『君たちはどう生きるのか』の「積み木」「石」は宮崎・高畑の監督作数を暗示している
2024/07/18
眞人が大叔父から託される「積み木」「石」についていろいろな考察がされています。
その辺は宮崎駿の心の中を妄想するような楽しみ方であって、映画の面白さの本筋ではないです。
しかし、説明不足や論理性の(意図的な?)欠如により、物語のクライマックスが理解不能な展開となっており、そのような考察要素に視線が向くのも仕方がないように思います。
また、おそらく複数の解釈ができるように意図しているように思うので、そこにも留意する必要があります。
ただ、意味のない数だとも思えないので、そこは考察の対象にしていいかもしれないです。
というのも、宮崎駿さんは、数字の正確性に注意を払う人だからです。
例えば、児童文学『アルプスの少女ハイジ』を紹介する時には「僕らはこの本を原作にして、52本のテレビアニメを作りました」と正確な話数を書いていたりします。
・高畑さんと宮崎さんは「映画」にこだわった
積み木が何を象徴するのかという部分について、作中では暗示されません。
大叔父が高畑勲さんをモデルにしているということで、どうしてもそこには宮崎さんが思う高畑さんと、その関係性が反映されていると思わざるを得ません。
石と積み木について、私は、二人が作ってきた「映画」の暗喩であると考えます。
高畑さんも宮崎さんも、大きく分けると「テレビアニメーション」と「アニメーション映画」を作ってきましたが、二人が公で作品について語るとき(どうしても発言する機会はジブリ設立後の方が多いわけですが)、二人とも「映画」と言うんですよね。
もちろんジブリの成り立ち自体がアニメーション映画を作ることを目的として、基本的に劇場公開用映画を制作してきているので、映画という言葉を使っている可能性もありますが、おそらく宮崎さんも高畑さんもアニメーション制作を志す際に感銘を受けたのは、国内外の長編アニメーションであると思われます。
ほか、テレビアニメーションとアニメーション映画について二人が語った場面は多いのですが、二人とも、自分たちの表現はアニメという枠にとらわれず、「映画」の表現媒体の歴史の一部にあること意識してプライドを持っていたように思います。
なので、宮崎さんは、自分と高畑さんの矜持として、「アニメーション映画」を象徴させていると考えます。
まず積み木について、映画に登場した順に記載します。
・大叔父が積んだ積み木の数は「8」
一応ネットで確認してみたのですが、大叔父が眞人に差し出す13個の積み木にしか着目されていないように思います。
ただ注意したいのは、大叔父と眞人が初めて対面するシーンで、大叔父も積み木を積んでいるということです。
大叔父は「7個」積み上げた積み木を、ペンで突っついて、崩壊しないかを確認しています。
そしてその傍には、「2個」の積み木が準備されています。
その後、大叔父は草原で眞人に「悪意に染まっていない13個の積み木」を渡します。
この時、誰もいない大叔父の積み木部屋が映りますが、その時には「8個」の積み木が積まれています。
つまり大叔父は、この間に1つ積み足しているということです。
なので大叔父自身が積んだ積み木には大きな意味が含まれていると考えざるをえません。
この「8」は、高畑勲さんの長編アニメーション映画作品の数と一致します。
1 太陽の王子ホルスの冒険
2 じゃりン子チエ
3 セロ弾きのゴージュ
4 火垂るの墓
5 おもひでぽろぽろ
6 平成たぬき合戦ぽんぽこ
7 となりのやまだくん
8 かぐや姫の物語
パンダコパンダの1と2の二作も監督していますが、中編映画なので除外します。
また、柳川堀割物語は長編映画ですが、実写ドキュメンタリー作品なので除外します。
このように、「長編アニメーション映画」の作数と一致するのです。
プロデューサーの鈴木敏夫さんが、君たちはどう生きるかの公開前に断片的に語っていた情報として、「この映画には高畑勲としか思えない人物が登場する」と語っていたそうです。
私には、この大叔父が高畑勲が投影された人物なのではないかと思えます。
7つまで積んでから、8つ目が積まれるまでに時間を要していたのは、高畑監督が99年に『となりの山田くん』を手がけてから『かぐや姫の物語』を完成させるまでに14年を要した状況を表している可能性があります。
・大叔父が「積み木」と称して眞人に「3つ」の石を渡そうとする
大叔父は「1つ積み木を足すことができる」として、眞人に3つの積み木を差し出し、選ばせようとします。
眞人は「これは墓と同じ石で悪意がある」として受け取りません。
