Pynk
2022/03/30
メンズエステの思い出です。
前回→Friday I’m In Love
9月3日に彼女とコロチキのライブで会い、酒を飲みに行った日から数週間が経った頃に、彼女が「メンエスを辞めるかもしれない」とツイートしていた。
お昼の仕事を変えることになり、夜にメンズエステの副業を継続するのが難しいかもしれないらしい。
「一緒に飲みに行ったオンラインサロンメイトに、メンズエステ的行為をしてもらうなんてありなのだろうか……」
そんな風に思い悩む日々が続いていたのだが、このツイートがショックすぎて即座にお店を予約してしまった。
2時間コースで予約をした。
2時間にしてる時点でエロいことを期待していますやん、と自分でも思います。
結局僕は、「同じオンラインサロンに入っている人」に対してでも平気で性的な行為を求めるような人間なんだなーと思った。
「辞めてしまうかもしれないのがショックすぎて予約してしまったんや……決して性感帯にオイル塗して刺激してほしいから来たんちゃうで?」という言い訳できる余地を残していたことは否めない。
僕はそういう人間なのである。
ただ、しかし、「雰囲気によってはそういうことが全然なくってもありっちゃあり」と思っていたことも確かではある。
その「何もない時間をお金払って過ごす」ことで、僕は彼女に「私はあなたと、そういうことがなくっても一緒に過ごす時間に価値を見出しているんやで」とか、「そういうことをして出資額分を何が何でも回収しようとする余裕のない男ではないのやで」というアピールをしたかったのかも知れない。
自分でも、自分の行動原理はよくわかりません。
ただ僕は、見栄を張ることが多い。
優しくて欲が薄い人間だと思われたがろうとする。
自分の本性がその逆であると自覚しているので、それを悟られないような選択をとることが多い。
そんな風に、衝動に駆られて予約を入れたが、地獄のような3時間が待っていようとは思わなかった。
また、この時、新たに浮上してきた人間関係の問題もあり、逃避先を求めていたのだとも思う。
コロチキのオンラインサロンでの人間関係でも少し悩みがあった。
今となってはなんとも思わないけど、この時はけっこう真剣に悩んでいたのだった。
また、職場の状況が非常に悪く、本格的に転職活動をはじめようと思っていた頃だった。
逃避するところが欲しかったのかもしれない。
自分の属する共同体に繋がっていない人と接したい。
あわよくば癒やされたい。
我ながら、醜いなと思う。
でも、お金を払って癒やしを得るという行為は、多くの人がすることだろう。
サービスを受けて癒やされる、ということも、多くの人が自然としていることではないだろうか。
現代社会では、自分が病んでいないように見せる工作をしなければならず、みな疲弊しているように思う。
でも冷静に考えると、仕事上のストレスが、他の部分にまでひずみを生んでいたような気がする。
今冷静に振り返ってみても理不尽極まりない状況にいたな、と思う。
彼女には予約前日になってからメッセージを送ったところ、「予約入れてくれたんですね。私もお話ししたいです」と明るいトーンで連絡があった。
なんとなく、彼女がお店を辞めてしまったら、もう会うことはできないだろうなと思っていた。
お店を辞めたらTwitterのアカウントも消えてしまうんじゃないかと思うし。
こういうサービス業で働く人って、同じ名前で別のお店で働くこともあるから、退店すなわちアカウント消去ということではないっぽいのだが、それにしても、繋がりが消えてしまうことへの不安感が強かった。
ただ、彼女の文面のトーンからすると、そんなに重い事情で辞めるわけではないのかもな、とも思った。
彼女に会いに行くのは、仕事のある日にした。
休憩時間にデパートに行って、持参する差し入れを選ぶ。
とはいえ、やはり味で外したくないので、前回と同じピエールエルメで考えることにした。
マカロンで定番の美味しいフレーバーと、その時期限定のフレーバーを選べば、まぁがっかりされることはないのではないか、という考えである。
一応、いろいろなお菓子屋さんで買い物をして、食べ比べはしてみているのだけど、このお店が最強であるという結論に落ち着いてしまう。
このお店でも、マカロン以外のお菓子はたくさんあるので、クッキーやサブレ等の焼き菓子系、チョコレート等も候補としては検討することにした。
で、お店に並ぶお菓子を見ていたら、ショーケースの端の方に、見慣れない円柱が立っていた。
ラメ感のあるピンクの台座の上に、30~40センチくらいの高さの光沢感のあるブラックの筒がそびえ立っている形だった。
いつも会話を交わすマダムにその商品について尋ねると、ピエールエルメが中秋の名月に合わせて「月餅」を作ったのだそうだ。
その筒の中は三段ぐらいに仕切られていて、それぞれ一種類ずつの月餅が入っているとのことだった。
