空中ラーメン
休みの日にやろうと思ってたことは、たいてい消化できないまま休みを終えてしまう。
何もできずにベッドから起き上がれないことが多々ある。
そういうときは、低気圧であることが多い。
若い頃は「低気圧で具合が悪くなるとか迷信だろ」と思っていたのだけど、これは根拠のある話らしい。
自分は年を取ってから、低気圧で体調が悪くなり体質になった。
とはいえ、そういう状態に陥ると、「低気圧で具合が悪くなる前にやるべきことを終えられなかったこと」を自責するようになり、悪循環である。
この休みの間に、プロジェクトヘイルメアリーを読み終えて、レンタルしてきた映画を観たかったのだが、どちらもまったくできていなかった。
しかし通っているラーメン屋さんに行こうかと思った。
ただ「何もしてないのにラーメン屋に行くのはいかがなものか」という逡巡があったし、人気がある店なので行列になっていたり、早仕舞いになるおそれもあった。
せっかく行ったのに長蛇の列だったり、品切れになっていたら、俺は自分を許すことができないと思った。
結果として、昼過ぎに行ってみて、もし店には入れなかったらちょっと長めのサイクリングをしたのだと諦めて帰ろうと思った。
ラーメン屋に行く途上に図書館に寄ったのだが、家を出る前には順番待ち表示になっていた雑誌が準備されていた。
「今返却があったばかりですよ」とのことだったので、これよりも早い時間に来ていたら受け取れなかったと思う。
この日受け取れなくても、来週も受け取るチャンスはあったわけだけど、私はこういうタイミングが良いと嬉しい。
ジャズインという雑誌のバックナンバーを予約していたのであった。
ブラッド・メルドーというジャズピアニストが、エリオット・スミスのカバーアルバムをリリースした際の特集が載っている号。
エリオット・スミスがジャズシーンでカバーされることが多いらしく、その背景を知れるかと思って予約していたのであった。
実際に受け取ってみると、ブラッド・メルドーは表紙を飾っていた。
すごい人なんやな、となんか嬉しくなった。
この人はレディオヘッドのカバーアルバムも2枚出しているので聴いているのだが、門外漢の自分からしたら、ブラッド氏がジャズ畑で認められているのか、はたまたカバーアルバムで稼ぐタイプのコスい男なのかわからずに悶々としていたのだが、ジャズ誌の拍子に出るくらいだったらすごいのだろうと俺は自分を納得させた。
ラーメン屋に着いたところ、全然並びは無く、スムーズに入ることができた。
食べたいラーメンも完売とかにはなっていない。
着て正解だった、と思った。
自分の後から入ってきた男性は、アジア系の外国人男性だった。
30歳前後くらいだろうか。
首もとにも見えるがっつりめのタトゥーが入っているけど、黒髪でまじめそうに見える。
「ディスクユニオン」とカタカナで書かれたトートバッグを持っていたので、日本にはよく来る方なのかなと思われた。
アジアのレコードショップ事情ってどうなっているのだろう。
韓国を旅行した音楽好きの友人が、韓国で何枚かレコードを買ってきていたことを思いだした。
男性は、ラーメンは塩と醤油をハーフサイズで注文していた。
そして「先に塩、あとで醤油」と提供順を指定していた。
これは通であろうと推察される。
連食をするさい、だいたいの場合醤油のほうが味が強いので、先に塩を食べてから醤油を食べるのがだいたいの流れなのである。
男性はテーブルにはスマホと、小さなサイズのデジカメを置いていた。
日本の00年代くらいに流行ったデジカメが韓国で流行っていると聞いた気がするので、韓国の方かなと思った。
その方が、店員さんに「○○さんから、渡してくれと言われました」と、有名ラーメン店のカップラーメンを渡した。
日本語の文法が崩れていない。
「さっき丼を作ってもらい行ったんです」とのことだった。
そのお店は、丼をオーダーメイドで作る業務を行っていることで有名だった。
それにしても、海外からわざわざ、決して利便性が高いとは言えない場所にあるお店にまで丼を作りに来るとはすごい熱意と行動力。(ちなみに、有田焼の職人さんを直接訪ねて打ち合わせをするラーメン屋さんは少なくない)
ラーメン屋の丼の形状って、保温性とか香りの広がり方とか、どんなふうに食べて欲しいかによって計算されるみたいなんです。すごいですよね。
温度の下がり方も重要で、醤油を数種類ブレンドするラーメンだと「この醤油の味は温度が落ちてきてから上に出てくる」とかの計算もあるみたいなんですよ。ほんとにすごい。ラーメン屋さんって。
お店の方がお兄さんに「ラーメン店をやられてるんですか?」と聞くと、「はい。韓国で○○というお店をやっています」とのことだった。
私はそれを盗み聞きして、「韓国 ラーメン ○○」でググったが、ヒットしなかった……日本で食べられる辛ラーメンの情報しか出てこない。ハングルで検索しないとだめなんだろうか。