この「3」という数字は、宮崎監督の子息である宮崎吾朗さんがジブリで監督したアニメ映画の数と一致するという考察がありました。
ただ、3つとも差し出されているわけではなく、「この中から選べ」という提示なので、そこが気になります。
この映画は宮崎駿さんが孫のために作ったって話があるようなのでそこと繋がりがあるのかもしれない。
宮崎駿さんには息子が二人いて、吾郎さんには子どもがいます。
吾郎さんの下に宮崎敬介さんという版画家として活動する子息もいらっしゃいますが、この方にお子さんがいるかは不明。
吾郎さんの子の性別については、男の子が一人いることはわかっているのですが、その下にさらに子どもがいるかは不明です。
そういうわけで、この眞人を孫息子に投影していると考えるなら、吾郎さんが作った長編映画(積み木)には悪意があると孫が見抜いていて、それを受け取りたがらないって話なのかもしれません。
ただ、ここでやはり、「墓と同じ石」であることとの関連性も忘れてはいけないと思います。
大叔父は、「隕石」だろうと思われる石とは「契約した」ことを明かしていますが、墓の石との関係性には言及していません。
私としては、「墓」はディズニーや手塚治虫などそのジャンルの始祖や、あるいは鋼の錬金術士での「真理」のような存在かなーと思います。
あとは漫画版ナウシカの終盤で重要な役割を果たす「墓所の主」と同じようなもんなのかもしれない。
・大叔父のいる草原への道で「石」を拾う
草原はそこらじゅう石だらけで、眞人は踏み砕いた石に気づきます。
ヒミが「何か残ってるかもしれないから拾わない方がいい」と忠告しますが、眞人は欠片を拾ってズボンの右ポケットの忍ばせます。
後に現実の世界に戻ってからもズボンの右ポケットからこれを取り出しますが、このシーンでも、「何かを拾って右ポッケにしまう」の仕草は描かれています。
親が触らせたくないような物(作品)を子どもは忠告を無視して触れてしまう、そのような経験から得たものこそ子どもの心には残ってしまうって比喩なんだろうか…。
眞人が石を拾うところを、ヒミはちゃんと見届けて、その上で「それは捨てなさい」と追加の忠告をしていないように見えるんですよね。
・眞人、13個の悪意に染まっていない石を提示される
大叔父が「遥か遠い時と場所を旅して」見つけてきた13個の石で積み木を積むよう眞人に依頼します。
この13という数が、宮崎監督がジブリで監督したアニメ映画の数と一致するといった考察がバズってた気がします。
ただ、宮崎監督はジブリの前にもアニメーション制作はしているので、ジブリ前から数える必要があるはず。
私が思うには、下記のようなカウントができる。
1 ルパン三世 カリオストロの城
2 風の谷のナウシカ
3 天空の城ラピュタ
4 となりのトトロ
5 魔女の宅急便
6 紅の豚
8 もののけ姫
9 千と千尋の神隠し
10 ハウルの動く城
11 崖の上のポニョ
12 風立ちぬ
13 君たちはどう生きるか
後述する理由から13個目が君たちはどう生きるかであると考えられるのですが、『未来少年コナン』をカウントするか否か、また耳をすませばとOn Your Markを換算すべきかどうかという問題があります。
説明すると、『未来少年コナン』はテレビシリーズで、脚本と演出を宮崎駿さんが手掛けています。
ただ、名義が「演出」だしテレビシリーズなのでカウントするかどうかが微妙です。
コナンは劇場版も制作されましたが、テレビシリーズの編集版なので、一本としては計算しないんじゃないかなというのが私の読みです。
また、高畑勲監督は映画の監督数は宮崎さんに劣りますが、テレビアニメーションの演出(実質監督)の経験が豊富なので、テレビアニメをカウントしだすと、大叔父の積み木数と一致しなくなります(ただ気になる点はあるのでそこは後述します)。
『耳をすませば』では脚本と絵コンテの作成は完全に宮崎駿さんですが、監督は近藤喜文さんが手掛けているので「監督作」としてはカウントできません。
宮崎さん自身、耳すまは監督が別の意図を持って作った作品だと強調して語っています。
On Your Markは短編アニメーションであり、台詞がない作品です。
これは宮崎さんが監督していますが、上述した理由があるし、また、宮崎さんがこの作品のことを「悪意に満ちた作品です笑」と自分で語っている経緯があるため、「悪意に染まっていない」にカウントしていいか悩みどころです。まさに、悪意という言葉を用いています。
そういうわけで、自分としては「テレビアニメではない」「悪意に染まっていない」の理由で耳すまをカウントするんじゃないかと思います。
自分ルールで申し訳ねぇずら…。
なので7番目は、耳すまです!