その円柱の入れ物は、台座部分に電球が付いていて、月餅を取り出したらランタンにもなるとのことだった。
たしかによく見ると、黒の筒は大小様々な穴が開いているので、明かりを点けたらそこから光が漏れていい感じに部屋を照らしてくれるだろうことがわかる。
これだ、と思った。
季節柄ちょうどいい感じであるし、ちょっとひねってて面白いお土産になる。
自分で味見をしていないものを送るのはどうかとも思ったが、ピエールエルメのお菓子だったら、美味しく仕上がっているに違いない。
味も三種類入っていたので、どれか一つは気に入ってもらえるのではないだろうか、と思った。
マカロンに関していうと、ピエールエルメはちょっと前衛的な組み合わせのものを作ったりしているので、その点に不安は残ったが、月餅は味を見る限りベーシックなもののようだったのでこれに決めた。
確か彼女はピンクが好きだったような気がしたのだ…。
それともそれは錯覚で、彼女の服装やメンズエステのお部屋がピンク色なだけかもしれない
お値段、4500円……まぁ、高いが、前回と被らないし、「気の利いたお土産を持参できるマン」として認定してもらえる可能性があることを考えたら、悪くない買い物だ。
普通に外見がインパクトあるし、かわいらしいので、そこの加点も大きい。
「これください」とマダムに告げたところ、「バックヤードに賞味期限が少し先のものがあるので、そちらをお持ちしますね」と、わざわざ新しいものを出してくれた。
すまないマダム……気を遣わせてしまって……。
マンションのエントランスについて、部屋番号を押すも、反応がなかった。
一分ぐらい待ってみても反応がなかったので、もう一度部屋番号を押すと、彼女の声で「ごめんなさい、間違えて切っちゃいました!」とのことだった。
部屋に着くと、いつもの笑顔で彼女が迎えてくれる。
お土産の紙袋を見らるのがなんだか恥ずかしかったので、自分の後ろに隠しながら部屋に上がった。
とりあえず、いつまでも買い物袋を置いておくわけにはいかないので、彼女に渡してしまうことにした。
渡す前に、彼女がピンク好きだったかを確認することにした。
「好きな色って何ですか?」
いきなり「ピンクって好きですか?」と聞くのもちょっとイヤらしい気がしたので、ちょっと遠回しに尋ねてみた。
「うーん、白も好きだしグレーも好きですよ」
「あぁ、なるほど」
「ブルーも好きだし……何の色なのかにもよりますよね(笑)」
たしかに! と思わざるを得ない返答だった
そらそうですよね。
「ピンクって好きですか?」
じれったくなり、結局自分から聞いてしまう。
「ピンクも好きですよ」
顔いっぱいの笑顔で彼女は話す。
サービスのお仕事なので笑顔で客をもてなすことはある程度必要なのだろうけど、この人は本当にいつも楽しそうな顔をしている。
本当に。
「今日持って来たお菓子なんですけど……」
言いながら、持参した袋から、月餅が入った円筒を取り出してソファーに立てる。
「もう、いいのに、いつもこんなに…」
彼女に、そのお菓子の容器の仕様を説明する。
すると彼女はその場で円筒を開封した。
中にある月餅が置かれた仕切りを取り出して、底部に付いていたランプのスイッチを入れる。
しかし思いのほか明るさが足りず、周囲をぼんやりと照らすだけだった。
なんやねん、ピエールエルメ! ちくしょう!!!
恥ずかしい。
しかし今になって思うのだけど、備え付けのライトとかじゃなくて、たとえば懐中電灯とか、ライトを付けた状態のスマホを入れたりしたら、ちょっとプラネタリウムっぽくなったりもするんじゃないかと思った…嗚呼。
もっと機転を利かせながら生きていきたい。
その後、シャワー室に通されるかと思ったが、彼女はその場でしゃべり続けていた。
僕はソファーに座り、彼女は傍らに立っていたので、「よかったら座ってください」と伝えた。
「じゃあここ座っちゃおう」と、彼女はソファーの、僕の隣に座った。
さすがに身体が密着するようなことはなかったが、近いな、と興奮した。
彼女がメンズエステを辞めそうになっている経緯や、お昼の仕事を変えようとしている経緯を話してくれた。
「だから、メンズエステ辞めるかもしれなくて。続けるとしても、しばらくはお昼の仕事優先で働くから、出勤はあんまりしないかなって」
「そうですよねぇ…寂しくなっちゃいます」
「私、Twitterあんまり開かないんで、LINE教えてくれません?」
「え。いいんですか?」
「うん。コロチキのこととかで連絡取りましょ」
彼女はニコニコしていた。
僕は吐き気がするほど有頂天になってしまった。
しかし「LINE交換できてテンション上がってるのがばれたらはずい」と思い、なるべく普通のテンションで答えるように努めた。
これはかなり予想外な展開だった。
だって、これって、彼女は僕と、「サービスの提供者と利用者」以上の関係を築こうとしてくれている、と取っていいわけですよね……?
