Can’t
ここのところわりと重めの鬱っぽい気がする。
ベッドの上で何もできずに過ごす時間が長い。睡眠が長い。
家にいても「やらなきゃ」なことがあるのだけど、ベッドから動けない。
スマホをいじったりしているならまだましで、寝そべりながら外を眺めてたり部屋の一点を見てたりと、何できない時間がある。
「起きて本を読まねば」「筋トレをやらなきゃ」「ジョギングしないと」「文章書かないと」「調べ物をしないと」とか思うんだけど、行動を起こせない。
うつうつとする理由について、思い浮かぶことはあるけど、どれが決定的なのかはわからない。
まぁほどほどに大きいことがいくつか重なって、連鎖的に私を苦しめているのだろうと思う。
一つ大きな決断を迫られているが、これは外的要因が大きく絡むし、どう決断をしても苦しい局面を避けられないし、多くの変化が伴うので、うまくやるために私は多くの対価を支払わなければいけないと思う。
決断をしたからには、成功のために努力をしなければいけない。どんなことでもそれは当り前だけども。
決断しなくてもよかったけど決断したことがあって、自分の人生ではなかなかしないことであったから、決断が必要な分野なのだと考えずに長い時間を過ごしてしまった。
自分のキャパを超えてしまったからどうしようもない、自分の人生から切り離すしかないということがあり…。
でも不思議なもので、手放したりすると、新しい出会いがあったりする。
前にも書いた気がするのだけど、やっぱり人間ってキャパに余裕を持っておかないと、出会いも起こらないんだろうなって思いました。
「今はどうしようもなさそうだから放置」って決断をすることが20代中盤くらいから10年以上続いていたのだけど、手放すって決断をこれからやっていかなければいけないなと思う。
なんとかなるかもしれない、勝手に良い方向に向かうかも知れないっていう受動的な楽観的観測をしていてはいけないということなのでしょう。そんなことをこの年になって気づくなんて愚かにもほどがあるのですが。
人間を動かそうしたり、本心ではないことを言う人が苦手。
たまにいるんですよ。ほんとうにたまに。
自分にもそういうフシがあるから、そういうところが余計に気になるのかもしれないですけど。
自分の場合は20代のころに、そういうことで人を傷つけたり、人生の貴重な時間を空費させてしまったりした。
という自覚があるから、なおさら、人に強く干渉するようなコミュニケーションは控えるようにしている。
という状況だから、無責任・無自覚に↑みたいなことをする人に嫌悪感を覚えるのだと思う。
自分が若いころ、上司に気に入られようと思って「おすすめの本ってありますか?」と聞いたら、「人を動かすとか定番だけど役に立ったねぇ」と教えてもらった記憶がある。
読んでいないんだけど。
人に何かをさせたいって思う人が苦手。
仕事以外で指示をされるのがちょっと苦手である。仕事でも、意味が分からない指示をされるとストレスを感じるくらい。
それを利害関係がない(はずの)プライベートの人間関係でされるということが、気分が良くないし、何かしらの搾取行為に感じてしまう気がする。
自分の欲求を満たすために、他者を使役する行為に感じるから。
人にこう感じて欲しい、こう思って欲しいって衝動は理解する。けどそれを実際に人に押しつけるのは気持ちが悪い。
世界を乱す行為だと思う。
普通にストレートに言ってほしい。コミュニケーションってキャッチボールだと思っているのだけど、バッティングセンターにでもいるようというか、変化球を投げてきてかき乱されるというか。
普通に「こうしてほしい。それにはこういう理由がある」と伝えてくれる人間が好き。好ましい。情報の純度に劣化が少ないのがよい。
まぁ、「空気」を重んじる日本人のコミュニケーション文化の弊害なのかなこういうのは。
付き合い方、開示する領域を選ぶべきなんでしょうか。
でもそういうこと考えるのも脳味噌に負担だしな……。
難しいです。
頭が悪いので、Aということを伝えたいのに(抽象的な書き方すぎるかもですが)、BとCとDを伝えて、「Aを察しろ」というようなやりかたをする人がいたり。
言えよ普通に。
それで察せずにいると不機嫌になったり、こちら側を否定するような言動に出たりする人が、世の中にはいる。
言動が常に一致しない。
あと自分の性質について、自称することが多いな。
この前も、平気で嘘つくなーこの人って思っていた相手が「自分は嘘をついたりするのが苦手なんですよ」って言ってたりした。
自己分析をしてきましたよってアピールなのかな。「そうありたい」って像を言ってるのかな。
事実ではないと思えることを平気な顔で吐ける人のことが私は本当に苦手だし、嫌いなんだと思う。
私は頭が悪くて、メンタルのコンディションも安定しないほうなので、そのように自分がストレスを感じるコミュニケーションを取られると不快感をあらわにしてしまう。
あとまぁ、言動にブレがあると、良いこと・価値があることを言ったとしても、後にその言葉から軸がブレていることを言うと、良かったことまで価値が落ちますよね。
落胆させられるし、軽いところから出てきた言葉だったのだと思うと、その言葉に心を動かされた自分がばからしく思える。
なのでそれ以降、その人の言うことは、「どうせまたブレる、適当に言ってるだけだからまじめに取り合うだけ無駄」って思うようになる。
などなどと、自分は意識を奪われる始末なので、もうこれは終わりなんだなという結論しか出ない。