・眞人、自分の積み木塔を想像する
大叔父から積み木を提示されて、キラキラと輝く、そそり立った積み木の塔を想像します。
詳細な数を確認できていないんですが、この「眞人が想像した積み木」の塔が、13個よりも多い積み木で成り立っているように見えたんですよね…。
プロデューサーの鈴木敏夫さんが、ポニョの公開後、風立ちぬ公開までの間の発言として「宮崎さんはあと三作は作りたいと言っている」と話していたものがあります。
『風立ちぬ』『君たちはどう生きるか』…10年以上前のことですが、もう一作ぐらい作ってくれそうな気がしますよね。(短編『毛虫のボロ』を含めてすでに三作完成済みですが…)
もしここで眞人が13よりも多い積み木を想像していたのであれば、宮崎さんは「まだ作りたい」という意思を持っているってことかもしれません。
まぁ、宮崎さんは多分何本作っても、構想は尽きない人だと思いますが…。
※追記
やっぱり、眞人自身が想像した積み木は、15か16個ありました。
宮崎さんはまだまだ作りたいんだなーと思いましたよ!
もちろん実際に制作に入るかどうかは別問題だとは思いますが…。
・大王が積み木を勝手に立てる
眞人に差し出され、眞人が触れることを拒んだ積み木を、大王が勝手に組み立てます。
私は正直、この大王がどんな存在なのかわからないのですが、「勝手に積み木に触れる」ってところを考えると鈴木敏夫さんチックだなーと思ったり。
「ジブリ」を冠した本をいっぱい出版しまくったり、タイで「ジブリレストラン」をオープンさせて一年くらいで閉店したり、内外でジブリのことを語って正確ではない記憶を基にあれこれ「これがジブリ作品の解釈だ」って触れ回っていたりなど、など。
で、大王が積み木を積む時、12個は目にも止まらぬ速さで積むんですけど、最後の1つだけは、一瞬間が開いてから積むんですよね。
これなんかは、「最後の1作(君どう)にどう対処したらいいか逡巡している」って様に見えなくはない。
プロデューサーからしても、この作品がヒットするかわからないし、面白くなるかわからんっていう。
その後倒れそうな積み木を真っ二つに叩き斬るところなどは、「すでに完成された作品を手を替え品を替え売ろうとする」ような様なのかなと思いました。
創作物の比喩から外れるのであれば、宮崎さんは安倍晋三さんが首相を務めていた頃に名指しで批判していたし、右傾化していく日本を憂いていたので、日本の政治を揶揄している可能性はなくないと思います。
・大叔父の積み木が倒壊する
大王のが積み木を失敗したことで、大叔父が積んでいた積み木も倒壊します。
すでに積まれた積み木はやはり8個です。
ただ、テーブルから積み木が落ちていくんですが、すでに積んであった8個よりも多い数が見えます。
おそらく、「積もうと思って手元に置いてあった積み木」なのかと思うのですが、その数が把握できていません…
本当に一瞬しか映らないもので…。
後日確認しますが、高畑さんが「構想していた作品」もしくは「長編アニメではないが演出を手がけた作品」の数に一致する可能性はなくはないかなぁと…。
・大叔父の積み木が闇に消えていく
世界が崩壊し始めたので、眞人とヒミと青鷺は元の世界へ戻ろうとします。
途中で大叔父が積み木を積んでいた部屋を通りますが、その際に、大叔父のテーブルも崩れて、積み木も次元の裂け目的なところに消えていきます。
この時、やはり、積み木の数は8つよりも多いように見えます…詳細の個数は不明です…。
ただ、この闇に消えていこうとする積み木を見て、ヒミが「大叔父様っ…」と泣き崩れます。
自分たちが今にも世界の崩壊に巻き込まれようとしている時に、ヒミは逃げる足を止めて膝をつきそうになっています。
アクションシーンにありがちは「脚を引っ張る女子供ムーブ」と取れなくはないのですが、ここまでハキハキして主人公を扇動していたヒミの言動としては不自然です。
また、ドラマ的に言うなら、ヒミと大叔父の関係性もわからないので、「大叔父の積み木が消える」ことを惜しむヒミに感情移入もできない。
ここは完全に妄想なのですが、鈴木プロデューサー曰く「高畑勲が亡くなってから、宮崎さんの絵コンテ執筆が2ヶ月止まった」という話があります。
ここでのヒミは、高畑さんの死去で悲しみに暮れていた宮崎さんなんじゃないかなーと思ったりなどはしました。
でも、そうじゃなければ、ここでヒミが「泣き崩れる」動作を描く意味があんまりわかんないんですよね…。
・何かが残ってるかもしれない石だけ持ち帰ってきた
青鷺が眞人に「何か持って帰ってきたんじゃないだろうな」と言うと、眞人は忘れてたことを思い出したふうにして「あ、そう言えばこれ」と石を右ポケットから出します。
眞人は普通に「忘れる」んですよね。
あと大人の忠告を聞かない。
・多分眞人は持ち帰った石を覚えてる