「仲のいいお客さんとは連絡先交換ぐらい、ふつうにする」ということも、まぁ、考えられなくはないけれども……。
それとも、「またメンズエステの仕事に戻ってくるかも知れないし、定期的に来てくれるお客さんとの繋がりは持ったままにしておこう」という判断によってこうなっているんですかね……。
もう僕にはわからんですよ、何も……。
僕たちはLINEの連絡先を交換した。
その場で、パンダコパンダのスタンプを送ったら、「パンダコパンダだ」と言っていた。
「あ、パンダコパンダ知ってます?」と聞いたら「子どもの頃に観てましたよー」と言っていた。
パンダコパンダの話をすると、「子どもの頃に観ていた」という人がけっこういる。
僕はそれを、うらやましいなと思う。
僕がパンダコパンダを初めて観たのは大人になってからのことだった。
僕は映像作家の中でも、宮崎駿さんがもっとも好きだ。
十代半ばで一度離れていたジブリを「再発見」したのは、「風立ちぬ」が公開する時に、引退しそうだし主要スタッフとして関わった作品を見直しておこうと想った時である。
岡田斗司夫さんのニコ生ゼミを観るようになっていたので、氏が語る宮崎駿の凄さにふれたこともきっかけとしては大きいだろう。
その一環でパンダコパンダも発見したのだった。
30分弱の中編フィルムが2本という、贅を尽くして作られたジブリの作品と比べれば、かなり小規模的な作品である。
だけど、この作品では、若い頃の高畑勲さんと宮崎駿さんのコンビが、互いにやりたいことを出し合って、子どもを馬鹿にしない子ども向けのアニメーションに真剣に取り組んでいることが窺えて、大人になった自分でも心を動かされるような出来になっている。
今は8歳になる姪っ子が、もっと幼かった頃にパンダコパンダを見せてあげたらものすごくハマってくれて、会う度に「パンダコ見る」とせがむようになったのだった。
今にして思うと、僕は親から教わったものが何一つ残っていない。
自分の好きなものは全部自分で開拓したように思う。
財産でなくても、何かの教えや言葉などで、親からなにか良いものを受け継いでいる人のことがうらやましくなる。
醜い感情であることは理解しているが、それが本音だ。
僕の中にはそんな記憶がない。
LINEを交換した流れで、彼女の本名を教えてもらった。
「私、名字が○○なんですよ」と、お店での名前は本名をもじったものであるようだった。
まぁ、よくある話ですよね。
前回会った時に下の名前も教えてもらった記憶があるので、彼女の名前を全て聞いたことになる。
僕は、彼女に下の名前を名乗っただろうか。
思い出すことができないけど、ずっと「田中さん」と呼ばれていたはずだった。
パンダコパンダの話が出たので、彼女に、僕の姪っ子がパンダコパンダを気に入ってくれたという話をした。
「やだ、かわいいですね」と彼女はニコニコしながら話を聞いてくれた。
そこから、「子ども」についての話になった。
「子どもは好きだけど、育てるのは大変そう」
「子どもってかわいいですよね」
「全部面倒見てくれるなら産んでもいいかなーって思いますけどね」
と彼女は言った。
やはり、「子どもを持つこと」について考えを巡らせたことがあるんだなぁと思った。
僕は彼女が、サービス提供者でいるところしか見たことがないけれど、いい母親になりそうだなと思った。
こんなにニコニコしてる人がお母さんだったら、子どもも楽しいだろうなと思った
自分が、結婚や子どもを作ることを意識する年齢になってから、女性と接するときに、「この人はどんな母親になるだろう」と思いを巡らせることが多くなった。
(もちろん僕は結婚や子どもを作るような営みとは遠くにいるのだが)
「結婚とか出来る気がしないです」
「結婚しても、マンションの別々の部屋とかで生活したい」
「お母さんと一緒にディズニーのホテルとか行ってもイラッとします」
「ずっと喋ってるなー、とか。だからずっと人と一緒にいるの、無理だと思うんですよね」
と、彼女は話していた。
僕も、人と生活空間を同じくすることにストレスを感じるし、細かいところが気になるし、相手も気にしているのではないかと思うと、相当緊張した空間になりそうだなとは思う…といったことを言って同調した。
「やっぱり難しいですよねー」と彼女は話していた。
そこから、二時間ぐらいは話し続けることになった。
ソファーに座ったが、彼女は正面を向いて、僕は彼女の方を向いて座っていた。
話をする彼女の横顔が今でも目に焼き付いている。
彼女の顔がかわいかった。
十分に一度は「顔がかわいい」と言ったと思う
本当は彼女を見ている間ずっと「顔がかわいい」と思っていた。
「歯並びすごく綺麗ですよね」と言った。
あと、歯が大きいなと思った。
歯が大きくて顔が小さいのに、整った歯列をしているのがすごいと思った。
あと、Twitterで、「歯並びを褒められた。矯正はしてないので、親に感謝ですね」といったことを彼女が書いたのを見ていたのだった。
「乱れてはないんですけど、口が閉じられないんですよ」とのことだった。
アーチは綺麗でも、そういう風になることがあるんだなぁ、と思った。
彼女はそれをコンプレックスと捉えているのかわからないが、僕は彼女の口もとの造形は美しいと思ったし、好きだ。
