようになったことだ。たぶん、CMやミュージックビデオの影響だろうね。だから、映画のペースをアップすることになった。『マッドマックス』や『マッドマックス2』は、1本の映画の中にだいたい1,200カットほどあった。でも、今回は2,700カットある、この手の夏の大作では2,300カット程度がふつうなっている。最近調べたんだが、最初のジュラシック・パークは950カットだった』
よく言われることですが、物語のパターンというのは類型化することができ、そのパターンの数は実はそんなに多くはありません。
どんな物語でも、構造面では同じものなどいくらでもあるのです。
そのため、一つの作品の中で複数のストーリーを展開するものが増えているのだと思います。
アベンジャーズのような映画は象徴的で、それぞれのキャラクターが独立した映画シリーズの主人公ですね。
これから先の時代に、いったいどこまで映画がテンポアップされていくのかはわかりませんが、このせかは非常にテンポが早い映画です。
台詞のないシーンがかなり少ないです。
そのうえ無駄な時間は1秒もないです。
ですがストーリーがわからなくなってしまうほどではないので、その点はご安心ください。
アニメ映画の利点でもあると思いますが、キャラクターの台詞の意味がわかりにくくても(広島弁ということもありますし)、キャラクターの表情によって意味が強調されているのでスムーズに理解できるようになっているからです。

38 悪役がいない

通常、物語には敵が出てきます。
悪の大王や魔女、悪徳企業社長ではなくとも、物語には主人公が乗り越えるべき壁といった意味での「敵」が出てくるのが一般的です。
一般的というよりも、ほとんどの物語はそういう作りになっています。
「壁」がないと、物語がどこへも進まないからです。
物語性の排除(変化への抵抗)に徹する「日常系」といったジャンルのアニメもありはしますが、そういった作品でも「敵(主人公たちと相反する存在)」は登場します。
そういった作品は往々にして、作者の都合よく矮小化された「敵」であり、リアリティはかけらもないのですが……。
このせかには、悪役がいません。
敵はいます。
ですがそれらは都合良く扱われません。
細かい言及はネタバレに繋がるので避けますが、主人公に不快な感情を生じさせる存在も、非常に丁寧に描かれています。
「あの人たちがこういうことをしたのはそういう理由があったのか」と腑に落ちる展開になります。
誰もが痛みを抱えています。
政治的な意味でも、悪役が出てきません。
戦争映画であるにもかかわらずです。
物語の構成が緻密に計算されていて、人物の感情の動きもリアルで、最後には感動的な場面を迎える作品になっているのに、振り返ってみると誰も悪役がいません。
それは「誰かの立場を擁護して、誰かの立場を攻撃するものではない。正義と悪を区別するものではなく、すべての立場の人間の中に巣食う矛盾をえぐり出すもの」ということを徹底されているからなのでしょう。
悪役がいないと話にメリハリが出ないという思い込みを抱えている人には絶対に観てほしい映画です。

39 脚本が完璧

登場人物の描き方や、話の流れの作り方もそうなのですが、映画としての脚本術もおそらく完璧なのです。
象徴するものの作り方(朝日町の門など)も原作にはなかったものが追加されています。
特に、後半での晴美ちゃんの扱い方……原作からかなり改変されています。
あの辺の晴美ちゃんは、主人公を惑わすものとして機能しているんです。
悪役という意味ではなく、トリックスターなのですが……晴美ちゃんにそういう役割を当てるという、奇抜ながらも思わず膝を打つような展開になっていました。
もちろん、原作が劣るということを言いたいのではありません。
連載漫画という、タイトな期限を守りつつ描かねばならない中で、背景を描く作業が省かれるのは当然のことです。
また、各回で話にオチをつけていた漫画を映画にするために、一本の流れが出来上がるよう組み直されているところは非常に多いです。
ですが、映画で追加された要素のすべてが、完成度の向上に繋がっているのです。
原作にあったモチーフを究極的なバランスで配列しなおしています。
(僕が最も感動するのは、『共同体に埋没する人』というモチーフ。祝言を挙げるシーンは自分がこの共同体に組み込まれるのだという実感を持てていないことが表れている。中盤の、晴美さんとのあるシーンは、「自分が共同体の成員としてなすべき責任を果たせなかった」結果起こること。そのニュアンスは映画版で間違いなく強調されています。そして後半に訪れるシーンでは、自分が共同体の一部を成す者としての責任を立派に果たしすようになっています。漫画版と映画版での表情の違いを見れば映画版が、映画脚本としての序破急のバランスが完璧なことに気付くはずです。映画版でも当初、漫画版と同じ表情で描いたそうですが、「違うだろうと」と思って描きかえたそうです)
マッドマックスのジョージ・ミラー監督もそうですが、脚本に全く無駄がないのです。
その凄まじさが観ている人全員に理解されるかというと、そうではないでしょう。
ですが観た人の無意識のレベルに働きかけながら、ストーリーも展開させるというのは尋常ではない仕事なんです。
構造の美しさ、非常に細かな部分まで意味の調整された台詞、人物の感情の流れ、テーマの表現など……脚本の完成度という点でも、他に類を見ないクオリティです。

40 最高のエンディング

これは少しネタバレになってしまうのですが……エンディングは、映画オリジナルの要素で構成されています。
正確には、漫画のあとがきの部分を少し膨らませた形になっているのですが……それがもう、漫画を知っていると、そこだけで泣けてしまうつくりにはなっているのですが……。
そこに、コトリンゴさんが、作詞・作曲・編曲・歌唱をすべてこなした『たんぽぽ』という歌曲が流れます。
その歌が最高なんです。
ふつう、映画のエンディングテーマって、壮大だったり過剰に情緒的だったりすると思います。
ですがたんぽぽは、歌曲の伴奏にしてはかなり地味でトリッキーなピアノの音から始まります。
キャッチーとはいいがたいです。
また、そこへ、あまり感情表現のレンジが広くない(失礼)なコトリンゴさんの歌声が入ってきます。
ですが、楽曲が徐々にビルドアップされていき、コーラスが訪れる頃にはいつも泣いてしまいます。
とにかくもう、独特のアレンジと、歌詞と、コーラスでの声の重ね方がほんとに、聴いたことないんです。
なんというか、暖かくて優しい風がふわっと吹いているようなイメージが頭に浮かんでくるんです。
少しフォークトロニカのような趣のあるアレンジと、現代音楽っぽいピアノ……大袈裟なネタは一つもないのに、とにかく曲の持つ力が半端じゃないんです。
しかも、物語の内容と、ガッチリと噛み合っています。
コトリンゴさんが「すずさんのことを考えて書いた」と語っているのですが、もう、ばっちりなんですよ。
スタッフロールの後ろでささやかに描かれるイラストと相まって、もう、エンディングを観るためだけに1800円払ってもいいとすら思いますよ。

以上が、『この世界の片隅に』を観るべき40の理由でした。
一人でも多くの人が、この大傑作映画を劇場で観てくれるといいな……と思います。
後日、映画をすでに観た人向けのエントリも書くつもりですので、よければそちらも読みに来てください!

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