韓国に行く予定はないけど、何かの拍子に韓国に行った際に、寄りたいお店があるというのは、なんか人生においてとても楽しそうな気がする。
ちなみに、韓国にはフィッシュマンズファンの方が作った空中キャンプというカフェがあるらしく、そこには行ってみたいなとずっと思っている。(前にも書いた気はするのだけど、韓国ではフィッシュマンズが人気らしい。その記述を2010年ぐらいのスヌーザー誌で読んだのだった。2010年に日本に届くくらいのフィッシュマンズ人気があったってことは、それ以前から韓国では聴かれていたということになる。今30代前半くらいのHyukohのフロントマンもフィッシュマンズ好きを公言している。韓国におけるフィッシュマンズ人気がいつ、どうして起きたかはすごく気になる)
「韓国もラーメンのレベルがすごい上がってますよね。この前は○○の○○もイベントやったりしてて」と店員さんが言うと、「はい、ご一緒しました」とのことだった。
ここで名前が上がったラーメン屋さんは、先日まで東京における食べログのラーメンカテゴリで評価が1位だったお店である。
ご一緒しているとなると、すごそうな気がする。
ますます気になる……。
お兄さんは日本語ができるみたいだから、話しかけてみようかとも思ったけど、こういうとき、言語の壁もあるしコミュニケーションが弾まなかったら迷惑かなとか、警戒させてしまうかなとか、いろいろ考えてしまうんですよね……まぁコミュ障なほうなので。
お兄さんは着丼後、デジカメで数枚撮影したら速やかに食べ始める。
食べる前に、スープに顔を近づけて香りを深く嗅いでいた。飯田将太さんを思わせる仕草。
着丼してからラーメンを食べ始めるのが遅い人は、あまりラーメンを食べることが好きではないのだろうなと思ってしまうんです。私は。
自分もお兄さんもラーメンを食べ終わって、そろそろ退店しようかという雰囲気だったので、勇気を出してお兄さんに「お兄さんのお店の名前聞いてもいいですか?」と声を掛ける。
すぐにメモれるようにスマホでGoogleを準備していたのだけど、お兄さんがスマホを取って、店名を打ち込んでくれた。
トップにインスタのアカウントが表示されて「これです」と示してくれた。
店員さんも「あとで俺にも教えて」と声を掛けてくれた。
もしかしたら、店員さんもちょっと恥ずかしがるというか、どう踏み込んでいいかわからずにいたのかもな、と思った。
お兄さんは「名刺もあります」と仰り、バッグから名刺ケースを取り出した。
韓国でも名刺の文化ってまだあるんだ! と思った。欧米ではそもそも名刺交換の文化って無さそうだよなとか思う。
名刺には、お店の漢字表記も書かれていた。
いちおう強めの笑顔を作ってお礼を言ったけど、お兄さんの顔に笑いはない。
緊張してらっしゃるのか、まじめなのか。
私から店員さんに「名刺いただいておけばお店のことわかるんじゃないですか?」と話を振ると、「お、じゃあ俺も名刺持って来ますね」と、お店の裏に行かれた。
我ながらよいアシストをできたのではないかと思う。
店員さんが「韓国ではどんなラーメンが多いんですか?」と聞くと、「家系とかですね。うちは醤油と塩です」との答えだった。
神田にある家系とは言わないが家系ライクな「わいず」という店にたまに行くのだけど、そのお店を知ったのも、韓国にあるフランチャイズ店がYouTubeに出しているASMR? みたいな動画が出てきたからであった。
考えると。お兄さん自身も日本語に自信がなくて、憧れのラーメン屋さんとちょっと話せたけど、名刺とか渡していいかわからない状態だったのかもしれない。
お店のインスタアカウントをフォローしたし、名刺もいただいたので、もう私はこのお兄さんのことを忘れることはない。
家に帰って、お店のインスタアカウントを見ていると、お兄さんが飯田商店に行って、飯田さんの著書にサインをもらっている写真があった。
ピン止めしている投稿が、オアシスのマグカップだった。
なんということだ。
この日、私は先日着たオアシスのシャツを洗濯して干していたのだ。
まぁオアシス好きじゃない人間がいるのか、という話ではあるのだけど。
私も大好きな日本の映画作品のポスターとか、平成期のアニメに関する投稿もあった。日本の文化に親しんでいる方だったんだな……。隣の国なんだし、そういうこともあるだろう。
さらに、お兄さんは、前日に都内のラーメン店とコラボしていたようだった。
韓国に行かなくても、このお兄さんのラーメンを食べられる日がそのうちあるかもしれない。
楽しみが増えた。すごい。何があるかわからないな。
しかも調べてみたら、お兄さんのお店から、前述の空中キャンプまでは電車を使うと15分ぐらいで行けるみたい。徒歩だったら1時間ちょいとかで行けるだろうか。知らない町を歩くのが好きだ。
韓国行きたいな。とは思うのだけど金が無い人間なので、私は韓国に行くことができないまま人生を終えるだろう。
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