「寝てるときも口を閉じられないから、すかーって口が開いちゃっているんです」
「口元がちょっと荒れちゃってて」と、彼女は口元を指でなぞった。
けれど暗いのであまりよく見えなかった。
「口元が荒れるのって、もしかすると消化器官の調子が悪いのかもしれないです。胃液とかが逆流しちゃったりすると、口もとが荒れちゃうことがあるんですよ」と話した。
「あ、それあるかもしれないです……ちょっとしばらくお腹の調子がよくなかったんですよ」と言って、彼女はおなかをさすってみせた。
「それは大変だ。よくなるといいですね」
「今はもう、けっこう平気ですよ」
彼女がBluetoothのスピーカーから、BTSを流してくれていた。
最初に彼女に施術してもらったときに、僕はBTSが好きだという話をしたのだった。
すると彼女も「友だちにBTS教え込まれたので、私も好きですよ(笑)」と反応してくれたので、ひとしきりBTS話をすることができたのだった。
そんな経緯もあり、彼女は一緒に時間を過ごす時のBGMをBTSにしておいてくれたのだろう。
「帰省して、家族で車に乗ってるときにBTS聴いてたんですけど、お父さんがなんだこれって言ってて」
「えぇ……そうなんだ。BTS、けっこうレトロな曲とかもあるから、お父さんの世代でも聴きやすいと思うんだけど」
「まぁ曲は良いと思うけどって言ってました」
彼女に加勢をするようなことを言ったつもりだったが、あんまり響いてなかった……
彼女はそこに同調してほしかったわけじゃなかったのかな、と思った。
なんか僕は、相手が話したことに対して、相槌だけ打てばいいのであろうシチュエーションでも何か一言を返す習慣がある。
そしてそれがコミュニケーションの円滑化に寄与しないことがしばしばある。
「コロチキのサロンのZOOM会議で、僕がナダルさんとBTSを混ぜた背景で参加してたんです。それを見たナダルさんが、『確かに俺とBTSほとんど一緒やもんね』って言ってました」
「なにそれ(笑)。性別だけしか一緒なとこないですよね(笑)」
コロチキのオンラインサロンの話をした。
「掘りが深くて綺麗な女の人がいますよね」という話をした。
9月のライブでは、僕の2列後ろに彼女が座っていたのだが、僕と彼女の間に、彼女が「彫りが深くて綺麗」と称した女性もいたようだった。
「確かに彫りが深くて綺麗な人いますよね」と話した。
その後、その「彫りが深くて綺麗な女性」と親交を持つようになり、何人かで一緒に食事に行ったりなどした。
このセラピストさんには、そのことの報告はできていない。
「すごくニコニコしてる女の人いましたよね」
「あ、○○さんかも。けっこう最初から参加してる気がします。ほんとにニコニコしてますよね」
ニコニコしている女性の話。
いつもニコニコしていて、ハッピーなオーラが出まくっている人がいる。
「ZOOM会議に、めっちゃナダルさんに似てる女の人がいませんでしたか?」と彼女。
「それは見た覚えがないです」と応えたが、「え、めっちゃ似てるーと思って(笑)。ナダルさんに似せて整形したの? ってくらいでした」と彼女は楽しそうに話していた。
いろんな会員さんがいて面白いサロンだと思う。
彼女も、その会員の輪とかに交じってきたら面白いだろうなと思った。
しかし彼女じゃ「恥ずかしいから顔出したくないです」と遠慮するのだった。
「若い人も多いじゃないですか。だから私、ちょっと一歩引いて見てたいなって」
「え、全然ですよ。僕は多分最高齢ぐらいだけど、結婚して子どもがいる会員さんとかもいるし。○○さん、見た目で言ったら大学生って言っても通用しますよ絶対」
そんな話の中で、流れを忘れてしまったのだけど(僕のことなので、流れなんて無しに突発的に発現したのかもしれないけど)、「淫乱団地妻って名前で参加してみては?」と言った。
すると彼女は「そっちがやってくださいよ」と返した。
ちょっと怒ってる気がした。
その後僕は、コロチキのオンラインサロンでの名前を「イランの淫乱団地妻」に変更した。
それを彼女が見てくれたかどうかはわからない。
「友だちにコロチキのサロンのことを話すんですけど、全然興味持ってくれなくって。ナダルの日記が読めるんだよ! って言っても友だちに響かないです(笑)」
「えー……ナダルさんの日記めちゃくちゃ面白いのに」
「ですよね!」
「この前の日記で、ナダルさんが映画を観に行った話を書いてて。で、「楽しかったです! この映画を観た人は感想教えてください! 観てない人は想像で感想書いてください! って言ってて。想像で感想ってなんだよと思って(笑)」
「なんですかそれ(笑)。やっぱりあの人、言動も変ですけど、文章もだいぶおかしいですよね(笑)」
話の流れは忘れたが、彼女の恋愛経験の話を聞いた。
一番長く付き合った相手は、別に交際相手のいる男だったそうだ。
付き合うようになってから一年ぐらいが経った頃に、もともと別に付き合っている女性がいることが発覚したのだそうだ。
「こっちはもう好きになってるんですよ」とのことで、結局彼女はその相手のことを諦めないまま、何年かずるずると付き合ったのだそうである。