眞人が東京に帰るモノローグの後、眞人は支度をし、父親から急かされます。
彼は父に返事を返し、手の中に握った何かを少しだけ眺めて、ズボンの右ポケットに戻します。
劇中で眞人がポケットに入れる描写があったのは「石」か「アオサギの羽」だけなので、ここでも石を眺めたはず。
おそらく眞人は、向こうの世界で経験したことを覚えているはずです。でなければこんな描写はしない。
なんとなく拾っちゃったものの方が後々まで覚えているもんだよね、ってことを表しているんだと思います。
ところで宮崎さんが疎開していた宇都宮も空襲に遭い、宮崎さんも避難した記憶があるそうです。
眞人の疎開先が宇都宮だったとしたら、近隣にまで空襲は及んだはずです。
でも少なくとも眞人の家(少なくとも洋館部分)は火の手から逃れることができたのかと。
宮崎さん自身の体験談としても、自分の家が焼かれたというものはなかったはず。
以上が作品で触れられる「石」「積み木」です。
見てみると、やはり、「石」「積み木」は創作物の象徴なのかなという気はします。
また、眞人が最後に「向こうでの出来事を覚えているふしがある」ことについての自分の考察を述べます。
『千と千尋の神隠し』のエンディングなのですが、宮崎駿さんは、千尋が向こうでの出来事を覚えていないという風に描いています。
それは宮崎駿さんが、千尋以前から抱いている「人は変わらない」という考え方に由来していると思います。
主に映画では、主人公の成長神話というものがあり、だいたい映画で主人公は欠点を克服したり、成長したりして難関を乗り越えてハッピーエンドを迎えます。
ただ宮崎さんは、「変わったと思っても、実際は変わることはできておらず、自身の同じ資質で悩まされる。螺旋のような運動をしている」といった考えを持っているようです。
また、崖の上のポニョで、主人公の宗介を「約束を最後まで守り通せる男の子」として設定したとも語っています。
ただ実際に映画を見てみると、宗介は、「元の世界に戻ったらポニョにキスしてね」という約束をいとも簡単に忘れ去ります。
で、痺れを切らしたポニョから宗介にキスして、エンディングを迎える。
それを考えると、眞人のように、ちゃんと「向こうの世界」で経験したことを覚えている主人公って、宮崎作品では珍しいんですよね。
青鷺に「大したことない(確か)」や「どうせだんだん忘れるさ」と言わせているように、大叔父が作り出した理想の世界での出来事も、眞人の人格に大きな影響を及ぼさなかったかもしれないし、眞人は「なんか手放せない石」があることだけなんとなく覚えている状態なのかもしれません。
それでも「忘れてはいない」主人公を描いたことは大きな意味があることだと思います。
勝手な妄想ですが、宮崎さんの孫は、ジブリアニメ好きじゃないのかもなと思います。
宮崎駿さんは、自分の子どもと会う時間を削って仕事に勤しんでいたことで知られています。
ただ『パンダコパンダ』や『アルプスの少女ハイジ』などは自分たちの子どもが楽しく鑑賞していたことに手応えを覚えたと言いますし、『未来少年コナン』では、リアルタイムで鑑賞していた息子たちが「あの先はどう言う展開になるんだ」と尋ねてきたことが励みになったといったことを語っています。
宮崎吾朗さんはそんな父の仕事に影響を受けて、同じ道に進んでしまいました。
影響を与え過ぎたのかもしれない。
けれど宮崎さんはそんな吾郎さんが初めて手がけた『ゲド戦記』を鑑賞して、「世界を変えるんだってつもりで作らなければいけない。変わりゃしないんだけど」とコメントしていました。
宮崎さんは世界を変えるつもりで作っていたけれど、その仕事が吾郎さんには継承されていないと思ったんでしょう。
でも多分、君どうも、石の扱い方や元の世界に戻ってきた眞人を見てみると、「世界を変えるつもり」で作ったわけではなく、なんとなくちょっとでも糧になるものがあったらいいな的な感じで作られたんじゃないかと思った次第です。
宮崎さんの公式発言があればいいんですけど、この調子だと、この先インタビューが公開される可能性は高くない気がしています。
まぁなんか気づいたことがあれば、また書き足します!
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Comment
石というのは創作の元になる精神のことか、宇宙から飛んできた石と言うのはどこから飛んできた物で、どんな精神を持っているのか。
やはり宮﨑監督が東映動画などで積んできた経験のことだろうか。
石がバラバラに崩壊するのは、宮﨑が自分が死ねば自分の積んできた技術は終わりになるんだと自負していることか。
眞人がナツ子に恋心を抱いてそれが悪意だというなら、自分の感情に流されるのではなく、世の中の規範、道徳のようなものに従うのが汚れてないと言うことになるのか。