汚い言葉を使わずに感情を発露することが難しい。
傷つけられたと感じたとき、傷つけ返そうという心理が働かないわけではない
けど自分はその衝動のままに行動することを肯定したくないので、出さないように努める。
なぜそうしたくないのかと考えると、自分が「あぁはなりたくない」と思う幾人かの人間が、そのように感情的であったりするから。
自分の尊敬する人でも、人を傷つけることを多分にしているように思うけど、しかし、少なくともそのように振る舞ってしまう自分を許すまいとする心理も働いているように思う。
ところで、文章について、何をどう書こうか迷って手を動かせずにいる時間があるが、結局「後で書き直せばいいしたたき台だと思ってまずは書こう」と思って書いたりするけど、結局そのときに書いたものからあまり手直しできなかったりする。
自分が尊敬する田中宗一郎さんは、三原勇希さんへのアドバイスとして、「いったん書いたこと全部消して、同じことを書き直してみな」と言ったそう。
その教えの通りに書いてみたところ、同じ内容を書こうとしたはずだけど、納得いく内容に仕上がったとのことだった。(たしかポップライフポッドキャストで、鹿野敦さんがゲストの回で出た話だったと思う)
自分も誰かに教えを請うたりしてれば、もっとましな文章の書き方を会得することができたのだろうか。それこそ鹿野敦さんは以前、音楽批評セミナーのようなものをやってらした気がする。
許さない、という選択肢はあるんだなと思った。
自分にも非があるのだ、と考えがちだったけど、そういう次元ではなく、自分に加害性の一端もない問題というものが世の中には起こりうる。
自分の非を探して自分を責めて、相手を受け入れる余地を探してしまう。
これって多分ストレスとして非常に大きいんですよね。
そういう性質は、ある種の人物にとっては、付けいる隙のように見えるものなのだろうか。
そういうわけなので、「自分にはできない」っていうのが答えでした。
ただ一度その答えに辿り着くと、引き返せなくなった。もはや他の可能性を検討することができない。
なんか、「決めた」というより、「見つけた」って感覚です。
悩んでいたんじゃなくて、その選択肢から目を背けていたけど、そうするしかなかったことがわかったって感じ。
気持ち悪いなって思ってしまった。
人のことを気持ち悪いって思うことをしたくなかったんだけど、気持ち悪いと思わずにいることがもうできない。
「ごめんなさい めんどくさい」「言ってる意味がわからない」という歌詞が、こういうとき頭をよぎります。
どちらも、歌い手がいるシチュエーションと、私が置かれているシチュエーションは違うわけだけど、その言葉がとてもしっくりくる。
映画のハートロッカーを思い出します。「ごめん。助けることができない」。
少し前までコミュニケーションを取っていたその相手には、特に何の感情も抱けない。
自分の人生からいなくなってくれると考えるだけで、こんなに楽になるものなんだとわかった。
みんなこうして、荷を下ろすように縁を切り捨てていってるのか。
自分がこういうことをすると思っていなかった。
自分は人のことを受け入れる態勢がわりとあると自負していた。自分なりにその理由についても考えたことはあった。
ただそういう自分でも、無理なんだなーって思うこともあると知った。
仕方がない。
不出来で怠惰なのだ。
できることのほうが少ない。
できないことをできると言うことで人に迷惑をかけるし、できると思うことで自らも傷めつけることになる。徒労で時間を浪費する。
これからの人生に、この経験が活きてくれるとよいのだけど。
ただ40年くらい活きてきて、やっとその程度のことを学ぶのかい、とかは思うよ。
人間関係において「切る」って言葉が使われるが、私はそれが嫌いだった。
多かれ少なかれ、「合わないところがある」と思うとき、相手もまた同じことを思っているものだと思う。
そういうときに、自分の欠点や失敗が突きつけられるような思いになるから、先に自分が「見切りを付けた」側になりたいというチキンレースなんだと思う。
SNSで人間関係を平然と「切る」とかいう人を見ると、自分はそうはなるまいぞと思ってた。
できれば、そこにあらがいたいと思うんです。ほんとうは。でも無理だった。
まぁ、でも、自分の根底にずっとあるのは、「敬意がなくて距離感はき違えてる奴は頭悪くて気持ち悪いと思う」だったので、その延長線上に今の感情もあるんだろうなと思う。
ただ自分は、いつかこれが何か実を付けるんじゃないかと楽観視してたんだと思う。
かけた時間を「投資」と捉えるなら、追加の投資をやめるタイミングを見極めるのが重要だったんですよね。人間関係に、経済的な視点を持ち込むのは嫌いだったのだけど、、経済には常に研究・精査されていて、世を生きる上で役立つ考え方や言葉がたくさん作られている。
私は私なりに、欲望を抱いていて、その欲望を世間体のよい別の何かに擬態させて、どこかでそれが叶うのを虎視眈々と待っていたのかもしれない。
俺は俺を許せない。けど活きていかなければいけない。
活きていくために、少しでも心から重りを取り外した状態でいなければいけない。苦しすぎるので。
余裕がない世界のせいなんだとも思うんですけどね。
でも今は精一杯にならないと活きていくことも難しい時代です。
多分後で振り返ったとき、今って本当に厳しい時代だったって思うんだと思いますよ。
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