「それは、その状態は別によかったんですか?」と質問した。
「めちゃくちゃ辛かったですよ。わーってずっと泣いたりしてました。夜道で座り込んで泣いたりとか」
そんな辛い状態を数年も続けられるようになっているものなのか、と思った。
何度も言うけど、なんでこんな綺麗な女の人を「浮気相手」のポジションにさせておけるんだろう。
というか、そもそも本命の彼女と何年も交際が継続しているのがすごいことだなとも思った。
なんか、ただの記録なのに、書いていて、今僕はとてもつらい思いをしている。
話を聞いているときは別になんともないことだと思っていたのに。
得た情報が、自分の心にどのような影響を及ぼすのかなんて、触れている時にはわかるはずないですよね。
彼女は、「その人が最後で、そこからは何もないですね」と話していた。
「私、人を好きになるときって、もうビビッて来るんです。その人を初めて観たとき、生理が来たんですよ(笑)」
と話していた。
「見た目がめっちゃタイプだったんです。写真があるんですけど……」と言って、彼女はスマホを操作し始めた。
僕は尿意が限界を迎えていたので、その隙にトイレに行くことにした。
トイレから戻ってくると、彼女はスマホを手放して、別の話題を話し始めた。
もしかして、僕がトイレに行ったことを、「その男の写真を見たくない」という意思表示と受け取ったのだろうか。
自分としてはそのつもりはなかった。(とは言え、潜在意識では、好意を持っている女性が長く愛していた男の姿を見たくなかったのかもしれない)
写真、見つかった? とか聞けばよかったんだろうか。
結局もう何も判らない。
彼女にキャバクラで働いていた過去があり、コロナ禍になってからは機会が減ったもののスナックで働くこともあるという話を聞いた。
「エンタメが好きなんですよ。映画館に行くのも好き」という話を聞いた。
僕が映画館によく行くという話をしていたから、それに合わせてくれたのかもしれないと覆った。
ただし、僕は、映画の好みが人と合うことが少ない。
映画の話題はあまり弾まなかったと記憶している。
映画を一緒に観に行く約束を取り付けてしまえばよかったのだろうか。
基本的に「この映画は映画館で観たいってほどでもないなぁ」という、普段通りの思考で判断してしまうのだが、人と遊ぶうちの一環として考えて、とりあえず会う口実として考えてもいいんじゃないかなとは思った。
まぁ、今度、他者と「映画観に行くって誘うべきか否か」を考えないと行けない場面が自分の人生にあるような予感はないのだが。
確かその流れだった気がするが、「火鍋」が美味しくて、よく行っているという話を聞いた。
「平日の日中だと、食べ放題飲み放題でめっちゃ安いんです。しかも美味しいんですよ」
「火鍋って何ですか?」と聞くと、「中国の鍋料理です」とのことだった。
「なんかそれは身体にも良さそう」という感想を伝えた気がする。
「渋谷のよしもとの劇場のすぐそこにもあるんです。今度一緒に行きましょ」と言ってくれた。
場外のお誘いと僕は判断した。
「横浜にもありますよ確か」
僕が神奈川に住んでいるという話をしていたから、「横浜」をあげてくれたのだろうか……。
でも、そうなると、彼女に横浜まで来させることになるので、忍びなかった。
東京に住む人と会う時に、神奈川まで来てもらうことに抵抗がある。
その話は、「今度の渋谷でのコロチキのライブの時に、そのお店で飲食してからライブに行くとか楽しいかもですね」という話で落ち着いた気がする。
そんな風に話していながらも、僕は時間を気にしていた。
僕が予約を入れたのは19時頃。
それから彼女の時間を二時間拘束する内容の予約をしている。
彼女の出勤スケジュールは、僕が予約した後の時間も空いているようだった。
自分が予約した後にそのスケジュールがどう変動したかは確認しなかったけれど、僕のすぐ後に別の客が来る予定になっているかもしれない。
やがて、僕が部屋に入ってから二時間が経過した。
しかし彼女は、話を止めるようなそぶりを見せなかった。
彼女はほとんど時計を気にせずに話し続けていたように思う。
通常、自分が抑えていた時間を過ぎても部屋に留まることは「延長」にあたり、追加の料金が発生する。
そもそもマッサージが始まっていないので、延長扱いにはならないだろうとは思ったが、次の客が来る予定になっているのだとしたらまずいと思った。
「〇〇さん、そろそろ二時間過ぎちゃってると思うんですけど。次のお客さんとか来ないんですか?」
帰り際にバタバタしてしまうよりは、と思って、彼女に時間のことを告げた。
「あぁ、今日は田中さんで最後にしてあるんで、もうこの後は何もないんです。田中さんは時間大丈夫ですか?」
そういうこともあるのか、と思った。
「僕は明日は何もないので、全然大丈夫です。〇〇さんは?」
「私は明日の朝、早起きなんですよ。新しいお仕事の講習受けに行かなきゃいけなくって」
時間のことは考えなくて良さそうである…とはいえ、僕には終電があるし、彼女も明日の朝は早い。
となると、長くてもあと二時間くらいしか残されていないと思う。
この時、「田中さんで最後にしてある」という言葉があったが、これは、意味深に捉えてよかったのだろうか。
