てやんでい!!こちとら湘南ボーイでい!!

映画音楽本ごはんの話を、面白く書けるようにがんばります

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不幸 220826

   

身内に不幸があった。
身体を悪くしていたので、いつそういうことになってもおかしくないとは思っていたけど、コロナ禍になってからは1回か2回ぐらいしか会っていないので、もう言葉を交わすことがなくないという現実に実感が湧かない。
高齢の方や持病を持つ人、施設に入院している人などは面会できる機会も限られているだろうし、ほとんど会えない状態になったままの大切な人を亡くすということは、世の中で多く起っていることだろうなと思った。

遺体に会いに、その人が入院していた施設に行ったのだが、おそらく、その施設はラブホだったところを居抜きで介護施設に改修したものだと思われる。
昔行ったことがある気がするラブホだ。
入り口からもうめっちゃラブホだった。
因果が過ぎる。

その時に一緒にラブホに行った女の人は、父親が出張で家を空けがちで、その間に母親が不倫に走り、三人の子どもを置いて家を出る形で離婚したと話ていた。
母親の不倫相手も既婚者で、家を出てから会っていないからその後どうなったのかはわからないと言う。
父が出張で家を空けがちな生活は変わっていないから、彼女と二人の弟で、かつて五人で住んでいた家に住んでいるそう。
いろんな形のつらい生い立ちがあるのだなと思った。
その人とは何回かラブホに行ったけど、結局セックスしないまま別れた気がする。
エロいことをした記憶もそんなにない。何やったんだっけ、その人と……。
俺はその頃、「病んでる」系の女の人とそういう関係になることが多かったのだけど、片っ端から「宮台真司さんの本読めばなんとかなるよ」と吹聴していた。
本を買って渡せばよかったのだろうけど、お金がないからそのようなことはせず、ただ、「十四歳からの社会学と十四歳からの恋愛学を読め」とだけ伝えていた。
でも、マジな話として、「病んでる」が解決するとまでは言わないけど、その病状の根源がどこにあるのかを考えるきっかけとしては特効薬になるようなものだと思う。
今年に入ってからも一人の女性に、宮台真司さんの本を紹介した。
その人には十四歳からの社会学文庫版を贈呈した。
僕は一段階ぐらい大人になったと胸を張ってよいだろう。

その人と最後に会ったのは、たしか、その人が大学を卒業して地方で就職するというタイミングだった。
その人は会うと、絶対「泊まり」に持ち込みたがった。
僕は今でも、自分のベッドで音楽を聴きながらじゃないと落ち着いて眠れないので、外泊が好きではない。
かつ、その頃は創作をしていたので、家で毎日創作をする時間を設けなければいけない気がしていたので、夜に人と会っていたとしても、帰宅して作業せねばという強迫観念を持っていた。(その割に家に帰っても創作や作業をする時間に、何もせずにネットサーフィンをして終わったりしていた。最悪である)
その日も、その人とは食事をしたりして別れるつもりだったのだけど、別れ際になって「一緒にいて欲しい」と言われた。
今にして考えると、多分、その人は家に居たくなかったのだと思う。話を聞くだけでも胸が痛むような、悲しい家庭だと思った。
しかし僕はそれに付き合いきれないと判断した。冷酷だと思う。
結局、「僕と何時間か一緒に居るより、宮台真司さんの本をちゃんと読む何時間かの方が、あなたのことを救ってくれる」と路上で説き伏せた。
彼女は泣いていたが僕は家に帰った。
元気にしているやろか、彼女は……。

身内がいた部屋は狭くて、私物はほとんど置かれていなかった。
部屋の造りもやっぱりラブホっぽかった。やっぱりここはラブホだったんだろうか。
あまり好んで物を多く持つ人ではなかったと思うけど、あれだけたくさんあった荷物はどこに行くんだろう。
昔同居していた祖母も介護施設に入っていて、それまでは毎月買っていた婦人誌を捨てずに取っておく人だったけど、結局全て破棄されてしまった。
物と人間のアイデンティティの繋がりってなんか不思議だなと思う。
最後にはラブホの安部屋くらいの部屋で寝食するようになり、一人でひっそりと息を引き取るような人生ってなんなんだろうなと思う。

死んだ親族の顔を見たが、自分が長い時間接していた時期のその人とは同じ人物には見えないようなものだった。
施設に入って、食量制限が掛かっていたこともあるだろうけど、かなり肉の落ちた顔をしていた。
手は白くて澄んだ色をしていた。血か回らなくなったり、色素が落ちたりしたからだと思う。
生きている頃のその人は、よく手にボールペンで細かくメモを書いていた。
あと、ダサいデジタル時計を付けてた。
Gショックが流行っていた頃には、Gショックを腕に巻いて、「これは海の深くでも壊れないし、象が踏んでも壊れない」とドヤっていた。
今考えたらあのGショックは多分パチモンだったと思う。
俺の手はその人に意外と似てたんだなと思った。

存外、悲しさや寂しさ、罪悪感はなかった。
俺はその人の人生を支えることはできなかったけれど、その人が人生の悲しみや苦しみから逃れられなかったのだとしたら、やはりその人の責任に依るところが大きい。
俺にはどうにもできなかったと思う。
俺はその人を支えるために自分の人生を捧げるような選択はできなかった。
身内のために何もしないとは薄情だとは理解しているが、俺には余裕がない。
ただ、何かを引き受けることはできなかったとしても、もっとコミュニケーションを取れば、お互いもう少し歩み寄れただろうなとも思う。
でもそれすらも俺はしなかった。
今考えてみても俺には無理だったと思うのだが。
どうにもできなかったことを受け入れるしかない。
こういう時、俺は頭にいつも、『ハートロッカー』の終盤のシーンが思い浮かぶ。
「ごめん、助けられない」と主人公が諦めなければいけないシーン。

一年に一回とは言わないのだけど、二年か三年に一回くらい、とても悲しい出来事が起こる。
客観的に見てそれが悲しむに値するかどうかはわからないが、そういう時、「これはちょっと、近くで自分の心を支えてくれる人間を必要としているぞ」と思うようなことがある。
この日もそれに該当していたと思われる。
まぁ身内の死以外にも多分、精神的に疲れが溜まっていたのだと思う。
でも、「俺の心を支えてくれる人が欲しい」は俺のエゴであって、その役割を他者に求めるのは傲慢だとも思う。
俺が恋愛や性愛やパートナーシップを誰かに求めるとして、俺が恋愛や性愛や生活において、相手に何か差し出せる物があるかと言ったら、特にない。
何かを適切に求め合える関係を築けるようには思えない。
俺は良い人のことが好きだけど、良い人が求める物を俺が持っているとはやはり思えない。
人間関係を市場の原理で捉えようとしすぎかもしれないなとも思うけど、上記のような考え方が根底にあるので、異性との関係を発展させるための行動を取ることに歯止めがかかる。
発展させるための行動を取ったところで発展するかどうかは別の問題です。もちろん。
弱り目に祟り目という状態かも知れない。

よく寝て過ごそうと思う。


・今日聴いた曲
普通にビヨンセを聴き続けた一日だった。
なんかそれらしい音楽を聴けばよかったのだろうか。
でもこの日死んだ人がどんな音楽を聴く人なのか知らないな。
ビヨンセの「カテゴリ:バッドビッチ」とか「セクシーマザーファッカー」とかって歌詞、最高にかっこいいんですよね……。

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