今でもわからずにいる。
何かそういう、サインだったのではないか…と。
このことは後述する。
「ちょっと、お店に連絡だけしちゃってもいいですか?」
「もちろん」
「お店に、お客さんから受け取ったお金の写真を撮って送るんです」
そう言って彼女は、キッチンルームへ移動した。
僕はまだお金を渡していないので、あらかじめ用意していた自分のお金を撮影するのだろうか。
彼女の姿を見ていたいが、お金を扱っているところを観察しているわけにもいかず、部屋の中を眺めて時間をつぶす。
やがて彼女が戻ってくる。
「この部屋って、普通のマンションなんですかね」
「多分そうです」
「生活するにしては、ちょっと変わった構造してますよね」
「ちょっと狭いですしね」
「そうそう。相当荷物とか少なくないと、ちょっとね。ベッドとソファー置いたらこれだけスペース無くなりますしね」
「クローゼットもあそこだけしかないですからね。女子は絶対住めないと思う」
「ですよね…僕もここだと荷物置ききれないなぁ」
「お仕事忙しい人が、寝るためだけに帰ってくる部屋とかじゃないですかね」
「なるほど」
東京にはいろんな暮らしがあるのだな、と思った。
「じゃあ、お金を払いますね」
何だかんだで延長してもらっているので、自分が予約した料金に多少プラスしてお金を支払った。
「ちょっと、こんなにもらえないですよ!」
「いや、延長して拘束時間が増えてるじゃないですか。申し訳なさすぎます」
「でも私マッサージしてません!」
「いや、拘束時間でそこは考えてください!」
「お金をもらうようなこと、なにもできてないですから! それに今日は予約してくれてたから、割引も入ります」
と、多少押し問答があったが、最終的に僕が出したお金を受け取ってもらった。
「じゃあ、今度一緒にご飯食べに行ったときは私が出しますからね」と彼女は言っていた。
今にして思うと、「男の見栄」のようなもので、どうしてもとお金は受け取ってもらったけれど、彼女の好意を受け入れるという形で、お金は彼女が言う額だけ払っておけばよかったのだろうか……。
その流れで、お店がマージンとして差し引く割合を教えてもらった。
思っていたよりも、セラピストさんに直接お金が入っているようだった。
その後も、特に雰囲気が変わるようなことはなく、雑談を続けた。
彼女が、途中で、「いつもありがとうございます」と、ソファーの上で三つ指をついて頭を下げた。
「いや、そんなことしないでくださいよ」と言うも、「本当にありがとうございます」と、何度か頭を下げた。
彼女の頭が僕の目の前に来る格好になった。
頭の形が綺麗だし、彼女が頭をうごかすと髪の毛がさらさらとなびく。
「頭、ものすごく綺麗ですね」
「そんなことないですよ」
「ほんとに綺麗……触りたい」
なんとなくだけど、彼女は、僕にそういう言動を取るように誘導したのではないかなと思った。
「いいですよ」
「え、ほんとですか? いいんですか?」
「触ってください」彼女はそう言って微笑んだ。
自分が正常な判断を下しているのか、
性欲や異性の肌に触れたいという欲求に突き動かされているのかがわからない。
いつもそうだ。
ソファーの上で向かい合って、僕は彼女の髪を撫でた。
さらさらだった。
触りながら、彼女の頭の形を確かめる。
小さくて、整った形をしていて、少し熱を帯びていることがわかる。
「なんか、わんこになった気分なんですけど(笑)」
「犬になるんだったら何犬になりたいですか?」と聞けばよかった。
僕はただ「髪の毛綺麗」「嬉しい」「触らせてくれてありがとう」とか言った気がする。
そんな風にして、僕は初めて、僕から能動的に彼女に触れた。
彼女に触れることができたりしたら、それ以上の行為を求めたくなる衝動を抑えられるかわからなかったけれど、幸いなことに自制できる範囲内の衝動で収まってくれた。
「ほんとに綺麗ですね、○○さん」
「頭がちょっとへりがあるんです」と言って、彼女は自分の側頭部に触れた。
そんなこと気にしないで、と言いたかったけれど、彼女は彼女で気にしてしまうことなのだろうし、「全然綺麗な形だと思いますよ」としか言えなかった。
というかそもそも顔も頭も小さすぎる。
「世界でいちばんかわいいですね」
「田中さんの世界ではそうなのかもしれないですね」
以前は「目がおかしい」「世の中の他の女性を見てなさすぎなんじゃないですか」と突っぱねられていたけど、この時は、拒絶を受けなかった。
「天使かと思うんですけど」
「ふふ。女神かもしれないですよ」
言われ慣れているのだろうな、と思った。
他の男は、女の人に、どんな言葉を投げかけるのだろう。
ただ、僕は、女性のこういうことを言って、拒否せず受け入れて欲しい。
この感情を何と名付ければ良いのかわからない。
自分が否定されない、ということを確認したいのだろうか。
わかっていることがある。
僕は「自信が無いから女性との交際は現時点では現実的に考えられない」と言っているものの、それでも女性を必要としている。
「自分に自信が無い自分に価値を見出してくれる女性」がいたら、多分、すぐに縋りたくなってしまう野だと思う。
相手の方から、こう、ぐいぐいっときてくれることがあるならやぶさかではないというスタンスなのだろう。
僕自身には売り込めるほどの商品価値はないので、相手が僕に価値を見出してくれることがあるなら、その相手とのパートナーシップは結ぶことができる。
ただ求めてくれる人がもしいるのであれば、状況に応じて応えていくという選択肢はなくはない。
自分自身の人生の一歩先がどうなるかもわからないような状態で、人と恋愛関係を持つのは無責任に思える。
若い頃はなんで軽薄なセックスばかりしていたんだろう。
初めて付き合った女性への復讐だったんだろうか。
こうして一つ一つの記憶と向き合って、供養していかないことには、自分はどこへも行けないのだろうなと思う。
「なんかもう、死ぬほど辛い状況だったんですけど、○○さんのおかげでなんとかなりました」
自分の思っていたことをそのまま言葉にしたつもりだった。
「え、なんですかそれ」彼女はニコニコしていたけど、今にして思うとこんなことわざわざ言う必要などなかった。
重すぎ。なんだこれ。
でも、もしかしたら、「僕は暗くて重い人間だ」ということが彼女に伝わって欲しかったのかもしれない。
僕はいつも、僕が思う「本当の僕」を相手に開示しないことに罪悪感がある。
この言葉は完全に失敗だったと思う。
重たすぎる。
でも僕は重たすぎる自分を、相手に受け入れてもらいたいと思っているのかもしれない。
醜い人間だ。
それからしばらく、また雑談が続いた。
何かの拍子に彼女が
「ありがとうございます」
と言って、彼女は僕に身を寄せて、腕を回してきた。
彼女は僕を正面から抱擁した。
驚きのあまり言葉を発せなかったと思う。
汗を拭いていないことが気になった
汗くさいのに、そんなに近づかれたら、僕が汗臭いことがばれてしまう……と思ってしまった。
けれど僕は彼女の身体に腕を回した。
細くて柔らかい。
マスク越しでも、女性らしくてさりげない良いにおいを感じた。
幸せだった。
「すごく幸せなんですけど」とだけ伝えた。
これが今のところ、女性を抱きしめた最後の時間だ。
いろんな想いが頭を駆け巡った。
「これは、セックスするのかな」とも思った。
しかし財布には、もともと支払うことが確定していた金額+2万円ぐらいしか入っていなかった。
もし、そういうオプション行為があったとして、果たしていくら請求されるのかがわからない。
それともはたまた、ここでセックスが発生したとしても、それは金銭を介在させない行為になるのかも、と思った。
しかし、「エッチするんですか? その場合はお金が発生するんですか?」などと聞くことはできない。
しかしその確認を経ずにセックスをして、終了後に「合計で○○円になります」と請求されたらどうするんだ? とも思う。
つまりここでセックスをする場合の正解は、それとなくセックスを開始し、終わってからいくら請求されても動じずにいられるだけのお金を用意してくることだろう。
ただ、同時に、今日はセックスをするべきではないと考える自分もいた。
多分、僕の中には、まだ、「交際する前にはキスやスキンシップは行わず、きちんと交際がスタートしてから少しずつスキンシップをステージアップさせていき、最終的にセックスに至る」という、順当な感じで仲を深めていくような交際への憧憬があるのだと思う。
昔はとにかく早くセックスをしたかったので……。
恥ずかしすぎる話だが、僕はこの時、この人とは、「セックス」よりも「交際」をしたかったのだろう。
今になって考えたら「どっちも無理やろ」という話でしかないのだけど、この時は、なんか、こう、仲良くなれているっ! という高揚感に当てられていたのだと思う。
僕はすぐに理性的な判断力を失ってしまうようである。
ただ、彼女が僕を、セックスや恋愛の対象として見てくれたとして、僕は自分の収入だとかで、彼女と同じクラスの生活を送ることなどできるのだろうかとは思った。
僕は低収入であるにも関わらず、無理をしてメンズエステのサービスを受けに来ているので。
彼女は僕を「メンズエステにちょこちょこ来れるくらいの収入がある人間」と考えているかもしれない。
となると、彼女が僕を知った時に、「え、実際とちゃうやんか。騙された……」と思われかねない。
取らぬ狸の皮算用過ぎるのだけど、そういうことも考えた。
結局自分の自信のなさとその根拠に向かわなければなにもできないな、ということは改めて思った。
その後、彼女は僕から離れた。
僕は彼女の顔を見つめた。
本当に綺麗で、愛嬌のある顔をしているなと思った。
こんな綺麗な人が恋人だったら幸せだろうなと思った。
女性を容姿で判断しすぎていて、我ながらどうかと思うのだが……。
でも、普通に接する分には容姿なんて気にしないけれど、スキンシップをする対象は綺麗な人の方が嬉しいというのは大半の男が考えることではあると思う。
なんでなんでしょうね、その感覚。
その後、彼女は僕の腕や脚によく触れた。
僕は勃起していた。
「恥ずかしい。なんでこんなことで立つんだろう」
自分の実感としては、僕は勃起するのが早いと思う。
「あー、もう……自分でもこんなにバカだとは思わなかった。いい年して」
「ふふ。男の人ってそういうところは変わらないんだと思いますよ」
その時は何も思わなかったけど、今にして思うと、彼女はどれだけ男のことを知っているんだろう……。
そろそろ帰ろうと思っていたのに、勃起しているせいで立ち上がることができなかった。
「ズボンがパンパンになったまま、○○の町を歩けないですもんね」
「通報されますね(笑)」
「通報まではされないでしょ(笑)」
そんな話をしていて、「収まってきたので帰りますね」と言うと、彼女はまた僕に触れた。
僕はすぐに勃起した。
「いや、これじゃ帰れないですよ。なんでこんなことで立つんだろう……」
僕は自分の辟易とした。
「でも、こうしているもけっこう楽しくないですか?(笑)」
彼女は微笑みながら、僕のももに手を置いた。
「まぁ……楽しいですけど……」
これ以上に性的な行為を僕から求めてはいけない、と思った。
ウブなふりをしていたんだろうか。
でも、彼女に僕が触れていいような気がしなかった。
自分としては誠意のつもりだったのだろうか。
多分、男性と接するサービス業に従事してきた時期が長い彼女としては、下心を向けられることなんて無数にあるはずだろう。
そう想像して、「では、下心を向けないことで、誠意のある関係を築きたがっていることをアピールできるのでは」と考えたのかもしれない。
自分は、自分の性欲が汚らわしいものだと感じているので、本気で恋愛対象の人に対しては、性欲をあんまり向けてはいけないだろうなと思っているフシがある。
最終的に勃起が収まったので、僕は部屋を出ることにした。
「ほんとにありがとうございました。長く居座っちゃってすみませんでした」
僕が立ち上がると彼女も立ち上がって、僕の後をついてきた。
ふとソファーを見ると、彼女に渡したお金が、裸のままで置いてあった。
お金を受け取ってもらえなかった押し問答の後、彼女が受け取ってからどうしたかをちゃんと見ていなかったけど、ソファーのどこかに置いたままだったのかもしれない。
「あ、お金しまわないと」と彼女は言った。
お金の取り扱いを何も気にしない人間だと思われてしまったかも…と、少し気になっている。
玄関の前で彼女は「田中さん、私と一緒に住みたいって、思いました?」と笑顔で尋ねてきた。
「うん」
僕は首を何度も縦に振った。
「あはは、でも私はダメです」
彼女は笑顔で答えた。即答だった。
ならなんで聞いたんだろう、と思う。
否定の言葉ではあったけど、僕の好意は受け止めてもらえたのかな、と思ったので、そんなに悪い気はしていない。
今でもだ。
でも、ちょっとだけ、笑顔が引きつってたような気がする。
気のせいだろうか。
まぁ冷静に考えたら、四回しか会っていない人間が「一緒に住みたい」なんて言うのは、気持ち悪すぎるんじゃないだろうか。
まぁいいんだけど、もう……。
「ごめんなさい、なんか、すごくバカだなって自分で思いました」
「あー。でも私も、田中さんのことバカだなって思いましたよ」
彼女はそう言う時は笑っていなかった。
今に至るまで、この「バカ」がどの言動についてのことなのかわからない。
この時に「どこがバカだと想ったの?」と聞いたら、もしかしたら違った結末を迎えていたかもしれない。
けれど僕は「そうだよね。ははは」と曖昧に笑って返しただけだった。
玄関に来ると、室内のぼんやりした間接照明とは異なり、白くて強い明りが僕たちを照らした。
ほんとにかわいい顔してるなと思った。
「明るいところで見てもかわいい」と言った
彼女は言葉を返さずに、にこにこしてた。
彼女はずっとニコニコしてる。
一人でいるときはどんな顔をするんだろう、と思う。
にこにこしていてかわいいのだ。
もう一度抱きしめたいなと思った。
あと頭を撫でたい。
綺麗な女の人に触れることほど幸せなことって、僕の人生に中には見当たらない。
みんな綺麗な女の人のことは好きじゃないのだろうか。
綺麗な女の人のことが好きだけど、それを隠しながら生きているのだろうか。
暖かくて、柔らかくて、力をいっぱいに込めてしまったら潰れてしまうんじゃないかと思うような質感。
僕は男を抱いたことはないけれど、男を抱いてもこんな感覚は得られないだろう。
もっと長く抱いていたかった。
もっと長く触れていたかった。
それ以上の行為をあの場で望んではいなかった。
それは今でもはっきりと言える。
これが彼女の姿を見た最後の日にあったこと。
今でもはっきり覚えている。
家に帰り着く直前に、彼女から早速LINEが来た。
「今度火鍋を食べに行きましょうね」とのことだった。
もう、これは、友だちになれたと考えてよいのだろうな、と思った。
この翌日に受けた面接はパスし、その後の二次面接も通過。
僕は転職することが決まった。
彼女と会ったことでリラックスすることができたのだ、と自分に言い聞かせることにした。
少しだけ日が経ってから、彼女は「大切な本指さんからもらったお菓子。かわいい。光るの!」と写真を上げてくれていた。
他の差し入れ報告ツイートよりも、いいねが多かったように思う。
勝った! と思った。
我ながら小さい男過ぎる。
続き→愛は惜しみなく
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